Mistery Circle

2017-08

《 僕の嫁【前編】 》 - 2012.07.06 Fri

《 僕の嫁【前編】 》

 著者:六曜日






【モノロ-グ】


初めて嫁と視線が合った。
その時僕の中で何かが音を立て崩れた。

それまで僕は自分を無機質なカルシウムの殻で出来た卵のような存在だと思っていた。

卵とまでは言わないまでも。

少なくとも僕は両親にとっては手のかからない人形みたいに大人しい子供だったと思う。

まあ、可愛いかどうかは別にして。

周囲の人々にして見れば誉めどころに困るような。

さぞかし面白味のない少年。

それは自分でも幼い頃から自覚してはいた。

さすがに高校生にもなると両親が反抗期の兆候もない我が子の素行を少しは訝るようにはなったのだが。

ある日突然殻に皹が入る。

消音機が装備された彼女の瞳から放たれた銃弾が僕の体の中心を撃ち抜いたのだ。

僕は生涯卵人間ではなく剥き出しの心を持った餓えた声で泣き叫ぶ実に醜い生き物であった。

僕は色んな意味で醜悪極まりない。

そして彼女は例えようもなく美しい。

それだけが僕が生きるリアルだ。

彼女に出逢った瞬間。

僕は月並みではない恋に落ちた。

殻はその時剥がれ落ちた。

「恋というのは罪である」と誰かが言った。

でもそれは、いかにもありふれた巷に溢れた言葉の端切れに過ぎない。

尻の穴に残ったトイレ紙くらいの価値しかない。

しかし彼女の切れ長の美しい瞳と白磁のような白い指先、星の瞬きさえも赦さない漆黒の髪を目の当たりにした時僕は目眩の中で罪を知った。

罪を求める指先は震えながら互いに触れ合う事だけを求めた。

それは、ひんやりと冷たく僕の指先に触れた途端に胸の奥底を取り返しがつかない程熱く焦がした。

僕はその時から途方も無い馬鹿者になってしまった。

「彼女を自分のものにしたい」という欲求は掻き毟るような激しい渇きに似ていた。

湧き出した渇望と劣情の黒い奔流が僕を呑み込む。

そのまま光の届かない暗い淵の底へと沈めた。

それが、いかに人の道に外れ、僕の両親や兄を哀しませる行為だと知りながら。

僕が彼女の手に指先を絡ませ、そこから彼女を連れだした、あの日。彼女も確かにそれを望んでいたと今も信じている。

僕等が出会ったのは、死より強い絆で結ばれた運命だったのだ。



【稀人と神嫁】

嫁について話そう。

僕が住む世界について語る事は嫁について語るのと同義であると僕は考える。

朝部屋のベッドで目覚めた時僕は1人を痛感する。

また長い1日が始まる。

嫁のいない僕の日常が。

夢の最中微睡みの途中確かに僕の隣には嫁がいた。

朝霞のような儚い微笑みの記憶が頭の中に残ってはいるが。

僕に嫁がいたという事実はこれまでの現実の中で一度もない。

にも関わらず確かに嫁は夢の中で一度だけ僕に微笑んでいてくれた気がするんだ。

嫁。

浅ましい無い物ねだり。

さもしい、とことん惨めなこの気持ちがそうさせるのだと首を振り頭に吹き溜まる妄を追い払う。

拳で上掛けを1つ叩きベッドから抜け出す。

朝食も食べず高校の制服に袖を通す。

朝食などあるはずがない。

制服のワイシャツにアイロンがけなど望むべくもない。

だって僕には嫁がいないのだから。

「マック寄ってく時間あるかな」

洗面所の鏡で髪を整えながら1人呟く。

夫唱婦随が当たり前のこの世界に於いてマックであろうがコンビニであろうが僕を出迎えてくれるのは朝の太陽より眩しい夫婦ツインの笑顔。

高校に行っても夫婦揃いの夫婦茶碗ならぬ夫婦机がずらりと並ぶ。

嫁がいない僕の席。隣の椅子にある日テディベアが置かれていて軽く泣きそうになった。

「こういうイジメみたいな事はよくないと思います」

とHRの議題に取り上げられ結構な議論になった時はマジで死のうと思った。

【嫁がない人間は首がないのと同じ】

そんな世界に暮らす僕は人間界に紛れ込んだ文字通り首なしか…ゾンビか吸血鬼のような存在に等しい。

いや、映画のゾンビも吸血鬼も番いの夫婦なんだけど。

世間の奇異な物を見る目にも腫れ物に触るような扱いにも慣れた。

でも孤独には慣れない。

それでも僕は身支度を整え学校に行く準備をする。

「いつか僕にも嫁が来るさ。頑張れ!俺!」

そう自分を鼓舞してマンションのドアを開けた。

「いよお!【ど・く・し・ん】朝から冴えねえ面だな!?」

玄関のドアを開けた瞬間にいきなり狙撃弾を眉間に喰らう。

【独身】

そのアダ名を聞いた途端に膝から力が抜け崩れ落ちそうになる。

前を向いて強く生きて行こうと立てた朝の誓いが無残にも崩れ去る。

マンション隣の部屋から顔を覗かせた男は僕と同じ高校に通うクラスメートの滝田だ。

「その呼び方やめてくれ…一向に慣れないし受け入れ難いし。その…ひどく哀しい気持ちになる」

青息吐息で僕は滝田を見上げる。

「あ…地雷踏んだ?わりぃ」

茶髪の頭をかき上げながら滝田は悪びれる様子が全くない。

「遼君ってば!置いてかないでよう」

ドアから制服姿で飛び出して来た内股ニ-ソの可憐な乙女。同じクラスの三咲ちゃんだ。

「三咲おせえよ」

「だって、お化粧まだなんだもん…遼君…ん…」

三咲ちゃんは滝田の前で踵を浮かせた姿勢のまま目を閉じて唇をつきだした。

「行って来ますのキスゥ」

これが噂の朝のキスのおねだりか。

いや…あんたも行って来ますだろ…学校。

ていうか俺は空気?

お出掛け前のキスにしては濃濃な…2人のキスを目の前で見せつけられ。

滝田に口紅がついた顔で「今日は学校来るんだろ?先行って待ってるからな!」

明るく親指を立て爽やかに去られた後も僕は軽く手を上げて卑屈な笑みを浮かべたままだった。

「朝からけしからん事を」

なんて言うのは無粋と言うもの。

だって二人は夫婦なんだから。

二人が去るまで顔を上げずにいたのは三咲ちゃんの顔をなるべく見ないようにしたからだ。

見たら忽ち好きになってしまいそうな僕も十代なわけで。

人様の嫁を好きになるなんて独身よりも不名誉で恥ずかしい事だと知っていたから。

もっとも三咲ちゃんは最初から僕の事なんか眼中になくて最初から夫である遼の顔をうっとりした目で見ていた。

なんだ、しっかり見てんじゃん自分。

特に滝田の妻である三咲ちゃんに思いを寄せているとか、そうではないんだ。

この街には美しい女性や可愛い女の子が沢山いて…多分僕の知る限り1人残らず誰かの妻だ、という事実。

「今日も学校に行くのを止めよう」

僕は立ち上がると拳を握りしめた。

「この世界の何処かに俺に相応しい嫁が!出逢いが俺を待ってるはずだ!!」

僕だって嫁がいれば…学校に行く時にお出掛け前のキス。

目の前に三咲ちゃんの閉じた睫毛と少しだけ開いた柔らかそうな唇が浮かぶ。

思わずエア嫁を抱きしめた僕は唇が、ちゅ-のかたちになる。

「あれ…おかしいな…なんか涙が止まらないや」

それは、あまりの惨状に耐え兼ねた僕の自我が幽体離脱した挙げ句俯瞰で今の自分の有り様を見たからに違いない。

きっとそうだ。その涙だ。

思わず嗚咽が漏れそうになる。

手首を噛みながら僕は滝田の部屋のドアを見た。

この扉一枚隔たてた場所では朝と言わず夜と言わず、あんな事やそんな事が毎日毎日毎日。

「愛の巣め」

気がつくと力まかせにドアを蹴っていた。

自分の意思とは裏腹にドアを蹴る足が速度が勢いが鼻息が止まらない。

「くそ!くそ!くそ!嫁・が・い・る・の・が、そんなにそんなにそんなに偉いのかよお!死ね!」

沸き上がる黒い情念。そして哄笑が止まらない。

今の自分がとてつもなくみっともなく哀れで愛おしい。

「先程から1人で何をしておるのだ?相生裕太氏」

背後から肩を指で突かれる。

うじって…日常秋葉原でもなければ絶対そうは呼ばない呼び方をされて僕は振り返る。


清楚な白を基調にした唐衣の上衣に同じく白地に赤・黄・緑・黒・紫の尊色五色に染め分けた巻きスカート。

薄く長い領布を靡かせた黒髪には飾り花。

一目で高貴な身分と分かる端正な顔立ちの少女がそこにいた。

「大家さん!?」

「名前でよいぞ」

「神主様!」

「肩書きで呼ばれるのは好きではないのだ…祭主だがね」

「女性を名前で呼ぶ事に不慣れで」

「哀れな」

円乗羽女。

嫁にしたいなあ。認識よりも早くシナプスだかニューロンだか分からない場所をリピド-が追い越して行く。

でも、それは叶わぬ夢。

磯の鮑の片想い。

僕が知る限り僕が住むこの世界で最も美しく聡明で気高く…僕が知る限り、僕と同じ唯一の独身、しかも女性。

神嫁。

大家さんより神主様よりも彼女にはその呼び名こそが相応しい。

かつて戦争と敗戦と動乱の時代を経て政教分離を憲法に謳う時代は古の昔。

古神道の古き神々と日々邁進する現代文明が寄り添い合う時代の狭間に僕らは生きている。

わが国第一の宗廟、高砂神社は全国に50万の大小様々な分社を持つ。街の南西にある向去山を背後に頂く高砂神社。

苔むした石段と神明鳥居の笠木を千本潜り抜けた先に漸く見える茅葺き屋根と神明倉造りの大社。

高さ八丈の偉容を誇る高砂神社が円乗羽女さんの生家だ。

神にその身を捧げた神の嫁、それが彼女。

高嶺の花の度合いが摩天楼どころか成層圏を軽く超えている。

マゼラン星雲の女神様だ。

同じ独身でも円乗さんは偶像なき時代のアイドル…その落差に溜め息も出ない。

「どうした?相生氏。朝からそんなしけた面では来る嫁も逃げてしまうぞ」

現代社会に於いて彼女の存在と比較対象されるのは神世の時代の女王卑弥呼ではなく、かつてこの世界に存在したというバチカンのロ-マ法王だ。

いや、寧ろ両方と言っても過言ではない。

バチカンもロ-マ法王も詳しく知らない…でも、あまねく世界の信仰の中心の頂きに立ち世界中の人々から崇拝や称賛や羨望の眼差しを集める人は皆、こんな風に口さがないのだろうか。

「円乗…羽女様は」

「円乗でも羽女でも構わぬ。同じ高校に通うクラスメートではないか」

そうなのである。

円乗羽女は僕と同じ高校に通う同級生でクラスメート。

実は席も隣同士。

同じ独身同士。

しかし彼女は神事や政に日々追われているようで、めったに学校に顔を出さない。

学校に行かないのは同じでも、リア充ばっかで身の置き処がない自分とは随分違うが。

「ところで円乗…円乗さんは何時からここに?全然気がつかなかったよ」

気を取り直し僕は明るく聞いてみた。

円乗さんは人差し指を唇にあて少し思案するような仕草をして言った。

「日頃足音を立てぬような所作を求められる故気づかなかったのであろうな」

「なるほど…僕には想像もつかない環境です」

「何時からと言われば、相生氏が滝田夫妻を見送るまでずっと相生氏の背中に潜んでおったぞ。華奢に見えるがどうしてなかなか広い背中で感心した」

指先で珍しそうに背中をなぞる。

それは、いい。とても、いい。しかし。

「さっきから、ずっとそこに?」

「うむ」

「一部始終ずっと?」

「うむうむ」

彼女はこくこく頷いた。

「我ら若者には、若さ故に抑えきれぬ衝動もあると聞くが他人の部屋の扉を無暗に蹴るのは如何なものかと…」

「すみません大家さん」

俺は頭を抱えた。

代々高砂神社の祭主を務める円乗家は円乗グループとして神社分社50万の他に系列企業20万社を抱える一大コンツエルンでもある。

彼女はその企業のトップでもある。

この街に暮らす人々の全てが高砂神社の氏子であり、僕のような税金も納めないような学生でも円乗グループの経営するマンションに格安で住む事が出来家賃は御布施として上納される。

