Mistery Circle

2017-07

《 The/Last/Command 》 - 2012.01.31 Tue

《 The/Last/Command 》

著者:Clown




【予告】作中に選択肢が出現します。お好きな方をクリックしてください。



「じゃじゃーん! お主が此処にたどり着いた百人目の勇者じゃー!」
「は?」



 思わぬ台詞に、俺は間の抜けた返事をした。
 王城・ファスタラントを出立して早五年。幾多の敵を切り伏せ、幾多の難関を乗り越え、幾多の出会いと別れを繰り返して此処までやってきた。王城からパーティーを組んできた仲間達も、一人減り、二人減り、先日最後の一人が道中の祠で魔物の毒に倒れ急逝した。
 悲嘆に暮れる間もなく、魔王の城・エンドリオンに単身乗り込んだ俺。魔王の軍勢の猛攻はこれまでの比では無かったが、全世界の希望を、そして何より仲間達の遺志を引き継いでやってきた俺に、敗北という予感は全くなかった。あるのはただ、魔王の首を討ち取って世界に平和をもたらすと言う未来の予見のみ。
 そうしてたどり着いた、巨大な鉄扉。これまでと風格の違う門構えは、これが終わりへの入り口であることを容易に想像させた。複雑な仕掛けも無く、俺を待っていたかのようにゆっくりと開く扉。その先に、魔王がいる。魔物どもを世に放ち、世界に混沌をもたらした者。神々に祝福された世界を、血と鉄の世界へと変貌させようとする者。
 五代前の王、勇者王ロマノフの、まさに命を賭した一撃によって滅ぼされた魔王。だが十年前、討伐百周年を前に全世界に向けて高らかに復活を宣言し、再び世界を恐怖に包み込んだ。それ以来、魔王を倒し、世界に再び平和を取り戻すべく、幾人もの勇者達が魔王城に送り込まれてきた。
 俺は、此処までたどり着いた幸運を噛みしめ、そして討伐を果たせなかった先の勇者達の無念を噛み潰しながら、扉の先を見つめた。全ての元凶、魔王。その最初の姿を、この目にしっかりと焼き付けるべく。怒りと、嫌悪と、そして曲がりなりにも魔物達を統べる王に対する僅かばかりの敬意をもって。
 なのに。
 なのにだ。

「お? ほれ、どうした勇者。記念すべき百人目じゃぞ? もっと喜ばんか」
「な……納得いかねぇぇぇぇッッッッ!!!!」

 何これ、何なの、このファンシーな飾り付けのお部屋は!? ひらひらフリルのピンクなカーテンに花柄模様のカーペット、部屋の四隅と中央に吊り下げられた照明はどれもチューリップ型で、おまけにほのかな橙色の光に調光されている。
 部屋の奥に備え付けられた玉座は巨大なビスケットを貼り合わせたように見え、あまつさえホイップクリームがトッピングされているように見えるのは気のせいじゃ無いよな!? そして、その甘い匂いすらしてきそうな玉座に足を組んでちょこんと座っているのは……

「何が納得いかんのじゃ。『魔王』である妾が直々に褒めてつかわしておると言うのに」
「それが一番納得いかねぇぇぇぇッッッッ!!!!」

 まさか、これが、これが魔王なのか!?
 ふりふりの真っ赤なドレスにリボン満載の、お団子頭に蝶々の飾りを乗っけた、どこからどう見ても趣味の悪い貴族の幼女にしか見えない、これが。
 悪い夢なら醒めてくれ……いや、そもそも魔王がいること自体が悪い夢なのだが、まさかこんな、こんな緊張感の無い相手が、今まで俺がさんざん苦労して仲間の死を乗り越えてまで旅してきた目的だなんて、悪夢以外の何物でも無い。
 だが、それでもこの幼女が強力な魔物の軍勢の中にいて全くの無傷であることは、何よりも彼女が魔王であるという確固たる証明になり得る。ふざけた内装に目を瞑れば、ここは魔王城の中枢だ。そこにいるべき想像通りの主がいない以上、悲しいくらいに現実は斜め上を向いている。
 倒すのか。これを。今から。

「なんじゃ、目が泳いでおるぞ、勇者。……は!? まさか妾に劣情を!?」
「抱くかッッッッ!!!!」
「えー、つまらんのぅ……」

 駄目だ。やりとりの一つ一つが、著しくやる気を削ぎ落としていく。そもそも、相手にやる気が一つも感じられない。こちらに対する敵意も、殺意も、全くない。むしろ、喜んでお茶でも淹れようかという歓迎ムードすらある。と言うか、召使いっぽい魔物が今まさにお茶を運んできた。しかも、湯飲みで。
 魔物は魔王の前に湯飲みを差し出すと、受け取ったのを確認してもう一方の湯飲みをこちらに持ってきた。警戒心剥き出しで血塗れの剣を構える俺を一向に気にするそぶりも見せず、魔物は俺の前にも湯飲みを差し出す。
 よく見ると、ちょっと前に苦戦した上級魔法使い系のやつと同じ種族の魔物だった。ただし、服装だけはまるで酒場のホストみたいな格好をしている。いや、させられている、が正解なのだろう。どう見ても服が浮いている。魔物の表情も、どことなしか虚ろで疲れを感じさせた。アレだ。王城で言えば大臣のような中間管理職の顔だ。
 俺は何となく哀れに思いながら、黙って差し出された湯飲みを受け取った。魔物は役目を果たしてほっとしたような顔で去って行く。なんだか妙な気分だった。つい数時間前に殺すか殺されるかの戦いを繰り広げた相手が、幼女に顎で使われてお茶くみをさせられている。シュールすぎて言葉にならない。

「……ところで、魔王」
「ん? なんじゃ?」

 湯飲みの茶をすすりながらすっかりくつろぎムードの魔王にため息をつくと、俺は左手に湯飲みを持ったまま右手の剣を魔王に向けた。

「俺が百人目……と言うことは、その前に九十九人の勇者がいたと言うことだな? 彼らはどうした」
「あぁ、そんなことか」

 魔王は何の興味もなさそうに返すと、湯飲みを持たない方の手でパチンと指を鳴らした。すると、魔王の数歩手前にある床が左右に割れて、ぽっかりと穴が姿を現す。遠目では深さまでは窺い知れないが、何となくかなりの深さがあるように見える。

「妾と戦って負けた勇者は、ここから城の外へ放り出すことになっておる。この場で死なれても面倒じゃからな」
「ダストシュートかよ……」

 酷い扱われ方だった。と言うより、一応過去の勇者達はこの魔王と戦おうと言う気になったのだな……。しかも、今のところ魔王の全戦全勝であるらしい。そうなると実力は認めざるを得ないが、未だにこの幼女が戦う姿を想像できない。
 そもそも、歴代勇者達は彼女からどういう応対を受けたのだろうか? 毎度こんなノリで迎え入れられたら、一人くらい馬鹿馬鹿しくなって回れ右しそうなものだが。と言うか、絶対いただろ、十人単位で。

