Mistery Circle

2017-10

《 円環奇譚 鳥籠姫 》 - 2012.03.01 Thu

《 円環奇譚 鳥籠姫 》

 著者:ココット固いの助





【円に纏わる】

「最善を尽くします。既に死亡しているようですが」
そう犬島は来客に告げた。
常套句である。しかし本心でもあった。
客はその言葉を聞いて安堵したようだ。
巨大な鎖に犬のように繋がれた屋敷の主はエジンバラの支部から派遣された使者である男の緊張を解そうという素振りも見せない。
来客が持ち込んだ案件は一枚のROMに収録された動画。
応接間のテレビの画面を先程から眺めていた。
「ずっと回っていますね」
「ええずっと回ってます」
「いつから回ってますか」
「生まれてからずっと」
「もう死んでいるのに」
「ずっと回ってます。ぐるぐる回ってます…怖いです」
粗いテレビ画面の画像に映る少女。
白い夜着をきて廃屋とおぼしき室内を歩き回る。
時計の針のようにゆっくり円を描いて。
顔には蕩けるような微笑みを浮かべ。
歩いていた。
彼女の歩いた痕は絨毯に経年の轍を。
円い軌跡を残している。
「床に書いた絵は」
「クレヨンですね」
「いえ…これは魔方陣では?」
「魔方陣」
「そう見えませんか」
犬島は黙ったまま重ねた拳に顎をのせたまま画面を見入っている。
「生まれた時から部屋に引きこもり。やがて食事もとらなく衰弱死した女の子が誰にも習わず魔方陣を構成し死んだ後も何かを異界から呼び続けているとしたら」
「前例がありません」
「ですから協会としては「星なき夜の書」に登録すべきか貴方様に調査を依頼したいのです」
犬島が凝視する画面を何かが過った
「鳥?…ですかな」
麒麟の翼だ。犬島は言葉を呑み込んだ。
「文字や記号を使わず絵を描いて何かを呼び寄せるというのは」「書き文字にしろ絵にしろ魔法としては高度とは言えません…大切なのは音ですから」「なるほど」
「お引き受けします」
犬島は答えた。
「それを聞いて安堵しました」
本心からの言葉だろうと犬島は思った。
「くれぐれも」
と暇を告げ部屋の扉を開けた男に犬島は言った。
「我々魔道に通じる者は」
男の動きが止まる。
「魔方円を魔方陣と言い間違えたりしないのですよ。バチカンの方」
男が慌ててドアのノブに手をかけ廊下に飛び出す。
途端に屋敷が揺れ男はバランスを崩し.その場に尻餅をつく。
地震ではない。
屋敷が哄笑っていた。
「ここからは出られない」
犬島の声が耳に届く。
「腹を空かしてるのは屋敷だけではないからな」
犬島が右手を挙げると笑い声は止んだ。
しかし別の物音が近づいてくる。
床を踏み抜く勢いで。猛烈な勢いで近づいて来る。
「命が尽きるまで我が家の迷路を逃げ回るか立ち上がり部屋に入って私を見るか」
男は立ち上がり部屋に飛び込んだ。
「お前は空手で帰る。調査は依頼したが結果は見込み違いと報告する」
犬島の目には何も映らない。
ただ暗いぽっかりとした穴が目のあった場所にあるだけだ。
男は魅入られたように頷く。
額はおろか全身汗をかいていた。
「雇い主に伝えろ」
男が持参した土産を持ち上げ言った
「私はバームクーヘンは好きではないとな」
男の前に箱が投げられる
「どうせならお前の主が被るへんな帽子と同じ形の菓子を持って来いとな。あれは美味い」
犬島は溜め息まじりに呟いた。
「秘匿を知れ。星なき夜の書と書かれていたら…星なき夜は.ただ暗黒。Bible Blackと読むのが常識だ」

【歩く】

密やかに歩け。
音もたてずに。
爪先だけで軽やかに。
歩け。
廃墟と化したこの屋敷を歩く者があるとしたら私だけ。
歩け。
緩やかな曲線を曲がればまた曲線。
ふりだしに戻る。
歩け…烈火西蔵。
砂漠の日に灼かれた駱駝の上を。
地平の果ての蒼が果てしなく霞む平原を。
海を星を夜を昼を。私の宇宙を。
やがて私の両足はフワリと宙に浮かぶ。
それでも私は歩くのをやめない。

あら玄関にお客だわ…。


【放課後】

「なあ…行こうぜってなあ行こうぜ」
伊波は先程生活主任に引っ張られて乱れたハイレイヤーの茶髪をしきりに気にしている。
机の上に置かれた携帯端末の動画と鏡に写した自分の髪に目をやりながら
「絶対可愛いじゃん。そう思うだろ?お前等」
口元に笑みを浮かべ3人の同級生を見る。
「心霊スポットなんか行くもんじゃない…と思う」
4人の中で一番色白で華奢な春海は呟いた。
「マユツバだ」
神父という渾名の少年は顔を背けたまま伊波を見ようともしない。イタリア人のような濃い顔立ち。
生真面目な性格というだけではなく実際将来は神学を学びたいと希望している。
日曜になると教会に出かけ子供たちの面倒を見るボランティアをしているらしい。
「マユツバ結構。ならこの子は幽霊じゃなくて生きてるって事…俺もそっちに期待したいね」
「呆れたやつだ」
神父は手をふって立ち上がろうとする。
「俺は放課後生徒会の集まりがあるんでな。
お前も帰宅部だからって放課後うろうろしてないで帰って店でも手伝ったらどうだ。
親父さん喜ぶぞ」
伊波の家は商店街で沖縄ショップを営んでいる。
両親とも沖縄出身だが伊波は両親に顔が似ていない。
たまに店番などする日は近所の人から「出張ホストの日」と呼ばれている。
「その沖縄ショップ‘ちゅら海屋'には本日ペンギン食堂のラ-油が入荷中なんだが」
梳で髪型を整えながら伊波は言った。
「なんだと」
神父の顔色が変わった。
「あれ.お前欲しいって言ってたよな」
「あのラ-油は美味い…一度食べたら病みつきだ。うちの親父も大好物なんだ」
「10個入荷したが店頭に並ぶと5分で売り切れる」
「伊波」
「お前の分は3個確保してある」
「恩にきる」
「神父が拝がんでら…原価売りで構わんが」
伊波は立ち上がり神父の肩に手を回した。
「行くよな…動画のこの場所…場所は調べがついてるんだぜ」
目の前に差し出された動画を初めて見た神父は動画の少女と目が合い…顔を赤らめた。
「これは…」
「決まりだな」
「伊波…お前」
「なんだかひどく良い香りがするな」
「今日はムスクだ」
伊波は先程から机に座って本を読んでいる少年にも声をかけた。
「犬島お前はどうする?」
「美景は駄目だ」
神父が気遣うように言った。
「犬島君は放課後妹さんの病院に…」
「そうだったな悪い」
「別に気にするな」
犬島は「春と修羅」という題名の文庫本を閉じて鞄にしまうとこちらを向いて言った。
「容体はと聞かれても相変わらず眠ったままだ。安定してると言えば安定してる」
「毎日病院に行ってるんだよな」
「眠っている分足や腕の筋肉が萎縮しないようマッサージしないといけなくてな」
「そうか。大変だな」
神父こと藤島は沈痛な面持ちで答えた。
「もう慣れたさ。それに」
犬島は普段めったに見せない屈託の無い笑顔を見せて笑った。
「妹はチュ-ブの流動食も問題なく受けつけるし体温も脈拍も呼吸も心拍数だって通常の人の睡眠中の数値と変わらない。
脳に損傷だって無い。ただ目を覚まさないだけで何時か目を覚ます可能性はある。呼吸だって自分でしてるんだ」
重篤な病を抱えた患者の家族はこんな風に細い藁にもすがるような希望を持って生きるものかと。
犬島以外の友人達3人は沈黙するより術が無かった。
もう何年も犬島美景の妹は病院のベッドで眠ったままだと聞かされていたからだ。
そんな重い空気を察したか犬島は
「僕も放課後つき合う」
突然言い出した。
「妹さんはいいのか?」
伊波が遠慮しがちに聞いた。
「今日はヘルパーさんが来る日だから。
見舞いは夜までに行けばいいんだ」
「そうか…じゃあ行くか」
「ちょっと動画見せてくれ」
犬島に言われて伊波は端末を渡した。
「こんな可愛い子が生きてる事を願わずにはいられないよ」
「最近のこの手ネット動画は.はっきり写り過ぎだと思う」
「言えてるカメラアングルとかバッチリだよな…どうしたワンちゃん」
「世界のホームラン王みたいな呼び方は止めてくれ。この屋敷見た事ある」
「まじでか」
「場所は三鷹市」
「先輩情報だとそうだ」
「この屋敷…最近うちの物件になったやつだ」
犬島の言葉に一同が驚いた。
「妹近々退院するんだ。病状に進展ないから。
今僕が住んでるマンションだと環境悪いから父が郊外に屋敷を買った。来月から改装工場に入る予定だ」
「ご両親は確か仕事で海外だよな」
「何度も送られて来たメールの写真で確認したから間違いない。冒頭に映る屋敷の外観も同じだ…幽霊つきとは聞いてないが」
「やれやれ本物かよ」
「じゃ暗くならないうちに行くか」
「えっ藤島君行くの」
「ラ-油と友人のためだ」
「それと恋な」
「それもだ」
「2人ともすごいや」
「よし行くか」
「犬島君も迷いが無い」
「春海ぐずぐずすんな置いてくぞ」
「いや…僕どっちかって言うと置いてかれたいけどな」

