Mistery Circle

2017-11

《 放課後☆桃色クラブ 》 - 2012.07.12 Thu

《 放課後☆桃色クラブ 》

 著者:伊闇かなで







 これは世界がまだ僕達の日常生活の範囲内でしかなく、行動する場所さえ自転車を漕いで行ける程度でしかないと、勝手に思い込んでいた頃のおはなし――。

 吹く風が僅かばかり暖かくなって、間もなく関東も桜の開花と学校の終業式を迎えようとする、そんな時期。
 その日、教室の中に岡田ヤスユキの姿は無かった。
 一時限目の国語の授業。ウチのクラスの担任でもある新米教師の早川ユリコ先生が、黒板に短歌を“横書き”で綴りながら、とろけて眠ってしまいそうなぐらいの甘い声で、それを読み上げている。
 背中に届きそうなぐらいの長い黒髪。白いシャツの背中に透けて見える黒いブラ紐。チョークで黒板を叩く度に揺れる、タイトスカートに包まれた美しいヒップ。どれを取っても、「本当にあなた、教師なんですか?」と、思わず大きな声で聞いてしまいそうになる程、健全かつ思春期まっさかりな僕には、エキサイティングな女性この上なかった。
 やっぱ初体験は優しくリードしてくれるだろう、あぁ言う大人な女性がいいよなぁ。なんて、いつも通りな妄想で悶々としていると、クスリとどこかで小さな笑い声。
 ハッとして横を向けば、空席であるヤスユキの机を挟みもう一つ向こう側の席で、友人の沢辺マサル、通称“マサヤン”が、机に頬杖つきながら僕を見てニヤついていた。
(なんだよ? なにが可笑しい!?)
 視線だけでそう言うサインを送ると、マサヤンは指先で自らの鼻の下を指し、のへーんとだらしない表情をして見せた。
(うるせえ! 僕がどんな顔で授業受けてたって別にいいだろ!)
 口をパクパクさせながら抗議すると、マサヤンは身体を曲げるようにして、さも面白そうにクックと笑い始める。
「そこ、ちょっとうるさい!」
 突然、声が割り込む。その方向へと振り返れば、僕の左斜め後ろの席の石垣アンナが怖い顔をして僕達を睨んでいた。
 前髪パッツンのショートヘアー。大きく太い黒縁メガネ。口を開けばヒステリックな小言ばかりの、僕の天敵のような存在。そいつが今にも噛み付かんばかりな表情で僕を見ているのだ。
「そこ、何してるの!?」
 突然、ユリコ先生のキツい声。どうやら僕達の行動が見咎められたらしい。
「せんせーい、国代君と沢辺君がうるさくて、授業になりませーん」
 うわ、来たよ。アンナ得意のチクリ攻撃。つーか、高校二年生にもなって「授業なりませーん」ってどう言う主張だよ。いつもいつも小学生レベルなチクリくれてんじゃねーよ。
 心の中でツッコむと、すかさずユリコ先生が、「あなた達、二人で何やってたの?」と、指を差す。
「先生、カンニンカンニン。向こうで国代がめっちゃオモロイ顔してん、おもしゅうて、おもしゅうて、ついわろうてしまいました」
 マサヤンは悪びれた様子もなく言う。言葉使いがアレなのは、幼い頃から関西を中心に各地を転々としていたせいらしい。その体躯のデカさとワイルドな容姿とは随分違った鷹揚さで、マサヤンは言葉を返した。
「なんでもいいから授業中はおとなしくなさい。次うるさくしたら、デコピン行くわよ、デコピン」
 うわ、されてぇ! ユリコ先生のデコピン、マジ食らいてぇ!
 反射的にそんな事を思っていると、マサヤンはまるで僕の心を読んだかのように、「ほなもう一発騒いどく?」と、先生を親指で差しながら、嫌らしい表情で笑った。
(ふ・ざ・け・ん・な)
 僕がそう口パクで返した時だった。突然ガラリと教室のドアが開いた音がした。
 振り返るとそこにはヤスユキの姿。なんだ、ただの遅刻かと興味を失い、僕はまたユリコ先生の方へと視線を戻す。
 ヤスユキが来てしまった以上、僕へのデコピンは確実におあずけだろう。僕は溜め息を吐く。なにしろヤスユキはこのクラスの“サンドバッグ”的存在なのだ。
 ヤツはとにかく怒られる。どの教科、どの教師も選ばずにとにかく良く怒られる。つまりはまぁ、それだけ落ち着きがなくうるさいと言う事なのだが。
 そしてヤツの言い訳はいつもいつも不真面目でふざけている。きっと今朝の遅刻もそんな感じなのだろう。学校に来る途中で道路を黒猫が横切ったとか、一時間に一本しか来ない単線電車の踏切に引っ掛かったとか、もはや都市伝説と化しているキャンディ・マミマミの絵柄の痛車と遭遇したとか、昔から河童が出ると噂されている小さな川で、妙な恰好の子供を見たとか、結局そんなで遅刻しましたと、そんなネタで精一杯の尾ひれを付けて面白おかしく話し出すに違いない。
 つまりは今回、僕がもらえる筈のユリコ先生のデコピンは、いつも通り自動的にヤスユキのものとなり、僕はまたいつも通りに嫉妬心メラメラとその体罰を大人しく眺めているしかないのだろう。だが――。
「遅れました。ごめんなさい」
 ボソリと言って、ヤスユキは僕の隣の席へと着いた。
 えぇっ、何ごとだ!? 僕は思った。いや、きっとクラス中の誰もがそう思った事だろう。なにしろ熱が四十度近くあっても尚、それをネタに笑いを取りに行くようなヤツなのに、どうして今日に限ってヤスユキはそんな真似をしないのだ?
「ちょっと、どうかしたの、岡田クン」
 ユリコ先生までもが凄く不安そうな顔で聞く。だがヤスユキはぼんやりとした虚ろな目で先生を見、「いえ、何でもないです」と、元気無く呟いただけだった。
「おい、ヤスユキ。お前、なんかあったの?」
 僕がそう聞くと、ヤスユキはぼそりと、「別に」と答える。やはりおかしい。めちゃくちゃ怪しい。
 すると向こうの席のマサヤンが、目を丸くしながら、「――血?」と、小さく呟いた。
 血? 何が? 思った瞬間、ヤスユキのこめかみから一筋、真っ赤な鮮血が滴り落ちた。
「おい、ヤスユキ! お前なんか怪我してないか?」
 僕が叫ぶとヤスユキはようやくのろのろと自分の頭に手をやって、そしてその掌に付いた血痕を見ながら、「うわ」と反応した。
「先生、コイツ怪我しとるで。医務室連れて行かんと」
 マサヤンが立ち上がってそう言うと、ユリコ先生はうろたえながら、「そ、そうね」と返事をする。
 言うが早いかマサヤンは、ヤスユキの腕を取り、半ば無理矢理立ち上がらせる。ひょろひょろと細っこい体躯のヤスユキは、腕もタッパもラージサイズなマサヤンに、軽々と担がれてしまう。
「じゃ、じゃあ委員長も付いて行って。私、岡田クンの家に電話して来るから」
「了解」そう言って僕も立ち上がる。ユリコ先生に言われる、“委員長”という言葉が、ちょっとだけ胸に刺さった。
 マサヤンとヤスユキの後を追いながら、僕は思う。ユリコ先生もせめて僕の事を苗字か何かで呼んでくれたらいいのにと。どうしても僕にとっては、“クラス委員長”なんて、差別的呼称にしか聞こえないのだ。
 ――さて、ここで一応自己紹介。僕の名前は国代リョータ。ここ、市立奥佐原高校二年B組の委員長。
 彼女無し。恋愛経験無し。二年前、入学当時からの一途なユリコ先生ラブであり、多分その恋は永久に実らないであろう現実に目下の所苦しんでいる十七歳である。
 趣味はジャンル問わずな本の乱読。ラジコンの製作と、パソコンのネット遊び。究極のインドア少年だ。
 自分でこう言うのもなんだが、自分はなんて面白味も何もない、平凡で平均的な人間なのだろうといつも思う。かろうじてほんの少しだけ成績はいいが、特筆出来そうな事はそれぐらい。後はなんの特色もない、非常につまらない人間なのである。
 それに対し、僕の友人二人のそのキャラの立ちようったら、もうもうもう。
 まずは一人目。今まさに、頭から血を流してぐったりとしている岡田ヤスユキは、持前の明るさとトークの面白さで、クラスのムードメーカーを担っている。
 やかましい、騒がしい、授業の邪魔と、それだけ言うといい所無しな感じもするが、実際はあまりそうではない。とにかく人を笑わす事が得意で、なおかつその笑いには厭味が無い。その上、誰に対しても同じ目線で話し、どんな内容の話題でも対等に聞く。そんな彼のコミュニティ能力の高さには、本当に感心する事ばかりだ。
 そして友人二人目のマサヤン事、沢辺マサルは、その体躯と運動神経の高さで男女問わずに人気がある。野球をやればデカいのをバンバン打ち返すし、柔道をやれば柔道部員をぶん投げる。水泳やれば、水泳部員を。陸上をやれば、陸上部員を。どの分野においてもオールマイティにぶっちぎりな能力を発揮するのだが、特に凄いのがバスケットボール。授業でのバスケットの試合でダンクを放つヤツなんて、彼以外にいそうにもない。
 で、僕達は大抵いつもこの三人でつるんでいるのだが、彼等二人のカリスマ性に、僕はいつも劣等感を覚えてしまう。自分はなんて面白味がないんだろうと。なんでこうも、彼等二人の引き立て役なんだろうと。
医務室に着く。僕が率先してドアを開ける。そしてそこには、起きてるんだか寝ているんだか良く判別出来ない白衣のおじいちゃん先生がいる。
 名前は、“エト”さん。どう言う字の名前なのかは未だに知らないが、みんながエトさんと呼ぶので、僕もそう呼んでいる。
「エトさん、コイツ頭打ったらしくて怪我してるんです。診てやってくれませんか?」
 僕は言う。マサヤンは、エトさんの前にヤスユキを無理矢理座らせる。
 エトさんはヤスユキのこめかみを伝う血痕を見て、「おや鼻血かい?」と聞く。
「いやどう見たって頭からでしょ」
 そうツッコむと、「若いからねぇ」とエトさんはふにゃふにゃ笑いながら、脱脂綿と消毒液を取り出す。いや、その理屈は良くわからない。
「お前、学校来る途中でなんかあったんか?」
 マサヤンが聞くと、「別に……何も」と、ヤスユキは言う。
「なんものうてそんな怪我するかい。正直言ってみぃ、今日は怒らへんから」
 いやいや、僕達は別に怒れる立場じゃないだろう。僕は今度はマサヤンにツッコむ。
「実は今朝……道路を横切る黒猫を見たんだ」
 ボソリとヤスユキは話し出す。おいおい、僕が想像した通りじゃないか。
「自転車で走ってたらさ、目の前を黒猫が横切ってさ。うわぁ、縁起悪いなと思いながらそれを避けてさ」
「そんでスッ転んだんか?」
「いや違う。それはちゃんと避けた」
 それはって――まだなんかあるのか?
「そうしたら次に、俺の横を車が追い越して行ったんだ。ところがその車って言うのが……」
「キャンディ・マミマミの痛車!」
「うわ、当たり」
 ヤスユキは手当てされながら言う。
「じゃあ何か、その痛車に見とれながら……」
「いや、結構危なかったけど、それもクリア」
「なるほど、八傍線の踏切に引っ掛かったって事か」
「正解!」
「当たりかよ」
「国代、お前エスパーか何かか!?」
「ねぇ君、吐き気はしない?」
 途中、エトさんが空気も読まずに質問して来る。
「つう事は、ヤスユキお前、電車にはねられたっちゅう訳か」
「いや、はねられたらこんなじゃ済まないだろ」
「はねられてねぇし。イライラしながら待ってたし」
「ほなこの怪我はなんで付いてん?」
「いや、それがね……」
「あ、わかった!」
 言った途端に、皆からの視線が集まる。エトさんまでもが手を止め僕を見ているのがちょっと恥ずかしかった。
「なんだよ、リョータ」
「言ってみい、国代」
「いや、そんな詰め寄る程のもんじゃあ」思わずちょっとだけ気後れする。
「もしかしたら、河童の小川かなんかかなと思……」
「なんで判んの!?」
 ヤスユキが素っ頓狂な声を上げる。次第にいつもの彼に戻りつつあるようだった。
「マジか? 国代、ホントにエスパーかなんかか?」
「むしろ名探偵とか何かかよ。いや、マジ驚いた。なんで判ったの?」
「そりゃあこれだよ。この頭の傷」
 エトさんが割って入る。おじいちゃん先生は、自慢げにヤスユキの側頭部を指差した。
「これこれ、この傷。見てみなさい、これはまさに河童の爪の傷。彼はこれを見付けて、そう推理したんだよ」
「え、ホンマですか!?」
「えぇ、マジで!?」
 僕まで一緒に驚いた。
「ホラホラ、ここ、ここ。ここに斜めに傷が走ってるだろう。これがまさに河童の傷でな」
「うわ、マジだわこれ。すっげぇ」
「やべぇ、写メ写メ。ツイッターで流さな」
「ちょっと皆さん、俺の頭で盛り上がらないでくれませんか?」
 ヤスユキがめっちゃ不満げな声で抗議していた。
「でもヤスユキ、お前すげぇわ。伝説の河童を見よっただけでも充分やのに、そいつと戦いよったんやろ? なんか俺、凄い通り越してお前に感動やわ」
「誰が河童とタイマン勝負したっつぅんだよ。第一、河童なんか見とらんし」
「えっ、だってさっき河童の小川で……」
「なんも見てないっつーの。俺はただその小川の前に散らばってる雑誌がなぁ……」
「雑誌? なんでそこで雑誌が出て来る?」
「要するにアレだろう。若気の至りって言うヤツだ」
 エトさんがまたしても割り込んだ。
「若気の至り? なんのこっちゃ。どんどん話が訳わからん方向に行きよる」
「あぁ、なるほど」僕が口を挟む。
「つまりヤスユキは、小川の前に散乱しているエッチ系雑誌の為にそこで足止めを食らったと、そう言いたい訳だな?」
「まぁ――かなり端折って説明するとそんな所だ」
「誰やん? この頭の傷、河童の爪痕言うたんわ」
「……」
 エトさんは何も答えない。
「じゃあ、この傷はどこで付いたもんなんだよ。どれもこれも一向に結末に向かってない」
 言うとヤスユキは、「つまりだ」と、やけに得意そうに説明を始める。
「今日はただでさえ家を出るのが遅くって、必死で走っても遅刻寸前かどうかって状況なのに、何故か今日に限ってそう言う不幸な出来事がいくつも重なって、こりゃあ完全にアウトだなぁって思いながら無茶苦茶飛ばしてたらさぁ……」
「つまり、単純に飛ばし過ぎでコケたと」
「正解! 名推理だな、リョータ」
「やっぱエスパーかなんかだろ、国代!」
 あぁ、うるさい。こんなの推理でもテレパシーでもなんでもねぇだろうってのに。
「とにかくまぁ、大きな怪我じゃなくて良かった。今朝のお前はやけに大人しくて気味悪かったから、怪我以外に何かあったのかと思って心配したぞ」
 言うとヤスユキはふと何かを思い出したかのように、「あぁ」と呟き僕を見た。
「それがさぁ、リョータ」
「うん? なんかあるのか?」
 そしてヤスユキが次に口を開き掛けた時、「さぁ、応急処置は終わり」と、エトさん。ヤスユキの側頭部には、大きなバツ印のテーピング。
「じゃあ君、病院行こうか。私が車出すから、一応帰る準備して正門で待ってなさい」
「え……病院っスか?」
「うん、病院。だって頭打ったんだもん、精密検査しなけりゃダメだよ。どんな異常があるかなんて、ここじゃあ判らないんだから」
 有無を言わさず、エトさんは「さぁさぁ」とせっついてヤスユキを立たせた。
 ヤスユキはまだ何かを言いたそうに僕達を見ていたが、とりあえずそれには気付かない振りをして、彼を正門まで送り出した。

 その日、ヤスユキが学校へと戻って来たのは、五時限目の授業が終わり、ホームルームすらも終わるその直前だった。
 朝と同じようにぼんやりとした表情で、「遅くなりました」と覇気のない声で言いながらのろのろと教室に入って来ると、今まさに僕が、「起立、礼」の掛け声を上げるタイミングで着席した。
 但し、今朝と少しだけ違う事は、いつも通りヤスユキは皆の笑いを取った事。多分本人はまるで意図しなかった事だろうが、その頭に大袈裟なぐらいに巻かれた包帯が、ターバンに見えてしまったからだった。

