Mistery Circle

2017-08

《 ピンクシュガー 》 - 2011.09.01 Thu

《 ピンクシュガー 》

著者:辻マリ




目の前に、まさに戦場そのものの光景がひろがっていた。
育ち盛り喰い盛りの男子高校生の集団が、惣菜パンのケースに群がっている。
「おばちゃん焼きそばパン1個!」
「おばちゃんサンドイッチ!たまごの奴ちょうだい!」
「おばちゃーん珈琲牛乳くださーい!」
我先に惣菜パンやパックジュースを入手しようと押し合いへし合いの大騒ぎ。
昼休みのチャイムが鳴った数秒後の購買前だ。
もう少し先に足を延ばせば食堂で多少値上がりするがもっとボリュームのある定食が食えるのに、どうしてこいつらは惣菜パンに群がるのだろうか。
豊は溜息をついて、スタートダッシュを決めた集団の後ろから傍観を決め込んでいる。
TPOの観点から言うと、目の前の戦場に足を踏み入れるべき状況なのだが、どうにも一歩が踏み出せない。
何かを恐れているわけでは無い。
心の内は非常に穏やかである。
かと言って、いつもそんな心境なのかと言うとそうでもない。
昨日の彼なら、傍観などせずむしろ積極的にあの集団の中に飛び込んでいただろう。
だが、今日と昨日では全く状況が違っていた。
今日の豊は、昼休みの惣菜パン争いを観戦する余裕を持っている。
どうしてそうなのかというと、つい数分前まで彼のクラスが調理実習をしていたからだ。
ちなみにメニューはもうすぐ夏も近づくと言う事で、冷やし中華と海草の酢の物。
レシピの都合上、薬味を刻んで混ぜ合わせたタレを掛けて食すだけという、よくもまあ高校の教科書にこんな手抜き料理を載せる気になったもんだと感心したくなるメニューだが、一応麺類なので、適量の炭水化物を摂取して程よく腹が膨れていた。
なので、彼が今購買前にいる理由は、昼食確保ではなく、デザート物色なのである。
腹にたまる、ソース系の惣菜パンは腹をすかせた連中にくれてやってもいい。
弁当を食べる手間が省けた分、余裕のある昼休みを過ごすついでに摘める何かが有ればいい。
特に好き嫌いが有るわけでは無いから、まあ別に余り物でも良いか、ぐらいの心境だった。
そうやって余裕綽々で争奪戦の傍観を決め込むこと数分。
「おばちゃん、これと、これ」
人のはけてきた購買で、彼はようやくデザート物色を開始し、80円のマドレーヌと、苺チョコのコーティングされたドーナツを一つ手にとって会計を済ませる。
さて教室に戻ろうかそれとも屋上か中庭で食べようかと考えをめぐらせていると、横から不意に声がした。
「あんた、それで足りるの?」
女子の声だ。
声のした方向を向いて、最初の一瞬だけ彼は戸惑う。
其処に顔が無かったのだ。
首をかしげて下を向くと、豊の肩ぐらいの位置から、随分小柄な女子が彼の顔を見上げていた。
知ってる顔では無いから同級生ではない。
襟元の校章を確認すると、彼よりも上の学年だった。
そしてその腕に、大量の惣菜パンが抱えられていた。
購買で買ったにしても多い。
何人分だろうか。
まさか、一人で全部平らげるなんて事は無いだろう。
「…てか、誰?」
首を傾げた豊に、女子生徒は答えずに一つ惣菜パンを差し出して来て言う。
「あげる」
「あ?」
見下ろすと、差し出された手にはコロッケパンが一つ載っていた。
「男子がそれじゃお腹空くでしょ」
「いや…」
調理実習の後だから別に腹は減っていない。
そう告げると、彼女は少し気まずそうに目を伏せた。
自分の行動が要らないお節介だったと気付いたらしい。
その表情に、豊は申し訳ない気分になった。
何気ない一言で女子を傷つけてしまったかもしれない。
別に、そんな事を考える必要は無かったのだが、何となくこのままでは後味が悪いような気がして、言葉を続けていた。
「…俺、放課後部活有るから、やっぱ貰っとくわ」
言いながら、女子生徒の手に載ったコロッケパンを受け取って、代わりに苺チョコドーナツをその掌に載せる。
小学生かと思うほど、小さな掌だ。
「ありがとな。俺、二年の楢崎豊」
惣菜パンと菓子パンの交換を伏せたままの目で追っていた女子生徒は、豊が名乗ると同時に顔を上げて、少し引きつった顔で、それでも嬉しそうに笑い、彼に倣って自己紹介をする。
「どう…いたしまして、私は、長谷部唯。三年生」
あまり、女子らしくない笑顔だった。








