Mistery Circle

2017-08

《 戯言とめくらまし 》 - 2012.07.21 Sat


 著者:辻マリ







旅芸人の一座が面白おかしく戯曲を披露する
座頭は一組の夫婦らしい
戯曲はこの辺でよく聞く御伽噺ではなく、切ったはったの戦記ものの一幕だった
話の中で、将軍が死に、王が死に、王子が挙兵し、姫君が病に倒れる
何処にでもありそうな英雄譚だ
その気になれば誰でも書ける筋書きだろう
俺だって名前を変えればすぐ同じような話が書ける
もう少し子どもならこれも楽しめたかもしれないなとため息をついた俺に、隣でそれを見ていた仲間の女がふっと笑っていった
簡単に人が死んでしまう
まるで、道具が壊れるみたいに死ぬのね、と
たぶんそうなんじゃないかと俺は答えた
きっと、あの夫婦にとって病気や死は戯曲を飾る小道具程度の扱いなんだろう
そうでもなければあんなに簡単に人を殺せるものか
そう言うと、仲間の女は赤ん坊をあやすように笑った






俺が生まれた場所は馬が引く荷台に詰まれた藁の上だった
母親だった女はそのまま死んだらしい
父親は誰か分からない。女は娼館で身を売って稼ぐ、いわゆる娼婦だったから
どうして女が娼館から出て行って外で俺を生んだのかは知らない
誰も教えてくれなかったし、教えてもらおうと思った事もなかったから
ただ、どうして俺をそのまま藁くずの上で見殺しにしなかったのだろう、と不思議に思う事はあった
何度か俺の後に生まれた子供を見た事がある
女なら、そのまま娼館で育てられた
男だったり、人の形をしていなかったりしたら、放り出されて野良犬や烏の餌になった
獣は教えられなくても何処が美味いか分かるから、放り出された赤ん坊の内臓から先に食う
大体は全身柔らかいから、大きな骨を残して綺麗に食べられてしまうのだけれども、それでもたまにいくつかの肉片が残ってしまう事があった
残ってしまった肉のかけらは、後で集めて豚に食わせるのだ
それを集めるのが俺の仕事だった
肉のかけらになってしまった、もしかしたら半分は兄弟だったかもしれない物を集めて、豚に食わせながら俺はいつも考えていた
どうして俺はこうならなかったのだろうか
それについても、誰かに聞いてはいけないような気がしたし、別に聞く必要は無いように思えたから、誰にも聞かなかったし、聞けなかった
そうこうしている内に、俺は肉のかけらを集める役目を、また下に生まれた、今度は女の子供に譲って、大人に混じっての力仕事と、簡単な剣と棒の使い方を覚えさせられるようになった
それはとても単純なように思えたけれど意外にコツが要る
力だけでは駄目だし素早いだけでも駄目だった
だから俺は力も素早さもどちらも鍛える事にした
強くなくては困るんだよ、お前は此処の用心棒になるんだからね、と言ったのは、確か娼館の元締めだっただろうか
俺は読み書きよりも先に、武器の扱いを覚える事になった
8歳のときだった





