Mistery Circle

2017-10

《 むくどりのゆめ 》 - 2012.07.18 Wed

《 むくどりのゆめ 》

 著者:pink sand








 ああ、さっきから野獣みたいな叫び声がきこえているのはこれか。ぼくは高いビルのベランダから下をみながらそう思った。
 街路樹の緑をすかして、大通りの十字路のまんなかに大型トラックがななめにとまっているのがみえる。その正面にひしゃげた子ども用の自転車がたおれていて、そのそばに青いTシャツに白い短パンの子どもが、赤い水たまりに首をつっこむようにしてたおれている。
 トラックからおりてきた運転手らしい男のひとは、けもののような声で叫びつづけている。地面にひざをついて、手もついて、男の子のそばで四つんばいになっている。よごれた作業服の背中が、叫ぶたびになみうっている。
 もっとよくみようと手すりからのりだした次のしゅんかん、目の前がくるりとまわって、ぼくは空中にいた。目のまえが緑のはっぱでいっぱいになる。太陽のひかりがななめにきらめく。車の列やあつまったひとたちやサイレンの音がみるみる近くなり、アッと思う間に、ぼくの目の前にはその男の子の顔があった。
 顔……。
 おでこのまんなかが割れて顔中血だらけだ。ぽかんとあけた口からもだらだらと血が流れている。地面に投げだされた手も足も、こわれた人形みたいにてんでにあっちこっちを向いている。
 ぼくはこの顔を知っている。知っている。これは……

 これは、ぼくじゃないか?

