Mistery Circle

2017-11

《 Promise Her The Moon 》 - 2012.07.18 Wed

《 Promise Her The Moon 》

 著者:ココット固いの助












屋上にある四畳半ほどの大きさのプレハブ小屋。

最初話を聞いた時はそんなイメージだった。

大学に入学が決まった時に都内に自社ビルを構える羽振りのいい親戚の叔父さんが「1人暮らしの部屋にどうか」と勧めてくれた。

ところが実際は屋上にあるプレハブは十畳ほどの広さもありバスやトイレも完備されていて1人で住むには申し分なかった。

これで家賃が光熱費込みで月3万は破格過ぎる。

プレハブなので冬は寒いし夏暑いのは予想出来たがエアコンがあるのでそれも問題ない。

住み始めてかれこれ半年になるが住み心地は頗る悪くはない。

確かに庭?に室外機しかない屋上は殺風景だが詩作や読者に耽る時間を大切にしている自分のような人間にはもってこいの環境に思えた。

もはや同じ家賃の賃貸にはどう考えても住めない。

ここが大学4年間を過ごす我が城なのだ。

僕は読みかけの与謝野晶子の詩集を傍らに置き大きくのびをした。

詩編を読む事が好きで国文科が有名な某私大に入学出来た事には我ながら大いに満足していた。

文学に興味がある人間や作家を目指すような人間に出会う事は確かに普通の大学よりは多い気もする。

日本で一番現国や古文の教師や国文系の研究者を輩出して来た過去の実績は伊達ではない。

そんな大学を自ら選んで受験し合格したのだ。

「でもやっぱり詩はマイノリティなんだよなあ詩は」

「小説家を目指してる」

そんな人間に出会う事は大学に限らず稀ではない。

しかし詩人となると話は別だ。

実際近代において詩だけで生活が出来た人は日本では2人だけ。

谷川俊太郎さんとまどみちおさんだけだ。

その2人が日本一の詩人と認めた石垣りんさんでさえ役所勤めをしながら詩を書いていたという無駄知識。

詩を書いて生きて行くなんて夢のまた夢だ。

メジャーリ-ガ-やセリエAに入るより難しいかも知れない。

というか不可能だ。

僕には文才がない。

絵画同様好き嫌いに関わらず詩ほど才能の有無の判断が下しやすい芸術はない。

僕は折り合いがつかないほどのエゴを抱えた人間ではないし幸か不幸か自己の才能を客体化するぐらいの知性と審美眼くらいはそなわっているつもりだ。

夜かいた詩は次の朝には資源ゴミに変わっている。

とっくの昔からそうだった。

「詩人は才能や努力や運命でなるものではない。詩人とは血でなるものだ」

とある詩人の言葉だ…かっこええ。

詩集を胸に悶え床を転げまわる。はっきり言って薄気味悪い。

しかし結婚相手や恋愛さえも儘ならない時代に与謝野晶子は超名家の子女でありながら愛や性の素晴らしさを高らかに詠みあげた。

軍国主義の踵音が鳴り響く時代に「君死にたもうことなかれ」と詠い「淫乱で非国民の女」の謗りを受けた。

血が騒ぐ。

詩人の血など一滴も流れていない自分でさえざわめきと胸の鼓動が収まらない。そんな狂おしい月に吠えたい満月の夜だ。

その時突然天井が凄まじい音を立てて鳴動した。

まるで落雷か隕石でも直撃したのかと思われる衝撃音は一瞬で、辺りは再び静寂に包まれた。

恐る恐る文庫を片手に屋外に出る。

そこは風吹きわたる10月の、地上より少しだけ高い場所。

室外機や剥き出しのパイプが並ぶ荒涼とした風景以外は何もない。

その中央に立つモンゴルのパオのようなプルハブ小屋。

遮るものがない月と星明かりの下。見上げたプルハブの屋根の上に一組の男女の人影があった。

傘をさした黒服の男と金色の髪以外一糸纏わぬ少女。

「貴方が唯野彰様でよろしいですか?」

屋根の上から恐ろしげな男が僕に聞いた。

「ち違います」

「すみません間違えました」

少女の声はその外見よりもいくぶん幼げに思えた。

「はて?貴方からは依頼主と同じ匂いがするのですが」

男は首を傾げた。

男の腕に支えられた少女は抱かれ方さえも知らぬ人形のようにぞんざいに足を広げ突っ立ったまま。僕の事など一切興味がないといった様子で夜空の星を見上げていた。

僕は思わず彼女の裸身から目を反らしていた。

裸の女性を下からじろじろ見たら失礼だ。というよりもあまり長く見つめていたら二度と他の女の子なんて愛せなくなる。

そんな恐怖にも似た感情が湧いて来て僕は彼女を見ていられなかったのだ。

「今時の若者の服をお持ちですか?」

屋根から男の声がする。

「彼女目を覚ましたばかりなので着るものがなく…私は今時の人が着る洋服がよく分かりません」

目を覚ましたばかりで服がない…それッて何?

「女の子が着る服なんて持ってないけど…スエットなら新しいのが」

「感謝致します!昔から洋服のセンスはなくて妻にまかせきりだったもので」

その時の僕はなぜか「警察に通報しよう」などとは微塵も思わなかった。

男は僕の手からスエットを受け取ると「お礼はいつか貴方が天に召される日にでも」ととても不吉な言葉を残して消えた。

消えたというか。傘をさし少女の体を抱えたままプレハブの屋根からビルの外へ躊躇する事なく飛んだ。

僕は慌てて屋上の金網に駆け寄る。ビルの下、街灯が灯る並木通りには平素と変わらない疎らな人々の往来があった。

路上に潰れた2人の死体などない。

騒ぎなど何一つ起きていない。いつもと変わらぬ平和な煤けた夜がそこにあるだけだ。

2人は文字通り忽然と現れ消えたのだ。

その夜僕の部屋から確かに買ったばかりのスエットの上下一組がなくなった。それは事実だ。

だから今でもあれは夢じゃなかったんだと思う。

与謝野晶子の詩集を手に暫く茫然としていた僕は後に続く言葉を探した。

君死にたもう事なかれ。

やわはだの…違う!そうだけど…違う!