国家、国土が成長するに従い、大きな問題となってくるのが産業と治安維持に関わる事柄である
国土を広げている最中であれば、ただひたすらに戦争を外へ向かって仕掛け勝ち続けていればそれでいいのかもしれない
だがいつかは、拡大ではなく維持に眼を向けなければならないときが必ず来る
武力や宗教といった、国家の中核をなす思想の種別に区別なく、それは必ず訪れるのだ
国土を維持すること
すなわち国境の防衛であり、そのための兵力増強や戦略、外交の考案である
国力を維持すること
それすなわち国民を上から守るための手段の選択であり、産業と資源の確保であり、そのためにはなるべく肥沃な国土を選ばなければならない
幸いこの国は元来、土地自体は肥沃な場所にあり、農作業の発展と共にそれを継承するための文化もまた発展してきた
農業に携わる生産階級と政治に携わる上流階級との間にいくつかの確執は抱えていたが、数年のうちに見るも無残に崩壊するほどの溝ではなく、それなりの恩賞も上から下へと与えていく政策をとっている
その恩賞の1つに、城下周辺に広がる歓楽街の存在があった
春をひさぐ者達が営む店が立ち並ぶ、いわゆる花街が界隈には数多く存在し、近年その周辺では娼婦の失踪や死亡、嬰児の遺棄、放棄の通報が目立つようになってきている
昔から無かったわけではないのになとは、花街の事情をよく知る人間の弁だ
人が快楽を得るための場所なのだから、何かしら処理しなければ子供であふれてしまうだろうに何故か花街の子供の数は増えない
幼い子どもは疫病の類に弱い、という事情もあるにしても、一向に増えないのだ
少し考えれば「何故増えないか」くらいはわかってくるものだろう
なのに野暮な連中がご自慢の正義感を振りかざして通報なんぞしやがるから事件になってしまうのだ
物の道理を考えて目こぼしするぐらい出来ない物かねとため息をついた訳知り顔の老人の隣で、でもよ爺さん、とルベウスはしまりの無い顔で欠伸をかみ殺しながら言う
「一応文明国家うたってんだから、要らない赤ん坊を犬に食わせてるような界隈が有るのは流石にやばいんじゃねえの?」
だから通報を受けて自分たちがそちらに出向かなければならなくなったのだと面倒くさそうに彼はこぼしている
「確かに、恥ずべき事だがの」
このしまりの無い顔の、眠そうな大男と急遽任務として組まされる事になった老人は、それはまあもっともな事だが、と首をかしげた
一応文明国を謳っている
男の言葉は老人にとって些か耳が痛かった
文明国家といっても、宗教が科学を未だ凌駕する程度の権勢を誇っているこの国で、医療や学問が発達するにはまだ時間がかかるのではないか
「無駄に赤ん坊増やすなって言うなら、赤ん坊を増やさない方法なりなんなり教えてくれって思うんだけどな?知らないから無闇に増えていくんだろうに」
俺達よりまず医者や学者や看護婦を派遣するべきだろうとこぼしている男に、老人はやや耳の痛い思いをしながらも、
「もっともな話だが、今回は議論するよりも取り締まるほうが早いと上が言った。だからわしらが出向くことになった。それが事実だ。つべこべ言ってないで碌が欲しけりゃ働け若造」
ため息混じりに言い聞かせると、男はなおもめんどくさそうな態度で、それでも仕方ない仕事だと呟くと、目の前にあった娼館の扉を叩いた
この手の商売をする人間は、公的な立場の人間が客として以外に表玄関から来られる事をひどく嫌がるものだから、何か言われる前に彼らは裏口の扉を叩いている
そして、叩いた扉は少しの間沈黙してから、ゆっくり顔を半分覗かせる程度に開く
「…まだ昼前だよ」
扉の中から聞こえてきたのは若い男の声だった
下男か、それとも住み込みの用心棒か何かだろうか、低い声には警戒の色がにじんでいる
「王立警備隊だ。先日この辺りで赤ん坊が死んでいるのが発見された件で、事情を聞かせてもらっている。何か知らないかね?」
形式的な書面を扉の向こうで覗いているのだろう相手に見せながら老人が言うと、先ほどの声があくびをかみ殺しながらなにやらぶつぶつと言い始めた
扉の向こうには男以外にも誰かいるようで、二人以上の人間が話す気配がする
「…だってさ」
「ええ…あれって……でしょ?」
「犬が…」
「残したら豚に…」
「…って言えば言い?…」
