Mistery Circle

2017-07

《 僕の嫁【後編】 》 - 2012.07.06 Fri

《 僕の嫁【後編】 》

 著者:六曜日







【和魂奇魂荒魂】

海上に墜落してもおかしくはない致命的な損傷。

にも関わらず散華の八咫烏と羽女の鳳凰は驚くべき早さで今再生しつつある。

時を待たず羽女と散華の手にした榊と神剣による攻防は続いた。

散華は右手に剣、左には八咫烏を御す黒い轡を握りしめていた。

一太刀一太刀が不可視な早さ…まるで閃くパルスのような羽女の剣技。しかし散華は軌道を読み切り全てを受け流す。

羽女は散華に息つく暇も隙も与えない。

僕たちは黒い仮面をつけた寡婦が犇めく敵陣の中。

しかしこの二人の戦いに誰一人割って入る事は出来なかった。

「どうしました姉様?重力改変は?羽女に荷す業とやらは…今日は使えませんか!?」

今の羽女は重力の重圧から解き放たれ宙を舞う戦神だ。

勝てる!

このまま手を緩めず押しきる事が出来れば勝てるかも知れない。

「調子に…!乗るなあ!!」

散華の降り降ろした剣威に弾かれた羽女が鳳凰の翼に舞い戻る。

いや押し戻されたと言うべきか。

散華の強さに加え八咫烏の異様さに改めて戦慄を覚える。

「天の鳥舟である八咫烏まで改変するとは!姉様なんて事を!?」

「あんた今時携帯くらい持った方がいいよ…デコとか知らないだろ」?

デコって八咫烏の顔についてるルビーみたいな赤い複数の目の事だろうか。

「姉様が各地の神社から盗んだ八咫の鏡はそのような目的で使うものではありません!」

「ただ飾っとくだけよりいいだろう。私はぴんと閃いちまったのさ…八咫の鏡だけにね!」

八咫の鏡って8個もあるのか。

それとも分割したのか。

神をも恐れぬとはこの事だ。見たところ7つしかないみたいだけど。
「寡婦たちを宙に浮かせ海を歩かせ!これも重力操作のなせる技…此れほどの力がありながら!」

僅かな隙や間が命とりになる。

散華は何を仕掛けて来るか分からない。

上空に光るものがあった。

「G!R!A!V!I!T!Y!!!!MARIAR-GE!!HAMMERRRRRRRRRR-!!!!!!!」

絶叫と共に隕石のように燃え盛る大槌を振り上げながら天空から降りて来る者がいた。

「撫子!?」

「ミントちゃんか!?」

「喰らうのです!!」

槌は散華の翳した人差し指前でぴたりと静止した。

ミントちゃんは歯ぎしりして槌を降り下ろそうとする。

しかし空中で静止した槌はまったく動かない。

「何だ、お前は?」

「あ・姉様お初です」

「お初だな。剛力に…貴様も重力使いか。面白いがまだまだだ」

「ぐぎぎぎぎき」

「ミントちゃん頑張れ!僕も力を貸すよ!!」

白無垢の背中から裕が顔を出す。

「あ…ちょっと!裕君変なとこ触ったらダメなのです…や…だめえ!」

「珍妙な。二人羽織か」

「裕君はこの世界の人じゃないから他の夫婦みたいにフォーム・チェンジ出来ないです」

「ごめんミントちゃん…僕足引っ張ってばかりだ」

「でも、ミントは!ミントは姉様たちに勝って認めてもらいたいのです!姉様にもお兄ちゃんにも…裕君のお父さんとお母さんにも!裕君がミントをさらってくれてミントは幸せだけど…裕君時々辛そうなのです。晴れて三國一の夫婦とミントと裕君は呼ばれたいのです!!」

「ミントちゃん」

「一つ、よいか」

「はい?」

「この鳥舟は本来神の乗り物。貴様達のような者が触れる事も上から見下ろす事も許されない」

言えた義理ではないが。

「ご・ごめんなさいです!?」

八咫烏の首が大蛇のように伸びる。ミントと裕の目の前に鎌首をもたげる。

「へ・蛇は嫌い…」

「撫子」

「ミントちゃんてみんな呼びます」


八咫烏が嘴を開ける。

その中には八咫鏡。

「撫子!」

「二人とも逃げろ!!」

「祝儀だ」

散華が左手に持った轡を強く握りしめた。

ミントと裕は閃光に包まれ…跡形もなく消えた。

「夫婦よ幸多かれ美しくあれ…だが私はバカップルは嫌いだ」

「撫子!実の妹になんて仕打ちを!姉様許しません!!」

「つまらぬ。雑魚に切り札を使ってしまった…これは力が満ちるのに時間がかかるのが難点だ」

元の位置に戻った八咫烏の目は静かな海の色に変わっていた。

せっかく…せっかく弟と嫁…いや妹、家族に会えたと思ったのに。

「散華…!絶対にお前を許さない!!」

空間に武器を手にした白鷺の兵が現れる。

「宴も酣だが。そろそろお仕舞いだ」

散華は悪びれる様子もなく手にした神剣を一振りする。

「やはり鳳凰の方が再生が早いか…それとそこにいるやつらに飛び回られては的が絞り辛い」

散華が天に剣を翳すと申し合わせたかのように寡婦達が白鷺の体に組み付き動きを封じ込める。

僕の目の前にも寡婦が現れ羽女の元に行く事が出来ない。

「何だお前!?放せ!!」

寡婦は執拗に体にまとわりつき離れない。

「高砂神社に古来より伝わる神剣。その名を申してみよ円乗羽女」

羽女は黙して語らない。

「恐ろしくて口にも出来ぬか…この天羽々斬。貴様と鳳凰を殺す剣だ」

天羽々斬は高砂神社に伝わる門外不出にして全ての神剣の祖神と呼ばれている。

鳳凰に縁の祭主が自ら命を絶つための剣とも謂れる宝剣だ。

「切り札は最後まで。お前の最後に相応しい剣だ」

目の前をテレビカメラを担いだ寡婦が通り過ぎる。

散華と羽女をカメラで撮影する様が何とも異様だ。

「今流行りのパブリック ビューというやつだ。国営放送局は我々カフカ島民が制圧占拠した」

妹殺しをテレビ中継するつもりか!?なんてやつだ!!