「ひでぇよな、みんな。俺、今回だけは大マジで悩んでるって言うのに、人の容姿見て大笑いするんだもんな」
 ヤスユキはむくれながら言う。放課後、東棟と西棟を結ぶ屋根の無い連絡通路での事だった。
「カンニンなぁ。だってヤスユキ、インド人のコスプレしてるよう見えるんやもん。面白ぅて、面白ぅて」
「その制服とのちぐはぐさが妙にウケるんだよな。それでリコーダー持ってたら、まさにヘビ使いだよな」
「ひでぇわ」
 ヤスユキはすねた声で鉄柵に掴まる。僕達二人は、「悪い悪い」と謝りながらも、その笑いは止まらない。
 春の風に乗って、体育館、グラウンドの方角から、体育系の部活動の掛け声が聞こえて来る。ヤスユキはその声の方に背を向けて、ぼんやりと空を見つめていた。
「なぁお前、なんかあったんやろ? 今朝からめっちゃ変やん」
 マサヤンが聞くが、ヤスユキは答えない。
「なぁ、なんかあったんやろ!?」
「別に……」
 マサヤンは声を荒げるが、ヤスユキの反応は一向に変わらない。
「ヤスユキ、こっち向け」僕は言った。
「この指、何本に見える? 正直に答えろ」
 一歩下がってそう聞いた。ヤスユキはゆっくりとこちらを向き、そして目を細めながら、「全部で五本」と答える。
「伸ばしてる指の数だっての」
「じゃあ三本」
 合ってる。視力が悪くなった訳では無いらしい。
「じゃあ、記憶かなんかが怪しくなったか? 数年前より過去を全部忘れたとか」
「――やっぱリョータは鋭いな」
「マジかよ!?」
 マサヤンは叫ぶ。だがヤスユキは、「そうじゃない」と、のんびり答えた。
「別に記憶を失った訳じゃないし、視力に問題がある訳じゃない。でも、方向性は合ってる。今朝の事故以降、俺の目が妙な具合になってしまってんだ」
「何がどうなってる?」
 聞けばヤスユキはまた空を見上げ、「色の識別が出来なくなった」と、ボソリと答えた。
「色弱って奴か」
「多分それと違う。色が全部判らないんだ。世界がもう、白と黒しか無くなった」
「マジかよ……」
 その時、ひときわ高い元気な声が校舎の外壁から跳ね返り、僕達の元へと届いて来た。きっとグラウンドで練習をしているのだろう、女子チア・リーディング部のはつらつとした掛け声だ。
「何も? 色が全く判らない?」
「あぁ、全然だ。信号見たって、赤か緑かも判らない」
「そりゃあちょっとヤベぇな。なら食卓の醤油とソースも判らへんやん」
 いや、それは別にどうでもいいだろう。
「うわ、それ相当マズいな。刺身にソースなんてのも有り得るじゃん」
 いや、どうやら本人はどうでも良くなかったらしい。
「でも、さほど困らんちゃう? 白黒な世界だって、物自体はちゃんと見えてるんやし」
「それがそうも行かない」ヤスユキは言う。
「俺、一人っ子じゃん? そんでウチの親父、自分で経営してる個人会社、俺に継がせようとか思ってるんだよね」
「継げばいいし」
「だからそうも行かないんだって。その会社、何屋だと思ってる訳?」
「……ペンキ屋か」
「絶望やん!」
「だから結構、深刻なんだよねぇ」
 確かに。色の区別が付けられないペンキ屋など、ジョークにもなりはしない。
「どうしたもんかなぁ。親父に正直に言うべきかなぁ」
「それよりお前、病院の先生はなんて言ってんのさ。様子見てりゃあ治るようなものなのか?」
「うん……実は言ってないんだよね」
「言ってへんて、なんでよ!?」
「だってさ」ヤスユキは振り返りながら言う。
「もし大マジで治らないってなったらどうすんのさ。ハイそうですかって、受け入れなきゃならん訳?」
「いや、それ以前の問題だろうよ。医者にはちゃんと病状言わなきゃ!」
「それはまぁ、判ってはいるんだけどね……」
 ヤスユキが言い淀んだ所で邪魔が入った。東棟の出入り口から姿を現した三人組。バスケットボール部のユニフォームって辺りで嫌な予感はしたのだが、運の悪い事にそれはまさしく、僕が苦手な同学年の大友タケルだった。
「あれまぁ。そこにいるのは国代君と沢辺君。どうしたのさ、部活サボってこんな所で喋くってて」
 タケルはマイ・バスケットボールを床にバウンドさせながら言う。相変わらずな、厭味オーラ出しまくりな感じだった。
「えぇやん、俺等別に部活とか入ってへんし」
 マサヤンが言うと、タケルの背後の取り巻き二人が、「入ってるじゃん。帰宅部レギュラー」と、すかさずツッコみに来る。
「はえぇトコ帰らないと、帰宅部顧問に怒られるぞー」
「内申書にも書かれっぞ。真面目に帰らない悪い子でしたってさ」
 言いながら二人は大笑いをする。そして肝心のタケルは、手に持ったバスケットボールを勢い良くマサヤンに向けてぶつけて来た。
「あぶねっ! なにすんねん!」
「パスだ、パス。ちゃんと取れたじゃんよ、お上手、お上手」
 言いながらタケルは、マサヤンが放ったボールを難なく片手で受け止めた。
「なんか用かよ」
 僕が言うと、背後の二人が僕の口調を真似て、「ナンカヨウカヨー」と同時に返し、そして笑った。
「用事? ある訳ないじゃん。それともなんか、俺に構って欲しい訳? 国代君」
 素直に苛立つ。どうしてコイツはいつも、僕とマサヤンに対して執拗に厭味な事をして来るのだろう。
「何も無い。むしろ無視して通り過ぎて欲しいね」
 僕がタケルにそう言うと、またしても取り巻き二人が、「トオリスギテホシイネー」と真似をした。
「国代、お前ちゃんと、次の生徒会長選に立候補しろよ。約束だからな」
 タケルが僕に近付き、小声でそう呟いた。――またか、いつもの事ながらしつこいなと、僕は思った。
「出ないよ。僕はそう言う事には興味無い」
「うるせぇ、出ろよ腰抜け。気合い入れて俺と勝負しろ」
 タケルは言う。その目は大いにマジだった。
 要するにアレだ。タケルは今度の生徒会長選で僕に大差を付けて勝ち、その人気を皆の前で誇示したいと言うだけの事なのだろう。
「出ない。何度言われても僕は出ないよ」
「黙れ、出ろ。俺とお前、最後の勝負だ。絶対に出ろよ」
 そう言ってタケルは僕の脇腹に軽くジャブをくれ、そして西棟へと向かって行った。
 途中、何かを思い出したかのようにこちらへと振り返ると、今度はマサヤンに向かって、「沢辺、お前マジでバスケット来ねぇ?」と聞く。
「悪ぃな、興味あらへん」
 ヤスユキは言う。すると今度のタケルは深追いはせず、「もったいねぇ」とだけ呟いて去って行った。
「なんやねんアイツら」
 マサヤンは言う。
「さぁね。何を言いたいのかが全く判らない」
 僕が言う。すでに三人の姿は、ドアの向こうへと消えていた。
「あぁ、オモロない。はよう帰ろや」マサヤンはそう言って振り向いて……そして驚きの声を上げた。
「なんや、ヤスユキ! お前どうしたん!?」
 僕もまた、ヤスユキの方へと向かって振り返る。そして驚いた。なんと彼の顔色が、異様な程に青ざめて見えたからだ。
「どうしたんだよ!?」
 聞くがヤスユキは答えない。ただ微かに身体を小刻みに震わせ、今しがた三人が消えたドアの方を向き目を剥いていた。
「い、今の誰!?」
 ヤスユキはやっとの思いと言う感じで、言葉を絞り出した。
「誰って……見ての通りの奴だけど」
「いや、誰? マジで誰? あの、ボール持っててお前ら二人にインネン付けて来た奴。――俺には見えなかったんだよ、今のは一体誰なんだよ!?」
 ヤスユキの質問は、ほとんど悲鳴に近かった。これはどう言う事だと僕は思いながら、「タケルだよ、隣のクラスの大友タケル」と返事をすれば、「タケルか……」と、ヤスユキはようやく安堵の溜め息を吐き出した。
「バケモノかと思った。だって顔も表情も全くわからねぇんだもん。めちゃくちゃ焦ったし」
「見えへんって、なんで?」
 マサヤンが聞くと、「そのまんまの意味」と、ヤスユキは言う。
「アイツだけ……色が付いてた。俺のモノクロの視界の中で、何故かアイツだけが鮮明なピンク色だった」
「ピンク? どう言う意味!?」
「だからそのまんまの意味だって! タケルの服から出ているんだろう腕とか顔とかがもう、表情なんか全く判らないぐらいべったりとした濃いピンク色でさ。マジ、気色悪かった! なんなんだよアイツ!」
 どう言う事だろう。叫ぶヤスユキを後目に、僕は考えた。
 これは彼の嘘なのだろうか。それとも本当の事なのだろうか。もしも本当だったとして、どうしてタケルだけがそんな風に見えてしまったのだろうか。
 その時の僕等は、その現象がいかに重要な事であるのか等、全く知りもしなかった。
 その翌日の朝、タケルの訃報を校門の前で聞くまでは――。

 *

 その日は朝から、警察やら教師やらPTAの保護者達やらが校門の前に大挙していた。
 僕が自転車を押しながらその訳の判らない人混みへと近付いて行くと、その中に一際背が高く目立っている後ろ姿を見付けた。
「マサヤン」
 声を掛ける。すると彼もまた僕に気付いた様子で、こちらを振り返った。
「よう、国代」
「あっ、委員長……」
 その隣には、意外にも石垣アンナの姿。どうやら彼女は、スッポリとマサヤンの巨大な体躯に隠れてしまっていたらしい。
「なんかあったの?」
 聞けば、それに答えたのはアンナの方だった。
「C組の大友タケル君が、昨日の部活動中に転んで頭打ったらしくて、それで病院に運ばれて……」
 いつもとは違うしどろもどろとしたアンナの言葉に、僕は少しだけその事の重大さを肌で知った。
「それで? ――どうなったの?」
 僕は聞く。そしてそれに答えたのは、マサヤンの方だった。
「今日の朝型近く、息引き取ったって。死因は脳内出血らしい」
「……」
 僕は返事が出来なかった。昨日、お互い元気――多少の語弊はあるかもだが――に会話を交わしただけに、こんな突然な別れ方など全く納得が出来ない。
「なんかね。練習中に、隣のバレーボールのコートからボールが飛んで来て、運悪く彼の所に飛んで来てしまったらしいの」
 アンナが言う。
「えっ、バレーボールごときで脳出血するようなダメージとか受けるものかい?」
「そうじゃないのよ。ボールが頭にぶつかったんじゃなく、彼の足元に転がって来たの」
「それじゃあ……」
「そや。アイツ、後ろ向きに走りながらそれ踏んでもうたらしいねん」
 なるほど、それなら無理もない。きっと受け身も取れないぐらいに、激しく転倒したに違いない。
「昨日はあんなに元気だったのにな」
「そやな。いけすかん事ばっか抜かしとったけど、こうなると寂しいなぁ」
 話している所へ、いつの間に来たのか昨日と同じターバンを巻いたかのようなヤスユキが割って入った。
「どうしたの、これ? なんかあった訳?」
「あぁ、ヤスユキ。実はなぁ……」
 言い掛けて、ふと思い出した。そう言えば昨日コイツ、妙な事を言っていなかっただろうか。タケルの顔がピンク一色で、表情すらも判らないぐらいだったとか。
「何? なんなの? 実は、何だよ?」
 ヤスユキは早く話が聞きたいらしく、やけにせっついて来る。
 ――果たして昨日のアレは、本当にただの偶然だったのだろうか? もしくはタケルの言い分に腹を立てたからこその、奇天烈な嘘だったのだろうか? 気にはなったが、僕にはそれを追及する事は出来無さそうだった。
「頭、気を付けろよ。脳は大事だからな」
 言うとヤスユキはほんのちょっと考え込み、そして怒り出した。
「なんだよその失礼な言い方! 人を馬鹿か何かのような扱い方して!」
 まぁまぁまぁと、苦笑を洩らしながらマサヤンがヤスユキを羽交い絞めにする。どうにも、幸先の悪い一日の始まりだった。

 一時限目の時間は、タケルの訃報についての全体集会だった。黙祷した以外は、校長と無駄話だけが延々と続く、非常に憂鬱な時間だった。
 そして二時限目に、ユリコ先生がタケルの死因について軽く語った後、ひたすら自習の一日となった。
「暇やな。こんなんやったら帰してくれてもえぇんちゃう?」
 マサヤンが背伸びをしながらそう言うと、「そんな言い方、不謹慎でしょ」と、アンナがそれをたしなめた。
「ところでヤスユキ、昨日お前が言ってた事なんだが」
 僕がそう言うと、ヤスユキはすぐに何の事だか気が付いたらしく、「あぁ、俺もそれについて話したかった」と、返事をした。
「昨日のアレ、偶然だったのかな?」
「さぁ、どうだろうな。ただ、アイツがピンク色に見えたのは嘘じゃないぞ」
「うん、疑ってはいない」
「いないけど、なんだよ」
「いや……つまりさ」僕は少々、言い淀む。
「その、ピンク色に見えた相手がイコールで、“死相”が出ているって決めつけていいものかと思ってさ」
「……」
「ねぇ、さっきから何の話?」
 結構小声で喋っていた筈なのだが、どうやらアンナに聞こえていたらしい。僕はヤスユキに、「放課後に」と呟き、そこで話を打ち切った。
 結局その日はまるで授業にはならず、昼食を取った後は終わりとなった。

「まさか! 俺はそんなん信じへんぞ」
 駅へと向かう道すがら、マサヤンは大きな声でそう言った。
 僕とヤスユキは自転車通学だったが、マサヤンだけは電車で通っている。僕達はその話をしたいが為に、結構遠回りをして駅へと向かっていた所だった。
「別に信じなくてもいい。実際僕も信じてはいないし」
「なんで!? さっきはリョータも“疑ってはいない”って言ってたじゃん!」
 ヤスユキが叫ぶ。
「いや、疑ってはいないって部分は、お前が嘘を言ってないって部分に掛かってんだ。そして信じていないって部分は、人の死を予言した事。――有り得ないよ、そんな非科学的な話」
「でもホントなんだって! ピンク色に見えたんだって!」
「だからそこは信じるってば!」
「信じてねぇじゃん! なんだよ、有り得ないだの非科学的だの言いやがって!」
「そこじゃねぇし! 僕が疑問なのは、どうしてタケルだけがピンク色に見えたかって事であって……」
「嘘じゃねぇんだってば! あぁ、もう、もどかしい! この目を自由に貸し出し出来たら話が早いのに!」
「阿呆かお前は。つまり国代は、お前の頭を心配しとるんやで」
「違う! 揉ますな、マサヤン!」
 話が一向に進まない。まぁ、いつもの事なのだが。
「どうしたら信じてもらえるかなぁ。もっかいどっかの誰かがピンク色に見えたら、即解決って気がするんだけどなぁ」
「どうにもお前とは話が噛み合わないな。って言うか、そう頻繁に該当者が現れても困るんだけどさ」
「……いた」
 立ち止まり、ヤスユキは言った。そしてその目は、真剣そのものだった。
 視線を追う。そしてその先にいた者は、釣竿とバケツを持った小学生らしき男子二人組。そしてヤスユキの目は確かにその小学生の方を向いていた。
「え、何、ヤスユキ。まさかあの子達……」
「そのまさかだ。あの帽子をかぶってる方の子供、タケルの時と同じでまっピンク色だ」
「ウソ!?」
「マジでか!?」
 そして僕達三人は、目の前を通り過ぎるその子供達を目で追いながらも、何も出来ないままでいた。
「お、おい、なんもせぇへんでえぇんか?」
「何もって……何をどうしろってんだよ!」
「とりあえず追おう。怪しまれないレベルでこっそりと」
 言って僕は近くの家の塀に自転車を立て掛けると、ヤスユキもそれに倣った。そして僕達はその子供達を追う事となった。
 自然、胸の鼓動が激しくなる。もしも、そうもしもだが、ヤスユキのその目が本当に人の“死”を映し出すのだとしたら、僕達は今まさに“人の死”に近い場所にいると言う事になるのだ。
 果たしてあの帽子の少年は、どう言う死を迎えるのだろう。
 車道を暴走する車に轢かれるか。それともどこぞの店の看板が落ちて来るか。それともそれとも、突然の心臓発作が始まるのか。
 いずれにしても、それは実に異常な状況だった。僕達はヤスユキの能力が本当なのかどうかを確かめる為だけに、あの少年の後を付いて行ってるのだ。少なくともその秘密を知っているのは僕達三人だけだからこそ、まだ救いがある訳なのだが。
「なぁ、ヤスユキ」
 僕がそっと聞くと、「何?」と、返して来る。
「もしもさぁ、僕達があの少年の死を未然に防げたとしたら、どうなるんだろう?」
「へ? 防ぐ? どうやって?」
「だからさ、間もなくあの子に死に至る程の危険が訪れるとして、それを僕達がはねのけたとしたら――あの子は助かるんだろうか?」
「さぁ……思い付きもしなかったけど」ヤスユキは言う。
「良く判らないよ。大体、あの子が本当に死に直面しているのかどうかさえ判らないんだからさ」
「ちょっと待てや。さっきと言ってる事が真逆ちゃうん?」
 やがて少年達は車道を折れ、狭い未舗装の道へと入って行った。それを見ながら僕は、そう言えばあの道は小さな沼へと通じている筈だと思い出す。
 ――沼、か。もしかしたら、その沼で溺れると言う状況も考えられるな。
 想像すればする程、色んなパターンを思い付く。例えばあの向こうの樹が折れて倒れて来たり、山から突然の落石があったり、もしくは熊が出現、この近辺に潜んでいる殺人犯人と遭遇、もしくは火山が爆発、UFO襲来、地球終焉。小さな危機から大きな危機まで、作ろうと思えばいくらでも作り出す事が出来た。
 いやいや、待て待て。もうちょっと冷静に、有り得るだろう範囲内で行こう。
 例えばだ。あの二人は間もなく橋の上へと差し掛かるが、あそこには危険は無いだろうか。
 橋から下の川原まで、高さは約三メートルばかり。僕等なら落ちても怪我か骨折で済むぐらいの高さだが、もしも小学生ぐらいの人間だったら――。
 瞬間、僕の頭の中に大友タケルの姿が蘇った。
 屋根の無い連絡通路。バスケットボールを持ちながら僕とマサヤンに皮肉めいた笑顔を向ける彼の顔。
「国代……お前ちゃんと……候補しろよ……っからな」
 タケルの唇が、声に少し遅れて開いていた。
「出ないよ……僕はそう言う事には興味無い」
 エコーの掛かった自分の声が再現される。
「うるせぇ……ろよ腰抜け。……れて俺と勝負しろ」
 彼の顔が、次第にピンク色に染まり始める。やがて世界がモノクロになり、彼の顔だけがその中に浮き出て見える。
 漫画か何かのように、タケルの口がやけに大きく三日月型に開かれる。表情がべったりとピンク色に塗り潰されたタケルの顔に、黒く抜けた口だけが目立って見えた。
 なんだよこれ。僕は思わず、掌で右目を押さえた。だが映像は消えてなくならない。
「わかってんだろ、国代。お前には……なきゃいけない義務があるんだ。……ろよ国代。さぁ早く!」
 わかんねぇよ、何言ってんだよタケル……。
「……ったく、しょうがねぇなお前は。早くしないとあの子、俺みたいに死んじまうぞ」
 ドクン。心臓が身体の中で跳ね上がった。
 物凄い映像の早送りだった。橋の上、少年二人の頭上に蝶が飛び、一人の子供がそれを手で払うと、隣の子の帽子がはね飛ばしてしまい、そしてその子がそれを取ろうと腕を伸ばし――。
「マサヤン! あの子落ちる!」
 僕は叫んだ。マサヤンは、僕が言い終わる前に飛び出していた。
 向こうに、蝶が飛んでいた。その蝶は二人の少年の頭上へと向かっていた。
 マサヤンは走る。空中に、帽子が舞う。小さな手がそれを追い、そして橋の欄干から身を乗り出し――。
「すっげ……間に合った」
 隣でヤスユキが、ボソリと言った。
 マサヤンは子供の手をしっかりと掴み、そしてその子のもう片方の手は、帽子をしっかりと握っていた。
 向こうでマサヤンが舌を出しながらピースサインをしている。そしてヤスユキは、「さっきの疑問の一つは解けた」と、そう言った。
「何が?」
「死は、未然に防げるって事さ」
「……どう言う意味?」
 聞くとヤスユキはにこりと笑い、「もうあの子、ピンク色じゃないし」と、そう言った。

 帰り道、実は僕達は偶然もう一人、ピンク色に染まる人を見掛けた。
 それは駅に程近い、民家の門の前の事。パトライトを点灯させたまま停まっている救急車に、老人だろう男性が一人、乗せられる所だった。
「あの人もピンク色だ」
 ヤスユキは言ったが、もはや僕達にはどうする事も出来なさそうだった。
 救急車のドアが閉まる直前、一緒に乗り込んだ中年の女性が、悲痛な声で「お父さん!」と叫んでいた。
 結局僕達は、その人を載せた車を見送るだけしか出来なかった。
 数十分前に聞いた、「未然に防げるって事さ」と、ヤスユキの得意気な声がよみがえる。
 翌日の放課後、僕達は言葉少なに黒い垂れ幕の掛かる民家の前を通り過ぎた。
 子供を助けたと言う高揚が一転し、今度はやけに妙な無力感が、のしかかって来るような気がした。

 *

「ちいーっす!」
 大声で、ヤスユキが朝の教室に入って来た。頭は相変わらずのターバン包帯のままだった。
「お前、まだそれ取れないの?」
 聞けばヤスユキは、「もう平気」と答える。
「なら、なんで取らへんの?」
 マサヤンがシューズの紐を結びながらそう聞けば、「うん、これ、トレードマークにしようかと思って」と、ヤスユキはのんきに答える。
「トレードマークって、そんなの変だろ」
「そこがいいじゃん。変なのサイコー。これ巻いてりゃとにかく目立つだろ?」
 目立ってどうするんだろうと言う疑問もない訳ではないが、まぁコイツならそう考えるのが常識的な思考なのだろう。敢えて黙っておく事にした。
「それよか、視力はまだ戻らないのか? どうするんだよ、その色弱は」
「どうするもなにも……いいんじゃない、これで。一応はこの目も、ヒトサマの役に立っているみたいだし?」
 いいのかそれで。初日のあの落ち込みようが、まるで嘘であるかのような開き直りだった。
「ところでヤスユキ、今後お前がその目ぇ使ぉてピンク色の人、見掛けたとするやん?」
 マサヤンがそう聞くと、「うん」と、ヤスユキは答える。
「そん時、どないすんの? その人を助けるまで後つけるん? それとも、あんた死にそうだから気を付けてとか、助言するん?」
 ヤスユキが返答に困っていると、僕達の背後から、「おはよう」と、石垣アンナの声。
「あぁ、おはよう」
 振り返り、僕はそう言った。こちらも相変わらず、無愛想な表情だった。
「あら岡田、まだ包帯取れないの?」
 そう言ってアンナがヤスユキの後頭部を指で突けば、「触んなやメガネチビ」と、ヤスユキは悪態を吐いた。
「なによそのメガネチビって。アンタなんか“バッタもんインド人”じゃない」
「なんだよそれ! バッタかインド人かどっちかにせい!」
 言って、振り向く。そしてその目が大きく開かれる。なにかとんでもないものでも見たかのように慌てて視線を外し、アンナに背を向けた。
「ちょっと岡田、それかなり失礼じゃない? なによその酷いものでも見たかのようなリアクション」
「酷くはねぇよ。ちょっとエゲつなかっただけで」
「なによそのエゲつないって。それ、誰の事か言ってみなさいよ、このペテン笛吹き男め」
 言いながらヤスユキの後頭部を拳でぐりぐりと小突く。そしてヤスユキはその間もずっとアンナに向かって悪態を吐いてはいたが、その表情から彼の本音は読み取れた。
 間違いない。きっと彼の目で見る石垣アンナは、ピンク色に見えるのだ。
 そしてそれはマサヤンも気付いているのだろう、真剣な表情でヤスユキを見つめ、そして僕と視線が合うと、何かを決意したかのように深く頷いて見せた。