【Mega ShortKake・ House】

既に壊れてしまっているが結界が張られていた痕跡がある。
この屋敷に昔棲んでいたのは魔術師の類いか。
やはりあの娘はこの地場を選んで生まれて来たのか。
「非エコ住宅だな」
伊波が正門から見えない玄関を探すように言った。
「改装も維持費も大変そうだ」
「どんな人が住むんだろうね」
「目の前にいるじゃんか」
春海の頭を軽く小突きながら伊波はまた鏡を覗き込む。
「お化け屋敷に入るのに身だしなみを整えるか」
「うちの屋敷だが」
「身だしなみは大切よ。だからお前はもてないんだよ。それにしてもだ」
伊波は周囲を見渡しながら言った。
「この辺教会でもあるのか?さっきからやけに外国人の神父さんばかり見かけるが…藤島お前も会う度にうやうやしく挨拶すんなつ-の」
「さすがに鼻だけは効く。犬どもが」
「なんか言ったか?」
「いや…日が暮れないうちに入るか」
犬島はポケットから正門の鍵を取り出し開けようとした。
鍵は既に開いていた。

誰も家の外観について触れようとはしない。
まるで西洋のお伽噺に出て来るような屋敷だった。
庭の噴水や児童公園のような遊具。
パステル色の外壁。二階に取り付けられたバルコニー。
今にも玄関からプリキュアやリカちゃんの人形が飛びだして来そうな。
そして暮れかけた西日の中その全てが朽ち果てていた。
そんな建築物が日本に存在するのか?
そう問われれば確かにかつては存在した事がある。
バブル経済全盛時ショ-トケ-キ・ハウスと呼ばれる家屋が都心で数多く建築された。
好景気に沸いた当時の日本。
「かわいい」という概念が日本の文化に定着した頃金に糸目をつけない何もかもが「かわいい」で埋めつくされた家屋が数多く建築された。
ほんの短い熱病のようなバブル景気同様にショ-トケ-キ・ハウスは建築の文化や歴史とは全く関係ないところで顧みられる事は無い。
目の前に威容をさらすのは住宅では無く屋敷。
お城のように見えた。
ここの屋敷の娘は生涯外に出る事は無かったのだ。
両親が用意した遊具や噴水やプールの水にも.かつては良く手入れされていたであろう庭の芝生や植物たちにも彼女は一切手を触れる事は無かった。

【従者たち】

犬島がエントランスの扉を開けると目の前を何かが過った。
犬島は苦もなく素手でそれを掴んだ。
掌の中には蝉の頭を持った裸の人。
背中に透明な羽がある。
犬島は呟いた。
「妖精」
腹のあたりが大きく膨らんでいる。
膨らんだ半透明の膜の中に膝を抱える同じ生き物が蠢いている。
犬島は掌の中の生き物を握り潰した。
指を開くと掌の中には何も居ない。
「アストラル体か」
天井を見上げると同じ有翼の生き物が無数に飛びかっている。「1階からのんびり探索してる時間はなさそうだ」
アストラル体…妖精を構成すると言われているエレメンツが濃く発生しているのは2階からだ。
「さっきから犬島君独り言」
春海が心配声で言う。
「すまない少し考え事してた」
「そりゃそうだろ。こんなヘンメル屋敷…本当に妹さんすまわせるのかってな。俺がお前でも考えちまうよ」
「うちの妹は結構そっち系だったが」
「なあ伊波ヘンメルってなんだ?」
「俺の守備範囲じゃねえが…後で教えてやる」
2階に続く階段を登る犬島の足どりに迷いは無い。
後に続く伊波と藤島も同じだが春海は不安げに周囲を見回している。
階段を登りきり2つ目の部屋。
部屋にかけた女の子の名前の文字は掠れて見えない。
大人の書いた文字。
多分母親だろう。
「わざわざ探すまでも無かったな」
ここが1番濃いアストラル体が…犬島は躊躇わずドアの取っ手に手をかけた。
「いきなり開けちゃうわけ」
「誰か…誰か大勢で階段を登ってくるよ」
「春海背中押すなって」
犬島がドアを開けるのと同時に軽い将棋倒しになった。
4人は部屋の中になだれ込んだ。
「押すなって!ばか」

