Mistery Circle

2017-09

《 花咲く庭 鳥啼く森 》 - 2012.07.09 Mon

《 花咲く庭 鳥啼く森 》

 著者:すずはらなずな







「夜にしか歌わないって訳じゃない」

「『小夜啼き鳥』だなんていうくせに いつでもかまわず歌ってるのね」
いつも暢気に歌っているサヨへの 私のちょっと意地悪な言葉への返事が それでした。「サヨ」というのはもちろん、その小生意気なもの言いをする若者の本当の名ではなかったでしょう。でも、結局私は、一月足らずをともに過ごした彼の本当の名を知らないままでした。

「俺?俺はサヨナキドリ」という自己紹介も相当奇妙なものでしたが、まともに向き合ってそれを言う彼に、一瞬驚いた顔をしただけで、「じゃあ サヨとでも呼ばせてもらおうかな」と穏やかに微笑みながらの先生の答えもまた、先生らしいとはいえ、やはり私にとって理解に苦しむものでした。
いきなりやって来たこの気ままで掴みどころの無い若者のことを、「鳥」というより「のら猫」のようだと私はずっと思っていました。

「腹減った。お願い、何か食わせて」
朝 いつものように仕事に伺った先生のお宅の植え込みの前で、しゃがみ込んでいたこの若者を放ってもおけず、とりあえず勝手口に連れて来たのは私ですが、まさか先生がそのまま彼をここに住まわせてしまうとは思いもよりませんでした。
「悪い人でもなさそうですし」
そう言ってにこりと笑う先生のおおらかさに、私もなぜか安心してしまい、彼が何者なのかなど疑うこともせずにいました。
間の抜けたことですが「サヨナキドリ」というのが「小夜啼き鳥」という本当にいる鳥の名前だということも、私はまったく知らなかったのです。

食べ盛りの若者の気持ちのいい食べっぷりを見るのも楽しく、「折角の薫さんの美味しい料理だ。僕一人で頂くのも勿体無い」などと先生におだてられると私もますます調子に乗り、新しい創作料理を夢中になって考え、せっせと二人分の食事を用意するのでした。


いつも口ずさむ程度の歌い方でしたが サヨの歌はとても上手でした。
年に似合わず 歌うのは古いシャンソンや映画音楽、私の父母や、もう少し上の世代の方達が懐かしがりそうな流行歌などでした。
「よくそんな歌知ってるわね」
洗濯物を干しながら ちょうど後ろの先生の書斎の窓から顔を出すサヨに言いますと
「聴く人に合わせてんの。懐かしいでしょ、薫さん」
「まさか。そんな歳じゃありません。私だってよく知らないわよ」
私がぷうとむくれて見せると サヨは面白そうにころころと笑い、身軽な動作でひょいと窓枠に腰掛けました。
「失礼、失礼。解ってるって。祖母が子守唄代わりによく歌ってくれたんだ。古い歌が好きで、店でお客さんの前で歌ったこともある それは綺麗な声のひとだったんだよ」
「子守唄に?」
「でも、あんまり上手すぎるんで、却って眠れなかったりして」
─ずっと前に亡くなったけどね。サヨは小さく付け足しました。

まだ少し冷たい風がひゅうと吹いて、部屋のカーテンを揺らします。サヨはお屋敷の中を勝手に歩き回り、先生の書斎にも気兼ねなく入って行くので、私の方がはらはらします。その時も先生は書き物の途中だったようで、窓の奥で風に散らかりそうになる原稿を一生懸命押さえておられる様子が見えました。
「お仕事の邪魔しないの。窓なんか勝手に開けて、先生がお困りだわ。もう あっち行った、行った」
のら猫をしっしと追いやるようにサヨに手を振って見せると
「少し冷たい空気を吸ったほうが 頭が冴えるんだよ。薫さんも深呼吸、深呼吸。かっかしてると小皺が増えるよ」
吸って、吐いて、と サヨがおどけた態度を見せるので
「そんなこと、サヨに心配してもらわなくて結構です」
洗濯物を大きな音を立て ぱんぱんと叩きました。
そんな私とサヨのやりとりを先生はいつも黙って面白そうに眺めておられました。


「薫さんって いつからここに来てるの?」
掃除、洗濯と 動き回っていても、ひょいと後ろを向くとサヨが居ます。その時も庭掃除をしている私にサヨは付いて歩いていました。
「そうね、5年目くらいになるかしら」
広い敷地には自然に伸びた草花がゆれ、手を加えないまま枝を広げた樹木には鳥がやって来ます。自然に出来たドライフラワーが風に揺れる横、冬枯れした茎の下に新しい命が芽吹いています。立派な日本庭園風な設えなので、最初はただ放置された荒れた庭のように思えたのですが、先生が好んでこのような様子にされているのだと 今では思っています。
サヨも暇があれば庭に出て小さな虫をしゃがんで眺めたり 珍しい鳥の来訪に歓声を上げ まるで小さな子供のように私に報告してきます。
改めてこのお家と庭と、それを大事にされる先生が素敵に思えてくるのでした。
「いつも静かな家だけど、誰か訪ねて来たりしないの?」
池に渡された石を飛びながらサヨが聞きます。
「そうね、原稿を依頼に来る出版社の方とか、古いお友達で画商の佐伯さんとかが たまに。」
弟子にして欲しいとか、そうそうお嫁さんにして下さいなんていう熱狂的なファンの方が来たこともありました。そんな時先生はただ「困りましたね、薫さんお願いしますよ」というと 私にお茶菓子で相手をさせてご自身はどこかに隠れてしまうのです。
「原稿?」
「タイトルだけでも見たこと無い?いくつかの雑誌に随筆を書かれてるわよ」
本屋さんで先生の書いたものが載っているものを見つけるのが 私の内緒の楽しみでした。内容はこのお庭で見つけた自然の移り変わりのことが多いのですが、たまに季節を感じる食事(私が作った創作料理!)についても、繊細なイラストを付きで書かれてありました。 お願いしたら掲載より前に原稿を見せて頂けるかもしれないのですが、何だか気恥ずかしくて、随筆を読んでいることを先生に話せずにいるのです。

先生のお宅に家政婦を依頼されたのは佐伯さんだったと聞きます。
「放っておいたら 何も食わないでも平気な顔してるような男だから」
ご自身の生活にあまり無頓着で、仙人のような先生を気遣ってのことでしょう、私がここに勤め始めた頃 佐伯さんは頻繁に様子を見に来ていました。いつも「いい人が来てくれてよかったよ。先生のことをくれぐれもよろしく」と手を取って拝まんばかりに言われるので 少し驚きました。先生はお友達にそれは愛されているのだな、と微笑ましくもありました。


いくらサヨがついて回るからとはいえ、サヨの質問に答えてばかりはおりません。
勤め先のお宅のことを軽々しく噂話のようにするなど家政婦としてもっての他だと私は思っています。だから サヨがどんなに親しく話しかけ色々と聞いてきても なるべく仕事の手は止めず簡単な返事だけをするように努めていました。
それでも折に触れて、他愛のない話でもしている内に 初めてここに来た時やお勤めしているこの5年の間の様々なことを鮮やかに思い出します。 「有名な画家の先生」のお宅を紹介され どんな気難しい偉そうな先生かとあれこれ想像したこと、初めてお会いした日、貫禄のある佐伯さんと先生を間違えて挨拶してしまったこと、佐伯さんの後ろに隠れるようにしていた細身で穏やかで今にも消えて無くなりそうな先生に気づいて、とても驚いたことなどを思い出し、ひとりくすくす笑ってしまうのでした。

「先生って画家さんなんでしょ。絵描かないの?」
サヨのその質問には少し胸が痛みます。佐伯さんが来るたび、催促したり、残念がったり、はっぱをかけたりしているようですが、先生はなかなか絵筆を取る気にはなれないようでした。帰りがけにいつも佐伯さんが私に、こっそり先生の体調や様子の変化を聞いてくるのですが、私には先生がどのようなお気持ちでいるのかは測りかねました。ただ健康面だけはしっかり気遣って、食が進むように栄養を取って頂けるようにと 食材を選び、オリジナルのレシピを考えるのでした。

