Mistery Circle

2017-10

《 蛇ノ送火 》 - 2012.07.15 Sun

《《 2014 オススメMC ☆☆☆☆☆☆☆☆ 星八つ作品 》》

Mistery Circle Vol. 54掲載 

《 蛇ノ送火 》 

 著者:白乙







 ルルルルル、と受話器が鳴った。母からだ。都内で一人暮らしを始めた娘がよほど心配なのか、週に一回くらい電話をかけてくる。一週間でそう生活が変わるわけがないだろうに、今回の電話もまた変わらぬ日常の話を聞かれた。
「もう特に変わりはないっていってるでしょ。ほかに用がないなら切るからね」
「ちょっと待ちなさい。大事な話があるの」
「なによ、忙しいんだから早くして」
 強引に受話器を置こうとする私を母が引き止めた。電話回線越しの声は、先ほどよりも少し震えて聞こえた。
「お向かいの佐々木さん、亡くなったの」
「え」
「前治ったはずのご病気が再発してね。あっという間だったわ」
 相手に気づかれない程度に息をのんだ。母は私の動揺を知ってか知らずか話を続ける。
「明日お通夜なの。日曜だけど帰ってこれるかしら?」
「・・・・・・うん」
 そう一言答え、受話器を下ろした。深いため息をついて、私はその場に座り込む。フローリングの床がいつもより冷たく感じた。
「そっか、亡くなったんだ」
 ぽつりとこぼした言葉は薄暗いアパートの中に掻き消えてしまった。

 異性と二人で連れ立ってどこかへ行くことをデートと定義するという話を聞いたことがある。その定義が当てはまるとすれば、私の初デートの相手は佐々木老人ということになるだろう。
 佐々木老人は実家のとなりで一人暮らしをしていたおじいさんだ。名前は佐々木賢治という。母と私が隣の家に越してきた時には既に定年を迎えており、中古で買い上げたという古い一戸建てに暮らしていた。ほかに家族がいたかどうかはわからない。少なくとも二十年以上彼と交流のあった私は、それらしい人物を見かけたことはなかった。
 佐々木老人は温厚な人だった。年の割には生えそろった白髪頭をいつもオールバックにし、いつも身なりをきちんと整えていて、近所でも評判の良い老人だったらしい。彼の腕には幼い頃に負ったという浅黒いやけどの跡が残っており、幼い私はそのやけどの筋を指でなぞるのが好きだった。私が実家を離れてから病気で心臓を患い、しばらく入退院を繰り返していた。
 彼は母子家庭だった私たち一家を心配してか、なにかと世話をやいてくれた。私も私で本当の祖父のように彼を慕っており、よく学校帰りに彼の家へ遊びに行っていた。
『ほむらめ』の話を聞いたのもその時だ。
 学校が終わり、私はいつものように佐々木老人の家へと帰ってきた。苔むした石垣から玄関の前をすりぬけ、そのまま庭の方へと顔を出す。佐々木老人の家は留守なことが滅多にないため、縁側から直接家へと上がり込むのだ。だからこの日も、玄関のチャイムを鳴らさず、まっすぐ庭の方へとかけていった。
「―――あの約束は今も有効だろうか」
 その時、しわがれた声が耳に入った。ひどく平坦で感情のない声色だ。私はずれたランドセルをかけ直しながら、石垣からそっと顔を覗かせてみる。
 佐々木老人が縁側に腰掛けていた。さきほどまで庭いじりでもしていたのか、薄茶色のカーゴパンツに点々と泥がついていた。横縞の入ったポロシャツからのぞく腕には相変わらず浅黒いやけどの痕が皮膚の上をはっている。オールバックの髪型だっていつもどうりなのに、当時の私には別人のように見えた。
 彼はひどく顔をしかめ、歯を食いしばり、どこか遠くの方へ視線を向けていた。そのにらみつけるような目つきをした佐々木老人を見たのは、後にも先にもこの時だけだった。
「ほむらめ、お前は今どこにいる。私の方はあいかわらずだ。浅ましくもこうして生き続けているよ。お前はいつになったら約束を果たしにきてくれるんだい?」
(ほむらめ、さん?)