手にした本の中にあった短い詩の一節が溢れ出した。

言葉が風景と重なった時に一生忘れられない記憶の石碑に刻まれた言葉。


【大空の月の国より夜に落つる花びらのごと痩せし舞姫】


それ以来僕は彼らに会ってはいない。

僕は今も此処で生きているからだ。

【日常】

朝起きて洗面台の鏡の前に立つ。また新しい噛みあとが増えている。

「昨夜の激しい情事後の傷痕みたいだ…なんて考えておられる?」

「考えてない!」

鏡に映る傘男に向かって俺は首を振る。

「しかしなんですなあ。そろそろ死んで頂きませんと…唯野様」

「こんなハゲ頭で表に出れるか」

「私が差し上げた帽子がございます」

「シルクハットに似合う服なんて持ってないぞ」

朝起きて一番に死ぬ事をせっつかれてる俺。

今のところこれが俺の日常となっていた。

「こんな事を言いたくありませんが彼女はいつまたこの間のように停止してしまうか…今度そうなったら私にはもう…」

歯磨き用の液体が入ったボトルを口に含みながら俺はそんなモ-トの言葉を背中で聞いていた。

そうだな。早くしてやらないと彼女がかわいそうだ。

歯ブラシで歯を擦りながら俺は思った。

いつしか俺は自分の死と彼女のこれからを一緒くたに考えるようになっていた。

「モ-トお前は本当に彼女が動かなくなっちまったらどうにも出来ないのか?」

「なぜそんな事を聞くのですか。私が嘘をついているとでも?」

服の襟を直しながら伊達男が言う。

「だってお前は硝子の蝶を飛ばして見せた。泥から俺の死体を作り、切り刻まれた鉄の手摺や洗濯機だって一瞬で直した…だから」

「生命のないものであれば如何様にも出来ますが」

「それってつまり」

俺は歯を磨く手を止めて男の顔を見た。

「そこから先は底のない淵です…考えても苦しみしかありませんよ」

モ-トは俺に言うのだ。

「私は彼女を助けたい。貴方と彼女を両方救う術はありません。ですから私は…」

「それでいいと思うよ」

俺は彼のぶれの無さに安堵して再び鏡に向き合う。

「死神に取り憑かれるとはこういう事か」

口の中に広がる清涼感が今は心地よくも思えた。

「でもお前は『人の生殺与奪に関われない』と話していたが誰かに人を殺させるのはありなのか?』

「グレーというか完全アウトでしょうな。私は貴方の殺害が完了した時点で力と存在する意味すら剥奪される可能性が高い」

与えられた力を失うという事は天の摂理や定められた人間の寿命を越えて生きて来た今の肉体を失う事になるかも知れない。

そうモ-トは淡々と語る。

「彼女人に生まれ変わった時点で1人なのか?」

「バックアップは…用意しておくつもりです」

「新しい人間になるって事はつまりは」

「多分過去の記憶など一切残りませんよ」

「今の彼女は」

「ナビに過ぎないはずですから当然消去されるはずです。必要ありませんから」

俺は死にモ-トは力を失い今の姿を維持出来ず単なるプログラムに過ぎない彼女は消去される。共倒れの構図。

つまり俺たち3人は同時にこの世界から消える。

彼女が生命でないならモ-トは直せる。が直せない。

俺の髪も今は生きてる俺のものだから元に戻せない。

「そこは深く考えてはいけない辛くなるだけだから」

そうモ-トは俺に釘を刺した。

しかし俺は考えずにはいられなかった。

顔を上げて鏡を見た時傘男の姿は既にそこになかった。

「パ~ティーピーポー!」

「2人しかいないけどな」

「ハッシュだパピ-!」

「ごめん…それわからない」

「らならなにしてやる!」

「悪い言葉はすぐ覚えるなあ」

「宇宙から来たっちゃ!」

「またスタチャン見たな…怒られるから止めて」

そんな日常だった。

朝起きて。

「YES!」

「YES!YES!!YE-S!!!」

ウ-マントップな裸の外人さんたちのど派手なまぐわいの動画が大音量と共に目の前に飛び込んで来る。

「朝っぱらからアダルトチャンネルなんて見て…ぐは!?」

腹の上に思いきり飛び乗られて俺は呼吸が止まりそうになる。

「わ悪い事ばっかり…すぐ真似すんな!」

「悪い事?」

吸い込まれそうな水晶球。

その奥にある太陽の光を浴びて輝く無数のソ-ラ-パネルのような光彩が俺の瞳を覗き込む。

蜜のような色の髪が垂れ俺の鼻先を擽る。

白磁のように白く日差しに溶けてしまいそうな細くしなやかな腕と体。俺は死んだらこいつの体の一部になるのか。

「悪い事じゃない」

俺はすぐに降参する。

悪い事じゃない。けれどこんなテレビに映るようなアクロバッティックな漫画とかじゃなくてだな。

見つめ合ったり。

お互いの息遣いや肌の温もりだとか。

唇の柔らかさや戸惑いとか恥じらいとか。

上になったり下になったり。舌を絡ませたり。

はあはあしたりされたりとか。

好きで好きでどうしようもない相手なら尚更。

俺は男だから女の人の気持ちや生理はわからない。

けど「今夜死んでもいい」って思った夜の記憶ならある。

悪いどころじゃなくて、それはすごくいいものだ。

人に生まれて来たならそれを知るべきだ。

たとえ相手が俺じゃなくても。

俺が俺じゃなくなった時。

かつて俺の肉体だった彼女の細胞は震えるようなその感覚を感じる事があるのだろうか。

「彰」

彼女の唇が俺の名前を呼んだ。

俺の痩せた胴を跨いで包むように挟む彼女の腿の温もりはとても機械には思えなかった。

彼女の唇が探るように俺の唇に近づく。

「YES!」

拳を握りしめた白人の女がロデオの騎手みたいに腕を突き上げる。

「YES!」

画面を見たらなは頷くと俺の上で猛烈な勢いで腰を振り始めた。

「ま・待て!?そんないきなり…やめろ!順番が…」

俺は初夜の晩にいきなり亀甲縛りを強要された新婦のように恥ずかしさで顔を覆った。

「私の妻の体で朝から何をしているんですか?」

俺の喉元に大鎌の刃が突き付けられる。

「待て!家の中は契約違反だ!ルール守れルール!?

」「これを横に真っ直ぐ引きさえすれば」

どうでもいいが俺のベッドのシ-ツから顔を出すのは止めてくれ。

シングルベッドに3人は狭すぎる。

「疑似とはいえ許しませんよ!」

疑似とか言うな疑似とか。

「…だからお前も腰動かすの止めなさい!」

そんな激しくされたら健康な男子である俺は。

「おお」

らなが目をまるくする。

「足が…浮いたよ」

いや…いくらなんでもそこまでは。

「らなは魔女!彰はホウキ!飛べ!」

俺とモ-トは顔を見合せた。

「らなさんはこの世界で目覚めたばかりなんですからね」

モ-トにたしなめられた。

「それとも…『どうせ死ぬんだ都条例なんかこの際無視してやるぜ!』って事なんですか?」

俺は全力で首を振る。

そう思いつつも眠る時腕に触れた彼女の胸や先ほどの太股のやわらかさは子供になんてとても思えない。むしろ扇情的だ。

俺は首を振り続けた。

「彼女を薄汚いリピドーにまみれさせないで下さい」

さらに釘を刺される。

「朝っぱらからうるせえ!」

「変な声だしやがって」

両隣の壁や床下を叩く音がする。

「すいません!テレビです!!」

「ごめんなさいの方向です!!」

どっちだそれは?

俺は苦笑する。

そんな日常。

昼間何か食べる。

俺は本を読んで食べる。

らなは日々成長している。

あっという間に文字を覚え自分1人で好きな本を選らんで読むのにたいした時間を要さなかった。

やはり機械だからか。

らなは自分で本を読む。

どういうわけかお気に入りは俺が書いた薄い童話集だった。

それだけは自分で読まずに俺に読ませようとする。

それだけは彼女が俺の部屋に居座るようになってから変わらない。

【子キツネとほうき星】という物語に出て来る魔女の女の子が特にお気に入りで自分の姿と重ね合わせているように見えた。

部屋にいる時も早朝や深夜に放送されていた魔女の活躍するアニメを見つけると毎週欠かさずその時間にチャンネルを合わせ食い入るように画面を見ていた。

俺は昼間彼女に自分の書いた物語を読みながら手元に置いたチョコレートやポテトに手をのばす。

そろそろ食料も底をついて来たので買い出しに行かなくてはならない。

そんな事を思いながら摘まんだポテトチップスを口に運ぶ。

そんな俺の様子を瞬きもせず見つめている。

「食べるか?」

差し出した揚げたジャガイモの欠片を彼女は口に入れた。

彼女の唇に含まれた指先。

そのやわらかさと温かさに俺は戸惑いを隠せない。

「いた!痛い!指を噛むなよ!」

彼女が人間ならば笑い話で済む。

事実俺は笑っていた。

しかしそこには密やかな恐怖感も潜んでいた。

彼女は俺の指から口を離して右手で口元を抑えながら口の中の菓子を噛み砕いた。

特別に大切な御馳走でも食べる時のようにゆっくりと小気味良い音を立てて。

「もう1枚」

そう言って俺が袋に手を伸ばしかけた時彼女は突然口を抑えて踞る。

「どうした!?大丈夫か?しっかりしろ、らな!?」

精密機械である彼女はプログラムされた物以外受け付けない。

つまりはそれは俺の人体に他ならない。

確かにモ-トは俺にそう言ったはずだ。

なのに俺は軽く考え過ぎていた。なんてばかなんだ!