その頃高砂神社にある放送局では薫さんは寡婦の集団に襲撃を受け身柄を拘束されていた。

【動くな】

寡婦の一人が彼女に銃を突き付けADのようにスケッチブックにマジックで書いた文字を見せた。

「ふざけた真似を!円乗様…」


「ふざけた真似しやがって!放せ!!」

あまり怒りに語気を強め僕は寡婦の腕を振りほどこうともがく。

その時ふいに僕を掴んでいた寡婦の力が緩んだ。

僕を見上げる仮面。その表情は読み取れない。

しかしその仮面の奥にある瞳はとても悲しげに見えた。

「時田…さん?」

彼女の右腕に喪章のように嵌められた腕宛を見て僕は思わず呟いた。

彼女は一度顔を伏せ僕を見上げると自らの喉に人差し指を当てた。

彼女は僕の元を離れ寡婦の軍勢に紛れて消えた。

「羽女!!」

僕は彼女の名前を叫び彼女の元に駆け寄る。

誰が何をしたとか、そんな事はどうでもよかった。

ただ、こんな馬鹿げた事は終わりにしよう。

それが出来るのは世界中でたった一人円乗羽女だけだ。

「天羽々斬により貴様は羽根を切られ地に墜ちる。次に貴様が目覚めるのはカフカ島。手足を切り落とし顔を潰し…だが片目だけは潰さず残してやろう。お前の愛した世界が変わる様を、愛した男が私の靴底の下で寡しづく様を死ぬ事も出来ず見続けるのだ」

「姉様」

羽女は目の前に榊を掲げる。

「神通力を通したとはいえそんな木葉で天羽々斬の斬撃を凌げるとおもうか?」

「姉様が手にしたそれは天羽々斬ではありません」

「そんな子供騙しの嘘に私が…」

「羽女は嘘は申しません。それは天羽々斬という神社に伝わる奉納品、ただの古錆びた銅剣です」

「私はこの神剣によりカフカ島の結界を切った!」

「鰯の頭も信心から」

「な…んだと!?」

「たとえ腐ろうが冥府魔道に墜ちようが姉様は由緒ある高砂神社の元祭主。其ほどの力をお持ちの姉様が真の神剣と信じて疑わず振るえば結界など切るは容易い事。元より姉様には神道系の呪には耐性があります」

確かに散華は結界に阻まれたカフカ島と本土を一人だけ自由に行き来していた。それに羽女の言葉…今空を飛ぶ鳳凰は先程まではただの巨石に過ぎなかった。

「この剣がただの銅剣」

「神社は神が依り集う美屋、しかし普段そこに神は居りません。宮にある神木、鏡、剣、それら全て御神体と呼ばれるものは依代に過ぎないのです」

一見感情を持たない人形のような佇まいの彼女だが。

僕には分かる。

此迄の散華の度重なる暴挙に対し彼女は今抑えきれぬ怒りを解放しようとしている。

「祭主であった頃より煩わしい神事を私に任せ武芸に精進するのはよしとして下らぬゲームや漫画にうつつをぬかす被害妄想中2病三昧の姉様なれば…最後の最後に詰めを誤るのです」

散華の(おそらく)本質を言いきった。

しかし散華は動じない。

「鰯の頭か…良い事を聞いた」

「そんなにご覧になりたければ見せて差し上げます」

羽女は瞳を閉じ祝詞を唱え始める。

散華は銅の剣を高々と天に掲げる。

「我の鰯に集え寡婦共の魂よ!怨念よ!嘆き!悲しみ!我の元に!我と共に!!!

寡婦達の体が黒霧となって散華の剣に集まる。

羽女が祝詞を唱えるより早く、散華は剣を降り下ろした。

「亡き者への悼み!恨みと共に散るがよい!!」

僕は羽女の前に立ち彼女を押し退けた。

羽女は突飛ばされて後方に尻餅をついた。

しかし一度トランス状態に入ってしまった彼女の口から奏上が途絶える事はなかった。

「懴剣霊華」

散華が放った黒の斬撃は鳳凰を真っ二つに切り裂いた。

「思い知るがいい」

僕は切り崩された鳳凰の半身と共に雲の下に転落した。

「貴様!まだ墜ちぬか…やはり、あの少年捨て駒にしたか」

「捨て駒などにしない」

祝詞を唱え終えた羽女が立ち上がる。そうとも。

「捨て駒などにしない、それに鳳凰は」

僕は片翼の鳳凰に乗り八咫烏の背後に周り込んだ。

「鳳凰は不死です姉様」

「そうか」

八咫烏の首が体躯に吸い込まれる。

背中から垂直に砲台のように姿を現す。

八つの赤い光。

鳳凰は真下から直撃を受け四散する。

四散した鳳凰は雹のように散華めがけて降り注ぐ。

八咫烏の体を黄泉へと還すように食いつくす。

散華は自らに降り注ぐそのを全て剣で迎撃した。

「まだだ!まだ!これさえ凌げば…まだ!」

僕は足場を失い転落する。

だが海面に叩きつけられる前にまだやる事があった。

手にした武器を。

彼女から託されたそいつを散華に向かって投げつけた。

「まだだ!散華!!」

顔を上げた散華の体に投げつけた分銅付きの鎖が巻き付く。

そのまま300Mの上空から落下して海面に叩きつけられた。

【REPLAY】

そこから先僕は当事者としてそこにいた訳ではない。

海面に叩きつけられ派手な水柱を上げた後しばらく洋上を浮遊し波に呑まれた。

円乗羽女と散華の戦いのその顛末はカフカ島の寡婦が収めたテレビカメラにより映像が記録媒体に残されている。

以下はその記録だ。

「微塵か…こんな古典的な武器が何だと言うのだ」

身を捩り自らの体に巻かれた鎖を引きちぎろうともがく散華。

「それはけして切れません」

顔を上げると目の前に羽女の姿があった。

彼女が手にした榊は今や金色の光を放ち七支刀よりも枝葉を伸ばしていた。

「三國一の剛力と呼ばれる三女撫子。あの子が万が一私との約束を違え暴れ出すような事があればと三日三晩護符を焚いて鍛えた鎖です。姉様といえども切れません」

「それがお前の切り札か」

「撫子と相生弟の件がなければ…姉様に挑んだ勇気!私はお前達を真の夫婦認めよう」

「お前が手にしている天羽々斬それが真の姿か?」

散華の言葉に羽女は頷く。

「これはあらゆる神剣と呼ばれる剣の祖神。無限に神剣を生み出す。一度姉様の名を呼べば冥府の果てまでも追いかけ、如何なる世界にも現出し姉様という存在を根絶やしするまで止まらない」