 つぶやかれた言葉は本当にささやかで、石垣を挟んだ道路の喧騒に掻き消えてしまいそうなほど小さな声色だった。
 息を殺して様子を見ていた佐々木老人の瞳が、ふと、こちらのほうへ向けられる。
「おや、今日は学校が早く終わったんだね」
 シワだらけの顔をくしゃくしゃにしながら、老人は私に声をかけてきた。その顔にさきほどまでのしかめっ面な面影は微塵も見えない。私は仕方なく、彼の目の前まで歩み寄った。
「今日はなにして遊ぶ? またこの間のゲームでもしようか」
 いつものように優しい声色で話しかけてくる。私もいつもの私だったらなら、きっと家の中へと上がって、おやつを食べて、母親の迎えが来るまで老人と遊んでいるのだろう。けれど今日の私はいつもの私ではないのだ。
 そのくしゃくしゃの顔の下に隠した佐々木老人の、本当の顔が見てみたかった。
「おじいちゃん、ほむらめさんってだれ?」
「・・・・・・聞こえていたのかい」
 佐々木老人はしばらく無言になったあと、顔を静かに横へふった。
「すまないが聞かなかったことにしておくれ。じいさんのひとり言だよ」
「おじいちゃん、いつも私に隠し事はダメだよって言ってるのに、自分は隠し事しちゃうの?」
「いや、まあそうなんだが」
「そこまで聞いたら気になっちゃうよ、ねえ教えて!」
「これは、参ったな」
 しわくちゃな手のひらが白髪混じりの頭をかく。くずれた髪が彼の指と指の間からはねていた。
「そうだね、君が大人になったら聞かせてあげよう。これは大事な約束だから、まだお話したくないんだ。それでもいいかい?」
 そう言ってしわくちゃな小指が目の前に差し出された。指きりげんまん、ありきたりな約束の仕方だ。
 私は小指と佐々木老人の顔を見比べる。
「本当に教えてくれる?」
「・・・・・・うん」
「絶対だよ!」
「わかったよ」
 私の気迫に押された佐々木老人がたじろいだ笑みを見せながら了承する。私はまだ納得していなかったが、これ以上押し問答をしても彼は答えないだろうことは理解した。渋々佐々木老人の提案を受け入れ、小指をからめる。ぶよぶよした老人の指はけっこう暖かくて、土の匂いがした。
「さあ、おあがり」
 私は老人に促されるまま靴を脱ぎ捨て、ランドセルを下ろす。
老人もまた私のあとに続き、おやつを用意するため戸棚の方へと歩いて行った。
(どうしてこの時にちゃんと聞かなかったんだろう)
 私は久しぶりに訪れた佐々木邸を眺めながらそんなことを考えた。
 通夜が終わり、留守番を任された私は一人縁側で庭を眺めていた。通夜振る舞いの間に誰かが来てはということで任された役目だったが、元々最低限の交流で過ごしてきた佐々木老人を弔いに来る人は早々いない。午後二時をすぎた昼下がりの景色はとても静かだった。それはそうだろう、今この家にいるのは私と佐々木老人の遺体だけなのだ。
 縁側に落ちていた葉を拾い上げ、くるくると指で弄んでみる。茶色いそれは両面とも砂がこびりついており、湿った土の匂いがした。佐々木老人は庭いじりが好きだったから、きっとあの日かいだ土の匂いもこの庭のものなのだろう。一人暮らしにしては部屋数も多く、小さな庭まで揃えられている。私が今座っている縁側には桑の木から落ちた大きな葉っぱが散らばっており、すこしみっともなく思えた。
 そう思ってはいるものの、体は動かなかった。それは葬儀のせいか重たい色の喪服のせいか。防虫剤の匂いがするワンピースのすそを広げながら私はみっともなく足をのばした。
 (結局、はぐらかされちゃったなあ)
 私は湿った落ち葉をひざにのせ、大きく伸びをした。少し前に切ったばかりの髪の毛が頬をかすめる。首元までのボブカットにしたその髪型は幼い頃の髪型とよく似ていた。
