Mistery Circle

2017-07

《 微睡 飢えた月  そしてパラソルの下 》 - 2012.07.16 Mon

《 微睡 飢えた月  そしてパラソルの下 》

 著者:ココット固いの助







夜空の月が満ちてやがて欠ける。

これはそんな一時の短い月日の物語だ。
あれは童話書きだった頃に俺が迷い込んだ御伽話のような世界の話だったのだろうか。

今となってはそれを確かめる術はない。

今の俺はベッドの中に蕩う。

砕けた新月の破片が飛沫となって漂う眠りの海だ。

さざめきさえも耳に届かない。

そこにはただ微睡みという心地の好い波が寄せるだけだ。

【ジョ-ジ・ミルトン公園にて】

目の前のことに追われれば追われるほど、本当に大切なことをする時間は失われていくものらしい。らしい。

通り過ぎた駅前の電光掲示板にはそんな文字が踊っていた。

しかしブレーキに手をかけて何の広告か確かめるゆとりなど俺にはなかった。

誰かの言葉かそうでないかは知らないが。

今の俺に相応しい。痛切な真言の響きに思えた。

ホイ-ルが回る。

タイヤのラバーが擦りきれ今にも鉄輪が火花を散らしそうな勢いで。俺、唯野彰は口にド-ナツを1つくわえたまま競輪選手も顔負けな勢いでペダルをこぎ続けていた。

なぜ俺がド-ナツをくわえて夜の町をチャリで爆走しているかはさておき。

向かい風に煽られ鼻先にくっついたド-ナツを見れば俺は競輪選手というよりは怒りに我を忘れ猪突猛進する牛。

闇夜に向かって放たれた一条の細い光はまるで強すぎる水圧のせいで暴れ回るホ-スのようだ。

自転車のライトは人気のない夜半に既に閉じられた瞼、商店のシャッターや路地の壁や電柱に一瞬ぶつかり、照らし出された風景と一緒になって流れて行った。

こんな激烈な勢いで自転車をこぐ事が生涯に何度あるだろうか?

なぜだかこんな時に元職場の萩野谷先輩の顔が頭に浮かんだ。

先輩に山ほど聞かされ続けた鋼鉄の旋律が頭の中でけたたましくなり続けていた。

「先輩これはFREE…WHEEL BURNINGで正解ですか? 」

答えてもミスをリカバリーしてくれた先輩はもういないのである。




「その自転車に乗ってここまで来たのですか?」

黒傘の男は公園で角笛を吹き鳴らしたかと思えば突然俺にそんな質問をして来た。俺は頷いた。

「なら彼女と一緒ですね」

俺の乗り物以外は辺りに自転車なんてなかった。

「自転車は貴方が乗っていなければ単なる自転車、乗り物に過ぎないが、貴方が一度乗れば、それは貴方自身だ」

「自転車に乗ったあなた」

「よく出来たね」

傘男は優しくベンチに腰かけた金髪の美しい娘に微笑みかけた。

「彼女も自転車みたいなものだとお考え下さい」

その彼女が俺に引導を渡す役らしい。

なのに自転車ってなんだ?

俺は逃げていた。

俺を殺そうとする暗殺者たちから。

もとはと言えば俺の暗殺は俺自身が依頼した。

あてもなくネットサ-フィンを繰り返すうちに辿り着いた暗殺請け負いサイト。

紆余曲折色々あってこの世に嫌気がさしていた俺はカロンの渡し守にでも出会った亡者のような心境でそのサイトに飛びついた。

カロンの渡しは些か、かっこつけ過ぎ、にしても帰りあぐねた見知らぬ深夜の街角で空車のタクシーを拾えたような幸運に思えた。

なのにそんな俺の目の前で無情にもPCの電源は落ちた。

ようやく再起動した時には暗殺請け負いサイトの履歴は跡形もなく画面から消え失せていた。

一度は停車してドアを開けてくれたタクシーに乗車拒否され去られた。

その時俺は「神様とかいう輩は確かに世に存在するのだ」と思った。

そいつらは普段は素知らぬ顔ばかりしているくせに、ここぞというタイミングで俺の人生を弄んで笑ってやがるんだ。

俺は再び絶望した

しかし翌朝、携帯には見失ったはずのサイトからのメールが届いていた。

俺が打ち込んだ個人情報や依頼内容はちゃんと先方に届いていたのだ。

待ち合い場所に指定された森林公園は以前俺が通っていた大学のすぐ側にある馴染みのある場所だった。

そこは俺たちサ-クルのメンバー達には後々【ジョ-ジ・ミルトン公園】と勝手に呼ばれていた。

元々そこは森林公園なんかじゃなかったんだ。

大学のある駅を東口で降りて、そこから西へ徒歩で15分。

専門学校や飲食店が立ち並ぶ長い長い勾配のきつい坂道を登った少し先にその公園はあった。

付近には高校や集合住宅の建造物が並ぶ、繁華街からは少し離れた静かな場所。

周囲を植え込みで囲まれた、だだっ広いだけの区が管理する芝生の公園。

遊具や人工池など何も無い代わりにそこからは空と新宿副都心の高層ビル群が見渡せた。

何でも昔は旧日本軍のヤバい噂の研究施設があった場所らしい。

けして都会の僻地ではない。

むしろ都心の一等地にぽっかり広過ぎる空き地と申し訳程度に四隅に置かれた木のベンチ。それ以外には当時は何も無かった。

夕方になるまでに野球でもやって汗を流して美味いビ-ルにありつこうとするモラトリアムなアホ学生にはうってつけの場所だったに違いない。

冷たいビ-ル飲みたさに必死で白球を追いかけた恥ずかしき青春時代。いや、野球自体かなり面白かったんだが。

俺たちの足元の地面の下には惨たらしい人体実験の果てに無造作に遺棄された夥しい数の白骨が眠っているとも知らずに。

過去の施設の研究者の亡霊のような高橋龍也が必死に打ち上げられた打球を追い回す姿を見るだけで爆笑出来たし何より平和なこの時代に生まれた恩恵を享受する事が出来た。

正田清は忍者のような俊足とシュアなバッティングで皆を驚かせた。

しかし公園に憩いの場を求めて集まる近隣の住人にして見ればこれ以上迷惑な連中はいない。

俺たちは健全に野球をしていたが実は区役所には住民から多数の苦情が寄せられていたに違いない。

【当公園において利用者の迷惑になる行為や野球などの遊戯を禁止いたします…】

ある日公園の入り口にそんな木の立て札が立ててあった。

俺たちは意にかえさず野球を続けた。

そのうち山さんが打った強烈な打球が直撃し木の看板は見るも無残に真っ二つに折れてしまった。

さすがに悪い事をしたと反省もしたが後日またバットとグローブを持って公園に集まった。

次の日も、その次の日も…。

ある日公園に行くと俺たちは驚愕した。

木のベンチ以外何もなかったはずの公園が見事な森に姿を変えていたのだ。

まるで魔法使いが一夜のうちに魔法でもかけたように。

味気無いだけだった公園が常緑樹の生い茂る森に変わっていた。

しかし、よく見れば樹木の足元には芝を掘り返したむき出しの土の痕があり、幹には傷をつけないためのブルーシ-トが縄で巻かれたままになっていた。

区民の苦情に行政が動いた結果だった。

公園の敷地で二度と野球など出来ないように木を植えてしまえばいい…現実はそんなところだ。

「これからはビールでも買って本でも読むか」

山さんは木立の隙間に生い茂る緑から溢れる盛夏の陽射しを眩しそうに見上げて言った。

「やはり遊びは全力でせねばダメだって事だ」

帰る途中、内閣解散総選挙の真っ最中という時期もあり駅前では宣伝カ-から演説する与党の候補者やビラを配る支援者の人々の姿があった。

周囲には足を止めて演説を聞く通行人の人だかりが出来ていた。

しかし阪神タイガ-スの帽子とユニフォームにメガホンというペアルックの山さんと彼女の郁美ちゃん。

バットやグローブを振り回して歩く俺たちはビラさえもらえなかった。

「さすがにこのメンバーでは政治に無縁の人間達と思われても仕方ないな」と高橋龍也は肩をすくめて見せた。

後日余程森林公園が区民に評判が良かったのか区では水道管を引いて噴水を作ったり遊具を設置しようと公園の地面をあちこち掘り返し始めた。

すると夥しい数の白骨化した人間の屍が発見された訳である。

この事件はニュースや新聞でも大きく報道され俺たちの知る事となった。

「【木を植えた男】実写版だべさ」

山さんはそう言って笑っていた。

「まあ捨てられてた仏さんもこれで手厚く葬られるだろうし結果良かったんでねえかな」

俺が夜半に暗殺請負業者に待ち合わせ場所に指定されたのはその公園だった。

偶然とは言え今度は自分自身が屍となるためにその公園に出向く事になるとは思いもしない事だった。


ぱち!…ぱち…ぱち。

俺はモ-トと名乗る男が目の前で披露した手品に拍手した。

もっとも俺が依頼したのは暗殺で傘で余興する手品師の類いを呼んだつもりは毛頭ないのだが。そこが問題だった。

「最近はCGだの何だのと文明や科学が進歩し過ぎるのも考えものですな」

「もう大道芸とか始められて随分経つんすか?」

そんな皮肉まじりの俺の言葉にも男は悪びれる様子もなく紳士的な物言いを崩す事なく答える。

「いえいえ私は大道芸人をしていた事はございませんが…こう見えて私は昔は人形職人をしていました」

「人形職人」

「中世の時代には少しは名の知れたビスクの人形師でした」

そう言ってふと思い出したように洋服のポケットに手を突っ込んで中から取り出した物を俺に見せた。

掌の中には硝子で作られた眼球、蝸牛、細長いのは蝶の蛹だろうか。いっそ拳銃でも見せてくれたらと思う。

よくもまあ暗殺に関係ない代物ばかり次々出て来るものだ。

「当時硝子で人形の目を作らせたら私の右に出る者はいないと…もっとも今はもうアトリエもありませんし忙しく世界中を旅する身ですから注文が舞い込む事もありませんが」

男の差し出した掌から少女は蝸牛を1つ摘まむと自分の掌にのせて指先で軽くつついた。

「今日は雨も降らないようですから出て来ませんね」

男と少女は残念そうに顔を見合せた。

「中世から今まで生きてる人間がいるとは思えないが…ひょっとしてあんたのその体もあんたの手作りの人形とか?」

俺が冷静な態度で会話を続けるのには理由があった。

「さすが童話作家さんは想像力が豊かですな。私が人形とは!しかし私は人形でも死神でもない、貴方と同じ生身の人間ですよ」

「俺が童話作家だとなぜ知ってる?」

「依頼者の事前調査は職務を全うする上で不可欠です」

俺はこの時点で別の意味で窮地に追い込まれていると自覚していた。

こういう手合いに下手に異を唱え怒らせたりするのは非常に危険な事だと本能が俺に教えていたからだ。

「童話売れてない」

ほら必要以上に余計な事前調査されてるみたいだし。

「童話作家なんておこがましい話だ…俺のような、なりそこのないの出来そこないの負け犬のくず」

ややもするとネガティブな言葉が口をついて出る。そんな俺に対して男は言った。

「どんなものであれ作品を完成させた経験のある者は作家を名乗って構わない。買い手があるかどうかは二の次三の次だ」

俺はモ-トの言葉に顔を上げた。彼の口元は寛容で優しげな笑みを浮かべていた。

「私に1から人形作りを教えてくれた師の言葉です」

「また生前彼はこうも言ってました。『作家である以上常に精進する事と自分の名を自分で貶めるような振舞いだけはするな』と」

「なんだか少し生きる希望が湧いて」

「い・今のは忘れて下さい!」

即座に自分の言葉を否定。

俺を励まして死の淵から救おうなんて気は微塵もないらしい。

どうやら暗殺者としての使命感や自覚は多少あるようで少しだけ安心した。

まあ、こいつらがどっかの鉄格子や高い塀に囲まれた病院や施設から逃げ出して来たのでなければの話だが。

「『世界中を旅して』と言ってたがそんなに手広く暗殺の仕事をしてるのか?」

「いえいえ暗殺サイトは先日立ち上げたばかりでして」

しゃあしゃあと男は言った。ずぶの素人かよ!?

「お客さん初めて?」

この女は女でなんかもう日本語おかしいし。

「ですがご安心下さい」

「ですがの前に来るあんたの言葉には不安の2文字しかないんだが」

「Chasseurは私の生まれ育った国では猟師や追跡者の意味があります。Chasseurs、sが後ろに1つけば巡礼者…Asassinは私の国では案内人の意味があるんですよ」

その講釈は今必要なのか。

「私は普段は巡礼者の職にある者です。今は貴方の暗殺の仲介者であり、ここにいる彼女の案内人でもあるという訳です」

「曖昧さは極力回避してほしい」

それが違法な殺しの請け負いであろうとビジネスならばなおさらだ。曖昧さは客の不安を募るだけだ。

そもそも巡礼者って職業なのか?既に殺し屋飛び越えちゃってる気がするんだけど。

雲行きがどんどん怪しくなる。

「では一時巡礼者という事で統一しましょう。私のような世紀を渡り歩く風来の者であっても長く生きたというだけで肩書きは増えるものらしいのです」

巡礼の前に俺の殺しの件は一体どうなったんだ。

それと…先ほどから気がついていた事だが。

「私はかつては人形を作る事を生業にしていました。むしろそれしか取り柄のない人間でした」

この男の日本語の発音は流暢過ぎやしないだろうか。

フィクションの世界じゃあるまいし。

後から学んだにしても外国人にありがちな片言や発音の不自然さがまったくない。

母国語だと言ってる単語の発音でさえ(俺に分かりやすく伝えるかのように)ネィティブさがまったくない棒読みなのがむしろ異常だ。

「遠い昔、私は今の貴方同様に創作者の道を志しやがて盟友であり恋人でもあった妻と出会い…ある日突然彼女を失った。そしてかつての私も何も作り出す事が叶わなくなった…今の貴方のようにです」

妻や仕事への希望を失い巡礼者になったという気持ちならば理解出来ないでもない。

男が現れた時被っていたデスマスクは亡き妻の物か…という事は仮面にそっくりな顔立ちをしたこの女の子は彼の娘という事になるのだろう。

可哀想に妻に先立たれ自分が生きてる時代はおろか時間の感覚もなにも無くなってしまった父親を傷つけないように寄り添い健気に調子を合わせているのかもしれない。

「そんな娘が傍らにいてくれるだけでもこの男の人生は幸せじゃないか」と俺は思った。

俺の絶望の本質。

それは友人を失い恋に破れた孤独や喪失感だけではない。

あれ以来俺は作品が全く書けなくなってしまっていた。

いつだってどんな時だって机に向かって原稿さえ書ければ前に進める気がした。

今までの短い人生の中でも出会いや別れは当然いくつもあった。

「生きている以上それは仕方ないし避けられない事なんだ」

そう頭では理解してるつもりだ。

誰かを傷つけたり傷つけられたりしながら俺は今日まで生きて来た。臆する気持ちや立ち止まりたい気持ちを振り切るように。

また机に向かって俺は新たに作品を書こうとしたんだ。

けれど生まれて来るのは童話とは似ても似つかない暗闇のような言葉ばかり。抜けだすのが困難な救いのない絶望的な物語。

そんな話しか今は書けない。

そんな自分になっていた。

物語を真剣に書いた経験のある人間ならばわかるはず。

辛くても報われなくても書く事でしか本人にしか得られない蜜の愉悦がある。

日常がどんなに、にっちもさっちも行かない状況であったとしても。

たった一文で「前に進めた」と報われる瞬間がある。

物書きは人生の中で最低二回は自分の死を経験するのかもしれない。

一つは言葉が枯れて何も書けなくなった時。

つまり創造性の死と生物としての肉体の死だ。

「今書かなくては」という思いに急き立てられてペンを取りキ-を叩く。

それを生きて生活をする事と切り離す事なんてもはや考えられなくなっていた。

善と俺が公園で醜く殴り合ったあの日の朝。

俺は品川駅の前で2人と別れた。

「もう2度と会う事はない」そう思った。

俺は1人始発電車に乗り込んで次代に明るくなる外の景色を眺める事もなく俯いたまま自分の塒のある街まで帰った。

通勤ラッシュの2時間前という時間帯もあって車内は混雑していなかった。

仕事明けの派手な身なりと厚化粧の水商売風の女や朝まで飲んで、ぐたりと横になった酔っぱらいの他には乗客も疎らで。

誰も俺の血塗れのシャツやズボンを気にかけるものなどいなかった。

もっともどんなに車内が混雑してようが大勢の人混みの中であろうが変わらないのかも知れない。

唯一都会暮らしの有り難みがあるとすれば、それだけが救いだと空いた座席に腰を沈め俺は思った。

部屋に戻り1人で茫然と、ただただアホみたいに時間が過ぎるのに任せていた。眠くもならないし、かと言って洗面所や湯船で汚れを落とす気にすらならない。

秋雨全線の到来にはまだ早く夕立という時刻でもない。

急に降り始めた雨の粒がベランダの手摺を叩く音が聞こえた。

誰かが玄関の扉をノックして何度も俺の名前を呼ぶ声がしていた。しかし俺は立ち上がりも返事もせずそのままにしておいた。

そのうち扉が開いて山さんが部屋に入って来た。

「いやいやいや生憎の雨だねえ。本当にまいるよねえ唯野氏…」

山さんはいつもと変わらぬ笑顔で玄関で傘を畳み部屋に上がり込むと俺の前に鞄を置いて正座する。

「どう君は元気?」

「何か書いた?読むものある?」

部屋に来ると山さんは必ず決まってそう挨拶代わりに俺に話しかけた。

けれどその日だけは違っていた。

「シャツが血塗れのようだけど」

まずハンガーにかけた俺のシャツを見てそう言った。

シャツの血は多分洗っても落ちない。

クリーニングになんて出せたもんじゃない。

もはや捨てるしかないのだが性分からか律儀にハンガーにかけている俺は実に滑稽だ。滑稽だけど笑う気にはなれなかった。

「大丈夫さ」

と俺は山さんに答えた。誰も死んでやしないから大丈夫という大丈夫。そんな意味だった。

「大丈夫には見えないが」
「そうかな」

俺は他人事みたいに言葉を返した。

山さんはポケットから煙草の紙箱を取りだしてテ-ブルの上に置かれた灰皿を手元に引き寄せ百円ライターで火をつけた。

深く吸い込み煙と一緒に吐き出した。

「読めなかった」

それに俺も頷く。

「読めなかったな」

「物書きの卵が2人も首揃えてんのにな」

「2度ある事は3度あるって話前もしたよね?」

「したな」

「まさか同じ女に3度ふられるアホだとは思わなかったよ」

普段なら2人して笑うところだが俺にも山さんにも笑顔はない。

「それは恥ずべき事ではけしてないんだよ唯野氏」

「胸張って言える話でもないさ…まったくいい年して俺も何やってんだか!?」

俺はこめかみを抑え山さんに自分の醜い泣き顔を見られないようにした。

「朝方に善から電話があったよ」

「そうなのか」

「まあ電話で話はざっくり聞いて知ったんだけど…善が言ってたよ」

山さんは天井の紫煙を見つめながら俺に言った。

「『彰君すごく怖かった』『殺されるんじゃないかと思った』って言ってた」

「馬鹿じゃねえの」

「だから頑張るってさ」

外の雨はいよいよ強く部屋の中まで雨風の音が響いていた。

「今頃雨の中で2人でどうしてんのかなあ」

「知った事か」

思わず漏れたそんな言葉。俺はごまかすように笑った。

笑ったつもりだったが上手く笑顔にならず口元の筋肉が少し引きつるだけだった。

「もう子供でも学生でもないんだからさ」

雨が降るなら傘でも何でも買えばいい。

泊まる宿だって金だって家だって善にはあるはずだ。

「迷子が1人から2人になっちまったみたいだなあ」
2人は迷子で1人は遭難が本当は正しいのかもしれない。

天井を見ていた山さんの目が俺がいつの間にか俺の顔を見つめている。
「えらそうな事を言える身分では俺もないが。君は学生の頃から読みまくった。そして書きまくった。それは確かな事だし先々も捨てて欲しくないんだ」

それに一体どれ程の意味があるのか俺には分からないよ山さん。

「高橋君は黴の生えたような蛇が飛び出て来そうなホラーを好んだ。正田清はSF三昧で善はハ-ドボイルド趣味…君は面白いと言われたら偏見も持たず躊躇いなく読んだ。自分できっかけを掴めば、どんどん好きな本の世界を広げて行ったじゃないか!…そうして作品の中に取り込んだ。それは俺には出来ない事だ…俺は臆病だから」

「山さんが臆病になるのは彼女の前だけだと思ってた」

「ありゃあナンキ-だから!ゆるくねえな…北の男はかなたなしだべさ」

山さんは目を細めた。

「したっけ俺が今首突っ込んでる世界はよ…より臆病で冒険出来ねえ連中の集まりだ。この国で年間に出版される児童書全部かき集めたって一週分の少年ジャンプの部数に遠く及ばねえのが現状なんだ」

