Mistery Circle

2017-08

《 an idol in cry  ~彼女は流す涙を纏う~ 》 - 2012.03.01 Thu

《 an idol in cry  ~彼女は流す涙を纏う~ 》

 著者:松永夏馬





 勇気を出せ、真実から逃げるな、自分の信じたことをやれ、と私の中の誰かが叫ぶ。躊躇うな、恐れるな、考えるな。過ちを犯したのはそいつだ、間違っているのはそっちのほうだ。
 光永ナツミは全身びしょ濡れになりながらも、湯の張られたユニットバスに水戸平仁美の頭を押し込む。驚きと恐怖で見開かれた目だけがやたらと目立つが、薬とアルコールで呆けた頭でどれだけのことを理解しているだろうか。ゴボリと一際大きな泡が口から溢れ出すと、突っ張っていた手足が急に弛緩した。
 ぐにゃりとした仁美の体から、ナツミはなかなか手を離せなかった。力を抜いたら飛び掛ってくるような気がしたからだ。そのまましばらく、10分近くもそうして硬直していた。湯気と、湯の中の髪だけが、ゆらゆらと揺れていた。

 ヒト×ナツ。深夜番組の企画、公開オーディションによって選ばれた、今一部のいわゆるオタク層を中心に人気の、ヒトみんこと水戸平仁美、ナツみんこと光永ナツミからなる二人組ユニットだ。アイドルという単語の意味から程遠いが、2流だろうと3流だろうとアイドルはアイドルである。今回の仕事は地方の営業で、町の行政が主催の地方振興イベントのステージ。イベント企画職員が例の深夜番組のファンだったらしく、オファーが来たという話だ。まだまだ知名度の低い『ヒト×ナツ』だが、一部の濃いファンは東京からわざわざ出張ってきたりしていて、また地域住人にも温かく受け入れられたこともあってステージはそれなりに盛況だった。
 さて、光永ナツミが高校時代からの友人であり今共に夢を掴みかけていた仁美を殺害するに至るきっかけは仁美の夜遊びにあった。いちおう二十歳の二人だが、特に小柄で幼く見える仁美にそのイメージはマイナスだ。おまけにその夜遊びを共にした男性陣にはあまり良い噂が無い。
 そして違法薬物に関して追求したナツミの問いを仁美は悪びれず肯定した。あっさりと。

 恐怖と怒りと混乱とに渦巻き言葉を失くしたナツミをよそに、仁美は浴室へと入っていった。浴槽に溜めていたお湯を止めたらしく水音が静まる。
「お湯入れすぎちゃった」
 能天気にそんなことを言いながら出てきて服を脱ぐ。換えの下着を手にし、ナツミに向けた顔はアルコールで少し緩んでいて、そして赤くなった目元が笑った。
「もう話は終わった? アタシお風呂入るから、また明日ねー」

 浴室の扉が閉じられる音を聞きながら、ナツミは特に何も考えずに動いた。そのわりに、できるだけ濡れないようにと洗面台に用意されていたアメニティのヘアキャップを被り下着とシャツだけになる。
 子供の頃から見ていた夢を台無しにされた怒り。単純に言えばつまりはそういうことなのだが、この時はあくまでも冷静沈着だったと思い込んでいたのだろう。