「ああ、待って…」
内緒話にしては大きな声だがはっきりと報告するには小さすぎる、絶妙の音量だった
明らかに面倒くさそうな、それでもって知っている事をどうごまかして話し聞かせようか集まって考えている様子に、扉の前の警備隊員二人は内心唖然としている
通報の内容は、この娼館では嬰児殺しが行われているというものだった
娼館なんだから実際いらない赤ん坊は殺されているんだろうとは思っていたが、まさか此処まで堂々としているとは
「じゃあ、俺が言うよ」
いっそのこと踏み込んでやろうかと老若の警備隊員二人が顔を見合わせた時、扉が大きく開いて、中から最初に対応した声の持ち主であろう男が現れた
「お待たせしました。此処で話しても大丈夫?」
すらりとした手足の若者である
混血なのか移民なのか、この辺ではあまり見かけない褐色の肌に砂色の髪と瞳で、顔立ちは用心棒というには迫力がいささか足りない
簡素な胴着に下穿き、サンダルだけの姿に、二人はこの若者がどういう経歴の持ち主なのだろうか俄かに気になった
「あんたは?」
ルベウスからの問いかけに、若者は軽く首をかしげて言葉を返す
「俺?此処の用心棒」
「用心棒が聞き込みに出ていいのか?店の主人は?」
「だから、まだ昼前だって言ってるでしょ?女将が寝てるから俺が出てきたの、わかる?お兄さん」
少しばかり挑発するような言い回しに、警備隊員二人はわずかに苛立つ
花街の人間風情に軽くあしらわれそうになっている気配を感じ取ったのである
そもそも目の前の若者の言葉は信用ならなかった
先ほど扉の向こう側から聞こえていた会話も胡散臭いが、何より用心棒と言うには細身の身体と、迫力の無い、若い女が好みそうな顔立ちも説得力を欠いている
どうせ適当な理由をつけて追い返すよう、その今は寝ているらしい女将とやらに言われたに違いない、と心の中で決め付けると、ルベウスは隣の老警備隊員を半ば押しのけるようにして若者に話しかけた
「赤ん坊の死体は見なかったか?」
若者は光の当たり加減で少しずつ印象の変わる瞳を丸くして、見ていないと返してくる
「本当だろうな?」
「本当だって。第一俺男だよ?男は亭主以外産婆の近くには寄らせてもらえない決まりだって事ぐらい、お兄さんも知ってるでしょ?」
「そのお兄さんって言うのはやめろ」
なんだか馬鹿にされているような気がしたので一言付け加えると、若者はにぃ、と笑って、もういいかい?と尋ねてきた
勿論これだけで聞き込みが終わるわけではない。見てないか、いいえ見ていませんだけで話が終わるならわざわざ警備隊まで出てくるような話にはならない
「此処では、娼婦が孕んだ時はどうしてる?」
「お抱えの医者に流す薬をもらうようにしてるよ。産み月まで放っておくと色々面倒だろ」
「取引の帳面は有るか?」
「有ると思うけど、俺は見た事無いよ」
恐らくこれは嘘だろう
子を流すための薬は出回る割に其処まで安価なものではない
貴族階級でもそれなりの出費になるものだと言う話はルベウスの耳にも入ってきている
そんな代物が場末の娼婦にまで回るものだろうか
お抱えの医者が持っているにしても、医者は慈善事業ではないのだからよほどの物好きでもない限りは金も無い連中にそんな薬を飲ませたりはしない筈だと二人の警備隊員は顔を見合わせた
取引の帳面は有る、と目の前の若者が言った
ならばそれを誰かに交代して見せてもらうわけには行かないのか
詰め寄ると、自称用心棒は流石にめんどくさそうな顔になって、ひらひらと男たちの前で掌を振る
「だから、知らないって。有るとは思うけど、俺はそれを見た事無いの」
同じ言葉を繰り返した若者に、ルベウスはなおも言い寄ろうとしたが、隣の老人に肩をつかまれた
「この辺にしておこう、まだまだ他の店も当たらんとならん」
刻まれた皺の数の分読みにくい表情が、なんとなくだが「あきらめろ」と言っているような気がする
「…わかったよ。時間は掛けてられん」
これで失礼すると会釈すると、若者はまだ口の端を吊り上げる笑いを浮かべ
「今度は夜に客として来てよ。おすすめの娘紹介するからさ」
と言ってのける
「あいにく其処まで不自由してないんでな」
言い返してから踵を返すと、二人の背中で軽い音を立てて扉が閉まる音がした







