Mistery Circle

2017-08

《 ノブレッソブリージュ 》 - 2012.07.12 Thu

《 ノブレッソブリージュ 》

 著者:氷桜夕雅








第一部「無力な僕」

ずいぶん、おさない頃の話だ。僕は小さな箱庭にいて何も知らず、常に被害者であった。
僕の家、エストラゴン家はこの辺一帯を治める領主の家柄で、僕はそのエストラゴン家の長男ヒース=エストラゴン。
小高い山の上にある屋敷から見渡す全ての世界が自分の物で食べるものに困ることはなく望めばどんなものでも手に入る、この時代なら誰しもが羨むそんな家柄だったけどそこで僕は無力だった。
僕は領主としての素質がまるでなかった、はっきり言えば僕はこのエストラゴン家に必要のない人間で帝王学のような勉学もできなければ剣術もまともにできない、それがわかると父ハリッサ=エストラゴンからは邪魔者扱いされ屋敷の離れに母と放り込まれた。
ハリッサは厳格な人で当時さほど力を持っていなかったエストラゴン家を一人で大きくしていた人物だ。
だからこそきっと僕の存在を無かったものにしたかったんだろう、たまに顔をあわせてもハリッサは僕に酷く当たる。
『私に顔を見せるな、屑が』
『無能が部屋に閉じこもっていろ』
でも仕方ない、僕は父の期待に添えず、無力だったのだから。
そんな僕を母、マルベリー=エストラゴンはいつも優しくしてくれた。元々平民の家の出でエストラゴン家のメイドであった母は屋敷の中ではあまり印象がよくなかったようだが常に微笑みを忘れず慈愛に満ちた人。
なにもできない僕に絵を描くことを教えてくれたのも母だった。
そんな母も今はもう、いない───





黒き雲が空を覆い、冷たい雨が降りしきる中僕とハリッサそれと古くから屋敷に仕える従者数名で母の土葬は行われた。
「主よ、世を去りたるこの霊魂を主の御手に委せ奉る。かれが世にありし間、弱きによりて犯したる罪を、大いなる御あわれみもて赦し給え」
神父の言葉とともに皆が次々と黒塗りの棺の上へと献花を捧げていくのを見ながら僕は自分自身の異常に気が付かされた。
こんなに辛くて苦しくて心が張り裂けそうなのに涙が出ないのだ。
「もういいだろう、私は戻らせてもらう」
皺だらけ顔に真っ白な口髭を生やしたハリッサは鋭い眼差しで冷たく言い放つと踵を返し帰っていく。
僕はその後ろ姿を睨みつけながら拳を握りしめるしかなかった。僕は無力だ、でも僕は知っているんだ母が死んだ原因はあいつにあるといっても過言ではないことを・・・・。

母は元々病弱で身体の強い方ではなかった。だというのに僕が寝静まると母はそっと頬にキスをして決まってふらっとどこかへ姿を消す。
ある日、僕は寝た振りをして母の後を追ったことがある。
ゆらりゆらりと揺れる母の銀色の髪が窓辺から溢れる月明かりに反射してキラリキラリと光り綺麗だったことは今でもはっきり覚えている。
母が向かった先はエストラゴン家の屋敷を建てたときからある大きな古時計の前だった。母は古時計に手をかけるとゆっくりとそれは横へと動き隠し扉が現れ中へと入っていく。 
こんな所に隠し部屋があるなんてそのとき初めて知った、恐る恐る近づき中の様子をうかがうとそこで僕は見てはいけないものを見てしまった。
小さな蝋燭の明かりだけがぼんやりと支配するその部屋で母は父ハリッサに抱かれていた。
ハリッサは母の衣服を乱暴に剥ぎ取り獣のように乳房に歯をたて、そして小さなベットに突き飛ばす。
十一歳の僕でもその行為がなにをしているかなんてわからないほど子供ではなかった。夫婦だしそれくらいのことはするというのはわかってたけどとても病弱で身体の弱い母を気遣っているようには見えず、ベットの軋む音と母の呻き声に僕は怖くなってその場から逃げ出すしかなかった。
僕は無力だ。結局それからハリッサに「母さんを苦しめるな」とも母に「あんなやつのところに行かないで」とも言うことができずにベッドに踞ることしかできなかったのだから。



母の葬儀が終わった次の日から僕は部屋に籠り絵を描き始めた。元々絵を描くのは好きだったし少しでも脳裏に焼き付いている母の姿を絵に残したかったからだ。
画材道具と質素なベッド、小さなオーク材のテーブルがあるだけの小さな部屋でキャンバスに木炭の擦れる音だけ響く。そこは僕だけの小さな世界、けどその世界はいつもすぐに壊されてしまう。
ガチリと僕の背後で扉の開く音がする。この屋敷で僕の部屋に
ノックもなしに入ってくるのは父、ハリッサしかいない。
あんな奴の顔なんて見たくなくて僕は振り返ることもしなかった。そんな僕に「また絵など描いているのか」とハリッサはいつものように呆れるように言うと
「アニス、後は任せる」
と聞きなれない人の名を呼んだ。
アニス?誰だと振り返ったときにはもうそこにハリッサの姿はなく代わりに一人のメイドが立っていた。
黒いツー・パーツ・ドレスタイプのメイド服に頭につけたホワイトブリムは確かにエストラゴン家のメイドの制服であったかがその顔に見覚えはない。
新しく入ったメイドなのだろうか?特徴のある銀色の長髪に宝石のような青い瞳が目立つ色白の整った顔立ち、僕よりも年齢は少し上だろうかどことなく怜悧な雰囲気を漂わせている。
「今日からヒース様の専属メイドを勤めさせていただきますアニス=フェヌグリークと申します。以後お見知りおきを」
「ああ、そう」
凛とした声と共に深々と頭を下げるアニスに対して僕はそっけなく返事をすると再びキャンバスへと向き直す。
「それでは早速、ヒース様は昨晩からお食事を召されていないと伺いましたのでお食事をお持ちいたします」
僕の態度に特に反応するわけでもなくアニスは淡々とそれだけ言うと部屋から出ていく。
専属メイドだって?死んだ母の代わりとでも言いたいのだろうか?ハリッサは僕に期待などしてないくせに、このままのたれ死にされると世間体やエストラゴン家の名に傷がつくと思っているのだろう、父の考えそうなことだ。
そう考えると急にあのハリッサの連れてきた新人メイドのアニスに嫌がらせをしてやりたくなった。父の、ハリッサの思い道理になんてなってやりたくなかったんだ。
「失礼しますヒース様。お食事をお持ちしました」
そんなことを考えている間に扉がノックされアニスが食事用のカートを運んでくる。チラリと後ろを振り返るとアニスは手際よくテーブルクロスを広げ食事を並べていく。
「お待たせしましたヒース様」
アニスの言葉に思わずハッとなって向き直す。焼き立てのパンの芳しい香りに生唾を飲み込んだが意を決して言葉を紡ぐ。
「食べたくなんかない、下げろ」
「そうはまいりません。お召し上がりになっていただきます」
「いいから下げろよ!」
「できません」
「下げろって!!」
思わず僕は叫んでしまった。てっきりあっさりと引き下がると思ってたのにこんなに突っぱねって来るとは思わなかったからだ。けどもうこれでわかっただろう、諦めてくれ・・・・そう思ったときだ
「そんなことをなされてもマルベリー様は喜びませんよ」
優しく子供を窘めるように放ったアニスの言葉が背中に突き刺さった。それはまるで僕の心を見透かされたかのような言葉で吃驚すると共に「昨日今日来たメイドなんかが母のことを知った風に言うな」と、子供染みた怒りが腹の底から沸き上がってくる。
けども振り返り喉元まで出かかった言葉はアニスの顔を見た瞬間に止まった。先程までの言葉とは裏腹にアニスの表情はまるで氷のように冷たく無表情だった、冷たく感じたのはアニスがどこか全てを諦めている、そんな風に見えたからだ。
「どうすればお召し上がりになっていただけますか?」
顔は諦めているように見えるのに言葉は全然諦めていないそのあべこべさになぜか僕の中で苛立ちが募る。
わかっている、彼女は何も悪くないということは・・・・でもこちらとしても引っ込みがつかなかった。
「じゃ僕を笑わせたら食べてやるよ」
気がつけば無理難題を口走っていた。僕が勝手に想像するにアニスはそうゆうことが苦手そうな印象があったからだ。
「わかりました、ヒース様を笑わせればよろしいのですね」
アニスは無表情のまま即答するとツカツカとこちらに歩み寄ってくる。
「な、なんだよ」
「失礼いたします」
そう言うとアニスは僕の側にある画材道具の中から絵の具のチューブを取り出し徐にそれを手に絞り出す。そしてそのまま
真っ赤な絵の具を塗りたくり始めたのだ。
「これが私にできる精一杯です」
「な、なにを・・・・」
あまりに突拍子ないアニスの行動に一瞬唖然としてしまったがアニスが別の絵の具を手にし絞り出そうとしているのを見て思わず僕は彼女の手を掴む。
「なにしてるんだよ!その絵の具は顔につけるものじゃない、その色々薬品とかが入っててとにかく毒なんだよ」
「これ以外にヒース様を笑わすことができる方法が思い浮かびませんでした」
白い顔を真っ赤絵の具で塗りたくったアニスが相変わらずの無表情で呟く。そもそも僕は今現在そんなことで笑えてはいないのだが
「わかった、食べるからもうその顔を洗ってこいよ」
これ以上アニスを放っておくとなにを仕出かすかわからないのでここは僕が折れるしかなかった。
僕の言葉に納得してくれたのかアニスは手に持ってた絵の具のチューブを置くと一歩後ろに下がる。
「私の事はお気になさらずにお召し上がりください」
「わ、わかったよ」
どうやら僕がちゃんと食べているのを見ないまでは顔を洗う気もないらしい。なんていうか見た目に似合わず頑固者のようだ。
僕は渋々スプーンを手に取ると一口スープを口に運ぶ。
「あ、あれ?」
どこにでもあるような芋と豆を潰したスープだったが一口食べただけで普通のスープじゃないとわかった。慌ててもう一口口にして僕は確信する。
「これ母さんの味だ」
どうやって作ったのかはわからないが、この味は母さんがよく作ってくれたスープと全く一緒だったんだ。僕がもっと幼い頃毎日のように出てくるこのスープに「他の物が食べたい」と駄々を捏ねたそんな思い出のあるあのスープ、もう一生食べることはできないと思っていたスープ。
「できるだけマルベリー様が作ってらしたお食事の味になるように作らせていただきました」
「そ、そうなんだ」
「それでは私は顔を洗ってまいりますのでごゆっくりどうぞ」
「ああ、うん」
最後まで淡々とした口調でアニスは喋ると一礼して部屋を出ていく。僕は感謝の気持ちを上手く言葉にできないまま部屋を出ていくアニスの後ろ姿を見守ることしかできず、ただただ自分がやったことを悔いるしかなかった。


アニスが僕の専属メイドになってから一週間ほどが経った。
アニスは僕の目から見てもよくやってくれていると思う。僕よりたった二歳しか違わないのになんでもできるし、なんでも知っている。
だからなのかもしれないが僕はどうしてもアニスのやることに反発しがちだ、頭の中ではすごく感謝しているのに口から出る言葉は反発することばかり。始めて出会った日にアニスの表情と言う言葉の違いに彼女の事をあべこべだなんて言ったが実際あべこべなのは僕の方だった。
いやでもアニスもちょっとわからず屋で頑固なところがあるからいけないと思う、その日もそうだった。

太陽の日差しが少し傾きかけてきたお昼頃、アニスの食事を食べた僕は徐に少し外へと出ようと思った。あんまり根を詰めて絵を描いても仕方ないし、母が死んでからずっと部屋に籠りっぱなしだったので少し息抜きも必要だと思ったからだ。僕はスケッチブックを手にすると食器を片付けているアニスに声をかける
「あ~あのアニス、ちょっと僕出掛けてくるから」
「どこへお出掛けになられるのですか?」
僕の言葉にアニスは素早く手元を動かしたまま言葉だけを返してくる。
「言わなくちゃ駄目なのか?」
「いえ、その必要はありませんが私もご一緒致します」
「別についてこなくていいよ」
「ダメです」
僕の言葉はその一言でピシャリと遮断された。こうなるとアニスは意地でもついてくるつもりなのはもう充分わかってるのでそうそうに諦めた。
「わかったよ、それじゃその食器を片付け終わったら・・・・」
「既に終わっております」
気がつけば食器はすべて片付け終わっていた。別にそんなに急がなくても良いのになぁと少し呆れながら僕は呟く。
「あ、ああ・・・・うん、それじゃ行くか」



そんなわけで僕達はエストラゴン家の屋敷から少しだけ離れた川原にやってきた。そこは色鮮やかな花達と小さな川が流れるそこは僕のお気に入りの場所でよく一人で来ている所だ。
「まぁた仕事サボってるなあの爺」
川原に架かる石造りの橋に見慣れた爺さんが座っているのが見えて僕は思わず嘆息する。
深緑のベレー帽に同じ色のカーディガンを着て、いつもここに佇んでいるこの爺さんはエストラゴン家の庭師コンフリーで、僕はコン爺と呼んでいる。僕がこの川原に来るとまぁ必ずいるし話し相手になってくれる優しい爺さんだ。
「コン爺、庭師の仕事はどうしたんだよ」
「これはこれはヒース様、今日は風が強いので仕事は終わりですじゃ」
木製の簡素な釣竿を川に垂らしながら全く悪びれた様子もなく笑うコン爺には毎度呆れさせられる。まぁ別にコン爺が仕事しなくても僕にはなんにも関係ないのでいいんだけど。
「全然風吹いてないじゃん」
「そうでしたかの?にしてもヒース様、今日はえらい美人さんをお連れですな」
コン爺は自慢の顎髭を擦りながら小さくアニスに会釈をする。それに合わせるようにアニスの方も小さく頭を下げた。
「ヒース様の専属メイドを勤めさせていただいておりますアニス=フェヌグリークと言います。」
「ほうアニス=フェヌグリーク・・・・」
コン爺は意味深げにアニスの名を呟くがすぐに「いい名前じゃのう」と微笑み返した。
「儂は庭師のコンフリーと言う者じゃ。してアニスさん、会ってすぐで悪いんじゃがちと席を外してもらえんかの?ヒース様に大事な話があるんでの」
「承知致しました」
コン爺の言葉にアニスは珍しく素直に頷くと踵を返し少し離れた木の下まで歩いていく。
「なにしてるんだあいつ。それでコン爺大事な話って?」
まるで「私はなにも聞いてません」という意思表示なのか両手で耳を押さえているアニスを放っておいて僕はコン爺にたずねる。
「ヒース様はもうあの子とキスはしたのかい?」
「な・・・・なに言い出すんだよ!」
あまりに予想外で唐突な質問に思わず吹き出すのをコン爺は楽しそうに笑う。
「そんなに騒がれると魚が逃げてしますわヒース様」
「いきなりそんなことを言うからだろ!してないよそんなこと」
「ホッホッホ、そうでしたか。あの子若い頃のマルベリー様にそっくりでな。惚れてるんじゃないかと思いまして」
アニスが母に似ている?そう言われてアニスの方を見やるが僕にはさっぱり似ているようには思えない。まぁ似ている部分があるとすればアニスの髪は母の髪と同じ銀色をしているというところ位だ。
「それに僕はアニスに惚れてなんかいないよ、なんていうか頑固だし僕の言うことになにかと反対するしね。まぁ感謝はしているけど」
「ふむふむ、ならその感謝の気持ちを言葉にしないといけませんなヒース様。恐らくあの子は今、ヒース様に仕えることでしか自分を現せないんじゃよ」
コン爺は時折僕の理解できないことを言う。言葉の意味はよくわからないけどなんとなくコン爺の言うことは正しいというのだけはわかる。
「あの子の目、ここに来るまでに沢山の悲しみを背負ってきた
目じゃよ。今も崩壊しそうな心を必死に押さえておる。だからなヒース様はあの子を支えてやらなければな」
「アニスの支えに・・・・」
アニスは無表情だけど確かにふと悲しそうな表情を見せるような時がある。けどアニスはなんだってそつなくこなすし、頭も良い。僕にできるのは絵を描くことだけで、もしかしたらその絵だってアニスだったら僕なんかよりも上手いかもしれない。支えられてばっかりで僕なんかが本当にアニスの支えになれるんだろうか?
「ヒース様、支えと言ってもなにも愛せというわけではありませんぞ。まぁキスもしとらんようでは愛するのはまだ早いでしょうがの」
「だ、誰もそんなこと考えてないって!」
愛だとか好きだとかまだ僕にはそんなことわからない。あの夜、ハリッサと母の間に愛はあったのだろうか?
一瞬脳裏にあの光景が思い浮かび慌てて僕は首を振った。
「というかまぁコン爺って凄いんだな、ちょっと会っただけでアニスの事わかっちゃうなんて」
「なぁに長いこと生きてるとそうゆうのがわかってくるもんじゃよホッホッホ」
「ふぅん、でも魚の動きは全然わかんないんだね。さっきから餌だけ食べられているよ」
「そういうことは早く言ってくだされヒース様」
慌ててコン爺は釣竿を引き上げるが時既に遅し、餌だけ綺麗に取られた釣り針が姿を表す。
「あれま完全に食い逃げされとるわ」
「なにやってるんだよコン爺」
ベレー帽をポンポンと叩きながら愚痴るコン爺の情けなさに思わず僕は笑ってしまった。笑ったのなんていつ以来だろう?久しぶりすぎてつり上がる頬の筋肉の感じに違和感を覚えたくらいだった。

「ヒース様、外気がかなり冷えて参りました。そろそろお戻りになりませんとお体にさわります」
それからどれくらい僕はコン爺と釣りをしていただろうか、夕日が沈みかけ小川が緋色に染まった頃アニスが声をかけてきた。
「ああ、わかった」
アニスの言葉に僕は頷くと結局なにも描かなかったスケッチブックを手に立ち上がる。
「また来るよコン爺、次は絶対に釣ってやるからな」
「期待しておりますぞヒース様。そうじゃ二、三匹持っていきなされ」
僕は一匹も釣れなかったがコン爺はそれなりの数、魚を釣っていて水が入った桶から小さな魚を数匹掴みあげると革袋に放り込む。
「どうせなら大きいのくれれば良いのに」
「これは儂の晩御飯なんじゃ、欲しければ自分で釣ることじゃな。まぁでもアニスさんなら少しは晩御飯に彩りを添えるじゃろうて」
愚痴る僕をコン爺はそう窘めると革袋をアニスに手渡す。
「アニスさん、ヒース様に美味しい晩御飯を作ってくだされ」
「承知しました。お心遣いありがとうございます」
小さく頭を下げるアニスを横目に僕は歩き出す。アニスはコン爺と二三言葉を交わすとすぐに駆け寄ってきた。
「ヒース様」
「なんだ?」
「あまり私の事はお気になさらないでください」
僕の三歩後ろを歩くアニスがそんな言葉をかける。気にするなってのはコン爺が言ってたアニスを支えてやれとかそういうことか。
「コン爺に聞いたのか?」
「いえ、口の動きからそのような事をお話しされていた気がしまして」
「口の動きって・・・・」
口の動きでなに話しているとかわかるってことか?全くなんでもできるんだなアニスは、ますます僕がアニスの支えになるなんて事は必要ない気がする。
「わかってる、アニスの事はそう気にしてないよ。無能な僕にできることなんてないし」
吐き捨てるように呟いた言葉にアニスの言葉は返ってこなかった。
それから特に言葉を交わすことなく黙々と歩きちょうど夕日に照らされた屋敷が見えた辺りで僕の目に異様な光景が写し出された。
「この屑!塵虫っ!!」
「申し訳ございません、申し訳ございません!!」
少し離れた僕の耳にもはっきり聞こえる罵声と悲痛な叫び。
「あれはローゼル様とメイドのオレガノさんですね」
「また、なにやってるん義姉さんは」
ローゼル=エストラゴンは僕の義理の姉で僕が無能だとわかった折りにハリッサが取った養子だ。名家エキナシア家の出ということもあって僕とは違い気が強く上昇思考を持った彼女は『貴族より下は人間に値せず』と言った感じでよく使用人にひどい扱いをするのを何度も目にしていた。
真っ赤なドレスにガウンを着たローゼルが水桶を持ちもう一人の地面に踞るオレガノに水を浴びせている。冬を越えたからといってもまだ肌寒い季節、その行為はどうみても楽しそうな状況には見えない。
「ああもう、止めないと」
あまり屋敷に近づくのもローゼルと話すのも嫌なんだけど、僕がいかないと永遠とあんなことを続ける人だ。僕は少し駆け足でローゼルに近づく。
「なにやってるんだよ義姉さん!」
「あらヒースじゃない。なにって屑に罰を与えているだけよ」
金髪ブロンドの長髪を揺らしローゼルはさらりと言ってのけると再び水桶を掲げる。それを見て僕は慌てて言葉を挟んだ。
「ちょっと待てよ、なにがあったか知らないけどもういいだろ」
「ヒース、あんたには関係ないことだわ。こいつは汚らわしい
猫を私の部屋に入れた上に私の肌に傷をつけたのよ?万死に値するわ」
「この子は迷子で体も弱っていて少し手当てしたら返そうと思ってお薬を取りにちょっと目を離した隙に・・・・申し訳ございませんローゼル様!」
必死にそう叫ぶオレガノは必死に子猫を守るように抱き締めている。
「だから、私のことはどうなっても構いません。けどこの子だけは・・・・」
「ダメよ!!塵虫は殺さなきゃ気がすまないの!」
ものすごい剣幕で叫ぶローゼルに思わず僕はたじろぐ。勢いよく止めに入ったくせに結局なにもできずに棒立ちとは我ながらに情けないと思う。
「・・・・失礼します」
そんなときだった。先程までずっと黙っていたアニスがスッとローゼルとオレガノの間に割り込んだのだ。
「なによあんた!」
「私はヒース様の専属メイドを勤めさせていただいているアニス=フェヌグリークと言います。ローゼル様、お肌を傷つけたとお聞きしましたが本当でしょうか?」
今にも水桶を投げつけようと構えているローゼルにアニスはいつも通り淡々と言葉を紡ぐ。
「本当に決まってるでしょ、ほら!見なさい」
ローゼルが右手の手のひらを突きつけるように見せる。そこには確かに猫が引っ掻いたような爪痕が赤く腫れて残っている。
「納得したかしら?塵の分際でこの私の肌にこんな傷を残すなんてゆるせないのよ」
「確かに、ですがこの傷は」
アニスは一呼吸置くとそっとローゼルの手を取る。
「猫に餌をあげようとして怪我をされたのでは?傷は手首から指先に向かって延びてます、手のひらを差し出さなければつきようのない傷かと」
「えっ!?」
アニスの推理に思わずその場にいる全員が声をあげる。確かにその傷のつき方はローゼル自身が手を差し出さなければつかない。
「義姉さん、そうなのか?」
「そ、そんなわけないでしょ!なんで私からこんな小汚ない塵に近づかなきゃいけないのよ!向こうから飛びかかってきたのよ」
僕の問いにローゼルは必死に答えるがその言い訳は破綻していて滑稽に映る。そうして喚き散らすローゼルに向かって注がれる視線は冷ややかなものだった、それが更に彼女の苛立ちを募らせる。
「なによ!そんなのどっちでもいいじゃない、私は実際こいつに傷つけられたのよ!!!」
「確かにそうですね。エストラゴン家の次期領主であられるローゼル様に怪我を負わせたこの子をお屋敷にいれるわけにはまいりません」
アニスの返答は意外なものだった。てっきり僕は同じメイドであるオレガノを庇うのかと思ったんだけどまさかアニスがローゼルと同意見とは。
「そ、そうよね!塵にしてはまだましなほうね貴女!じゃあさっさと殺して・・・・」
「そうではありません」
アニスはローゼルの言葉を遮ると踵を返しオレガノの前に片膝をつく。
「オレガノさん、お屋敷では無理ですが私たちのいる離れでならこの子に居場所はあります。どうかその子をお預け願えませんでしょうか?」
「・・・・アニスさん。お、お願いします」
水で髪を涙で顔をぐちゃぐちゃにしたオレガノが顔をあげるとアニスは小さく頷き子猫を受けとる。灰色をした子猫はアニスに抱かれると気持ち良さそうに小さく「にゃぁ」と鳴いた。
「ちょっと待ちなさい、なに勝手に決めてるのよ!」
「ローゼル様、この子は人から餌を貰うことに慣れていませんし、それに捨て猫なのでしょう爪も研がれていません。なので今度ローゼル様が餌を与えになる際、怪我しないようちゃんと躾をしておきますね」
がなるローゼルにもはや決めつけたようにアニスは言葉を返した。どうやらそれが図星で自業自得なのに人に当たるという恥ずかしいことをしているということはみるみる赤面していくローゼルの顔を見れば一目瞭然だった。
「くっ!もういいわ、勝手にしなさい」
水桶を放り投げ苛立ちながら屋敷に帰っていくローゼルの後ろ姿を見ながら僕はこの驚異が去ったことにほっと胸を撫で下ろした。それと同時にあの義姉をこうも簡単にあしらってしまうアニスにはやっぱり僕の力なんて必要ないなとしみじみ思うのだった。



「やれやれ、お前もとんでもない人の手を傷つけたよな?わかってるのか?」
僕は小さな木箱に入った子猫の目の前に指をちらつかせため息混じりに呟く。アニスが助けてくれなかったらあのままローゼルに殺されてただろうに子猫は呑気に鳴き声をあげるだけだ。
「全くオレガノとアニスに感謝しろよ」
そう言ってベッドに腰かけるとそれとほぼ同時だっただろうか、扉が二回ノックされ「失礼します」とアニスが入ってくる。その手には見たことのない大きな革製の鞄が握られていた。
「なにを持ってきたんだ?」
「この子が少し寒そうでしたので少し端切れを敷いてあげようと思いました」
「確かに木箱だけだと寒そうだしな」
僕の言葉にアニスは「はい」と小さく言うと鞄を開けそこから何着か服を取り出してそれを縦に引き裂いていく。そんな様子を呆然と見ていた僕だったがふと見たその服の異様さに思わず言葉を失う。なんてことだろう、アニスが乱雑に裂いている服はどれも高価そうなドレスや洋服ばっかりだったからだ。
「えっ・・・・ちょ、ちょっとアニス」
「なんですかヒース様」
そんな言葉を返しながらもアニスは次の洋服を裂いていこうとしている、思わず僕はアニスに駆け寄りその手を掴んだ。
「ちょっと待ったアニス!なにもそんな高そうなドレス端切れにしなくてもいいじゃないか」
アニスの私物なんだろうが端切れにするにはどれももったいなさ過ぎる、それくらいの価値は僕にだってわかっていた。
「いえ、これはもう必要ありませんので」
「そうは言うけど・・・・」
「少しだけ未練があって持ってきたものですがいずれ捨てなければと思っていた物なのでいいんです」
そう言ってそのまま僕の制止も聞かずにアニスはドレスを力任せに引き裂いた。
「あっ・・・・」
もはや修復もままならないようになった純白のドレス。唖然とし掴んでいた手を離した僕を尻目にアニスはそれをかき集め子猫の木箱に丁寧に敷き詰めていく。
アニスの未練ってなんだ?もしかしたらアニスはこんな高価なドレスを着れるような身分の人だったんだろうか?
「ヒース様はフェヌグリーク家についてなにかご存じですか?」
僕の心を読んだかのように背中を向けたままアニスがそう呟く。フェヌグリーク家、それはつまりアニスの家の事だけど僕は自分のエストラゴン家のことでさえまともにわかっていないのだ、アニスの家の事なんて知るわけもなかった。
「いや、なにも知らない」
「私のフェヌグリーク家はここより遥か西方周辺を領地にしていた貴族の家柄でした」
やっぱりアニスは貴族の家柄だったんだ。ということはさっき裂いていた服の数々はそのときの物、そしてアニスがここでメイドをしているということは。
「もしかしてそのフェヌグリーク家って」
「ええ、もうこの世にはありません」
恐る恐る尋ねたその言葉にアニスは変わらず淡々と答える。
「領地に住む民衆の反乱で私の家は滅びました。でもそうなっても仕方がない、そんなやり方だったのです私の家は」
アニスはそう言いつつ木箱で端切れに埋もれる子猫の頭を優しく撫でる。
「今のローゼル様と同じ、貴族という立場に驕り自分の生活を良くするためだけに民衆を苦しめるだけ苦しめた。民衆あっての貴族であることを忘れた結果が私の家の末路です」
「アニス・・・・。」
どうやって言葉を返せば良いのか、いやそもそも僕がなにかを言えるような立場ではないのではないんじゃないのでないかと思うと返す言葉がなかった。
僕は恵まれている方だ、なにもしなくても食事は出るし寝るところに困ることもない。それが当たり前になってる僕がどんなことを言おうがきっとなにも響かない。
「このドレスも母に頂いたものですがもう私が着ることはないのでこうやって端切れにしてしまったほうがいいのです」
「そういえばアニスの家族はどうしてるの?」
「もういません、二人とも殺されました」
「あっ、いやその・・・・ごめん」
僕は馬鹿だ、アニスの口から「母」という言葉がでたのでつい余計な質問をしてしまった。アニスの家は圧政による民衆の反乱で滅んだ、つまり民衆の怒りの矛先はアニスの両親に決まっているんだからこの答えが返ってくることなんて少し考えればわかるじゃないか。
多分僕はアニスの話を聞いているようで本当の意味で聴いてはいないからこんな質問をしてしまったんだ。
「ヒース様はノブレッソブリージュという言葉をご存じですか?」
僕の無神経な質問にも動じる様子もなくアニスは淡々としていて本当に何を考えているのか僕には計り知れない。
「ノブレ・・・・?ごめん、わからない」
「ノブレッソブリージュです、簡単に言えば『位高ければ 徳高きを要す』という意味ですね」
「全然簡単になってないし」
思わずボヤく僕にアニスはこちらを振り向く。
「要は貴族のように地位の高いものには果たさなければならない義務も多くなるということです。ヒース様はエストラゴン家の次期領主ではありませんがそのことを努々お忘れないように」
「ああ、うん。わかったよアニス」
まっすぐとこちらを見て力強く言われたその言葉。それはきっとアニスの経験からくるとても重い言葉なんだろう、僕にできることはそう多くはないだろうがその言葉だけは忘れまいと心に誓おう。
「少し長く話してしまいましたね。そろそろ御夕食の支度をして参ります」
アニスは子猫の頭を軽く撫でた後そう言って立ち上がる。
「うん、ああそうだアニス」
「はい、なんでしょうかヒース様」
僕は踵を返し部屋から出ていこうとするアニスを呼び止める。
「コン爺にもらった魚、こいつにもちょっと分けてあげて」
そう言って木箱に入った子猫を指差す。これは別にノブレッソブリージュとか貴族だとか関係ない、ただなんとなくそうしたかった、それだけなのだが
「ヒース様、ありがとうございます」
それに答えたアニスの顔、それが今までの無表情とは違い屈託のない笑顔だったので少し吃驚した。
「それでは失礼します」
「ああ、うん・・・・。」
アニスはすぐにいつもの無表情に戻り部屋を出ていく。
「なんだよあいつ、笑えるんじゃないか」
まだアニスがやってきて一週間ほどだがあんな笑顔初めて見た。そしてすごく僕の胸の鼓動が高まっているのをアニスが部屋を出てから初めて気がついた。
あのいつも無表情なアニスが笑顔を見せたこと、その驚きもあるがその原因はもっと違う別のところ。
「どこか母さんに似てたな」
なんとなくコン爺が言っていたことがわかった気がした。
「アニスが母さんの生まれ変わり・・・・なわけないよな」
母さんが死んだのは一週間前なんだからアニスが生まれ変わりな訳がない、そんなことはわかってるんだけど。
「そんなことがあったら面白いと思わないか、なぁ?」
そう言ってチョンと子猫のオデコをつついてやると子猫は「にゃー」と鳴く。もしかしたらこいつが僕とアニスの距離を縮めてくれたんじゃないかと思うと少しだけ嬉しい。

けどそんな楽しい時間もすぐに壊される

「お前良かったな、お屋敷に来て早々魚が食べれ・・・・」
僕がもう一回子猫の額を小突こうとしたその時だった。
バンっとまるで稲光が落ちたかのような激しい音と共に扉が開かれハリッサが飛び込んできた。
「な、なんだよ!」
僕の言葉にハリッサは冷たくこちらを睨むと一歩前に踏み出す。
「自分一人では生きることもできない屑が動物を飼うだの愚問だ」
僕は必死に庇うように子猫の前に立つ。こんな短時間でハリッサが子猫の事を知った要因、それは扉の影に隠れるようにして見ているローゼルのせいだ。ローゼルはアニスに言いくるめられたことを根にもってハリッサに告げ口したんだ!
「いいだろそんなこと、放っておいてくれよ!」
「放っておけだと?屑がこの私に指図をするなっ!!」
次の瞬間ハリッサは僕の頬を力一杯に殴りつける。激痛と共に
僕の体はベッドまで吹き飛ばされる。
「くッ・・・・う・・・・」
頬を貫く痛みに涙がこぼれ、口の中を切ったのか血の味が広がっていく。僕のちっぽけな勇気なんて簡単に壊してしまう大人の暴力。
「野良猫などが私の屋敷に足を踏み入れるなぞあってはならん!!」
ハリッサは子猫の首を掴むと力一杯に締め付ける。もはやそれは動物の扱いなどではない。
「や、やめろぉぉぉぉぉっ!!」
僕は必死だった。ハリッサの足を掴みそう叫ぶしかかなった。
こんなことをすれば殴られる、わかっていた。
こんなことをすれば蹴られる、わかっていた。
きっと痛い、血も出るし涙も出る、でもそれでも僕がやらなければ子猫を救ってやらなければアニスがきっと悲しむ・・・・。
「ちぃ!!放せ、この屑が!!」
「がはっ!!」
ハリッサがもう片一方の足で僕の腹を執拗に蹴りつけ
僕の体が離れる。
「ええいもういい!そんなにこのゴミが大事か!?なにもできない屑が!!」
苛立った勢いのままハリッサが子猫を地面に叩きつける。
「あ・・・・ああああああああっ!!!」
僕の目の前でぐちゃりと嫌な音がした。
「まったく汚らわしい屑どもが!自分達の立場を考えることだな」
そう言い放つとハリッサは部屋から出ていくが僕はもうその姿を目で追うことはなかった。僕はじっと見つめそっと子猫に触れる。
「うっ・・・・うううううっ!!」
僕の手の中で子猫の体温が失われていく。べっとりと腕を伝う血の生暖かさ、肺に骨が突き刺さっているのか目を見開き口を小さく開ける子猫の様子からもう助からないということは医者でもない僕でもわかってしまった。
「ヒース様、これは・・・・一体」
騒ぎを聞き付けたのだろう慌てた様子でアニスが部屋に入ってくる。
「ごめん、ごめんアニス・・・・」
涙がこぼれる、ハリッサに殴られ蹴られるよりもずっと痛く苦しみが胸を締め付ける。
「申し訳ございませんヒース様。私がローゼル様にあのようなことを言ったせいで」
申し訳なさそうに言うアニスに僕は首を横に振る。
「違う、違うよ。アニスは悪くない、悪いのは・・・・僕だ」
悪いのはこんな小さな命すら守ることができなかった無力な僕
。僕にもっと力があれば、ハリッサに抗うだけの力があればこの子猫の命を守ることができた。
きっとそれは子猫だけじゃない、母さんの命だってそうだ。
僕があの時部屋を出て行く母さんを止めれていれば・・・・。
でもすべて遅すぎる、母さんも子猫ももう戻っては来ない・・・・
僕は無力だ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
僕は叫ぶことしかできなかった。産まれたばかりの赤ん坊のようにただ泣き叫ぶしかできなかったんだ。



───Interlude アニス=フェヌグリーク


「それではおやすみなさいませ、ヒース様」
私は小さく声をかけると部屋の扉を閉める。あの日以来ヒース様は再び情緒不安定になってしまっていた。マルベリー様が亡くなってしばらく経ちようやく落ち着いてきたと思った矢先にあんなことがあったのだ無理もないと思う。
けど今の私にできることと言えば時が流れるのを待つだけ、きっと私がどんなにお声をかけたところで心の傷が癒えることはないだろう。
「だぁーれだ!」
そんなことを思っていると不意に後ろから声がかかり手で目隠しをされる。
「ふふふ、私は誰でしょう?外れたら酷い目になるわよ」
「ローゼル様、こんな夜遅くに屋敷を歩き回られるのは危険だと思います」
私が冷たく言い放つとローゼル様は手を離しこちらにまわりこむ。
「なによ面白くない反応ね、もう少し慌てふためいてくれたら面白いのに」
悪戯っぽく笑うローゼルの金髪が月明かりに照らされ淡く光る。なにか含みのあるような嫌な表情だ。
「それで私になにかご用でしょうかローゼル様」
「お父様、ハリッサ様からの言伝よ」
「言伝ですか、それをローゼル様が?」
ずいぶんとおかしな話だ。まがりなりとも次期領主という立場にいるローゼル様を言伝に使うなんて、メイドを使えばいいだけのことなのに何故?
しかも本来こんな扱いを受ければ激昂しそうなローゼル様の表情が明るい、これはなにかありそうだと私の勘が言っている。
「そ、私が直々にメイドである貴女に言伝するの。『仕事が終わったら屋敷の古時計の前にくるように』、はい言ったからね」
言うだけ言って踵を返し立ち去ろうとするローゼルに私は後ろから声をかける。
「ローゼル様、それはどうゆう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味よ、深い意味なんてないわ。貴方は古時計の前まで行けばいいだけ」
振り返る事なくローゼルはそう言いきるとそのまま闇に消えていく。明確な回答は得られなかったが詰め寄って追求する気も起きなかった。おそらく問い詰めたところでローゼルからはそれ以上聞き出すことは不可能だと思ったからだ。
「行くしか選択肢はないみたいですね」
私は一人呟くと歩き出す。
エストラゴン家には確か屋敷を建てた頃から大きな古時計があるのは知っている、けどそこに何があるというのだろう?
そしてそれを伝えに来たのが何故ローゼルなのか、もしかしてこの屋敷にいるメイド達は知らないなにかがそこにあるのか?
もしかしたらヒース様ならなにか知っているのではないのか?
様々な考えが脳裏を過っていく、けど何が起ころうとも私はそれを受け入れるしかないことは承知している。
離れを抜け屋敷に向かう中庭に出ると冷たい風が頬を撫でるように吹き抜けていき、湿った草の臭いが私に「もうすぐ雨が降る」と語りかけてくる。
私はその空気を小さく吸い込むと屋敷の扉を開けると中に入る。
屋敷内も離れと同じで明かり一つなく窓から差し込む月明かりだけが場を支配している。私はヒース様のメイドであるためこちらの屋敷には滅多に来ることがないが古時計の場所は知っているのでそこへ向かってしばらく足を進めていく。
屋敷の中央、そこに木製の大きな古時計はあった。時計はネジが巻かれていないのかまったく動いている様子はない。
「あれは・・・・?」
古時計の背後の隙間から光が漏れていることに気がつく。まさかと思い古時計に手をかけ横へずらしてみると重そうに見えた
それは下に小さな車輪でもついているのかあっさりと動き目の前に地下へと降りる階段が現れた。なるほどこんなところに隠し階段があるなんてこの屋敷にいるメイドのどれほどが知っているだろうか?きっと光が漏れるようにしてあったのは私に見つけやすいようにわざとそうしたのだろう。
「ここに一体、なにが?」
石造りの階段をゆっくりと降りていく。じっとりと湿った空気が肌に張り付く感じが実に気持ち悪い。
階段を降りきった先は少し開けた小さな部屋になっていていた。ぼんやりとした蝋燭の緋色の明かりが小さなベッドを照らし、お香かなにかだろうか淡い紫の煙が風通しなどない部屋に漂う、その中心に私を呼んだ張本人は鎮座していた。
「よく来たな、アニス」
茜色のガウンを羽織ったハリッサはそう言うとワインの入ったグラスを傾けながらもう片方の手で手招きをする。
「どうしたアニス、そんなところにいないでこっちにこい」
「・・・・はい」
私は言われるがままハリッサの元へと近づく。その一歩を踏み出すのが怖かった、なぜならわかってしまったからだ。
「ふむ、やはり若い頃のマルベリーに瓜二つだ」
私の顎を掴み引き寄せハリッサが言う。私がマルベリー様に似ているというのはこの屋敷に来て周りからよく言われていた。だからなのか?だから、私が選ばれたと言うの?
「それでなにか御用でしょうか、ハリッサ様」
平静を保ちながら言葉を吐くがハリッサはそれを嘲笑うように言葉を返す。
「なんの用か?だと、ここまで来て呆けるほど愚劣ではあるまい?」
わかってる、いや本当はこの屋敷にメイドとして拾われた時点でこんな日が来ることは覚悟していた。
「たっぷりと可愛がってやろう!」
「っう!」
ハリッサが私の身体を乱暴にベッド突き飛ばすと覆い被さるように体を乗せてくる。覚悟はしていた、だがいざ直面すると恐怖に身体が荒み声がでない。
「マルベリーもまるで絹のように滑らかで美しい色白の肌だった」
ハリッサの堅い手が私の頬に触れゆっくりと首筋へと流れていく。
「なによりその目だ。今もなお恐怖に打ちひしがれながらも心挫けぬその目が私を高揚させる」
ハリッサの手が私の胸に触れようとする瞬間、おもわず反射的に私はハリッサのその手を掴んでいた。
「・・・・止めてください」
「ほう、それはどうしてだ?まさか本当にこんなことになるとは思わずノコノコとここにやってきたとでも言うのかね」
「私は、私はマルベリー様ではありません」
消え入りそうな小さな声しかでなかった。やはり嫌だ、一度は覚悟を決めたとはいえ好きでもない男性にに抱かれるなんてことはしたくなかった。
だがハリッサは「なんだそんなことか」と吐き捨てるように言うと強引に私の手を振り払い逆に手首を掴みベッドへと押し付ける。
「アニス、お前がマルベリーではないことぐらい知っている。いやむしろお前の美しさはマルベリー以上だ」
「やめて、くだ・・・・さい」
必死に身を捩り逃れようとするが女性の私の力では男性の、しかも大柄なハリッサの力からは逃れることができない。べっとりと流れる汗が肌に張り付き気持ちが悪い。
「ふふ、そう嫌がるな。私を拒んでも構わないがそうした場合お前も、ヒースの屑もどうなるかわからぬわけではあるまい?」
その言葉に全身の力がどっと抜ける。その言葉は私がどんなに抵抗し石を積み上げても一撃で破壊する圧倒的な大砲のような一言、まして私だけではなくヒース様まで盾に取られたら私にはもうどうすることもできない。
きっと拒めば私もヒース様もこの屋敷にはいられなくなるだろう。
「物分かりの良い娘で助かるよ。安心しろ、この部屋に漂う香はには媚薬の効果がある。口では嫌がっても身体は喜ぶものさ」
そう言ってハリッサは私の胸を揉みしだき、顔を近づけ耳元で囁く。
「だがされるがままというのも些か酷だろう、なのでまずはお前の方からキスをしてもらおうか」
「・・・・・・・・っ!」
私は無力だ。
「わかり、ました・・・・ハリッサ様」
私にできるのはベッドのシーツを強く、強く握りしめることしかできないのだから。





第二部「色褪せる世界」

あの事件から七年の月日が経ち、屋敷の中は大きく変わった。ローゼル義姉さんは二年前から国外へ留学、父ハリッサも仕事なのかはよく知らないがあまり屋敷に居ることが少なく僕にとっては平穏な毎日が続いていた。
かくゆう十八歳になった僕、ヒース=エストラゴンの生活は以前とあまり変わらない。
アニスの薦めで色んなものに挑戦はしてみたがなんだかんだで
最終的にはこのキャンパスの前にいることが一番落ち着き性にあっているのだ。
「ん~なにか違うな」
キャンパスから筆を放し全体像を視界に入れる。母さんが死んでから時折忘れないように絵に描くことにしているのだが最近なんだかその絵が上手く描けなくなってきている。
母さんの顔を忘れたわけじゃない、今も目を瞑れば優しい母さんの姿が脳裏に宿る。でもいざ筆を取ってみるとキャンパスに浮かぶ絵はどうにも母さんとはどこか違う。
どこか違うのは間違いないんだけどそれがどこなのかがわからないその違和感に少々疲弊していた。
「はぁ、なにかが違うんだよなぁ」
椅子に限界までもたれ掛かっていると僕の目に逆さまのアニスの姿が映り思わず振り返る。
「なにが違うのですかヒース様?」
「あ、いやなんでもないよアニス。もしかして何回かノックした?」
僕の言葉にアニスは小さく一礼するといつもの淡々な口調で答える。
「はい。何度かノックしましたが反応がなかったのでなにかあってからでは遅いと思いまして勝手に入らさせていただきました」
最後に小さく「なにもなかったようで安心いたしました」とだけ言うとアニスは扉の前で微動だにせずに立っている。
アニスも相変わらずでいつも落ち着いていてなんだってできる凄い女性振りを遺憾なく発揮している。
だが変わったこともある。僕が出掛ける度にアニスが後ろについてこなくなったことだ。昔はどこに行くのにもピタリと後ろから付いて来たものだ。後から聞いた話だがあの頃の僕はアニスから見ると放っておくとなにをするかわからない子だったらしい。正直僕自身はあんまり変わってないと思うけど。
そしてもう一つ言えばこの七年でアニスはとても美しくなったと言うことだ。
今も陽の光も浴びて玲瓏に靡く銀色の髪、見れば吸い込まれ心奪われるような青い瞳が穏やかにこちらを見つめてくる。
出会った頃からアニスは美人だとは思ったが七年経ってより鮮麗された氷彫刻をように美しい。
「それでアニス、僕に何か用があったんじゃないの?」
「はい、ジキタリス様がお見えなのですがお通してよろしかったでしょうか?」
「え、ジキタリスさんが!?いいよ、うん通して」
少し興奮気味に答えた僕にアニスが小さく「わかりました」と言うと一礼し部屋を出ていく。
そう、七年前とは変わったことが最後にもう一つある。
それは僕に友達ができたってことだ。

ジキタリス=コルツフット。元々ハリッサの知り合いで昔からちょくちょくこのエストラゴン家を出入りしていたみたいだがそんな彼と僕が会い友達になったのは今から半年ほど前、最近の話。
ジキタリスさんは若いのにコルツフット家の領主を勤めながら芸術面に造詣の深い人でそんな彼が僕の作品を誉めてくれたのが僕達が友達になった切っ掛けだ。いままで僕が絵を描いても誉めてくれるのはアニスだけだったのに「生まれて初めてだよ、こんな素晴らしい作品を見たのは」と言ってくれたジキタリスさん、彼の存在は僕の人生に明るい未来を見せてくれた・・・・そう大袈裟かもしれないけどそう思う。
「おっ、ヒース君描いてるねぇ」
「ジキタリスさん!」
そんな言葉共に部屋に入ってきたジキタリスさんに僕が立ち上がろうとするとジキタリスさんがそれを手で制する。
「いいよいいよ、そんなに畏まらなくても」
友達と言えどジキタリスさんは七つも年上だ、それなりの礼節を弁えないといけないと僕は思っているのだがどうやら彼はそれすらも煩わしいらしい。
「あ~僕のことはその辺に飛んでいる蝿ぐらいに思って描いてくれていいから」
いつもの焦げ茶のコートに小さな丸眼鏡を掛けたジキタリスさんは椅子を引っ張りどっしりと腰を構えるとなにやら僕の絵をまじまじと見つめている。
「ジキタリスさん、見てくれるのはいいんですけど今ちょっと悩んでて筆進んでないんですよ」
「ほうヒース君の筆が止まっているなんて珍しいこともあるんだね、一体何を悩んでいるんだい?」
「それがですね、僕にもよくわからないんですけどなんとなくこの母さんの絵に違和感を覚えてしまって」
僕の言葉にジキタリスさんは「ふむ」と言葉を漏らすと目を細め僕の絵を凝視する。
「マルベリー様には生前僕も良くしてもらったから顔はよく覚えているつもりだけど、これは瓜二つだよ」
「そうですか、なんだろう僕の勘違いなのでしょうか」
原因がわからず気分が沈む僕にジキタリスさんは静かに言葉を告げる。
「いやそう悲観することもないよ。絵というのは鏡さ、どんなに隠そうと絵師の心情を絵は写し出している」
「絵師の心情・・・・」
そう言われて改めて自分の絵を見つめてみる。自分自身絵を描いていて心情なんて考えたことなかった。絵は僕にとって打ち込めるただ一つのものでそれと同時に全ての事から逃げ出す逃げ道でしかなかった。
「あとはまぁヒース君の心の中にいる人物が自然に絵に出てきてしまっているのかもしれない」
「そんな事あるんですか?」
「僕は絵を描けないからわからないけど、そういうことを言う画家は結構いるよ。その違和感と言うものは描いている画家本人にしかわからないらしい、たとえば───」
ジキタリスさんがそうそこまで言いかけたところで部屋の戸がノックされアニスが入ってくる。
「失礼致します、お茶をお持ちしました」
「まぁヒース君、あんまり思い詰めてもいけない。お茶でも飲んで落ち着こうか」
「そ、そうですね」
確かにジキタリスさんの言う通りだ、思い詰めて描いたところで良い作品なんてできるわけがない。それに僕は少し思ってしまっている、この母さんの絵に入り込んでいるなにか・・・・それが嫌いではないと言うこと。母さんの絵を描くにあたってはそれは確かに邪魔なのであるが妙に引き付けられるものがあるんだ。
来客用テーブルには純白のテーブルクロスが敷かれ置かれた紅茶の甘い匂いとスコーンの焼けた小麦粉の香ばしい匂いが鼻を擽る。
「紅茶とスコーン、クロテッドクリームとジャムを何種類か揃えました。焼き立てですのでお気を付けてお召し上がりください」
「ありがとうアニス、もしよかったアニスも一緒に食べないい?」
「いえ、私は他に用事がありますのでお二人でどうぞ」
僕の提案をアニスはやんわりと断るとペコリと頭を下げ
「それではヒース様、ジキタリス様失礼致します」
それだけ言うとアニスは部屋を出ていってしまった。その様子はいつになく素っ気ない気がした。
「それじゃ頂こうかヒース君」
「そうですね」
スコーンを手に取り真ん中を二つに割る。すると固い表面とは違うもっちりとした生地が現れそこに僕はベリー系のジャムをたっぷりつけて口にする。歯で噛むと固くなっている表面から中の柔らかくなっている所まで何層にも層が重なり最後まで噛むとそこからジャムが溢れだす。
「やっぱりアニスの作ったスコーンは美味しいな」
思わず素直な感想が口から零れる。アニスの料理はなんだって美味しいが特にこのスコーンは格別だ。
「随分とアニスのことを気に入っているようだね」
「そ、そうですか?」
ジキタリスさんはそう言うと紅茶を啜る。
「なぁに、見ていればわかるよ。それに・・・・この絵に隠れているのもアニスなんじゃないかな?まぁこれは僕の勘みたいなものだけど」
「アニスが、この絵に?」
ジキタリスさんにそう言われて改めて僕はイーゼルに置かれた自分の絵をじっと見る。
「ん~そうですね、そう言われてみると見えないこともない気がしますね」
はっきりとはわからないが確かにぼんやりとこの母さんの絵からはアニスの面影が感じられる気はする。ただ母さんとアニスが元から似ているからそう見えてしまっているだけなのかもしれない。
「なにそんなに難しく考えることはないさ、絵描きなら誰しも体験する事だと思うよ。現に僕もいくつかそう言った作品を持ってるし」
気難しそうに絵を見ていた僕にジキタリスさんは笑いながら言う。
「なんだったらヒース君、僕の屋敷に来てみないかい?お爺さんのように見える天女の絵とかあるからそれを見れば納得すると思うよ、これはよくあることなんだって」
「ジキタリスさんの屋敷に・・・・いいんですか!?」
その誘いに少し吃驚したがそれはとても心踊るお誘いだった。ジキタリスさんは先にも語ったが芸術に造形が深い人だ、その屋敷にもなればそれはもう目を見張るような芸術品だらけだろう。
「良いも何も僕はヒース君が良い作品を作れればそれで満足さ。それじゃさっそく行こうか」
「えっ、今からですか!?」
あまりに急な話だったのでちょっと面食らった様子で答えるとジキタリスさんは笑いながら
「なぁに、もちろんこのアニスのスコーンを楽しんでからね」
とスコーンを手に取り直接頬張る。
「あちちちちっ!熱っ、あっつ!」
「あはは、そんなに慌てて食べると危ないですよジキタリスさん」
僕は焼きたてのスコーンの熱さに狼狽えるジキタリスさんを見て大声で笑っていた。こんなに心の底から笑える日が来るなんて思ってなかった。



「本当に御一人で行かれるつもりですかヒース様」
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
屋敷の外、ジキタリスさんの馬車の前で僕は心配そうな表情をするアニスに声をかける。
「僕だってもう子供じゃないんだ、礼節くらい弁えるよ」
「いえ、そういうことではなく、どういえば言えばよろしいのでしょうか。少し懸念が・・・・」
珍しくアニスははっきりとしない言葉を吐く。いつものアニスならこんなに言葉に詰まるようなことがないから凄く心に引っ掛かった。
「懸念?どうしたのアニス」
「こんなことをヒース様に言うのは烏滸がましいことなのですが、その・・・・」
「いやぁ待たせたねヒース君!」
アニスの言葉を遮ってジキタリスさんが割って入る。その瞬間アニスはスッと一歩下がり頭を下げる。
「ジキタリス様、ヒース様の事をよろしくお願いします」
「まぁ任せてよ、ここに戻ってくるときにはヒース君は一枚剥けた良い男になっているから。それじゃ行こうかヒース君」
「え、ええ」
馬車に乗り込むジキタリスさんに促されるまま僕も続く。でもやはりアニスの言動が気になって馬車の窓から僕は顔を出しアニスに問いかける。
「あのアニス、さっきの話なんだけど」
「申し訳ございませんヒース様。どうやら私の杞憂でした」
「そ、そうなの?」
「はい。ですのであまりお気になさらなくても大丈夫です」
アニスはそう言うが正直それで納得できるような話でもなかった。
「御者、出してくれ」
結局かける言葉が見つからないままジキタリスさんが御者に指示を出すとゆっくりと馬車は動き出す。
「アニス・・・・」
「なに今生の別れではないんだ、帰ってからゆっくりと聞けばいいんじゃないかな」
「ええ、そうですね」
アニスのことが気にならないといえば嘘になる。あんな言葉に迷っているアニスを見たのは初めてだし、ジキタリスさんが来るまではなにかを喋ろうとしていたはずなんだ。
「やっぱり随分とアニスが気に入っているようだねヒース君は」
「あっ、いやちょっとあんなにはっきりしないアニスってのが気になって、そうだ・・・・」
一呼吸置いて僕は漠然とした浅い考えを投げつける。
「もしかしてジキタリスさん、アニスとなにかありました?」
あの状況、アニスはジキタリスさんがやってきてから急に喋るのを止めてしまった。だからなにかジキタリスさんがいる前で言いたくないことがあったんじゃないかと思ったんだけど。
「あ~ん~そうだなぁ何かあったかといえばあったような気もするけど。この話は屋敷についてからにしようか」
ジキタリスさんは馬車からの景色を見つめたままこちらを振り返ることなく呟く。
「あ、はい・・・・」
その様子になにか僕はただならぬものを感じた。それと同時に僕の知らないアニスをジキタリスさんは知っているというその事実に少しだけ嫉妬している自分が卑しくて嫌だった。



「ああ、そろそろ僕の屋敷だよヒース君」
それから一刻ほど会話らしい会話もなく居心地の悪さを感じていた所にジキタリスさんがけろっとした表情でそう言う。
「あ、はい」
「どうしたんだい?もしかしてもうアニスが恋しくなったとか?」
「い、いえそんなのじゃないですよ」
僕はそう答えて外の景色に視線を動かす。目の前には荘厳なイメージの赤い煉瓦造りの屋敷が見えてくる、あれがジキタリスさんの屋敷なんだろう。
「なら良かった。僕としてはヒース君の琴線に触れるだろう作品を見てもらって作品に活かしてもらいたいからね」
そうだ、僕はアニスのことばっかり気にして自分がなんでジキタリスさんの屋敷に招かれたのかをすっかり忘れていた。なんだろう、心が浮わついているのかそんなのだからちゃんと母さんの絵が描けなくなってしまったんじゃないのか?
「はい、それじゃ降りようかヒース君」
「あ、はい」
馬車が屋敷の前に止まるとそそくさとジキタリスさんは馬車を降り、僕もそれに続いた。
「出迎えの使用人とかいないんですね」
「ああ、僕は屋敷を行ったり来たりすることが多くてね。そうゆうことはしないんだ、こっちも気を使うしね」
僕の疑問にジキタリスさんは笑いながら答える。僕の屋敷では僕はともかく親父のハリッサや義姉のローゼルなんかが出掛けるとなればそれこそ使用人達が列を成すからな、詳しくは知らないけどそこに並んでなかっただけで首にされた人もいるらしく僕はその形式があまり好きじゃなかった。
「ああ、でも僕にも一人くらいは出迎えてくれる人はいるよ。ちょうどいい、ヒース君そこの扉を開けてごらん」
「僕がですか?」
ジキタリスさんが指差したのは正面玄関、木製の大きな扉。まさかあんなことを言っておいて扉を開けたら使用人が一同に整列なんてことはないだろう。
「それじゃ開けますよ、本当に」
「はは、そんなに構えなくても大丈夫だよ」
そもそも僕に開けさせること自体が構えるなという方が無理がある気がするがこんなことをいつまで言っていても埒があかない、僕は恐る恐るその扉を開け・・・・
「ジキタリス様おかえりなさいませっ!」
ようとしたら一気に扉が開かれそこから飛び出してきたメイドに抱きつかれてしまった。
「ジキタリス様~」
長い黒髪にそれは本当にメイドなのかと疑いたくなるようなあちらこちらから肌が露出しているメイド服、その扇情的な格好は頭にホワイトブリムがついていなければメイドとわからず娼婦のようにすら見える。
「え、あの!?その僕はジキタリスさんじゃないですよ」
「君の主人はこっちだ、ナスタチウム」
そんなメイドに抱きつかれ狼狽えながら言う僕にジキタリスさんが冷静な一言を付け加えてようやくナスタチウムと呼ばれたメイドは間違いに気づき僕から体を離した。
「あら、本当でした」
「全く抱きつくにしろ、ちゃんと確認しろとあれほど言っただろう?ヒース君がビックリしてるじゃないか」
呆れた様子で言うジキタリスさんに悪びれた様子もなくナスタチウムは「ごめんなさぁい」と間延びした声で言うとジキタリスさんの腕に抱きつく。
この軽いやり取りからどうやら日常茶飯事的にあることなんだろう。
「すまないねヒース君。彼女が僕を唯一出迎えてくれるメイドのナスタチウムだ」
「よろしくですヒース様、お話はジキタリス様からよく伺ってますわ」
「ど、どうもヒースです。」
吃驚した呼吸を整え僕はナスタチウムさんに一礼する。
だが正直離れて見ても目のやり場に困る姿だ。メイド服の生地よりも肌の色の方が多いし、大きな胸元はちょっと激しく動いたらこぼれ落ちそうなほどに危うい。その淫靡な姿はまるで古い物語にでてくる性を貪る淫魔サキュバスのようだ。
「まぁ玄関で話すのもなんだい、屋敷の中に入ろうか」
「え、ええ」
言われるままに僕はジキタリスさんとナスタチウムさんの後を追って屋敷の中に入る。
「す、すごい・・・・」
入ってすぐ目の前に広がっていた光景に僕は思わず息を飲んだ。大きく開けた広間にはまるで美術館を思わせるような絵画や彫刻が整然と並んでいるのだ。しかもそれのどれもがパッと見でさえ物凄い完成度を誇っていて今にでも動き出しそうな位だ。
いきなりあんなことがあって面食らったがこんな素晴らしいものを見せられたら悩みなんてどうでもよくなってさえくる。
「はは、まだまだこの辺は序の口だよ。僕の部屋に行こう」
期待通りの表情をしていたのか呆気にとられている僕にジキタリスさんは笑いながら答えると歩き出す。
「あ、は・・・・はい!」
どれも近くでまじまじと見てみたいそんな気持ちを抑えてジキタリスさんの後を追う。これで序の口というのなら当主であるジキタリスさんの部屋は一体どうなっているというんだろう。
「ここが僕の部屋さ、さぁヒース君どうぞ」
「は、はい!」
階段をはやる気持ちを抑えてあがり、二階の一番奥の部屋に案内される。ジキタリスさんによってゆっくりと部屋の扉が開かれる。
「えっ・・・・」
そこにあった絵を見て僕の心臓は思わず高鳴った。
絵画と言うより壁画と言ってもいいくらい大きなキャンパスに描かれた一人の女性、銀色の長髪、深い青をしたドレス、つまらなそうに伏し目をした様子が描かれたその人物は見た目こそ幼い頃の姿だが間違いなくアニスだった。
「アニスがどうして・・・・」
「なに簡単なことさ、アニス=フェヌグリークは僕の元婚約者だよ」
「えっ!?」
ジキタリスさんのさらりと言ってのけた言葉、アニスがジキタリスさんの婚約者という言葉に思わず息が止まりそうだった。
「政略結婚というやつだね、だけどまぁ僕は相当彼女に嫌われていたみたいでね。若かったというのもあるけど有名な絵師を呼んで描かせた絵もこの有り様さ」
ジキタリスさんは少し寂しそうに絵を眺めながら呟く。確かにこの絵のアニスからは描かれたくないという想いがひしひしと伝わってくる。
「絵師が言うには微笑んだ絵を描けないこともなかったそうだがそれでは僕が納得できなくてね、ありのままの彼女を残したくてこうなったんだ」
「なるほどジキタリスさんらしいですね」
「そうだね、そしてこの絵は実に彼女らしい」
ジキタリスさんが絵を見つめるのに合わせ僕も今一度その目に絵を見上げる。
アニスが元貴族の出身だというのは知っていたがまさか婚約者がいてそれがジキタリスさんだなんてのは想像もできなかった。
「けどこの絵を描かせてすぐに彼女の家は没落してね。援助を提案したんだが断られてしまったよ」
寂しそうに言うジキタリスさん。おそらく本気でアニスを助けようとしてくれていたのだろう。
「だがまさかそのアニスがエストラゴン家のメイドになっているとは思っても見なかった」
「僕はアニスとジキタリスさんにそんな関係があったことに吃驚しましたよ」
しみじみそう思う。だからアニスは少しジキタリスさんの前で少し躊躇いがちにしていたのだろうか?
「ところでヒース君」
「はい?」
改まった様子で尋ねるジキタリスさんの方に向き直す。
「もうアニスを抱いたのかい?」
「えっ!?」
突然の言葉に一瞬その言葉がなにを言っているか僕にわからなかった。
アニスを抱いた?何を言っているんだろうと思った僕の目の前でジキタリスさんはナスタチウムさんの体を抱き寄せると胸をまさぐり始める。
「アニスは君の専属メイドなんだ、断ることなどしまい。あれほどの美しい女性を抱けるなんて羨ましい限りだよ」
「あんっ、ジキタリス様には・・・・私がいるじゃないですかぁ」
「勿論、今はナスタチウムが一番さ」
昼間だというのに激しく体を重ね合う二人を目の前にし思わず目を背ける。だが心臓の鼓動がいままで以上に激しく高鳴っているのは収まることがなく、気がつけば僕は視線の端でジキタリスさんとナスタチウムさんの情事を見てしまっていた。
ナスタチウムさんがベッドに押し倒されジキタリスさんの指が胸や恥部に触れる度に喘ぎ声をあげる。
「アニスを抱いたことなんてありませんよ、彼女はただのメイドです!」
それをかき消すように僕は声を荒げ早口で言う。ナスタチウムさんの姿がアニスと重なる。なんだろう、そんなアニスの姿を見たくなかった。そうだ、それは小さい頃見た父と母の情事を思い出させるからだ・・・・。だからそんなことアニスに強要させたくない・・・・。
「それは嘘だねヒース君」
自分を諌めようと言い聞かせている所にジキタリスさんが言葉を挟む。そしてこちらを見ることのないままナスタチウムさんの耳元から首に向かって指をなぞらせていく。
「君の絵には無意識にアニスが描かれている。それはただのメイドではなくもっと深いところで彼女を想っていなければああいった絵は出来上がらないと思うよ」
「・・・・・・・・。」
まるでその言葉は氷の刃を突きつけられたかのように胸に突き刺さる。
僕はいや、僕もそうなのか?本当はハリッサが母さんを乱暴に犯したようにアニスを求めたいと思っているるのだろうか。
「んっ・・・・はぁ、ヒース様もそんなところで見てないで一緒に気持ちよくなりませんかぁ?」
「えっ、いや僕は・・・・」
ナスタチウムさんの誘惑に僕は慌てて視線を外す。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。身体はまるで風邪でもひいたかのように熱く、下腹部は痛いくらいに腫れ上がっている。
どんなにあの行為に嫌悪感を抱いていても身体は正直ということなんだろうか。
「ふむ、まぁ待ちなさいナスタチウム。どうやら僕が思っていたよりもヒース君はウブなようだ」
どうしたらいいかもうわけがわからなくなってきたところでジキタリスさんはナスタチウムさんに諭すように言うとベッドから降り服を正すとこちらに向かって歩いてくる。
「すまないねヒース君。少々君には別の意味で刺激が強すぎたようだ、今のは忘れてまた僕のコレクションでも見ようか」
特に取り繕うわけでもなくごく自然に振る舞うジキタリスさんを見て僕は二人の行為が普段ごく自然に行われていることで、むしろ僕みたいな方が異端であったということを思いがけないところで思い知らされた気がする。
「ちょうどヒース君に見せたかった作品があるんだ、それを見ようか」
そう言って僕の横を通って部屋の外に出ようとするジキタリスさんにベッドにいるナスタチウムさんが猫撫声で呼びかける。
「ジキタリス様ぁ、私はどうすれば?」
「ナスタチウムはそうだなぁ、自分で慰めてでもいなさい」
素っ気なく言うとジキタリスさんは僕の肩を軽く押しそのまま外に出ていく。
「し、失礼します」
残された僕も慌てて頭を下げるとそそくさとジキタリスさんの後を追い、外へと出た。



それから僕はジキタリスさんの絵のコレクションを見せてもらったりしたが正直よく覚えていない。
ジキタリスさんとナスタチウムさんの情事を見せられたこともあって普段なら興味津々に話に夢中になれるところなんだがジキタリスさんの解説も全く頭に入ってこなかった。
『もうアニスを抱いたのかい?』
ジキタリスさんの言ったその言葉が今でも僕の心の中で燻っている、確かに僕とアニスは主人とメイドという関係で長い間付き合ってきたがアニスを、彼女を抱くなんてことは言われるまで全く考えたことがなかったのだ。
でもそう言われると途端にアニスの事を意識してしまうというか、もしアニスにそのことを言ったらどういう反応をするのか・・・・そればかりが頭の中を支配してしまっている。
嫌悪感を示すだろうか?それとも・・・・メイドだからという意味で僕を受け入れてくれるのだろうか?
「それでこの画家は晩年になるまで全く評価されなくてね。っとどうやら心ここにあらずと言った感じかな?」
「あ、その・・・・すいませんジキタリスさん」
ジキタリスさんの言葉にハッとし瞬間的に頭を下げる。その様子にジキタリスさんは少し笑いを堪えるようにしておどけて見せる。
「いや先程のことは本当に済まないねヒース君。思っていた以上に悪戯が過ぎたようだ」
「いえそんなことは・・・・僕が世間知らずなだけです」
そうだ、貴族であるならばそういう性処理用のメイドがいたってなんらおかしいことはないはずだ。それを僕が知らなかっただけ、ただそれだけのことなんだ。
自分に言い聞かせるように思っているとジキタリスさんはぽつりと言葉を漏らす。
「いや、僕は少し君に嫉妬していたのかもしれない」
「えっ?」
思いがけない言葉に僕は思わず顔を上げる。ジキタリスさんが嫉妬?僕なんかと違ってなんでもできて立派に領主を勤めているジキタリスさんがなにを嫉妬することなんてあるのだろうが?
そんなことを思っているとジキタリスさんは掛けられている絵画の縁をなぞりながらこちらを見ずに言う。
「僕もアニスのことが少なからず好きだったからね、そんな彼女が今ヒース君のところでメイドをしていると聞いた時から多少なりとも嫉妬はあったさ」
「ジキタリスさん・・・・」
「彼女の君を見る視線、それがとても羨ましかったよ。だから彼女がどんな姿を君に見せているのか知りたくなってねちょっと誂うつもりだったんだけどまさか抱いていないとまでは思ってなかったよ」
ジキタリスさんが振り返り軽く笑ってみせる。
「好きなんだろうアニスのことが」
「えっ、あ・・・・それはその」
言葉に詰まる。さっきからそうだ、そんなこと考えたこともなかった。
いや僕がただ考えないようにしていただけなんだろうか?
僕には人に誇れるようなものがなにもない、そんな僕がアニスのことを好きだなんて烏滸がましく思えてしまうからだろうか?
「言葉にしなくてもわかるさ、だからこそ・・・・」
ジキタリスさんは僕の肩に手を置くと柔和な笑みを浮かべこう言ったのだ。
「彼女は心に深い闇をずっと抱えて生きているような人間だ、だからこそ彼女を幸せにしてやってくれよ」
僕はその言葉に正直どう答えればいいのかわからなかった。確かにアニスには幸せになってほしい、けどどうすればいいのかそれがさっぱりわからないのだ。
僕はそんな胸の内のモヤモヤ抱えたまま帰路につくことになった。



僕がエストラゴン家の屋敷に戻った頃にはすっかり夜の帳が下りまばらに星が瞬いていた。
風が頬を撫でていく、とても冷たい風だ。だが今の僕の頭の中を整理するにはちょうどいい風だった。
「深く考えてもしょうが無いけどとりあえず落ち着かないと」
僕は屋敷には入らず横手に抜けると裏の川原へと足を進める。
小さい頃からなにかあれば僕はそこにいけば行ってぼうっと川の流れを見つめていたものだ。
別にそれでなにかが解決したことはない、ないけど気持ちが落ち着くのは間違いないんだ。
「ふぅ・・・・さすがにこの時間にコン爺はいないか」
普段庭師のコン爺が座っている石造りの橋に腰掛けると小さく息を吐く。空気触れた呼気が真っ白に変わりすぐ消えていく。
木々のざわめきと川のせせらぎが静かに聞こえる中じっと水の流れを見つめる。
なにも考えずただ呆然と頭の中を洗い流してしまおう、と思った矢先だった。
「こちらにいらしたのですねヒース様」
「え、わっ・・・・あ、アニス!?」
背後からした突然の声に振り返るとそこにはカンテラを片手に携えたアニスの姿があった。
「お帰りが遅いのでこちらにいらっしゃるのではないかと思いましたがやはりそのようでしたね」
窘めるわけでもなくまた安堵している様子でもなくアニスはただ静かにそう言うとおもむろに僕の横に座る。
「えっ、アニス?」
思わずそんな声が漏れてしまった。いやそれもそのはずだメイドであるアニスがこんな風に僕の横に座るなんてことはいままででも初めてだったからだ。
いつもなら一緒に食事しようと誘ったりしても決して彼女が僕の横に座るなんてなかった、だから突然のこの行為に思わず吃驚してしまったのだ。
「どうかしましたかヒース様」
「いや、アニスが僕の横に座るのが珍しくて。いつもだったら『私はメイドですので』とか言って断るじゃないか」
「確かにそうでしたね」
こちらを見ることなく小さくアニスは頷くと星空を見上げている。
「ヒース様がよくこちらで川を見られているように私もこうしてここで星を見上げるのが好きなんです。今日はとても星が綺麗だったのでつい、ですね」
「星が・・・・」
言われるまま僕も空を見上げるとそこには真っ黒なキャンパスを沢山の星々が宝石のよう埋め尽くしその美しさに思わず僕は息を飲んでしまった。
「こんなにも夜空って綺麗だったっけ」
思わずそんな感想が口から零れた。星なんて今までそんなに気にしていなかったというのに確かに今日の星は吸い込まれるようなほどの美しさをしていた。
「それでヒース様」
「ん?」
「ジキタリス様から私のことをお聞きになられたのですか?」
「あ、ああ・・・・うん、聞いたよ」
アニスの問いに少し煮え切らない様子で答える。
「アニスの絵を見せてもらったよ。アニスってジキタリスさんの婚約者だったんだね」
もしかしたらアニスは僕がジキタリスさんのところに行くことをなにか気にしていたのはこの事を知られたくなかったからなんじゃないのかと思えた。
「ええ、でも私の方から婚約を解消したのですからあまりあの方も私のことをよく思っていないのでしょう」
「そうかな、どっちかというとまだ未練があるみたいな感じだと思えたけど」
お互い空を見上げながらそんな会話を交わす。でも僕が本当に聞きたいことは多分違う。
「これ、聞いていいのかもしれないのだけど」
そう前置きをしておいて僕はアニスの方を向き直す。近くで見るアニスの姿は月明かりで銀色の髪がぼんやり光ってとても幻想的に見える。
「なんでジキタリスさんの婚約を解消したの?そのまま結婚していたらそのアニスの家だって没落することはなかったんじゃないの?」
そうすればアニスが貴族からメイドになんて落ちることはなかったはずだ。
「そうですね・・・・その時はただあの人が好きになれなかっただけです。でもそのおかげでこうしてヒース様のメイドとしていることができるのですから」
アニスは風に靡く髪を抑えながら振り向きそう言い微笑む。聡明なアニスから出た言葉は実に簡単な理由で驚かされたが年端もいかない少女が結婚を断る理由としては妥当だと思う。
それよりも僕は不意にアニスの見せたその表情に胸がぐっと熱くなるのを感じていた。
『僕のメイドとして』、その言葉に僕は錯覚を覚えたのかもしれない。言葉を運命づけて増長した想いが僕の口から溢れ落ちる。
「あのアニス、もし僕がアニスのこと好きだって言ったらどうする?」
自分でもなんでこんなことを口走ったのかわからなかった。けど気がつけば僕はアニスの手をぎゅっと掴み彼女の言葉を待っている。
冷たい風が二人の間を吹き抜けていく。アニスの持っていたカンテラのオイルの燻る臭いがスッと僕の鼻を擽る。
「ヒース様・・・・」
アニスは一瞬驚いた表情を見せたがすぐに僕から、目をそらした。僕はそれだけでアニスの言葉を待たずともどういう返答が待っているか察してしまった。普段真っ直ぐ僕の目を見て話すアニスが顔をそらすということはそれだけで拒絶を意味しているのは明白だ。
「メイドとして御主人様に好かれるというのはとても誉れだと思います。ですが今の私はただのメイドです、ヒース様のお気持ちに応えることはできません」
はっきりとした言葉でそう言われるともう僕にはさっきの言葉を冗談と切り返すこともできなかった。
『あれは冗談さ、ちょっとアニスをからかっただけ』
そう言えればどんなに良かっただろうか?
そして僕はなんであんな軽率にアニスに想いを伝えてしまったのだろう、ちょっとでもアニスが僕に気があると変な想像して妄言を口走ってしまったのか?
馬鹿らしい、実に馬鹿らしい話。でも物凄く心が苦しかった、こんな感覚は初めてだ。
「ヒース様、そろそろお屋敷に戻りましょう。お体に障ります」
「ああ、うん・・・・」
優しくかけられたアニスの言葉に僕はただ小さい声で答え頷くことしかできなかった。
冷たい風がより冷たく僕の心の中を吹き抜けた気がした。



「それではおやすみなさいませヒース様」
「うん、アニスもおやすみ・・・・。」
「はい、では失礼します」
僕の部屋の前でアニスが一礼するとそのまま踵を返し去っていく。結局川原から屋敷に戻るまで僕とアニスの間に会話らしい会話はなかった。
僕が話しかければアニスは普通に受け答えしてくれただろう、でも僕にはそれができなかった。
これが失恋というものなんだろうか、胸が苦しくて自然と涙が込み上げてくる。ジキタリスさんに言われるまで僕がアニスに好意を持っているなんて気がつかなかった、いやそう言われても半信半疑だったのに今さっき身に滲みてわかった。
「僕はアニスが好きなんだ・・・・」
月明かりにぼんやり照らされたキャンパス、今はジキタリスさんが言い、僕が思っていた違和感の正体がはっきり分かる。
母さんマルベリーを描いていたはずだったそのキャンパスには間違いなくアニスの姿があった。
やはり僕の心の中にあったのはアニスだっということを思い知らされた。
そう今更気がついたところでもう遅いのかもしれないが。
「寝るか・・・・」 
今日は色んなことがありすぎた。僕はベッドに倒れるこむとじっと目を瞑る。色々考えて寝れないんじゃないか、そう思っていたがどうやら体の疲労は想像していたよりもあったらしくまるで眠りの世界に吸い込まれるように僕の意識は落ちていった。

眠りに落ちた先、そこはどこまでも続く屋敷の廊下だった。
月明かりだけが廊下を照らしているそこで一人の長い銀色の髪をした女性が歩いているのを僕はずっと後ろから見ている。
薄桃色のネグリジェを着て月明かりの下を優雅に歩くその姿、どこかで見た光景だ、その女性はとても美しくゆっくりと廊下を歩いている。
『か・・・・母さん?』
その後姿に僕はハッとなって追いつこうと走る、だけどその距離は一向に縮まることはない。
ゆらゆらと揺れる銀色の髪が月明かりに照らされて幻想的に見える。
『待って母さん!』
そう僕は叫ぶが声になっていないのか気づいていないのか母さんの足が止まることはない。
そして気がつく、この見覚えのある光景。それは僕が小さい頃、寝たふりをして母さん・・・・マルベリーを追いかけた時と一緒だった。このままじゃ母さんはハリッサのところへ行ってしまう、そうしたら母さんは・・・・。
『行っちゃ駄目だ母さん!』
僕は必死に手を伸ばし声を張り上げる。その言葉が通じたのか母さんの足はピタリと止まった。
止まってくれた?僕は安堵とともに母さんに近づく。今度こそちゃんと言うんだ「あんなやつのところに行かないで」ってあの時言えなかった言葉を。
「母さん、あんなやつのところに・・・・」
そこまで言いかけたところで母さんが振り返る、時がゆっくりと流れるようにして顔を見せた女性は・・・・。
「えっ・・・・」
振り返ったと瞬間、さっきまで母さんだと思っていたその女性の姿が紺色のメイド服に変わる。それは紛れもない僕の専属メイドであるアニスの姿だった。
「なんで、アニスが」
か細く漏れた僕の言葉にアニスは瞬き一つせずじっとこちらを一瞥する。その表情はいつもよりも暗くそして冷たかった、まるで空を飛んでいた羽虫が地面に落ち、もがいているのを邪魔というだけで踏み潰さんとする、そんな表情だ。
「ヒース様、知らない方が幸せなこともあるのです」
「なにを言って・・・・」
「さようならヒース様」
抑揚ない言葉でアニスはそれだけ言うと向き直し廊下を歩いていく。
「待って、待ってくれアニス!」
僕は必死にアニスに近づこうとするが足が言うことを聞かずガクリと膝から崩れ落ちる。
「待って・・・・くれ、行っちゃダメ、だ・・・・」
急に視界がぼやけ必死に手を伸ばす。まるで陽炎のようにゆらゆらと視界は揺れ、アニスの姿と母さんの姿がまるで紙芝居のようにして入れ替わる。
アニスはどこへ行こうとしているんだ?
そしてさようならってなんだ、知らない方が幸せなことがあるってなんだ?
「アニスっ!!!!」
僕はわけがわからなくなりとにかくアニスが居なくなるのが嫌で力一杯に叫ぶ。

すると瞬間パッと視界が明け僕はあの屋敷の廊下から自分の部屋に戻ってきていた。
「あ、れ・・・・」
窓から差し込む太陽の光が顔に当たって眩しい。さっきベッドに入ったばかりだと思ったらいつのまにか朝になっていたらしい。
「夢、か。そうだ・・・・アニス!」
僕は先程まで見ていたのが夢だと気づき、一気に体を起こす。
「うっ・・・・」
起き上がった途端にぐらりと視界が傾いた。なんとも言えない気持ち悪さに横に倒れそうになる体を必死に腕で支えると額から濡れたタオルがシーツの上に落ちるのが視界に入る。
「そんな急に起き上がってはいけませんよヒース様」
その言葉と共にアニスが僕の体を支えタオルを拾う。
「あ、アニス・・・・ありがとう」
「なかなかお目覚めにならないので心配いたしました。少し熱もあるようです、風邪だと思いますので無理をなさらないでください」
アニスは僕の体をベッドにゆっくりと戻すとタオルを近くにある水桶に浸して絞り、僕の額の上に乗せてくれる。その額を伝わる冷たさに段々と僕は落ち着きを取り戻していく。
「お食事は召し上がれそうですかヒース様?」
「ああ、うん食べれると思う。熱も引いたみたいだし」
「ではスープを用意してあるのでお持ちいたしますね。そちらの方が消化によろしいと思いますので」
そう言ってアニスは一礼すると手際よく食事の用意をする。その手際の良さにはいつも感心させられる、これもやはりアニスの努力の賜物なのだろう。
アニスがいそいそと用意する中、ふとそんなことを思う。
アニスだって元々貴族であっただけにこういった病人の世話なんて本当なら使用人に任せているところだろう、それだというのにアニスは実に慣れた手つきで食事の準備をしている。どれくらいの練習、というのだろうかそういうのを積めばこういったことができるのだろう?僕がもしアニスと同じようになったらいつまで経ってもできそうにない。
「ベッドテーブルを用意しますね。それと食べやすいように腰にクッションを敷きますので失礼します」
木製のベッドテーブルが僕の前に配置されタオルを水桶に戻すとアニスがベッドに膝をかけ僕をそっと抱き寄せる。ふわっとアニスの髪から薔薇の香水が鼻を擽り思わず心臓が跳ね上がった。
「はい、それでは・・・・。ヒース様、お顔が赤いですがまだ熱がありますか?」
「いやなんでもない」
視線を外して答える。もはやもうこれは呪いだ、解けない呪い・・・・アニスが僕のメイドとしてやってきて七年、いままでそんな感情を持ったこともなかったはずなのに今じゃ不意に香った匂いにまで劣情を抱いてしまっている。
彼女の動き、食器を並べる仕草やスープを皿に注ぐ仕草一つ一つが繊細で魅力的に映る。
「ではこちらがマダラのスープとなっております。大丈夫ですかヒース様?なんでしたら私が食べさせて・・・・」
「いやいい、自分で食べられるよ」
出された澄んだ黄金色のスープを前に呆けている僕の顔をアニスが覗き込むのを見て、慌てて僕はスプーンを手にとった。食べさせてもらう、そんなこと想像だけでも心臓が爆発しそうになる。
「美味しい、やっぱりアニスの料理は美味しいよ」
スープを口にしながら感想を述べる。あっさりとした口当たりではあるが後になってくる野菜の甘さ、そして隠し味で入っている生姜が体を温めてくれるとても優しい味だ。
「お口にあったようで私も嬉しいです。では私は今日は一日ヒース様のお側にいますのでなにかあればお呼びくださいませ」
アニスはそう言うと近くの椅子をもってくると腰掛ける。付かず離れずと言ったアニスの距離、今までもそんなことはいくらでもあったけどやはりこうなると緊張で少し萎縮してしまう。
しかしあまり気にしていてもしょうがない、なるべく意識しないようにして食事を続ける。
「あ、あのさぁアニス」
静かな部屋に時折鳴る食器の音だけが支配する、耐えきれなくなったのはやっぱり僕の方だった。
「はいヒース様、なにか御入り用でしたか?」
「いやそういうわけじゃないんだけど、ちょっと聞いても良いかな?」
「はいなんなりと」
僕の言葉にアニスは小さく頷いて答える。聞きたいのは僕のさっき見ていた夢、悪夢のことだ。
「さっき夢を見ていたんだ。それもすごく嫌な夢」
「そうでしたか、少しうなされていたようだったので気にはなっていました」
あれは今思い出しただけでも胸が苦しくなる夢だ。アニスがいなくなるなんてことはもう考えたくはない、それだけ僕がアニスに依存してしまっている。
「アニスはさ、父さん・・・・ハリッサに夜呼ばれてたりしてないよね?なんかそんな夢見ちゃって」
あれは夢。それはわかっているんだけども僕はどうしても確認して安堵したかった。あのだぶって見えた母さんの姿のようにハリッサに身体を弄ばれているんじゃないかと不安になったんだ。
「ええ、そのようなことはございませんよヒース様。私はヒース様の専属メイドですから」
アニスは眉一つ動かすことなく淡々と答える。それはそうだろう、あれは夢での話で現実じゃないんだから。
「そ、そうだよね。ごめん変なことを聞いて」
「いえ大丈夫ですよ」
期待通りの答えに僕は安堵の溜め息を漏らす。そうだ、そんなことあるわけがないじゃないか。アニスは母さんに確かに似ている、僕は母さんを描きながらアニスをそこに意識してしまっていた。だからハリッサもアニスに母さんの姿を重ねていたんじゃないかと不安になったがどうやら違っていたようだ。
「そうだ、アニス・・・・もう一つお願いしたいことがあるんだけどいいかな?」
僕は後ろ首を掻きながら尋ねる。これはもう僕の願望だ、僕にはこれしかない。そして一度きっちりと形にしたかったことだ。
「はい、なんでしょうか?」
「絵のモデルになって、えっと欲しいんだ」
少し緊張気味に言う。アニスと出会って七年間、僕はずっと母さんの絵ばかりを描いてきて一度もアニスを描いたことがなかった。
正直この提案をすることには少し不安があった。ジキタリスさんのところで見たアニスの肖像画から察するに絵に描かれることが嫌なんじゃないかと、そういう不安だ。
「私が絵のモデル、ですか・・・・?」
アニスは少し驚いた様子で声を震わせ言う。やはり駄目なのかと落胆しそうになった時アニスははっきりとした口調で言葉を紡いだ。
「私なんかでよろしければ絵のモデルやらせていただけますか」
「え、いいの?」
「はい、私などでよろしければヒース様の絵のモデルやらせてください」
「ありがとうアニス!じゃ早速・・・・」
「あのお待ちくださいませヒース様」
僕はもう嬉しさに食事など放っておいて絵を描こうとベッドから降りようとするのをアニスがそっと制する。
「大丈夫ですよヒース様。そんなに慌てなくても私はどこにも行きませんのでごゆっくりお食事を召し上がってください」
「あ、うん。ごめん、ちゃんと食べるよ」
罰悪そうに言いながらベッドに戻る。その時の僕の顔はまちがいなく綻んでいたと思う。好きな人をモデルにして絵が描ける、それは今までずっと母さんだけを描いていた僕にとって新たな一歩なのだから。



正直、僕はアニスをモデルに絵を描き出したら圧倒言う間に筆が進むものだと思っていた。
「う・・・・むむっ」
食事を終えた後、僕は早速キャンパスの前に座った。さっきまでの体調の悪さなんてどこかへいっていた、木炭を手に取り椅子に座りじっとしているアニスをとらえる、そこまではよかった。
僕の腕はピタリと止まっていた。こんなことは初めてだった、別にアニスを見つめていて緊張している訳じゃない、むしろキャンパスを通してなら想像以上に緊張はしない。
けれども僕の腕が進まなかったのは気持ちが高揚しすぎて震えが止まらないのだ。今から描くものが凄い物になるだろうという予感、著名な彫刻家は掘られる前の石に人の姿を想像していたというようなそんな感覚。
「あの、ヒース様?」
そんなことを思っていると不意にキャンパスの向こうに座るアニスから声がかかった。
「ん?どうしたのアニス?」
「いえ、ヒース様先程から動いていないのが少し気になりまして」
「ああ、うんごめん。なにかさ上手く描こうとしているのか手が進まなくて」
そうとしか言いようがなかった。描く前はもっとすぐに筆が進むものと思っていたのだけどもいかんせんともいかない状況にさすがにアニスも業を煮やしたのだろう。
「そうですか、私は絵のことは上手く言えないのですがもっとこう肩の力を抜いて描いてみたらいかがでしょうか?いつも通りヒース様が楽しんで描いていただけたら私はよろしいのではと僭越ながら思うのです」
肩の力を抜いて・・・・確かにそんな気はしてたが面と向かって言われると途端に自分の頭の中の熱が引いていくのを感じる。
「そうなのかな、いやそうだね」
僕は頷くと一つ深呼吸をする、そうだ普段通りで良い。深呼吸したくらいじゃ震えが収まったりしそうにはないけども僕は意を決しゆっくりと木炭をキャンパスに走らせる。
一本一本線を引くごとに真っ白なキャンパスに徐々にアニスの姿が浮かび上がっていく。
僕がアニスを見つめ、アニスが僕を見つめ返す。
二人だけの空間に邪魔者は存在せず、僕は永遠に絵が完成しなければずっとアニスとこうしていられるんじゃないかと邪な考えが浮かぶほど心地良い世界だった。



それから三日という日時が過ぎた。あの日から飲食と睡眠の時間以外は僕はずっとキャンパスに向かっていた。それは勿論アニスもでじっとしているだけと逆に疲労が溜まるモデルをつらそうな顔一つもせずに続けてくれた。
「はぁ・・・・で、きた」
気がつけば今日も空にまんまるとした月が浮かび上がっていた。最低限の明かりだけが支配する部屋で僕は魂を吐き出すような大きな息を吐くと木炭を置き、できあがったキャンパスを見つめる。
「完成されたのですかヒース様?」
「うん・・・・と言ってもまだ下書きができたってだけでここからが大変なんだ」
まじまじと下書きを見つめながら答える。正直下書きの段階でこんなに時間がかかったことなんて今までなかった。でも出来上がったその下絵は今までの中でも一番の出来だと思う。
端正な顔付きに細くすらっとした指、腰ほどまで伸びた髪。笑うわけではなく、かと言ってジキタリスさんのところで見たような不満そうな顔でもない。真っ直ぐとこちらを見つめてくるアニスの姿に力強さと優しさを感じていた。
「素晴らしい才能をお持ちですねヒース様は」
僕の横にやってきたアニスが絵を覗き込みながら言う。
「アニスがモデルだったからだよ」
恥ずかしさと嬉しさに消え入りそうな声でそう僕は呟く。アニスじゃなきゃこんなに上手く描けなかっただろう。
「そう言ってただけると私もモデルをやらせていただいた甲斐があります。ですがあまり無理をしてもいけませんよ」
「うん、わかってるよ。正直、今日はかなり疲れててこれ以上作業は進めれそうにないよ」
作業が一段落したというのもあってか肩の荷がどっと降り一気に疲れがやってきた感じだ。
「でしたらお茶かなにかをご用意しましょうか?」
「いやいいよ。アニスも疲れてるだろうしゆっくり休んで」
そう言いながら僕はベッドに突っ伏すように倒れ込む。
「わかりました、それではおやすみなさいませヒース様」
遠くでアニスの声が聞こえた気がする、僕はアニスに返事をしようとして・・・・結局言葉にできずにそのまま意識が眠りへと落ちていった。



懐かしい香りがする。
なにかの香水?鼻を擽るその香りに混濁した夢の中から僕の意識は引き摺られるようにして呼び起こされる。
「んっ・・・・」
僕は目を開け、辺りを見渡す。部屋の中はまだ暗く寝る前と同じようにしてぼんやりと浮かぶ満月にそれほど時間が経ってのを理解した。普段ならそのまま二度寝をするところなのだが僕を眠りから起こした香りが気になり身体を起こす。
「アニス、じゃないよな。アニスの香りはもっと違った」
僕の近くにいる人間なんてアニスしか思い浮かばない、けど三日前に僕が風邪を引いたときに香った匂いは薔薇の香りだ。
どちらかと言えば先程の香りはベルガモットに近い、まるで違う香りだ。
「もしかして香水を変えた?」
一瞬そんな考えが過ったがなにか引っかかる。どこかで・・・・そう、確か僕はあの香りを「懐かしい」と感じたはずだ。懐かしい?それって、その感覚が間違いでなければその香りの正体はアニスの香水ではないはずだ、となるとアニスではない他の誰か・・・・?
「母さん?」
思わず口からそんな言葉が漏れた。そういえば母さんのつけていた香水はこんな香りがした気がする。
「いやでも・・・・」
なんでそんな香りが?と当然の疑問がわく、母さん、マルベリー=エストラゴンは七年前に死んでるんだからそんな香りがするわけがないのだ。
残り香、というのにはいささか時間が経ちすぎる。けどしっかりと感じたその香りは母さんが僕に何かを伝えようとしているのではないか、そう思えてきた。
じっと部屋に飾った母さんの絵を見つめる。いつも綺麗でいつも優しくて僕の大好きだった母さん・・・・。あの香り、いつどこで、とても大事なことだったような・・・・?
「・・・・っ!!」
母さんのことを思っていると急にチクリとした痛みが胸に走る。それと同時だった、僕は思い出したくない事を思い出してしまった。
胸を抑え膝をつく。胸の痛みはスッと消えたが別の痛み、苦しみが僕を支配していく。
「あれはそうだ、母さんがあいつのところへ行った時だ」
なんで今まで忘れていたのだろう、あの光景。忘れるわけがないと思っていた、この香りは僕が夜どこかへ行ってしまう母さんの後をつけようとして寝たフリをした時だ、母さんは僕が寝たのを確認するようにして顔を近づけそっと頬にキスをしたときの、その時の香りだ。
「まさか、アニス・・・・!?」
僕の体を不安な気持ちが押し潰そうとしているのがはっきりとわかる。このままなにもせずにベッドに入り寝て、朝になればこの重圧から解放されるのだろう。
けど僕は確認したかった、ほとんど憶測でしかないけどこの小さな切欠から生まれた些細な悩み、不安を消したかった。
そう思うと自然とゆっくりと立ち上がり、足は二度と行くまいと思っていたあの古時計へと向かっていった。

まるで夢で見た光景を再現しているようだった。
屋敷の廊下は静かで月明かりがぼんやりと照らしている。
自分でも確認するのが怖くて足がすくむ、もし本当にアニスがハリッサに抱かれていたら・・・・僕はどうしたら良いのだろう?
ハリッサは母さんが亡くなった後もあの古時計から続く部屋で女性を抱いている。それは僕も知っていた、けどそれが屋敷のメイドの誰かなのか娼婦なのか僕は知らない、いや知らないように見ないようにしていた。
ハリッサに抱かれているのが、それがアニスでなければ・・・・他の誰かならいい・・・・そんな邪な望みを本気で願ってしまう。
離れから中庭を通り屋敷に入る。そこまできて僕はようやく引き返すと言う選択肢を捨てることができた。
だが緊張が取れたというわけではない。手には汗が滲み足が震える、怖いし考えたくない・・・・けど、けどだもしアニスがそんな事にあってたら。
「助け、助けたい」
そう自分に言い聞かせるために呟く声は震えていた。
僕は母さんの後を追ってあの光景を見たあの日、結局逃げ出した。母さんを守りたかったのに・・・・僕は逃げてしまった。
もしあの時ハリッサから母さんを守れたら、そうすれば母さんの命は助かったかもしれないのだ。
だから次こそは・・・・大事な人を守りたい。
自らの手を力強く握りしめ決意する。
「・・・・・・・・。」
屋敷の一階、長廊下のちょうど真ん中にある大きな古時計。僕がその前に立ったとき古時計の後ろの隙間からは光が漏れていた。
もはや隠し部屋の体などなしていない、いやもう誰もが知っていることなのかここでハリッサがやっていることは。
ゆっくりと古時計を横にずらす、その大きさの割りに下に車輪がついているため音もなくあっさりと動いた。
地下室への階段、蜜蝋に照らされた石造りの階段は一歩踏み込んだだけで異様な熱気とお香かなにかの独特な匂いに噎せ返りそうになる。
触れた石壁のじっとりと湿った感触に嫌悪感を覚えながら僕は階段をゆっくりと降りていく。
「やはり・・・・似て・・・・確か・・・・」
地下室から聞こえてきたハリッサの声に足が止まる。誰かいる、誰かと話している。それが一体誰なのか。僕は音を立てないようにして突き当たりにある黒塗りの木製扉の前までくる。
「いい、実にいいぞ。その反抗的な表情、意図せぬとはいえ私の情欲を駆り立てる」
ハリッサの声がはっきりと聞こえる、あいつの言葉は誰かに向けられた言葉だ。
そして僕は聞きたくない名前をそこで聞いてしまった。
「お前のようなものを屈服させ犯すというのは実に愉悦だな、アニス」
その言葉は僕の心臓に杭を打ち付ける衝撃を与えた。
アニスは違う、母さんのようにはなっていない───そう思いたかった。
アニスの言葉を信じたかった───そう信じたかった。
「そんな・・・・」
僕はわけもわからずその扉をゆっくり開ける。ギィィとした音と共に黒塗りの木製の扉は奥へと動き僕に現実を突きつける。
目の前は僕が想像する最悪の地獄だった。
小さな蝋燭の明かりだけがぼんやりと支配するその部屋、アニスはあの時と同じようにしてハリッサに抱かれていた。
ベッドに銀色の長髪が広がり、ツーパースドレスタイプのメイド服の胸元だけはだけ白い乳房が露になっている。苦悶の表情を浮かべ必死にシーツを掴み耐えている姿が完全に母さんと被る。そしてそのアニスに覆い被さるようにして激しく腰を動かしている全裸のハリッサに今まで感じたことのないような怒りの感情が自分を支配しているのがわかった。
「ヒース、様・・・・」
こちらに気づき小さく声をあげるアニスに僕はどうしようもなく居たたまれなくなったがその場から動くことができない。
「ん、ヒースだと?」
ハリッサは僕が扉を開けたことに気がついていなかったようで
アニスのその言葉で初めて僕の方を振り返る。
「なんだ屑がこんな場所にまでなんの用だ」
僕がここにいることなんて気にしていないと言わんばかり口調でハリッサは言うと乱暴にアニスの腰を掴み自らの腰を動かす。
「んっ・・・・はぁっ、ううっ・・・・」
肉と肉がぶつかり合う音が破裂音のようにして部屋中に響く。
ベッドの軋む音が悲鳴のようにして部屋中に響く。
必死に口許を抑えながらも漏れでるアニスの喘ぎ声にもう僕の頭は怒りでどうにかなってしまうんじゃないかと気持ちになってしまうと同時にあのアニスの犯されている姿に卑しくも興奮してしまっている自分に酷い嫌悪感を覚えた。
「なんの用だと聞いているのだ、お前も混ざりたいのか?」
「はな・・・・れろ」
「なに?」
「アニスから離れろ!!!!!」
膨らみすぎて爆発した風船のように僕は大声をあげる。その声にハリッサはなにも言わずにアニスからその身を離すと近くの椅子にかけてある白いガウンを羽織りどっしりと腰かける。
「私の所有物をどうしようと屑のお前には関係ないだろう?」
ハリッサはさも当然と言わんばかりにそんなことを言う。久しぶりに見た自分の父親の顔は以前より皺が増え、白い髭も少なくなったがその鋭い目付きと鍛え上げられた浅黒い体は以前と変わらない、いやそれ以上に僕を威圧する。
「アニスは物じゃない!」
「ふむ、それにお前も抱いているんだろう?なら別に構わぬではないか」
「ぼ、僕は・・・・」
口ごもる僕になにかを察したようでハリッサの顔が残忍に歪む。
「くくっ、そういうことか。おいアニス!」
ハリッサは立ち上がると強引にアニスの身体を引こ起こし後ろから抱き寄せる。武骨な手がアニスの白い柔肌の乳房を揉みしだき、もう一方の手で秘穴をまさぐる。
「っぅ、やめ・・・て、くだ・・・・はぁっ」
「お前、まだアニスを抱いていなかったようだな」
「くっ・・・・うわあああああああああっ!!!」
決定的な言葉と共にまるで見せつけるようにアニスの身体を弄ぶハリッサに僕は激昂し殴りかかる───が
「無駄だ、屑め」
ハリッサの足蹴りがあっさり僕の腹に突き刺さり壁に叩きつけられる。壁に掛けられていた装飾用の剣が地面に音を立て散らばる。
「くぅっ・・・・」
腹の痛みに涙が零れそうになるのを堪えてハリッサを睨む。一度足りとも殴りあいでハリッサに勝てたことなんてない、でも
アニスのためにも・・・・僕自身のためにも負けられなかった。
「ヒース様!や、やめてくださいハリッサ様、ヒース様を傷つけるのは・・・・」
「お前は黙っていろアニス。黙らないなら今度は犬とでも交わらせるぞ」
「っ・・・・!」
「アニスに、アニスに手を出すなぁ!!!」
僕は叫ぶ、叫ぶしかできなかった。かといってそれでハリッサが動じるわけもなく鼻を鳴らす。
「当にアニスの口から聞いているものだと思っていたが、なるほどお互いがお互いに愛情を抱いているのだな。それ故にアニスは幻滅されたくないとお前には秘密にしていたということか・・・・くだらん」
妙に納得した様子でハリッサは言うとアニスを再びベッドへと突き飛ばす。
「・・・・っ!」
「マルベリーの時のように逃げ出さず殴りかかってきたところはまぁ評価するが、そこまでだな。おまえは惨めにそこでアニスが犯されているのを見ているがいい」
母さんの時、母さんの時ってもしかしてあの七年前の時か・・・・

こいつは、この男は僕があの時そこにいたのを知っていたんだ。
そして恐怖を植え付けるように、怯えさすようにしてあの行為を見せつけたんだ!
「しかし哀れなものだな、私がアニスを抱いたのはマルベリーが死んですぐだぞ。お前がのうのうと絵に現を抜かしている間にな、それを今さら騒ぎ立てるとは滑稽だぞ」
嘲笑う声が僕の心の中のなにかを押し出すようにして激しく叩く。
体は痛み、心は砕かれた。
涙と共に心から『それ』は漏れだす。
「後でアニスに聞いてみるといい。面白い話が聞けるぞ、町の浮浪者共に犯された話とかな」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!」
心の中を渦巻いていた沢山の感情、それが全て殺意となって僕を支配していた。
次の瞬間───
「ぐあああっ、き、貴様ぁぁぁっ!」
僕は剣をハリッサの背中に突き立てていた。
運命というのはこういうことを言うのだろうか?
ベルガモットの香りで目が覚めたのも───
あの古時計の地下室へ行こうと思ったのも───
そこにアニスがいた事も───
蹴り飛ばされ僕の目の前に剣が落ちてきたのも───
そしてハリッサが僕なんて目もくれず背を向けたのも───
全てが僕にこうさせるための運命だったのだろうか?
「ぐうぅぅ、き、貴様ぁ・・・・」
剣から垂れる血とハリッサの呻き声に僕はハッとなり手を離す。
ハリッサがその場に崩れ落ちるようにして倒れる。僕は今、自分の父親を剣で刺すという蛮行をしてしまったというのに頭の中は先程よりもはっきりとしていた。
「父さん、ごめん」
自分でもなんでその言葉が出たのかよくわからなかった。ただそれでも僕はこの男を許すことは出来ず助けようだとかそんな気持ちは微塵も湧いてこなかった。
「ハリッサ様!・・・・ヒース様、なんてことを!」
震えた声で言うアニスの言葉にも僕はどこか冷静だった。自らの上着を脱ぎアニスの肩にそっと掛けるとじっと彼女を見つめる。
「僕にはこうする他に君を助ける方法が思い浮かばなかったんだ」
「ですが私のために・・・・そんな・・・・」
僕の瞳に映るアニスが涙ぐみか細い声で呟く。僕は本当に無能だ、こんなにも好きな人、愛している人をこんな風に泣かしてしまうなんて。
「僕はここをでていくよ、父親を殺したとなればただで済むわけがない」
領主を自分の父親を殺したとなればもはやここにはいられないだろう。犯人とわかったその場で処刑されるのは間違いない。
本当なら自ら名乗り出すべきなのかもしれない、しかし僕にその勇気はなかった。だから結局はここから逃げ出す、そんな選択をするしかなかった。
「さようならアニス・・・・」
そっとアニスの頬を伝う涙を拭うと僕は踵を返し走り出す。
「ヒース様っ!」
アニスの悲痛な叫びに振り返りたくなるのを抑え僕は走った。
アニス、どうか幸せになってくれと願いながら・・・・



冷たい風が吹き抜けていた。
僕は振り返りもう二度と帰ることの屋敷を見上げる。
「まさかこの屋敷を出る日がくるとは思ってみなかったな」
一生ここで暮らすものと思っていた。それが今は父親殺しの重罪人、こんな風になるとは考えてもいなかった。
でもいいんだ、アニスを大切な人を助けることが出来たのだから。
二度と会うことはないだろう、会いたいと願ってもそれは叶うことは一生ないだろう。
そもそも僕自身、明日生きていられるかももうわからないのだから。
「さてどこに行こうか・・・・」
とりあえず屋敷から離れることだけを考えて僕は足を進める。これからどうする、どうすればいいそんなことは考えてもわからない。なにせ僕は今までずっと何不自由なく屋敷で暮らしてきた、メイドがアニスがいなければ何も出来ない人間だ。仕事ができるわけでもない、狩りができるわけでもない、生き方そのものを知らない・・・・ただただ与えられたものを享受するだけ、僕にできるのは絵を描くことくらい。
「あっ・・・・」
そこで僕は屋敷にアニスの絵を置いてきたことを思い出した。
「いや、でももう無理か・・・・」
取りに戻る、その選択はもうできない。そもそも絵なんて描くことなんてできないだろう。アニスのあの絵があればなんかちょっと頑張れるかな、なんて気持ちにはなったが僕にはもうそういうことも許されることはないのだろう。
「とりあえず森へ入って、どこかに一晩過ごせる場所があればいいけど」
こんなことになるのならもっと外に出るべきだったな、そんなことを悔やみながらも僕は足を深い夜の森へと進めていった。

「ここは・・・・」
どれくらいの距離歩いただろうか。夜の風は酷く冷たく悴む手を擦りながらしばらく歩いた先にあったのは小さな教会の前だった。
「廃墟、か?」
割れたスタンドグラスに、壊れて穴の空いた壁。どうみてもその建物は崩れかけで人の住んでいる様子ではなかった。
「むしろ人がいない方が好都合か」
こんな夜中に貴族が訪ねになんて来たら誰だって怪しむだろう、お金もないし交渉だって上手くできる気がしない。それだったら誰もいないでいてくれたほうがいい。
「失礼します」
小さく言葉を吐きながら湿った木の扉を開ける。中は当然薄暗く壁の穴から月明かりとすきま風が入ってきている。ただそれでも外に比べたら過ごしやすいだろう。
「とはいえ、ここでは寝れないか」
廃墟とはいえ礼拝堂の椅子に横になるというのはなんとなく気が引けて、辺りを見渡す。すると奥の方に二階へ上がる階段が見えた。おそらく二階に生活する部屋があるのだろう、そうふんだ僕は雨で湿り軋み音をあげる床に気を付けながら二階へと進んでいく。
「ここは・・・・ここなら休めそうだ」
二階に上がった先、すぐ正面の部屋を見て思わず感嘆の声をあげてしまった。扉こそ壊れてなくなっているが部屋の中は壁や天井、窓のガラスに壊れた様子もなくあまつさえベッドが残っていたのだ。
「ちょっと埃っぽいけどここなら風も入ってこないし寝れそうだ」
ベッドの埃を軽く払うとどっしりと腰を下ろす。
ようやく休める場所を見つけまず最初にやってきたのは安堵というよりも物凄い疲労だった。
精神的にも肉体的にも酷く疲れがでている。かといって簡単に眠りこけてしまうわけにもいかない、アニスがどうするのかはわからない・・・・ただ黙ってくれていたとしても朝になれば父ハリッサの死体は見つかるだろう。そうすれば犯人である僕を探すために自警団による大掛かりな捜索が行われる、この辺りは鬱蒼とした森が多く馬では移動が難しいので徒歩での捜索になるはずだ、だからある程度時間は稼げるだろうし逃げるための体力を作るためにもここは休むべきだと思う。
とはいえ間抜けにも眠りこけていればこんな場所真っ先に探されるだろう。屋敷からの距離もよくわかってはいない、そこまで近くはないと思うが遠くもない場所のはずなのだからできるだけ遠くへ行くためにも、朝一にはここを出発しないといけないのは間違いない。
「そこから先、どうするかも考えないとな」
ベッドに横になり窓から見える満月を見ながら考える。
僕にあてなんかあるわけがない。港町辺りで船に潜り込み異国行き、その街に紛れ生活する。言葉にすれば簡単だがどれもどうやっていいのかわからない、そもそも上手くやれなければそこで終わりだ。
「そんなこと僕にできるのだろうか」
思わず気弱な言葉が漏れる。とはいえやらなければならない、そう思ったその時だった。
ギィィと床が軋む音に思わず僕はベッドから飛び起きる。
「まさか・・・・もう追っ手が!?」
屋敷からの一件からそれなりに時間が経っているとはいえ、なんて早さだ。でもそうでなければこんな夜中に廃墟の教会へ人が来ることなんてないだろう、これじゃ僕の計画を実行に移すだのそんなことの前に頓挫だ。
ゆっくりとしかし着実に床の軋む音はこちらに近づいてくる。この部屋の床だって軋む、隠れようとしても音で逆に気づかれてしまうだろう。扉は壊れているから階段を上がってくれば間違いなく僕の姿が目にはいるし・・・・じゃあもうやるしかない、あまり関係ない人を巻き込みたくないんだが。
「えっ・・・・・・・・なんで?」
息を潜め構えていたところを階段を上がって来たその人物を見て、思わず言葉が漏れた。
「ヒース様、こちらにいらしたのですね」
「アニス!!どうして、どうしてここに」
僕の目の前に現れたのは紛れもなく屋敷で別れたはずのアニス=フェヌグリークだった。もう二度と会えないと思っていたと言うのにまさかこんなにも早く再会するなんて思ってもみなかった。
「私はヒース様の専属メイドです。おそばにいるのは当然の事だと思いますが」
メイド服の上から焦げ茶のコートを羽織ったアニスがいつもの淡々とした口調でそう言うと僕の隣に腰掛ける。
「なんで僕についてきたんだよ、僕は人殺しだぞ」
「小さい頃、ヒース様はいつなにをしでかすかわからない人でしたね」
言葉を無視して僕の頬をアニスの手が撫でる。ずっと僕を探していたのだろうか凄く冷たい手だ、でもどこか優しい手・・・・アニスに会えて正直嬉しい、嬉しいけど駄目なんだ。
それはきっとアニスだってわかっていたはず、僕と一緒にいれば最悪殺されることだって想像できないことじゃないだろう。
「アニス、僕のそばにいちゃ駄目だよ・・・・今ならまだ間に合う、屋敷に戻って」
諭すように僕は言うがアニスは小さく首を横に振るだけだった。
「嫌です。ヒース様は私のこと、お嫌いでしたか?それとも・・・・あれを見て嫌いになられましたか?」
優しくそして儚く微笑みながらそう言うアニスに自然と思わず自分の頬から涙が溢れる。
告白して断られた時に感じた悲しみも他の男に抱かれていたのを見た悔しさも今はどうでもよくなった。ここに、目の前にアニスがいる・・・・それだけでアニスのことが愛おしくなる、でも一緒にいられないその現実が余計悲しくなる。
「好きだよ、今でも好きさ・・・・でも、でも僕は、僕は・・・・・・・・っ!?」
「ヒース様」
アニスが言葉を遮ると次の瞬間彼女の唇が僕の唇に軽く触れる。初めてのキスは甘く柔らかくてそしてあまりに唐突で驚きを隠せなかった。
「ヒース様は純粋で、他人のために涙を流せる優しいお方です。先程も私のことを自分の身を顧みず助けてくれた。私は・・・・アニス=ハーグリヴァはそんな貴方をずっとお慕い申しておりました」
唇をそっと離しアニスが微笑む。月明かりを受けた彼女の顔は人形のように端整でいつになく近く、いつになく美しい。
「で、でもあの時、アニスは・・・・」
「私はメイドです、そして汚れた女です。そしてヒース様は貴族であり、純粋な人です。私はヒース様には相応しくない、ヒース様にはもっと良い方がいらっしゃると、あの時は思いそうお答えしました。そう考え、私の想い・・・・それをずっと心のなかで諦めていました、でも今は・・・・」
そこまで言いかけて再びアニスの唇が僕の唇を奪う。今度は先程とは違う、長く濃厚なキス。
アニスの舌がまるで潤いを求めた生物のようにして口の中へ入り僕の舌に絡み付く。じゅるりじゅるりといやらしい音を立てながらアニスの舌は僕の唾液を全て奪っていくかのようにして蠢く。
「んっ、はぁ・・・・ひぃす、さまぁ・・・・」
アニス甘い吐息と唇の感触に疲れなんて吹き飛ぶ勢いだ。
しばらくキスを続けるとおもむろにアニスが唇を離す、二人の唇の間にだらりと唾液が糸となるのを見て僕はさらに興奮した。
「私はヒース様の想像しているような清廉潔白な女ではありません、こういったことばかり体に刻み込まれた卑しくて汚い女です。それでも貴方をヒース=エストラゴンという男性を愛してしまったのです、だから良ければヒース様、私をそばに置いてください」
「・・・・僕のそばにいたら、どうなるかわからないよアニス」
「わかっております。でも元は私の事を思ってのこと、だからこの先どんなことがあろうとも貴方の元を離れたくないのです」
気がつけばアニスの頬にも涙が伝っていた。ここに来たのもかなりの決意をしてきたのだろう、僕の事をこんなにも想ってくれている女性がいる、それを断ることなんて今更できなかった。
「アニス・・・・僕は・・・・っ!」
アニスの細い身体を抱き寄せ、これが答えと言わんばかりに今度は僕の方から唇を貪る。
「んんっ・・・・んっ、んはぁ・・・・んっ」
一瞬でもアニスの姿を目に焼き付けたくてずっと目を開けたまま舌を不器用に唇を動かす。僕にできることはそう多くない、けどアニスだけ自分の愛する人だけは絶対に守りぬく、そう心に誓った。
「はぁっ・・・・・・・・んっ、んっ、んんんっ・・・・んぷっ」
それに合わすようにしてアニスも目を開けたままキスを続ける。
ぴちゃぴちゃじゅるじゅると音を立てお互いの唾液を交換し合う。とても綺麗なキスとは言えない、獣のような激しいキス。
キスを続けたままアニスがコートのボタンを外すのに合わせて僕がコートを脱がしベッドに敷く。そしてアニスの首筋を伝っていく唾液を逃さまいと舌でなぞるとゆっくりと身体をベッドと倒す。
「とっても綺麗だ、そして大好きだよアニス」
耳元で囁くと、耳の外側につつぅっと舌を這わせる。こんなことやったことない、初めてだと言うのに自然と体は動いていく。
「あっ・・・・んっ、ひ、ヒース様ぁ」
耳朶を甘噛みしながら手はメイド服の上から胸をまさぐっていく。アニスの髪から仄かに香る薔薇の匂い、耳元で聞こえる喘ぎ声、僕の責めに反応してピクリと身体を震わせるその仕草。
その全てが愛しくて僕の気持ちは高まっていく。
「服、脱がすよ・・・・」
「はい、ヒース様」
メイド服のボタンを一つ一つ外していくと白い柔肌と二つの大きな乳房が目に飛び込んでくる。
「下着つけてないんだ・・・・」
「あの、それは・・・・急いでいて、急いでヒース様の後を追いかけていたも・・・・んんっ!」
その大きな乳房に指を沈めるとアニスの身体がびくんと反応する。柔らかくて温かい、手に吸い付くようなその感触がとても気持ち良い。
「あのヒース様、や、やさし・・・・んっ、優しくして、ください」
「う、うん・・・・」
さっきまでとうって変わって恥ずかしさからか顔を手で隠しながら言うアニスに小さく頷くともう一方の乳房に口づけをする。
優しく、したいけど正直好きな人のこんな姿を見せられたら理性のタガなんて抑えつけていられる自信がない。
「は、はぁっ・・・・んんっ、ひぃす様・・・・んっ・・・・」
ぷっくりと膨らんだ桃色の乳首を口に含むと舌でちろちろと舐めあげる。
「あ・・・・だめっ、そこは・・・・んっ」
アニスは胸が弱いのか肌はじんわりと薄桃色に変わり吐息が激しくなる。僕は唾液まみれになった乳房を揉みしだきもう片方の乳輪を舌でなぞる。
今度はゆっくりとアニスの反応を見るようにして舌先で乳首には触れず円を書くようにして焦らしていく。
「気持ち良い、アニス?」
「はい・・・・今まで感じたことないくらいに。きっと本当に好きな人と結ばれるというのはこんなにも幸せで温かいものなんですね」
アニスの手が僕の髪をそっと撫でる。
「なので今度はヒース様にも気持ち良くなっていただきたいです」
「う、うん・・・・」
「それではヒース様、失礼します」
僕が頷くとアニスと体勢を入れ換え僕がベッドに横になる。そしてアニスは実に慣れた手つきでズボンのベルトを外していく。
「少し腰を浮かせてもらってもよろしいですか?」
「あっ、そうだね。ごめん」
言われるまま少し腰を浮かすとアニスが一気にズボンを下着ごと引き下ろし今までにないくらいに腫れ上がった肉棒がその姿を現す。
なんていうか女性の前、更に言えばアニスの前でこんな格好を晒したことが今までなかったので物凄く恥ずかしい状況だった。
「触りますよ・・・・ヒース様」
僕の答えを聞く前にアニスの細い指がモノに触れる。もう片方の手で太股の内側を擦りながら男根を優しく撫でられると言葉にしたこともないような快楽が全身を駆け巡る。
「ううっ・・・・」
思わず呻き声が漏れる。アニスはただゆっくりと手を動かしているだけだと言うのに自分で触るときとは比べ物にならない快楽の波が襲ってくる。思わず果てそうになるのを必死に抑えるとアニスは僕の顔をじっと見ながら男根の包皮を剥くと現れた桃色をした亀頭にふぅっと息をかける。
「うっ、つぅ・・・・あ、アニス・・・・」
「出したいときに出されて結構ですよ。もうこちらもこんなになっていますのでヒース様も苦しいでしょう?」
亀頭から溢れる粘り気のある液で男根全体を包みながらアニスは言う。まだ触られてまだ数分、数十秒も経ってないのに正直我慢も限界に来ていた。でもこの快楽を一秒でも深く味わいたくて精が噴き出しそうになるのをぐっと堪えて首を横に振る。
「だ、大丈夫だから・・・・アニス続けて」
「はい、わかりましたヒース様」
そう言うとアニスは僕のモノにぐっと顔を近づけ亀頭に軽く口づけする。
(なんだ・・・・この、感覚、頭がぼうっとする)
先程までとは一段階違う、快楽の波が駆け巡ってくる。
アニスの舌先が裏筋をゆっくりと舐め上げていき亀頭のカリ首をなぞると次に小さな口でぱっくりとくわえこむ。
湿り気と熱気を帯びた口内はそれだけでも充分に気持ちいいのだがそれに加えて精を全て吸い上げるように口をすぼめたりわざとらしく音を立ててしゃぶられるともう意識がどこかにいってしまいそうになる。
「んんふっ・・・・・・んっ、んっんっ・・・・・・」
アニスは髪をかきあげ唇と舌による愛撫を繰り返す。上顎に亀頭を擦りつけ、ざらついた舌先がまるで僕の気持ち良いところを初めから知っていたかのように舐めあげる。
しかもそれをあのアニスがやっている、それだけで他の誰かに同じことをされるよりもきっとずっと気持ち良い。
「くぅ、も、もう・・・・・・だめだ、ちょっと・・・・・・待って!」
あまりの気持ちよさに思わず腰を引く。あのまま続けられていたら僕の意思なんて関係なく精が迸りそうだった。
「ふぅ・・・・・・はぁ、ヒース様少し休みましょうか?」
口元からだらしなく唾液をこぼしながら頬を赤らめ恍惚な表情で言うアニス。いつも冷静沈着で淡々と仕事をこなす人形のような印象、それしか知らなかった僕にとって今のアニスの表情が見れること、それは凄く嬉しいことだ。
「いや、大丈夫・・・・さっきはアニスが上手過ぎて、抑えきれなったけどもう落ち着いたから」
「そうですか、ではヒース様・・・・そろそろ挿れますね」
アニスは僕の腰に馬乗りになり自らのスカートを口でくわえたくしあげると秘穴を露にする。
さっきの口淫でも耐えきれなかったのに膣の中に挿入したらどんな快楽が味わえるのだろう?
「んっ、んんんっ・・・・・・」
アニスの手が男根を膣口へとそえるとゆっくりと腰を降ろす。
膣口は狭く本当にこんなところに僕のモノが入るのだろうかと心配になるが滑りを帯びたそれは思っていたよりも簡単にアニスの中へと入っていく。
根元まで僕のモノをくわえこむと、アニスは口で押さえていたスカートを離す。スカートが結合部を隠し見えなくなると
「んっ、これで・・・・・・・全部入りましたよ、ヒース様、気持ち良い、ですか?」
と甘ったるく囁くようにアニスがそんなことを聞いてきた。
「これが・・・・・・アニスの・・・・中、あつい・・・・」
初めての挿入は気持ち良さよりもまずその熱さを一番感じた。その熱く滑った膣壁が男根を全て包み込みまるで生き物のように蠢いている。
「それで・・・・は、んっ、動きます、ね」
初挿入の余韻に浸る間もなく、アニスはゆっくりと腰を動かし始める。
(なんだ、これ・・・・すごく・・・・・・・気持ち良い)
動く前も気持ち良かったがアニスが腰の上で動き出すとまた違った快楽が全身を包み込む。ずにゅりにゅぷりと淫らな音をたてながら僕のモノが膣壁を押し広げ擦られていくととろけるような淫液が溢れだし絡み付く。
「はぁ、んっ、ひぃす様・・・ひ、ヒース様ぁ・・・・・・」
僕の名を呟きながらアニスの腰の動きは激しさを増す。月明かりに照らされた銀色の髪がふわりと舞い上がり手に余るほどの大きな乳房が揺れる。
「アニスぅ・・・・はぁ、んっ・・・・いい、いいよ・・・・」
もはや僕の限界も時間の問題だった。一秒でも長くアニスを感じていたくて一秒でも長くアニスを悦ばせたくて自然と両手は乳房に伸び腰はアニスの動きに合わせて突き上げていく。
「ああっ、んっ、いいです・・・・・・・・ヒース様っ」
甘い嬌声をあげながら身体をくねらせ身悶えるアニスに腰の動きを更にあげていく。
(っ・・・・もう、駄目だ、でる・・・・・・・!!)
もう限界だ、そう思ったときには既に遅かった。陰嚢からうねりをもって精が尿道へと伝わり一気にアニスの膣内に放出される。
「んんっ、熱いのが・・・・来てます・・・・・・っ!」
アニスの身体がびくんと跳ねあがり、膣内がぎゅっと締まりを強める。肉棒がどくんとどくんと波打ち精を出し続けているのを更に搾り取るようにしているようだった。
我慢に我慢を重ねただけに射精の解放感に頭が真っ白になる。
これが人と交わる快楽と言うものなんだと初めて理解した。ずっと嫌悪感を抱いていた行為なのに今はもっと、もっとアニスとこうしていたい・・・・。
「はぁはぁ、アニス・・・・」
「ヒース様・・・・」
繋がったままぐったりと身体を寄せてくるアニスを強く強く抱き締める。
「ずっと、ずっと一緒にいようアニス」
「はい・・・・・・ヒース様」
明日、いやこれからの未来僕らはどうなるのだろう・・・・そんな不安を必死に拭うように僕達は肌を重ね愛し続けた。



───Interlude タンジー=クラリセージ

「仕事に私情を挟むな」
自警団に入った頃俺、タンジー=クラリセージは上司からそうよく言われていた。
俺は自警団に入る前まで自警団というものは犯罪を取り締まり町の平和に貢献する、そういう組織であるものだと思っていた。いや、今でもそうありたいし団員から団長と呼ばれる立場になった今となってはそうなるようにしていかなければならないのだが。
カーテンを閉めきった自警団の団長室で俺は一人、書類を見つめながら思う。
今まさに俺の手にある書類なんてのがまさにそうだ。内容とすれば似たようなものだが結末は全く違う。
一つは語るも悲しい身分差の恋、とでも言えば良いだろうか。
とある貴族の娘が平民である街のパン屋を営む青年と恋に落ちた、どうやって出会っただの細かいところまでは知らないが周りの評判からすれば実に微笑ましい恋人同士、だったらしい。
だがそれを良く思わない人間もいるわけで、その事実を知った貴族の娘の父親は俺達にその仲を引き裂けと言ってきたのだ。
それはそうだろう、貴族の娘がそこいらにいる平民と恋に落ちるなどあってはならないことだ。
色々なところで不幸が起きるのはわかっていた、だから心苦しいが別れた方がいい、それは俺も少なからず思っていた・・・・。
だが・・・・そうだな、結論から言おう。
貴族の娘に恋をした平民の青年は殺された。
殺したのは推測だが娘の父親、自警団は直接手をかけなかったにせよ彼の動きを封じ拘束はしていたらしい。
らしい、としか言えない俺の気持ちを察してほしい。
俺が現場を見た訳じゃない、証言はその場にいた自警団員からしか聞いていない。
『破談の話をしたら逆上しナイフを持って襲いかかってきた、そしてもみ合いになっている時に不慮の事故で青年にナイフが刺さってしまった』
報告書にはそう書かれていたが実際はそうなのか実に怪しい。
目の前で愛する人を殺された娘は屋敷に鬱ぎ込み、なにも語ろうとしない。いや語ったところで彼が帰ってくるわけでもないのだ。
その場にいた団員も決して真実を語ることはないだろう。望まれない形で二人の恋は終わった、喜んでいるのは娘の父親だけ。
もう一つの案件はその父親が絡んでくる。
この男、娘が平民と恋をするのを殺してまで止めたというのに
その裏で自分は平民の娘を食い物にしていた。
思い出しただけでも俺の手は書類を破りかねないくらいの力がこもっていた。
夜の街を歩く女性を付け狙い自らの快楽のためだけに強姦する、被害者の中には年端も行かぬ少女もいた・・・・。
そして強姦だけではない、姿を正体を見られたとなると男は容赦なく女性を殺し河に投げ捨てていった。
かろうじて生き延びた女性の証言から俺達自警団は彼を追い詰め問いただした。
・・・・彼は更正することはなく、今でものうのうと暮らしている。もしかしたらまたどこかで女性を襲っているのかもしれない。
「貴族のすることに平民である貴様等が口を出すな」
問い詰めた先にあった答えは反省の色などない畜生の言葉だった。
そして告発するならば自警団への援助を打ち切ると言ってきたのだ。
そう、俺達自警団は貴族の援助によって成り立っている。だから援助を打ち切られると生活できない団員がでてくることになり、それにより団員がいなくなれば街の平和をも守れなくなる。
結局俺はそいつを見逃すしかなかった・・・・。それでも「仕事に私情をはさむな」にというのだろうか?
俺のように思っている人間は何人もいた、そいつらは賢い。さっさと辞めていったんだからな。最後に残ったのは意を唱えない貴族に取り入ろうとしている者と俺みたいに辞めるに辞めれなくなった者、だけだ。
俺はいつ淹れたか覚えていない紅茶のカップを手に取るとおもむろに口につける。
「冷たい、しかも薄い・・・・しかたないか」
ほとんど色の出ていない紅茶を啜りながら思わずため息が漏れる。そうだった、できるだけ貴族の金に頼らないようにしようと何度も同じ茶葉から淹れるという、細やかな抵抗を実践しているところなのを思い出した。
「いや、やっぱりそろそろ紅茶は普通に飲みたいな」
だが流石にここまで薄いとただの水にしか感じない。机の上の紙切れに『十二回目、ほぼ水で
飲む気がしない』と書き足すと新しい紅茶を淹れようと立ち上がる。
部屋の片隅に設置してある茶葉を並べた棚の前まで来ると俺はそこからいくつかの茶葉の瓶を手に取ろうと手を伸ばした、その時だった───
「団長!大変ですっ!!」
部屋の扉が勢い良く開けられ団員の一人がこれまた勢い良く飛び込んできたのだ。
俺は一つ溜め息をつくと茶葉の瓶を元に戻し彼の方を振り向く。
「ポリジ君、いつも言っているが部屋に入る時はノックをしてくれ」
「あ、はいすいません。それでですね団長」
とても反省しているようには見えないポリジはそのまま話を続けようとする。本来なら説教の一つと頭に拳骨といきたいところだがこの焦りようからしてよほどの事件なのだろう。
短く刈り上げた髪に活発的な印象を受けるポリジは最近自警団に入団してきた若手だ。その実力は粗削りではあるが若者特有の積極性と行動力はかなりのものと評価している・・・・が、ただ一つ欠点がある、それは功を焦る傾向にあることだ。
まぁ今の自警団の状況から言えば入団する人がいるだけで助かるのだがいつかなにかをしでかすのではないかと少し不安だ。
「それでポリジ団員、なにがあった?できれば興奮せずに適切な言葉を使い報告してくれるか」
「あっ、はい!報告します!」
ポリジは姿勢を正すと大きく深呼吸して声高らかに言葉を放つ。
「エストラゴン家のハリッサ=エストラゴンが何者かによって刺されたと連絡がありました」
「なんだって?」
思わず聞き返してしまった。ハリッサ=エストラゴンといえばこの辺りでも有数な貴族で自警団にもかなりの援助をしている貴族の一人だ。馬術の腕が素晴らしくしばしば新人の自警団員の指導もしているので俺も何度か直接会ったことがある。
「待て、なにがあった?」
あまりに突然の出来事にさすがの俺も動揺を隠せず思わず大きな声で問いただしてしまっていた。。
「いや、それがまだ詳しいことまでは自分はとりあえず団長に報告してこいって言われたもので」
しどろもどろになりながらも状況を報告するポリジに思わず俺はハッとなって落ち着くために深く息を吐く。俺が動揺してどうするんだ、冷静になって状況を把握しなければ。
「ではポリジ君は詳しい話を知らないのだね、馬の準備は?」
「できてます、現場に行きましょう」
貴族が刺されたとなれば大事だ、そして犯人を捕まえたとなれば・・・・それなりに名誉は得られる。ポリジの急かし方からすればそちらが重要なのだろう。
「わかった、急いで現場に行こう」
だが今はそれを問いただす時間も惜しい。俺は椅子に掛けてあるコートを羽織ると足早に現場へと向かうことにする。
朝の早くからこんな事件とはな、なにか俺の勘が言っている・・・・嫌な予感がすると。



俺達が現場であるエストラゴン家に着いたとき、屋敷は騒然としていた。
メイドや執事の使用人達が一同に介して事の成り行きを見守っている。それはそうだろう、自分の主人が何者かに刺されたのだから。しかしその中のどれくらいがハリッサの事を心配しているのだろうか、ハリッサという男はかなりの豪腕であることは俺も知っているがそれ以上に使用人に厳しい人間だと聞いている。そこから考えるにこの中に犯人がいると考えてもおかしくはない。
「あーすまない、通してくれ」
「すませぇん、自警団です~通してください!」
そんな黒山の人だかりを掻い潜りながら俺とポリジは屋敷の中へ入る。
屋敷の中は先に着いている自警団の団員だけ、言うなれば外にいた使用人達は追い出されていたというわけか。
「状況を報告してくれフェンネル」
俺は近くにいた団員の紅一点、フェンネルに声を掛ける。
彼女は入り口の絨毯の前にしゃがみこみなにやら虫眼鏡で何かを探るように見つめていたが俺の言葉に気がつくと目元で短く切り揃えた前髪をかきあげ一礼をする。
「タンジー隊長、了解しました。状況を報告します、とりあえず現場へ」
「ああ、頼むフェンネル」
踵を返しゆっくりと歩きながらフェンネルは状況を説明していく。フェンネルは自警団でも冷静沈着で状況説明させたら主観なしに一番だろう。何も考えてないのか他に興味がないのか、いまいちよくわからない子だがそちらのほうがこの仕事をやるのには向いているのかもしれないな。
「ハリッサ氏は深夜にこの屋敷の地下室にて背後から何者かに装飾用の剣で背中から刺されたようです。朝になっても部屋に姿を見せないので心配したメイドによって発見されました」
「それでハリッサさんは?」
「意識は戻っていません、ただ医者の話だと命に別状はないようです。そしてこちらが地下室への入り口です」
ピタリとフェンネルは大きな古時計の前で止まる。そして古時計を手で押すとそれは簡単に動き、俺達の前に地下室への階段が現れた。
「すげぇ!やっぱ貴族ともなるとこういう仕掛けなんてのも作ってるんすね」
「遊びじゃないんだぞ、ポリジ」
「わかってますよ団長」
俺が苛めるがポリジは気にしないまま地下室へと降りていく、それにフェンネルが続き、俺が後を追う。
「奇跡的にも急所を外れていたこと、剣がガウンごと傷口を押さえていたので出血が少なくすんだのが命を繋ぎ止めたようです」
「そうか・・・・」
「足跡の状態から犯人は一人との報告があがっています」
「ふむ・・・・・犯人は一人か」
フェンネルの報告に小さく頷きながら階段を降りていく。普通なら死んでいてもおかしくない状況だろう、だがその状況で生き延びるというのはやはり貴族という選ばれた人間だから、なのだろうか?
「団長、どうやらここはヤり部屋のようですね。簡易なベッドと首輪に手錠、ははっ張り型まである」
軽口を叩きながら部屋中を物色しているポリジに後ろ首を掻きながら周りを見渡す。確かにポリジの言う通りここにハリッサは女を連れ込んでいたのは間違いないだろう。
未だ渇ききっていない血の跡、もみ合ったのか床に散らばっている装飾用の剣、ここでなにがあったのか?
「フェンネルちゃん、これ知ってる?」
「知りませんし知りたくもありません」
「これはねぇ、女の子が気持ちよくな・・・・いてっ!?」
張り型を見せてフェンネルをからかうポリジに俺はとりあえず無言の拳骨を叩き込んだ。
「す、すいません団長」
「わかってくれればそれでいい」
そう言い俺はじっと腕を組み考え込む。
俺の頭の中に今あるのはこのハリッサを刺したのが誰なのかということだ。こんな地下室の存在を知る人間・・・・それが外部の人間とは考えにくい。この屋敷にいる人間のどれくらいがこの場所について知っているのかわからないが外にいる人間よりも
内にいる人間、どちらかといえばそちらが怪しい。
そしてあの部屋はポリジの言っていた通りここはヤり部屋で金目なものなんてない、強盗がこの地下部屋に気づき金目のものがあると思い入ってみたらハリッサがいてもみ合いになり殺した?
だとすれば辻褄が合うような気もするが、やはりどこかおかしい。この部屋にハリッサ一人でいることがあるだろうか?女を待っている隙だとすればもっと発見が早くなっていただろう、抱いている最中なら・・・・女はどこへ行った?犯人が連れ去ったとでも言うのか?それとも行為が終わり女が帰った後襲われた?
「いやいや、それでもおかしい、おかしいところがある」
糖分が足りないせいか朝方まで起きていたせいか頭が回らない。・・・・賊かなにかだとしたら武器の一つは持っているだろう、この部屋にあった装飾用の剣なんて使う必要がない。
どちらかと言えば突発的に起こった事件と考えるのが無難か?
背後から刺されていることからも逃げたところを刺されたというよりも何も警戒してなかったところを刺された気がする?
「フェンネルはなにか気になることはあるか?」
頭の中を色々な考えが巡るがどれも憶測の域を出ず、思わず俺は聡明なフェンネルに助けを求めた。
「気になること。屋敷に出入りする人間が多く今現在でも所在がわかっていない者が何人かいます。その中に一人、いえ二人気になる者がいます」
「その二人っていうのは?」
「ヒース=エストラゴン、そしてアニス=フェヌグリークです」
淡々と喋るフェンネルの口から出たその名前に俺は、いや俺でなくても気づいただろう。
「ちょっと待てヒース=エストラゴンってハリッサの一人息子、だったよな?」
「はい、そしてアニス=フェヌグリークはヒース氏の専属メイドです。この二人は元々離れに住んでいることもあって今現在の所在を知る者はいませんでした」
ハリッサに一人息子がいることは俺も把握していた。そして一人息子である彼がまるで邪魔者のように扱われ離れに住んでいる理由も知っている。
こう言ってしまうと元も子もないのだがヒースと言う男には領主としての素質がなかったようだ。
だから彼の存在をなかったものとし、ハリッサはエキナシア家から養子をとってその子を跡取りに指名したと聞いている。
「ヒース氏は普段あまり出歩くことのなく部屋で絵を描いていることが多かったと他のメイドが証言しています。それ故に朝から姿を見せないと言うのはいささか気になります」
「確かにそうだな。そしてなにより彼はエストラゴン家の人間だ、すぐにでも所在を確認しておきたい」
そこまで言って俺はもしかして嫌な予感と言うのはこのことじゃないかと思い始めた。いや、だからといってここで仕事を放棄することはできない。俺は頭を軽く横に振ると指示を出す。
「フェンネルはここでなにか手がかりがないか調べてくれ、ポリジは俺と屋敷の外を捜索する」
「了解ですタンジー団長」
「うっし!行きましょう団長!」
俺はこれがまた私情を挟みそうになる嫌な事件だと薄々感付き、心が苦しくなった。



「ポリジはあちらの街道の方を、俺はこっちの森を探すことにする」
「わっかりました!」
屋敷の外に出て周辺の地図を見ながら打ち合わせをする。まぁ普通に考えれば移動するならポリジの向かう街道だろう、街道は歩きやすいし遠くへ行くことができるだろう。だが逆に言えば人の往来が多く目撃者がいてもおかしくない。
「その二人を見かけたり知っている者がいたらしっかり話を聞いてくれ。あともし本人達を見つけてもとりあえずなにもするな」
「な、なんでですか!?もしかしたら犯人かもしれないのに」
何もするなという指示に見るからに不服そうな顔でポリジが反論する。
「まだ容疑がかかっているだけだからだ。変に刺激はしたくない、見つけたら連絡だけをよこして監視だ。俺か他の奴等が来るまで待て・・・・なにもお前の手柄を横取りするわけじゃないから安心しろ」
「わ、わかりました・・・・」
最後の言葉が効いたのかポリジは渋々頷くと馬に跨がり手綱を握る。
「それではポリジ団員、行ってまいります」
「ああ、頼んだ」
短い言葉を交わして俺も自分の馬に跨がると地図を片手に森の中へと入っていく。
ポリジには悪いが俺が同じ状況で逃げるなら街道側ではなくこの森の中だと思っている。
街道では身を隠す場所もないし街まではそれなりに距離がある。馬や馬車なら早いがそれらがでた様子はない、それは御者に確認済みだ。
ただの散歩、お出掛け気分で街へ行くのならこの街道側で良いだろう・・・・逆になにかから逃げるというのであればこの鬱蒼とした森の中を俺だったら進む。
「シェフィールド、急がなくても良い・・・・安全な道を選んで進んでいけ」
俺は乗っている栗毛の馬の名前を呼ぶと手綱を離し身を預けるにして体を倒す。
森を進むには人間が下手に馬を操るよりも馬自身に走らせた方が良い、馬は馬自身の体の感覚と言うものを知っている。一見人間が操っていれば通れないだろうと思うところを通れたり逆に通れるだろうと思うところが馬側からすれば通れないことなんてよくある。
通れないところを無理に通ろうとすれば馬は傷つき、その恐怖から足を止めてしまう。ならば多少遅くなっても良い、安全な道を選び進むのが得策だ。もともと向こうは徒歩、しかもこの悪路を選んだでいるのならさほど遠くへは行けまい。
「ま、本当にいるのかはわからないがな」
街道側であっさり見つかってくれれば一番良い、更に言えば犯人は別にいてくれた方がなお良し・・・・だがそこまで上手くはいかないだろう。
もしヒース=エストラゴンが犯人だとして何故彼はハリッサを刺したのか?
実の息子だというのに跡取りになれないのを恨んでの犯行か?
それも考えられなくもないがおそらく違うと俺は思う。
全部勘だ、ただ俺の勘は嫌なところだけはよく当たる。
ハリッサとヒース、その二人を繋げるのはヒースの専属メイドであるアニス=フェヌグリーク、彼女だろう。
地下室から出る際にフェンネルに聞いたアニスの特徴、それが俺の中にある最悪のシナリオを想像させる。
『アニス=フェヌグリークは死んだハリッサ氏の妻、マルベリー氏によく似ていると他のメイド達が言っていました』
ヒースとアニスは恋仲でハリッサは死んだマルベリーの姿をアニスに重ねている、そしてあの部屋で起きたことを想像するに───ヒースかアニスがハリッサを刺した。
「そして駆け落ちへ・・・・か」
だとすれば俺はどうするべきなのか、「仕事に私情を挟むな」という言葉が脳裏を過る。
そんなことを考えると目の前の視界が一気に開ける。
「ここは教会か、こんなところにこんな建物があるとはな」
俺は朽ち果てた教会を見上げる。割れたステンドガラスに穴の空いた壁、流石に人は住んでいないだろう。
「・・・・こ・・・・は・・・・で・・・・・・・よ」
中を確認するべきか、悩んでいると少し離れたところから誰かの話し声がした。
「誰かいるのか?」
俺は森に向けて声を声を掛けるが反応はない。なにを喋っていたのかまではわからないが誰かがいるのは間違いない。
「・・・・シェフィールド、ゆっくりで良いから追いかけるんだ」
鬣を撫でながら小さい声で伝えると馬は頷きゆっくりと森へと進んでいく。
シェフィールドは俺が自警団に入ってからずっと俺の相棒として働いてくれている馬だ、下手な人間よりも信頼できる。
(あれは・・・・やはり・・・・・)
森に入ってほどなくして俺は音の正体を確認した。シェフィールドが静かに歩いてくれたおかげでまだ向こうはこちらに気がついていない。
木々の隙間から見える人物は二人、一人は身なりの良い格好をした栗毛髪の青年、もう一人は銀色の長髪をしたメイド。間違いない、フェンネルの言っていたヒース=エストラゴン、アニス=フェヌグリークの特徴と一致する。
「そこの二人、こんなところで何をしている?」
最悪のシナリオが頭を過る中、俺は二人から見えるようにして木々の間から姿を現すと声をかける。
俺はどうするべきか、それを決めるのには二人からとにかく話を聞かなければならない。
(返答はなし、か・・・・)
二人は一度振り返りこちらを見たが何も言わず向き直すと逃げるようにして足を早める。その様子からして二人のどちらかがハリッサを刺したと言うのは間違いない。
二人にはわかっているはずだ俺の制服が自警団の物であると、そしてハリッサを刺した犯人を追っている人間であると言うことも。
「逃げると言うのであれば追わなければならんな。シェフィールド、ここから先は尾行ではなく追跡だ・・・・一気に距離を詰めろ」
手綱を握り指示すると先程まで落ちている枯れ葉一つも避けて歩いていたシェフィールドが一気に地面を蹴りあげ速度をあげる。
「街道側に逃げなかったのは正解だが、相手が悪かったな」
木々を避け、潜り、飛び越え二人に近づいていく。どれも他の団員ならまともにできない芸当だが俺とシェフィールドをもってすればたやすい。
「だが追いかけるのが俺で良かったな、まだ可能性はある」
誰に伝えるわけでもない独り言を呟く。どうせなら飛びっきりの悪者であってくれ、そうすれば俺は遠慮なくあんた達を捕まえることができる。
「俺から逃げれるなんて思わないことだ」
「・・・・・・・・っ!」
あっという間に俺は二人の後ろにつくと聞こえるように大きな声で叫ぶ。
「そこの二人止まれ、あまり手荒なことはしたくない」
止まる様子のない二人に俺は渋々腰につけたクロスボウを向ける。
「あまり人を撃ちたくないんだ、止まってくれるとありがたいんだが・・・・っておい、ちょっと待て・・・・確かその先は!」
目の前に見えた景色に思わず声を荒げる。だがもうそれに、その場所に気がついたときには遅かった。
「止まれ!止まるんだ!!」
そこまで言いかけたところで一気に視界が広がる。
これは俺のミス、なのか?俺が追いかけるから二人は道もはっきりしないまま走り、ここに来たのか。それとも元々ここに来る予定だったのか・・・・それはわからないが結果的に俺はこの二人を崖に追い詰めるような形になってしまっていた。
開けた視界の先に道はない、あるのは冬の厳しさを称える暗い海とそして岩肌のむき出しになった崖。朝だってのに太陽は黒い雲で覆われ吹き抜けていく冷たい風が悲愴感を煽る。
「よしシェフィールド止まれ」
手綱を引き馬を止めると俺は手に持ったクロスボウを崖下へと放り投げる。なにせ目の前には俺の追いかけていた二人が崖の端で警戒するようにこちらを見てるんだ、こんな風にするつもりはなかったんだがこれ以上警戒させるわけにもいかないだろう。
(それにあの程度なら体術だけでも押さえつけることはできるしな)
メイドを守るようにして立っている青年は正直強そうではなかった、足は震え体全体が縮こまっている。例え武器を隠し持っていたとしても組伏すのにそう時間はかからないだろう。
「ああ、俺は自警団団長タンジー=クラリセージという者だ。ヒース=エストラゴン、そしてアニス=フェヌグリークだな?」
俺はそう問いかけるが青年は答えない。いやだがそう身構えられたら肯定しているようなものだ。
「ああ~大事な話なのだがヒース君、俺は君のお父上であるハリッサ=エストラゴンが何者かに刺された件で調査をしている」
馬から降り、一歩踏み出すとそう告げる。
「君達はこんなところでなにをしているんだ?まさかとは思うが君が・・・・」
「私のせいなのです!ヒース様は私を助けるために・・・・」
言葉を返してきたのは彼の後ろにいたアニスだった。銀色の長髪に宝石のように透き通った青い瞳、メイドにしておくにはいささかもったいない気がするほど美しい。
「助けるため・・・・だって?」
そう聞いただけでもやはりこいつらが俺の望むような極悪人ではないようだ。
「私はずっとハリッサに性的行為を強要され続けてきました、それをヒース様は助けてくださっただけなんです」
アニスが叫ぶように言う。吹き抜ける冷たい風が彼女の心情を表しているようだった。
「いや僕にもっと力があればハリッサ・・・・父にあんなことをしなくて済んだかもしれないし、もっと早くアニスを守れたと思う」
ヒースはそう口を開くとなにか迷いを振り払うように首を横に振るとまっすぐとこちらに視線を合わせる。
「タンジーさん、理由はどうであれ父を刺したのは僕で間違いありません。僕はどうなってもいい、でもアニスは・・・・アニスだけは守りたいんです」
どうみても体は恐怖に震えているのがこちらでもわかるのに言葉は震えず、はっきりとした口調でヒースは言う。
「あいにくとそれを決めるのは俺じゃない。貴族のお偉いさん方だ」
揺らぐ気持ちを押さえて辛辣な言葉を返す。そう、ハリッサくらいの地位の人間を刺したとなれば生死に関わらず裁判に他の貴族たちが口出しし死刑になるのは間違いない、そしてアニスにも一因がないとも言えず殺されるか・・・・また身体を弄ばれなぶり殺されるかそんな未来は想像するまでもない。
ハリッサの悪行をいくら訴えたところで踏み潰されるのがわかっているから彼らは逃げた、そして俺はそれを捕まえなくちゃならない。
『仕事に私情を挟むな』
俺の頭の中に過る言葉。わかっている、俺には自警団団長という立場もある。粛々と仕事をこなし二人を捕まえればいい。
俺の目の前にいるヒース=エストラゴンという男は弱い、無力な男だ。だがその瞳は紳士でいて真っ直ぐと前を向いている。
「俺はその彼女を守ってやることはできない、守ることができるのはヒース君、君だけだ」
俺自身、自分のこれからやろうとしていることがどれほど愚か重々わかっているつもりだ。
「最悪な展開ってあるよな。例えば俺が君達を見つけ捕まえようとしたが油断し馬を奪われ逃走された、みたいな」
「な、なにを言っているんですか?」
俺の漏らした言葉にヒースは驚いた様子で声をあげる。そりゃそうだろう本来捕まえるはずの俺がこんな茶番を演じているのだからな。
「頼むぞシェフィールド、そしてさよならだ」
愛馬の鬣を優しく撫でると背中を軽く叩き二人の前に進ませる。シェフィールドなら俺の意図もどうすればいいのかも理解し二人を導いてくれるはずだ。
「ど、どうして助けてくれるんですか?」
「助ける?なにを勘違いしているんだ、俺は犯人を捕り逃すというミスをしただけ。さてと落としたクロスボウを探しにいかないとな、あれ一応備品だし」
アニスの問いかけにとぼけた様子で俺は話をそらすと踵を返す。俺の行為はとても誉められたものではない、だがその時は俺の心は実に晴れやかだった。



・・・・そう、それはほんの数秒という短い時間だけ自己満足でしかなかったのだ。



俺が踵を返し一歩踏み込むか踏み込まないかというその刹那、ヒュンという空気を切り裂く音がする。一瞬で俺はその音がクロスボウから放たれたものであると認識した。
「きゃあああああああああああっ!」
でも何故?誰が?そこまで意識の先が行く前に辺りにこだましたアニスの叫び声にさっきまでの自己満足などどこかに吹き飛ばし振り返る。
・・・・が、その時にはもう遅かった。
「ヒース様っ!!!!」
俺の目に見えたのは肩に矢が刺さり体勢を崩すヒースと彼を庇うようにして身を挺したアニスが崖下へと落ちていくまさにその瞬間だった。
「くっ!!!」
地面を蹴り一気に駆け寄るが二人の姿は既に眼下に広がる海原の中に消えていた。
俺は呆然するしかなかった。なぜこんなことになった?俺が助けたからか?いやそもそも一体誰がヒースを狙撃したんだ?
「団長、大丈夫ですか!?」
背後からした声に振り返るとそこには馬に乗ったポリジ団員がいた。その手にはクロスボウが握られている、それがヒースを狙い撃ったであろうことは想像するまでもなかった。
「ポリジ団員、何故君がここにいる?街道側を探すように言ったはずだが?」
あくまで冷静に問いかける。まさか先程の会話を聞かれていたのだろうか?そうなれば俺は自警団に居られないどころか処罰もされるだろう。
「あっ、いやそれがですね。俺が街道へ出たすぐくらいにフェンネルから連絡があってハリッサさんが意識を取り戻したんですよ。それで団長にも知らせようとしたんですが」
「そうかハリッサさんが・・・・。それでヒース=エストラゴンを射ったのも君か?」
「え、ええ・・・・。咄嗟の判断でしたがハリッサさんから自分を刺したのがヒース=エストラゴンだというのもわかっていて、その状況が状況だったもので」
少し緊張気味に言うポリジに彼は俺のやろうとしたことを把握していないようだった。彼のやったことは最悪の自体を引き起こしてしまったが俺に彼を責めることなどできない。彼は職務をまっとうしただけ、なんだからな。
「そうか・・・・だが二人を助けないと崖下へと行くぞ」
「了解です団長!!」
敬礼し馬を走らせるポリジを見ながら俺は深い溜息をついた。




それからヒース=エストラゴンとアニス=フェヌグリークは海岸際に倒れているところを発見された。
俺がヒースとアニスを助けようとしたこと、アニスはそれを口外にはしなかった。そのおかげで俺は未だこの自警団に団長としていることができている。
しかし今でも俺は自分のやったことが正しいかったのか悩んでいる。いや一生悩み続けるのだろう。
ハリッサ、ヒース、アニス、全員が命を取り留めた・・・・それは良かったことなのだがそのせいでこの三人の運命の歯車はまた大きく変わってしまったのだから。






第三部「死が二人を別つまで」

どうすれば愛する人のことを忘れることができるのだろう?
どうすればこの心が締め付けられるような想いから開放されるのだろう?
ずっと、ずっと私はこの五年間思い続けてきた。
でもどこかで忘れたくもない自分がいる。今一度あの人を愛し、愛されたいと思う自分がいる。
あの日からの五年間、少しづつ消え去っていくあの人の記憶に恐怖を覚える自分がいる。
今の自分はどうすればいいのだろうか?届かぬ天に手を伸ばし誰かが掴み導いてくれるのをずっとずっと待っている状態。

「相変わらず酷い、顔・・・・」
朝起きてすぐに姿鏡を見た私は思わずいつものように言葉を吐いた。鏡に写る私、アニス=フェヌグリークは五年前とは違いメイド服ではなく碧色をした装飾も美しいドレスを身に纏ってはいるものの頬は少しこけ、目は充血し真っ赤に染まっている。
「いえもうフェヌグリーク家の人間ではないですね」
フェヌグリークの名を捨てたこと、それは私の中で大きな決断だった。他に道はなかったと言え家の名を捨てた私を死別した父や母は許してくれるだろうか?

あの日、ヒース様と海に身を投げた私はヒース様に庇われたのもあって傷一つない状態で自警団に救出された。
しかし本来なら貴族であるハリッサを刺したヒース様とその逃亡の手助けをした私はその場で処刑されてもおかしくないのだがそれを止めたのはハリッサ自身だった。
ハリッサは他の貴族や使用人達の反対を押しきって私とヒース様を手厚く保護してくださり、そしてそれから数ヵ月後・・・・
「・・・・・・・・。」
私の中に小さな命が芽生えていたことに気づくとハリッサは私を妻として迎え入れ、そして私はハリッサ=エストラゴンの妻、アニス=エストラゴンとなったのだ。
でも私はハリッサに求婚されたときの自分の選択が正しかったか五年経った今となっても迷っている。
私達を助けた頃からハリッサは人が変わったかのように優しかった、以前のようにヒース様を怒鳴りつけたりはしないし、私を無理矢理犯すこともない。いやそれどころか求婚をされたときから私はハリッサと夜を過ごすということさえなかった。
それはああなってしまったヒース様のことを考えてなのかもしれない。
でも求婚を断ればまた昔のような私を乱暴に犯した頃のハリッサに戻ってしまうのではないのかと、身寄りも行く場所もない私とヒース様を追い出すのではないのかと不安だった。
いや、正直に言えばそれよりも私は「愛してもいない人の妻になる」ということに抵抗があったのだと思う。
「もう五年も経ったのね」
私は小さく息を吐くと立ち上がりかつてのヒース様の部屋を出る。
赤い絨毯の走る廊下には眩しい光が差し込んできている。日はかなり昇っており、もう昼も過ぎた頃だろうか。カーテンを締め切り暗いあの部屋でずっと過去に囚われているから私は駄目なのだろう、たまには外に出なくてはと反省しつつも私はとある場所へと足を進める。
屋敷の離れをから中庭を通り屋敷の裏手へ入ると目の前には小さな小川が広がっている。昔良くヒース様に連れられて来た川原、その小さな石造りの橋に見知った二人がいるのを確認し、私は声をかける。
「やはりここにいたのねセリナ」
「あっ、お母様!」
二人の内の一人、まだ五歳の私の娘セリナがこちらを振り返ると勢いよく栗色の髪を揺らし私に抱きつく。セリナは私とそしてハリッサの間にできた子。好奇心旺盛で人懐っこくよくここに来ていることは知っていた。
「あのねあのねお母様、ヒース君すごいの。お魚いっぱい捕まえるの!」
「そう、凄いのね。ヒースさんもこんにちわ」
セリナの頭を優しく撫でながらもう一人、橋に腰かける男性に声をかける。
「こ、これはアニス様!すいません集中してて」
ヒース、私がそう呼んだ彼は慌てた様子で持っていた釣り竿を放り投げると立ち上がって被っているベレー帽を取り一礼する。少し古くなった麻布の服に深緑のベレー帽、それが今の彼ヒース=エストラゴンの姿だった。
「いえ、私のことはお気になさらずに。ただ少し散歩をしていただけですので。」
「そ、そうでしたか」
「いつもセリナの相手をしてくださってありがとうございます」
「い、いえいえ・・・・僕はそんな特になにも、その・・・・なので頭を上げてくださいアニス様!」
頭を下げる私に、ヒースは動揺した様子で声をあげる。彼の今の立場は庭師であり、私は領主の妻で貴族、だからこそ私が頭を下げたことに動揺しているのだろう。
「では私はこの辺で、セリナはどうする?」
「えっとね、私もう少しここにいる」
「そう、それじゃヒースさんセリナのことお願いしますね」
「は、はい!」
私はセリナの頭を軽く撫でるとヒースにそう告げ歩き出す。きっと私がずっとあそこにいればヒースは緊張しきりで迷惑がかかるのは間違いない。本当はもっと近くで、もっと話したいのだけど私は仕方なく少し離れ小さなところまで歩いていくとゆっくりと腰を降ろす。
心地よい風と暖かな日だまりに身を委ね、静かに流れる川の音に耳を傾けながら遠くに見えるセリナとヒースを視界にいれる。
「そういえば小さい頃にもこうして遠くからヒース様を見てたな」
誰に言うわけもなく呟く。あれは私がヒース様の専属メイドになってすぐのことだったと思う。
あの石橋にヒース様と庭師のコンフリーさんがいて楽しそうに話しているのを遠くから見ていた。あの頃のヒース様は母親であるマルベリー様が亡くなられたこととハリッサへの反抗心からか酷く荒れていたのだけどコンフリーさんと話しているときは実に穏やかで明るく、私の目には映っていた。
今もそう、セリナの問いかけに柔和な笑み答えるヒース様はあの頃とは変わらない優しさを秘めている。
・・・・けどあの頃のヒース様とは違う。
ヒース様は私を庇い海に叩きつけられたのが原因で記憶を失った。自警団に救助されたときには既に私のこともハリッサのことも、なにもかも・・・・自分の名前すら覚えていなかったのだ。
そしてそれを知ったハリッサはヒースを様自分の息子ではなく庭師コンフリーの息子であると嘘を教えたのだ。
屋敷の人間にも、勿論私にもヒース=エストラゴンというハリッサの息子は初めからいなかったとするという戒厳令を敷いた。
一瞬酷いことをしているようにも思えたがそれはヒース様を貴族という縛りから解き放つために行われたこと、ハリッサを刺したヒース様がそのまま貴族であるのは難しいからだ。
でもそれは私の想いを一生打ち明けられないことも意味している。
今の私はハリッサの妻であり、娘のセリナもいる・・・・いつまでも引きずっていてはいけないのもわかっている。けれど私の目の先にはヒース様がいて、でも近くにはいれなくて・・・・いっそあのときヒース様が死んでいたらこんな気持ちを抱くことなんてなかった、この心の内を渦巻く靄は諦めと共に忘れれたのに。
ヒースがもしかしたら明日には私のことを思い出してくれるのかもしれない、その小さな希望が小さな棘となって私を苦しめるのだ。
「今に始まったことじゃないのに」
気がつけば私の頬を涙が伝っていた。五年という歳月が経っても涙が枯れることはない、じっとセリナとヒース様の姿を目にいれながらしばらく私は一人涙を流し続けた。



「そろそろ冷えてきたわ、セリナお屋敷に戻りましょう」
日も暮れ少し肌寒い風が吹いてきた頃、私は再びセリナとヒース様がいる石橋へと戻ってきた。
「はぁいお母様。バイバイだよヒース君」
「はいセリナ様、アニス様さようなら」
深々と頭を下げるヒース様に私は軽く会釈だけするとセリナの手を引き踵を返す。そして歩き出そうとしたその時だった。
「そうだ・・・・あ、あの!アニス様!」
「はい、どうかしましたか?」
ヒース様の呼び止めに振り返る。
「ハリッサ様にですね、アニス様のお部屋に花をご用意するように言われまして・・・・アニス様はどういった花がお好きでしたでしょうか?」
ヒース様が言いだしたことは少し私を驚かせた。ハリッサはあまり私とヒース様が会うのを快く思っていないものと思っていたからだ。
「あの、アニス様?」
「ヒースさんの好きな花であれば私はそれで構いません」
「僕のですか、わかりました。少し時間はかかりますがご用意いたします!」
「お願いしますねヒースさん」
「はい、アニス様」
もう一度深く頭を下げるヒース様を一瞥すると向き直しその場を後にする。
ヒース様が用意する花とは一体どうゆうものなのだろう?
「お母様少し嬉しそう~ヒース君にお花貰うの嬉しい?」
「そうね、お花を貰うのはとても嬉しいわ」
そう言いながら自分でも頬が綻んでいるの感じる。思えばメイドだった頃ヒース様に花なんてもらったことなかった気がする。だからこんな形で小さな願いが叶うとは少し意外で嬉しかった。
「それでねそれでねお母様、ヒース君凄いんだよ~何でも知ってるの!」
「ふふ、本当にセリナはヒースさんが好きなのね」
「うん!」
屈託のない笑顔を見せるセリナの手を優しく握り私は思う。
未だにヒース様のことを忘れられず一人涙するくらいに私の心は不安定だ、けれどもこれだけははっきりと言える・・・・セリナを私の娘を悲しませることだけはしたくないと。



「あっ、お父様だぁ!」
日もだいぶ落ち、ゆっくりと暗闇が世界を覆う頃、私たちが屋敷に戻るとちょうど中庭にハリッサの姿が見えた。
「おお、セリナおかえり」
私の握る手を離しセリナはハリッサに飛び付いていく。実に嬉しそうな様子で抱きかかえるハリッサの表情は以前にも増して彫りが深くなり皺が増えたがあの頃とは想像できないほど優しい。
「アニスもおかえり、川原へ行っていたのかね」
「あっ、はい・・・・。貴方はここんなところでどうされたのです?」
ハリッサが中庭にいることなんて珍しいことだ、いつもこの時間は執務室で仕事をしているはずなのだけども一体なにかあったのだろうか?
「ああ、お前達を探していてな」
「私達を?」
そう言うハリッサの様子は少し嬉しそうな様子を見せると抱いていたセリナを大きく高く高く持ちあげる。
「私のもう一人の娘が帰ってきたのでな、久しぶりに皆で食事をと思って待っておったんだ」
「もう一人・・・・ローゼル様ですか!?」
私が驚き声をあげるとハリッサは小さく頷く。ローゼル=エストラゴン、ハリッサがヒース様の代わりの跡取りとしてエキナシア家から養子として迎え入れた人だ。私がヒース様のメイドをしていたころに他国へと留学していったきりずっと戻ってきていなかった。
「お父様、お父様!お父様の娘ってことは私の妹なの!?」
「妹じゃなくて姉だよ、まぁ物凄く歳は離れてるし血は繋がってないがな」
「お姉ちゃん!お姉ちゃんなんだぁ、へへ会うの楽しみ!」
「そうかそうか、お前のことも紹介してやらないとな」
そう言い歩き出すハリッサの後を追いながら私は静かに考える。ローゼルはどう思うのだろう、義弟であるヒース様は庭師になってメイドであった私がハリッサの妻になっているこの屋敷の現状を。
メイドだった頃はヒース様に付きっきりでローゼルはたまに屋敷で見かけたくらいだ。ちゃんと話をしたことで言えば二、三度といったところだろう。
更に言えば私がヒース様のメイドとしてやって来てしばらくしてローゼルは他国へと留学してしまったというのもあって印象は薄いが、その数回の会話から人のなりを言うのも憚られるものだが決して良い印象ではなかった。
「さてついたぞ、セリナはちゃんと挨拶できるかな?」
「できまぁす!」
そんなことを考えている間に私達は屋敷の応接室の前につき、ハリッサは抱き抱えていたセリナを降ろす。
「アニス、お前もそこまで固くならずともよい。今は私の妻なのだからな」
「え、ええ・・・・」
未だどうローゼルと接すれば良いのかわからないままハリッサに背中を押されると私は部屋の中に入る。
真っ赤な絨毯に真っ白なクロスの敷かれた長机、天井にはきらびやかなシャンデリア吊るされたその部屋の一番奥。本来ならば領主であるハリッサが座るべき場所にローゼル=エストラゴンはいた。
「あら遅かったですわね、お父様」
そう言いながら長く伸びたブロンドの髪を優雅にかきあげるローゼルは私がメイドをやっていた頃と同じ真紅のドレスに切れ長の瞳だがその美しさは以前よりもぐっと強くなった印象だ。
「すまないな、妻と娘を迎えに行っていてな」
「妻と娘・・・・」
ハリッサの言葉に反応しローゼルの瞳が私を捉える。
「ふぅん、話には聞いていたけど本当にアニスなのね」
「お久しぶりですローゼル様」
机に膝をつき少し悪戯っぽく子首をかしげるローゼルに私は軽く頭を下げる。形で言えばローゼルも私の娘ということになるがローゼルの方が年上でもあるし正直やりにくい。
「あら随分と物腰が変わったのね。あの頃はもっと氷のように冷たい印象だったのに、ふふ・・・・氷は溶けたのかしら?」
「・・・・・・・。」
ローゼルの言葉を私はじっと聞く。
氷は溶けた・・・・ローゼルの言う通り確かにあの頃の私は必死だった。没落した貴族から専属メイドとなり、生き残るために必死にいろんな事を学んだ気がする。気高く強くいなければとしていたあの頃の私は確かに冷たい氷、誰も寄せ付けない氷の女だったのかもしれない。
「初めましてローゼルお姉様。私、セリナ=エストラゴンとえっと申します」
「セリナ、こちらこそ初めましてよ。おいで、抱いてあげる」
「わぁい!」
最初こそ緊張しながら言葉を発したセリナだったがローゼルが微笑を浮かべながら両手を広げると一転、元気よく彼女の胸に飛び込んでいく。
「さぁお父様もアニスもお座りになって、すぐに食事を用意させますわ」
ローゼルはそう言うとテーブルにあるベルを鳴らす。するとほどなくしてカートを引いたメイド達が部屋へと入ってくる。
「随分と手際が良いんだな」
「当然ですわ、これからは私が領主となるのです。使用人を自分の手足のように動かせなくては」
「ふむ、確かにそうだな」
ローゼルの言葉に静かにハリッサは頷くと椅子に腰かける。それに合わせて私も向かいの席に腰を降ろす。
「ねぇねぇローゼルお姉様が領主になるの?」
「そうよ、私はこのエストラゴン家の領主になるためだけに十数年他国で勉強をしてきたの」
「へぇ~ローゼルお姉様凄いのです」
「そうでもないけどね。さぁ貴女もお母さんのところに戻りなさいな、このままでは食事できないわ」
抱いていたセリナをローゼルは降ろすと頭を撫でる。
「今度一杯お話聞かせてね、ローゼルお姉様!」
セリナは元気よくそう言うとペコリと頭を垂れそそくさと私の席の隣に腰かける。その間にもメイド達が世話しなく動き私達の前に料理が並べられていく。
「すごいすごい、沢山だねお母様」
「そうねセリナ。はい、服が汚れるといけないからナプキンをつけましょう」
次々と並べられていく料理の数々に目を奪われているセリナの胸元につけてやる。
しかし私が目を奪われるほどではないが確かに私達の前に並べられている料理達はかなり豪華なものだ。
「今日は久しぶりの家族団欒、楽しみましょう」
ローゼルは大きく手を広げると高らかに宣言する。私はその様子を端から見ながらなにか云われもない不安を感じていた。
彼女が領主となることで五年続いたこの環境にも少しながら
変化があるということ、脆く儚く嘘と偽りの世界、ただ誰も触れることのなかったから変わらなかったこの環境になにかが起こる。それが不安でたまらなかったのだ。


ローゼルとの食事会は月明かりが窓から差し込み、星が瞬く夜遅くまで続いた。十数年離れ離れでいたハリッサとローゼルは積もりに積もった話をつまみに酒の入ったグラス持ち談笑している。
「それでね、クラスメイトが言うの『そういうのはベッドの中だけにしろ』って」
「はは、そうかそうか」
二人とも実の親子でもないのに本当に仲良さそうに話しているのを見るとどうしてその半分、いや十分の一でもヒース様に向けられなかったのだろうと憤りを感じるも、よもやそれを口に出すこともできず私は二人の話に適度に相槌を打ちながらあまり好きではないワインを口にしていた。
「ねぇねぇお母様、私そろそろ眠いです」
そう言いながら私の袖を引っ張るセリナに呆けていた意識が覚醒する。なんだかんだ言って私もかなりお酒を飲んでいたいみたいだ。
「そうね、そろそろ遅いし戻りましょうか」
眠そうに目を擦るセリナを抱き抱えると私は立ち上がる。
「すいませんあなた、セリナが眠そうなのと私も少し疲れてしまったので先に休ませてもらいますね」
「おおそうか、でも大丈夫かアニス。少しふらついているようだが」
「少しお酒を飲みすぎたみたいです。でもすぐによく・・・・」
そう言いかけた瞬間急に立ち眩みが起き足元がふらつく、一人だったならすぐ立ち直れるほどの軽い目眩だったのだがセリナを抱きかかえていたのもあって私の体は大きく揺らぎ───
「っと、全く危ないわね。貴女お酒飲むの慣れてないでしょう?」
倒れる寸でのところで駆け寄ってきたローゼルに抱き止められていた。
「す、すいませんローゼル様、でも大丈夫ですから」
「どうみても大丈夫じゃありませんね、オレガノついていって」
ローゼルが指示すると部屋の奥で直立不動に立っていたメイドの一人がやってきてそっと私の肩を支える。
「アニス様、大丈夫ですか?少しここで休まれた方が・・・・」
「いえ、部屋に戻ります」
オレガノに支えられながらも私はフラフラとした足取りで歩き出す。なんというか酒に酔って朦朧するなんてみっともない醜態をこれ以上ハリッサやローゼルに晒したくなかった。
「あなた、ローゼル様・・・・それでは失礼します」
か細い声でそう言うと私は逃げるようにしてその場を後にした。


「はぁ・・・・」
小さな明かりだけが灯るへやに戻るとソファに倒れこみ大きく息を吐く。
「お水かなにかお持ちしましょうかアニス様?」
「いえ、だいぶ落ち着いてきたので大丈夫です」
私の代わりにセリナを抱いたオレガノさんにそれだけ言うとゆっくりと体を起こす。だがそれだけでも頭に鈍い痛みが走り喉奥から不快さが込み上げてくる。
「あまり無理をなさらないでくださいアニス様、セリナ様は私が寝かしつけておきますので」
結局オレガノさんの言葉に甘える形で彼女がセリナを寝かしつけてくれるのをただじっと見つめる。
セリナをベッドに運ぶとそっとシーツをかけるオレガノさんは実に手慣れている。
ふと私はその様子にかつての自分の姿を重ねていた。
メイドだった頃の私が今の私を見たらどう思うんだろう?
今の私は目的もなくただただ一日を無為に過ごしているだけ、メイドだった頃は大変なことつらいこともあったがまだ生きている実感があった。
「それではアニス様、私はこれで失礼します。お体にさわりますのでお早めにお休みくださいね」
「ありがとうね、オレガノさん」
私の言葉にオレガノさんは小さく一礼すると静かに部屋を出て行く。
「ふぅ・・・・少しは落ち着いたかしら」
大きく息を吐くと私はソファから立ち上がる。本当ならオレガノさんの言う通り休むべきなのだろうけど私には一つやることがあった。
私がこの部屋、ヒース様の部屋で過ごしているのには少しでもヒース様のことを忘れたくないと言うのもあるがもう一つ、理由があった。
私はゆっくりと月明かりの照らすイーゼルの前に腰かけると掛けられている古い布切れを外す。
そこにあるのは一枚の絵、この部屋から見える川原を描いた風景画。
「いつまで経っても上手くならないわね」
そう呟き、私は筆を取る。それを描いたのは他の誰でもない私自身だ。
私が絵を描きだしたのはほんの些細な出来事があったことから始まる。ハリッサの妻となってしばらくしてから私はヒース様の描いた私の絵を探した。けれども、結局それは何故かこの部屋から見つからなく出てきた画材道具に囲まれ途方に暮れていた私がふと思い付いて筆を取ってみた。
私はそれまで絵なんて描いたことがなかった、ただヒース様がやっていたように筆を走らせれば彼の傍にいれるような気がしたのだ。
「ふふ、下手・・・・下手だけど楽しい」
筆をゆっくりと動かしながら思わず笑みが溢れる。
本当はヒース様のように人物画が描きたかったのだけれどどうにも私には絵の才能と言うものがないのか、全く上手くいかないのだ。
大体のことは人より上手くやれてるつもりだったのだけどまさか絵だけがこんなにも下手だなんて自分でも驚きを隠せない。
だから私がこんな風に絵を描いていることはこの屋敷の中では誰も知らないし、打ち明けることもないだろう。
薄暗い部屋で色もはっきりとわからずに筆にとった絵の具をキャンパスへと塗りたくっていく・・・・こうして私は日が上るくらいまでずっとその行為を続けた。



ローゼル=エストラゴンが帰還してから二週間が経った。私の懸念とは裏腹に屋敷ではなに事も起こることなく穏やかな時間が過ぎている。
変わったことといえば・・・・
「お父様、お父様!今日はなにして遊びましょう?」
「そうだなぁ、セリナはどこで遊びたい?」
私の前でハリッサとセリナが楽しそうに話をしている。変わったこと、それはローゼルが領主となったので今までずっと仕事につきっきりだったハリッサがこうしてセリナの遊び相手ができるようになったということだ。
「んっとねぇ、んっとねぇ~」
ハリッサに抱かれたセリナが楽しそうに声をあげる。本来ならハリッサはローゼルが戻ってきた後も補佐として仕事を手伝うつもりだったらしい。けれどもローゼルの手腕は見事なものでハリッサの出る幕は完全になくなりこうして親子水入らずで過ごせるようになったのだ。
これはちょっとしたローゼルの配慮、なのかもしれない。
「私、お馬さんに乗ってみたいな」
「よしじゃあ、すぐに用意させよう」
ハリッサはセリナが生まれてからもずっと仕事につきっきりだったから・・・・セリナと遊ぶハリッサの様子は実に嬉しそうだ。
「どうだアニス、お前も一緒に?」
「そうですね・・・・とても魅力的なお誘いですけど、でも今からジキタリスさんがお見えになるので」
私はそう言うと手元に握る手紙に目を通す。それは今朝届いたジキタリスさんからの手紙だった。
流暢な文字で短く「久しぶりに顔を見に行くよ」とだけ書かれた手紙、一体どういう風の吹き回しなのか。
彼とはかれこれ数年会っていない。最後に会ったのはセリナが生まれる前、私がハリッサと結婚した頃だっただろうか。
「ねぇねぇお父様、ジキタリスさんって誰ですか?」
「ん、ああ・・・・セリナは会ったことなかったか。なぁに、私の大事な友達の一人さ」
「へぇ~お父様のお友だちなんですかぁ」
「ああ、そうだよ。では留守は任せてもよいかアニス?」
そう言って立ち上がりセリナを抱きかかえるハリッサに私は小さく頷く。
「ええ。それじゃあなた、それにセリナ気を付けて行ってきてくださいね」
「いってきまぁすお母様」
大きく手を振るセリナに私は微笑を浮かべ二人の出発を見送る。私の不甲斐なさとは裏腹にセリナは実に良い子に育ってくれていると思う。それも他のメイド達やハリッサが私をここに迎い入れてくれたからだと思う。この精神状態の私一人ではここまで素直に純情な子には育てられなかっただろう。
「さて、紅茶の用意でもしましょうか」
私は立ち上がると木製のラックから紅茶缶をいくつか取り出すとカートの上に並べていく。次にティーカップと砂糖の入った瓶を取ろうとして私の手はピタリと止まった。
「そうだ・・・・あの人ならもしかして知っているかも」
この部屋、ヒース様の部屋からなくなった私を描いた絵。それをもしかしたらジキタリスが持っているのではないかという考えが浮かんだのだ。
この部屋には今でもヒース様の描いた絵が沢山ある。その中でただ一つ、あの絵だけが無くなっていた。あの絵は特別だ、もしかしたらハリッサが私からヒース様を遠ざけるためにジキタリスの手に渡っているかもしれない。ジキタリスはヒース様の才能を評価していたし、ずっと私の絵を欲しがっていた・・・・だからその可能性がないわけじゃないはずだ。
「・・・・すいませんアニス様、ジキタリス様がお見えになりましたがいかがしましょう?」
部屋の小さく扉が叩かれ奥からメイドの声がする。私は止めた手を動かしティーカップを揃えながら言葉を返す。
「そうですか、それではすぐこちらに通してください」
「わかりました」
扉の向こうからのメイドの声、そして遠ざかっていく足音に私は速やかに紅茶を入れる準備を始めた。





「うん・・・・相変わらず君の淹れる紅茶は美味しいな、香りが何倍にも膨れ上がって体全体を包み込むようだ」
部屋に通されたジキタリスは私の淹れた紅茶を軽く口にするとそう感想を漏らした。
「それはどうもありがとうございます。それで今日はどういった御用件で?」
「ん、まぁなんていうかな軽い挨拶にね」
軽い感じでそう言うジキタリスの姿は以前とさほど変わってはいない、相変わらず焦げ茶のコートに小さな丸眼鏡の出で立ちで私の前に座り紅茶に口をつけている。
「エストラゴン家もローゼルが継いだんだ、なんだかんだで僕は彼女とはあまり面識がないからね。懇意にしておいたほうが今後のためにもいいだろう。君に会いにきたのはそのついでみたいなものさ」
そう言うとジキタリスは視線を窓の外へと移す。
「それで彼の記憶はまだ戻らないのかい?」
ジキタリスの言う『彼』というのがヒース様のことであることはすぐにわかった。私も彼のいるだろう窓の外、裏庭の方を見つめながら答える。
「ええ、ヒース様の記憶は一向に戻る気配はないです」
「そうか・・・・それは残念だな」
淡々と返ってきた言葉に私はあのことを、ヒース様の絵のことを聞くのを少し躊躇った。手元の紅茶に視線を落とし少し考える。
静寂の中、アールグレイの仄かな香りがゆっくりと部屋に漂う。どう聞けばいいか、というより聞いて良いのだろうか?
そんな考えが頭の中をぐるぐると巡っていく。
「なにか、僕に聞きたいことがあるんじゃないのかい?」
「えっ・・・・」
ふとかけられた言葉に紅茶に映る私の顔が波紋となって消える。顔を上げるとジキタリスは小さく嘆息をし軽く微笑んでいた。
「どうして・・・・」
「これでも僕は君の元婚約者だからね・・・・と、いうよりも顔を見ればわかるさ。君は意外と顔に出やすいからね」
顔に出やすい、そんなことを言われたのは初めてだった。それほどまでに自分の弱さが滲み出ているのだろうか。
とはいえここまで見破られているというのなら今更隠し事をしていてもしょうがない、私は決心を決めてジキタリスにこの話をすることにした。
「それなら私ももう、隠さずにお話しします。私は今、ヒース様が描いた私の絵を探しているのです。いつのまにかこの部屋から消えてしまっていて・・・・」
「それは本当かい?っと、聞くまでもないか、モデルである君が言うのだから・・・・しかしそんな物があるとはね」
興味深そうにジキタリスは腕を組み頷く。それはそうだろう、ジキタリスはヒース様の絵のことを評価していたししかもモデルが私なのだから気にならないはずがない。
「もしかしたらジキタリスさん、貴方があの絵の行方を知っていたりはしないでしょうか?」
「ふむ、さすがに僕でもその絵の事は初耳なので残念ながら知らないね、まして興味もないよ」
「興味がない、ヒース様の絵を評価していたのは嘘だったのですか?」
私の批判にジキタリスは「まさか、そんなことない」と言葉を挟むと一気に紅茶を飲み干す。
「彼は天才だよ。それは僕も認めている、でもね絵の描き方を、色を忘れてしまった彼にはもはや興味がないということだね」
ジキタリスはそう言うとティーカップを置くと私の手を掴む。
「僕が今興味があるのは君だけさ」
「や、やめてください!」
掴まれた手を振り払おうとするが彼の方が力が強く、腕ごと引っ張られる。ガタリとテーブルが揺れ、紅茶が溢れる。
真っ白なクロスの上を紅茶が濡らしていくなか私は腕を掴まれたまま前のめりにジキタリスさんを睨み付けていた。
「やめてくださいジキタリスさん、それ以上するのなら人を呼びます」
「ふん、どうして君はいつまでも彼に拘るんだ?もはや彼の記憶が戻ることなんてないだろう、それに・・・・っ!」
私の言葉なんて無視してジキタリスさんは更に腕を引く。
「なんで君は僕の気持ちに答えてくれないんだ、婚約者だったときもそうだった。そしてヒース君が記憶を失ったときもだ、君は僕じゃなくハリッサを選んだ!」
「それは・・・・!」
ハリッサを選んだのは仕方なかった、なんて言葉は口には出せなかった。
「僕と君の間にはこのテーブルみたいな壁がいつもある!」
ジキタリスは私達の間にあるテーブルをもう片方の手で叩くと力一杯にテーブルクロスを握りしめる。
「どうして、どうしたら君は僕のところに来てくれる!?どうしたら・・・・っ!」
その声は悔しさに滲んでいた、いつも飄々としているジキタリスの姿からはその姿は想像できなかった。
「理由、理由をお話しすれば私のことを諦めてくれますか?私は、どうしても貴方の・・・ジキタリスさんの気持ちに答えることはできません」
「理由を聞いたところで諦めるなんて無理さ、それは君だって同じだろう?だからヒース君の絵を探しているのだろ」
そう私もジキタリスと同じ。叶わない恋をずっと追いかけている。
「一度ハリッサさんの手引きで君を抱いたことがあったがあれは間違いだったな。その時は純真無垢なヒース君を嘲笑ってやろうと思っていただけなのにこんなにも君の事が忘れられなくて、心が苦しくなるんだからな」
「ジキタリスさん・・・・」
ジキタリスは私の手を力無く離すと大きく息を吐く。
「少し取り乱したね、すまない。・・・・でも君はわかってるのかい?君がやろうとしていることは自らを破滅に導くかもしれないってことに」
彼のその言葉はずっしりと心の中に響いた。
「君はあの頃とは違う、ただのメイドではない。ハリッサさんの妻でありセリナちゃんの母親だ。君はヒース君の記憶が戻ったら全てを捨てる覚悟はあるのかい?」
「覚悟、そんなものないです」
私は静かに首を横に振る。覚悟、そんなものがあったらここまで心苦しくなんてなっていないだろう。
私を突き動かしているのは行き場のない感情だけ、それがどんなに愚かなことなのかはわかっている。わかってはいるけど止まらないのだ。
「そうか、だったら尚更・・・・」
そうジキタリスが言うと私の頬に手を伸ばそうとしたが不意に鳴った部屋の戸を叩く音にピタリと動きを止める。
「すいませんアニス様、ヒースです。お花をお持ちしたのですが今よろしかったでしょうか」
扉の向こう側から聞こえたのはヒース様の声で私は少し動揺しジキタリスに目配せをするが
「ああ、大丈夫だよヒース君。入ってきたまえ」
彼は私の懸念など全く気にしていないようでそう言葉を返した。
「そ、それでは失礼します」
返ってきた言葉が私でなかったことにヒース様は少し驚いた様子で戸を開けたが入ってくるなり部屋の有り様に慌ててこちらへと駆け寄ってくる。
「なにがあったんです?大丈夫ですかアニス様」
「ええ、別になんともないわ・・・・えっと」
「いやぁ見事に失敗したね、テーブルクロス引き。結構練習したんだけどなぁ」
ものの見事に溢れた紅茶を前にどう言い訳をしようかと口淀んでいるとジキタリスは妙に芝居かかった口調で助け船を出した。
「テーブルクロス引き、ですか?」
少し訝る様子で尋ねるヒース様にジキタリスは笑みを浮かべながらテーブルクロスの端を掴む。
「本当はもっとこう綺麗に決めたかったんだけど、ね!」
そう言うとジキタリスは一気にテーブルクロスを引き抜く。すると私の目の前でものの見事にテーブルの上のティーカップだけが残りクロスが引き抜かれる。
「ま、こんな感じにね。それじゃついでに僕がメイドにこれ引き渡してくるよ」
「あっ、それなら僕が」
クロスをまるめるジキタリスにヒース様がそう告げるがジキタリスはそれを手で制する。
「君にはその花を飾ると言う大事な指名があるだろう、ヒース君」
「・・・・は、はい。あれ、でもなんで僕の名前を」
そんな疑問をヒース様が投げ掛ける前にジキタリスはそそくさと部屋を出ていってしまう。
部屋には私とヒース様だけになり少しの沈黙が場を支配していた。
と、いうよりもヒース様はじっと押し黙り部屋を見渡している。ヒース様がこの部屋にくることなんてあの日から一度もなかっただけに私はその行為に少し動揺を隠せなかった。
「ヒースさん、どうかしましたか?」
「あっ、いやすいません。ちょっとぼうっとしてしまって」
この部屋に入ったことがなにかをヒース様に与えたのだろうか?すぐにでもそのことを聞き出したいと思いつつも私は逸る気持ちを少し抑えヒース様の抱える花に注視する。
「その花、カスミソウですか?」
幾重にも伸びた細い茎に小さな小さな白い花がいくつも咲いているそれがカスミソウであることはすぐにわかった。
「ええ、色々考えたんですけどこれが一番アニス様に似合ってると思いまして」
そう言いつつヒース様は近くにある花瓶にカスミソウをそっと飾り付ける。
「私に似合ってる、ですか?」
「なんていうかこの儚くて、でも美しい感じが・・・・って、何言ってるんだろう僕は」
照れ隠しのように後ろ首を掻きながら言ったその言葉に私の胸の底はぐっと熱くなる。ヒース様が私のことを思ってこの花を用意してくれたと言うのならこれほどまで嬉しい気持ちになるのも無理はなかった。
「ありがとうヒースさん。そうだ、良ければ少しお茶を飲んでいかれませんか?」
「えっ、あっ・・・・僕がここで、ですか?」
私の提案にヒース様は驚き、少し戸惑いを見せる。それはそうだろう、本来なら使用人である彼が私と席を同じにするなんてことがあるわけがないのは私自身よくわかっていることだ。
「いやあの僕なんかがアニス様とお茶をだなんて」
「お願い、お花のお礼がしたいの。少しだけ私に付き合ってください」
もはや提案と言うより懇願だった、深々と頭を下げる私にヒース様は慌てた様子でこちらに駆け寄る。
「わ、わかりました!だからそんな頭を下げないでくださいアニス様」
自分でも卑しいことをしていると思う。こうすればヒース様と少しでも一緒にいられるというのをわかっているのだから。
「そうですか、良かった・・・・。ささ、それじゃこちらに座ってくださいヒースさん」
「は、はい」
嬉しさに逸る気持ちを抑えながらも私はいそいそとヒース様を席に座らせると紅茶を淹れる準備をする。
「ヒースさんはどんな茶葉が好きでしたか?」
「え、茶葉ですか?んっと、あんまりよくわからないのでお任せしていいですか」
「はい、わかりました」
ヒース様の言葉に私はそう答えつつ棚から一つの茶缶に手を伸ばす。ヒース様自身が覚えてなくても私がヒース様の好みは全部把握している。どんな茶葉が好きで砂糖がどれくらい必要か、きっと気に入ってくれるはずだ。
「そういえばアニス様、一つお聞きしてもいいですか?」
丸型のティーポットの中を緋色の茶葉が踊り色をお湯にゆっくりと移していくのをずっと見つめているとふとヒース様から声が掛かる。
「はい、どうかしましたかヒースさん?」
「アニス様の部屋にこの沢山飾ってある絵って、ハリッサ様の亡くなった奥様のマルベリー様の絵ですよね、どなたが描いたんですか?」
「ああ、それは・・・・」
そこまで言葉にしてどう言えばいいのか思わず悩んだ。
この部屋は元々ヒース様の部屋で、この絵を描いたのは他の誰でもないヒース様自身なのだから。
「その絵はですね、私が大切に想っていた人がマルベリー様のことを忘れないように毎日毎日キャンパスに向かって描かれたものなんですよ」
「アニス様のことを?ってことはハリッサ様ですか?」
私はヒース様の答えになにも言わずに首を横に振ると正面に座りティーポットの紅茶をそっとヒース様の前に差し出す。
「え、それじゃ誰が・・・・?」
「さて、誰でしょう?ところでヒースさんはこの絵を見てどんな感想を抱きました?」
「感想ですか・・・・?」
そう言いながらゆっくりと紅茶のカップに口をつけるとヒース様は静かに言葉を吐く。
「ん~なんていうんでしょうか、こんなことを言うとおかしいように思われるかもしれませんがなんだかどこか懐かしい気がするんですよね」
「えっ!?」
驚く私に笑いながらヒース様は言う。
「おかしいですよね、初めて来たところなのに。それになんだかアニス様の淹れてくださった紅茶も初めて飲むのに懐かしい味がします」
淡々とヒース様の口から出る言葉一つ一つに私は胸が締め付けられる。このままここでヒース様の素性を明かしたい、そう思うのだけどその最後の一歩がどうしても踏み出せず
「ヒースさんはコンフリーさんのところに来る前の記憶がないのですよね、だからもしかしたら本当はこういう生活をしていらしたのでは?」
そこまでしか私には言葉にできなかった。
「はは、僕には貴族の生活は性にあいませんよ。土をいじっているほうがあってます」
紅茶を口にしながらそう言うヒース様にそれ以上言葉を返せなかった。自分だけだ、自分だけが過去に取り残されていてもがいている。この蟠りはいつになったら、どうしたら消え去り私は前に進めるのだろう?
「それでこの絵を描いたのはいったいどな・・・・」
「大変ですアニス様!」
ヒース様の言葉をかき消し急に部屋の扉がバンと開かれる。
「どうしたのオレガノさん、そんなに慌てて」
ノックもせずに肩から息をしながら入ってきたメイドのオレガノの様子にただならぬなにかを感じ思わず私は席を立つとオレガノはハッとなって頭を下げる。
「すいませんアニス様ノックもせずに」
「いえ、それはいいの。それでなにがあったのオレガノさん?」
「は、はい。あのハリッサ様が落馬されて大怪我を・・・・すぐにでもお知らせした方がいいと思いまして」
「あの人が落馬・・・・」
突然の出来事に後頭部をなにかで殴られたような衝撃が襲い呆然としてしまっていた。
「それは大変だ、アニス様すぐにハリッサ様のもとへ行きましょう!」
「え、ええ・・・・」
ヒース様の声で我に返ると走り出すヒース様とオレガノの後を慌てて追いかけた。



「あ、お母様ぁ!」
私が中庭に出ると顔を涙でぐしょぐしょにしたセリナが泣きついてきた。
「大丈夫セリナ、怪我はない?」
「うん・・・・でもお父様が」
セリナの頬を伝う涙をハンカチで拭うと視線をあげると中庭の芝生にはヒース様とオレガノに肩を支えれたハリッサの姿が見える。
「あなた、大丈夫ですか!?」
「ああ、なにこれくらい・・・・つぅ、大したことない」
言葉ではそう言っていてもそれはどう見ても強がりにしか私の目には写らなかった。
「私一人であればなんとかなったんだが、セリナを庇って変な落ちかたをしてしまっただけだ。すまないヒース、オレガノそこに座らせてくれ」
「は、はい・・・・」
外傷こそさほどなさそうだったが苦悶に歪むその表情からもそれはすぐにわかる。オレガノさんらに支えられていなければ歩くのも辛そうで、ゆっくりと芝生の上に座ると痛みを抑えるようにハリッサは大きく息を吐いた。
「私も歳かもな、どうやら腰を強く打ったみたいだ」
「お父様、ごめんなさい・・・・。私がお馬さんに乗りたいとかいったからお父様が怪我しちゃ・・・・えっぐ」
「おお、おお泣くなセリナ。これくらい私は平気だよ、それよりセリナに怪我がなくて良かった」
ハリッサはそう言うと目に涙を浮かべるセリナを抱き締める。
「・・・・ですが万が一と言うこともあります。オレガノさん、お医者様をお呼びして」
「ああ、そうだな頼むよ」
「はい、わかりました」
私の言葉にオレガノが頭を下げ医者を呼びに踵を返し走っていく。彼女の姿が見えなくなったのを確認すると私は向き直し気になっていたことをハリッサに投げ掛ける。
「いったい何があったんですか?あなたほどの人が落馬するなんてなにか事故でもない限りありえない」
ハリッサは文武両道で特に馬術は街の自警団に指導官として呼ばれるほどの腕前だ。いくら老いがあるとはいえセリナを抱いていたからとはいえ落馬まですると言うことはよほどのことがない限り考えられなかったからだ。
「はは、アニスは私を買い被りすぎだ。私だって万能ではない、落ちるときは落ちるものだ」
「それはそうですが・・・・」
「さっきも言ったが私はセリナを守るのに必死だっただけだ」
「あら?なんで本当のことを言わないのかしらお父様?」
突然背後からした声に私は振り返るとそこにはハリッサが乗っていただろう馬の鞍を持ったローゼルが姿を見せた。
「ローゼルさん、一体どうゆうことですか?」
私の言葉にローゼルはゆっくりとこちらに近づくと持っている鞍を見せる。
「お父様が落馬したのはこれが原因よ、アニスさん」
「これは・・・・革紐が切れていますね」
ローゼルが見せてくれた鞍はそこから鐙へと伸びる革紐がバッサリと切れているのがわかる。つまりハリッサが落馬したのは鐙が切れたことによるバランスを崩したからということなんだろう
ただ次にローゼルの口から出た言葉は私を驚かせる一言だった。
「これね、革紐の裏側に切れ込みが入っていて力を掛けた瞬間に切れるように細工がしてあったのよ」
「細工ですって!?」
「ほらこれを御覧なさい、自然にはこうは切れないでしょう?」
ローゼルさん言われるがまま渡された革紐を見る。確かに表側は荒く切れているが裏側は綺麗に一直線で切れている、その切り込みは確かに表からは分からないが深く入っており薄皮一枚という状況であったのは間違いなさそうだった。しかしそう考えると誰かが人為的にこういうことをしたということであって・・・・
「誰がいったいこんなことを?そういう顔をしているわねアニスさん、この鞍を用意したのはそこにいるヒースよ」
「えっ!?」
意外な言葉に私はヒース様を見るがヒース様はじっと黙ったまま下を俯いている。一体何故ヒース様がこんなことを、いやそれよりも
「待ってくださいローゼルさん、なんで庭師であるヒースさんが馬装をしているんですか。いつもだったら他の人が・・・・」
「いえアニス様、確かに今日は僕が馬を用意したんです。いつもの人が外出でいなかったもので・・・・ですがそのような切り込みなんて僕は入れてないです!」
ヒース様は必死にそう言うがローゼルはヒース様の前にずかずかと歩み寄るとぐっと顔を近づける。
「じゃあ他に誰がこんなことをできるっていうのよ!」
「いや本当に僕は知らないんです!」
「知らないじゃすまないわよ、だいたい貴方がやったのではないとしてもしっかりと道具の管理をしていなかったからこうなったのでしょう!?」
「それは・・・・はい、その通りです」
ローゼルの言葉にヒース様は押し黙るしかできなかった。ローゼルはその様子に更に顔を顰める。
「つまりこれは貴方のミス、それがわかったのならそれなりの罰を与えなければならないわ。それに革紐を切ったのは貴方だと私は思っているんだから」
ローゼルが使用人に厳しいのは昔から変わっていない。私がローゼルと出会ったときもそうだった、その時はオレガノさんが助けた子猫に手を引っ掻かれたことで激昂し冷水を浴びせている。あの時から年月が過ぎて戻ってきたローゼルに対して私は少なからず性格が丸くなったと思っていたがそんなことはないのだと理解した。
「ふふ、そうねぇどんな罰がいいかしら。全裸になって馬にでもなってもらおうかしら」
「待ってくださいローゼルさん!証拠もないのにそんな罰だなんて」
結局ローゼルの性格が良くなったと勘違いしてしまったのはただ私が使用人ではなく同じ貴族の位置になったからというだけなのだ。
「あらアニスさんはヒースを庇うの?状況わかってるのかしら、自分の夫を使用人のミスで怪我させられたのよ。もしかしてお父様よりこんな使用人の方が大事なのかしら?」
含みのある言い方。もはやローゼルの口振りは人を貶し傷つけることしか考えていないようだった。
そして私はすぐにわかった、ローゼルは私達のことをよく思っていない。記憶を失って使用人になったヒース様、メイドからハリッサの妻となった私、それに多分ハリッサのことも・・・・。
「ねぇどうなのアニスさん?なんで貴方はこんな仕事をミスする使用人を庇うの?もしかしてなにか深い関係でもあるのかしら?」
「私はただ罰とかそこまでしなくてもいいと思っただけです」
「へぇ~そうなの?私はてっきり裏で色々しているから庇ってるかと思ったわ。だってお父様よりヒース様の方が体は若いですからねぇ」
「な、なにを言い出すんですか!」
グサグサと突き刺さるローゼルの口撃に思わず私は声を荒げて反論する。
おそらく私が未だにヒース様のことを想っていることを見抜いてこうやって揺さぶり弄んでいるのだ。ハリッサやセリナ、そしてヒース様のいる前で。
「ふふっ、そんなに怒らないでよアニスさん、例えばの話よ。そんなに怒るとまるでそれが事実のように聞こえるわよ」
「・・・・っ!失敗は誰にでもあるものです、とにかく私は罰を与えることには反対です」
私の言葉にローゼルは首を横に振る。
「それは駄目よ。アニスさんは知らないのかもしれないけど飼い犬をしつけることも貴族としての仕事の一つなんだから。そうねぇ、どういった罰がいいかしらねぇお父様」
「いい加減にしないかローゼル」
ローゼルの言葉を制したのはハリッサだった。静かにだがはっきりとしたその口調にその場にいる全員が口を止めた。
「確かにローゼルお前の言うとおり、私が落馬したのは鐙に力を入れた際革紐が切れたのが原因だ。だが私は一言も犯人探しをしろとは言っていないぞ」
「じゃあなんですかお父様、ヒースを見逃すというの!?」
ローゼルの言葉には少し怒気が籠っている。だがハリッサはそんなことに意を返さずにあっさりと頷く。
「見逃すもなにも証拠はないのだろう?ただ馬装をしたのがヒースであるのなら、ヒース少し頼まれてくれるか?」
「はい、なんでしょうかハリッサ様」
「部屋に戻るから肩を貸してくれ」
「はい!」
ヒース様はハリッサの言葉にすぐさま動き体を支える。
それを見ているローゼルの顔はみるみるうちに怒り顔になっていきハリッサが完全に立ち上がった頃にはくってかかるようにして二人に詰め寄っていた。
「お父様、腑抜けてしまわれたのですか?以前だったら・・・・」
「ローゼル!!」
言葉を遮ったハリッサの大声にローゼルはビクリと体を止める。その様子を見てハリッサは静かに諭すように言葉を続けた。
「ローゼル、お前はもうこのエストラゴンの領主だ。貴族として使用人や民の見本となるよう振る舞うのだ」
「で、ですが私は・・・・」
もはやかわす言葉はないと言わんばかりにローゼルの言葉を最後まで聞くことなくハリッサはその横を歩いていく。
「私は部屋に戻る、医者がこちらに来たらそう伝えてくれわかったなローゼル」
「・・・・わかりましたお父様」
そう口にしたローゼルの様子は俯き表情こそわからなかったが強く握られた手からは怒りが滲み出しているように見えた。
私は一瞬声をかけようか迷ったが結局なにを言えばいいのかわからずそっとその場に受け取っていた鞍を置くとハリッサとヒース様に駆け寄る。
「あなた、私も肩を貸しますわ」
「ああ、ありがとうアニス」
ヒース様の反対側に回り込みそっとハリッサの腕を首で支える。
首にかかるどっしりとした重さに一瞬ふらつきそうになるもゆっくりと足並みを揃え屋敷の中へ入る。
屋敷の窓から差し込む夕日が連なる影を作り出しまるでそれは楽しそうな家族のように私の目には映っている。
不思議な感覚だった。メイドだった頃はこんな風に私やヒース様がハリッサと肩を組むことなんて想像もできなかった。本当の姿であった頃にはなかった光景がここにあることに少しだけ私は嬉しく思う。
「さぁ着きましたよ、あなた」
「お父様、私が扉開けるね」
セリナがそう言って私達の前に出ると部屋の取っ手を背伸びして掴む。
「よいしょ、よいしょ・・・・」
「大丈夫セリナちゃん?無理しちゃダメだよ」
「平気平気、大丈夫っととと」
セリナはつま先立ちになりふらつきながらもヒース様の声に応え扉を開ける。
「はい、お父様!お部屋開けましたよ」
「ありがとうセリナ、お前は優しいな」
「えへへ、そりゃお父様とお母様の子供だからね!」
「そうか、そうだな・・・・セリナ、お前は自慢のむす・・・・ぐっ!!」
言葉の途中でハリッサの表情が苦悶に歪むと口元からつぅっと血が伝わる。
「ハリッサ様!?」
「あなた!?」
それを見た私とヒース様の声が重なったその刹那、びちゃりと嫌な音がした。
真紅のカーペットの上に広がったドロリとした真っ赤な血、ソレを目の前にして私の視界はぐにゃりと歪む。
「っぅ・・・・くっ!」
次の瞬間突然全身から力が抜け、まるで糸の切れた人形のように私の体はその場に倒れこむ。
「アニス様!?」
「お母様!」
「・・・・っ、ぐぅ、アニスっ」
ヒース様、セリナ、ハリッサの声がすぐ近くにいるはずなのに物凄く遠くの方で聞こえる。私はなにをしているんだろう、自分の夫が血を吐いたというのにそれを見て倒れてしまうなんて。
私はなんとか体を起こそうと全身に力をいれるが全身は鉛のように重くびくともしない。それどころか意思とは関係なく目蓋が落ち意識が落ちる。
「ひ・・・・ぃすさ、ま」
微かな抵抗と共にあげた声、瞳に映ったヒース様の心配そうな顔を最後に私の意識の糸は完全に切れた。




私、アニス=エストラゴン・・・・いえアニス=フェヌグリークは貴族だった頃の記憶ははっきり覚えていない。
記憶喪失とかではなく、ただ日々なにも考えず無意味に過ごしていたからだろう。あの頃の私はすただ立派な貴族になるために様々な勉強をしているだけで何一つ楽しいことなんてなかった気がする。
没落してエストラゴン家のメイドとして働き始めてからは辛いことや苦しいこと沢山あったけれど・・・・それでもヒース様と一緒に過ごした日々だけは楽しかった。
真っ直ぐとした視線でキャンパスを見つめ筆を走らせているのをじっと見ているだけで私は、私は楽しかった。
「私どうしちゃったんだろう?」
そんな思いに打ちひしがれると、ふと気が付く。
私は真っ暗な闇の中にいた。何も見えない、そもそも自分の体がどうなっているのかもわからなかった。
「そうだ、私血を見て・・・・」
ハリッサの吐いた血を見た瞬間、気分が悪くなって倒れた。そこまで思い出せた時私の前にゆっくりと誰かが近づいてくるのがわかった。
「誰・・・・?」
薄ぼんやりとした人影に声をかけるとその人物はピタリと足を止める。
「アニス、ごめんね」
そう聞き覚えのある声とともに姿を表したのは私がメイドとして仕えていた頃のヒース様だった。
「ヒース、様?」
思わず零れた私の言葉にヒース様は小さく頷くとあの頃と同じように微笑みかける。
「久しぶりだねアニス」
そう優しく私の髪を撫でるヒース様の姿に私は今この状況が夢でも幻でもどうでもよくなった。ただ目の前にヒース様がいる、それだけでなにか救われた気がしたのだ。
「ヒース様、ずっとお会いしたかったです」
「全くなにを言ってるんだよアニス。アニスは僕の専属メイドだろ?僕はアニスがいてくれないとさ自分の食事も用意できない駄目なやつなんだから」
あの頃のままのヒース様がそう笑いかける。その様子に胸の奥底から気持ちが込み上げ頬を涙が伝う。
「なぁに泣いてるのさ、アニスらしくないぞ」
「構いません・・・・らしくなくても構いません、今はただヒース様がここに居てくれるだけで嬉しくて」
溢れる感情のままに言葉を紡ぐ私の様子にヒース様は小さく
頷く。
「ありがとうアニス。アニスが僕のことをこんなにも想ってくれているのはとても嬉しい、そして僕も君のことを今でもずっと想っているよ・・・・だけどね」
一呼吸、間を開けたヒース様は私の頬を伝う涙をそっと指で拭うとじっと私の目を見て言う。
「アニス、君は僕のことを忘れて君自身の幸せを見つけるんだ」
「えっ、ヒース様・・・・?」
思いがけない言葉に私は聞き返すもヒース様はただ首を横に振るだけ、しだいに黒い霧がかかったようにしてヒース様の顔が見えなくなる。
「僕はもう君が苦しむ姿を見ていたくないんだ」
「そんな、待ってください!そんなこと急に言われても私は・・・・!」
忘れろって言われたってもう私の体にはヒース様の爪痕が残っているのだ、ましてヒース様も私のことを思ってくれていると言うのに・・・・!
「待ってヒース様!!!」
私は叫ぶ、その瞬間暗闇からパッと視界が開け光が目のなかに飛び込んでくる。
天井に向かって伸ばされた手はなにもない空間を掴んでいた。
夢、やっぱり夢だったんださっきのは・・・・でもヒース様に触れられた肌の感触は夢でないかのように感じるほど現実的だった。
「お目覚めですかアニス様、良かったぁ」
その言葉のするほうへ顔を向けるとそこにはさっきまで見ていたあの頃の格好ではなく庭師の格好をした彼がいた。
心配そうな様子でこちらを見ていたヒース様は私の様子に安堵のため息をつく。
「ヒースさん・・・・あの、私は・・・・」
「アニス様はハリッサ様の血を見て倒れられたんです、覚えてらっしゃいますか?」
ヒース様の言葉に私は小さく頷き体を起こすと変な時間に起きたときのような鈍い頭痛がし、思わず額を手で抑える。
「あまり無理をなさらないでください、お水でも飲まれますか?」
「そうですね、お願いします」
「わかりました。少しお待ちくださいね」
そう言うとヒース様はベッドの横にある水差しからコップへと水を注いでくれる。でも今聞きたいことはそんなことじゃない、あのさっき見た夢・・・・ヒース様の言葉、それの真意が聞きたかった。
わかってる、夢の話だしなにより今のヒース様にそんなことを聞けるわけがないということは。
「はいどうぞアニス様」
「ありがとう・・・・」
水の入ったコップを受け取り口につける。喉を通る水の冷たさに体にこもった熱がすっとときほどかれるのを感じる。
「そうだヒースさん!ハリッサは!?」
「ハリッサ様ならお医者様が来て今はお部屋でお休みになられてますよ」
「そうですか、私行かないと・・・・」
ハリッサが血を吐いたというのはただ事ではない、妻として支えなければとベッドから降りる。
「アニス様、あまり無茶をされては・・・・」
「これくらい平気です。それよりもハリッサの容態が気になるのです。ヒースさんありがとうございます、もう遅いですしあなたも休んで」
「は、はい・・・・わかりました」
少し煮えきらない様子で答えたヒース様に少し違和感を覚えたが私は気にせず部屋を出る。

外はもう完全に夜といった状況で私が倒れてからかなりの時間が経っているようだった。
月明かりの差し込む廊下を私はハリッサのいる屋敷の方へ少し小走りに歩いていく。
「ヒース様、もしかして聞いたのかな」
中庭から屋敷に入りながらふとそんなことを思う。部屋を出る際のヒース様の様子はそのときはさほど気にならなかったが今になってみると少し変だった。
私の心の中では今でも庭師の彼は“ヒース様”だ、あの夢を見ていたときに思わずその名を口走りそれを聞いていたのかもしれない。
・・・・でもそれだけであんな表情をするだろうか、あの感じは驚きや戸惑いというよりもなにか悲しそうで辛そうに見えたからなにかひっかかったのだけど
「今は考えてもしょうがないか」
ハリッサの部屋の前で呟くと小さく息を吐く。きっと私が見ていた夢の延長みたいなもので、そうヒース様が映っていただけだろう。
「失礼します」
軽くノックをしてからそっとオーク材の扉を開け部屋に入るとベッドに横になっていたハリッサが心配そうに声をかけてくる。
「おおアニス、体の方は大丈夫か」
「私は大丈夫です・・・・それよりあなたは?」
「うむ、大した事ではないのだが皆が大騒ぎするのでな。そちらの方が大変だったよ、先程までセリナもわんわん泣いてようやく泣きつかれて眠ったところだ」
隣のベッドで寝息を立てているセリナを見ながら少し所労した感じで笑うハリッサに私は一先ず安心しベッドの隣にある椅子に腰掛ける。
「ですが血を吐くなんて只事ではないですよ」
「なに今に始まったことではないのだよ、少し前からな体の調子が悪いんだ」
「・・・・そうだったんですか?」
ハリッサの体調が悪いなんて話は初耳だった。他の使用人もローゼルもそんなことを一言も口にしていなかった・・・・いや妻として私が一番に気づくべきことだったはずだ。
「そんなに暗い顔をするなアニス、このことはお前も含め他の誰にも言っていなかったことだ」
「すいません、私なにも気がついてなくて」
私は自らの愚かさを悔いるように頭を下げる。特に最近はヒース様のことばかり考えていて全くもって駄目な妻になっていたのは間違いないのだから。
「気にするな、お前がこうして心配してくれているだけでも私は嬉しいよ」
ハリッサの皺に覆われた手が私の頬を撫でる。でもその優しさはとても心苦しいものになり胸を締め付けられるような想いだった。
「叱って頂いて結構です、私は妻として失格です」
「生憎とお前を叱る理由などないよ」
「ですが・・・・」
叱ってくれた方がいくらか心が苦しくならなかっただろう。なにせ私は自分の夫が苦しんでいる間ずっと夫ではない“ヒース様”のことばかり考えていたのだから。
「アニス、お前がヒースのことを今も想っていることは知っている」
「えっ・・・・」
突然の言葉にハッとなって顔を上げる。ハリッサの表情はいつになく穏やかで優しかった。
「責めたりなどしないさ、それだけお前がヒースのことを想っているということだ。だからもし私になにかあったらその時は・・・・」
「や、やめてください!そう言う縁起でもないこと言うのは!」
言葉を遮り口早にそう言うとハリッサは軽く笑いながら私の頭を撫でる。
「そうだな・・・・じゃあこの話は無しだ」
「そうですよ、早く体調を戻して元気な姿を見せてください・・・・」
それは心からの言葉・・・・だがこのときはまだ私は知らなかった。ハリッサの体を蝕んでいた物の正体と、その裏に潜む人について・・・・。




それから一週間が過ぎた。
私はできうる限りハリッサの側に付き添い看病を続けた。
だが一時はすぐに良くなると思われたハリッサの容態は日に日に悪くなり頬は痩け肌は浅黒く変色し目も虚ろで見るからに衰弱していた。
私はできうる限りの手を尽くし様々な分野に精通している医者を呼び寄せたがどの医者も病気の原因を突き止めることはできなかった。
「ヒース君からお花貰ってきたの。これ見て早く良くなってねお父様」
「おお、ありがとうなセリナ」
セリナの持ってきた小さな小さな花を震える手で受けとるハリッサ。
まだ小さなセリナにはわかないのだろうがハリッサの様子はこのままではもう幾日も持たない、そんな状況だ。
どうすればいい?どうしたらハリッサを助けることができる?その焦燥感に私は気が気ではなかった。
「セリナが持ってきてくれる花を見ると元気になるな」
「ほんと?それじゃもっと一杯積んでくるね、ねぇお母様も行こ」
「え、そうね・・・・でも」
私の袖を引っ張るセリナにどうしようか迷ったがふと見たハリッサの穏やかな表情に私は小さく頷き返す。
「わかったわセリナ、行きましょうか。ではあなた・・・・」
「ああ、この頃お前も私の看病で付きっきりだったからなゆっくりしてくるといい」
「はい・・・・それじゃいこうかセリナ」
「うん!」
小さなセリナの手を握りハリッサに小さく頭を下げると私達はそっと部屋を出た。
「んとね、んとね~どんな花がいいかなぁお母様」
「セリナが摘んでくる花ならなんでも喜ぶと思うわよ」
「うん!そうだね~」
そんな会話をしながらしばらく廊下を歩いて行くと奥の方からローゼルの姿が見え思わず私は足を止めた。
いつもの真っ赤なドレスの上から真っ白なガウンを羽織り、金色の長い髪を揺らすローゼルは姿こそ変わらぬがなにかいつもとは様子が違った。
なにが違うか、それを言葉にするのは難しかったがかつてのハリッサのような力強さといえばいいのか威圧感のようなものを感じていた。
「あらアニスにセリナじゃない、二人揃ってお出掛けかしら?」
「うん!お父様のためにお花を摘みにいくの!」
「へぇ・・・・それはそれは、お父様も喜ばれると思うわ」
そう言うローゼルの顔はいつになく嬉しそうに見えた。この状況でそんな顔ができるローゼルに私は不信感しか抱かない。
「そうだアニス、少し話があるんだけどいいかしら?」
「私に・・・・ですか?構いませんけど」
だからローゼルから話があると聞いたときなにか嫌な予感がし私はセリナと繋いでいた手を離す。
「セリナごめんなさい先に行っててもらえる?」
「はぁい、それじゃローゼルちゃんまたね・・・・」
手を振りながら走りだし姿が遠くなるセリナの姿を確認すると私は小さく息を吐きローゼルに向きなおす。
「それでお話とはなんですかローゼルさん」
少し緊張しながらそう告げるとローゼルは口元を抑え悪戯っぽく笑う。
「なぁに?そんな固くならないでよ。私が話したいのはお礼と感謝の言葉よ」
お礼?感謝?一体なにを言っているのだろう?突然出てきた言葉に動揺しているとローゼルの手がそっと私の頬に触れる。
「私はね、貴女にとても感謝しているのよ」
ローゼルの細い指がゆっくりと私の頬を撫でていく。触れるか触れないかのその感触はまるで厭らしい愛撫のようで背筋に寒気が走った。
「アニス、貴女が来る前までハリッサの相手は誰がしていたと思う?」
なんの意図があるのかよくわからない質問に私は困惑した。
「それはマルベリー様ではないのですか?」
ハリッサとマルベリー様は夫婦なんだからそれが自然だ、さも当たり前なことを聞かないで欲しいという嫌悪感と共に私は答える。
「そう一人はマルベリー。夫婦だから当然よね、でももう一人いるの・・・・それは私よ」
「えっ・・・・」
ローゼルの答えに思わず息が止まりそうだった。てっきり私がハリッサに抱かれたのは私がマルベリー様に似ているから、そしてメイドと言う弱い立場だったからだからだと思っていた。
「本当死にたくなる毎日だったわ。あんな汚いおっさんのモノを無理矢理くわえさせられて・・・・。何度も思った、私はエストラゴン家に跡取りとして養子に出されたのじゃないの?ってね」
表情も変えず淡々とローゼルは告げるがあまりのことにどう言えばいいのかわからなかった。
「だから私は感謝しているの。アニス、貴女がこの屋敷に来てお父様の相手をするようになったから私は解放された」
そっと私の頬から手を離しニッコリと微笑む。その微笑みが私には身の毛がよだつほど冷たく恐ろしく感じる。
「今まで大切にしていた玩具も新しい玩具を買ってもらった途端に見向きもしなくなる子供ように私はお父様・・・・いえ、あいつから解放された。あいつにとっては私はただの性欲の捌け口だったのかもしれないけど私の身体も心も歪んでしまった」
「歪んだ・・・・」
怒りこもったローゼルの言葉はそのまま私がなっていたとしてもおかしくなかったことだ。あの頃のハリッサは確かに常軌を逸していた、乱暴で野獣のように突きつけられる爪痕にいつか私は喰い殺されるんじゃないかという恐怖すら覚えたほどだ。
「私はあいつのせいで人を愛せなくなった。他国へ留学していた頃にね、好きになった人がいたの」
ローゼルは窓の外を見つめながら懐かしむように続ける。
「大したやつじゃないのよ、どっちかといえば落ちこぼれね。名家の集まりみたいなところで三流の家の出で別段勉学に優れているわけでも、武術に優れているわけでもない。その辺に転がっている石ころのような奴」
「ローゼルさん・・・・」
「でも、なんでかよくわからないけど気がついたら惹かれてた。気がつけば教室で目は彼を追ってたし、少し話せただけでその日がどれほど楽しかった」
気がつけばローゼルの頬を一筋の涙が伝っていた。そしてそれがどういうことを意味しているのか、私は察してしまった。
「想いが伝わった時はそれは今まで生きてきて一番嬉しい出来事だったわ・・・・でもね、彼と一線を越えようとした時にいつもすり替わるのよ・・・・彼の顔があいつの残忍な顔に、それでいつも私は彼を拒絶してしまう。笑っちゃうでしょ、どんなに好きな人でも私には人を愛することなんて無理なのよ」
笑えるわけなかった。私だってヒース様が助けてくれなければ、ヒース様が私を受け入れてくれなかったらいつかローゼルと同じようなことになってもおかしくなかったのだから。
「まるで呪いよね、だから私は決めたの・・・・呪いは断ち切らなきゃ、ってね」
そう言うローゼルはまるで壊れた人形のように体はそのまま首だけを傾げながらこちらを見る。
「あいつの前で良い子を演じているのも飽きたし、いいこと教えてあげる。私、今ね病弱なハリッサのために薬を飲ませて差し上げてるの。早く早く地獄に行けるような薬をね」
その言葉を聞いた途端、私の中でなにかが切れ廊下に乾いた音が響いた。気がつけば私はローゼルの頬を平手打ちしていた。じんわりと痛む手の平にようやく自分がどれほど力を入れて叩いたかわかるほど無意識の反応。
「ローゼルさん、なんて酷いことを!!!」
「はは・・・・痛ったいわね。酷い?あいつが私、いえ私達にやってきたことのほうがよっぽど酷いんじゃなくて?私はね、同じ境遇の貴女なら賛同してくれると思ったから教えてあげたのに」
確かに私とローゼルは同じ境遇だ、理解できないわけではない。
けどだからとって彼女のやったことを許せるわけがない。
「ローゼルさん、確かに私は先程の話を聞いて貴女に同情した自分がいます。もしかしたら私が貴女のようになっていたかもしれません」
「そうでしょう?貴女が本当に愛しているのはあいつじゃない、なのに貴女はあいつの妻を演じている・・・・!」
その通り、私が本当に愛しているのはヒース様でハリッサの妻を演じている。
「だけど!どんな理由があったとしても貴女のやったことは間違っている!!私は貴女のやったことを否定します!」
私の言葉にローゼルは俯いたまま何も答えなかった。今更彼女のやったことを責めたとしてもどうしようもない、私は踵を返すとハリッサの部屋へと走り出す。
「無駄よ!今更なにをしたところであいつは死ぬのよ!!!アハハ、アハハハハハハハッ!!!」
悲鳴にも似たローゼルの恨み声が響く。
苦しんで死ね!!!苦しんで死ね!!!
もがいて血を吐いて死体にはウジが群がれ!
悔いろ、地獄で悔いろ、私を苦しめた罪を償え!!
アイツも、アイツの血が流れる奴も全員根絶やしにしてやる!!!
それは彼女の救いを求める歪んだ叫び、だったのかもしれない。



「あなたっ!!」
ハリッサの扉を勢いよく開け私は息を切らしながら叫ぶ。大した距離ではなかったのに私の首筋には冷たい汗が伝わっていた。
ローゼルの怨言はずっと私にまとわりつき、引き込もう取り込もうと今も胸を締め付けている。
「どうしたアニス・・・・なにか忘れ物でもしたか?」
セリナの持ってきた小さな花を虚ろな目で見つめながら言うハリッサに私は駆け寄る。
「あなた、聞いてください。あなたのその病気は・・・・」
「ローゼルの仕業、と言いたいのだろう?それなら当に知っているよ」
「えっ・・・・」
思いがけぬハリッサの言葉に私は唖然としてしまった。
ハリッサはローゼルが毒を盛っていることを知っていて、わざとそれを口にしていたと?
「なんでそんなことを・・・・」
理解なんてできるわけがなかった。知らないならともかく知っていてなお毒を飲むと言うその行為の意味が。
「私はローゼルにそれだけのことをした、ローゼルを歪めたのは私に責任がある。死んでそれがそれが償われるとは思っていないがそれでもローゼルの好きにさせてやりたかったのだよ」
私の方を見ることなく小さな小さな花に語りかけるようにハリッサは続ける。
「あいつが私の元に薬を持ってきたとき、正直嬉しかったよ。ろくに父親らしいこともしてやれなかったと言うのに『お父様、この薬を飲んで早く良くなってくださいね』と心配してくれたのがな・・・・それが毒とわかっていても演技とわかっていても断ることなんてできなかった」
ハリッサはスッと持っている花を私の前に差し出す。それを受けとるとハリッサの目がじっと私を捉えた。それは先ほどまでの虚ろな目ではなく生気の宿ったしっかりとした目で、だ。
「元より全うに死ねるとは思ってないさ、恨みならいくらでも買っている。この地位を築くためにたくさんの人間を犠牲にしてきた。アニス、お前もその一人だ」
「あなた・・・・」
「お前を凌辱し自らの愛の乾きを癒すためだけに利用した。だがあいつが、ヒースがお前を守るために私に剣を突き立てたとき私は初めて気がついたよ、自らの業の深さにな」
ハリッサの独白を私はじっと聞くしかなかった。おそらくもうハリッサは私がどんなに言ったところで考えを変えることはないだろうとわかってしまったからだ。
だからこそ私は彼の言うことを最後まで聞こうと、決めた。
「私は今でもあいつが嫌いだ。力を持たず怯え部屋に閉じこもったあいつがな。だがそんななにもできないあいつがアニス、お前のために動いたことそれが私の目を覚まさせてくれたよ」
そう言うハリッサは実に誇らしく嬉しそうに私の目には映った。
「だからヒースが記憶を失い、お前がセリナを身籠ったときに決めたのだ。せめてセリナが大きくなるまではお前達のことを守ってやらないと・・・・な。あのまま屋敷を出てセリナを産んでひもじい思いをするだけだったろう。あいつはなにもできない男だ、ではなんだお前が娼婦として働くのか?少なくともここにいれば食べるものには困らんだろう」
「だから、私を妻に・・・・」
私の言葉にハリッサは小さく頷く。だからだったのかハリッサが私やヒース様に人が変わったかのように優しかったのは、妻のはずの私に一切手を出さなかったのは。
「これが私にできるノブレッソブリージュだ。本当はもっと早く打ち明けるべきだったのだがな、どうにもお前とセリナと過ごした日々が楽しくてな・・・・今になるまで言えなかった」
そう言うハリッサの手がそっと私の髪を撫でる。初めて触れられたときは恐怖しかなかったその手が今はとても温かく優しく感じる。
「私ももう永くはない、セリナのこと・・・・頼んだぞ」
「やめて・・・・ください、そんなこと言うのはセリナは私と貴方の子なんです、貴方がいないとセリナは・・・・!」
私の言葉にハリッサは小さく首を横に振る。
「ふふ、私はマルベリーが死んだころから種無しなんだからな。セリナは私の子供ではない、お前とヒースの子供だよ」
「セリナが・・・・私とヒース様の子供」
ハリッサの言うとおりなら確かに考えられるのはヒース様との子供になるけども、今ははっきりと実感なんてわかない、いやそんなことよりも
「それでも、だとしてもセリナは貴方の子供です」
実の親かどうかなんて関係ない、セリナにとってハリッサは間違いなく父親なのだ。
「ふふ、そう言われると嫌な気分はしないな・・・・しかしヒースとお前の子供にしては良い子に育ったな・・・・。マルベリーにも教えてやらないとな・・・・随分と待たせて・・・・」
そう笑うハリッサの瞼がゆっくりと下がり、私の髪を撫でていた手がスルリと落ちる。
私は慌てて落ちそうになった手をぎゅっと掴むが徐々に温もり消えていくのがはっきりとわかり私は全てを察してしまった。
「あ、あなた・・・・しっかりして!」
「ヒース、そしてアニス・・・・幸せに、な」

消え入るように呟いた一言・・・・それがハリッサ=エストラゴンの最期の言葉だった。
彼がそれから目覚めることはなく数時間後、医者によって死亡が宣告された。
自然と私の頬を涙が伝う。私を乱暴に犯した相手だと言うのにだ、なんでこんなにも悲しくて辛くて涙が溢れるんだろう?
「あなた!!!あなたっ!!!」
どんなに呼び掛けても、無駄だとわかっても呼び掛ける。
ハリッサは愛に飢えていた、そしてその示し方を知らなかった。故に自らが過去に剥いた牙が未来において自分の喉を貫いてしまった。
ただそれだけならばこんなにも涙を流すこともなかっただろう。ハリッサは私やヒース様、そしてセリナのために動いてくれたこと・・・・自らの深い業を背負い、それをなんとかしようとしていた。
もっと早く私が気づいていれば、もっとハリッサの事を理解していれば、どんなに“if”の世界を求めようともハリッサの死は目の前から消えはしない。
そして無くなってから気がつくのだ、彼もまた自分にとって大切な人であったことに。



翌日、黒き雲が空を覆い、冷たい雨が降りしきる中と私とセリナ・・・・そして従者としてヒース様やオレガノらが集まりハリッサの土葬は行われた。
「主よ、世を去りたるこの霊魂を主の御手に委せ奉る。かれが世にありし間、弱きによりて犯したる罪を、大いなる御あわれみもて赦し給え」
神父の言葉とともに皆が次々と黒塗りの棺の上へと献花を捧げていく。
「セリナ、お父様にお別れを」
「うん・・・・お父様、さようなら」
セリナと共に棺の上へと花を捧げる。そしてその上から盛られていく土に本当にハリッサが死んだことを実感した。
「それじゃお屋敷に戻りましょうセリナ、風邪を引くといけないわ」
「はい、お母様」
雨が強くなる中、私はそう言うとまだ幼いセリナの小さな手をぎゅっと握り屋敷向かって歩きだす。
結局ローゼルはこの場に姿を現さなかった、だからこそ私は悲しんではいられなかった。
もはや歪んでしまったとしか言えない彼女の牙がいつ私やセリナに向かってくるとも限らないからだ。

「・・・・はぁ」
足早に離れに戻るとロッキングチェアに腰を下ろし私は小さく息を吐く。
この屋敷は完全にローゼルの物である以上、このままここで生活していくことは難しいだろう。しかし屋敷の外と行っても小さなセリナを連れて女一人でやっていけるだろうか不安だ。
「お母様、大丈夫?どこか具合悪いの?」
そんなことを思っているといつのまにかセリナが心配そうな様子で水の入ったグラスを私に差し出していた。
「うんん、大丈夫よセリナ・・・・お水ありがとうね」
「お母様までいなくなっちゃったら悲しいよ」
「大丈夫、うん・・・・ちょっと疲れちゃっただけだからちょっと寝たらすぐに元気になるわ。だからセリナ、泣いちゃ駄目」
涙ぐむセリナの頭を撫でながら言い聞かせる。不安はある、不安はあるけどもセリナだけでも守らなければそう私は心に強く思う。
「うん、わかった!私が泣いてたらお父様も悲しいもんね」
「そうよセリナ、良い子にしていればお父様も天国で喜んでいるのだからね」
「はぁい!」
涙を自分で拭いニッコリと微笑むセリナに本当に真っ直ぐ育ってっくれたと思う。私とヒース様の子供・・・・もしかしたらヒース様だったら私の助けになってくれるかもしれない。
でもかつての記憶のないヒース様にいきなりそんなことを言ったとしても信じてもらえないだろう、それじゃどうしたら・・・・?
頭の中を色々な考えが巡っていき、気がつけば私の瞼はゆっくりと落ちる。ハリッサが死んだ日から今日までろくに寝ていなかったから今になってどっと疲れがやってきたのだろう。
「セリナ、それじゃ少し眠るから外に出ちゃ駄目よ」
「うん、わかった!」
その言葉に安心し私は少しの間だけ休むことにした。




懐かしい香りがする。
多分これはベルガモットの香水だろうか、でもどこで、誰がつけていた香水だろう?ハリッサ?ヒース様?それともローゼル?
どれも違う、甘くて優しくて柔らかいその香りは私になにかを伝えようとして漂ってきたのだろうか?
「んっ、んんん・・・・あの香りは」
鼻を擽るその香りに私は目を覚ました。けれどその香りは目を覚ました瞬間にまるで初めからなかったように匂わない。
「でもあの香りは、マルベリー様のつけてた香水に似ている」
私はヒース様の母、マルベリー様に直接会ったことはないけれどメイドだったときにヒース様に聞いたことがあるし直接この目でその香水を見たこともある。
「なんで今香水の匂いが・・・・」
一人呟きながら窓の外を見る。窓から見える空は雲間から太陽の明るい光が覗いていた。
疲れていたからさぞ長いこと眠いっていたのだろうと思ったが時間はそれほど経っていない。
「・・・・セリナ?」
ふと気づくと部屋にセリナの姿がなかった、辺りを見渡すと部屋の扉は中途半端に開いており不自然だ。
「まさか!?セリナ!」
私は慌てて起き上がりセリナの名前を叫ぶが返事はどこからもしない。セリナが自分から私との約束を破るなんてことはないし、部屋を出るときはちゃんと扉を締めるくらいはするはず・・・・。
私の中にどんどんと嫌な予感が広がってくる、もしかしたら先程の香りは私になにかの警鐘を鳴らしているのではないかという気がしてき慌てて部屋を飛び出す。
「セリナ!ねぇかくれんぼでもしているの?でてきて!」
必死に声をあげて叫ぶがセリナの姿は見えない、ただどこかで遊んでいるだけならいいのだけども止まらない動悸に気持ちだけが焦ってしまう。
「あっ・・・・セリナ」
離れを出てすぐの中庭に出るとそこにセリナの姿があった。安堵のため息と共に声をかけようとしたその時セリナの前にスッと人影が現れ思わず私は足を止めた。
「ローゼルさん・・・・」
セリナの前にいたのはあの日以来会ってないローゼルだった、彼女はセリナに近づくと視線を合わせるようにしゃがみこむ。
どうやら私の姿は死角になっていてあちらからは見えないようだった。
「ごめんねセリナ、こんなところに連れてきて」
「うんん、でもお母様にお外に出ちゃ駄目って言われてるから早く戻らないと」
「あらそう?それはきっとセリナをお父様に会わせないようにしているのね、独り占めするつもりなのお父様を」
「えっ、お父様に会えるの?」
驚くセリナにローゼルは微笑むと小さなガラス玉のような丸い飴玉を取り出す。
「これはね、魔法の飴玉でこれを食べるとお父様に会えるのよ。セリナちゃんこれ欲しい?」
「うん!お父様に会いたい!」
死んだ人間に会える飴玉?そんなものあるわけがない、だとすればあの飴玉はハリッサを殺したのと同じ毒・・・・
「待ってセ・・・・」
「いい加減にしなよ、義姉さん!」
飛び出そうとした私の足は突然の声に再び止まる。
そしてローゼルのことを義姉と呼んだ人物は私のちょうど反対側から姿を現す。
「ヒース様・・・・!」
それは間違いなくヒース様だった。そして今、ヒース様は確かにローゼルのことを“義姉さん”と呼んでいた・・・・。
それが意味することは一つしかない・・・・。
「もうそんな馬鹿げたことはやめてくれ」
「ヒース、あんたその口振りからすると記憶が戻ったってわけ?」
ローゼルの言葉にヒース様は答えることなくセリナとの間に割ってはいると強引に飴玉を奪い取る。
「っ!なにするのよ!」
「ハリッサ様・・・・父さんと約束したんだ、セリナちゃんを守るって。なんだったらこれを自警団に調べてもらい義姉さんが父さんやセリナにやろうとしたことを暴いたっていいんだよ」
「っ・・・・!屑の癖に、あいつの血が混じった塵の癖に!!覚えてなさい・・・・必ず後悔させてやるんだから!!」
苦虫を潰したような表情で吐き捨てると踵を返しローゼルは去っていく。
姿が見えなくなるまでそれを見送ったヒース様は安堵のため息をつくとセリナの方を振り返った。
「ごめんねセリナちゃん、ハリッサ様にはもうどうやっても会うことはできないんだ」
「そっかぁ・・・・うん、でも大丈夫だよお母様いるもん!」
「はは、そうだね。それじゃアニス様が心配しているから部屋に戻りましょう」
「はぁい!」
そんな二人の会話を聞きながら私はその場から動けなかった。
ヒース様の記憶が戻っている、その事が嬉しくて膝から崩れ落ちた。
「あれ、お母様!どうしたの・・・・こんなところで座ってお腹痛いの?」
「うんん、そうじゃないの。全くもう外に出ちゃ駄目って言ったのにいけない子なんだから」
近寄るセリナを力一杯抱き締める。そして私は見上げる、ヒース様のその顔を
「お帰りなさいませ、ヒース様」
私の言葉に全てを理解したのか、少し罰の悪そうに後ろ首を掻きながら彼は微笑み返した。
「ただいま、アニス・・・・」



「コン爺凄い!お魚一杯だね!」
「ふぉふぉ、セリナ様を一目見ようと魚がよってきておるんじゃよ」
石橋に座る庭師コンフリーさんの隣ではしゃぐセリナを一瞥し私はヒース様に向き直す。
屋敷の裏にある川原はいつも通り、静かに聞こえる川のせせらぎと青々しい草木が広がっている。
そしてそこを抜ける爽やかな風が私の銀髪をフワリと巻き上げ思わずそれを手で抑える。
「それで、そのヒース様・・・・でいいんですよ、ね」
恐る恐る訊ねる私にヒース様は小さく頷く。
「そう呼ばれるのは久しぶりすぎてなんだか変な感じがするけどね」
「いつ、記憶が戻られたんですか?」
「思い出したのは一年前かな、父さんにアレを見せられてはっきりとしたんだ」
「それってもしかして・・・・」
なんとなくヒース様の言うアレが予想ができた。そんなことを思っているとヒース様は「アニスちょっと来て」と私の手を取ると突然走り出す。
「えっ、あの!ヒース様!」
「はは・・・・こうやって走るのも久しぶりだね」
草葉が舞い上がり頬を撫で景色が流れていく。久しぶり、久しぶりと言うよりこんな風に手を繋いで走ったことなんて屋敷から逃げたあのときしかないじゃないですか。
屋敷を飛び出したあの時は不安で怖くて押し潰されそうだった、けどあの教会でヒース様と再開しこうやって手を引いてくれたとき私の心の中から不安は消えていた。
この人と一緒ならなにも怖くない、そう思ったのは今も変わっていない。
そして今、少し逞しい体つきになった彼が私の手を引いてくれているの見て改めてそう思ったのだ。
「ここは・・・・」
ヒース様が連れられて来たのは普段ヒース様とコンフリーさんが暮らしていた小屋の前だった。
「ずっと、ずっとこれをアニスに見せたかったんだ」
息を切らしながらヒース様が木製の古いゆっくりと戸を開ける。ギィィと軋む音と共に開いた扉の先にあった物が私の目に飛び込んでくる。
「僕が記憶を取り戻せたのはアニスのおかげだよ」
「あっ・・・・」
小屋の真ん中、イーゼルに掛けられた一枚の絵。
その絵には椅子に腰かけ微笑む、長い銀髪をした一人のメイド。それは見たとき言葉には言い表せない感情が涙となって溢れだす。
ヒース様が私を描いた絵、しかもそれは最後に見た下書きではなく色がつき完成された絵だった。
「父さんになんの意図があってこれを見せてくれたのか今となってはわからないけどね」
「なんで、なんでヒース様、記憶が戻ってたのに言ってくれなかったんですか・・・・」
もっと早く会えていれば、そうすればあんなに悲しい想い、辛い想いをしなかったのに。
「うん、ごめん・・・・」
ヒース様は申し訳なさそうにそれだけ言うとそっと私の肩を抱き寄せる。
「僕の記憶が戻ったときはあのときとは違う、もういろんな状況が変わっていたからね。だから僕一人の我が儘で父さんやセリナちゃんの幸せを壊し、悲しませたくなかった」
絵を見つめるヒース様の横顔はどこか悲しそうで儚げに見える。
「正直、諦めようとしてた。僕がこのまま記憶がないただの庭師として生活していればアニスもいつか僕のことを忘れて幸せになってくれる・・・・そう思ってた」
その言葉にヒース様もヒース様で私と同じように苦しみ悩んでいたのだと痛感する。
「けどこの絵の中のアニスをずっとここで描いているとどうしても君の事が忘れられなかったよ。だからこうしてまたアニスと再びこうして逢えたのが凄く嬉しい」
「それは私もです・・・・。ヒース様、ずっと逢いたかった。そして伝えたかった・・・・」
私はヒース様の胸に顔を埋めると子供のように泣きじゃくった。それをヒース様は優しく抱き止めてくれる。

ヒース様には伝えたいことが沢山ある。
セリナが私と貴方の子供であること───驚くだろうか、喜んでもらえるだろうか?
これからのこと───一人では不安だった道のりもきっとヒース様となら乗りこれられる、そんな気がする。
そしてこれはどんなことよりも真っ先に伝えたい言葉、もっとも大事なこと
───私が貴方を愛していることを





ノブレッソブリージュ・エピローグ





「とまぁ、今日はここまで。夜遅いからね」
僕は焚き火の前で分厚い羊革の装飾がされた本を閉じるとそう言い放つ、すると
「えぇ~~~~!!!!」
待ってましたと言わんばかりの不満の声を娘のカレンはあげ頬を膨らませる。
「お父さんの意地悪!いつもいいところで話を切るんだから~!それからその庭師さんとメイドさんはどうなったの!?」
「いやまぁこれ以上言わなくても大体わかるんじゃないの?」
「ぶーわかんない~!いいもんいいもん、セリナお姉ちゃんに聞いてくるもん」
僕の言葉にカレンは口を尖らせそう言うと銀色の髪を揺らしながら奥で食器の片付けをしているセリナの元へと走って行く。
「ねぇねぇお姉ちゃん!」
「なによぉ、もう今食器洗ってるんだから後にしてよ」
服を引っ張られながら嘆息するセリナに更にカレンは続ける。
「お姉ちゃんお父さんの話の続き知ってるんでしょ?教えて!」
「ああ、あれね・・・・知ってる知ってる」
手を止め肩ほどまで伸びた栗毛の髪の毛をセリナはかきあげながらそう言う。
セリナは本当に良い子に育ってくれたと思う。さすがに僕が本当の父親だというのはセリナには受け止めにくい現実だったと思う。なにせ彼女にとって僕はただの庭師なんだから。
けどセリナはその全てを受け入れ僕とアニスのことを理解してくれた。
『父親が二人いるって考えるようにしてる、そっちの方がきっといい気がするし』
屈託の無い表情でそう言ったセリナの顔を僕はずっと忘れないだろう。
そして僕がこうやって自分自身の物語を文章として残そうと思ったのもセリナの助言があったからだ。
「知ってるならお姉ちゃん教えてよ~」
「いやよ、だってカレンちゃん食器の片付けしないんだから」
「ええ~する!するからぁ~」
微笑ましいとはちょっと違うけどそんな二人の娘の様子をこうして眺めれることがほんとうに嬉しい。
なんだろう、カレンは見た目こそ小さなアニスといった感じなのだが誰に似たのかこんな感じだから笑ってしまう。
「まぁ僕に似たんだろうけどね」
クヌギの薪を焚火の中に放り込みながら自らの頬が緩んでいるのを感じた。
僕、ヒース=エストラゴンは貴族であることを捨てた。
今はアニスと二人の娘を連れてあてもない旅を続け、街に着いてはその街の風景やそこに住む人の絵を描きそれを売って細々と暮らしている。
正直言って生活は以前と比べたら比べ物にならないくらい苦しい、絵の収入なんて些細なものだし育ち盛りの娘二人の世話は大変だ。
でも屋敷を出たのは僕がちゃんと自分の足で立ち、自分の手で人生を切り開いていきたいと思ったからだ。
僕は無力だ。屋敷の外に出てみると今まで以上に更にそう思うようになった。でも今ここにいる、アニス・・・・そしてそして二人の娘達だけは守らないといけない、そう思うのだ。
だから貴族であることは捨てた、けど貴族としての誇りだけは持っていく。
『位高ければ 徳高きを要す』、もう貴族ではないけれど僕に果たさなければならないことが山積みだ。
僕たちが出ていった後、屋敷や義姉さんがどうなったか、気にならないわけじゃないが今はこの生活を続けていくのに精一杯で考えることはできない。
「カレンはいつ気がつくんでしょうね、このお話が私たちの話ってことに」
「アニス・・・・」
アニスがそう言いながら紅茶の入ったカップを僕の前に差し出し、僕の隣に座る。
「どうだろうね、結構気がつかないかも」
カップを受け取り口につけながら呟く。代わりにアニスに本を渡すと彼女は一枚一枚ページを捲りながら僕たちの物語を懐かしそうに読んでいる。
「でもよく書けてると思います、ヒースは絵だけじゃなくてお話も書けるんですね。人になにかを伝えられるって素晴らしいことですよ、いっそ教師になるのもいいんじゃないですか?」
「教師ですか?」
思いもしない言葉につい言葉が出た。教師、人になにかを教えるそんなこと僕にできるのだろうか?
「教師はどうかな、ただ僕に教えられることは一つだけあるかもしれない」
「ん、なんですかヒース?」
不思議そうな顔でこちらを見つめるアニス。
夜の静けさの中、火に焚べられたクヌギの枝がパチパチと音を立てている。
焚き火の暖かく明るい光がアニスの白い肌と銀色の髪を橙に染めている。
君と出会えて本当に良かった、君がいなければ今ごろ僕はどうなっていたいたのだろうと不安になるくらいだ。
「それは・・・・・・・・」
────ノブレッソブリージュ、君に教えてもらった僕にとって世界で一番大切な言葉だ。





《 ノブレッソブリージュ 了 》





【 あとがき 】
MC50回おめでとうございます!
ついにMCでメイド物?書いちゃったぜ(吐血
はい、そうゆうわけで記念だってのに初っぱなから暗い話で申し訳ないです。
これ書き出した頃はまだ某ツンデレ武将生まれてませんでした、ええ・・・・生まれてたら間違いなくこんなの書いてなくて劇場版「ツンデレ武将がやってきてラブコメになると思いきや俺が征夷大将軍になっていた」書いてたと思うよ、思うよ。
なんていうか好きな昼ドラ「愛のソレア」の影響をもろに受けてる作品ですね
、これは・・・・困ったねぇ、まんまだもんねぇ
しかも本当は第二部で終わるつもりだったんだけど「流石に心中して終わりで
いいのか?ん?」ということで第三部を書きましたがぶっちゃけて二部で終わりで良かった、第三部は蛇足でする


【 その他私信 】
アニスでございまーす!
お魚くわえたドラ猫追いかけって~裸足で駆けてく・・・・そのような愚策は
取らない陽気なアニスさん
みんなが笑ってる~お陽様も笑ってる~
る~るるるるっるー
今日もいい天気~♪

※間奏中

、買い物しようと町まで出かけたら、財布を忘れて・・・・そのようなミスは
絶対にしない愉快なアニスさん
みんなが嘲笑ってる~子猫も笑ってる~
るーるっるるっるー
今日もいい天気~♪

アニス「エネルギーとエレクトロニクスの東○が、お送り致します」
セリナ「いたしまーす!」(ドンッ)

(中略)

さぁーて来週のアニスさんは~♪

ヒースです、さいきんめっきり暑くなって来ましたね。アニスに冗談で「語尾に『にゃー』とつけろ」と言ってみたら本気にしたみたいでいつ止めたらいい
のかわからなくなってしまいました。

さて次回は

・セリナとカレン以外の名前はハーブと香辛料縛り
・ローゼルはいつのまにかレズ設定が消え、ジギタリスは変態なので出番を削られる
・フェンネルちゃんが一番お気に入り
の三本です。

アニス「あーん。あら・・・・ウフフ。来週もまた見てくださいにゃ~」(んがんぐ)

※この小説の登場人物を歌の元ネタのアニメに置き換えると大変なことになります、やめましょう


【 お題当てクイズ回答 】んー全然わからなかった。一人称が平仮名で「おれ」、クーラーがあるから現代の話であと松尾芭蕉がでるあたりで探したんですけどねー


べ、べつに好きで書いてるわけじゃないんだからね!  氷桜夕雅
http://maid3a.blog.shinobi.jp/

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