Mistery Circle

2017-08

《 ビスクドールの情動 》 - 2012.07.21 Sat


 著者:白乙







 整頓されたリビング、黒檀色のテーブルをはさみながら、少女は姿勢よく椅子に座っている。その向かい側で居心地悪そうにしているのは、家の主である日暮のほうだ。
「これ、おばあちゃんから預かってきたおみやげ、です」
 少女はさらりと揺れる髪を耳にかけ、鞄から丁寧に包装された菓子折りを取り出した。
 かさかさに乾いた唇からどうにか声をしぼりだす。
「ま、ご丁寧にどうも。あとでおやつに頂きましょうね」
 受け取って、テーブルのわきにおく。震える指先のせいで、箱を取り落しそうになった。
「あの、大丈夫、ですか? なんか顔色が悪いみたい」
「大丈夫よお、うふふ……」
「……」
 とつとつと話す少女の声に、半分意識がないまま返答をする。少女の首がふしぎそうにかしいだ。
(き、緊張で胃が)
 ただでさえ青白い日暮の顔が、いっそう白くなっている。胃からせりあがってくる苦い液をノドでどうにかとどめて笑みを作った。
(やっぱり引き受けるんじゃなかった)
 日暮は心の中で先週の自分を呪った。
 
 ことのはじまりは先週の深夜、高校時代からの友人・笹川からの電話だ。
「お前を友人と見込んで頼みがある」
「何よ急に改まって」
 このときハンズフリーで話していた日暮は、ペディキュアを塗っていた。作業が上手くいかないとき、決まって日暮はネイルをするのだ。
「来週、急な出張が入ってしまって……預かってほしいんだ」
「なんだ、別にいいわよ」
 日暮はつま先の筆の動きに注意しながら、二つ返事で了承した。日暮の脳内に浮かんだのは、笹川が飼っている猫だ。会社勤めをしている笹川は急な出張が入ると日暮の家に猫を預けていくことが以前から何度もあった。日暮自身動物は嫌いではなかったし、自宅兼仕事場の一軒家に暮らしているので多少汚しても怒ってくる家主はいない。今回もきっと飼い猫を預かる依頼だろうと踏んだのだ。
「本当か! よかった、これで断られたらどうしようかと思ってたんだ」
「なによ今さら。今まで何度も預かってきたじゃない」
「何度も? ……まあいい、とにかく助かった。来週土曜の朝に連れて行く」
「はいはい、待ってるわ」
 そういって片手間にハンズフリーを切り、最後の仕上げにかかった。在宅稼業の日暮は一般企業のようにネイルをしていてとやかく言われる人物がいない。この作業もまた、日暮にとって仕事の一環だった。だがその作業のせいで、笹川の低い声が普段よりいっそう低く、真剣みを帯びていることに気づけなかった。
 今思えばこの時にちゃんと話をきいておくべきだった。
笹川が預けようとしたのは猫ではなかったのだ。
 日暮がようやくすれ違いに気づいたのはつい先ほど、つまり当日の朝になってからだった。
 いつものようにチャイムが鳴り、友人を出迎える。そうして彼が抱えているであろう猫の入ったキャリーを見ようと目線をずらして、固まった。
 そこにいたのは猫ではなく、小学生くらいの女の子だった。足首までのブーツに襟付きのワンピース、背中よりやや上くらいまで伸びた黒くつややかな髪は、パステルカラーのシュシュで二つにまとめられている。背中にはキャラ物のリュックサックと、菓子チェーン店のロゴが入った紙袋を右手に持っていた。今どきの子どもらしいカラフルな配色の洋服だったが、その色合いに比べて少女の表情が異様に乏しいのが目についた。
 固まっている日暮に対し、当の笹川が安堵のため息をつく。三白眼の目元にはくまが浮かんでおり、ろくに眠っていない様子がうかがえた。
「姪っ子の深月(みつき)だ。今回は本当に助かった。おふくろたちが旅行で面倒が見れないからと預けてきたのに、出張が入ってしまって」
「笹川、あの、預かるのって猫のチビちゃんじゃなかったの?」
 なるべく平常心を装い、震える声で尋ねる。
「チビ? ああ、あいつは今回ペットホテルに預けてあるから大丈夫だ。いつも面倒みてもらって、悪いな」
「あの、アタシやっぱり」
「すまないもう行かないと。深月、この人のいうことをちゃんと聞くんだぞ」
「うん、おじさんもお仕事がんばって」
 笹川の言葉に少女は小さくうなずく。袖口からのぞく腕時計の時刻を確認すると、笹川は足早にかけていった。
「ありがとう、じゃあな。三日後には迎えにいく」
「笹川、待って」
 静止の声は届かず、スーツとは思えないほど俊敏な動きで去っていく。よほど時間に追われていたのだろう。伸ばされた日暮の腕はむなしく空をかいた。
 日暮はぎこちない動作で後ろを振り返った。そこにはやはり、表情の乏しい落ち着いた雰囲気の少女が立っていた。少女は大きな瞳を二、三度またたかせたあと、琥珀色のそれを日暮にむける。
「めいっこの深月、です。今日から三日間よろしくお願いします」
 深いお辞儀と一緒に長い髪がさらりと揺れる。日暮はめまいを覚えた。