「ねぇちょっとアンタ達、一体どこまで付いて来るつもり!?」
 アンナは自転車を止め、振り返りながらそう怒鳴った。
 道の両側に、つぼみを付けた桜の並木が立ち並ぶ、坂の途中の事だった。
 僕とヤスユキは彼女の少し後ろ側で、同じように自転車を止め、照れ笑いばかりの返事をかえした。そして更に少し後ろ側では、自力のみで自転車の僕達に付いて来たマサヤンが、気の毒なぐらいぜぃぜぃと息を切らしながら立ち止まっていた。
「もう一度聞くね。アンタ達、一体どこまで付いて来るつもり?」
「え、えぇと……」最初に返事をしたのは、彼女とは一番相性が悪いであろうヤスユキだった。
「別にお前の後付いて行ってる訳じゃねぇし。俺等、こっちに用事があるんだし」
「へぇ」
 アンナは馬鹿にしたような表情でヤスユキを見た。
「じゃあ先に行ってよ。私ちょっと疲れちゃったから、ここで休憩するんで」
 そう言ってアンナは自転車を降りる。途端、ヤスユキは困った顔になる。――だからお前は口開くなと、僕は心の中で非難した。
「ハイ、どうぞ。お先にいらっしゃいな。一体どこに向かっているのやら知らないけれど、この先は民家ばっかだよ」
 あぁ、ホラ見ろ。どうすんだよ、引っ込み付かなくなったじゃん。思った時、僕の背後でずっとぜぃぜぃ言ってたマサヤンが、「スマン、それ嘘や」と、割って入った。
「ずっとお前の後つけて来てん。断りも無しに悪ぃ思うが、どうか家まで送らせてもらえんやろか」
 おいおい、なんだそのストレート。それはちょっと馬鹿正直過ぎるだろう。思いながらアンナの様子を伺えば、きょとんとした表情の後、やけに照れた仏頂面で、「え、なにそれ意味わかんない」と返した。
「私ん家来てどうするつもり? なんか理由とか目的とかある訳?」
「ある」マサヤンは即答する。
「あるけど、スマン、今は言えん。とりあえずただ、家まで送らせて欲しいねん。後はなんもせぇへん。家ん中入れてくれとも言わへん。ただ送らせて欲しいんや。頼むわ、石垣」
 アンナは非常に複雑そうな表情を作った後、「いいよ」と、めちゃめちゃ意外な返事をした。
「なんだ、最初からそう言えばいいじゃない。って言うか、むしろ来れば? お茶ぐらいなら出すけど」
 え、ウソ? 意外。なんだこのすんなりオッケー感は。
 しかもアンナは、「じゃあ沢辺君が自転車漕いで」と、言い出す始末。そんでマサヤンはいともあっさり、「判った」と、アンナの自転車にまたがった。

「うぉぉぉい、石垣ぃ。お前マジでこんな坂を登り下って登校してんのか?」
 登り坂の途中から再び漕ぎ出したヤスユキは、自重と筋力の折り合いが付いてそうなノロノロ発進をしながら、そんな悲痛なうめきを上げた。
「まさか! この坂は隣町に続く市道だもん。通る訳ないじゃん」
「ならなんでこんな坂に来るんだよ!」と、僕。
「だって変質者めいた三人組に追い掛けられたんだもん。多少でも遠回りしてやり過ごそうとか思うじゃん」
 アンナはそう言って笑う。とても死に掛けているような印象は感じられない。
「ホラ、進めーっ! 沢辺ーっ!」
 アンナはマサヤンの漕ぐ自転車の後ろに乗りながら、大はしゃぎで笑う。意外にも二人乗りしているその自転車が三台の中で一番速かった。
 間もなく、この辺りは一面春色に染まるだろう、そんな桜並木の坂の途中での事だった。

 それはさながら、先生に怒られて教室の隅で正座させられているような感じだった。
 僕達三人は横一列に並びながら、きちんと背筋を伸ばし、カチンカチンに緊張していた。
 誰も何もしゃべらない。マサヤンなど滝のような汗までかいている。それでもまだ、ここが本当に教室の隅だったのならば恰好も付く(?)のだろうが、現実はそうではなかった。
 場所は、女子の同級生の部屋の中。意外にもファンシーで少女趣味な小物やクッションばかりが目に付く、男子にはやけに居心地の悪いそんな場所だったのだ。
 僕達は今、部屋の隅の壁を背にして座っている。少し離れて、いつもその人が寝ているのであろうベッドが見える。
 僕には何故かそれがやけに生々しく見え、有り得ない程緊張していた。そしてきっと他の二人もそうなのだろう、おかげで僕達三人は、教室の隅の正座状態になっていたのだ。
「お待たせ」
 部屋のドアが開く。そして僕達は一斉に、今以上に背筋を伸ばして居住まいを正す。
 まず最初に、太腿が視界に入った。鼓動がニトロの加速をして高鳴りだす。
 太腿は僕達の一メートルぐらい前方で立ち止まり、そしてしゃがんみ、座った。ギリギリで下着が見えそうで見えないその興奮がまた、たまらなく興奮を促す。
「何? どうしたの?」
 太腿が聞いて来た。
「え、いや……」
 僕達三人は全く同時に同じ台詞を、太腿に向けて呟いた。
「何、何? 言っとくけどこれ、コンビニなんかで売ってるレベルのシュークリームだよ? そんなに凝視する程のもんじゃないよ?」
 太腿が言う。――シュークリーム? どの辺りが? いや、まぁ、似てなくもないとは思うけど、シュークリームよりはずっとこう、もっと――。
「ちょっと、国代君、沢辺君、そしてインド人!」
「はい!」
 インド人を含めた僕達三人は、一斉に顔をあげて返事をする。
「あ……あれ? アンナ? いつからここに?」
「ちょ、ふざけんな。人ん家の人の部屋にいて、私がいつからいるかってどう言う質問?」
 なんと、あの太腿の正体はアンナだった。
 確かに心のどこかでは、「同じ人?」なんて疑問もあったりはしたが、やはり現実は甘くはなかった。アンナの家のアンナの部屋にいる以上、その太腿もまたアンナでしかないのだ。
 しかし、変われば変わるものだ。普段は地味で目立たず毒舌吐きまくりな彼女だったが、今こうして見ると毒舌以外の部分はまるで別人のようである。身体のラインがくっきり見える小さめなシャツに、デニム生地のミニスカート。おかっぱのようなショートのヘアスタイルは、白いカチューシャでやたらと可愛く見えてしまう。
「化けるもんだなぁ」
 隣でヤスユキがぼそりと呟く。そして僕は同意のまま、小さく頷いた。
「何よ? みんなでジロジロと人の顔見て」
 そりゃ見るわ。学校でもその片鱗ぐらいの可愛さ見せてりゃこっちも対応違うのにと思った瞬間、信じられない事にあのマサヤンが――。
「石垣、綺麗やなぁ」
 なぁんて言いながらデレデレとしているのだ。
「えっ、な、何!?」
 アンナが戸惑っていると、マサヤンは立て続けに、「いやぁ、ホンマに綺麗や」と畳み掛けて来る。
「俺、今までずっと石垣の女の子っぽさ、気付かへんかったわ。こりゃあ今日から石垣見る目が変わるなぁ。普段、国代が早川先生の事をデレながら見てる気持ち、よう判るわ」
「ちょ、僕は関係ないし!」
 言うと、アンナとヤスユキは大笑いをした。
「わかるー! 国代君、判りやす過ぎる程、早川先生の事好きだもんねー!」
「そうそう! だからコイツ、国語の成績だけはダメなんだよな」
 人の事をダシに、やたらと盛り上がる。だがようやく、緊張ガチガチな空気がほぐれたかのような気がした。
 それにしても、マサヤンの直球ストレートな物言いには驚いた。確かに僕もアンナの事を綺麗だなとは思いはしたが、そんな想いなど到底口に出来るものではない。
 だが、マサヤンはそう言う事には無頓着と言うべきか、いつも思った事は必ず口にする奴だったが、ここまでだとは思いもしなかった。話を茶化しながらも、顔を赤らめてマサヤンを見るアンナを観察し、マサヤンのその度胸に半分呆れ、そして半分感心をした。
 その後の会話は、意外にもめちゃくちゃ盛り上がった。
 普段、学校では有り得ないような雰囲気の時間だった。嫌いな先生の話題や、苦手な教科の話題、最近駅前に出来たカラオケの話題に、またしても僕とユリコ先生の話題を経て、クラスで内緒で付き合っているカップルの話題となった。
「えっ、ホントに? 永瀬とアオイちゃんって付き合ってるの?」
「ホント、ホント。これはマジな話題」
「それ、誰情報よ。俺聞いた事ないんだけど」
「そりゃあ本人から直接でしょう」
「それ、内緒ちゃうやん!」
 気が付けばいつしか時刻は夕方を過ぎ、間もなく七時になろうとしている。
「私ちょっとトイレ」
 そう言ってアンナが出て行った隙に、僕達はヤスユキに聞いた。
「どうなんだよ。まだアイツ、ピンク色か?」
「それがさぁ……」ヤスユキは言う。
「微妙なんだよね。俺らがアイツにくっついてこの家に来た時からはもう、ほとんど色は無くなってんだよ。――でも完全じゃない。まだほんのりと少しだけピンク色でさぁ」
「どう言う意味なんだろ」
「判らんけど、まだ完全に脅威が過ぎ去った訳ちゃうんやろうな。こりゃあまだ家帰れんなぁ」
 やがてアンナは戻って来る。そして僕が偶然に気が付いたかのように、「あ、もう七時だ」と発言すると、他の二人もまた、「ホントだ、随分と遅くなった」と続く。
「なにそれ、やけに下手な芝居の台詞みたいな」
 アンナに突っ込まれる。確かにその通りな気はしていた。
「ところで石垣、お前ん家の家族って何時頃帰って来るねん」
「うん? 家族? かなり遅いよ。お姉ちゃんは夜学だから朝方近くだし、お母さんは今日は遅番だから、多分十一時過ぎ辺りかなぁ」
 早くて十一時かよ! それじゃあいくらなんでも僕達がそれまでいる訳には行かない!
「ほな、オトンは? もうちょい早いやろ」
「お父さんはいないよ。私が小さい頃に離婚しちゃったから、女三人の母子家庭って感じ」
 ヤバい。それは間違いなくヤバい。
「さ、さすがに家族が帰って来るまでは……いられないよねぇ、リョータ」
「そ、そうだねぇ。さすがにそれは失礼だねぇ、ヤスユキ君」
「だからなによそれ、さっきから台本通りみたいな会話して」
 結局僕達は、粘りに粘って七時半過ぎにアンナの家を出た。
「なぁ、アンナ。俺等出て行ったら、ちゃんと戸締りしろよ。窓なんかもちゃんと閉めてんだろうな」
「えー、そんなの言われる程の事かなぁ。大丈夫よ、泥棒なんか来たって、金目の物なんかありゃしないし」
「そやなくて、ホラ今は色々と物騒な季節やろ?」
「物騒に季節とかあるもんかなぁ。良くわからないなぁ」
「実はこの家、風水ではあまりよろしくないと言う占い結果が出ておりましてな」
「黙れインド人。下らない事言ってないで早く帰れ」
 玄関先でそんな攻防を続けた後、僕はもう一度、「ちゃんとドア閉めろよ!」と念を押した。
「判ったから! アンタ達も気を付けてよ。さすがにこの辺りは、外灯も少なくて寂しいからさ」
 そしてドアは閉められた。僕達は門の傍に立て掛けておいた自転車に乗り、そして一応は帰る振りをした。
「どうする? どの辺りで張っとく?」
「あのカーブの向こう辺りがいいんじゃない? あそこなら例え二階から見たとしても、見付けにくいと思うし」
「けど離れ過ぎちゃうか? もしも家の中で何かあったとして、石垣が悲鳴上げても聞こえへんぞ」
「確かにそうだな。じゃあこっそり戻って、家の裏辺りにでも潜むか」
「それは怪しい。犯罪の匂いがプンプンしますね」
「なんでもえぇわい、石垣の命には代えられん」
「おやおやマサル君、やけにアンナさんにご執心ですなぁ。もしかして姫君を守るナイトの気持ちか何かですかなぁ?」
「あほう! えぇからここでこっそりUターンや」
 そして僕達は草むらに自転車を投げ出すと、今来た道を塀伝いに身をひそめて後戻りしはじめた。
「ところで、隠れる場所は確保したとして、やっぱ家族が来るまで張る事になるのかな?」
「そら寒いなぁ。ちょと敵わんなぁ」
 こそこそと会話を続けながら、ようやく再びアンナの家が近付いて来た辺りで……。
「あれ? あそこ開いてる」
 僕は、一階のどこかの部屋なのだろう場所で、小さく窓が開いているのを見付けた。
「どこやろ? 家の構造まではわからんけど、風呂場とかその辺かも知れんなぁ」
 あぁ、良くある良くある。風呂場ってカビ生えるから、いつも小さく開けてあるんだよなぁ――と。
 思った瞬間だった。ザザザザザっと、ノイズのような音がして、僕の視界が乱れた。
 やけに画質の荒いフィルムの再生のような世界。色など無い、無機質でモノクロなそんな世界。
 灰色の空に、黒と白の校舎。そしてその中にひときわ目立って、ピンク色の姿が浮き出した。
「国代……お前ちゃんと……勝負しろよ」
 口だけがやけに大きく横に開いた、タケルの姿。表情こそは判らないが、それは間違いなく笑っていた。
「タケル……お前なんで?」
「いいから……れと、勝負しろよ。今回のゲームは……ぼだな」
「わからない。何言ってるんだかわかんねぇよ、タケル」
「さぁ、ゲームスタートだ。……は、一体どこにいるでしょう? ヒントは……」
 指先が、微かに開いた窓を指した。そしてそこから僕の視界は、一気に早送りとなる。
 ドクン。心臓が身体の中で跳ね上がった。
 窓から侵入するフードをかぶった男の姿。そして男は家の中を徘徊し、僕達の話し声に聞き耳を立てる。
 男はとある一室に辿り着く。それはアンナの部屋の隣にある、姉のであろう部屋の中。
 男はそこで息をひそめ、ドレッサーの中に姿を隠し、僕達三人が出て行くのをじっと息を殺して待っている。
 手にはナイフ! そしてスタンガン! やがて僕達が賑やかに家を出て行って、アンナはその家の中に一人だけ。そして男はドレッサーの中から抜け出すと――。
 気が付けば僕はいつの間にか、掌で自らの右目を押さえていた。じっとりと手が汗ばんでいるのが、自分でも良く判った。
「マサヤン……ピンチだ。アンナが危ない」
「――マジでか?」
「マジだ。相手は凶器持ってる。二階の……アンナの部屋の隣で……」
 言い終わらない内に、マサヤンはその窓を開け放ち、身軽にそこを飛び越えた。
「マサヤン! 相手は凶器――」
「関係無いわ」
 凄い勢いだった。靴音などほとんどさせないまま、マサヤンはあっと言う間にそこから姿を消した。
「リョータ、お前なんの確信もなくて良くそんな事言えるな! これじゃあマサヤン、家宅侵入罪だぞ!」
 ヤスユキが怒鳴った。
「そうだな。じゃあ僕も同罪だ」
 言って僕もまた、窓へと手を掛ける。マサヤン程とはいかないまでも、なんとか音を立てずにそこを乗り越えた。
「馬鹿! 俺は行かないぞ!」
「判った、そこで待っててくれ」
 そして僕もまた、アンナの家の中へと降り立った。土足だがしょうがない。僕は急いで風呂場を出ると、廊下へと出て二階への階段を探した。
 マサヤン、気を付けてくれ――。
 そう思った瞬間だった。階上からけたたましい女の悲鳴。そしてきっとマサヤンのだろう吠え声。
 ヤバい! もしかしたら一番最悪なパターンか!?
 僕は急いで周囲を見渡す。そして廊下の端に掃除機が置いてあるのを見付け、急いでその長いパイプの部分を取り外し、軽く振ってみた。
 うん、行ける。きっと攻撃力は望めないだろうけど、無いよりはずっとマシだな。
 そして僕は階段へと向かった。そしてまたしてもアンナの悲鳴。マサヤンの怒鳴り声。更には乱闘でも始まったかのような衝撃音。
「マサヤン!」
 僕はたまらずそう叫び、階段を駆け上がった。
 そして、きっとヤスユキが呼んだのだろうパトカーが到着したのは、それから十分後の事だった。

 *

 翌日の僕達は、にわかに英雄扱いだった。
 まず最初に校長先生に呼ばれ、そして褒められ。次には取材に来た新聞の記者さんに褒められ。アンナのお母さんには泣き付かれんばかりに感謝され。最後は学校中の皆から、すげぇじゃんとか、恰好いいとかの言葉をもらった。
 逆に、怒られもした。まずは駆け付けた警察官から怒られた。次は僕達の親だ。次は担任のユリコ先生だ。そして最後は、何故かアンナだ。泣きながら、危険な事すんなとか、もしもアンタ達が死んじゃったら私は一生後悔するとか何とか、感謝なのか小言なのか良く判らない事をまくし立てられ、そして最後は、「ありがとう」で締めくくられた。
 皆に、「どうやって犯人を見付けたの?」とか、「どうやって撃退したの?」とか聞かれる事には、かなり辟易した。とても正直に、「事前に判ってました」と、話して通用するようなものではなかったからだ。
 警察が来る前に、僕達四人は口裏を合わせた。
 帰ろうとしていたが、アンナの家の前でぐずぐずしていたら悲鳴が聞こえた。すぐに開いている窓を探し出し、そこから侵入。そして僕達三人掛かりで、犯人を取り押さえた――と。
 多分、犯人の供述とは食い違っているに違いない。だが、そんな食い違いの疑問など誰も気に留めない事だろう。犯人は無事、捕まったのだから。
 実際はこうだ。最初のアンナの悲鳴は、誰もいない筈なのに突然部屋のドアが開いたから。そしてそこで聞こえたマサヤンの吠え声は、着替えの最中だったのだろう、そこでアンナの半裸姿を見てしまったから。
 そして二回目のアンナの悲鳴は、「出て行け」と、目覚まし時計をマサヤンに向けて放った時の声。次に聞こえたマサヤンの怒鳴り声は、「危ねぇだろう!」と言う非難。
 ただラッキーだったのは、その投げ付けられた時計がマサヤンの背後に忍び寄っていた犯人の顔面に直撃した事。
 取り押さえるのは簡単だった。犯人は目覚まし時計とのキスの際、すでに武器は取り落していたし、そしてマサヤンは意外にも空手の有段者だった。僕が到着する頃には、もう全て終わっていた。
 廊下に、ぐでーんと伸びた三十代ぐらいの中デブな男性。どうやら彼は、アンナのお姉さんに恋し、そして振られた人だったようだ。二人の間にどんな経緯があったのかは知らないが、実に物騒で偏った思考だなと僕達は思った。
 その翌日の新聞の片隅に、僕達の武勇伝が小さく取り上げられた。
 僕はそれを見ながら、自分自身がほんのちょっぴり誇らしく、そしてほんのちょっぴり照れ臭く感じられた。
 あれからマサヤンは、僕達にも内緒でアンナと付き合い始めたようだ。
 多分、上手く行っている。今までとは違い、お互いに罵ったり、喧嘩したりが、目に見えて減ったからだ。
 そしてヤスユキは、ようやく頭の包帯が取れ、怪我の具合も良くはなったのだが、依然としてモノクロの世界は変わってないらしい。
 ついでにどうやら人の死期を“視る”能力も相変わらずみたいで、この前もクラスの水槽で飼っている亀を助ける為、三人で夜の学校に忍び込んだりした。
 季節はようやく春となり、桜も次第に咲き始め、僕達は間もなく三年生になろうとしていた。
 僕はと言えば全く変わり映えもなく、いつも通りの生活を送っている。
 ユリコ先生との仲は相変わらず先生と生徒のままだし、僕と言う人間が行動出来る範囲も相変わらず、自転車で行ける限界までの年頃。
 きっとまだしばらくは、このままで続くものだと思っていた。
 そう、あんな事件が起こるまでは――である。