先に部屋に入った犬島は突っ立つたまま呆然と部屋の奥を見つめていた。
ミサゴの鳴く声が聞こえる。

川のせせらぎに似た木々のざわめきが心地よい。
そこは森の中だった。
犬島の視線の先を皆が息を呑んで見つめた。
日当たりの良い森の真央に白い夜着を来た少女の姿があった。
膝元に小さな白い子馬の首を抱いて眠っていた。
森は折り重なる透明なフィルムの重ねのように。
神話に登場する幻獣たちや悪魔や天使が重なり合いひしめき合い霞のように見え隠れしている。
「一角獣」
小さな子馬には額から生え出た螺旋状の角がある。
「いやあれは似ているが違うぞ」
犬島が左手を上げ全員に後ろに下がるように。
「あれは一角獣に似ているが…モノケロスだ」
気配に気づき目を覚ました子馬は少女の膝から飛び降りた。
物憂げに首を振り前足で地面を掻く。
こちらを向いて見据える。瞳は蒼く虹采も瞳孔も無い。
足元から焔が立ち。躯全てに火の手が上がる。
火は忽ち周囲の木々に飛び火して火の海となる。
目も開けていられぬ程の熱波が4人の元に押し寄せる。
炎の中から巨大な火炎の馬が姿を現す。
「一角獣に似ているが遥かに巨大で狂暴だ」
前に出ようとする犬島を伊波が追い越す。
「危ねえ。脇に退いてろ」
「ドアの外に出ろ」
藤島も残った2人を庇うように前に出る。
「ドア…開かないよ」
春海が叫んだ。
鬣で炎の波を起こしながらモノケロスは目の前に迫る。
犬島は右手の中指の第2関節を折り曲げて音を鳴らす。Ι(イス)の音色は音素文字の「凍結」。
モノケロスは凍りつき砕け散る。
通常は左の二の腕に彫った鍵盤の刺青に触れて音を奏でる。
鍵盤の1つ1つに音素文字の音色が封じ込めてある。
魔法使いの呪文とは声を出して唱える音である。
より早く複雑な音の組み合わせで奏でられる音色こそが高度な魔法であると犬島は考える。
凍結程度の単純な魔法ならば指を鳴らす程度で充分だ。
「一体どうなってやがるんだ」
空中で水蒸気となって蒸発したモノケロス。
その四散した後に残る霧が晴れると聖書を翳して仁王立ちする神父藤島の姿が現れた。
「藤島お前が神の力であの化け物を退けたのか」
「多分違う…祈りはしたが」
「あんなに周りは大火事だったのにタバコの焼け焦げ1つ残ってねえ」
「幻視だ」
「滅茶苦茶熱かったぜ」
「受肉していないとはいえあれは聖獣だ直視したり火に触れたら脳や精神に異常をきたす」
「ちょっとさっきからみんな何言ってるの」
春海は困惑した様子で言った。
「ダメもとで本に書いてある呪文を唱えてみた」
犬島は制服のポケットから「誰でも使える魔法の呪文」という文書本を取り出した。
勿論嘘だ。
呪文なんて唱えていない。
「最近オカルト系の本にはまっていてな」
「犬島先生スゲーな」
「いや…呪文なんて眉唾物だが。この場所がきっと特殊なんだと思う」
「オカルトなんて感心せんが」
「へっぽこ神父が悔しがってら」
「なんだと」
「見てみろ」
犬島の言葉に全員が周囲を見回すと風景は一変していた。
そこは先程まであった森ではなく剥き出しの岩や石ころばかりが散在する荒れ地であった。
目の前にあるのは行く手を阻むかのような断崖。
その背後には山脈が連なる。
「なんか強烈に拒否られてね-か?俺たち」
「そのようだな」
目の前の壁岩には.ぽっかりと口を開けた洞窟の入り口が。
夜の海の水のような暗闇を湛え4人を待ち受けていた。
「ここ入れってか」
「そのようだな」
「トラップ率100%だな」
「まず間違いない」
伊波はお相撲さんみたいに顔を叩いて
「おし決めたぜ。行くぞみんな」
「危険過ぎるぞ。無謀だ」
藤島が伊波を制した。
「虎穴に入らずんばGALは得ずだ。
この俺様がここまで来て空手で帰れるかっての。メルアド1つも無しにだ」
「いやもう死んで…」
「おし!藤島無事帰還したら明日はあの娘も呼んで合コンだ」
「合コン!そのような事は神父志望の自分には」
「なら言葉を変えよう。合コンじゃなくミサだ」
「ミサか…ミサならいい」
「迷える子羊ちゃんたちを導いてやろうぜ」
「でも飲酒はだめだ。いや…ワインなら。ワインはキリストの血だから」
「その話題は合コンの席では御法度だ」
「承知した」
2人は肩を組んで
「ゴウコン!ゴウコン!」と叫びながら洞窟の中に消えた。
「犬島君。もはや死んでるとか突っ込みも入れないんだね」
「ある意味2人は超越者だ」
「あの勇気と熱意を勉強とかに向けたら将来すごい人になれるのに」
「犬島-置いてくぞ-!!春海!タマちゃんみたいな立ち位置からダメだしするな」
想像していたのとは洞窟の内部は違っていた。
天然の鍾乳洞では無い。赤色花膏岩の石畳が敷かれた広大な迷宮。僅かに差し込む地上からの明かりでは天井の高さも壁と壁の距離も伺い知る事は出来ないが。
「明かりが無いんじゃ先に進めないな」
神父藤島は冷静な男だ。
「おし!全員携帯のライトを翳せ」伊波の提案に皆従ってみた。
「途中でバッテリーが切れたら」
犬島も冷静な男だ。
「花輪君」
「犬島だ」
「犬島お前さっき魔法使えたろ?今回も灯明の魔法で地下を照らせ」
「灯明の魔法」
どうだったか…と犬島は考えた。
確か音素は>だったな…音色は…ええと。
初歩の初歩過ぎて思い出せない。
暗闇にはらはらとページを捲る音だけが響く。
「どうした?出来ないのか」
「いや…あの…すまないが携帯のライトをページに」
「仕方ね-よ。犬島は本物の魔法使いって訳じゃね-し」
「素人だしね」
「本物の魔法使いじゃないんだ。
さっきのも多分偶然かまぐれ。過度に期待したら犬島が気の毒だ」
くそ。なんという屈辱。
犬島は必死でページを捲る。
そのうち地面が揺れ始める。
「地震か!?」
「冗談言うなこんな地下で」
どれ程の巨大な拳で壁を叩き床を踏みつけたなら。
敵意に満ちた憤怒の赤色。隻眼の瞳がこちらを目指し近づいて来る。
「迷宮に棲む神獣…まさか」
「実体とかじゃねぇんだろ」
「いや…あれは多分実体。ミノタウロスだ」
闇の中で獲物を見つけた赤い光が跳躍する。
1飛びで距離が縮まる。
「冗談じゃねえ。逃げるぞ」
伊波は後ろ振り向いた。
入り口の通路は消え失せ突き当たりには壁。
周囲に濃密な獣の匂いが立ちこめ。
足音が響く度空気を震えさせる。
高見から赤色がこちらを見下ろす。
「ТΗ(停止)」
右手を掲げた犬島が叫んだ。
音素文字のスリサズの音色を
「思わず口ずさんでしまった。美学に反する」
犬島はミノタウロスを睨み付け言った。
「下がれΨ!!…飯抜きだ」
「難解な呪文だ」
「サイって…牛じゃねえのか」
ミノタウロスは背中を向けると元来た通路をすごすごと帰って行った。
「おおお」
「スゲーぞ。犬島が化け物を追い払ったぜ」
「先に進むか」
「今がチャンスだ」
犬島は皆に向かって言った。
「進んでも無駄だ。ミノタウロスの迷宮に出口は無い。
神話によれば女神が投げてくれた糸巻きの糸を辿れば外に出られるらしいが」
ここにいる女神はそんな気は無いらしい。
「春海」
「え!?なに犬島君」
「お前にはさっきから俺達どう見えてる」
「え…どうって」
「正直に答えろ」
「なんか馬鹿みたい」
「なんだと春海!?お前友達のふりして実は真の敵…」
「伊波飛躍し過ぎだ」
「春海。お前にはさっきの森も火の馬もこの迷宮も見えてない…見えてるふりだけしていた。違うか」
「だってみんなが見えてるって言ってるのに僕だけ」
春海は項垂れた。
「そうだと思った」
「どういう事だ犬島」
「春海俺達は今何処にいる」
「ドアを開けて部屋に入ってから1歩も動いてないよ」
「どういう事だ」
「この部屋はアストラル体というエレメントで満たされている。アストラル体は普通の人間には見えない。魔道者には強く作用を及ぼす。魔を強く信じるものや縁の者は余計に幻視を見やすく術にもかかり易い」
「藤島は対極だぜ」
「魔道の対極にいるという事はその存在を強く意識しているという事だ。つまり魔法使い同様魔法にかかりやすい」
犬島は春海の手に肩を置いた。
「つまりこの中では春海が1番突出した異能者なんだ。この迷宮から出るにはお前の力が必要だ」
「僕の力」
「春海今何が見える」
「部屋…女の子がいてこっちを見てる。円。円の周りの床に沢山の絵と針?」
「部屋の入り口のドアは」
「こっち」
春海は左を指差した。
「女の子のいる方は」
「こっちだ」
左側を指差した。
「では進もう」
「そっちは壁だぜ」
伊波の言葉を遮るように犬島は言った。
「春海自分の目に見えるものを信じろ」
春海は右側の壁に向かって歩くと.突き当たりの壁に手を触れた。
手はそのまま壁をすり抜けた。
春海の後について迷宮を抜け出す事に成功した。 

【問う背中】

こともなげに少女は円環の周りを回っている。
円の外側の床一面にヒエログリフのような聖獣や悪魔や天使の絵。
その1つ1つに針。
「まるで昆虫採集だ」
犬島の心に戦慄が疾る。
「呼び出したものたちを髪の毛で作った針で…規格外の能力だ」
「思ってたより高めのお嬢さんだ。燃えてくるね」
伊波が制服の上着を脱ぐと右手で軽く振って春海に投げた。
「悪いが持っててくれ。シワにすんなよ」
「伊波君」
「こっから先はお前等じゃ無理だ」
笑った口元に鋭い犬歯。
「今の俺のこの姿でもちとヤバいぜ」
「本性を現したな。Νευροι」
「その呼び名を聞くのは南世紀ぶりになるか…正教会の枢機卿にして十字軍6度目の東邦遠征部隊を束ねた男バルバシウス」
「懐かしい名だ。その名前で私を呼ぶのは今はお前だけだ。しかし」
藤島は伊波を見据えて言った。
「遠征に私が参加したのは 7度目だ。狼の子よ」
「元々俺は人間様だつ-の」「皆の者聞いて欲しい」
藤島は春海と犬島に向き直るとうやうやしく頭を下げた。
「今までみんなには黙っていたが私の前世は神聖ロ-マ正教会の枢機卿にして聖騎士バルバシウスだ」
「普通そんな事人に言わないよ」
「キリスト教は確か輪廻転生は認めてないはずだが」
「そんときの渾名はプルケル」
伊波がにやついた顔で言った。
「黙れ」
「確か古代ロ-マ語でハンサム」
「犬島君は物知りだなあ」
「プルケルw」
「ハンサムw」
「わ笑うな皆の衆。笑うな」
「ぶわはははは」
「あ犬島君がツボった」
「私の懺悔を聞いてくれ…私の現在の本当の名前はヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ」
「セリエA?」」
「日本人の高校生藤島真吾は世を忍ぶ仮の姿」
藤島の体は小刻みに震えている。
「本当はイタリア人でしょ」
「な…」
「しかも年齢は30オ-バ-」
「みんな知ってたのか」
「だって見た目が」
「日本場慣れしてるなんてもんじゃない」
「お前よりチンパンジーの方がどちらと言えば日本人だ」
「てっきり日本人の高校生になりきれたと思っていた」

「ホ-ムルームの時先生が皆に言ったんだんだ「なんだかわからないは藤島は必死で日本人になりきって学校に溶け込もうとしている。どんな事情があるにせよ皆で温かく見守ってやろうって」
全学生に通達が回り藤島は日本人として扱われる事となった。

