Mistery Circle

2017-10

《 埋葬 》 - 2012.07.09 Mon

《 埋葬 》

 著者:幸坂かゆり








物語は終わった。つまり、物語は終わるのである。それも唐突に。
彼は本を開く。日記帳を。彼は文字というものを知ってから、欠かさず綴ってきた。心持ち俯き、その長く、老人班が目立つ骨ばった指で、こめかみを押さえる。彼、ライが思い出すものは、いつもひとつ。薄手のシャツに薄手のスカートを纏った16歳の少女、エリ。彼女だけ。

「ブルーが死んだんだ。」
ライはその日、この一言でエリを驚かせた。
エリは、今すぐそっちに行っていい?と言った。ライは頷いた。言葉の通り、エリはすぐに隣のベランダから部屋にやってきた。挨拶もせずライの部屋の窓を開け、部屋に入った。
「ブルーが?本当に?どうして?」
「年だった。」
「ブルーは今どこにいるの?」
「まだ家にいる。」
「見せて。ううん、会わせて。」
「おいで。」

ブルーは、ライが飼っていたセキセイインコ。鮮やかに印象的な青い羽を持っていた。それだけの理由で「ブルー」と名づけ、とても可愛がっていた。人懐こくてエリもブルーを愛でていた。動かないブルーを見てエリは眉間に皺を寄せる。小さな手のひらに、その亡骸を乗せ、口づけた。
「手厚く葬ってあげましょう。ブルーはたくさんの幸せをくれたもの。」
「そうだね。」
その言葉に、大げさだな、と、思いながら、本音ではエリの言葉に安堵した。ライ自身、ブルーの死を一人で受け止めるのは辛かったのだ。
待ってて、と、言うとエリは素早く立ち上がり、ベランダから一端、自分の部屋に戻ったようだった。ライは煙草に火をつけ、吸いながら待った。時間が過ぎて、エリが戻ってきた。煙草を灰皿に押し付ける。エリは手に箱を持っていた。ちょうどブルーの体が納まる、程良い大きさで、色も柔かい青色をしていた。ライも見たことのあるその箱。有名な宝石店の箱だ。

「いいの?そんなにきれいなのに。」
「きれいだからよ。ブルーによく似合うでしょ?それからこれも。」
そう言って、エリの部屋に飾ってあったという数本の切り花を胸元から出した。むりやり服の中に挟んできたのか、首の下の皮膚が赤くなっていた。そしてスカートのポケットからも何かを取り出した。アイボリーの色をしたハンカチ。エリは「鋏を貸して」とライに言いつけた。鋏を受け取ると、最初にその鋏で花の茎を切り、花の首の部分を集めた。それから青い箱の蓋を取り、ハンカチを敷き詰め、ブルーをそっと、丁寧に、その上に乗せた。細かな花はブルーの体の周りを飾った。とても美しく、しかし、皮肉な事に美し過ぎて、ブルーがこの世にいない事を、現実としてライにはまだ実感できていなかった。
「どこかにブルーを埋めに行きたいんだ。できれば、エリも来て欲しい。」
「もちろん。行くわ。」
「どこがいいだろう。」
ふたりは、様々な場所の案を出し、最終的にエリが言う場所に決めた。エリいわく、そこは森の中の霊園の側にある空き地で、静寂に溢れており、霊的な印象で穏やかな場所だと言う。決定だ。その場所がいいね。と、ライも賛成した。
明朝、ライが運転する車でエリと家を出発する、と予定を立てた。

当日、エリは薄い生成りのシャツにくすんだ色の青いスカートという、いつもの井出達にブルゾンを羽織っていた。いくら花の咲く季節とは言え、朝は冷える。ライも、暖かそうな革のブルゾンを着て、ファスナーを首まで上げていた。ブルーはエリが持ってきたクラシックなトランクの中に入っていた。車、出すよ。いいわ。ライは車を出発させた。寒くない?平気よ。互いに、顔を見ずに会話をする。雰囲気はやはりいつもとは異なる。

2時間ほど走った頃、空き地に着いた。
風は強かったが天気が良く、景色がよく見渡せた。ライは車を停め、エリと一緒に車を降りた。ブルーを連れて。エリはずんずんと突き進んで行き、ライはエリの後ろを歩く。どの辺りに埋めようか。ライがエリの背後から尋ねる。そうね、柔かい土をまず探しましょう。それから、お昼になったら今日のように陽が当たるような、そんな場所を。ふたりが走ってきた道の途中、その道路の端、ちょうど良い場所を見つけた。エリはブルゾンを脱ぎ、車の中に置いた。トランクを開け、中から小さなガーデニング用のスコップを2本取り出し、1本をライに手渡した。ライと共にその辺りの土を触る。土は柔らかく温かだった。途中、思いがけず木の根が張った部分もあったが、何とかブルーを入れた箱が納まるほどまで穴を掘った。エリはそっと箱を取り出す。そして、ふたりが掘った穴の中に丁寧に乗せた。目を閉じて祈りを十分に捧げた。ふたりで土を被せた瞬間、可愛らしかったブルーの姿が蘇り、ふたりは抱擁し、ライもやっと現実なのだ、と受け止め、嗚咽した。

儀式は終わった。後は帰るだけ。しかし、ふたりは動こうとしなかった。まだ太陽は輝き、ふたりの薄い瞳の色を照らしていた。エリは草むらの上を何の目的もなく歩き出し、ライは何となく不安で後をついていった。ふと、エリが見えなくなった。エリ?どこ?ここよ。エリの声はライの足元からすぐに聞こえた。彼女は草の中に横たわっていた。ゆっくりしましょう。ブルーがくれた時間よ。その言葉にライは微笑んだ。

「君の言葉は詩的だな。」
「してき?」
「ポエムのように美しいってことさ。」
「ああ、そういうこと。でも、何の意味もないわ。わたしはただ感情を表しているだけ。」
「だからすごいんじゃないか。そんな言葉、言おうとしたって言えない人間はたくさんいるんだよ。」
「例えば、すごいことだとしてどんないいことがあるの?」
突発的に返され、ライは少し戸惑う。
「それは・・・。」
エリが目でライの言葉の先を促す。
「僕のように言葉を書く人間には、心底羨ましく感じる。」
「何か書いているの?」
エリにならわかってもらえるような気がして、ライは頷く。
「文字というものが書けるようになってから、ずっと日記を書き続けているんだ。」
「ずっと?毎日?」
「そう、毎日。」
「すごいわ。わたしなんていつも日記は三日坊主よ。」
ライは思わず苦笑する。
「だけど、日常生活の中にいつも事件なんて起こるものじゃないし、時折、想像の物語を書くこともあったよ。」
「おもしろいわ。後から読み返したらどこからどこまでが想像か判らなくなりそうじゃない。素敵。」
エリは腹ばいになって、ライの話を笑顔で聞いてくれる。しかしライが言う想像の物語にはエリへの不謹慎なものも混ざっているので、詳しく聞かれたら困ってしまうのだが。
「今日のことは、本当のことね。」
「うん。なんだか書くのがせつないよ。」
「そうね・・・。」
ふと見ると、エリはブルゾンを脱いだままでいたのに気づいた。
「エリ、寒くないの?いつも薄着だよね。」
「ああ・・・。締め付けるものはなるべくない方が好きなの。」
「そう。」
沈黙がふたりの間に流れた。エリの言う事はよく理解できるのだが、男物のようなシャツに裏地も付いていないような、布を巻いただけのようなスカートなのだ。
「何かおかしい?わたしの格好。」
エリは上体を起こして言う。
「いや・・・。好きな格好なら構わないと思うんだけど、いつもあまりにも薄着だからさ。」
「理由があるのよ。何だかここでなら話せそうな気がする。」
「話して欲しいな。」
「笑わないでね。」
「もちろん。」
ライも体を起こして、エリの目を見た。

「わたし、母の着せ替え人形だったの。わたしが幼い頃、母は父親と離婚したんだけど、それ以来、わたしが大人の女に成長することを許さなかった。いつまでも少女のままでいさせようとしていた。今考えると酷い抑圧ね。そのせいでわたしの普段の服装は、首の上まで隠れたひらひらとしたフリルがついたブラウスで、ボタンひとつも外すのを許されなかった。頭には大きく蝶々結びがついたビロードのカチューシャ。おかしな膝丈の歩きにくい分厚いスカート。その下には生まれたばかりの赤ん坊が身につけるような、これまた分厚いだぶだぶの白いタイツ。靴にはヒールなんて全くなくて、ストラップのついたゴムの上履きのようなものだった。そんな格好ばかりさせられていた。もう16歳で、体型だって変化を起こしているって言うのに。半袖なんて、なかなか許してもらえなかったわ。夏の暑さで何とか勘弁してくれたけど。それが表向きのわたしの姿。でも、夜になり、母が眠ると、すぐにその服を剥ぎ取るように脱いで、洗濯籠に投げつけて湯船に浸かった。すべてを消し去るように。そして湯を出たらリネンや自然な素材の、むしろ男が身につけるようなだぼっとしたシャツを好んだ。色も、灰色、白、黒、ベージュ、今日のような暗めの青、地味過ぎるほどシンプルなのが好き。さっきも言ったけど、わたしにとってスカートは締めつける物がない、という感覚なの。ほぼスカートとしての役割を果たしていないけど、あくまでも裸でいたら世間的にまずい、というだけの理由よ。ズボンは面倒。それだけ。」