「売れてたら実験的な事も出来るし書きたい人間も増えて裾野も広がると思うんだ」

「売れないと『芸術だから文芸だから』とそれ言い訳にしてどんどん臆病で保守的になる…学校や幼稚園や施設に本を置いて貰いたいばかりに子供じゃなくて先生や母親の気に入るような話ばかり書かせるようになってんだ」

山さんと話をしていると結局最後は児童書の話になる。

「すまない唯野氏…これ関係ねえ話だったな」

「いいんだ」

それがいつもの山さんだ。

俺に関係ある話にはむしろ今は触れて欲しくない。

いつも通り接してくれる事が俺には嬉しく思えた。

「まずはその世界の一員にならねえと話になんねえと俺は考えたわけさ」

「トロイの木馬作戦みたいに味方のふりをして敵陣で一暴れするんだね」

「ああ、だけど木乃伊取りが木乃伊に…箱の中に入った蚤の心境…なんて事も往々にしてあるわけさ」

小さな箱に閉じ込められた蚤はいつの間にか箱の高さまでしか跳べなくなる。

「唯野氏の書く作品がいつも佳作止まりなのは童話の公募作品の中にあって童話らしからぬ部分があるからだと思うんだ。捨てきれてねえって言うか…それは君の発想の自由な部分で…俺は意図的にそういう要素が入らねえように普段から気をつけてる、けど」

山さんは俺に言うんだ。

「そこ捨てて欲しくないって気もするんだよなあ」

「その世界でいつか認められて『好きな物を書いてみて下さい』なんて言われる日が来ても、そん時自分がそれ書けるかなんて誰もわかんねえべ?だからこそ今が大切なんだと思う。」

昔も今もこの国で童話作家や児童文学者を名乗るためには協会が定めた新人賞を受賞するか大手出版社の賞を受賞するか、いずれにせよ協会員にならなくてはならない。

勿論プロ作家になった後に協会を辞めて1人で逞しく作家活動を続ける人もいる。

「新人賞の最終選考に残る候補作が5作品あればそのうちの3つは大抵協会に所属している作家さんの門下生だったりするんだ」

「だからと言って賞の選考に不正や特別な便宜がはかられるわけではない」と山さんは言う。

長く協会に出入りしている人でも有名作家の弟子をしていても本を出版出来ずにいる人は大勢いる。

新人賞というのは「作家として安定した作品を発表し息長くやっていけるだろう」というお墨付きみたいなものだし、それは直木賞も芥川賞も変わらない。

「それでも何年か何10年かには何の柵や事情も関係ない場所から文句のつけられねえような突き抜けた作品を書く作家は現れるんだ…俺は君には常にそっち側を目指す人間でいて欲しいんだ」

つまりは俺の作品は選には残りはするもののまだまだ力不足という事になるのだが。それでも俺は嬉しかった。

「ライバルとしてな」

山さんは火の消えたフィルターを灰皿に押しつけ俺に言ったんだ。

「正直俺としては大学を出てからの唯野氏の作品を読む度『こいつ早く田舎帰ってくれないかな』って思ってた。文章だってどんどん上手くなるし身近なテ-マを見つけてくるし何より作品が自由で生き生きして」

山さんは俺の作品にいつも的確なアドバイスをしてくれる数少ない貴重な人だ。

けれど今こんな風に俺を誉めそやすのは俺の見た目がそれほど弱って見えるからかもしれない。

「でもやっぱりプロにはなって欲しいんだ。少なくとも今いる場所や起きた事を後から振り返って『あのクズどもといた日々も案外無駄でもなかった』もしかしたら彼女にだって感謝する日が来るかもしれない。そのくらい幸せになってくれたらいいと思う。いずれにせよ、このままでは、つまらねえ」

いつか望みを叶え幸せになった時…明らかに俺は今その座標にはいない。目的に向かう意思や気力さえも失いかけていた。

「結局俺たちは何かにつけて本や創作の話にばかりなってしまうのだが」

「善や正田清や高橋君がいたら、いつも途中で変な横槍が入ったもんな」

ちぐはぐなようでいて、どっかでバランスが取れていたのかもしれないな。

「俺は…『俺と唯野氏は友達じゃない』と、ふと思う時があるんだ」

俺は山さんの言葉に驚き彼の顔を見た。

山さんの表情は心なしかその時寂しげに俺には思えた。

「まあ小説だのなんだのと、小難しい話なんかしなくたって気がついたら身近にいてさ。気の置けねえ間柄になってて…善と君はそういう関係だべさ?」

俺は山さんの問いかけに答えられない。

「そういうの本当の親友って呼ぶんじゃないかなって昔から2人を見る度に少し羨ましくも思ってたんだ」

そんな言葉山さんの口から聞くのは初めてだった。

意外でもあった。

善の事を友達なんて意識した事は今まで一度もなかった。

気がついたら善はそこに当たり前のようにいたし。

週末になると当たり前のように2人でそこらをぶらぶらしたり部屋で好きな音楽を聞いたり読んだ本の話をして過ごしたりした。

友達…親友だったのかもしれない。

それは、そうでなくなった今だからこそ改めて思う事なのかもしれない。

「今は無理かもしれないがいつかお互い話す機会があれば俺が席をだな」

「もう無理なんだ!」

俺は山さんの言葉を即座に遮るように言った。

自分でも驚くほどに冷たくきっぱりとした口調だった。

山さんは絶句したまま。そっぽを向く鼻先。

俺たち2人は押し黙る。

あの夜の品川の海浜公園。善の告白を聞いて…俺たち2人は殴り合った。

その夜を境に何も生まれない惨めで悲しい拳闘だった。

その後俺たちは何を話したのか。俺にはあまり記憶がない。

1つだけ覚えている。

「俺たちもう終わりかな」

俺は涯の見えない暗い夜の海を眺めながら言った。

「もうダメだろう」

そう善は言葉を返した。傍らに座る女は無言だった。

その時に自分の心のどこかが忽ち熱を失い壊死して行くような気がした。人の心は目に見えないものだ。

けれど「心は確かにある」その時そう感じた。

傷ついたりへこんだり歪んでしまうような時にだけ人は心のかたちに見えない指先で触れる事が出来るんだ。

「手を離したのは俺じゃない。先に手を離したのはあいつら2人なんだよ」本当は山さんにそう言ってやりたかった 。

「あんなに仲が良かったのだから」

「朝の太陽と日没の太陽だって違ってるはずだ…まして人間だよ。違って当然さ」

「まあ太陽はそうかもしれねえけど」

「同一性の問題だよ」

「唯野氏は…難しい事言うな」

そう言って山さんは耳の裏あたりを指で掻いた。

「実は…今日は唯野氏に見てもらいたいものがあってさ」

ふと何かのついでに思い出したように山さんは鞄から一冊の絵本を取り出した。

見覚えのない新品の絵本の表紙には主人公らしいクマと動物たちが描かれていた。

著者の名前はひらがな表記で【やまぐちやすし】と書かれていた。

「山さん遂に本を出すんだ!?」

俺は驚いて絵本を手に受け取る。

自然と首の据わらない赤ん坊の体を抱かされる時みたいにばか緊張した手つきになってしまう。

「いやいやいや…幼稚園や保育園に置いてもらうためのものであって書店での販売はねえから」

「それでもすごい事だよ!山さんの年齢で書いたものが活字になるなんて!とうとう夢が叶ったんだね」

「それは見本で昨日刷り上がったばかりなんだけども早く君に見せたくて」

子供みたいにはにかむ山さんの笑顔を俺は今も忘れない。

「今度の原稿が採用されたらという話は前からあったんだけど鏡沢奈緒の事やら何やらでこの夏は、ばたばたしてたから」

「読んでいいかな?」

「絵描きさんは俺と同じ新人さんで絵本の仕事は今度が初めてなんだと」

正直な感想というか第一印象はその絵はあまり俺の好みではなかった。

色づかいにしても描かれた動物たちにしても何かこてこてした一昔前の絵本という感じがした。

「唯野氏の自費出版本の方がはるかにセンスはいいかなって思うけどな」

「お金払って本出すのと書いた作品でお金を稼ぐのとでは雲泥の差があるよ」

「そうだべか」

俺が学生時代になけなしの金を叩いて作った童話集。

予算の都合で三編しか収録出来なかったが。

あの時は熱意と勢いまかせで書き上げた。

それなりに自信もあった。

山さんの口ききで協会発行の季刊誌にも短い紹介文を掲載させて貰えた。

結局どこからも何の話も声がかかる事もなく知り合いに配っても何部かは手元に残った。

クロ-ゼットにしまい込むのも忍びなくて本棚に置けない分は段ボールに入ったまま今も部屋の隅っこに置かれていた。

「もっともっといい話が書けるはずだ」

毎日の仕事に追われ原稿を書く日々の中で自分でさえ読み返す事はしなかった。山さんは確実に一歩一歩前に進んで自分の夢を実現したんだ。

俺の頬はその時紅潮していたかもしれない。

思わぬ事に心は久しぶりに高揚していた。

一言一句漏らさぬようにと俺は文字を読み頁を捲った。

すべて読み終えた時俺の顔を静かに見つめて山さんはこう言ったんだ。

「面白くねえべさ」

読みながらの感想。俺の頭に浮かんだ言葉を山さんはさらりと口にした。

「唯野氏ならばそう思うはずだ」

俺は言葉に詰まった。

山さんの書いた【おりがみと森のどうぶつたち】という題名の作品はこんな話だ。

森の中で仲良く暮らす動物たちがいた。

ある日主人公のくまさんは森の木の切り株の上に置き忘れられていた折り紙の束を見つける。

きれいなビニールの包装袋に包まれた彩りの折り紙。

最初に見つけたのはくまさんだけど手にしたのはうさぎさんだった。

「最初に見つけたのはぼくだからこれはぼくの折り紙さ」

うさぎさんに折り紙を取られまいとくまさんは言う。

けれど、うさぎさんは折り紙を渡そうとはしない。

「これは、ぼくがひろったんだ。だから、ぜんぶぼくのものさ」

「最初からあなたちのものではなくて森にあるものはみんなのものでしょ?」

「みんなでわけるべきさ」

その場にいた森の動物たちは口々にそう言った。

くまさんはしぶしぶ折れて折り紙をみんなと分け合う事にした。ところが。

「ぼくは空の青がいい」

「赤は私の目の色だからぼくのもの!白と茶色もほしいな」

「さいしょに見つけたのはぼくだぞ」

「ひろったのはぼくだ」

今度は色をめぐって動物たちは争いを始める。

「この書き出しはすごくいいと思う」

描かれているのは人間ではなく動物たちだ。

けど玩具を独り占めしようとして争ったりするのは小さな子供たちでも感情移入しやすい身近な話だと俺は思った。

しかし物語の中で動物たちはすぐに反省して皆で仲良く紙飛行機を作り始める。それを空に向かって飛ばす。それで話は終わりだ。

幼年童話だからこれでいいのかもしれない。

しかし学生時代から山さんが書こうとした童話作品とは明らかに違っている。

俺は物足りなさを感じた。

よく書かれているのだろうが別に山さんでなくてもこの話は書けるんじゃないか…俺はそんな風に思った。

「君ならどう書く?」

急に山さんにふられ俺は思った事を口にした。

「みんながみんないい子だ」

「そうだな」

「紙飛行機の折り方を教えるのが以前は人間に飼われてた動物というのだめかな?それまで仲間に入れなかった動物がそれで皆に尊敬されるんだ」

「なるほど」

「ここに出て来る動物たちはケンカするけど皆いい子たちで何の問題もない『みんなでなかよく紙飛行機を作ろう』そう言われても素直になれない天の邪鬼だって中にはいていいと思うんだ」

俺の話を傍らで聞く山さんの目は優しかった。

俺が無遠慮に作品にダメ出ししてるにも関わらず、だ。

夕暮れの太陽に向かって飛ばした紙飛行機の行方。

「どうしてなかよくできなかったんだろう」

「どうしてあんなひどいことをいってしまったんだろう」

そんな風に1人で部屋の隅で泣いている子がいたら。

紙飛行機の行方は決まっている。

うずくまって部屋で1人で泣いている、

その子を紙飛行機の山で埋めてしまえばいい。

その子は泣き止むはずだ。

「な?」

何が「な?」なのか。

「唯野氏が編集者ならよかったな」

「1年で廃業だったよ」

「けど編集者としての目はちゃんと育ってる。「俺は天才だ」「芸術家だ」とか言って他人の言葉に一切耳を貸そうとしない哀れな盲の物書きじゃねえって事だ」

「人様の作品だから好き勝手が言えるんだよ」

童話作品に於いて俺の創造性というのが発揮されたのはこれが最後だった。

「唯野氏のやってた編集の仕事は希望とは違う意にそぐわないものだったものだったかもしれない」

確かに思ってた仕事とは全然違っていた。

「だけど腐らず必死でくらいついた。だからそれはちゃんとその身になってると思うんだ」

山さんの言葉は空っぽになったような自分の心に沁み入るものだった。

「ただ闇雲に書くのもいいが俺はそういうきっかけを君が掴むのを待っていたんだ」

職場は短い期間で無くなってしまったが。あれはあれでよかったのかもしれない。

「山さん…山さんのこの絵本はもう決定稿なの?」

俺のアイデアはともかく。「この作品は粘ればもっともっと良い作品になる」俺にはそんな気がした。

「それで大決定だ」

山さんは俺に言うのだ。

「最初に出した第一稿とは随分違ってしまった。アイデアも山ほど出した。君のアイデアとは違うが、その逆のパターンも考えたんだ」

やはり山さんは子供の読み物だからってお茶を濁したり、まして手を抜くような真似はけしてしない人だった。

「けど粘ばれるだけ粘っても『1人でも読んでわからない子供がいたらだめなんだ』その一点張りでさ」

俺が編集ならよかった。

そう言った山さんの言葉が理解出来た気がした。

「俺だってガキの頃は本読んでて読めない字だって分からん事だって沢山あったさ。けど分からないとこや、つまらないとこは飛ばしたもんさ。おもしれえと思ったら続きが気になってな。そういうもんだべさ?あんまり子供の感性をなめたらだめなんだ」

本当に児童書が好きで深い理解や愛情を持った人ばかりが出版の仕事に携わっているわけじゃない。それが現実だ。

「だけど俺は自分の作品を活字にしたかった。君やうちの彼女に早く見せたかったんだ。求められたものでも注文通り書いてみせるさ!ここがゴ-ルだなんて俺は思ってねえんだ」

「いつか世界中の子供たちが俺たちの書いた本読むんだ。でっかい夢だべ」

初めて大学のロ-タリ-で出会った時に山さんは俺にそう言ったんだ。山さんはあの頃から少しも変わってない。

「唯野氏だって書けるさ。なあ書こうぜ」

山さんだけは変わらない。山さんは俺の事を「友達じゃない」と言った。

どうして俺はそれを「違う」とはっきり言えなかったのか。

山さんの作品が世に出る事をもっと素直に喜び祝福してやれる自分じゃなかったのかと今にして思う。

俺は…その時の俺は…山さんの言葉や熱い気持ちから目をそらした。

薮蚊を追う時のような定まらない目線が部屋のあちこちを所在なく泳ぐ。

口から漏れた言葉は。

「いずれにしても俺はもうここに居たくない、と思うんだ」

自分の言葉に言い訳するように付け加えた。

「その…ここ長く住んで色々あったからさ」

「どこに行っても書いてさえいてくれたらそれでいい」

書いてさえいたら俺はそれでいいのか。

書いてさえいたら俺はどこかで救われるのか?

いつから俺は救われたくて物語を書くようになったのか。

物心ついた時。俺はこの世界とまるで波長があっていなかった。

何に怯えているのか自分でも理解出来ていない小動物。

それが幼い頃の俺だった。

いつも「体に悪いところは何もない」と医者に言われた。

けれど毎日耳の奥でジェット機が飛んでるような耳鳴りがしていた。

おかげで両親の言葉も友達の言う事もよく理解出来なかった。

まるでチュ-ニングのずれたラジオが頭の中にあるみたいだった。

毎日がひどく不快でいつも苛立っていた。

医者には「神経が少し過敏過ぎるせいだ」と言われた。

まったくその通りで。とりわけ夜は特におそろしいものだった。

なぜなら両親も町も寝静まる深夜に耳鳴りはいっそう大きな音で俺を苦しめたからだ。

自宅から3キロ先の高速の高架を走る車の音、裏庭あった竹藪の竹が風にしなり箒のような笹の葉が擦れ合う音、目覚まし時計が秒針が刻む音、そのすべてが恐ろしく俺は眠る事が出来なかった。

昼間は常に頭に靄がかかったようになっていたし、ちょっとした事で体は変調を来した。

薄暗い場所から明るい場所に出ると、いつも無数の光の粒が飛び回り目の前がちかちかした。

それは光の残像という根拠のあるものであって心霊的なオ-ブとか、ちっともオカルトめいた現象じゃない。

しかし俺はそれらをすべて怖れた。

光の粒は時に集まって球体になって群れをなして俺の周りをつきまとった。

それは友達や両親にはいくら説明してもまったく理解される事はなかった。

次代に空気に何か半透明なミジンコみたいな生き物の姿が見えるようになりそれは日毎に輪郭や色彩までもがはっきりと見て取れるようになった。

その中でもとりわけ恐ろしかったのは黒い服を着た謎の男の存在だった。

初めは遠くに家の庭の隅でカゲロウのようにゆらゆらと遠く霞む存在だったそいつは次代にはっきりした人のかたちになって行ったんだ。

他の、視界を過るお化けみたいなやつらは無害に宙を漂うだけで俺の存在にすら気づかない様子だった。

けれどそいつだけはいつも俺の方だけ見ていた。

明確な悪意と敵意だけを真っ直ぐに俺に向けていた。そいつに出くわした日俺は決まってひどく体調を崩した。

子供心に理解していた。

そいつを見た途端「今日はこれからひどい事が起きる」って。

事実俺の体は自制を失い言う事をきかなくなってしまった。

俺の体がますます弱くなるとそいつは家や部屋の中にも現れた。

何も言わず顔も見せない黒い服の男はただじっとして俺が死んでしまう事だけを願い心待ちにしていたんだ。

それもこれも俺のチュ-ニングが合わない自律神経や脳みその誤作動が引き起こした幻覚や幻聴だったんだと今では理解している。

人は眼球で物を見るわけじゃない。

眼球から取り込んだ映像を脳内で再生してるって事くらい理系じゃない俺だって今なら知ってる。

耳鳴りだって耳の中にある蝸牛がストレスとかで脳の電気信号の高音を受信出来なくなった結果だと後で知った。

けど当時は違った。苦しみや恐怖を伝えられる語彙も知識も持たない俺は大人の目から見ればただただ虚弱で閉じ籠った幼児であった。

幼稚園や保育園で突然高熱を出したり、ひどく吐いたりしてその度に共稼ぎだった両親を慌てさせた。

それでも幼稚園や保育園には喜んで出かけた。

園の施設にはきれいな表紙や挿絵の本が沢山あったからだ。

保育士の先生がそれを皆の前でお芝居するみたいに感情や抑揚をつけて読んでくれる時間が好きだった。

自由遊びの時間も棚から絵本を出して1人で夢中になって読んでいた気がする。

「彰君はとてもお話が好きな子ですね」

遠足にでも出かけたら足を痛めて歩けなくなるようなひ弱過ぎる1人息子を誉められて両親はどれだけ嬉しかったのだろう。

普段は残業ばかりで帰りが遅い父親が珍しく夕刻に帰宅した。

「これを彰に買って来た」

玄関で父が母に近所の書店で買って紙袋を渡すのを見た。

クリスマスだって誕生日だって父から贈り物を直接もらった記憶は後にも先にもその時だけだった。

普段から生真面目を絵に描いたような男だった俺の父親は家にいる時でも羽目を外した姿など見せた事がない。

朝早く仕事に出かけ帰宅は大概深夜になる事が多く同じ家に住みながら子供だった俺とはあまり親交がなかった。

いつも不機嫌というか気難しいような顔をしていた父親は自分にとっては身近にいても怖い大人だった。

父はさっさと着替えのために二階へ上がり俺は母に紙袋を手渡された。

「ちゃんと後でお父さんに『ありがとう』言ってね」

ずっしりと重い紙袋の中身は本だとすぐに分かった。

封を切って中身を取り出して見るとそれは大人が使う辞書のように分厚くて立派な黒い表紙の本だった。

【グリム童話全集】と金色の文字で題名が書かれていた。

幼稚園にある絵本や母と外出した時に買う類いの本とは明らかに違う。

不思議の国のアリス、ニ-ベルングの指輪、妖精物語…その後何度も出会う事になるア-サ-・ラッカムの素晴らしい絵が表紙にも挿絵にも惜しみなく使用され、その本をなお一層特別なものにしていた。