 ごめんよ、ごめんよああごめんよごめんよおおおおお……
 ぼくの目の前でおじさんは叫び続けてる。おとながあんなふうに大声で泣いてるのを、はじめてみた。ぼくのからだはピクリとも動かない。 
 ピーポーピーポーという音が近づいてきたと思うと、すぐ横に白い車がとまり、どかどかと白いふくをきたおとなのひとたちがおりてきた。ぼくはそのうちの一人に、しっしと足の先でけるような足つきで追いはらわれた。
 ぼくはあわてて後ずさった。ぴょん、ぴょん、ぴょん。あれ、ずいぶんからだが軽い。それにしてもなぜ誰もぼくのことを気にとめないんだろう。だって、目の前にいるのはぼくなのに、ここにいるのもぼくなんだよ。二人も同じ子どもがいるのに、へんだと思わないの?
 これ以上けられるのはいやなので、ぼくは近くのガードレールの上に飛びのった。そのとき、広げた羽がちらりと見えた。 
 羽。鳥みたいな羽。ぼくには羽がある?
 ぼくはぐるりと首を回して自分の体をみた。暗いくもり空みたいな色だ。目の先のくちばしは、ミカンみたいな色だ。くちばし?
 鳥みたい、じゃなくて、これは、この体は、鳥?
ぼくは鳥なの?
 じゃあ、目の前でたんかに乗せられて運ばれていくあのからだは?
 おじさんはもう叫んでいない。口をあけてすわりこんだまま、おまわりさんに何か話しかけられているけど、なにも答えないので怒られているみたいだ。ああ、腕をつかまれて、パトカーに引っぱり込まれていく。
 ぼくはとにかくそこにいるのがいやになったので、さっと羽を広げて木の上に飛んだ。ああ、行く先を思うだけでちゃんと飛べる。ぼくは鳥なんだ。
 どうして、こんなからだになっちゃったんだろう。
 近くの小さな児童公園に、ゆっくりおりてみた。羽ばたきの回数、おりるときの角度。ぼくは飛ぶための何もかもを知っているみたいだ。公園にいた人たちはみな道路のほうに行ったらしく、人けがなくてしんとしていた。そう、ぼくはこの公園をしってる。よくこのオレンジのブランコに乗ったし、あのすべり台で友だちのたくやくんとさっちゃんと遊んだ。はっきり覚えてる。
 木のベンチに一人だけ男のひとが座っていた。黒いつばのある帽子をかぶって、黒いふくを着て、肩まで髪をのばしている。うつむいて、ひざの上に乗せた本を読んでる。ここはよくおかあさんが、お弁当を持って、遊んでいるぼくをみていたベンチだ。
 ぼくはベンチの背もたれにとまった。男のひとは気にしないようで、片手にペンを持ったままぱらりと本をめくった。
 あれ?
 この本は真っ白じゃないか。なにもかいてないぞ。じゃあ、ノートなのかな?
 それにしてはいっしょうけんめい読んでるようにもみえる。この人にだけみえるなにかでも、書いてあるのかな?
 のぞいてみようとちょんちょんとそばによると、男のひとは本を閉じて、ぽつりといった。
「うまくいったようだね。上手に飛べてる」
 え?
「むくどりのゆめ。古い本だったね、ねるまえにお母さんがいつも読んでくれたのは」
 男のひとはこちらを向いて、やさしい声でいった。
「となりにおいで」
 ぼくはちょんとベンチの座席におりた。ちかくでみると、そのひとは緑色の目をしていて、お人形みたいにきれいな顔だった。
「さて。すどう・わたるくん。残念ながら、きみの人生は六年でおしまいだ」
 すどうわたる。わたるくん。そうだ、それがぼくの名前だ。家を出る前、おかあさんにどなられたのを覚えてる。
 わたる! おかあさん、もうしらないからね!
「ぼく、死んだの?」おそるおそる聞いてみた。
「いまはどっちとも言えないけれど、じきにね」
「あのからだが、ぼくだよね?」
「そうだよ。自転車に乗って信号を見ないで飛び出して、トラックにひかれたんだ」
「……おにいちゃん、だれ? どこからきたの?」
「神様を信じるかい?」
「さあ、ええと、よくわからないや。おてらとかじんじゃとかは行ったことあるけど、あそこにすんでるのがかみさまなの?」
「あれは人間の都合で作ったものだよ。ぼくはその大元の、この世界をいろいろ調節しているところから来た。その調節をしてるのが、たぶんこの世で言われている神様だ。
 ぼくはそのあたりからの指令で、こちらからあちらへ渡る前に、死んだ人がいろいろ残念な思いを残さないように、少しだけこの世に魂を残してあげる仕事をしてる。ここには、死んだ人とこれから死ぬ人の名前と、日付と、死んだ後のこととかいろいろ書いてあるんだ」そういって、何も書いてないノートを広げてみせてくれた。
「死んだあと?」
「つまり、きみの今だね。まだ中間だけれど」調節するところ、から来た男のひとは、風にそよぐ公園の木みたいな笑みを浮かべた。
「きみはお母さんとけんかして、おうちを飛び出した。どうしてけんかしたか、覚えてる?」
「うん、大きな声で怒られたのは覚えてる」
「なんで怒られたのかな?」
「ああ。ぼくね、ピアノをひかなかったんだ」ぼくはだんだん思い出してきた。
「おかあさんがかってに音楽教室にぼくをいれて、ぼくいやだっていったのに、さっちゃんもゆうすけくんもみんなはいってるのよって。小学校のじゅぎょうできっと役に立つし、おかあさんむかしピアニストだったのよって。ぼく、ピアニストなんてならなくていいっていったんだけど」