「我ながら恐ろしいものを盗み出そうとしたものだ」

「少しは神事について学ばれるべきでした」

「よいのか?お前の連れ合い、回収しなくても」

「あの人は死にません」

「馬鹿な!この高さから海に落ちて生きている方が奇跡だと言うのに」

「こんなところで死ぬようなら私の夫になどなれません。私を嫁にするまで、あの人はけして死なない」

羽女は剣を構えた。

「死んで私を悲しませるような振る舞いは、この私が許さない」

「なるほど!お前達の切り札は夫婦愛という訳か!!」

散華は大声で笑った。

「神の威光を放つ神剣により滅ぼされるお前の姿を思い描いたが逆に返り打ちに合うとは!些かベタな結末よ…しかも最後は愛だと!この私が?愛により滅びるか!?」

散華は羽女の顔を見上げ言った。

「まあ悪くはないが60点というところだ…さあ切るが良い」

散華は観念したように目を閉じた。

散華の鳥舟は四散した鳳凰により食いつくされて再生が儘ならない。このままでは程無く海へ墜落するだろう。

羽女は剣を振り上げた手を無造作に降り下ろした。

散華を縛った鎖は音を立て苦もなく切れた。

「慈悲か?私を助けるつもりか?」

羽女の顔を見上げた散華は安堵して微笑む。

「なるほど『素手でこの女をぶちのめさなくては気が済まない』そう顔に書いてある」

「流石は姉様です」

「だが私にはもうあんたにくれてやるRは残ってないよ」

傾き沈み行く自らの舟から散華は羽女の鳥舟に跳移る。

羽女は神剣を捨てた。

短い祝詞を唱えるとそれは榊の枝に戻った。


結果から先に言ってしまえば羽女は散華に対して成す術がなかった。

羽女の打撃は全て散華にかわされ空を切る。

間合いすら掴む事も出来ぬまま立て続けに急所に五発打撃を打ち抜かれる。

「いかに速度が上がろうと軌道が定められた列車などかわせぬはずがない…ましてや羽女、お前の動きは時刻表通りだ」


脛椎から頭を根こそぎ刈り取るような蹴りが後頭部に入る。

「此で投了だ羽女」

よろめく羽女の背後から逆さまになった散華の顔がぞろりと覗く。

前屈みに倒れそうになる羽女の後頭部に鉄化した膝が入る。

頭蓋の骨が砕ける音を羽女は聞いた。

「己の虚栄や誇り、建前や形式に囚われたお前は弱い!私は拘束を受けてなお、お前の喉笛を噛み切る機会を狙っていたというのに。言ったはずだ、これは私とお前の戦であると」