「そう言えば、戦わずしてそこから飛び降りていった者達もいたのぅ。なにやら一様に疲れた顔をしておったが」
「お前の所為だ、お前の」

 いたらしい。と言うか、いっそ俺も今から飛び降りたい。そして何もかも忘れて南の島当たりでロハスに暮らしたい。こんな残念な現実から、早くさよならしたい。
 その辺諸々の残念さ加減を、これまで繰り広げてきた壮絶な冒険の数々が何とか押しとどめていた。ここで逃げては、全てが無駄になる。何とか平静を保って、魔王の討伐を成し遂げねば。
 俺は咳払い一つして何とか平静を装うと、湯飲みの中身を飲み干した。一瞬毒でも入っているのではと思ったが、今までのやりとりから察するにいきなり相手を毒殺するような感性は持ち合わせていなさそうだ。
 不思議な香のする液体の後味を感じる間もなく、俺は湯飲みを床に置いて再び剣を魔王に向けた。魔王はまだずるずると茶を啜っていたが、こちらの気配に気付くと、何となく気怠そうに湯飲みを傍らのテーブルに置く。

「まぁ待て、せっかちな奴じゃのぅ」
「悪いが、茶番につきあってる暇は無いんだ」
「茶番……お主、上手いこと言う」
「掛けてねぇよッッッッ!!!!」

 ツッコミを動力源に、俺は魔王に向けて踏み込んだ。一気に間合いを詰め、未だ玉座から動かない魔王に向けて渾身の力を込めて剣を振り下ろす。これで決まるとは到底思わないが、相手の挙動や対処から次手を予想し、今後の攻め方を考えるにはまずこちらから攻める方が手っ取り早い。
 避けるか、受けるか、それとも不可視の障壁を有するか。だが、答えはそのどれでも無かった。神に祝福された金属、ミスリルの切っ先が魔王に届こうとした瞬間、魔王の姿があっという間に遠くへ移動したのだ。
 距離感がつかめなくなった所為で思わず崩れそうになる体制を、何とか立て直す。改めて前を見据えると、魔王は再び湯飲みを持って茶を啜っていた。混乱の色を何とか押しとどめ、俺は周囲を油断無く見渡す。確かに、一瞬のうちに魔王との距離が開いた。だが、それは魔王が移動したのでは無い。
 俺が、元の位置に戻されたのだ。

「だから、待てと言うに」
「く……奇妙な魔術を……」

 苦々しくうめく俺に、満面のドヤ顔を向ける魔王。早く殴りたい。世界とか置いといて、個人的に。
 ようやく飲み干したらしい湯飲みを、これまた調教されきったタイミングでやってきた魔物に渡すと、魔王は初めて玉座から立ち上がった。いや、立ち上がった……と言うよりも、降りた、と言う方が正確かも知れない。ぴょこんと音の鳴りそうな勢いで地面に足をつけた魔王だが、頭の高さが座っていたときと同じだ。
 大仰に胸を張って立つ魔王は、軽く腕組みなどしながら俺の方に向き直った。

「さて、記念すべき来城百人目のお主に、折り入って相談がある」
「相談……?」

 魔王にあるまじき言葉に、俺は思わずオウム返しに問う。世界を蹂躙せんとする者が、一体何を相談しようというのか。その胸中を知ってか知らずか、魔王は急に真剣な顔になってこちらを見据えた。
 そして、重苦しい声でゆっくりと語りかける。

「お主に世界の半分を」
「断る」
「まだ最後まで言っておらぬでは無いか-!」
「言わんでも分かるわッッッッ!!!!」

 五秒と持たなかったマジ顔を崩壊させて、魔王がダダをこねるように足を踏みならした。使い古されて古典の中でしか見ないような言葉を最後まで言わせるわけには行かない。むしろ、ここまで来た人間にそんな提案をする方がどうかしている。
 一通りジタバタと足を上下した後、魔王はようやく冷静になって息を整えた。何となく恨みがましい目でこちらを見ているが、見えないふりをする。何となく扱いかたが分かった気がしてきた。全く嬉しくないことだが。
 しばらくよく分からない空気が漂ったが、魔王が咳払いをして無理矢理自分のペースに引き戻そうとした。一向に変わった気配は無いが、強引に台詞を続ける。

「……冗談は置いてじゃな。相談というのは、お主らの王についてじゃ」
「王? ファスタラント王ゼイラム陛下の事か」
「そうじゃ」

 世界を統治する七つの国。その中で、最も巨大で、最も影響力のある国、ファスタラント。勇者王ロマノフの治世から先は、それこそ世界を動かす国として強い存在感を放っている。魔王が復活を果たした十年前よりさらに以前から現在に至るまで、獅子王の名を冠するゼイラム陛下が統治してきた。
 これまでも魔王亡き後の魔物の討伐に積極的であったゼイラム陛下だったが、魔王復活の報を聞いてよりは一層強化を図っていた。各国と連携し、時には自らも動く精力的な活動ぶりは、勇者王ロマノフの再来とも噂されている。

「ゼイラム陛下に、何の用だ」
「ふむ。言いにくいのじゃが……これ以上お主らのような勇者を送るのを辞めるよう進言して欲しいのじゃ」
「……なに?」

 俺を含めた魔王城攻略の部隊編成も、彼が指揮していた。エンドリオンは険しい山脈に囲まれた半島の先に位置し、海からは絶壁と岩礁に阻まれ上陸不可能、陸路でも壮絶を極める山道と広大な地下洞窟を抜けなければたどり着けないため、大人数の軍を送ることが出来ない。そのため、希望した精鋭達によって時期を置いて攻略する施策がとられた。
 すなわち、勇者の公募制度。
 勇者王ロマノフは自ら死地に赴き、見事魔王を討伐したが、はっきり言えばそれは無謀とも言える。国を治めるべき王がもし仮に魔王に討ち取られてしまっては、国の存亡にすら関わる。一応当時彼の息子であった穏健王アルスラに全権委譲されてはいたものの、混乱は必至であっただろう。
 それを回避するがための措置であったが、今回で俺を含めた百人の勇者と、それに付き添う仲間達が送られている。実際は此処までたどり着けなかった者達もいるだろうから、合計数はさらに多い。
 諦めろ、と言う事だろうか。

「何故そんなことを言う。いつか敗北することが恐ろしいのか」

 わざと挑発的に問うてみる。だが、魔王は今度は顔色を変えず、努めて冷静な声で続けた。

「そうではない。これ以上無駄な血が流れぬようにしたいのじゃ」
「……?」

 今度こそ理解できなかった。何をさして無駄な血が流れているというのか。これまでに送り込まれた勇者達の血か、それともこれまでに俺たちが切り伏せてきた魔物達の血か。
 魔王はそれらの両方を肯定するようにゆっくりと首肯する。

「これまでに、お主達勇者を含め、五百人以上を妾の配下が下してきた。その間に、妾の同胞はその百倍を優に超える犠牲を払った。互いに血を流して既に十年が過ぎようとしている。もうそろそろ、終わりにしても良いのでは無いか?」
「何を言って……」
「妾は、これ以上の争いを望まぬ」

 俺の中で、疑問符の嵐とともにふつふつと怒りにも似た感情がわき上がってきた。これ以上の戦いを望まない? なら、何故俺は此処にいるのだ。何故俺は、仲間達の死を乗り越えて此処まで来たのだ。
 俺の住んでいた町は、ファスタラントからやや遠い田舎町だった。かつては農業でそれなりに栄えていた町だが、今は地図にも辛うじて地名が残っているに過ぎない。北上してきた魔物の群れに襲われ、ほとんど壊滅したからだ。俺がまだほんの幼い頃の話だ。両親と逃げ延びた俺たちはファスタラントの王城近くの町に居を構えた。魔王復活の報を聞いてから先、俺は体を鍛えて今回の勇者制度に志願した。
 魔物がいる所為で、俺たちは元の生活を奪われた。その頂点に君臨する魔王。それを討ち滅ぼすのが、俺の生涯の目的。そう定めて此処までやってきた。
 望まぬ争いの種を蒔いたのは、他ならぬ魔王自身のはずだ。