「聞いてくれなかったんだね」
「先生はいすにすわってじっとするのもおべんきょうだとかいうし、おけいこでがくふを読めるようになりましょうねっていうし、ぼく、ひくのも読むのもだいきらいだった。歌を歌うのは好きだったけど、ピアノはちがうんだ。あんなことしたくない。なのに、お教室の前の日はおかあさん、いいっていうまでいすからおろしてくれなくて」
「それで、けんかしたんだ」
「ピアノのふたをあけたとたん、おかあさん、めちゃくちゃこわくなるんだ。大声で、なんでいったとおりにおさえるだけのことができないのって、どなるんだ。ぜんぜん笑ってくれなくなるんだ。それでぼく頭にきて、ピアノの上のがくふをとって、ほうり投げたんだ。そしてどなったんだ。
 ママ。ぼくのこと抱っこしろ! って」
「お母さんはどうした?」
「だまって、がくふを拾いにいった。何もいわなかった。抱っこしてくれるのかなって思って手をひろげたら、がくふをくるくる丸めて、ぱーんって、ぼくのあたまをたたいたんだ。思いきり。
 だーって涙が出た。泣くより前に、だーって」
 だんだん思い出すといっしょに、胸がどきどきしてきた。
「ぼくね、泣きながらもう一度がくふを投げたんだ。こんどは壁にあたった。それで、おかあさんなんてだいっきらいだ、このうちにはもう帰らないからねっていって、玄関から飛び出した。
 おかあさんも叫んでた。後ろで、わたる、おかあさんだってあなたのことなんかもうしらないからね。もう帰ってこないでいいわよ、帰ってきても家に入れないからねって、大きな声で」いいながら、ぼくの目からはまた同じものがぼろぼろ出てきた。
「もう泣かなくていいよ」おにいちゃんはやさしくいって、指でぼくの涙を拭いてくれた。
「あのまんま会えなくなるなんて、思ってなかった」のどが勝手にひくひくしふるえた。
「ぼくより三つ上の、おねえちゃんの自転車が庭にあって、それにのって、教えてもらったばかりの三角乗りで、ぐんぐんこいで道をわたって……」
「そこまで思い出せば十分だ。もういいよ。さて」おにいちゃんは立ちあがった。
「おかあさんに、会いたいだろう? これきりお別れじゃ、あんまり急だからね」
 なんていっていいかわからなくて、ぼくはしばらく黙っていた。
「……でも、まだ怒ってるかもしれない。最後にみたときおかあさん、すごい顔だったし……帰ってきても、家にいれないって……」
「もし会えたら、もう怒ってなかったら、なんていいたい?」
 ぼくはしばらく、空をみあげて考えた。夏の空には雲が一つもなくて、うそみたいに明るくて青かった。
「……やっぱり、抱っこしてほしい。いちばんやさしいときのおかあさんに戻ってほしい。
 でも、ぼくは小さな鳥になっちゃったから、抱っこなんてできないね。おかあさん、鳥なんてそんなに好きじゃないし。うちで飼ってるのは猫だし」
「でも、見に行くことはできるよ。なにしろいまのきみには、羽がある。どこへでも行ける」
「うん、そうだね」ぼくはそろりと羽を広げてみた。灰色の、きれいな羽だった。
「少しのあいだ、その体はきみのものだ。悔いのないように、行きたいところへ行って、見えるものを見られるだけ見ておいで。そして、もういいと思ったら戻っておいで。ここで待っているから」
 おにいちゃんはノートをとじると、ぼくにかざしてみせた。ふわっと風が吹いて、赤い花をつけたまわりのさるすべりの木々がそよいだ。空を見上げて視線を前に戻したら、もう目の前の公園におにいちゃんはいなかった。
 ぼくはもういちど空をみた。ぴかぴかの、底のない空。あつくてひろい海が頭の上にあるみたいだ。
 いくぞっ、と思ったとたん、羽が勝手にうごいて、ぼくはもう宙にういていた。
 風がぼくの背中をおしてくれる。ぼくの横を、すずめたちが飛んでゆく。あっちの公園にはたくさん実が落ちてるみたいよ? たまにごはんをくれるおばさんが今ベンチに座っているよ。歌みたいに、すずめ通信がぼくの胸にとどく。ああ、ことばはなくても、思いはあるんだね。ぼく今まで、ことばを持たない生きものには、考えるあたまも、こころも、ないような気がしていた。
 あなた、ひとりなの? いっしょにくる?
 すずめのうちの一羽が羽ばたきながら話しかけてきた。
 ぼく、いくところがあるんだ。いそがなきゃ。
 そう、みたところまだちいさいのね。羽の色からみて、わたしたちのなかまじゃないわね。夕方になると群れをなして騒いでいる、はいいろどりの仲間ね。お母さんはいないの?
 ……おかあさんは…… おかあさんは……
 ああ風が来るよ、木が鳴ってる。そう、先頭の大きなすずめがいった。とたんにごおおっと大きな風がふいて、ぼくはくるくると回転しながら流されてしまった。
 ああ、けしきがぐるぐるまわってる。あんまり回るとぼく、自分のばしょが分からなくなってしまう。ぐるぐるぐるぐる、あいたっ!
 何かかたいものに頭をぶつけたと思った次のしゅんかん、なにもかもわからなくなってしまった。