漸く散華の足が降り立つのを羽女は朦朧とする意識のと霞む視覚の中で見た。

「私は、まだ負けてなど…」

「私の改変がお前に対して発動する速度とお前の神速が…確かそんな話だったな」

散華は羽女に対し腕を組んだ姿勢のまま顎をしゃくる。

「いいだろう。私は改変を一切使わぬ。存分に自慢の神速を使うがいい」

「な…何故に…そんな事を」

「この距離では遠いか?」

散華自ら羽女との距離を詰める。

「急所に私が打ち込んだ打撃によりお前の体内の骨には描いた通りの皹が入っているはずだ。もし神速を使えば骨が砕け、お前の脳や心臓を切り裂くだろう。試してみるか?」

「仮に私がこの場でお前に負荷をかけても結果は同じ。つまり裏が出ても表が出てもお前の敗北は既に確定している。羽女、お前は戦に敗れたのだ」

「まだ私は闘える!!」

「だが犬死だ。勝敗の結末とはそのようにあっけないものだ…羽女、お前は私に届か…」

「言うなあ!!」

喉が張り裂けるような声で羽女は叫んだ。

「私はまだ負けてない!!姉様の技など何一つ効いてはいない!!私は負ける訳には行かない!!膝など着かぬ!!ここに来て私と戦え!!私は…」

「羽女」

「私は…」

「千」

散華は呟いた。

斜めに傾く鳳凰。

「己の業と神の舟、この世界と共に沈め、羽女」

散華は背中を向けて歩き出した。


【散華】

「姉様」

散華は羽女の声に振り返る。

「羽女はまだ両の足で立っています」

「姉様は敵に背中を向けるつもりですか?」

「死に損ないでも妹は姉に文句ばかり言う」

散華の体が宙に浮く。

「今黙らせてやろう」

見つめる散華の右腕が鉾に変わる。

「たかが千。たかが千の己が業など!!」

「さぞや苦しかろう。今楽にしてやる」

突然散華の全身に予期せぬ重圧がのし掛かる。

自らの改変した重力と高重力の狭間で散華の首と背骨が悲鳴を上げる。

驚きと怒りに見開かれた眼は眼下の羽女に向けられる。

「羽女、貴様!?」

「如何ですか?初めて背負う己が業の重さ」

羽女は立ってはいるが既に虫の息に見える。

「私の改変を何時」

「切り札は…最後…まで。姉様は…私の…」

放っておいても何れ死ぬ、しかし。

散華の口の端がつり上がる。

「己の業の重さなら充分に知っている」

右腕を弓をつがえるように引き絞る。

「誘われるまま墜ちるまでだ!!」

目にみえぬ空気の壁を蹴り荷せられた高重力すら味方につけた散華は羽女を仕留めに向かう。

「たかが千」

思考よりも早く脳裏に浮かぶ絵があった。

今と変わらぬ自分と羽女。

最初から二人だけだった。

「届きました!ほんの僅かだけど姉様の衣に触れました!」

あの時私はどんな顔をして、どんな言葉を妹に。

散華の到達速度は羽女のそれを遥に凌いでいた。

羽女は迎撃の拳を下段に構え散華を待ち受ける。

肩は既に上がらないはず。

それしかない。

予測通り右の拳を突き上げる。

首を僅かに反らし散華はそれをかわす。

突き出した鉾の先に羽女の姿はない。

幼子の頭を撫でるように羽女の左手が散華の髪に触れた。

「届いた」

その言葉を耳にした瞬間全体重をかけた左手が散華の顔を強引に下に向かせる。

「姉様」

物理法則も己の拳の骨が砕けるのもいとわず。

「この国の神輿」

放たれた円乗羽女の最後の一撃。

「この円乗羽女の拳が背負っております」

むちゃ振りもむちゃ振りの大振りも大振りのアッパーカット。

砕けたのは己の顎か、妹の拳、それとも姉と妹どちらの業であるか。
おそらくは、そのすべて。

しかし散華にはどうでもよかった。

互いの体が反り返る。

落ちて叩きつけられた体がバウンドする。

それほどの衝撃。


倒れ込んだ散華は二度と起き上がる事はなかった。

風に流された榊が崩れ落ちた羽女の目の前を転がる。

彼女はそれを右手で掴むと天に翳す。

彼女の知らぬ場所の至るところで歓声が巻き起こる。

そうして白鷺武踏会は幕を閉じた。

人々は「この日起きた事は全て祭の上の催しであった」と後に祭主からの言葉を聞く事になる。

まあ神輿を背負っているのが「国の民」とかあえて言わないところが寧ろ彼女らしい…と後に僕は思った。

ところで海の藻屑と化した僕は夢を見ていた。

夢の中ではマンションで初めて口をきいた時の円乗さんが何故か現れて目の前で「ワッショイ!」「ワッショイ!」と僕を励ましていた。

あれから一月。

僕も神社について少しは勉強したんだ。

ワッショイ!ワッショイ!思えば不思議な言葉だ。

ワッショイとは元々は「和を背負う」という意味合いがあるらしい。

円乗さんは散華に勝てただろうか。

脳みそまで海水に浸かりながら僕は思う。

彼女なら…きっと大丈夫だ。

僕も円乗さんと一緒に少しはこの国を背負う手伝いが出来たのならいいのだけれど。

水の中で薄目が開く。

目の前に水中カメラを担いだ寡婦。

ビニールでくるんだスケッチブックを僕に見せる。

【構図が命】

うるせえよ。


早く助けろ…敵でも南極条約とか…あるだろ。

水の天井を破り誰かが海に飛び込む。

目の前に竜宮城の乙姫様が現れて僕の唇にキスをする。

それは末期の夢か…僕の記憶は肝心なところで途絶えた。



高砂祭と白鷺武踏会の終了。

あの日の喧騒から遠ざかるように季節は秋を迎えた。

この街も世界も未だ滅亡の時を迎えず今もある。

変わった事と言えばコンビニの棚にチョコの数が増えた事やおでんが売られ始めた事くらいか。

「もうそんな時期か」と思う程度に世の中は変わりなく動いている。

あの日沿岸警備隊の到着を待つ前に僕たちは白鷺達によって救出され付近の埠頭へと運ばれた。

そんな僕らの映像は相変わらず寡婦のテレビカメラにより国中に中継されていた。

そのおかげで思ったより警察や救急車両の到着は早かった気がする。

それよりも埠頭で僕達を待ち受けていたのはテレビや新聞や雑誌社のマイクやカメラを抱えた大勢の報道人達であった。

生きてるのが不思議な奇跡の体現者である僕はシ-トに寝かされ起き上がる事が出来ない。

高砂神社の関係者は僕と円乗さんの周囲にテントのような幕を張り報道人から遠ざけようとした。

「よい、今日は空が青い」

「空を眺めたい」

という円乗さんの一言で幕は張られる事はなく代わりに白鷺の円陣の中に僕達は囲われた。

皆さん手に手に弓や剣を持っておられるので、ちゃちな覆いよりは堅牢だが。

確かに彼女が言う通り今年一番のよく晴れた祭日和の夏空だ。

先程までの戦いが嘘のようだ。

それにしても円乗さんの不死身ぶりには恐れ入る。

さすが、あの巫女たちを束ねる首領だけの事はある。

そんな気持ちで僕は自分の傍らに横たわる彼女の顔を眺めていた。

「見世物ではないぞ。何をじろじろ見るか。こう見えてうら若き乙女…手弱女だ」

「手弱女か」

僕の喉から変な空気が漏れる。

「笑い過ぎると体に響くぞ無礼者が!」

「今何を考えている?」

「撫子と相生弟…裕君の事だ。二人には気の毒な事をした。姉様は裁かれねばなるまい」

そう言って円乗さんは起き上がる。

あまりに突然現れて、あまりに呆気無く消えてしまった。

今もあの二人が死んだ事が僕には信じられない。

「勿論同様の責任は私にもある」

「大丈夫か!?無理するな」

僕の言葉に彼女は笑って首を振る。

「心配するには及ばない。私はあれの妹だ」

埠頭に微塵で繋がれたまま記者に囲まれインタビューに応じる散華の姿があった。

最初は犯罪者の一声や姿をカメラに納めようと集まった報道人。

すっかり彼女に魅せられた様子でメモを片手に話に聞き入る。


「あの八咫烏の兵器か?あれはアストラル帯という霊素を生体エネルギーとして、あの世や黄泉を渡る。そのアストラル帯を量子変換した後一端の八咫鏡に集積増幅し武器として放つ!謂わば次元転移砲…いやいや…アストラルバスターに書き直してくれ」

「姉様」

「アストラル・ブラスタ-」

「姉様!!」

「なんだ?お前羽女とか言ったな、お前の顔はしばらく見たくない。あっちへ行って自分の男と好きなだけチチクリ合うがよい」

散華の言葉に報道人がざわめく。

「なんだ?否定せんのか」

「私たちの事はよいのです。それよりこれを」

円乗さんは彼女の後ろに付き添う薫さんから巻き物を受け取るとそれを散華の鼻先につき出す。

「お読み下さい」

生野菜を差し出された犬みたいに散華は横を向く。

「そんな物漢字ばかりで面白くない!」

「お読み下さい」

「い・や・だ」

なんだか散華がバカ殿様に見えて来た。

円乗さんがしつこく食い下がるので散華が近くにいた寡婦に目配せする。

【只今】

恭しく巻物を広げる。

「煙草」

【気がつきませんで】

「姉様巻物に灰が!」

「灰皿」

【只今】

もしかして寡婦達を虐げてるのはこの人なんじゃ。

「み、皆さん姉様は生まれついての女王体質故に皆さんにご迷惑おかけしてませんか?」

カンペをプラカードみたいに抱えた寡婦達が羽女の元に殺到する。

やっぱり。

「皆さん、私どもの手違いで島から出れなくなった事は深くお詫び致します。それから皆さんスケッチブックに文字を書かなくても、もうちゃんと喋れます。声出ますから!」

【こうでもしないと】

【私たちは】

【ただのモブ】

【だから、これでいい】

「なるほど…そうであったか」

巻物に目を通す散華の声にふざけた調子はなかった。
「では、あの人は神社に神の生け贄となった訳では」

「来るべき時が来れば人は旅立ちます。しかし姉様が言うように私が祭主となった事で改変が起こり白鷺武踏会がシステム化してしまった」

「良い人はすぐに逝ってしまう。私やお前のように根性の悪い人間ばかり残るという事か…そう考えれば合点が行く」

「大切な連れ合いを突然失った姉様が私や神社に疑惑や怨みを抱くのは仕方ない事…しかしその縁起書は祭主が最初に読むマニュアルのようなものですから」

「最初に読んでおれば…申し訳ない」

「私達は撫子と裕君という二人の若者の命を散らしてしまいました」

「ああ、それなら大丈夫」

「大丈夫って!?」

「次元転移砲と先程マスゴミ共に説明したではないか、あれらは元来た場所に吹き飛ばしただけだ。上手く帰れたかどうかは知らんが…何処に着いても二人だ」

「姉様に罪を科す事は私には…」

円乗さんはの声には幾分安堵の響きがあった。

姉妹だからな、当然だ。

【散華様!!】

「なんだ?」

【成層圏上に待機させたカフカ島が落下し】

【大気圏に突入しました】

「しまった忘れてた」

「姉様?」

「切り札回収するの忘れてた」

落とすつもりだったのか?