********************

 宿泊先のホテルはイベント会場のある市街地から少し離れた高台の上にあり、高級ホテルのスイートとまではいかないものの、ちゃんと個人個人に部屋をもらえた。したがってここは仁美の部屋である。バスルームから出たナツミは、濡れた顔とシャツを洗面所のタオルで軽く拭いた。着替えまで持ってはいないのでこのまま部屋に戻るしかないが、ナツミの部屋も同じフロアでしかも隣だ。このフロアには他の客が泊まっていないということなので、誰かに見咎められることもないだろう。室内を見回すと、さっきまで仁美が飲んでいたビールやチューハイの缶がいくつも転がっているし、食べ散らかしたスナック菓子も出しっぱなしだ。そしておそらく。ナツミは仁美のキャリーバッグを開けて中身を探る。やはり。
「……ナサケナイ」
 説明書きの無いPTP包装の薬剤。これがアイドルの実情か、と苦笑せざるをえない。テレビやステージでで見える華やかで煌びやかな、そして笑顔で彩られた世界は表面の見える部分でしかない。どれだけ可愛いドレスを着ていても、一番下はババシャツだ。酒もタバコも、バカな薬も。そして自分に気づいて空虚に笑う。そして殺人も、だ。
 とにかく自分の部屋に戻ろう。仁美は酒と薬で酔っ払って風呂に入り溺死。それで問題はないはずだ。
 もう一度洗面所に入り浴室を覗く。先ほどとほとんど変わらない形で仁美が浴槽に沈んでいる。完全に物体となったことを自分でも理解したのか、先ほどまでの恐怖や震えはなく、しっかりと観察ができた。大丈夫、自分の痕跡は残していない。そこで気づいたのは被ったままのヘアキャップと握り締めた湿ったタオル。入浴中に死んだのならばタオルが湿っているのは不自然だし、仁美の髪はお湯の底だ。しかしこれなら自分の部屋のアメニティと入れ替えれば済む。
 
 ホテルのドアはオートロックだから、自分の部屋に戻るだけならばそのまま出て行けば良い。しかし、タオルやヘアキャップを取って戻らなければならない。いくら誰も出入りが無いはずのフロアであっても、ドアを開けっ放しで往復する勇気は無かった。入り口のドア脇のキーポケットに刺さっているカードキー、自分の指紋を付けぬようティシュペーパーをつかって取り出すと部屋は真っ暗になった。窓から差し込む月明かりがレースのカーテンの花模様をカーペットに映し出す。

 ドアを開ける時は公開オーディションの時以上に緊張した。ドアスコープを覗き、耳をすませ、そしてゆっくりとドアを開ける。仁美の部屋の出入りを見られることだけは絶対に避けなければならない、廊下は静まり返っていて不気味なほどだ。部屋に入る前と後とで明かりの照度が落とされているのは、時間によるものだろうか。と、ドアを閉めかけた時に室内で電話が鳴った。ホテルの備え付けのものだ。ナツミはびっくりして慌ててドアを閉めた。閉めてしまえばほとんど音は漏れず、ドアに顔を近づけてかすかに聞こえる程度。何の電話だろう、と思ったが、今はそれよりも証拠隠滅が先決だと思いなおして、自分の部屋へと急ぐ。もっともすぐ隣の部屋、こちらは特に気にすることなく堂々と開けて中へと入った。照明をつけ、脱衣所に入って洗面台の脇に濡れたタオルとヘアキャップを放ると、下の籠の中から未使用のタオルを掴んだ。白一色のもので、仁美の部屋のものと同じ。小さく折りたたまれてビニルに包まれたヘアキャップもタオルに挟む。そこで今度は自分の部屋の電話が鳴った。これはとるべきだろう。
「もしもし」
「ナツミか、良かった」
 マネージャー矢口の男の割りに高い声が響く。
「何かあったんですか?」
「いや、どうもこのホテルにウチらが泊まってるってことがネットに流れてたらしいんだ。『ヒト×ナツ』にはちょっと熱心すぎるファンもいるからな、下でちょっとおかしな男と押し問答になったらしい」
 とりあえずはホテルのスタッフが追い返したという。
「あまり出歩かないように。とりあえずこっちも手を打ったから」
「わかりました」
「お前よりも仁美のほうが心配なんだがなぁ」
 マネージャーも仁美の夜遊びに関しては頭を痛めている。注意はしたが効果が無かったらしい。
 マネージャーの声を聞きながら、どうやら会社には『薬』のことはまだ耳に入っていない様子だとナツミは考える。とはいえ仁美の“事故”死体が発見されれば薬も発見される。相棒が薬でラリって事故死となれば自分もアイドルを続けていくのは難しいだろうか。噂は止められなくとも行過ぎるのも早い世界だ、まだ諦めるのは早い。ナツミはそう願う。
「今電話したんだが出ないんだ」
「お風呂に」
 思わず言いかけて止まる。
「ん?」
「いえ、お風呂に入ってるんじゃないですかね」
 ベッド脇のデジタル時計を見ると23時10分。時間帯を考えても特に不自然な返答ではないはずだ。
「部屋にいてくれりゃいいんだが。念のため窓のカーテンは開けないようにな」
「はい」
 ナツミは受話器を下ろすと急いで窓へと駆け寄った。市街地のまばらな夜景が広がっている。目下にはホテルの玄関前のロータリーがあるはずだが小さなベランダが目隠しになっていて中からは見えなかった。これならば望遠鏡でも使わなければ外から部屋の中を覗くことは不可能だろう。ベランダにさえ出なければ人の姿は確認できまい。矢口は見かけによらず心配性だ。
 それはそれとして。ナツミは遮光カーテンを閉めた、覗かれないとしても気分が良くない。