苦しむ彼女を見て身体中から吹き出す冷たい汗が止まらない。

「モ-ト!モ-ト!いるんだろ!?出て来てくれ!!」

こんな時に限ってあいつは現れやしない。

「私も彼女が人間として暮らせるよう色々やらなくてはならないのです」

とかなんとか言って不在にする事もあった。

「気持ちが悪い」

という彼女をトイレに連れて行って食べたものを吐かせる。

殺し屋らしい片鱗を見せた事もあったが今は人間以上にぽんこつ…いや脆弱に思えて仕方ない。

俺は彼女の背中を擦りながらそう考えた。

「もう平気」

トイレの床にへたりこんだ彼女に俺は無言で右手を差し出しす。

彼女はしぶしぶポケットに隠したチョコを俺に差し出した。

女の子なのにチョコの甘さも苦さも知らないなんて。

知らないまま彼女はこの世界から消えて無くなる運命なのだろうか。

初めてあの公園で出会ってから次の新月までは24.5日。

あれから随分経った。

俺はいつの間にか月齢を数えるようになっていた。

じきに暦の月も変わる。

もう幾日も彼女には残されていないはずだ。

俺が生きたいと願えば部屋から出なければいいのか。





「ほうき星にお願いすればどんな願いだってたちどころにかなうものさ」

森に住む物知りのフクロウは子ギツネにそう言いました。

ある夜森にほうき星が尾をひいて落ちるのを見た子ギツネは1人で森に出かけて行きました。

暗い夜の森を1人でさ迷い歩くキツネ。

ふいに空から声がしました。

「ちょっとちょっとあんた!」

見上げると大きなくすの木の枝ががさがさ揺れて葉のすき間から目玉が2つこちらを見下ろしています。

「たすけなさい」

命令するように目玉が言いました。

「木に引っかかって逆さまなんだから!たすけなさいって言ってるの!」

キツネがおそろしさにとまどっていると。

「もういいわ自分でおりるから!」

へんてこな帽子とマントをつけた女の子が木の幹を伝わりするすると目の前におりて来ました。

「私はルナ。魔法使いって言いたいとこだけど今は見習い。あんた名前は?」

「キツネ」

「キツネって名前なの?」

「フクロウのおじさんが僕はキツネの子だって言ってた…名前はないんだ生まれた時から1人だったから」

女の子の名前はルナ。

態度だけは10人前だが半人前すぎる魔法使いの見習い。

「何回落とせば気がすむのよあの教官!」

出会った時からご機嫌ナナメ。

「親元を離れて月の裏側にある秘密の魔法使いの学校で寮生活をしながら魔法使いになる勉強をしているの」

ほうきに乗ってそらを飛ぶのは初歩の初歩。

しかし彼女はどうやら大変な落ちこぼれらしく次の試験に受からないと学校を止めさせられてしまうらしいのです。

「いっしょうけんめい練習したから月のまわりだってぐるぐる回れるようになったのよ!」

試験は月の回りを一周して学校に帰れば合格。

ところが調子に乗った彼女はそのまま星空へドライブにくり出しました。

調子よく飛び回るうちに手元が狂って地球に落ちて来たのです。

「夜が明けるまでに帰らないと不合格になっちゃうの」

そう言ってキツネを置いてホウキを探し始めました。

ところがホウキは見つからない様子です。

「なんであんたさっきから私のあとをついて来るのかしら?」

「ぼくも願いがかなうホウキ星を探しているんだ」

キツネはルナにそう言いました。

「あんたの見たホウキ星は多分私の乗って来たホウキだから見つけてもお願いなんてかなわないの!わかったらさっさと帰って寝なさいぼうや」

あまりに冷たい言葉にキツネはがっくりと肩を落としその場を去ろうとすると。

「ちょっと待ちなさいキツネの子!あきらめるのはまだ早いわ」

そうルナに言われてキツネはふりかえりました。

「あんたの願いならほうき星のメイシンになんかたよらなくても私が大大大魔法使いになったアカツキにはかなえてあげてもよくってよ」

さっきからさがすさがすと言うわりにルナの足はほとんど前に進んではいませんでした。

彼女のまわりには暗くうっそうとした夜の森が恐ろしげな音をたてて待ちかまえていたからです。

「おおお手伝いししししたいなら手伝ってもよくってよ」

歯がかちたち時計みたいに鳴ったかと思えば心なしかくちびるもムラサキ色。

足もわなわなふるえています。

子キツネはうれしそうにうなずくと指先を彼女に向かってかざしました。

すると爪の先にぼうと明るい光の輪が出来ました。

「なにそれ魔法?あんた魔法が使えるの!?」

「キツネの火…キツネならみんな出来るんだって」

「やるじゃない」

子キツネと魔法使い(見習い)のルナは爪に灯した明かりをたよりに魔法のほうきを探す冒険を始めました。

子キツネがご先祖様にもらった力はこれだけではありません。

人間よりも見習いの魔法使いよりもキツネは生まれた時から誰よりも夜目がきくのです。

爪の先に火を灯しはぐれないように手をつないで。

暗い夜にあかりを灯して。2人は歩き出しました。

「見つからないわね」

しばらく歩いた後ルナはその場に座り込みました。

「さっきから同じ場所ばかり歩いてるみたいだし」

もうすぐ夜が明けてしまいます。

「まるでキツネにばかされた気分」

ルナは子キツネを見て言いました。

「もっともあんたは人をだますような悪いキツネに見えないけどね」

そう言ったら後に少し照れたようにこう言いったのです。

「一緒にさがしてくれてありがとう」

つかれたようなあきらめたようなルナのほほえみ。

その姿を見て子キツネは下をむきました。

気がつけば足元にはコケや名もない小さな花がありました。

夜の静かな湖が空の星を映すように花やコケは星のかたちをしているのが月明かりの下でわかります。

キツネの子はルナにうそをついていました。

暗い夜でもよく見えるキツネの2つの瞳。

木の上に引っかかった魔女のホウキはそこだけが氷ついた枝のように白く透明に光っていました。

キツネはとっくにホウキの落ちた場所を見つけていたのです。

けれどつないだ手があたたくてどうしてもそれが言えずにいたのです。

流れ星に願いをしなくてもルナが魔法を使わなくても願い事はもうかなっていました。

このまま夜が明ければ。

森はお日様下で美しく輝き食べ物もたくさんあってひとたび心地よい風が吹いたらルナだってきっとここが気にいるにちがいなありません。

「魔法のことなかんかわすれたって幸せにくらせるはずだ」

そうなんども子キツネは自分に言い聞かせました。

けれど月を見上げるルナを見た時子キツネは言いました。

「ちょっと煙草が切れたんで買ってくる」

俺は無意識に胸のポケットをまさぐる。

読みかけの本を彼女に手渡し立ち上がった。

「離せよ」

立ち上がったシャツの袖を彼女の指先が掴んでいた。

「離せ…タバコ買いに行くだけだから!」

袖を掴んで離さない彼女を引き摺って玄関のドアを開ける。

ばちが当たりそうなお天とう様の目映い光が溢れて・・俺の目の前に大鎌の鋒が降り下ろされた。

「これは失礼!最近運動不足でして素振りなど」

「ドアの前では止めてくれ。近所迷惑だから」

俺が振り返るとらなは背中を向けてテレビと本がある場所へ背中を向けて走り去るところだった。

こんな風に日常どこにでも死なんて転がってるものなんだ。

夜になればベッドで眠る。

らなは夜中に俺のベッドに潜り込む。

乾いたシ-ツの音をがする。

そこが彼女のお気に入りの場所だから。

俺はいつも壁際に身を寄せて眠る。

右側は彼女のために空けてある。

「待機モ-ドを学習した」

モ-トの考えは間違っていた。

彼女は24時間眠らない。

眠らずに今も時を刻み続けている。

次の新月までもう幾日もない。

多分悪い憶測は必ず適中するのだろう。

俺が生きたいと翻意をするならばそれは悪い事じゃない。

でもそれは言い様のない不吉な黒い影として俺を飲み込んでしまうだろう。多分生きてる限りずっと続く呪いとなる。

古い月が満ちていた頃俺はひたすら自分の死を願いながら生きていた。

後3日も経たないうちに新しい月が夜空に満ちる。

新月は願いを叶えるものだと古の時代から語り継がれて来た。
その時俺は…いやもう今だって違っていた。

朝の太陽と夕方の太陽だって違っているのだから。

らな、お前はどうなんだ?

プログラムされた通りに人間を補食して最初から存在すらしていなかったようにこの世界から消える。

お前はそれで本当にいいのか?

お前がなりたいものとか…したい事とか…お前には本当にないのか?