 正直なところ、私は親しい人の死というものをよく理解していなかった。近い親戚もなく、葬儀に参加するのもこれが初めてなのだ。亡くなったというのは医者の診断ミスで、じつは佐々木老人は眠っているだけなのだとさえ思ったくらいだ。佐々木老人の遺体はドラマで見る死体よりもずっと綺麗で、おだやかだった。
 そのせいだろうか、佐々木老人の死を聞いてから三日の間、私は一度も泣けずにいた。今も布団からのっそり起きだして庭にしゃがみこみ、あの蛇のようなやけどの残る腕をまくりながら雑草を取り出すのではないかと思っていたりする。もしかしたら私が縁側から動けずにいるのも、もう一度その姿を見れるのではないかと考えているからかもしれない。もし本当にそんなことが起こるなら、私は佐々木老人の姿をながめながらこう言うのだ。
「あの約束は今も有効ですか?」
(―――ばかみたい) 
 呟いた言葉に吐き捨てるようなため息をつく。先日まで佐々木老人との約束を忘れていたのに、いまさら有効もなにもないだろう。第一佐々木老人もほむらめとの約束のことは話したがっていなかったじゃないか。当人も亡くなったことだし、今さら悔いても仕方がない。
(もう忘れよう) 
 私は重い腰をあげ、部屋の中へと入ろうとした。
「邪魔をするぞ」
 突然庭の方から声が聞こえた。ずいぶんと艶っぽい声だ。振り返ると、喪服の黒い着物に身を包んだ妙齢の女性が立っていた。
 歳は三十前後といったところか。ゆるく巻かれた黒髪は一つに結い上げられ、残った髪が首筋にしだれかかっている。喪服の着物をまとったラインには布の上でもわかるほど豊満な膨らみがあった。切れ長の目には長いまつげが隙間なく生えており、そこからのぞく瞳はうっすらとした狐色をしていた。
(きれいな目・・・・・・でもこの人、いつの間に庭にいたのかしら)
「えっと、どちら様でしょう?」
 私が尋ねると、女は赤く艶やかな唇を開いた。見た目の女性らしさとは裏腹に、随分と男らしい口調だった。
「ケン坊が死んだと聞いてすっ飛んできた」
「ケン坊・・・・・・」
「名は賢治というのだが、家を間違えていたか?」
(まさかおじいさんのこと!?)
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。ご焼香にこられたんですよね、どうぞ玄関からお入りください」
「いや、すぐに帰るのでな。ここから上がらせてもらうぞ」
「は、はあ・・・・・・では、部屋までご案内致します」
「うむ」
 そういって女性は私の横を通り抜け、さっそうと下駄をぬいだ。私も慌てて後を追い、彼女のとなりに立って先導する。
「そういえば先ほどおじいさんをケン坊と呼ばれていましたが、いったいどういったご関係だったのですか?」
「私とケン坊は古い付き合いでな。そういうお前はケン坊の孫か?」
「いえ、私は隣の家のものです。昔からおじいさんにはお世話になっていて・・・・・・」
「そうかそうか、あのケン坊が人の子の世話をするまでになるとは」
 女性は肩を揺らしながらくくくと笑う。それはまるで幼い頃から知っている子供をからかう口調だった。私は彼女の右隣を歩きながら、その横顔をじっと見つめた。
(瞳孔が縦長で、まるで蛇の目のようだわ。もしかしてどこかの国とのハーフなのかしら? だとしたら本当におじいさんはこの人とどこで知り合ったんだろう)
 そうこうしている間に、遺体が安置されている部屋にたどり着いた。シミのへばりついたふすまごしに線香の匂いが漂ってくる。
「こちらの部屋です・・・・・・そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね。なんておっしゃるんですか?」