おかげで市民として様々な行政の恩恵を受ける事が出来るのだ。

つまり僕は円乗さんの店子で氏子と言う訳だ。

カ-スト制度なら尖端の尖端と最下層。

しかし円乗さんはそんな僕を見下すどころかクラスメートとして平等に優しくしてくれる。

「ドア、すみませんでした」

「別に凹んでないし大丈夫だよ!相生君」

「え」

「あ…いや、君が敬語で話すから。クラスメートっぽく言ってみたのだが、ダメか?」

そんな風にじとりと曇りない目で覗き込まれると気恥ずかしさとは別に胸の中が温かくなる。

久しく忘れていたような気持ちだ。

「何故僕の後ろに隠れたの?」

もしかして人見知りとか。

僕は円乗さんの事を知っているようで全然知らない。

この街に住む誰もがそうだ。

「私は何処にでもいるが何処にもいない」

相変わらず謎だが、なんとなく分かる気がした。

「間もなく高砂祭の季節だから何かと忙しく街で人に会うと色々面倒なのだ」

彼女が学校に登校するだけで教員も生徒も授業そっちのけで熱狂と歓喜の渦が巻き起こる。

多忙を極める彼女と触れ合えるのは年に一度の高砂祭りの日に限定されていた。

もっとも氏子であり市民でもある僕だが高砂祭りに参加した事はない。

高砂神社は我が国最高社格にして霊験あらたかな縁結びの神社と言われている。

しかし実際は結ばれていない縁の結びを祈願する神社ではなく結ばれた縁に感謝と絆の未来永劫を祈願する神社なのだ。

だから僕には縁が無い。

というか、そのような場所に於いて唯一独身の僕は神の摂理にそぐわぬ【穢れ】に似た存在。

今まで生きて来た短い人生を振り返るにつけ神社や祭事から足が遠退くのは自然な成り行きだった。

「昨年も一昨年も相生君お祭り来なかったね」

なんか、たどたどしいクラスメ-ト口調が新鮮だ。

「部屋からも祭り囃子は聞こえるし花火だって見れるんだぜ」

あんなにも内外から沢山の人が街中を埋めつくす祭りの中で円乗さんは僕が1人で祭りに参加しない事を気にかけている。

本当に優しい女の子だ。僕は正直神様が羨ましい。

「僕が行ったら皆興ざめ…」

言いかけた僕のネガティブな言葉を彼女の人差し指が止める。

「お祭りは楽しむものだよ相生君。みんな楽しんでいいんだよ」

「円乗さん」

「相生君がもし今年も1人で部屋に居るなら…私は…」

私は?私は…なんて言うつもりなんだ円乗さん。

そっから先はたとえ勘違い野郎として恥をかいても男として僕が言うべきじゃないかのか?玉砕覚悟で、それが勇者それが男子ってもんだ。

「あの、良かったら僕と祭り」

僕は思いきって彼女にそう切り出してみた。

「私相生君を賽の河原に連れて行かないといけないんだ」

何言ってるんだかよく分からない。

「あの、円乗さん?」

「いかん、つい職務を忘れて私とした事が…非情であれ円乗羽女!」

彼女は俯いて高速で首を横に振る。思い詰めた表情だった。
「円乗さ」

顔を上げた円乗羽女は出会った時と同じ神の代行者の佇まいを取り戻していた。

「相生氏」

せっかく親密度が上がったと思ったのに。

「実は、昨夜私の元に神託があった」

「神託…ですか」

僕はごくりと唾を飲み込んだ。

高砂神社の円乗羽女の神託。

それは彼女の意思に関わらず政治や民の生活の根幹に関わる天からの言葉。

「相生裕太氏に天の御神からの御言葉を伝える」

「はい」

「来たる7の月27日…今より1月後の高砂祭りの日までに君の連れ合い、つまり嫁が現れない場合」

「場合、どうなるんですか?」

「君は公衆の面前出巫女達に全身の体毛を剃毛された後、衣服や戸籍はおろか住居と市民の権利の全てを剥奪され、無名の者として賽の河原に流刑となる」

なんという死刑宣告。…

いっそ一思いに殺してくれよ。

賽の河原って何県にあるのだろう。

円乗さんに質問してみた。

「何処にでもあるし何処にもない」

そんな幽玄な場所には絶対行きたくねえ。


大家であり神の御使いで同級生でもある円乗羽女。

そんな彼女に僕は祭りの日までに嫁を見つけなければ人間としての尊厳と権利を剥奪された後に人外の地に流刑の憂き目に合うらしい。

「確かに嫁無き者は賽の河原に送られるという伝承は昔からあった、しかし」

「しかし何ですか?」

「君の年で嫁がいないなどという前例が過去100年の歴史を紐解いても存在しないのだ」

歴史的記念碑ぼっちな訳か。

「まあ、どんな時代にも生物的異形は存在しますからね」

諦念から自棄になった僕はニヒルな笑いを口元に浮かべた。

「アルビノとかレオポンとかハイブリッドイグアナとか・・いっそ雌雄同体ならよかった」

「しっかりし給え相生君!」

力任せに背中を叩かれる。

「嫁がいない位で落ち込むんじゃない!」

今度はCEOか…別に分裂病とかではなさそうだ。

TPOに合わせて彼女も色々大変なのだ。

17才の女子高生1人がとても背負いきれない重荷を幾つも彼女は背負って生きているのだ。

そう考えると嫁がいないくらいで、しょぼくれてる場合じゃないなと。

僕は自分で自分の顔を叩きたい気持ちになった。

「ありがとう円乗さん。僕祭りの日までに絶対【嫁】探してみせるよ」

「そうか!そうだな…きっと見つかるさ」

彼女は少し俯いて答える。

やがて懍とした曇りない瞳が僕を真っ直ぐ見つめる。

「君は何一つ悪くない。他の男性と同じ、いやそれ以上に…正しい心を持っていると私は思う。幸せになっていいんだ。私は応援する…今日はそれを伝えたくてな」

彼女は僕に最悪の知らせと最高の気持ちの高揚を届けてくれた。

こんな僕のために、ありがとう円乗さん。

神社にお詣りした事もない僕は心の中で円乗さんに手を合わせた。

人目につかないように非常階段から帰るという円乗さんを残して僕は彼女に別れを告げた。

「応援してる!円乗君!」

「ありがとう円乗さん」

「応援してるぞ!ワッショイ!」

円乗さんはお祭りモ-ド全開だ。

この世に女神様がもしいるならば。

僕の背中には女神様のエ-ルが、こんなに心強い事はない。

「ワッショイ!ワッショイ!」

あの円乗さん…そんな大きな声出したら近所迷惑…。
案の定マンションの扉が一斉に開いた。

「きゃあ円乗様!!」

「貴方!ハネノメ様が降臨されたわ!!」

「写真撮らさせて下さい」

「握手して下さい」

忽ち彼女の周りに人の輪が出来てもみくちゃにされる。

1つ分かった事がある。

僕の住む世界の女神様、円乗羽女はとても不器用な女の子で…神社の御神木並みのテンネン記念物だ。

僕は男気を見せて彼女を人垣の中から連れ出そうと一歩前に出ようとした。

彼女と目が合った。

「ややこしい事になるから」

「だめ」

遠くから彼女が優しい眼差しが揺れ、唇が囁いた。

僕は頷いて彼女に背を向けてエレベータに向かって歩き始めた。今日から嫁クエストの始まりだ。

エレベータの扉が開くと中から祓い棒を手にした夥しい数の巫女さんたちが飛び出して来て彼女に群がるマンションの住民を裁き始めた。

尋常じゃない身のこなしに背筋が寒くなる。

巫女たちをたしなめる彼女の声を最後にエレベータの扉が閉まる。

外にでると初夏の日差しと公民館から聞こえる揃わない笛や太鼓の祭囃子を練習する音色が聞こえて来て夏の訪れを教えてくれる。

数えたら僕に17回目の夏が来ていた。

また1人ぼっちの夏だと思っていた。

けど今年の夏は初めから違っていたんだ。

【夏の思い出cosmic blues】

夏の思い出くらい僕にだってある。

炎天下の街を僕が嫁を求めて歩き回っていた頃。

夏の暑さとは別に街は熱気に包まれていた。

誰もが心待ちにする高砂祭を一月後に控えていたからだ。

飛ぶ力もなく地面を這いまわる蝉の歩み。

茹だりながら歩道を歩く。

僕の横をジョギングウェア姿の男女が追い越して行く。

見渡すと、そこかしこにそんな風体の二人連れを見かけた。

和やかな雰囲気はなく表情はロ-ドワ-クをこなすプロボクサーのように真剣だ。

公園では組手や打撃練習でサンドバッグやミット打ちに興じる男女のペアが多く見受けられる。

「ああ、あの人達は【夫婦無双】に出場する人達なんだな」

祭に縁のない僕でも分かる。

【夫婦無双】は巷の俗称で【白鷺武踏会】というのが正式名称らしい。

元々は祭りの日に神社の境内で優雅な能や狂言・社交ダンスに加え武道の演武を披露したのが発祥と言われている。

高砂神社が奨励する武道は多岐に及び学校の体育の授業や部活動に取り入れられ地域に根差している。

そこかしこに看板を掲げた神社公認道場を目にする。

そこから発展した夫婦無双こと【白鷺武踏会】は文字通り三國一の最強夫婦を決める祭の一大イベントだ。

ただ強いだけではなく精神的や知性に加え社会的に優れた文武両道な夫婦が優先的に参加を認められる。

勿論飛び入りも参加も出来るが街中のドクターが会場である神社の境内にかき集められるセメントであるため、おいそれと素人が参加出来るものではないと聞く。

主催者ではある高砂神社から優勝夫婦には破格の豪華商品が与えられるという噂だ。

世界一周旅行だとかお城のような豪邸だとか一生生活に困らない金銭だとか、あるいは、それら望むもの全てであるとか。

噂を数え挙げたらきりがない。

人々がその報酬の噂に信憑性を見い出すのはやはり後ろ楯にある円乗グループの存在の大きさだろう。

神社にも祭りにも縁がない。

そんな僕が白鷺武踏会に多少なりとも知識があるのには理由がある。

実は昨年の白鷺武踏会の優勝夫婦は僕の住むマンションの住人だった。

面識は一度もないご夫妻だった。

けれど其処俐で大変な話題になっていた事は間違いない。

ある日部屋のインターホンが押され「僕に客なんて」と怪訝に思いながら応対に出た。

「205の時田です」

モニターに映るの品の良さそうな一組の夫婦。

聞けば白鷺武踏会に優勝した御祝いに紅白餅を配り歩いているのだという。

話をしたのは正味5分てとこだろうか。

旦那様は地方公務員。奥様はセミプロの声楽家というご夫妻だ。

休日だというのにワイシャツにネクタイ。

事務用の腕宛まで着けた旦那は少々奇妙に見えた。

とても夫婦無双な出で立ちには見えない生真面目そうな優男だ。

「やっぱりおかしいでしょ?うちの主人の格好」

「そうかな…一番落ち着くんだけどな」

「もう仕事する必要がないのに『未整理の仕事が残っているから』在宅勤務にしてもらったんですよ。おまけに家でもこんな格好でTシャツに短パンで構わないのに…本当におかしな人!」

旦那を見る奥さんの眼差しがとても優しさに溢れていたのを今でも覚えている。

「優勝出来たのは妻のおかげです」

「大会始まって以来の全試合不戦勝らしいですわ!」

「全試合不戦勝ってそんな事ってあるんですか!?」

「私のヘタクソなオペラを聞いて出場者全員戦意喪失で不戦勝です」

「妻の名誉のために言わせて頂きますと彼女はヘタクソなんかじゃありません!彼女の歌声はとても美しく特別なものです」

聞けば優勝の報奨に関してはまだ希望を出していないらしい。

「私の望みと言われましても1日の終わりに妻の歌声を聞ければ…出来れば長い時間妻の歌う姿を眺めていたい。それだけなんですか」

「しばらく神社の好意で島に滞在する事になりそうです」

「出来れば妻に沢山の素晴らしいオペラが上演される舞台を見せてあげたい。いや見るだけじゃなく舞台に、大勢の人に彼女の歌声を聞いて欲しい」

「この人ったら自分の事はそっちのけで」

「私は以前は彼女の歌声を独り占めしたいと思っていました。けれどあの殺伐とした闘いの場で皆が彼女の歌に心を奪われ涙する姿を見て心が変わりました」

「円乗グループが用意してくれるリゾートで思う存分奥さんの歌に浸れますね」

「夢のような話です。私はそれ以上何も望む事などありません」

見事に優勝を果たし三國一の夫婦の称号を得た時田夫妻だったが大会終了直後に事件は起きた。

「大会の会場に黒衣の女…そう、あれは喪服だった」

「彼女は1人で大会の出場者全員を倒したんです」
優勝の榊を手にした時田夫妻の前に歩み寄ると女は呟いた。

「逃げろ」

「まるで人間の箍が外れてしまったような。鬼神のような強さだった」

「とても悲しそうな瞳でした…仮面に隠れて表情こそ伺う事は出来ませんでしたが」

黒衣の女は時田夫妻から榊を奪うと祭主である円乗羽女に突きつけた。

「円乗さんは挑戦を受けたのですか?」

結果は円乗羽女の圧勝で終わり境内は歓喜と熱狂に沸いた。

「あれは祭りの余興と言う人もいました。けれどあの黒衣の女は仕込みの道化ではなかったと思います」

神社や祭りに全く縁がない自分の知らないところでそんな事件があったとは。

結局女は群衆に紛れ逃走し今も正体も行方も不明だという。

話が僕の嫁に及んだ時いつもの気まずい沈黙を覚悟した。

けれど時田婦人は明るい笑顔で言った。

「でも相生君は素敵な男の子ですから、きっとすぐにいいお嫁さんが来ますよ」僕を励ましてくれた。

御夫婦揃って僕に温かい言葉をかけてくれた。

その週に円乗グループ系列の引っ越し業者のトラックがマンションの前に停まり時田夫妻は引っ越して行った。

これもまた夏の忘れ得ぬ思い出だ。


夫婦無双に限らず、これまで文化や社会的貢献度を高く評価された人間はなにがしかの報奨が毀誉された。

まるで外国の高額宝くじに当選した人々がそうするように彼らはアドレスや電話番号を変え住み慣れた街を後にした。

いきなり億万長者になったりしたら多分僕もそうせざるを得ないかも。なんて、僕には夢のような話だ。

億万長者や豪邸処か嫁がいないせいで流刑地送りになるかも知れないのだ。

確かに祭に武踏会に準えた格闘イベントや追放措置は前時代的であり野蛮にも思える。

でも僕は案外「世の中ってそんなもんじゃね?」って思ったりもするんだ。

いくら文明や科学が進んでも人間や人間の社会って本能的に残酷さを秘めて求める部分が必ず残っている。

そんな気がした。

にしても暑い。疲れた。喉も枯れ果てた。

【Yes!My Lord!!】

イ-ゼルに立て掛けられた黒板に描かれた手書きのポップで可愛いメイドさん。

本日開店の文字にすれてない初々しい女の子に出逢える恋の予感。

渇いているのは喉ばかりじゃない。

砂漠にオアシス。

金さえ払えば金さえ払えば…金なら少し持ってる!

ふと円乗さんの笑顔が浮かび胸をちくりと刺す。

…しかし炎天下の中僕も頑張った。

飲まず食わずで3日。

僕だって…僕だって。

「いい思いがしたいんだ!!」

目を閉じてノブを掴むと扉の鈴を鳴らした。

『いらっしゃいませ!!御主人様!!!』

弾けるようなメイドさん達の声と笑顔…とユニゾンでベルベットかシルクのような低音の執事の声。

『メイド&執事喫茶へようこそ』

最後の言葉だけ聞きたくない。

トラップだろ!?この店。

白い歯が眩し過ぎる。

イケメン&ダンディー達。メイドさん達をお姫様だっこした執事に迎えられた。

一体何時からお姫様だっこしてるんだ。

「この手の痺れが愛なのでございます。御主人様!!」

一生の不覚とはこの事だと我が身の愚かさを呪いたくなる。

いっそ灼熱の日差しに灼かれて死ねば良かった。LordとMasterの違いくらい…嗚呼。

「もしかして…皆さんは?」

『夫婦でございます。御主人様』

やっぱり。

「共稼ぎでございます。御主人様」

いい声で言わないでくれよバトラ-。

てか需要あるのか?この店。

少なくとも僕には全く全然ない。

「御主人様は何名様ですか?」

はあ。世の中にはそんなに沢山御主人様がいるのだな。

「1人です」

立てた人差し指が心持震えている。

「奥様は後から?」

「いや、1人」

「本日は奥様は?」

嫁同伴喫茶なら最初から、そう書いてくれ。

「1人じゃコ-ヒー飲まして貰えないんですか?この店は!?」」

思わず、かっとなって声が大きくなってしまった。

「す…すみません御主人様」

僕に声をかけたメイドの1人が涙目で頭を下げまくる。

メイドさんたちが怯えてる姿なんて見たくなかった。

もう帰りたい。

執事の1人の(当然ダンディー)な男が彼女の肩に手を置き僕に向かって深々と御辞儀をする。

「大変失礼しました。御主人様」

「いや僕の方こそ」

「貴方」

やっぱり夫婦(グル)か。

メイドさん全然僕の方見てないし。

これは噂のツンデレよりハ-ドルが高い。

第一「貴方」って言ってる時点で成立してないぞこの店。

僕は執事の恭しい接客に、つい断れず席に案内されてしまう。

「僭越ながら私には御主人様の深いお考えが理解出来ます」

「えっと…それは?」

「人目に触れさせたく無いような素敵な奥様…という事なんですね…私もでございますよ御主人様。妻を外に1人で出すのが心配で心配で執事をしております」

「いや、僕独身なんで」

執事は聞こえなかったのか無言で僕を席に案内してくれた。

ぽつんとベンチシ-トの席に1人。

この店が変なんじゃない。

僕がこの世界ではマィノリティ…どころかイリ-ガルな存在なのだ。

フロアを見渡せば客席は夫婦と思わしきカップルばかり。

これが普通なんだ。

「貴方!あのメイドさんの服とても可愛いわ」

「ああ、僕も君によく似合うと思うよ」

「私貴方の執事服姿見てみたい」

「そんなの着たら僕はもっと君に尽くしたくなるじゃないか!?お嬢様」

「宜しかったら、あちらで試着出来ますよ」

「お二人のために奥に個室もご用意出来ますが」

いかがわしい。

「いかがわしい店じゃないかあ!?」

思わずテ-ブルを叩いて立ち上がりたくなるが。

これは多分神様の罰だ。

円乗さんとの約束や温かい励ましも忘れ。

欲望の赴くままこんな店に入った僕に対する天罰だ。

美味しくなあらない砂味がするオムライスと泥水みたいなコ-ヒ-を腹に流し込んだら。

また一から嫁探しを始めよう。

僕はテ-ブルの下で拳を握りしめた。

「あの、お一人ですか?御主人様」

通りすがりのトレンチを抱えたメイドが僕に声をかける。

「はい独身です。僕、気持ち悪いですよね?ほっといて下さい」

「わ…私も…1人なんです御主人様」

微かに震えている声には聞き覚えがあった。僕は思わず顔を上げて彼女の顔を見た」

「円乗…さん?」

最も扇情的と言われるフレンチメイドスタイル。僕には刺激が強すぎて正視出来ない。

普段の清楚で神秘的な黒髪も素敵だけど、まるで日差しに溶けてしまいそうな白銀の髪も別の意味で神々しい。

ヘアウィッグだろうか?

まるで西洋の神話に出て来る女神のようだ。

「私の髪が珍しいですか?これは鬘ではなく地毛ですよ御主人様」

普段履かないヒ-ルのせいだろうか?とても小柄で華奢な普段の彼女より背が高く見える。

「円乗、羽女さんだよね?見違えちゃったよ」

「いいえ私はそのような名前ではありませんよ。よくご覧になって下さい御主人様」

「違う…の?」

「はい全然違いますよ」

確かに口元にある黶は円乗羽女とは違っているが。

この人はそれで変装したつもりでいるのだろうか。

「それより、先程「見違えた」とおっしゃいましたが何方とどう見違えたのか気になりますわ」

戸惑い顔で彼女の顔が間近に迫る。

伽羅のような甘い香りが鼻先を擽る。

大きく開いた胸の谷間と普段けして見せる事のない生足。

彼女の息づかいが耳元を擽る。

「遠慮なさらずに心おきなく私を見て下さい。御・主・人・様」

これは僕の知ってる円乗さんじゃない。

「君は一体誰?」

顔を上げた瞬間僕の視界から彼女の姿は忽然と消えていた。

店内に潜んでいたと見られる巫女達が投げた祓い棒が彼女のいた空間をすり抜けナイフ投げの的のように僕の座るベンチシ-トに突き刺さる。

彼女はその殺那僕の頭上を舞っていた。

まるでスローモ-ションの映像を眺めているようだ。

短いスカートから、すらりと伸びた細くて白い足。

これが噂の白のガ-タ…まるで天女の羽衣みたいに宙を舞う。

左足のヒ-ルの先がテ-ブルに着地するや否や振り上げた左足は弧を描き内側に畳まれタメを作る。

恐らくテ-ブルは彼女の重さを未だ感じていない。

右足のヒ-ルの尖端が店のウィンドウに触れた?瞬間に硝子は飴細工のように砕け散る。

砕けた硝子の中に飛び込んだ彼女は鼻先から目尻に疵が一筋疾るのも、ものともしなかった。

「御機嫌よう!御主人様!!」

そんな言葉と笑顔を僕に残して彼女は走り去る。

まるで白日夢だ。

ウィンドウの硝子は見るも無残に砕け路上に散乱していた。

彼女は硝子の破片が路上に落ちるよりも早く店内から外に飛び出したのだ。

僕はかすり傷もなくテ-ブルのゴブレットの水は倒れる処か一滴も溢れていなかった。

「円乗流古武術」

既視感から口をついて出た言葉だった。

以前テレビの特番で高砂神社の特集を見た。

その時祭主である円乗羽女が披露していた演武。

今のメイドと円乗羽女には違和感がある。

しかし先程の彼女の体捌きはトレースしたかのように全く同じ。

「相生氏!大丈夫であるか?」

暫し茫然としていた自分に聞き覚えのある声がして我に返る。

「相生氏!怪我などされておらぬか?良かった…」

目の前に巫女を大勢引き連れた僕の知っている彼女。

いや、そうでもない姿をした円乗羽女がいた。

「円乗さん…その格好?」

さっきのでちょっと免疫が出来た僕はメイド姿の円乗羽女を見て言った。

「こ…これは潜入捜査のためにだな…けして自分から望んで着たわけではないのだ」

俯いて胸元を右腕で隠し短いスカートの裾を必死で引っ張る僕を見て。

「そ・そんなに…見ないで欲しいのだが…見ないで」

多分その後に「御主人様」と言われたら間違いなく僕は悔いなく昇天していた。

「羽女様麗しうございます」

「なんという可愛いらしさ」

巫女達も店の客も我を忘れて、うっとりした様子で彼女を見つめている。

「な何をしておる、お前達さっさとあの女を追わぬか!!いいか、必ず捕らえ私の前に引き立てよ」

引き締まった厳しい表情に戻り部下にゲキを飛ばした。

巫女達は尋常ではない素早さで店から消えた。

「今のメイドは?」

「羽女さんに似ているようだけど」という言葉を何故か僕は飲み込んだ。

「神の教えに背き世を乱す不埒な賊だ」

「平和や治安の良さで知られるこの国もそんな輩が存在するのですね」

「あまつさえ私の姿に成り済まし公衆の面前で殿方に不埒な行為を…毒婦め!」

「あんな円乗さんもいいかも」なんて…現実にはけしてあり得ないだけに。

いや、現実に彼女は今メイド服姿で僕の前に立っているのだが。

そんな事を考えていた僕を円乗羽女は市松人形みたいな目で見ていた。

「口元がニヤけておるようだが」

僕は慌てて口元を押さえた。

「まあ健康な男子なれば致し方ないのであろうな」

言葉に全く感情がこもってないんですけど。

「乳牛め」

体面上舌打ちは止めた方が。

「この世に悪芽が吹くが途絶えたためしはない」

悪なのか?