俺はそんな事を考えながら彼女の小さな頭に腕を伸ばす。

俺がそうする事を待っていたように彼女は小さな頭を俺の腕に預けた。

黙って見つめる今の彼女は正視出来ないほどに美しい。

暗がりなのがせめてもの救いだった。

俺が目を閉じると彼女も反射的に目を閉じる。

束の間の静寂が流れて微かな街の音以外何も聞こえない。

目を開けた彼女の声が車のクラクションや酔っぱらった誰かの声に混ざる。

「怖い」

目を閉じて束の間の暗闇の中から逃れた彼女は確かにそう俺だけに届く声で呟いたんだ。

また朝が来て昼になって夜が来る。

らなはいつも通りテレビに夢中だ。

そして俺はその隣にいる。普段と変わらない俺たちだけの風景。

これが日常だと錯覚して思わず馴染みそうになる。

いや既に馴染みきっていた。

一皮剥けば彼女は俺の依頼で俺を殺しあまつさえその亡骸を食おうとしている暗殺者だ。

そんな事が幻想であるかのように彼女は俺の部屋に居座りリラックスした様子でテレビの画面を眺めている。

今は秋の番組の改編期に当たるのだろう。

いつも放送しているレギュラー番組は終了したり放送されず、ただただ尺だけ長い番宣目的の特番ばかりが垂れ流されていた。

正直この時期のテレビはつまらない。

だけどそんな夜も彼女は熱心に画面に見入っている。
一昔前に一世を風靡したコント番組の総集編。

子供の頃は大好きで見ていた番組も今はくすりとさえも笑えない。

コントに被せらた大げさな笑い声が今はわざとらしくあざとく思えた。

「大人になっちゃったのかなあ」

なんて、がらにもなく思う。

よくあるお葬式のコントを見ていた彼女が俺に訊ねる。

「これは葬式。人が死ぬとみんなで集まってやるんだ…そこで死んだ人の事を思って泣いたり祈ったりするんだ」

「泣いてる」

「そうだな死んだ人は泣いたり出来ないからな」

テレビや本をこれまで熱心に見て来た彼女は泣くという感情は一応理解しているように思えた。

これまで人間の感情に関しては何度も場面場面で説明を求められその度に答えて来たつもりだった。

「かなしいのに誰が笑っている?」

被せた笑いの意味が彼女には理解出来ない。

「それは」

視聴者の笑いを喚起するための演出。

「ここは笑いどこですよ」

という親切なガイド。誘い笑い。

そんな説明なら俺にだって出来た。

だけど俺は黙ってしまう。

死ぬの生きるのとじたばたしている自分。

そんな俺たちの姿をこんな風に遠くから眺めて笑ってる誰かがいるのかもしれない。

ふとそんな事を考えたりした。

俺の顔を無垢といえるような眼差しで見つめていた彼女の視線が再び画面に戻る。

コントは終わり今は短いCMの画像に釘付けになっていた。

それは日本で最大規模のテ-マパ-クのイベントの告知CMだった。

あまりにも有名なネズミやアヒルがいつもと違う魔法使いの格好でマントを翻し音楽に合わせて踊る。

「もうそんな時期か…お前本当に魔法使い好きだよな」

画面を見つめるらなは俺の言葉に頷いた。

「好き」

俺の頭に閃くものがあった。

「魔法使いになりたいか?」

傍らに置いた魔女の童話を手に取って見せる。

らなは頷く。

「もしも魔法使いなら」

俺は彼女に聞いてみる。

「ここに行きたいか?」

口をぽかんと開けて…それから何度も何度も頷いた。

「明日ここに行こう」

決めた!俺がもし死ぬならここがいい。

どうせ死ぬなら笑って楽しく過ごしたい。

人も大勢いて俺も彼女も笑顔になるだろう。

俺は最後に見たいのはお前の笑顔なんだよ、らな。

俺を殺してお前もお互い消えるなら。

お前の望みが一つくらい最後に叶う場所がいいに決まってるもんな。

俺たちは無言でテレビの画面を見つめ続けた。

俺が行きたかった場所とは少し違う。

機械じかけでも着ぐるみの中に人がいたって構わないさ。

【ここは夢がかなう魔法の国】

最後にそんな文字が流れた。

明日俺は東京ディズニーランドに行って隣にいる暗殺者の手にかかる。

ようやく俺は自分の死に場所に辿り着く。

怖れはなにもなくただきらきら輝く彼女の瞳が眩しく思えた。

その夜俺はバスタブに湯をはり風呂に入った。

いつもはシャワーだけで済ますところを湯船につかり肩まで身を沈める。

これが人生最後の風呂になるかと思うと感慨深い。

「ようやく決意されましたか」

「風呂ぐらいゆっくり入らせてくれないか」

髪を洗うためのシャワーは水が湯に変わるまで出しっぱなしにしておいた。

うちのシャワーは旧式で、なかなか湯にならないからだ。

モ-トの傘が勢いよく流れる湯を弾くので飛沫が俺の顔にまで降り注ぐ。

「明日はデ-トなので身綺麗に…紳士のたしなみですな」

「別にそういうわけじゃ」

俺は鼻先まで湯船に浸かりながら後の言葉をあぶくに変えた。

「最初はどうなる事かと思いましたが」

「確かにお前はとんでもない殺し屋を差し向けてくれたな。あいつ、ある意味最強だ」

「それはどんな意味でですか?」

「なんとかしてやりたくなるじゃないか。たとえ自分の命を落としたって…そんなに殺したいなら別にいいかななんて…あいつの望みを叶えてやれるなら本望って言うかさ…そんな気持ちにさせられるんだ」