 すると女は切れ長の細め、紅のひかれた唇を釣り上げた。
「今は『ほむらめ』と名乗っている」
「え」
「案内、ご苦労だったな」
 それだけ言うと、女は古びたふすまに手をかけ、勢いよく開いた。
 スパン、という威勢のいい音が響き渡る。
「またせたなケン坊! 約束を果たしにきたぞ」
 そこは六畳ほどの和室になっていて、さきほどまで通夜が行われていた。いまだ線香の煙が残る部屋には葬儀のための祭壇と座布団が広げられたままになっている。そして、そのちょうど間に挟まるように横たわっている白い布の塊が見えた。
 さきほど通夜を終えたばかりの佐々木老人の遺体だ。
 女は部屋を一瞥し、白い布で顔を覆われた老人の姿を捉えるとその枕元にしゃがみこんだ。そして、彼の顔にかかっていた絹状の白布を思いきり振り払った。
「え、ちょ、ちょっと」
 布の下からでてきた佐々木老人の顔には死化粧が施されていた。土気色だった顔は血色の良いファンデーションが塗られており、少しばかり量が減った白髪も丁寧にとかされている。病気で苦しむことがなかったという、その顔つきは安らかなものだった。
「ずいぶんと大きくなったなあ。顔立ちもすっかり大人になって・・・・・・」
 老人に呼びかける声に悲しみはなく、むしろ歓喜に満ちていた。妖艶な顔立ちを一気に破顔させ、女は孫にでもあったかのようなでろでろに甘い口調で話しかけていた。その相手が老人の死体でなければ微笑ましくもなるのだろうが。
「あの、どうかそのへんで」
「だが相変わらず愛い顔をしておるな。どれ、久々に頭でもなでてやろう!」
 女は私の静止など耳に入っていないようで、佐々木老人の頭を無遠慮になでた。死後硬直がおきている彼の首元から、ごきりと嫌な音が聞こえた。
 これにはさすがの私も肝が冷えた。
「~~~いいかげんにしてください!」
「おお?」
 女と佐々木老人の間に割って入ると、老人の遺体から彼女を引き剥がした。老人の首が妙に曲がってしまったのを見て、私はめまいを起こして倒れそうになった。
「おじいさんとどのような関係であったか知りませんが、故人の遺体を乱暴に扱わないでください。警察を呼びますよ」 
 大声を上げる私に対し彼女は輝く瞳できょとりとしながらまばたきする。
「ほほう、なかなか威勢のいい娘だな。ケン坊から私のことを聞いてないのか?」
「・・・・・・『ほむらめ』という方のお話を聞いたことはあります。昔おじいさんが出会って、とある約束をしたと」
「その約束の内容については何も聞いておらんのか?」
「小さい頃に私が大人になったら教えてくれると言っていました。ですが、おじいさんも私も、すっかりその約束を忘れていて」
「なるほど、間に合わなかったのだな」
 顔がかっと赤くなるのを感じた。
「もう、一体なんなのですかあなたは! 人をからかうようなことばかり言って」
「まあまあそう怒るな。用がすめばさっさと帰る」
「だからその用とはなんですか!?」
「これだ」
 女は自身の右手を私の眼前に突きつけた。
「なんですかこれ。ぶよぶよしてて、卵の黄身のような・・・・・・」
 それはスライム状の塊だった。卵の黄身のような丸い部分に黄金色の粘膜がまとわりついており、女の手のひら一面にべちゃりと広がっている。かすかに虹彩の混じるそれは、どこか女の瞳の輝きを連想させた。
「これは人魂(ひとだま)さ」
「人魂?」
「その名の通り、人間の魂だ。これがまた美味でなあ」
 うっとりとした表情を浮かべた女が、もう片方の指でちょいちょいと塊をつつく。されるがままの人魂はわずかに形を変え、くにゃりと歪んだ。
「まさかその人魂って、おじいさんの?」
「ご名答」
 女はにやりと嫌な笑いを浮かべ、自身の頭上に人魂を持ち上げた。そして顔を上に向けて口を大きく開く。