「そんな理由が通じると思っているのか……!? 俺は……俺たちは、お前の率いる魔物の軍勢に元の生活を踏みにじられた! 世界中の人々が同じ思いを抱いている。だからこそ、俺は今も此処にいる!」
「いや、そう力説されてもじゃな……」

 煮えたぎるままに言葉をぶつける俺に、魔王が何故か困惑したような、いっそオロオロと表現しても良いような微妙な表情を浮かべた。あまり予想していなかった表情に、若干水を差された様な心持ちで魔王と対峙した俺だが、相手は先ほどまでとは打って変わって張りの無い情けない声で呟いた。

「お主達の言う魔物の九割以上は、妾の配下ではないし……」
「…………は」

 一瞬、室内の一切の音が綺麗に消え去った。外界の音も、自分の呼吸音すらも聞こえない静寂。
 そして、

「…………はぁぁぁぁぁぁッッッッ!?」

 思わず上げた奇声に、魔王の体が一瞬びくっと震えた。いや、俺で無くても奇声を上げたくなったはずだ。

「あの凶悪な魔物達を創り出したのはお前ではないのか!?」
「つ、創り出す? 神じゃあるまいに、そんなこと出来るわけが無かろう」
「いや、それは『進化の秘宝』とやらを使って……」
「『進化の秘宝』? 夢物語も良いところじゃ! そんなものがあったら、真っ先に妾の体をダイナマイトボディーに進化させとるわい! そもそも、お主達が魔物と呼んでおる者達の大半は自然に進化した野生生物じゃぞ?」
「ば……」

 バカな。この世にはびこる魔物は全て、魔王が創り出し世に放ったものだと教わってきた。それが、実際は野生生物? 徒党を組み、無差別に人間を襲う彼らが、そこらにいる牛や馬などと同じだというのか。

「お主達は大きな誤解をしておる。妾は魔王と称してはおるが、実際は妾の配下およそ百万を養う小国の王に過ぎぬ。魔王という呼称も、先代が使用しておったから踏襲したまでで、それをもって『魔物の王』と誤解されているのじゃ」
「だ、だが実際に百万もの魔物を従えているのだろう?」
「お主達の王、ゼイラムも数百万の人間を従えておるはずじゃぞ? それに、人間の国はファスタラントだけではあるまい。セカンダ、サーディア、フォーゼス、フュンフェル、ゼクセン、ジーヴァ。全ての国を集めれば、数千万もの人間がおる。同様に、お主達が魔物と呼ぶ者達にも、それぞれに国があり、王がおる。獣王ズーディア、海王メイルシュトレム、樹王ウディスカ、竜王ドラグノフ……じゃが、彼らが統治する国は構成数が圧倒的に少ない。全てを足し合わせても、五百万もおるまい。勿論、国としてまとまっていない者達の方が圧倒的に多いのは確かじゃが」

 初耳だった。魔王以外に魔物達の王がいることも衝撃だったが、それぞれが人間同様国という概念を持ち、集団を形成していると言うこと。基本的に魔物は人間と異質の存在と思い込んでいた俺には、完全に想定の範囲外だった。

「なら、魔物達が徒党を組んで人間を襲うのは何故だ? お前達魔物の王が指揮していることでは無いのか?」
「このエンドリオン一帯に関して言えば確かにそうじゃが、それはお主達が攻め入ってくるから自衛のために戦っているに過ぎぬ。他の王達にはそれぞれ考えもあろうが、行動原理はほとんどお主達と変わらぬはずじゃ」
「行動原理?」
「捕食か、防衛じゃよ。魔物の中にはお主達が食用としておるものもおるじゃろう。同じように、人間を食用としている魔物も妾は数種族知っておる。それに、魔物と見るや相手が何もせぬうちから攻撃を開始する人間もおるし、そう言った経験を経た魔物は人間を見れば敵と思い込むであろう。逆もまた然りじゃ。今となっては、最早どちらが先に手を出したかは分からぬがな」

 反論できない。確かに、一部の魔物を俺たちは食用にしている。この旅の途中でも、食糧が尽きたときの非常食として良く狩っていた。魔物達も、同じ理由で人間を狩っているのだとしたら。
 魔物は敵。それも、俺たちが親の世代から、いや、何世代にもわたって刷り込まれてきた既成事実。同じように、人間は敵だと刷り込まれてきた魔物達は、何の疑問も持たずに人間を襲うだろう。
 つまりは。
 俺たちは、互いに鏡合わせの存在だと言うことか。

「結局は、妾達もお主達も同じ事をしておる。ならば、互いに共存とは行かなくとも、互いを『そういうもの』として生きていくことは可能では無いか?」
「…………」
「妾が魔王として戴冠したとき、人間の王達にそう書面で告げたのじゃが、どうも挑発と受け取られたようじゃ。以来、妾はお主達の相手をしながら何度か説得を試みてきたが……此処にお主がいることが、その結果じゃよ」

 寂しそうに笑う魔王。その表情に、嘘は無い。恐らく、王城に足を踏み入れた勇者達に何度となく同じ呼びかけを行ってきたのだろう。そして、そのたびに断られてきた。断られ続けてきた。

「……お前、さっき俺が記念すべき百人目だから折り入ってと……」
「……なんの話かのぅ」

 どう見てもわざと目をそらした魔王を白い目で追いながらも、内心俺は穏やかでは無かった。初期衝動はとっくに萎えている。彼女の言葉を全面的に信用したわけでは無いが、筋は通っている。確かに、エンドリオン一帯に潜む魔物を、他の地域で見た覚えが無い。いや、正確には見てはいるのだろうが、恐らく敵対したことが無いのだろう。
 それに、地域ごとに統制された同種族の魔物が目撃されているのも確かだ。ゼクセン王国の外れで飛龍の群れに遭遇して危うく全滅の危機に陥ったり、海の魔物が地域ごとにはっきりと種族分けされているのも、それぞれの王がいると仮定すれば納得が行く。
 彼らも、ある一定の秩序を持って行動している。決して無秩序に人間を襲っているわけでは無い。それが、真実。
 大義名分は、崩れ去る。いや、ある意味では正当化される。魔王を倒し、魔物達を駆逐し、魔物に脅かされる可能性を排除する。それは、究極の自己防衛だ。脅威があるなら、脅威そのものを取り除いてしまえば良い。例えそれが、見せかけの脅威だとしても。
 本当に、それで良いのか?

「いずれにせよ、後はお主が決める事じゃ。お主もおおかた魔物に不幸をもたらされた人間の一人なのじゃろう。その復讐心を理解できぬ妾でも無い。深淵に根付いたそれを撤回することは、その上に成り立つ全てを無にすることに等しい」
「…………」

 俺は、魔王を倒したかった。倒せば世界は平和になり、魔物に襲われて死ぬ人もいなくなる。俺たちのように、惨めな思いをする人間もいなくなる。だから、倒す。送り出してくれた王の期待に、応援してくれた人たちの熱望に、そしてかけがえのない仲間達の遺志に応えるため。
 違う。
 本当は、自分自身のためだ。魔王の言うとおり、自分の復讐心を満たすために、俺はこの旅を始めた。自分自身の怒り、憤り、恨み、呪い。それら全てを、鬱積した負の感情を、全て魔王という存在に背負わせるために。
 背負わせ、屠るために。

「じゃから、お主が妾と戦うというのなら、妾は全力で相手をしよう。それが、此処まで来たお主への最低限の礼節。そして、妾の国を護るためにも」
「……俺は……」

 俺は……どうすれば良い?




戦う
戦わない

















戦う

「……俺は、やはりお前を見過ごせない」

 ミスリルの剣を、俺はもう一度握り直した。魔王は長い嘆息の後、再び寂しげな笑顔でこちらを見た。

「そうか……そうじゃな……」

 魔王の小さな指が、パチンと鳴る。すぐさま先ほど茶汲みをさせられていたのとは別の魔物が、大ぶりの剣を掲げてやってきた。魔王はその剣を受け取ると、一降りして眼前に構える。
 黒い刃だった。ミスリルの輝きとは対になるような、光を一切反射しない漆黒。刃渡りは80cm程度で俺の持つものとほぼ同等だが、幅が広く、刃先が手斧のように広がっている。一見してかなりの重量がありそうだが、小柄な魔王は軽々と片手で扱っている。何らかの細工が成されているか、或いはやはりそれが魔王と言うことなのか。
 俺と魔王は、沈黙のまま向き合った。逡巡の末の俺の決意を、魔王も読み取ったのだろう。最早、言葉は無意味だ。ここから先、語るのは戦いによってのみ。剣と剣、魔法と魔法、その交わりだけが、対話となる。
 チリチリとした灼けるような空気が、辺りを覆う。静かな闘気が、空間を支配していた。目の前で身じろぎ一つしない魔王に、最早最初の頃の印象はない。どれだけ派手な衣装に身を包んでいても、どれだけ幼い顔立ちをしていても、そこに立っているのは紛れもない魔物達の王。これまで幾多の強者達を退けてきた、究極の力の象徴。

「参る」

 地を這うような声が響いたと同時、魔王の体が放たれた矢の如くこちらに向けて襲いかかる! 俺は反射的に刃を跳ね上げ、振り下ろされた黒い刃に叩きつけた。ガン、と言う鈍い音が響き、俺はその反動を使って後ろに飛ぶ。想像以上に重い衝撃が腕をしびれさせたが、それに驚く暇はない。続けざまに繰り出される斬撃を回避しながら、隙を狙って刃を薙ぐ。だが、当然の如くそこに目標は無く、刺すような気配を頼りに振り抜いた刃がすんでの所で凶刃を逸らす。
 目視で確認した魔王に向けてさらに一撃を加え、刃の腹で受け止めたのを確認する間もなく俺は左手を魔王に向けて翳した。「雷皇の左腕!」
 叫びに応じ、俺の腕から強烈な雷光が発せられる。対象を炭になるまで灼き尽くす雷だが、魔王はたった一言でそれを諫めた。「散れ」
 四散した雷の切れ間から、魔王の黒い刃が襲う。軸足をずらしてぎりぎりのところで躱し、次手を振り上げた刃で弾くと、柄を両手で持ち直して力の限り振り下ろす。後方に飛んでやり過ごす魔王をしっかりと目で追うと、地面に叩きつけられる寸前のところで刃を翻し、魔王に向けて最大限に踏み込んだ。

「おおぉッッッッ!!!!」
「……!!」

 斜め上になぎ払う刃を、魔王は咄嗟に剣で受け止める。俺は全身の力を込めると、そのまま振り抜いて魔王の体を弾き飛ばした。宙を舞う魔王に、再び左手を差し向ける。「炎神の大鎚!」
 巨大な火球が手の上で膨れあがり、魔王に向けて放たれた。予想通り到達前に火球はかき消されたが、臆すること無くさらに複数の火炎魔法を移動しながら放ち続ける。爆散する火球が着地した魔王を捉えたのを見計らい、俺は一気に間合いを詰めた。裂帛の気合いとともにミスリルの刃を振り抜いたが、そこに魔王の姿は無い。何処だ?
 寒気にも似た感覚が襲い、俺は頭上を振り仰いだ。歌うような声が響き、辺りを暗雲が覆い始める。素早く剣を地面に突き刺し、俺は両手を広げて叫んだ。同時に、魔王の詠唱が朗々と響く。

「月姫の胞衣!」
「幽閉されし昏闇皇子の狂い詠」

 銀のベールが周囲を包むと同時、部屋中に不気味な彷徨と黒い稲妻が踊った。猛り狂う黒の流れが、石造りの床や壁を焦がし、打ち砕いていく。ベール越しにも相当の熱量が伝わり、その魔法の威力に幾ばくかの恐怖を感じさせる。
 稲妻が途切れ、雲が晴れていくのを見計らって、再び手にした剣を手に俺はその場を離れた。視覚では捉えられていないが、雲間から気配だけは感じ取れる。だが、移動を続ける俺を猛追する気配が、不意に途切れた。戸惑いを覚える間もなく、頭上から押し潰されそうな殺気が降り注ぐ!

「く……!!」

 間に合え、と心の中で祈りながら、俺は回避と同時に剣を振り上げた。だがそこに手応えは無く、代わりに鋭い痛みが肩口に走る。本能的に飛び退る俺の前に、優雅にドレスを翻した魔王が降り立った。
 その手には、剣を握ったままの俺の右腕。
 思い出したように吹き出した血を応急処置用の回復魔法で何とか納め、俺は残った左手を前に地を踏みしめた。以前にも腕を吹き飛ばされたことがあるが、その時は運良く仲間の一人が強力な回復呪文で瞬時に治してくれた。だが、今その仲間は此処にはいない。洋上で魔物に襲われ、深海へと引きずり込まれた。
 掲げた左手に、ぐっと力を込める。「天魔の崩剣」と呼ぶ声に応え、深い紅の刀身を持つ剣が握られた。ミスリルには劣るが、魔法で形作られた剣はそれでもこの世のいかなる金属にも勝る。
 右腕が無くなり、バランスの取りにくくなった体で再び身構える。だが、魔王はその場から動こうとはしなかった。切り離された俺の右腕を眺め、そしてそれをこちらに投げて寄越した。どさり、と横に落下した腕を、俺は一瞥もせず魔王を見据える。その顔に、またさっきと同じような寂しげな笑顔が覗いていた。

「……もう、やめぬか。これ以上続けて何になる?」

 俺は、動かない。まだだ。まだ左腕が残っている。一撃で良い。一撃でも当たれば、勝機はある。向こうが油断している今こそ、攻めなければ。
 気ばかりが焦る。それを見透かしたように、魔王はゆっくりとした動作で剣を持たない左手を掲げた。

「後一回極限魔法を放てば、お主は間違いなく消し炭になる。魔法で剣を創り出しているお主に、それを防ぐ術はないからじゃ」

 当たりだった。別々の魔法を一度に放つことは、基本的に不可能だ。修練を積んだ魔法使いであればそれも可能だと聞くが、魔法にも相性がある。特に、天魔と月姫はまるっきり正反対と言っても良いほど相性が悪い。
 もう一度あの魔法を撃たれたら、それこそ俺は炭も残らないだろう。痕跡すら残さず、この世から消えて無くなる。或いは、それでも良いのかも知れない。魔王を討ち取れなかった勇者など、所詮半端者だ。ともに戦った仲間達の親族にも、顔向けできない。ならばいっそ、ここで消えてしまった方が良い。
 魔法で形作った剣を、強く握りしめる。文字通り、命を賭した一撃を放つため、腰を落とす。
 魔王は、諦めたように目線を落とした。俺の覚悟を悟ったからだろう。掲げた左手をそのままに、黒の大剣を俺に向けて告げた。