「なんという慈悲深さ」
「泣いてる…」
「これが無声慟哭というやつか」
「ていうか藤島お前アホだ」
「生徒会書記の浅川さんが私に冷たいのも外国人故」
「普通はもてるが」
「藤島君て35歳位だよね」
「32だ」
「原因は体臭がきつい事」
「なんだと伊波。お前浅川さんといつ」
「ただのピロ-ト-クでだ」
「そうか犬島ピロ-ト-クとは何だ?」
「まあまあまあ」
「春海何を赤くなっている」
「お前の事を無神経にそんな風に言う女はだめだ」
「そうか」
「俺がこらしめておいた」
「こらしめるって…」
「お前もカミングアウトしたなら俺もつき合うか。藤島言って見せろ」
「しかし」
「いいから言えよ」
「昔中世ロ-マで正教会の神父を120人喰い殺した人狼がいた。正教会は壊滅状態に陥った」
「その人狼を見事仕留め司教から枢機卿にまでなった男がいたな」
伊波は着ていたシャツをボタンごと首から引き裂いた。
長く伸びた指先の爪は人ならざる者の証。
「騎士道を重んじる男は何故協会の門を叩いた」
「理由があって神の門を叩くのでは無く神によって召喚されるのだ」
「聖騎士とまで呼ばれた男が俺につけた傷だ」
破れたシャツを捨て背中を向けた伊波の背には刀傷があった。
右肩から左の腰の辺りまで。
「生まれた時から背中にあった痣だ。これだけは消えぬらしい。聖バルバシウスは騎士でありながら」
「背後からお前を切った」
「バルバシウス。汝に問う。
お前達の罪は聖書のページ何処の何処を捲れば書いてある」
「私達の罪は…おそらく不寛容」
「そうか。で…てめえは今回は何をするつもりだ」
「今年は聖年に当たる年。
バチカンにあるサンピエトロ大聖堂にて聖なる扉が開かれ世界中のキリスト教信者がそこに集うだろう」
「キリスト生誕2000年を祝う祝典か」
「教皇様は今年で80歳。
近年は体調が思わしくなくこれが最後の務めになるだろうと側近にもらしているらしい」
「式典にあの娘の力を利用するつもりか…俗物どもが思いつきそうな話だ。
そんだけ神父が雁首そろえるなら天使の1柱てめえらで呼び出してみやがれってんだ」
「これをバチカンより預かった」
藤島が懐から取り出したのは教皇の手紙と奇跡の認定証だった。
「そんな紙きれが何になる。
教皇の跡目は決まってのか?」
「いや…まだ決まっておらぬ」
「きな臭いな」
「バルバシウス」
「藤島でいい…そう呼んでくれ」
藤島は手にしていた手紙と認定証を破りすてた。
「ちっとは進歩したか」
背中を向けた伊波の髪が銀色に変わる。
襟足の髪が伸びて鬣となり隆起した肩の筋肉。フォルムが変わって行く。
かつてアジアとヨ-ロッバの境目にある黒海沿岸に存在したと言われるΝευροι族。勇猛果敢で知られたその一族は狼の神を祀る部族であった。
「その一族は年に一度狼に姿を変えると」
「んな訳あるかつ-の。祭りの日に狼の衣装を着るの。コスプレよ。コスプレ。だがしかし」
「キリスト教信者は迷える子羊で狼は悪魔の手先」
「ロ-マからイスラエルを経由して遠征して来たお前等に俺達は格好の標的だった。お前等が行く先々でして来た事は殺戮と略奪と強姦だ。俺の村でもな」
「認める」
「いいね」
「歴史が証明済みだ」
「慈悲深きバルバシウスは信仰と良心の狭間で揺れていた…壊滅させた村の唯一の生き残りの族長の子を殺せず。ロ-マに連れ帰った」

連れ帰った子はサンピエトロの地下に幽閉された。
世にも珍しい狼の子として。
何がしかの利用価値があるだろうと…子供の延命を望んだバルバシウスの教会への進言が認められた。
「幽閉され一年が過ぎても俺は狼になどならなかった。当たり前だ人間だからな」
一年後子供は外に連れ出され祭祀の時の狼の衣装のまま森に捨てられた。
他の異教徒たちと同様に。中世キリスト教社会では異教徒は狼の衣装を着せらた上言葉を話す事も禁じられ野や森に放たれた。
辿り着いた森は水も食料になる草木もなく狼の姿をした人間が倒れた仲間の屍肉を漁っていた。
「牢獄から出され森に連れて行かれるあの時の少年の姿を1度たりとも忘れた事はなかった」
「さもあろう慈悲深きバルバシウス」
狼に変容した伊波は振り向かない。
「しかしお前は来なかった」
「立ち入りを禁止された異教徒の棲む森だからだ」
「さもあろう」
飢えと衰弱で倒れた少年の前に現れたのは奇妙な黒い革靴を履いた男だった。
「顔を上げて私の顔を見てはならぬ」
と黒靴は言った。
「魔法使いは知られる事を何より嫌う」
少年は霞む目で男の革靴を見ていた。
「神秘の探求と秘匿こそ魔法使いの本質と知れ。
今宵は世にも珍しい狼の神の声に導かれて来てみれば」

次代に遠くなる意識の中で少年は男の声を聞いた。
「なぜ傍らにおるのに我を下ろさぬ。と狼は嘆いておるぞ。よもやその統を知らぬとは…そなたの狼の神に代わり問うが」
漆黒の闇。
それに似て男の声は黒いビロードのように滑らかだった。
「狼とともに歩むか」
声すら儘ならず少年は唯1度頷いた。
「良き哉」
男の手が少年の手に触れる。
微かに麝香に似た香りがした。
「この借りはいつか還してもらおう。狼と踊るがいい。死の舞踏を」
男の立ち去る足音は聞こえなかった。
最初から奇妙なかたちの黒靴は宙に浮いていた。
「ロムレスと名乗っていたな」
国中教会という教会が教われ神父が惨殺される事件が起きた。
「女子供も市民も殺さない神父だけだ」
「わかっていたよ」
「お前等とは違う」
「人殺しに代わりは無い」
「神の御加護はどうした」
「教会を1つ1殲しながら分かりやすいぐらい真っ直ぐ私と教皇のいる正教会を目指した」
単身で武器1つ持たずロムレスと名乗る人狼は市内に乗り込んで来た。
ロムレスとはかつて狼に育てられたという逸話を持つキリスト教の聖人の名前だった。

兵士と聖職者を殺しサンピエトロ広場と聖堂を血の海に染めた。聖書の祈りも聖水も効果は無く剣の刃先を彼の体に触れさせる兵士もいなかった。
「当たり前だ。最初から宗派が違う。それに俺は魔道に帰依したわけでもない」
誰も止める事は叶わず。ロムレスは行く先々で屍の山を築いた。ロムレスが教皇が匿われた聖堂の部屋がある階に達した時目の前に立ち塞がったのはバルバシウスだった。
幾度も目の前で仲間の骸を見せられても現れる。
「その度お前の命だけは取らぬ。勿論慈悲では無い」
それでも剣を構え立ち向かって来る。
「前しか向かぬ男だ」あまり賢くないという意味で。
人外の神の力を宿したロムレスの敵にすらならない。
すぐに床に叩き伏せられ背中を踏まれ骨を砕かれた。
「今からお前に生地獄を見せてやる」
そこに隠れ匿われ震えている老い耄れ爺の命など別に欲しくもなかったが。
立ち去ろうとするロムレスの背後でバルバシウスが剣を構えた。

「聖騎士バルバシウスともあろうお方が狼一匹証明から斬れぬとは。やはら貴様らは野盗の類いよ。いいだろう…やって見せろ。剣が俺の体を切り裂くよりも早くお前は抉り出されたお前の心臓を見るだろう」

バルバシウスは剣を降り下ろした。

背中を袈裟懸けに切り裂かれたロムレスは呆気無く床に倒れた。
「そんな馬鹿な」
ロムレスは絶命した。

「心正しき信仰ある者の前で悪行を省みる事の無い狼はけして振り向く事能わず」
教皇が昨夜信託を受けたとロムレスに伝えた言葉だった。
ロムレス自身信じてはいなかった。