ライは何も言わず、エリの顔を見つめた。
「一気に喋っちゃった。つまんない話でごめんね。」
「そんな事ないよ。」
「日記に書ける内容?」
「書いていいの?」
「もちろん。」

ライは思う。エリは妙に大人びていて、同年代の少女達が近寄りがたい雰囲気を纏っていた。なのに、強い風が吹いてきても受け止めているかのように、何の抵抗も感じさせない。エリが今のような格好になって外を歩くと、みんなが振り返り、見惚れる。しなやかで。この世にルールがあるとすれば、それが小さなものに見えてしまうほどエリの存在感は男女問わず、あこがれを抱かせる。まだ話をした事もない頃、エリが古い人形のような格好をしていたのを、窓から見たことがあった。エリがもしも無邪気に笑う子供であれば可愛らしかっただろう。しかしエリは無表情を貫き、何よりもその表情で服がはちきれてしまうのでは、と思うほど、エリの存在には力があった。あり過ぎた。要するに、似合わなかった。もしも、ほんの少しでも、エリが自分自身で納得の行くデザインであれば、どれほど重厚でクラシックなドレスであってもエリは美しく着こなすだろう。そう思わせるには十分なほどの魅力をエリは持っていた。孤島に咲く花のような。
「今、お母さんは許してくれてるの?エリの服装を。」
「まさか。許してくれないわ。服に関してだけ、何かに取り憑かれたようになるの。特別、教育熱心という訳ではないのよ。ただ、肌を出すってことを極端に忌み嫌ってる。幸い、母は眠る時間が早いの。昔の人間なのよ。面倒だから言うことを聞いた振りをしてやり過ごしてる。だからわたし、未だに昼間はあの格好なのよ。信じられないでしょう?ライとは夜しか会わないから。でもわたし、わかってる。母はわたしに嫉妬しているんだと思う。いつも感じるの。パジャマを脱いであの服に着替える、一瞬だけ肌が見えるとき、母の執拗な、舐めるような悪意に満ちた視線を。へんてこな服に着替え終わったら、母親の顔に戻るわ。」

ライは言葉を捜す。エリは自分の魅力を判っている。そしてライも思う。あんな堅苦しい服なんかより、もちろん今のエリの方がいい。そんなライの何か言いたげな表情に勘付いたのか、エリは言う。ライだって似合わないって思っているでしょう?ライはまごついてしまう。正直ね。エリは微笑む。ライは降参したように両手を挙げてみせる。
「わたしばっかりこんなに話すのもなんだわ。ライはわたしとそれほど年は変わらないわよね。なのにどうしてタバコを吸って、お酒も飲めるの?今さらだけど、こうして車も持ってるし。」
エリが突然聞いてきたので思わず苦笑したが、ゆっくり話し始めた。

「・・・僕の家は両親とも揃っているよ。日常生活には支障がない暮らしだと思う。正直、そこそこ裕福だと思う。エリの言うとおりタバコを吸ったり、酒も飲む。ただ、不満だ。父親は出張で家を空けることがとても多いくせに、やたらと僕に対して厳格なんだ。少しでも家にいると監視をしてきて、鬱陶しい。文句を言うと殴ってくる。そんな父親に反抗心を起こしている。母は、父親を怒らせてはだめ、としか言わない。幼い頃は我慢をした。我慢をすれば褒められた。だけど我慢以外、褒められたことはない。母は言うんだ。父のおかげで私達は生活ができているのだからって。でも僕は気づいてる。父は浮気をしているんだ。相手の女もわざとだと思うけど、いまどき、父のシャツに口紅の跡をつけたり、香水の匂いを父に移したり、母の物ではないヘアピンをポケットに潜ませたりする。母だってもちろん気づいてる。父自身さえ、そんな母をわかっていて、隠す気もないまま、結婚と言う関係を続けてる。おとなしい母が便利だからだと思う。そして、母も金づるである父に頼っていたいんだ。僕自身は、自分が父親に反撥することや、母親に苛立つこと、それは正直言って面倒な感情だ。だから、反抗期、というこの時期に起こる事象ってことにして、そのまま甘受させてもらってる。父は月に一週間も家にいれば長い方だ。そうして家にいない間、母は僕がこうして車に乗るのを許すんだ。タバコを吸ったり、酒を飲んだりしても。多分、嘘の生活に対する負い目を感じているんだろう。けれどどんなに自由を気取っているように見えても、車は父親のものだ。免許も持ってないし。僕の年齢はエリより少し上だな。19歳だよ。あと1年もすれば家を出られる。だけど、今、話していてものすごく後悔したんだけど、こうして君を連れて来てしまって、すまないと思う。もしもパトカーに職務質問なんてされたら、君を巻き込んでしまう。」
エリは笑い飛ばす。そんなの、どうだっていいわ、気にしないで、と。
「わたしはライに感謝の気持ちでいっぱい。夜中なのにいつもわたしを部屋に迎え入れてくれて。毎日、叫びそうになっても行く場所がどこにもなかった。とても嬉しかった。それから、感謝はブルーにもね。」
「ブルーの声がきっかけだったんだよな。」
「そうよ。・・・ブルーったら、歌うんだもの!」
エリは思い出したのか、急に大きな声で笑い出した。ライも思い出す。

多分エリが窮屈な服を脱いで風呂から上がり、薄いローブを纏い、心底リラックスしていた時だったのだろう。暑い日だった。ベランダに出ていたエリに、ライが流していたレコードの音楽が聞こえていた。泣けそうなラブソングのバラードだったのに、なぜかブルーは突然、ヴォーカルに声を合わせて、歌真似を始めたのだ。しかも素っ頓狂な音程で。エリは驚いて、隣のベランダ、つまり声の元であるライの部屋を覗いた。ライはすぐにローブ姿のエリに気づいて驚いた。しかし、ふたりが何かを考えるよりも先に、またブルーはその歌を、音程が激しく狂ったままリピートしたのだ。エリは吹き出した。ライも笑ってしまった。
ライは笑いを堪えてベランダに行き、エリに挨拶をして、招き入れた。
「ようこそ。特別なライブに。」
エリはまた笑って、差し出してくれたライの手を取り、部屋に入った。その間もブルーは時折鳥らしい声も挟みながら、それでも笑わせるに十分な歌声を披露し、ライにとってエリにとって、ふたりが隣人以外の一体何者なのか、そんなちっぽけな説明の機会を失わせた。

そうやって、時折、エリは夜になるとライの部屋に来るようになった。最初にローブ姿を見せていたせいか、気も遣わずに済んだようだ。ライの部屋に来る時は今のように、体の線もよく見えない、けれどシャツの下には何も身に着けていない、そんな格好でライも慣れていた。ライがどれほどいけない想像をエリに抱えていても、容易に手を出そうとは思わなかった。壊してしまいたくなかったのだ。この不思議な関係を。

ふたりは、エリがトランクの中に用意していたバゲットのサンドウィッチと飲み物を昼食にした。サンドウィッチの中身は、焼いたベーコン、大きなソーセージ、チーズ、キャベツ、レタス、スライスしたゆで卵を挟んだものがふたつ。ソーセージに替わってすりつぶしたエビの揚げたものを挟んだものがふたつ。タルタルソースやマヨネーズ、粒マスタードソースなども小瓶に入っていた。飲み物はミネラルウォーター。
「一体いつ用意したの?」
ライが聞く。
「今朝、コンビニエンスストアで調達したの。わたしは何にも作ってないわ。」
エリは、口の端についたソースを指で拭いながら言って笑った。

そんな自由な時間を過ごしていると、あっという間に陽が落ちそうになっていた。
「家で気づいているかしら。わたし達がいないって。」
「僕達が一緒にいるとは思ってないだろうね。接点が見つからないと思う。僕は誰にも何も言ってこなかった。」
「わたしも。平気?」
「平気だよ。車なんて今までも散々借りてたし。」
「ねえ、ライ。」
「ん?」
「このあと、どうしようか。」

このまま帰ったら、何もなかったかのようにはいられない。エリはまた着せ替え人形になり、ライの家ではもしかしたら父親が戻っていて、殴られるかも知れない。互いに、縛られるものが今までより多くなるだろう。その分、投げやりに暮らすだけ。ふたりを取り持つブルーはもういない。
「車、貸して。」
「運転できるの?」
「運転席に座ってみたいの。」
「なんだ。いいよ。何なら運転してもいいよ。」
「無免許の初心者よ。」
「構わないさ。」

ふたりは車に戻った。
助手席にしか座った事がない、というエリは乗り方がおかしくなり、ほとんど倒れこむような形でシートに乗り込んだ。助手席に座るライが笑ったのでエリはその頭を小突いた。
「全然見える景色が違うのね。不思議だわ。」
ライはエリの方を見た。美しい横顔。思わずライはエリが慣れない手つきで握るハンドルの片方の手を取る。エリがライを見る。ライはシートに頭をつけ、目を閉じた。
「ライ、あなたきれいね。」
「ええっ?」
突然のエリの言葉に頭を起こした。
「目を閉じた時の睫毛の長さったら。きっとわたしより長いわ。羨ましい。」
「何言ってるんだよ。男の睫毛の長さなんて、全然得にならないよ。」
ふたりは軽く笑った。
エリはライの頬に触れる。
「ほら、こんなところにまで睫毛の影が落ちてる。」
ライはもう一度目を閉じて、撫でるような優しいエリの指のなすがままになる。
エリの指がふと止まった時、ライは体を起こし、ゆっくりとエリに口づけた。どんな格好をしていようとどんなに男より睫毛が短かろうと、この上なくエリは美しく、ライにとって、エリは、エリでなくては、と、思う。それはエリも同じで、もしもライが醜男であろうと、父親の車を勝手に使っていようと、ライそのものとは関係がない、と、思う。ふたりはふたり。ただ、いてくれて嬉しい。それだけ。顔を寄せると、舌が、互いを欲していた。互いを、撫で、舐めて、咀嚼し、飲み込んでしまいたかった。このまま、時が止まればいい。

そして、車は緩やかに動き出す。
しばらくして、ライの耳に、遠くからブルーの歌声が聞こえた気がした。


ライは、気がついて周りを見渡す。真夜中だろうか。辺りは暗闇で、霧のような煙の中だった。煙は車から出ていた。ふたりは車の外に投げ出されていた。何が起こったのか、わからない。ライは瞬時にエリを探す。すぐに肌に触れた。安心して体を引き寄せた。触れたのは、彼女の脚だった。エリが隣にいて良かった。こちらへ脚を引き寄せる。その時、ライの脚にも何かが触れた。エリの頭。エリもまた、ライの脚に触れてきた。彼らは頭と脚が逆方向になってその場に倒れこんでいた。ライに触れていたエリの指が僅かに動いた。ライは剥き出しになったエリの脚を抱きしめた。冷たいけれど体温を感じた。
「ライ、大丈夫?」
不意に、声がライの頭上から降ってくる。
「体中が痛い。エリは大丈夫かい・・・?」
「どこも痛くないわ。」
「良かった・・・。」
ライの言葉に、エリが微笑んだような気がした。
エリはライの手をすり抜けた。ライは起き上がれなかった。エリは毅然と起き上がり、何歩か歩いた。ブルーの歌声のような音の鳴る方へ。ライは横たわったままその動きを見守った。遠くへ行くな、と言いたかった。しかし声が出ない。体中が痛い。動けない。裸足の、泥が付着したエリの脚をただ見つめるだけだった。もう一度、役に立たない声帯で、行くな、と言った。声は出なかったが、エリは一瞬だけライの方を振り返った。柔かい表情で微笑みを向け、そのまま、その場に崩れ落ちた。エリの体を追うかのように、スローモーションのような動きで、薄いスカートはふわりとエリの体を覆った。まるで、ブルーの羽のように見えた。ライは顔を覆った。怖くて。最初は、泣いているのを振り返ったエリに見られたくなかったから。しかし突然、違う恐怖が襲った。震えた。とてつもなく。勝手に車を使った事よりも、反抗心の空虚よりも、何よりも今が怖かったのだ。

街では、車が暴走し、若者ふたりが怪我を負った、と話題になっていた。それほど大きな街じゃない。すぐに噂は広まった。若い男は軽症だそうよ、でも、若い女は。そんなふうに。

病院で目が醒めたライは、かすり傷と軽い打撲の状態だった。エリのことは教えてもらえなかった。ライは、口惜しくて悲しくて、痛む体で暴れた。涙と汗と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっていた。ライは執拗に看護士に食い下がり、一言だけエリの状態を聞く事ができた。外傷はなかったけれど頭を打っていた。仕方なかったんだ。と、看護士は言った。

エリを破滅に向かわせたものの発端、それはブルーが死んだ、と、ライが告げたときだった。ブルーを葬ってあげましょう、と言ったエリの言葉が大げさに聞こえたあのとき、既にエリはすべてを決めていたのだろう。運転席に乗りたがったのも、偶然ではなかったはずだ。エリは最初からこうなる事を望んでいた。ライがどれほどエリを欲しているかも見抜いていた。ひとつだけ、エリの計画が狂ったとすれば、ふたりが、ひとりぼっちになってしまった、と言うこと。行くな、という声が出ていれば、エリはライの手の届く位置にいてくれただろうか。ライはただ、たった今、エリが欲しかった。今だからこそ欲しかった。ライにとってエリは人生のすべてだった。物を書く、とエリに言った言葉だって、エリがいなければ。

ライはエリのことを聞いたときから一言も言葉を発しなくなった。誰にも。あの日、聞こえたブルーのような歌声が耳に残って離れない。エリはその声に連れて行かれたんだ。ブルー、なぜ、僕も一緒に連れて行ってくれなかったの。ライは泣く。声を出さずに泣く。時折、ライの喉からブルーのような素っ頓狂な声が空気のように鳴った。

物語は終わった。つまり、物語は終わるのである。それはいつも唐突に。
ライは本を、日記帳を閉じた。今だからこそ思う。日記帳はあの日から、ただの日記帳になってしまった。ライが書きたかったのは、たったひとつ。エリ。彼女のことだけだった。
あの日、最後に見せたエリの微笑み。あの意味は?どう言う結末になれば、ライが、そしてエリが、幸せになれたのか。もう判らない。増してや、あの時、ほんの10数年しか生きていなかったふたりに。ただ、日常には帰れなかった。少なくともエリはそう感じて、絶望の中にいただろう。あの絶望を取り除いてあげられるほどライも大人ではなかった。物語は途中で、ぷつりと切れた。エリは強引に終わらせた。もう、ライが書くことは何ひとつない。エリの匂いも、瞳の色も、口唇も、冷たい脚も、感じることができない。ライが書く物語はエリの言葉で生きて、進んでいた。日記帳は終わり。絶筆だ。ライはただ年老いる。もう十分だろう。ライの日記の中、言葉で綴る生身のライとエリは死のうとしていた。





《 埋葬 了 》





【 あとがき 】
こんにちは。
完成して本当に良かった、と言うのが書き終えてからの一言です。あまりのお題の難しさに、最初はのけぞりました。何しろ、思っている事と正反対だったのです。これはどうしたら良いものか、と、連日うんうん唸っておりました。

いつもある事ですが、書いている途中、あまりにも真剣になるせいか第六感にて電波を受信送信しているようで、テーマや書きたい事が誰かと被る、という不思議な現象がありました。その「誰か」はまったく知らない人であったり、知人であったり。しかしこれはものを作る方には珍しくない現象だと思います。そこを何とか乗り越え(笑)と言いますか、被ってもいい。私はその部分を私の言葉で表現し直す、と、割り切りました。故に、あれ、これどこかで聞いた事がある、というエピソードなどあるかも知れません。そこはどうぞ、お察しくださいませ。パクリではないので。

さて、書いている時はソチオリンピック真っ只中。応援しつつ、深夜に書きつつ、日常の憎いつまらなさをやり過ごし、この状況から脱したい、と悩みながら何とかラストを迎えました。どのように受け取るかは、読者さまそれぞれにお任せします。読んでくださる方、そして死ぬほど難しいお題を下さったMC管理人の皆様、心から感謝致します。

幸坂かゆり 2014/02/17


【 その他私信 】
難しかったよーーーー゜(゜´Д`゜)゜
もし変な間違いがあったらご連絡くださいませ。


kayuri Yukisaka Website 幸坂かゆり
http://adrianalimabean.web.fc2.com/

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