「いつの世も御正道に逆らう異端者は存在する。それと向き合うのも神職たる我が勤めと心得ておる次代だ」

円乗さん、可愛いくて、いい子だが、ちょっとだけ面倒くさいかも。

「異端と言われてしまうと自分もだ」

思わず口をついて言葉が漏れる。

彼女の細い指先がそっと僕の肩に触れた。切なくなる位真剣な眼差しだった。

「君は異端者なんかじゃない」

「私の大切な友…クラスメートだ。私は君を異端者などと呼ばせはしない。だから君もそんな言葉は自分からけして口にするな」

「円乗さん」

「何だ?相生氏」

「クラスメートとして1つ聞いて欲しい頼みがあるんだが…いいかな?」

「私に出来る事なら何なりと言って欲しい」

僕は携帯を円乗さんに見せて言った。

「一緒に写真いいかな?」

「しゃ写真…しまった。この格好、着替えるの忘れてた!?」

「お客様!写真撮影は有料となりますが?」

でたなバトラ-!?て言うか後ろに行列出来てるし。

「円乗さんは日頃治安維持のために特警まがいの事もしてんのか?」と一瞬思ったが彼女に言わせると「今回は神社柄みの賊で特殊なケ-ス」らしい。

日頃神職に身をやつし何かと多忙を究める円乗羽女が遂にストレスが原因で分裂したのかと。

しょうもない空想をしたり。

「変装…というにはルパンレベルの激似ぶりだったな」

もしも円乗羽女があんな風に世界に二人いたら…僕はやっぱり好きになるのは…

そんな事をつらつら考えながら僕はその日眠りに落ちる。

何も成果がなかった…と言えばそうかもしれない。

ベッドの脇の充電器に刺した携帯電話を取り上げる。

本日もメール着信通話履歴0。

仰向けになったまま新しい携帯の待ち画面には僕と彼女(ただしバストアップのみ)の写真。

「この写真が何よりのお守りだよ円乗さん」

霧のように先の見えない未来への不安が消えて行くような気がして僕は携帯を手にしたまま眠りについた。


教訓として店に入るのは色々気まずい。

食事や水分補給は留まる事なくコンビニなんかを利用すべし。

「ごめんね~この暑さでしょ?かき氷全部売れちゃって…氷切れだよ~プス♪」

一休みしようと立ち寄った公園の出店のおじさんはすまなそうに頭を掻いた。

ていうか暑くないのか!?そのカボチャの着ぐるみ。

「ああ、じゃソフトでいいです」

季節外れのカボチャの中から聞こえるファンの音。

いつの時代も生きて行くのは楽じゃない。

「ソフト2つね!プススス」

「1つ」

「嫁は?」

「嫁の分だけでいいです」

僕も少しは学習した。

突然カボチャの両面が目映い光を放つ。

「ボクね!ボクね!!嘘とか感知すると目が光るんだよ!!夜はボランティアでナイトウォッチャ-さ!!スゴいね!?スゴいね!?もう自分が全然分かんないよ!?」

この人…超こえ-んだけど。

仕方なく僕はおじさんに本当の事を言った。

「はい!プス♪」と言っておじさんさんは僕にソフトを1つ手渡した。

「明日から氷増やさな~いとらいだ~っとプスス♪」」

「おじさん」

僕は携帯の待ち受け画面をおじさんに見せて言った。

「僕の嫁です」

液晶の画面を覗き込んだおじさんが爆笑した。

「お兄さん冗談上手いね~それ、ぎりぎりだよ!罰当たり呼ばわりされるから他の人に見せちゃ駄目だよ~」

僕は頷いて携帯をポケットにしまった。

「僕もさ~この世に生まれてから自分が人なのか畑にあるカボチャなのか分かんなくてさ~でもちゃんと出会えるんだよ」

店の中に飾られたフォトスタンドに収まる仲睦まじい男女二組のカボチャ。

「美人でしょ!?ボクの奥さん」

「はい。ほどよく熟れた感じとツヤが素敵です」

「プススス(喜)×10×31=夏」

いや秋だろ。

「だからね~君は全然大丈夫!!OKだよ~!!」

おじさんは僕にソフトをもう1つオマケしてくれると言った。

「1つで充分です」と僕は断り公園の空いてるベンチに腰掛けた。

容赦ない日差しに溶ける前にと僕は無造作ソフトを口に運ぶ。

ふと視線を感じ顔を上げる。

チワワみたいな目をした男の子がじっと僕を見つめている。

僕というか僕の持ってるソフトを涙目で見つめている。

見てすぐ園児と分かる薄い青色の半袖の上着に茶色い半ズボン。

黄色い帽子からは夏向けに短く刈り込んだ髪の毛が覗いていた。

それはともかく僕のアイスを見る目がどんどんうるうる大きくなる。

「お母さんは?」

アイスしか見てない。うるうるうるうる。妖怪アイスほしい。

「アイス食べたい?でも、お母さんに黙ってだと」

うるうるうるうるうるうる…やばい、もう泣く寸前だ。

僕は根負けした。微笑んでアイスをその子の前に差し出す。

「お母さんに内緒だぞ」

こ-ゆ-のって本当は駄目って言うか、分かってるんだけど。

アイスを求めるひたむきさというかピュアな瞳が嫁を求め歩く今の自分と妙にシンクロしてしまう。

男同士ってやつだ。

男の子はアイスを受け取ろうと両手を広げ輝く笑顔に変わる。

「吾郎ちゃんダメよ!」

突然1人の女性が目の前を遮る。

「あ、お母さんですか?すいません僕余計な事をして!」

恐縮して僕は立ち上がる。

頭に葉っぱを沢山のせた女性はすまなそうに頭を下げる。

「こちらこそ、ごめんなさい。この子アイスアイスって食べ過ぎなの…さっきもお店の前で駄々こねるから「置いてきますよ」って言って草むらから様子を伺ってましたの」

「それは申し訳ない事を」

「いいんですよ」

男の子の母親とおぼしき女性は鈴を鳴らすような声で笑った。

「それより、アイス溶けちゃいましたね」

「あ…ああ」

「それ私が頂きます」

屈んで僕の手からコ-ンを受け取る時白いブラウスの隙間からふくよかな胸の谷間が覗いた。

首元の真珠のネックレスも左手の薬指にはめたマリッジリングも上品な顔立ちの女性を引き立てていた。

僕から受け取った溶けかけのアイスを舌先でペロリと舐めて「美味しい」と子供みたいな笑顔で笑う。

「素敵なネックレスですね」

「養殖の淡水パールですよ」

僕は渡された香水の香りがするレ-スのハンカチを手にベンチにいた。

目の前に新しいソフトクリームが差し出される。

「あ、ありがとうございます」

男の子の手には新しいソフトクリーム。

「吾郎ちゃん良かったわね。優しいお兄さんに会えて、でもこれからは知らない人から食べ物もらっちゃダメよ」

吾郎君という名前の男の子はアイスで顔をべちゃべちゃにしながらうなずいた。

「お兄ちゃん、ありがとう!!」

「約束よ」

僕は彼女に礼を言って吾郎君の頭を撫でた。

「可愛いお子さんですね」

彼女は首を振ると言った。

「夫です」


「早く大きくなってね吾郎ちゃん」

彼女は夫の手を引いて公園を後にした。

「指輪なくすからさせられないんですよ」

僕はベンチに腰掛け雲1つない青色を眺めて思う。

もし僕に嫁が見つからす送られる先はもしかしたら空の上の荒涼とした惑星。惑星がいい。

そこで僕は出会うんだ。

遠い昔嫁に恵まれず流刑の憂き目に合った男達。

同胞スペース・ロンリ-ズに。

地球にて惰眠を貪る色ボケした人類に鉄槌を!

孤独の重さはこのコロニ-の重さと知るがいい。

コロニ-を地球に落としてやる。泣け!喚け!絶望しろ!こんな世界溶けてなくなっちまえ。

「にしても…ハンカチ返すの忘れた」

淑女の香り。成熟した大人女性の胸の谷間。僕は目を閉じてハンカチをそっと鼻先に近づける。

「アイスが溶けちゃうんだよお!!」

目を開けると目の前に円乗羽女の顔が!鼻が唇が触れるくらい近い!近いってば!

「アイスが溶けちゃって台無しにするのは犯罪!人妻の色気にくらくらするのは重罪!!相生裕太ァてめえは…死刑だお!!!」

また偽物か!?と思ったが目の前も目の前にいるのは正真正銘円乗羽女だ。

それが証拠にいつもの部下というか親衛隊の巫女達もいる。

「相生裕太、あんたは取り締まるべきよ!そして」

「そして?」

「こんなものはこうだ」

僕の手からハンカチを奪い取るとベンチ横のゴミ箱に叩き棄てた。

「アイス美味しそう」

今度はソフトに釘付けだ。酒臭い!未成年だろ。

「この有り様は一体?」

僕は彼女の取り巻きに尋ねた。

「あんた達円乗さんより年上の人もいるんだろ!?彼女未成年なんだぞ」

「それが…」

高砂祭を半月後に控え神社の長たる円乗羽女は地元の各自治体や商工会議場巡りに日参していた。

その日も町内の有力者や青年団の団長を交え打ち合わせに訪れた。

一通り打ち合わせが済むと神社からお神酒の入った樽が振る舞われる。

「今年も宜しくお願いします」

「力を合わせて良い祭りにしましょう」

場は終始和やかな雰囲気で進んだ。

「私は円乗様とお神酒を酌み交わす日が待ち遠しい」

「私は飲めませんが、お酌なら出来ますよ」

「いや、そんな滅相もない。罰が当たりますよ」

冗談で「円乗様も一口」等と勧められても彼女も慣れたもので「次がありますので」場の空気に水を注さぬように柔らかな笑顔を浮かべ暇を告げた。

「そう言えば先日鈴掛の大通りで騒ぎがあったとか」

「おう聞いた聞いた店の窓硝子が割られたって騒ぎだろ?俺その場に居たよ」

その話題に触れた時円乗花女の表情が一変した。

御付きの巫女達は彼女が賊を取り逃がした事に対し非常に不快感を持っている事を知っていた、ので気が気ではなかった。

「女だってな?」

「女だ」

「俺は通りにいたんだ。なんというか鬼神のような走りでな…あれは捕まえられねえ。触れる事も憚られる」

「どんな風体なんだ?」

「風体か…あれは…何というか、たまらんな」

「たまらんとは、つまり」
「いい女だった」

「これ円乗様の前で、控えよ」

「構わぬ、続けよ」

「円乗様」

「顔は長い髪に隠れ一瞬でしたが表情が思いを秘めてというか憂いというか…勿論円乗様には及びません」

「世辞はいらぬ」

「しかし、あのプロポーションはヤバかった!何か変な服着てけど…俺はカミさん命だけどね。もし独身だったらと思うと、あんな女に出会って嫁がいなかったらイチコロ…」

かたり。

静かにテ-ブルに空の湯飲みを置く音がした。

「円乗様?」

湯飲みの酒を一息に空けた彼女はいぶかしげに皆を見て言った。

「神の巫女たる私が御神酒を口にしてはならぬのか?」

「そ、そうですよね」

「さすが円乗様いける口で」

「ならば、いつまで私の杯を枯らすつもりだ。注げ」

「え…円乗様!残念ですが次の予定が時間が推してございます」

「なんと興醒めであるな」

巫女達に背中を押された彼女は煌めくような笑顔を人々に向けた。

「良い祭りにしようぞ!皆の衆!どうした!?楽しくないのか?楽しければ腹から笑わんか皆の衆!!」

高笑いの後に投げキスとか。

したとかしないとか。

「そっからもう自販機で買ったワンカップを一気飲みするなど・・手がつけられなくなって」

「酔い醒ましに公園に連れて来た訳か」

「確かに我らは賊を取り逃がした。しかし円乗様は許して下さったのだ。一体何処で逆鱗に、スイッチが入られたのか」

巫女達は項垂れるばかりだ。

その間も円乗は「アイスアイス」と目の前で手足をバタバタさせている。

「私なんかさ~神様のお仕事毎日頑張ってもさ~「俗世間の穢れた食べ物は駄目」だって甘い物とか私だって食べたいよ」

草履の先で足元をほじくり始めた。

「アイス食べて頭冷やせよ。円乗さん」

「いいの!?」

瞬間移動も出来るか!?だから顔が近いって。

「いいの?いいの?アイス食べちゃっていいの私?」

「アイスくらい」

言いかけて僕は何故か目頭が熱くなった。

「アイスくらい食べたっていいじゃないか」

「円乗様それでは他の者にしめしが」

「あによう」

不機嫌そうに頬を膨らませる。

「そうだ皆の者今日は暑い中ご苦労であった」

「ま、まだお勤めが」

「暫し休息を取るがよい。皆の労を労うぞ」

財布から札束。

「お金ならあるわよ~アイスでも何でも好きな物を買って参れ」

うわ…こいつ酒癖悪!!

「アイス…よ、よろしいのでございますか!?」

あれ…。

「私はクレープ」

「納豆カフェゼリークリーム一度食べて見たかったの」

「うむうむよきに計らえ」

祭主でも巫女でもなくて姫様だろ、それ。

「円乗さんも溶けないうちに食べてしまえよ」

「私は、いい」

あれ?この人もしかして酔いとか醒めてるのか。

「私だって泣きたい時とか辛い時お酒を飲んで忘れちゃえ!…なんて思ったりするのだ」

「しんどい時アイスとか甘い物は結構効くぜ」

「そうなのか?でも、いい!」

「なんで」

「だってそれは相生君が食べたくて買ったものだ。さっきも小さい子にあげようとしてた人妻にくらくらしてた」

「食べたかったけど、なんか腹の調子悪いみたいだから。円乗さんが食べてくれないと捨てなきゃいけない」

「アイスを捨てるのは重罪だ。牛にも申し訳ない」

「だな」


夏の陽射しとコンクリートの照り返し。

逃げ水。

手に持ったソフトクリームも溶けて滴る。

他の巫女たちとは違う神官の衣装を着た彼女は片膝を着いて屈む。

髪を人差し指で掻き上げる指と口元から覗く薄桃色の舌先。
「一口だけね」

「一口だけ」

ゆっくりと今にも地面に落ちてしまいそうなソフトクリームの渦巻きの先端を舐めた。

「円乗さん、自分の手で持ってよ」

「両手を地面についてしまったから、そのまま持っていて」

彼女は舌の上にのせたアイスを飲み込んだ。

途端に目が真ん丸になる。

赤ん坊をあやすように広げた両掌。

やがて輝くような笑顔に変わる。

「美味しい!美味しいよ!相生君」

日頃精進潔斎を旨とし決められた神社の食以外口にしないという彼女。

僕を見上げる彼女の頬は残ったお酒のせいか幾分紅潮し睫毛の先にうっすらと涙を浮かべていた。

「全然食べていいんだよ」

「一口でいいの…でも止まらない…相生君…美味しい」

彼女の艶やかな黒髪に触れてみたい。

柔らかな頬に掌をあて睫毛の先についた雫を指で拭いさるだけでもいい。

そんな小さな勇気でも僕にあればと思う。

そしたら世界は少しは変わるだろうか。

たとえ変わらなくても構わない。

祭が終わる頃は僕は彼女の住むこの世界から消えているかも知れない。

空を見て思う。

もし消えるなら今がいいと。

いっそ、それなら今此処で彼女が舐めたソフトクリームみたいに彼女の体の熱で溶けて消えてしまいたい。

そう思ってしまうのだ。

「私こんな格好ですごくはしたない」

「誰も見てない」

大丈夫。

「口の周りがアイスでべとべと…恥ずかしい」

大丈夫。

どこまでが現実で或いは全て僕の妄想なのか。

暑さのせいで頭が茫っとしている。

座っているベンチの木に体が触れている部分が汗ばんでいるのが自分でも分かる。

小さくなったコ-ンの欠片。

僕の指先から彼女の唇の中に消えて無くなる。

成熟していない唐黍の実のような整った小さな白い歯と白く染まった彼女の舌がちらりと覗いて見えた。

ほんの一瞬だけ僕の指先は彼女の柔らかな唇の感触にくるまれた。

彼女は残ったコ-ンを満足そうに噛み砕いた。

「あんなに沢山アイスを食べたのは初めてだ…私の舌は白くはないか?」

小さな舌をペロリと見せた。

彼女の舌はもう白くなかった。

大丈夫だよ円乗さん。

彼女は暫し俯いて僕の太股に手を置いた。

彼女の重さが膏薬を塗った湿布のようにじわりと広がる。

「なあ、相生裕太。私は今たいそうに酔っているみたいだ」

「うん」

「酔っている私だから、酔っぱらいの戯言だと思って聞いて欲しい」

「分かった」

「私は先日店で君に会った。その時普段着ないような格好をしていたはずだ」

今でも鮮烈に胸に焼きついている。

「思い出さなくていいから」

写真はバストアップまでしか撮らせてもらえなかったけど。

「御役目だから別に誰に見られようと構わない。全然平気だと思っていた、だけど違ってた」

彼女は僕の目を真っ直ぐに見上げて言った。

「なのに私の足は情けなく震えていたんだ。君の前に立つまでは全然まったく平気であったのに」

「僕が円乗さんの知り合いでクラスメ-トだから?」

「意地悪者」

彼女は道端の蟻の行列に呟く。

「来月から家賃を上げてやろうか」

大丈夫、大丈夫だよ。

円乗さん、僕は。

心が震えたんだから。

あの時が初めてじゃない。

初めて会った時、言葉を交わした時からずっと。今も君に震えっぱなしだ。

「私は、その、あの、あの女よりも相生裕太として率直に見て…」

ごにょごにょ喋るので最後まで聞き取れない。

「よく分かんないけど大丈夫だよ。円乗さん」

「大丈夫なら、良かった。うむ。良かった」

円乗さんはその後良かった良かったを延々繰り返している。

「そうだ!」

右手の握り拳で左手の掌を叩く。

「大切な事を忘れていたぞ相生裕太」

いつの間にかの呼び捨ては気づかないふり。

正直嬉しいが僕はやっぱり円乗さんの名前を呼び捨てに出来ない。

「何?円乗さん」

「うむ。あの場ではこうしなくてはならんと聞いた」

彼女は僕の顔をしばらく見つめてから言った。

「私は御主人様が大好きです。はぐ!」

彼女の体の重さと柔らかい二の腕と胸の感触が体にダイレクトに伝わる。

「はぐう」

はぐは!大丈夫じゃ…ねえ。

嬉しいけど。間違ってるぞ、その知識。

「べ別にお仕事でやり残した事を今しただけなんだからね!」

それ嗜好に地味に効く。いや寧ろ追い討ちだ。

「ど・どうした!?急に前屈みになって、やはりお腹が悪いのか!?胃か?膵臓か?腎臓?どれ、見てやろう!?」

「み見ないで」

「どうした!?女みたいな声を出して…!」

彼女が身を乗り出したせいで僕の太股に置いた手が数センチ上に滑る。

「嘘」

「ごめん」嘘はついていない。寧ろ己自身の正直さ愚直さ故。僕は詫びた。

「と」

「と?」

「殿方の信じ難き」

彼女は両手で顔を覆い後ろに後ずさる。

「め滅相も御座いません」

僕は夏祭りを待たずにこの世界から消え失せるかも知れない。

何故なら。

「己」

「卑賤の輩が」

「神敵」

「我らが目の届かぬを良いことに酔った羽女様を犬のように地べたに膝まづかせ、こともあろうに、ま摩羅をば握らすとは」

言ってる事は何一つ間違っていないが、誤解だ。

言い訳する間も与えてもらえず僕は茂みから現れた巫女たちに祓い棒で餅のようにしばかれた。

「六根清浄!」

いた!