 それから何とか意識を保ち、深月を中へ迎え入れた。ティーポットから茶をそそぎ、少女の前に差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう、ございます」
「む、無理に敬語とか使わなくていいから」
「そうですか?」
「ほら、アタシ一応笹川……アナタのおじさんの友達だから。気を使わないでちょうだい、ね?」
「……はい、いえ、うん」
 そういって少女はカップを両手で支えながら紅茶を一口すすった。朝日がさしこむリビングに、再び静寂が訪れる。
(話すことが、なんにもない!)
 日暮は心の中で逃げ出したい衝動に駆られた。もともと日暮は動物は好きだが人見知りがはげしく口下手だ。その上子どもの面倒など見たことはないのだから、扱いに困ってしょうがない。
「えっと深月ちゃん、だったかしら。学校とかはいかなくて大丈夫なの?」
「今日は春休みだから学校はないよ」
「あ、そうだったわね……じゃあその、お友達のとこ遊びに行ったりしないの?」
深月のほうはテーブルの向かい側からじっと日暮の様子を気にしている。
「しない。友達いないから」
(はう!)
 きっぱりと言い放った少女の言葉が、日暮の心臓に突き刺さる。
(い、いきなり地雷ふんじゃった)
 青白い顔に嫌な汗が噴き出した。
「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
「ちがう、友達はいるけど隣町なの。おじさんの車でここまで来たから一人じゃ遊びにいけないし、道もわからないから」
「あ、そういうこと……」
 日暮の身体が一気に脱力した。これ以上会話を続けると自分が持たない。その緊張感からすでに胃が痛くなってきている。
 日暮は自身の紅茶を一口飲み、深呼吸をしたのち、意を決して少女に白状することにした。
「ごめんなさい! アタシてっきりいつもみたいにチビちゃんを預かるのかと思ってて。その、なんの心構えも準備もしてないのよ」
「……なんとなくそんな気はしてた。きっとまたおじさんがあわてて用件だけ伝えていたんじゃないかなって。こちらこそ急に押しかけてごめんなさい」
「アナタは悪くないから謝らないで! ……それで、ご飯とかお部屋の準備は今からでも大丈夫なんだけど、アタシは仕事があるから相手してあげられないの。日中一人で家の中にいるもの退屈よね? せめてDVDかなにか借りに行きましょうか」
「……それなら私、お願いしたいことがあるの」
 少女がそっとカップを置いた。
「なに?」
 おそるおそる尋ねると、淡い色の唇がゆっくりと動いた。
「貴方の仕事場を、見学してもいい?」

 人形師・日暮麻生。
 本人にとっては身に余る名誉を受けたこの名前が、日暮の仕事での呼び名だった。人形といっても種類はさまざまであるが、その中でも日暮は球体関節人形……ビスクドールを作る職人だ。おもにヨーロッパのアンティーク風のデザインが主だが、日暮の作るビスクドールは現代風に顔や髪型、衣装などにアレンジを施されたものを手作りし、販売している。ありがたいことに好評なようで、一部からは『まるで生きているようだ』と評価を受けている。
 まるで生きているような人形を作る。その評価自体は嬉しいものだ。
だが、今目の前には本物の生きた人形、いや、人形のような少女が座椅子に腰掛けてじっとこちらを見つめている。
「ここよ」
チョコレート色のドアを開けながら、少女を部屋へ招き入れる。日暮が連れてきたのは、一軒家のはなれにある八畳ほどのワンルームだ。二階まで吹き抜けにした高い天井の壁には窓がつなげて取り付けられており、電気がなくても日中なら十分明るさが確保できる。一階には作業台とビスクドールの部品……顔や腕などのパーツが棚一面にずらりと並べられ、もう片方の壁には通常の半分ほど小さいクローゼットが二段ずつ並べられている。
残された一面の壁には、それぞれビスクドールが並べられていた。
見慣れない光景に少女が息を飲むのがわかった。
「本当にいいの? そんなに面白いものじゃないけれど」
 空調を入れながら、少女に不安げに尋ねる。
「いいの」
「そう、ならいいわ。あ、工房のお人形にはさわらないでね」
「わかってる」
 そういうと、少女は作業台の向かい側にある木製のミニソファに座った。普段日暮がドールの撮影用に使っているソファだ。普通の大人ならサイズが小さすぎるが、小学生の深月にはちょうどぴったりだった。背もたれに背中を預けている様子はまるでドールそのものに見える。
(じっと見つめられてるとやりづらいわね……)
 内心冷や汗をかきながら日暮も作業用のイス……長時間座っていられるようにクッションを引いた方のイスに座った。持ってきた長方形の箱の中にはドールの服一式とばらばらになったドールの部品が入れられている。
 今日作るものは百二十センチのビスクドールだ。といっても窯焼きや研磨の作業は終わっており、あとは組み立てとメイクを施せばほとんど完成である。
 まず初めに、日暮は人形の顔のメイクに取り掛かった。クローバー型の陶器皿にピンクやベージュの染料を入れ、少しのオイルでといたものを小柄の筆の先につける。その先をほんの一ミリもないくらいだけドールの肌につけて、少しずつ丁寧に色を重ねていく。
 日暮はこの顔のメイクを入れる作業が一番好きだった。まだグラスアイを入れていないドールの頭はのっぺらぼうのようで不気味だが、少しずつ色を重ねていくうちに少しずつ生気が宿っていくようで楽しい。今回の人形は中世ヨーロッパの本格的なものではなく、現代風のアレンジを施されたおしゃれなものなのでなおさらだ。
 少しずつ、少しずつ色を重ねていく。作業に集中しているうちに、少女に見られている緊張などどこかへ吹き飛んでしまった。
 ようやく顔の着色が終わり、染料が乾くのを待つばかりとなったころ。一息ついたころにぐう、とおなかが鳴る音が聞こえた。
 顔をあげると、少女がおなかを押さえている。掛け時計を見れば、時刻は十二時を指していた。
「あ、ごめんなさい。お昼すっかり忘れてたわね」
「大丈夫、おなかすいてない」
「おなかの鳴る音がばっちり聞こえました! 今すぐお昼作るから、おいで」
 そういってそのまま少女を連れてリビングへ戻る。
 冷蔵庫の中を見ると卵と牛乳、ハムにちょっとした野菜、冷凍庫には冷凍ごはんとミックスベジタブルが残っていた。そろそろ買いだししなければと思っていた矢先だったので、これでは心もとないかもしれない。
 いっそなにか宅配でも頼もうか、と思ったが、リビングからまたくうう、とちいさなうめき声のような腹の虫が聞こえた。
「……」
「わ、私、まだおなかすいてない」
「もう変な気は使わないで!」
 時間の猶予はないらしい。
(しょうがない、なにかありあわせで作りましょ)
「ちょっと待っててね」
 日暮はそういうと、まずは冷凍ごはんと残っていた玉ねぎを取り出した。レンジで解凍しているうちに玉ねぎをみじんぎりにし、二つの皿に分ける。次にハムを取り出して短冊切りにし、フライパンをコンロに置いた。熱したフライパンに皿一つ分の玉ねぎを入れ、色がついたころにハムを入れる。そしてちょうど解凍を終えたばかりのごはんとミックスベジタブルをフライパンの中に入れた。 
 塩コショウとケチャップで簡単に味付けし、大皿に二つ盛り付ける。次に解きほぐしたたまごをフライパンに入れる。じゅわっと音を立てるたまごに少女の目が釘つけになった。
 オムレツ状にした半熟のたまごをケチャップライスの上にのせ。さらに線でなぞるようにさらさらとケチャップをかけた。
「はい、おまたせ」
「!?」
 少女の目の前にどんと置いた。
「適当に作ったものでごめんなさい。アタシの分も作るから先に食べて」
「……い、いただきます」
少女の手が回らないスプーンをつかみ、ゆっくりとオムライスをすくう。一口口にふくむと、少女の顔つきがパッと明るくなった。
(よかった、口にあったみたいね)
安堵の息をついて自分の分のオムライスを作った。ついでに余った具材でカンタンなコンソメスープも作っておく。器に盛り、自分のオムライスと一緒にテーブルへ運ぶ。
「スープもどうぞ。熱いから気をつけて」
「!」
深月はもう半分ほど食べたオムライスの皿から、スープのカップへ手を伸ばす。何度も息で冷ましながら食べる姿は微笑ましく見えた。
「その、ほんとうにごめんなさいね。アタシだけだといつもご飯忘れちゃうの。適当なもので申し訳ないわ」
「? これでも十分おいしいよ」
「そう?」
無言で頷く深月。その表情に偽りはない。
「……ありがとう」
(オムライス・スープの自分からの感想)
「日暮さん、手先も器用だし料理もできるし、なんでもできるのね」
「そ、そんなことないわよ」
「いいお嫁さんになる」
びきっと顔が引きつる。
「深月ちゃん、もしかしてアタシのこと女だと思ってる?」
「え、違うの?」
(やっぱり勘違いしてる……!)
冷や汗がだらだらと垂れてくる。
「そ、の、確かにこんな喋り方だし、仕草もアレだけど。一応アタシ、男なの」
「……」
まっすぐな瞳が日暮に突き刺さるように感じた。
「だからその、お嫁さんにはなれないっていうか。ごめんねせっかく褒めてくれたのに」
「なんで謝るの?」
「だからその、普通とちがうっていうか」
 しどろもどろになる思考に、恥を感じる。こんな子どもにまで気を遣わせてしまう自分が恥ずかしい。
「よくわかんないけど、日暮さんはそのままがいい、と思う」
「え?」
「男でも女でも日暮さんは今のままが一番似合ってる」
「……ありがとう、深月ちゃんはいい子ね」
 そっと少女の頭をなでる。しっとりとした髪は絹のようにすべらかで、指と指の隙間をするりと滑り落ちていく。
(ほとんど顔には出ないけど、この子も笹川と同じでいい子なのね)
 しかし日暮の内心に対し、深月は顔をくもらせる。
「私、いい子はいや」
「え、どうして?」
 思わず手を離した。
「いい子にはなりたくない。ちがうのがいい」
 うつむいて首をふる。そのたびにシュシュが揺れ、柔らかな黒髪が波をたてる。
「ちがうのって何がいいの?」
「……人形」
 小鳥のように小さな唇からぽつりとこぼれる。
「私、人形になりたい」
「お人形? どうして?」
「……」
 少女は少し言いよどんだ。
「でも深月ちゃん、今でも十分お人形さんみたいにかわいいわよ」
「ううん、ちがうの。それじゃだめなの」
 うまく言えないんだけど、と続けられた言葉は少しずつ小さくなっていく。
「……そう、でもアタシもきれいなお人形さんみたいになりたかったな」
「日暮さんも?」
「そのなんていうか、昔から女の子の着る可愛い服とか小物とかが大好きなんだけど親が厳しくてね。今でも可愛いスカートとか着てみたい願望はあるけど。身長と肩幅が立派に育っちゃって。可愛いお洋服が着れるお人形さんになれたらどんなによかったか」
「ふうん」
「だから、アタシは深月ちゃんがうらやましいわ。可愛いお洋服が着れるんだもの」
「着ればいいのに」
「アタシは似合わないからいいの。さ、さめないうちに食べちゃいましょ」
「うん」
 日暮はすこし語りすぎた照れを隠すように、少し強引に話を終える。
(それにしても、人形になりたいってどういうことかしら)
 すすったスープは少しさめていた。