「早く、片付けないと」
 そう口に出すことで、そのままベッドに倒れこみたくなるのをなんとか耐えたナツミは、立ったままテーブルの上のペットボトルのお茶を一口飲んだ。
 テーブルの上に置いたタオルとそれに挟まれたヘアキャップ、仁美の部屋のカードキーを見つめる。持って行く物はこれだけだ。仁美の部屋には長居はしない。キーボックスに鍵を、洗面台の下のカゴにタオルとヘアキャップを戻す。それだけのこと。2分、いや1分で済む。
 ふと気づくとほとんど残っていたはずのお茶が空になっていた。自分で思っている以上に緊張状態にあることをナツミは実感した。
「行こう」
 そう自らに言い聞かせる、劇場での初ライブのオープニングを思い出した。ステージに飛び出す時に、同じように自分で自分にゴーを出した。あの時は二人だったが今は一人だ。
 荷物を手に廊下へと出ようとノブに手をかけたその時。ナツミの部屋のドアが廊下からノックされた。

********************

 「手は打った」という矢口マネージャーの言葉の意味を、ナツミは今理解した。
「県警捜査2課のマユズミです」
 黛禄郎巡査はそう言いながら手帳を開いて見せた。黒っぽい地味なスーツを着たひょろりとした痩躯にもっさりとした黒髪とメガネ。年齢は20代か30代か、いまいち掴めない。外国の映画に出てくる日本人のように特徴の薄いことが特徴のような男だった。
「警察に協力してもらえたんだ」
 中年だが学生時代に柔道部だったという矢口のほうがよっぽど頼りになりそうだとナツミは思う。
「とはいえすぐに動けたのが自分だけ申し訳ないです。とりあえず朝までは自分が廊下で立ち番させてもらいます。明朝の移動時には交代して3名体制の警備で会場までお送りします」
 もともと矢口とそういう話に決めていたらしく、黛はナツミの顔を見てそう告げた。困ったのはナツミである。2流アイドルのボディガードに警察が動くとは想像していなかったし、このまま廊下に朝までいられたら仁美の部屋にタオルを戻せなくなってしまう。
 5分だけでいいから、このフロアから人払いしたい。 
 アイドルには演技力も必要だとナツミは思う。天啓が閃いた瞬間、矢口の腕を掴んで室内に引っ張り込んだ。若干大げさな気もしたが、怯えた表情を見せながらも窓を指差す。
「さっきベランダから下を見たら怪しい人影があって」
 そう言いながらカーテンを開け窓のクレセント錠をあげる。が、窓は開かない。戸惑うナツミの背後から矢口の手が伸び、窓枠の上部の小さなボタンを押し込んだ。二重ロックの窓をあけて小さなベランダに出たナツミはまだ春とはとても呼べない冷たい風に体を振るわせる。
「あそこの木の下あたりの」
 指先が震えるのは寒さによるものだが、悪くはない。斜め下、玄関の明かりが届かない暗がりを示した。
「カメラのフラッシュみたいな光もあって」
「どこです?」
 黛刑事がいつのまにかベランダに出てきょろきょろと見回していた。隣の部屋、つまり仁美の部屋を気にしているようだが、部屋毎のベランダは独立しているうえに間に衝立のような目隠しがあるので、身を乗り出したところで部屋の中は覗けない。
「あっちです」
 少し強めの口調で黛刑事に告げる。黛はメガネの奥の細い目をさらに細めて暗闇を見つめる。
「……よく見えますね」
「2.0です」
「なるほど」
「まだいるかも。矢口さん」
 少し甘えを滲ませて矢口の名を呼んだ。体育会系の矢口は力強く頷くと「ちょっと見てこよう」と部屋へと戻る。
「ナツミも中に。もうベランダにも出るなよ」
「は、はい。でも矢口さん一人じゃ危ないです」
「わかりました、僕も行きましょう。光永さんは部屋から出ないようにお願いします。誰が来ても開けないように」
 黛の言葉にナツミは心の中でガッツポーズ。下まで降りて戻ってくるだけでも必要な時間は確保できる。
「はい。黛さんも十分お気をつけて」
 両手を組んで上目使いのサービスに、黛は少し照れた様子で、矢口を伴って部屋を出て行った。