「六根清浄!」

いたいって!

「祓い賜え!清め賜え!」

「いててて!」

「こら!お前達止さぬか…」

そう言って制止に入ろうとした彼女は体を九の字にしてお腹を抑えている。

「相生君が…ぼこぼこに…いやすまない…あはははははは」

僕の殴られっぷりが面白くて何だか円乗さんのツボに入ったようだ。

日頃表情をあまり変えない彼女が今はお腹を抱えて笑っている。

「この位で勘弁してやろう。さっさと立ち去れ!」

「頼む、もっとだ!もっとやってくれ!」

「何を!?この、この変態が!!」

僕は携帯を出して言った。

「出来れば写真も」

棒で殴られるのは構わない…でも角は止めてくれ。

本当に死ぬから。

最終的には円乗さんが巫女たちを止めてくれた。

でなければ本当に死んでたかも。

「円乗さん愛されて崇拝されてるんだなあ」

因みに円乗さんに就いている精鋭っぽい巫女さん達は通称ネギと言うらしい。どんな漢字で書くのだろう。

「ネギ部隊ですね」と軽口をきいたら睨まれたが。

自宅のベッドに寝転がりながら携帯のフォトを眺める。

痣やコブが出来てあちこち痛むが不思議と気分は悪くない。

ネギの1人が「冥土の土産」と押したシャッター。

祓い棒で組伏された僕の写真。

本当はその視線の先にいる円乗さんの写真が欲しかったんだけど。

円乗さんの姿は写っていなくて残念だ。

でも彼女は確かにそこにいて。

僕の目の前で弾けるような笑顔を見せてくれた。

それが、この夏の忘れられない僕の思い出なんだ。

【和魂荒魂】
街を歩いていて、はっとする事がある。

嫁の手掛かりを探して歩いているはずなのに。

気がつくと僕は人混みや店先のガラス窓に彼女の姿を探していた。

けして手が届かない追い求めてはいけない女の子だと知りながら。

そんな時いつも決まって深い溜め息が漏れた。

神の嫁に抱く罰当たりな恋心。

そんな僕だからか神の裁きの日はあっという間にやって来た。

今日は祭りの前日。

うきうきするような浮き足だった高揚する気持ちなど微塵もない。

今までただ無為に街を彷徨いていた訳ではない。

役所にも警察にも出向いた。

そもそも僕には過去に嫁がいた記憶がない。

しかしそんな事があり得ないこの世界。

過去の記憶が曖昧で「もしかしたら事故か何かで嫁と離れてしまった可能性もある」精神科にも通った。

しかし、どの機関に問い合わせても「前例がない」と困惑されるばかりだ。

円乗さんは「君がこの街で暮らせるように手を尽くす」と言ってくれた。

しかし彼女の意思以上に彼女の神託は絶対でけして覆せないものだと僕は知っている。

この世界の人々が安寧に幸福な毎日を過ごせるのは彼女の神託のおかげだ。

この世界の現在と過去は神の御神託によって舵取りが成されて来た。

それでも彼女が応援してくれたり僕を気遣ってくれるのが嬉しくて。

本当は一月前までの自分は半ば諦めていた。

「今は彼女を失望させたくない」

そんな気持ちに僕は突き動かされて何とか今日を生きている。

しかし、それでも考えずにはいられない。僕の暮らすこの世界について。

夕暮れ間近な河川敷を見下ろす土手を歩く。

川風に吹かれながらふと言葉が口をついて出てしまう。

「どうして僕だけ」

思わずその場に座り込み、泣きたくなる。

家に戻り鍵を閉めたら今日は終わる。

今日と同じ明日は僕には来ない。

「1人なのかい少年?」

背中越しに女の声がして振り向く。

通夜の宵にはまだ早い。

葬式帰りか、それとも気の早い死神が僕を迎えにでも来たのだろうか。

靡く白銀色の髪に喪服姿の女が1人そこに立っていた。

片腕に抱えた桐の長箱には見覚えのある神社の刻印が嫌でも目に入る。

「どうやら神様はあんたを助けてくれなかったみたいだね」

「顔の傷まだ治らないんですか」

顔に貼られたマスキングテ-プみたいな細長い絆創膏を見て僕は間抜けな答えを彼女に返した。

「ああ、これ?剥がすの忘れてただけ」

彼女は無造作に顔から絆創膏を剥がして棄てた。

川風に吹かれ絆創膏は何処かに吹き飛ばされた。

「カフカ島の散華」

散る華と書いて散華。それが彼女の名前だった。

「変わった名前ですね」

「華と散るために生きている訳ではない。散る華はあっても、散る事の出来ぬ華のために今は生きている。それが私の名前に宿る宿命なのだと私は考える」

やはり円乗羽女に彼女は似ている。

真っ直ぐで曇りない直向きな眼差しが、とてもよく似ている。

たとえこの世界が僕の事を愛してくれなくても。

円乗羽女の瞳に映る世界が僕はとても好きだ。

彼女がこよなくこの世界を愛しているのが僕にも分かるから。

だから僕はこの世界に留まりたいと願う。

彼女にあって目の前の喪服の女性にないものは多分それだ。

悲しみと憎しみの宿る瞳。

彼女にあって円乗羽女にないもの。

彼女はこの世界を深く憎んでいた。

「この世界に弾き出されて私も1人だよ少年」

「愛人・知人・友人…好きに呼んでくれて構わない」

よく見れば瓜二つという訳ではない。

しかし陰陽五行の黒白対極のように1対。

「あんたの目を見てると私は切なくなっちまうのさ。あんたは私と同じでこの世界を憎んでいる」

「さあ、一緒においで少年。あんたの居場所は此処でも賽の河原でもない」

甘い毒が体を痺れさせる。

彼女の言葉が心に染みるように響くのは真実を含んでいるからなのか。

「あんた妹より私に似て…!」

優し気に僕に向かって差し伸べられた、たおやかな指先。

しかし瞬時にその表情が一変し、その場から飛び退く。

目の前を矢のように通り過ぎた玉串が路上に突き刺さる。

榊に巻かれた紙垂が風に揺れるのを僕は茫然と眺めていた。

「その人に触れないで」

声の主は円乗羽女だった。

「大姉様」

彼女は喪服の女にそう言った。

「大姉様だと」

散華と名乗る女の方眉がつり上がる。

「この姉を死人扱いするか、大した妹だ羽女」

「私には壱師という名の姉はおりますが散華という神に仇成す姉はおりません」

「その名前の女はとうの昔に死んだ。亡き夫の魂と共に。今は散華が私の名だ」

「姉様の黒袖の花嫁衣装とても憧れでした」

「今は主亡き片袖の身」

「その亡き夫の死を悼む気持ちが姉様には無いのですか?」

「な…んだと」

「愛する人の死を悼む気持ちがあれば現世に於いて盗賊などどいう恥知らずな真似が出来ようはずがありません」

「私は奪われたものは取り返す…ただそれだけだ」

「神社の宝物殿から姉様が持ち去った物。その剣や異教の禁書は今の姉様には無縁の物、速やかにお返し下さい。そして島にお帰り下さい。さすれば…」

「許して下さるとでも言うつもりか?お前が、神が、私はお前達神社の所業をけして許しはしないがな」

「明日はカフカ島でも大切な鎮魂祭です。姉様がこんな場所でこんな騒ぎを起こしている時ではありませんよ」

「本土の島では祭りに浮かれ騒ぎ。我ら寡婦は大人しく喪に服し涙に暮れておれば良いと…お前はそう言いたいのだな?」

「常に夫に寄り添い。夫を助け。家を守り。逝く人があれば見送る。それがこの国に女として生まれし者の努めと羽女は考えます」

「神の傀儡。実にお人形らしい、美辞麗句を並べたつもりか?吐き気がする」

「私は人形ではありません。血の通った人間です。だから姉様の事が心配でなりません」

「私から夫を、いや多くの女達の夫の命を奪っておきながら、よくもぬけぬけとそんな台詞を!」

「時が来て人の魂が天に召されるのは天の摂理です」

「病や不慮の事故であれば永い時をかけて、その死を受け入れる事も出来よう。しかし…」

「宿命の輪の端切だけを見ていては人の魂は永遠に救われません。現世の別れは夢現。結び合った魂は輪廻の果てに必ず再び解ごうの時を迎えると私は信じています。人の魂は完全ではない。何れかが欠損した不完全な魂を抱いて人は産まれるのです。産声を上げて自分以外の誰かを呼び。人と出会い人の心に触れ抱かれ己の魂の欠落を埋める。完全な魂の皃を得た者が現世に留まる理由はありません。死は忌むべきものではないのですよ、姉様」

「では私達寡婦はなぜ逝けぬ」

「それは」

「時を経ても何故逝けぬ。私達に土還る日が訪れて想い人の元へと魂は天を昇るか?答えて見せよ、神の御使いたる円乗羽女」

「それは神職を生業とする円乗の家に生まれた姉様なら御存知のはすです」

「己が口で答えよ」

「私達は夫と同じ天に還る事は叶いません…ですが、それが私達の宿命」

「宿命!宿命!宿命!一体誰がそんな事を決めたのだ」

「神の御意志です」

「ならば滅ぼしてやろうと言うのだ、その姿さえ見せぬ神と神が創りしこの世界とやらをな」

2人は無言のまま対峙した。

思いのたけ、激情をぶつける散華。

一方の円乗さんは日頃僕に見せてくれた人間味というか感情は全て冷利な祭主の仮面の下に封じ込めてしまったようだ。

散華の言葉にも眉一つ動かさない。

話の流れから2人が血を分けた姉妹である事は僕にも分かる。

話している会話の内容は正直よく分からない。

自分がこの場に居て良い人間なのかどうかも正直言って分からない。

しかし、これは、ただの姉妹喧嘩じゃない事位僕にだって分かる。

散華はこの世界と神に根深い禍根を持つ。

その禍根が神と神の象徴たる高砂神社と円乗羽女に向けられている。

だけど、そんな事より今の円乗さんは今まで見てた中で一番ヤバい気がする。

今までだって無理をして自分に与えられた役柄をこなそうと彼女は必死だった。

そんな時でもふと垣間見える素顔の円乗さんが好きだった。

でも今の円乗さんは正直見ていられない。

僕は何も考えず何の言葉も持たないまま2人に割って入った。

「姉妹喧嘩は止めて下さい」

我ながら蚊蜻蛉みたいな覚束無さと気の抜けた炭酸みたいな声は本当に嫌になる。

「相生君」

「少年」

「貴女たちは姉妹で僕には弟や妹や兄弟はいないし2人の事は分からないけど生まれた時からずっといがみ合って来た訳じゃないと思う」

他人がけして踏み込む事が出来ない親密な関係。

真の憎悪というものがあるとすれば、それはそこからしか生まれない。

「で?」

「何が言いたいのだ?相生君」

姉妹2人に見つめられた僕は次の言葉を模索した。

「姉妹喧嘩はいけない」

それ以外の言葉を僕は用意してなかった。

「相生君?」

今この場で言うべき事じゃないのは分かる…けど。

「円乗さん」

僕は円乗さんの両肩を自分の両手で掴む。

いつかソフトクリームを初めて口に含んだ時みたいに円乗さんは目をまんまるにして僕を見ている。

なんて彼女は可愛いんだろう。

「今しかないんだ」

「相生君?」

「僕には今しかない」

そうとも、明日という日が終われば僕はもうこの世界にはいない。

「僕は初めて会った時から円乗さんの事が…」

「え」

映画やドラマの主人公みたいに相手の立場を思い幸せを願って何も告げず静かに消えるのもありだ。

それが美しい終焉なのか。

その時の僕は何処かで聞きかじったような絵空事を口にしたり出来なかった。

「僕は円乗さんと、ずっと一緒にいたい。

出来る事なら夏祭りを一緒に過ごしたいと思ってるんだ」

「待って、相生君。状況…私と姉様の会話聞いてたら…姉様は祭はおろかこの世界を破滅させると」

ならば僕と逃げて欲しい。

逃げるのがダメなら。

「そんなの、ちゃっちゃっと片付けてしまおう。僕も手伝うからさ」

だから僕と祭に行こう。

「相生君、私は…」

「吊り橋効果というのは確かにあるそうだが」

間延びした声で散華が口を挟む。

「ま、ぎりぎりセ-フってとこか」

「ばちぱちばち」

人を小バカにしたような拍手が神経を逆撫でする。

しかし彼女の表情は何故か穏やかな微笑みを湛えていた。

「少年、私の事はこれからお義姉さんと呼んでいいぞ」

白か黒しかない。

極端な性格みたいだ。

この人が口を開き何か言葉を発する度事態は混迷を深め取り返しのつかない遥か沖合いまで流されてしまう気がする。

「どうやら妹も君の事を心憎からず思っているようだ」

円乗さんの気持ちも考えずに。

無遠慮に動く口を縫ってしまいたい。

「姉様!何を言って…私たちは別に、その…そんなんじゃ…」

「先程から私の挑発にも眉一つ動かさなかった氷女がこの狼狽てよう!はっはっは愉快愉快!!」

この女さっきから何を考えているのか何が言いたいのか、さっぱり分からない。

「実はこの一月二人の事は粒さに観察させて貰った」

やってる事は妹のストーカーじゃないか。

「今や怨讐の糸で結ばれた姉妹であっても妹の良縁は喜ばしいものだ」

「姉様」

「今日のところは退く」

彼女は僕たちに背を向けた。

「相生君と言ったか。羽女相手に人並みの恋路は大変だぞ。何しろ、この娘の信仰ルナティックは神憑ってる。君の恋敵は文字通り神様だ。天罰の針山を歩く覚悟がないなら諦めるべきだ」

それは自分の中で何度も自問自答して来た。

もっとも僕の気持ちがどうであれ僕はまだ円乗さんの気持ちを聞いてはいないのだが。

「若いというのはいいものだな」

彼女が僕の肩に手を添える。

「たとえ神が許さずとも私がお前たち二人の仲を祝福しよう」

「姉様」

「喋り過ぎたようだ。では行こうか?相生君」

「行くって何処へですか?」

「先に言っておいたはずだが…君は私が治めるカフカ島へと来るのだ。客人として存分にもてなそう」

「散華さん何言って…!」

肩にのせた指先に力がこもる。

爪が肉に食い込む痛みに抗おうと僕は思わず身を捩る。

路上に放り出された桐の空箱。

彼女の左手には緑黴ふく銅の剣の束が握られていた。

「祝福しよう。そうは言ったが羽女、私はお前を許すとは言った覚えはない」

「高砂神社より草木一本持ち帰る事は禁じられております。その方に触れる事も私は許しません!」

「命だけは恵んでやろうと言うのだ…無論慈悲ではないがな」


「羽女、お前は知らねばならない。永遠に続く片羽根を剥がされるような魂の痛みを…天上の高みから神になったと錯覚して我らを見下ろす愚かな妹よ。明日になれば、お前は羽をむしられ私の前にひれ伏すのだ」

この人は!僕は彼女の手を振り払い。

円乗さん元に駆け寄ろうとした。

目の前を剣が阻む。

「このような錆びた剣で人は切れぬと思うか」

「まあ神の剣で撲殺というのも悪くはない」

空恐ろしい台詞を飄々と口にする。

しかし虚勢やこけおどしに聞こえない。

彼女は躊躇なく、やってのける。

たとえ血を分けた姉妹でも彼女は円乗さんの敵。

僕はそう認識した。

少しでも気を許しかけた自分が馬鹿だった。

「肩に添えた女の手を、そうも無下に振り払うとは…いかに私とて傷つく」

「殺す由縁には充分だ」

彼女から向けられた眼差しはそう語っているようで背筋が寒くなる。

「貴女だって、さっきから聞いていれば円乗さんを傷つけ貶めるような台詞ばかり言ってるじゃないか!」

「傷つけられたら傷つけ返す。実に人間らしい所業ではないか?少年」

「少なくとも、そこにいる神様の木偶人形よりはな」

「円乗さん、この人は本当に君の姉さん?失礼だけど血はつながってるのかな?こんなに人を殴ってやりたいと思ったのは生まれて初めてだ」

「ほう、これはまた随分と嫌われたものだ。思惑通りであろうが?羽女」

「黙れ!円乗さんに、あんたみたいな汚い思惑なんてあってたまるかよ!!」

「だそうだ。恋の病に憑かれた男というのは、かくも哀れかくも滑稽にして盲目」

彼女の言葉を遮ったのは周囲を取り囲んだネギたちの得物。

払い棒ではなく薙刀だった。

「宮様遅くなりました」

「薫か!下がって良い」

「しかし宮様」

「姉様との決着は今この場で私がつける」

薫と呼ばれた巫女から彼女は薙刀を受け取る。

上段の構えから八相。

五行から脇構えに至る流れはまるで優雅な舞を見ているようで瞬きする間も惜しまれる程美しい。

さらに腰を落とし右足を引き体を右斜めに向け刀を右脇に取り、剣先を後ろに下げる。

相手から見て、こちらの打突と刀身の長さを正確に確認出来ない。陽の構え。

薙刀というより剣の居合い抜きの型に近い。

後に円乗さんが僕に教えてくれた。

「あれは相打ち狙いの型でもある」

長尺に圧倒的な差がある薙刀と刀剣の戦いに於いても彼女は散華との相討ちを覚悟していた。

それは武芸に疎い僕のような人間が見ても分かる。

何より円乗さんの表情が物語っていた。

彼女は今生と死の陛に草履の爪先だけで立っている。

静寂と刹那。

予測出来るのは二人のうちどちが一人が確実に絶命する瞬間。

世界はその時を境に変容するのだろうか。

「祝と禰宜よ」

突然散華に位階で呼ばれ巫女達は動揺する。

「貴様等の仕事は祭祀に社務…それから芋掘りか?」

「無論、我らの役目は祭主様の警護…」

あの時と同じだ。

あの時と同様に散華の姿は既にそこに無かった。

巫女達が薙刀を翳し彼女がいた輪の中心に向けて突き立てた。

「危ない!!お前達下がれ!!」

剣を逆手に構えた散華が笑みを浮かべながら、ゆらりと立ち上がった。放り出され音を立て散乱する薙刀。

踝の辺りを抑え蹲り倒れ伏す巫女達。

苦悶の声が其処俐から聞こえた。

「切れるものだな」刃先を彼女の舌が這う。

刀身を傷めないために剣先だけで腱を切断したのか…なんて奴だ。

「私にこの距離で柄物で仕掛けるとは呆れた平和呆け…衛士ならば対峙したら躊躇わずに貫け」」

道に転がる巫女達を見下ろすと彼女は言った。

「私は優しい。両足の腱のみで有難いと思え」

寝転ぶ巫女のこめかみを踏みつける。

「貴様もだ、羽女」

薙刀を構えた姿勢で踏み込めずにいる円乗さんを睨み付け言った。

「打ち込む隙はあった。しかし打ち込めなかった。ここにいる部下や少年を気遣ってか?だが、その躊躇い一つで貴様は私に永遠に届かない。勝敗は既に決した」

「まだ勝負はついていません」

「頭が悪い女だ」

散華は僕に剣を差しだすと言った。

「悪いが持っていてくれるかな、少年」

無造作に手渡された剣は驚く程重量があった。

右手の人差し指を一つ立て散華は言った。

「剣など要らぬ。羽女、お前など指一つで充分だ」

「お前は永遠に私に届かない…それが神の摂理だ」



【重力の使命】

「羽女が1人」

「羽女が2人」

謌を読むように童歌を口ずさむように楽しげな散華。

一方の円乗さんは忽ち驚きと苦悶に表情が歪む。

「懐かしいであろう羽女。羽女…7」

激しくえずき口を開けて喘ぐ、その手元から一度も振られる事なく薙刀が落ちる。何が起きているのか理解出来ないまま僕は剣の束を握りしめる。

妖術とか金縛りとか…分からないけど。

目に見えない何かが円乗さんを傷め苦しませている。

原因は目の前にいる。

散華を止めなくてはならない。

「打ち込むつもりか少年?私は構わぬぞ」

背中に突然重圧がのし掛かる。

立っている事も出来ない程の衝撃に足元がふらつく。

「な…なんだよ…これ?!」

「君という人間の業の重さだ」

涼しい顔で散華が言った。

「足元がふらつくか?たった1人で情けない。羽女は既に7人背負っていると言うのに」

「こんなのを7倍だって」

「普通の人間であれば7.5で血管が圧迫されブラックアウト。17を越えたらおそらく即死」「止めろ!!」

「私に指図するな」

狂暴な力の壁に押し潰され僕は地面に叩きつけられる。

「助けて欲しいか少年。これから先私だけをネタに「自らを慰めます」と誓えば許してやろう。

羽女ではなくこの私…」

「誰が…あんた何かで!!」

「初めて会った時私の胸や足ばかり見ていたくせに。サラシを巻こうかと随分迷ったがなあ」

「あんたの事を円乗さんだと思った途端に恥ずかしくなって…まともに顔なんて見れなかっただけだ!!」

「言ってくれるじゃないか少年」

散華は口元に薄笑いを浮かべた。

「10」

内臓が飛び出しそうな重圧に思まず呻き声が漏れる。

「相生君!?」

「18」

駆け寄ろうとした円乗さんを散華の呪が阻む。

失いかけた意識を呼び戻したのは円乗さんの哀しげな叫び声だった。

気絶なんかしてる場合じゃない。

立ち上がらなくては。

「宮様お逃げ下さい」

「羽女様」

「ほう、まだ意識があるのか少年。心配するな。羽女はこの程度では死なない。いや死ねぬと言うべきか…何故なら私がそのようにこれを鍛えたからだ」

「重…力…改変」

「その通り」

「姉様の…改変は…姉様が神社と縁を切り…祭主を辞した時…失効したはず」

「その通り。私は改変の力を失った」

「では…何故、今?」

「言ったはずだ。私は奪われたものは奪い返すと」

「そ…それで…式神を使い宝殿から禁書を大量に」

「そうだ。お前達が世間から遠ざけ禁書扱いにしている異教の書の数々大変参考になった。私の改変の能力が真に神に与えれたものでなく生来持っていたものであるとするなら…封印ならば解く鍵はあるという私の目論見は外れてはいなかった」

散華はつかつかと円乗さんの目の前に近づくと右手を翳す。

指先が黒鋼のように変質する。

「取り戻したのだ」

禍々しく延びた爪を彼女の額に向ける。

「届かぬのだ羽女。このように距離を詰めても、お前は私に届かぬ」

「姉様が言葉を唱える前に届けばと羽女は」

「確かにお前はそれで私に届いた。触れる事が出来た。お前はそれで何人も触れる事が叶わぬ神羽を手に入れた。神速の巫女は円乗流を背負うのに相応しい…私の誇りの妹だ」

「届いたと思ったのに」

「私は思うだけで改変を発動出来る」

「思いより…速く…など」

「如何なる翼も重力は駆逐する。それが真理だ羽女」
「そんな」

「私が思うだけでお前に課すお前の業。その数を知りたいか?」

彼女は項垂れたまま答えない。

「800だ。それ以上は試した事がない」」

「絶望という言葉の意味が理出来たか?」

唇を噛みしめた彼女の悔しさと絶望が僕にも伝わる。

路上に伏した巫女達の啜り泣く声が聞こえる。

「だが私は倒れない。ここで姉様の前で膝をつくわけには行かない」

手を伸ばし両足でねじ切れそうな細い首と体を支える。

円乗さんは生身の肉体で散華の改変とか言う化け物じみた能力に抗っている。

円乗さんは改変という力を使えないのだろうか?

散華は以前は高砂神社の祭主だった。

だから改変が使えた。

ならば現役の祭主である円乗さんも同等かそれ以上の能力を持っていたって不思議ではない。

「よお」

ようやく僕は散華の足首を掴んだ。

折れそうな位細い足…こういうのなんて言うんだろう、お洒落お姐靴。だけ見てたら、こんな恐ろしい事をしでかすようには、とても見えないんだけど。

「ここまで這いずって来たのか?気も失わずに…大したものだな」

「相生君は私達の争いに関係ない!離して上げて!」

「関係ない…関係なくもあるまい!そうであろう?羽女。この少年こそ、お前がしでかした改変の被害者ではないか!?」

「今のところ、あんたの実害で死にそうなんだけど」

「やはり君は妹と違って面白い!私の弟にならぬか?」

「こんな…状況では…十中八九断る…と思う、が」

「確かにそうだ」

散華は愉快そうに笑った。

僕にはこれ位しか出来ない。

この間に何とか上手い事してくれないか?円乗さん。

先程からの流れから可能性は限りなく0に近くても。

「そもそも改変って何だよ?僕に関係あるとかないとか…」

実はどうでもいい。ただの時間稼ぎだ。

そんな僕の思惑など「見透かしている」とでも言いたげな散華は溜め息を1つ吐くと。

「もうよい飽きた。立て、私が許す」

言い終わる前に散華は僕と円乗さんの前を通り過ぎた。

路上に僕が放り出した宝剣を拾い上げた。

面白くなさ気に刃先を眺めている。

「あれ…体が軽くなった」

急に体に載っていた重石から解放された感じがした。

体が軽くなり過ぎて逆に吐き気が込み上げて来る。

円乗さんを見ると肩で荒い息をしているものの散華の重圧から解放されたようだ。

「なかなかであろう我が【MISSION OF GRVITY】の威力」

「また神から得た御技にそのような横文字を!」

「国粋主義も程々にせんとな。世の中の流れに立ち遅れるぞ」

「姉様は俗世間に毒され過ぎております」

「お陰様でお前より最強だ」

指にネイルでも塗るように宝剣の刃先を指先で弄る。

「これ556で落ちるかな?」

556は潤滑剤だ。

「お返し下さい」

「禁書の中にあった書物から命名したのだが…名著であった。一度読むがいい!!」


【乙女の吊り橋】

「この姉に隙あらば、何時でも打ち込むがいい」

「今のところありません姉様」

「で、あろうな。お前の間合いは私の間合いと熟知しておる。迂濶に踏み込めぬは修練と精進の結果と知るが良い」

「お誉め頂き羽女恭悦にございます」

この二人の妙な間。やり取りにも少し慣れた。

しかし突然沸点がMAXになるので油断ならない。

第一二人とも目が笑っていない。

「ですが姉様」

「ですが何だ羽女」

「昨年の高砂祭の白鷺武踏に乱入した姉様は強引に大会に乱入し参加者全て1人で倒した挙げ句、公衆の面前で私に挑戦状を叩きつけ、一太刀も浴びせる事も叶わぬまま逃走したはず」

なんて人だろう。それ以外言葉が見つからない。

「1Rはくれてやる事にした」

「1Rはくれてやる?」

「闘いってのを長いスパンで見るのさ私は…つまり羽女あんたさあ格ゲーとかやる人?」

「やりません」

「相生君は?」

「まあ…たしなむ程度には」

「1Rは適当にやって相手の癖とか頭に入ったら2R「勝てる!」て鼻息荒くしてる相手に触れさせもせず、じわじわボコボコにしてやるのが快感なのよ!」

ゲーマ-としても人間としても最悪だ。

「神速には磨きがかかっていた。だが、それでは私には勝てない、何度も言うが」

「何度も言うのは実は、あんたが円乗さんの神速を恐れてるからじゃないのか?」

「ほう、面白い事を言うな少年。根拠はあるのか?」

「あんたが重力を操作して相手の動きに制限をかけ圧死させるトンデモ能力の持ち主だって事は分かった。催眠術でもなければ信じ難いが」

「相生君、姉様の改変は本物だ。催眠術などではない」

円乗さんがそう言うなら間違いないのだろう。認めたくはないが。

「円乗さんを後継者として育てる上で、あんたは円乗さんに高重力の負荷をかけて修行させたとか。結果として円乗さんは神速という特殊な力を手に入れた」

「私には姉様のよう重力改変や己の肉体の組成を変化させる能力はない」

「私の改変は局所的で範囲が限られている。羽女はそれに対し極値的…大局と言った方が分かりやすいか…つまりより戦闘に向いている方が私だ」

「相手の体に触れる事もなく労せずして敵を倒せる…そんなあんたは相手の動きを上回る速度を獲得する必要はなかった。つまり円乗さんの神速は通常の戦闘に於いて確実にあんたの脅威であるはすだ」

「なるほどな、つまり羽女の神速に脅威を感じた私があの手この手でその芽を摘んでしまおうと…勝つために羽女の一歩までも封じてしまえと謀ったという訳か」

「本来戦う相手には手の内を隠しておきたいものだ。にも関わらず、あんたは執拗に手の内をひけらかし円乗さんに『自分は絶対勝てない』という恐怖心を植え付けたんだ」

「戦う相手には常に全力を尽くすものだ。何故ならこれは武術の試合ではなく戦だからだ」

はぐらかされたのか。

「円乗流は…本来対戦に於いて改変は使用しない。改変は闘いに用いるものではなく、むしろそれに頼る事なく自らの精神と肉体を鍛練し神の高みを目指すものだ」

「さすが祭主様にして円乗流後継者。模範回答をどうも」

「姉様は改変を戦闘に使ってはならないという禁を破り戦闘に向かない私を鍛え上げた」

「私は神様の決まり事ってのがいちいち気にいらないだけさ」

「では改変という能力の意味も使い道も不明瞭だ」

「局所的改変能力の持ち主であった円乗壱師というかつての祭主は自らの力を白鷺武踏会で誇示し世の民に神威ここにありと知らしめる。治世に於いて大いに有益だった。一方私の後を継いで祭主となった羽女の改変はより普遍的だった」

まるで本来祭主に備わる改変能力が神によってさらに都合良く改変されたかのように。

「私は神託により姉様より次の祭主の座を引き継いだ」」

「神託と改変、それこそが現在最も祭主を祭主たらしめる重要な要素だ…つまりは」」

「つまりは…」神託を受けた祭主は世界を改変出来るって事なのか?

「私たちは今吊り橋の上にいる…という事だ」

気がつけば僕たち三人は吹き荒れる風の中で心もとなく揺れる吊り橋の上に立っていた。

「これが改変!?」

「単なる目眩ましだ」

三華は鼻で笑う。

「逆に私は君に問いたい。君は何故こんな世の中で1人分かりやすい位に孤独なのだ。それを自分で考えた事はあるか?」

「考えたさ」

しかし答えなんて見つからなかった。

「君が孤独であるように祭主という存在もまた孤独なものだ。神に身を捧げた身とはいえ寄り添う連れ合いもなくその生涯を終える…私も同じ立場にいた人間だからこそ妹の心情は理解出来る」

「しかし姉様はその後良き人に廻り合いました」

「私の夫は稀人であった」

「稀人?」

「海で遭難し浜辺に打ち上げられていたのを助けられ神社に運ばれたのだ」

「古来より海より流れつく異郷の神を稀人と言うのです」

「もっとも彼は単たる遭難者で神などではなかった。治療を受けたが三日三晩彼は目を覚まさなかった」

彼女は眠る彼の横顔を見て恋に落ち。

「目覚めて初めて彼の声を聞いた時にはもう愛していた」

「ほどなく私に神託が降り姉様は祭主の座を辞し、その方と共に神社を去りました」

「私は彼が目を覚まさぬ間思ったものだ「目を覚ましても私だけを見てくれないか。そうでないなら目を覚まさないで」と」

「それと吊り橋が何か関係があるのか?」

「鈍い男だ!この世界で唯一無二の孤独な心を抱えた男女が吊り橋の上で出逢った。私は宛ら橋の上を吹き荒れる暴風。風に吹かれ揺れに揺れる吊り橋の上ではお互いに思いを寄せるようになったお前達二人の絆も深まった事だろう…別に礼など要らぬ」

「誰があんたに礼なんてするか!」

「だがな少年。私は吊り橋なんて揺らしていない」

「何が言いたい」

「吊り橋を掴んで揺らしているのはこの女だ!吊り橋を拵えて君をそこに立たせたのは君の横で清ました顔をしているその女だ!!」
「そんな馬鹿な」

「出来るのだよ。羽女の改変ならば…君を世界で唯一連れ合いを持たぬ孤独な男に。それが羽女の改変能力だ。そんな事が出来るのは高砂神社の祭主円乗羽女ただ1人…理由はさっき私が言った通りだ」

「何故円乗さんが僕にそんな事を…あり得ないだろ!?そんな事!!」

「結構な揺れであろう」

「嘘です…そんな話。姉様の妄言です!!私が相生君の幸せを願いこそすれ、そんな不幸を思うはずがありません。相生君私を信じて欲しい!!」

勿論僕は円乗さんを信じる。

「果たして夢の中までと誓えるか羽女?夢の中や無意識にも「自分だけを見て欲しい」と思わぬ恋が果たしてこの世にあるものか」

「私が相生君と出逢う前からこの世界は今と変わらぬ世界でした。それは姉様もご存知のはず」

「相生君は私の夫と同じ稀人なのかも知れぬな。しかしその彼も私という伴侶を得た。羽女が君の妻を消したとしたら…君には妻の記憶があるのではないか?私には見当がついているのだが…羽女、お前は知っているのではないか?」

「どうした羽女?彼の幸せを第一に考えているお前が何故沈黙を守る?教えてやれば良いではないか、お前がこの世界から消し去った彼の嫁の事を」

円乗さんが僕の嫁の存在を知っている?