 その日の夜。自室に戻った日暮は濡れた髪をタオルで拭いていた。
(結局あれはなんだったのかしらね)
 ドレッサーの鏡に映った自分と向き合いながら、日暮は思考を続ける。水気をまとった花の香りがドライヤーの風にふかれて流れていく。行き場のないこの頭のもやもやも吹き飛んでしまえばいいのに。
 結局あのあと、日暮は深月に対しそれ以上尋ねることはできなかった。そのままドールづくりの続きをしに工房へ戻り、深月もまたそれに続いていった。きっと幼い少女には人形作りの工程よりも人形で遊んでいる方が退屈せずにすんだだろうに、深月はじっとミニソファに座って日暮の様子を見学していた。
(お人形遊びに興味があるっていうのとは違う。もっとこう、人形が作られる過程が気になってるみたいな)
 現にあの工房には、ビスクドールはもちろん、人形の衣装や靴、帽子といった小物も置いてある。しかし少女はそんなもの眼中にないといった様子で日暮の手の様子を眺めている。いったい何がそこまで少女の興味を引いたのだろうか。
 ドライヤーを止めると、サイドチェストに置いてあったスマホが鳴っていることに気づいた。手を伸ばして画面を見ると、ラインの着信画面に笹川の名前が表示されている。
「もしもし?」
「もしもし。今大丈夫か?」
「大丈夫だけど、急にどうしたの?」
「いや、深月の様子はどうかと思ってな」
 ノイズ交じりの声はあいかわらず低く疲れているようだった。今仕事が終わったばかりだと聞いて、疲れ切った声に合点がいく。日暮はため息をついた。
「あの子ならすごくいい子よ。アタシがチビちゃんを預かる気になってたっていったら『またおじさんが言い忘れてたんだ。ごめんなさい』って謝ってたわよ。夜なんかお皿洗いやお風呂掃除も手伝ってくれたんだからね」
「そうか……というかお前、チビを預かると思ってたのか」
「思うわよあの流れなら! いっつもあんな感じで聞いてくるから勘違いしてたの。朝問い詰めようとしたらさっさと行っちゃうし、アタシが普段どれだけ人見知りが激しいかわかってるでしょ!?」
「わ、悪かったって。でも深月大人しいしいい子だから」
「それは結果論でしょうが! 小学生に気を使われるアタシの気持ちわかる?」
「だから悪かった!」
「そういうことじゃないってのに、もう……」
 日暮は頭をかかえた。高校時代からの旧友であるが、彼は昔から無口で言葉より行動で示す人間だった。そのくせどんなにあわてていても表情や態度にでないせいで周りを混乱させたことも両手で余るほどある。
「でもそうね、深月ちゃん、やっぱり年の割に落ち着いてるっていうか、まるで本当のお人形さんみたいよね」
「お前ならそういうと思った。変な気をおこすなよ」
「起こさないわよ失礼しちゃう! でもそうね、なんていうか、変わった子ではあるわよね。お人形になりたいだなんて」
「……なに?」