 ナツミは廊下への扉に張り付いて、エレベーターの音を確認する。そして静寂。自分の鼓動だけが聞こえそうなほど大きい。目を閉じ、10数え、そして。

********************

 カードキーを戻し、タオルとヘアキャップを洗面台の脇の籠に放り込むだけ。時間は2分で済んだ。自室に戻ったナツミはベッドに倒れこんだ。そのまま眠ってしまいたい程体は疲弊していたが、まだ気を抜くわけにもいかない。
 仁美の部屋の様子を思い出し、何か間違いは無いか考える。多少指紋があっても問題はないが浴室には不用意に残していないだろうか。薬は処分しておいたほうが良かっただろうか。
 ナツミは首を振る。そもそもすでに鍵の閉じられた部屋、こちらからはもう何もできないのだから、そこに囚われてはいけない。
 朝になっても起き出さない仁美の部屋が開けられ、死体は発見されるだろう。浴室での溺死、体内からはアルコールも、場合によっては薬物も検出される。多少疑いは持たれるかもしれないが、その場合はおあつらえ向きの人物もいる。ホテルのフロントで揉めた熱烈なファンという男。ストーカーまがいの行為はこちらの疑いも引き受けてくれるに違いない。
 黛刑事の登場は予想外だったが、それでも大きな差は無いだろう。そう願いたい。

 シャワーでも浴びようかとベッドから起き上がると部屋のドアをノックする音が聞こえた。スコープを覗くとマネージャーの矢口と、その後ろには黛刑事。まるで矢口の影のように静かに立っている。早い。彼らがエレベーターで降りて行ってからまだ10分も経っていない。
 バーロックをかけたまま細くドアを開ける。
「どうしました?」
「開けてもらってもいいですか?」
 黛が遠慮もせずにそう言った。中に入りたいという。もちろんナツミは渋る。
「気になることがあるんです」
 黛はあくまでも静かに淡々と言う。じっとナツミを見つめているであろう目は度の強い眼鏡が光ってよく見えない。
「どうもその、仁美の部屋が気になるらしいんだ」
 矢口の補足。拒否すると不自然かもしれない、とナツミは一度ドアを閉じてロックを外した。
「どうぞ」
 そう言いかけたナツミを横をすり抜ける黛。
「どうも」
 言うが早いが窓へとまっすぐに歩み寄り、ベランダへと出た。冷気が一気に部屋へと流れ込む。刑事はベランダの手すりから身を乗り出すようにして仁美の部屋を見ようとするが、死角になるのでベランダの手すりくらいしか見えない。しかしそれでも黛は部屋の中にいる二人に向かって言った。
「仁美さんの部屋に内線をかけてください。できれば携帯電話も一緒に」
 ナツミは驚くが、矢口はすでに聞いていたのだろう、ベッド脇に置かれた室内電話をとった。ナツミは仕方なく机の上のケータイを操作して電話をかける。コール音が鳴るが、当然誰も出ることは無い。そしてそれは矢口の内線電話も同じだろう。
「出ませんね」
 矢口が黛を見る。部屋に入ってきた黛は矢口から受話器を受け取り、しばらく耳に当てていたものの、やがて無言で下ろした。
「ホテルの人に言って鍵を開けてもらいましょう」
「わかりました」
 これまた矢口にはすでに伝えてある様子で、すばやく踵を返して部屋を出て行く。呼び止めることも忘れ、ナツミはあっけにとられてドアが閉まるのを見ていた。

「どういう、こと?」
 ようやく出した声は少し間のぬけた感じで恥ずかしくなった。それを慌てて押し隠すように、少し憤懣を滲ませた。
「仁美に無断で部屋に入るのってヒドくないですか?」
「何故です?」
「だって……女の子ですよ? 寝てるとかお風呂はいってるとか」
「光永さんは開けてくれたじゃないですか」
「私だって寝てたら開けませんよ」
 黛刑事は深刻な顔だ。
「さきほどこのベランダから見た時は水戸平さんの部屋のベランダは真っ暗だったのに、今は明かりが漏れている。部屋の電気が点いている証拠です、光永さんも確認しますか?」
「寒いからけっこうです」
 消えていた照明が今はついている。消えていたのはカードキーを抜いていたから。動揺を見せてそれを悟られるわけにはいかない。ナツミは努めて冷静に断った。黛は続ける。
「さっきは部屋は暗く、矢口さんが電話を何度もしていましたが通じなかった。矢口さんは、水戸平さんが寝入っているのだろうと、思ったそうです。それは順当な予測です、僕もそう思います」
 黛は腕時計を見た。時刻はまもなく次の日になる。
「しかし今、灯りは点いているにもかかわらず、連絡が取れない。中にいるはずなのに、反応が無い」
「暗い時は寝ていた。灯りがついた今は入浴中。何かおかしいですか?」
「可能性の問題ですね」
「私的には高いと思いますけど?」
「仕事柄悪い方向に考える癖がついているようですみません。ただ、ホテルにまで押しかけるような熱狂的な、言い換えれば偏執的なファンがいた以上、確認してもバチは当たらないと思いますがどうでしょう。もちろん、部屋に入るのは矢口さんとホテルの女性スタッフだけにします」
 屁理屈にも聞こえそうだが正論には違いない。ナツミは素早く考える。
 遅かれ早かれ死体は見つかる。多少早くなっただけのこと。しかも黛刑事は偏執的なファンの存在を念頭に置いている様子で、それはむしろ好都合ではある。
「……それなら、うん、まぁ」
 しぶしぶ、といった様子で頷くナツミに、黛刑事は小さく頷いた。

