Mistery Circle

2017-10

《 What a Wonderful World – この素晴らしき世界 - 》 - 2012.07.07 Sat


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ボリビアのウユニ塩湖 極上の美しさをたたえた塩の平原【画像集】




《 What a Wonderful World – この素晴らしき世界 - 》

 著者:李九龍








 十二月のデスボラは、まさに“死の海”と呼ぶに相応しかった。
 この国では今がちょうど乾期に当たり、海もまた乾ききっているかのように広大に、真っ白な浅瀬の水平線が広がっていた。
 そして彼――異端の考古学者とあだ名される、リュート・D・クロフォードは、そんな海のど真ん中を、延々と孤独に歩き続けていた。
 顔を上げ、こめかみを伝う汗をハンカチで拭う。愛用のブリムダウン帽子の鍔を上げると、その頭上にはうっすらと輪郭の見える真昼の月が昇ってた。
“デス・ボラ”の、デスは、“死”。そしてボラはこの国の言葉で、“浅瀬”を意味する。
 そしてまさに“死の浅瀬”の名称の通り、歩けばその足の下で、ジャリッとも、ゴリッともつかない鈍い音と共に、結晶化した塩の台地が砕けて弾けた。
 かつてはここも陸地であったらしい。大昔の写真を見る限りは青々とした草原の広がる広大な平地だった筈のこの場所も、今では海に浸食され、地形すらをも変えている。草も生えない、魚も住まない、まさに死の大地だ。
 残った海水が十二月の陽の光を反射させ、空へと向けて跳ね返していた。リュートはその足が汚れるのも厭わず、足首までその水に浸りながら、その浅瀬を歩いた。
「そろそろ、見えて来てもいい頃なんだがなぁ」
 リュートは、一人呟く。スーツの内ポケットから小型の端末を取り出せば、その位置を確認するかのように、緯度と経度を検索した。
 見渡す限りこの世界にただ一人。他には何も無い。空の色と同じ水平線が永久であるかのように続く、そんな中にたった一人だけ。リュートはぼんやりと宙を見上げ、そして思い直したように視線を戻せば、その視線の向こうに小さな黒い点のような目印を見付けた。
「――あれかな」
 リュートは帽子を目深にかぶり直し、再び歩き始めた。その、遥か向こうに見える何物かへと向かって。
 塩の香りがやけにきつく感じられた。蒸発した海水が周囲にたち込め、空気までもが呼吸を拒否しているような気がした。
 やがてリュートの目に、“それ”が見えて来た。遠くに見えた黒い点は、今ではすっかりとその全貌が確認出来るまでに近付き、それが一脚のパイプベッドである事が見て取れた。
 広き海の真ん中にぽつんと佇む簡素なベッド。そしてそこに横たわり、リクライニングを起こして遠くを見つめる一人の老人の姿。リュートはそれを見て戸惑ったような表情を浮かべはしたが、結局はそれをなるべく大きく迂回するかのようにして、その老人の後ろを通り過ぎた。
 刹那――
「もし、そこのお方」声を掛けられ立ち止まる。
「目がお悪いのでなければ、黙って横切るのは野暮ではないですかな。急ぎの旅でないのなら、お茶を一杯振る舞わせてもらえんかね」
 老人はリュートの姿など見もせずにそう告げる。そしてリュートは帽子を掴んだままの恰好で老人の方を向くと、今度はそれを脱いで胸に当て、頭を下げた。
「いやいや、これは失礼しました。私はただ車を探しているだけでして。お茶の時間を邪魔しようと来た訳ではないんですよ」
「ほぅ、車ね。まさかこんな場所で中古車の仲買人と出逢うとは思わなかったな」
 言って老人は、首だけで振り返りながら笑った。一見すれば既に足腰が弱って寝たきりにすら見えるそんな老人だったが、笑う声の張りはまだ弱って聞こえはしなかった。
「私は中古車の仲買人ではありません。これでも一応、考古学を専門とする人間です」
「なるほど、それじゃあ学者さんかな。どうでもいいが、ちょっとだけ呼ばれて行きなさい。さっきから私一人こんな場所でほとほと退屈していた所なんだ」
 そう言って老人はベッドの横に置かれたサイドテーブルに手を伸ばし、さかさまになって重なるティーカップを二つ、裏返して置いた。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
 リュートは老人へと近付き、そして「私が」と言ってポットを持ち上げ二つのカップへそれを注いだ。
「ブランデーは?」
 老人は聞く。そしてリュートは、「いいえ、このままで」と答えた。
 老人はそうかと言うような表情で眉を吊り上げ、そして自らのカップに小さな酒瓶を傾けた。
「さてさて、学者さんはなんでまたこんな所で車を? まさか駐車した場所を忘れて彷徨っていた訳でもあるまい」
「いえそれが、まさしくその通りでして。座標で言えば車は間違いなくこの辺りに停めてある筈なのですが、恥ずかしい事にどうにも見付けられずに困っていた次第で」
 老人は、はぁっはっはと、喉から空気が抜け出るかのような声で笑った。
「目印なぞどこにもないからな。下手に置いたら次の満潮の時期までずっとここいらを彷徨い続ける事にならんとも限らんぞ」
「それは困りますね。あんまり遅くなると、今日の約束の時間に間に合わない」
 言いながらリュートは、カップをソーサーごと持ち上げてそれを啜った。
「美味い。これはダージリンですね」
「そう、今じゃあ滅多にお目に掛かれない相当の上物だぞ」
 老人は得意そうに言う。そしてそれを一口啜り、小さく咳き込んだ。
「失礼ですが、あなたこそこんな場所で一体何を? まさかお茶の為だけにここへとやって来た訳でもないでしょう」
 リュートが聞くと、「――いや、それこそまさしくその通りで、私はお茶を飲みにここに来たんだ」と、老人は答えた。
「それは素晴らしい。でもどうしてまたここで? お茶だけなら、もっと眺めの良い場所はいくらでもあるでしょう」
「ほぅ、例えば?」
「例えば……ですか。例えば、月を愛でながらトランシルヴァニアの奥地の古城のテラスで……とかはどうです」
「いいねぇ。もしも叶うなら、是非に一度はそうしてみたいものだ」
 言いながら老人はまた、はぁっはっはと独特な笑い声をあげた。
 そうして老人はひとしきり笑った後、そっと手を伸ばして正面の空を指差す。リュートがそちらへと振り向けば、同時にふと、陽が翳った。
 向こうに、黒々とした壁があった。もやったままに群れをなし、こちらへと押し寄せて来る不吉な壁だ。そして老人はそれを眺めながら静かな声で一言、「“無”だよ」と、呟いた。
「私はあれを見に来た。どうせ逃れられない運命ならば、一足先にそれを見ておこうと思ってな。こうしてお茶を飲みながら、最期の時を迎えるのもいいじゃないかとそう思ったんだ」
「――なるほど」
 リュートはその迫り来る暗雲のような巨大な壁を睨みつつ、また一口お茶を啜った。
「もう既に、ロンドンやマドリードも“無”に飲み込まれたそうじゃないか。間もなくパリやローマの街なんかもその中に取り込まれるだろうし、いずれはここも“無”の及ぶ所になるだろう。逃げ場所なんかどこにもないんだ。ならばおとなしく静かに“無”を受け入れた方が、自然であるとは思わないかね」
「まぁ、そう言う考え方もあるでしょうね」
「君はそうじゃないのかね」
「えぇ、まぁ――」
「そう言えば君は、約束があると言っていたな」老人はリュートを見上げる。
「この期に及んで、君はどこに行こうとしているのかね。どうせ地球の裏側まで逃げたとしても、“無”がこの地球上の地表全てを覆うのは、僅か八十時間後だ。“無”は実に緩慢だが、確実でもある。例え今から地球を離れたって、いつかは宇宙の果てにまで“無”は追い付く。我々は絶対に、消失から免れる事は出来ないんだよ」
「ふぅん……」面白そうに微笑みながら、リュートはその方向を見つめる。
「あの“無”の中って、一体どうなっているんでしょうかねぇ。待ち構えているのは、“死”なのでしょうか」
「何をのんきな事を言っているんだ学者さん。“無”は、“無”だよ。“死”などと言う生ぬるいものじゃない。飲まれたもの全て、何もかもがもが消えて無くなってしまうんだよ」
「――本当に? あれに飲まれたら本当に全てが消失してしまうんですか?」
「おいおい、いまさら何を言っているのかね。当たり前じゃないか。君だって知っているだろう、あれに取り込まれた都市や国がどうなったかを。“無”は、“無”でしかない。死や破壊ではないのだ。あれに取り込まれたが最後、後はもう何も残らない。この世界から――いや、この次元から消えて無くなり、そしてもう二度と生まれ変わる事もなく“無”に返るんだ」
「それは怖いですねぇ」
 言うと老人は困った顔で首を振り、「やはり君は何もわかっちゃいないな」と呟いた。
「実際君は、あれを恐れてないのかね。巨大な津波のように迫り来るあの姿を見て、畏怖しないのかね。――私なんか、いまさら後悔しているよ。“無”を受け入れ、自らの運命を迎えようとここに来たと言うのに、いざあの光景を目の当たりにすれば、やはり怖い。もっとも今から逃げようとも思ってはいないがね」
 老人はカップをソーサーの上に置く。そして一息ついてから、また語り始めた。
「人類は、“あれ”を軽視し過ぎた。神ですら扱えなかったものを、自分達ならば制御出来ると何の根拠もない過信を抱いてしまったせいだ。とても――人類の新しいエネルギーに取って代わるような存在ではなかった。それがこの結果だ」
 老人は両手で何かを掴もうとするかのような仕草でそう語る。リュートは何も言わず、少しだけ面白そうな表情を浮かべて自らの唇を撫でた。そしておもむろに、「でも、完全な“無”とはならない」と、意見をする。
「――どう言う意味かね?」
「そのままの意味です。あれに飲み込まれたからと言って、なにもかもが無くなる訳ではない。少なくとも、そこに存在したもの全てが形を無くそうとも、そこにあったと言う事実までは消えてなくならない」