「だからお人形よ。今日は一日アタシの工房でずっとドールづくりを食い入るように見てたの。てっきりお人形が好きだから見学してたのかなって思ってたんだけど」
「そうか、いや」
「どうかした?」
 ドレッサーの鏡に自分がうつる。すっぴんの今はやはり普段より男らしく見える。アイメイクはともかく、眉毛も描いてないのは心もとない。細い八の字眉の顔はいっそう気弱そうに見えた。
「大したことじゃない。なんというか……」
 そのとき、部屋にノックの音が響いた。
「あ、ごめん。あの子がお風呂から上がったみたい。一回切るわね」
「おい、日暮」
「またあとでかけなおすから」
 そういって、通話終了ボタンを押す。タオルをイスにかけた後、日暮はまっすぐドアへ向かった。
「はいはい、ごめんね。ちょっと電話してて」
 ドアを開けるとパジャマ姿の深月がドアの前に立っていた。あいかわらず無表情な髪に、チェック柄の子ども用パジャマを身に着けている。先ほどまで縛っていたシュシュはほどかれ、水気をふくんだ髪からしずくが垂れた。
「お風呂ありがとう」
「あら、髪がぬれてるじゃない。タオルの場所わからなかった?」
「ううん、でも自分じゃうまくふけなくて」
「これだけ長いとそうよね。よかったら部屋で乾かしましょうか」
「いいの?」
「ええ、さ、遠慮せずに入って」
「……お邪魔します」
 少し申し訳なさそうに入ってくる。そして、部屋の中をじっと見まわす。
「……」
「ごめんね、なんていうかその、男の人っぽくない部屋で」
「なんで? 可愛くて素敵な部屋だと思う。おっきな机が二つもある」
「それはドレッサーっていってお化粧する場所よ。ほら、お母さんが使ってるところとか見たことない?」
「……おばあちゃんのなら。でもこんなに大きくてきれいなのじゃなかった」
「そ、そう。おばあちゃんより立派なのね。さ、この椅子に座って、鏡をみててね」
 そういうと日暮は手際よくタオルで髪の水気をふき取り、乾かしていく。毛先をブラシで空気をふくませて丸みを持たせる。濡れた黒髪はあっという間に天使の輪が映し出された。
「はい終わり」
「ありがとう。やっぱり日暮さん器用だね」
「そう?」
「うん、おじさんだとタオルで拭いただけで終わっちゃうから」
「あいつ……」
 髪が乾くと、深月は改めて部屋の中を見渡した。工房がドール素焼き・組み立て場所なら、日暮の部屋はドールの衣服や小物を作る場所だ。作業に集中しすぎてそのまま机で寝落ちするより、ベッドのある自室で作業をした方がすぐに眠れるからだ。深月のいうもう一つの大きな机には今日組み立てたドール用の衣装が置かれている。
「これ、ウエディングドレス?」
「そうよ。普通のドレスと比べるとだいぶシンプルだけどね。依頼主さんからのご希望なの」
「へー、やっぱりお客さんも女の人が多いの?」
「ふふ、意外と男の方が買っていく人多いのよ。今日作ったドールの依頼主さんも男の人、貴方と同じくらいの娘さんがいるんですって」
「そうなんだ、なんか意外」
「男に女がわからないように、男だって女から見るとわからないものよ。男の人も着せ替え人形で遊ぶのが好きな人もいるし」
「ふうん」
 そういって日暮は、作りかけのウエディングドレスに手を伸ばした。白い半透明の生地に金と銀の糸で刺繍されているそれは、実際に雑誌で見たウエディングドレスの模様をまねてみたものだ。我ながらいい出来だと顔がほころんでくる。
「アタシがこのお仕事を始めたのもウエディングドレスがきっかけね。街でたまたま結婚式をやってて、花嫁さんがすごく幸せそうな顔をしてて。アタシも着たいって思ったの」
「着ればいいのに」
「言ったでしょう? アタシは男で、相手もいないし体も大きいし、でもどうしてもあきらめきれなくて。お姉ちゃんの昔遊んでたビスクドールに自分で作った服を着せてみたわ。うっかり落としてヒビ割れて怒られたけど」
「ふうん」
「でもどんどん楽しくなってきてね。そのうチビスクドールを一から自分で作り始めちゃったの。それが楽しくて今でもこんな感じ。今でもウエディングドレスは憧れだけどね。あ、アナタのおじさんには内緒にしててね?」
「どうして」
「どうしてってその、恥ずかしいから」
「なんで? 別に恥ずかしくないと思うけど」
「なんでって。もう! とにかく髪も乾いたし、早くおやすみ! 明日はどうするの?」
「今日と同じ、またお仕事見ててもいい?」
「いいけど、退屈じゃないかしら」
「いいの」
 無表情ながらかたくなな意思を感じる。顔は全く似てないが、こういうところに笹川との血のつながりが感じられた。
「……わかったわ。じゃあ八時には起きてご飯にしましょう。そのころに起こしに行くからね」
「うん、おやすみなさい」
 ドアを閉じる寸前、日暮はおそるおそる尋ねた。
「あの、本当に一人で寝れる?」
「大丈夫、慣れてるから。おやすみなさい」
 少女の返答はあっさりしたものだった。そのままドアは閉じられる。
 部屋に残った日暮は、いつものように作業机に座ろうとして、やめた。明日は二人分の朝食を作らなければならない。きっとまた徹夜をしてしまうだろうし、そんな顔のまま少女の前に立つのははばかられた。どのみち今日明日で完成させなければならないものではない。
 日暮はそのまま戸棚のほうへ歩いていき、引出しから薬を取り出す。たまに飲む軽度の睡眠薬だ。下手をすれば三徹くらい軽くしてしまうので、こうした市販薬で強制的に眠ったほうがいいと笹川に言われて飲みはじめた。
 そうして布団に入り、寝ようとする。じょじょに薬が効いてきて瞼が重くなってくる。だが、そのまま寝ようと思っても少し気になることがあって寝るに寝れない。
(慣れてるから、ね)
 日暮は完全に眠りにつく前に、長い指で愛用のスマートフォンを探した―――。