「三年の長谷部?」
「うん」
10分後、豊は付き合いの長い友人のクラスに足を運んでいた。
唯とはお互い名前を名乗っただけで終わり、購買前で別れたきりなのだが、小さな背中が廊下を曲がって消えるのを確認してから、急に彼女の事を知りたいと言う知識欲が湧き上がったのである。
その結果、学校中の女子の顔と名前が一致すると豪語する友人に聞けば良いのではなかろうか、という発想に結びついた。
「お前、女子なら皆知ってるって前言ってたろ?」
弁当を食べ終わり鞄にしまっている横顔に確認するような問い掛けを投げると、彼は大きな目を見開いてこちらを向く。
「知ってるよ。三年4組の、唯ちゃん先輩。部活は陸上部で委員会は図書委員。身長は140cmで3サイズと体重は…」
立て板に水を流す勢いで女子生徒のプロフィールを語り始めた友人に、豊はそこまで聞いてないと制止をかける。
「てか、なんで【ちゃん】付けなんだよ」
「唯ちゃんって感じでしょ?小さくて可愛いし」
「…」
指摘に笑顔で言い返す友人の言葉に、豊は、唯が可愛いかどうかはさて置き確かに小さかった事を思い出す。
特別長身と言うわけでもない彼の、丁度肩口辺りに頭の天辺が来るほどの背丈なのだから、言わなければ中学生くらいに見えるかもしれない。
顔立ちも注視していたわけではないからはっきりとは覚えていないが、どちらかと言えば幼かった気がする。
「で、唯ちゃん先輩がどしたの?」
思い出している途中で横槍が入った。
「んー…パン貰った」
教室から廊下に身を乗り出す友人に、生返事に近い言葉を返す。
返答自体は半ば無意識だったが、事実を的確に伝えた。
「へーえ?」
伝えた事実に対し、友人は目を丸くする。
どうやら、豊の報告は彼の予想する内容と随分違うものだったらしい。
「ラッキーじゃん、豊」
彼は、窓枠に肘を突いて豊の顔を見上げ、ニヤニヤと笑い出す。
物凄く下世話な笑顔だ。
何がどう幸運なのか、友人が言いたい事がなんとなくわかる豊は、敢えて何も言わず目の前の頭を軽く小突いておいた。