「私もですよ」

「やっぱり!お前もそうなのか?」

「初めて意見が合いました。今夜は男同士お背中でも流しながら語り合いますか」

「いや…それはちょっと」

浴室の扉が勢いよく開いた。

「言ってるそばからお前も入って来んな!」

ちなみに自主規制の湯気はない。

そのままバスタブに駆け寄ると子供みたいに湯船にダイブした。俺は大量の湯柱を頭から浴びる。

湯が鼻や口から入って思わずむせる。

「せまい!せまい!らな!体そんなにくっけるなバタ足も禁止だ!モ-ト…」

「失礼!傘はたたみませんと…」

「その前に服を脱げ!」

最後の晩餐ならぬ入浴は想像しいものとなった。

俺が笑ってはしゃいでるうちに。

俺がお前の笑顔に見とれてるうちに。

俺を殺してくれ。

後は誰にも気取られぬように傘男が上手くやってくれる。

それが俺の望む最良の死だった。

翌朝俺たちは街に出た。

万聖節の前日。

確かそんな言葉を初めて覚えたのは10月は黄昏の国。

今世界はハロウィンウィークの真っ最中だった。

俺が大学を卒業した頃からだろうか。

それまでバレンタインやクリスマスのようなイベントの影に隠れるような存在だったハロウィンが都心で爆発的な盛り上がりを見せるようになったのは。

街のデパートやコンビニにはハロウィン関連の菓子や雑貨が溢れ。テラスがあるお洒落なレストランの店先にもキャンドルや主役のジャックランタンがところ狭しと並ぶ。

東横線や都内の私鉄は飲料会社や製菓会社が貸し切りペイントを施されたハロウィン仕様のラッピング列車が走る。

渋谷駅前のセンター街がコスプレた連中で溢れ返ると暫く対応に苦慮していた行政も直ちに白旗を上げて夜間を歩行者天国にした。

俺が子供の頃だってハロウィンはあったし勿論コスプレだって携帯だってあった。

「SNFの普及が日本の若者のコスプレ文化と結びついた」そんな冷静な分析。

「こんなに自分以外のものに成り変わりたい人間が巷には溢れている」

斜に構えたものの見方や分析ならいくらでも出来る。

けどそんな事は今の俺にはどうでもよかった。

通り過ぎる定番のゾンビやドラキュラなんかのお化けの扮装をした若者たち。

加えて今流行りのお笑い芸人やアニメのキャラクタ-や昔懐かしい特撮物の戦闘員たちが奇声を上げて俺たちに挨拶してくれる。

ハロウィンと言うより現代の百鬼夜行みたいだ。

俺が昔読んだ小説のハロウィンとは違う。

緑が枯れて季節が死に向かう路地を子供たちがお化けの格好をしてマントを翻して枯葉の音を立てて走りさる異国の祭りだったはずだ。

けれど今はそれが却ってありがたいと思えた。

街中に溢れる質の高いコスに比べたら金色の瞳のスエット娘や普段着にシルクハットの冴えない男なんて路上のゴミに等しい。

俺はとある店のウィンドウの前で足を止めた。

だったらなおの事。

「楽しまないと損だよな」

ウィンドウの中に飾られた箒に股がる魔女のコスを俺と同じようにらなも足を止めて眩しそうに見上げている。

「今日はお祭りだからな」

俺はぽかんと口をあけたままのらなに言ったんだ。

「お祭り」

そうだ俺もお前もパーティーピ-ポ-ポになるんだ」

パーティーピ-ポ-」

一生に一度最後の祭りになる。

そう思った俺は、らなの手を引いて普段はけして入らないような店の扉を開けた。

「人混みではぐれないように」

彼女に言った時から手はつないだままだった。

時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。

楽しい時ならなおさらだ。

「楽しかったな」

俺は何とか2人座れた帰りの電車の中で隣に座った魔法使いコスのらなに言った。

通りかかったブティックのウィンドウに飾ってあったハロウィン用の魔法使いの衣装は誂えたように彼女に似合っていた。

山ほど溢れかえる奇抜な衣装を着た女の子たちの中で彼女を見て振り向かないものはいなかった。

「写メ撮らせて下さい」

何人もの人にそう言われた。

それが何だか誇らしくて嬉しかった。

ネズミを連れた園の係のお姉さんに突然声をかけられた時はさすがに驚いた。

「今日はハロウィンのイベントなのでベストコスプレイヤーを選ぶイベントがありまして」

彼女と俺は特設の舞台に上げられた。

おどおどしてる彼女にスポットが当たると彼女は見事フォトジェニックに選ばれたのだった。

「まずお名前を聞いてよろしいですか」

「らな」

「その衣装はとてもキュ-トで決まってますが魔法使い少女でよろしいですか?」

「それと殺し…」

「ま魔法使いでいいです!」

危なっかしいので隣にいた俺は慌てて口を挟んだ。

「お隣のキツネのお兄さんは彼氏ですかあ?」

「俺も魔法使いみたいにかっこよく決めたかったんですが彼女が『彰はキツネ』っ言うもんで…」

「それは優しい…彼氏さんですよね?」

向けられたマイクにらなは答えた。

「獲物」

客席から笑いと歓声が起きる。

「彼女見た目と違って肉食みたいですよ」

ネズミの着ぐるみと客席をちらりと見た彼女の呟きをマイクが拾った。

「お前ら全員食ってやる」

口笛を吹いた前列のメタル風のゾンビが客席に何か放り投げた。

一見黒い蛇のようなそれはレザー製の鞭だった。

普段園内にはけして持ち込めないようなSMの女王様の鞭を俺は拾った。

客席から沢山の携帯端末のカメラが彼女と(ついでに俺)を写真や動画に納めていた。今頃はインスタグラムとかのSNSにアップされてるかもしれない。

彼女の笑顔。

彼女はずっと笑顔だった。

それは多分これから先も残るだろう。

俺と彼女は確かにこの日ここにいた。その証として。

俺の方を向いた彼女に俺は笑いかける。

そしたら彼女はお返しに俺にその日一番のとびきりの笑顔を見せてくれたんだ。

だから俺は鞭をマフラーみたいに首に巻いて、その端を彼女に持たせた。

「降参だ」

俺とお前の遺影にするならこれがいい。

誰かのフレ-ムに収まりながら俺はそんな事を考えていた。

「楽しかった」

一番聞きたかった言葉なんだと電車の中で噛みしめる。

「どうして殺らなかった?チャンスならいくらでもあったろうに」

答えの代わりに彼女の細い腕が俺の腕に巻かれ彼女の重みを肩に感じた。

彼女は俺の横で目を閉じて言ったんだ。

「もう怖くない」

彼女が賞品としてもらった紙袋にはお菓子やぬいぐるみや風船が顔をのぞかせている。

その傍らで彼女は幸福そうに目を閉じている。
お菓子を彼女は食べれない。

次回から使える宿泊券付きの入場券も明日には紙切れ同然になるかもしれない。

それらは幼い子供に捧げられた供物のように思えて来て俺は思わず彼女の体を抱きしめた。

「すいません!お嬢さんちょっと道を開けて頂けますか?」

「お客さん車内で傘を広げないでもらえますか?次の駅で降りてもらいますよ」

「すいません…つい急いでいたものですから。ここは私鉾を収めましょう」

「鉾じゃなくて傘ね!」

車内のざわめきに彼女は片眉をつり上げうるさそうに薄目を開けた。


【神なき月の使者】

「まったく!このネズミのかたちのクッキーとか!チュロスだとか!どんだけ美味しいんですか!?」

モ-トは俺たちが持ち帰ったお土産の包みを開けて片っ端からそれを口に運んだ。所謂やけ食いである。

「らなさん、貴女の口から説明して頂けますか?」

一通り食べ終わると口元をハンカチで拭いながら鋭い一瞥を彼女にくれた。

「それは…俺が不甲斐ないばかりに」

「唯野様は黙っていて頂けますか!」

叱責ともとれる口調で俺を制した。

彼は本当にらなの身を案じて腹を立てている。

それが俺にも伝わって来た。

だから俺は黙って項垂れる事しか出来なかった。

「貴女は自分に課せられた役目を忘れてしまった?」

モ-トの言葉に俺と並んで正座したままのらなは両手で膝頭を掴んで子供みたいに頬を膨らませた。

「プログラムの実行に逆らうという事は貴女にとっては死ぬより辛い飢餓感を味わうはずですが…」

「そう…なのか?」

俺の問いかけにらなは横を向いて答えない。

朝起きた時に俺の体に残っていた躊躇いの噛み痕はそういう事だったのか。

「バグでも起こしましたか。所詮貴女は機械ですからね。何かの拍子に不具合が起きたという事も充分に考えられます。バグならば…」

「モ-トお前なんて事を言うんだ!?彼女はれっきとした!」

「れっきとした何ですか?」

冷徹な瞳が俺を見据える。

「言ったはずですよ。そこに深入りしても悲しみしかないと…彼女は目的を果たした後に直ちに消え失せるそれが宿命なのです」

モ-トの声はいつもの沈着さを取り戻していた。

「ときに唯野様はどうお考えですか?」

優しみさえ感じられる。そんな穏やかな口調でモ-トは俺に問いかける。

「俺は…彼女が目的を果たして人として幸せになってくれたらそれで構わない…たとえ俺の事なんて忘れてしまってもだ…幸せに笑顔で…それが望みだ!そのためには俺の命の一つや二つ!」

「なるほど」

モ-トは俺の言葉に満足したように頷くと彼女に言った。

「唯野氏の考えは聞きましたね?では早速契約を果たしましょう。今ならまだ…」

「いや」

それは俺たちの前で彼女が初めて見せた拒絶だった。

彼女は強い意思を込めた瞳でモ-トを見返して言った。

「私は彰を殺さない」

唇を強く噛んで。

初めて出会った頃はあんなに無表情だったのに。今は一つ一つの表情が豊かになり一時も目を離せない。

俺は彼女の言葉に胸の奥が焦げるような思いにさせられた。

「俺に出来る事は」

「死んでその身を彼女に捧げる事だけです。今の貴方ならさぞや本望でしょう」

身も蓋もないいい方に聞こえるが真実だ。

「いや」

「彼を取り込めばずっと一緒にいられるのですよ」

らなは首を激しく横に何度も降り続けた。

三竦みの時間が流れる中でらなは俺に告げた。

「彰に電話」

らなは俺の携帯と繋がっているので着信があれば俺に教えてくれる。

けど今日は敢えて俺は「いいんだ」と言って携帯を見なかった。

「今日は何があっても電話には出ない。メールも見ないし返信もしない」

そう心に決めていた。

ようやく俺はらなの言葉に反射的に携帯端末の電源を入れた。

メールが一件に電話の着信が履歴が数件表示されていた。

どちらも見知った相手からの発信だった。






翌日の夜俺は山さんに定された居酒屋に着いた。

「御予約の山口様の席はあちらです」

店員に促されてテ-ブルに向かう。

途中できょろきょろしている俺を見つけると大学の元サ-クルのメンバーが手を挙げる。

「こっちだ!こっち!」

手を振って手招きをする方に俺は歩いて行った。

山さんに正ちゃんに高橋龍也郁美さんに、善もいれば鏡沢奈緒の姿もそこにはあった。

鏡沢奈緒は席から立ち上がると「早く座って!彰、彰君の席空けてあるんだから」と少し固い笑顔で言って俺を席に俺を案内しようとした。

そしてふざけて俺の肩を押そうとした時「あ」と言って右手を引っ込めた。

俺の後ろには隠れるようにしてハロウィンの一張羅に身を包んだらながいたからだ。

「誰?」

「らな」

奈緒より少し背の低い彼女は上目遣いで即答した。

「急に1人増えたけどいいかな?」

「あ、私店員さんに言って来るね」

そう言って近くでテ-ブルをバッシングしてる店員に駆け寄った。

らなはそんな彼女の背中を見てほんの少しだけ子犬がするような仕草で鼻をひくつかせた。

「みんな久しぶり!彼女はらなって言って…」

「(-ノ□д□-) +(-□д□-)!?」

「拙者待望の魔法少女属性キタ-で…ござる!しかもききき金髪とは太公望もびっくりでござるよ」

待望のって…

「我輩今日は主賓の唯野氏がごにょごにょで腐敗が相当進んでると聞いたのでハ-バ-トウエスト宜しく駆けつけたのであるが何か話が違うようであるな」

「し!高橋君デリカシー0だよ!?」

席に着いた鏡沢は素知らぬ顔で何の話かと周りをきょろきょろ見回していた。

善は俺の顔を見ると少し気まずそうに右手を上げた。

「いやいやいや!唯野氏今日は良く来てくれたね~本当にありがとうね~こんな可愛い子まで連れて来てさ~俺は嬉しいよ」

もう日本酒臭い息と髭面を俺に擦りつけながら山さんは俺に囁いた。

「ところで君いつから趣味が変わったんだ?」

「いや…あの…」

「はっはっはっは!まあ何にしてもめでたい!このシルクハット男が!らなちゃんだっけ?座って座って!見たとこ外人さんみたいだが席座ってゆっくり国の話でも聞かせてくれ。いやいやまずは2人の馴れ初めから聞こうかな」

らなを見た途端山さんは終止上機嫌で酒を煽り次々にお代わりを頼んだ。

山さんに何度も言われても皆で集まるのを固辞して来た俺だった。

ここに来るまで随分気を遣わせてしまったみたいだ。

何か憑き物から解放されたみたいに嬉しそうに酒を飲む山さんを見て俺はつくづくそう思った。

さあさあさあ!これでメンバーも揃った事だし乾杯するべか!」

「まさかまさかのサプライズゲストもあったしね~」

昔から山さんと郁美ちゃんの酒豪カップルが揃った時点で腹をくくらなければならない習わしだ。

俺の目の前にまだ注文してもいない大ジョッキがどかんと置かれた。

「唯野君は最初生でいいでしょ?」

否応なしだろ。

郁美ちゃんは既に「らなちゃんは何にする?」と優しく微笑みかけている。

相変わらず子リスみたいな顔でいそいそ酒を勧めているが相変わらず髪は爆発している。

この人の本性は猫科のしかもライオンとかの類いだろう。

俺の目の前に置かれた泡が浮いた金色の発泡液を不思議そうに見ていたらなはジョッキを指差して「彰と同じの」と言った。

「おい、らな、酒だぞ!」

「彰と同じのがいい」

「飲むふりだけだぞ」

俺は彼女にそっと耳うちした。

「く~っ!うらやましいでござるなあ」

正ちゃんは先に頼んであったおにぎりと日本酒を交互に猛スピ-ドで口に入れた。

「正ちゃん乾杯がまだだよ」

「らなさんはお国はどこ?その金色の瞳はカラコンよね…」

「だから魔法少女…これだから婦女子は夢が…」

「高橋君差別発言だよ!いつかの再戦する?」

「くわばらくわばら!それだけは御免こうむりたいものだね!」

らなの飲み物が来る間席ではそんな他愛ない会話が交わされた。

みんな突然俺が連れて来た彼女に興味深々だった。

「で、らなちゃん国はどこさ?」

上機嫌の山さんが彼女と同じ質問をらなにした。

らなは人差し指を天井に向けた。

「えっと…空?」

「宇宙」

らなは正直に答えた。

「どこの星系の何という惑星かね?」

意地悪そうな魔女顔の高橋が身をのり出して聞く。

らなは早口言葉をさらに倍速にしたような恐ろしいスピードで答えた。

一瞬しんとした間があってから全員が一斉に笑った。

「らなちゃん面白い!」

「今のはダン・エイクロイドも真っ青な宇宙語であるな!」

「ダン・エイクロイドって宇宙人なの?っていうか誰?」

「ああ!頭がコ-ンの宇宙人でござるな」

なんでそこで相づち。

「唯野君とらなちゃんはどこで知り合ったの?」

「ベンチ」

「あ…夜の公園歩いてたら彼女がいて」

「へえ~ロマンチック!唯野君のくせになんか素敵じゃない!?」

「しけたつらでやって来た」

また座が沸いた。

「木製」

なんだか借りて来た猫みたいに大人しくしていた善までもが笑っていた。

拍子抜けする程あっさりサ-クルのメンバー溶け込んだ。

忘れていた…このサ-クルはこんなのりでどんな変人でも易々と受け入れてしまうのだ。

そんな人間たちの集まり所帯であった。

「そのシルクハットは彼女の趣味?それともハロウィンだから?」

今まで黙っていた鏡沢奈緒が口を開いた。

「ああ、これはハロウィンの…」

「づら」

らなが俺の頭からシルクハットを取った。

「こら!らな?悪戯はやめなさい!!」

「何…その頭!?」

郁美ちゃんは俺の頭を見た途端身を捩って笑い出した。

「唯野氏捨て身でござる。彼女が出来てさらに一皮剥けたでござろうか彼女おそるべしでござる」

「あ~彼女なら前から」

「高橋君てば!」

「別に…いいから」

鏡沢が小さな声で呟くのを俺は聞いた。

ようやく飲み物が全員分テ-ブルに揃った。

「では再会を祝して!」

「唯野君の新しい彼女に!」

「サ-クルメンバーに!」

「サ-クル?」

その言葉にらなが反応して首を傾げる様子を見た正田清は、いつものスライムのような笑みを湛え。

「みんな同じ大学の仲間でござるよ」

そう説明した。

「パーティーピーポ-ですか?」

らながはっとしたように真剣な顔で訊ねた。

「そう同じパーティーのピーポーでござる」

『パーティーピーポ-に乾杯!!』

全員で杯を上げて乾杯した。もう何が何だかわからない。

らなは嬉しそうに乾杯の輪に混ざり両手でジョッキを掴むと一気に中の液体を飲み干してしまった。

「おい!お前大丈夫か!?」

空にしたジョッキを前にらなは平然としている。

「ほ~」

郁美ちゃんは感嘆の声を上げて首を振る。

「いい飲みっぷり!唯野君より男前かも」

ジョッキに残った俺のビールを見て郁美ちゃんは笑っている。

「そうでなくては…いいね!唯野君…本当によかったね~」

らなは目の前の焼き鳥の串や唐揚げにも手を伸ばして豪快にむしゃむしゃ食べている。

「初めて食べた」

「日本のおつまみ初めて?」

口元をおさえて食べ物をのみ込む。

「おいしい」

ほっこりとした笑顔にその場にいた誰もがきっと魅了されたはずだ。

「高橋君の魔法使い職は廃業でござるな?」

「ゲームの話かい?我輩は元々属性はプリーストなんでね!日曜日学校の先生もしてる事だし」

「ゲームじゃなくてリアルにらな殿は我々の仲間になったのでござる」

「ここは出会いの酒場というわけか?」

高橋龍也は肩を竦めたが、いつものシニカルな表情や刺々しさはなりを潜めていた。

多分彼の機嫌も悪くない。そんな様子が表情からも見て取れた。

最初から同じ大学のサ-クルの仲間だったかのように皆が彼女の存在を受け入れて…宴の時間は過ぎて行った。



「彰」

さっきまで機嫌よく仲間の輪に加わりはしゃいでいたらなが俯いて俺の名前を呼んだ。

「無理するからだ…さあ手を貸すから行こう」

俺は立ち上がり肩に手を回すようにして彼女が立ち上がるのを手助けした。

「大丈夫?私行こうか?」

らなが気分が悪くなった事を察した郁美ちゃんも立ち上がろうとする。俺はそれを丁寧に断った。

らなをトイレに連れて行かなくてはならない。

「少し食べ過ぎたりするとよくあるんだ…慣れてるしすぐ良くなるから大丈夫」

嘘だった。

俺と出会ってかららなは食べ物なんて口にした事は殆んどない…彼女が口に出来る物は最初から一つと限られている。

飲食を止めるべきだとも考えたが俺はあえて彼女の好きなようにさせた。

トイレで彼女に吐かせた物は運ばれて来た時同様何も消化されていない。

悲しい位にきれいなままだった。

一通り体の中の物を吐き出してしまえば彼女はいつもの彼女に戻る。俺は彼女の背中を擦り続けた。

数分後。トイレの水道の水で何事もなかったかのように彼女は手洗いをしていた。

姿見に映る横顔は心なしか青ざめて少し窶れて見えた。

「無茶するなよ」

そう言って渡したハンカチで手を拭いながら彼女は俺に言った。

「パーティーだから」

「そうだな」

「楽しい」

俺は頷いた。

「みんないい人」

テ-ブル席にらなを連れて戻るとそれまでの和やかさとは場の雰囲気が一変していた。

「私電車の時間だから帰る」

そう言って鏡沢奈緒は立ち上がると足早に店の出口へと歩いて行くところだった。

「唯野君またね!」

すれ違い様に俺の顔を見る事もなく彼女は通り過ぎた。

鏡沢が店から出て行くと善も落ち着かない様子で立ち上がる。

「悪い…俺もちょっと今日は帰るわ」

テ-ブルの上には善が置いて行った1万円冊の端が店の空調に煽られてひらひら揺れていた。

俺とらなは席についた。

けれど残された人間は暫く無言のままで先程までの賑わいは嘘みたいに、どこかに消え失せてしまっていた。

「なんだ、あの女」

山さんが酒を口に含みながら絞り出すように言った。

「最初から最後までしらけてんだかなんだか知らねえが、ぶすったれた顔しやがってよ!善も善だ!」

「山さん俺別に気にしてないからさ」

「あいつ…最初に唯野氏が顔見せた時に善と唯野氏の間に自分が座ろうとしたよな?」

「偶然だって」

「いや偶然じゃねえ!俺はちゃんと見てたんだ!俺はそ~ゆうの見逃さない男だ!だがしかし色々あったけど、せっかく善と君が同じテ-ブルに座ったんだぜ?高橋君や正ちゃんだって来てくれたのに」

「ちょっ!と…飲み過ぎだよ」

彼女の制止も聞かず山さんは酒を煽り続けた。

山さんはこういう人だ。

でも善と鏡沢の事だったら多分山さんより俺の方がずっとわかってるつもりだ。

だって俺は善の親友だし鏡沢奈緒は俺の元カノだったのだから。

俺は山さんが荒れに荒れて酒を煽るのを黙って見ている他なかった。他の皆も同じだった。

「俺のために集まってくれて皆には感謝してるよ」

「我々は唯野君が元気がないと聞いたのでね…今はそうでもないみたいなんで少し安心したよ」

「また皆の顔も見れたでござるしな」

そんな言葉を口にするようになる頃には山さんはテ-ブルに突っ伏していた。

「さて明日の仕事もある事だしそろそろ拙者たちもお暇するでござるか?」

「そうだね…時に唯野君例の新しいRPGなんかは、もう買ったのかい?」

また最後に露骨で嫌な誘いを高橋龍也は口にする。

正ちゃんが高橋に言った。

「高橋君それなら家に行こうでござるよ」

「いいのかい?」

目を輝かせるな。

「しかしRPGは1人でしか遊べないし迷惑じゃないのかね?」

俺ならいいのか!?

「知らないでござるか?今のはオンラインで遊べるでござるよ。彼女いない同士のパーティーの恐ろしさを世に知らしめるでござる」

「一応こんな彼氏がいる私も参加していい?」

「郁美さんがいるとお金集めが楽だからね」

「敏腕商人大歓迎でござる!よかったら唯野氏もらなちゃんも一緒に」

「ぜひ参加させてもらうよ」

「ではフィルードで!」

「今は便利な世の中になったものだ」

「高橋君もソフトやゲーム機やPC揃えればいいのでござる」

「人様の家でご飯などご馳走になりながら優雅に遊ぶのが醍醐味でね」

「貴族の遊びでござるな」

そんな会話をしつつ二人は連れだって帰って行った。

「仕事かあ…みんな大人だね」

ため息をつくように郁美ちゃんは言った。

「大人になれない男が約一名…困ったもんだ」

そう言いながらも彼女の指先は撃沈した山さんの髪を優しく撫でていた。

「自分の思い通りならないからって酒飲んでふて寝して…ごめんね唯野君この人のワガママに巻き込まれて」

「いや、そんな事は」

「唯野君はいい人だよね」

俺は首を振って彼女の言葉を否定する。

「こんな集まり理不尽だし元々むちゃくちゃだよ。唯野君だって本当は来たくなかったよね?」

最後にこうなる事はなんとなく予想がついた。

それは俺も否定しない。

山さんの解決方はかなり大雑把で暴力的に思えたのも確かだ。

「でも唯野君は来てくれた。嬉しかったと思うよ」

彼女は俺にではなくらなに向かって言ったのだ。

「いい人だよ唯野君は。それ間違いないから」

「彰はいい人」

俺の好きな真っ直ぐな瞳で見つめられ俺は「そんな事はないよ」と言うしかなかった。

俺は全然いい人間なんかじゃないからだ。

鏡沢奈緒が俺たちの前で不機嫌な態度を隠そうともしないで1人さっさと帰っても俺は今更腹を立てたりしなかった。

元々彼女はそういう性格の娘だったんだ。

彼女は出会った時から奔放で自分の欲望や感情にとことん忠実で、それは俺にはない。むしろ俺はそれを愛していた。

自分の住む厚木市に流れる川をミシシッピリバーと呼んでマ-クトゥエインの書いたトムソ-ヤに深い憧れを抱いていた。

とある洋学の有名なロックバンドの曲に【トムソ-ヤ】という曲があるのを知って2人でCDを買って聴いた事がある。

「歌詞の内容も知りたい」と彼女が言ったからだ。

その曲を聞いた時彼女はひどく落胆して腹を立てていた。

「トムソ-ヤは現代の鼻つまみものだ」

その歌詞は歌っていた。

それは後にマ-クトゥエインが書いた大人になったトムの物語同様に辛辣なものだった。

かつての奔放さや瞳の輝きを失い社会の軋轢の中で青息吐息になりながら疲れた体と足を引き摺りながら生きるトムソ-ヤ。

俺は彼女にそんな風になって欲しくないと心から思った。

俺はいつもそんな彼女を自分のそばに置いて置きたかった。

そしてそれが叶わないと知った時差しのべられた彼女の手を払い除けた。

彼女の思う事はわからない。

けれどもし俺が彼女の手を掴んで無理矢理にでもあの場から連れ去っていたなら未来は今とは変わっていただろうか?

でもその可能性は、らなに出会った瞬間に俺の中で完全に消滅した。

俺は今隣にいる彼女を見てそう思った。

善とは今夜ろくに会話もしなかった。

善は四六時中彼女の顔色ばかり伺っていたし彼女が帰った後尻を追うようにそそくさと金だけ置いて帰って行った。

恥も見栄もお構い無しに店を出て行く善を俺はぼんやり眺めていた。

その時頭に浮かんだ言葉は自分でも少し意外だった。

「頑張れよ」

そう思えたんだ。善も鏡沢も今は山さんの部屋にはいないと聞いた。善が家出中の鏡沢を説得して取り敢えずは実家に帰した。

今あいつは将来の事を真剣に考えて2人で住むための部屋を借りるために必死で働いている。

俺にだって友達を殺してでも手に入れたいものが今はある。

昨夜モ-トは俺とらなに言ったんだ。

「このままでは埒が開きませんな」

「時間の無駄です」

モ-トが俺たちにした提案。それは契約の変更だった。

「条項に従い契約者の権限で契約内容を変更する事も可能ですよ」

「そんな話聞いてないぞ!」

「貴方がそれを希望しない限りは必要ない条文ですから…今は少々事情が変わったようなので御提案させて頂きます」

「それで、それで、らなは助かるのか?」

「らなさんだけでなく貴方の命も救われますよ。お聞きになりますか?」

そんな提案があると知って俺は藁にもすがる気持ちでモ-トに訊ねた。

「契約者の貴方しか出来ない事です」

「それは何だ!?早く…早く教えてくれ!!俺はらなが助かるなら何でもするから」

「それは暗殺の対象つまりは標的の変更です」

「別の人間を殺せという事なのか!?」

「それは可能ですがペナルティというかリスクを伴います…何しろ死神の契約書なので」

「リスクって」

「対象は貴方の近親者、例えば御両親や御兄弟…身内ならば血縁が無くても構いませんよ。大切なお友達の1人でも」

涼しい顔でそんな話を口にする。

あの男は正真正銘の死神だったのかも知れない。

「期限は明日新月が生まれる日までとしましょう」

そうして俺はらなを連れてここにやって来た。

「この人ね、1人じゃ怖くて何も出来ない人なの」

郁美ちゃんの声に俺は目の前の2人を見る。

「私よりも好きな人が他にいるみたいだし」

洋楽やら歌謡曲やら演歌が適当過ぎるシャッフルで流れる居酒屋の有線に紛れて彼女らしからぬため息とも空耳ともつかない呟きを俺は聞いた。

「でも山さんは郁美ちゃんの実家にご挨拶に行ったって聞いたけど」

「何だかんだで切れないのよ。私も他の誰かも…誰か人が周りに居てくれないとダメな人だから。原稿書いてる出版社の入社一年目の女の子らしいけどね」

「そこまではっきり…でも山さんが浮気する人だなんて俺にはとても」

「そ~ゆうとこはバカだからね。隠してるつもりなんだろうけど笊よ!笊!最初はその娘の事『童話の事なんて何一つしらねえくせに態度ばっか一端の編集気取りで』なんて悪口ばっか言ってたくせに最近は歯切れが悪いし。まあ最初から予感はあったんだけどね…私カンは切れる方だから。鋭いんじゃなくてね…それに」

「それに」

「唯野君が言う通り浮気なんて出来る人じゃない」

俺は彼女に何て話していいかわからずにいた。

「今夜の事もそうだけど唯野君もあんまりこの人に調子合わせなくていいから。でないと苦しいよ」

「それって」

「唯野君にも他の人にも私にでさえ『君は才能がある素晴らしいからそれ捨ててもらいたくねえ!』とかなんとかね…間にうけないでね。道連れが欲しいだけだから」

「道連れか」

「まあ唯野君も今はらなちゃんていう可愛い子がいるし心配してないよ」

郁美ちゃんはらなにこう言った。

「少しお人好しで傷つきやすいナイ-ブ君だけど。唯野君はいいやつだよ。こんだけこのバカにつき合える人は珍しいんだから。安心して…らなちゃんもいい子!私は好き!2人ともすごくいいカップルだよ!」

何度も郁美ちゃんに「いい人」と言われた。

でもそれが間違ってる事くらい俺にはわかっている。

昨夜も昼も眠れずに過ごした。

大量に摂取したアルコールのせいか今も頭がずきずきと痛む。

思考力も著しく低下して取り返しのつかない事をしでかしてしまいそうなそんな夜だ。

酒に酔って仲間とはしゃいでるふりをしながら俺は考えて探して選んでいた。

「この中で生きる価値もない死んでもいいようなクソ野郎は誰か?」

答えなんてすぐに出た。


それは俺に決まっていた。

上手くいかない世の中を恨んで自分を無価値だと決めつけ呪った挙げ句自分で潔く死ぬ勇気も持てず、それすらも他人に丸投げした。

そして風向きが少し変わった途端に生に執着し大事なものを守ると言って死神の口車に乗って友達を犠牲にするためにのこのこやって来たんだ。「過去なんて捨ててやる」と息巻いていたくせに!

もしも俺がらなに誰かの名前を耳打ちすれば。

らなの足なら誰にでも追いつくだろう。

そして彼女は1人を食い殺す。

らなは役目を果たしてこの世界から消えて無垢で何も知らない人間が1人誕生する。

その時俺はまだ人間と呼べる存在でいられるのか。

自分を殺してもらう目的で暗殺を依頼した男がいつの間にか死神になっていた。

モ-トは普段あんなで俺はすっかり油断させられた。

けど今はあいつが本物の死神か悪魔に思えて仕方ない。

魔と呼ばれるものは直接自分で手を下したりはしないものだ。

人に寄り添い誘惑の言葉をちらつかせ、後は勝手にその人間が破滅するのを遠くで眺めているだけ。

そして俺もそれを理解した上で自らその片棒を担ごうとしている。懇願さえしたのだ。本当の魔は俺の中にいる。

「まあなるようになるべさ」

いつもの飄々とした郁美ちゃんの声に俺は、はっとして顔を上げた。

「私も実は山さんに隠してる秘密があるんだ」

「秘密?」

「山さんと大学のサ-クルで出会った時いつも山さん部室にデイリー持ち込んでタイガ-スの話ばっかりしてたよね?」

「ああシ-ズン中は『勝った負けたってうるさいのなんのって」

途中からそれに郁美ちゃんも加わったんだっけ。

まあ山さんは北海道出身だけど郁美ちゃんの郷里は関西語圏だから阪神ファンなのは納得出来たが。

「私子供の頃から家族ぐるみで骨の髄までドラゴンズファンなの」

「そうなの!?」

公園野球の時は2人タイガ-スのキャップやメガホン持って。虎縞を応援に野球観戦にも行ってたはずだが。

「那智勝浦は昔から本拠地の名古屋についで竜のお膝元なのよ…阪神に中日が負けると顔で笑ってこれとハイタッチしつつ腸が煮えくりかえる思いよ…嘘ついて彼に近づいたから今更引っ込みつかなくて。まあ、これでおあいこかな」