翌日、外はしずかな雨が降っていた。
朝食を終え、買い出しを済ませた日暮はいつものように工房でドール制作を続けた。今は化粧を終えたドールの顔を組み立てている。手元には二つのガラス玉。グラスアイと呼ばれる人形の目の部品だ。つるりとした目玉は紫色で、透明な世界に外の雨粒を映し出す。
「なんだかちょっと怖い」
そう話すのは、向かい側のミニソファに座る深月だ。昨日は二つに結っていた髪を片方にまとめサイドテールにしている。編み込みを加えたそれは、日暮が結ったものだ。
「そうね、これだけだと不気味に見えるかもね。でもほら、こうしてみるとどうかしら」
日暮は息をつくような笑みを浮かべながら、人形の頭にグラスアイをはめこむ。角度を調整して少女に見せた。
「あ、可愛い」
「ふふ、こうやってお人形の顔になるの」
日暮が今作っている人形は、目の穴がやや浅めにくり抜かれたものだ。本来のビスクドールならグラスアイの黒目の部分が全て見えるよう大きな丸を描くように穴が開けられるのだが、日暮の作るドールは瞼の部分を残して作られる。そうすることで伏せ目がちのアンニュイな雰囲気の表情にすることができるのだ。
さらに日暮は机の端に並べられた人形用のウィッグを一つとってかぶせる。金に近い茶色のストレートな髪は背中まで伸びており、今度はそれを顔の描かれていない模型用の人形に取り付ける。あらかじめ温めておいた人形用のコテで一房づつ丁寧に巻きつけ、あっという間に髪型が出来上がる。
「いつもなら植毛と言って人毛を直接人形に植え付けるんだけど、今回はウィッグね。これだと色々髪型を付け替えて遊べるの」
「じゃあ短い髪にもできるの?」
「もちろん。なんだったら男の子みたいにすごく短くもできるわよ」
「いいなあ、お人形は好きな髪型にできて」
「……深月ちゃんは違うの?」
 少女は髪をひと房持ち上げた。心臓の近くまで伸びる黒い髪の束は手入れがされていて、はさみをいれてしまうのは少しもったいないと思う。
「うん、短い方がいい。動きにくいし、一人じゃうまく乾かせないし」
「そうなの」
「お人形はいいね。髪の毛も目の色も好きなように変えられるんだから」
「お人形というより、お人形の持ち主さんだけどね」
 静寂に雨音がひびく。薄い雲の層から差し込む日差しは柔らかく、大雨のときよりも数段明るくて優しい雰囲気だ。
 日暮が作業をする。深月がときどきポツリと言葉をこぼす。それを拾って言葉を返し、とまればまたこぼれるまで無言が続く。不思議と無言もつらくはなかった。日暮にとっては慣れた孤独な作業も、一人増えただけでいつもより楽しく感じる。あれほど苦手だと思っていた不慣れな人と話すことが苦痛ではない。
(これもまた、この子のお人形さんっぽいところのおかげかしら)
 パーツをつなぎあわせ、人形を作っていく。無機質な部品が関節をつなげていくうちに少しずつ人の形をとり、生命を、魂を帯びていく。最後に胴体と首をつなぎあわせ、人の形をとった。
「よし、ひとまずこれで完成ね。ほら見て、深月ちゃ……」
 一息ついて組み立てた人形を見せようと少女に声をかけようとする。しかし視線の先の少女は小さな寝息をたてていた。
「道理でしずかだと思ったら、眠ってたのね」
 日暮は人形を作業机の上に横たえ、深月の座るソファへ足をむける。棚に置いていたひざ掛けをそっと少女にかける。
「……さすがに眠ってるときは表情が和らぐのね」
 ソファの足元にしゃがみ、眠る深月の顔をのぞきこんだ。普段は整っているがいまいち何を考えているのかわからない顔立ちだが、今日暮の目の前にある顔はよりふつうの子どもに近い。ひじ置きのほうに身体を傾け、かすかに空いた桜色の唇から吐息が漏れていた。両腕は膝の上に無造作にクロスし、床につかない両足は時折所在なさげに揺れる。
 日暮はそっと、深月の白い頬に触れた。丸みをおびた頬は少しひんやりしている。それが普段触れる人形の石膏粘土の感触と似ていて、深月はやはり人形なのではないかと錯覚してしまう。
(本当に、可愛いお人形みたいね。うらやましい)
 そう一人、薄ぐらい工房の中でため息をつく。深月より数倍も広い手のひらで桜色の唇に触れた。柔らかな生の中にある熱が、より日暮の羨望をかきたてる。
 彼女の顔を観察していると、ふと、ある一部分が目に止まった。それは本来少女の年ごろには見られにくいもの。
「これ、どうしたのかしら」
 色が変わった部分をそっとなぞる。昨日見たときにはなかったはずだ。いったいなぜこんなものが彼女の顔に?
「――――――」
 その疑問が一つの仮説とつながったとき、日暮の中で一気に氷解した。日暮の目が一瞬細くなる。寝息を立てる少女の顔を一巡した後、その肩をすこしゆすった。
「深月ちゃん、深月ちゃん」
「んん」
「ふふ、ずいぶん気持ちよく寝てたのね」
「ごめんなさい、うとうとしてた」
「いいのよ。それより、ねえ深月ちゃん。たしかアナタ、お人形になりたいって言ってたわよね?」
「うん? ……うん」
 焦点の合わない瞳が日暮の顔をのぞきこむ。まだ眠いのか、小柄な体が右へ左へ小刻みに揺れていた。
「じゃあ、もしアタシがアナタを人形にしてあげるって言ったらどうする?」
「……どういうこと?」
 瞬いた瞳が大きく開いた。
「これは内緒なんだけど……実はアタシ、人間からビスクドールを作る方法を知ってるの。昔ドールの師匠に教えてもらった方法で、今までいくつもの女の子をお人形にしてあげたわ。ただし、一度人形になった子はもう人間には戻れないの」
「……」
「それでもいいなら、アナタを人形にしてあげる―――さあ、どうする?」
 深月は無言で日暮の言葉を聞いた。
 外の雨足は次第に強くなり、かすかな日差しは暑い雲の向こうへと隠れてしまう。
 今まで過ごしてきた中で一番重く、長い沈黙だった。その静かな空間を少女の桜色の唇が切れ目を入れる。
「……アタシを人形にして」
 想像通りの言葉に、日暮は息をついて了承した。