「根拠はある」

吊り橋は軋み激しく揺れた。

「羽女は君の嫁となるべき女ではない。君が運命を共にするはずだった女性は別に存在する」

「仮にそんな人がいたとしても羽女さんがその人を僕の目の前から消してしまうなんて考えられない…あんたならやりかねないが」

「おそらく君に嫁いでいたら間違いなく三國一の花嫁と呼ばれていたであろうな。君も羽女の事など直ぐに忘れたはずだ」

「間違いありません」

「だから私は羽女が相生結太の嫁の存在を消すか隠したと考える」


嫉妬という文字がちらりと脳裏を掠める。

しかし僕は直ぐ様振り払う。

「円乗さんがそんな事する訳がない」

さっきから僕は駄々っ子みたいに同じ言葉を繰り返している気がする。どれだけ恐ろしい現実を突き付けられても彼女を信じていたい自分がそこにいた。

「根拠はあるのだ」

揺れる吊り橋の上で散華は目を閉じた。

まるでこの歪んだ世界で唯一正しい方角を指し示すコンパスのように。揺るぎなく静かな佇まいが今の僕を堪らなく不安にさせる。

「君の伴侶となる女が私の知る人物ならば君を間違いなく白鷺武踏会に誘うだろう。たとえそうでなくても君の資質や才能を目敏く見つけ世の華舞台に君を立たせるだろう。そこに彼女の悪意は微塵もないと断言出来る。愛だけだ。君は三國一の当たり籤を引いた果報者という事になる」

「それの一体どこが悪いんだ」

「そしたら君は死ぬんだよ」

「僕が死ぬって!?」

「羽女が先程言ったではないか。『完全なる魂はこの世に留まる必要はない』と。この世界で神に選ばれた魂は生け贄になるのさ」

「姉様は真実を歪めています」

「ではお前に聞こう羽女。私はお前が祭主となって最初の年の白鷺武踏に私は夫と共に出場し見事に優勝した。事実であるか?」

「事実です」

「優勝の報奨として与えられたのはお前達の言うところの魂が神の御元に召される事であった。事実であるか?」

「事実ですが…姉様!!」

「私の夫は神社と其処にいる女の手引きで神の生け贄となった。めぐり会い幸福の絶頂でお互いに高め合い辿り着いた誉れ高き日に、さぞやその完全なる魂とやらは美味であった事だろう。この世界には贄を捉える目に見えぬ穴が其処俐に存在しているのだ」

散華の指し示す指の先には円乗羽女。

まるで判決を待つ囚人のように俯いて立ち竦んでいた。

「私の夫も寡婦として島に送られた女達も救ってはくれなかった。そんなお前が思いを寄せた男1人救うために改変を行うとは!些か笑えぬ冗談だ円乗羽女!!」

「円乗さんが僕を助けるために!?」

「祭までの1月の期限だと!考えてみれば可笑しな話だ。神は期限の札など切らぬものだ。期限に猶予、私から言わせればそれは善きつけ悪きにつけ【情】だ。私の知る限り神は情など持たぬものだ」

「神託はありました。【相生結太なる人物はこの世界の異物留め置く事は叶わず。即刻賽の河原送りにせよ】と」

「無視したのか。神託を」

「神罰は覚悟の上です」

「円乗さん」

「気にしないで相生君。アイスのお礼だから」

アイス奢ったのは…そのずっと後だろ、円乗さん。

「姉様」

「何だ?羽女」

「長々御講釈賜りましたが他に言い残した言葉はございませんか?」

目の前から吊り橋が消えた。

「辞世の句など」

先程まで足の腱を切断され路上に伏していた巫女達が今は得物を手に立ちつくしている。散華はそれを見て舌打ちした。

「もう再生したか…化け物共が!!」

河川敷の僕達がいる土手の路上。

周囲を埋め尽くす夥しい数の巫女。

まるで蟻の巣にでも迷い込んだのかと錯覚する。

つがえた弓矢の矢尻は全て散華に向けられ放たれようとしていた。

「姉様を生きて島に帰すわけにはまいりません」

「その目で見たか少年。これが円乗羽女の真の顔」

僕の顔を覗き込んだ顔が溜め息と諦め顔に変わる。

「それでも揺らがぬか」

「僕の嫁は円乗羽女さん1人だけだ!」

「あ相生君!?」

「ほう…よく言ったな小僧が」

「世界や神様や円乗さん本人が「違う」と言っても円乗さんは僕の中では嫁なんだ。他の嫁なんていらない!!」

「相生君」

「馬鹿であろう、お前。そんな女の尻を追えば地獄を見ると言うのに…信用すると言うのか?その女を」

「円乗さんに自分で聞いて自分で判断するさ」

「君ならば…カフカ島の女達も仲間として歓迎したろうに…残念だ!」

「カフカ島の女達」

「寡婦が帰る島。寡婦帰島だ。その女の祀る神に夫の魂を喰われ葡萄の皮のように棄てられた英雄の妻達の島。羽女の改変により声を奪われ嘆きの言葉すら呟けぬ。四方を注連縄の結界で封印された寡婦の島さ」

「私は私利私欲や私怨のために改変を使った事は一度もない」

「ぬかせ!この少年に一度でいいからあの島の惨状を見て欲しかった」

「寡婦となった者が禁忌を口走る事を恐れたのではなく」

「恐れたのだよ。少なくともお前の主である神は!」

「私はせめて寡婦達の心が安らかなればと」

「誰もお前の建てた屋敷には住まぬ。空の神社は私が火を放ち焼け落ちた。寡婦どもは雨が降り風が吹こうともひび割れた肌と何も映さぬ瞳で夫が召された天を仰ぐばかり。誰も神とは思わない。お前の事もお前の主もだ!!」

「私は何れ寡婦帰島に赴き寡婦達に会うつもりでいました」

「言うに及ばず。こちらからお伺い奉る!祭主様よ。寡婦達もさぞや喜ぶ事であろう。今も島で貴様の腕が欲しい目玉が欲しいと胸を弾ませて犇めきうめいておるわ!!」

その時夕暮れも待たず世界は突然闇幕に包まれた。

星もない天から舞い降りた縄梯子を散華は掴む。

そのまま空へと吸い込まれるように消えて行く。

僕達の居る世界を覆う巨体な鳥の影。

暗闇の中で何百という矢が放たれる音がする。

「無駄だと言うのに」

「私の後ろに隠れて!今直ぐ隠れて!」

訳も分からずにいる僕を背に円乗さんが立ちはだかる。

こんな時でさえ円乗さんの黒髪から仄かに花の香りがした。

空に向け放たれた矢が時雨のように降り注ぐ。

次々と地に倒れる巫女達。

「わかっています姉様」

天を仰ぐ円乗さんと僕に矢は1つも当たらなかった。


【誰彼】

「鳥舟…祀る者なく廃れたと聞いたが。姉様翼を手に入れたか」

合戦の後を見るようだった。

累々と並ぶ矢に貫かれた巫女達の屍。

息のある者に円乗さんは声をかける。

「傷が癒えたものから順次社に戻れ」

そのまま何事もなかったかのように歩きだす彼女を呼び止めようとする僕に。

「私は抜けなかったのではなく抜かなかった。何故なら姉様の言う通りこれは戦だから…私はそういう女だ」

「リア充ばっかなんで僕学校行かないでテレビばっか見てるんだけど。この間教育テレビでやってたの円乗さん観たかな?」

「テレビは観ない」

彼女は背中を向けたまま素っ気なく答えた。

「早くこの場から立ち去って欲しい」

そんな彼女の心情が感じ取れる。でも僕はさっきから空気読めない男だ。

「人間なら視覚で捉えた物体が視神経を通り脳内にある視覚視野にたどり着く。そこからさらに別の神経を通り何がしかの反応を起こすためには何秒かかるか知ってる?」

彼女は何も答えなかった。

「0.5秒!何と0.5秒もタイムラグがあるんだ!つまり散華がどんなに凄いやつでも視覚で円乗さんを認識しても0.5秒は無防備なわけ…」

「…識以下」

「え?」

「つまり相生君が言いたいのは大脳中枢や脊髄からの反応・反射の事であろう?」

「まあ…そうかな」

「私達円乗流は鍛練によって無意識の界層に蓄積された経験や予測により防御や技を繰り出す。無意識とは乃ち脳が造り出したと仮定される「受動意識こそが心」という仮説とは異なる。大脳の働きとは別の領域にある無意識こそ心であり魂であると」私達は考える」

「はあ…」

脳や脊髄の反射を遥かに越えた動きが円乗流は可能という事なのか。

「神速とはそれすらも凌駕せんとするものだ…もっとも未だ私はその域に達してなどいないが」

最初から僕みたいな凡人が出る幕じゃないって事か。

超越者を目指す者の言葉ではなかった。

彼女の言葉は自嘲気味に僕の心に響いた。

このままでは彼女は散華の前で為す術なく敗れ去る。

そんな予感さえした。

「魔法の呪文とかっていうのも、あれかな?無意識で使えたりするもんなのかな?」

「魔法の呪文?」

「円乗さんも唱えるだろ?神様にお祈りする時とか呪文」

「祝詞のことか」

円乗さんは少し俯いて考えてから言った。

「異教の呪文にしろ私達の祝詞にしろ音を発する事により大気や万物と共鳴させ…!」

「無意識に改変を起こす事なんて不可能なんだね」

ほんの少しだけ円乗さんの顔に赤みがさした気がした。

少なくとも円乗さんにそれが不可能ならば散華の推測は間違いだと証明出来る。

「円乗さんに出来ないなら無意識に重力を改変出来るなんて眉唾だと思うんだ」

多分散華は「それが可能だ」と僕達に言いながら会話の中に祝詞に相当する音節を鳴らしていたんだ。

靴だって足だって音を立てるものはいくらでもある。

「肉体の改変が可能な姉様ならば頭の中で祝詞を唱え共鳴は可能…それでも」

「音節を唱えるには時間を要する。その前に円乗さんを認識してから…タイムラグはある。散華も円乗さんと同じ人間なんだ」

根拠はある。

散華は円乗さんを苦しめるために段階を踏み1…7と数字を唱えながら負荷をかけた。

同時に僕にも同じ事を…そんな事が瞬時に出来るなら彼女は神様だ。神と同格の人間が神を憎み苦しむはずがない。

辻褄なんて合ってなくても構わない。

僕は円乗さんをこんな姿のまま帰す訳には行かなかった。

「相生君」

振り向いた彼女は僕に言った。

「私は君の気持ちに答える事は許されない」

「ああ」

それが円乗さんの答えなら仕方ない。

「祭りにも一緒に行けない」

「うん」

「私の住む神社の前には千本鳥居があるだろう」

「知ってる。見事なものだ」

「鳥居の内と外に住む者にとって意味合いは違う。外に暮らす者には鳥居は結界である。結界は神社を守るためのものではなく外の人間に対する警鐘だ」

「つまり」

「神であれ何であれ鳥居を潜った先は人ならざる者の土地。命の保証は出来ないという事だ」

散華が去った夕暮れの空を見上げて言った。

「見たであろう。あの姉の力を…私は鳥居に囲まれ社の屋根の下に暮らす。故に人々から新興され崇められる。しかし姉のように神の後ろ楯がない私は姉と同じく」僕を見つめ返す。
「化け物だ」

「かたちがあるから円乗さんは祭主という立場に拘ったりするんじゃないのか?」

まだ普段の円乗さんの笑顔には程遠い。

このままでは彼女は手の届かない遠い場所に行ってしまう。

神社や神様の存在は間違いなく円乗さんの一部だ。

それが彼女を彼女たらしめているなら僕は。

上手く言えなくてもどかしい。

「神社の事だって円乗さんの事だって僕はもっと知りたい。円乗さんは絶対に化け物なんかじゃない!!」

それを僕は証明したくて。

僕は彼女の髪に手を伸ばす。

彼女は首を降ってそれを拒んだ。

「私は守りたいんだ」

彼女は唇を噛みしめた後で決意が宿る瞳を僕に向けた。

「相生君やこの国の人々が暮らすこの世界を私は守りたい」

「僕が守りたいのは円乗さんだけだ」

そう言ったら彼女は僕を軽蔑するだろうか?

円乗さんが大切にして守りたいものなら、それは円乗さんの一部なんだろう。

「僕も力になりたい」

自然に言葉が口をついて出る。

一端口をついて出た言葉は僕の胸の中で燃え盛る。

消せない焔となった。

何も持たない力も無い。

戦う事が宿命で避けられないと言うなら。

僕だって彼女の盾ぐらいなれるはずだ。

「君がどんな人か私は知ってしまった今はダメだ」

「円乗さん」

「だから尚更連れては行けない」

「宮様」

声がして振り向く。

「全員帰社の準備が整いました」

矢を受け倒れ伏す者は1人もいなかった。

「嬉しかった」

彼女は巫女を引き連れ社に戻る。

「すべてが嬉しかった」

「円乗さん!待って…」

「君に相応しい縁は結ばれるはずだ。この円乗羽女の名にかけて約束しよう。今夜だけは神に背いても私は君の幸せを祈る」

お互いに思う気持ち。

祈る気持ちが同じと分かっても。

彼女は立ち止まらない。

「夫婦の縁は死よりも強い絆。君も本当の連れ合いに会えば分かるはずだ。私はいつも社に座して君の幸せを願う」

僕はその時の彼女を一生忘れる事はない。

夕暮れの太陽を背に一度だけ此方を振り向いた彼女の言葉と笑顔は今も深く心に刻まれている。

「私を一度でも嫁と呼んでくれた。私はそれで充分だ。私はそれで死地に赴ける」

彼女の名前を呼んだ。

けれど彼女は二度と振り向いたりしなかった。

僕達は互いの運命が待つ自分の家に帰る道を辿る。家に着くと扉を開け夜を迎えた。



【僕の嫁】

円乗さんは携帯を持っていないらしい。

高砂神社の番号なら検索出来る。

悪あがきと知りつつかけてみた。

昼間あれだけの数の巫女さんたちを目の当たりにしたにも関わらず誰も電話に出ない。

「まさかあれから再び散華に襲撃されたのか」

不安になり何回もリダイアルを押しまくる。

「内閣府 特別宗教法人 高砂神社執務室でございます」

事務的なカン高い声の女性が電話に出た。

「祭主の円乗羽女さんに繋いで下さい!」

「大変恐れ入りますが一般の方の電話を祭主にお繋ぎする事は出来かねます」

電話を切られると思った。

「君、円乗さんだよね?」

「ばれたか」

そう言うなり電話の相手は沈黙した。

声色を変えたって僕が円乗さんの声を聞き間違えるはずがない。ていうか下手くそだ。

「円乗さん?」

「もう君と話す事は何もない」

取りつく縞もない。

「今からそっちに行っていいかな?」

「君には耳がないのか」

少し苛ついた声。

「神社は今半径10K圏内まで厳戒体制だ。血に飢えた巫女達の餌食になりたくなければ部屋で大人しくしているがよい」

改めて巫女というものの存在について問い直したくなるが。

「でも電話に出てくれた」

「そ、それはたまたま偶然通りかかっただけで!」

「今何処にいるの?」

「私の部屋だ」

「内閣府 特別宗教法人 高砂神社執務室じゃないの?」

「兼私の部屋だ。何が言いたい?」



「いや、円乗さんちに電話するの初めてだなあと思ってさ。もしかして電話待っててくれたとか!?」

「相生氏のくせに生意気だ」

それ、どっちか分からないから。

「で用件は何だ?」

他愛ないお喋りがしたくて…なんて言ったら殺されそうだ。

「明日僕も円乗さんと一緒に戦う」

電話の向こうから溜め息。

「私を困らせないでくれ」

「僕だってこの世界の人間だ。円乗さんが1人で背負込む必要はないと思う」

「もう切るが…よいか」

「嫁の背中に隠れて守ってもらう男なんて最低だ」

「君が亭主関白なのは大いに君の勝手だがな」

「明日僕達の世界が終わってしまうのかも知れないと思った」

「そんな事は…」

「そう思ったから電話したんだ。迷惑だったか?」

しばらく沈黙の後彼女の息遣いだけが聞こえた。

「君はずるいな。私を困らせるだけでなく…」

電話の向こうで彼女が鼻を啜る音がした。

「相生裕太の分際で生意気だ。一体全体この私を誰だと思って…」

「羽女」

電話の向こうで彼女が息を呑む。

「よく聞こえなかった…もう一度…」

「羽女」

「もう一度」

切なくて。僕は彼女の名前を何度も呼んだ。

それがこの世界で出会った最も美しい価値がある守るべきものの名だ。

「円乗羽女は僕が守る」

君が自分の事大切にしないで守らないなら、僕が守るしかないじゃないか。

「相生君」

「羽女」

「もしも私の事が好きなら」

「分かった」

「まだ何も言ってないぞ」

「聞くよ!」

溜め息。でも先程とは違う湿り気を帯びたような。

「今夜は部屋から一歩も外に出るな!もしも私の半径10K以内を越えて近くに来たら…殺す」

「な!何だよそれ!?男の純情くわえて逃げる気か…この泥棒ネコ!!」

「オヤスミ」

電話は一方的に切れた。

切れる直前微かに電話の向こうでネコの鳴く声が聞こえた気がした。

僕は携帯の「通話終了」の文字を呆然と眺めた。

何なんだよ。

あの女!

「もしも私の事が好きなら…半径10K以内に近づくな」だって!?

何様のつもりだ!?

人の気も知らないで。


もう知らねえ。

布団被って寝てしまおう!!

明かりを消した部屋の中で1人思う。

寝室のテレビはついたまま。

明日消える自分。

世界の破滅…でも今僕の心の中を充たすのはそんな事じゃない。

思い出のアルバムというには乏しい携帯のフォト。

噛み合わない彼女との会話。

心配したり腹をたてたり。

言ってしまえば他愛ない泡のような記憶。

気がつけば無為な日々を変えていた。

「私は私利私欲のために改変などしない。相生君の幸せを願いこそすれ彼を1人になどしない」

傍らで彼女の言葉を聞きながら僕は思ったんだ。

「もし円乗さんが本当に改変してくれてたら良かったのに」

幸せを願ってくれなくても僕は既に幸せだった。

1人でもいいと思っていた。

けど僕の世界は確かに変わった。

改変など使わくても円乗羽女はそれを僕にやってのけたのだ。

誰にも思われず思う事なく生きる1人。

誰かを思い誰かに思われ生きる1人。

僕は1人じゃない。もう1人に戻れない。

明日彼女に会ったら伝えよう。

今夜は眠らないつもりでいた。

けれど昼間の疲れからほんの少しだけ微睡んだ。

夢現の中でテレビの深夜番組が終了しノイズに変わる音を聞いた。

「相生様」

眠りは直ぐに誰かの声で破られた。

目を開けると暗闇の中に声の主はいた。

白無垢に身を包んだ花嫁。

角隠しで表情までは分からない。

深々と頭を下げた花嫁は僕に言った。

「到着が遅れました裕太様」

「君、誰?」

彼女は下げていた頭を上げて僕に言った。

「相生女無天。貴方様の嫁にございます」

「君が僕の嫁?」

彼女は顔を上げて微笑んだ。

「ミントって呼んでいいよ。お兄ちゃん!」

闇の中で彼女の睫毛の先についた金のラメが星のように零れて光った。

初めて嫁と視線が合った。その時僕の中で何かが音を立て崩れた。




Intermission

【Nessun dorma】


「君が僕の嫁?」

月明かりに佇む白無垢。

液晶の光に照らされた小悪魔メイク。

ギャル専門誌のグラビアにしたって些かシュ-ル過ぎる光景に僕は息をのむ。

深夜に白無垢を着た花嫁に出逢う自体かなりの恐怖体験だと思うが。

「はい。ウチは貴方様の嫁にございます」

最近やっと円乗さんと出逢う事で女性慣れして来た。

ぼっちの僕にギャルはあまりにハ-ドルが高い。

やっぱ朝ご飯とか僕が早起きして作るのか。

友達に紹介されて「マジコレなワケ!?ちょ-ウケるんですけどW」とか言われちゃうのか。

「ごめんなさい!お兄ちゃんウチと離婚して下さい!!」

そして今そっこ-でフラれる。

超展開過ぎて脳みそが追いつかない。

「ウチお兄ちゃんと結婚して、いい奥さんにならないといけないのに好きな人が他にいて…えっとお…それから!それから!」」

「まあ落ち着いて」

こうも予期せぬ事態が続くと、さすがにこんな言葉の一つも言いたくなる。

「君が僕の嫁なんだね?」

「ひゃい」

「ごめんね。僕そこら辺りの記憶が曖昧なんで詳しく教えて欲しいんだ」

ミントという名の僕の嫁は白無垢の袖でげしげし涙を拭きながら頷いた。

「それ角隠しって言うんだよね。重かったら取っていいから」

僕は彼女に座るように勧めた。

きちんと結っていない彼女の髪が腰まで下りて暗闇に淡い柑橘の香りを振り撒いた。

僕の隣に腰を降ろす。

彼女の重さの分だけベッドが軋む。

「お兄ちゃんは優しいのです」

ミントは鼻を啜る。

「泣いたらせっかくのお化粧が台無しだよ」

彼女が落ち着くまで待ってから僕は一つずつ質問した。

「君は僕の嫁と言ったけど…僕達は正式な夫婦でいいのかな?」

「神主様と御両親がいる前でお式を挙げました」

「じゃ…婚姻届けとかも…」

「婚姻届けって何ですか?」

「僕達は何処で出逢って結婚したんだろう」

「神社で…それ以前はお会いした記憶はミントにはありません。結婚は親や神様のご縁で決まるものと昔から決まっています」

政略結婚とまで行かないものの、お見合い結婚というやつなのか。

「さっきの君の話だと僕と夫婦の契りを結んだものの君に他に好きな人が出来たって」

「チギリ?」

それで今現在僕に嫁がいない理由は納得出来る。

何より円乗さんが僕に対して何かした訳じゃない。

彼女の疑いは完全に晴れた訳だ。

もっとも最初から疑ってはいないけど。

「婚礼のお式の場でウチ…いえ私は今彼と出逢いました」

「それはまた随分と劇的な出逢いだね」

自分の事なのに今一つ実感が沸いて来ない。

映画や小説やドラマの中でしか、そんな事は起こり得ないと思っていた。

というか僕は式に訪れた身内の誰かに嫁を略奪された男!?

そのショックとか、その後の事故が原因で記憶が欠落してしまった。

可能性は充分ある。

「お兄ちゃんと初めて会った日の事ウチ覚えてます。『優しそうな素敵な人』って思いました!『こんな素敵な人のお嫁さんになるんだって』一瞬思いました!!」

一瞬…ね。

「でもウチ別の場所から自分の事を見ている視線に気がついて…その人と目が合った途端にミントは真実のLUVに目覚めてしまったんです!!」

なるほど。

「なら、今日で僕とは離婚だねミントちゃん」

「お兄ちゃん!?」

「自分にはこの人しかいない。そんな相手に巡り逢えるなんて奇跡的な事だと思うんだ。相思相愛なら尚更だ。誰が何と言おうと自分の気持ちに嘘ついたらダメなんだ!!…最近になって僕もようやくそれが分かったんだ」

「お兄ちゃん…ミントや彼よりとってもとっても大人ですう!!」
恋愛経験0なんだけどね。

「ミント…ミント…お兄ちゃんに色々相談に乗って欲しいです!!…彼の事とか…」

「ははは…彼の事ね」

嫁を奪った相手の恋愛相談って…なんだ、これ!?



「そうなんですよ!ウチだって彼の色に染まろうと色々ファッションだってお勉強したりしてですね。なのに彼ったらメイドコスばっかり要求して!そもそもメイドで四六時中いたら夫婦生活というか関係にもバランスの支障を来すと言いますか」

「確かに夫婦も最初の3年が肝心って聞くしな」

「さすが!お兄ちゃまは分かってらっしゃいます!!それに比べて、アイツったら甘えて来るばっかで御主人様とメイドの設定だってテメエから言ってんのに、こっちだってそうそうアドリブのネタなんかないつ-の!あ-もうイラつく!!」

ミントちゃんはベッドに腰かけて足をバタバタさせている。

「でも幸せなんだね」

僕がそう言うとミントちゃんは俯いて。

「はい、幸せです」

噛み締めるように答えた。

僕はギャルとかヤンキーとか大人過ぎるお姉さんとかにあんまり免疫がない。

ていうか少々苦手だったりする。

でもミントちゃんはすごくいい子だ。

女の子を外観で判断したらいけないんだ。

そう神の鎧の如き神官服で武装した祭主であっても。

何か嫁というより本当の妹に恋愛相談をしているような不思議な気持ちになる。

「君は好きな人のいる場所に帰るべきなんだ」

この際その幸せな男が誰かなんて、あえて僕が知る必要はないと思った。

「…だけど…そしたら…お兄ちゃんが賽の河原に送られちゃうって…鬼が飛び跳ねてるような寂しくて物凄く恐い場所だって…」

「その話誰に聞いたの?」

「夜中に『神様の使い』って名乗る巫女さん達が訪ねて来て」

高砂神社の巫女達だろうか。

「他にその人達何か言ってなかったか?」

「『祭主様は心あるお方。【一月の間に身辺を整理した後必ず件の方に嫁ぐように】との事です。さすれば、お前と禁を破った男の罪も問わない』そう言ってました」

なるほど「猶予や酌量は情」とはそういう事か。

「そんなの無視して二人で逃げちゃえばよかったのに」

「そしたら、お兄ちゃんが」

星とかネコとかニコニコしたのはUの文字か。

めいっぱい絵描いたネ-ルを握りしめた小さな拳に涙の粒がポタポタ落ちた。

「僕のために戻って来てくれたのか」

僕は彼女の首を抱え細い体を引き寄せた。

彼女はそのまま僕の膝の上に頭をのせた。

「大丈夫だから」

「でも」

「僕も好きな人がいるんだ」

彼女が顔を上げて僕を見る。

「頑固で、全然融通とか利かなくて、嘘とかつけないくせに人に言えない秘密ばっかり抱え込んで…本当に何て言うか…だから僕は大丈夫だから、多分ね」

「その人は私の知っている人によく似ています」

「多分君の知っている人だよ」

「やっぱり裕太さんは私のお兄ちゃんになる人です」

「相生ミントは嫁いだ後の名前だよね?」

「はい。旧姓は円乗女無天です」

やっぱりそうか。

実の妹に何をマチキンばりの追い込みかけてんだよ円乗羽女!?

「そ・その新婚初夜ちょっと待った!!待って下さい!お願いします!!」」

見知らぬ若い男が叫びながら寝室に飛び込んで来た。

「ミントちゃん!!」

「裕君!?」

深夜の空気が限りない三文芝居と茶番の匂いに変わる。

僕と同い年くらいの男は拳を握りしめ肩をいからせ僕を睨み付けた。

「お前誰だよ!?」

大体想像はつくが。

僕から嫁を奪った…と思わしき、この男に全く見覚えがない。

身内らしいが全く初対面だ。

「僕は裕です」

「名乗られても、お前なんか知らねえ」

男の目が涙で滲む。

「兄さん!兄さんの嫁を奪ったのは僕です!!ずっと罪の意識に苦しんで来ました」

「お前に兄さん呼ばわりされる覚えはない!俺は一人っ子…」

土下座するように僕の膝に男はすがり泣きついて来た。

「兄さん!兄さん!僕は貴方の実の弟…裕です!!」

「ごめん、ミントちゃん。そこにある僕の携帯取ってくれるかな?」

「お兄ちゃん。こんな夜中にどこに電話するの?」

「通報するの」

「どうして!?ミントは良くて僕はダメなんですか!?」

「気色悪いからに決まってる!」

即座に裕とか言う男を蹴り飛ばす。

「お兄ちゃん男には厳しいんだね」

ミントが僕から携帯を取り上げる。

「お願い…裕君の話聞いて上げて。ミントのお願いだよ」

「ならば仕方ない。ほざいてみろ不審者!」

「ええ!?」

「お前の話が納得行くものなら弟と認めるしミントちゃんを奪った事も許してやるよ。性根を入れて話してみせろ」

裕は唇を結び決意を込めた瞳を向けると話し始めた。


「なるほどな」

裕の告白は僕にとってミントちゃんの話よりも俄に信じ難く衝撃的だった。

しかし辻褄は合う。

裕の話は鉄で出来たジグソーパズルみたいに音を立て僕の欠落した記憶を埋めて行く。

やはり僕は散華の言うように彼女の夫同様この世界に流れついた稀人だったのか。

父親の職業は雑誌の編集者で裕の話では現在は文芸誌の編集長に収まっているらしい。

母親は専業主婦。

父とは大学時代に登山サ-クルで知り合った。

共に趣味は山登りとスキー。

幼い頃は両親が土産に買ってくるアルペンのチ-ズケ-キが楽しみだった。

何処に出かけても「アルペンは?」とつい聞いてしまい両親を困らせた。

父親の右脛には登山中岩場で転んで負傷した時の三日月状の傷がある。

母が教えてくれたらしい。

「裕の二の腕にある黒子は裕太兄さんと位置も象もまったく同じ」

兄弟の証らしい。そう言えば母さんは「首筋に母親と同じ黒子がある」とよく話していた。

「昔から母親と折り合いが悪くて、昔からすごくそれが嫌だった」

家族しか知り得ない話。

何より裕の声は僕より父親にそっくりだ。

裕の話は全てが心の隙間を埋め僕は頷くか唸るしかなかった。

「父さんと母さんには親不孝な息子だし。弟のお前にも苦労をかけてしまったみたいだ」

裕は首を振る。

「いいんです。こうして兄さんに会う事も出来たし…僕ずっと兄さんに会いたかったんですよ」

胸に込み上げて来るものはあったが僕は裕に言った。

「夜が明けるまでにミントちゃんとお前の住む町に帰れ」

「でも兄さんは…」

「今はここが僕のいるべき場所だから、僕は帰れない」

「ウチは残らないとお兄ちゃんが!」

「神様が決めた事か?なら好きな二人が手を繋いで一緒にいたいと願うのは宇宙の法則だと僕は思う」

僕は思うのだ。

「一人だと思ってた僕に弟と妹が同時に現れるなんてな。こんな幸せな事はないと思う」

二人を元々いた場所に帰さなくては。

「お前達そもそも、此処までどうやって来た?」

「巫女さん達に連れられて、こ-んな大きなΩをひっくり返した注連縄を潜るように言われてえ」

「僕もミントちゃんを追いかけて、その注連縄を潜って来ました」

「なら自分達で帰れるな、裕!」

「はい」

「父さんと母さんを頼む!」

「兄さん」

「ミントちゃんと幸せにな」

「兄さんはそれで…いや!ダメですよ!兄さん一人が…」

僕はちらりとミントちゃんの胸元に目をやる。

「俺こう見えて貧乳が好みなんだ」

暗闇の中ではっきりそれと分かる舌打ちが響いた。

「明かりぐらい点けたらどうだ?」

部屋の隅の壁に腕組して凭れかかる円乗花女。

「いつから其所にいた?」

「一月前に部屋の前で君に会った時私は言ったはずだ」

「私は日頃足音を立てぬような所作を身につけている」

「私は何処にもいないし何処にでもいる」

思い当たる事ばかり。

「それに私は君の大家だ」

目の前に鍵を翳して見せる。

「悪かったな!頑固で!全然融通とか利かなくて!おまけに貧乳で!!」

悪口しか聞いてない!?おまけに最後のは好みだって言ったのに。

彼女の指先がパネルに触れて部屋に明かりが点る。

奇しくも「私達はお互いの立場を明確にしなくてはならない」そう言った彼女の言葉通りに。

「簡単な話だ。撫子!」

円乗さんはミントちゃんを睨む。

「先程からお前は自分の事をミントちゃんとか呼ばせているが…私の妹は円乗撫子のはずだが?」

「みんなにはミントで通ってます。HN以外で呼ばれるのってミント的にはある意味素っぴんと同じくらい恥ずかしいですう」

「神様から与えらた名前を嫌うのは血筋か…何でもかんでも血筋で片付けてもらっては堪ったもんではないが」本音だと思う。「それからその化粧!話言葉!言いたい事は山程あるが…」

「しゃびばせん…姉様…」

下の身内には厳しい家風なのか。円乗さんの顔が段々散華に見えて来た。

「まあ、しかし姉との約束を守り嫁となるべく戻った事は評価してやる」

「あ姉様それは」

「ミントちゃんのお姉さん聞いて下さい」

「貴様か!何故ここにいる!?貴様のような嫁盗人が!よくもぬけぬけと私や彼の前に顔を出せたものだな!?命が惜しくば早々にこの場から立ち去れ!この山犬の仔が!!」

一応僕の弟なんだけど。

「僕ミントちゃんの事本気で愛してます!!必ず必ず幸せにしてみせます」

「裕君!?」

よく言った弟。

兄として助け舟の一つもだしてやりたいが、ここは黙って静観しよう。

「ただ惚れたはれたで引っ付くならサカリのついた犬猫と変わらんと言っておるのだ。君はそんな事も分からない愚か者なのか?君は今の君の兄を見て何を思った。己の分や立場を少しは弁えたらどうだ?相生弟」

「それでも僕は」

「それでも…とは実の兄を地獄に落としても、という意味だぞ」

「それでも…俺は…ミントちゃんと…」

握りしめた裕の拳や肩が小刻みに震える。やはり酷か…助け舟を。

「お兄ちゃんを地獄に落としてもウチは裕君と一緒がいいのです!!」

ミントちゃんが裕と円乗さんの前に立ちはだかる。

いいぞ!ミントちゃん。

「僕も…」

「裕君はそれ言ったらダメなの!言えないのが正解で、それが私の好きな裕君なんだから!」

「ミントちゃん今からでも僕の嫁にならないか?こんなヘタレ弟より…」

「イヤです!」

「だってさ羽女姉さん。僕完璧にフラれたみたいだ」

「そんな…夫婦となるべき縁の者同士が顔を合わせて…こんな事が起こりうるのか!?お前達お互いにお互いを見て何とも思わぬのか!?」

「全然」

「何とも…お兄ちゃんはお義兄ちゃんです」

「大体僕は貧乳」

円乗さんに睨まれたので黙る。

「ふむ」

円乗さんは考え込むように押し黙る。

「大体私は普段はサラシを巻いておるのだ!これでも結構脱いだらすごいのよ!」

円乗さんがミントちゃんを睨む。

「今度変なアフレコしたら舌を引き抜く」

「ハイ!ハイ!ハイ!姉様!ミントから提案があります!!」

「却下」

「そんなあ…まだ話とか全然聞いてくれちゃってないに~なぜ却下ですか?!」

「少し黙れ。寸足らずの舌足らずが」

「ミントはこう見えて声優さんに憧れてます」

「もはや聞く耳持たん。話す舌もだ」

「お義兄ちゃんが地獄に送られずミント達もLUV2でいられる方法があるんです!!」

いつの間にか僕の行き先が地獄に昇格してるが。

「黙れと言ってもどうせ話すのであろうが」

「姉様私達は白鷺武踏会に出場致します…です」

ここに来て円乗散華の予言的中率が半端ねえ。

最後の世界の破滅だけは外れて欲しいが。

やな事は全部当たる。

「私達は白鷺武踏で優勝を果たし三國一の夫婦となります!それなら石頭の姉様だって私達を認めざるを得ないのです!!」

「ちょっと待て…ちょっと話を聞いてくれ撫子」

「報奨として私達はお義兄ちゃんの特赦を要求します。勝ったら何でも望みを聞いてくれるんでしょ?」

「そういう事ではないのだ」

「もはやウチらを止める事は誰にも出来ないのです。ね?裕君」

「ミントちゃんと一緒にいられて尚且兄さんも助かるなら僕も出るよ!…舞踏会ってダンス?」

「パンクラチオンなみの命の取り合いだぞ」

「死ぬ気で踊ります」

「ウチがリ-ドするから大丈夫」

死の舞踏とはこの事だ。

「お前達が優勝しても望むものは多分得られない」

円乗さんの言葉に散華の言った生け贄という言葉が脳裏を過る。

「そんなに姉様が自分の我を通したいならミント提案があります」

「ミントちゃん、おこりんぼモ-ドはダメだよ!」

なんだ?おこりんぼモ-ドって。
「ミントちゃんは、おこりんぼモードになると冷蔵庫を片手で」

どうでもいい。

「そんなにウチらの仲を裂きたいのなら、姉様も白鷺武踏会に出場するのです!!」

むちゃくちゃだ。

「ギッタギッタにしてやるのです!!!」

「撫子」

「ウチの名前はミントちゃんだってさっきから言ってるのです。イラつくのです」

「夫婦ではない者は単独では出場する事は出来ない」

「姉様のお相手はそこに!」

ミントちゃんは僕を指差した。

「ミントちゃん…実は今日は大変な事態になるかも知れないから、祭やイベントどころじゃ…」

「相生君、高砂祭も白鷺武踏会も中止にはならない。円乗家は賊の恫喝にも卑劣なテロリストにもけして屈しはしないからだ」

「流石姉様です」

「無論、お前達二人の参加も認めない」

「はい?」

「相生弟はこの世界の住人ではない。よって参加資格はないと見なす、以上だ」

「分からず屋の石頭」

「下らん挑発だ」

「言って分からない石頭には力押しなのです」

ミントちゃんは力比べを要求するように右手を差し上げる。

「寸足らずでも舌足らずでもミントの剛力は円乗3姉妹随一なのです」

円乗さんは鼻で軽く一笑すると右手を差し上げた。

その動きに呼応するように禰宜達が室内になだれ込む。

「バカ力に勝る力があるとすれば、それは権力なのだよ単細胞」

完全に悪役の台詞。

「神に仇なす造反者共だ。直ちに拘束しろ」

禰宜達が得物を手に僕達に詰め寄る。

「交渉決裂ですわ」

ミントちゃんは飛び退いて背中から武器を取り出そうとしている。

「交渉?不当で違法な要求の間違いだ。このごり押し馬鹿が」

「その石頭今から粉粉のパウダーにしてくれるのです!!」

「貴様など、この小指一本で充分だ」

なんか夕方も見たな…こんな風景。

「さてと」

僕は禰宜達の前に進み出た。

「縛るなり何なりと好きにしてくれ」

「お義兄ちゃん!?」

「ミントちゃんに物騒なものは似合わない」

「でもでも」

「大丈夫だから」

「お兄ちゃんがそう言うなら」

根拠はある。

僕達は全員身柄を拘束され明け方近くにマンションを出た。

その時円乗さんは僕に呟いた。

「何故君は一人だけそんな風に平然としていられるんだ?弟の話を聞いた後でも」

「別に僕は一人で何処に送られても平気なんだ。だから裕とミントちゃんだけ何とかして欲しい。僕がいいなら問題ないだろ?」

「賽の河原は何時果てるとも知れぬ無間の領域だぞ!そんな場所に一人で行って平気だと言うのか!?」

「別に一人じゃない」

「一人じゃないって」

「いつも円乗さんの事思ってるから一人じゃない」

「バカ者が」

根拠はそれではないが僕は円乗さんといつも繋がっていたいと思う。

目を閉じなくても空想なんてしなくてもいつでも彼女を思い浮かべる事が出来る。

そしたら僕は多分どんな場所にも根を下ろし生きていける気がするんだ。勿論それは思いつく限り最悪の結末だけど。

あの時ミントちゃんと円乗さんが一触即発になった時。

彼女はこっそり僕のシャツの袖を何回も引っ張ったんだ。

ほんの一瞬彼女と視線を交わした。

僕はそれを信じた。

ミントちゃん裕もし外れだったらゴメンな。

必ずお前達だけは何とかするから。

お兄ちゃんだからな。

長い神社の階段を上り。

広大な境内の社の裏にある鎮守の森の奥にある石牢。

巫女達は元々は向去山という霊山で修行を積んだ修験者達の子孫であるという説がある。

その修験者達が修行に使ったという天然の洞窟を利用して造られた石牢は今でも断食の行などにも使われるらしい。

その巫女達も震え上がる石牢に僕達は放り込まれた。
やがて朝になり遠くから花火が空で破裂する音や近くから祭囃子が聞こえ始めた。

街の外を歩く人々は祭の装いに身を包む。

女達は白無垢にウェディングドレス、綿帽子に角隠しにブ-ケ。

男達は白の洋装に同じく白の和装、紋付き袴。

高砂祭は夫婦の祭。出逢う前の魂に戻る。

その意味合いから男女共に白い仮面を被り手を繋ぐのが習わしだ。

けして離れぬように。

けして離さぬように。

繋いだ手を何時までもと願い神に祈る。

街中が無垢な白一色に染まる。

高砂祭と白鷺武踏会が今年も幕を開けた。


【白鷺武踏会】


「こんな牢屋ミントが簡単にぶち壊してくれる!…と思ったのですが無念です」

ミントちゃんは自らの力で牢獄の錆びた鉄格子を抉じ開けようと奮闘したが。

「小賢しい呪が幾重にもかけられているのです」

ふくれっ面で地べたに座り込む。

「ミントちゃん少し休もうよ」

裕が懸命に彼女を宥めている。

「おなか空いた!綿あめ!焼きそば!いか焼き食べたいのです!」

盛夏の太陽は雲の上に。

常磐木の鎮守の杜。

梢と枝葉は牢獄に影を落とす。

杜を通り過ぎる風や木々のざわめきは祭りに集う人々声にかき消される。

ゆらりと見覚えのある神官服のシルエットが鉄格子の前に現れる。

「独裁者!」

ミントちゃんが立ち上がり格子の外に立つ円乗羽女を指差す。

「祭り日和だな。晴れて良かった」

格子に背をあずけ空を眺めている。

「余裕ぶちかましてやがるのです。独裁者なら独裁者らしく縁日の食べ物くらい差し入れるのです!器がちっちぇ-のです」

「縁日か」

竪琴のようにさらさらと風が彼女の黒髪を鋤くのを僕は見ていた。

「祭主様がこんな下手人共と居ていいのか?」

「私の出番は今少し先…むしろこのまま何もなければ…」

「円乗様!」

「宮様!」

彼女の前に巫女達がかけ寄るのを見て彼女の瞳が物憂げに動く。

いつもの祭主の顔で彼女は部下の前に立つ。

「…海岸線より76海里先に島影」

「やはり盗み出した剣で禁縄の結界を切ったか」

「10時57分島より黒き業雲、本土に接近しております」

1海里確か1850メートルだったけ…ヨットでも行ける距離だ。

そんな近海に散華のカフカ島はあるのか。

「鳳輦を」

瞬時に巫女達の顔に緊張が走る。

「私も直ぐにそちらに向かう」

巫女達の背中を見送った後彼女は巻きスカートのポケットから鍵を取り出し錠前を開けた。

「有事の際には罪人にも特赦が適用される」

「鳳輦って?」

僕は格子を潜りながら彼女に訪ねる。

「おみこし」

「おみこしって、あのお神輿?」

「羽女専用」

彼女は獄中の二人にも声をかける。

「何処へなりとも行くが良い。私が戻らぬうちにな」

そのまま背を向けた彼女は言った。

「もし私が戻ったら」

「戻ったら?」

「杏子飴が食べたい」

駆け出す。

「な♪」

「まさかまさかの」

彼女は振り向いた。

「境内にある縁結び夫婦円満二股に別れたハ-トのかたちの御神木古代杉の前で待っていて欲しい」

「姉様からの告白なのです」

「じょ!…冗談じゃねえ!?」

僕は全速力で彼女の背中を追いかける。

そんな恥ずかしい真似が出来るか。

それ何プレイだ!?

「待ちやがれ!!この神デレ女!!」

「お兄ちゃん頑張るのです」

もはや何をどう頑張ったらいいのかすら皆目分からないが。

とにかく、ひた走る。

僕は完全無欠・完璧にただの人間。

何の取り柄もない。

彼女は背中に見えない羽根を持った神速の巫女。

だけど僕は捕まえたいんだ。今彼女を逃がしたら。

もう二度と会えない気がした。

円乗さんの後を追いかけ辿り着いた先には樹皮を剥がさず組まれた桧の黒鳥居があった。

鳥居の先には境内にある拝殿と本殿と同じ造りの社。

切妻の屋根が木立の間に見え隠れする。

祭の最中この場所だけが静寂に包まれていた。

「此方は羽女さま縁の摂社となります」

そう言って僕の背中越しに声をかけたのは一人の若い巫女だった。

「貴女は確か薫さん?」

「その節は宮様の御身を御守りする立場で在りながら無様な失態をお見せしました」

彼女は僕に深々と頭を下げた。

冷たいものが背中を走る。


足音一つ気配すら感じなかった。

「円乗さんは?」

「あちらの社に」

薫さんの説明によると高砂神社は名称こそ神社の名を冠しているが本来は大社や神宮にあたる宗廟。

そのような大神を祀る大社は本来の祭神の他に大小様々な御柱つまり万の神の社が存在するのが普通らしい。

「摂社・末社・分社と呼び方は様々ありますが…」

「薫さん申し訳ないけど今僕はのんびり神社の説明を聞いてる暇は…」

「祭主様縁の摂社ともなれば禰宜と祝を総括する私とておいそれとは近寄れません」

怜利な目が僕を見据える。

「ですが今は有事の最中につき私はそちらに向かいます」

僕の前を静かに足音も立てず通り過ぎる。

「私は昔から羽女様の御身の御世話も致して参りました。無論相生様の事もよく存じ上げております」

「つまり」

「本日に限り関係者以外立ち入り禁止…関係者の解釈は様々…そして私は忙しい忙しい」

「ありがとう!薫さん…神社で働くって…何ていうか、その」

彼女は僕に向き直り笑顔を見せて言った。

「上司がそういう方ですから。これでも楽しくやっております」

短い石の段を登り杜の小高い場所にある社。

神社の敷地内にあるもう一つの神社といった趣だ。

簡素ながら身を浄めるための手水舎も設えてある。

社の扉の前に禰宜と祝。

本来は催事神事に携わる事を旨とする者達が集められ、集団の先頭に円乗羽女の姿があった。

案と呼ばれる机の上には既にかわらけに注がれた御神酒と玉串。

速やかに社の錠前が外され鉄の引戸が静かに開かれた。

祭主である彼女の口元から厳かに独特の抑揚をつけた祝詞が奏上される。

その間彼女以外の巫女達は畏まり深く頭を下げた姿勢のまま身動ぎ一つしなかった。

「あれは、石?」

円乗さんは神輿と言っていたが。社の中に奉納されているのは注連縄を巻かれた巨石だった。

「あれは磐座」

隣で薫さんの声がする。

「羽女様の神輿が依り集う御魂代」

「神輿が依るって!?」

彼女の祝詞に呼応するように磐座は目映い光を放つ。

まるで磐自体が日輪を孕んでいるかのように。

単色ではない様々な光が溢れ出す。

あれは彼女の神官服と同じ尊色。

光の塊は空間に広がり最早目を開けてる事さえ儘ならない。

光は一対の翼となって社の天井にまで届こうとしていた。

祝詞が止んだ。

目の前に立つ彼女の神輿。彼女はその姿を見上げて呟いた。

「未だ私を主と呼んでくれるか?鳳凰よ」

「全員境内まで待避しろ」

隣にいた薫さんの怒号にその場にいた巫女達は社から退散する。

「相生さんも早く!」

「でも円乗さんがまだ…」

「あれは円乗様の鳥舟です。間違っても円乗様を傷つけたりはしません。そう…円乗様だけは!」

社の屋根と壁を粉砕し羽ばたき一つで鎮守の杜の大木は粗方薙ぎ倒された。

神話の絵の中でしか見た事がない神鳥鳳凰が円乗羽女を乗せて大空に舞い上がる。

夢?

夢かとも思ったがこんな光景夢にも見た事がない。

彼女の秘密とか可愛い嘘や浮気に振り回されるなんてレベルをとっくに越えてるじゃないか。

僕は境内に向かう杜の中を走りながら空に向かって手を伸ばす。

ちくしょう全然届かねえ!?

降りて来い!

降りて来いよ円乗羽女!!

そんな高い場所から人や世界を見下ろして、お前は一人で行っちまう気なのか!?

僕は届くはずがない空に向かって彼女の名を叫んだ。

「お前の名前呼びにくいよ!…前から思ってたけど」

これは夢ではなく現実。

今更それを教えるように社内全域に放送が流れた。

『高砂神社祭主、円乗羽女様、鳳輦にて渡御。境内におる者は火急的速やかに行幸のための道を開けよ!繰り返す!円乗羽女様、鳳輦にて渡御…』

境内に出ると巫女達が迅速な対応で祭の参拝客や白鷺武踏会の参加者を神木のある安全な場所へと誘導しつつあった。

「茅の輪の準備を急げ!」

十数名の巫女達が転がす巨大な茅の輪が神社の入り口にある大鳥居の神門前に据え付けられた。

その間祭主を背に乗せた鳳凰は爆撃機の機影のように目標を定め空中を旋回する。

「鳳輦出まし」

上空から神社の屋根すれすれに鳳凰が滑空する。

ナリカミの音色を合図に鳳笙は天空の音。

龍笛は天と人間が住む地上の間を飛ぶ龍のいななき。

篳篥は大地の音を奏でる。

魂を込めた巫女舞の音色を背に円乗羽女は鳳凰の背から手を伸ばす。

その先にある磐坂。

磐坂は境内の中央に設えた数メートル四方に玉砂利を敷いた区画。

漬物石大の石をケルン状に積み上げ榊を刺したもの。

世界最古の神社。

社や鳥居などなくても後は神官がいれば神社として成立するという。

神社の社は神が依り集う場所、其所や御神体に神がいる訳ではない。

祭の日神官によって神は依代に座す。


白鷺武踏会は最後の闘いに勝ち残った夫婦が磐坂に刺した榊を祭主である彼女に手渡す事で終儀となる。

最も神に近づいた人間のみが榊を手にする事を許される。

その榊を円乗羽女は今手にした。

鳳凰の上に両の足で立ち榊を茅の輪に向ける。

「我往きて降し伏すべきして自ら討伐赴くもの也」

居合わせた人々から歓声が上がる。

僕は猛然と境内の中央に走り込むと巨大な鳥の脚に組み付こうとダイブを試みた。

鳳凰が速度を落とし彼女が境内の中央にある何かを掴もうとしている仕草を見て一か八かヤマをかけて飛び込んだのだ。

歓声が悲鳴に変わる。多分僕は鳥に引き摺られ、めちゃくちゃかっこ悪い。だけどそんな事は言ってられない。

ふわりと鳳凰は低空で旋回し一度だけ大きく羽ばたいた。

風が巻き起こる。

鳳凰と共に白鷺武踏会に参加していた者達の体が宙に舞う。

『私の名前は薫。高砂神社にて円乗様直属の禰宜・祝を統括する者だ』

白鷺武踏に参加している夫婦は二人ではなく一人。

『円乗様より現在開催されている白鷺武踏会主催を暫定的に引き継いだ』

鳳凰の起こした風が街中に吹き渡る。

『現在この国に散華を名乗る黒の一味の軍勢が迫りつつある』

仮面を着けた男女の体が風に吹かれる。

白無垢はウェディングドレスは風に靡き梢に依り集う白鷺のよう。

『祭主としての責任から円乗様はこれを一人で迎え打たんと鳳輦にて発たれた』

白衣の鎧を風に靡かせ神の兵士が空を目指す。

『私もこれより祭主様の後を追う。これは勿論命令違反であり造反者ととられても仕方ない』

この日空の青が白鷺の羽色に塗り替えられたかのようだったという。

『私は先程円乗様より巻物を手渡された。高砂神社の縁起について記されたものらしい。それどころか祭主しか知り得ぬ秘匿、万物創世などが知るされているらしい。こんなものを私に託したところからして、あの御方は死を覚悟しておられると見た』

空へ舞い上がる鳳凰。

僕は振り落とされまいと歯を食いしばるが風前の灯火だ。

握力もそんなにない。

『私は今からこれを聞いている皆さんの前で読み上げたいと思う』

芭蕉の葉くらいある羽根を必死で掴む。足場はなく宙ぶらりん。落ちた間違いなく即死だ。まったく、どんだけデカイんだこいつ。

『民の平和なくして美世もない…しかし私達高砂神社の巫女にとって円乗羽女様なくして身も世も神もない。しかし、ここに記された秘密とやらが、円乗様をたった一人で空に駆り立てのであれば』

手の痺れも限界に達し「もうダメだ」諦めかけた。

『もしも、これを読み『それでもなお』と言う人が一人でもいてくれるのならば』

鳳凰の体が変容しタラップのような段差が目の前に現れる。

『どうか力を貸して欲しい!この国を護るため円乗羽女と共に闘おう!!』

「僕がしがみついてるの知ってたら何とかしてよ!円乗さん!!」…くらいの文句の一つも言ってやりたかった。

『杞憂であったか』

空を埋め尽くす白鷺の群れを見て彼女は思う。

でも僕は榊を手に前を向いたままの円乗羽女を見て何も言えなくなった。

『高砂神社白鷺踏会暫定主催であるところ薫の権限に於いて一部ルールを変更する』

「円乗さん!!さっきから呼んでるのに何で返事しないの!?」

『白鷺武踏会は会場を神社境内より、我が国全域に拡大する!!』

「円乗さん」

「だって君は死んだのであろう?私とて死者と話すのは怖い」

『戦う者も戦わぬ者も自身の命も含め誰も死なすな。それが勝利条件だ!!』

「僕が死人に見える?」

「神の鳳輦である鳳凰に触れ生きている者がいるとは思えない」

「見ての通り」

「ならば君はこれに選ばれたのであろう。もはやついて来るなとは言わない」

「とりあえず僕は何をしたらいい?」

「振り落とされぬように、しっかり掴まっていろ」

鳳凰は地上に向かって急降下する。目も開けていられない速度と重圧。

そのまま茅の輪の中心めがけ飛び込んだ。

『我往きて降しすべして自ら…【神軍を率いて】が一文抜けております円乗様。私も今から参ります』

薫は放送マイクのスイッチを切り縁起書を懐にしまった。

空と大地と海を埋め尽くす白と黒がせめぎ合う。

世界はまるで対極の紋様のを見るようであった。


茅の輪を潜り抜けた先に目にした光景は大海原だった。

海上は敵陣の真っ只中。空を海を埋め尽くした黒衣の寡婦の軍勢。

散華の鳳輦は八咫烏。

しかし僕がそれら全てを認識したのは数秒後だ。

円乗羽女の鳳凰は散華の八咫烏の目前に出現し怯む事なく体躯を激突させた。

衝撃で鳳凰の首は消し飛び八咫烏の左翼は半壊した。

しかしそれよりも疾く円乗羽女は散華の鼻先にまで到達し手にした榊を降り下ろしていた。

「我、光速を越えて尚神速に至らず」

「ほう?なかなかに謙虚。志が高いな」

羽女の放った一閃。それを受け止めた散華は刃の下で薄笑いを浮かべた。





《 僕の嫁【前編】 了 》 後編に続く





【 あとがき 】
六曜日と申します。ひそかに嫁を題材に作品を書いておりきす。というか嫁物しか書きません。よろしくお願いします。


 六曜日



● COMMENT ●

寸評ありがとうございます(*^^*)せっかく別名で書くのだから新人として、何でもありの無駄に長い(すみません)作品書いてた頃に戻ろうかと…個人的には(^-^)v僕自身は地味で単色な作品に向かっている最中です。いつもいつも温かい寸評心に染みます。


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