3ヶ月前。とある居酒屋のトイレの便座に伊波は腰掛けていた。
「やっぱ合コン3連はきついわ。しかも2オ-ル」
暖房が効いていない居酒屋のトイレはひんやりとしていて酔いを冷ますのには調度良かった。
ふと足元を見ると目の前に黒靴が立っていた。
「貸しを還してもらいに来た」
「てめえ。あの時俺を嵌めたな。教皇に要らぬ耳打ちなんかしやがって」
「振り向けぬ呪をかけたのは確かだが…どのみち振り向く気などなかった」
「まあな。もう殺すのも生きるのも飽きてた。しかし体を操られて死ぬのとそうでないのとじゃダメージが違う」
「結果が同じなら借りはそのままだ」
「まあいい。言ってみろ」
「娘を1人連れて来い。どんなかたちでも構わん」
「今来てる子たちはダメ。みんな俺のもの。合コンなら企画してやっても…」
「随分軽口をきくようになったな.あの時の行き倒れの小僧が」
「軽口だけじゃねえんだぜ…って証明してやろうか」
目の前に写真と住所の走り書きのメモを差し出された。
「お前の命など焼けた鉄瓶に垂らした水滴と同じ。私の主にしてみれば昔も今もな。操り人形だ」
「なんだお前雇われか」
「雇われではない召喚されたのだ」
「どっかの神父みたいな口ぶりだな」
伊波は写真の少女に目を落とした。
「うわ。かわゆ」
顔を上げると黒靴の姿はそこになかった。

伊波は藤島が先ほどしたように紙を破る仕種をした。
「何をしている」
「お前に習って破ったのよ。
クソ下らねえ約束をよ」
伊波は真っ直ぐに正面を指差した。
「見てみろ藤島」
伊波が指差す方向には円環の少女が今は静止した状態でこちらを見ていた。
「野郎共が姫をそっちのけで辛気くさい昔話ばかりしてたらオカンムリにもなるさ」
伊波の言葉通り少女は頬を膨らませ床に刺さった針を抜こうとしている。
少女が抜こうとしている針の下は翼を生やした2本角の悪魔の封印だった。
「まずいぞ」
「藤島。お前が見なきゃならないのは俺の背中でも過去でもねえ。俺は前を向いて先に進むぜ…せっかくまた人に生まれたんだ」
「伊波」
「先に行かせてもらう」
「伊波針は倒すなよ」
「こんなもん一飛びだ」
「伊波。俺はお前みたいに女の子を取っ替え引っ替えしてるやつには負けん」
伊波は藤島に向かって振り返ると言った。
「狼は1度相手を見つけたら生涯対飼いなんだよ」
「伊波。お前には負けん」
「僕だって」
「春海!」
雷鳴のようなヘリの轟音。金と銀の重なり合う2つの鍵に教皇の帽子が描かれた紋章。
白いヘリからロ-プを伝い神父が降下して来る。
窓ガラスを蹴り割って室内に侵入して来た。
「バチカン!」犬島が身構える。
部屋のドアが開いて衛兵と共に神父がなだれ込んで来た。
「外で様子を伺ってたな」
神父立ちは手に花束や教皇の奇跡の認定証を持っている。
「しばらく見ねえうちにアグレッシブになったもんだ」
「今は独立国家だ。バチカンなめんなよ」
「あの棒持った取り巻きの変なアレグリアミタイな連中はなんだ?」
「スイス衛兵だ。政治的に複雑なのだ」
なだれ込んで来る神父は数を増し。4人には目もくれず少女の元に殺到した。
「私有地…なんだが」
犬島は叫んだ。
「床の針を踏むな!!」
しかしその声は押し寄せる黒い人波と飛び交うイタリア語やスイス語にかき消された。

【残響】

静止した時間の中に犬島は立っていた。
誰も耳にした事のない旋律だけが鳴り響く部屋の中。
耳にした者は生きて再び目覚める事は能わず。
人にけして知られてはならぬ犬島だけが知る音素の並び。
氷ついた悪魔と神々や天使と神獣魔物そして人間達。
天井まで染めた深紅の王冠は飛び散る血の飛沫。
そこに向かって犬島はゆっくり歩いて行った。

彼女は犬島に微笑んだ。

聖も邪も闇も光も人も全て彼女を求め彼女の元に集まる

病める薔薇に集まる虫の群れ

深紅の彼女の寝所を暴こうとする

まるでブレイクの詩編のようだ。

その暗い 秘めた愛が

おまえのいのちを.ほろぼしつくす

そこだけは違う。
類類と横たわる屍の山を眺め犬島は思いに耽る。
あるいは虫は私かも知れないと。

【月5つ・同じ月を見ていた】

27秒前。殺到した人間達で少女の姿は見えない。
藤島も駆け出し人塵に紛れた。
「僕も」
前に出ようとする春海の腕を犬島の手が掴んだ。
「犬島君」
春海が振り向く。
「お前には無理だ。
危険な事は止めておけ」
「僕だって!」
藤島の手を振り払って春海は駆け出す。
「僕だって?」
春海の背中を見ながら藤島は呟いた」
「僕だって何だ?命令だぞ。
そんな返事は教えて無い」
犬島の視線は床にあった。

ゆっくりと竜の首が鎌首をもたげようとしていた。

鉤を生やした指が床を食み自身の体を持ち上げようとする者。

封じ込められていた者達が徐々に姿を現す。
床の上で牧神が角笛を吹き鳴らす。

蛇の尾をくねらせ金色の裸の女が舞いを始める。

黒山の人の群れの中を少女は変わらぬ速さで円を廻る。

次第次第に早さを増すと立ち塞がる者の首や手足が弾け飛ぶ。
天井を染血の色に変える血渋き。
渦のように人を巻き込んで止まらない。

自らの尾を食んで回り続ける黒い獣。
伊波には見えた。

顔に7孔無き6枚の羽の天使
。藤島の目にはそう映った。

髪に沢山の小さな赤色のリボンを結んだ勝ち気そうな見知らぬ少女が春海を見ていた。
「ばあか。春海」

3人惚けた顔で立ち尽くすばかりで。
次々粉砕される人の中から少女は一瞬だけ3人に一瞥をくれた。
輪の中から白い夜着が飛び出して来る。

天井につく高さ。

3人はそれを見て思う。

神様お願いです。
後少し後少しでパンツが見えるかも…もし願いがかなうなら今死んでも…死ぬのは嫌だけど。

しかし見えたのは5つの宙に浮かぶ三日月。
降り下ろされる鎌のような爪が一閃。
おそらく音速を越えていたが空を切る。

少年たちは腹這いになっていたのでまだ頭に首がついていた。

【君は魔法】

停止の音素1音だけでは対象を1つしか止める事出来ない。

犬島は左腕の袖をまくり鍵盤の刺青を右手で払う仕種をする。

宙に浮かんだ鍵盤の輪が犬島の目前に広がる。

1音1音正確に素早く指先で音を響かせる。
凍りついたように時が止まる。
犬島が音を積むぐの止めても何度もループを繰り返す自動ビアノのように。
犬島は少女の元に歩み拠る。
途中床に這いつくばってにやけた顔をしている3人に一瞥をくれるが.そのまま通り過ぎた。

「こんにちは」
と少女が言った。

「はじめまして」
と犬島は微笑みを返す。

「素敵な曲ね」
「言葉や文字で表現すると冗長なので」
「貴方は誰?」
「僕の名前は犬島美景。魔法使いです」
「魔法使い。ここにいる人たちが皆動かないのは貴方の魔法?」
「そうです」
「私は動けるわ」
「貴女に魔法は効きません。多分どんな魔法も」
「私が幽霊だから?」
「それは違うと思います。貴女は幽霊というより元々人ではありません。肉体は死を迎えたけれど…元々人ではなかった。間違えて人に生まれて来たというべきか」
少女は困惑した様子で犬島を見つめた。
「人でも幽霊でもないなら私は何?」
「魔法そのものと言ってもいいかも知れません。あるいは1つの現象と」
「貴方の言ってる言葉の意味が私にはまるで理解出来ないのだけれど」
犬島は優しく頷いて答えた。
「私はそれを貴方に伝えるために来たのですから」
とは言え犬島は言葉で彼女にそれを伝える事の難しさを感じていた。
最初にここを訪れる事を決めた時から。
「ある男がここにいる貴女の様子を見て言いました。『彼女は誰にも教わっていないのに魔方陣を形成し異界のものを呼んでいる』と」
「魔方陣は数学の言葉よ」
「よくご存知だ」
「ここに来る子たちが教えてくれるの」
「呼び出すのに呪文を」
「呪文なんて1つも知らないし…呼んでもいない。空想はするけど。そしたら来るの」
「やはり」
犬島は何も書かれていない円環の中を見て思う。
「彼らがここに集まる事と.その円は関係ないのですね」
「ただ歩いてたらあとが出来ただけ」