 少女に差し出したのは、普段から使っているガラスのコップだ。
 六角形にカットされたグラスに透明な液体が七分ほどまで注がれている。工房につけられた白熱球の橙色のライトがそのふちをてらてらと輝かせる。
「方法は簡単よ、この魔法のお水を飲むだけ。そうすれば次に目覚めたとき、深月ちゃんはお人形さんになっているわ」
「こんなに簡単なの? 今まで見たお人形は窯で焼いたり組み立てたりしてたのに」
「だって人間は最初から身体がくっついてるもの。一から作るより簡単なの」
「そういうものなんだ」
 少女はそっとグラスを手に取る。どこまで見ても中の液体は透明で、ただの水のように見える。
一口飲んだ、少し顔をしかめた。そのまま一気に飲み込む。
「……変わらないよ」
「これから効いてくるよ、ほら」
日暮が少女のまぶたを隠す。反射的に目をつむった深月はそのまま意識を手放し、テーブルの上に頭をおとした。
「……良い夢を。おやすみなさい」
日暮は支えた頭をしずかにテーブルに横たえ、息を吐いた。

 薬を飲んだ笹川深月はぐるぐるとまわっていた。上も下もわからない、まるで大きなうずの中に入ったような感覚だ。きっと夢を見ているのだろう。小柄な体はなすすべもなく、渦の中を漂っている。
 ふいに声が聞こえた。壁越しに聞こえるようなかすかな声が彼女の意識を呼び覚ます。声はうずから聞こえ、目の前に広がる黄金色の霧へ向けて運んでいく。
 それは随分昔に、いやむしろ、一番新しい光景だった。
 白と黒の横断幕がかけられた部屋だった。真ん中には長方形のテーブルが置かれ、同じく長方形の大きな箱が置かれていた。その箱の周りをたくさんの白い筋が取り囲み、箱の中に何かを詰めている。
 その筋の一つが深月の手を握っていた。深月の叔父だ。真っ黒なスーツに身を包んだ彼は、ふだんの疲れたというより何かを失ったような顔をしている。
 前の筋が道を開け、深月の番がやってきた。叔父の手にひかれ、真っ黒なワンピースを着た深月が前へ進む。のぞきこんだ箱の中には、たくさんの白百合と、とても美しい人が眠っていた。彼女は眠っていても美しいのだと思った。
 深月は反対の手に持っていた花を入れる。一本の瑞々しい白百合は気づけば箱の中で茶髪のビスクドールになっていた。それは深月のお気に入りの人形で、彼女が眠る前に『一緒の箱に入れてほしい』と言っていたものだ。深月が箱から離れると、ふたが閉じられ、箱は大きな炎に包まれた。白い筋たちがじっとそれを見つめている。深月も、叔父も、何も言わずに見つめている。
 やがて美しい人は、ビスクドールの部品になった。白い肌を映したような細長い腕や頭、足の部品を白い筋たちが一つ一つ拾いあげ、姿を消す。いつしか叔父の姿も消え、深月は暗闇で一人になった。
 きっと彼女はどこかで一つに組み立てられ、それはそれは美しいビスクドールになったのだろう。もしかしたらすでにどこかの家族に買われて、女の子のベッドで眠ってるのかもしれない。
(なら、私もお人形になる)
 流れ続ける意識が、深月をひとつの思考へ導く。
(お人形になって、またみんなで一緒に)
 その時、黄金色の霧から筋がさしこまれた。深月の腕を引きあげる。それは力強い叔父の腕とは違う、繊細で、やさしくて、世界を彩る腕だった。
「―――おはよう、気分はどうかしら?」
聞こえた声色は顔のすぐ近くで聞こえた。少し目じりが下がった中性的な顔立ちが目の前いっぱいに広がる。深月はその人の名を呼んだ。だが、声にはならなかった。そのうえ腕も、足も、指の一本も動かせない。
「さあ、見て。これが生まれ変わったあなたよ」
 どうやら深月は殿堂ベッドのようなものの上に寝かされているらしい。背中のほうで何かが動く音が聞こえ、自身の身体がゆっくりと起こされる。一瞬目の前に差し込んだ光に目がくらんだ。それが終わると、ぼんやりとした視界から少女の身体が写りこむ。
 深月より少し大きめの鏡に映しだされたのは、ビスクドールとして生まれ変わった深月の姿だった。すっぽりと箱に収まった石膏粘土製の身体を白いドレスが覆い、さらにその周りを白い花で埋められている。その中でひときわ目を奪ったのは黒檀色の長髪だ。胸元まで伸びた髪は木の根のように首まわりを這う。けだるげに開かれた瞼の向こうには、見慣れた琥珀色のグラスアイがはめられている。つんとした唇はオレンジよりの肌色に塗られ、頬はほんのり熱をおびている。むき出しになった首と手首には球体関節の継ぎ目が見えた。
 間違いない。日暮麻生は、たしかに人間をビスクドールにする魔法を持っていた。
「気に入ってもらえたかしら」
 じっと鏡をみつめる深月に、日暮が声をかけてくる。昨日までの気弱な雰囲気はなく、底の知れない笑みを浮かべていた。大変満足だという意味で目線だけ彼の方へ動かすと、日暮は満足そうに笑った。
「そう、それはよかったわ」
 よかった。その言葉はまさしく、深月のためにあったような言葉だ。どれほど人形になるときを待ちわびたことだろう。これでようやく、彼女に会いに行ける。
 だが、内心喜びの声を上げる前に日暮は残酷な言葉を落とし込む。
「でもね、残念だけれどお母さんのところにはいけないわよ」
 ないはずの心臓が止まったような気がした。まるで心が読まれているようだった。どうにか頭を動かして彼を顔をみると、彼はやはり、笑っていた。
「笹川に聞いてみたのよ、アナタがお人形さんになりたい理由。それは笹川のお姉さん……深月ちゃんのお母さんに会いに行きたいからだって。でも、それはできないのよ? だってアナタのお母さんはお人形さんになってないもの」
 ニコリと笑うその顔がぼやける。手も足も声もだせないのにグラスアイに雨粒がたまった。
 そんな、それじゃあ、人形になった意味なんて。
「人間に戻りたい? それは無理よ、だって言ったでしょう。一度人形になったら人間には戻れない。深月ちゃんのお人形はどうしましょうね。どこか知らない人のところに売り飛ばされる? それともずっとアタシのコレクションとしてこの家に閉じ込められるのかしら。どのみちもう家族やお友達とは一生のお別れだけれどね」
 残酷な言葉はビスクドールの胸元に深々と突き刺さった。そんなのは嫌だ、こんな自分で動けない人形の身体はいやだ。
「なあに、やっぱりずっとお人形さんはいや?」
 何度も首を動かして肯定する。そのたびに琥珀色のグラスアイから雨粒がこぼれた。動かない腕を、足を、何度も何度も力をこめる。
無言の言葉を聞いた日暮の口元からすっと笑みが消える。そうして、その細く長い手のひらを、少女のビスクドールへ向けて差し出される。
「なら自分から手をのばしなさい。自分の足で動いて、立ち上がるの」
 ぞっと鳥肌が立つような声色にうながされる。目の前の日暮は昨日オムライスを作ってくれた青年と全く同じ顔であるのに、まるで別人のようだ。
「さあ」
 深月は動かない身体を突き動かした―――。