友人を小突いた後、派手に痛がる彼を置き去りにしてフラフラと校舎内を歩き回り、更に数分。
天気も良いので屋上まで行こうかと思い立った豊は、その思考通り階段を上がっていた。
本当を言うと人の居ない場所で残りの昼休みを過ごしたかったのだが、窓の外がとても綺麗な青空だったので、別に他に人が居ても良いかと言う妥協にたどり着いたのだ。
そうして、屋上へ続く踊り場に足を乗せた所で、先客を発見した。
屋上にではなく、屋上の出入り口手前の階段に座る、つい先ほど購買で見かけた顔。
「あ」
思わず声の出た豊とは対称的に、彼女は黙ってこちらを見ていた。
傍らには先ほど購入した中に有ったのだろう、惣菜パンの空き袋とパックジュース。
膝の上には、豊からはタイトルが読み取れないが、何かの本。
まるでこの空間が自分の部屋であるかのように、くつろいだ表情をしている。
喜怒哀楽のどの感情も浮かんでない、素の表情。
体も手も顔も、全体的に作りが小さい上に、黙ってこちらを見る瞳がとても澄んでいる。
人形みたいだと思った。
「また会ったね、楢崎」
けれど、人形は彼の想像を裏切って肉声を発する。
その声は紛れも無く、十数分前に購買前で聞いた声だった。
「…さっきはどーも」
まだ封を切ってないコロッケパンを顔の前に掲げて一礼すると、豊は階段を途中まで上がり、唯の隣に少し距離を置いて座る。
屋上へ続く階段を二人でふさぐ形になったが、別に構いやしない。
誰かが通る時に避ければ良いのだ。
身体一つ分間を開けて座り、また本に視線を落とす唯の横顔を見る。
「何読んでんすか?」
小さな手がページをめくるのは、ハードカバーの小説のようだった。
「…小説」
問いかけてから数秒で返事が返ってくる。
真剣な横顔は、こちらをちらりとも見ようとしない。
文章を目で追う事を優先しているから、ワンテンポ遅れての返事なのだとすぐわかった。
どんな話なのか、粗筋を聞いても良いのか。
考えて、豊は何も聞かないことにした。
あまりちょっかいをかけて、この横顔を歪ませるのは本意では無い。
本に興味が有るわけでもないし、唯に構って欲しいと思っているわけでもないから、無駄な発言はしないことにする。
横顔を見詰めていようとも思っては居ないから、視線を人形のような小さな顔から外して、屋上に続いてる扉から見えている青空に移す。
今日は本当に良い天気だ。
立て付けの悪い扉からの隙間風が涼しくて気持ち良い。
授業が無ければ、昼寝でもしたくなるくらいの。
「……」
壁に背中を預け、唯が小説のページをめくる音だけ聞いていると、ふっと意識が軽くなる。
誰かが階段を下りようとする足音に、自分が本当に寝てしまっていた事に気付いた。
「予鈴鳴ったよ?」
目を開けると、階段の踊り場まで下りた唯がこちらを見上げている。
ほんの一瞬意識を失った程度の感覚だったのだが、実際の時間はかなり流れているようだ。
「…あー、やべえ、次移動だ」
眠った後特有の気だるさに背伸びしながら、コロッケパンを抱えて階段を下りていく。
豊を急がせる為か道を譲る唯が笑うのが、肩の下あたりから聞こえる。
「急ぎなよ楢崎」
色気の無い呼び方だ。
可愛らしく呼んで欲しいわけでは無いが、何となく残念に思う。
何がどう残念なのかは、説明が思い浮かばない。
すれ違う時に見えた、唯が手に持ってる小説のタイトルは、日本語ではなかった。