「万が一お主が詠唱中の妾に追いつければ、無防備な妾は抵抗できぬ。それが、最後の機会じゃ。全力で追うが良い」

 直後、魔王の歌声が部屋中に響いた。全ての膂力を動員し、俺は魔王との距離を詰めるべく疾る。魔王は重力を無視するかのように宙に浮いたまま後方へと逃げていく。詠唱時間はおよそ一分程度だったはずだ。その間に追いつかなければ、俺という存在はそこで永遠に失われる。
 時間が、間延びする。全力で走っているのに、まるで水の中を走っているようだ。魔王との距離は一向に縮まらない。反発する磁石の如く、こちらが近づいた分だけ相手が遠ざかる。全てが徒労に思える。それでも。

「オオオオオォォォォォォォッッッッ!!!!」

 それでも、俺は。

「────────」

 衝撃とともに、目の前が、暗転する。
 終わった。
 思うよりも早く、終わりは突然やってきた。痛みは無いが、恐らくはそれも感じぬ間に灼き尽くされたのだろう。何も感じない。ただ、残された左手に広がる温かさだけが、俺の中に残されている。
 ……温かい?
 死んだはずの俺が、何故温かさを感じるのだろう。いや、この思考すらも、本来ならあり得ないはずだ。それとも死して魂となっても、思考は許されるのだろうか?
 暗闇に閉ざされていた視界が、ゆっくりと開ける。まずは、赤が目についた。次に、もう一つの赤。二つは混じり合い、濁った世界を形成している。
 その赤の先に、黒が続いた。光を飲み込む黒をまたぎ、そのさらに先に、白が映る。
 愁いを帯びた瞳でこちらを見つめる、白が。

「……な、なんだよ、これ」
「……喜ぶが良い……お主は、万が一を勝ち取ったのじゃ……」

 理解できない。いや、言葉の意味は分かる。しかし、その言葉に至る過程が理解できない。
 魔王の右胸に、紅の剣が突き立っていた。おびただしい血が流れ、赤いドレスをまだらに染めている。これを、俺がやった? ついさっきまで追いつくことすら出来なかった俺が?
 嘘だ。魔王は俺に、嘘をついている。

「……わざと、斬られたな?」
「はて……何のことやら……」
「……目が泳いでるぞ」
「……ふふ……鎌のかけ方が下手じゃのぅ……」

 そう言いつつも、魔王の顔は嘘を認めていた。彼女は、わざと斬られた。さっきの詠唱も、俺を追い詰めるための演技に過ぎなかったのでは無いか。だとしたら、何故そんなことをする? 魔王にとって、俺に斬られることのメリットなど何も無いはずだ。
 それらの疑問を見透かすように、魔王は弱々しく笑った。

「妾は、お主を……お主達を欺いておった。じゃから、ここらで幕を引くのも良いと思ってな……」
「欺く……? どういうことだ」

 俺を、では無く、俺たちを、と言った。今までここに来た勇者達のことを言っているのだろうか。それとも、世界の人間全てを欺いていたというのだろうか。一体、何を。
 その言葉は、俺の予想の遙か斜め上をいっていた。

「妾は、魔物達の王……じゃが、妾は純粋な魔物では無い……」
「……それは、どういう」
「妾は……元は人間じゃ」
「……な」

 何をバカな、とは言えなかった。確かに、並外れた身体能力と魔力を有しているとは言え、外観は人間の幼女そのものだ。魔物の中にも人型のものは存在するが、人間と全く同じ外観を有するものはいない。最も人型に似ている魔人と呼ばれる種族も、額に角を有する点で決定的に異なる。今の魔王には、その角すら無い。
 伝承に聞く最初の魔王は、その魔人族と同じ風貌をしていたという。一族の中でも飛び抜けた巨体と尋常ならざる魔力の持ち主であったと言うが、その特徴は今の魔王には当てはまらない。
 どの魔物にも属さない、魔物の王。先代の魔王の子孫であろうと思われていたが、何故人間が魔王を名乗っているのか。

「……魔王の血肉は、喰らうものを魔物へと変える。妾は、先代の魔王の血を飲んでこの力を得たのじゃ」
「魔王の血を……? 一体どうやって……」
「それは明かせぬ……そう言う約束じゃからな……」

 そこまで言って、魔王はぐっと顔をしかめた。出血が多い。普通の人間なら、とっくに死んでいるだろう。最後の力を振り絞るように、魔王は右手に握りしめたままの大剣を俺に差し出した。

「……これをやろう……。魔王を倒した証明になる……。妾の遺骸は、どうか此処に捨て置いてくれ……」
「…………」

 亡骸を公開するなと言うことだろう。恐らくは、魔王の最後の願い。俺は、黙って大剣を受け取った。意図が伝わって安堵したのか、魔王は力なく微笑んだ。
 そのまま、だらりと右手が垂れる。
 俺は、ゆっくりと息を吐いた。終わった。これで、全てが終わった。王の要請に応え、己の復讐心に応え、魔王と言う存在を葬り去った。この後、世界がどうなるのかは分からない。魔王の言葉が正しければ、ここは魔物達の国の一つに過ぎない。他の魔物の王達は残り、恐らくは今までと同じように人間と魔物の争いが絶えないのだろう。
 では、王を失ったこの国はどうなる? 人間のように難民と化し、他の国へ併呑されるのか。それとも、頭を失った魔物は暴走し、世に一層の混沌を振りまくのか。
 どちらでも良い。自分のその思考を、意外だとは思わなかった。目的を果たした今、俺の心は驚くほど空虚だ。勇者としては、この上なく不的確なのだろう。世界平和を夢見る仲間達と此処まで旅してきたはずなのに、気がつけば俺の心に残っていたのは小さな復讐心に彩られた魔王討伐の思いだけ。その先を、俺は何も考えていなかった。
 隣で安らかに眠る魔王の顔を見る。改めてみても、人間の少女にしか見えないその顔立ち。遊び疲れて眠ってしまった子供のようなその表情を見て、俺は泣いていた。彼女がどういう経緯で魔王になったのか、最早分からない。だが、元は人間だった存在が、魔王となって魔物達を統率する……その意味がどれほど重大なものであったのか。彼女の今の表情は、それらから解放された安寧の表情にも思える。
 気がつくと、俺と魔王の周囲を魔物達が取り囲んでいた。数は多くないが、恐らくはかなりの実力者達だろう。城中をくまなく探索したつもりだったが、気配だけでもただ者では無いと思わせる魔物達がまだこれほど残っていたとは。
 彼らは、何もせずじっとこちらを見ていた。魔王の仇討ちをするならまたとない好機のはずだが、彼らは一定の距離を置き、俺と魔王のいる空間をぼんやりと見つめている。
 やがて、一体の魔物がゆっくりとそばにやってきた。敵意や殺意は無く、こちらを見て何事か呟くと、そのまま膝を折って魔王の前に傅く。そっとその亡骸を抱きかかえると、魔物はこちらを一瞥すること無くゆっくりと玉座の方へと歩き出した。他の魔物達も、それに続く。
 魔物達のうち、神官のような服を着た二体が玉座の両隣に立ち、両手を掲げた。すると、玉座が後方へと滑り、その下に階下へと続く階段が現れた。どうやら、隠し部屋があるらしい。魔王の亡骸を運び出すと言うことは、その先に王墓があるのだろう。彼らは、粛々とその階段を降りていく。
 俺は、そこに立ち尽くした。魔王の言葉が、頭の中で反響する。
 これ以上無駄な血が流れぬようにしたい。
 そんなことが、果たして可能なのか。人と魔物が互いに干渉せず、互いが互いを憎むことも無く、ただそこにあるものとして自然に生きていける世界が。
 魔王は、それを望み、少なくともそのための努力をした。
 俺は、その努力を、笑えるか。

「……待て」

 ならば、俺は────



「あぁ、有名な話だが、眉唾なんじゃないか?」
「そうですか……結構信憑性のある文献だと思ったのですが……」
「まぁ、いろんな話がごっちゃになって伝わるなんて事は、良くある。特に、魔王の話は数が多い上にどれも伝聞でしか無いから、尾ヒレの一つや二つはつくだろう」
「そうですよね。ありがとうございました。また立ち寄ります」
「おぅ、またな、詩人のにぃちゃん」

 私はため息をつきつつも、司書の男に手を振って図書館を後にした。ここでも私の求める真実は明らかにならない。
 魔物達による被害が著しく減少してから、およそ十年になる。散発的に旅人が襲われることもあるが、たいていは空腹の魔物の仕業か、大人しい魔物にちょっかいを出した人間の自業自得の結果だ。
 勇者の公募も廃止されて久しく、ファスタラント王が獅子王ゼイラムから白鳳王アヴァロンに継承されてからは魔物の討伐隊も解散された。魔物の驚異は去ったとの判断だが、その裏には新たに即位した魔王との密談があったとの噂がある。
 曰く、闇よりも黒い大剣を背負う、隻腕の魔王。
 どんな内容の密談だったのかはもとより、本当にそれが魔王であったのかも定かでは無いが、事実人間は今や魔物の脅威に怯えること無く、安寧の生活を謳歌している。ただし、魔物という共通の敵がいなくなったことで国同士の軋轢が大きくなったと言う副作用もあるようだが……。
 それ以来、誰も魔王の姿を見ることはなかった。魔王城のあるエンドリオンには何人も立ち入らず、彼の地は暗黒の地となっている。彼はそこにいて、今も魔物達を統率し、静かに暮らしているという。
 誰も、彼の地を侵さない。
 誰も、彼を知らない。

 知らない。



あとがきへ
























戦わない

「……俺は……魔王を倒せば全てが終わると思っていた。その後のことなんか、何も考えちゃいなかった」

 今までの俺の、浅はかな思考回路。いや、それでもこの旅を通じて、仲間達の理念や理想を一緒に感じて、少しは魔王討伐の動機付けを明確に出来たはずだった。だが、魔王を倒したその後どうするかなんて、かけらも考えてはいなかった。
 だから、魔王の言葉は俺にとって衝撃ですらあった。少なくとも、魔王は今後の人間と魔物のあり方を考え、それを実行しようとしている。未来を見据えた行動というものを、皮肉にも敵であったはずの相手から教えられた。

「今でも、俺はお前を倒すべきじゃ無いかと思っている。でも、お前の話が本当なら、俺たち人間と魔物の間に何ら変わりは無いし、共栄も出来るかも知れない」
「……本当に」
「ん……?」
「本当に、そう思ってくれるのか?」

 顔を上げると、先ほどまでの緊迫した空気から一転して、何処か戸惑いがちな表情の魔王がいた。妙にそわそわしているのは、恐らく此処まで同意をしてもらえる人間が一人もいなかったからだろう。どう対応して良いのか、考えあぐねているのだろう。
 その様を見て、俺は確信した。以前の魔王がどうかは知らないが、少なくとも今の魔王は今後の両者の行く末を真剣に考えている。そしてそれが意味するところは、現状の魔王統制下にある今の魔物達は人間と敵対することを是としていないと言う事。もし此処で俺が魔王を倒してしまったら……その時、たがの外れた魔物達がどのような暴走を示すか、全く予想がつかない。
 永遠の闘争の火ぶたを、俺自身が切ってしまうところだったかも知れない。

「少なくとも、お前はそう思っているんだろう? 魔王」
「う……うむ、そうじゃ。そうじゃとも」
「なら、後は俺たちがどう応えるかだ」

 言ってしまって、俺は胸の中の靄がすっと晴れたのを感じた。具体的にどうすれば良いのかは、見当もつかない。魔王の言うとおり、ゼイラム陛下に勇者の派遣をやめさせるよう進言するのも一つの手だが、一勇者の言葉が王の行動を左右するとも思えない。勿論、何もやらないよりはマシかも知れないが、もっと効果的な方法を用意した方が良い。
 そこまで考えて、俺は思わず笑ってしまった。ほんのついさっきまで、目の前の魔王を倒すことで頭がいっぱいだったのに、今はその魔王の言葉にのって共生の道を探ろうと躍起になっている。
 その張本人は、未だに落ち着かない様子で俺の目の前をうろうろしていた。魔王の威厳などあったものでは無い。良くこれで魔物達を統率できたものだと思うが、あのお茶汲みの魔物を見る限り、調教力はそれなりに高いのだろう。

「しかし、ゼイラムを初め、国王達には軒並み総スカンを食らってしもうたしのぅ……妾が自ら赴いて説得するのは効果が薄そうじゃ」
「むしろ、態度を硬化するんじゃないか? いきなり攻撃を食らう可能性もある」
「そうじゃのぅ……前回は側近の魔物に書状を持たせて行かせたのじゃが、命からがら逃げ延びてきおった」
「まぁ、そりゃそうだろうな……」

 いきなり魔物が城の中まで進入してきたら、否が応でも緊張が高まるだろう。十年前の魔王復活が全世界的に盛り上がったのは、そう言う経緯があったかららしい。

「そうなると、やはりお主が頼みの綱じゃな」
「いや、寄っかかりすぎだろ、それは」
「そうは言ってもじゃな……」

 例えば、俺と魔王で共同声明文を出す……のは恐らく俺が魔王側に寝返ったと思われるだけだろう。魔王が白旗を掲げる……それこそ国王軍が退去して魔王城に押し寄せるだろう。いっそ俺が凱旋して王の座を……勇者王ロマノフじゃあるまいし、王族でも無い人間が王になれるとは思えないか。
 そう言えば、この一見幼女にしか見えない魔王は、どうやって魔王を襲名したのだろうか。ロマノフ陛下に倒された魔王に子供がいたという話は聞かないし、そもそもこれほど人間に近い姿の魔物は見たことが無い。魔人という種族が人間に近いが、彼らとて額に角を有する点で人間とは決定的に異なる。今の魔王には角さえないし、その他の身体的特徴のどれをとっても人間にしか見えない。

「なぁ。お前は、どうやって魔王になったんだ?」
「……? どうやってと言われても」
「魔王に血族がいるという話は聞かないし、どう見ても人間にしか見えないお前がどういう経緯で魔王になったのか、ふと気になってな」
「うーむ……」

 魔王はしばらく難しい顔で唸っていたが、ややあって呟くように口にした。

「妾は、元は人間なのじゃが……」
「……へ?」

 思わず、間抜けな声が漏れる。今、なんて言った? 元は人間? ただの人間が、どう言う経緯を辿ったら魔物達の王になり得るんだ?
 いや、聞き違いかも知れない。もう一度、確かめる必要がある。