あれが異界のものを呼ぶための魔法円なら中に結界の文字や記号が記されていなければならない。

召喚者は円の外に対象となる物を呼び出し中で身を守る。
呼び出すものは大概人外の人間以上の存在であるのだから。

召喚と自衛の呪文を同時に唱える事は出来ない。

まして呼び出した後コミュニケーションを取る事が出来ない。
彼女は結界を張る処か元々格上の存在なのだ。
呼んでなどいない。聖も魔も人も引き付ける磁石のような存在だ。門や入り口と言い換えてもいい。
しかしそれも未だ本来の彼女の姿には.程遠い。
「私は魔法使いです」
「それはさっき聞きました」
「貴女はこの部屋で魔法使いがするような事をずっとなさっているが。それを魔法使いがやるのはとても大変な事なのです。研鑽と習得に長い時間が掛かるもので。魔法使いの話を少ししても構いませんか?」
「ええ。どうぞ」
「魔法使いの本質は秘匿と神秘の探求です。ある程度基礎的な魔法の知識や技術を学ぶのは誰も皆同じですが.そこから神秘の探求つまり専門分野の研究に入ります」
「学者さんみたいね」
「同じですね。ただ魔法使いは自身の研究を誰かや何かのために寄与しようとは思わないのです」

徹底した秘密主義。

自身の名はおろか姿を人に見られる事も魔法使いは嫌うものだ。自身の探求する魔法が何処からこの世界に辿り着くのか.枝のように細い川の支流を辿り神秘の源流を目指す。

神秘は人に知られ認識された時点でその神秘性を失うと魔法使いは本能でそれを知り恐れる存在である。

「私は貴女に最初に出会った時自分の名を名乗りました。貴女が見ているのを承知で魔法も使った。本来なら魔法使いとしてあるまじき行為なのです」
「それなのに…どうして」
「貴女に私の事を信用して話を聞いて頂きたくて手の内を開かしました」
「とても鮮やかで美しい魔法を使う方だと」
「あれは魔法使いとして私の本分ではありません」
「音の魔法使いさんではないの?」
「私の本来の専門は人形使いです」
「人形使い」
「私と貴女と…貴女の部屋に元からいたもの達意外は全て私の手による人形です」
「ここにいた人達全部お人形なのですか」
「そうです」
といっても大半は彼女によって壊されてしまったが。
「なぜそんな事をとお思いかと思いますが理由は2つあります」
「教えて」
「これが人形使いとしての私の能力だと貴女に知って貰う事が1つ。もう1つは.これから先に起こる未来を貴女に見せる事です」
「未来ですか」
「聖職者や魔道にある者。そして普通の人間さえも貴女に引き寄せられ貴女を求めてここに集まるでしょう。貴女の領域を侵そうとする者は皆こうなります。無意識のうちに貴女は周囲に屍の山を築く事になります」いずれ協会からも「書に登録せよ」との通達が来るだろう。登録とは魔法を記号化した後に書に封印する事に他ならない。

邪なる魔道者ならば彼女に力を独占するために動くだろう。
魔法の協会とはいえ主な役目は個の魔法使いの神秘の独占と暴走を牽制するための組織でしかない。
何しろ秘密主義者の集まりなのだから。
封印する事も独占も彼女の本質をしれば不可能なのだが。
それでも動いて来るに違いない。
事実先日伊波の意識に侵入して来た者がいた。
使い魔に後を追わせたが易々とは捕まらないだろうと犬島は思う。
「貴方の大切な人形を壊してしまいました」
彼女はすまなそうに詫びた。

「彼らにはそれが使命と言い聞かせてあります。貴方の反応は予想がつきましたし。呼び出した物との戦闘も考慮したので彼らには痛覚を与えていません」

彼女に対する予想は確信に変わったが。

意外なのは彼女のパーソナリティ-だった。

人間性や感受性があまり損なわれておらず過去の記憶がかなり人格に反映されている。

つまりは話していると普通の少女なのだ。
         
「1つ聞いてもいいかしら」
「何なりと」  
「こちらのご学友3人は」
「勿論人形ですが他の者とは少し違います」
「随分表情豊かだと思う」
「彼らには魂があります」
「人形なのに」
「召喚の儀によって得た魂が。肉体もそれに合わせて作られました」
「作った方の意識も反映される」
「まあ多少は」
「この人たちさっき私のスカートを覗こうと必死で」
「いや…それは」
少女は犬島の顔を覗きこんでじっと黙った。
こういうのには慣れていない。

「い伊波と藤島は元々呼び出した時2つの魂が絡みあっていて過去の記憶を色濃く反映しています。春海はあの子はまた別で」

「4人随分息があって楽しそうでした」
「魔法使いとリカントと神父と人間…ゲームみたいにしたら面白いかと。同級生という刷り込み意外は自由で。あいつらホント人形。ただの人形…です。でくの棒どもが」
「ゲームのキャラクターはお友だちではない?」
「え」
「あの人たち身を呈して貴方を貴方かばったり。励ましたり」
「15の時から」
人の世を捨て魔法使いの弟子になった犬島には友達がいなかった。
「友達です」
人間以外の友達を数多くもつ少女は断定した。
「そこ大切ですよ」
と犬島に微笑んだ。

【犬島】

なぜ魔法使いになったのかと問われたら

「魔法使いに呼ばれたから」
そう答える他無いと犬島は思っている。

魔法使いは魔法使いになる者を呼ぶ。
秘密主義の魔法使いがそうした行動を取るのは矛盾している。

魔法の探求を他人に引き継がせて自分は次のステージに進む時か、あるいは本当の意味で自分の死を予測した時なのか誰も分からない。

ただ魔法使いに呼ばれる者は最初から決まっており.それまで普
通の生活を送っていた時初めてその宿命を思い出す。
誘いを拒んだという者の話は聞いた事が無い。

もし仮に拒んだとしても魔法使いは出会った記憶を消して立ち去るだけである。
犬島は15の時に魔法使いと出会った。
魔法使いの修行を始めるにはかなり遅い年齢らしい。
犬島の師である魔法使いは「出会うべき時に出会った。
「年齢は関係無い」と話していた。

犬島は魔法使いについて家を出て師から魔法を学んだ。
師の名前は最後まで知らないままだが彼は「緑の袖」と呼ばれていた。

緑の袖は人間のような人形を造る魔法使いだった。
基礎的な魔法の知識を学んだ後犬島は人形造りを彼から学んだ。

師の技術を学んだ犬島はすぐに頭角を現した。
緑の袖は人形をより人間に近づける事を本旨としていた。
彼が造る人形は文字通り人並みで人間以上でも以下でもなかった。
彼はそれを市井に溶け込ませる。
社会や家庭や友人同士の輪の中に。
犬島師についてその姿を観察した。
彼らは幸福そうな顔を見せたりそうでなかったり…師が何かそれで恩恵を受けているという風には見えない。
犬島には何が面白いのか.まるで理解が出来なかった。

人形造りに没頭する中で犬島は常に人間以上を目指した。
造形の美にしても身体能力にしても…自らの造り出す器に見合う
高次の魂を求めた。

召喚の儀を用いて高次ね魂の補完。

師に提案したが一蹴された。
召喚は独学で学んだ。
最初の召喚を実践した日それはやって来た。
呼び出した円環の外側にでは無く結界が張られた円の内側に。

犬島の背後にそれは立っていた。

恐怖で振り向く事も出来ず。
永遠に等しい時間が流れた。

結界は過去の魔道の叡知の結集されたものであった。
そこに易々と侵入出来るという事は暗に全ての魔法が無効であると犬島に教えた。
背中越しに。
既に犬島には死が与えられていた。
犬島に縁の者…師や両親彼を記憶に留めている者全て地上から蒸発して消え失せた。
彼を記憶している道や壁や石ころからも記憶は消された。
魂の在処は誰にも分から無い。
しかしこの時犬島にはそれが分かった。
背後に立つ者が犬島の魂に手を伸ばし触れたからである。
犬島の魂の奥底の暗部を掻き回す。
そして掴み取るとその場から消え失せた。
犬島の魂では無い。
彼の妹美景の魂を持って消えた。
誰も犬島美景という存在を知る者はいない。
そんな世界で1人犬島は日本に帰国した。
遺族の中で唯1人妹は病院のベッドの中で今も眠り続けている。犬島が呼び出した者のは過去のどんな書物にも記載が無く。
誰の記憶にも無かった。


【圏外】

「『圏外の者』と私は呼んでいるんだ。それが何処から来たのか何処に行ってしまったのか分からないから」
「妹さんお気の毒ね」
「僕のせいだ」
「でも電話みたいな名前」
「どんな賢人や幻視者の検索にも現れ無かったという意味で」
「それで犬島さんは」
「君に協力を求めたい」
「私が磁石だから?」