次の日、豊はなんとなく持って来た弁当を片手に教室を出た。
途中、食堂横の自販機でジュースを買って、昨日と同じ、屋上手前の踊り場を目指す。
窓の外に見える空は雲が多い。
夕立でもきそうな天気だ。
踊り場に足をかけ、屋上に続く階段を覗き込むと、其処には昨日と同じように唯が居た。
今日も、あのハードカバーを抱え、ページをめくっている。
傍らには、小柄な彼女が食べるには少し大きいように思う弁当箱が風呂敷に包まれて鎮座していた。
「隣、良いっすか?」
声を掛けると、生返事が帰ってきたので昨日同様身体一つ距離を開けて座り、弁当を食べる。
何の会話も無いまま、豊は弁当を食べて、唯は本を読む。
会話をしたいと少しは思ったが、別に必要だとは思わなかったので、しばらくの間はお互いに無言で過ごした。
立て付けの悪い扉から、塩素臭の混じる風が吹いてくる。
先週から水泳の授業が始まったばかりのプールは、今年も大量に塩素剤が投げ込まれている事だろう。
この日の昼休み、二人が交わした会話は、最初の隣に座る了承以外は、
「なあ、先輩」
「何?」
「明日も、俺来て良い?」
「良いんじゃない?」
これだけである。
その間、二人の座る距離感は全く変わらず、唯はひたすら小説を読み、豊はずっと小説を読む唯と、その頭の上の窓から見える空を眺めていた。
頬杖をついて、曇り空だと今一つ絵にならない光景だと感じながら、彼はただぼんやりと午後の予鈴が鳴るのを待つ。
ほんの少し、予鈴が鳴らなければ良いのにな、と思って、どうして自分がそんな事を思いつくのだろうと頭の隅で考えながら、小説に没頭する少女の横顔を見詰めていた。
そんなやりとりが、一週間ほど続いて、曇り空は梅雨の湿気を連れてきて、生徒全員が夏服に袖を通す頃、状況が少しだけ変わった。
豊が昼休みに屋上手前の踊り場に行くと、其処には誰も居ない。
珍しく自分のほうが先に到着したのかなと思って、何時もの場所に腰掛けて弁当を食べる。
しばらくぼんやりして時間を潰し、雨が降る窓の外を眺めていたが、唯は一向に現れない。
結局予鈴が鳴っても、その日、彼女はやって来なかった。
委員会の当番の日だったのだろうと当て推量で妄想し、豊は午後の授業に向かう為階段を下りる。
教室に戻る途中、三年生の教室が目に入った。
丁度、唯の居るはずのクラスだと気付いて、何となく教室の中の生徒達を目で追いかける。
「…」
唯が居た。
多分、自分の席なのだろう場所で、彼女は今日も小説を読んでいた。
何時もと同じ、人形のような顔で。
周りで騒いでいる様子の生徒達には目もくれず、ひたすらページに集中して。
近付いて声を掛けたかった。
けれど、上級生の教室だと言う認識が先に立って、午後の授業が間もなく始まるのも有って、出来なかった。
どうして、自分は彼女の後輩なのだろう。
同級生ならこんな時、遠慮無く教室に立ち寄って、直接話しかけられるのに。
自分の教室に戻りながら、豊は理由の見つからない悔しさに、奥歯を噛み締めた。









それから三日。
豊はずっと一人で昼休みを過ごした。
屋上手前の踊り場で、唯が居てもいなくても変わらない無言の昼休み。
梅雨入りした空はあれからずっと雲に覆われていて、雨を降らせ続けている。
鉄筋コンクリート製の校舎は、もうそろそろじめじめと湿気出す気配を漂わせて、余計に気分を落ち込ませた。
別に、何か会話をしたわけじゃない。
共通の趣味があるわけでもない。
お互いの事は、学年と名前ぐらいしか知らない。
正直な話、接点なんて無い。
初めて会ってからまだ10日。
其処から一週間、ただ何となく同じ場所で昼休みを過ごしただけの、一年先輩の女子生徒。
それが隣に居ないだけで、豊は自分でも驚くぐらい落ち込んでいる。
恋でもしたかと笑う友人に、わからないと答えた。
照れているわけじゃない。
本当に自分の感情が何なのか判らなかったのだ。
この年頃の恋というのは、もう少し為り振り構わず、互いの事しか目に入らない衝動のようなものでは無いのだろうか。
そういうイメージを彼は持っていたし、実際周囲で付き合っているという男女を見てもそんな感じなのだから、そうなのだろう。
だとしたら、豊の抱えるこれは恋心では無い。
例えて言うなら、日常生活の中に当然ある物と思っているパーツが一つ、何の前触れも無しに消えてしまって面食らうような感覚。
別に無くても困りはしないけれど、有るのが当然と思っていた物が姿を消してしまったかのような。
「携帯失くした時ってこんな感じだろーなー…」
携帯電話は持って無いしまだ親が許可してくれないから、実際どういう感覚なのかは分からないけれど。
考え始めると何もかもが億劫になって来て、いっそこのままわざと昼寝して午後の授業をボイコットしてやろうかと溜息をついた丁度その時、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえた。
こんな雨の日に屋上に出る奴は居ないと思うが、誰だろうか。
食後の眠気を振り払い、登ってくる音を待ち構える。
「あぁ、居た」
踊り場に小さな足が乗って、軽い動きで小さな顔がこちらをのぞきこんできた。
相変わらず、必要以上には感情を出さない顔。
四日ぶりに正面から見る唯の顔だった。
「楢崎、久しぶりー」
表情も話し方も、四日前と何も変わらない。
違う点を上げるとすれば、今日の彼女は手に小説を持っていないと言うことだろうか。
手には、小説の代わりに小さな箱を携えている。
豊も良く知っている、コンビニやスーパーで買える、棒状の焼き菓子にチョコレートをコーティングしたあれだ。
その小さな箱を抱えて、唯は階段を上がると彼の隣まで来て、
「隣、良いかな?」
訪ねて、豊が頷くのを待ってから、身体一つ距離を空けて階段に座る。
そうして手に持っていた箱から、中身の菓子を取り出して豊に差し出す。
「あげる」
「…あ、あざっす」
差し出されるまま、一本抜き出して思わず目を丸くする。
普通のチョコレートかと思いきや、ピンク色の苺チョコレートで覆われていた。
ふと、初めて出会ったとき交換した苺チョコのドーナツを思い出す。
「先輩、苺チョコ好きなんすか?」
尋ねると、唯は笑って首を振る。
「一番好きなのは普通のチョコ。苺チョコは4番目くらい」
言いながら、箱から一本取り出して食べて、首をかしげる。
「苺チョコって、変だよね」
「?」
突然何を言い出すのかと横顔を見詰めると、彼女は半分になったそれをじっと見詰めながら話していた。
「ピンク色だから、甘いのかと思ったら、実はそんなに甘くなくて、どっちかって言うと酸っぱい時も有って、でもチョコレートの仲間で、しっかり砂糖が入ってるの。こんな色でもちゃんとチョコレートだって皆が言ってくれるの。良く考えたら、結構変だよね。普通のチョコレート食べれば良いのに、わざわざお金払って、甘くないチョコレート選ぶんだもん」
何か真意が有るのか、それとも単純に疑問に思って口に出しているだけなのか、豊が判断に困っていると、唯は苺チョコから目を離し、豊の顔を振り向く。
その時初めて気付いた。
彼女の目が、初めてこの踊り場で見詰め返した時のような澄んだ瞳ではなくて、泣き腫らしたような充血した目になっていることを。
「なんでかな」
唯は赤い目で彼の顔をじっと見詰めて、手にした菓子を指揮棒のように振って話す。
「何で私、楢崎よりも一年先輩なんだろう」
数日前に自分が考えた事と同じ意味の言葉を呟き、続いて溜息がその小さな口から零れるのを見て、豊は何となく事情を察した。
あの一週間、毎日のように二人此処で昼休みを過ごした事で、多分誰かに何か言われたのだ。
やましい事など何も無いのに。
ただ何となくお互い同じ空間にいただけなのに、それを咎められたのだろう。
理不尽だが、学校と言う空間の中では良く有る話なのだ。
違う学年の生徒とつるんでいると、同級生の友達を作りなさいとしたり顔で説教をしたがる連中が集まってくる。
まるでそれが絶対のルールだとでも言いたそうに、仲間同士を引き裂きに来て、人が傷つく顔を見て満足そうに去って行く。
豊のところにはそういう連中が来ては居なかったが、恐らく、唯の所には来たのだろう。
そうして、傷つけられたのだ。
何一つ悪い事などしてないのに。
「先輩」
豊は、更に何か言おうとしている唯の言葉を遮って告げる。
先に言わなければ意味が無いと思った。
「俺は、一週間アンタと居て、迷惑に思った事なんて全然無いから」
そもそもこの屋上手前の踊り場に居た先客は唯で。
豊は後から其処にやってきた側で。
遭遇してからは、此処に来れば唯に会えると思って、意図して足を運んでいた。
言葉も大して交わしてないのだから迷惑も何も無い。
むしろ、唯が迷惑に思う側のはずだ。
「先輩は、俺が毎日此処に来て嫌だったり、迷惑とか思ってたんすか?」
確認するように問いかけた先で、唯は目を丸くしている。
小さな口が開いたり閉じたりして、何か言おうとして、迷ってを繰り返しているようだった。
そうして数秒が経過して、沈黙の代わりに雨音が耳に届く頃になって、彼女は言葉ではなく、箱の中からもう一本菓子を取り出し、豊の口に当てる。
「…もう一本、あげる」
言われるままに口に含んだピンクのチョコレートは、ほんのり甘酸っぱい、けれど砂糖菓子特有の食感だった。
それを噛み砕く豊の顔から目を逸らしながら、唯は消え入りそうな声で「ありがとう」と呟く。
目尻がほんの少し涙とは別の何かで赤くなっているのが見えて、それが何となく、可愛いと思った。







次の日、豊は同じように屋上手前の踊り場に居た。
唯はいない。
昨日の雨は止んだが、窓の外の空は雲に覆われている。
隙間風はじっとりと湿気を纏い、快適には程遠い。
此処に来る前に図書室に立ち寄り、入学して課題以外で初めて図書カードを使用した。
借りてみたのは、初めて会った日に唯が読んでいた小説。
中身はちゃんと日本語だったが、文章を目で追いかけても中身は少しも頭に入ってこなかった。
元々、本を読むのは余り好きではないけれど、それ以上に本の内容よりも、唯が今何処で何をしているのだろうかと言う考えが頭の中を占めていた。
図書室には居なかったから、委員会の当番ではなかったのだろう。
だとしたら教室に居るのかもしれないが、階段を上がる途中覗いた教室には姿が見えなかった。
学校を休んでいるのかもしれない。
一瞬、休みなら見舞いに行きたいなと思ってから、唯が何処にすんでるのかも知らない事に気付く。
本当に、彼女の事は何も知らない。
小説を読むのが好きで、甘いものが結構好きな様子で、人付き合いはどうやら苦手で、でも面倒見が良くて、お人よしで。
それぐらいしか知らない。
何やってんだと独り言を呟いて、それから人の気配を感じて豊は小説を閉じる。
誰かが階段を上がってこちらに近付いているのが分かった。
足音が響く。
踊り場に足を掛けこちらを覗き込んで来たのは、誰だったか全く覚えの無い顔の男子生徒だった。
「二年の楢崎か?」
問い掛けに頷くと、男子生徒は腕組みをして眉をひそめる。
「長谷部は今日は学校を休んだ。どうせ仮病だろうな」
物理的には下の位置に居るのに、随分と偉そうに話しかけてくる奴だと思う。
唯を呼び捨てにしている事から、多分この生徒は三年生なのだろうと踏んで、豊はしばらく黙って様子を窺ってみる事にした。
「校内で男女が親密にするのは風紀を乱す行為だと指摘してやったら途端にしょぼくれて落ち込んで見せて、お前はお前でこれ見よがしに一人きりでも此処に通い続けて、被害者ぶるのがわざとらしいんだよ」
こちらが黙っているのを良い事に、この三年男子は好き放題言うつもりらしい。
お喋りが好きなのは良く判る。
それと、唯を泣かせた原因の一人がこの男であることも分かった。
豊は無言で立ち上がると階段を下りて、三年男子の居る踊り場まで降りる。
ほんの少し目線を上に上げると、彼を睨み付ける顔が有った。
「何だその目は」
豊は睨んだつもりは無かったのだが、どうやら目つきが気に入らなかったらしい。
「俺と先輩が親密にしてるって、誰かがアンタに話したんすか?」
謝る必要は無いと感じたので代わりに質問を投げかけると、彼は口角を上げ、相手を馬鹿にしている態度を隠そうともせずに笑う。
「毎日毎日、下級生が教室の前の階段を上り下りしてれば嫌でも目に付くからな」
返ってきた言葉は豊にとっては答になっていないし、顔を見ているだけで腹立たしかったが、正直なところ上級生にたてつくほどの気力はなかったので首を傾げるだけでやり過ごす。
「…何か勘違いしてるみたいですけど、俺と先輩は、手も繋いだ事無ぇっすよ」
溜息と共に一言付け加えるように言い返し、15ページで飽きた小説を返そうと図書室に向かおうと三年男子に背中を向ける。
面倒事はごめんだった。
けれどその背中に、引き止めるような一言が投げかけられる。
「その程度がお似合いだ。ルールに従えない半端者同士、馴れ合ってれば良いんだよ」
声に振り向くと、目と鼻の先で、男は見下した笑みを浮かべていた。
我慢しようと思っていたがもうそれ以上は我慢がきかず、気付いたら持っていた本の角で殴り飛ばしていた。
高校二年生の一学期。
その日豊は、生まれて初めて【停学処分】を受けた。
後から唯は、本を武器にするなと、少しだけ彼を叱った。
今でも、二人はたまに会っている。



《 ピンクシュガー 了 》



【 あとがき 】
三連休?何それ美味しいの?
と言う訳で連休どころか不定休のサービス業勤務、辻です。
今回もやっぱりぶつ切り作品ですね。すみません。

【 その他私信 】
宇宙戦艦ヤマトの実写映画をDVDで見ました。戦闘班は別にヤマトとGANTZまるっと入れ替わっても問題なくね?これ。特に池内とキムタク。
それはそうと9月はサッカー好きに優しい季節のようです。
五輪予選にW杯予選に…。
特にどの人種と言わず色んな国が好きなので、時間が許す限りサッカー見ていたいくらいです。

【 お題当てクイズ回答 】
今回も分からないんですがもしかして京極夏彦かなあ…?

辻マリ
mixiアカウント
 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=5098176

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/tb.php/207-8389ff1b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

《 ろーぷれ! 》  «  | BLOG TOP |  » 《 それも一つの愛のカタチ。 》

プロフィール

MC運営委員会

Author:MC運営委員会
このブログの八割は、カボチャで構成されております。

カテゴリ

Mistery Circle(メインカテゴリ) (39)
寸評 (29)
MCルール説明 (1)
お知らせ (35)
参加受付 (23)
出題 (34)
メールフォーム (3)
内藤クンのおもちゃの部屋 (8)
天野さんの秘密の部屋 (8)
Ms.伍長の黙示録の部屋 (0)
伊闇かなでの開かずの部屋 (4)
未分類 (27)
亞季 (2)
いつき (1)
伊闇かなで (2)
空蝉八尋 (4)
黒猫ルドラ (12)
ココット固いの助 (21)
桜井 (1)
桜朔夜 (1)
鎖衝 (11)
知 (21)
しどー (12)
瞬 (3)
白乙 (12)
すぅ (13)
すずはらなずな (29)
田川ミメイ (2)
辻マリ (14)
夏海 (3)
七穂 (1)
氷桜夕雅 (30)
ひとみん (4)
松永夏馬 (12)
望月 (8)
幸坂かゆり (21)
李九龍 (13)
りん (3)
ろく (1)
Clown (12)
MOJO (1)
pink sand (9)
rudo (8)
×丸 (4)
MC参加者に聞け (7)
Mistery Circle ヒストリー (1)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム