Mistery Circle

2017-08

《 愛路 》 - 2012.07.21 Sat


 著者:空蝉八尋







 彼女の手はとてもたくさんのことを語る。
 湯気の立つカップを両手で包み込みながら。
 白く伸びる指の中で、薬指だけが不自然に細くて、僕はぼんやりとそれを眺めた。
「……あぁ、そうかぁ」
「どうしたの?」
「ケッコン、してたんだね。ずっと……」
 彼女は特に驚いた様子もみせず、ひたすらに熱いコーヒーを啜っていた。
 左手の薬指だけ、きつい指輪をつけて血行が悪かったんだ。
 今、その手に指輪がないということは、過去のものなんだろう。
 僕は勝手にそう解釈した。彼女が、返事をくれなかったから。
「……それで?用件は?あの子の事なんでしょう?」
 そう言いながらカップを置いた手が、膝の上で丁寧に組まれた。
 まるで、叱られる生徒のように。
 オバサン。僕、怒ってるわけじゃないんだ。
 僕が知りたいんじゃない。
 ただ、知って欲しいだけなんだ。
「ミサオの居場所、僕は知ってますから」
「…………教えて」
「それは出来ません」
「教えなさい!」
 少し張り上げた声に、店員と向かいの席の客がちらりと視線を向ける。
 彼女も自分に驚いたように、口に手を当てた。
「……教えなさい。私はあの子の母親よ。保護者よ」
「ホゴシャ! よくもまあ、そんな事が……」
 僕は至って冷静につとめていたつもりだった。
 けれど、何かどす黒い塊の感情は、心の奥で煮えたぎっているように重かった。
 詰襟のまま、ここに来たことを後悔した。
「あのね……、貴方達、何歳?」
「15です」
「小さな子供じゃないわよね?自分の足で動けて、話せて、力だってあるでしょ?」
 何が言いたいかの想像は簡単につく。
 彼女の血の気のない、くすんだ顔に浮いた酷いピンクの口紅に、吐き気がした。
 気持ち悪い女だ。
 僕は、そう、思う事が出来た。彼の母親に向かって。
「オバサン。僕は、ある犬の話をしにきた」
「犬?」
 怪訝そうな、どこか警戒の目を向ける。
「パブロフの犬、っていう話がありますよね?鈴を鳴らしてから餌を与えると、そのうち鈴の音だけで涎を流すようになる」
 理科の時間でも習うような、有名な実験の話だ。
「これには続きがあって、犬に痛みを与え続けると、餌を与える人間でなくて、痛みを与える人間に尻尾を振るようになるんです」
 優しく餌を与えてくれる人間よりも、自分を痛めつける人間に媚を売るようになる。
 彼女は黙って僕の言葉を聴いていた。
「もうひとつ。犬を電線で囲って、毎日、痛みのある電流を流す。柵を越えようとすると、痛みが走る。それをずっと続けていくと、電流が流れなくても犬は柵を越ようとしなくなるんです」
 逃げられる状況にも関わらず、それをやめるようになるんです、と、僕は彼女の目を見た。
「オバサン、僕は、自分のことを大人だとか子供だとか言うつもりはありません。僕は……僕とミサオは、人間です。ただの……」
 叩けば痛いし、血も流れる。怖いものには恐怖を感じて、逃げようとするし、逃げられずに足が固まったりする。
「逃げないんじゃない。ミサオは、逃げないんじゃないよ、オバサン。自分の意思で、逃げないんじゃないんだ。逃げる事をもう、諦めて、自分の中から消してるんだよ」 
 そのうち。
 そのうちに、人間は色々なことを忘れるよ。 
 食べることも、寝ることも、息をすることさえ忘れてしまうかもしれない。
 思ったよりもずっとずっと、簡単に。
「……15歳の男よ、あんた達。こっちは女で、もうすぐシジューで。何を、赤ん坊みたいな事……!」
 驚いたような、信じられないものでも見ているような顔だった。
 そんな顔を向けたければ、向ければいいと、視線も逸らさず続ける。
「ミサオは、もう居ません。貴方の囲いの中には、どこにも」
 僕はなるべく丁寧にそう告げると、席を立った。
 途端に差し込む夕日が眩しくて、目を細める。彼女は動かなかった。
 僕が一歩踏み出そうとした時、ここに来たばかりの表情になって言う。
「今でも結婚、してるわよ。してたんじゃなくて」
「そうですか」
「指輪を外してる理由が知りたい?」
「興味ないです」
 今はもうこれ以上、ここにとどまる必要を感じなかった。
 さっさと席を後にする。
 あまり気にしていなかった店内のざわめきが、少し鮮明に聞こえ出す。
 外のまだ、冬になりきれない風を受けて、僕は無意識のうちに詰めていた息を吐き出した。
 失敗したかなぁ、というのが素直な気持ちだった。
 僕の判断というよりも、自分の行き所のない暴走だったように思えたからだ。
 ミサオは、店とさほど離れていないコンビニの前で、小さく座り込んでいた。
 細い手足をかがめて、伸びっぱなしのくせっ毛のせいで、大きな犬みたいだった。
「おい」
 トン、と肩を叩いた。まさか寝ていたわけではないだろうけど、閉じていた目が開いて、僕を見上げる。
「寒いな……」
「外なんかに居るからだろ」
「どこに居たらいいのか、わからないよ」
 カサカサに乾いた唇は、今にも切れて血が滲みそうだ。
「……あの人、お前がこんなに近くに居ること知らないんだな」
「知ってても、来ないよ。俺が帰る事を待ってるんだ」
 ズボンの汚れを払いながら、俯いたままのミサオが言う。
「知ってるんだ。そのうち、俺がまた戻るって」
「は?」
「妊娠してんだよ、あの人」
「ニンシンって……」
 思いもよらない言葉に、僕は思わず言葉を失ってしまった。
 ミサオは薄く笑みさえ浮かべている。
「まるで、人質だな」
 そう言われて、身体中の毛穴が、一気にぞわぞわと震えるようだった。
 すぐ目の前にいるミサオが、とても遠くに居るように思えた。
 僕はこんなにも近くに居ると思っていたのに。
 あの悪趣味な口紅が、鮮明に浮かび上がる。
「会ってきたんだろ、あの人と。……ありがとう、嬉しいな」
 そう言って、本当に嬉しそうな顔を僕に向けるから。
 喉が張り付いたみたいに、何も言えなかった。
「行こうよ、寒いから」
 ミサオが前を歩き出す。
 うるさい雑踏が戻ってくるみたいに、足音が聞こえなくなっていく。
 薄汚れた緑色のコートに包まって、ポケットに手を入れて。
 詰襟を着た僕よりも、ずっと大人に見える背中が泣いているように見えた。
「待って」
 すぐに振り返って、立ち止まったミサオの横に並ぶと、彼は不思議そうな顔をしていた。
「お前、本当に……戻るの?」
 ミサオの顔は、身体に不釣合いに幼かった。
 戻る事が、とても自然なように見えるほどに。
「どうかな……戻りたかったら、帰るかな」
 それは、僕にはイエスの返事に聞こえた。
 戻るわけないよ、と言ってくれるのを期待していたんだと、愕然とする。
「ありがとう」
 丁寧に、もう一度言われて。いよいよ、涙が出そうになる。
 さよなら、と言われてしまうような気がした。
「こんな事を言ったら、いけないような気がするんだけど……」
 めずらしく、緊張しているような声色のミサオに、僕は俯いていた顔を上げた。
 拍子に、零れそうだった涙が頬を伝ってしまう。
 ミサオはさほど驚いた様子もみせず、ただ自分の言葉を選んでいるようだった。
「えーと……うーん。俺は、もう、ひとりじゃ居られないんだと思う」
「うん……」
「だから……佐伯君が居ないと、生きていられないなって、思うんだよ」
「…………ミサオには、僕だけなの?」
「うん?……そう、かな」
 がっくりと、肩の力が抜けて、膝まで崩れ落ちそうになったのを堪えた。
 長すぎる前髪の隙間から、ミサオの長い睫に縁取られた瞳が覗く。
 その瞳からはなんの感情も読み取れなくて、僕はただ、彼の言葉だけを感じて、信じた。
「佐伯君、怒ってる?」
「怒ってないよ」
「そうかぁ。俺、また何か、しちゃったかなって……」
 ミサオの手が僕の頬に伸びて、知らないうちに止め処なく流れていた涙を、雑に拭う。
 僕は顔を振ってその手を振り払うと、「行こう」と短く告げて歩き出した。
 すぐ後ろから、ミサオが付いてくる気配がする。
 まばらにすれ違う人の足音の中で、その歩みを確かに感じられた。
 自分まで、酷く幼くなるような気がした。
 日が落ちると同時に強くなってきた北風に首を竦めて、息を吐くと小刻みに歯が鳴る。
「寒い」
 しきりに呟きが聞こえてくる。
「今日は、僕の家に来ればいいよ」
「いや、いいよ。……ありがとう」
 嬉しい、と。いつものように。
 風にかき消されそうに、僕の耳へ。
 感謝の言葉を述べられるのが、こんなに切ないものだと知らなかった。
 まだ僕には、知らないことのほうが多いんだろうと思った。
「じゃあね」
 言われて振り返ると、ミサオは僕の顔も見ずに、さっさと角を曲がっていた。
 街頭の少なくなった道を、闇に溶けていくように歩いていく。
 履きつぶしたスニーカーの音が、姿がわからなくなっても聞こえていた。
 それははっきりと示す、彼の確かな影のように思えた。  
 夢には足音がある。
 今は遠ざかっていく音も、明日にはまた近付いてくるんだろう。
 それを繰り返しながら、僕は沢山の事を知っていく。耳を塞ぐことはしない。
 
 産まれるのは、いつだろう。
 歩みを再開させながら、指を折って数えたりして、可笑しくて、笑った。
 
 



《 愛路 了 》





【 あとがき 】
お読み下さりありがとうございました。
よいお年を。(早っ)

【 その他私信 】
遅くなってこれか…という言葉は聞こえません聞こえません……
びっくりするほど書けな……合掌。


片翼てふてふ。(廃墟) 空蝉八尋
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