 女の赤くぬめっとした喉が奥まで見えた。血の通う粘膜の先は果てしなく暗い。
「だめ!」
「おおっと」
 今にも人魂を飲み込もうとした女の体に思いきり体当たりをする。ぐらりと揺らいだ指先から人魂がこぼれ落ちた。とっさにつかもうと手を伸ばしたが、人魂は私の手のひらを文字通りすり抜けてしまった。落ちた卵はぷるぷると震えながら畳の上を転がっていく。
「こらこら、食い物をするな! まだ三秒以内だから大丈夫か?」
 女は慌てて人魂をつまみあげ、何度か息を吹きかける。それはまるでお菓子を地面に落とした子どものようだ。人魂にも三秒ルールが適用されるのかどうかは知らないが。
 私はもう一度女の手からおじいさんの人魂を奪い返そうとした。しかし、いくら触れてみても私の手は黄金色の塊をすりぬけてしまう。
「そんな、どうして?」
「当たり前だ、普通の人間が人魂に触れられるか。さきほどまで見えもしていなかったくせに。私からケン坊の魂を奪い返そうなど百年早い」
「おじいさんの魂を食べるなんてダメです。おじいさんはこれから成仏して天国にいくんですから!」
「ははっ、天国だの極楽だのを信じてるのはお前たち人間だけだ。それに私も約束したのでな。お前が死んだとき魂を食べにきてやろう、と」
 『―――あの約束はまだ有効だろうか』
 幼い頃に聞いたあの日の情景が思い出される。いつもとは違う雰囲気の老人が呟いた約束とは、自分の魂をこの女に食べてもらうことだったのだ。しかもその口ぶり的に、その約束を果たしてもらうことを待ちわびているように聞こえる。
(おじいさん、どうしてそんな約束をしてしまったの? それに、この人は一体・・・・・・?)
 女は私の視線を察してか、魂を見せびらかすように手のひらに乗せると妖艶に微笑んで見せた。
「お前が察しているとおり、私は人間ではない。大雑把にくくれば人の魂を食べる『妖怪』だ」
「妖怪、ですか」
「いわれは妖怪によって様々だが、私の場合は元は蛇だった。それが永い時を経て妖力を持ち、今ではだいぶ年季の入った妖怪だ」
 女の口から二股に分かれた舌が溢れる。アゴまで伸びた赤い舌は蛇の頃の名残なのだろうか。
「それともう一ついっておくが、ケン坊は天国になんぞに行けるやつじゃないぞ」
 女は両手を広げ、肩をすくめてみせる。喪服の袖口がまるで蝶の羽ばたきに見えた。
「あいつは大罪人さ」
「おじいさんが、大罪人? どういうことですか」
 私はじっと女の姿を見つめた。振り上げかけた右手をどうにか押さえる。いくら親しい人の悪口を言われたといえど相手の思惑にはまるのはいけないだろう。
「昔、私が腹ごなしに森の中を歩いていたときだ。空の上に大きな煙の筋が見えた。その煙を追ってみると、道端に小さな子どもが倒れていたのだ。六つくらいのその子どもはところどころ泥と血にまみれ、呼吸を荒くしながら泣いておったよ。髪の毛の一部は焦げてちぢれていて、火事から命からがら逃げてきたらしい。案の定近くを探していると焼け焦げた小さな村があった。助かったのはその子どもだけだったがな」
「それがおじいさんだったんですね」
「そうだ」
 私はふと、佐々木老人の両腕についたやけどの痕を思い出した。浅黒い蛇が腕をはっているようなやけどは、きっとこの時に負ったものだろう。子どもの頃に負った痕が何十年経っても治らないということは、相当重いやけどだったのだろう。
「ずいぶんとひどい火事だったんですね・・・・・・いったい何が原因だったのでしょう」
「火事は自然に起きたものではなく人為的なものだった。さらにいえば、それはたくさんの人間とたった一人の子どもが引き起こした」
「まさかその子どもが」
「そう、ケン坊さ」
 きつね色の瞳が虹彩を放つ。目の前の女の瞳は彼女自身の命の強さを示すように、燃えるような輝きをしていた。
「といっても直接ケン坊が手を下したわけじゃない。村をねらう賊にそそのかされ、うっかり村へ賊をまねきいれてしまったのだ。おかげで村人たちは皆殺し、ケン坊も大やけどを負って命からがらの状態だった。焼かれた痛みと呵責の念からか、よく自分が死んだほうがよかったとわめいていた」
「だから人間の魂を食べる貴方に、自分の魂を食べるよう頼んでしまったと」
「そうだ。それを私が承諾し、今こうして食べに来たというわけだ」
 私は幼い佐々木老人の姿を思い描いた。くすぶる煙、人も家もすべてが焼ける匂い、その中で血と泥にまみれながら懺悔する幼い子ども。実際に見ることができない分、想像の佐々木老人は痛々しい姿をしていた。現実の姿はきっと、もっとひどい有様だっただろう。
 そして改めてこの場に横たわる老人の顔を見た。死化粧がほどこされた顔立ちは安らかであり、優しかった佐々木老人のものだ。それが数十年前、幼い子どもだった彼が結果的に村人たちを殺す手助けをしたなどと誰が信じるだろう。
そこでふと、私の中にある疑問が浮かんできた。
「でも、じゃあどうして貴方はおじいさんをすぐに食べなかったのですか?」
「うん?」
「おじいさんは、自分の犯してしまった罪に耐えられなかったから貴方に食べてもらうよう懇願した。でも貴方は今頃になっておじいさんの魂を食べにきた。どうしてなんですか?」
「はっ、簡単なことだ。食べごろではなかったからだ」
「食べごろ、ですか?」
「人間でもあるだろう。青い果実よりも甘く熟れた果実を好むように、魂にも熟成というものがある。私は熟した魂が好きだ。だから、ケン坊にいったのだ。『その時がくれば私がお前を食べてあげよう』とね」
「おじいさんはそれで納得したのですね」
「そうだ」
 私は落胆のため息をついた。通夜の後であることとこの女とひと悶着したせいで、妙に体が重く感じる。この疲労感もそのせいなのだろう。いっそ夢だったならどんなによかったことか。
(死人に口なしとはよくいったものね)
 私は改めて、佐々木老人からほむらめの話を聞き出さなかったことを公開した。彼女がどれだけ私に嘘の話をしようと、それを嘘だと結論づける証拠がない。 
「そういうわけで、この人魂は私が貰い受けるぞ」
「あっ」
 今度は止める暇もなかった。
 女の喉元めがけて落下する人魂は、この時を待ち望んでいたかのように抵抗もなく女の口の中へ入る。白い首筋がごくりと鳴った。数度喉元が痙攣したかと思うと、女は静かに顔を下げ、満足そうに舌なめずりをした。
「ごちそうさま」
 血のように赤い舌が唇をはう。一度も咀嚼することなく丸呑みにしたその姿はまさしく蛇が獲物を捕食する様そのものだった。
「本当に、食べちゃったんですね」
「約束だからな。それともまだ何か文句があるのか?」
「いえ、もういいです」
 満足気な顔を前に話す言葉などもうない。真相はどうあれ、それを知る唯一の人はもう彼女のお腹の中なのだ。今さら何をいったところで無意味なのだ。
 それよりも問題なのは、本当に佐々木老人がいなくなってしまっても泣けずにいる自分のほうだろう。
「・・・・・・ふうむ」
 そんな私の顔を、女は両手でがしりとはさんだ。
「ちょっと、なにするんですか」
「どうにもお前の顔は気持ち悪い」
「き、気持ちが悪い・・・・・・?!」
 女の言葉に少なからずショックを受けた。彼女のように人外的な美貌を持つ存在から言われるとなおさらだ。
そんな私の心情など気にも止めず、女は私の片頬をぐいぐいと引っ張った。
「いひゃ、痛いです!」
「気持ちが悪いというよりは居心地が悪いというか・・・・・・普段のお前はもっとマシな笑い方をするはずだ」
「会ったばかりの方にそんなこと言われる筋合いはありません!」
「ああそうか、お前は知らないのだったな」
 女はぱっと手を離した。つねられた部分がひりひりする。涙混じりに女を睨みつけるも、彼女はどこ吹く風だ。
「私は熟した魂が好きだといったが、なぜだかわかるか?」
「知りません」
「まあそう拗ねるな」
 あきれた笑いを浮かべながら、女は咳払いを一つ。
「・・・・・・熟した人間の魂には、その人間が生きてきた記憶がつまっている。それは年を重ねるごとに旨みが増すのだ。魂ごとそれを食べることで、その歴史が私の体の一部となる」
「だからなんだというのです」
「ケン坊も私のひとつとなった、というわけだ・・・・・・じっとしていろ」
 頭を押さえられ、彼女の方からのぞきこむように顔を近づけられた。と息がかかりそうなほど近くなった皮膚からは、腐り落ちた濃い花のような香りが強く漂ってきた。
「ちょっと、なにを」
「そらすな、私の目を見ろ」
 振り払おうとした首はがっちり押さえられ、身動きがとれなくなる。そして次第に私は彼女の瞳に釘づけになった。
 きつね色の瞳は瞬くように細かく点滅しているようだった。縦長に伸びた瞳孔の色は深く、底が見えない。まるで琥珀の鉱石を覗き込んでいるような感覚だ。
 ふと、その細長い瞳孔の中に白いもやが見えてきた。ぼんやりとしたそれはゆっくりと形を変え、やがて見慣れた人影を創りだす。
その姿はまさしく、佐々木老人だった。
「おじい、さん? 」
 老人は相変わらず几帳面に髪をオールバックにし、温和な笑みをうかべている。広げた両腕は肘までまくられており、その肌には蛇がはったような浅黒いやけどの痕が見えた。
『髪を切ったんだね。最後に会ったときよりも短くなっている』
 懐かしい声が聞こえた、ような気がした。彼女の口元が見えなかったので真相はわからないが、もしかしたら女の声真似だったのかもしれない。それでも私は、この時に聞いた声は確かに佐々木老人のものだと思った。
 きっと老人も私の瞳を見つめているのだろう。こんなに顔を近づけているのに髪型がわかるということは、彼もまた、私の瞳の奥にある魂というものを見つめているのだ。
「おじいさん」
『約束のことはすまなかった。ほむらめから私の話を聞いたんだろう・・・・・・私はひどい人間なんだ』
 私は思わず首をふろうとして、できなかった。がっちりと固定されたほむらめの手は強く、焼けるように熱い。
(違う、そんなことない)
『否定しなくてもいい。私のせいでたくさんの人が死んだ、その事実だけは変えられない。でもね、私は君たちのおかげで幸せだったよ』
「おじ、さ」
 視界がゆがむ。ゆがんでしまう。なにもこんなときにあふれてこなくてもいいだろうに。
ずっと流せずにいた涙が今頃になって溢れてきてしまう。
(私だって、おじいさんと一緒にいられた嬉しかった。お母さんだってきっとそう。たとえおじいさんが昔悪いことをしていたとしても、それだけは変わらないよ)
 そう言いたかったのに私の喉は熱を発し、嗚咽しか出てこない。きっとほむらめの熱が移ってしまったのだ。魂を食べる妖怪の、燃える生命の熱が。
 それでも佐々木老人には伝わったのだろう。老人もまた泣きそうな顔をしながら微笑んでいた。
『ありがとう、さようなら。お母さんたちにもよろしくね』
(ありがとう、さようなら。おじいさんもお元気で)
 やがて老人の人影がもやに戻ったとき、ほむらめのまぶたが静かに降ろされた。再び開いた瞳に老人の姿はない。ただきつね色に輝く瞳が私を見つめているだけだ。
 女はようやく私の頭から手をはなし、そっと体を離した。
「ケン坊は家族を失った自分を決して許しはしなかった。私が食べにくるまで懺悔と悔恨をかかえながら、ずっと一人で生きていくつもりだったのだ」
 ふふん、と女は胸をそらした。
「魂に残っている記憶というのはおもしろいものでな。知ることができる記憶が限定されているのだ。お前たちの脳みそに残っている記憶ではなく、本人の意図しない魂に刻み込まれた記憶がある。お前たちとの交流は随分と楽しかったようだな」
 今だに泣き続けている私の頭に、女の手のひらがぽんとのせられた。
「お前とケン坊に血のつながりはないらしいが、泣き顔はあいつにそっくりだ」
 優しい声色で笑われて、また余計に涙がこぼれた。

 居間に飾られた時計が三つ鐘をならす。静まり返った室内にノイズまじりの重低音が響いた。
「長居をしすぎたな。そろそろ帰らねば」
「あ・・・・・・そろそろ母さん達が戻ってくるかも」
 私はほむらめから体を離す。そして、これまで起きたことを頭の中で少しずつ整理してみた。
 ほむらめの女が話していた佐々木老人の人魂、記憶、家族を失った過去……いや、悲しくなってきたのでこれ以上考えるのはやめておこう。少なくともほむらめは、佐々木老人は幸せだったと話していたではないか。故人の過去について考えるのは無意味だ。どのみち私以外知るすべを持つ人もいないのだから。
 ふと、自分の足元を見た。少しはれぼったくなった目に映るのは、最初よりも妙に首の曲がった老人の遺体だ。母たちにどう説明したものだろう。いっそのこと、本当におじいさんが起きて動き出したとでも言い訳してみようか。その様子を想像して、少しだけ笑ってしまった。
「うむ、随分と良い顔になったな」
「はい、ありがとうございました・・・・・・そういえば」
「うん?」
 縁側から身を乗り出し、草履を履いているほむらめに気になってたことを聞いてみた。
「ほむらめさんは妖怪なんですよね。やっぱり『ほむら』ってつくくらいだから、なにか火と関係のある力が使えたりするんですか?」
「そんなわけないだろう、私は元々蛇から生まれた妖怪だ。水は平気だが、火は不得手だ。第一『ほむらめ』は私の本当の名前ではない」
「え、そうなんですか?」
 下駄を履き終えたほむらめが、その場でくるりとまわってみせる。最初に出会ったときはもっと大人で妖しい雰囲気の女性だと思っていたが、今では子どもっぽさの方か際立って見える。
「うむ。元々この『ほむらめ』という名は、私の目を見たケン坊が『目の中で炎が燃えているようだ』といって勝手に呼び出した名前だ。本来の名前は別にある」
「じゃあ『ほむらめ』はおじいさんが由来だったんですね。でも、どうして今は『ほむらめ』と名乗っているのですか?」
「うむ、まあその、な」
 女は所在なさげに指を動かし、首筋に流れた髪をひと房つまんでいじりはじめる。そして覚悟を決めたかのように目を伏せると、思いきり笑ってみせた。
「存外、この名を気に入っているのだ。そう誰かに言われたのは初めてでな」
 妖艶とは遠く離れた笑みを浮かべる彼女は、意外なほど人間らしく見えた。





《 蛇ノ送火 了 》





【 作者コメント 】
 ●こちらでも素敵な賞をありがとうございました。受賞のメールを頂いた時、びっくりしすぎてホットなレモンを吹き出してしまいました。おかげでパソコンが若干レモンくさい気もしますが、気にしない気にしない←
ともかく、この作品は本当にたくさんの人に愛されて幸せ者ですね。
次回作も皆さんに楽しんでもらえるような作品が書けるよう頑張ります!
投票ありがとうございました!


白乙
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