 ふと目をあけると、あたりはうすぐらかった。
 ぼくはけっこうたかいところにいる。町じゅうが、海のそこにしずんだみたいにぼんやりあおい。もう夕方だ。ぼくは頭をあげて、きょときょととあたりをみまわした。
 どうやら、背の高いたてものの窓の下の、つきだした部分に、ぼくはいる。
 まわりをみてみる。となりの背の高い木のてっぺんと同じぐらいの高さだ。少しはなれた出口から、赤いぐるぐるを回してきゅうきゅう車が出ていった。たぶんここは、病院だ。
 それにしてもあたりのけしきがもうさっぱりわからない。困ったぞ、迷子になっちゃった。あのときのしんせつなすずめさんも、もういないし……
 窓の中は明るいけれど、どこもカーテンが閉まっている。なんだかさびしくて、あかりからあかりをつたってちょんちょんと飛びうつってみた。すると、ある窓のカーテンが少しあいていて、中が見えた。
 ベッドがひとつ。せまいへやだ。その中央に、包帯でぐるぐる巻きになって顔の半分見えない子どもが、横になっている。
 腕とか足にたくさんつながっていたくだを、かんごふさんがひとつひとつはずしてゆく。まわりには何人かおとなが立っている。みんなこちらに背中を向けているので、顔がみえない。でも、もしかしてこれは……
 さいごのくだがはずれると、子どもを見おろしていた女の人が、とつぜん子どもの上に突っ伏した。
 わたる、わたるー!というさけび声がきこえる。

 ああ、やはり。……おかあさんだ。

 おかあさんは十回ぐらいぼくの名を叫んだあと、ごうごうと声をあげて泣きはじめた。ぼくが今まできいたことがないような声だ。あのとき、ぼくが、けものの吠え声と思ったあの運転手さんの声とおなじぐらい、いやもっとすごい、もっとかなしい、痛いようなこわいような声だ。
 ああ、今、ぼくのいのちは終わったんだな。
 おかあさん、もう怒ってないの? ぼくをゆるしてくれたの? ぼくのために、泣いてくれているの?
 もうぼくに、ことばはない。おかあさんともおとうさんとも、もう、なにも話はできないんだ。ぼくはなんだか、羽もないのに、急に空中にほうりだされたこねこのようなきもちになった。
 おかあさんを背中から抱くようにしているのは、おとうさんだ。おとうさんはいつもやさしかった。ピアノなんてもういいじゃないか、わたるがこんなにいやがってるんだから、とかばってくれた。よくサッカーボールを持って公園でいっしょにあそんだ。もう、何もできないんだ。もうぼくとあそべないんだ。かわいそうなおとうさん。
 おとうさんの背中もふるえてる。泣いてるんだな。ごめんなさい、ごめんなさい、おとうさん。おねえちゃんの自転車なんかで出かけなければよかった。
 おいしゃさんがうでどけいをみて、なにかいってる。それから、でていってしまった。
 あ、おばあちゃんがはいってきた。真っ赤な、くしゃくしゃの顔をしてる。おねえちゃんの手を引いてる。おねえちゃんはへやのようすにおどろいて、入口のところで固まってる。おねえちゃん、だいじな自転車をぺしゃんこにしてごめんね。
 みんなすごく悲しそうだ。みんなとても苦しそうだ。みんながぺしゃんこになってる。
 ぼくがぺしゃんこにしたんだ。おかあさんおとうさん、おねえちゃんおばあちゃん、それからうんてんしゅさん、みんなのこころを。
 ねえ、もう、そんなに泣かないで。ぼくもうくるしくもなんともないんだよ。そんなに呼ばないで、叫ばないで。ぼく、もうへんじができないんだ。
 なんだかもう見ていたくなかったので、ぼくは窓をはなれた。
 屋上まで飛びあがって、高いさくの上にとまって、ぼくはしばらくぼんやりしていた。空にはまんまるな月がだまって光っている。ひゅうひゅうと風の音だけがする。
 だいぶたって、やがて下の玄関から人かげがでてきた。あれ、三人だ、おばあちゃんがいない。おかあさんとおとうさんと、おねえちゃんだ。みんなおたがいによりかかるようにしている。その前に、タクシーがとまった。
 あれにのってうちに帰るんだ。じゃあ、あれについていけばうちに帰れるんだな。ぼくはタクシーのあかりについていくことにした。
 夕ぐれの町は、通りにそってかざりみたいにがいとうのあかりが並んで、なかなかきれいだ。上から見ると、この世界には、光ってるものと光ってないものしか、ない。あとは光の色がちがうだけ。光がちらちらして、おたがいにおしゃべりしてるみたいだ。遠くのたかい鉄塔やビルの赤いあかりも、赤いタクシーのおしりのランプも、みんな、しずかにあおい海の底に沈んでいくみたいだ。
 ああ見えてきた。小さな庭を囲む、くの字がたのぼくの家。赤い屋根に緑のしばふ。その色は今はくらくてはっきりしないけれど、あたまに浮かぶんだ。庭のガレージにとめてある車の色は、青。海のいろ。空のいろ。ぼくの好きな色なんだ。
 ぼくは車がつくより先に羽をすぼめて急降下した。そして、背の低いはなみずきの木の下の、青い車のやねにのった。
 レースのカーテン越しに、家をのぞく。なつかしい家。ぼんやりと、居間の小さい灯りがついている。おや、サッシ窓のむこうから、猫のミウミウがこちらをみてる。
 ただいま、みけねこのミウミウ。ぼくがみえる? 
 ぼくは車の屋根からミウミウの前に飛びおりた。ミウミウの目がぽかっと大きくなった。そう、おまえ、おどろくと目の黒いところが大きくなるんだよね。その黒いところが、がいとうの光をうけて、真ん丸に光った。夜の猫は、まものみたいだ。ちょっとおまえ、かっこいいぞ。
 ミウミウは口をあけて、何かいってる。
 カカカ。カカカカカ。
 ああ、鳥をみるといつも出す、あの声だ。ぼくが見えてるんだな。そしてぼくはおまえの目にも、やっぱり鳥にしか見えないんだ。
 それからミウミウはカカカをやめると、首をかしげてぼくを見た。そして前足を折ってすわりこんだ。箱すわりって、おかあさんがいつもいってる、あれだ。
 うしろで、車がとまる音がした。タクシーだ。ミウミウはぼくから目をはなさない。ぼくもミウミウから目がはなれなかった。ミウミウがなにかいってる気がする。ぼくにはわからないけれど、なにかを。
 ミウミウ、おまえ、わからない? おなじどうぶつなんだから、ぼくの心を読んでよ。それじゃなければ、ぼくがわたるだって気づいてよ。ぼく、もうひとりぼっちなんだ。
 ミウミウのいるへやの、てんじょうのでんきがついた。みんながはいってくる。いや、おかあさんだけがいない。
 ぼくはとびあがって、二階の窓から中をみた。ああ、おかあさんがひとり、階段を上がってきた。そのまま、ぼくのへやに入った。
 へやのあかりをつけて、本だなをみてる。なにをさがしてるんだろう?
 とりだしたのは、「ひろすけどうわ」
 ああ、ぼくが大好きだった本だ。夜、ねるまえに、おかあさんがいつもぼくに読みきかせてくれた本だ。やさしいお話ばかりで、ぼく、どうぶつのさし絵が、好きだった。
 おかあさん、「むくどりのゆめ」読んで。ぼくが大好きだった話。おかあさんが読む声は、いつもやさしかったよ。その声を、ぼくにきかせて。
 おかあさんは、ぺたりとゆかにすわって、じっと本をみている。みているけれど、読まない。声を出さない。ねえおかあさん、その本を読んでよ。いつもの、やさしい声を聞かせてよ。ぼくね、きっとそのために、ここにもどってきたんだ。
 開いたページの、むくどりのさし絵が、みえる。目のぱっちりした、かわいい鳥。ああ、そのページのことば、ぼくみんな覚えてる。こんなふうなんだ。

 ……ある日、また、むくどりの子はたずねました。
「おとうさん、まだ おかあさんは かえって こないの」
「ああ、もうちょっと まって おいで」
「いまごろは、うみの 上を とんで いるの」
「ああ、そうだよ」と、とうさん鳥は、こたえました。
「もう、いまごろは、山を こえたの」
「ああ、そうだよ」
 けれども、十日 はつかと たっても、かあさん鳥は
かえってきません。
 子どもの 鳥には、十日は ながくて、
 ひと月よりも、いや もっと
 一年よりも ながいように おもわれました。


………………………………………………………………………………………………………………


「お父さん。枕、どっちに置いたらいいの」
 父親の顔を見上げて、スギナは言った。
「北だから、そっちの小さい窓のある方だ」父親は沈んだ声で答えた。スギナは新しいカバーをかけた枕を、白い式布団の上においた。父親が、牡丹の花の描いてあるお客用かけ布団をその足元に置き、三つに畳む。
「お母さん、……二階から降りて来ないね」そう言ってスギナは上を見上げた。
「わたるの部屋にいるんだろう。いまはそっとしておいてあげよう」布団の皺を伸ばしながら、父親は言った。
「うん、でも、もうじきおばあちゃんといっしょに、寝台車でわたる、この家に帰ってくるんでしょ」
 父親はちょっと考えて、
「……そうだな。ちょっと様子を見て来るか」そう答えて静かに階段を上がっていった。
 二階の廊下には灯りもともっておらず、一歩ごとに足元がきし、きしと鳴った。いつも幼い息子の声と足音がにぎやかに響いていた空間。今はただしんと淋しく静まり返っている。
 足音を忍ばせて近づいた息子の部屋の中から、妻のささやき声が聞こえて、父親はぎくりと足を止めた。
 ぼそぼそと低い声で、語り掛けるように何かを言っている。
 そっとドアノブを回して部屋に入ると、デスクスタンドひとつがついた薄暗い部屋の中で、妻が一人机に向かっていた。
 この春、小学校入学祝いに買ったばかりの息子の机の上には、寝る前にいつも読んでやっていた「ひろすけどうわ」が開かれている。
 かわいい小鳥の描いてあるページに目を落としたまま、妻は一心に本を読んでいる。震えるような、細い声だ。

「さて、ある夜でありました。むくどりの子は、ふと ぽっかりと目がさめました。
 かすかな音がしていました。
 かさこそ、かさこそ……
 耳をむけると、木のほらの口もとらしく、どうやら 羽のすれあうような ひくい音。むくどりの子は、とうさん鳥をゆすぶり起こして 言いました。
 おとうさん、おとうさん、おかあさんがかえってきたよ」

「……洋子」
 背後から父親がそっと声をかけても、まったく耳に入らない様子だ。こちらに背中を向けたまま、本を読み続ける。
「いやいや違う、風の音だよ」
「洋子、大丈夫か。下におりて、熱いお茶でも飲まないか」
 妻は、こちらを向かない。抑揚のない声で、ただ読み続ける。
「夜が明けました。朝の光がほの白くさしてきました。でも木のほらには、ぼんやりと うすいやみがこもっていました」
「洋子!」父親はひときわ大きな声を出した。
「しっかりしろ。しっかりしよう。ぼくらにはスギナもいるんだ。それにあと小一時間でわたるの体が、病院からここに帰ってくる。準備してちゃんと迎えてやらないと」
「かさこそ、かさこそ……」
 後ろから父親にぐいと両手で肩を掴まれて、母親は読むのをやめた。そして、窓の外の闇に目を凝らしてつぶやいた。
「……あの子、帰ってこないわ」
「帰ってくるんだよ。婆ちゃんが付き添ってくれているよ。大丈夫だよ」
「帰ってこない。わたしが帰ってこなくていいって言ったから。……言ったから!」
 母親は激しく首を振った。髪はざんばらに乱れ、宙に釘付けになったような目をしていた。
「あの子がいつ、どこに行くときでも、行ってらっしゃいとわたしは言ってあげていたの。気をつけてねって言っていたの。でも言わなかった、最後に出ていったとき、もう知らないって、帰ってきても家にいれないって、入れないって、入れないって言ったの!」
「洋子、もうやめなさい」父親は母親の震えるからだを抱きしめた。「もう思い出さないでいい。全部終わったんだ」
 母親はもがくようにして叫んだ。
「わたるは入ってこられない、わたしのせいで帰ってこられない。わたしのせいで!」
「おとうさん!」階下から娘の叫び声がした。
「なんだ!」ついつい大きな声で、父親は怒鳴り返していた。
「ミウミウが、ミウミウが鳥をくわえてきたよ!」
たかたかたかっと猫が階段を上がるかろやかな音がして、開いたドアから三毛猫が部屋に飛び込んできた。その口にはしっかりと、灰色の子鳥を咥えている。
「こらっ、まったくこんなときに」父親に怒鳴られて、ミウミウはウ~と喉の奥で唸り声を上げた。あとから駆け上がってきた娘は泣きそうな声で言った。
「お父さんごめん、ミウミウがあんまり外に出たがってカリカリするもんだから、庭でおしっこするだけならと思ってそれでわたし……」
「ウ~~~」
 部屋の隅に追い詰められて、ミウミウは背中の毛を逆立てた。そのとき、目を吊り上げていた母親が、ふと膝を折り、両手をミウミウに差し出した。
 ミウミウは唸るのをやめて、上目づかいにその顔を見た。
 そしてゆっくり近づくと、顔を上げた。その頭を、母親の手が撫でる。と、ミウミウはぽとりと口から小鳥を落とした。
「あ、はなした」スギナが思わず叫んだ。「おかあさん、小鳥、つかまえて!」
 母親は両手で小鳥をすくうようにすると、そっと両掌の中に小鳥を包み込み、愛しげに胸の前に持ってきた。小鳥は目を閉じたまま、ぶるぶると震えている。
「生きてるのかな、大丈夫かな」スギナは母親の手の中を覗き込んで言った。「でも、変わった鳥だね。体が灰色で、くちばしがオレンジで、ほっぺが白くて…… あれ、この絵本と同じじゃない。同じ鳥だよ!」
 父親は、むくどりのゆめ、とかかれた絵本の表紙を確かめて、中の挿絵を見た。確かに、その挿し絵と鳥は同じ姿かたちだった。
「椋鳥か。偶然だな。こんなことがあるんだな」呟くように言うと、小鳥を見つめる母親の姿に目を移した。
 さっきまでの取り乱した様子とは打って変わって、母親は一心に手の中の鳥を見つめている。
 と、くるりとむくどりの子が目を開けた。
 黒い、小さな目で、目の前の人間を見つめる。乱れた髪の毛の中の、涙にぬれた瞳と、むくどりの子の目がかちりとあった。
 しばらくの間、人間の母親とむくどりの子はじっと見つめあった。小鳥は甘えるようにちちち、と小さな声を出した。母親は唇を近づけた。その唇を、オレンジ色の嘴がそっとつついた。瞬間、母親の頬が、何かがともったかのようにぱっと薔薇色に染まった。
 突然、猫のミウミウがじゃれようとするかのように飛びついた。むくどりの子はぱっと舞い上がり、壁に、そしてガラスにぶつかった。父親は慌てて窓に駆け寄り、さっとサッシを開けた。
「あ!」スギナが叫んだその瞬間、もう鳥の子は夜空に飛び出していた。
「見えなくなっちゃった。おとうさん、まるで空中で消えたみたいだよ」
「いやいや。大丈夫、お空に帰ったんだよ」そう答えて父親は背後の妻を振り向くと、やさしく言った。
「無事空に帰せてよかったな。ね、お母さん」
 母親はあいた窓から暗い空を見つめたまま、囁くように言った。
「……気をつけてね、わたる」
「ん?」
 怪訝そうに父親が聞き返すと、ほろほろと涙を流して母親はもう一言、つけ足した。

「……行っていらっしゃい」

 そして、何か安心したように、ぱたりとその場に倒れた。


 空の高みで、ごうっと風が鳴った。
 それと同時に、手元のコップ酒にぱらぱらぱらっと、赤い花びらが散った。
 男は充血した目を上げて、夜の空を見あげた。頭の真上には、さるすべりの木。ゆらゆらと頭を振るようにして、花を散らしている。いや、よく見れば揺らしているのは風ではない。小さな鳥が枝から枝へ飛び移っては、赤い花をついばんでいるのだ。ついばんで、散らしているのだ。雨のように、男の頭上に、赤い花屑を。
 男は座っていたベンチにコップを置くとよろよろと立ち上がり、自分の傍らに置いていた花束を掴んだ。薔薇、カーネーション、百合、トルコキキョウ。財布の金で買えるだけ買って包んでもらったそれを、よろめきながら抱え、そっと交差点のガードレールのたもとに置く。黙って手を合わせ、長い長いこと俯いて祈ったのち、その場に座り込んだ。
 何とはなしの気配にふと振り向くと、背後の公園の滑り台の上に、黒い人影があった。黒い帽子、長い髪、マントのようなものをひらめかせて、滑り台のてっぺんにすっと立っている。頭上には、青白い満月が輝いている。細長いその姿はまるで月夜の死神のように見えた。
 もし本当に死神ならいっそこのからだを連れて行ってもらえないものかと男がぼんやり眺めていると、その人影は帽子をとって頭上に高く掲げた。
 その帽子に、頭上のさるすべりから飛び出した鳥の影が、ひゅっと飛び込んだ。少なくとも男には、そう見えた。
 人影は何もなかったかのようにその帽子をかぶると、空を見上げ、脇に本を抱えて、見えない階段を上りはじめた。滑り台のてっぺんからなお空に向かう、見えない夜の階段を。
 とん、とん、とん、とん、とん、とん、十を数えないうちに、その姿はすうっと垂直に真上に飛びあがり、月夜に溶け込んでいった。
 男はわけがわからないまま、なんだか笑いたいような泣きたいような変な心持ちになって、くくくくっとのどの奥を鳴らした。
 ざあっと風が吹いて、ぱらぱらぱらと空の高みから赤い花びらが散った。そしてやさしく、男の体を包み込んだ。
 酔い心地のままいつまでも体を揺らしながら、男は平らかな気持ちになって、ああ明日も生きようかなと、そんなふうに思った。





《 むくどりのゆめ 了 》





【 あとがき 】
実は、毎回参加表明をしないとお題は与えられないものだと思っていたんですが、断らないと自動参加なんですね。新参モノなのでそれに気づいてなくて、わかったときは、うわ、と思わず声が出ちゃいました。
いろいろ予定が立て込んでいるので今回はパス、のつもりだったのですが、えいやっとアイディアをひねくり出し、結局この書きだしての作品のプロットが三つそろいました。
どうにもこうにも長編過ぎる二つを除いてこれにしたのは、平易な文章で書けるやさしいお話にしたかったからだと思います。小さいころお気に入りだった童話を下敷きにしました。ものすごく久しぶりに読んだのですが、いいものはいつになってもいいですね。


【 その他私信 】
現在四匹の猫と同居してるんですが、全員私にべったりで、朝の5時を過ぎると「起きろ。顔を見せろ。遊べ」と次々ドアに体当たりしてきます。夜更かしができないやないかい!


pinkmintマイページ:小説家になろう pink sand
http://mypage.syosetu.com/81450/


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