 
 人形師・日暮麻生は、ようやく安堵の息をはく。
 目の前には泣き顔のままあっけにとられた表情を浮かべたお人形がいた。日暮はつかまれた少女の手を握りかえす。その手首は無機物の球体関節ではなく――――――血の通った人間の肌があった。
「おかえりなさい、深月ちゃん」
 日暮は長い眠りから覚めた少女に対し、満面の笑みを向けた。
「なんで、私、お人形になったのに」
 困惑した少女はあたりを見回す。少女が立っているのは工房の作業台の上。数時間前に彼女が人形になる薬を飲んだ机の上だ。少女の背後には白い造花の敷き詰められた梱包用の特注木箱が壁に立てかけてある。
 少女はしばらく困惑したあと、再び鏡に向かって叫んだ。
「ほら見て、人形の私が鏡にうつってるよ!」
「それは鏡じゃないわ、よく見てて」
 日暮は鏡の中に手をのばし、箱に入った人形の髪を引っ張った。そして別の髪、正しく言えば、数時間前に丁寧にセットされた茶色の巻き毛のウィッグをのせた。
「あ、今日作ってたお人形!」
「目と髪だけ変えて、深月ちゃんに似せてみたの。さすがにドレスは一着しかなかったから花で少しごまかしてみてね」
「じゃああの薬は? お人形さんになるっていう」
「あれは水に、アタシがたまに飲んでる軽い睡眠薬をね。ついつい二・三日くらい寝るのを忘れて作業しちゃうから、笹川に勧められたの。本当に軽い薬なんだけど、さすがに子どもだと効きすぎちゃうみたいね」
「なんだあ……」
 深月は力なく机の上に座り込んだ。日暮は机にひじを置いて目線を合わせるように顔を近づけた。
「だましちゃってごめんなさい。でも笹川に聞いたのよ、アナタがお人形さんになりたがる理由」
「おじさん、知ってたの?」
「正しくは理由の心当たりね。深月ちゃんのお父さんとお母さん、ちょっとした役者だったんですってね。観劇やイベントで日本中をまわりながらいろんな人を笑顔にしていたって。深月ちゃんがまだ赤ちゃんの頃の話よ。その頃にお父さんが亡くなったって聞いた。舞台から落ちて頭を打ったってね。そのまますぐ病院に行けば助かったかもしれないのに、舞台に戻って演技を続けて、最後のカーテンコールで力つきたって。すごい役者魂ね」
「お父さんのことはよく知らない」
「そうね、それからお母さんは役者をやめて、深月ちゃんと一緒に実家に戻った。そしたら今度はお母さんが病気になって亡くなった。もう治らない病気だと知ったお母さんは、最後まで病気のことをみんなに隠していたんですって。最後までみんなが笑顔でいられるように」
 少女は無言で聞いていた。もしかしたらまだ死というものを理解できていないのかもしれない。橙色に染まり始めた窓の景色が少女の顔に影を落とす。
「あの夫婦の場合は病気や死が小道具になっていたのね。ちょっとしたハプニングも悟らせず、お客さんを最後まで喜ばせる名役者だわ。けれどお母さんの方は、最後の最後で寂しさをだしたの。わかるわよね? お母さんとの約束」
「……うん」
 深月は少し顔を上げて、向かい側のビスクドールを見た。造花の白百合と真っ白なドレスに包まれ、箱の中で目を伏せる姿は、まるで棺桶に入っているようにも見える。
「笹川に聞いたのよ。お母さんの葬式の日、ずっと大事にしていたお人形をお母さんの棺桶にいれたんでしょ?」
「お母さんとの約束だったから。もし私が目を覚まさなくなったら、深月のかわりにお人形を入れてって」
「そう、深月ちゃんの代わりに。いくら隠すのが上手でも、きっと一人で天国に行くのはさびしかったのよ」
「本当はお人形じゃなくて、私がお母さんと一緒に行きたかった」
 かすれた声に嗚咽が混じる。
「それはダメね。そんなことしたらおじいちゃんやおばあちゃん、貴方のおじさんだって悲しむわ」
「でもお母さんと離れたくなかった。お母さんと一緒に天国のお父さんに会いに行きたかった」
「そうね」
「わた、私がお人形になれたら、お母さんと一緒にいけると思ったのに」
日暮が手を広げると、うつむいたまま深月が首筋にすがりつく。
「本当にそうね」
 そのあとは声にならなかった。関を切った嗚咽が左耳にひびく。肩にかけたストールがぬるい水を含んでいく。
 日暮はふるえる少女の背をなでながら、窓からのぞく夕焼けを眺めた。ぎらぎらと差し込む夕日が薄暗い工房を照らしていく。燃え尽きるろうそくの最期、わずかに掻き消える寸前に燃え上がる炎のようなその輝きはやがて夜を呼ぶのだろう。
(本当は、よその家庭のことにつっこみたくなかったのよね)
 少女の頭にもう片方の手をのばしながらため息をつく。きっと自分が余計なちょっかいを出さなければこうして少女を怖がらせることも、泣かせることもなかった。それこそこうして泣く彼女の背をなでるのは、家族である笹川や祖父母の役割であっただろうに。
(それでもやっぱりあんなクマを作った顔を見ちゃったら、ねえ? とつぜん他人の家に預けられた夜に、こんな小さい子が一人で寝られるわけないでしょうに)
 どうして気づけなかったのかしら。後悔のため息を飲み込む。
 せめて今夜はよく眠れるよう、部屋にもう一組布団をしかなければ。


 三日目の朝は雲一つない快晴だった。
 革靴に水たまりの泥をはねた笹川が、手土産持参で申し訳なさそうに日暮の家にやってきた。
「いろいろと世話になったようですまない」
「ほんとにね。今度からはちゃんと主語を飛ばさす言ってちょうだい」
「そうだよおじさん、私だけならいいけど日暮さんにも迷惑かけちゃだめ」
「深月、本当にお前は俺と違って立派な子だよ」
 そんな会話を繰り広げ、いよいよ帰る時がやってきた。
「日暮さん、お世話になりました」
「こちらこそ気が回らなくてごめんなさいね」
「そんなことない。あ、そうだ」
「お人形さんも、バイバイ」
 少しだけリビングに顔を覗かせ、深月は小さく手を振った。壁に立てかけてあるのは、昨日もう一人の深月を演じた例のビスクドールだ。茶色の巻き髪をまとめ、白いドレスにベールをつけた彼女はまさしく幸せの花嫁だった。深月の見送りにと、梱包前に特別にリビングへ移動させたのだ。
「またよければ遊びにおいで? 前日までに来るっていえば、いろいろと用意しておくわ」
「うん、ありがとう日暮さん」
「深月、ずいぶんとこの人見知りを手なずけたな。いったい何があったんだ?」
「秘密よ」
「そうそう、女の子同士の秘密」
「……誰が女だって?」
 怪訝な顔をする笹川にそっと耳打ちをする。
「深月ちゃん、お父さんとお母さんのことはもう大丈夫だと思う。あとは家族でフォローしてあげて?」
「何から何まで悪かったな。本当はうちの家でするべきことだったのに」
「気にしないで。アタシが余計なおせっかい焼いただけだから」
「おじさん、靴はいたよ」
「ああ、じゃあ行こうか」
 笹川がドアを開け、深月を先に外へ出す。そうして日暮に一言礼をいって扉を閉めた。
(……いってしまった)
 日暮はストールを肩にかけ直し、深いため息をついた。今までで一番長くて短い三日間だったと思う。ほとんどは仕事をしていただけだったが、それでも話し相手がいるだけでずいぶんと違う。おかげで普段はなにも感じない家の中が、ひどく静まりかえったような雰囲気だった。
 とにかく、仕事をしよう。そう思った日暮は玄関にカギをかけようとしたとき、ふいに扉が開いた。
「日暮さん」
「深月ちゃん! どうしたの、忘れ物でもした?」
 現れたのは、先ほど家を出ていったばかりの深月だった。走ってきたのか、少し息が乱れている。
「日暮さん、三日間本当にお世話になりました。その、いろいろ」
「私は別になにもしてないもの。お話は笹川からの又聞きだし」
「それでも、日暮さんの言葉のおかげでちょっと楽になれた。それにお人形さんになる夢がかなった」
「ならよかったわ」
「だから今度は、日暮さんの夢をかなえてあげる」
 そういって少女は日暮の左ほほに顔を近づけた。柔らかい何かが当たる感触。
「え?」
「日暮さん、結婚しよう」
(……えええ!?)
 とつぜんのキスと告白に頭が回らなくなる。
「な、なんで結婚って」
「日暮さん、いつも自分は男だから可愛い恰好は似合わないって言ってるけど、そんなことないから。日暮さんは自分が思ってるよりずっときれいだし優しいし、だから幸せになってほしいの」
「うええ……」
「かならず日暮さんに似合うウエディングドレスを着せてあげる。だから、ね?」
(か、かっこいい……!)
 小学生の、しかも美少女。そんな子がオネエで気弱で頼りない自分にイケメンオーラ全開で求婚してきて、日暮は顔を赤くさせながら無意識のうちに首を縦に振っていた。
「やった! じゃあ約束だよ、ゆーびきーりげんまん……」
 されるがまま小指をさしだし、指切りをする。自分よりすべらかでぬくもりを持った指が自分と固く結ばれている。
「これで約束。じゃあまた遊びにくるからね、約束破っちゃだめだからね!」
 そういって、深月は今度こそ扉を閉めて出ていった。
 しばらく固まっていた日暮はそのまま廊下にすわりこむ。肩にかけていたショールがずるりと落ちた。
「最近の子はなんてこう大胆というか……って、無意識のうちに結婚する約束しちゃったけど、相手小学生じゃない! アタシロリコンだったの? オネエのロリコンだったの!? ああ、笹川になんて言ったらいいのかしら」
 必死に自身を否定しながら何度も首を振る日暮だったが、赤く染まった顔は弁解の余地もない。
 そんな日暮の一部を見ていた花嫁のビスクドールは祝福するように笑みを浮かべているようだった。





《 ビスクドールの情動 了 》





【 あとがき 】
おつかれさまです、白乙です。
今回も参加させていただきありがとうございました。

私のお題文が全て女性口調のセリフだったので、「よし、じゃあオネエキャラにしよう!」となって書き始めたのがこのお話でした(素直に女性キャラにしないあたり、自分の性格がでているようです(笑))
今回急な引っ越しにより時間が取れず、見直しがあまりできなかったので普段より少し読みにくい作品になっているかもしれません。ですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

最後に、今回もぎりぎりの投稿になってしまい申し訳ありませんでした。
読んでいただき、ありがとうございました。


白乙
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