犬島は頷いた。

「正式に君にパートナーとして契約を結びたいんだ」
「協力して上げたいのは山々だけど」
少女は哀しげに瞳を曇らせた。
「私自縛っちゃってるからここから出れないの。部屋というか円の周りが可動範囲よ」
「それは違うな」
犬島はキッパリと否定した。
「違うって今までずっとそうだったのに」
「君は円環に縛らた哀れな幽霊じゃない。自分をまだ知らないだけだ」
「教えて。貴方なら…私は一体何なの」
「円環の支配者」
「もう少し具体的に」
「そこの円を指差して見てくれ」
犬島に言われた通り少女は円を指差した。
「思う事は唯1つ。その円環は君のもの」
「この円環は私のもの」
絨毯の擦りきれた円い轍が白色に光り始める。
「指を天井に」
円環が浮き上がる。
「頭の上に」
「小さくして」
「再び床へ」
「すごい魔法みたい」
「僕は何もしていない。君が1人でやった事だ」
「ありがとう!これで退屈しなくて済むわ」
「違う。君はこの円環を通って円から円に何処にでも行けるんだ」
「ほえ」
犬島は名刺を渡した。
「鳥籠屋って書いてあるけど…」
「世を忍ぶ仮にの仕事だ。契約する気になったらそこの屋敷を訪ねて欲しい。結界は開けておくから」
閉じても彼女なら。と犬島は思った。
「この屋敷にも侵入者が入れないように後で仕掛けをして帰る」
「さっき聞いた私の事は教えてくれないの」
犬島は床に転がった神父達の人形の残額を
「これはまだ使える」などと呟きながら吟味し始めた。
「その話を今するのは危険だ」
「何故?」
「魔法使いの目と耳と鼻は遠くにいても常に他の魔法使いの方に向けらていてね。ここでは筒抜けなんだ」
犬島は少女の方を向いて真剣な面持ちで言った。
「報酬は僕の命でも魂でも構わないから」
「そんなのいらないわ」
「なら僕の1番大切なもので支払うさ。待っているよ」
犬島は立ち上るとカウベルをポケットから取りだし鳴らした。
「Ψ仕事だ」入り口の扉が開いてネコを転がしながらミノタウルスが現れた。
「犬島達を屋敷に運べあと他のも回収だ」
ミノタウルスは頷くと伊波達を乱暴にネコに放り込んだ。
「ミノちゃん」
「ミノちゃんじゃない!うちのΨだ。勝手に呼ばれたら困る」
「牛なのにサイって…思ったけど貴方センスないわ」
「Ψの文字が角に似てるだろ?それにこいつはサイクロプスの血が半分混じっててね。Ψは0.5サイクロプスのサイでΨ完璧じゃないか。ちなみに伸縮自在だ」
「だめよ可愛くないわ」
「ミノタウルスだぞ」
「サイクロプスだから片目にアイパッチ?バンダナ巻いてるのは何故?」
「海賊のアニメが好きなんだ。まだ子供だよ」
「可愛いわミノちゃん」
犬島は制服のポケットからマジックを取り出しミノタウルスの額にΨと書いた。
「雇われたくない」
「そろそろ音楽が止む」
犬島は携帯をカメラのモ-ドに切り替えてΨに渡した。折り畳み傘を広げ少女を呼んだ。
「記念に1枚」
「私映るかしら」
「映りますよ」
「可愛いくとってね。…ところで何の記念?」
「これからの僕らの未来に」

音楽が鳴り止んだ。

天井から血の雨が降り注いだ。
「Ψ床掃除」
「契約どうしよう」

【犬と花飾りの鏡】

窓ガラスの修理もΨに頼んだ。

「あいつ最近仕事言いつけても屋敷にいないと思ったら」
彼女に暇を告げ部屋を出る時犬島は思った。
実際自分の召喚能力と彼女のそれはリンクする。

犬島の屋敷が鎖で繋いであるのは屋敷にしているベヒーモスが危うく呼ばれそうになったからだ。

部屋にいた異界の者どもも実は犬島と契約を結んだ者達だったりする。

召喚にも契約にもかなり骨を折った。

なのに彼女は。破格である事に間違いは無い。

果たして真実を彼女に伝えるべきなのか。
部屋を出ると見知らぬ中年の女性が戸口に立っていた。
「どなたですか」
犬島を見るなり驚いた声を上げた。
「そちらこそ」
犬島が言い返す。
「ここは私の屋敷ですが」

女性の口が「あ」と小さい声を漏らす。
そして何度も頭を下げ。
「すみません」と詫びた。

以前のこの屋敷の所有者でつい立ち寄ってしまったのだという。

「亡くなった娘の事が忘れられず。今でもこの屋敷の娘の部屋に来れば娘に会える気がして」
「そうですか」
「あのあつかましいようですが娘の部屋に入っても」
「子供の事を思わない親などおりません。どうぞご自由になさって下さい」
婦人は部屋の前にかけられたプレ-トの掠れて消えかけた名前を指でなぞっていた。
「この部屋を開けても娘さんはいません。
多分お母さんの側か天国にいらっしゃると」
「主人にもそう言ってしかられます
。実は私度々こちらにお邪魔して部屋を開けても何も無いのに」
婦人は部屋にかかったプレートを外し丁寧にハンカチでくるんだ。
立ち去る婦人の背中を見送った後犬島は部屋の扉を開けた。
お見送りのミノタウルスが立っていた。
ハンカチで目頭を押さえている。
「お前ちょっとどけ」

彼女は窓際に立って表を見ていた。
「姿なんて見せないよ。だって私化け物なんでしょ」
「誓って言うが」
「生きてる時は苦労ばかりかけて」
「君は化け物なんかじゃない」
「お願い。あの人達から私の記憶を消して。貴方なら出来るはず」
「断る」
「なぜ」
「それは既に経験済みだ」犬島は呟いた。自ら言い聞かせるように。
「そしてそれはとても辛い事なんだよ」

犬島の世界はある時期を境に問いかけても誰も答えをくれない世界に変貌した。

守るものはある。

でも彼女はベッドで犬島の呼び掛けに答えない。

また1つだけ死んだはずの犬島の世界に守るべきものが1つ。
今犬島の腕の中にいて消え入りそうな声で泣く彼女の声を聞いていた。
部屋の前にかけられた掠れて読めない名前を犬島は呼んでやる事は出来無かった。
屋敷に1人戻った犬島はただ.じっとして彼女が訪れる日を待った。
待ちながら。

「期限を切ればよかった」と思ったりした。
部屋に丸い花飾りのついた鏡を買った。
ここを通って彼女は来ないか。

訪れる姿を想像した。

人を待つ事など今までした事が無い。

彼女に全てを打ち明けるか考えたが答えは出なかった。

【四凶】

古代中国に四凶と人々に恐れられた4匹の怪物の逸話が残されている。
その四凶の中の1つが「混沌」である。
恐らく彼女はそれだ。と犬島は考えた。
聖や魔を引き寄せ円環の軌跡を描き歩き回る様はまさに混沌。

恐らく少女のすぐ側で彼女が犬島の人形を攻撃する様を間近で見た三人の目にはそれぞれ異なる混沌の姿を目にしたに違い無い。

しかし古代の中国人がイメージした混沌同様それは彼女の表層でしか無い。
ギリシャ神話の.混沌から闇が産まれ光や大地・神そして人間が生まれ…これは国産み神話である。

魔法使いの考えはまたそれとは異なっている。

魔法使いの求めるものは神秘。
神秘の探求こそが命題であり全ての行動の原理となりうる。

神秘とは即ち混沌であると犬島は考える。

「魔法とは一体何処で産まれ現世の魔法使いの元に辿り着くのか」
魔法使いという存在がこの世に産まれてから常にその問いかけはあった。
此処では無い何処か別の場所にその源流は必ず存在する。
科学にしろ賢人の叡知にしろ魔法でさえも全てその源流で産まれこの世界に流れ着く。
普通の人間には感知できない一髪のような細く心許ない支流のまた支流。
善と悪・聖と魔。ありとあらゆるものが1つに溶け合い渦巻く円環の源流。
科学を探求するものも賢人も音楽家もそこから得られたものを成果として文明に寄与して来た。
魔法使いはひた隠しにする。それだけの違いである。

何故今この世界に混沌である彼女が生まれたのか知る由も無い。

彼女が死してなお真実の姿と成らないのかは生きていた時の人と
しての人格や記憶がまだ残されているからか。

もしも彼女が真実の姿に戻るなら。
この世界は変容し全ては無に帰す。
何故かと理由を問われてもそこに混沌が生まれるのだから。
神や天国や地獄の概念すら彼岸の彼方の混沌から生まれたものだ。
「そんな事を彼女に伝えてどうなる」

犬島そんな事を1人夜更けに考えていた。
ふいに隣の部屋の扉が開いた。

「犬島さん…私来ました」
そう言って扉から顔を覗かせた少女は昼間と違うワンピースを身に着けていた。
犬島はそれを見た途端深い安堵の気持ちに包まれた。
そちらを選んでくれた事が何より犬島には嬉しかった。
もし部屋の扉から現れたのが妹の美景であったら。
犬島はソファーから立ち上がると少女を部屋に招き入れた。
胸の中に立ち込めていた鬱々とした気持ちは霧消していた。
椅子に彼女を座らせると全てを話した。。

犬島は何時に無く饒舌なのは単純に彼女を待ちわびていたからである。
彼女は遠慮がち部屋に入るとまず花飾りのついた鏡を「素敵」と褒め称えた。


【学校に行こう】

朝高校に通う通学路を歩きながら犬島は今でもあの夜の事を思い出す。
まず彼女は部屋の鏡に目を惹かれ駆け寄った。
「え…何このリボン」
「僕が結んだ」
「いつの間に。魔法ですか」
「違う。手で結んだ」
「何故何時何処で」
「自分の手をつねってみて」
「痛いです」
「君の魂を今包んでいるのは僕が造った君の人形だ」
「私の人形」
ポカンと口を開けた彼女の顔が鏡に映る。
「君は此処にどうやって来た」
「貴方に言われたように円を通って」
「その時どんな事を考えたかな」
「魔法使いの家ってどんな風かなとか…貴方が言ってた命より魂より大切なものって何だろうとかです」
やはり高次の者は契約の際無意識のうち契約者の持つ一番価値のある物を求めるのだ。
もっとも彼女の場合単純に興味がそちらにあっただけかも知れないが。

いずれにせよ人形の中身に入ってもらう手間は省けた。

「私が鳥籠屋と呼ばれる由縁はそんな風に召喚した魂を用意した人形つまり鳥籠に閉じ込めてしまうからなんだ。人形自体が結界になっているから1度入ったら出られない」
「そんな事をしてどうするの」
「好事家や魔法使いに召し使いとして売るのさ」
「酷いわ」
「やつに近親の者を全て殺され妹の魂を取り戻す術も無く私は自暴自棄になっていた。鳥籠屋は既に廃業したよ」
「そうなの」
「君の今の肉体は君を人間以上の存在にしないために制限をかけるためのものだ。言ってくれたらすぐにそこから出してあげられる」
もっとも彼女が本来の姿に戻るなら簡単に食い破ってしまうだろうが。
「君が混沌であるという説明は先程した通りだ。理解して貰えたかな」
「信じ難い事だけど今の私の状況を考えたら」
「その上で君に聞きたい事がある」
「私に聞きたい事」
「そのままその体に残って僕の協力者となるか。本来あるべきの姿になる事を希望するか」
「私が本来の姿になれば全てが無に帰すと貴方は言ったわ」
「多分そうなるね」
「その時私はどうなるの?」
「混沌そのものに今の君のような自我があるのか正直僕には分からない。今の君を君たらしめているのは過去の人として生きた記憶だから」
「唯1人渦の中心にいて生きるのは嫌」
犬島は彼女の話に耳を傾けながら考えていた。
彼女がどちらの選択をしても自分は構わないと。
「告白すると」
彼女を見て言った。
「生涯で2度だけ人を好きになった事がある」
「ええ」
「本当の君ではないかも知れないけど。君の魂を入れるために造った人形が完成した時造形の美しさに恋をした」
「もう1つは」
「君の家で君に出会って魂に触れた時だ」
だから犬島は思う。

もしも彼女が人間でない選択をしても自分は構わない。

世界は無に帰ったとしてもまた新しい世界が生まれる。

見知らぬ神や混沌から生まれた今の世界とは違い彼女から生まれた世界だ。
そこにある石ころだろうと木の枝であろうと自分は構わないのだと。

彼女が混沌ならば魔法使いである自分が目指す道を辿り今自分はそこにいる。
そう確信した。

「貴方と契約するわ」
「ここに着た時点で契約は成立かと思っていたよ」

「貴方の屋敷に来たはずなのに寝室で眠っている私を見て驚いた。そのまま意識が遠くなって気がついたらベッドに寝ていたの」
「君が求めるものと僕が大切に思うものは違うかも知れないけど。僕にはそれ以上の人形は作れない」
彼女の髪に触れるとはらはらと赤いリボンが全て床に落ちた。
「このリボンは何?」
「君の体の年齢だ。君ここで生まれてから君の魂が訪れた今日までの日日…カレンダーだ」
犬島はカウベルを鳴らした。Ψが不思議な形のケ-キを持って部屋に入って来た。
「カウベルの使い方間違ってるわ」
「今朝宅急便でロ-マから届いた。ロ-マ教皇の帽子を型どったケ-キでズコットと言うんだ」
まさか本当に送って来るとは…何でも言ってみるものだ。と犬島は思った。
「中に蝋燭が入ってるな」
「私誕生日を座ってお祝いした事無いの。四六時中歩いてたから」
「今お祝いしよう。今日が君の誕生日だ」
「火を着けてね」
「ライターはどこだっけ」
「魔法使い何だから魔法で着けて」
「えっと」
「どうしたの?」
「呪文忘れた」

犬島には一般常識が無い。と彼女は言う。自分もだが。
「貴方は特に酷い」と。

話が春海に及んだ時。

「あれは普通と違うやり方で生まれた子だ。僕の体と君の体の1部を使って…医学では体外受精というのかな」

「まだデ-トもキスもした事ないのに」

「君の体に触れなくても出来るんだよ。僕は魔法使いだからね」
倫理も欠落している。
「君が僕の大切なものと言った時妹じゃなくて君の体を選らんでくれて良かった。
僕は実は妹を女性として愛してるのではと昔悩んでいて」

闇がどんどん出て来る。
しかも深そう。
彼女の強力な説得もあり犬島は高校に通い始めた。

彼女も妹の美景として今は学校に通っている。

結界の中の屋敷にいてはいつまでも妹さんは救えない。

「私が磁石になってそいつを引き寄せるの」
彼女の提案に最初反対していた犬島も折れた。

伊波や藤島たち3人は師の方法に習い市井に溶け込ませた。色んなところに魔法を使を施さなくてはならず.やってみるとかなり大変だった。
今頃になって師の偉大さに気づいた犬島だった。
今は3人とも別の家から学校に通っている。

朝。校門の前で伊波が生活指導に捕まっている。
妹を連れた犬島は藤島や春海と挨拶を交す。ピアスの耳を引っ張られた伊波が美景(妹)に手を降っている。
「私教室こっちだから」
美景は1年の昇降口に向おうとすると
「僕もブラバンの朝練そっちなんだ」
春海が美景と連れだつって歩きだす。
チラリと犬島を一瞥して。
「あいつ何時ブラバンなんて入ったんだ」
犬島は首を傾げた。

最近犬島は放課後音楽室でピアノを弾いている。
傍らに大人しく座って耳を傾ける妹の姿があった。
2人は気づいていないが教室の外に見学者が鈴なりになっていた。

春海も藤島もその中の1人だった。
「多分原因はそれ」藤島はしかし黙っていた。
「あいつ楽器何?」
「トロンボーンだ」

【プロローグ】

「ったく何でお前とおれがゴミ捨て係なわけ」
教室のゴミ箱を抱えながら伊波が藤島に文句を言っている。

「お前と女子を2人で行かせると帰って来ないだろ」
2人は校舎裏にある焼却炉にゴミを捨てに行く途中だった。

「犬島早退したな」
「病院から電話だってさっき担任が呼びに来てたけど」
「病院って美景ちゃん治って学校来てるしな…料金未払とか?」
「お前じゃあるましいし」

昇降口を出てすぐの場所に在校生から贈られたソメイヨシノの桜の木がある。

今年は例年に無い強い寒波の影響で桜の花は散らずに咲いていた。
桜の木の下に私服姿の少女が立っていた。

目を閉じて桜の芳香を楽しむように。
背がすらりと高いモデルのような体型をしていた。

「ねえねえ君転校生」
「あ・こら」

伊波が駆け寄ると少女は閉じていた目を開けて微笑んだ。

「2年の犬島美景の教室は何処か分かりませんか」
「犬島なら早退したけど犬島の知り合い?」
「妹です。犬島美景と申します。よろしくお願いします」
「犬島美景ちゃん。犬島の妹の1年なら教室にいるはずだけど」
「私です」
「双子?似てないけど」
「名前まで同じな訳あるか」
「だって犬島だって同じ字だし。家風なのかも」
「妹は私1人です」
「犬島に電話かメールしてみた?」
「何回かしてみましたけど…つながらないの」

ふと見ると少女の立っている桜の木が枯れている。

「圏外からだから」



《 円環奇譚 鳥籠姫 了 》



【 あとがき 】
原稿遅れてすみません。次回はきちっと締め切り守ります。音素文字に関しては本当は象文字みたいなやつで・・かけないんでアルファベット表記は発音だと思って頂ければ幸いです。

【 その他私信 】
レストラン勤務なので春休みから連休にむけて地獄車フル稼動中です・・死


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