先生のアトリエの部屋に入って、先生の絵を見た日の 驚きと感動は忘れられません。朝もやに包まれた山々、樹々の間に差し込む日の光、煌くせせらぎ。沢山の風景画もうっとりする程美しかったのですが、その中にひときわ目を惹きつける 人物の入った数点の絵がありました。森を思わせる深い緑、海か空を思わせる透き通る青の背景で、幻想的、とでもいうのでしょうか、息を呑むようなそれは美しい絵でした。淡い色の薄絹を纏った人物はどれも同じ女性のようで、背景には、よく見るとどれにも削ったような細い線描きで鳥の姿や羽の模様が細かに描きこまれていました。後ろに回るとどの絵にも「ナイチンゲール」という作品名と番号が書き込まれていることに気づきました。佐伯さんがよく「ナイチンゲールの連作」と呼んで褒めておられたのがこれらの絵のことなのだと解りました。
私には女性の絵とその題名がつながらず 不思議に思ったのを覚えています。



一雨ごとに暖かくなる時期とはいえ、朝からしとしと雨の降る物寂しい日のことでした。
このところ体調のすぐれない先生にゆっくりお休みして頂くために できる限り静かに拭き掃除などをして 梅のお粥といくつか食の進みそうで消化の良いおかずを工夫して、ラップを掛けて帰るところでした。
ふと見た廊下の小窓から 離れのアトリエの前に立つサヨが見えました。慌てて庭に回り、アトリエのドアとサヨの間に割って入りました。
「ここは先生の大事な仕事場です。勝手に入らないで」
雨の中傘もささずに走って来た勢いで、私も思わず声を荒げてしまいます。サヨは少し驚いた様子をしましたが、すぐに私の慌てぶりを面白がっているような表情になりました。雨粒がサヨの柔らかな茶色い髪できらきら光ります。
「だ…大体 いつも勝手にあちこち歩き回って。先生はご存知なの?」
「知ってるかって?俺が こそこそ嗅ぎまわってることを?」
貼り付けたような笑顔のままサヨが扉に腕を延ばして来ます。何だか身動き取れない格好になってしまい、その上顔を寄せられたので、頬がかぁっと熱くなりました。うんと年下でも こんな整った顔立ちの子に間近で見つめられてどきりとしないわけありません。でも同時に彼のことを 私は全く何も知らないのだと思うと、恐怖心のようなものが突如込み上げてきて 足がすくみました。
この部屋は先生の神聖な仕事場だというだけでなく、先生の大切な思い出の置き場なのだ。誰に説明を求めなくても 私にはそう思えるのです。守らねばいけない、土足で踏み込んではいけない、そんな気持ちで私はただ必死でした。
「そんな怖い顔しなくても ここ、カギかかってるし」
「か…鍵があるとかないとか…そういう問題じゃないわ」
いつもながらの不真面目なサヨの調子に少しばかり怒りを覚え表情を緩めず私が言うと、サヨは咎められて悲しんでいる子供のような表情にくるりと変わりました。
「そうだね、ごめん。心配しなくいいよ、薫さん。俺、何にも悪いことなんかしないから。もう少し、もう少しだけここにいさせてくれたら 出て行くから」
雨が少し強くなり、サヨの声が小さくて 雨音にかき消されそうでした。

「・・・先生のお粥と別に サヨのご飯の用意はしてあるから 食べてください。私、帰ります。もう上がる時間だから」
本当に勝手なことしないのよ、子供に言い聞かすようにそう言って、サヨの腕の間をすり抜けて逃げるように門に向かいました。門扉に手をかけた時 追ってきたサヨは私の腕を掴んで真剣な顔で聞いたのです。
「ねぇ、どんな絵を見た?あのアトリエで。教えてよ ねじまき鳥さん」

ガタンと戸の開く音がして母屋の2階の寝室の窓、先生の姿が見えました。


あの時、サヨはなぜ私にそんな言葉を掛けたのでしょう。
次の日ぼんやりとそのことを考えていた私の手に 先生はアトリエの鍵をそっと載せました。
「好きに見せておやりなさい。彼にはきっと 見る権利がある」
「権利?」
「鍵はきみに預けるよ。空気を入れ替えてたまに掃除もしなくてはね」
先生は私の問いには答えず、穏やかに笑ってそう言い、そのまま目を閉じて揺り椅子でうとうとと眠りにつかれました。

「ねじまき鳥」のようだね、と以前私のことを言われたのは先生でした。
時間通りに仕事をこなし、これといって面白みのない私のことを言われたのかと そのときはあまり良い言われようだとは思いませんでしたが
「時計がなくても薫さんがいれば間違いない」とか「何をさせてもきちんとしてて気持ちがいいね。薫さんは」などと先生に言って頂くにつけ 「ねじまき鳥」の名もそんなに悪くない気がしてきたものでした。そして、ちゃんとお仕事をしなくてはと気が引き締まり、先生のために自分に出来ることはもっと無いかと考えるのでした。

サヨと一緒にアトリエに入ったのはその数日後のことです。庭には水仙の花が咲き、まだ硬いけれど梅の蕾が漸く膨らみかけていました。「ナイチンゲール」の絵を並べた前で サヨは長い間黙って佇んでいました。
「薫さん、アンデルセンの『ナイチンゲール』の話 知ってる?」
サヨはやっと口を開くと 私に向かって問いかけました。


「有名な看護婦さんのことじゃなかったんですね」
「うん。『小夜啼き鳥』『夜鳴き鶯』ともいう」
サヨが笑いながら教えてくれました。もちろん私はアンデルセンのお話も知りませんでした。
「薫さん ここに座って」
サヨは肘掛椅子を窓際に持って来て私を座らせると、 「ナイチンゲール」の絵を背にして語り聞かせてくれました。
それは このようなお話でした。


中国の皇帝が、それは美しい声で鳴く鳥の噂を聞き、ぜひその歌声を聞いてみたいと家来に探させます。ナイチンゲールは森で自由に歌っているのが好きな鳥でしたが 皇帝の望みを聞き入れ 宮殿で歌を聞かせます。
その歌声の素晴らしさに皆胸打たれ 皇帝ははらはらと涙を零すのでした。

サヨは緩急をつけ、感情豊かに語ります。聞いている私は思わず引き込まれ、子供のように身を乗り出してサヨの言葉をひとつでも聞き逃すまいとするのでした。
「だけど 人の心はいつまでもナイチンゲールのところに留まっていないんだな」
そんな風に物語りに入り込んでいる私の表情や様子をサヨは時折満足げに眺め 少しじらす様に話の流れを止めます。
「日本のミカドから贈り物が届くんだ」
「日本の?」
それは意外な展開でした。贈られたのは「機械仕掛けのナイチンゲール」でした。

機械仕掛けのその鳥はとても精巧に出来ていて 実に素晴らしい歌声を 毎回同じに望むだけ聞かせてくれます。疲れることも無く、気乗りがしなくて歌わない日もありません。2羽を一緒に歌わせてもぴたりと合うことがないのは ナイチンゲールの自由気ままな歌い方のためでした。
人々の気持ち、とりわけ皇帝の心がナイチンゲールから離れていくのに時間はかかりませんでした。

一息ついてサヨが私の様子をまた窺います。上気した顔を見られるのも照れくさく、私はサヨに聞きました。
「感動して涙まで流したのに?」
「そ、なんて人の心の移りやすいことか。ナイチンゲールは静かにその陶器で出来た宮殿を抜け出し どこかへ去っていくんだ」
「何だか 悲しいわね」
「でもナイチンゲールにとっちゃ、良かったかもしれないよ。もともと自由が好きな森の鳥だし」
「皇帝は寂しくなかったの?機械の鳥がいさえすれば」
私が先を待ちきれず聞くと、サヨはそれを待っていたというように嬉しそうに話を続けます。
それは また私の想像していなかった展開でした。

宮廷からナイチンゲールが去っても 機械仕掛けの鳥の歌は人々を喜ばせ、繰り返し聞くことで 皆が同じ歌を同じ調子で歌えるほどになりました。機械仕掛けの鳥は皆の賞賛を受け大変愛されておりました。
「でも、」
サヨが 言葉を切りました。
「でも?」
「機械は機械。やがて壊れてしまうんだ」
「歌わなくなるの?動かなくなってしまうの?直せないの?もう直らないの?」
どんなに物語りに入り込んでいるのか自分でもおかしい程、機械仕掛けの鳥が壊れると聞くと私の胸がきりりと痛みました。
国中の学者、もちろん医者をもってしても 機械仕掛けの鳥は歌いません。日本から呼び寄せた技術者でも やっとのことで年に一度歌うか歌わないかくらいにしか直すことができませんでした。
「そのうち 皇帝も病に倒れる。だんだん弱っていく皇帝を民はもう顧みない」
「また『人の心は移る』って言うの?」
かわいそうな皇帝。でももっと寂しく思えるのは 病の皇帝のそばで壊れたままの機械仕掛けの鳥でした。賞賛され愛されたはずのこの鳥が、ただのがらくたになって、埃をかぶっている様が目に浮かびました。

「今一度 ナイチンゲールの歌が聞きたい、皇帝は思うんだ」
「それは本物のナイチンゲール?それとも機械の?」
「そうだね、どっちだったのかな」
サヨはそう言いながら窓の外、木の梢を見上げます。春を告げる鳥がそろそろやって来る季節でした。

民は次に皇帝になるのは誰かに心を奪われ、家来は皇帝のために試しに機械仕掛けの鳥のねじを巻いてもくれないのです。寒々とした皇帝の寝室には死神が忍び寄ります。機械仕掛けの鳥は為すすべもなく無残な姿をさらし 捨てられる日を待つだけなのでしょう。それを思うと私は胸が詰まって苦しくなりました。

死神が皇帝に取り付こうとしたまさにその時です。窓の方から心洗われるような美しい歌が聞こえます。清らかで喜びに溢れ、どんな悪も恐れも不幸も寄せ付けない、神の祝福に満ちたその歌に、死神さえ聴き入ってしまう、そんな歌声でした。そう、あのナイチンゲールが帰ってきたのです。かつて自分の歌に涙を流してくれた その人のために。ナイチンゲールは皇帝のことを見捨ててはいなかったのです。本当に必要とされるならば、自分の歌を聴きたいと望まれるなら 私はいつでもここに参ります。そして貴方のために高らかに歌いましょう。
サヨの語る、それは素晴らしいシーンでした。
死神は去り、皇帝は命を取り留め、奇跡のように元気な姿に戻るのです。

「『おはよう』っていうんだよ、皇帝は。驚く家来の前に元気な姿を見せて…そして物語は終わる」
そう、物語は終わるのだ。機械仕掛けの鳥は戻らないまま。何の役にも立たないまま。
「ハッピーエンド、なのね」
「そう。ハッピーエンド、だね」
「機械仕掛けの鳥はどうなるの?」
そうそう、とサヨは続けました。皇帝はナイチンゲールが戻って来たことを心から喜び 死神を遠ざけてくれたことに感謝します。褒美を、という皇帝に あの最初の涙だけで十分だとナイチンゲールは答えます。
「あの壊れた機械は捨ててしまおう」
皇帝が言うと、ナイチンゲールはこう言うのです。
「それはお止めなさい。あの鳥もまた 今まで貴方を喜ばせ癒してきたではありませんか。そのまま置いておやりなさい」
サヨはもう一度
「物語は それで終わり」
そういうと私の鼻をちょんと突き、くるりとドアの方を向くと、まだぼんやりしている私を置いてアトリエを出ていきました。 窓の外からサヨの歌う声が遠ざかっていきました。


その日は サヨが居るようになってから 初めて佐伯さんが訪ねて来ていました。
いつも勝手にふらふらと人の居るところに顔を出すサヨが その日はどこにいるのか見当たりません。
日当たりの良いテラスで、お二人が私のオリジナルレシピの特製フルーツタルトを美味しそうに食べておられます。お茶を淹れながら、先生の体調の回復に静かな喜びを感じていました。
「何だか 元気がないね、薫さん」
お皿を引いて下がろうとする私を佐伯さんが呼び止めました。佐伯さんにも解ってしまったのでしょうか。サヨにナイチンゲールの物語を聞いてから 何だかすっきりしないもやもやとした苦しさをどうすることもできずにいたのです。
古いお友達の佐伯さんなら アトリエの「ナイチンゲール」について色々ご存知かとは思いましたが、あえてモデルの方についてなど聞き出したいとは思いませんでした。ただ、私が「ねじまき鳥」で、「機械仕掛けの鳥」だとしても 物語のようにあの「ナイチンゲール」が出ていく理由になったわけではありません。美しく歌って賞賛される存在でも無く、しかも先生が深く心を傾けてあの絵を描かれたころを 私は全く知りません。
ただ それでも私は「機械仕掛けの鳥」が哀れに思えてならなかったのです。捨ててしまわれるところを何とか救ってもらった「ねじまき鳥」、でも壊れたままでもう歌えるかどうかも解らないのです。本物のナイチンゲールにも敵わず、何の役にも立たず、打ち捨てられもしないなんて悲しすぎると思いました。
先生なら この気持ちを解って下さるだろうか…私はどうしてもナイチンゲールの話をサヨから聞いたことを話さずにはいられませんでした。

「アンデルセンの小夜啼き鳥か、ふぅん、懐かしいね、先生」
佐伯さんが先生に微笑みかけます。先生も深く頷いて 昔を思い出すような目で庭の方を見やりました。
「機械の鳥に感情移入する人は初めて見たけどね」
佐伯さんは大きな身体を揺らして楽しげに笑いました。お二人にとって「ナイチンゲール」が、決して嫌な思い出ではなかったようなので ほっとしました。
「その話を サヨが?」
ええ、と頷くと 
「サヨ?サヨって?」
サヨのことをまだ知らない佐伯さんが不思議そうに問い返したその時です、庭の茂みの向こうから いつものように歌いながらわふわ歩いているサヨの姿が見えました。
「あの歌は?…あの子は?」
驚いた顔の佐伯さんに向かって 先生は穏やかに微笑んで言ったのです。
「瀕死の僕のところに舞い戻って来た『ナイチンゲール』だよ」


聞いたのは先生の若いころのお話でした。アンデルセンのその話を先生の絵で絵本にする話が持ち上がったそうです。
「二人であれこれ考えたよ。鳥について調べてみたり 参考になる絵本を探したり。」
なぁ、と佐伯さんは先生に向いて言い、先生も頷きます。
「たまたま行った店で彼女が歌っていたんだよ。震えたね。『ナイチンゲール』見つけた、眠ってた先生が急に動き出した」

モデルの女性 歌の上手な「ナイチンゲール」は自由で気ままな女性だったと佐伯さんは言いました。
「退屈が嫌いな娘でね、先生が絵に没頭し切っている内に ふらっと出て行ってしまったんだよ」
全くお前ときたら彼女が居なくなったことさえ 長い間気がつかなかったから驚くよ、佐伯さんはそう言って お茶をすすり、茶目っ気たっぷりの顔で私に目配せしました。
彼女の居場所を奪ってしまった「ねじまき鳥」は『絵』だったんだ。先生らしいその思い出話に何故か安堵する自分自身に、少しの驚きを感じていました。
「どこに行ったのか二人で探せたけどね。また店で歌を歌っていた。歌は彼女の天職だったと思うな」
佐伯さんは続け
「たくさん恋をした後、幸せな結婚をしたと聞いてとても安心した。ふわふわした風船みたいな娘だったからね」
そう教えてくれました。
残念なことに絵本の企画は途中で中止となり、あの絵たちだけが残ったということでした。
「物語通りに本物の「鳥」の絵で、描かなくてはいけなかったんだ。どちらにせよ使って貰えなかったんだと思う」
先生はそう言って 仕方ないよ、と静かに笑いました。 
先生はそれからまた少し風景や静物だけを描いて そして今まで続く長い長い休止期間に入っていったのです。
ああ、そういうことだったのか、ため息が漏れました。
「でも、また…絵を 描いてみようと思うんだ。温もりのある「ひと」を描きたい、最近そんな気になってね。」
先生が唐突に言われたので 佐伯さんはたいそう驚き、そして喜びました。


「薫さん、少し元気出た?」
先生と佐伯さんがほれぼれするほど綺麗に食べて下さった後、食器を片付けていると サヨがひょいと台所を覗いてきました。
「薫さんも『ねじまき鳥』だものね。あんな終わり方じゃ、気になるのも無理ないか」
「聞いてたの?さっきの話」
「うん、まあ、ちょっとだけね。薫さんの様子も気になっていたし」
サヨまでも私の気持ちに気づいて 気にしてくれていたのかと自分の解りやすさにあきれます。
「でも、どうしてサヨまで 私のことを『ねじまき鳥』って、あの時…」
ずっと気になっていたことを聞きますと 
「それは内緒」
サヨはふふふと笑って後ろから私の頭にぽんと手を載せると
「いつか教えてあげるよ」
そう言いました。そして何でもないことのように言い足しました。
「そうそう、言い忘れてたけどミカドから贈られた『機械仕掛けの鳥』はさ、高価な宝石を散りばめたそれは豪華で美しいものだったんだよ」

それを聞いて頭がかぁっと熱くなったのは他でもありません。
「ひどい。見た目のことなんて一言も言わなかったじゃない」
豪華で美しかったなんて… 散々自分に重ねて一喜一憂し、そんな姿を皆に見せていたのに 今更そんなことを言うサヨが恨めしくありました。
「酷いって、何が?薫さん何で怒ってるの?」
とぼけた顔でサヨがまだ聞いてきます。恥ずかしくて涙が出そうになりました。
「もうサヨなんて知りません。仕事の邪魔だわ、あっちへ行って」
きょとんとしてサヨは私を見ていましたが 私がそれ以上どんな言葉も受け付けない様子に「解った、解った」というように手を振り、
「薫さんは自分の本当の価値を知らないんだよ」
小さくそう言って 台所を出て行きました。


「薫さんにモデルをお願いしたいんだ」

次の日、出勤した私を出迎えるように先生が玄関まで出てきて 仰いました。
「ひと」の絵を描きたくなったと聞き、私も嬉しく思っていましたが まさか私にモデルを頼まれるなんて思ってもいなかったのです。
あまりに吃驚して 固まってしまい何と答えていいのか解りません。
「サ…サヨ、そうだ、サヨを起こしてきます。あの子ったら私が起こさないと ずっと寝てるんだから」
動揺を隠せず、思わずばたばたとサヨが寝起きに使っている部屋に、彼を探しに来てしまいました。
でも、サヨはどこに行ったのでしょう。部屋は窓が開け放たれ カーテンが風に揺れていました。たった一つのサヨの持ち物のリュックがありません。どの部屋を探してもサヨの姿は無く 私はアトリエへ駆け出しました。
行った先のアトリエは鍵が掛かっておらず、入った途端「ナイチンゲール」の絵の数々がすべてこちらを向いて微笑んでいるのが目に飛び込んできました。
今まで何故気付かなかったのでしょう。「ナイチンゲール」の面差しは それはサヨによく似ていました。
「サヨ?」
窓際でカサリと音がしたので振り向くと 1枚の紙が風に舞いました。手に取るとそれは 先生の原稿用のメモでした。いつも思いついたアイディアや気になったことをその都度書き付け 文章を書くより前にまず絵を描いてイメージを膨らませておられたのは知っていました。
「うちのねじまき鳥さん」と書かれたその紙には 私の家事をする様子がいくつもスケッチされていました。そして隅っこに走り書きで「ちょこまかとよく働く、自分の「歌」を創って歌う。何より感情が豊か。案外解りやすい」とありました。
サヨは、このメモを先生の書斎で見つけたのでしょうか、自分のことが描かれていることに驚き、また恥ずかしくもありましたが 絵もコメントも、先生の描かれようが可笑しくて、つい笑ってしまいました。

ふと振り返ると 先生がアトリエの入り口に立っていました。
「今度もまた出て行ってしまったんだね。サヨナキドリは」
先生はそう言って、一通の封筒をこちらに差し出しました。サヨから私と先生に宛てて書かれたものでした。

「祖母の歌の一番の聴き手だった先生と 僕の物語の一番の観客の薫さんへ」
封を開けると 子供向けのお芝居のチラシと、チケットが2枚入っていました。
チラシの中にある脚本・演出の青年の顔写真を見て 先生と私は顔を見合わせます。お芝居のタイトルは「花咲く庭 鳥啼く森(アンデルセンの「ナイチンゲール」より)」とありました。
メッセージが入っている、先生が気づき、私に示されました。
チラシの端の白い部分に「ねじまき鳥さんのために 少し内容を練り直してみます。薫さんが気に入るといいな」と書き込まれていました。

「これは ぜひ観にいかなくてはね」
先生は楽しそうに呟かれ、
「一緒に行っていただけますか?」
まるで貴婦人をダンスに誘うように 私のほうに手を差し出されました。

気持ちの良い風が吹き、若い草花の香りを運んできます。まだつたない鶯の鳴き声が聞こえます。
私の物語も一旦ここで終わりに致します。
季節はもう春です。





《 花咲く庭 鳥啼く森 了 》





【 あとがき 】
女中さんものでは「小さいおうち」が話題ですが「博士の愛した数式」も好きです。「家政婦のミタ」も見てました。「家政婦は見た」シリーズはみてません。

実はこのアンデルセンの話、これを書き始めるまで知りませんでした。ネットと本屋さんの児童文学のコーナーにお世話になりました☆

ナイチンゲール、美しい声で夜にずっと啼くのは オスだとか。えっ。
そこは まあ 今回は忘れるということにしてください。

一度全部消えてしまった原稿を思い出して何とか間に合いました。よかった~、


【 その他私信 】
50回の分も消えちゃったよ・・・。


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