情報を集めようとは思ったがその日1日はたいした収穫もなく終わった
他の店にも界隈を診てまわっている医者にも話は一通り聞いてみたが、大体ははぐらかすか、警備隊の裏口からの来訪にいい顔をせず口を閉ざしたものばかりだったのが大きい
一応、事件があったときの聞き込みも仕事のうちのはずなのだが、今日一日を無駄にしてしまったような気がして、二人の警備隊員は大きなため息をついていた
徒労、と言うのはこういうことか
こんなことならまだ市場で林檎をくすねていく浮浪児を取り締まっていたほうがましだった気がする
「明日もまた聞き込み続けるかい、爺さん?」
「いや、隊長に適当に言っとくさ。どうせ明日行った所でまともな話が聞けるわけでもないだろう」
「同感だ」
ああいう場所の連中は、一度口を閉ざすと決めたらそうそう口を開いてはくれない
金や、脅しで口を無理やり割らせる方法が無いわけでもないが、その場しのぎで色々突き詰めたところで将来良い反動が来るとは到底思えないし、そんな手段を使えるほど情報も持っていなければ財布が潤っているわけでもなかった
今日聞いた分で適当に報告書を作って、おそらく彼らの直属の上官である警備隊の隊長もそうして上に報告して、そして「一応調査はやりました」の体裁だけ整えてしまえばいいのだろう
暗黙の了解をぶち破りに来るはた迷惑な善意への対処法はこれで正解だ
それにしても、とルベウスは花街の空気を思い出してため息をつく
同じ街の中にあるはずなのに、あの独特の空気はどうしても彼にとって受け入れがたいものだった
どこと無く酒と白粉と香水の下卑た匂いが染み付いているような、異様な空気
朝に眠り夜に目覚めるあの街の空気を吸うだけで、心に酒精が染み込んで来るような感覚が彼は苦手だった
酒や女や賭け事全般、いわゆる娯楽に興味が無いわけではないが、頭の天辺から足のつま先までそれに浸かるつもりは無い
あくまで日常と娯楽の線は引きたかった
不意に頭の中に今度は客として来いと笑っていたあの若者の顔が現れる
用心棒という割りに手足の筋肉は細くやわらかそうで、顔や肌に傷跡らしきものはそう見当たらなかった
着飾れば女が放って置かないだろう優男だったけれども、あれももしかすると用心棒というのは当たり障り無く自己紹介するためだけの肩書きで、夜は客を取っていたりするのだろうか
さほど上等な生地ではなかった若者の胴衣の下まで思わず想像してしまいそうになって、いやいや違うだろうと彼は首を振った
そもそも男に興味のある性癖では無い
きっと、あの花街の空気に当てられてしまって、一時的に意識してしまっているだけだ
明日になれば妙な想像もあの若者の顔も全部頭の普段は使わない記憶の片隅に向けて消え去ってしまうに違いない
そう心の中で結論付けて、彼は老人が書いておくという報告書のことも、一日を無駄にした聞き込みのことも、綺麗さっぱり忘れてしまう努力をすることに決めた






再会は思っていたよりも早かった
人間というものは毎日働きづめというわけには行かないもので、宗教上なり法律的な理由なりで、何処の国にも休養日というものが存在している
ルベウスは職業上、暦どおりの休養日を甘受出来る立場ではなかったが、順番にとるように決められている休日を利用して、市場に食料の買出しに赴いていた
独り身というものはこう言う時面倒なもので、もう少し位が高い人間であれば買い物にも使用人を使えたりするのだけれども、残念なことに彼はさほど身分が高いわけではなかったので使用人を雇うほどの余裕は無く、食糧を買い込んでおいてくれるような好い仲の女が居るわけでもなかった
乾し肉がつるされている屋台を覗いて、店の主人とあれこれやり取りをしていると、視界の端に何処かで見たような褐色が通りかかる
反射的に振り返ると、その辺で買ったのだろう赤い果実を齧りながら歩くあの若者が居た
「あ」
思わず声を上げる
買出しだろうか、新鮮な食材をつめた籠を抱えている若者は、こちらに気付いたようで口の中の果実を咀嚼しながら会釈を返す
声を出して挨拶ができないのは、まだ飲み込めていないからだろうか
「…っと、お兄さんこの辺の人なんだ?」
ごくりと喉を鳴らして果実を飲み込んだ若者が、緊張感の無い顔で目を丸くした
「いや、たまたまだ」
休暇がたまたま今日で、歩いて出かけることの出来る範囲ではこの市場の食材が比較的安価に手に入る
だから少し家から遠い此処に来ただけだ
特に会話を思いつくことも無く乾し肉屋の主人に向き合っていくつか吊るされている乾し肉をもらい料金を支払う
「肉ばっかり。野菜も食いなって」
声に振り向くと、どこかに行ったものとばかり思っていた若者はまだ其処に居た
「…何か用か?」
眉をひそめて問いかけると、ルベウスよりもいくつか年下に違いない綺麗な顔がにっこりと笑って
「用は無いけど、暇なんでね」
そう言って笑った






偶然遭遇した若者を無碍に追い払う気にもなれず、そのまま二人で何と無く連れ立って歩く
大きな休日というわけでもない市場の混雑はそれほどでもなく、学塾が開かれる時間なのか子どもの姿も余り見かけない
「警備隊の人ってさ」
人の流れを避けるように手近な木陰を見つけた若者は、齧りかけの果実をまた一口分飲み込んでから話し始める
「一年中休まず働いてるのかなって思うくらい、いっつも兵装だなって思ったんだけど、そうでもないんだね」
木の幹に背中を預けている若者が小さな果実を1つ投げて寄越したので、ルベウスもそれを受け取り木陰の下に移動した
「お兄さん料理しないの?」
尋ねて来た言葉はごくごくありふれた質問だったので、思わず気の抜けた声を返してしまう
「そうだなあ、休みの日はたまに作るが…」
馬鹿正直にすらすらと喋りかけて、はっとする
思わず友人同士のやり取りのように気楽な会話を交わそうとしていた
「…俺の事を聞き出してどうする」
「別に、単なる世間話」
「俺はお前と世間話はしたくない」
「なんでさ?俺が花街の人間だから?」
顔を逸らすとその方向に追いかけてくる砂色の瞳に、彼はどうして自分がこうも意固地になっているのかわからなくなってきた
目の前にいるのは何処にでもいるような普通の若者で、確かに素性は立派とはいえないが、話し相手を素性で選べるほど、ルベウス自身は果たして偉い人間なのだろうかと、自問自答の怪物に襲われる
「…まあ、世間話くらいは、良いか」
若者に返すでもなくそう呟くと、彼はにっこりと笑った
何がそんなに嬉しいのかわからなかったけれども、今この瞬間に彼と喧嘩にならなくて良かったと、ルベウスは其処だけなぜか自分でもわからないくらい安堵した
「ああーその、何の話だった?」
改めて訊き返すと、料理の話だよと返ってくる
彼は余り料理が得意ではない
周りのものも、大体食堂で済ませたり、家族がいるものは他の家族や、妻や母親が作ったりしていると聞いた事があるので、大体一般的なのではないだろうか
「お前は作れるのか?」
「簡単なものくらいは自分で作るよ」
そろそろ実を齧りつくされて芯だけになってきた果実を手の上で弄びながら若者が答える
「そうか、作れるのか」
当たり前のように返ってきた答えにすごいな、と呟くと、やっぱり普通は男が料理なんてしないもの?と問いかけられた
「料理人は男ばっかりなのに変なのって思うの俺だけ?」
その言葉に、そう言えばそうだなとも思う
料理人は大体男だし食堂の台所に立っているのは男で女はもっぱら給仕に回っている
屋敷で厨房に立つのも女よりは男が多い
だが普通の家になると、帰れば料理をするのは母や妻や娘や姉妹だ
料理をするのは同じなのに、なるほど確かにそれはおかしい
普段はそんなこと疑問に思いもしなかった
「…お前は、本当にすごいな」
当たり前のように考えないで居た事に気づけると言うのは実は凄い事である
素直に言ったルベウスに、若者は芯だけになった果実を道端のくず入れに放り込みながら、お前じゃないよ、シオンって呼んでよとまた笑った
「うちの店、そんなに違法なことはして無いからさ、今度は普通に客として来てみない?」
笑った後のその言葉にすぐには答えられなかった
客としてきても相手をするのはお前じゃない店の女たちだろう?と、言いそうになったから、ルベウスは咄嗟に言葉を飲み込んだのである
シオンが住み込んでいるのは娼館だ
娼館に行って女が相手してくれることに不満があるのはおかしいだろう
どうしてそんなことを言いそうになったんだ
「…まあ、そのうち、な」
どうにも歯切れの悪い返事だけ返す
若者がそれ以上話を掘り下げては来なかったので、これ幸いとその時はそれで別れ、家に帰った






店に来てよと言われて、そのうちにと返すのは言ってしまえば社交辞令だ
そんな口約束、誰でもするし誰でも破る
けれどもルベウスは律儀に娼館に客として足を運んでいた
市場でシオンと話してから三月も後の事ではあったが
三月の間何をしていたかと言うと、彼は城壁の外側にいた
国境付近での小競り合いに、本来は城下の治安維持を目的としている警備隊もいくつか駆り出されたのだ
行軍はそこまで楽ではなかったが過酷を極めると言うほどでもなく、難点が有るとすれば城下とは比べ物にならないくらい糧食は貧しく寂しい味がしたことと、娯楽と言う物がぬるくてまずい酒とちんけな賭け事以外はほぼ皆無に近かったくらいだろうか
だからだろうか、城下に戻ってきてからすぐに、彼は以前決して行くまいと心に決めていたはずの娼館を訪れていた
正直なところ、足を運んだ理由は律儀と言うよりも純粋に人として男として色々と飢えていたのが大きい
流石に聞き込みに来てから三月も経っていたし、平服だったからか、客としてやって来た彼を、あの鬱陶しい警備隊員として見る者は居なかった
やけに賑やかで愛想のいい空間にまず通されて、酒と料理の品書きを渡される
なるほど、はじめのうちはこの大人数の集まる宴席で食事を出し、気分が盛り上がったところで気に入った娼婦を選び、部屋に案内されると言うわけか
彼は戦場を思い出す固そうな料理を避け、少しばかり高価ではあるがよく冷えた葡萄酒の一人分の壷と、新鮮な野菜と柔らかな肉を挟んだパンを注文した
帰ってきたときにも飲んだはずなのに、出された葡萄酒は胸の奥に染み渡っていくようで実に旨かった
パンも、戦場の炊き出しで煤だらけの石を使って焼いたような物とは違って白く軟らかく、小麦の甘い、良い匂いがする
瑞々しい野菜の歯ごたえが、肉の脂の甘みを一層引き立ててくれていた
美味い
素直にそう感じて頬が緩む
それを見咎めたのか、近づいてくる声が自分に向けられた
「お兄さん、うちは料理も美味しいでしょ?」
選んでもらうためか呼んでも居ないのに化粧と宝飾で飾り立てた娘がテーブルに向かい合うように座ってくる
普段なら相手にしないところだったのだけれど、むさ苦しい男しか見える場所に居ないような日々が三月も続けば、こんな場所でめぐり合う商売女もまるで女神のように麗しい
「ああ、前に聞いたんだが、来てよかった」
素直に、心の底からそう思えたので、彼は女の言葉にすんなりと答えた
向かい合わせに座り、それはよかったと微笑む女は、この辺ではあまり見ない肌の色をしている
「…?」
片手で頬杖をついている、女のその腕が妙に逞しい
そういう地域の生まれなのだろうか、と思っていると、次第に女の微笑みが消えてきた
「あんたまだ気付かないの?」
呆れ顔で、客向けの高い声を娘がやめた途端、そこにいるのは娘ではなく三月前に市場で話した若い男だということにやっと彼は気付く
気付いたはいいものの、しばらく色々な事が驚きで言葉が口から出てこなかった
前にあったときはどう見ても男にしか見えなかったのに
いくら女に飢えていたとはいえ、男を女に見間違えた上に口には出していなかったものの心ではまるで女神のように麗しいと思ってしまった
男として非常に屈辱的だ
「…シオン、か」
恐る恐る声を落として名前を問いかけると、化粧をして女の格好をした若者は品の無い笑い顔に変わって
「名前覚えててくれたんだ、お兄さん」
と言った
その声はどう聞いても女には聞こえず、三月前に市場で会った若者のそれだった
化粧と服、所作だけでこうも化けるかと思わず上から下まで眺めてしまったが、ふと以前交わした言葉を思い出して首をかしげる
「お前用心棒じゃないのか?」
葡萄酒をもう一杯振舞われながら訊いて来る男に、シオンは首肯とともに答えた
「用心棒だよ?こんな格好だけど客とったりはしてないし、何かあったときにすぐ駆けつけられるようにしてるだけ。男のなりじゃ色々面倒なこともあるからさ、この店」
良いながらも冷やした壷から葡萄酒を注ぐ仕草は柔らかな女のそれにしか見えない
「客の方が寄ってくるんじゃないのか?」
わずかだが酒の入った気安さで気軽に呟くと、相手はにやにやと笑っていた
その笑みの真意を尋ねようかと思ったが、不本意な言葉が投げかけられる気がして、止めておくことにする
「それにしても、本当に美味いな、ここの料理」
言うと、シオンは得意げに説明を始めた
「うちは野菜もちゃんと市場で仕入れてきてるし、料理人も貴族街のお屋敷で台所に立ってた爺さんが弟子とってやってるからね、他の店とは一味違うでしょ?」
まるで自分のことのように嬉しそうな様子に、ルベウスは普段ならここで皮肉の一つも浮かんでくるのだがと思いながら葡萄酒の杯を空けていく
冷えた葡萄酒はさらりと流れ込んだあと、胃の腑に落ちるとふわりと温かく酒精をはじけさせた
それからしばらくは酒の酌をしてもらいながら他愛ない話をしていたが、そういえば女を選ばなくても良いのか、と思い至る
「飲み食いだけでも大丈夫だったりするのか?」
訊いてみると、今日は出番がないのか娘のなりをした用心棒は少しだけ笑顔をおさえて
「出来れば誰か女の子選んで、上の部屋に移ってくれると嬉しいんだけど」
と答えた
確かに、食事をしたいだけならその辺の食堂にでも行けばいいのだから、娼婦を選ぶ場所ではそうするべきなのだ
「お前でも良いのか?」
軽い冗談のつもりでそういうと、真顔で「ごめんうちそういう店じゃないから」と返ってくる
あくまで商品は女というわけだ
それではどうしようかと少し考えてルベウスは周りを見回してみる
食事をしている間この女装の用心棒としか会話をしていない
席に案内してくれたのも確か女性だったように思うが、周りにいるのはもう客がついてしまっているのか男と連れ立っている女ばかりだ
客の肩の間に目を凝らすと、広間の隅にどうやら待機している娼婦たちなのか、遠目に見ても十人並み、といった風貌の女たちが広間を伺っているのが見える
あれは恐らく、客がすぐにつかなかったからそうしているのだろう
このままだと売れ残りをつかまされそうだと考えて、もう一度向かい側に座ったままの用心棒に問いかける
「…お前じゃ駄目か?」
「あんた何しに此処に来たの」
言ってくれるなと内心彼は反論したかったが、あの女達と比べても、目の前の化粧を施した顔のほうが美しいような気がした
たとえそれが、胃の腑に満たされた酒精が見せた幻だとしても、その時のルベウスにとっては真実だった
動く気が無いらしい用心棒の腕を掴むと、給仕に回っている若い女に話しかける
「なああんた、こいつを一晩買うには誰に言えばいい?」
給仕の女は目を丸くして一瞬肩越しに男に腕を引かれぎょっとしている用心棒を見たが、すぐに訳知り顔で笑って、少し待っててくださいねお客さんと、厨房の方へと下がっていく
「あんた、いかれてんのか?」
慌てて、何とか腕を掴んだままの相手を説得しようとする若者に、男は振り返って首を横に振った
「割と正気のつもりだぞ」
「ちがう。そういう奴は大体酔っ払ってる」
「酒は飲んだけど、まだ酔うほどじゃない」
「いや酔ってるね。あんた絶対明日の朝後悔するよ?だって俺男だよ?此処の用心棒だよ?今は化粧してるしランプの灯りだから見えないだろうけど朝になって顔洗えば髭だって生えてくるよ?見たいの?第一服の下についてるよ?あんたと一緒で」
「ああ、わかってる」
「わかってない。それに何か揉め事が起きたときに用心棒が居なかったら…」
尚も男を説得するべく言い募ろうとしていたシオンの背中に、厨房から出てきた先ほどの給仕女が、上の部屋の鍵を持ってきたと声がかけられた







「…」
金さえ払えば問題無いよと笑って給仕女に上の部屋へと送り出された二人は、しばらく何も話さなかった
通された部屋は大人二人が横になれる程度の広さの寝台が有り、下の広間で漂う酒や料理の匂いを消すためか香が焚かれている
「…俺、用心棒なんだ」
若者は寝台に置かれていたクッションをひとつ抱えてふてくされているが、化粧がうつらないようにか顔をうずめようとはしない
「さっきから何度も言うな、それ」
ルベウスはと言うと、先ほど彼の腕を掴んだ時よりもやや落ち着きを取り戻してきたのか、隣に腰掛けてはいるものの指一本触れる気配を見せず、居心地悪そうにしている
「流石にちょっと、意地になってた。悪い」
金を返せとまではいわない。今夜は此処で泊まらせてもらうから馬鹿な酔っ払いに引っ掛かったと思って添い寝程度は付き合ってほしい
そう言うと、若者が抱えていたクッションが顔に向かって投げつけられてきた
回転しながら飛んできた布の固まりは、怪我こそしないだろうけれどもそれなりに衝撃はある
何をすると言おうとして振り向くと、いつの間にやら着飾った用心棒が涙を流していた
涙で化粧が崩れ、強気な顔にいくつもの筋が流れている
「俺は、用心棒なんだよ!こんな、こんな女の代わりみたいな事は、普通はしないし、第一客なんて取ってたら、用心棒の意味が無い!」
だったら何で女の格好をしてるんだよと反論しても良かったのだが、今此処に居るのはルベウスが無理やりそうしたからではなく、確認して、承諾を得ての事だ
「…すまん」
「あんたが、謝っても…」
多分そのことについては若者もわかっているようだった
用心棒だからと、警備隊が聞き込みに来たときにも矢面に立っていたのに、いざ客がつくと今度は剣より酒と化粧で女の役を担わされる
恐らくこの若者が今怒っているのは、目の前の酔っ払いにではなく、彼が今居る世界そのものに、ではないだろうか
「今夜の成果は、この馬鹿な酔っ払いを取り押さえて他の客や娼婦の迷惑になら無いようにした、じゃ駄目か?」
問いかけると、なんだよそれとふてくされた声が返ってきた
余り気に入ってはもらえなかったようだった
崩れた化粧がそれ以上駄目にならないように、手巾で目元だけを丁寧に拭いている若者は、ため息混じりにこんな話を始めた
「三月前に、あんたともう一人年寄りが来たときに、赤ん坊を捨ててるだろうって話で来たよね」
「ああ」
そう言えばそんな用件で最初はこの娼館を訪ねたのだった
「此処だけの話さ、それは何処もやってる話だと思う」
「まあ、そうだろうな。そうしなきゃ数が合わん」
「うちも、実際はまだ、やってる」
「…そうか」
憂さ晴らしに店の内情をばらしてやるつもりで言ったのに、男は意外なくらい素っ気無い聞き流し方をする
「捕まえないの?」
「あれはもう報告の済んだ話だからな、今更俺が仕事の外で聞いたところでなんになるって具合だ」
「ああ、そうなんだ…」
涙が止まってきたのか目元をぬぐう手を止めた若者が落胆した様子でため息をついた
そのまま、隣に座る男の肩に頭をもたれ掛けてくる
「ねえお兄さん。あんたこの間まで戦場に居たんだろう?」
問いかけに、ああそうだとルベウスが返すと、彼は更に言葉を続けた
「じゃあさ、次に来る時は、俺に剣の稽古をつけてよ」
気が向いたら、と答えると、絶対だよとまるで子供のように約束をせがんでくる
「鍛えてやるんだ。女装とか出来ないくらいごつくなってさ。あんたの事投げ飛ばすくらい」
「お前本職なめてんのか」
生意気な口を利くなと返すと、泣いていたのをもう忘れたかのようにシオンは笑った
その笑う横顔は化粧が崩れてもやはり美しいなと思ったが、どうやら気にしているようなので、言わないでおいてやることにした





《 戯言とめくらまし 了 》





【 あとがき 】
何かが始まるようで居て、きっと何も始まらない。
でもこの二人はそのうち友達以上の仲にはなる(はず)

パンが美味しいのはケンタッキーですね


辻マリ
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