「これは彰が読むには少し難しいんじゃないかな?」

部屋着に着替えて二階から下りて来た父に母が言った。

「そうか?童話集と書いてあったんでいいかと思ったんだけどな」

父は俺が手にした本を見て些か間のぬけたような声をだした。

新聞や仕事関連の書物は別にして日頃は小説や漫画など読む姿など見た事がない父親だった。

「今ちょっと見たけど漢字も多いしフリガナもないし完全に大人向けね」

「どうしたもんかな」

「買ったばかりならレシ-トがあれば本屋で取り替えてもらえるかも。これなら絵本が三冊は買える。良かったね彰絵本好きだもんね!」

「たまに早く家に帰れたんだ。夕食も外で済ませるか」

頭の上で大人同士の会話が進んでいた。

しかし俺は結局その本を抱えて離そうとしなかった。


何回両親に説得されても「読む」と言って首を横に振り続けた。

今でも色褪せた表紙の本は実家の部屋の本棚に置かれている。

久しぶりの外食と夕飯の支度から解放される好機を失った母は俺に。

「読んで欲しいって後で甘えて来てもお母さん知らないからね!」

意地悪な魔女みたいに人差し指を俺のおでこに向けて言った。

あの頃はまだ父も母も若かった。




「なぜ屋外の人通りの多い場所を希望…自室での殺害は駄目なのでしょうか」

「それは…言わくちゃいけないのかな」

モ-トが手にしている暗殺依頼の契約書。それには既に俺のサインがしてある。

ラテン語で書かれた契約書は俺には読む事が出来ない。

「WEBに書かれているアンケートの内容に沿ったものですから」

と彼は俺に説明した。アンケートの中にこんな質問があったのを俺は覚えている。

【暗殺対象者に対する殺害手段についての御要望等があればこちらに詳しく明記して下さい】

【苦しみを与えず、出来れば薬殺など病死を装うのが望ましい…】

俺はマゾではない。

当然苦しみぬいて死にたいなんて思わないわけだ。

現代医学の進歩を考えれば病死を装っての薬殺など到底不可能に思えた。

しかしこれはあくまでも希望だ。

金を払ってまで殺しを依頼するのだから要望位好きに書いて構わないだろう。俺はそこまで文字を入力してふと考えた。

そして俺の殺害方法に次のような条件をつけ加えた。

自室での殺害を禁じる。

屋外で標的のいる半径100メ-トル圏内に最低100人の人間がいる場所での暗殺。またその条件を満たしていない場合も屋外にて死語直ちに遺体が発見される条件下にある事を望む。

但し屋外であっても列車やビル、車両などの飛び込みに見せかけた殺害は禁止事項とする。

俺は人に迷惑をかける人間は嫌いだ。

行列に割り込む人間や空いてるのに優先席に座る人間、成人式でバカをやって騒いでる連中を見ると「死ねばいいのに」と腹立たしく思う。

他の子供たち同様子供の頃俺は何かしでかして両親に叱られる事は多々あった。

俺の親は俺を叱る時「みっともない」とか「世間体が悪い」みたいな叱り方を俺にしなかった。

ただ「人様にだけは迷惑をかけるな」という事だけは幼い頃から刷り込まれて育たんだ。

人は1度きり死ぬ。

その時ばかりは誰でも誰がしかの手を煩わわせる事になるのだろう。

救急車で駆けつける救急隊員であるとか検死をして死亡診断書を書く医師や看護師や葬儀屋。

俺は暗殺請け負いサイトに辿り着くまでにありとあらゆる死に関する書物を読み耽った。

それこそ哲学書から詩編、古典、学術書から自殺に関するマニュアル本まで死のつく物は何でもかんでも。読める物は全て読んだつもりだ。

今なら身元不明の遺体に所持金に応じて警察が用意する棺桶の梅松竹の値段から自殺方法に応じた遺体の回収、現場の清掃、処置にかかる金額まで俺は知っている。

樹海で遺体を捜索する場合や湖や海の底に潜るダイバーに支払われる人件費の相場。

行方不明者を探す広報や広告の費用。

列車に飛び込んで車両を停車させた場合JRから法外な賠償金を請求されるという噂は都市伝説のように有名な話だがそれは事実らしい。

個人の身勝手な理由での自殺と経済の動脈である列車の運行を妨げる事は共に反社会的な行為でありJRは損害賠償を遺族に対して請求すると解答している。

但しその金額は「高額な賠償金」であるとされているがその内訳は公表されていない。

また遺族に対して支払い請求はするが未払の遺族に対してJR本社が支払いの訴訟を起こした事例は一件もないという。

俺がもし列車に飛び込んだら俺の父親はその賠償金を死ぬまで払い続けるような気がする。

確証はないがそんな父親だ。

故に背中を押され列車に飛び込んでの轢死は×


車に轢かれて死ぬのも×轢いた人にどえらいトラウマが残る。

迷惑だから×

高所からの飛び降りも遺体がグロ過ぎるし間違って通行人に当たりでもしたら…×

湖や樹海で死んだら…探すのが大変そうだし。

俺が行方不明になって両親が探偵でも雇ったら…×

誓って言うが1人で死ぬのが怖いわけじゃない。


部屋で死ぬのなんて最悪過ぎる。

変死者が出た部屋なんてリフォームが必要だし最低3年は住めない。

殺し屋が俺を部屋で首尾良く始末した後、たとえ事前に頼んでも「唯野彰が部屋で死亡してる」と警察に通報してくれるとは到底思えなかった。

むしろ遺体の腐敗が進行し発見が遅れる状況ほど殺害した人間には好ましいはずだ。

損害賠償と3年分の部屋代は両親が支払い続ける事になる。

せめて保険にでも入っていれば良かった。

しかし今から保険に入ってもある程度の期間生きて保険料を支払わなくては死亡者に保険金など出ない。

そんなに俺は待てない。

「そこまで考えるなら死ぬ事を思いとどまれば?」

死と無縁の幸せな人は思う事だろう。

しかし一度死を決意した人間の通る道は一車線だ。

幸福であった記憶など無意識に通り過ぎた標識でしかない。

過去になんて戻れない。
ひたすら黒旗のゴ-ルを目指して突き進むだけなのだ。

その時俺も例に漏れず完全に死に魅入られていた。

己に相応しい死に様にあれこれ思いを馳せる行為はあまつさえ快楽である。

死に関する様々な文献を貪り読んだ俺だが。その著者の中に勿論誰1人死者などいない。執筆当時は皆現役の生者だった。

人類の叡知と呼ばれるような識者でも偉大な作家であろうとも誰も実際にその時点で死を体験した者は存在しないのだ。

死はあらゆる分野の先達にとって永遠に魅力的な題材であり続ける。

真の死を知る事は死者のみに与えられる優越であり特権だ。

俺はその人生最後の淵を覗いてみたいと思った。

人が大勢集まる新宿や渋谷の交差点でふいに倒れる。

誰か親切な人が1人や2人はいて「大丈夫ですか?」と声をかけて携帯で119に連絡してくれたらいい。

俺は救急車で病院に運ばれる。その時には既に心臓の鼓動は止まり絶命している。

連絡してくれた人に俺の生死は分からない。「人助けをした」位には思ってもすぐに忘れる。

足を止めた野次馬も同様に自分の人生に戻って行くだろう。

そんな感じで唯野彰はこの世界から退場する。

それでいい。そんな死に方こそが理想だ。

爆弾を抱えて世界を悩ますテロリスト全員を道連れにするとか…何がしかの英雄的行為に命を捧げるなんてもっての他だ。

そんな事をしたら最後死後の俺は生前の俺より輝いて生前に書いた不本意な作品が次々に出版されてしまうかもしれない。

死後両親が部屋を訪れた時俺の作品を見つけて自費出版でもされたら死んでも死にきれない。

部屋にある自費出版本もフォルダ内にある原稿も処分しておかないと。




「親思いな若者…なのに親孝行なのですね」

「確かに随分矛盾してると自分でも思うよ」

「人間は概ね矛盾しているものですよ。私だって親不孝行な息子でした…しかしそうとわかっていても自分の道を進むしかなかった」

「両親には感謝してるんだ」

「わかりますよ。せめて貴方の望みは私たちが必ず叶えて御覧に入れますから」

「そう願いたいもんだ」

父親が俺に買ってくれたグリム童話。

それを手にした事は単なる偶然に他ならない。

けれどそれは俺にとって劇的な人生の転機となった。

それは単なる本ではなく俺にとっては調律機であったからだ。

少年時代の俺はその本を手に取りただ読んだだけだ。

眠れない夜に両親が寝息を立てている横で頁を開く。

縁日で買ってもらったペンライトがついに役立つ。

真新しい紙やインクの匂いがしなくなっても俺はその本を読み続けた。

大人になって電子書籍も便利でありがたいと思ったけれど頁を捲る時の気持ちはなにものにも代えがたい。

時間も忘れ手にした本の重さもいつしか忘れていた。

その時の経験は後に【果てしなき物語】の主人公セバスチャンが本に夢中になる様子やヘッセの【ダミアン】での子供部屋の描写に出会った時のえもいわれぬ追体験と感動に繋がって行った。

そこに自分と同じかんじを持って暮らす子供の姿が描かれている事が奇跡のように嬉しかった。

彼らは皆頭に不安や怖れを受信し脳に響かせる特別不幸なアンテナをつけていた。

ハウゲンが描いたヨアキムの住む世界は夢や希望に溢れた子供たちが住む世界ではけしてなかった。

それでも今なお心を捉えて離さない。

俺は今なお彼らとは友人だ。

子供ではないのに子供を真似た作家の作品はあざといばかりでなく醜悪極まりない。

子供の心を持った作家だけが子供の魂に触れる魔法のような作品を書ける。
俺は彼らの作品によって死の淵から救い出された。

そしていつしか「そんな作家になりたい」と憧れを抱くようになっていた。

俺を悩ませていた耳鳴りは本に夢中でいる間は鳴りやんでいた。

そこらを飛び回る怪しげな光や半透明な化け物たちは本の頁に吸い込まれ竜の餌になったようだ。

真夜中にふと顔をあげて部屋を見ても恐ろしい黒衣の男の姿はそこになかった。

野に降る雨は恐ろしい。

雨音は次第に強く重くなり体だけでなく心にまで沁みいるように凍えさせる。

傘が1つあれば眠る事が出来るのに。

幼い頃にそんな物語を読んだ気がする。

いつも頁を開いたまま眠ってしまう。

目が覚めると頁は閉じられていた。

それは多分母がそうしたのだろう。

目が覚めると必ず分厚い黒い表紙の感触を掌で確かめた。

そこにある事がうれしかった。

そして俺はようやくこの世界と波長が合ったのだ。

いつから俺は救われたいばかりに作品を書くようになってしまったんだろう。




「なあモ-ト、俺は子供の頃にあんたと出会っている?」

「私は、残念ながら少年時代の唯野彰様にはお会いしていません」

「なぜそう言いきれる」

「私は生きた人間と言葉を交すのは本当に何百年ぶりなのです」

「昔あんたに似た男をしょっちゅう見かけた記憶が頭に残っているんだが」

「私に似た人…私と同じ巡礼者ですかね。私の仕事は私1人では到底まかないきれぬものだとは思っていますから。しかし私は今まで自分と同じ同業者に出会った事が1度もないのです」

「あんたの言う巡礼者というのはそもそも何をするんだ?こっちで言うお遍路さんみたいなものか?」

「死してなおこの世界の軛に繋がれた人の迷える魂の枷を外して差し上げるのが私の役目です」

「曖昧だな」

「この世界は曖昧で不確定。ぼんやりした膨大な偶然が溢れていると言っても過言ではありません」

「枷を外れ自由になった魂とやらは何処へ向かうんだ?天国とか地獄とかって…やっぱりあるのか?」

「さあ、それは私にも分かりません…だって私は1度も死んだ事がありませんから」

少し悪戯めいた、それでいて柔和な笑顔。

「『死んだらお星様になる』なんて今時のお子様は信じませんよね」

「ああ、まあ確かに」

「けれど唯野様」

俺は男の視線の先を目で追う-その先には。

「この宇宙という場所は私たちが涯まで追いつかぬ広さまで広がり続け、常に不確定で…言いかえるならば無限の可能性に満ちているものだと私は聞きました」

見上げたその先。さざめきの音色さえ届くような満天の星空がそこにあった。

シルクの手袋は夜に垂れ咲いた白い花弁のように見えた。

広げた掌。硝子で作られた眼球の上には金色の翼をたたんた蝶が一羽とまっていた。

飛び立つと同じ瞳の色をした彼女を喜ばせ伸ばした指先をすり抜けて暗闇の中へとすぐに姿を消した。

「今のは手品です」

男は言った。



「したっけ」

山さんは膝を叩いて立ち上がる。

「ぼちぼちけえるとするかな」

「絵本くれないの?」

「あんだけ酷評しといてやるわけないべさ

山さんは俺を軽く睨むとご機嫌な顔で鞄に本をしまいこんだ。

「唯野氏の蔵書にして欲しいのは山々だけどこれは見本だし他のも嫁ぎ先が決まってるんだ」

すぐに「ごめん」とすまなそうに右手をかざした。

「いいんだ。いの一番に大切な本読ませてくれてありがとう」

「郁美ちゃん跨いで唯野氏が一番先だ。嫉妬されても俺は知らねえから」

山さんは鞄からしまった絵本の代わりに文庫本を取り出し俺の目の前に置いた。

「これ返さなくていいから」

「え?」

ふいの贈り物に俺は驚いた。

俺は山さんに本はおろか誕生日にだって何かもらったりした事はない。男同士でそんな気持ち悪い事はしないしそれが普通だと俺は思っていた。

「河童に水練孔子に悟道ってやつだ…まあ本屋に1時間いて結局手にした本がそれだ」

「ありがとう」

俺は山さんに頭を下げた。

「いやいやまあ暇な時にでも読んでくれたら」

「読ませてもらうよ」

俺は何度も頭を垂れたくなる。本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。

帰りかけた山さんは言った。

「俺は仲間を見捨てねえ」

唇を噛みしめるようにしてそう俺に言った。

「唯野氏も、だよな?」

「俺も」

「君だって仲間は見捨てたりしない」

「仲間って善とか奈緒」

俺は山さんの顔を睨み付けていた。

「仲間ってそっち?」

俺は可笑しくないのに薄笑いを浮かべていた。

「仲間って、なんだ、ごめん…そっちか!俺一瞬勘違いしてたわ!」

山さんはいつも正しい。正しいと思った道を突き進む。

そんな男だ。大学時代だって仲間をどんどん引っ張って行く頼れるリ-ダ-だった。

俺よりも年上で人生経験も本読みや物書きとしての知識も豊富だ。

いつも俺は山さんの話に相槌を打つしかなかった。

正しかろうはずだ。

山さんはいつも俺たちの先頭を走り火の粉や冷水を浴びても結果を残して来た。

山さんはいつも正しい。

けど正しいから人は間違いだって犯す。

その時ばかりは俺は「山さんは間違ってる」と思った。承伏しかねる。そう言った方が正しい。

山さんは不遜な俺を前にしても終止笑みを絶やす事なく掌をこちらに翳すようにして、とんとんと玄関のコンクリに濡れた靴の爪先を打ちつけていた。

「また来るさ」

そう言って山さんは雨の中を帰って行った。

1人残った部屋で山さんが置いていった文庫本を手に取る。

題名は【暗夜行路】文豪志賀直哉の代表作だ。

ずいぶんアナクロで山さんらしい。

それから自分の行く末を暗示するかのような題名に乾いた笑いが漏れた。

頁を開くと動物的な性という単語が目の中に飛び込んで来る。

なんだ動物的な性って?

本を閉じて夜になるのを待った。

夜になってベッドの中に潜り込むも周囲は騒然としていた。

子供の頃に俺を悩ませていた蝸牛が再び暴れ出した訳ではない。

俺が喋っていた。

俺の体内の細胞がすべて口を得たように内側から絶え間なく様々な言葉を喋り倒す。

聞くに絶えない恐ろしく卑屈で耳を疑うような事ばかり俺の心は呟き続ける。

呪詛の言葉は酌めど尽きせぬ泉のように後から後から湧いて出た。

口を押さえないと大声で叫び出したくなる。

自分の言葉に耳を塞ぎたくなるような夜の始まりだった。

仲間って何だ?自分の足でしっかり立って、けして人に寄りかからない。

お互いに依存せず対等な関係が築けてこそ本当の仲間と呼べるんじゃないのか。明け方眠る前にうつうつとそんな事を考えていた。

「やっぱり山さんは間違ってる」

「どいつもこいつも俺のためにならない」

俺はそう思う事でようやく眠りにつく事が出来た。

翌日も山さんは俺の部屋に缶コ-匕-を2つ持ってやって来た。

「しばらく東京を離れる事にしたんだ」

「俺じゃなくて山さんが?」

「しばらくって言っても4、5日留守にするだけだ」

「どこに行くの?旅行かい?いい宿なら俺に言ってくれたら良かったのに」

「ああ、唯野氏はそっち方面の仕事してたんだった。けど宿には泊まらねえ」

山さんは俺に言った。

「うちのあの子な…郁美ちゃんの実家に行くんだ」

山さんはやっぱり俺たちよりも先の事をちゃんと考えて生きている大人なんだってその時思った。

「まあ、大学時代からずっとおつき合いさせてもらってるわけだし。ここらで、ご両親に挨拶もしておかねばと思って…」

「『こうゆう仕事をしているものです』って言う手土産といか名刺代わりに本も出来た事だし」

「大学時代から書きまくって読みまくったのは俺より山さんの方だよ!生活費を稼ぐために夜中までバイトまでして。いい休養にもなると思う」

「それに短い夏休みもあったが結局あの子何処に連れ行ってやれなかった」

「しばらくのんびりしたらいいと思う。山さんはこれまで充分やって来たんだからさ」

「『もう充分に…』か。善もそんな事ばっか口癖みたいに俺に言うんだ」

「ああ、確かに善はよくそんな言い方俺にもするよね」

今の俺は善の話が話題に出ると忽ち不機嫌になる。それでも山さんは俺に言った。

「実は善と鏡沢奈緒は夕べから俺の部屋にいるんだ」

「仲間を見捨てない」

山さんは俺にそう言った。山さんは昔も今も有言実行の男だ。

さしたる驚きもなく俺は「そうなんだ」と気のない返事を返しただけだった。

山さんの話によると俺と駅で別れた後に善は彼女を実家に連れて行った。

「そこでの鏡沢の態度があまり良くなかったらしくて。善のおふくろさんは、そういうとこちゃんとしてる人だから」

5年以上のつき合いにもなるが俺は善の母親とは面識がなかった。

大学の時は俺の部屋が皆の溜まり場であったし善と遊ぶ時はやつが俺の部屋に来たり互いの家の間にある新宿や渋谷を待ち合わせ場所にした。

一方山さんは大学時代のバイト先が大崎にあったため夜遅くなるとよく善の家に泊めてもらっていたらしい。

山さんの話によると気っ風のいいさばさばしたお母さんで山さんのために夕食や泊まる時のパジャマまで買い揃えてくれたらしい。

「善が鏡沢を家に連れて行って母親に事情を話そうとしたら『私あの娘はだめだから』とぴしゃりと言われたらしい」

「この家は私とお父さんが買った家だから。我を通したいなら出て行きなさい。あの娘は家に入れないで」

一体どんな態度を取れば初対面でそんなに嫌われるのか。

「それで今は山さんの部屋に2人でいるんだね」

「まあ、そんなとこだ」

俺は呆れ果てて言葉もなく苦笑した。

言いにくそうに山さんが切り出した次の言葉に俺はさらに絶句した。

「君が「今住んでる部屋を出たい」という話をしてたという話をしてたと、そんな話を善にしたんだ。そしたら「2人で住む部屋が見つかるまでしばらくその部屋を借して欲しい」って善は言うんだ」

そこまで世間知らずだと逆に笑える。

俺はなにか憑き物が落ちる時のようなそんな清々しい気さえした。

こんな連中をどうして今まで俺は仲間だと思っていたのか。

「もちろん俺は『それだけは絶対にだめだ』と言ったんだ。『それなら俺の部屋に住めばいい』…と今回は、そういう経緯なんだ」

どういう経緯だか知らないが。なんなんだこの人たちは一体。

多分山さんも善も奈緒ちゃんも昔から変わらないのだろう。ただ俺の彼らを見る目が変わっただけだ。

冷めた気持ちと裏腹に込み上げる気持ち悪さ。

もはや嫌悪しか感じない。

「山さんはそれでいいの?」

俺には山さんの利他的な行為が理解出来ない。

「まあしばらく東京を離れるわけだし帰ったらしばらく彼女のとこに行くつもりだ。あいつらもその間に自分たちの住処を見つけると思うんだ」

山さんはそう言い残して彼女の実家のある那智勝浦へと向かった。

「君は大丈夫だよな」

別れ際に山さんに言われた。何が大丈夫なのか。俺が首でも吊るって事か?

なんて馬鹿馬鹿しい話だと俺はその時は思った




【時は大正時代】

複雑な自身の出生を知らぬまま主人公の時任謙作はお営にという女性に炊事や身の回りの世話をしてもらいながら成長する。

時任は幼少時代から非常に感受性の強い性格であった。

時折お営と自分が暮らす家を訪ねて来る祖父に対しては何か言い知れぬ不穏さと不快感を抱いていた。

やがて成長した時任は子供の頃の性格そのままにごく一部の限られた人間にしか心を許さない。そんな若者であった。

時任は小説家になっていたが原稿が上手くいかないと友人たちに当たり散らすような男だった。

何かに導かれるように遊郭に通い放蕩三昧の生活に溺れる時任であったが常に充たされず心に虚しさを抱えていた。

ある時耳を患い尾道に静養に赴くが見知らぬ土地の人間の目に自分がどのように映るか気掛かりで仕方ない。

なお孤独感を募らせる。それまでの自身の生活を深く反省する時間を得た彼は孤独から逃れるためにもお営に求婚しようと考える。

しかしお営は実は祖父の妾であり自分は祖父と実母との間に出来た不貞の子であると知る。

日頃心の中で見下していた祖父は自分の実子であり知らぬ間に自分も祖父と同様に情欲に身を任せるような人間になっていた。

その事に時任は強いショックを受ける。

無秩序な倫理の欠片もない動物の性。

自分は祖父と同じ血が流れている。

時任は苦悩する。

むしろ厳しい自然の中で子孫を残すために情欲や情動に流される事なく天の摂理に従って営まれて来た動物の性の在り方の方がはるかに気高く尊いものではないか。

人も自分も動物のように生きる事は出来ないものだろうか。

いつしか時任はそんな事を思うようになっていた。

ある日時任は知人の紹介で直子という1人の若い女性と出会う。

聡明で美しい直子に時任は心惹かれた。

時任は直子に求婚し直子もこれを受け入れ2人は夫婦となる。

妻となった後も直子は時任を深く尊敬し彼を愛し尽くしてくれた。

時任にとって直子はかけがえのない妻であった。

初めて授かった子供は不幸にも流産してしまったがその事により夫婦の絆はより強く結ばれ深まった。

しかしその貞淑なはずの妻直子でさえ時任が不在の時に従兄弟と不貞を犯したと彼に告白する。

直子と従兄弟は幼い頃から密かに性戯に耽る仲であったという。

直子が他の男の元に嫁いだ事で心を病んだ従兄弟が時任が留守にしている間に家に押し掛け強引に直子を犯した。

最初は抵抗していた直子であったが最後には身をまかせてしまった。

直子は時任にそう告白する。不幸になりたくはない時任は直子の立場に同情し直子を許す事を心に決める。


しかし頭では理解しても心は別だ。

次第に時任は家で直子に辛くあたるようになる。

直子の事が許せない。許す事が出来ない自分自身の狭量が許せない。

ある日「俺は仏様になる」と言い残し時任は駅のホ-ムですがる直子を突飛ばし列車に乗る。

「なんじゃこりゃ!?」

そこまで読んで俺は山さんが置いていった暗夜行路の文庫を置いて思った。

これはおよそ小説の神様と呼ばれた文豪の作品とは思えぬようなメロドラマだと俺は思った。

俺だって志賀直哉の作品くらい読んだ事はある。

学校の教科書にも【清兵衛と瓢箪】や【小僧の神様】といった有名な作品は取り上げられていたし志賀直哉の真髄は短編小説にあると聞いて短編集を買って読んでもみた。

暗夜行路まで手を伸ばさなかったのは尺がやたら長い上に発表時には「失敗作であるという批評も多くあった」という巻末の年表や後書きをそのまま鵜呑みにしたせいもあった。

確かに短編小説に見られる志賀直哉の文体は他の同時代の作家に比べると文学という堅苦しさや力みというものがまったく感じられない。

だからといって軽妙や軽卒という単語も当てはまらない。

「破格とも呼べる自然さがありながらも内容は示唆に富み洒脱…」

読んで一応理解したつもりで頭の中のインデックスにしまい込む事で満足した。

自分には読むべき本が大海で跳ねる魚のように沢山ある。

そんな気がしていた。

今こうして未読の長編である暗夜行路を読んでいても「何故もっと早く読まなかったのか!」という痛切さは微塵も浮かばなかった。

「許す許さないでてんてこまいな男の話だね」

という最後の頁を読み終えた時の感想が既に頭の中に浮かんでいた。

暗夜行路は雑誌改造に大正10年1月号から8月号まで前編が掲載され、大正11年1月号から昭和12年4月号まで幾度か中断を挟み漸く完結した。

完結までに17年の時を要した志賀直哉生涯唯一の長編小説である。

初稿発表当時は作者初の長編という事もあり大変な話題となり大いに期待を集めたが評価は賛と否に別れたと記録されている。

これならば太宰治の方が扇情的だし現代人にも受け入れるような人の心の暗部に踏み込めているような気が俺にはした。

まず第一に主人公の時任謙作にはまったく感情移入出来る魅力がない。

多分身近にいても友人になんてなれないだろう。

車のドア開けないからとか車道をさりげなく歩けよとか持てる荷物は持たなくていいけど他にする事あるだろ?とか。

家事とか育児「やろうか?」じゃなくて普通にやるのが当たり前だっつ-の!優しくしたらしたで「履き違えるな」と言われるような今の時代にこんな男が生きられるはずがない。

せいぜい引きこもって装備と経験値だけは潤沢な嫌われ者のネトゲ廃人とかパイロマニアになるの墜ちだ。

時任がどうやって小説家になったのか一体どんな作品を書いているのか読んでいて気になるところだが。

その部分にはまったく触れられてはいない。

救いの手が差しのべられなくてはならないのは寧ろ直子の方ではないかと。もし自分がこの小説を書いていたなら。

去るのは直子の方だ。

謙作は直子を許し直子と以前と変わらぬ生活を始める。

直子は夫の深い愛情とその愛に潜む冷酷さを感じ彼の元を去る。

俺はそんな物語が好みだった。

物語の中盤から後半は「許したいけど許せない」そんな思いを抱えたてんてこまい男の放浪と心境がひたすら綴られる。

そう言いながらも知らず知らずのうちに俺は時任謙作の心境と同化していた。

勿論時代背景だって置かれた立場だって主人公と俺は全然違っていた。

にもかかわらず頁を捲る指先が止まらない。

「どこへ行こうと何をしようと許す事から始めねえと何1つ先には進まねえべさ」

山さんの声が聞こえるような気がした。

それくらい俺にだって。山さんがこの本を置いて行った理由だって頭の中では理解していた。

物語の後半時任謙作は鳥取県にある大山の古寺にその身を寄せる。村の人々との触れ合いやそこに暮らす夫婦の在り方や美しい自然に触れ時任の心境は次第に赦しへと向かう。

作者自身が一度しか訪れた事がなく記憶だけで書いたという大山の山懐の自然の描写はとにかく圧巻で読む価値が充分にある。

おそらく現実を凌駕しているのではとさえ思えた。

時任は運命や神と和解し他人や自身を赦せぬ業から解放される。

しかし病に倒れ明日を知れぬ命となる。

「もはや助かる見込みがない」

そう悟った村人たちの配慮で時任の荷物の中にあった連絡先から東京の直子に報せが届く。

駆けつけた時既に時任の意識はなく瀕死の状態であった。

そんな夫の姿を見た直子の台詞で物語は幕を閉じる。

「私はこれから先どんな事があろうとこの人に付き添います」

時任謙作の生死については最後まで書かれてはいない。

直子が最後に訪れるのはファンタジーだ。

まあ小説だからこのくらいはあってもいいだろう。

俺は文庫本を置いて思った。それは山さんや志賀直哉が伝えたい事とは違っていた。

時任謙作はここで絶対に死ぬべきだ。

すべては臨終の際に成就した。妻と自分お互いへの愛もおそらくは真実であった。

望み通り仏様の様にもなれたのだ。

これ以上何故生きる理由があるのか?

仏のような境地に辿り着いたのであればこの世界で生きる理由など何も無いのだ。

もしも仮に時任謙作が生還し娑婆の生活に戻ったとして。

再び妻を責めたり傷つけないという保証があるだろうか。

妻や時任の愛は世俗にまみれ今より濁りくすむ事はないと誰が言える。

時任謙作は死ぬより他に道はない。

彼の望みはそれのみにおいて成就される。

生死の行方がどうではなく死ぬべきなのだ。

「結局死しかこの世の柵や醜悪さから逃れる術はないのだ」

俺は強く思った。山さんは俺に別の気づきをして欲しくて俺にこの小説を託したのだろう。

けれど俺がこの小説から得た教示はまったく別のものだった。

平素さりげなく読み飛ばしてしまう本が殆んどだが。

こうして人生の節目節目に出会う本もある。

俺の気持ちが死に向かうきっかけになったのは皮肉にも友人が俺を励まそうと持って来たこの小説だった。

「大きなお世話だ」

俺は手にしていた本を投げ出した…と言いたいところだが本を粗末になど扱える道理がない。

俺は手にしていた本を丁寧に置いて机に向かう。

書きかけの投稿作品を今夜中に仕上げてしまおうと考えたのだ。

PCを立ち上げフォルダ内にあるテキストの原稿を読み返す。

それまで心血を注いで書いた原稿の文字は既に輝きを失っていた。

単なる記号の羅列にしか見えなかった。

こんな物必死こいて書いてる自分が今はアホに思えて仕方ない。

甘ったれた言葉やヒューマニズムに我慢出来ない。

俺の化身のような登場人物たちにも虫酸が走る。

こんなものを書く事にすがりついていた自分自身を俺は殺してしまいたい。

俺は文字を打ち始めた。

それは黒のクレヨンで子供が描いた絵を塗り潰すのに似ていた。

俺の書いた物語の余白から次々とそれまで読んだ作品や話の住人たちが逃げ出して行くようだ。

それでも俺は満足して笑う。

楽しくて笑みが溢れた。

物語は途中から似ても似つかない真っ暗な話に変わった。

星もない暗い夜空の事を西洋では聖書の黒って言うんだぜ。

夜空に星はなくただ暗黒。

送電線は断たれた。何かに躓く事もない。

俺は光を失い屋敷の中を怯えて逃げ惑う友人たちを悠々と探し歩いた。明け方までに仕事はすっかり終わった。

ベッドに潜り込むと久しぶりに安眠が訪れた。





「1つ扉が閉まると神様はまた別の扉を開けてくれるものです」

「それは聖書か何かの言葉か?」

「いえ昔見た古い映画の台詞です。なんの映画だったかは…さすがに忘れてしまいましたが」

「それでもぼくはライカ犬にくらべたらマシだ!」

「それは昨日深夜にやっていた映画だね」

モ-トは彼女を見て言った。

「映画はいいものです。叶わぬ人の夢がある…でも途中から見たので筋はさっぱり謎のままでした」

「映画のように…か」本を読み終えるように。自分の人生の終焉を迎え席を立つ事が出来たらどんなに幸せだろう?

俺はその時思った。





「なにしろ町全部が世界遺産みたいなもんでさ『でも外国の方は那智勝浦の那智をナチだと勘違いして素通りされるんで困ります~』なんてご当地ジョ-クもあってさ」

旅から戻った山さんはハイテンションで話し続けていた。

ブルービーチの砂浜や熊野古道の竹林の美しさ。

「永国寺の幽霊の掛軸は今にも抜け出しそうで迫力があった」とか、そんな話を嬉しそうにしていた。

「補陀洛山寺の住職に聞いた話は特に興味深くて、補陀洛海渡というのは那智勝浦特有の風習なんだべか」

彼女の実家の家族にも温かく迎えられたようだ。

「唯野氏はどうしてた?」

「俺は原稿書いてたよ」

そう答えると山さんは俺に右手を差し出す。いつも通りだ。

「ちょっと自信がない」

などと言っても引き下がらないの男だ。

俺はプリントアウトした原稿の束を山さんに渡した。

山さんは黙って原稿に目を通し始めた。

「ごらんの通り真っ黒さ」

「たとえ真っ黒でも読み手は一条でも光がないかと探すもんだ」

山さんは読み終えた原稿を俺に返しながら言った。

誉め言葉なんて最初から微塵も期待しちゃいなかった。

「お先真っ黒ってのは悪い言葉じゃねえ。先々何が待ってるかわからねえからな!」

中々感動的な言葉を言うじゃないか。

「これは童話にも児童文学の範疇にも入らねえ作品かもしれねえが…今唯野氏がこういうもの書きたいのならそれもいいんでないかと俺は思う」

山さんは言葉を選びながら俺に言った。

「むしろ一般文学の方が君には向いているのかもな」

また1からやり直しかよ。まあ別に構わないが。

「また久しぶりに皆で集まらないか?」

「俺は遠慮しとく」

それ以上は何もない。

「そうか」と言ったきり山さんは下を向いていたが急に膝を叩いて立ち上がる。

「唯野氏!飯行くか!飯!俺原稿料入ってたんだ!!」

唐突で強引なのは今に始まった事ではないが。

腹が減ったら飯ぐらい食いに出かけるしその位の貯えだってある。

住み慣れた町中を見馴れた背中について歩きながら俺は思った。

一体何処まで歩くのか。歩かせるつもりなのか。

繁華街を抜けて漸く辿り着いた場所は居酒屋でもレストランでもなく馴染みのある公園だった。

公園の時計の針は正午を指していた。

まだ子供が学校から帰る時間でもなく人気のない広い公園の敷地は閑散としていた。

山さんの右の掌には公園の入り口で子供相手に駄菓子や遊具を売る店で買った赤いゴム球が踊っていた。

山さんは軽快な足取りで俺から距離を取るとゴム球を放ってよこした。

「動かざるもの食うべからすだ!」

放り投げられた赤いゴム球は綺麗な放物線を描いた。

俺は手を伸ばしてその球を受けとる事はしなかった。

俺の胸をついて落ちた球は明後日の方向に転がった。

「もうたくさんだ」

俺は山さんにそれだけ言うと背中を向けて歩き出した。

沸騰する感情の昂りに合わせて自然と早足になる。

野球チ-ムだって毎年顔ぶれが変わる。

監督やコ-チや選手だって新天地で結果を残す可能性を誰が否定出来るって言うんだ。

仕事だって自分で見つけられるさ。そしたら仲間だって自然に出来るだろう。

原稿だって書くさ。

俺の目は前を向いている。それは前を目指して歩くためだ。

誰かと同じ時間を過ごしたって目玉はみんな違う方向を向いてんだ。

お互いに依存しなきゃ成立しない仲間なんて本当の仲間じゃない。いつまで学生気分でいるつもりだ!?

いいかげん気づけよ。

俺はそんな弱い群れのなかに1秒だっていたくない。

生きる場所だって死ぬ場所だって自分1人で見つけるさ!!

文句があるなら反論求むだコンチキショウ!!!いや反論なんていらねえ。俺は1人で生きて1人で死ぬんだから。

大声で喚き散らして目の前にあるものはゴミ箱でも尻でも何でも蹴り飛ばしてやりたい。そんな気分だった。

イエ-イ!メメントモリ-万歳\(^-^)/

昔々の貴族は机の上に頭蓋骨を置いて1日の終わりに死について瞑想したり想いに耽ったらしい。

それは高貴な身分の者に与えられた特権だった。

死に魅せられる事は恋に落ちる事とどこか似ている気がする。

焦がれてのぼせた挙げ句に頭のどっかの回線がショ-トして。

気がついたらベランダの手摺やビルの屋上のフェンスの上に風に吹かれて1人で立っていたりするんだ。

そして扉が1つ閉じたらまた別の扉が開くらしい。





俺の隣には今暗殺請負業者の男と殺し屋の少女が行儀良く並んで座っていた。

「物書きではなくいち編集者としてあんたに意見させてもらうが」

自分語りばかりでちっとも進まぬ暗殺の打ち合わせ。

それに業を煮やした俺はモ-トに言った。

「あんたキャラがデコり過ぎ!アバター抱え過ぎなんだよ!」

「ご意見は真摯に受けとめますが何を言ってるのかわかりません」

「日本語を喋れ」

この女に言われたかねえが。とりあえず無視だ無視。

「つまりあんた自分を色々盛りすぎてキャラぼけがひどい!それじゃあ読者に伝わらない。ボツだ!ボツ!」

「ボツと言われましても」

こいつらもしかしたら俺の歪んだ妄想が生んだ幻覚なんじゃないか?

目覚めたらベッドの中とか公園のベンチで1人で自害してたとかそんなオチを俺は想像した。

「モ-ト、あんたどう見ても俺には見た目死神に見えるんだが。嘘でもそれで通した方がこの場合は説得力があるとおもうんだ」

「ですが私は生まれてこの方一度も人など殺した事がありませんよ」

結構な爆弾だが俺はあえてスル-した。

「では俺があんたを死神だと思う根拠をいくつか挙げてみせようか?」

「お聞かせ願えますか」

「まずあんたが俺の前に現れていたデスマスクだが」

「あれは亡き妻の面影を忍ぶために普段から身につけているものです」

「あんたが知る死神は普段どんな顔をしている?」

「それは…骸ですとか死を彷彿させる恐ろしい仮面を」

「あんたの着ている服だが」

「これは亡き妻が生前『貴方の名前を世間に知れ渡り高貴な方の晩餐会に呼ばれる機会もありますから』と私のために仕立ててくれた礼服…妻の形見で一張羅です。妻の葬儀にもこれを着て」

「モ-ト奥さん大好き」

「ありがとう!私は君の事も大好きさ」

いちゃいちゃするのは勝手だがなぜか腹がたつ。

「死神はどんな服を着ている?」

「全身黒ずくめの喪服…と聞いた事があります」

「大体あんたが後生大事に持ってるその傘は一体何なんだ?」

「これは私が人生に絶望し死の淵をさ迷っていた時に目の前に現れた男が私に此を託したのです。以来私を巡礼に導く杖であり私を守る盾にも矛にもなってくれました」

「たとえ隕石や核の雨が降ろうとも傘は神の絶対領域で私は傷つく事もなく年を重ねる事もなくなりました」

そう言って男は傘の柄を愛しげに撫でた。

「おそらくこの傘の柄になっている部分で神の力を受信しているのではと」

衛星放送のバラボラアンテナじゃあるまいし。

そんな話はどうでもいい。

「此ほどの力を手にした私は傘との盟約に従い人の生殺与奪は固く禁じられているのです」

なんというか逆刃というか竹みつ…絶対安全カミソリというか要するにナマクラ設定なんだろう。

「そもそも魂の巡礼とは大層な目的に聞こえるが一体なんだ?」

「先程も申し上げましたが迷える魂の在る場所に赴き解放する事です」

「その傘でか?具体的にどんな風に?」

「それが…あまり記憶にないのです」

「あんたの手にしている傘は傘のままか」

「いえ…柄が長く伸びて」

「鎌のようになるんじゃないのか?」

「それは…記憶にないわけでは…薄ぼんやりとですが確かに記憶が…ああなんて事だ!?」

「モ-トやっぱりお前は死神なんだ!知らず知らずに死神の仕事をしていたんだ!!」

「モ-トがんばれ」

モ-トは俺たちの目の前でがっくりと肩を落とし両手の掌で顔を覆った。

指の隙間からちらちらとこちらの顔を伺っている。

日本では下手な役者の事は大根と呼ぶが欧米でハムと言うらしい。

生きるべきか死ぬべきか問いたいのは俺の方なんだけど。

「ですが!死神というのは正者から魂を剥ぎ取るものと聞きました!私はそのような事はしていません!?」

「それが真実の死神の姿だとしたら」

「死神の真実ですか?」

「主体の中に真実はなく人はいつも主観的であるが故に見誤るという事さ」

「と言いますと」

「あんたは俺に嘘は言ってない。あんたは人間のまま死神になった。だから死神本来の姿を知らず「死神とは」という人間の妄を抱いたまま今日まで死神の仕事をしているんだ」

「私は人間でよいのですね…では死神とは一体」

「死神はあんたの持ってる傘そのものだよ」

俺にそう言われモ-トは傘を落としそうになる。

「死神と呼ばれる者或いは死神の力が宿る物と言ってもいいかもしれない。そいつがあんたの体を使って死神の目的を果たすんだ」」
「なんと言う」

「日本では古来より九十九神や八百万の神と言った具合に万物に神の力が宿ると言われているんだ」

「それで日本からは続々と擬人化されたものが萌えキャラに!」

そんな知識はいらない。

「モ-トあんたは俺や彼女の事を『自転車みたいなものだ』と言ったな」

「確かに言いました」

「それを俺は命を運ぶ乗り物の事と解釈した。それでいいか?」

モ-トは俺の問いかけに黙って頷いた。

「あんたはそれと同じようにその傘を運ぶ道具となっていたんだ」

「素晴らしい!素晴らしい発想です唯野様!さすが小説家は我々常人とは発想が違いますな!」

2人揃って俺に惜しみない拍手…俺はお前らが常人にはとても思えないが。

「50年近く前の古い短編小説にそんな話があったのを思いだしただけさ」

俺にそんな発想があればとっくにプロの物書きになれていただろうに。

「まあ憶測に過ぎない話だが」

「私はこれまでのもやもやした妄が晴れました」

外人は立ち直りや切り替えが早い。

「これまでは自分が何者かも定まらず闇雲に鎌を振り回していたのですね」

それはそれで相当おっかねえ存在にはかわりない。

「これからは死神としてぶれる事なく貴方様を死の淵に叩き落とすために鋭意かつ執拗に追跡致します」

そうあって欲しいものだが。

「モ-トいい死神」

「ありがとうね」

その時折見せる優しい保護者の顔は変わらないんだな。

こいつが本物の死神ならば…俺の背中には空から降ってきた絶対的な反しつきの死亡フラグが突き立てられた事になるのだが。

目の前の地面に転々と赤いゴム球が跳ねていた。

もう何度目になるのか。モ-トは辛抱強くそれを拾い上げては投げ返した。





【RE】


「それはオ-レ・ルグイエの弟だよ。唯野君」

あなたをどうして忘られよう

可愛いわたしのヤルマール

可愛いほっぺやちびるにキスしたことも   

いくたびか あなたのさいしょのかたことをうれしく聞いたこのわたし   

つらい別れのあの日から

神のお恵み祈ってる

天使のようなヤルマール

作中の詩をフローラン・シュミットの【小さな眠りの1週間】に合わせてはなうたを口ずさむ。

曲は【人形マガルタの結婚】か【中国の傘】か俺にはわからない。

俺は携帯を耳にあてたまま思わず額を床にこすりつけそうだった。

ただただ彼女の博識に平伏すのみだ。

「それはね、グリム童話じゃなくてアンデルセン童話。元々はデンマークの伝承なんだよ。唯野君」

「勉強になります!宮前先輩!!」

さすがありとあらゆる外国語に精通し世界中の児童書や研究書を原文のまま読む女。

「我が大学童話サ-クルきっての才媛と言われただけあります!元部長!」

「お世辞はいいよ~」

懐かしい軽快な笑い声が聞こえて来る。

本当にすごい人なのにいつも飄々としている。

山さんの言うように「本当の天才」というのは皆こんな感じなのだろうか。

「俺てっきり昔読んだグリム童話とアンデルセン童話を記憶の中で混同しちゃってたみたいで」

「それは私もたまにあるあるだよ」

部屋でシルクハットを被ったままの俺の横で山さんが耳をそば立てている。

俺は山さんにも宮前先輩との会話が聞こえるように端末を操作した。

俺は先日山さんを傷つけるような失礼で不遜な態度をとった。

にも関わらず山さんはやっぱり俺の部屋を訪ねて来た。

玄関の扉を開けた時俺は部屋着に頭にはシルクハットを被っていた。俺は山さんの前でシルクハットをとった。鳩は出なかった。

「先日は、どうも」

「どうしたんだ!?」

俺の頭の頂きは無残なまでに毛が抜け落ちて河童みたいにハゲが出来ていた。

「本当に申し訳ない」

俺が最近シルクハットを被りハゲた頭を隠している事はともかく。山さんは俺を指差し爆笑した。

「いやいや!唯野氏!そこまでしなくてもだな!しかも頭丸めるとかじゃなくてそんな中途半端…しかもその帽子!いやスマン…」

つられて俺も爆笑した。

ついでにヒゲもあれば良かったのに。

山さんはなんかいいように俺の姿を解釈してくれたようなので俺はそのまま彼を部屋に招き入れた。

とりあえず善や奈緒ちゃんの事とか棚上げにしても俺は山さんに訊ねたい事があったからだ。

「最近気になってる事があるんだ」

そう言って俺は山さんに傘男の話をした。

勿論俺がそいつと暗殺請負サイトを通じて知り合ったなんて話は伏せたまま。

不思議な傘に導かれて世界中を旅する不死の男。

「まるで黒いメアリーポピンズだな」

山さんはすぐに俺の話に興味を持った。

「唯野氏はそういう話を書こうとしてるんだな」

そう解釈してくれたようだ。

「それが以前に見た記憶があるんだよね」

「ほうほう」

善と奈緒ちゃんと帰った明け方のゲ-トボール場の首吊りの遺体の下。

そしてサ-クルの壁に描かれていたヨクサルの下にいた2人の傘をさした男のイラスト。

あれは一体何時誰が書いたものなのだろう。

サ-クルの事なら山さんに聞けば解る気がしたんだ。

俺はパソコンでモ-トの事を検索した。傘男では何もヒットしなかった。

唯一モ-トという名前で出てきた言葉は…明滅、死神、角笛の合図…と言った単語だけ。

おそらくモ-トという名前も本名ではないのだろう。

「サ-クルの壁の落書きか…なんとなく記憶があるようなないような」

「山さんでもやっぱり知らないんだね」

「まあこんな時は我がサ-クルの生き字引…デ-タベ-スに連絡だ!」

山さんはにやりと笑った。

「唯野氏携帯!」

山さんに携帯を持って来るように言われた俺だが。

「あ、携帯…は今ちょっとなくして」

思わず目を泳がせた俺に山さんは言った。

「そこにあるのは?」

山さんの視線の先クロ-ゼットの扉の脇に俺の携帯は立てかけてあった。

「ああ、そこか」

俺は携帯を恐る恐る親指と人差し指で摘まんだ。

濡れてはいないみたいだ。

「水没でもしたか?」

俺は山さんの言葉に頷く。

「でも大丈夫みたいだ」

俺は起動した液晶画面を見ながら山さんに携帯を渡す。

「最近のはみんな防水加工されてっから。昔は大変だったな」

山さんは携帯を受けとるとすぐに誰かの電話番組を押した。

相手はすぐに電話に出たようだ。

「どもどもども!宮前先輩ですか?お久しぶりって先週も勉強で会いましたよね?山口ですゥ。なに?電話が近い声がうるさい?」

いつもは俺の前では「いつかは追い越し勝たねばならぬ人だ!」なんて言ってるくせに見えない相手に向かってぺこぺこ頭を下げている。見事な後輩ぶりだ。

ひとしきり軽い世間話の後で「実は唯野氏が先輩に伺いたい事があるそうなんで!」

俺は返された携帯を耳にあて久しぶりに宮前先輩の声を聞いた。

「…実は部室に先輩が書いたイラストの下にある傘をさした2人の男の事なんですが…」

挨拶もそこそこに俺は先輩にそう切り出した。

今記憶は鮮明によみがえっていた。

傘をさして微笑みを浮かべた優しげな紳士。

その横に並んだ黒い傘をさした顔の見えない男。

あれは俺が出会ったモ-トに酷似していた。

「ああ!あれね」

「覚えてるんですか?」

「だってあれ私が書いたんだもん」

先輩はけろりとした声で言った。

「ヨクサル様を書いたら余白が出来ちゃったんだんで『他になんか書くものないかな~ってペンですらすら~っと」

「あれは一体なんの絵なんですか?」
わざとらしい咳払い。

「教えてしんぜよう。っていうかマイナー過ぎて誰も聞いてくんないんで内心寂しかったんだよ」

「お願いします」

先輩のテンションとは裏腹に俺は真剣だった。

「オ-レ・ルグイエ」

俺電話の向こうの先輩の声を反芻するように唱えた。なんとなく聞き覚えがある響きだった。

「オール・ルグイエはアンデルセン童話に出て来る眠りの精霊の名前だよ」

「アンデルセンって事は創作童話ですよね?」

先輩ほど児童書に対して刻深い知識がない俺でもデンマーク出身のアンデルセンが民間伝承の研究や編集に生涯を費やしたグリム兄弟とは違いオリジナル作品を書く童話作家である事くらいは知っていた。

「ちっ!ちっ!ちっ!このお話に関してはアンデルセンの創作ではなくて民間伝承なのよね」

オ-レ・ルグイエはそれは立派な身なりをした紳士。

手にはいつも2本の傘。

普段見かける事はない。

普通の人と違いオ-レ・ルグイエは外でも靴をはいてはいない。

小さな子供のいる家に忍び込み床や子供部屋に続く階段を歩く時に物音を立てないようにするためだ。

子供部屋に忍び込んだオ-レ・ルグイエは素早く子供の目にミルクをかけ耳元に息を吹きかける。

ミルクをかけられた瞼は忽ち重くなり息をかけられた子供は深い眠りに落ちる。眠りの精オ-レの衣服は七色に輝く。

ベッドで眠りについた子供に大きな美しい絵が描かれた傘をさした後にお話を始めるのだ。

世界中でオ-レ・ルグイエほどたくさんの物語を知る者はいない。彼が話を始めると部屋の鉢植えの木の枝がのびて森になる。

花が咲き乱れ木々の枝には甘い匂いの果実やパンがたわわに実る。

こんこんと水を湛えて流れる川は広い海まで続いていて行く先々には美味しい食べ物がある。

昼間遊んだ女の子たちはオ-レ・ルグイエに連れられ旅する国々の女王となって待ちわびている。

昔出会った懐かしい優しい人々が街に暮らしている。

太陽、青い星、花、石、みんな必ず1つお話を持っていて夢見る子供に話したがっている。

そんな覚めてしまうのが惜しくてたまらない夢を一週間子供たちに見せるためにオ-レ・ルグイエはやって来る。

「いい子にしてた子供には絵のついた傘の下で楽しい夢を。悪い子にしてると無地の傘を広げるの」

「悪い子には悪夢を見せるんですか?」

「一週間何も夢を見ないの。悪夢を見せるという伝承もあるけどね」

これは宮前先輩の解釈だ。

「『さすがに一週間も子供に悪夢を見せ続けるというのは酷であろう』とリライトするにあたりアンデルセンは考えたのではないかな」

そもそもこの物語が日本の子供たちにいまいち受け入れられなかったのは「子供部屋』に対する欧米との文化の違いにあると宮前先輩は指摘する。

「欧米の子供たちは幼い頃から部屋を与えられ両親とは別の寝室で夜眠らなくてはならなかった。日本では住宅事情とかもあったから大半が親子で川の字なんて言葉も生まれた訳でしょ?」

どんな国であろうと子供1人で部屋で眠るのは最初は怖いものだ。

「お話の後に「いい子にしてないと」と1節付け加えたいのは親。子供は夜1人で長い夜を過すために。

眠りの精の物語は語り継がれる必然がそこにあったわけさ」

「オ-レ・ルグイエの伝承はデンマーク固有のものではないですよね?」

「勿論!名前は違えど欧米ではとにかくポピュラーなお話なんだよ」

バリエーションに多少差異はあっても眠りの精の物語は子供部屋と子供の数だけ今まで語り継がれて来た。

「グリム兄弟の故郷であるドイツにだってその話はあるよ。だから唯野君がどこかの外国の読み物を見て記憶が混同するのはちっとも不思議じゃない事なんだよ」

「ENTER SAND MAN」

俺は「一応これも聞いとけ!」と萩野谷先輩に渡されたCDの中に収録されていた曲のタイトルを思い出した。

「この曲はかっこいい!好きです!」と言ったら。

「おもいっきしひよった曲とアルバムだけどな!」と言われた。

あの人俺をどうしたかったんだろう。

「そうそう!砂男!砂をかけて眠らせる話もあるのよね」

萩野谷先輩の思い出と宮前先輩の蘊蓄がまさか繋がるとは思わなかった。

伝承や御伽噺不毛の地北米大陸でも眠りの精の話は根づいている。

人がいれば物語は生まれ人が動けば物語は口伝えに広がる。

たとえ飛行機がなく海を渡るのが困難な時代であっても物語は伝播するのだ。

ギリシャ神話と古代大和神話は奇妙なほどに共通点が多い。

ケルト神話にも日本の昔話に似た話がある。

「ところで先輩にお聞きしたいのは先輩が描いたイラストのオ-レ・ルグイエなんですが…なぜ2人いるんですか?」

「オ-レ・ルグイエには見た目が瓜二つの弟がいるの」

「傘で顔が見えない方が弟ですね」

「そう!双子みたいによく似ているけど似て非なるもの。唯野君それ何だかわかるかな?」

俺は少し考えて思った言葉を口にした。

「それは死ですか?」

眠りに似て非なるものと言えば死というワ-ドがすぐに頭に浮かんだ。

俺が最近死に取り憑かれているからすんなり出て来た回答だが。

宮前先輩はそんな事は知る由もない。

「正解!アンデルセンは作品の中ではっきりと死神という言葉で弟を表現しているのだけれど」

アンデルセンの書いた物語によるとオ-レ・ルグイエに連れられて夢の国を旅する主人公の少年ヤルマ-ルはある日不思議な光景に出会う。

彼方を走る一頭の馬。

騎兵のような姿をした男が手綱を握るその馬の背には老人や子供たちが乗っている。

「ごらんあれが死神、私の弟、もう1人のオ-レ・ルグイエさ」

遠ざかる馬を指差しヤルマ-ルに教える。

「けれど彼はちっとも怖くはないんだよ。彼は何もかも私と同じなんだから」

アンデルセンがオ-レ・ルグイエについて書いた文章は僅かにその程度。

けれど宮前先輩は「その描写に違和感を覚えた」と言うのである。

アンデルセンが書いた兄弟の共通項は話好き。

死神の弟は馬の背に乗せた死者たちに物語を聞かせる。

善人ならばこれから向かう素晴らしい世界の話を悪人にはこれから向かう恐ろしい世界の話を語る。

「何もかも同じというなら姿格好も似ていて傘も持っているべきなんじゃないか?私はそう思ったの!」

傘男の絵が先輩のオリジナルの空想から生まれたものだとは驚きだった。

実際民間伝承を調べてみても眠りの精の弟に関する記述はごく僅かでその姿に言及したものは無いに等しい。

「それでイラストにはそっくりな傘をさした2人の男を描いたんですね」

「私昔からそういう本編に出て来ないキャラクターとか語られざる物語にすごく惹かれる性質なの!」

「言われてみれば先輩の好きなヨクサルもそうでした」

「そう…本編には登場せず『昔こんなヨクサルは大冒険をした』そんな文章とイラストがあるだけ。私は子供の頃にそれを読んで『いつかその物語が読めるはず』と心の中で勝手に思いこんでいたの…変な子供でしょ?」

「僕だって先輩に負けないくらい相当変な子供でしたよ」

「唯野君の子供の頃の話私興味あるなあ。今度ゆっくり聞かせてね」

「先輩はヨクサルというか物語にずっと恋をしてるんですね」

俺は山さんと目が合った瞬間顔が熱くなった。

これぐいらい言ったっていいだろ!俺だって一応物書きなんだ!

「ありがとう」

そんな先輩の声を聞く。

「ずっと拗らせたままだけどね」

「僕もです」

「いくら待っても返事のない相手だから私自分で書こうとある日思ったの」

それが先輩の物語を書き始めたきっかけなのかなと俺は思った。

「ヤンソンの書いたスナフキンはね…彼女の昔の恋人がモデルらしいわ。彼は哲学者だったんですって」

俺はその後先輩と少しだけ話をした。なぜ傘男に興味を持ったのか当たり障りのない話をした。

「なるほど!傘は普段は身を守る傘でいざという時は鎌になるのね!道具に操られるという発想は【大鎌】を連想させる。面白い!」

「【大鎌】や【黒パン】は本当に凄い作品でしたね…一生に一つでいいからあんな物語俺も書いてみたいですよ」

「それ私にも読ませてね…というか傘男私にくれないかしら?」

さっきまで隣でにやけてた山さんは今は超真剣な顔で俺と宮前先輩の話に耳を傾けていた。

「傘男」

先輩は夢みるような甘い声で言った。

「どうして弟の話はみんなあまり知らないのかな」

「どうしてって」

「こういうのはどう?オ-レ・ルグイエは子供の部屋を訪れて楽しい夢を見せてるのは1週間…弟も同じ。目が覚めたら楽しい夢のお話は出来るけど。目が覚めなければ話は出来ない…だって弟に会った人は1人の残らず死ぬんだから」

俺は背筋がぞくりとした。

宮前先輩に礼を言って通話終了のボタンを押した。

すぐに山さんは立ち上がると俺に言ったんだ。

「ちょっと部屋に戻って原稿書くわ!」

そう言って山さんは帰って行った。

死という題材はとかく書き手の創作意欲をかき立てるものらしい。

とにもかくにも先に書いたもん勝ちとゆう事になる。

しかしこの物語は俺のものだ。

というか書く依然に巻き込まれてしまっている。

「もう出て来ていいぞ」

「オ-レ・ルグイエ」

「さっきからずっと聞いてたのか?物知りの死神博士」

「そんな名前には記憶がありませんが」

部屋でも傘をさした男は俺の背後で首を傾げた。

宮前先輩との会話中にメ-ルが一件届いていた。






「新たに唯野様専属の死神モ-トとして一言よろしいでしょうか?」

「今度はそっちのタ-ンってわけか?」

「タ-ンの意味がよくわかりませんが」

「別に気にしなくていい」

「そうですか。私が話したいのはビジネスの話でして…その前に私の事を人間とお認め下さいましてありがとうございます」

妙に人間である事に拘るやつだ。

超越的な力を手に入れたというわりには色々縛りがあるみたいだし。その縛りに逆らうような暗殺稼業という矛盾も謎だが。

謎が飽和状態で感覚が麻痺しそうだ。

取り敢えず俺は相槌を打つ。

「ビジネスの話か、いいねビジネスの話をしよう!最初からそれがしたかったんだ!」

「随分とお互いに寄り道をしたものです」

お互いにではなく一方的により道につき合わされてただけなのだが。

「私は唯野様が言われる通り死神職の人間です」

死神が職になってる。

「その方がなにかと話が進みやすい、死神大いに結構だ!」

「が彼女は違います」

が、がすごく嫌だ。

「違うって何が」

めんどくさいが聞いてみる。

その後のモ-トの告白に俺は驚愕した。

驚愕なんて通り越して呆れる他はなかった。

「実は、彼女は稀人であり、この世界の人間ではありません」

稀人…それは俺にとって実は今初めて耳にする言葉ではなかった。

「稀人って漂着神の事か?」

一応聞いてみた。それ以外思いつかなかった。

世にも奇妙なまれ人間という意味でなら実はここにも過去にも何人も心当りがないわけじゃない。

「折口信夫とかの本に出て来る…それって日本やアジア諸国独特の思想じゃないのか」

なぜ俺にそんな知識があるかと言えば過去に大学で民俗学の講義を選択していたからだ。

民俗学とはざっくり言って過去から現代に伝わる風習の謂れや民間伝承を研究する学問である。

児童文学や童話を学術的側面から真剣に学ぼうとする者には切って切り離せない分野の学問なのである。

今ネットのサイトに上がっている怪しげな都市伝説や怪談だって馬鹿にしたものじゃない。

中には百年千年生き延びた後に昔話として残るものもあるはずなのだ。

今は昔。物語というのはいつも俺たち人間の生きてる時代に絶えず目に見えぬ微生物のように浮遊しているものだと俺は思う。

稀人は客人とも表記される。

民俗学の大家でもある折口信夫の思想の根幹を成す重要なワ-ドであり日本神話の鍵概念の1つでもあるとされている。

稀人とは時を定めて他界から来訪する霊的、神的存在を意味する。

太古の昔、海の向こうには神々が暮らす豊かな世界があると人々は信じていた。

海から流れ着き富や繁栄をもたらすという漂着神の呼称がそれだ。

「オリグチという人物は知りません。しかしそうした伝説はケルト神話やドイツなどの西欧にもあります。他にも周囲を海に囲まれた国や島にはそうした伝承が数多く残されています」

「この子がその神様だって言うのか?この金髪のスエット娘が!?どっからどう見てもこれは人間だろうが!!」

「正確には神ではなくそれに限りなく近づいた存在…おそらくは私たちの知らぬ異世界や外宇宙からの訪問者と思われます」

さらに稀有壮大な妄言が返って来た。

「彼女は全身を機械化された生命体なのです」

「ちょっと待ってくれ!」

「機械ですが彼女の遺伝子や魂は数値化・コ-ド化されて今は体内のブラックボックスの中に眠っているのです。機械でありながら生命体それが彼女なのです」

「異世界の星から来た人間が俺たちと同じ姿をしているわけないだろ」

「今は人の姿を模しているだけです」

「異星人なんているわけがない!いたとしても俺が出逢う偶然なんてあるわけがない!!」

「偶然なるほど偶然…仰る通りこの世界に異星人なんて存在しない。故に唯野様がそんな物に偶然にせよ遭遇する道理がございません」

「お前さっきから何言ってんだ!?」

「少なくとも確率上ではそうなりますし唯野様は実に賢明な方だと今証明された訳です」

モ-トは俺に言う。

「銀河系の外にも飛び出した事もない、知的生命の痕跡すら未だ確認されてはいない。そんな惑星の人間にとっては70億の人間の中にたった1人だけ彼女のような存在があったとしてもそれは確率上0に等しい。式など立てる必要もなく存在などしないのと同じなのです」