 そうしてナツミの予想よりも数時間早く、仁美の死体は発見された。

********************

 最初に浴室を覗き死体を発見したのはホテル従業員の女性で、悲鳴を聞いて矢口が、そして廊下で待機していた黛が呼ばれ死亡を確認した。

「仁美が死んだって本当なんですか? 信じられません」
「残念ながら」
 抑揚の薄い声ではあるが、どこか残念そうにも聞こえた。先に少し話を聞きたいという黛の言葉に、ナツミは頷く。問題は警察が到着して捜査が始まってからで、今のうちに少しでも相手の手札を見ておきたいという意識もあった。
「もうしばらくしたら警察が到着し担当者がお話を聞かせてもらうことになりますが、よろしくお願いします」
「……はい。あの、仁美はいったいどうして」
 黛がドアを閉める。深夜に不釣合いな廊下の喧騒は途切れたものの、落ち着かない雰囲気にナツミは部屋の奥の腰掛まで戻った。
「死因はおそらく溺死、浴槽のお湯の中に仰向けになって沈んでいました」
 記憶の中にある通り。ゆらゆらと揺れる髪が動き続けている。ナツミは顔をしかめて目を閉じる。
「なんでお風呂で」
「お酒も飲まれていたようです、部屋で飲んだ跡がありました」
「……事故、ってことですか」
「いえ殺人です」
「え」
 即答されてナツミは喉を鳴らすような声を出した。
「私見ですが亡くなった直後という感じではありません。鑑識が来ればもう少しハッキリとするでしょうが、とにかく部屋の照明が点いた時にはすでに水戸平さんは亡くなっていたと思われます」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 ナツミは時計を見ながら黛を遮った。
「灯りが点いた時にすでに死んでたとしても、別に殺人と決まったわけじゃ」
 黛は不思議そうな顔をする。
「じゃぁ誰が電気を点けたんですか?」
 あくまでも冷静で真っ当な黛の物言いに、ナツミは黙るしかなかった。灯りを点けたのは自分だが、それだけを言うことはできない。
「第3者が関与しているということで問題ないですかね」
 殺人事件と断定されるようなものだ。不安が足元からじわりと体を冷やしていく。
「……それなら。……そうだ、犯人はアイツよ。ホテルにまで乗り込んできた頭のおかしなファン!」
 ホテルのフロントで押し問答になったという熱狂的なファン。顔も知らないその男にナツミは容疑を押し付ける。黛刑事がここにいることの元凶でもあるその男ならば殺人犯呼ばわりしてもナツミとしては問題ない。自分勝手なことではあるが。怪しさで言えば自分よりもよっぽど怪しいはず。
「そうよ。電気が点いた時、隣の部屋にあの男がいたってことじゃない! 刑事さん、もしかしたら私も殺されるかもしれない! 助けて!」
 立ち上がり縋ろうとした手を、黛はやんわりと押しとどめた。優しい動作だが冷たくもあった。
「落ち着いてください」
 黛は視線を窓に向けた。自分もつられるようにして顔を向けると、ガラスには室内が映りこんでいてまるで鏡を見るようだった。そしてそこに映る黛刑事は、不吉な黒猫のよう。黒猫が小さく笑う。
「では犯人は何故照明を消したのか」
「……点けた、ではなくて?」
 違いの意味がわからない。
「この場合、点いている状態が自然なんです。入浴中の事故にみせかける思惑があったのならば尚のこと。まっ暗でお風呂に入る人なんていませんから」
 黛はナツミから離れて室内をうろうろと歩きながら喋り続けた。
「暗い部屋を明るくする理由ならわかる。でも、明るい部屋を暗くする理由がわかりません」
「暗い部屋で何かしていた、とか」
「たとえば?」
「……それはわかりませんけど」
「暗くする理由、ではなく、暗くせざるをえない理由があったと考えたらどうでしょう」
 黛刑事は歩きながら入り口のドアに向かう。そして壁の一画に指をつける。鍵。カードキーが差し込まれたボックスが、そこにある。
「失礼します」
 そう言ってカードを抜くと、部屋は一瞬にして真っ暗になった。差し込む月明かりでナツミの座っている辺りはほんのりと明るいものの、黛刑事は闇の中だ。
「一度部屋を出る必要があったとしたらどうでしょう。ドアはオートロックだからカギを持ち出さなければなりません。では何故、そうまでして部屋を出入りする必要があったのか」
 暗い。暗闇の無言。
「いい加減灯りを点けてもらえませんか」
「すみません」
 少しだけ間があいて、再び部屋が明るくなった。
「部屋を出るのではなく、また戻る必要が生じた。後になって何かに気づいたのではなく、戻ることを前提に部屋を出た。オートロックだからカードキーを持ち歩く必要があり、結果部屋の照明を落とさざるを得なかった。では何故。
 犯人は入浴中の事故にみせかけるつもりでした。しかし、何かに殺人の証拠を残してしまった。そしてそれを持ち出して処分するのは不自然です。ならばどうするか。自分の部屋のものと入れ替えれば良い」
 黛の視線を受け、ナツミは理解した。この刑事は自分を疑っている。
「……頭のおかしなファンがこのホテルに泊まっていると?」
「いえ、僕は別にそのファンの人は疑っていません」
「私を?」
「はい」
「疑っている?」
「確信しています」
 ナツミは息を呑んだ。しかしまだだ、まだ言い返せる。
「部屋の備品ではないかもしれませんよね。証拠を消す為の、たとえば汚れをふき取る雑巾や洗剤とか」
「そもそも水戸平さんが不審者を部屋に入れるとは思えないんですよ」
「方法は無くもないでしょ。適当なことを言って強引に」
「たとえそうだとしても、それならばこそ水戸平さんはお風呂に入ろうとはしない。水戸平さんは入浴中に襲われたのですよ」
「それも強引に。事故に見せかける為に入浴中を装った」
「水戸平さんの服は脱ぎ散らかされてはいましたが、濡れたり破れたりしていません。何より、換えの下着が脱衣所に用意されていたんですよ、水戸平さんは普通にお風呂に入り、普通に出るつもりだった」
 言葉はもう出ない。ナツミは目を閉じて背もたれに体を預けた。
「犯人は、水戸平さんが無防備な姿を見せられるほど信頼していた相手なんです」
「違うわ。信頼じゃない。甘えよ」