「お前が、元は人間だったって?」
「そ、そうじゃ……歴とした人間の女の子だったのじゃ」
「だったら、なおさら聞きたい。どうやって魔王になった?」

 今度こそ元は人間だったことを強く主張する魔王に、さらに突っ込む。魔王はさらに困った顔になった。どうやら相当口にしにくい事実であるらしい。そうなると余計に興味が湧いてくる。
 しばし押し黙る魔王。だが、俺の視線と沈黙に耐えかねたのか、泣きそうな顔になりながら話し始めた。

「……魔王の血肉は、喰らうものを魔物へと変えるのじゃ」
「人間を……魔物へ?」
「人間以外でも何らかの変化を来すらしい。妾は、先代の魔王の血を飲んでこの力を得たのじゃ」

 とんでも無い話が飛び出し、俺も困惑し始めていた。何より、今の話は魔王がしていた話と反する。魔物のほとんどは、自然に進化した存在だったはずだ。それらを統括する魔王とて、元を正せばそう言った魔物の一種族に過ぎない。そんな魔物がいるのなら、その魔物を食した生物はすべからく魔物へと変化してしまう。中には同種の魔物を食べたことがある人間もいるかも知れない。だが、これまで人間が魔物に変わってしまったという話など聞いたことが無い。
 そんな俺の表情を見て何らかの誤解が生じていると感じたのか、魔王が慌てて補足する。

「正確には、一部の魔物が持つような特殊な力を得るという事じゃ。先代の魔王を初めとする、所謂『レックス・サタニカ』と呼ばれる種族は希少種で、非常に長命なのに反して生殖可能な年齢の幅が狭いのじゃ。じゃから、己の種を少しでも広く受け継がせるため、血肉を喰ろうたものの体に同化して生きながらえようとするのじゃ」
「じゃあ、正確には半分人間、半分魔物と言うことか。だから外見は人間と同じなのか」
「そういうことじゃ。長命な点も受け継ぐため、血を飲んだときの外見のまま百年以上も過ぎてしもうた……」

 百年。予想されたことだが、こんな姿をしていてもやはり魔王は俺よりも遙かに長い時間を生きてきたらしい。
 そして、益々疑問が募る。血を飲んだときの外見のまま、と言う事は、彼女が魔王の血を飲んだときはほんの小さな子供だったと言うことだ。そんな子供が、如何にして魔王の血を飲むなどと言う機会に巡り会ったのか。
 俺の半ば期待に満ちた眼差しから、魔王はあからさまに顔を背けた。どうやらそれ以上は本当に話すことがはばかられるらしい。だが、此処まで聞いたからには最後まで話してもらう必要がある。

「……勝負しよう」
「な……しょ、しょうぶ?」
「そう。模擬戦で魔王が勝ったら、俺は魔王の望むとおりに全力で働く。もし俺が勝ったら、魔王は俺が知りたいことを話す。どうだ?」
「う……も、もし断ったら?」
「俺は南の島でロハスな生活を満喫することにする」
「うぐぐ……」

 魔王としても、人間社会との架け橋として動く存在が欲しいはずだ。長い間待ち望み、歴代の勇者に断られ続けてきた身としてはなおさら。自分を人質に取るような真似はあまり褒められたものでは無いが、仕方ない。
 しばらく本気で考え込んでいた魔王だが、ややあってパチンと指を鳴らした。
 すぐさま先ほど茶汲みをさせられていたのとは別の魔物が、大ぶりの剣を掲げてやってきた。魔王はその剣を受け取ると、一降りして眼前に構える。
 黒い刃だった。ミスリルの輝きとは対になるような、光を一切反射しない漆黒。刃渡りは80cm程度で俺の持つものとほぼ同等だが、幅が広く、刃先が手斧のように広がっている。一見してかなりの重量がありそうだが、小柄な魔王は軽々と片手で扱っている。恐らくは先ほど話していた、受け継がれた魔王としての力なのだろう。

「……い、一回だけだからな! 妾が勝ったら、約束通りこき使ってやるからな!」

 そう言って、大剣をぶんぶん振り回す魔王。照れ隠しか何かの類いに見えなくも無いが、得物が得物だけにはっきり言って怖い。
 俺は静かに頷くと、自分もミスリルの剣を正面に構えた。模擬戦とは言え、相手は魔王。なめてかかれば後塵を拝する事になる。彼女もその様子を見て我に返ったのか、真剣な面持ちで大剣を改めて構えなおした。
 す、と周囲の音が消える。互いに集中力を高め、相手の出方を窺う。恐らく、決着はすぐにつくだろう。最初に見た奇妙な魔法のことを考えると、総合力ではまだ魔王の方に分があるように思うが、相手が剣を持ち出してきたと言うことは、剣による勝負が主体となるだろう。それなら、互角以上に戦える自身がある。
 空気が、変わった。魔王の足が、僅かに横にずれる。ゆっくりと、腰が沈んだ。俺も合わせるように重心を落とす。そして、次の刹那。

「…………!!」
「オオオォォォォッッッッ!!」

 無言の気迫で疾風の如く迫る魔王の剣に、雄叫びとともに振り抜かれた俺の剣が交差する。ゴキン、と言う鉄塊がぶつかり合うかのような無骨な音が響き、互いの剣が反作用で所有者ごと弾け飛ぶ。すぐに体勢を立て直し二撃目を放つが、魔王はすぐさま後方に飛んで切っ先から逃れた。さらに追い打ちを掛けるべく相手の懐に飛び込んだが、魔王は大剣を正確に俺の軌道の先に置いている。
 即座に剣を胸元に寄せて両手で構えたが、容赦なく打ち込まれた一撃で俺は真上に吹っ飛ばされた。あまりの衝撃に剣を持つ両手がしびれる。一瞬重力を感じなくなると、今度はそのまま地面に吸い寄せられる。そこへ、魔王が驚異的な跳躍力で飛び込んできた。横薙ぎの一閃を再び剣の腹で防ぎ、さらに後方へ吹き飛ばされた俺は、着地の勢いを剣と床の摩擦で殺しながら、その反動を利用して魔王の元へ飛んだ。
 二人の視線が、交錯する。そして、銀と黒の奔流がぶつかり合い、

 身の毛もよだつ音を引き連れて、二つの剣が、折れた。

「あ……」

 静寂の中で、魔王の声と俺の声が重なった。根元の近くでポッキリ折れた剣。魔王の剣の材質が何かは知らないが、少なくともミスリルは普通の金属では無い。神に祝福された、は比喩でしか無いが、しかしその比喩を少なくとも適正と感じるに足だけの強度を持っている。剣として鍛えるのに熟練の刀鍛冶でも一年は費やすと言われるそれが、これまでの劣化があるとはいえこうも易々と折れるとは。
 だが、魔王の剣も折れてしまった以上、模擬戦としては引き分けだ。いや、当然魔法戦で再開する可能性もあるが、彼女の様子を見るとすぐさま襲いかかってくる様子も無い。そう思い、手っ取り早く終戦を取り付けようと魔王の元へ歩き出した瞬間、

「ああああぁぁぁぁッッッッ!?」
「!?」

 魔王が突然大声を上げた。何事かと思って彼女の方を見ると、彼女は折れてしまった黒の大剣を手に涙目でオロオロしている。

「お、折れた……お父様から受け継いだ剣が……お、折れ……」
「お、おい、大丈夫……か?」

 狼狽しきった声の魔王に、何故か酷く悪いことをしたような気分になった俺はなるべく刺激しないように声を掛けた。魔王はかわいそうなくらい半ベソの表情で縮こまり、剣の破片を拾ってくっつけようとしている。当然、くっつくはずも無い二つの金属は魔王が手を離すと同時に床にたたきつけられ、寂しく金属音を響かせるのみ。
 余程大事にしていたものなのか……それなら大事に取っておけよとも思ったが、そもそも折れること自体が想定外だったのだろう。ミスリルと相打つほどのものなのだから、余程の業物なのだろう。
 しかし、その後の魔王の呟きが、そんな陳腐な感想をあっさりと吹き飛ばした。

「うぐ……ひっく……ロマノフお父様との最後の思い出が……」
「…………な、に?」

 ロマノフお父様?