「確かにね。確かに“無”は、過去までは消せない。だが、そこには確実に未来が無い」
「そうでしょうかねぇ。でも私は、“無”に飲み込まれた後もそこに存在し続けるものを知っていますよ」
「へぇ……それはなにかね?」
「うぅん」リュートはまた唇を撫でながら、空を見上げた。
「どう言ったらいいのでしょうかね。人の想いと言うべきか、メッセージと言うべきか。私は“それ”と接触した際に、そんな事を思いましたよ」
「随分と曖昧だが、学者さんがそう言うなら、きっと真実なんだろうね」
 言いながら、老人は正面を指差し、「車だ」と呟いた。見れば確かにその指差す方向に、リュートが乗って来た一台の赤い米国車があった。
「あぁ、あんな所に。助かりました。実は結構焦っていたんです。もしも本当に見付からなかったらどうしようかって」
「でも残念だな。この距離ならば、君が車に辿り着く前に、車の方が“無”に飲み込まれる。――間に合わないよ」
「まぁ、なんとかなるでしょう」
 そう言ってリュートは帽子をかぶり直す。そして一言、「美味しいお茶をありがとうございます」と、老人に礼を言った。
「君はどこに行こうと思っているのかね。今更どこへ行ったとしても、同じ運命しか残ってはいないよ」
「はぁ……日本へ行こうと思っております。恋人との約束がありますので、とりあえずは時間に遅れないよう頑張るだけですが」
「日本か。残念だがもう既に反対側へと伸びた“無”の一端が、あの国を飲み込んでいる。どう頑張っても、君の約束は果たせない」
「いいんですよ。それでも」
 笑ってリュートは一礼をし、そして向こうに見える車の方へと歩き始めた。
「学者さん。君は……なんと言ったらいいのだろうな。君みたいな変わった人間は、ついぞ今まで見た事がなかったよ」
「私も同じ気持ちです。私もあなたほど粋な最期を考える人はお逢いした事がない」
「――グッドラック。変な言い方だがね」
「あなたも。もし縁があるのなら、来世でお逢いしましょう」
 笑い声が聞こえた。リュートはそれを背中で聞いた。
 突然、ざぁっと水しぶきを舞い上げるかのような突風が吹きすさんだ。リュートは咄嗟に身をかがめ、飛びそうになった帽子を押さえる。
 先程までの上天気が嘘のようだった。周囲は突然夜となったかのように暗く、そして嵐のような風が吹き荒れていた。リュートは足を速め、車へと急ぐ。
「間に合うかなぁ」
 のんきに一人呟き、そして車のドアを開けた。
 ふと、背後を振り返る。先程、言葉を交わした老人の姿はどこにもなかった。ただ、抜け殻になったパイプベッドと、ティーカップの載ったサイドテーブルがそこにあるだけだ。そこから老人だけが忽然として消え失せてしまったかのように――。
 リュートはその方向に向けてもう一度だけ会釈をすると、車へと飛び乗りイグニッションキーを押し回した。
 乱暴にギアを入れ、アクセルを吹かす。そしてハンドルを思いっきり引き倒せば、リュートの愛用のフォードは猛烈な勢いで空へと向かって加速した。
「間に合った!」
 リュートは楽しげな声で言う。同時に車のフロントを叩く大粒の雨。そしてその車体を押し流そうとするかのような突風。赤いフォードはその竜巻のようなスコールの鼻先をかすめ、陽の射す明るい場所を目指して飛び去った。
 すかさずリュートはダッシュボードのモニターを操作しながら、もはや頭と言うより指先が記憶した回線番号へと通信を繋げる。僅か数コールの後、声が聞こえた。
「リュート? 今どこにいるの?」
 若く、落ち着きを持った美しい声の女性だった。
「デスボラだよ。白き結晶の大地さ」
「だから、そこで何をしている訳?」
「聞いて驚いてくれ。なんと僕は今しがた、かの有名な“オーギュスター卿の幽霊”にお逢いしたぞ。噂通りな、“無”の話を聞いた上、紅茶までご馳走になって来たよ」
 自慢気に、リュートは言った。そしてそのモニターの向こうでは、相手の女性の溜め息が聞こえた。
 だが――と、リュートは思う。
 あれは決して、噂で聞くような幽霊などではなかった。あの老人はしっかりと肉体を兼ね備え、息をし、思考をするごく普通の人間だった。そしてもちろん、彼は狂人でもなければ法螺吹きでもない。ただ――自分がいる世界とはまるで違う場所にいて、違うものを見ていただけなのだろうと。
 果たして、たまたまそこで交わっただけの違う次元の世界で、彼は一体何を見て、何を想っていた事だろう。そして彼の言う“無”とは、一体いかなるものだったのだろう。
 もしも本当に彼の目の前まで“無”迫っていたとしたならば、それはきっとこれから先にあるいつかの未来のワンシーン。先の未来に人類が辿り着くのであろう、遠い時代の光景だったに違いない。
 それがたまたま、この現代の次元と交差しただけ。単なる神の悪戯が、小さな奇跡を生んだに過ぎないだろう。
 チューナーから、新西暦以前のオールディーズな曲が流れ出す。Louis Armstrongの、“What a Wonderful World(この素晴らしき世界)”だ。

 I see trees of green, red roses too
 I see them bloom for me and you
 And I think to myself, what a wonderful world――
 (木々は緑色に、赤いバラはまた、わたしやあなたのために花を咲かせ
 そして、わたしの心に沁みてゆく。何と素晴らしい世界でしょう)

「――もしかしたらあれって、人類への警告だったのかも知れないね」リュートは話し掛ける。
「いつしかきっと、この世界にも終焉が訪れるよってな感じのさ。それを過去の人間に教えたかったんだよ」
「全く、何が言いたいのよあなたは」
 咎めるような口調のその女性に、「ごめんごめん」とリュートは微笑む。
「愛してるよ、ユナ」
「――私もよリュート。だから約束がある時ぐらい、寄り道はしないで」
「了解」
 ギアを押し込む。アクセルを床まで踏み込む。ボンと音をさせ、ブースターから青白い炎が吹き上がる。
 空気を歪ませるかのような加速で、車はその空に一筋の軌道を残し、そして消え去った。

 And I think to myself, what a wonderful world――
 (そして、わたしは心の中で思っています。何と素晴らしい世界)
 Yes, I think to myself, what a wonderful world
 (ええ、わたしは心の中で願っています。何と素晴らしい世界なんでしょう)

 十二月のデスボラは尚も静かで、ただ、空と同じ色をした広大な浅瀬がどこまでもどこまでも、気が遠くなるぐらいに延々と続いているだけだった。





《 What a Wonderful World – この素晴らしき世界 ‐ 了 》





【 あとがき 】
ちーす。MCの放浪者、李九龍だす。
今年一年お疲れっス。じゃ、ま、そーゆー事で。
以上、あとがき終わり。

以下は、ひたすらオナニーな独り言。
自己満足以外のなにものでもないので区分けしとく。
読んで欲しいんじゃなく、しゃべりたいだけなので、オール無視全然おけー。


―――――――――― キリトリ ―――――――――――


先日、近所を歩いていて突然、ぽっかりと空いた更地に出逢った。
俺は茫然とした。その更地を眺めながら、以前そこにあった筈の建物がどんなものだったのか、まるで思い出せないのだ。
何度も何度もその前を通った筈なのに。それこそほぼ毎日のようにそれを視線の端に見ていた筈なのに。更地に変わった途端、それ以前に記憶もまた更地のように消えてなくなっていたのだ。
こう言う出来事と言うものは、生活の中に実に多くある。
ふと通りすがった人の顔。確か知っている人の筈なのに、どこの誰なのかがまるで判らない。
人の会話の中に挟まる、心の琴線に触れた一言。
昔どこかで聴いた筈の、流れて来た曲のワンフレーズ。
口に入れた瞬間、何かを思い出しそうになる懐かしき味。
何故かどれもこれも曖昧で、確か前に俺はこれを知っていた筈だ――と、そう思う以上ではないもどかしさ。
現実に塗り潰された過去の想い出である。

そしてそれは人の想い出だけには留まらない。
完全なノンフィクションの小説など有り得ないように、事実だけが伝えられた史実などこの世には有り得ない。
良かれ悪しかれ、過去の事実には必ず何かが加わる。
かつてはただの預言者が、人の都合で神となったりするように。その時その時の人の想いで、事実は様々な形に捏造されるのだ。
まるで子供の頃に観た映画のようだ。子供心に感動し、涙まで流した筈の映画なのに。それから数十年を経て同じものを観ても、それは決して同じものではなく、その半分の感動すらも味わえない。
美しかった女優は実に古臭くて野暮ったく、心に刺さった名台詞は実に陳腐で簡素な台詞だし、クライマックスで流れる曲なんて、まるで12ビットのゲームの音源のようだ。
人は、自らの心の中だけの過去を創り上げる。
悪い事ではないが、寂しいと思ってしまう事は事実だ。

そして俺はこのリュートシリーズの根底に、その寂しさを捻じ込んでいる。
誰がどう否定して来ようが、俺の中のこの作品テーマはそこにある。
今ある現実がどうであれ、もはや情報と時の渦の中に埋もれた過去の真実を知りたい。そんな人の単純かつ純粋な欲望を満たしたい。
そしてそれを描きたい。それが、このシリーズなのである。
冒頭から偉そうにぶっこいて申し訳ないけど。

今回のこの作品は、以前mixiに載せた《真昼の月》と言う作品のリメイクである。
書き終えて掲載した後、ふととある曲を思い出し、どうしてもそれを作中に織り込みたくなった。
そう、このタイトルにあるままの、ルイ・アームストロングの名曲中の名曲だ。
そうしてリメイクした後、果たしてこれはどこに掲載すべきか? 思いつつも今の今まで倉庫の中で眠らせていたのである。
ううむ、素晴らしきかな?

実はこの作品、俺の中では“一区切り”的な思い入れがあり、シリーズの中では一番のショートながら結構気に入っていたりする。
もしも一作目からちゃんと読んでいてくれたりする奇特な方がいらっしゃったら、気が付いたりするのだろうか。どの作品にも必ず入っている、リュートのパートナーの存在。
今までどの作品にもあえてその名は書かなかったが、この作品ではようやくそれが入った。そう、ラストでリュートと会話をする、“ユナ”と言う女性がそれである。
リュート一作目、《満月茶会》にてヒロイン兼主役を張ったその女性が、まさに同女性。
一作目ではそれなりにくっつきそうな雰囲気を醸し出しながら、それ以降は全くそれに触れずに来た。そしてこの本作にて、種明かしをした。
まぁ……読み手にとっては全くどうでもいい事なんだろうけど、書いている俺にとってはセーテンヘキレキ。そう言う訳で、「一区切り」と言う単語を用いた。

しかし、感慨深い。
一作目、二作目では、“リュート・D・クロフォード”と言うフルネームすら出て来なかったこの主人公。
茶系のスーツを好んで着たり、愛用のブリムダウン帽なんてものが出て来るのも、まさに三作目以降からの話なのである。
そう、リュートと言うキャラクターは三作目にてようやく性格やら容姿やらが固まった。
そう言う点では三作目である“ルナティック・ワルツ”は記念すべき作品の筈なのだが……実はあまり思い出したくなかったり。
そう、初の公募原稿で、初の長編完結作品だっただけに、落ちた時のその落胆と言ったらもう……。

とりあえずこの本作品、リュートシリーズ六作目(本当は五作目がこれなんだが)をもって、一区切り。第一幕終了って事にしておこうと思う。
いやもう実はとっくに七作目を書き始めているんだが、俺的にはこれで一旦終了なの。いいの、それで。


◎シリーズ一覧

第一作目 《 満月茶会 》
第二作目 《 Vilhelm - ヴィルヘルム ‐ 》
第三作目 《 ルナティック・ワルツ 》
第四作目 《 HAZY MOON - 朧月夜 - 》
第五作目 《 緊縛の果実 - Lilith is inside - 》
第六作目 《 What a Wonderful World – この素晴らしき世界 ‐ 》



過去を知りたい。真実を知りたいと願うのは、人としての純粋な欲望の一つである。
きっとそれは知識欲などと言うカテゴリで括られるものではないだろう。
きっとそれは情熱であり、ひとりよがりな我儘であり、下らない無駄な感傷かも知れない。
だが人がそれを失ってしまったならば、きっと先には進めない。
きっとそんな欲望。
そしてまた、失われてしまった真実を想像で補完する事も、きっと同じ欲求なのだろう。
いつまでも、このシリーズを通してその欲求に突き動かされたいと、俺は切に願う。

2013/12/08  李九龍


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