Mistery Circle

2017-07

《 秘密:Pのロ-カル・ル-ル 》 - 2012.07.10 Tue

《 秘密:Pのロ-カル・ル-ル 》

 著者:ココット固いの助








俺たちは、やっと、そういうことが言えるようになったんだ、と思う。

時間の流れも年を重ねるのも悪くない。

24になったばかりの俺は今、生意気にもそんな感慨に耽っていた。

久しぶりに帰郷した。

生まれ故郷のこの町で再会を果たした仲間たちに囲まれているせいかもしれない。

「で、この鎌田君なんだけどな!この間久しぶりにTSUTAYAで見かけたわけよ。『お~い鎌田ア久しぶり』って声かけたら、このおかっぱ野郎俺の顔見た途端に逃げやがるの…俺あったまに来て店内中追いかけまわしたさ」

「だって井原君すぐ大声出すし乱暴だし変な事するんだもん」

「おお~相変わらずそそるね~」

井原は手にしていた生の中ジョッキを卓に置くと鎌田に直ぐ様抱きつく。

「ちょっと…止めてよ井原君!?」

「相変わらず冷たてえな~鎌田は。お前一回ぐらいやらせろよ~」

そう言って鎌田の胸をまさぐる。

まさぐろうにも鎌田剛はれっきとした男なのでまさぐる胸も何もない。

「ちょっとお酒こぼれるからあ」

高校時代から見慣れ過ぎた光景だった。

「鎌田あれ言ってよ、あれ」

俺は笑いながら鎌田に催促した。

「あれ?」

「言い方がノンケじゃねえ」

「もう!」と右手で井原の頭を叩きながら俺の顔をじっと見る

「お前の鉄板MC」

俺が言うと鎌田は頷いて言った。

「もう!どうして僕がミーなの!?」

「出た~」

その場にいた俺と井原と寺田は爆笑した。

普段寡黙な寺田は酎ハイのグラスを口に運びながら「懐かしい」と相変わらずの渋い声で呟いた。

「何?一体なんなの!?今の何がそんなに面白いの?」

俺の隣に座っていた沙代子がキョトンとした顔で一同を見回す。

「俺たちは高校時代スナフキンズだったんだ」

「知ってるよ。ライブにも何回行ったか分かんないよ」

沙代子はこの間籍を入れたばかりの俺の嫁だ。

俺は高校時代同じ高校に通う仲間と【スナフキンズ】というバンドを組んでギターを弾いていた。

スナフキンズは軽音部みたいに学祭での演奏を目的に結成された類いのバンドではなかった。

オリジナルの楽曲を演る。

知り合いのコネでブッキングしてもらった地元のライブハウスで演奏させてもらっていた。

前座だけどトリのやつらなんか食ってやろうとしてた。

鼻息だけは荒い自称プロ志向のバンドだった。

バカだけどバカなりに。プロにもなれると信じていた。

本気も本気の活動だったんだ。

だから楽しかったし、いつまでも忘れない。

沙代子は別のバンド目当てにライブに来ていたお客さんでそこで俺たちは出会った。

当時俺は高2で沙代子は24歳のOLだった。

でギター担当の俺は物心ついた頃からずっとスナフキンの大ファンだった。

スナフキンこそが俺が一番最初に憧れたギターヒ-ロ-だったんだ。
じいさんの代から続いている町の小さな洋菓子店の長男として俺は生まれた。

ロックもギターも無縁の家庭で育った。

元々母親がアニメのム-ミンの大ファンで我が家にはDVDのBOXがあったし午後にはいつもム-ミンがヘビロテだった。

「スナフキンはやっぱりハ-モニカよりギターよね」

母親は初期のム-ミンを見ながら原作無視のコメントを繰り返していた。

玩具のウクレレやギターや中学時代お年玉で買ったアコギを経由して俺は高1の時に遂に念願のフェンダーのギターを手に入れた。

「バンドを組んだら俺は絶対スナフキンになる。

ソロで大好きな【スナフキンのテ-マ】を弾くんだ」と心に決めていた。

だからライブの時もレインコートと紙で作った帽子にくわえパイプというスナフキンのコスプレでステージに立った。

ライブ中はギターをかき鳴らし激しく動き回るせいで衣装はすぐボロボロになってしまった。

鎌田や井原や寺田たちとバンドを結成する時も。

「俺はスナフキンのポジションだけは誰にも譲れねえ」

そう宣言していた。

「別にいいんじゃねえの?知哉がリ-ダ-のバンドだしさ~バンド名もスナフキンズで!あ、じゃ俺ム-ミンね!主役だしボ-カルだし!!」

今と同じノリのいい井原は親指を立てて笑った。

「ム-ミンてコスしたら耳以外全裸だけど…」

「俺は構わないぜ。なんなら全身タイツ…」

「頼むから他のにしてくれ」

「じゃ無難なとこでパパだな」

井原のシルクハット姿はステージ映えしたが。

「俺はてめえら全員のパパだぜ!!」

というMCには客が全員首を傾げていた。

「で必然的に鎌田はミーだな」

「何で必然なのさ!?」

「うちのバンドきっての女形だし色白だしオカマだし文句ねえだろ」

「文句あるよ」

鎌田は確かに色白で線が細くバンドの中では一番の美少年だった。
幼い頃から大人しい女性的な性格だった上に不幸にも名字が鎌田なので小中学時代は随分周りからからかわれたらしい。

一見女子の注目集めるルックスなのだが母親に切ってもらっているという噂の髪型と独特な喋り口調や言動から一見さんお断りの残念男子だった。

「この髪型だとウィッグとかつけやすいしコスプレしやすいの!」という発言が当時からさらに怪しさに拍車をかけていた。

「スカートとか随分子供っぽいよね」

携帯で画像をチェックしながら鎌田は言った。

「スカートとかアレンジしてもいいのかな」

やはり女装には抵抗がないらしい。

「俺は」

ぼそりと口を挟んだ寺田だけが俺と鎌田と井原とは別のクラスだった。

鎌田と寺田は知り合いらしくベース担当の鎌田が「ドラムキットを持ってる子がいるよ」と言って連れて来たんだ。

俺たちは全員中学は別の学校だった。

けれど井原は小中と水泳部に所属していて同じ水泳をやっていた寺田の事をよく知っていた。

「バタフライの寺田って言ったら県で知らねえやつはいなかったよ」

「中3の時にヘルニアで入院して「競技選手としての水泳は無理だ」と医者に言われたんだ。寺田は俺たちにそう説明した。

「今まで水泳ばかりやって来たから…何かまた夢中になれる物があればと思って…俺も音楽が好きだから」

それが寺田が俺たちのバンドに入った理由だった。

寺田は引退したとはいえ高1には見えない完成された見事な逆三角形で小柄な鎌田と並ぶと、とても同級生には見えなかった。

「署長!」

井原が寺田を指差して言った。

「井原君て意外に詳しいんだね…ム-ミン」

「確かに俺の父親も祖父さんも警官の家系なんだが」

「なら決まりじゃないか!」

「寺田君ならパパも似合いそうだけど」

「確かに頼りがいありそうだ」

俺は鎌田の言葉に頷きながら「これは一体全体どんなバンドになるのだろう」と内心可笑しくて仕方なかった。

いやもう早くも楽しくてわくわくしていた。

しかし井原に指差された寺田の表情は冴えないものだった。

「悪い、少し…考えさせて欲しい」

そう言い残して、その時寺田は帰ってしまった。

「あいつやっぱり家がお堅いとか真面目に音楽やりたいとか、そんなんで俺たちとは合わないって思ったのかな?」

寺田が帰った後で井原が俺にそんな事を言って来た。

「なんか『いいやつっぽくていいかな』なんて俺は一瞬思ったんだが」

俺は井原の言葉に頷いた。

「音楽は真面目にやるさ。俺たちこれ以上ないくらい真剣だ。だけどそれだけじゃつまらない…その辺をもう一回やつに説明してみようぜ」

翌日もう一度鎌田を通して寺田を視聴覚室に呼び出した。

バンドを代表して寺田をもう一度説得する。

それは俺の役目だった。

「考えたんだ」

俺が口を開く前に寺田は言った。

「俺のステージネ-ムとコスを考えてみたんだ。見てくれるかな」

恥ずかしそうに差しだしたスケッチブックを開いて俺は驚愕した。

「TE…TERA★NOVAってのがお前の…」

寺NOVA?

「うむ。テラ-でもノヴアでも好きな方で呼んでくれ」

「なんかバンド名みたいだな」

Tの文字が逆さ十字だった。

それよりも問題はコスだ。

「んまあ見事なビイジュアル系ですこと!?」

スケッチブックを覗き見た井原が叫んだ。

「寺田はビジュアル系が好きなんだなあ」

寺田は嬉しそうに頷いた。

「CDとかDVDとか、かなり色々集めてる…ステージに立つならこの衣装と昔から思ってた…昨日も色々手直ししてたら朝になってしまった」

熱意は痛いほど伝わる。

しかし等の本人はと見るとブリキのロボットのボディに南州鉄瓶が載っかったようなルックスで…音楽的才能はともかくビジュアルとしての才能は寺田にはない。

誰かが早く言ってあげなくてはならない。

しかし誰もそんな事は言えない。

「寺っち…いや寺・ノヴア君って以前はどんなあだ名とかで呼ばれたりしてた?」

井原は切り込む。勇者だった。

「…あだ名。小学生の時は便所マ-クとか中学の時はブリキング…ブリキンとか意味不明なあだ名で呼ばれていたな」

「…意味…分からないんだ…」

井原は背中を向け笑いを噛み殺した。

「井原!俺はTERA★NOVAはダメか!?ステージでもブリキンじゃなきゃダメなのか!?」

「いや…1人だけ横文字ってのは…」

「パパだってム-ミンだって横文字だろうが!?俺だけ署長なんて嫌だ!!俺は警察官になんてなりたくない!!」

「楽しいム-ミン一家にビジュアル系のキャラが混ざってたらさあ」

「面白いな…それっていかにもロックだ」

俺は本当にそう思ったんだ。素直な言葉が口に出た。

「それっていかにもロックで普通じゃねえ」

「それにこのコス市川歌舞伎の衣装みたいで格好良さげだよ」

鎌田がスケッチブックのイラストを見て言った。

「んじゃ俺も異論はねえわ」

井原は寺田に微笑んだ。

「一緒にやろうぜ寺っち」

「出来れば…そのステージ名で…」

「あ~そうだった」

しかしMCのメンバー紹介以外で誰も寺田のその名前は使わなかった。

けれど俺の事だけはメンバーはスナフキンと呼ぶようになっていた。

「だけど寺っちこんなコス作れんの?随分手が込んだ作りだけど」

「親戚の洋服屋にもう発注したんだ」

「発注って…もしかしてお前金持ちか?俺のステッキとシルクハットも頼むよ」

「僕に言ってくれたら無料でして上げたのに」

「鎌田…お前は寺田以上に底が知れねえな」

「俺ドラムキットは従兄弟が飽きて使わないやつ貰えたから。皆みたいにバイトして楽器買わなくて済むから」

「僕もベースなら持ってるよ!」

「いや…それ聞いたから鎌田バンドに誘ったけど、お前ベース弾けんの?」

井原の言う通り確かに鎌田にロックのイメージは微塵もない。

「お部屋の壁にオブジェとして飾りたかったんだ。弾いた事は一度もないよ~」

「なるほど、お洒落さんだ」

当時の俺たちのお気に入りのバンドはZAZEN BOYSやレッチリや東京事変で彼らのカバーは散々演ったもんだ。

密造されたハ-ドリカーを水道水で割って飲む。

そんな年齢には達していなかったが夏休み中は年齢をごまかして始めた短期のバイトでアンプやマイクスタンドも買えた。

外国のバンドみたいにガレージに集まってリハをやろうとしたが熱中症で忽ち全員死にそうになった。

廃屋になったまま買い手がつかない町外れのポーリング場や神主のいない神社の社殿を転々としながら腕を磨いたんだ。

つまらない事で喧嘩もした。

特に俺と井原はお互いに前に出たがる性格だから。

「ちょ…音止めて!井原!今俺のパートでやってんだから被んなよ!!」

「アドリブでハモり入れただけじゃん」

「いらねえよ!余計な事すんなっての!!」

「でも、そっから名曲が生まれたりするんじゃねえの!?なあ今のよくね?」

「今はしっかり1つの曲コンプ出来る方が大事だと思う」

「スナフキンがリ-ダなんだから井原君ちゃんと言う事聞きなよ」

いつも俺の味方になってくれたのは鎌田だった。

寺田はいつも寡黙で黙々とドラムを叩いていた。

だから大概井原は孤立してしまう。

「あ~だったらお前ら楽器共だけで好きにやったらいいじゃん」

井原は手にしていたマイクを放りだす。

「楽器いっぱい練習してさ。リハリハリハ…でプログレとかジャズのバンドにでもなったらいいさ。そしたらボ-カルいらねえし~大体ギターとかベース音量上げすぎなんだよ!」

「井原君!」

「なんだよ鎌田?」

「みんなで買った機材粗末にしちゃだめだよ」

「なんだテメエわ!?小姑みたいな事言いやがって」

かあっと口を開けて鎌田に拳を振り上げる。

すると鎌田は決まって俺の背中に隠れたりするんだ。

「何それ?俺だけ悪者?」

「歌いたいって言うからマイク握らした途端にLSDって10年早えんだよ」

「LSD!は?何それ?」

「幻覚剤の事だよ井原君」

「そんくらい知ってんよ。黙っとけ!このオカマ野郎が」

LSDってのはあっちの言葉でリ-ドシンガー症候群って言うんだよ。お前みたいに俺様俺様言ってるカンチガイ野郎が」

言い終える間もなく井原が俺のシャツの胸ぐらを掴みにかかる。

そんな時黙ってシンバルを調整している寺田が言うんだ。

「くだらねえ」

寺田のカイナは俺たち2人の首をまとめて軽く捻るくらい太い。

普段寡黙で温厚な寺田の一言で俺たちは黙っていそいそとリハに励んだ。

いよいよ収まらない時はシンバルが俺と井原の頭を掠める事もあった。

「なあスナフキン、さっきのLSDの話って誰が最初に言ったんだ?」

「ああ、エディ・ヴァンヘイレンってギタリストだ」

「そこのギターとボーカルはそんなに険悪だったのか?」

「だけど最高のコンビだったよ。ボーカルのロスも名言を残してる」

「教えてくれよ。どんな名言だ?」

「【君もぴちぴちのスパンデックスのパンツをはけばロックスターになれる】だ」

「それは…ぜひ聞いてみたいな!」

ロスはその後バンドをクビになって落ちぶれたとはさすがに言えなかった。

「さっきの井原のハモり良かったよ。もしかしたら曲になるかもな…そこのとこだけもう少しやってみるか」

そんな小さなエピソードを話し始めたらきりがない。

一晩あっても足りやしない。

誰にでもある青春の一コマってやつなのかもしれないが。

けれど俺にとってはかけがえのない大切な時間を過ごした仲間たちだ。

スナフキンズの活動は高校卒業と共に幕を下ろした。

井原は実家の井原屋という小さな旅館の後を継いだ。

寺田は大学に進学せずに地元の市民病院の事務職に就き鎌田は県の公立大学を卒業して今は役所勤めをしている。

俺は、もう少しギターを学びたくて東京のESPに通った。

いわゆるギターの専門学校だ。

スナフキンみたいにギターだけ手に荒野に1人歩み出す勇気は俺にはなかった。

だからスナフキンズが解散した時俺もスナフキンじゃなくなったんだと思う。

親から仕送りしてもらってギターを学校で習う俺が野心や野望を抱いてバンドで凌ぎを削る連中に敵うはずがないと心のどこかで秘かに思いながら生きて来た。

結果その通りになった今の俺がいる。

でも負け惜しみとか後悔とかじゃなくて俺はそれで良かったんだと思う。

「最高だったな俺たちのバンド」

井原が空になったジョッキに残った泡を見つめて呟いた。

その言葉に俺も頷く。

「ああ、最高過ぎた」

俺はスナフキンに憧れてギターを始めた。

ステージでスナフキンのテ-マを弾くのが夢だった。

バンドを始めたおかげで最高の仲間に出会い一生の伴侶となる女にも出会った。

思えば俺の夢はあの時にすべて叶っていたんだ。

高校を卒業して東京に行く話が決まった時俺はまず沙代子の事を考えた。

沙代子は俺より年上だし美人だし経済的にも自立していた。

本来なら俺みたいな高校生が本気で相手にしてもらえるはずがない大人の女性だったんだ。

俺が東京に行って1人暮らしをすればすぐに新しい恋人も出来るだろう。

そう思って思い悩んだりもした。

ある日喫茶店に沙代子を呼び出して「東京にあるESPに通うんだ」と打ち明けた。

「じゃあ今度東京に行ってマンション決めないとね。ああ、その前に私の職探しが先か」

あまりあっさりそう言うので俺はあっけにとられた。

「だって私は知哉の彼女だもん」

彼女は俺を見つめて真顔でそう言ったんだ。

「遠距離なんて言葉を口にするくらいなこの場で別れて。私そういうの我慢出来ない性質だから」

「沙代子に好きな人が出来るかも…なんて俺も考えたりして遠距離はいやだって思った」

俺が自分の気持ちを打ち明けると沙代子は笑って。

「それだけは絶対にない事だよ」

そう言ったんだ。

学費とは別に仕送りは毎月実家から銀行に振り込まれたし沙代子だって定職に就いていた。

俺も週に何日かバイトして…毎月の家賃を払っても金は余った。

「4年制の大学に通う事を考えれば」と親からの仕送りは随分多かったと思う。

好きなギターには好きなだけ打ち込む事が出来た。

俺は恵まれ過ぎる位恵まれていたと思う。

「まあ今聞いたら荒くて青くさくて色々恥い…だけどお前のギターだけは本物だったと思う。俺お前のギターで歌えた事今でも誇りに思う」

井原が酒で赤くなった目で俺に言う。

「スナフキンが声かけてくれなかったら僕たちバンドなんて一生縁がなかったと思う」

鎌田の言葉に寺田も頷いた。

「知哉でいいよ。その名前は照れくさい」

俺はもうスナフキンじゃない。

隣の席の沙代子はそんな俺の顔を見ながらノンアルのカシスソ-ダが入ったグラスに口をつける。

「スナフキンももうパパだもんね。僕たち年とるわけだよ」

鎌田の言葉に沙代子が目を丸くする。

「分かるって!ここにいる鈍感共と一緒にしないでよ。沙代子さん酒豪だったし今着てるみたいな弛い服昔は絶対着なかったもん」

「鎌田君やっぱ女子だわ…敵に回したくない」

「もう安全圏に入ってますよ沙代子さんは。いいパパになるよ鮫島知哉は、僕が保証する」

ハンカチで顔を扇ぎながら鎌田は微笑んだ。

ふとある日の午後の光景が甦る。

「僕前からスナフキンの事が好きだったんだ」

メンバーを待つ午後の教室で鎌田は俺にそう言った。

俺と鎌田は高2になっても同じクラスだった。

井原と寺田は別のクラスだった。

井原は当時つき合い始めたばかりの彼女に夢中だった。

同じ学年の榎波という女子だったが彼女が出来てもバンドの練習に重きを置いていたせいで、その頃は彼女とよく揉めていた。

その日は彼女の誕生日で前日「大ゲンカしたんだ」と俺たちの前で悄気ていたんだ。

その日も一旦は気合い充分で俺たちの前に現れ発生練習とかしていたがソワソワして気もそぞろな様子があまり痛々しいから。

「いいから行って来いよ」と俺は井原に言ったんだ。

「1日ぐらい休んでもプログレのバンドにならないからさ」

鎌田も井原の背中を押した。

「いや…しかし…本当に?でも【バンドが皆で集まる時にけして席を外してはならない】って名言が」

その頃井原はロックにはまりまくっていて様々なロック雑誌を読み漁り名言辞典みたいになっていた。

「俺たち取り分で揉めるようなギャラとかもらってないから大丈夫だ」

「井原君のセクハラは目に余るから悪口は言わせてもらうけどね」

「そ…そうか。途中から必ず戻るからさ」そう言って井原はいそいそ教室を出て行った。

「井原君、素敵なラブソングの歌詞1つ宿題だからね」

「お…おうって、ええ!?ラブソングかよ!?」

「可愛いかったね井原君」

鎌田はそう言って俺に微笑んだ。

「井原に彼女が出来てあんなフニャフニャになるなんて意外だったよ」

俺は教室の机の上に腰を下ろしギターをいじっていた。

「そうかな?僕はむしろ今のスナフキンの反応が意外だけどね」

唇に人差し指をあて鎌田が俺の瞳を覗き込んだ。

「だってさスナフキンは音楽とかギターにとことんストイックでリハ1つとっても自分にも人にも厳しい人だよね」

「まあ…そうかな。所詮遊びって言うのは好きじゃないかな。いつか単独でギグやるって目標もあるし…」

当時の俺はバンドとかギターの事になると途端に視野が狭くなってしまう事が多くて。

そんな時ギスギスした空気にならないで済んだのは鎌田が緩衝材になってくれたからだ。

「だから以前のスナフキンだったら今日みたいな感じの井原君見たら少なからず違った対応していたと思うんだ」

鎌田の言う通りだった。

確かに今の俺はバンドも大事だけど井原の気持ちも分かる気がした。

「スナフキンはあの、よく差し入れしてくれるお姉さん…沙代子さんだっけ?とつき合ったりしてるわけ?」

問い詰められた訳ではないがストレートに聞かれ俺は言葉に詰まる。

バンドの練習がない日とか食事に誘われ何度か2人で会ったり。

「今度のお休みには横浜辺りドライブ行こうか」なんて会う度に次の予定が決まるのが俺は嬉しかった。

「つき合うとか、まだそんなんじゃないけど、俺なんか年下だし…「つき合って欲しい」なんて言った途端に軽くふられそうで…俺なんて」

「大丈夫!スナフキンはかっこいいんだから」

鎌田の言葉に下を向いて話をしていた俺は顔を上げた。

「僕スナフキンが好きなんだ」

鎌田は俺の顔を真っ直ぐに見つめて言った。

言った後で目を閉じると胸に手を当て小さく息を1つはいた。

「俺はその…今沙代子さんの事が好きで…ごめん」

俺は正直それだけ言うのがやっとだった。

「そうだね」

鎌田は1言だけ俺にそう言うとベースのケ-スを掴んで俺に背中を向けた。

「鎌田帰るのか?」

俺は我ながら情けないような声で鎌田を呼び止めた。

「まあ最初から僕は鮫島知哉狙いだから鮫島君があっちでもスナフキンはもしかしたら…なんて、バンドにいたら夢が見れるかもなんて思ったりしたわけさ…まあ他の人には音楽性の違いとか何とか言っといて」

すたすた出口の扉に向かう鎌田に俺は言った。

「スナフキンとミーは本当は兄妹なんだって知ってたか?」

鎌田は立ち止まらない。

「ちゃんと目に見えない絆があるって言うか…俺鎌田の事好きだし、お前バンド楽しくないか?それじゃダメかな?」

鎌田は振り向いて俺に言った。

「まあ、それも良し悪しだけどね」

鎌田は机に腰かけたまま往生している俺に近づくと素早く額にキスをした。

「まあ兄妹ならこれくらい普通でしょ?これでしばらくミーでいてあげる」

人前で演奏する事にも慣れ始めて井原のフロントマンぶりも板についてMCも達者になって来た頃。

いつものように井原ステージでバンドのメンバーの紹介を始めた。鎌田はその時。

「どうして僕がミーなのさ!?」とマイクに噛みついて見せた。

井原はマイクを持ったまま一瞬フリ-ズし寺田に至っては故障したカニ道楽の看板みたいに見えた。

井原や観客席なんか一切無視して鎌田は俺を見ていた。

その時だけ感じた。

ぞくりとするような女の目だった。

鎌田なステージの上でひっつめ髪のお団子のを留めた髪留めを外して肩まで伸びた黒髪を振り乱してベースで短いソロを引き始めた。

それは俺が全然知らない曲のフレ-ズで鎌田のオリジナルなのかも知れない。

もう以前のたどたどしさは失せて鎌田は自分なりにベースを手足のように操っていたんだ。

その夜客席が一番沸いたのはその瞬間だった。

特に一部の女性客から。

俺たちの髪はみんな鎌田と同じように長くなっていた。

「あれは確かThe Cardigans の Carnivalって曲で当時僕の姉さんが好きでよく聴いてたアルバムの曲なんだ。僕はアルバムで彼女たちがカバーしてたMr.Cloryとかベースでやれたらなんて思ってたんだ」

「いや…それより鎌田今お前ぶっちゃけたな~」

「そう?いくら何でも時効でしょ?」

鎌田は悪びれずに微笑んだ。

「それにスナフキンは僕を男とか女とか言う前に、ちゃんとふってくれたんだ」

鎌田はちらりと横目で沙代子のまだ膨らんでいないお腹を見て目を細めた。

「沙代子さんどうなんすか?この2人」

井原がマイクの代わりに割りばしを沙代子に向ける。

「あっぶね~今までで一番の危機だったと思うよ」

沙代子は井原から割りばしを引ったくると今度は俺にそれを向ける。

「正直にお言い!!鎌田君に告白されて、あんたぐらついたでしょ!?」

沙代子だけではない。

全員が真剣な眼差しで俺を睨む。俺は諦めて答えた。

「ぐらついた…正直どうにでもしてって感じだ」

「まあ鎌田君なら仕方ない…ってダメダメ!今からはダメだからね!?」

「どうもありがとう。スナフキン」

鎌田は胸の前で手を合わせた。

「でもさあ、さっきこいつの胸とか触ったんだけど…鎌田お前全然いじったりとしてないのな?」

「井原君!デリカシー無さすぎ」

「昔からこ~ゆうやつだからさ」

「今僕は二次元専門だよ。自分のために誰かのために性別を変えようなんて思わないし…残念ながらそんな相手もいない。僕はあの時バンドに入って充分変われたと思う」

「鎌田は鎌田のままで深化してるなあ」

寺田は相変わらず生真面目な口調で頷いた。

「鮫島君と沙代子さんの赤ちゃん、すごく楽しみだね」

「お前が言うとなんか危なげだな」

井原の言葉は一切無視して鎌田が沙代子に聞いた。

「男の子?それとも…」

沙代子は首を横に振りお腹を優しく擦る。

「まだ…ぎりぎりまで楽しみにしておこうって話」

「僕の姉さんは以前から服飾関係の仕事をしていて、今は子供服の専門店をやってるんだ。自分でデザインした可愛いい服とかスリングとか沢山あるんでもし良かったら…僕も時々お店とか手伝いに出るんで」

「ぜひ寄らせて貰う!」

沙代子が俺を見て俺も自然と笑顔になる。

「店に出て早いうちから幼児を眺め青田買いを」

「役所勤めは世知辛いんだよ。上司が前の県知事派で知事が選挙で変わったから風当たり強いの!子供服や子供みてると癒されるのさ」

「急に現実的な話に」

「自分じゃどう転んでも産めないんだからいいでしょ?見るぐらい」

「最新のバイオテクノロジーの力を借りれば鎌田だって」

「黙れ井原」

「本当にデリカシーないやつ」

「慣れっこだよ」

「鎌田をいじって懲らしめられる図式から昔から抜け出せない…それが俺の俺たる由縁だ」

「とどのつまり僕がいないと全然面白くないんだよね井原君は」

「絶句」

「喋ってるし」

「鮫島はもうずっとこの町で暮らすのか?」

寺田の言葉に俺は頷いた。

「ああ、そのつもりだよ」

地元の事悪く言う気はないが面白味がある町だとは思えんけどな」

「そうだよ!せっかく東京に出てスタジオミュージシャンとかになれたのに勿体ないじゃん」

寺田の言葉に井原ものっかる。

俺は仲間の前で見栄を張る気持ちも失せていた。

むしろ今こうした場で仲間や沙代子のいる前でつまらない嘘なんてつきたくはなかったんだ。

俺は片手を挙げて皆に言ったんだ。

「これだけだ…学校を出て5年間スタジオミュージシャンをやって来た仕事は5件だけ、それが俺の現実なんだ」

スタジオミュージシャンとして仕事をした5件のうち2つは通っていた学校に紹介されたものだから話にならない。

有名なミュージシャンのバックバンドについてチャンスを待つという方法もある。

実際に俺はオ-ディションも何度か受けた。

結果1つも受からなかった。

俺がギタリストとして成功出来なかった理由は俺のギタ-が利己的で周囲との調和を欠いていたせいかも知れない。

もっとも成功しない理由なんて数えたらきりがなく思い当たる事ばかりなのだが。

大した実力もないくせにLSDとやらに感染していたのは俺自身だったのかも知れない。

「それでも、さっきも言ったけどさ」

井原の顔からいつものおちゃらけた雰囲気が消え失せていた。

「俺や俺たちにとってお前は最高のギタリストだったんだ」

最高のギタリストか…。今なら俺は井原にもこいつら全員に向かって言える。

「それは俺じゃなくてお前らが俺の側に居てくれたから。だから俺はいつも最高でいられたんだと思う」

どうしたら井原の歌が映えるのか?

鎌田のベースと寺田のドラミング。

どうしたらこのバンドが皆に世界で一番かっこいいバンドと知ってもらえるのだろう。

当時はそんな事ばかり考えていた気がする。

「ば、馬鹿言うな!お前は俺たちと違ってプロになったんだ。俺たちの知らない世界に踏み込んだのはお前だけだろ」

昨日まで俺が存在していたと自分自身に言い聞かせて生きてきた世界。

俺がそこで味わった挫折や本物のプロとの実力の違い。

それを今ここで皆に話したところで何になるだろう。

目の前に置かれた気の抜けたビールみたいに味気無い。

ただ虚しい泡と苦味だけの日々の記憶。

「ギターの仕事の依頼は携帯にお願いします」自宅で仕事を待つのは嫌だった。どうせかかっては来ないと知っていたからだ。学生時代から続けていたバイトの収入の方がはるかに多い。

むしろそっちが本職だった。

「バンド仲間とリハだ」と言って出かけても俺はギターを弾かなかった。

色んな場所で無為な時間を過ごした。

ギターが錆てしまうんじゃないと思えるくらい長い時間。

俺のギターはもうどんな音色も奏でない。

音符は1つだけでは間抜けな記号に過ぎない。

それが俺だった。

持ち歩くだけでケ-スを開ける事もなくなっていた。

ある晩帰宅すると沙代子に「子供が出来たの」と告げられた。

沙代子の声が遠くに聞こえた気がした。

俺はその時不覚にも彼女の声か聞こえなくなる位声を上げて泣いていたからだ。

生まれて来る子供の事を考えた。

「まだ自分を必要としてくれる人がいるんだ」

そう思えただけで涙が止まらくなった。

「よかったね。知哉がお父さんで」

俺は自分だけなら未しも生まれて来る自分の子にまで嘘はつきたくなかった。

自分自身にも沙代子にも嘘をついて生きる人生は嫌だった。

「子供を産むなら生まれ故郷がいい」

そう沙代子は俺に言った。

「だから俺はもう本当にギターに未練はないんだ。高校を出てからの皆の歩みを考えたら、俺なんて遅すぎる位だと思うけどね」

そんな俺の話を聞いていた井原が言った。

「実家の洋菓子店を継ぐ。簡単には行かないだろうけどね。1からやり直しだ」

「まあ子供2人抱えた先輩であるところの俺から言わせてもらえばだ!」

「慎んで聞かせてもらうよ」

「楽器なんぞ手にしてなくたって子育てってのはロックンロ-ルライフそのものだ。夜泣きとかまあデシベルハンパねえし…年中病気になるし。こっちは夜中くたくたになるまで旅館で働いて毎朝4時起きだってのに。俺やロスやお前のLSDなんて可愛いもんだ。まあ覚悟しとけや」

そんな風に俺に話す井原は既に立派な父親の顔になっていた。

「ああ」

「楽しみだな」

「いつも何処に行くにもギターだけは肌身離さずだったから「今日はどうしたんだろう?」って思ってた」

「鎌田…お前の愛は深すぎて怖い」

「井原君は高校卒業して同級生の榎波さんとすぐ結婚したんだよね?僕も寺田君も結婚式には呼ばれずじまいで」

「高校卒業して彼女すぐ妊娠したんで式は挙げてないんだ。高校時代から俺たちやりまくりだったからな」

「やりまくりなのか」

「寺田…やらしい目で俺を見るなよ」

「軽く軽蔑してるだけだ」

「お前は昔から本当にお堅いな。高校時代から浮いた話しもねえし。バンドマン失格だぞ」

「そんなバンドマンにはなりたくない」

「寺田はまだ独身なのか?勤め先とかに気になる人とかいないのか?」

「昔の恋ばなでも聞かせててみろよ~お前本当はブリキじゃねえんだから」

「気になる女の子なら1人いたな」

ふっと寺田は呟いた。

「え!?誰だそれ!?同級生か!?」

話が思わぬ方向へと進んだ。

寺田の昔の恋愛話なんて初耳だ。

誰もが興味津々で寺田の言葉に耳を傾けた。

「うちの学校の生徒なのは間違いない。

多分留学生かな金髪の1人だけ白い制服の女の子いたよな?」

「ああ!いたな~俺も廊下で見た事あるぜ。金髪のすごく綺麗な女の子だろ?」

そう言われてみれば俺も覚えがある。

時々廊下で見かけた金髪の綺麗な女の子。

「それがお前の片想いの相手か?」

「ちょっと待て井原…なんで最初から片想いって決めつける」

「ええ、まさかお前つき合ったとか言わないよな?嘘だろ?状態は顔だけに」

「つき合うどころか名前も知らない。片想いどころか、今井原に『気になる女の子』と聞かれてふいに思い出したんだ」

少し考えを巡らすような表情で鎌田が言った。

「その子僕は学校で会った事はないけど。僕たちのライブに来てたよね」

「白い制服で金髪だから客席でも目立っていた」と鎌田は言うのだ。

「ああ…確かに客席に見に来てた記憶がある…ああ、いた!確かにいたよ!」

「俺たちの学校の生徒だからやっぱり俺たちを見に来てくれてたんだと思う」

昔俺たちがライブをやっていた場所は観客にサ-ビスでアルコールを1杯だけ振る舞っていた。

俺たちは飲酒柄みで学校の生徒がトラブルを起こしたり、そうした場所に出入りしている事を学校に知られ横槍が入るのを避けたかった。

だから同じ学校の生徒にライブの告知なんかしなかったんだ。

「考えてみたらさ…あの子教室の廊下で時々見かけたから俺たちとタメなんだろうけど、ずっと俺たちとは違う制服だったよな」

「て言うかこん中の誰かの知り合いでしょ?そうでなきゃ絶対おかしいよ」

鎌田が皆の顔を1人1人見て言った。

しかし俺を含め誰もが首を振るばかりだ。

「え…じゃあ、あの子なんで僕たちのライブでステージの横でタンバリンとか叩いてたの?誰か知り合いでステージに上げたものとばっかり僕は」

「馬鹿!やめろ!性質悪い冗談はやめろ!」

井原の剣幕に鎌田は舌を出した。

しかしその表情に浮かんだ不安と動揺の色は隠せない。

「俺は廊下でその子を見た時「とうとう鎌田が学校でも女装始めた」と思ったよ」

「いくら僕でも学校でそんな大胆な事はしないよ」

寺田の言葉を鎌田は否定した。

「俺としてはだな。鎌田が犯人でした~っていうオチが好ましいんだけどね」

沙代子が1人手を挙げている。

「私も見たよ」

「何処で?」

こうゆう話になるとすぐ調子に乗って便乗する。彼女の性格にはそんなところがあった。

「皆のライブが終わって差し入れ届けに楽屋の廊下歩いてたら今皆が話してた風の女の子がいたんで「こんばんは」って声かけたけど無視されたの。そんだけ」

「俺、そんな話初耳なんだけど」

「だから皆と同じで今思い出したの!」

奇妙な事にその女の子の事は寺田が口にするまでここにいる全員が全員綺麗さっぱり忘れていて。

個々に彼女を見た記憶はあるのにお互いに誰1人彼女については過去に話しをした記憶がないのだった。

言われて見れば美しい少女の記憶は確かに今はある。けれど。

「どんな顔だったか覚えてる?」

という沙代子の問いかけに誰もその娘の顔が思い浮かばない。

金髪に白い制服という以外何も思い出せなかった。

「まあ、誰もが一度は出逢う青春の幻影って事で終わりにしようじゃないか」

井原が強引に幕開きしようとする。

「その女の子の事はよく分からないけど僕たちにも応援してくれるファンの子がいたんだって思えばね」

「そ、そうね。寺田ァお前がいつまでも彼女いないからこんな話に…猛省だ!猛省!」

「ちょっとトイレ行って来るわ」

寺田がトイレに立ち沙代子が「どうせまだまだ飲むんでしょ?」と実家に先に戻る事になり。タクシーの手配を店員に頼んだりしている間不思議な少女の話は立ち消えになった。

「せっかく我らがスナフキンが故郷に帰還したんだ同窓会の幹事は俺と井原屋旅館に任せろ!!」

「お前クラス違うじゃん」

「そんな固い事言うなよ~」

寺田君遅いなあ」

鎌田がトイレから戻らない寺田を心配して言った。

飲み過ぎて具合でも悪いのかと連れだって居酒屋のトイレの扉を開けた。そこには寺田の姿はなかった。

「番号は昔から変わらない」と言っていた携帯も繋がらない。

結局その夜寺田が俺たちの席に戻る事はなかった。







「俺は仲間の群れから離れて1人で何をやってるんだろう」

田舎のJR駅ホ-ムに向かう人気のない地下通路を歩きながら寺田は思う。

「せっかく皆に会えたのに」

あんなに恋焦がれていたのに。

仲間の輪の中心で昔と変わらず無邪気に笑っていた井原の眩しい笑顔が思い浮かぶ。

見上げる天井の薄暗い照明が眩しくもないのに霞んでぼやけて見えた。

帰りたいなあ。

なぜ俺はこんな所に1人でいるんだろう。

気持ちとは裏腹に足が自然とホ-ムに続く階段へと向かう。

週末になると家族には「残業があるから」と言って駅前の立体駐車場に車を停めて電車に乗る。

寺田が向かう町外れの海浜公園にも駐車場はある。

けれど彼は用心深い性格でそこに集まる連中にも自分の車のナンバーを知られたくはなかった。

夜になると一夜の快楽や出会いを求め男たちが集まる所謂そこは発展場と呼ばれる場所の1つだった。

見知らぬ男たちに身を委ね自分の欲望を満たす。

排泄の欲求を満たすためにトイレに駆け込む行為。

ただそれだけに過ぎない、そう自分に言い聞かせていた。

裏腹に浅ましい獣のような声。

潮騒の音だけが救いだった。

女性よりも自分のような外見はニ-ズがあるのだと知った。

病院で薬品の匂いに囲まれ四六時中デスクトップの数字や書類の文字を目で追う毎日。

そこから一時離れてそうした場所を訪れた当初は体中が痺れるような興奮に包まれた。

しかし今ではさすがに慣れてしまった。

一夜限りの交わりの後彼に入れ込みその後もより深い関係を持ちかける男もいたが彼は応じなかった。

時間を変えたり場所を変えたりして、そうした相手とは極力合わないようにした。

井原と初めて会ったのは確か小学校3年の夏。

県の小学生が集まる競技大会での事だった。

当たり前の事だが引率の先生も付いていて寺田は他の生徒同様自分の競技の番が来るのを待っていた。

「そろそろだから準備体操!抜かりなくね」

引率の先生に言われてプ-ルサイドで仲間と準備体操をしていた。そんな自分にいきなりぶつかって来たやつがいた。

「あ!わりぃ」

その時井原は仲間とはしゃぐのに夢中で前を全然見てなくて、海水浴かなんかと勘違いしているように目の前を通り過ぎた。

「ちょっと!井原君!遊びに来てるんじゃないわよ!走ったら危ないから…止まりなさい!!」

引率の先生まで引き連れて…「あいつ井原って言うんだ。下の名前なんて言うんだろう」

日焼けして自分よりすらりとして背の高い少年の事が何故か忘れられなくて大会が終わって学校に戻ってからも、いつまでも覚えていた。

夏になると行われる競技大会。

その度に寺田はその少年の姿を探した。

大会で彼を見かける事はあったが話をする事も声をかける事も出来なかった。

ただ水泳をやっていればまた夏に会える。

頑張って表彰台に登ったら目立つし自分の事も知ってもらえるかもしれない。

「お前すげえな」なんて声かけてくれるかも。内気で他の生徒に比べ伸び悩んでいた寺田の水泳のタイムは元々の素質もあって飛躍的に伸びた。

中学生最後の中体連が始まった。

寺田は顧問の強い勧めもあってバタフライの選手に転向していた。

別の中学に進学していた井原は自由形でもクロールの選手だった。

2人が同じレ-ンに並んで泳ぎを競う事はない。

寺田は自由形の予選が始まる前にバタフライの競技に出て既に優勝していた。

「この大会は足がかりに過ぎないぞ。目標はあくまでも全国だからな」

そう顧問に言われるほどの選手に寺田は成長していた。

競技を終えて体を休めていた寺田に顧問が近づいて来て言った。

「寺田もう一本行けるか?」

体力はまだ全然残っているが自分の競技は終了していた。

寺田の学校の水泳部の顧問はクロールの選手ばかりが集う自由形の予選に寺田をエントリーしていた。

目と鼻の先に今まさにアップのために体を動かす井原の姿が嫌がおうにも視界に入る。

「行けます」

寺田が頷くと顧問は満足そうに頷いた。

普段の厳しい表情と違い悪戯を思いついたような子供みたいな顔で言った。

「なら、やっちまえ」

3コ-スの飛び込み台の前に立つと隣の2コ-スの日焼けした井原の精悍な背中が見える。

寺田は井原の前を通り過ぎる時にちらりと彼の横顔を覗き見た。

いつも後輩や同級生に向かって手を振ったり跳びはねたりして係員に注意される。

遠目に眺めていたそんな井原の姿は微塵もなかった。

口を真一文字に結び険しく猛々しい眼で水面を見つめている。

その横顔を見た途端寺田は「あ」と小さな声を漏らした。

周りに気取られねよう水に飛び込む。

普段なら有り得ぬ事だが下半身が大変な事になっていた。

「こんなの初めて」

顔が熱くなりそのまま水中に顔ごと潜ってしまいたかった。

飛び込みを選択しない選手は寺田1人だった。

自由形とはいえ誰もが最もスピードが出るクロールを選択するのは当然の事だ。

飛び込みで距離が稼げない分を考えてもバタフライの寺田は圧倒的に不利だ。

見上げる視線の先に彼はいた。

泳ぐためだけに生まれた鍛え上げれた鎌のような上腕上腕…それから…スタータ-の火薬が爆でる音が雲1つない空に響いた。

寺田は思う。

あの時スタートで出遅れたが俺の視界の先には確かに井原がいた。

まだ骨格も筋肉も充分に成熟しているとは言い難いが隆起した背中。水を捉え前へ進む指先。

俺はそのすべてを記憶している。

俺はやつの背中を追って闇雲に水を叩いた。

洗練されたクロールの泳ぎに比べたらもしかしたら不恰好に見えるだろうバタフライで。

並びたかった。

並んで泳ぎたかった。

言葉を交わさずとも俺がここにいる事をやつの胸に刻みつけたいと、その時俺は思ったんだ。

あり得ないような力が体中に満ち溢れた。

水泳競技をやっていて、これほど熱い気持ちになれたのは後にも先にもその試合が最後だった。

たとえ怪我をしていなかったとしても、あんな泳ぎは2度と出来ない。

気がつくと右手が壁に触れていた。

俺と井原以外全員既にゴ-ルしていた。

会場の外からどよめきとも歓声ともつかない声。

耳を伝わり溢れ落ちる熱い水が濡れた皮膚を通り過ぎると一際大きく聞こえた。

俺は出したバタフライのタイムは中学生記録を更新していた。

何故俺はあの時のように前に進めなくなった。

ただひたすらに水を掻き井原の姿だけを一心に追い求めたあの時の俺はもういないのか。

あれは幻だったのか。

首を横に振り寺田は1人階段を登った。

「まじかよ!?おたく、まじですげえわ」

ふいに肩に手が置かれ振り向くと井原がそこにいた。

「いや…バタフライの凄い選手だってのは知ってたけどさ…それでクロールばっかのレ-スに出て来るなんて「なんてフザケタ野郎だ」と思って、ぼっこぼこにして野郎と思ったのに、まさかこっちがぶっちぎられるとはね」

寺田が最下位の井原に大差をつけたわけではない。

しかしやはりバタフライとクロールではその解釈は正しい。

「さすが怪物君!恐れ入ったよ!」

誉めてくれているのだろうが、出来れば名前で呼んで欲しいなと寺田は思った。

や~負けたな~」

両手を投げ出して水面に仰向けに浮かぶ井原。

いつまでもこの時間が続けばと思った。

「こら!早くプールから上がりなさい」

係員に注意されて周りを見ると残っているのは寺田と井原だけだった。

寺田が差しのべた右手を水から身を起こした井原が掴んだ。

「俺は二中の寺田だ」

「知ってるよ。お前本当にすげえな!!」

そう言って井原は寺田に向かって白い歯を見せて笑った。

「オリンピック行けよ寺田」

正直オリンピックなんてどうでもよかった。

水連から強化選手にも選ばれ海外での合宿にも参加した。

中学生の出る大会はパスして大学生や高校生が出る大会にも声がかかるようになった。

そこには勿論井原の姿はなかった。

3年生の秋に思いヘルニアを煩い長期入院と診断の結果寺田の水泳競技は終わった。

近隣の有名校から推薦の話も内定していたがそれも周囲の期待同様泡と消えた。

元々中学での成績は良かった。

だから進学校であったその高校は一般入試でも合格出来た。

高校の入学式で井原の姿を見かけた時はさすがに驚いた。

大勢の新入生に囲まれた中で井原は自分の存在に気づくはずもなかったしクラスも別々だった。

入学してすぐに水泳部の顧問に呼ばれる日があった。

水泳部の顧問とコ-チは中学時代の寺田を知っていた。

「怪我の具合はどうなのか?本当に水泳は無理なのか?」

かなりしつこく聞かれた。

寺田は今まで医師に散々言われた事を今一度辛抱強く説明した。

診断書を提出して推薦がなくなった事この学校には一般入試で入った事も忘れずつけ加えた。

職員室を後にする時寺田は顧問に聞いた。

「三中の井原は水泳部に入部したんですか?」

コ-チが新入部員の名簿を見せてくれた。

そこに井原の名前はなかった。

学校の授業が終わると部活部活の毎日を過ごして来た寺田にとって午後の放課後の時間は、ぽっかりと大穴が空いたようで。

正直時間をもて余していた。

時々あの井原を教室の廊下で見かける事もある。

しかし以前よりチャラさが増していて生真面目な寺田には声はかけづらい。

つい踵を返したり柱の陰に隠れてしまう自分がいた。学

校帰りに偶然立ち寄った郊外の大型書店である日寺田は時間を潰していた。

二階にある併設されたCDショップで予約したバンドのCDを受け取り再び本を見て回る。

スポーツ雑誌が並んだコ-ナ-に行けばついつい水泳関連の雑誌に目が行くが、それは惰性でしかない。

売り場の隅っこにひっそりとゲイ関連の書籍が積まれた一角がある。

気にはなるが、そこで本を広げて立ち読みしたり、ましてレジに持って行く勇気なんて自分にはない。

ここは地元の本屋で中学の同級生や高校のクラスメートとも頻繁に出会す場所でもある。

そんな場所で寺田が危険も省みず足を止めたのには理由がある。

1人の美しい少女が熱心にそのスジの本を取っ替えひっ替え読み更けっていたからだ。

自分と同い年くらいだろうか?

今時の女の子はそうゆうの全然平気なんだと聞いていたが堂々としていて何だか羨ましくて清々しい気さえした。

寺田の視線に気がついた少女は振り向いた。

青文字の雑誌の表紙から抜け出たような可愛いらしい女の子だった。

女の子は本を置くと寺田の元にすたすた歩いて来る。

「同じ学校…1年だよね?」

声を聞いて思った。

なんだこいつ…男か!?

「僕2組の鎌田」

「4組の寺田だ…2組っていうと確か井原君と同じ…」

「井原…あ~あのチャラいのか!僕的にはモブ以下だけどね…それより」

鎌田は悪戯っぽい目で寺田を覗き込むと言った。

「あ~ゆうの好きなら僕ちょっと詳しい方なんだ。寺田君って見たとこサムスンとかベア系だけど違うかな?」

「いや…あの…俺は…」

「違った?じゃゴメンね」

そう言ってロングのワンピースの裾をひらひらさせながらBLのコミックがある書棚の方へ歩いて行く。

時折覗くサンダルが可愛くて、ふわりと鼻先を擽る香り。

どんだけいい匂い…そしてかっこいいんだろう。

暫く思案したり唸った末に大量の本を抱えレジに向かう途中の鎌田の前を塞ぐと寺田は言ったのだ。

「鎌田君!もしよければ俺と友達に…変な意味じゃなくて色々教えて欲しいんだ」

端から見れば寺田が本屋で女の子相手にかなり強引なナンパをしているようにしか見えない。

事実通りかかったクラスメートの女子は口笛を吹くような声を漏らした。

「やるじゃん寺田」

「本当に凄いの俺じゃなくてここにいる鎌田だ」

そう言いたかったが黙っていた。

寺田と鎌田はすぐに親友になれた。

寺田にとって鎌田は今も昔も尊敬出来る憧れの存在だった。

容姿は勿論着ている洋服もお洒落で久しぶりに再開し趣味は青文字から赤文字に変わっていたが。

自分には真似が出来ない。

こそこそ自分の性癖を隠したりもせずに誰かにつつかれる前に自分の事をオ-プンにしてマイペースで生きている。

勘違いした女子が自分に寄って来ないように煩わしい事に対して常に先手をうつのが得意だ。

自分の容姿の事も性癖も理解した上での行動は端で見ていてけして自分には真似が出来ないと思う。

その事を鎌田に告げると「それは自分はこれが普通だと思ってやって来て散々痛い目に合ったからだよ」

そう寺田に告白した。

井原は寺田の事を「昔から浮いた話の1つもない」と話していたが寺田は散々鎌田に井原の事は相談した。

「彼女が出来た」と浮かれて喜ぶ井原に耐えきれず泣きじゃくる寺田を鎌田が陰で慰めてくれた。

寺田は自分の性癖が発覚するのを恐れていた。

だから鎌田はバンドのメンバーの前で必要以上にそれらしくふるまってくれたような気がする。

なのに井原が鎌田をかまうと自分は不機嫌になってしまう。

自分は喋らない方じゃない。

鎌田の前では饒舌だ。

井原がいると喋れなくなるだけだ。

スナフキンと井原が喧嘩するのも嫌だった。

痴話喧嘩みたいで。

不機嫌になると自分はますます無口になる。

時々癇癪を起こしてシンバルを投げる。

「僕たち今からバンドに参加しなくちゃいけないよ」

突然鎌田が言い出した時はわけが分からず戸惑った。

「鮫島君と井原がバンド始めるからメンバーさがしてるんだ。バンドに入ったら放課後もずっと一緒なんだよ」

夢みたいな話だった。

「幸運の天使が舞い降りた」

2人して跳びはねて喜んだ。

そして本当に夢みたいな時間だった。

恋ばな-恋ぐらい俺だって知ってるさ。

お前が気がつかないだけだ。

ば-か。

階段を登り駅のホ-ムに立つ。

そこに列車待ちの客は1人もいなかった。

貝殻の風に揺れて擦れる音を聞いた。

「鎌田?」

振り返るとそこに1人の少女がいた。

思わず鎌田の名前を呼んでしまったがそれは鎌田ではなかった。

昔学校で見かけた白い制服の少女。

今も少女のままだった。

酒が残った脳みそがそれでも「そんな馬鹿な」という言葉を吐かせる。

少女は宙に浮いていた。

寺田の目の前に白い足が2本所在なくぶら下がっていた。

「制服じゃない」

間近で見て初めてそう思った。

地面に向け垂れ落ちる白い花弁。

逆さ菊。

子供の頃に母親が「お友達にもらったタイのお土産よ」と言って軒下に吊るしてくれた。

夏になると涼しげな音を奏でてくれた。

台風が来た時仕舞うのが遅れ何処かに飛ばされてしまった。

薄く削ったカピス貝殻の風鈴 ウィンド チャイムによく似た骨の服。

「見た事もないような美少女だった」

そんな風に皆が口を揃えて言った。

けれど顔は誰も覚えてない。

顔なんて最初からない。

ただ白い顔に何か書いてある。

「なんだ俺のメイクじゃないか」

TERA★NOVAのメイク。

鎌田が部屋で一生懸命描いてくれた。

黒いマスカラで引いたライン。

ところがこいつのメイクと来たら全然なってない。

歪で歪みまくり子供の悪戯書きみたいだ。

見ようによっては洞窟の壁に描かれた先史文明の壁画のようだ。

じっと見ていたらそれが本当は正しいような気さえしてくる。

それでも寺田はそれを美しいと思った。

少なくとも自分より遥かに途方もなく圧倒的に神々しくて美しい存在に思えた。

怪異なのだろう。

本来見るべきものではない。

しかし悪意も敵意も少女からは何も伝わっては来ない。

恐怖心は生まれなかった。

少女の掌が蝶々のように宙をさ迷い片方のか細い爪先が虚空を蹴る。

舞踏。寺田は突然その意味を理解した。

「俺のドラミングを真似しているのか」

そんな風に美しくあればよかった。

そんな風に俺もドラムが叩けたら。

そしたら振り向いて俺を見てくれたかもしれない。

目の前にあの日の光景が甦る。

いつも俺はドラムキットのシンバル越しにマイクに向かって歌う背中だけを見ていた。

それだけでも充分に幸せだった。

もしもあの頃に戻れるなら客席から俺たちのバンドを見てみたいな。

「自分のためにだけ歌ってくれている」

そう信じる観客の1人に俺はなりたい。

最前列に押し寄せる観客の波の中ステージから放り投げられた光るドラムスティック。

思わず身を乗りだし手を伸ばして掴もうとする。

その先には目映い照明に照らされた無人のドラムキットがあった。

還りたい。

還るべき俺の居場所。

確かに自分がそこにいた、場所。


伸ばした掌が空を掴み。

踏み出した足の先には何もなかった。

寺田はそのままホ-ムの階段から転落した。

体の重みと衝撃にたえきれずに首の骨が折れる音を聞いた。

彼女の姿を見る事は本当は稀ではない。

誰もが彼女を見かけた事がある。

彼女は常に何処にでも存在する。

ただ彼女を見た記憶はすぐ失せてしまう。

故に彼女に対する共通認識は存在しない。

特定の場合を除いて。

彼女はずっと昔からこの町にいた。

あまり長くいたせいで名前も役割も生まれた場所ですら既に彼女自身忘れてしまった。

梅雨前線に押された梅雨の雨雲が雨を降らせるように。

冬という季節が町を雪で覆うように。

彼女はそうした存在となっていた。

彼女は1つの現象であり法則であり記号でもある。

それ以外の何者でもない。

昔赤子をあやすのに天井に吊るされた玩具。

そのように彼女は人が生まれた時から人の側にいた。

あまりに単純で誰も知らないローカルなルール。

それこそが彼女を表すのに相応しい言葉と言える。

町に住む誰もが1度は出会う少女。

けれど誰も覚えてはいない。

少女に出会った者同士がいつか集まる事もあるだろう。

狭い町だから。

それは必ずある。

その時1番最初に彼女を思い出した者に彼女は触れる。

触れた者には死が訪れる。

ただそれだけの事だ。

彼女はただただそれを永年繰り返して来た。

悪意も慈悲の心も彼女は持っていなかった。

そんな彼女にほんの僅かな密やかな変化があった。

とは言え彼女の引き起こす現象や法則の本質に何ら変化はない。

ただロックバンドが好きになった。

退屈なこの町に現れた耳障りな騒音を立てる若い男の子たちのバンド。

彼女は忽ち彼らに夢中になった。

彼女は寺田の言う通りスナフキンズバの熱心なファンで。

たった1人だけのグルーピ-だった。

彼女のロ-カルなルールから逃れる術は至って簡単な事だった。

この町から離れる事。

過去と関わりを持たずに生きる事。

ただそれだけだ。

けれどスナフキンは帰還した。

スナフキンは彼女の1番のオシメンだ。

彼女の空っぽの胸に芽生えた想い。

それは切ない乙女の祈りでもあった。

あのバンドを再びと思うのは寺田だけではない。



あなたはいつも私を忘れてしまう。

だけど次は1番最初に私の事を想い出してね。


彼女の声は誰にも聞こえない。






「ずっと墓まで持って行こうと思っていた秘密がある」

「なんだよスナフキン…秘密って?」

「俺の実家は洋菓子店だ」

「ああ知ってるよ。時々お『前が家からの差し入れだ』って持って来てくれたケ-キ美味かったな」

「ビスケットやチョコのプレートのギターや音符がのっていて可愛かったな。スナフキンのお父さんはバンドやるの、いい顔しないって聞いてたけど…」

「そうあれ俺が作ったの」

「マジで?」

「ぽか-ん」

「仮にもロックギタリストを目指す野郎がお菓子作りなんて…言えるかよ」

「ギタリストからパテシェまで…お前ってやつは何処まで女にもてたい性分なんだよ!」

「ますます好きになっちゃいそう」

「大丈夫!私がいつも目を光らせているから!」

「まだまだこれからさ…沙代子あれを」

「痛まないようにお店の人に預けてあるの」

沙代子が店員を呼び目の前に大きなホ-ルのケ-キが置かれた。

昔と同じようにチョコやクッキーで作られた音符やギターの真ん中にはマジパンのスナフキンズのメンバーの姿人形があった。

「これ俺か?」

「良く出来てるよ」

「今朝からずっと厨房に隠りきりだったの」

「ロウソク立てようぜロウソク!」

「誰か誕生日の人いる?」

「いいんだって!これから生まれて来るベイビ-と俺たちの再開を祝して!!」

「ロウソクなら店の箱だから横についてると思うぞ」

「なあ…みんな俺もみんなに秘密にしていた話があるんだ」

「なんだよ寺田?何でも話せよ。俺たち仲間だろ?」

「ありがとう…みんな」

「火が点いたぜ」

「ここから俺たちまた始めようぜ」

「みんな本当にありがとう」

血溜まりの中でそんな夢を見た。

最後に見知らぬ女が蝋燭の焔を吹き消した。

【body http://www.youtube.com/watch?v=FXtI4zLSSaM&sns=em





《 秘密:Pのロ-カル・ル-ル 了 》





【 あとがき 】
今回はMC50に時間とられ結局5日くらいで書いたお話です。荒い・・ほとんど書下ろし・・スンマセン。PとかPの人ってのはロックの世界ではグル-ピ-のお姉さんの事で・・困った時の死神は芸がないけどグル-ピの怪異っていないよなあと・・そんなかんじです。

以下音源

http://www.youtube.com/watchv=PCrTcnB9TRc&sns=em
http://www.youtube.com/watch?v=pgiGJkYKslM&sns=em


ココット固いの助
mixiアカウント http://mixi.jp/show_friend.pl?id=20662502

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