「お、おい。今、なんて言った? ロマノフ……お父様?」

 俺の言葉に、魔王はびくっとした表情でこちらを見た。あ、と口を両手でふさいだが、時既に遅し。しばらく目をそらして黙りこくっていたが、やがて無駄と悟ったのだろう。魔王は両目に涙を一杯にためながら一気に吐露した。

「妾のお父様は、お主達が敬愛する勇者王、ロマノフ・ディス・ファスタラントじゃ!」
「な、なんだってぇぇぇぇッッッッ!?」

 まさかそんなはずは、と身構えた上でなおその衝撃は大きい。確かにそれなら小さな子供が魔王の血を飲むなどと言う機会を得た事にも符合する。魔王を倒したその人の子供なのだから。だが、それでも疑問は尽きない。

「妾の本当の名は、フレイア・デア・ファスタラント。ロマノフお父様の三番目の子にして王位継承権第三位……のはずだったのじゃ……」
「はずだった……?」
「穏健王アルスラは次男坊で、上にアルシドと呼ばれる嫡男がおったことは知っておるかの?」
「いや……」

 初耳だった。ロマノフ王の子は穏健王アルスラただ一人であり、そもそもフレイアという名も聞いたことが無い。いや、王家に都合の悪い系譜は秘匿されているという噂も聞いたことがある。つまり、アルシドと言う人物と目の前の魔王フレイアは、何らかの理由で王家にとって都合の悪い人物と言うことになる。
 勝手な想像を、しかし肯定するように魔王は首肯した。

「アルシドは王位継承権第一位であったが、廃嫡されたのじゃ。実の母親を手に掛けたという罪でな」
「……!!」
「理由は定かでは無いが、錯乱していたという話もある。その時、母の腹の中にいたのが……妾じゃ。何とか取り上げられた妾じゃったが、未熟な状態で生まれた妾は病弱で、ことあるごとに病に伏せる状態じゃった」

 最早何に驚いて良いのかも分からない。王家の長男が母殺し。しかも、身ごもった母を殺した。そして、そこから取り上げられた未熟な娘。
 ロマノフ王が、直接魔王の討伐に向かった真の理由が、ようやく垣間見えた。

「お父様は、魔王の血のことを知っていた。じゃから妾をつれて無謀とも言える旅に出たのじゃ」
「そして、見事に魔王を討ち果たし、その血を娘であるお前に与えた」
「……結局、お父様も私欲のために先代の魔王を討ち果たしたのじゃ。妾は、その罪滅ぼしをしているに過ぎぬ」
「自分の身を犠牲にしてまで、か?」
「成人を迎えることすら難しいと言われた妾が、ここまで生きながらえたのじゃ。残された時間や力を魔物達のために使うことを、犠牲とは思わんよ」

 魔王フレイアは、そう言って笑った。外見の年齢相応の、快活な笑顔だった。恐らくは、心の底からそう思っているのだろう。先代の魔王が率いてきた、そして今は彼女が率いている魔物達のために、彼女は人間であった過去を押しやって、俺たちとの交渉の余地を推し量ってきた。
 始まりは一人の人間の私欲だろう。だが、彼女はそれを見事に昇華した。人間と魔物、それぞれが互いに反発すること無く、共生できる道を模索する。それは、世界のあり方を変えるということ。その行く末をしっかりと見定めると言うこと。
 今までの俺には、到底及びもつかなかったこと。
 だからこそ。

「……分かった」
「ん?」
「俺も、私怨のために此処まで来た。それを思いとどまらせる機会を、お前はくれた。だから、俺もその恩に報いようと思う」

 きょとんとした表情をしていた魔王だが、やがて泣きそうな笑顔に変わる。俺は照れくさくなって微妙に目をそらしたまま右手を差し出した。その手が、おずおずと握られる。
 これで、良かったのだろう。人間と魔物の共生。それが本当に実現できるかどうかは分からない。だけど、互いに対立する二つの勢力から、同じ目標を掲げる一組がここに生まれた。これは、そのまま実例になる。
 人間と魔物、ともに世界に生きるための。



「あぁ、有名な話だが、眉唾なんじゃないか?」
「そうですか……結構信憑性のある文献だと思ったのですが……」
「まぁ、いろんな話がごっちゃになって伝わるなんて事は、良くある。特に、魔王の話は数が多い上にどれも伝聞でしか無いから、尾ヒレの一つや二つはつくだろう」
「そうですよね。ありがとうございました。また立ち寄ります」
「おぅ、またな、詩人のにぃちゃん」

 私はため息をつきつつも、司書の男に手を振って図書館を後にした。ここでも私の求める真実は明らかにならない。
 魔物達による被害が著しく減少してから、およそ十年になる。散発的に旅人が襲われることもあるが、たいていは空腹の魔物の仕業か、大人しい魔物にちょっかいを出した人間の自業自得の結果だ。
 勇者の公募も廃止されて久しく、ファスタラント王が獅子王ゼイラムから白鳳王アヴァロンに継承されてからは魔物の討伐隊も解散された。魔物の驚異は去ったとの判断だが、その裏には魔王、そして魔王とつながりを持つ謎の青年との密談があったとの噂がある。
 魔王のなりはまるで子供のようだが、驚くほど理知的で聡明であったという。また、青年は交渉術に長け、魔王と白鳳王の対話にも第三者としてかなりの役割を果たしたという。
 どんな内容の密談だったのかはもとより、本当にそれが魔王であったのかも定かでは無いが、事実人間は今や魔物の脅威に怯えること無く、安寧の生活を謳歌している。魔物という共通の敵がいなくなったことで国同士の軋轢は増したが、その調整役にも青年が動いていたという。しかし、何故かその存在について誰も口を割ろうとしない。
 その後、誰も魔王の姿を見ることはなかった。魔王城のあるエンドリオンには何人も立ち入らず、彼の地は暗黒の地となっている。魔王はそこにいて、今も魔物達を統率し、静かに暮らしているという。
 そして、青年も行方をくらまし、ただ調律された世界だけが残った。
 誰も、彼らを知らない
 ただ、彼らの残した世界だけが、緩やかな時の流れを歩んでいく。

 静かに。
 ただ、静かに。




【 あとがき 】
 「まおゆう」リスペクトであることをここに告白します○∠\_
 「選択肢のある作品って今まで無かったよネ!」って言う思いつきから始まった作品であることも此処に告白します○∠\_
 コメディーから徐々にシリアスへって言う流れにしたかったんだけど、なかなか上手くいかずに唐突なシリアス展開になってしまったところが反省点……出直します○∠\_


『 道化師の部屋 』 Clown

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