その巻物読んでなかったら…地球に!?

て言うかもう落ちて来る!?

「烏の再生は?」

【予定より60‰…遅れています】

「構わぬ。それで出る」

【しかし鏡の損傷が激しく射程が僅か10K…これでは島の落下に巻き込まれ危険です】

「直に私が島を動かす距離まで接近する」

「あ・姉様」

「と言う訳だ。ちょっと行って来る」

「行くって…私も!」

「これは己が招いた禍だ。自分で始末をつける。それにお前にはそんな力は残ってはいまい。大人しくそこでチチクリ合っておれ!」

散華の足元に微塵の鎖が落ちる。

「姉様…鎖!?」

「政だ」

散華は顎に貼った絆創膏を海に投げ捨てた。

海中から浮上した八咫烏に乗り込む。

「縁日や花火には間に合わぬがには直会には戻る。酒と何かアテ…簡単なものでいい。それから」

「寡婦たちを頼む」

そういい残して暮れ始めた空に飛び立つ。

埠頭では声を取り戻した女が歌うオペラが流れていた。

「ベッリ-ニの「ノルマ」ですね」

僕に薫さんが教えてくれた。

「夕暮れに似合う綺麗な曲ですね」

薫さんは目を閉じて頷いた。

「マリアカラスの十八番でした」

この星に島クラスの隕石が墜ちたという報告は現在もされてはいない。

カフカ島という近海の島も散華も八咫烏もこの世界から忽然と消えた。

散華の消息は現在も不明のままだ。

「あれだけ派手な立ち回りを演じた後だから決まりが悪くて隠れているんだと思う。姉様が死ぬ理由があるならぜひ私に教えて欲しいものだ」

と円乗さんは僕に言う。

「あるいは探しているのかも知れないな」

「探している?」

「姉様の連れ合いは飛行機乗りであった」

しかし島を成層圏まで浮上させる能力があるのならば格闘なんて意味がない。

そんな疑問を彼女にぶつけてみたところ。

「姉様は優しいのだ」

という返事が返って来た。

寡婦たちの姿を最近街でよく見掛ける。

さすがに仮面は祭の時だけらしい。

最初は喪服を怖がる人も大勢いた。

しかし彼女達の服の色も何時かは街の色に染まり誰も気にしなくなるだろう。

本来この世界は出会いもあれば失うものもある。

それを繰り返す世の中が僕らが生きる普通の世界なんだと僕は思う。

【神社参拝の心得】

僕は高砂神社の千本鳥居の前にいた。

手には円乗さんから届いた直筆の手紙。

女の子から直筆の手紙を貰うのは生まれて初めて。

メールじゃなくて直筆。

胸がときめかない訳がない。

正直に言おう読む前に手を洗った。

匂いもかいでみた。

中身を見て思う。

手紙というより書だ。

毛筆で書かれた文字は達筆過ぎて読めない。

冒頭に書かれていた文字は【神社参拝の心得】

日時と時刻が記されているところを見ると「うちに来い」という事らしい。

まず一の鳥居の前に立ち軽く会釈。

帽子を被っている場合必ず脱帽。

本来は一の鳥居から二の鳥居と順番に会釈して潜らなければならないが千本あるので割愛。

神社の石段を登る途中紅葉の落ち葉に混ざって人型の折紙のようなものが沢山落ちているのを何度も目にする。

何となく足で踏むのが憚られ注意して段を登る。

石段を登りきると巨大な石の神門に迎えられる。

門の前に立ち社殿に向かい一礼。

手水舎の水磐にて右手に柄杓を持ち左手を洗い柄杓を持ち替え右手を洗い…さらに右手に持ち替え左手水を受け口をすすぎ…その後もう一度左手を洗い…

「巫女たちは本来は鎮守の社を流れる湧き水の小川で身を清めるのですよ」

振り向くと手拭いを手にした薫さんが微笑みかける。

神社の境内は僕と薫さん以外誰もいない。

言葉は悪いが墓所のようだ。

ふと円乗さんの手紙に目を落とす。

手紙の続きはこんな一文が。

「以上色々書いてみたが、その日は誰も神社にいないので無礼講でよい」

なんだこりゃ。



「そうは申されましても、ここは神社。一応段取りは踏んで頂きませんと」

「ですよね」

彼女の家とか友達の女の子の家を初めて訪ねる。

そんな高揚とか、まるでない。

ガイドさんと一人修学旅行だ。

高過ぎる天井と梁に磨き抜かれた床に大柱。

「寂しい場所だな」

ふと思う。

「こんな寂しい場所で円乗さんは生まれ育ったのか」

特に話す事もなく無人の迷宮のような社の廊下を薫さんと歩く。

「そちらの渡り廊下の先のお部屋でお待ちです」

円乗さんに会える。

僕にとってそれは何より嬉しい事の筈だった。

しかし何だろう、この胸騒ぎは?

外側も内部も広すぎて荘厳な社の雰囲気に呑まれてしまったせいもある。

この建物には人の気配がまるでない。

たまたま人がいないという理由ではない。

まるで此処は、きちんと手入れが行き届いた廃墟。

さもなくば太古の昔滅びた神殿の遺跡。

此処に円乗さんが居るという事実。

不安で胸が詰まりそうになる。

先程から歩く度に視界に入る床に落ちている紙人形は一体なんだろう?