 *

 終業式を間近に控えたある日の事。
 窓から吹き込んで来る暖かな風が、ユリコ先生の甘ったるい声と相まって、僕をまどろみへといざなう。
 新学期には、先生とも離れ離れになるのかなぁ。なんて思いながら、次第に重くなって来る上瞼と懸命に対峙している頃、それは起こった。
「はぁ!?」
 隣で、ヤスユキが素っ頓狂な声を上げる。
 何ごとだよ。思いながら僕は、横目で奴を睨む。ターバンの包帯が取れた代わりに、最近ではスポーツ用ヘアバンドをトレードマークにしているヤスユキが、茫然とした顔でユリコ先生を見つめている。
 どうしたどうした。ユリコ先生のブラウスのボタンでも弾けたか? 思いながら見てみるが、どこにも変わった様子はない。
「何? どうしたの、岡田クン」
 ユリコ先生が聞く。だがヤスユキは、「え、いや……」と言葉を濁し、そして黙る。
 何ごとだよ。もしかして――いや、まさか。思った瞬間だった。
「う……うわ……あああああああ……」
 ヤスユキがうめき声を上げる。周囲を見渡し、そして僕とマサヤンを見比べ、最後に自分の掌を見つめ――。
「うわあああああああーーーっ!!!」
 発狂でもしたかのようだった。
 ヤスユキは跳ねるようにして立ち上がると、そのまま悲鳴を上げつつ教室を飛び出して行く。
「ヤスユキ!」
 僕とマサヤンが同時に立ち上がる。さぁ、どうしよう。思いながらチラリとユリコ先生の方へと振り向けば――。
 ざわり。視界が乱れた。そして向こうに立っている筈のユリコ先生は――。
「早く行けよ、国代」
 ピンク色のその顔が、笑いながらそう言った。
「タケル?」
「早く追え。――早く!」
 僕は敢えて思考を停止して、そのまま駆け出した。背後から、「ちょっと、委員長!」と、ユリコ先生に戻ったのだろう声が聞こえた。
 階段を駆け下りる。背後でもう一つ、足音がする。それは多分マサヤンだろうなと思っていると、案の定その足音が、僕の背中に向けて声を掛けて来る。
「国代、またなんか見えたん?」
「また……って。僕、なんか見えたとか話した事あったっけ?」
「あらへんけど、右目押さえとったから。お前がそうしとるって事は、なんか見えとるって言う事やろう?」
 ――鋭い。
「まぁね。言っても信じてはもらえないだろうけど、僕がそうしてる時はいつも、タケルの姿が見えるんだ」
「タケルって……大友か。なんでまた?」
「判らない。けど、見えてるって事はなんかあるんだ。そんでタケルが、“早く追え”って言ってたからさ」
「そんで追ってるって訳な。よう判ったわ」
 一階へと降りる。果たしてヤスユキはどこに向かったか。普通ならば見当も付かない事だろうが、そこはそれ、ヤスユキの事である。耳さえすましていれば、自然に方角は判った。
 うわぁぁぁぁぁ――ドン! ガン! バターン!
「靴箱の方やな」
「だな」
 僕とマサヤンはそう言いながら、誰もいない廊下を早足で向かった。
 外履きにはき替え外へと出ると、今まさにヤスユキが駐輪場から自転車に乗り、漕ぎ出そうとしている所だった。
「おい、ヤスユキ!」
 僕は声を掛ける。するとヤスユキは一瞬驚いたかのような顔になり、そして――。
「リョー……タか?」
「なんだそれ。どう言う意味だよ」
 言うとヤスユキは泣きそうな顔になり、「早く一緒に逃げよう」と、そう言った。
「逃げる? なんで?」
「理由なんか説明してる暇無いっての! 早く自転車乗れよ! グズグズしてると置いてくぞ!」
 言いながらヤスユキは本当に僕達を置いて行った。
 ポカンとしながらそれを見送る僕達。そしてマサヤンが、「追うか」と言うので、まぁしょうがなくそれに従った。
 マサヤンが漕いで、僕が後ろに乗る。なんかあっと言う間に僕達の自転車はヤスユキのに追い付いた。
「おい、ヤスユキ! 何があったのか説明しろよ!」
 言うと、ヤスユキは立ち漕ぎしながらひぃひぃ言いつつ、途切れ途切れで話し始めた。
「ピンク色なんだ。――全員。お前も、俺も、誰もかれも」
「――マジかよ」
「最初はウチのクラスだけかと思った。だけど違った。教室飛び出して隣のクラス覗いたら、そこも全員ピンク色だった。そしてその次、その次、今度は下の階って覗いてたら――」
 あぁ、なるほど。だからそのまま階下に向かって行ったのかと、納得出来た。
「気が付けば、学校全部がピンク色だった。なんか今度は人だけじゃないんだ。机も椅子も、そして校舎までもがピンク色でさ」
 ヤスユキの声は、ほとんど泣き声に近かった。
 物までも? 今まではそんな事など無かった筈なのに。
「ほんで、どうなんや? ピンク色に見えるんは、学校だけかい!?」
「違う! なんかもう見渡す限り全部がピンクだ! 何もかも――町中がピンクで塗り尽くされてる!」
 おいおい、冗談じゃない。この町に一体、何が起きてる?
 直下型の大地震でも起きるのか? それとも隣国からミサイルでも飛んで来るのか? とにかく大規模な事が起きるには違いなかった。町全体が無くなるレベルの事件だ。そう考えれば、ヤスユキのこの選択もあながち間違いではない。とても僕達だけでなんとかなるような事ではないのだ。
「そんでお前はどこに向かってんだ! ただ闇雲に逃げてるだけじゃないんだろうな!?」
 聞けばヤスユキは、「向こう!」と、山の方を指差した。
「向こうの山の方は平気だ! 色が付いてない! きっとあそこに行けば助かるんだ!」
 それはこの前アンナの家に向かう途中、遠回りして向かったあの桜並木の坂だった。
「おい、それはマジで言ってんのか、ヤスユキ!」
「マジだって!」
「ホンマにホンマの事やろうなぁ。これで冗談でしたじゃあ、済まへんぞ」
「冗談でもなんでもないって! 少しは俺を信じろよ!」
 信じるぞ。思いながら僕はすかさず携帯電話を取り出した。
 時刻は十時四十七分。ちょうど授業の合間の休み時間の筈。僕はまだ、ただの一度も掛けた事のないユリコ先生の番号を呼び出して――そして勢いのまま通話のボタンを押した。
 ややあって、電話は繋がる。なんだか非常にやましい事でもしているかのような気がして、心臓が激しく高鳴った。
『もしもし』
 先生の声が聞こえた! うわ、どうしよう。こっから先、どう説明しようか全く考えていなかった事が悔やまれる。
『委員長? 委員長でしょう? 今どこにいるの?』
 さぁ、なんて答えようか。迷っている所に、マサヤンの声が割り込む。
「おう、俺や。今なぁ、学校出て岐入市の方へと向かってんねん」
 おいちょっと待て。これは僕の電話だぞ、なんでお前が勝手に会話してるんだよ。
 思いながら、自転車を漕いでいるマサヤンを改めて見てみると、それはどうやら誤解だったらしい。マサヤンはマサヤンで片手運転をしながら、自分の携帯電話を耳に当てている。
「すまんなぁ、なんも言わんと飛び出してって」
『なんで勝手に飛び出して行ったの? 無断外出は禁止されているでしょう』
 微妙に会話がリンクしているのが可笑しい。とりあえず僕もまた、マサヤンと同じ返事をかえした。
「すみません、何も言わずに飛び出して行って」
『それで、今どこにいる訳?』
「だからさっき言ったやん、岐入市や、岐入市。そっちの方角や」
「あ、すいません。岐入市です、岐入市。そっちの方向へと向かってます」
『なんでそんな所へ? とりあえず早く戻って来なさい』
「悪いが戻れん事情があんねん。ちょっと緊急事態なんや」
「悪いんですが、戻れない事情があるんです。ちょっと緊急事態っぽくて」
『何その緊急事態って。ふざけてないで戻って来なさい』
「ふざけておらんわい! つうかお前こそ学校抜け出してこっち来い。なんかそこおると、めっちゃ危険らしいんや」
「ふざけてないんですよ! って言うか、先生こそ学校抜け出してこっち来てくれませんか。なんかそこにいるとかなり危険らしいんです」
『危険って何よ? どう言う意味か説明してちょうだい』
「あぁ、もう! じゃあ簡単に説明するから、よぉ聞いてくれや」
「あぁ、もう! じゃあ簡単に説明するから、良く聞いて下さいね」
「ちょっと待てよ、お前ら誰と電話してるんだ!?」
「ややこしくなるから、ヤスユキは黙ってろ!」
 僕達の声が重なった。
「あのな、この前お前の家に行って、お前助けたあの件なぁ。まだ覚えてるやろ?」
「あのですね、この前石垣の家に行って、彼女を助けたあの一件なんですけど。まだ覚えていますよね?」
『えぇ覚えてるわ。――それが?』
「実はな、あれ、お前が危険やっちゅう事、あらかじめ知っててん」
「実はですね、あれ、石垣が危険だって事、あらかじめ知ってたんです」
『え、どう言う意味?』
「そのまんまの意味や。その日、お前が命に係わるぐらいの危険が迫ってるってのが判ってん、そんでみんなでお前ん家に押し掛けたんや」
「そのまんまの意味です。その日、石垣の命に係わるぐらいの危険が迫ってるってのが判ってたんで、それで三人で彼女ん家に押し掛けたんです」
『判ってたって……どうして?』
「ヤスユキや」
「ヤスユキです」
『岡田クンが? どうやって?』
「おい、言うなやお前ら!」
 隣で並走しているヤスユキが悪態を吐いていたが、とりあえず無視をした。
「アイツ、見えるんや。人の死期っつーか、死相っつーか、そう言う類のものが見えてしまうみたいなんや」
「アイツ、見えるんです。人の死期って言うか、死相って言うか、そう言う類のものが見えてしまうらしくて」
『……本当なの?』
「ホンマや。少なくとも俺等は信じとる」
「本当です。少なくとも僕達は信じてます」
「くぅ、お前ら泣かせやがるぜ!」
 嘘だったら喋れないぐらいに殴ってやる。僕はチラリと、そんな事を思った。
『それで? 君達が飛び出して行った事に、それは何か関係がある訳?』
「大有りや! 何が起こるかわからんけど、学校の人間全員、一斉に死相が出たんや。――ちゅうても、そんな事をみんなに向かって説明する訳にも行かへん」
「大有りなんです! 何が起こるかわからないけど、学校の人間全員に、一斉に死相が出たんです。――と言っても、そんな事をみんなに向かって説明する訳にも行きません」
『……』
「だから、お前だけに電話したんや。頼むから早よう逃げてや」
「だから、あなただけに電話したんです。頼むから早く逃げて下さい」
 言ってからしまったと思った。つられてマサヤンと同じ台詞で返していたが、これじゃあまるでドサクサ紛れの愛の告白めいているんじゃあ……。
『あ、ありがとう。でも……例え本当だとしても、私だけ逃げる訳には行かないわ』
「アカン! 逃げてや! 頼むから……俺はお前の事、死なせる訳には行かんねん」
「ダメです! 逃げて下さい! 頼むから……僕はあなたの事、死なせる訳には行かないんです」
『国代クン……ちょっと、何を言って……』
「好きなんや! 石垣、俺はお前の事、めっちゃ好きなんや!」
「好きなんです! 先生、僕はあなたの事、めっちゃ好きなんです!」
「お前ら、いい加減にせい! 俺だけメチャクチャ疎外感じゃん!」
 あぁ、もう、どうにでもなれ。少なくとも、言ってしまったらかなり楽になったのは確かだった。いいなぁ、直球ストレートってのも。
「とにかく、隣の市の境にある桜並木の坂や。俺の事信じて、そこまで来てくれ。一刻も早くや!」
「とにかく、隣の市の境にある……」
 僕の方は、言い終える事が出来なかった。途中で通話を切られてしまったからだ。
「なにをこんな時に、お前ら二人で青春してるんだよ! 今がどう言う状況か判ってんのか!?」
「判ってるからこそやろう。とにかく俺は、石垣だけは無事でいて欲しいんや。例え俺の方が命を落としても構わへん。石垣だけには助かって欲しいんや」
「あぁ、人生初の告白だったのに、めっちゃ振られた。クソミソに振られた。むしろ僕なんか助からなくていい、このまま死んでしまいたい……」
「あほう! 国代、はよう頭絞らんかい! お前がなんとかせんと、町中の人間が死んでしまうんやぞ!」
「絞れって何をだよ? 僕がこの状況、なんとか出来るとでも思ってるのか?」
「――当たり前やろ」
 マサヤンが、自転車を止めてそう言った。
「おい、ヤスユキ。なんかマサヤンとんでもない事を――」
「俺もそう思う。……リョータ、お前がなんとかしろよ」
「なんとかって、ヤスユキ、お前まで!」
「国代、えぇから考えい。例えその考えが間違っとってもええわ。俺はお前を信じる。それで死ぬ事なっても後悔せんわい」
「マサヤン、お前それ本気で言ってんのか?」
「本気やでぇ。今までだって、ずっとお前のひらめきが人を助けて来たんやろ。だから俺は、お前を信じるで」
「……マサヤン」
「俺もそうだぞ、リョータ。俺がこうやって目が変になった事だって、お前だからこそ正直に打ち明けたんだぜ。お前ならきっと、なんかいいアドバイスくれるだろうって思ったからさ」
「……ヤスユキ」
「考えい、国代」
「考えろ、リョータ」
 正直、僕はかなりびっくりした。
 今まではずっと、この二人に対しての僕は、色んな面で劣っているものだと思っていた。
 ヤスユキはどこにいても目立って、人の輪の中心にいるようなムードメーカーだし。マサヤンは運動神経抜群な、誰からでも頼られるだろうタイプの人間だし。
 僕だけ、何も持っていないものだと思っていた。いつもいつも僕だけ、平凡でつまらない人間だと思っていた――。
「ヤスユキ、まだ僕達の肌はピンク色かい?」
 僕は聞く。そしてヤスユキは、「いいや」と、即答した。
「この坂に差し掛かる直前辺りでもう、ほとんど色は無かった。だからこの辺りは全然大丈夫っぽいな。既に完全にモノクロだ」
 ――ほとんど、色が無かった? 僕はそこに疑問を感じた。
「マサヤン、悪いけどもうちょい頑張ってくれるか。この坂の頂上まで行きたいんだ」
「了解。ほな漕ぐでぇ」
 僕を後ろに載せたまま、多少よろめきながら自転車は漕ぎ出した。
「ヤスユキ、今まで色の濃さについて追及した事はなかったけど、もしかしたら濃度によって危険度って変わるもんなのかな」
「うぅん」ヤスユキはうなる。
「ある……かもね。思い出してみれば、そんな感じだったなぁ。タケルの時も、釣竿持った少年の時も、それこそ危険度マックスみたいな派手派手ピンクだった気がする」
「へぇ、それは初耳」
「でも、アンナの時は逆だったなぁ。朝見た時はほんのりピンクだったのが、犯人の潜んでいる自宅に着いた途端、薄くなったし」
「そ、それは変や……なぁ」
 マサヤンが息も途切れ途切れに言う。
「いや、おかしくもないかな」と、僕。
「あの時、もしもアンナだけで帰宅したのなら、それこそヤスユキの言う通りな派手派手ピンクになっていたのかも知れない。だけど状況はそうじゃなかった。予想外に大勢の声と足音、それが犯人の潜んでいる隣の部屋へと入って行った」
「おう、そりゃあビビるな。むしろ身の危険を感じていたのは犯人の方だったかも知れない」
「そんで……何かわかったんか、国代」
「そうだね、もうこの辺りでいいよ、マサヤン」
 言って僕は飛び降りる。そして僕は町の方を指差して、聞いた。
「町は、どんな感じ? 全体的に、均一にピンク色?」
「いや……均一ちゅうより、ムラだらけかな。所々がやけに濃くて、それ以外は遠くに行くにつれてどんどん薄くなって行くって言うか」
「じゃあ、向こうは?」
 僕は坂道の頂上に立ち、今度はその逆側に見える隣町を指差した。
「あれは岐入市だよなぁ。――いや、全然だ。どこにもピンク色は見えない」
「オーケー、それじゃあとりあえず、天変地異でない事だけは判った」
「どう意味やねん、国代」
 マサヤンが聞く。そして僕は町の方向を向いて、指を差す。
「あの町にしか起こらない局地的な天変地異なんて、起こり得ると思う? 地震にしろ、台風にしろ、津波にしろ、町を飲み込むレベルのものが来たとしたら、当然隣の町にだって被害は及ぶ筈だよね」
「まぁそうだけど、こんな山間部に津波は来ないと思うぞ」
「例えだよ、例え。それじゃあ天変地異の類じゃあないとしたら? 事故? それとも謎の大爆発?」
「それが一番しっくり来るなぁ」
「なら僕達の手にも負えるレベルだね。天変地異だったら手の出しようがないけれど、もしもそれが人災の類で、それを無事に原因を特定出来たら、事前に阻止する事だって可能な筈だ」
「ほな行くか! はよう人災止めようや」
「早まるな、マサヤン」
 言うが早いか自転車にまたがろうとするマサヤンを力づくで止めた。
「なんでや国代。デカい事なる前になんとかしようや」
「いや、まだだ」僕はそっと、掌で右目を押さえる。
「まだ大丈夫だよ。まだもうちょっとは何も起こらないと思うよ。とりあえず、考えよう。何をどうしたら効率的に原因を探れるかだ。幸いここからなら、町のほぼ全部が見渡せるし」
「そやかて、まだ学校に石垣がおんねんで」
 そんな事を話していると、坂のずっと下の方から一台のオンボロなミニクーパーがこちらへと向かってやって来た。
 車には、見覚えがあった。いつだったかヤスユキが乗せて行かれた、保健室のエトさんのミニクーパーだ。
 車は気の抜けたクラクションを鳴らし、僕達の目の前で停まった。同時に後部座席のドアが開き、アンナが飛び出して来ると同時に――。
「石垣!」
「マサル!」
「堂々と抱き合うなや!」
 ヤスユキが吠えた。とりあえず僕は、照れながらそっぽを向いた。