 ナツミは仁美の顔を思い浮かべた。屈託の無い笑顔。人の気も知らないで自由に勝手に行動する女。好きなことを好きなようにして、尻拭いは誰かがやってくれると、思うことすらしない女。腹立たしいことばかりが思い出される。それなのに。それなのに後悔の念しか無い。

「……なんでこんなにすぐバレちゃったわけ?」
 そこでナツミは気づいた。仁美の部屋の電気が点いたことに気づくのがこの刑事は早すぎやしないか。フロアを追い出してから10分も経っていない。不審者を探しに降りたはずなのに何故はるか階上の部屋の明かりに気づくのだ。気にしていなければ気づくはずがない。
「……もしかして、最初から」
 
「最初に気になったのは、部屋の電気が点いていなくて連絡がつかないのに光永さんは『水戸平さんが外出している』とは思っていなかったことです。結果的に部屋で亡くなっていたわけすが、どうして部屋にいると思い込んでいるのか、と」
 知っているからこそ思いつかなかった。部屋にいてくれればいい、確かに矢口はそう夜遊びを懸念していたのに。
「そしてもうひとつ、ベランダに出ようとした時、カギの開け方がわからなかったですよね。あれが引っかかってたんですよ。もしかしてベランダに出たことが無かったんじゃないかと。単に僕とマネージャーさんを遠ざけたかったんじゃないかと。そしたら水戸平さんがあんなことになってて」
 そこまで言って黛が携帯電話を取り出した。着信が入ったらしく耳に当てる。そして一言だけ告げてまたポケットに戻した。警察が到着したのだろう。
「最後にお願いがあるんですけど」
 ナツミは立ち上がり、黛に告げた。
「メイク直す時間をちょうだい。いちおうアイドルなんで」
 黛が静かに頷いて、そしてハンカチを差し出す。そこでナツミは自分が泣いていたことに気づいた。

********************

 ドレッサーの前に座り、鏡の中の自分と対面する。

 仁美とは高校時代に出会い、意気投合した。芸能人になりたい、アイドルになりたいというまるで子供のような夢を平気で語れる仁美が羨ましかった。そして自分も幼い頃からテレビの中に憧れていたから、仁美に振り回されているような体を装いつつ、休日には東京まで出かけて意味もなく闊歩した。上京を先にいいだしたのがどちらだったか、今では記憶が曖昧になっている。

 とにかく化粧を直そう。そのためにもまずこの涙を止めなければ。



《 an idol in cry  ~彼女は流す涙を纏う~ 了 》



【 あとがき 】
無理矢理連作短編。すんません懲りてません。お題の最初の一文からして「犯罪者っぽい」と思ってしまう自分がどうかと思います。
今回は夏海さんとひとみんさんのお名前を勝手に拝借しました、ごめんなさい。回文になっているのは単なる趣味です。あ、知さん(矢口)もいた。

あ、そうそう、先日とある場所で「矢口知矢」さんという名前を発見しましたが、もしかして知さんだったりします?


『 Missing-Essayist Evolution 』 松永夏馬

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