薫さんに訪ねてみたいが彼女は足早に音も立てず前を歩く。

彼女が待つ襖の前にも折り重なる紙人形。

視線を降ろした薫さんが呟く。

「お掃除しませんと」

悪戯っぽく笑う。

「踏んでも噛みつきませんよ。紙ですから」

咳払いを一つして「面白くないですか?」残念そうに呟く。

僕は随分と複雑な顔をしていたと思う。

彼女は委細構わす襖の前に膝を膝をつくと主に来客が来た事を告げる。

「入って貰え」

彼女のややぞんざいな声を聞くだけで僕は安堵した。

襖が開けられ茶室の畳に腰を下ろす彼女の背中が見える。

畳には彼女が普段身に着けている神官の巻きスカートの五色が帯のように流れる。

しかし彼女は今日はそれを身に着けてはおらず通常の巫女服だった。

五色に腰巻きのような赤がしどけない。

彼女は壁に掛けられた茶花を見て呟いた。

「古伊賀の旅枕に白鷺が舞う鷺草。一輪では寂しい。二輪活けてなお寂しいので数珠玉と、時計草は開くとうるさい。いっそ外してしまおうか。今の時期なら烏瓜の方が良かったか」

唇に人差し指をあて思案するいつもの仕草。

「宮様は本当に花が好きですね」

「とても綺麗で調和がとれているね…花の事はよく分からないけど」

僕は見たままの感想をそのまま口にした。

「今日は相生様が来られるので朝早く向去山に出向かれて花摘みを」

「薫!余計な事は言わなくてよい」

恥ずかしそうに俯く。

「珍しい花を求めて高山に登ったりはしない。手が届く花を少しだけ壁や髪に飾れたら、それでいい」

話しが花に及ぶと彼女の唇は綻び少しだけ饒舌になる。

「花を眺めたり活けたりしていると時間の経つのを忘れてしまう」

薫は納得したように声を弾ませる。

「それで相生様がお見えになられても脱いだお召し物もそのままで!」

「す、すぐに片付け…」

「私が」

薫は手早く畳に散らばる羽女の衣装を拾い集めた。

「直ぐに代わりを」

「その衣装はもうよい」

「宮様」

「お前がそうしてそこにいるという事だけで分かる」

「昨夜私に神託が」

円乗さんは頷いた。

「私の如き紙人形に」

「お前が他の誰より私に一番近い。だから祭主に選ばれたのだ。心して努めよ」

「円乗さん、それってどういう!?」

「祭主はクビと神様は申しておる」

円乗さんは舌を出すがすぐに神妙な顔に戻る。

「色々と神の御意向に背く行為を続けた結果だ。自分なりに納得はしている」

その神に背く行為の中には当然僕の事も含まれる。

「円乗さん、僕なんて謝っていいか」

「謝ってなど欲しくない」

彼女はぴしゃりと言った。

「これは私の意思でした事で結果にも当然納得している」

「でも円乗さんは神職にあれほど誇りを持って命懸けで散華さんとも戦って…」

「その為に生まれて来た、少なくとも今迄そう思って私は生きて来た。微塵の疑いも持たず、それで良かった」

彼女は僕を見て言った。

「私はここで、ずっと一人だ」

「一人って御両親や神社の人達は?」

「見たであろう。神社の其所俐に散らばる紙人形…あれは私が作った式神だ」

「そんな…薫さんは?」

「私も元は紙人形です」

薫さんは顔色一つ変えずに言った。

「ですが私は幸せです。主である羽女様の御側にお仕えが出来て」

「自分で自分を式神と認識出来る者など居らぬ。だから薫は私が祭主の資格も力も失っても今もこうして人の姿で此処に居る」

「勿体ない御言葉です」

「薫、私に対する沙汰は?神託は何かあるか?」

「今のところ何一つ御座いません」

御簾が上げられ障子が開く。

庭園の紅葉が舞い散る中で羽根を休める鳳凰。

まるで不思議な花札の一枚の絵のように見える。

「何処へなりとも好きな場所で果てるがいい。という事で良いのか」

「私としては羽女様には何時までも此方に残って頂きたく思っております」

「それも悪くはないが」

円乗さんが僕の顔を見る。薫さんもつられて僕を見る。不良債権を見るような目だ。

「今の私は大体こんなかんじだ」

沈黙の時間が長い。

「薫」

「何で御座いましょう」

「いっそ、この男の私の記憶を全て消してもらえるか?お前の力で」

「嫌です」

「何故だ」

「薫は終生羽女様に恨まれるなんて、もっての他ですから。部屋から夜な夜な恨み言や鳴き声が聞こえるようになってはかないませんから」

「私はどうしたら」

溜め息をつく彼女を残して薫さんは歩きだす。

「二人で考えたら、きっとよい知恵が浮かびますよ」

「私は今は祭主の肩書きも何もない。花を活けて、ぼんやり眺めて自分の着る物を片付けるのも忘れるような女だ」

僕は黙って彼女の言葉を聞いた。

「他の嫁のように何時か君を神の身元に送る事も出来ない。私といても君の魂は天へと昇れない…それが私が天から与えられた罰だ」

「なら僕は神様のいる天国へなんか行かないよ」

神様がいる場所だから…そこが天国だと思う人は思えばいい。

何処が天国か地獄かなんて思う人の数だけ違うものだって今僕は思う。

「僕は君の側を離れない」

それが何と呼ばれる場所であっても。

此処が何処であっても構わない。

「この現世は魂が依り集い魂が天に還る日を待つ場所」

彼女は僕にそう言うけれど。

僕はずっと此処にいる。

彼女の側に永遠に。

僕は彼女と唇を重ねる。

遠くで襖の閉じる微かな音を僕は聞いた。


【プロローグ・終着駅】


父と母と僕の三人だけだった。

カルデラの上に敷かれた砂利の坂道は昨日の雨で滑る。

父と母の大学時代登山で鍛えた健脚は現在で僕はすぐに置いて行かれそうになる。

母は自分の名前が平仮名で書かれた風呂敷包みを胸に抱き一つ一つ息を吐くように隣の父に思い出を語る。

昔父が誕生日にインターネットで買った母の好物の菓子を包んでいた名入りの風呂敷。

今も母は大切にしていて大事な物は必ずこれに包む。

「あれからもう17年も経つのね」

母が呟く。


道端の其所俐で音を立てて回る風車。

優しげに微笑む石の地蔵達。

ここが恐ろしいという感情は不思議と湧いて来ない。

ただこの場所には哀しみだけが吹き渡る。

風の溜まり場のように吹き溜まり蹲り動かない。

ひなびた石の鳥居を潜り両親が社務所で用件を告げるが返って来る青森弁に困惑するばかりだ。

東北の忘れ去られた山の中にある不自然に拓かれた場所。

賽の河原終着駅。

駅舎を思わせる地蔵堂の本殿。

境内に三人取り残され異国のような言葉に僕達家族は途方に暮れる。

やがて内線で呼ばれた中年の宮司さんの柔和な笑顔に迎えられた。

社内を案内してくれる宮司の耳馴れた標準語が嬉しい。

ここが異国でも、あの世でもない事を教えてくれる。

聞けば東京の神道系の大学に通っていたらしい。

父に促され渡した菓子折りが入っていた伊勢丹の紙袋は今は所在なくぺちゃんこにへこんでいた。

「袋ごと渡せばよかった」

そんなつまらない事を考えながら三人の後をついて歩く。

宮司の話に耳を傾けながら簡単な参拝を済ませ僕達が向かったのは所謂神社の裏側だった。

神社の裏側と聞くと以下に神秘的な秘密のベールに包まれた場所を想像しがちだ。

でも僕たちが案内された場所は早い話バックヤ-ドに過ぎない。

アルバイトをした経験がある人なら分かるはず。

綺麗に掃除されたお店の裏側にある配電盤や電気のコンセントや家庭用エアコンが備えつけてあったり…ロッカーに貼られた古びたステッカーなんかが無造作に散らばる空間。

さすがにそこまで雑然とはしていないけど。

日頃神社では見かけない。僕らにとって日常的な品々が置かれた場所。

そこから地下に降りる階段も壁も明るい白で普通の事務所と何ら変わらない。

神社は台所を忌火屋と呼んだりするらしい。

けど案内された地下の部屋には何の名称も但し書きもないようだ。

扉には通常の鍵ではなく錠前がかけられていた。

神主は慣れた手つきで錠前を開け鉄の扉を内側に開く。

「こちらになります」

神社の社と境内の広い敷地を利用して造られた地下室。

学校の体育館くらいの広さはあるだろうか。

段々に組まれた棚には端から端まで数えきれない数の遺影が飾られていた。

飾られた遺影に映る人々の全てが未だ若い男性のものばかりだった。

遺影の横には必ず寄り添うように花嫁衣装を着た人形が立っていた。

「お若くして不幸にも命をおとされた男性に『せめて人形でも花嫁を…添い遂げさせて上げたい』という御家族の思いから、この場所に遺影と人形を飾られる方は少なくありません」

この領域全てに立ち込める空気。

それは死者の生に対する執着や恨みや哀しみとは異質の遺された家族の哀しみ、閉ざされてしまった未来への思い、死者に対する葬る事の出来ない思い。

親が子を思う心。

子を失った親の哀しみが何時までも浄化される事なく此の地に遺されていた。

此処は特にそうした思いを強く感じさせる場所だった。

「宜しくお願い致します」

母が恭しく頭を下げ風呂敷の結びを解く。

17年前に学校の帰り道で交通事故に遇い僕の兄裕太は他界した。兄の遺影を愛しむように見つめる母。

案内されて地下室の中程まで進む。

「こちらに後遺影を」

兄のために開けらたスペースの隣には茶色い髪の何処かの高校の制服を着た少年の遺影が置かれていた。

「少々お待ち頂けますか」

暫くして宮司は桐箱を持って現われる。

桐箱から出された白無垢姿の人形を見て両親は思わず声を上げる。

「なんて綺麗!」

「やはり円乗音次郎先生の作品ですな!御無理を言ってお願いして本当に良かった。こんなに素晴らしい人形は見た事がありません」
「その言葉を聞いた円乗先生もさぞかし喜ばれるでしょう」

「貴女に名前はあるのかしら?」

そっと桐箱から人形を取り出した母は人形に囁いた。

「箱には撫子と書いてあります」

宮司が桐箱に書かれた文字を見て言った。

母は頷いて撫子という名の人形を兄の遺影の横に置いた。

僕は兄の嫁である人形の撫子を見た。

初めて嫁と視線が合った。

その時僕の中で何かが音を立て崩れた。

その時僕は彼女と月並みではない恋に落ちた。

簡素な結婚の儀式の後宮司と両親は長々と話をしていた。

「お人形の服このメイド服に変えられますか?」

「着せ替えではないのでそれは、ちょっと」

「息子の部屋を遺品整理した時大量にその関連の書物が出て来ましたので」

「飾るだけでも何とか」

僕は彼女を伊勢丹の袋に入れて神社から逃げた。

走って走って息が切れて立ち止まる。

石ころだらけの何もない場所。

積み上げられた石と風に吹かれた風車がカラカラ音を立てて回る。そんな場所にいつか出ていた。

紙袋の中の撫子。

僕だけの撫子。

僕の嫁。

少なくとも出逢った時撫子はそういう名前で呼ばれていた。

それが全ての始まりだった。



【エピローグ】

その日地蔵堂の宮司は人形師円乗音次郎氏の訪問を受けた。

「年を召されても鷹は鷹」

それが久々に再会を果たした宮司の円乗氏に対する感想だった。

炯炯とした眼光に木炭のような寡黙さ。

冬でも仕事着にしている白紬織りの作務衣に雪駄。

求道者然とした風貌に彼を取っつきにくい変こつと揶揄する者もいる。

しかし宮司は円乗氏の訪問を心待ちにしていた。

彼と話す時間は楽しい。

円乗氏は宮司を不快にさせた事など一度もない。

人形や亡き友の話をする時の彼は魅力的であり人形の用向き以外で彼がここを訪れる事はないからだ。

「肺を患われたそうで…もうよろしいのですか?」

「この年で肺炎は命取りになりますな。「夜なべ仕事も程々に」と息子夫婦にたしなめられました」

挨拶もそこそこに宮司と円乗氏は二人連れ立ち地下1階への階段を降りた。

円乗氏の「確かめたい」という要請に促されての事だった。

「先日製作をお願いした花嫁人形は、御遺族からとても感謝の言葉を頂きました」

「こちらにも身に余る感謝の御手紙を頂きました」

死者とその遺族、そして人形師である円乗氏を取り持つ縁というものについて宮司は思う。

死者と人形の縁組み。

通常幸せな生活を送る人々には奇妙にも映るであろうこの縁結び。

しかし一つ縁組みが成功する度宮司はこの職に就いた感謝の気持ちを神前に捧げた。

円乗氏は死者に手向ける花嫁人形の専門家では本来ない。

今から30年以上前の話だ。

海に墜落して命を落とした飛行機乗りの青年がいた。

彼の御両親の意向により故人の親友であった円乗氏の人形壱師は遺影と共に飾られた。

円乗氏の好意で羽女という人形が寄贈された事もある。

花嫁人形の中でも群を抜く美しさと繊細さを兼ね備えた彼の人形を見た遺族から「是非円乗先生に花嫁人形を」と依頼する声も多くあった。

しかし円乗氏は元来寡作な作家で作品の数も驚く程少ない。

「自分の作品は多くあれば調和を乱す」

という彼にしか分からない理由で依頼は断られた。

その円乗氏が今回は遺族の依頼に応え人形を製作したのには宮司は驚いた。

以前仕事で神社を取材した故人の父親が円乗氏の人形を見て深い感銘を受けた事が起因するという話は聞いた。

故人の父親は雑誌記者であり円乗氏に取材した事もあったそうだ。

何がしかの親交もあったのだろう。

高校生だった息子さんが不幸な事故で亡くなられた後御夫婦で何度かこの地を訪れた事もあるという。

夫婦連盟の手紙に心を動かされた円乗氏が撫子を製作した。

若者の死には何時如何なる時も胸が詰まる思いがして慣れる事はない。

しかし晩年を迎えた円乗氏の撫子。

あれを目の当たりに出来た事は自分には僥倖であったと宮司は思う。

扉を開け遺影の間に入る。

円乗氏は神棚に飾られた羽女をちらりと一瞥しただけで辺りを見回す仕草を繰り返す。

神棚の人形羽女は他の人形とは異なる白の唐衣と巻きスカートを履いている。

以前円乗氏に羽女の衣装について質問をした。

「あれは神官服に見えてますか?日本で最も古い花嫁衣装なんですよ」

そんな答えが返って来た。

羽女は遺影と花嫁を見守るこの場所の女神的存在で、それ以前は壱師を置いた事もあった。

「やつは大人しい男だったが悪そうな女が好みでね」

円乗氏御両親と泣き笑いしながら壱師を友の遺影に置いた。

今思えば懐かしい。

此処で宮司の仕事をしていると不思議な事に出くわす事も少なくない。

大きな地震にみまわれ人形や遺影の多くが倒れた事もあったが、羽女だけは倒れなかった…とか。

「撫子はどちらに?」

「そちらを真っ直ぐに」

歩きだした円乗氏の足が途中で止まる。

氏の親友の遺影と壱師の人形のある場所だった。

「そうなんですよ。以前は黒髪だったのに、ある日急に髪の色が落ちてしまいまして」

円乗氏は壱師の人形を暫く見つめ呟いた。

「程々悲しい事があったのか」

暫く会話でもするかのように壱師を見つめていた円乗氏は再び撫子が飾られた場所に向かう。

あるべき場所に撫子の姿はなかった。

「なるほど」

「電話で説明した通り撫子は消えてしまいました」

宮司は生真面目に撫子をここに置いた時の状況や式を済ませ扉を閉めるまで中にいたのは遺族と自分だけ。

途中故人の弟が飛び出すように出て行った事。

「しかし私は信じたくないんですよ。身内にしろ他人にしろ人形を盗み出すような酷い仕打ちをする人がいるなんて」

円乗氏は真面目な顔で答えた。

「よくある話です」

「よくある話…ですか?」

「私達人形師は精魂込めて人形作りに没頭します。作る人形にも勿論魂がこもります。だから人様の元に人形をお渡しする時は魂を抜くか因果を与えるのです」

「因果とは?」

「お前は人ではない。自分を人と思うな。人に愛でられ飽きられ、やがて捨てられよ。それが人形だ」

「なるほど」

「私出荷前に肺炎で倒れてしまいまして。それ撫子にやってないんですよ」

そんな事を言われても宮司は当惑するばかりだった。

「そう言えば!」

宮司は一枚の紙切れを円乗氏に差し出した。

ばいばい みんとちゃん

辿々しい子供の文字。

「孫娘です」

円乗氏の顔が緩む。

「孫娘は撫子がお気に入りでしてね。自分でそんな名前をつけては呼んでいました」

「そうでしたか」

円乗氏はすたすたと年齢のわりには軽い足取りで入り口へ急ぐ。

「やはり人形の紛失は御家族に連絡しませんと」

円乗氏は黙って神棚の前に立つと羽女をそこから降ろした。

「夢を見ました」

「夢ですか?」

以前自分が作った羽女と同じ衣装を着た美しい少女が夢の中に現れた。

「神様」

と彼女は円乗氏に言った。

「これでいいのか?羽女」

私は神様ではないが…これくらいの事はしてやれる。

円乗氏は羽女を優しく微笑む少年の遺影の前に置いた。





《 僕の嫁・最終章 了 》





【 あとがき 】
「むちゃくちゃ吹きとばされたのです~」

僕とミントちゃんは気がつくと家の塀の壁にめり込んでいた。

「あの女~むちゃくちゃしやがるのです!今度会ったら容赦しないのです!!」

「でも無事に帰ってこれて良かったね」

僕はミントちゃんを助け起こす。

「裕君の部屋にミントの本体がある限り大概は戻れますよ…いたたたです」

「なら僕もこれから迷子になる心配はないな」

「ほえ?」

「だってここにミントちゃんがいる限り僕は必ずそこに戻って来るから」

「裕ウ~」

ミントちゃんの目に波が溢れる。

「向こう行ってる間ずっと『やべ-こいつこのまんまモブ以下で終わんのかよ!?と思ってたら最後にちょっといい事も言えたのです~」

「ははは…おうち入ろうか?」

「はい!裕君私ね!私ね!吹きとばされた的に羽女姉様の声を聞いたんです!!」

「なんて言ってたの?」

「それはですね…」

僕とミントちゃんは家の玄関の扉を開けた。

家に帰ろう。
帰って話そう。

そしたら眠ろう…ミントちゃん



「ここはどこだ?」

【座標から撫子様のいる世界かと】

「島ごと転移した訳か・・まあよい何所にいこうが私は私・・私は」

「私は毒だ!!!」

【ぱち】【ぱち】【ぱち】

「ありがとうありがとう・・次回散華番外編で会おう!!」

【散華様!見切り発車最高です!】 


「こうなると神棚が寂しく見えてしまいますな」

「確かにな」

「そう言えば円乗さん、撫子の箱にはこんな物も」

「これは一体・・カボチャ!?」

「西洋の万聖節とか言う祭りの・・あ・あんた何してる!?神棚に異教徒の人形飾るなんて!?」

「新たな世界の神の誕生だ。ふふ・・ふふ・・ふははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

「まいいか・・ハロウィンだし」

「ハロウィンではなくHelloween!!」

「うるせえ この球体関節ジジイが!!」


【 その他私信 】
本当は空中戦を書きたかったのに前作で鳥舟大破させるという致命的なミス・・

読んで下さった方に感謝です。

あなたに素敵な嫁があと三人来ますように。

六曜日はこれで消えますが・・またいつの日か。



 六曜日



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