「70億の中の1人なら俺もあんたも同じだと思うが」

70億分の1なんて今時ちんけなラブソングの歌詞にもなりはしない。

「私は常識的に考えてとっくの昔に死んでいるはずです。国籍も既にありません。この世界で必然である事を許された存在は貴方だけなんですよ」

「俺だけが必然」

「なにか釈然とされていないお顔をされていますね」

「あんたらに会ってからずっとだと思うが」

思わず苦笑してしまう。

「俺がこの世界に存在するのが必然だなんて、とてもじゃないが思えない」

子供の頃から死んでるんだか生きてるんだか分からないやつだった。

他の子供たちと遊ぶのが嫌だったわけじゃない。

近所の子供たちは俺の事を知っていて玄関まで俺を遊びの誘いに来てくれた。その度に俺は出かけ具合が悪くなった。

あんまりそんな事が続いたのでそのうち家に誰も来なくなった。

家の中で本を読む時間も好きだった。

けれど表で楽しそうに遊ぶ子供の声が聞こえると羨ましくて「誰か誘いに来てくれないか」と窓際に立っていた。そんな子供時代。

大学に入って好きな学問にどっぷり浸かり読んで書いて議論したり。仲間や知り合いも出来た。

俺は自分の望むものをすべて手に入れた。

恋人も将来なりたい夢も手をのばせば届く。

すぐそこにある気がしていた。

多分あの頃の俺は幸せだったんだろう。

けれどそれは日々の中で泡みたいに消えた。

今この世界で俺を必要とする者がいるとは思えない。

俺が存在する事が必然だなんて俺ですら思えない。

そんな現実の自分の姿に俺は絶望したんだ。

「500京分の1の確率らしいです」

「何がだ?」

「70億の人間の中から男女一組が出会って結ばれたりする確率です」

ロマンチックだとでも言わせたいのかこの男。

「それが何だ?」

「では死神と死にたがりの青年と宇宙から来た機械生命の少女が出逢う確率は?」

「そんなもん計算出来るか!?」

「貴方は暗殺サイトにネットでアクセスして自らエントリーされました。暗殺依頼者の数はおよそ50000…この時点で私たちが出逢う確率は50000分の1に絞られました」

「そんなに世の中には人を殺したがってるやつがいるのか!?」

「今なお増え続けています。もっとも貴方という依頼者を決めた時点でその人たちの依頼はお受けできませんのでサイトは閉鎖致します」

俺だけを殺せばそれでいいって事か…その理由も分からない。

「元々私利私欲や怨恨で人を殺したいなんて人たちは最初から除外の対象でしたから。彼女が最初に殺す人間に相応しくないと私は考えています。だから他者の殺害を以来する人を除けば条件に当てはまる人間は30人。30分の1の確率です」

「なら最初から自殺志願者を募れば済む話だ」

「勝手に自分で死ぬ人に我々は興味がない。殺す事が大切です。私は契約に拘る古い人間ですから。ビジネスの話も出来ない。さて、そこから先自分で自分を殺したいと思いながらもまだ正気を保っている人間が絞り込まれ」

「それが俺だったってわけか?」

「その通りです。健康状態や性格や環境なども考慮しました。なにより決め手となったのは私たちの荒唐無稽とも思える今までの話を席を立たず受け入れてくれる器の心を持った方だからです」

「俺が物語を書く人間だから」

「つまり今貴方が私たちの前にいる事こそが偶然ではなく必然と呼べるのです」

「それはまた嫌な必然もあったもんだ」

「貴方の彼女の存在を疑う理由がこれで晴れたとは思いません。まだまだ不完全でしょう」

「当然だ!そんな名前もわからないような遠い星の世界から来れるわけがないじゃないか!?」

「私たちには古いSFに出て来る有人恒星間ロケットも光の早さで星の海を旅する航法も確立されてはいませんから…しかしネットはどうですか?」

「ネット」

「一生を通じて到底訪れる事の無い国々の人々と繋がる事が出来るなんて100年前の人間は想像したでしょうか?」

ネットを通じてなら人と人の距離はなくなる。

「つまり貴方や私の経験や地理的距離感や時間に対する概念は彼女の世界の文明や科学力と比べたら大航海時代の人間のそれに等しいという事なんです」

「演繹法を用いて目の前の男をサル以下と証明せよ…って門題か?」

「手を出して」

俺の質問には答えずモ-トは彼女に言った。

彼女は言われるまま右腕をそっと男の前に持ち上げて見せた。乱暴とも思える素早さで彼女の腕が捕まれた。

腕を掴まれても彼女の表情は一切変化する事はなかった。

「物理的な証拠というものが必要ならば致し方ありません」

彼女の腕が捻切れそうな角度にまで折り曲げられた。
「何してんだ!?女の子に乱暴するな!!」

俺は止めようとして慌てて椅子から立ち上がった。

「中身を開けて見れば彼女が私たちとは違うパーツで作られている事が理解していただけるかと」

曇りのない黒い瞳は些かも冗談を言っている様子はない。

腕を掴まれた彼女自身でさえもだ。

「わかった!信じる!信じるから止めてくれ!!」

俺の言葉にあっさりとモ-トは彼女の腕から手を離した。

本気だった…確かに止めなければこの男は俺の目の前で彼女の腕を捻切っていた。

そんな確信は額から滲み瞼の横を冷たい汗となって流れた。

「本気でやりませんよ」

男は呟いた。

「私では彼女を直せませんから…私に出来るのはせいぜい手製の人形を動す事くらいです」

俺は今更ながらこの男が本物の死神に思えて来た。

「いくら元人形職人だからって人を人形扱いするな」

俺は呼吸を整えながら男を睨みつけて言った。

「私が今までお見せした事など彼女という存在に比べたら手品同然なのです」

何故か誇らしげだった。


「ときに唯野様の御両親が出逢ったのは確か同じ高校でしたな」

「そんな話をお前にした覚えがないが」

「1/1000000×47×200×2≒1/53…御両親が生まれた県の人口とその年の出生数に高校の数…2人が出逢う確立はこの時既に500京分の1ではありません」

「俺の両親が出逢って結ばれる確率…そんな何十億分の1の確率で俺は生まれたのか」

そう考えると少し感慨深いものがあった。

「因みに今の計算式間違いですから」

「ロマンチストだな」

「お前ら」

「この場合掛け算よりも割算でなければ正しい数値は出ません。もっともらしい数字や式を並べて人を騙すのは山師や詐欺によくある手口ですからご注意下さい」

「ご忠告ありがとう!」

「貴方の御両親が出逢ったのは偶然に満ち溢れたこの世界で起きた然程珍しくもない偶然だったと私は思います」

「だろうね」

「御両親が出逢ってから結ばれて貴方が生まれる迄の間には他の誰か、という選択肢はなかったんでしょうか」

「あったと思うね」

「貴方が生まれ御両親と対面した時もですか?」

「………………………」

「その時他の誰かとの他の子供を、貴方以外の誰かを、御両親は思ったでしょうか。必然とは正にそういうものだと私は考えます」

「なんだよそれ」

他に言葉が思い浮かばない。

「唯野様は蝸牛の殻が何であんなに固いのか疑問に思った事はございませんか?」

「貝の子孫だからとかじゃないのか?」

「吸生中という微生物が体内に入り込んで生理的変化を起こしカルシウムを発生させるのだそうですよ。初めから蝸牛の体内に寄生しているわけでもなく、まったく別の細胞、別の核の中に別の遺伝子を持った別の生物であるにも係わらず生まれたての蝸牛と吸生虫は自然界の中で必ず出逢う」

「俺の両親と蝸牛や寄生虫を一緒にするな!」

「そもそも別の男女の中にあった卵と精子が片方の体内に入り込む…卵も精子も別の細胞の核に別の遺伝子です。その距離は遠いのでしょうか短いのでしょうか?」

モ-トの視線は東の暗い夜空に聳える副都心のビル群の赤く点滅する障害灯の光を見つめていた。

「もしも人の細胞の1つが私たちの身の丈くらいの大きさだとするとお隣の細胞までの距離はあれぐらいはありますかね」

「随分遠いな」

人間はどうやら隙間だらけらしいです…もっとも死神の話ですから詐欺師よりあてにはなりませんが」

モ-トは俺に言った。

「幼い頃私の家の周りには森や自然が今より沢山ありました。夜は暗く今よりはるかに文明も遅れていました。私は森で遊ぶのが好きだった。何故蝸牛の殻はあんなに固いのか?芋虫や毛虫を眺めてはこんなに醜い生き物があんなにも美しい蝶に姿を変えるのか…教会で聞く聖書の物語に出て来る巡礼者たちは何故首からホタテ貝なんてぶら下げていたのか…いつも世界は問いかけたい謎や不思議に満ちていました」

「蝸牛以外の謎も全て解けたのか?」

「Wikipediaで調べましたから…ですが見つからない答えも未だあります」

「俺にはあんたの存在が謎過ぎるんだが」

「それでも私が探していた答えがもうすぐ見つかるかも知れないのです」

彼の探していた答えというものが何なのか俺は今も知らないままだ。おそらくは永遠にわかる事はないだろう。

「『自然界にあるものはすべて美しい数式で出来ている』と昔高名な学者が言ったそうです。ですが解の証明はいつも詩のように美しく優れた彫刻のように一つの無駄のない人間の言葉でなされなくてはなりません」

「なんか、ありがとう」

「何がですか?」

「あんたが俺の事をこの世界に生まれた必然だと言ってくれたから」

「お互い様です。貴方だって私の事を人間だと、彼女の存在も認めてくれた初めての方ですから」

「少し気持ちが前向きになれた気がする」

「死ぬ事に対して?」

「いや生きる事に対してさ!そのためにあんたは必然だの偶然だの、そんな話をわざわざ俺にしてくれたんじゃないのか?」

その男は毅然と首を振った。

「私たちは最初から貴方に是が否でも死んで頂かなくては困るのです」

「殺す」

「必然…勘違いされては困ります。貴方は死んで必然ではなくなる。そして彼女がこの世界で必然になる。最初から最後までそういう話です」

俺の目の前に羊皮紙の契約書が改めて差出された。

街灯の下に見馴れぬ異国の文字と唯一馴染みのある俺が自分で記したサインがそこにあった。

「貴方は私たちがやっと見つけた王子様なのです」

金色の瞳の奥に俺の姿を映して。蕾が綻ぶように。

「王子様」

と彼女は言った。



【RELAYERⅠ】


正田清はおにぎりが好きである。

正田清ぐらいおにぎりが似合う男は以前テレビドラマの再放送で観た山下画伯ぐらいのものだろう。

そういえば山下画伯も下の名前が清だったな。

おれはある日の大学のサ-クルの部室でうまそうにコンビニのおにぎりを頬張る正田清を眺めていた。

「ほんとに正ちゃんはおにぎりが好きだね」

あの頃まだ俺とつき合っていなかった鏡沢奈緒も部室で手製のお弁当を広げていた。

俺は昼食は大学の側にあるコンビニで買ったサンドイッチで済ませた。

高橋龍也はいつも昼食はカロリーメイト一本と鉄観音のウ-ロン茶。

目が合うと「中毒なんだ」と俺に言う。

なんの中毒なのか俺にはよくわからない。

高橋龍也は清貧な苦学生を気取っているが学食や町の食堂に必ずついて来る。

そこで俺が食事を注文すると決まって「パンと水を下さい」と店員に言う。

たまりかねて俺は高橋の分まで注文してしまう。

だから食堂では食事をせず飯は買う事にした。

苦学生ではなくドケチなのだ。

飲み会やコンパの席でも下戸なのでウ-ロン茶を注文してツマミはパクパク食べるのに「我輩ウ-ロン茶しか飲んでない」と500円硬貨一枚置いて帰る。

高橋龍也はそんな男だが今は正田清の話だ。

正田清は米の飯とSFをこよなく愛する侍だ。

居酒屋に行って席についてもます誰となく「正ちゃんはご飯?」「おにぎり食べる?」

そう訊ねる。清は頷いて必ずおにぎりを注文する。

米の飯を食ってから酒を飲む。

実はかなり酒も強い。特にツナマヨは外せないらしい。

ツナマヨをオカズに他のオニギリを食っているようなかんじである。
「コンビ-フは真ん中にではなく全体にまぶして欲しいものでござるな」

そんな事を呟きながらその日も海苔の音を響かせていた。

「そう言えば俺正ちゃんに聞きたい事があったんだ」

「なんでござろうか?」

その頃の俺はと言えば本好きを自認しながらもSFというジャンルに関してはまったくの無知だった。

正田清は無類のSFマニアなので彼との会話にはよくSF小説の話が出て来る。

話を聞いているうちに自然と興味が沸いて来て「自分も面白い作品があれば読んでみたい」と話していた。

正田清は親切に初心者でも読みやすいSF小説をいくつか紹介してくれた。

その中にはア-サ-Cクラ-クの【幼年期の終わり】や【2001年宇宙の旅】と言った作品も含まれていた。

今も彼の手元には「実家にあるのに古本屋で見つけてつい買ってしまった」というAEヴァン・ヴォークトの【武器製造業者】の文庫が読みさしのまま置かれていた。

「昨日深夜に正ちゃんが勧めてくれた2001年テレビでやってたんだけどさ」

「おお!スタンリ-キュ-ブリックの!それはラッキーだったでござるな!!」

「いや最初から見たんだけど全然意味がわからなくて…『やっぱり俺SFとか向いてないかも』なんて思ってさ」

「あたしもあれ前に見たけど意味わかんなかったよ~最後宇宙空間に赤ちゃんとか出て来て!なにあれ?トリップ系?」

正田清は食べかけのおにぎりを片手に沈思黙考する哲学者のように目を閉じた。

「2人とも其処に直れ…手打ちに致す!」

「ええ!?」

なんかヤバい地雷を踏んだかと俺と鏡沢奈緒は互いに顔を見合せた。

しかし正田清は目を開けると俺たち2人に微笑んだ。

「そう言いたいとこでござるが…あの映画を見てすべてが理解出来たら天才でござるよ。今すぐ大学なんかやめて偉大なSF作家になるべきでござろう」

「て事は映画がダメなんだね。原作の意味をちゃんと伝えてないって意味でさ」

「原作…原作は映画でもあるのだけれど」

「え…じゃあ小説が映画のノベライズとか?」

正田清はおにぎりの欠片を口に放り込むと腕組みして首を振る。

「まさか!あのクラ-ク博士がノベライズなんて書かないでござるよ。2001年という作品はキュ-ブリック監督とア-サ-Cクラ-クが互いにアイデアを出し合いながら映画と小説同時進行で製作されたのでござる」

「つまり2つの作品は双子のようなものだって事?」

「映画と小説というジャンルで独立していながら互いを補完し合っている稀有な作品なのでござろうな」

映画【2001年宇宙の旅】の冒頭部分に俺は特に惹きつけられた。

無人の荒野(正田清の説明によると 300万年前のアフリカ・オルドヴァイ峡谷と判明)を群れから離れた一匹の飢えたヒトザルがさ迷っている。

ヒトザルの目の前に突然宙に浮かぶ謎の巨大な黒い石板のような物体モノリスが現れる。

次の場面でヒトザルは他の動物の骨を手にしている。

人類が初めて手にする道具である。

敵対するヒトザルの群れを道具によって殺害する。

ヒトザルが振り上げた骨は手元から離れ宙に舞う。

次の場面では木星に探査に向かう有人宇宙船ディスカバリー号と宇宙空間の映像が映し出される。

「何度観てもしびれるジャンプでござるな」

確かにあれは映像でしか出来ない。

道具を使う事を覚えた人類の進化を一瞬で表現した。

「これは小説では出来ないな」と観ていて感心した。

鳴り響く音楽も映像に恐ろしい位マッチしている。

正田清の話によればキュ-ブリック監督はこの映画を撮るにあたって無駄な台詞や説明を徹底して排除したのだという。

音楽と映像は確かに素晴らしいのだが見てるこっちはそこから置いてけぼりだ。

「あのモノリスとかいう石みたいなのってなに?」

「魁種族という地球外生命体が造った四角柱で各辺の比は1:4:9、最初の3つの自然数の二乗でござる!一説にはこれは一種のフォン・ノイマン・マシーンでありオ-トマトンではないかと言われているでござ候。現にクラ-ク博士はその存在を仄めかす記述を【3001年宇宙の旅】で…」


「クラ-ク博士と言えば北海道はやっぱりマトンよね!」

「ジンギスカンは道民のソウルフ-ドだべさ!」

「あの、正田ちゃん、オ-トマトンの意味を教えて…」

言い終える前に右足の脛に強烈な痛みを感じた。

机の下で鏡沢奈緒が俺の足を蹴ったのだ。

「てめ余計な話してんじゃねえよ!」

一瞬合った彼女の目が俺にそう訴えかけていた。

「ノイマン・マシーンとは…中略。オ-トマトンとは即ち…中略…でござる」

俺はどうやら普段寡黙な男のSF魂に火を点けてしまったらしい。夜が明けるのを待つように。俺は愛想よく相槌を打ちながら辛抱強く話が終わるのを待った。

「我輩も特撮は好きだがあの手の作品は好きになれないね!やはりラリーハウゼンは神だと思うよ」

普段は神経を逆撫でする男の横槍だが今はいっそ議論でも始めてくれると有難い。しかし正田清は耳を貸す素振りもない。

話は再びモノリスに戻る。

映画にも小説にも大小様々なモノリスは多数出現するのだが必ず1:4:9の対比なのだと正田清は言う。

これには理由があってモノリスという物体が自然派生した物でなく超自然的な存在により造り出された物でもない人工物である事の証であると正田清は説明する。

「つまりモノリスというのは人類の誕生以前から魁種族によって造られた極めて汎用性の高いコンピュータであり様々な仕事をこなす便利道具でもあるのでござる」

同時に【道具】の持つ意味がこの作品の中ではとても重要らしい。

「モノリスと出会ってヒトザルが道具を使う事を覚えた…というくだりは俺も理解出来るんだよ」

しかし月面に降りたアポロ11号の乗組員達が第2のモノリスと遭遇してから。

「月面のモノリスが人間に劇的な進化をもたらしたとは思えないんだけど」

少なくとも最初の邂逅に比べたら発見以上の何かが起きたとは思えない。

「それはTMA・1モノリスの役割が人類が他の惑星に到達した事を木星(小説では土星)のTMA・2と450光年先の主に伝える事が目的であったからでござるよ」

「TMAって」

「Tycho Magnetic Anomalyティコ磁気異常…モノリスのある場所には強力な磁場が発生する事からモノリスには発見された順にTMA・0、TMA・1という区別されているのでござるよ」

ふと鏡沢奈緒を見る。迷い箸で楽しそうにお弁当のオカズを見ていた。

月面のティコクレータ-内部に埋められていたティコ・モノリスは発掘され太陽光を浴びた直後に強力な電波を発生する仕組みになっていた。

木星で電波を受信したモノリスは地球に向けて電波を送る。

そこに第3のモノリスが存在する事とその座標を人類に報せるために。

そうして2001年漸く完成した有人宇宙船は木星に向かう。

因みにこの作品が作られたのは1969年だった。

モノリスの汎用性は人類に進化を促すだけではなく通信・探査・生命の抹殺まで行う。

人類は物語から1000年後の世界でモノリスに抹殺されそうになる。

移動して大量に増殖した後木星を第2の太陽に変えたりもしている。

人類の力では破壊も解析も出来きず材質は不明。

全長は人の脳内に入り込むサイズから16Kmにも及ぶ。

「便利なツ-ルでござる」

「て言うか神だろ!そんなもの造れる存在は地球外生命体じゃなくてもはや神じゃないか!?」

「まあそうでござるが、これはあくまでSFである以上はSFのロジックと言語で物語は綴られるのでござる」

勿論俺が見た映画本編には正田清のような解説は添えられてはいない。正田清は言うのだ。

「これが一大ファンタジーならばよりそれらしい単語が使われて然るべき。しかしSFは科学のテキストでもネイチャ-に載ってる論文や考証を積み重ねるものでもなく人が未だ見た事のない世界を想像で描くという点では同じ…なぜかハリーばかりもてる世の中でござるが」

「魁種族はとうとう最後まで姿すら見せないで終わった。これもよく考えたら凄いよね!」

「姿を見せようにも実体がないのでござるからな」

魁種族という地球外生命体が辿った進化。

「それは宇宙に人類が飛び出した時どのような変化が起きるのだろう」というSFならではのシュミレ-ションから始まっている。

太古の昔地球に生命が誕生するずっと前に生まれ故郷である母星を捨て星の海に旅立った生命体がいた。

彼らが星を捨てなければならなかった理由は不明だ。

星の寿命が尽きる時が訪れたのか彼ら自身の文明が星を滅ぼしたのか。

何れにせよ生存が可能な惑星を発見する事が最初の旅の目的であった。何時終わるとも知れぬ遠大な宇宙の旅。

如何なる生命体にも肉体と種の寿命は訪れる。

彼らは延命と宇宙空間での環境に適応するために体を機械化した。自らが端末の機能を果す事で船の中枢システムとリンクが可能となり彼ら自身が母船そのものとなる。

すると言語や様々な肉体を使った動作や表情による意思の伝達も不要となる。

意識の統合が成されれば性差も個である必要さえも無くなり。

やがて彼らは船を捨て放射生命体へと進化する。

意思ある光である。

宇宙空間を光よりも早く移動するためにホ-ルを開き時には惑星さえも創造し滅亡させる。

いつしか彼らはそんな存在になっていた。

「まるで断捨離だ」

「SFでなくても現実のこの世界も便利な道具で溢れてござるが増える一方。捨てる事での進化なんてのは今のところ人類には無理でござるな」

正田清はサ-クルの女子たちが手にしてい最新の携帯端末を見て言った。

「なんで魁種族は万物の法則も変えてしまうぐらいの超生命体に進化したのに地球の生命に干渉したりしたんだろう?」

「お友達が欲しくなったんじゃない?」

両手を合わせ「ごちそうさまでした」をしながら鏡沢奈緒が言った。

「くだらない話したり、ぶらぶらお買い物したり、そ~ゆうの大切よ」

「放射生命体になっても感情はある、とだけは小説にも書かれているでござるな」

俺は昨夜見たテレビ画面に映し出された宇宙を思い出す。

生命のない銀河系の星ぼしの白く輝く瞬きと圧倒的な宇宙空間の暗黒。

それが脳裏に焼きついていつまでも離れる事はなかった。

「魁種族は生命の萌芽がある惑星には悉くモノリスを潜ませているのでござるが結局地球人類はルシファ-の太陽風で焼き殺す事に」

「なにそれ!?最悪!!やっぱ友達になれない!!」

「正ちゃん俺原作読んでみるよ」

「唯野氏に【かく語りき】がツァラトゥストラ鳴り響いた日でござる!」

正田清は満足気に残ったツナマヨの封を開けた。

「SFの醍醐味はその面白さや発想の凄さを人に話す事。知的好奇心を1人て抱えて満足させるだけでは何か寂しいでござる。まあSFは人に聞く方が実際読むより面白い…なんてのは禁句でござるが」

それはどのジャンルの小説も変わらない。

俺は正田清と出会ったおかげでSF小説に対する偏見が消えた。

「一昨年は大学受験に失敗してここの大学の入試を終えて実家の埼玉に帰る電車の中でKディックの【火星のタイムスリップ】を読んだでござる」

うちの大学は本命で結構自信もあったしそれなりに勉強もした。

「けど結果は惨敗だったでござる」

試験中に問題を解いていて「だめだ」と感じたらしい。高2の時にはまったKディックの本を「全巻読みたい」と思ってが受験があるので我慢した。

「受験が終わったら読もう」と心に決めた【火星のタイムスリップ】は傑作の誉高い作品だった。

夕方満員電車の中で正田清は自分だけがディックの小説に登場する非人間レプリカントに思えたそうだ。

この中で自分が一番バカに思えた。

知恵熱が冷めぬ子供のような頭のまま鞄から文庫本を出して読み始めた。

地球に居場所がなく火星に追いやられた未来の人々の過酷な生活がそこに描かれていた。

時間も何もかも忘れて小説に夢中になった。

ふと気がつくと辺りは夜で電車の客も疎らになっていた。

ビルも賑やかな街並みも消え畑と空き歯のように民家が建ち並ぶ景色に変わる。

山陰地帯へと向かう途中で通り過ぎたスタジアムは4月にプロ野球の開幕戦を控えたいた。

その日はイベントも何もなく宵闇の中で朽ち果てたコロッセオの遺跡のように照明も無くひっそりとしていた。

そんな風景と列車の窓に映る自分の顔を眺めながら正田清は「自分はこれから何処に向かうのか」と思った。

「まあ無事翌年大学には受かったのでござるがSFの話をすると女の子がひきまくる非モテ電車から降りれないでござる」

「正ちゃんには我輩がついておるぞ!」

念願の大学に入ったらサ-クルに地球外生命体がいた…というオチか。

「本当はSF研に入るつもりが構内で熱く童話を語る山さんや唯野氏を見かけつい後をついて来てしまったでござる!」

【2001年宇宙の旅】は小説を読めばSFならば精緻なプロットを映画ならば強烈な色彩で彩られた映像を体験出来る。

贅沢で至福の時間が楽しめる。

今でも思い出す。

白、それはヒトザルが初めて手にした骨。

そして主人公が乗る木星探査に向かう宇宙船の色。

外観も内部も寒々しいまでの白一色。生命を持たない星々と同じ。それは道具の色。

宇宙の黒はどこまでも暗黒で孤独と絶望的な色。

乗組員の宇宙服は赤色。赤は生命の色彩だ。

木星への航海を万全な旅にするために人類の叡知が結集され船に搭載された世界初の人工知能HAL。

2001年をとうに過ぎた現代でも未だに思考型人工知能であるHALのようなコンピュータは存在しない。

HALの外観は壁に掛けられたシンプルなパネルとサイクロプスの瞳や警告灯を想像させる。

赤いランプ。

なぜHALは木星に向かう自らの創造主でもある人間のクル-たちを次々に殺したのか。

思考とは様々な感情という産物を生み出す。

神産みの神から生まれた神々がすべて善良とは限らない。

嫉妬や憎悪・妬み・愛でさえもすべての感情は殺人の動機となりうるのだから。

自然淘汰。

人間を越えたかった?

人間になりたかった?

ただ人間の命令に従っただけ。

様々な諸説がある。

そもそも魁種族なるものが背中を押した魁種族と同じ人類の進化というのは正しいものであったのか。

主人公に機能停止させられ前に行き先と目的を問い詰められたHALの最後の言葉は。

「I’m Afraid」

「もう人間じゃないか」

俺が呟くのを傍らで聞いた正田清が満足そうに最後のおにぎりの海苔にかじりついた。

「いい音させてるねえ」

般教さぼった善が部室に姿を見せるなり言った。

「ツァラトゥストラでごさるよ」

握り飯を飲み込みながら正田清はそう言った。






「対価の話を」

「そうだな、この契約書にはそれが明記されていない」

それが一番の懸念だった。

異国の文字は読めなくても金額の数字は読める。

しかし差し出された契約書は文字ばかりで数字らしきものが一切書かれていない。

「あんたは最初俺に『金も魂も必要ない。なんの価値もない』そう言ったよな」

「確かに申し上げました」

「だが対価は必要だと言う。一体何が望みなんだ?俺はあんたらに何を支払えば俺の望みは叶うんだ」

差し示された指の先には俺の古びた自転車があった。

「自転車が欲しいのか」

俺の言葉に男は首を振る。

「そちらの乗り物ではありません」

「乗り物って俺は自転車しか持ってないぞ」

「私たちが必要なのは貴方がこれから乗り捨てようとしている肉体です」

「俺の体」

そう聞いて俺の頭に閃くものがあった。

「つまり角膜や臓器…ドナ-って事なのか」

「彼女が人としてこれから生きるためには貴方の体が必要なんです」

「そういう事か!」

なんというかあまりに現実的な着地点に帰着したものだ。

今までの会話は一体なんだったのか。

俺は興醒めこそしたものの「まあ現実的にない話ではない」と妙に納得してしまう。

「その子は、その、移植手術が必要なほどの難病なのか?」

「難病?」

「適合検査とか必要なんじゃないのか?いきなり他人の臓器を移植して大丈夫なわけないよな?」

「移植?」

俺はその時かなり自暴自棄になっていたのかも知れない。

俺みたいな人間が1人くらい世の中から消えたって世界は何も変わる事はない。

死んでむしろ誰かが救われる事があるならそれもまた良しだ。

いいんじゃないか?別に死んだ後の事なんて関係ないし。

「きちんと契約書通りにしてくれるなら俺は構わないぜ!角膜でも心臓でも脳以外使える所は持って行くがいい!ただし死体はちゃんとしてくれ。大事になるのも困るんだが…出来るのか?」

「それは契約書通りにちゃんとしますが」

「しますが…何だ?」

「脳は何故だめなんですか?」

「だめって…生体移植に脳は関係ないだろ?」

「生体移植」

2人は不思議そうにお互いの顔を見合せた。

「移植とはなんですか?」

「それは…彼女が移植が必要な難病で俺の死んだ後の体を必要としているから金の代わりに提供しろって話じゃないのか?」

「彼女は難病ではありません。機械ですから」

まだ言うか。

「移植も必要ありません。彼女に必要なのは補食です」

「補食ってなんだ?」

「脳も食べるよ」

「食べるって!?」

「殺す!食べる!そして人間になる!」

なんて嫌な三段論法。ロボット三原則完全無視。

「彼女が旅をして来た船は彼女の生命を守るためのヴィ-クルでした。現在の彼女の体も同じです。人の姿を模してはいますが模して人の世界に紛れるためのものではなく人になる為の役割を果す仮初めの姿なのです」

「体を機械化出来るくらい進化した生命体が何で今更人間になりたがる!?」

「それは謂わばRETUNEと言えるものでしょう」

なんだそれは?やたらかっこいい響きだが意味が分からないし分かりたくもない。

「神の領域まで文明や科学が進歩した彼女の世界にあって彼女だけが個である事や生命ある肉体を再び持つ事に固執した。彼女は再び生命のサイクルが営まれる惑星の住人となる事を夢みて仲間と袂を別ったのです。ただ人になる事だけが今の彼女の望みです」

「なら教えてやらなくていいのか!?」

「何をですか?」

「こんな世界!ここは身勝手で残酷な人間ばかり溢れたどうしようもない世界だって!長く生きたあんたなら知ってるはずだろ!?『人間になんて間違ってもなるもんじゃありませんよ』って今からでも教えてやれよ!モ-ト・セフ!!」

「クソみたいな人間が暮らすクソみたいな世界だからですか」

モ-トは静かに言った。

「それでも貴方が捨てようとしているクソ世界のクソみたいな人間に彼女はなりたがっているんです。それだけをずっと夢みて星の海を旅して来たのです」

「貴方がもし今それを捨てるのであれば彼女に是非ともその座を譲って上げて下さい」

2人揃って「お願いします」と丁寧に日本式にお辞儀をされた。

「補食するって一体どういう事なんだ!?」

「文字通り食べる事です」

「食べるよ」

「説明が必要ですか?」

俺たち人類の先祖はこの惑星に海が誕生した時目に見えないミクロの糸屑、繊維ような存在として原初の海に漂っていたらしい。

「私たち生命の先祖が肉体を形成して行く過程で選んだのはアミノ酸高分子化合物、則ちたんぱく質と呼ばれる物質です」

水溶性があり立体的な分子構造を持つたんぱく質は地表の7割の面積を海が占める地球上の生命にとって真核生物となる為に最も適した物質であった事は言うまでもない。

「しかし唯野様が申し上げられた通り彼女の生まれ故郷の生物は私たちとは成り立ちからして違っていた。当然惑星の住環境が異なれば生物の組成も違って来ます。同じであるはずがない」

彼女の種族も同じ星に暮らす他の生命体も、たんぱく質を祖体にした生物ではなかった。

「宇宙では学校で習う元素周期表以外の異なる元素を発見するのは難しいとされています。勿論周期表以外の元素は数多く存在しますが寿命が短く安定しない。しかし高分子化合物となると話は別でして」

モ-トは俺に言った。

「彼女のいた文明や科学は神の領域に手が届くものでしたが神そのものとなった訳ではなかった」

「つまり」

「神は無から万物を創造出来ますが彼女が仲間といた時には無から物は造りだせなかった。最初から存在していない物は造れない。あれば造れる…それがこの惑星の生命ならば肉体として身に纏っているはずの物質です」

「A、T、G、C…」

「アデニン、チミン、グアニン、シトシン…たんぱく質も色々ですよね」

「ABCの歌みたいに歌うな」

「ヒストリンやメチル基アセチル基、遺伝子を構成するにもたんぱく質が重要なのです」

「自分では造り出せないから俺の体を食って人間になるって言うのか!?そんなおぞましい事よく平気で…」

「いかなる生命も美しくおぞましいものではありませんか?それに貴方はそもそも生命の定義がなんだかご存知で?」

こんな悪魔みたいな事を平気で言うやつに言われても…答えようがない。

「増えてなお増える」

「そしてたんぱく質を取り込んで増殖する事です」

「だからって!人が人を殺して食うなんて罪深い事だって誰だって思うはずだろ!?」

「彼女は人ではありません。今のところ機械です。彼女が人となる為のナビゲーションシステムがそれを実行するだけです。本当の彼女が目を覚ました時彼女は無垢で罪のない人間になっているはずです」

「生物は他者を殺して生きる…それは罪で人に自分を殺させる事は罪ではないとお考えですか?」

俺はモ-トの言葉に押し黙る。

こんな場所にいてはいけない。

そもそも来るべきじゃなかった。

「殺したものはすべからく食べなくてはいけません」

他人に「自分の事を殺してくれ」そんな事を願う人間が一体どんな目に合わされるかなんて考えもしなかった。

「因みに芋虫や毛虫は蝶になる前に一度蛹になります。あの蛹の中で一体何が起きてるのか考えた事はありますか?」

「やめろ!そんな話聞きたくない!!」

「原理は細胞内核を持つ生物が持つホ-ム エンド ヌクレア-ゼ遺伝子の修復能力を利用して…」

「帰る!こんな話もう沢山だ!」

「貴方の体の持つ細胞10兆個のうち赤血球を除けば遺伝子は2万…DNAとRNAは転写され彼女の遺伝子を作成するのに使われた後破棄されます。貴方が御両親から半分ずつ頂いた染色体もサンプルになりますがそのまま使う訳ではなく彼女の遺伝子が彼女のオリジナルに書き換えられた後すべて溶けてたんぱく質に戻ります。貴方の体の組織も彼女の体のパ-ツも無駄なく使われますのでご安心下さい。後は新しい設計図に従って彼女の肉体が作られ…その仕事をするのは彼女の中のさらに小さな彼女です」

すべて聞き終わるのを大人しく待ってるほど俺はイカれちゃいない。

俺は立ち上がり自転車の置いてある方へ歩き出した。

「出来ましたら心肺停止以上脳死未満でお願いします」

「生きてる!それ生きてるじゃないか!?」

「それは解釈上の問題でして事実コネチカット州では最近でも心肺停止の状態で女性が埋葬された例も…」

「州とか言うな州とか!ここは法治国家の日本だ!!」

「人の事死神呼ばわりして暗殺依頼までしておいて今更法律ですか?どうせ死んだら、いらないんでしょ?」

だからって生きたまま貪り食われてたまるかよ。

「痛くしないよ」

「そもそもこの世で死者が主張出来る権利なんて何1つありませんよ」

こいつら…一言言ってやりたい。

このままじゃ腹の虫がおさまらない。

「モ-ト!お前は俺が今まで読んだり聞いたりした史上最低!最悪!の死神だ!!」

「それはまた随分な。私だって傷つきますよ」

「お前長く生きて死神気どりのわりに死についてなんて何一つも分かっちゃいないんだ!死に関しては俺の方が余程専門家だぜ」

「それはそれは…宜しければお聞かせ願えますか」

「お前は俺を殺す代償としてこの女に俺の体を食わせる、確かそんな話だったよな?」

「大筋間違っていません」

「じゃ聞くが死体は?どうするつもりだ!?死体が発見されなければ死体は物体だ。死体が誰かに発見されて医者が死亡診断書を書いて坊主が経あげて皆が泣いて墓石が立って鬼籍に入る。殺して食べちゃって行方不明になったらお前たちは俺を殺した証にならないんだ!この現代ではな!!」

「では契約の内容も御理解頂きましたようですので。そろそろ暗殺始めましょうか」

俺の話は完全無視された。

「今から契約書に従い貴方の殺害を実行致します」

俺に見せつけるように契約書を掲げた。

また足元に転がって来たゴム球を拾い上げたが今度は投げ返す事はなかった。

「契約違反だろ」

「ギャラリーもいますよ」

ボールが戻って来ないので公園の隅で野球を始めていた連中がこちらを指さして歩いて来る。

さっきからこんな真夜中に「迷惑な連中だな」と思っていた。

よくこんな木が植わった林の中で野球なんて出来るな。

「あなたの死体です」

ベンチの周りに集まったのは全員が俺だった。

「死体なんて泥でもあればいくらでも作れますよ。切れば血も出るし焼けば骨もきれいに残ります。私人形職人なので」

俺は生まれて初めて腰が抜けてその場にへたり込んだ。

「貴方が消えても医師が死体と認め死亡診断書を書けば良いのですよね?御家族が貴方と認めれば物でも死体ですよね?…御安心下さい。私の腕は確かです!誰も見破れません。貴方がいなければこれは全員貴方です」

「やめ…ろ」

「左から腐りかけ君、腕が後ろに回ってるのが死後硬直君…どれも貴方です。お気に入りをどうぞ!」

「やめて…やめてくれ!」

恐ろしくて地べたに座り込んだまま失禁してしまいそうだ。

これは死を玩んだ俺への罰なのか?玩んだつもりなど毛頭ないが。

俺は夥しい数の朽ちかけた自分の死体に囲まれて顔をあげる事すら出来なかった。

「少々悪戯が過ぎました」

頭上でそんな声を聞いた。

「お顔をお上げ下さい唯野様」

恐る恐る顔を上げた。深夜の公園には俺たち以外誰もいなかった。

「ですがこれは現実です」

目の前に契約書がつき出された。

「貴方は私の事を死神と名付けた。たとえそうでなくても私は神の御使い。少なくとも自分ではそう自負しております。死神でも神の御元で交された契約は絶対です。ここに貴方のサインもあります」

俺は契約通りこいつらに殺され生きたまま貪り食われてしまうのか。

「私は神との契約者ですが、たとえこの先神を裏切る事になろうと必ず彼女を人間にしてみせます」

「モ-ト自分でやるよ」

「そうでしたね」

彼女の言葉にモ-トは深く頷いた。

この2人の間にある目に見えぬ絆は一体なんなのだろう。

しかし今の俺にそんな事を考えている余裕などない。

こいつらは2人とも間違いなく人の姿をした化け物だ。

一刻も早くこの場から逃げなくては。

俺はじりじりと自転車のある方ににじり寄る。

「死は恐ろしいものではありませんよ唯野様。貴方はそれを学んで来られたはずです」

もう少し…もう少しで手が届く。あと少しだ。

「こうは考えられませんか?私たちは皆貴方が書かれるような童話の登場人物です。皆それぞれ大切なお役目がございます」

なに言ってんだ…こいつ!?

「私は人形作りの名人のゼペットじいさん…じいさんではありませんが。彼女は人魚姫…そして唯野様は勿論彼女の王子様です」

「王子様」

完全にロックオンされてる。

王子様じゃなくて、それはご馳走見る目だ。

大体どこの世界に殺人人形けしかけるゼペットじいさんがいる?

人魚姫は王子を殺して人間になろうとするが食ったりはしないぞ!食ったりは!!

「モ-トらっぱ」

「ラッパではありませんが」

モ-トの手にしていた傘が再び禍々しい角笛に姿を変える。

「古代より角笛とは如何なる目的で使用されていたか唯野様はご存知で?」

「さあ」

背中に後輪タイヤの感触があった。

後は気持ちを奮い立たせ立ち上がりサドルに飛び乗るだけだ。

「狩りの合図です」

そう言ってモ-トは角笛に空気を吹き込んだ。

公園に眠る死者が一斉に目を覚ますのではないか。

そんな風に思わせる音色だった。俺は意を決して立ち上がる。

同時それまでベンチに置物のように腰掛けていた彼女が立ち上がった。

そして、すぐによろけた。

「頑張って!大丈夫歩けます!さあここまで…」

モ-トが彼女の前で中腰になり手を叩く。

なんか生まれたてのヒヨコみたいに覚束無い足どりに俺は唖然とする。

「彼女最近起動したばかりでまだ歩行に難が…でも大丈夫!すぐ歩けます!」

「クララ頑張って!さあ歩くのよ!クララの弱虫!!」

「ふ」

ふと頭にそんな光景が浮かんだ。

「ふざけんなあ!!」

深夜の森林公園に俺の怒声が木霊した。

俺は自転車のサドルに飛び乗ると一目散にその場から逃走したのである。



その夜を境に俺は死神と宇宙から来た機械の女に命を狙われる事となった。

俺はその夜自転車のペダルをめちゃくちゃ漕いだ。

公園や繁華街はたちまち背後の闇に消え失せた。

あいつら2人が追って来る気配はなかった。

気がつけば人気のない住宅街。

俺の住むアパートもすぐ近くにある。

いつの間に開店したのか住宅街の一角に見慣れないカフェの灯りと看板を見つけた。

俺は呼吸を整え店の扉を開けた。

なんとなく真っ直ぐ部屋に戻るのが怖かった。

出来ればコ-ヒ-でも飲んで少し落ち着きたい。

禁煙でなければなおいいが。

何より人がいる現実の世界に戻りたいと俺は考えたのだ。

「いらっしゃいませ!ネコネココネコ…ネコネコファンタジスタkayurine3世のお店にようこそ!」

ネコ耳をつけたメイド服姿の店員さんが俺を出迎えた。

どうやら入る店を間違えたようだ。とても落ち着けなさそうだ。

「当店はニャンコ同伴の猫カフェになっておりましてお客様本日はニャンコは?」

「あの猫はいないんですが」

「ちっ!」

「あの…今「ちっ!」って言いました?」

「いえいえいえ滅相もございません!当店はニャンコ同伴でなくても全然平気!ニャンコと触れあえるカフェですよ~ささ!どうぞどうぞ!」

言われて席に案内される。確かに店内には至るところに猫が。

「寝てますね」

客席や床で丸くなって寝ていた。

「今お休みの時間なんで」

案内された席で丸くなってる灰色のペルシャをどうしたものか。

「起こさないで下さいね猫」

この店員さん目が本当に猫みたいだ。

勿論禁煙だろう俺は煙草を吸う事を諦めコ-ヒ-だけを注文する事にした。

猫が寝ていない反対側の席に座る。

まあ、なんというか飛び込みで入った店だけど幸せそうな眠り猫たちに囲まれていると不思議と気持ちが落ち着く。

「今日はニャンコはお留守番ですか?」

お冷やを運んでくれた店員さんに俺は答える。

「猫はアパートなんで飼えないんですよ」

「本当に飼ってないんだ~猫」

この店員さんにはざわつく。

俺はお冷やと一緒に出されたサ-ビスのカリカリを丁寧に断った。

「当店のオススメは猫耳ラテと…」

「ブレンド下さい!」

「ディナーメニューはあいにく終了してまして~デザートのオススメはこのふわふわ肉球シフォンとドレープ風クレープ…」

「この!プレーンのド-ナツ1つお願いします!!」

「肉球じゃなくて丸いやつですね」

「そう!丸い普通のでお願いします」

「うちはプレーンのド-ナツも美味しいですよ」

そう言って店員さんはにっこり微笑むと厨房の奥に消えた。

余程猫好きのオ-ナ-が経営してる店なんだろう。

そう思わせる猫の写真のバネルや猫のグッズが沢山店内に飾られていた。

「ルッツ!トゥループ!トリプルアクセル!お待たせ致しましたあ!!」

「溢れる!?溢れるから!?普通に持って来て!!」

しかし彼女は床の猫を飛び越えて見事なバランスでテ-ブルにコ-ヒーとド-ナツの皿を置いた。

さっきファンタジスタとか言ってなかったかこの人?

運ばれたコ-ヒーに一口口をつける。

「美味しい…すごく美味しいです」

「私はコ-ヒー苦手なんですけどね。猫舌ですし」

「このお店はkayurineさんのお店なんですか?」

「はい!私は3世…1世は私たちのお母さんで私たちを育ててくれた人です。お話を書いたり小さい頃から私たちの写真を撮ったりする、えらい芸術家で私もいつかお母さんみたいになりたくて今はこの身寄りのないこの子たちとお店をしています」

「じゃあこの写真も」

「はい!腕前はまだまだですが」

確かにフレ-ムから逃げ出した猫たちの尻尾や手足しか映ってない。

「お客様も早くニャンコと暮らせる日が来る事を私も祈ってます!」

「あ…ありがとう」

「でもニャンコみたいに可愛い彼女を外に待たせたらダメですよ!」

「え?」

彼女の言葉に俺は顔を上げウィンドの外を見た。

金髪の女が立ってこちらを見ていた。

「綺麗な毛なみと瞳…何種の子かしら」

女は唇に指先をあて、あどけない顔で皿の上のド-ナツをじっと見ている。

「もしかして、これ食べたいのか?」

俺はド-ナツの皿を持ち上げガラス越しに彼女の前に差し出した。

彼女はド-ナツには目もくれず人差し指を自分の頭の上にかざした。

指先がくるりと天使のような輪を描いた。

彼女の背後から黒服の傘男が姿を表し入り口のドアを指差した。

「やっぱり殺す気だ!?」

俺は慌てて立ち上がると「ごめんなさい」と詫びて財布から出した代金をテ-ブルに置いた。

「ド-ナツ揚げたて…お包みしますから」

彼女の顔が心なしか悲しげに見えた。

俺はまだ熱々のコ-ヒ-を喉に流し込みド-ナツを口にくわえた。

「また来まふ」

「今度は彼女もご一緒に!」

命があれば是非俺1人で!

「お客様私ニャンカ変?」

俺は慌てて店の外に飛び出した。

「屋外に出ましたね」

「しまっ!」

言い終わる間もなく女が距離を詰めて来る。

こいつ…さっきまで全然歩けもしなかったはずじゃ!?

俺は女の右手に抜き身のナイフが握られているのを見て考えるのを止めた。

そのまま自転車に跨がると再び力任せにペダルを漕いだ。

尋常じゃない速さで自転車との距離を詰めて来る。

大の男が全力で漕いでるにもかかわらずだ。

両手を広げ右手にナイフを持ち、めちゃくちゃなフォームなのにもうすぐ追いつかれてしまう。

たまらずに振り向いた時女は既に後輪に手が届く距離まで迫っていた。

不意にミラーから女の姿が消えた。直後に荷台に衝撃と重力が同時にかかり自転車は減速してふらついた。

女が荷台に片足で乗っていた。右手にかざしたナイフを俺の頭部めがけて降り下ろす。

「痛!」

俺は激しい痛みに顔を歪めた。2度3度頭部に打撃を受けた。

撲殺?

「逆だ!逆!」

くわえてたド-ナツが落ちる。

女はナイフを逆に持って俺の頭や顔をがんがん打ちつけていた。

「逆」

女の手の中でナイフが反転した」

「やば!」

女は何の躊躇いもなく俺の頭部めがけ鋭いナイフの切っ先を降り下ろした。

俺は身を屈めナイフを避けた。

寸でのところで俺の首はまだ繋がっていた。

しかし俺の頭頂部の髪の毛は無残にも根こそぎ伐採された。

そのままバランスを崩した自転車から俺は地面に放り出された。

今は肘をぶつけた痛みとか失われた髪に未練を残してる場合じゃない。

俺は河童みたいになった頭で四つん這いになって悲鳴を上げながら逃げ出した。転んだ場所は俺のアパートの目の前だった。

今思い出しても死にたくなるような無様な格好で俺は四足でアパートの階段をかじくり登った。

部屋に入れば…部屋には入れば助かる。確かそういう契約だったはずだ。

俺はよろめき躓きながらアパートのドアのノブにかじりつくように手を伸ばした。

背後で階段を登る音も足音1つ聞こえない。

その時後ろを振り向いた事を俺は瞬時に後悔した。

彼女は民間の屋根の上に顔を出した満月に重なるように宙にいた。

一飛びの跳躍で階段をすべて飛び越えた彼女の右手には小さなナイフではなく黒い傘が握られていた。

傘は持ち主の意思に呼応するかのように黒い大鎌へとその姿を変える。

彼女の手から放たれた大鎌は旋回しながらアパートの手摺の鉄柵を羊羮のように切り裂いた。

右にも左にも幅がない。後退しても逃げられない。

俺は身を屈めて鎌の軌道が逸れるのを祈るしかなかった。

「お逃げ下さい」

目を開けると俺の体はまだ半分に割れていなかった。

俺の目の前で方膝をついたモ-トがしっかりと鎌の柄を掴んでいた。

手の中で鎌が何の変てつもない傘に姿を変える。

俺の鼻先にあったドアノブが目の前で、ごとりと落ちた。

ドアが自動ドアのように音を立てて自然に開く。

「私がよく言って聞かせますので」

俺は自分の部屋に飛び込んだ。すぐに俺を追って女も部屋に入って来るが玄関で躓いて大の字に倒れた。

「ダメじゃないですか!日本ではちゃんと靴を脱がなくてはお行儀が悪いのですよ!」

そっち?

「私の傘を勝手に使うと神様のバチが当たります」

それも微妙に違う。

「ちゃんと契約通り約束を守って殺さないとダメです」

それで説教してるつもりか。

「ごめんなさい」

「素直でよろしい」

人揃って俺に頭を下げるがちらちら俺の頭ばかり見てる。

はっとした俺は浴室に飛び込むなり鏡に映った自分の姿を見て絶叫した。

浴室から戻った俺に「こちらをどうぞ」と手品師みたいポケットから出したシルクハットを手渡した。

「髪を元に戻せ」

「あいにく生きたものは私はちょっと」

「偽物でいいから!」

「帽子とてもお似合いですよ」

「ずら」

「ま・まだ言語の理解が少し…契約内容がちゃんと…ナビなのですが…」

「最後の方が聞き取れないな」

モ-トはそっと俺に耳うちした。

「あまり賢くないみたいです」

「お前ら即刻出てけ!!」

「たかが人間ふぜいが神の契約に逆らえるとでも?」」

低姿勢になったかと思えば急に高圧的な態度になる。

「契約もへったくれもあるか!?お前さっきから契約なんて無視してこの女けしかけてるじゃないか!?」

「ひどい誤解です!私は契約を守る男ですよ!私はただ貴方のお忘れ物を届けに来ただけです」

そう言ってモ-トは俺に携帯端末を差し出した。

「これは実に便利なものですな!何時でも何処でも調べたい事がすぐに検索出来て!」

携帯の画面が目に入る。

俺の名前がクックパッドでレシピ検索されていた。

即座に携帯を奪い返した。

「部屋の中では俺に何も出来ないはずだ!さっさと帰れ!帰ってくれ!」

「あの…唯野様」

「なんだよ?契約守る男なんだろ?さっさとその子を連れて帰って…」

「彼女、携帯食べてます」

振り向いた時には既に遅く俺の携帯は彼女の口の中に板チョコみたいに飲み込まれた。

「俺の携帯が…」

「彼女人間以外食べられないはず…多分情報収集ツ-ルとして利用したいだけかと」

本当に機械なのか…この女の子。

「携帯ないと困るんだけど」

「死ぬ事を希望されているのにですか?」

言われてみれば俺は今更携帯なんて持って「一体誰と繋がりたいんだろう」そう思った。

彼女が机の上のデスクトップに目をやる。

途端に手も触れていないOSが起動した。

「素晴らしい!」

モ-トは感嘆の声を上げた。

テレビの電源が自然に入り衛星放送の有料アダルトチャンネルが。

10月になったばかりなのにエアコンから36℃の温風が吐き出されて汗が止まらない。

スピーカーから萩野谷先輩に借りたまま返すのを忘れていたデスメタルのCDが大音量で流れだす。

「世界初の自立自走型人型リモコンですな」

「普通は近所迷惑って言うんだ! 日本語は正しく使え!!今すぐ止めさせろ!!!」

言ってるそばから左右の壁や床を蹴りあげる音や罵声がサラウンドで聞こえて来た。

俺は見えないアパートの隣人たちにひたすら頭を下げて詫びまくる。

そして家電品の電源という電源を怒りとともに叩き切る。

そうして漸く部屋に静寂が訪れた。

「ウケる」

「ウケんな!きれいじゃなくてもちゃんとした言葉喋れ!」


「この子が壊した表の手摺は私が元に戻しておきました」

「ついでに髪の毛も」

「それは無理です」

一体どういうシステムになってるのかさっぱり分からない。

「もう悪戯すんなよ」

部屋の隅っこで彼女は大人しく反省して座って…いなかった!

ダンボ-ルの箱から俺の恥ずか死自費出版本を引っ張り出して見ている。

「止めろ!それ読むのだけは止めてくれ!!」

恥ずかしい。まだベッドの下のエロ本見つけられる方がなんぼかマシだ。

彼女はダンボ-ルの中から本以外の物を見つけて取り出した。

それは俺の昔の恋人の鏡沢奈緒が「どこかでなくした」と言っていた見覚えのある化粧ポーチだった。

彼女はそれを掴むと匂いを嗅いで顔をしかめた。

そしてそれを開いてる窓の隙間から表に投げ捨てた。

「こら!私が拾ってきますから」

モ-トが慌てて俺にそう言った。

「いいんだ」

俺は彼に言った。

「新しいの持ってるだろうし。ここには取りに来ない」

「そうですか」

背中で声を聞いた。

「本」

「それはとても大切な本」

俺はその言葉に首を振る。

「本読む」

やめてくれ。

彼女が差し出した本の帯に書かれていた文字をモ-トは静かに読み上げた。

「表題作【子ギツネとホウキ星】…親をなくした1人ぼっちのキツネの子が森に落ちた願いが叶うホウキ星をさがす一夜の物語…でも森に落ちたのは月にある魔法の国から来たホウキにまたがった見習いの魔女ルナでした」

「らあな」

「ルナ…このシルエットの女の子がそうなのかな?」

「頼むから…やめて…やめてくれないか…」

俺は今にも塞き止められていた感情が言葉になって爆発しそうになっていた。

「らあな」

「発音がちょっと」

「らあな」

本の表紙ではなく彼女は自分を指差してそう言った。

「それが貴女の名前なんですか!?まさか思い出した・・いやしかし君はただのナビゲーションでは…」

「らな」

彼女はそう力強く頷いて見せた。

「彼女にその本を読んで頂けないでしょうか?」

「本ならそこにいいのが沢山ある。好きなだけ持っていけばいいさ」

俺は素っ気なく答えた。自分で自分の不出来な作品を他人に朗読するなんて、ぞっとする。悪い冗談だ。

しかし「らな」と自分で自分の事を呼んだ彼女は俺の本を抱えて離そうとはしなかった。

「本読む」

「彰読め」

「彰の本らなの本」

「読む」

こんな頑固な子供を過去に俺は1人だけ知っていた。

「唯野様…彼女が選んだ貴方の本は彼女がこの世界で一番最初に選んだ本です。私が読むわけにはいきません…どうか!」

世界で一番最初に読む本…俺の本が?

「美しい言葉知りたい」

「ハ-ドルあげんなバカ!」

俺は涙が溢れて止まらなくなった。

「私は一先ず根城に帰ります」

「この娘は」

「残念ですが生殖機能は装備されていません」

「そんな話してないだろ!?」

「彰続き読む」

「あ、はいはい…えっと…どこまで読んだっけかな」

「私もお泊まりしていいんですか?」

「帰ってくれ!」

「ではまた後日」

そう言って飄々とした足取りで引き上げた。

「唯野様」

見ると玄関の扉の間から顔が半分覗いていた。

「彼女私に取り入るためと思われますが、かなり忠実に私の妻の姿を模しています」

「だから?」

「もしも貴方が妻の体にヨコシマな欲情など、抱くような行いをしたら…私殺忍ずの誓いを破ってしまうかもしれません…念のため」

彼女はそれから本を読み終えた後もまた何度も何度も俺に物語をねだり続けた。

「もう寝るぞ」

疲れ果てた俺は布団をかぶる。

けど結局根負けして物語を彼女に読んでやった。

彼女は実はそれからも俺の部屋に居座り続け俺に部屋にある本を読ませ続けた。

俺が寝ている時は自分で読む事を覚え時々誘惑に負けそうになり俺を食べようとしたみたいだ。

朝起きて鏡を覗くとおでこや腕に彼女の歯形が残されていたからだ。

俺は彼女に本を読む。そうする事で俺は今も殺される事なく生きている。

彼女は美しい言葉で書かれた美しい物語が好きだった。

その中に俺の書いた拙い童話が含まれている事がなんとなく嬉しかった。

そして彼女が部屋に来てから気かついた事がある。

とっくの昔から知っていたはずなのに忘れていた。

この世界にも俺の部屋の本棚にだって美しい物語は溢れていた。

1日の終わりというか俺が眠りそうになる時彼女はあわてて俺にキツネと魔女の話を読ませた。

俺が眠りについても彼女は眠らない。

宇宙から来た機械だから。

俺の布団に入り込んで眠るふりをする事はあったけれど。

ようやく外が明るくなり始めた。おそらく四時か五時か。

俺は布団から抜け出し窓際のいすに腰かける。

彼女は窓から少しだけ顔をだして。

まるで仲間に危険を知らせる小動物みたいに顔を上げて俺の知らない世界の星の歌を口ずさんでいた。

窓から吹き込む明け方の風に揺れていた彼女の金色の髪を今も思い出す。

それは本当にどうしようもない俺の目の前にある日射した一筋の光の糸だった。

けれどこれは月が欠けて満ちるまでのほんの短い月日の物語。

それを話すには少し悲しみと痛みを伴う。

おとぎ話の世界から落ちて来たようなお姫様。

俺は天使と暮らしていた。






「もう出てもいいぞ」

宮前先輩との話も終わり山さんは帰った。

正直山さんが来てくれて助かった。

頼んで食料を買い出ししてもらったからだ。

今の俺は諸々あって外出出来ないからだ。

らなは部屋にいたが山さんに会わせる訳にはいかない。

「彼女が出来た」

と言えば簡単に済む話だが金色の瞳は誤魔化せないと判断した俺は彼女をクロ-ゼットに隠したからだ。

「もう出て来ていいんだぞ」

「おかしいですね」

後ろにいた傘男モ-トも怪訝な顔をする。

「開けるぞ」

クロ-ゼットの扉を開けると彼女は膝を抱えて隅っこで目を閉じていた。

初めて見る彼女の安らかな寝顔だった。

「そんははずはありません」

俺と顔を見合せたモ-トは顔を曇らせた。

「彼女は24時間起動し続け標的を探す。そうプログラムされているはずです」

「おい!起きろ!冗談は止めろって!面白くないから!?」

それから何度揺すってもくすぐっても彼女は目を覚まそうとはしなかった。

次第に俺の心に焦りと不安が広がる。

「まさか…月の新月まではもつはずだと話していたのに」

「新月?新月って何だ!?彼女どうなったんだ!?」

俺はモ-トの言葉を聞いて目の前が真っ暗になった。

「彼女は彼女の中にいる本当の彼女をこの星の人間に作り変えるための謂わばナビです。本来は速やかに生命体を捕獲し補食するためのシステム…それ以外の機能はすべて肉体の再生に使われます」

「つまり、どういう事なんだ!?」

「貴方が『らな』と呼んでいた女性の起動していられる時間は最初から一月もなかったんです。その間何のエネルギーも補給してはいない。謂わば飲まず食わずの状態でした。おそらくはバッテリーに相当するエネルギーの残量が尽きた」

「そんな馬鹿な話!」

「彼女はこの星の人間ではないのです。何時制止するかも分からない。制止しても医者はおろか学者にだって彼女は診せられない…必ず大きな争いの火種になるからです」

「お前なら!お前なら何とか出来るんじゃないのかモ-ト!?」

「異世界のテクノロジーで作られた機械ですよ…私にはどうしようもありません」

「そんな…まだ俺たち会ったばかりだぞ。さっきまでうるさいくらい元気にしてたじゃないか!?」

「どうして彼女…らなさんはこんな近くにいて…私は致し方ないと思っていたのに貴方を殺さなかった」

傍らにあった俺の携帯にメールが届いていた。

発信者は彼女だった。俺は彼女から届いたメッセージを目にした瞬間両手で顔を覆った。嗚咽と涙が溢れて来ていつまでも止まらなかった。

「死とは人が精一杯生きた証です。短い間でしたが彼女は貴方に会えて幸せだった。私はそう思います」

俺が顔を上げた時死神は胸で十字をきると深く頭を垂れた。





《 微睡 飢えた月  そしてパラソルの下 了 》





「ふむ」

(どうしたモ-ト」

俺は鼻水と涙でぐしゃぐしゃになった顔をこすりながら考えごとをしているモ-トを見た。

モ-トは目を閉じたまま動かなくなったらなの前で片膝をつくと。

「テレビが調子悪い時はこうしたもんです!」

そう言って彼女の頭を思いっきり叩いた。

「おはようございます」

(ウソだろ昭和のテレビじゃあるまいし!?」

「らなさん待機モ-ドを覚えたんですね!?」

まるで東京ヤクルトの応援団みたい2人が部屋ではしゃぐのを俺は涙の乾かぬ眼で茫然と見ていた。

しかしモ-トと目が合った時先ほどの彼の話が嘘でない事を悟った。

俺を捕食して糧にしなければ彼女は人になれないばかりか停止して2度と動く事はない。

それは文字通り死を意味していた。

そしてその時間は限られている。

次の新月まで一体何日あるのだろう?

彼女は本当に待機モ-ドなんて覚えたのか?

俺はそれを知るのが怖かった。

彼女が押入れの中から送ったメル文字を俺は見た。




おなかがすきました らな

そう書かれていた。





【 あとがき 】
クックパッドで内藤さんのレシピ検索したらイチゴ大福ができるみたいです・・


【 その他私信 】
今回は順調だったのに・・うっかり原稿消去して地獄をみました・・・


ココット固いの助
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