「エトさん、石垣を連れて来てくれたんですね」
 聞けばエトさんは、「暇だったからね」と、笑った。――いや、就業時間中じゃないの?
「あの……話せば長くなるんでアレなんですが」
「いや、いいよ。全部終わってからゆっくりと話してくれたら」
 言いながらエトさんは車のダッシュボードを開き、やたらと年季の入った大きい双眼鏡を取り出した。
「ハイ、どうぞ」
「あ、ありがとう」
 僕はそれを受け取りながら、意外とこの人も勘がいいなと思った。
「ヤスユキ」
 渡すと同時に、ヤスユキは町の方向に目を凝らす。そして、「うぅん」と唸りながら、首を傾げた。
「何だよ、ハッキリ言ってくれ」
「……何か所もあるんだよなぁ、濃いピンクの場所」
「どことどこ?」
「うぅん、例えば銀座通りの甲屋の辺りとか、松嶋百貨店の東館とか、公団住宅の一画とか。良く見りゃ四つとか五つとかそんなんじゃないな。やたらと沢山あるぞ」
「ウチの学校もそんな感じか?」
「うん、一階の用務員室の近くが一番濃いね」
「じゃあやっぱり、爆弾か何かかなぁ。分散しているってのが凄く気になるけど……」
 突然、けたたましい電子音が鳴り出した。
 最初、それが僕の携帯電話の着信音だとは思いもしなかった。だってしょうがない、何しろその曲が僕の携帯から流れ出した事なんか、ただの一度もなかったんだから。
 それは宇多田ヒカルの、“ファーストラブ”。ユリコ先生からの着信の時だけ鳴るように設定した、特別な曲だ。
 震える手で携帯を取り出し、通話ボタンを押して耳に当てる。『もしもし』と、鼻にかかるユリコ先生の甘ったるい声が聞こえて来た。
「せ……先生?」
『委員長……あ、ごめん。国代クン』
 意識して名前を呼んでくれる、そんな心遣いが単純に嬉しかった。
「あ、えぇと、ど、どうかしたんですか?」
 しどろもどろになって聞けば、ユリコ先生は、『ちょっと顔離して』と、訳の判らない事を言う。
「え、何がです?」
『顔よ、顔。耳に付けてたら、顔見えないじゃない』
 言われて初めて気が付いた。どうやら着信は普通の電話ではなく、映像付きのテレビ電話機能だったらしい。慌ててそれを耳から離すと、そこにはもうもうもう、綺麗過ぎて思わず血圧が上がってしまいそうな容姿のユリコ先生の顔があった。
「どうしたんですか、ユリコ先生」
 聞けば先生は照れ臭そうにうつむきながら、『国代クンの顔を見て話さなきゃいけないなって思って』と、予想もしなかったような事を言う。
「え、なななななな、何を!?」
『さっきの話……いきなり電話切ってごめんね。他の先生に声掛けられたもので、つい』
「い、いえいえ、全然いいです! こちらこそいきなりな電話で本当にごめ……」
『嬉しかったよ、国代クン。ありがとう』
「えっ……」
 言葉に詰まる。隣でヤスユキが、、「あー、もう、どいつもコイツも全く状況わかってねぇ!」と、怒鳴り声をあげていた。
『それでね、さっきの話の続きしようと思って場所変えたから。ここなら邪魔も入らないと思うし』
 言いながら先生は極上の笑顔を僕にくれる。あぁ、なんだろう。ヤスユキじゃないのに、周囲が全てピンク色に見えてしまいそうだ。
「ちょっと待った、先生っ!」
 そこに割って入ったのが、その当のヤスユキ。しかも僕の携帯をひったくってまでの
割り込みようだ。
「おい、ちょっとヤスユキ! お前こんな場面で邪魔とかするか!?」
「うるせぇ! お前こそ俺の邪魔するな!」言いながらヤスユキは大声でユリコ先生に話し掛ける。
「先生、今どこにいるんだ? もしかして学校の一階のどこかか!?」
『あ、えぇと、岡田クン? もしかしてずっと、国代クンの隣にいた?』
「なんでもいいから質問に答えて! 今、学校のどこにいるん?」
『え、えと……職員更衣室だけど』
「更衣室? それって一階の用務員室の辺りだよね?」
『そうだけど、それが何か?』
「先生! その携帯で周囲映せる?」
 ヤスユキが叫ぶようにして訴える。珍しく、大真面目な表情だった。
『やってみるけど……なんか意味あるの?』
 僕も一緒になって、携帯の映像を覗き込む。そこには殺風景な、ロッカールームの光景が映し出されていた。
「ヤスユキ、もしかして携帯の映像でも色が判るのか?」
「あぁ、ラッキーな事に、色の濃淡までバッチリ見える」
 そして映像はぐるりと周囲を回り、そして、「ストップ!」と言うヤスユキの声で静止する。
「先生、その正面のロッカー、誰の先生のやつ?」
『ここ? ここら辺全て、誰も使ってないロッカーだけど』
「そ、そのドア、ちょっと開けてくれる? 但し、ゆっくりと優しくね」
『開けるの? なんでまたこんな……』
 ゆっくり優しくと言われたにも関わらず、ユリコ先生は大胆にも躊躇なくドアを開放した。携帯越しに、ガコンと音がするレベルで。
 そしてそこには、鞄があった。黒い大きなアタッシュケースだ。しかもその鞄の下には、いくつものダンボール箱。更にそのアタッシュケースとダンボールは、謎の導線で繋がっているように見える。
「怪しい……見事に怪し過ぎる」
 ヤスユキが言う。
「先生、お願いだからそれ触らないで。つか、早く逃げて」
 僕が言う。
「これ、爆弾かなんかか? カチコチって、時計の音はせぇへんか?」
 背後からマサヤンが言う。
「C-4爆弾ね。それだけの量があれば、校舎ごと木端微塵に出来るわ」
 これはアンナの声。つか、何でお前がそんな事に詳しいんだ。
「へぇ、プラスチック爆弾か。是非に本物を見てみたかったもんだねぇ」
 と、エトさん。同時に向こうでユリコ先生が、『えええええ、爆弾!?』と、今更ながらに驚いていた。
『ねぇちょっと、国代クン! これどうしろって言うのよ! なんでこんなのがあるのよ! って言うか、なんで私も連れて行ってくれなかったのよっ!?』
 いや、真っ先に逃げてって言った筈なんだけど。そうツッコもうと思った所で、「先生、叫ばないで」と、アンナが言った。
「もし音で起爆するような構造になってたら、先生の声で爆発するよ。とりあえず落ち着いて。音も振動も注意して」
『わ、判った。とりあえず……落ち着くわ』
 言ってはいるが、動作はどうにも落ち着きない。そりゃあそうだ、何しろ先生が一番、爆心地に近い場所にいるのだから。
「とにかく、原因は判った。爆弾だ。なんで学校に仕掛けられているのかまでは判らないけど、一応は対策は打てそうな気はするな」
 僕が言うと、「爆弾処理まで出来るんかいな」と、マサヤンが切り返す。
「可能ではあるよね」そう言ったのは、意外にもアンナだった。
「ケースの中身を見てみないと判らないけど、もしも起爆を止められるんであれば可能ではあるよね」
「石垣、お前そう言うの得意な訳?」
「いや得意な訳じゃないけど、楽しそうだからそう言う専門書は良く読むんだよねぇ」
「どんな趣味だよ! やっぱお前の本棚おかしいよ!」
「良し、方向性は決まった」僕は皆にそう告げた。
「作戦を言い渡す。まずはヤスユキ」
「おう」
「お前はここに残って、双眼鏡覗きながら爆弾の位置を僕達に教えてくれ」
「いいけど、どうやって? 大雑把にしかわからねぇぞ」
「大雑把でいいんだ。大体の位置さえ掴めれば、俺とマサヤンがその現地に飛んで細かい場所を探る」
「だからどうやって……あ、そうか」
 言いながらヤスユキは僕に携帯を返した。
 そう。そう言う意味だ。細かい場所ならば今のように映像付きの電話で見付ければいい。ヤスユキは皆の“目”になればいいのだ。
「次、アンナ」
「え、私!?」
「君もここに残って補佐をしてくれ。どうやら爆弾の扱いはアンナが一番詳しそうだ。俺達が爆弾を見付けたら、適格な指示をして欲しい」
「ま、まぁ、やってもいいけどミスしたらごめんね」
 ごめんで済むようなレベルのミスでない事を祈る。
「次、僕とマサヤン」
「言わんでえぇ。実行部隊って事やろう」
「話が早いな。それじゃあマサヤンはその機動力を生かして、一番通い松嶋百貨店東館な」
「了解!」
 言った途端に僕の自転車に飛び乗って駆け出して行く。その坂道を下る速さはスプリンターのようだった。
「そして最後に、ユリコ先生!」
『えっ、私? 私も何か?』
「ハイ、先生にもお願いしたいです」
『わかった、頑張る。――で、何をやればいいの? この爆弾の解体?』
「いや、やんなくて結構です。とりあえず早くそこから逃げて下さい。但し、今度は独りじゃなく、学校の全員を連れて逃げて下さい。校内放送でもなんでも結構、先生と生徒、全員を連れてそこから非難して下さい」
『う、うん。やってみるわ』
 映像が途切れる。そして僕はヤスユキの自転車を起こし、それに飛び乗る。
「じゃあ、僕も行って来る」
「――うん。気を付けて」
 ヤスユキはそう言って、僕を送り出してくれた。
 もう既に姿の見えなくなったマサヤンを追い掛けるように、僕もまた坂道を駆け下りるスプリンターとなった。
 まずは学校に行こう。ユリコ先生とはすれ違ってしまうかも知れないけれど、とりあえず学校に行こう。思いながら僕は、軽過ぎるそのペダルを更に加速させるように踏みしめた。

 *

 校舎には既に、誰の姿もなかった。
 ユリコ先生、上手くやったな。思いながら、外履きのままで廊下を歩く。
 職員用更衣室を見付けるのには、少々時間が掛かった。普段気にしていないだけに、どこにあるのかを知らなかったのだ。
 中へと入る。照明のスイッチを押す。問題のロッカーは、まだ開けっ放しのままだった。
 黒いアタッシュケースが見える。僕はその前に立ち、ヤスユキに電話を掛ける。
『もしもし、今どこだ?』
「学校。例のロッカーの前だ」
『なんでそこからなんだよ。爆弾は見付かったんだから、他当たった方がいいだろうに』
「そうも行かない」僕は告げる。
「一番壊したくない場所なんだ。――アンナ、そこにいるか?」
『いるよ。どうせ国代君の事だ、解体しようと思ってるんでしょう?』
「判ってるんなら手伝ってくれ。まずは何をすればいい?」
『うん、そうね。とりあえずそのケースをロッカーから引っ張り出して、開いちゃって。中を見ないと何とも言えないから』
「おいおい、適当に開いちゃっていいのか? それでズドンとか行かないだろうな」
『多分平気よ。そこから伸びてるコードを千切らないように気を付ければ、開けるだけなら大丈夫だと思う』
 思う……だけで指示されても困るんだがなぁ。そんな愚痴を心の中でこぼしながら、僕は言われた通りにアタッシュケースを引っ張り出すと、それを床へと置いてゆっくりと開いた。
 想像したまんまな、爆弾の起爆装置だった。
 デジタルの時計がカウントダウンし、そこから伸びるコード類が訳も判らない複雑なものへと繋がっている。安っぽいドラマか何かで見掛けるような、赤と青のコードのどちらかを切ればいいと言うような安易な代物ではなかった。
「どうしろって言うんだよ、こんなの……」
『うぅん』
 アンナも電話の向こうでうなっていた。そしてしばらくの無言の後、『これは解体は無理ね』と、やたら絶望的な事を言う。
「無理って、お前なぁ……」
『無理は無理よ。構造は笑っちゃうほど単純なんだけど、その分手におえないわ。それをなんとかしようと思うのなら、C-4爆弾ごと海に沈めて爆破させるか、それとも……』
「それとも、何!?」
『液体窒素でもあればいいんだけどねぇ。それさえあれば、起爆装置は無効化出来るのに』
 液体窒素? って、アレか? 良く、ハリウッドのアクション映画なんかで見掛ける、何でも凍らせてしまう最終兵器的アイテム。
『あるよ』そこに、エトさんのだろう声が割り込んだ。
『液体窒素ならたくさんあるよ。前に理科の山里先生がゼロを一桁間違えて発注しちゃってね。今もまだ理科準備室に何十本も保管されてる』
『それよ、国代君! 早く持って来て!』
 僕は飛び出した。廊下を走り、階段を駆け上がり、理科室へと直行し、そしてその隣にある部屋のドアを――。
「開かねぇ!」
 なんとなく予想はしていた。普段、ここのドアは常に施錠されているのだ。
「くそっ! 開けよ、開いてくれよっ!」
 ドンドンと叩いたり、無理に力を込めて引いてみたりするが、まるで開く気配はない。
 なんて事だ。このドアの先に切り札があると言うのに、触れる事すら無理なんて。なんとかしてこのドアをぶち破る事は出来ないかと考えていると、廊下の遥か向こうから、「国代クン!」と、僕を呼ぶ声。
「えっ、先生?」
 信じられない事に、それは確かにユリコ先生だった。先生は懸命に廊下を走り、僕の元へと駈け寄って来る。
 こ、これは状況的にも両手を開いて待っていればいいパターンかな。思いながらおずおずと手を開けば、「邪魔よ!」と先生は腕を振り払い、準備室のドアに鍵を差し込んだ。
「先生、どうして?」
「電話が来たの。もしかしたら準備室には鍵掛かってるかも知れないから開けてくれって、江藤さんから」
「江藤さん? って、誰?」
「江藤さんは江藤さんよ。保健室にいるでしょう、なんかふにゃふにゃしたおじいちゃん」
 あぁ、エトさんか。案外ひねりの無い名前だったんだ。
 ドアが開く。僕と先生は部屋に飛び込む。そしてそれはすぐに見付かった。小型のガスボンベのような形をした、液体窒素の在庫の山だ。
「行きましょう」
 僕と先生は一個ずつボンベを持ち、再び一階の更衣室へ。
 そして僕はヤスユキに電話を掛けながら、爆弾の起爆装置の前に立つ。時間はちょうど、残り二時間を切った所だった。
「これ、このままガス噴射していいのか?」
『いいよ。早くやって』
 かなり怖くはあったが、僕は意を決してその装置にノズルを向け、そしてトリガーを引いた。白いガス状のものが勢いよく吹き出し、そして装置をみるみる内に凍らせて行く。
 やがて、デジタルの表示も消えてなくなる。これでいいのかと自問自答していると、『リョータ、やったな!』と、携帯電話からヤスユキの声。
「やったって……やったのか、これ?」
『あぁ、もう平気だ。学校の周辺だけ、色が消えた』
 やった! 僕と先生は顔を見合わせた。
 いいぞ、このまま先生とハイタッチだ。思いながら手を挙げると、先生はそれもまた邪魔だとばかりに振り払い――。
「やったわ、国代クン! あなたってやっぱり凄い!」
 抱き締められた。
 僕の胸に当たる先生の胸の感触。僕の脚に絡まる先生の脚の感触。目の前にはやたらといい香りのする先生のうなじがあり、頬を先生の長い黒髪がくすぐって行く。
 ヤバい、死にたい! 今すぐ死にたい! ここでスタッフロールが流れ始め、僕の人生のエンディングって感じで全然いい!
「さぁ、行くわよ国代クン! 残りの爆弾全部、凍らせちゃうよ!」
 今度は突き放され、背中を強く叩かれる。
「車回して来る! 準備室の窓、開けておいて!」
 そう言って先生は駆け出して行った。僕はポカンとしながらそれを見送り、そして言われた通り準備室へと向かい、窓を開けた。
 やがてけたたましいタイヤの音を轟かせ、ユリコ先生愛用の赤いフェアレディがその真下に停まる。
「国代クン! 一本ずつ落として!」
 落としてって……この液体窒素か?
「大丈夫なんですか?」
「いいから来ーい! 早くしないと間に合わないぞ!」
 僕は言われた通り、ボンベを一本ずつ階下の先生めがけて落下させる。そして先生は案外器用にそれを受け止め、愛車の後部座席に放り投げて行く。
 延べ二十二本。それを全部積んだ後、僕は先生の運転する車に乗り込み、ピンク色に染まっているであろう町の中へと飛び出した。

 *

 車は、見慣れた地元の田舎町を走る。人々は爆弾の事などまるで知らず、いつも通りのどかな田舎の光景があちこちで見られた。
 ユリコ先生は右手で携帯電話で通話しながら、残る左手でハンドルを握り、運転をしている。もちろん交通違反なのだが、片手だけでマニュアルの六速ギアを操作しつつ運転している所を見ると、どうやら常習犯らしい。そんな慣れを感じる。
「えぇ、そうね。じゃあそこで待っていてくれる」
 そう言って通話を終える。一体誰と話をしているやら、ちょっと気にはなったが、敢えてそれは聞かずにおいた。
 果たして爆弾はどこに、いくつあるのか。どれも全て同じ時間で爆発するのか。
 まるで何も判らなかったが、今はとにかく行動するしかない。少なくとも、爆破を回避する手段だけは得たのだから。
「ねぇ、先生。道が違っていません? この方向だと栄町から遠くなりますけど」
 先生の車の助手席からぼんやりとそんな事を呟けば、「ちょっと寄り道」と、先生は答えた。
 かなり乱暴なハンドルさばきでカーブを曲がり、変わりたての赤信号までもノンブレーキで突っ切って、車は町の中心地の方向へと向かう。
 こんな事している場合じゃないのに。言いたかったが、辛抱した。それでも自転車で移動するよりは早いのだから。
 さっきからヤスユキの携帯にはまるで繋がらない。一緒にいる筈のアンナも、エトさんの携帯にも接続が出来ない。三人が三人共に、何をやっているのだろうと苛々していると、車は駅近くの商店街モールの前で急ブレーキを掛ける。
「うわっ!」
 つんのめるような感じで身体が躍る。鎖骨に食い込むシートベルトが結構痛い。
「お待たせ」
 言いながら先生はパワーウインドウを下げる。見ればそこには――。
「大山!」
 僕は思わずそう漏らした。そこにいたのは、僕のクラスの副委員長、大山ミツテルだった。
「ごめんね、待っててもらって」
 笑顔で先生は降りて行く。それを見ながら僕は、かなりの嫉妬と落胆を感じた。
 大山も大山で、「大丈夫ですよ、僕から志願したんですから」と、超笑顔。――悔しい、なんだかやたらと悔しい。別に先生は僕のものでもなんでもないのに。
「あっ、国代!」
 どうやら大山の方も僕の事を見付けたらしい。なんだか間男のような気分だなと思いながら車を降りると、意外にも大山は僕に怒るでもなく――。
「ありがとな、国代」
「……はぁ?」
 言いながら大山は僕に近付き、そして手を握った。――なんかちょっと気持ち悪く、そして照れ臭い。
「どうしたんだよ、大山」
「どうしたんだもクソもないし。お前の作戦に俺も誘ってくれて、ありがとうって言ってるんだ」
 ――作戦? 何が?
 思った瞬間、背後からまたもや、「国代!」と声を掛けられた。振り向けばそこには同じクラスの男子が二人、自転車に乗りながら急ブレーキを掛けている所だった。
「国代、お前らだけで勝手に突っ走るなよ」
「そうそう、最初から作戦教えてくれてたら、もっと効率的に動けたのに」
 何がなんだかわからない。わからないまま大山は、「後にしようぜ、時間が無い」と、先生の車の後部座席を開いた。
 三人で、液体窒素のボンベを片っ端から降ろしに掛かる。半分ほど降ろした所で、「良し、行くぞ」と、今度はそれを自分らの自転車の籠に詰め始める。
「先生、これって何ごと!?」
「いいから次行くわよ、国代クン!」
 思い切りな平手打ちを背中に喰らう。痛いけれど物凄く幸せを感じる。
「先生、何ごとか説明して下さいよ!」
 急発進した車のシートに張り付きながら、僕は訴えた。すると先生は、「何を?」と、ハンドルをさばきながら聞き返す。
「何をじゃないです! なんで大山達が液体窒素を持って行くんですか! しかも先生、今度はどこに向かってるんですかっ! 栄町は全然違う方向ですよっ!」
 最後の方は悲鳴になった。なにしろ山側を走る県道へと差し掛かった辺りで、車の速度が百キロを超えたからだ。
「見ての通りよ。クラスの生徒が、国代クンの作戦で動いてるの。これならいくら爆弾の数が多くたって、なんとかなるでしょ」
「な、何言ってんですか先生っ! 教師でありながら、なんで生徒を巻き込んでんですかっ!?」
「あら、国代クン達は生徒じゃないの?」先生は公道を高速で飛ばしながら、僕の方を向いて喋った。
「あなた達をそんな危険な目に合わせている時点で、私は教師失格じゃない? ならちょっとぐらいその被害者が増えた所で、さほど問題になるとは思えないけど」
「そ、それは……僕達が勝手にやった事だし」
「勝手だろうが勝手じゃなかろうが、教育者はそのまんま責任問われるのよぉ? 知ってた?」
「う……ごめんなさい」
 さすがに気が咎めた。
「それはいいとして、大山クン達は自主的に活動しているだけよ。私が全校生徒に避難勧告出したら、名乗り出てくれたの」
「え、大山達が?」
「大山クン達だけじゃないわ。ウチのクラスのほとんど全員よ」
「な、なんで?」
 僕は呆れて聞いた。なんでウチのクラスだけがそうなのか、まるで判らなかったからだ。
「だって……私が担任なんだもん、あなた達が何してるかとか、なんでそうなったかとか、一応は説明するでしょう」
「説明したって……あの、僕が電話で言った事全てですか?」
「えぇ、もちろん。国代クンからの愛の告白以外は全て話したけど」
 言葉に詰まる。その相手から面と向かってそう言われると、かなり照れ臭い。
「で、でもそれで僕達に手伝うって話にはならないでしょう。僕はあの時先生に、逃げてとしか……」
「爆弾の処理は私がしたよね?」
「あ……」
「実際に学校に爆弾があったからこそ、全校生徒の避難命令が出せたんだけどね。でもウチのクラスだけは違ってた。あなた達がそれを自分達で処理しようと頑張ってるのを感じて、自主的に行動してるのよ」
「だから何で!? 自分らがやるべき事じゃないじゃないか!」
「それはあなた達もそうでしょう」
「……」
「みんなは義理とか助け合いとか、そう言う精神で動いてる訳じゃないと思うわ。なんでウチのクラスだけそうなのか――私にはなんとなく判る気がするの」
「え、何でですか?」
「何ででしょうね?」
 先生は僕を見て、にっこりと笑った。
 その笑顔は非常に綺麗で美しかったが、出来ればよそ見はしないで欲しいと思う事の方が上だった。
「ところで国代クン、先程の告白なんだけど」
「え……は、はい!」
 突然の切り出しに、僕は焦る。そしてとうとう運命の瞬間がやって来た。僕は痛烈にそう思った。
「――ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど、やっぱり私達、教師と生徒じゃない?」
 あぁ……思った通りな返答だなと思った。
 恋愛ご法度な立場を利用して断るのは、一番の上策だ。なにしろそこには個人の気持ちなんか挟まなくてもいいのだから、相手を傷つけずに断るには最高の選択なのである。
 結構、思った以上のダメージだなと僕は思った。
 生まれて初めての告白と、生まれて初めての失恋を、本日中に同時に行ったのだ。最初から結果など見えていただけに、もうちょいダメージ少なくてもいいんじゃないのとも思ったが、どうやら心のどこかでは、「イケるんじゃない?」なんて部分もあったのだろう。僕はその心の持って行きようが見付からなくて、かなりパニックになっていた。
「い、いえ、別に……そ、そうですよね。ボ、僕もそれは判ってはいたんですが……ついその場の勢いって言うか、なんて言うか……」
「私ねぇ、教え子とのイケナイ関係なんての、アブノーマルで素敵だなぁとか思って、それで先生になった人間なのね」
 ――へ? 突然何を言ってますか?
「でもやっぱり先生になったら先生の立場でモノ考えるんだなぁって、自分で自分に感心しちゃった。教育実習生の頃なんて、もしも生徒に告白なんかされちゃったらどうしよう~とか思いながらニヤニヤしていたクセに、いざそうなったら目が覚めるものなのね。生徒は私が守るべきものなんだって」
「あの……」
「でも、トキメいたのは事実だから! 本当にありがとう、国代クン! 私もうホント、めっちゃ嬉しかったんだけど」
「あ、あぁ、そうですか……」
 信号の無い交差点を、ほとんど減速無しで右に曲がる。足の下でタイヤが有り得ない程の悲鳴を上げていた。
 ユリコ先生はまたしてもどこかに電話をし、間もなく到着する旨を伝えている。
 先程の先生の返答はどう解釈したらいいものなんだろう。僕は考える。拒否はされたが肯定的である――ようには思える。

 *

 作戦の全容を、ここで話しておく事にする。
 基本的な部分は僕が立てたものと変わらなかったが、その活動人数は圧倒的に増し、爆弾の処理の為の液体窒素が広く配られたと言う部分においてはかなり変更がなされた。
 坂の上でのヤスユキの指示系統は変わらず、今もまだ双眼鏡と携帯電話を片手に悪戦苦闘している事だろう。
 僕達のクラスの生徒が町中に散らばり、ヤスユキの指示を得て現場へと直行。そして爆弾の細かい位置は携帯の映像で割り出す。
 指示する為の携帯電話は、ヤスユキとアンナとエトさんの三台だけだったのが、クラスの女子の何人かがそちらへと駆け付けた為、多少の増援は出来たらしい。そうして爆弾を見付けた人は、液体窒素で片っ端から凍らせる。そして消防署なり警察に爆弾の正確な位置を報告し、終了。そしてどうやらその作戦はかなり順調であるらしい、先程ヤスユキから、「残り二個!」と、嬉しそうな電話が掛かって来た。
 そしてその残り二個中の一個が、僕の目の前にある。僕は横目で先生を見ると、先生は既にノズルの先端をこちらへと向けていた。
「よろしく」
「オッケー」
 ぶしゅうううと音がして、真っ白な霧が起爆装置を包み込む。
 ものの数十秒で、それは凍りついた。デジタルの数字は消え失せ、もはや爆殺する意志のない大きな粗大ゴミが転がっているだけだ。
「こちらは終了」
 そう言って報告をすると、ヤスユキは、「最後の一個も片付いたみたいだぞ」と、そう教えてくれた。
「もうピンク色な部分は無いのか?」
「無い! ミッションコンプリートだ!」
 やったねと呟き、先生と僕はハイタッチをする。ちょっと前にしてくれた激しい抱擁が、やけに懐かしかった。
「さぁ、それじゃあ警察にこの場所報告して終わりにしよっか」
 先生は空になったボンベを振り回し、意気揚々と引き揚げ始める。僕もまたその後を追いながら、ふと考えた。――これって一体、誰の仕業だ?
 考えれば考える程おかしい。こんな関東の外れの片田舎。人口も少なければ名所も名物も何も無い。有名な人もいないし、逆にここまでされる程に恨まれている人や企業なんかもありはしないだろう。
 なのに、どうしてここを狙った? どうしてここじゃなければいけなかった?
 犯人が意図する事がまるで見えない。もしもこの爆弾を僕達が阻止出来ていなかったら、それは相当に酷い惨状となって新聞を賑わす大きな事件にはなっただろうけど、それでもやはり納得が行かない。どうしてこんな何の特別さも感じられない田舎の町を狙わなくてはいけなかった?
 やけに妙な気分だった。爆弾は全て片付いた筈なのに、胸の奥にまだ大きな塊がつっかえたまま残っているようなイメージが払拭出来ない。
 そう言えばさっき処理した爆弾は、残り時間はまだ一時間近くあった。
 一時間と言う事は――携帯電話の時計を確認すれば、その一時間後はちょうど午後の三時と言う事なのだろうと推測出来た。
 午後の三時。誰もが皆、春の陽気に誘われて眠気を感じるであろうそんな時刻。
 ふと気になって、僕は再びヤスユキへと電話をした。
「どうした? 俺ももう学校へと戻るぞ」
「ちょっと待ってくれ。もう一回、もう一回だけ町を見てくれないか」
「なんで? 見てもいいけど、肉眼で見渡してもおかしい所なんてないぞ。もうどこもモノクロばかりだ」
「――本当か?」
「本当だっての。どこかおかしかったら、俺が黙ってちゃいないだろ」
 それもそうか。思い直し、僕は「スマン」と言って通話を切った。
 思い過ごしか。そう言い訳しながら、先生が待つ車へと乗り込む。――あぁ疲れた、今日はさんざんな日だったなと思いながらリクライニングを倒し、背伸びをした。
「さて、これからが大変ね」
 先生は溜め息を吐きながらイグニッションのキーを回す。
「何がですか? 問題は片付いたじゃないですか」
「そりゃあね。君達は学校へと戻ったら再び英雄扱いでしょう。でも私達はそうは行かないのよねぇ。さっき国代クンが言ったように、父兄からも“なんて危ない真似させたんですか”なぁんて叩かれるに決まってるし」
 ――有り得る。特にユリコ先生なんか、爆弾処理実行部隊クラスの担任だ。もちろん学校側からだって許可なんかもらっていない筈。責任は重大だ。
「多分これは懲戒免職処分かなぁ……なんて。思わずにはいられないよね」
「先生……」
「あぁ、別に責めてる訳じゃないのよ? だって私は先生だもん、生徒達が自主的に行った事を尊重し、見守る事だって必要じゃない?」
「でも先生!」
「しかも面白かったしねぇ、私としての最後の授業としてはなかなかドラマティックでさぁ」
 何も言えなかった。僕達は後先考えないままに行動し、名誉を勝ち取ると同時にその責任は大人に押しつける事になってしまったのだから。
「先生……ごめん」
「別にいいわよ」ユリコ先生は笑いながら言った。
「ただ、私が教師辞めればいいだけの事じゃない? 簡単よ」
「でもそれじゃあ先生、生活困るじゃないですか!」
「困らないわよ。ウチ、結構裕福だし。だからこそこんな車に乗ってるんだし。それに……」
 ユリコ先生は意地悪そうな笑顔で僕を見る。
「私は教師じゃなくなるのよ? “先生”と、“生徒”って関係じゃなくなる訳なんだけど?」
 ――けど? 何?
 そして気が付く。突然異様な程に頭が熱くなり、頬や耳たぶ首筋などが、火を吹き掛けられたかのように火照り始めた。
「え、先生、それじゃあ――」
「国代クンは、教師じゃなくなった私には興味無いのかなぁ。もしそうだったら私、悲しいなぁ、なんて」
 来た! フラグ来た! これはもう絶対に確定フラグだ!
 胸が高鳴る。腰が砕ける。頭の中はパッパラパーで、足は震えて、やけに喉が渇いた。
 何だこれ。さっきの妙な感じはこれだったのか? まだ何かが終わってないと感じたのはこれだったのか? それなら納得。これこそ最後にして最大の大事件だ。
 思いながら、それじゃあ改めて告白の台詞をとめまぐるしくその未熟な脳内で適切な言葉を選び出していれば、こんな場面でそれはないだろう的な携帯電話の着信音。
 誰だよ! 思いながらそっとその画面を覗けば、表示はヤスユキのもの。
 シカト! こっちは今、人生において最初で最大なるビッグイベント中なんだと携帯を再びポケットへとしまい込む。
「あら、出なくていいの?」
 ユリコ先生に言われ、「いえ、全然平気」と返すも、その着メロは一向に鳴り止まない。
「岡田クンか沢辺クンでしょう? 出てあげたら?」
「いえ、出なくていいです。どうせ大した事ないんだろうし」
 言うがそのコールはやけにしつこく、止む気配がない。
「出なさいよ、何か重要な話かも知れないじゃない」
「いや、でも……」
 今のこの話よりも重要な事なんてある訳ねぇじゃん! 思いながらもしょうがなく、僕は着信のボタンを押した。
「もしもし、何!?」
 多少、声が怖くなるのは仕方がない。なにしろ僕と先生の貴重な場面を邪魔したんだ。むしろ第一声で怒鳴られないだけマシだろう。
「リョータか? 今どこだ?」
「どこって……先生の車ん中。今、学校に向かってる最中」
「いや、そうじゃなくて!」何故かヤスユキの方が怒鳴り声。
「場所を聞いてるんだ、場所を! 出来るだけ正確な場所を教えてくれ! 今すぐに直行して欲しい所があるんだ」
「直行? なんで?」
「何でって……あぁ、もう! なんか妙な車がいたんだ! 今、俺とエトさんはそれを追い掛けているんだ!」
「妙な車? なんだそれ」
「赤いんだ! なんかもう真っ赤っ赤なんだ! 濃いピンク色とか通り越して、鮮血みたいな真っ赤な色の車なんだ! そいつがさっき隣の町からやって来て、坂を越えてこっちの町へと入って行ったんだ!」
「なに、それ」
 真っ赤? ピンクなんか越えて、鮮血みたいな真っ赤な色の車?
 何なんだよそれ。ヤスユキの奴、一体何を見て――。
 その時だった。向こうからやって来る一台の白い高級車。それが僕とユリコ先生の乗る車と擦れ違うその瞬間、ザザザザザッとノイズが聞こえ、そして視界が乱れ始めた。
 世界はやけに緩慢となり、まるで超スローモーションな映像が流れているかのような、モノクロで荒い画質の視界の中、擦れ違う向こうの車の助手席に、ピンクの色をした男の顔が見えた。
「――タケル?」
 呟くと同時に、それはこちらを向いた。
 耳まで裂けているかのような大きな口で笑い、ガラス窓など存在してもいないかのように鮮明に、タケルは僕に話し掛けた。
「国代、ラストゲームだ」
 何? ラストゲームだって? どう言う意味だ?
「まさか爆弾を全部止めて、お前の勝利だなんて言うつもりはないよな? あれはただの余興だ。前座だ。本当のゲームはこれからなんだぜ。知ってたか?」
「……何を言いたい?」
「……かいするよ。早く俺の乗る車を追って来い。そうすれば……のが判る」
「何を言ってるんだタケル! 大体お前はもう……」
 ギュンと音がして、世界は戻った。向こうの車は残像を残して後方へと流れて行き、そして僕はいつの間にか、掌で右目を押さえていた。
「どうかしたの、国代クン」
 先生が心配そうに聞く。そして僕はそれには答えず、ただ一言。
「先生、あの車を追って!」
 先生が躊躇したのは、バックミラーでその車を確認した一瞬だけだった。
 ギアを入れ替えると同時にサイドブレーキを引き、ハンドルを切って車体をスピンさせる。そして僕達の視界の遥か前方に、その白い車はいた。
「任せて」
 先生愛用のフェアレディは、タイヤを鳴らして発進する。
 バックミラーのずっと後方に見えるエトさんのオンボロ車とは違い、先生の車はあっと言う間にその白い車を、視界の射程距離内に納めていた。

 *

 着いた先は、町の中心地の一画にある某廃屋ビルだった。
 車は裏通りの、陽の当たらない狭い路地の中に停められていた。
 遠目に二人。――いや、三人目が後部座席から降りて来た。どいつもこいつも黒いスーツを着込んだ、いかにもな怪しい風体だった。
 僕と先生はまだ車に乗り込んだまま、少し離れた対向車線側の路肩でそれを見ていた。
 ともすれば少しだけ開いた先生のブラウスの胸元に視線が行きがちになるのだが、僕はそれを必死で堪えて男達の行動を見守った。
 連中は確かに怪しい。怪しいが、妙である。特に目立った荷物も何もなく、皆が手ぶらで車を降り、廃屋の裏口へと向かうのだ。
「ヤスユキはあの車が“赤”に見えるぐらいの鮮烈なピンク色って言ってたんですけど、なんかその元凶になるようなものは持ってなさそうですね」
「そうねぇ。じゃあ一体、何が危険なのかしら」
 話していると、僕側の方の窓が叩かれた。振り返ればそこには自転車にまたがり、息を切らせたマサヤンがいた。
「どうした?」
 聞けばマサヤンは、「ヤスユキに呼ばれた」とだけ言った。
 少し遅れて僕等の後ろに、エトさんの車が停まる。急いでヤスユキが助手席から降りて来た。
「車はどこ?」
 聞かれて僕は、向こうに停まった白い高級車を指差す。ヤスユキはそれを見て頷きながら、「良くあの車だって判ったな」と僕に言った。
「それより、まだあの車はピンク色なのか? それとも――」
「あぁ、もう色は見えない。何かその原因になるものと一緒に降りたっぽいな」
 だがそれらしき荷物は何も無かったぞ。とは言わずにおいた。
「なぁ、アンナは?」
 マサヤンの問いに、「置いて来た」と、ヤスユキは言った。
「異常な色の濃さだったからな。他の連中には教えずに来た」
「懸命やな」
 そう言ってマサヤンは自転車を降りる。
「じゃあ、私の役目もこれで終わりかね」
 エトさんはそう言いながら、そそくさと車へと戻ろうとする。だが誰も、それを止める事はしなかった。
「ありがとう、エトさん。ここまで連れて来てくれて」
 ヤスユキの言葉にエトさんは、「え、ホントに逃げちゃっていいの?」と、聞き返すぐらいだった。
「先生も逃げて。後は僕達だけでなんとかするから」
 ユリコ先生にそう言うと、「そう言う訳にもいかないよね」と言い返される。
「一応はまだみんなの担任教師だしね。とりあえず最後まで付き合うわ」
「ダメです先生」
「アカン、先生」
「とっとと帰れ、先生」
 何故かヤスユキだけが叩かれた。
「ホントにここから先は僕達だけでいいですよ、先生。逆に先生がいると動きづらいって言うか……」
「何でよ? 一応私は大人なんだけど? みんなよか人生経験は豊富だけど?」
 豊富って程の年じゃないでしょう。一応は心の中でツッコんだ。
「ホンマにアカンって、先生。国代の事を想うんなら付いて来んでくれんか。恐らく先生は足手まといや」
「足手まといってちょっと……」
「いや、ホントだって先生。もし先生が付いて来て危険な目に合いそうになったら、リョータはそっちにだけ気を取られちゃって集中出来ないって」
 確かに。僕はそう思った。
「確かにね」ユリコ先生はそう言った。――おい。
「じゃあ私は別行動を取るわ。一応、教師として言っておくけど、くれぐれも無理しないように。そして無事に生きて戻って来るように。――以上」
「それ、教師としての発言だったら問題じゃない?」
 もう一発、ヤスユキが叩かれる。何故か妙に嫉妬してしまうのはどうしてなのだろう。
「ほな行くか」
 マサヤンが先頭に立って道路を渡り始める。そしてそれを、ヤスユキと僕が追う。
「待って、国代クン」
 先生に呼び止められ、僕は振り向き――。
「ちょ、何やってんのあんたら!」
「うはっ、先生大胆やなぁ!」
 二人の野次など聞こえもしなかった。何しろ憧れのユリコ先生の唇は、まさに僕の右にほっぺの上にあり――。
「せ、せ、せ、せ、せ、先生」
「国代クン、良く聞いて」ユリコ先生はいつも以上に甘い声で、僕の耳元に直接に話し掛けて来た。
「あなたはいい子。――いえ、いい男ね。頭はいいし、決断力もあるし、何より人から頼られて、リーダーシップもある」
「え、何を言って……」
「でもあなたには決定的にダメな部分があるの。それはなんだか知ってる?」
「い、いえ」
「それは、“自信”よ。あなたに決定的に欠けているのがそこ。自分自身がいかに凄いかって事を、天然レベルで自覚していない所」
 天然って……やけに酷い言い方じゃないですか?
「いい、国代クン。あなたはもっと自分に自信持って。あなたが持っている能力、知識を信じて。そうすればきっと、今よりももっと凄い事が出来る筈だから」
 自信? そんなのどこに行けば売ってるんですか。思いながら僕は、「ハイ!」と、元気良く返事をしていた。

 *

 カツン―― カツン――と、足音が周囲に響き渡った。
 外から見た以上に、寂しい場所だった。建築半ばで打ち捨てられたと聞いてはいたが、内部を見るまでこんな感じになっているとは想像も付かなかったのだ。
 きっと将来的にはいくつものテナントが入る予定だったのだろう、空いたままの洞穴みたいなスペースがいくつも連なり、配線や配管は工事途中のものからこれから施工だろうと思えるものまで、無造作かつ乱雑に放られていた。
 打ちっぱなしのコンクリートの床や壁はやけに埃っぽく、剥がれて落ちた破片が靴の下でバリバリと砕ける音がする。
 吹き抜けの空間で、頭上を飛ぶ鳩か鴉の姿を見た。更にその上には明かり取りの天窓があり、電気の点かないこの空間を明るく照らしてくれていた。
「不気味な場所やなぁ」
「シッ、声立てるな。どこにアイツらがいるか判らないんだぞ」
 相手は三人。こちらも三人。数的には同等だが、こちらは約二名が戦力外通告されそうなメンバーである。出来れば相手チームとは出会いたくはない。
「なぁ、ヤスユキ。連中がいる場所、見当付くのか?」
 小声で僕は聞いた。
「あぁ、ぼんやりとは判る。――上だ」
 天井を指差し、ヤスユキは言う。
「見えるんかい」
「うん、見える。ピンク色の光が上から射して来るから」
「何があるんだよ」
「なぁ、やっぱ警察の到着待たないか。俺、こんなに濃い色のもの見たの初めてなんだけど」
「同感やなぁ、偉そうな事言って来たけど、俺等じゃあ手に負えんようなレベルかも知れへん」
 その時だった。
「うあ……あぁ……あ……」
 ヤスユキが、あくびともうめき声ともつかない声で慌て出す。
「なんだよ、今度はどうした?」
 聞けばヤスユキは、「まただ」と悲痛な呟きをもらす。
「またって、何が?」
「また世界がピンク色に染まり出した。なんなんだよ、これ!」
「まだ爆弾が残っとったちゅう事か?」
「そんな……。またやり直しって事かよ」
「液体窒素、もうあらへんぞ。どないする」
「あああああ、逃げよう。マジ逃げよう。今度は無理だ、俺等まで死んじゃう」
 そんな会話を交わしている最中だった。
「誰だ」
 声がした。振り向けばそこには、黒いスーツの強面な男が二人。相当にヤバそうな表情で僕達を睨み、立ち塞がる。
「――リョータ。どうするんだよ」
「聞かれても困る。僕には苦手なシチュエーションだ」
 言ってるそばから男達は上着の内ポケットから何かを取り出す。
 ――拳銃だ! そう思ったら違ってた。もうちょい優しいが充分に暴力的である、ゴツいメリケンサックだった。
「無理無理無理無理。逃げよう、謝ろう、そして逃げよう」
 ヤスユキは音を立てて引き下がる。それと同時に僕達の前に立ったのは――。
「ここが俺の出番やな。二人共、上に行き」
 マサヤンだった。
 もうやる気充分な雰囲気で上着を脱ぎ、空手の型を構える。向こうの二人は、まんまキックボクシングなスタイルだ。
「大丈夫かよ」
「何とかなるやろ」
 闘志みなぎらせながらも、マサヤンは至ってのんきなものだった。
「判った。任せた!」
 僕は彼の背中を叩き、そしてもう既に三メートルもの距離を逃げかかっていたヤスユキの手を取り、僕は階段の方向へと向かった。
「無理だって、リョータ! いくらマサヤンでも二人相手ってのは無茶だろう!」
「だからって逃げていいもんでもないだろう。早く――」
 ぐおおと、吠え声が聞こえた。誰かが誰かにやられた、そんな声だ。
 階段の前に立ち、おそるおそる振り向けば――。
「マサヤン!」
 二人で同時に声を上げた。声をあげてうずくまっているのは、スーツの男の片方だった。
 どうやら前蹴りが腹部にクリーンヒットしたらしい。男は両膝をついて倒れている。マサヤンは僕達の視線に気付き、親指を立てながらこう言った。
「すぐ追いつくわ。はよう行って」
 僕とヤスユキは頷いた。そして早足で階段を駆け上がり始めた。

「――なんだぁ、これ」
 ヤスユキが呟く。僕もまたそれが何なのか気になって、近付いて良く見てみた。
 窓に向け、斜めに仕掛けられたC-4爆弾。但しそれは今までのと違い異常な程の量であり、更に違う部分が、その爆弾の前方に取り付けられた大量の鉄屑だ。
 ボルト、ナット、スプリング、鉄パイプ、錆びたギアーに、パチンコ玉。切り落とされた鉄片に、レンチやドライバー等の工具までもが混ざっている。そしてそれらが小型のガラスのケースに収まって、爆弾の前方にびっしりと取り付けられているのだ。
「これ、クラスター爆弾を真似た奴かな」
 僕が言うと、「クラスター?」と、ヤスユキが問い返す。
「うん。あまりにも悲惨で殺傷能力が高い事から、世界中で使用が禁止され始めている危険な爆弾さ。最初の爆発で小型の爆弾をばらまき、更にその小さな爆弾が爆発して、こう言う小さな金属片をばらまいて、人を殺す。そんな爆弾の事だよ」
「ええええ、なんでそんな物騒なものを」
「知らないよ。製作者に聞くしかないね」
 言いながら、爆弾から離れる。見ればそのフロアの至る場所に、それが設置されていた。恐らくはこの先の上階全てにそんなものが置かれているだろう予感があった。そしてそれら全てが窓の方向を向いているのにも納得が行った。
 つまりは、ここを中心にしてこの町全てに金属片をばらまきたい。そう思っての構造なのだろうと理解した。
 時刻を見れば、既に三時は過ぎている。最初に設置された爆弾の爆発時間は過ぎたと言う事だ。
 なのにまだこの爆弾は動いていない。つまりは最初から二段構えな計画だったと考えられる。
 最初の各地の爆発で、近隣の建物を爆破。そして人々が逃げ惑い、混乱が生じた所でこの爆弾が爆発。逃げ惑う人々に金属片の雨を降らせる――。
「ふざけんな」
 僕はそう呟きながら再び階段を昇り始めた。後ろからヤスユキが嫌々ながらに付いて来る。
 やがて、最上階へと辿り着く。四方が窓になったバリアフリー状のフロア。もちろんそこにも、大量の爆弾が設置されている。
「どこだ。起爆装置は」
「――まだ上だ」
 ヤスユキは天井を向いてそう言った。――屋上か。僕は非常階段の方へと向かった。
 屋上には貯水槽やら大型の室外機等があちこちに立ち並び、まるで迷路のようなイメージで、なんにもない広い空間を想像していた僕には予想外な感じだった。
 そして、それはあった。屋上の中央部、色んな装置が積み重なり、そこから黒いコードが蜘蛛の巣のように四方へと広がっている。
「あれをぶっ壊せばいいって事か」
「馬鹿。壊すんじゃなくて止めるんだ」
「え、同じ事じゃね?」
「……お前は、口は出しても手は出すなよ」
 言いながら装置へと歩み寄る。見た限りではどうやら、先程までのアタッシュケースに収められている程度の簡単な(僕にとってはそうでもないが)装置ではなさそうだった。
「どうするんだよ、おい。今度はお役立ちアイテムは無いんだぞ」
「そうだなぁ」言いながらも僕は結構、楽観的だった。
「でも平気だろ。見ろよこれ、まだ作動してないみたいだから、今の所は安全っぽくねぇ?」
「マジか!?」
「大マジ。つまりは触らなきゃ大丈夫って感じ」
「なるほど」
「なるほど」
 同じ台詞が二つ続いた。おや、マサヤンの到着か? 思いながら振り返れば――。
「リョ……リョータ」
「ヤスユキ……とりあえず手をあげてろ」
 銃口が、ヤスユキのこめかみに当てられていた。そしてその隣には、黒いスーツの最後の一人だろう、スキンヘッドの中年男性がいた。
「なるほどね、時間になっても何も起こらなかった訳だ。まさかとは思うが、君達だけで全て処理したのかな」
「……」
「あぁ、いいよいいよ、無理に答えてくれなくても。とりあえず二人共、そっちに移動してね」
 僕にも銃口が向けられた。そして男は、反対側のフェンスを指差す。
 僕達には、全てを見ている事だけしか出来なかった。銃を向けられ、震えながらその全てを見ているだけしか出来なかった。
 男はカードキーを懐から取りだし、装置の中に押し入れる。すぐに機械に光が灯り、それは作動しだした。
「ハイ、もう終わり。これで全員、死亡確定」
 男はそう言って笑った。やけに爬虫類めいた、いびつな笑い方だった。
「誰がやったんだか知らないけれど、おかげでこっちはとんでもない大赤字だよ。この装置を使った作戦は町中に仕掛けられたカメラで録画され、その様子は最高のプレゼンになる筈だったのに、つまらない邪魔のせいで百パーセントの効果を見せる事が出来なくなった。最低だよ、最低。なんの得があって、計画の邪魔とかするのかなぁ」
「じゃ、邪魔って何だよ! 俺等の町を使って何しようとしてんだよ!」
 ヤスユキが怒鳴った。
「何って……何が? 最近の学生さんは訳のわからない事を言うね。君達こそ、私達の計画地に勝手に住んでおいて、何を余計な事してくれてるの。――あぁ、嫌だねぇ、こんな暇人ばかり住む片田舎は。もうちょっと東京見習おうよ、東京を。向こうはみんな無関心だよぉ。見掛けない鞄が職場に置いてあったって、誰も何も興味を示さないものだよ」
「だったらどうして、そっちでやらなかったんだ。なんでこんな片田舎を狙ったんだ」
「さぁ、どうしてだろうねぇ」銃口が持ち上がる。そしてその先は、僕の眉間を狙っていた。
「とりあえずこの後どうする? ここで爆発が起きるのを目撃しながら死ぬ? それともてっとり早く今死ぬ? 早い所決めてね。私もそろそろ逃げなきゃマズいから」
「……」
 言いよどんだ。何も言えなかった訳ではない。その男の背後に、マサヤンが現れたからだ。
 そしてどうやらヤスユキの、マサヤンの到着を確認したらしい。その目にキラリと光が灯るのを僕は見てしまった。
 ――頼む。今だけは余計なリアクションしないでくれよ、ヤスユキ。僕は願う。
 だがやはりヤスユキはヤスユキだ。どうしてもこう言う場面で何かをしなきゃいけない人間らしい。
 突然右手を上にあげ、そしてリズミカルに指を打ち鳴らす。
 左手は腰。両足を大きく開いて、顔だけ横を向きながら尻を振り始める。――ヤバい、ヤスユキの十八番、マイケル・ジャクソンの物真似だ!
「な、何を始めた?」
 さすがの黒服の男も、これには面食らっていた。
「アオッ!」
 始まった。もう止められない。僕は絶望感より先に恥ずかしさで一杯になる。
「アズヒ、カン、イントザ、ウンドー!」
 へったくそな歌と、本物のマイケルが背後にダブって見えるぐらいの完璧なダンス。これをやられると、どんなに静かな教室でも瞬間的に湧き上がる。ヤスユキの秘密兵器のような技だ。
 華麗にくるりとターンを決めて、そしてヤスユキは男を指差す。同時に男の持つ銃が、空中に舞いあがる。マサヤンの足が、男の右腕を蹴り上げたからだ。
 もう、なんなんだ、なんなんだ、この二人は! どうしてこう言う場面で冷静にこんな真似が出来る!
 マサヤンは落ちて来た銃を蹴り、僕達の方へと滑らせて寄越す。そしてそれを受け取ったヤスユキは、「没収ーっ!」と叫びながらそれを近くの換気口の中へと放り投げる。
「もう一人いたのですか」
 男は右手を庇いながら言う。
「そりゃあこっちの台詞やで」
 言いながらマサヤンは、両方の拳を突き合わせるようなポーズを取る。そしてその両手には、メリケンサックが嵌められていた。多少目がはれぼったく、唇が切れてはいたが、どうやら敵の二人は倒したらしい。その戦利品が、それを物語っている。
「今や国代! このデカブツは頼む!」
 そう言ってマサヤンは男に向かって突進する。
 ――デカブツ? デカブツって、やっぱアレか? 僕は起爆装置に駆け寄る。タイマーのカウントダウンは、既に残り十分を切っている。
 どうする? どうするよ、おい! アタッシュケースの爆弾だって構造なんか全然判らなかったのに、こいつは更に複雑で面倒そうだ。それを液体窒素無しで十分以内に解体しろとか、ごく平凡の男子高校生に言うのはちょっと酷な話じゃないか?
「リョータ!」
「……ヤスユキ?」
「心配すんな。こう言う事もあろうかと、アンナからお前に贈り物だ」
 言いながらヤスユキはポケットを探る。――あぁ、ありがたい。こう言う事には詳しいアンナの事だ。きっと“一分で判る爆弾解体マニュアル”とか、“サルでも出来るやさしい図解入り爆弾処理Q&A”とか、そう言うものを……。
「ホイ、これ」
 渡されたのは、掌サイズの十得ナイフ――ならぬ、十得工具。これ一つでニッパーからドライバーからレンチまで、どんな工具も思いのまま――って、全く役に立ちそうにないじゃん!
「ほら、早くしろリョータ!」
 ヤスユキがせっつく。
「はようせい! 頼むぞ国代!」
 向こうでマサヤンが叫ぶ。
 馬鹿野郎か。なんでこんな事を僕に任す!?
 あぁ、もう無理だ。絶望感のまま右手で顔を押さえれば、ぐらりと視界がブレ始める。
 あ……来た。そう思った瞬間だった。そのデジャビュのような目まぐるしい視界の中、僕のものだろう両手が物凄い勢いでその装置を操作し始める。
 ドライバーでネジを回し、正面パネルを取り外す。いくつもの基盤とコードをかいくぐり、本物の配線を見付けだす。
 何十ものスイッチの中から任意の一つを選び出し、コンデンサを遮断する。そしてダイヤルを操作しながら解除コードを探し出し、その下に隠された主要コードを見付けて、そして――。
「ど、どうしたんだ、リョータ?」
「……見えた」
「見えたって、何が?」
「この装置の処理方法さ。一体どこまで信じていいのか判らないけど」
「えっ、それマジで言ってんの?」
 迷っている暇などどこにも無かった。僕はただ、僕にだけ見えたそのヴィジョンに従うだけだ。もちろん信用なんて一切無い。
 十得工具からプラスのドライバーを引っ張り出す。まずはパネルのネジ外しだ。右下のネジから順番に、時計回りに取り掛かる。
 途中、一つだけやけに固いネジがある。これはトラップだ。このネジだけは反対に回す。もしも無理に回したならば、簡単に起爆装置が働く仕組みだ。
 そうして正面パネルを取り外す。そうすると中には、いくつもの独立した基盤とそこから繋がる配線コードが出て来る。だがそのほとんどはダミーだ。無造作に配線を引き千切り、プラグを抜いて、基盤を取り除く。
「お、おい、そんな乱雑でいいのかリョータ」
「知らん」
「知らんって、なぁ、おい」
「いいからもう、黙るか逃げるかしとけ。やるしかねぇんだから」
 次に見えて来たのは羅列されたスイッチ群だ。そのスイッチの全ては白い字でナンバリングされている。僕は慎重に、他のスイッチには触れないよう選ばれたものだけをオフにしていく。
 2、3、5、7、11、13――。
 そして最後の素数である97をオフにする。ランプが切れたのを確認し、コンデンサを引き抜く。
「なぁリョータ、なんでお前、そんな事出来るんだよ」
「知らないってば」
「知らないで出来る事じゃねぇだろ。なんで判るんだっての」
「判らないんだってば。僕にだってなんでこんな事が出来るのか不思議でしょうがねぇんだよ」
 次はダイヤルだ。タイマーを解除する前に、まずはこのメモリを狂わさなければならない。僕はそっと手を伸ばし、ダイヤルに触れる――。
 タン! 遠くて音がした。
「リョ、リョータ……」
「なんだよ」
 僕はヤスユキの声に反応する。そして促されるままに視線を向ければ――。
「国代!」
 マサヤンが叫んだ。スキンヘッドの前に、マサヤンが倒れ込んでいた。そしてその男の片手には銃が握られ、その銃口はまさに僕を狙っていた。
「マズい……」
 ヤスユキが呟く。
「そ、そりゃあマズいよなぁ、この状況」
「そうじゃねぇ!」ヤスユキは悲鳴のような声をあげる。
「マサヤンが……ピンク色だ。しかも相当に濃いぃわ。ありゃあ相当にマズい」
「マジかよ!」
 四面楚歌って気分だった。横目でちらりとタイマーを見れば、既に残りは三分だ。
「国代! 俺はえぇからはよう爆弾壊してくれい! 俺ぁコイツ、刺し違えてでもなんとかするから!」
 言いながらマサヤンは銃を持ったその男にタックルをかます。
「リョータ、なんとかしてくれ!」
「なんだよ、なんとかって! 僕に一体、何を求めてんだよ!」
 僕もまた叫びながらうろたえる。どうにかしようがなかった。爆弾だってもう奇跡的にここまで解体出来たってだけなのに、この上マサヤンまで助けようって言うのならば手に負えな過ぎだ。
「てめぇ、何を二丁も拳銃持ってんねん!」
「用意周到な準備はいけない事ですかねぇ?」
 どうやらマサヤンは腕か肩でも撃たれたらしい。揉み合いながらも力負けしているのが見て取れる。
「リョータ、どうしよう。マサヤン殺されちゃうぞ」
「どうしようたって……」
 助けるしかないじゃん。そして僕がマサヤン達に向かって一歩目を踏み出そうとした瞬間。
「うおっと、危ねぇ」
 僕はそれを、モロに踏む所だった。
 それは一体どこから転がって来たものだろう、真新しいバスケットボール。それが緩く転がって、僕の足にコツンとぶつかる。
「――これなら!」
 僕はそれを拾い上げる。そしてドリブル。奇声を上げながらマサヤンの方へと向かって行く。
「……何ですか?」
「国代! 来んなや!」
 銃口が再びこちらを向く。そして僕はそれよりほんのちょっと早く、ボールを投げ付けた。
 男が笑ったのが見えた。僕を馬鹿にしたのだろう、そんな笑みだ。
 ボールの軌道は読めたのか、男は首だけ傾げるようにして、それをかわす。
「どこを狙ってるのですか。下手なシュートですねぇ」
「アンタこそ、どこ見とんね」その向こうで、マサヤンが言った。
「ナイスパスや、国代!」
 ボールを受け取ったマサヤンは、猛烈な大振りのモーションで、至近距離から男の顔面を狙った。そしてその狙いは寸分違わず、男の鼻っ柱にクリーンヒット。
 よろめく男。同時にマサヤンの背負い投げ。続いてマサヤンのマウントポジションに、両手メリケンサックの雨あられ。
 ――勝負は付いた。
「リョータ、今度はこっちだ!」
 ヤスユキが叫ぶ。見ればもう残り時間は二分も無い。
 ダイヤルを掴む。今度は隠された数字を拾い当てる、そんな構造だ。だが数字は事前に知っている。
 0、1、1、2、3、5、8、13、21――。
 今度のは素数じゃない。なんて言ったっけ? フェボラッチ? フィボナッチ? なんか昔の偉い人が見付けた、特殊な数列だとしか記憶してない。
「開いた!」
 ヤスユキが叫ぶ。
「解除出来たんか?」
 駆け付けたマサヤンが割り込みながらそう聞いた。
「いや、まだだ」
 そうして開いた先には――。
「なんだ、これ!?」
 僕達三人の声が重なった。そこには笑える程に単純な、赤と青のコードが二本。早くどちらか切ってくれと言わんばかりに伸びているだけだった。
「早く切れよリョータ。早く俺を、安心させてくれ」
 ヤスユキの言葉に僕は、「無理だ、ごめん」と返事した。
「なんで? 後はもうこれだけじゃん!」
「だから無理なんだって。ここから先は……見えてないんだ」
「見えてへんって、何がや?」
「話せば長くなるから説明難しいけど、実はここまでの手順は“見え”ていたんだ。どこをどうすれば解体出来るかが。――でも、ここまでなんだ、見えてたの。ここから先は、まるで見えなかった」
「ならもう一回見ればいいじゃん!」
 僕は掌を右目に当てる。だが、ヴィジョンはまるで浮かばない。
「やっぱ無理だ」
「そんなぁ」
「ひゃっひゃっひゃっひゃ」笑い声が聞こえた。それは向こうで伸びている、スキンヘッドの男の笑い声だった。
「早く選びなさいよ。どうせもう残り時間もないんでしょう? グズグズしてると、町中の人達があなたのせいで死んじゃうよぉ」
「やかましいわ! お前かて死にたくはないやろ! どっち切ればいいか教えんかい!」
 マサヤンが叫ぶと、男はまた、「ひゃっひゃっひゃ」と笑った。
「ごめんなさいねぇ、実は私、解除方法知らないんです。私は単にこの爆弾を任意の場所に仕掛けて起動させる。ただそれだけの役目の人間ですからねぇ」
「くそ――」
「もういい、リョータ! ミスしても恨まないからどっちか切れ! もう全部、お前に任せた!」
「無茶言うな、ヤスユキ」
 言いながらも、僕は十得工具の中から小型ニッパーを引っ張り出す。
 結局、選ばなくてはいけないのだ。このどちらかを。あの不思議なヴィジョンに頼らずに、僕はこのどちらかを選ばなくてはいけないのだ。
「信じとるで、国代」
 マサヤンが僕の肩を叩く。
「信じてるぞ、リョータ」
 ヤスユキがその反対側の肩を叩く。
「だから無茶言うなって。なんでそう簡単に人を信じられるかなぁ、お前らは」
「お前だからやろう」マサヤンが言った。
「国代ならなんとかしてくれる。そう思えるから、信用出来るって言っとんのやで」
「そうそう」ヤスユキが笑った。
「みんなお前を信じてるんだ。だからお前も自分を信じろよ。なんでいつもいつも、お前だけはお前自身を信じてやれないのかなぁ」
 ――僕を、信じる? なんだそれ、さっきもユリコ先生に言われたぞ。
「でも、信じろって言われてもなぁ……。こればっかりはどっち切っても爆発しそうな気がしてさぁ」
 愚痴ればまた向こうで、「ひゃっひゃっひゃ」と、男が笑った。
 むくりと男が起き上がる。その突然さに驚き、僕がそちらへと振り向けば――。
「情けねぇなぁ、国代」
 男は言った。そしてその顔は、のっぺりとしたピンク色の顔だった。
「――タケルか?」
「なんでお前はそんなに自分自身に信用が持てねぇんだ。お前だけだぜ、お前の事をすげぇ奴だって思ってない奴は。あぁ、情けねぇなぁ、俺ってばなんでこんな奴と張り合いたがったのかねぇ」
「タケル……」
「早く決断しろよ。お前はお前自身の力を信じろ。疑って掛かっちゃダメだ。冷静に、自分の力と向き合えよ。そうすればきっと――」
 タケルの声が遠ざかる。見れば男はまだ、そこに倒れたままだった。
「リョータ。もう三十秒しかねぇよ」
「あぁ、うん」
 僕はそう返事をして、そしてニッパーをしまった。
「おい、国代! しまってどうすんや。はよう切ってくれ」
「いや、切らない」僕は言った。
「一度だけ、僕は僕の事を信用しようと思う。――だから、切らない」
「どう言う事だよ!」
「だから……見えなかったんだ、最後のこのヴィジョンだけ、何にも見えなかったんだ」
「うん。……だから?」
「だからさ。僕が僕の事を信用したならば、その結論に行き着いた。“切る”と言うヴィジョンが見えなかったんだ。だからきっと僕は――」
「なるほど。“どちらも切らない”。それが答えだって事なんやな」
「そう」
 僕は笑いながら立ち上がる。そして二人共、僕に続いた。
 カウントは残り五秒。今ならば、急いでどちらかを切れば、まだ間に合うだろう時間だった。
 だけど僕はそれをしなかった。
 多分だけど、僕の選択で合ってるよ。なんとなくだけど、そんな妙な確信があった。
 二人共、何も言わなかった。一体どこまで僕を信用してくれているのだろう。せめて、「あぁ、もっと生きていたかった」とか、そんな台詞ぐらいあってもいいと思うのに。
「ゼロだ!」
「ゼロや!」
 ヤスユキとマサヤンが同時にそう呟き、カウントがゼロへと変わった瞬間、表示は“ERROR”と言う字を映し出す。そして僅か数秒の後、デジタルの表示は消え失せた。起爆装置はまるで眠ってしまったかのように、全ての灯りを閉じていた。
「やった! ちゃんと停まった!」
「奇跡や! なんとか助かった!」
 おいおい、なんか全然信用されてなかった風にも聞こえるんだけど。
 マサヤンは左腕から血を流していた。一応、「大丈夫か?」とは聞いたが、「大して痛ぉない」と、なんだか良く判らない返事がかえって来ただけだった。
「とりあえず、終わったな」
 ヤスユキが言う。僕はそれに頷き、さぁ戻ろうと言い掛けて、やめた。あのスキンヘッドの男の姿がいつの間にか消えていた事に気付いたからだ。
「どこ……行った?」
「おかしいな、さっきまでそこに転がっとったんやけどなぁ」
 気が付けば男は、僕達の背後にいた。しかも再び、拳銃を拾い上げてだ。
「やっぱりあなた達だったんですねぇ」
 男は言った。
「どう言う意味?」
「先程の質問に、改めてお答えしましょう。私がこの町をモデルに選んだのは、あなた達が原因なんですよ」
「なん……だって?」
 僕は思わず聞き返した。

 *

「新聞にね。載っていたでしょう。暴漢から同級生を守った、男子高校生三人組なんて見出し付けられて」
 ――確かに、あった。僕もまたそれを見て有頂天になっていた事を思い出す。
「あれね。あれ見てピンと来たんですよ。あぁ、これだ。この町だって。新型爆弾のモデルにするには、この町がうってつけだって」
「なんでやねん!」
「光って見えたんですよ」男は、殴られて腫れた顔をしながらも笑って答えた。
「何故かね、あなた達三人の顔がね、やけに光って見えた。白黒の記事でしかない筈なのに、どう言う訳かうっすらとピンク色に染まって見えたんです。――まぁ、そんな事言っても信用されないでしょうけどねぇ」
 いや、そればかりは信じなくはないぞ。
「それが原因ですよ。ただ、私の目に留まった。ただそれだけです。別にあなた達を困らそうとか、そう言う気持ちでもなかった。ただあなた方の記事を見付け、その記事の中にあなた方の町の名前が書いてあった。まぁ、きっかけなんてそんなものでしょう。だからこそこの町を選んだ。――どうです? 納得の行く説明だったでしょう」
「まぁ、そこそこね」
 僕は皮肉を込めてそう返す。
「だけど実際は逆でしたねぇ。あそこであなた方が目に留まったのは、この町だけは選んじゃいけなかったって言う御神託だったようです。まさかその記事に載っているあなた方三人が、ここまでパーフェクトに私達の計画を阻止するとは思ってもいませんでした。おかげで私はもう、自爆以外にどんな道も残されていないようだ」
 ――自爆? なんだって!?
「さっき、私は解除方法を知らないって言いましたよね? それは本当の事なんですけど、強制爆発の方法だけは知ってるんです。まぁ、そう言う訳でみなさん、道連れなんですけどね」
「ふざけんなや!」
 飛び出そうとするマサヤンを、僕とヤスユキで止めた。
 銃口はこちらを向いていた。多分今度、奴は本気で撃つ。そんな気配が満ちていた。
 男は容赦なく銃口を突き付け、装置をいじり始める。見ていればやけに手際がいい。この分だとすぐにまた爆弾は再起動する事だろう。
「リョータ、なんとかならん?」
「なんとかって……これ以上まだ何かしろと?」
「三人掛かりで一斉に飛び掛かれば、なんとかならへん?」
「いやそれ、撃たれる覚悟での話?」
「そうそう。例え二人撃たれても、残り一人が辿り着ければ……」
「あぁ、そこからの距離なら、こちらへ辿り着く前にみなさんを殺せますよ、私」
 男は笑った。――打つ手無しか?
 その時だった。遥か向こうから、「国代クン!」と僕を呼ぶユリコ先生の声。
「え、ちょっと先生! こっち来ちゃダメ!」
「マサル! マサルはどこ? ちゃんと生きてるんでしょうねぇ!?」
「ありゃ、石垣まで来たんか。おぉい、こっちや!」
「いや、呼ぶなよ!」
 そして僕は驚いた。来たのはユリコ先生とアンナだけかと思っていたのに、そこの貯水槽の角から現れたのは、揃いも揃ってクラス全員。ついでにエトさんの姿まである。
「先生! 逃げて! コイツ銃を持ってるんだよ!」
「だから何? あなたが撃たれるのを黙ってみてろって言う訳?」
 先生はずかずかと男の方へと歩み寄る。そしてクラスの全員が、それに続いた。
 やがて男の前に、人で形成されるバリケードが出来上がった。誰もが隣同士腕を組み、男を逃がさないよう追い詰めた。
「ダメだって、先生! 逃げて!」
 僕は叫ぶ。だがそれを、ヤスユキが止めた。
「いいから、いいから」
「いいからって何だよ。お前、誰かが撃たれてもいいってのか?」
「大丈夫だって」ヤスユキは笑った。
「いいか、リョータ。だぁれも死なない。――信用しろ。絶対に誰も死なない」
 そうか。見えてるのか、コイツには。
 安心した。思いながら僕もまたそのバリケードの端へと辿り着き、一緒になって腕を組む。
 男の持つ銃はしばらく僕達の前をさまよっていたが、やがてそれにも飽きたのか、銃口は屋上の床の方へと向いた。
「やれやれ、最悪ですねこの町は。最初から東京のどこかを狙っていたなら、確実に成功した筈なんですけどね」
「暇人だらけの片田舎をナメんなや」
 マサヤンが言う。
「本当ですね。大嫌いですよ、田舎者は」
 男は笑う。
「あ、マズい」
 続けてヤスユキが言った。
「マズいって、何が?」
「ごめん、一人だけ死にそうだ。白黒の世界ん中、一人だけ濃いぃドっピンク色だ」
「え、誰だよ、それ!」
「アイツ。あの男だよ」
 ヤスユキが指差す。そして男は僕の方を向いて笑う。同時にその笑みは、のっぺりとしたピンク色の仮面へと変貌する。
「国代。俺、そろそろ行くわ」
 タケルの声だった。
「行くって……どこへ?」
「さぁ? 行った事ないから良く判らんけど、とりあえずコイツ連れて行くわ。どのみちコイツ、今日この場所で死ぬ運命だったみたいだし」
「運命って……なんで判るんだよ」
「判るんだよ。こっち側の人間になっちまえばな」そう言ってタケルは笑った。
「どうやら俺も、あの日に死ぬ運命だったらしいよ。わかんねぇもんだな、人の寿命ってのは」
「ごめん……あの時、気付いてやれれば」
「いいってば!」タケルはまた大声で笑う。
「それより国代、お前ちゃんと生徒会長選に出ろよ。約束だからな!」
「だからなんで……」
「最後までお前と張り合ったんだ。ちゃんと認めろ。俺はお前と遜色ないぐらいすげぇ奴だったって」
「タケル……」
「じゃあ、そろそろ時間だから行くわ」
 そう言って、タケルの顔をしたスキンヘッドの男は、銃をこちらへと向けたまま屋上の端へと飛び乗った。同時に周囲から小さな悲鳴があがる。
「なぁ、タケル!」僕は呼び止める。
「色々……ありがとな」
「いいさ」タケルは言った。
「あのなぁ、国代。俺なぁ――」
「何だよ」
「俺本当は、お前達と仲良くしたかったんだけどさぁ。……ちょっと上手くやれなかった」
「あぁ」僕は笑った。
「僕も同感だ」
「なら良かった」
 そう言って、タケルの姿は消えた。
 ようやく事件は、本当の意味で終結した。

 *

 新学期、僕達はとうとう三年生となり、高校生活も最後の年となった。
 クラスの顔触れは二年の頃と変わらず。但しそこにユリコ先生の姿だけが無かった。
 だが別に、例の事件で問題となって辞めさせられたとかそう言う訳じゃない。ただ単に、担任変えと言うだけの話だ。
 ユリコ先生と毎日逢えなくなるのは少々哀しい事だったが、まぁしょうがない。とりあえず最近は毎日先生とはメールをやり取りしてるし、恋愛の進展については、まだそんなに焦ってもいなかったし。
 事件そのものは、ほぼ秘密裡に終了した。爆弾が町中に仕掛けられていた事や、大規模な爆発に巻き込まれそうになっていた事などは全て伏せられたままになった。
 もちろん噂話等の流布だけはどうしようもなかったが、それでもいつしかそんな話題も沈静化し、忘れ去られる事だろう。
 結局、あの事件の首謀者等についてはまるで判らないままの様子だった。
 多少気にかかる事はあったが、それもその内、忘れてしまう事だろう。なにしろ今の僕達にとっては、さほど大きな興味には繋がらないのだから。
 マサヤンの腕の怪我は、本当に大した事はなかった。左腕をほんの少しかすった程度で、後遺症が残るようなものではないらしい。
 そしてアンナは、今もまだマサヤンと付き合っている。
 アンナは最近、眼鏡をやめてコンタクトにし、髪を伸ばし始めているようだ。若干だが、女の子っぽく見えなくもない感じになって来た。
 そして、新学期初日から遅刻しているヤスユキなのだが、相変わらず色弱の方は治ってはいないらしい。高校を卒業したら家業を継がなければいけないプレッシャーで、かなり弱っているとは語っていたが、僕から見ればそんなに困っているようには見えない。相も変わらず、おちゃらけた毎日を送っている。
 そして、肝心の僕はと言うと――。
「会長! 生徒会長!」
「えっ?」
 呼ばれて振り向く。見ればマサヤンとアンナが揃って教卓の方を指差しながら、しかめっ面をしている。
「あ……しまった」
 いつの間に入って来たのだろう、教卓の向こう側に担任である――非常に影の薄い――小寺先生が、これまたやけに薄い髪の毛を押さえつつ、控えめな咳払いをしながら立っていた。
「起立! 礼!」
 僕は声を張り上げる。――そう言い遅れたが、僕は今学期から生徒会長などと言うものをやっている。
 もちろん、自分の決断でそうした訳でもない。ただちょっとだけ、タケルの意志を尊重したかったと言うか、何と言うか。
「え、えぇと……今日はその、えぇと、転校生を紹介します」
 小寺先生が、やたらと控えめな発表をする。だがそれでも、皆の反応はやけにテンション上々で、目立たなさがウリな小寺先生はただそれだけで顔を真っ赤にしている。
「先生、男ですか、女ですか!?」
 誰かがそんな質問をしたが、それとほぼ同時に教室の扉ががらりと開き、その転校生は顔を現した。
「え、えぇと……大城タクト君です。皆さん、仲良く……」
「どうも、大城です。よろしく」
 なんだ、男かよ。えぇ、恰好いいじゃん。なんて声があちこちから上がる。
「じゃ、じゃあ席は……あの……国代君の横の……」
 よりにもよって僕の横かよ。思っている間にもその転校生は僕の横にやって来て、小さな声で、「よろしく」と、僕に向かってそう言った。
「あぁ、どうも。よろしく」
 机に頬杖つきながら適当にそう答えると、その転校生はこちらに視線を向けもしないまま、「へぇ、ちゃんと守ったんだ」と、そう言ったのだ。
「はぁ? 何?」
 聞き返せば転校生は、「約束! 守ったんだなって言ったんだよ」と、笑いながらこっちらを向いた。
「え……?」
 突然ぐらりと視界が揺れたかと思うと、その転校生の顔はぐにゃりと曲がり、いつの間にかのっぺりとしたピンク色の笑い顔へと変わっていた。
「タ、タケル? なんでここに? お前、“向こう”に行ったんじゃなかったのかよ!?」
 聞けばタケルはますますそのアルカイックな口元を吊り上げながら、「行ったよ」と、答えた。
「行って、生まれ変わったんだ。まさかお前と同じ歳で生まれ変わらせてくれるなんて思ってもいなかったけどな」
「嘘だろう? なんでいきなりその年齢なんだよ」
「いいじゃん。だって俺、人間として生まれ変わった訳じゃねぇし」
「人間じゃないって? それってどう言う――」
 言い掛けた途中で、タケルは口元に人差し指をあてがって、「シー」と、呟く。
「来るよ。覚悟しとけよ、国代」
 そう言ってタケルが教室の扉を指差せば、同時にまた扉ががらりと開いた。
「おっ、遅れました! ごめんなさいっ!」
 そう言って入って来たのはヤスユキ。僕はそれを見て、「アレの事?」とタケルに聞けば、「すまん、アレじゃない」と、普段の顔に戻ったタケルが苦笑を浮かべてそう言った。
「あ、あの……岡田君? その……頭から……」
 小寺先生の忠告などまるでスルーなまま、ヤスユキは身体中の血液が頭に集中しているんじゃないかってぐらいに顔面を紅潮させ、ついでに頭と鼻からだらだらと血を流しながら満面の笑みでこちらへとやって来る。
「お、お前なんや。今度こそ頭打ち過ぎて変になったんちゃうか?」
 マサヤンが心配そうにそう聞けば、「ビンゴ!」と、ヤスユキは嬉しそうにそう答えた。
「今度は何なんだ? 黒猫か? 八傍線の踏切か? それとも――」
「痛車でも、河童でもねぇよ!」ヤスユキは言い返した。
「聞いて驚け。俺ぁこの怪我と引き換えに、もう一つでっけぇ能力を手に入れたぞ」
 そんなヤスユキの言葉に、僕達は揃って、「マジ!?」と聞き返した。
「あぁ、大マジ。今だってその能力、ビンビン来てるぜ」
「へぇ、どんな?」
 アンナが聞き返すと、ヤスユキはやけにデレた顔でアンナを見詰め、「今日は水玉模様のフロントホック」と、彼女を指差す。するとアンナは少しして、真っ赤な顔となりながら両手で胸元を押さえた。
「な、な、何ごと!? もしかしてあんた、今度は透視能力でも身に付けた!?」
「正解~! 尤も、透視出来ても服一枚分だけだけどな」
 なるほど、こいつの笑みと鼻血の意味が判った。思うと同時にアンナが悲鳴を上げ、マサヤンが、「見るな、あほう!」とヤスユキに飛び付く。
「――相変わらずにぎやかだな、お前らは」
 タケル――いや、大城タクトは笑う。
「そうかな。いつもこんなんだけど」
「羨ましいよ。まぁ、せいぜい笑っときな。もうすぐ笑えなくなるような状況になるぜ」
「どう言う意味だよ」
 聞き返せば、「今度こそ来たぞ」と、扉を指差す。するとそこに現れたのは――。
「ユリコ先生!」
 声がわずかに裏返る。同時にヤスユキが、「黒!」とか叫んだので、僕は思わずその顔面に裏拳をくれてやる。
「国代クン……」
 小寺先生を押し退け、僕等の前に立つユリコ先生の顔はやけに険しく、そしてどこか不安そうで――。
「えー、ミナサン、失礼しますヨ」
 言いながら、ユリコ先生の後ろに続いてスーツ姿の大柄な白人男性二人が教室へと入って来る。そして“僕の”ユリコ先生の肩に手を置きながら、その二人の内の一人がカタコトながらも流暢な日本語でこう告げた。
「ワルいのですが、これから名前をヨバれた三人の生徒さんは、キリツして下さい。時間がアマリ無いので、嘘はイワないで下さいーネ」
 はぁ? 何ごとだ? 思ったと同時に、ヤスユキが小声で、「なんだあれ」と呟いた。
「なんだって、何が?」
 聞けばヤスユキはその白人を指差して、「脇の下にでっけぇ銃を吊ってるぞ」と、教えてくれた。
 ――銃? 銃だって? またなんでそう、こんな片田舎に馬鹿げたものを持ち込むヤツが多いんだ? 思ったと同時に、「リョータ・クニシーロ」と名前を呼ばれた。
「えっ、僕?」
 思わずそんな事を言いながら立ち上がる。そして立て続けに、「マサール・サワベ」と、マサヤンも名前を呼ばれた。
「な、な、なんなんだ? お前ら二人、なんかやった?」
 不安そうにヤスユキがそう聞くと、今度は、「ヤスユーキ・オカーダ」と呼ばれ、泣きそうな顔になりながら、鼻にティッシュを詰めつつも渋々と立ち上がる。
「もう一人足りないよ」
 横でタクトがそう呟きながら、指を一つ、パチンと鳴らす。するとその白人は一瞬だけうろたえたかと思うと、次の瞬間、タクトを指差して、「君もデス!」と叫んだ。
「……何したんだ?」
 僕が聞くと、またいつもの通りにピンク色のアルカイックスマイルになりながら、「さぁね?」と、タクトは立ち上がりながら笑う。
「さぁ、国代。次のゲームの始まりだぜ。楽しみだなぁ、やっぱゲームは見ているよりも参加しなくっちゃだな」
「何を……何をしたんだ、お前は?」
 聞けばタクトは、「俺は別に何も?」と、手をあげて見せた。
「ただ、お前らの味方したくてわざわざゲームに参加しに来ただけさ。――仕事も兼ねてね」
「仕事? 仕事って何?」
 聞けばタクトは本当か嘘か、僕ににっこりと笑い掛けながら、「死神」とだけ答えた。
「国代クン……お願い、ハッキリと断ってね」
 ユリコ先生がさっき以上に不安そうな顔となって僕にそう告げる。同時に先程、僕達の名を呼んだ白人の男がそれを手で制止するようにしながら、「コトワル権限は、みなさんにはございまセン」と言った。
「これは、ニッポン政府から直接出ている指示だとオモッテ下さい。みなさんの身の安全はカンペキに保障しますが、行く、行かないの意志のソンチョーは認められておりまセン」
「え……行くって、どこにさ?」
 ヤスユキがそう聞けば、白人の男はにこやかに、「英国デスね」と答えた。
「ハァ? イギリス? 何で?」
「ショウガないです」男は言う。
「あなた方三人……アレ? 四人? ――ハ、名指しで呼ばれたのですカラ」
「呼ばれたって、誰に?」
「さぁ、ワカリマセン」男は両手を広げながら言う。
「但しコレは、我が国始まって以来とイって良い程のミゾーのキキです。強制的に連れて行くとは言え――コジンテキニハ、助けて下さいと頭を下げたいぐらいの事件なのデス。どうか……」
「わからへんわ」マサヤンが怒鳴った。
「助けてくれってのはいいわ。それでもアンタの国で何があったのか、どう言う事が起きてんのか、サワリ程度でも話してくれてもええんちゃうの?」
「ソレハそうなのデスが……」男は言い淀む。
「ワタシ達も、内容は詳しく教えてもらえてないのデスよ。ただ単に、皇太子殿下が桃色の危機が迫ってるとシカ――」
「桃色?」マサヤンが呟いた。
「――ピンク色の脅威って事か? そらぁ大好物やね」
 いつの間に取り出したのか、いつぞやの戦利品のメリケンサックを両手に嵌め、マサヤンは拳同士を打ち付ける。
「イ、イギリス女子の下着見放題……か。悪くは無い、かな?」
 と、ヤスユキ。
「就任早々、えらくデカい成績上げられそうだなぁ」
 そう嬉しそうに呟くのはタクトだ。
「ちょっと……みんな本気で言ってるの?」
 ユリコ先生の言葉に、僕達四人の口から同時に、「もちろん!」と言葉が放たれた。

 これは世界がまだ僕達の日常生活の範囲内でしかなく、行動する場所さえ自転車を漕いで行ける程度でしかないと勝手に思い込み、外を覗いてみようとしていなかった頃のおはなし――。
 気が付けば、僕達の目の前には桃色に輝く世界が大きく窓を開いて待ち構えていた。





《 放課後☆桃色クラブ 了 》





【 あとがき 】
扇風機に向かって宇宙人になりきっているいるそこのあなた。
大丈夫です。そんなあなたを応援します。“第50回 Anniversary Mistery Circle“

なんかね~。原稿落としそうな人が沢山いるからね~。
穴埋めの原稿書け~書け~って、初号機カボチャが言うものですからね。
しょうがなく書き殴りましたよ。えぇ、えぇ。もう恥も外聞もねーですよ。恥ずかしいったらありゃしない。

とりあえず、50回おめでとーございまーす!


【 その他私信 】
もう代稿はやーですからね?


管理人零号機 伊闇かなで

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