「なんかそれ全然採算が合わないような」

「そんなもんさ」

俺はそんな郁美ちゃんを見ていて思った。その言葉を口に出した。

「あまり軽卒に無責任な事は言えないけどさ」

彼女は黙って頷いて俺の言葉に耳を傾けた。

「多分吉野さんは負けないよ。相手がどんな女性であっても俺はそう思う」

「唯野君もね!」

彼女は俺にそう言った後に「ありがと」と短くつけ加えた。

その間も子供の毛繕いするライオンの親のように彼女の指先は動き続けた。

もっとも彼女みたいに立派な鬣があるのは牡のはずなんだけどね。

日頃猛獣を気取ってる牡は彼女の手の中で寝たふりを決めこんでいた。というかもはや俺には毛皮の敷物にしか見えないのだが。

「私たちはもう少しここにいるけどタクシー呼ぶ?」

「少し夜風にでも当たりたいから歩くよ」

俺とらなは席を立つ。そうしないと山さんはいつまでもこのままだろう。

「気をつけて帰って」

俺たちが店を出る間彼女はずっとこちらに向かって手を振り続けていた。

らなもそんな彼女に手を振り続けた。



夜も明るい都会の空では星も見えない。

月も厚い雲の中に隠れたまま姿を見せない。

そういえば今日は『朔日』とニュース番組の中の天気予報で気象予報仕が言っていた。

新月が生まれる前太陽が月に隠れる所謂皆既日食が世界中で見られる夜だと。

しかし東京の空でそんな天体ショ-が見れる期待など誰も抱いてはいない。

すれ違う通行人たちは誰1人夜空など見上げたりはしなかった。

俺たちは繁華街を離れ人気の絶えた深夜の路地を2人で歩いた。

「ごめんよ、らな。俺誰も選べなかった」

暗がりとはいえ街灯が灯る都会の路上、何もないはずの場所でらなが突然躓いてよろける。

がくりと落ちた彼女の肩を両手で俺は支えながら、ふいに子供だった頃の記憶が脳裏に甦って来た。

小学校の時友達が買ってもらったクワガタやカブトムシが羨ましかった。

自分も欲しいと母親にねだったが「世話も出来ないしどうせすぐ死なせてしまうんだから」という理由で買ってもらえなかった。

かなり粘ったがやはり母には通用しなかった。

そんな話をどこで聞きつけたのか山間部に住んでいた父方の祖父が孫のために一肌脱いで山に入りクワガタやカブトムシを大量に水槽に入れて持って来てくれた。

俺は喜んで夏中クワガタやカブトムシたちの世話をした。

「小蝿が増えて困る」

母に小言を言われてもお構い無しだった。

黒一色だと思っていたクワガタやカブトムシは羽の色が樹液や琥珀のように艶やかで何時間見ていても飽きなかった。

けれど夏休みが終わり秋が近くなると水槽の中の宝石はばたばたと容赦なく死に始めた。

大概のクワガタもカブトムシも寿命は夏の間だけなのだと幼い俺は知らなかった。

最後まで残った一番大きなノコギリクワガタも他の仲間同様に簡単に前肢や後ろ肢が取れてすぐに動かなくなった。

「仕方ないでしょ」

と母親が死骸を湿ったチップと一緒に生ゴミの袋に入れようとするのを見て「もう虫は飼わない」と言って俺は泣いたんだ。

無論らなは俺のペットなんかじゃない。

だからこそ俺は彼女の肩を掴んで前を向かせ言ったんだ。

「頼む…らな!出来るだろ!?今この場で俺を…」

「いや」

彼女の答えは変わらない。

「お願いだ」

俺は声を絞りだして懇願する。

「たのむよ・・らな!」

「いや」

「いや」

「いや」

壊れた再生装置かオウムのように同じ答えを繰り返す。

「絶対嫌!!」

「らな」

「ずっと一緒」

「そうだよ!?ずっと一緒だ!ずっと一緒にいられるなら俺はどんなかたちだって構わな…」

「このままずっと彰と一緒にいる!!!」

らなは俺の言葉を遮るよう声を限りに叫んだ。

俺を射抜くような強い意思を込めた瞳の光。

ここまでらなが感情を露にするのは初めてだった。

その瞳に宿っていた光が今目の前でたちまち失われて行くのを俺は目の当たりにした。

金色の光彩が吸い込まれそうな底のない黒い墓穴の色に変わって行く。

「おい…らな?…しっかり…しろ!?」

「彰」

彼女の口が喘ぐように言葉を漏らした。

「今度…殺せと…言ったらお前殺す…絶対許さない…」

「ばか…お前何言って…」

地面に刺さったままの短い横断歩道の信号機は押しボタン式で誰かがボタンを押さなきゃ一晩中赤が灯ったままだ。

その赤色が俺の目の前で景色と一緒に霞んでぼやけて見えた。

少し離れた薄暗い路地をこちらに向かってゆっくり歩いて来る人影が見えた。

雨でも強い陽射しの下でもないのに傘をさした男の影は優雅とさえ思えるような足取りで。

真っ直ぐこちらを目指してやって来る。

その男の名前がモ-トだと俺は知っている。

俺たちの目の前で足を止めて佇む。

その男こそが俺の俺たち2人の運命そのものなのだと確信する。

そいつは俺の前に立ち俺の大切なものを奪いに来た。

たとえ今夜命が拾えても一度渡してしまえば俺は今からくたばるその日まで生きる屍になり果てる。

俺の知らない時間と世界を旅して俺の書きえぬ物語に俺を導いた男。

もしかしたらここまでお前の筋書き通りなのかも知れない。

だけど俺だって物書きの端くれだ。

俺はらなを見て頷いた。

「悲しい結末になんて絶対させねえからな」

そう彼女に約束した。

出会った時と同じように傘男は死者の仮面を被って現れた。

「よく見たら今のお前には全然似てねえな!お前の方が百倍いや千倍美人でいい女だ!」

「いちおく」

もう俺泣いていいんだか笑っていいんだか。

いつもながらよくわからんけどさ。

「らな俺はお前といると、とにかく最高だ!!それだけが俺が知ってる本当に本当の真実だ!!!」

夜半を過ぎ、空には太陽の欠片が輝き、むら雲の覆いは闇に煤ける。

男は仮面を外した。

それこそが寧ろ今は無慈悲な月の貌に見えた。

「期限切れです」

手にした契約の紙は目の前で裂かれ破り捨てられた。





《 Promise Her The Moon 了 》





太陽光に阻まれた新月が少しずつその姿を現す。

その時までに目の前で起きた事を俺は生涯忘れないだろう。

何故ならば今それを記憶しているのは世界中で俺1人だからだ。

信号機は明滅を繰り返し俺はなす術もなくその場に佇んでいた。

暗い夜は未だ明ける事はなくて。

俺に死を、彼女には生の道へと導こうとしていたモ-トという名の男は今は路上に四肢を投げ出してぴくりとも動かない。

彼が完全に息絶えて二度と起き上がる事は一目見ただけで俺にはわかる。

「らな」

俺は彼女の名前を呼んだ。

俺のらな・・

何度呼んでも彼女からの返答はなかった。

彼女は自らが屠った男の上に馬乗りに跨り。

ぬくもりが残っているであろうその屍肉を喰い漁っている真っ最中だった。

血を啜り腸を引き摺り出して骨を砕く音。

時折嗚咽に似た声を喉の奥から漏らしながら彼女はいつまでもそれを喰らい続けた。

白い歯と唇は血に染まり滴り落ちる。

俺が傘男を初めて見たのは大学のサ-クルの部室の壁に宮前という先輩が描いた落書きが最初だった。

その壁には先輩だけじゃなくて童話サク-ルの他の卒業生や在校生たちの思い入れの深い作品のイラストや言葉が書かれていた。

あまりに有名な勇敢なネズミたちの落書きにはこんな台詞が添えられていたものだ。

「なにかに飢えていたのは俺たちだけではなかった」

俺の頭は徐々に冷静さを取り戻して彼女の元へ歩み寄る。

夜明けまではまだ時間がある。

俺は無言で彼女の傍らに片膝をつくと黙って彼女の背中を擦ってやった。





【 あとがき 】
Promise her the moonという題名ですが昔聞いた洋楽にそんな曲があったのだけど。なんとなくロマンチックで簡単な単語ばかり並んでいるのだけど・・意味を調べたらPromise ・・・ the moonは「できない約束」でした。できない約束を彼女にした。という意味なんでって・・くすくすくす。でこの話こっからまだ続きがあるんですが需要ないかも・・ハロウィンの話なんでMCの管理人様方出す構想も時間なく断念です・・


【 その他私信 】
職場で作業中に転落・・なかなかの怪我。しかし足にまいた包帯のに滲んだ日の丸がなぜかうれしい。日本人でよかったなあ


ココット固いの助
mixiアカウント
 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=20662502


● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/tb.php/367-634765d2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

《 天使の降りる場所 》 «  | BLOG TOP |  » 《 ひまわりたべたよ 》

プロフィール

MC運営委員会

Author:MC運営委員会
このブログの八割は、カボチャで構成されております。

カテゴリ

Mistery Circle(メインカテゴリ) (40)
寸評 (30)
MCルール説明 (1)
お知らせ (36)
参加受付 (24)
出題 (35)
メールフォーム (3)
★カボチャでも書ける小説講座 (9)
内藤クンのおもちゃの部屋 (9)
天野さんの秘密の部屋 (8)
Ms.伍長の黙示録の部屋 (0)
伊闇かなでの開かずの部屋 (4)
未分類 (28)
亞季 (2)
いつき (1)
伊闇かなで (3)
空蝉八尋 (4)
黒猫ルドラ (13)
ココット固いの助 (22)
桜井 (1)
桜朔夜 (1)
鎖衝 (11)
知 (21)
しどー (13)
瞬 (3)
白乙 (12)
すぅ (13)
すずはらなずな (30)
田川ミメイ (2)
辻マリ (14)
夏海 (3)
七穂 (1)
氷桜夕雅 (32)
ひとみん (4)
松永夏馬 (12)
望月 (8)
幸坂かゆり (21)
李九龍 (13)
りん (3)
ろく (1)
Clown (12)
MOJO (1)
pink sand (9)
rudo (8)
×丸 (4)
MC参加者に聞け (7)
Mistery Circle ヒストリー (2)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム