Mistery Circle

2017-08

《 砂時計の住人 》 - 2012.07.26 Thu

《 砂時計の住人 》

 著者:幸坂かゆり








 正午。そろそろ休憩を取る時間帯。
 青年ルカは老舗の時計屋で働いていた。店主の男は既に休憩の準備に入っている。本来ならレジスター横にビールを用意しているほど酒好きなのにここ最近まったくアルコールを口にしていないのは酒をうまく感じなくなったせいだと言っていた。そのせいでずっと機嫌が悪い。男には雑貨屋を営む優しい恋人マイアがいるが彼女に対してもそっけない態度を取ることが多くなった。しかし、たかが雇われの身分であるルカが慰めの言葉をかけるのも気が引けるので静観していた。

 ふと外を見ると自転車に乗ったマイアが横切った。店主の男は大声で彼女を呼び止めた。
「マイア、もう昼だぞ。まさか今から店を開けるんじゃないだろうな」
「…急ぎの買い物があったから」
「そんなに大事なものだったのか。一体何を買った?」
「猫のエサなの…」
 マイアはちいさな声で告白し、男は憮然とした表情になった。
「呑気だな。これからは気をつけてくれよ」
「ごめんなさい」
 マイアは自転車を時計屋の窓に凭せ掛けて停め、男の頬にキスをして別れた。男は感情的になったところをルカに見られ、少し恥ずかしくなったのかすぐに休憩に入って食事に行った。

 この店は、もちろん名前通り時計屋だが、骨董品や貴重品と判断された物を持って行くとこっそり時計と交換をする。品物を持ってきた人間が金の方がいいと言えば買い取った。以前、ルカは貧困のため泥棒まがいのことをして暮らしていたが、そんな暮らしから抜け出させ、この店に手伝いでいいから雇ってくれるよう口添えをしてくれたのがマイアだった。マイアはルカの心の中心を占めていた暴力的な部分を溶かしてくれたいわば恩人だった。事実、現在のルカは学校でもいつもおとなしく本を読むほどになった。顔には小さな傷痕がいくつも残ったので周りの生徒たちは距離を置いていたが、陰がありながらも不思議な透明感を持つルカは一部の女子生徒を魅了していた。

 ルカとマイアが親密に話すようになったきっかけは、ルカがマイアの雑貨店で万引きをして彼女に見つかったときだ。見つけたマイアはルカを叱ったりせずに「それが欲しかったの?」と問いかけた。ルカが手にしていたのはクリスタルに包まれた小さな砂時計だった。ルカはただ鬱憤晴らしのつもりで盗もうとしていただけで理由などなかったが、マイアはルカに砂時計を見るように促した。それ、きれいでしょう。魔法にかかってしまったのね。そういってマイアは砂時計を箱に入れてリボンをかけてくれた。そんなつもりじゃない、とルカは言ったがマイアは急に真面目な顔になり「もしもお金に困っているなら角の時計屋さんにお売りなさい。きっと夕飯くらいは食べられる額で引き取ってくれるから」と言って箱をルカに押し付けた。ルカはその箱を手にし、店から飛び出すと彼女の言う時計屋に直行した。

 そこにいたのが店主である男だ。最初は怪訝そうな顔でルカを見ていたが雑貨屋の話をすると「マイアの入れ知恵か、仕方がないな」と笑みを浮かべた。その後、男はルカから品物と金の交換ではなくマイアの勧めでルカの過去も何も聞かず雇ってくれた。それから随分とルカの暮らしは楽になった。ルカはマイアには当然のこと、この男に対しても誠実であることに徹した。男はそのときから既に額が少し後退していたが白いシャツがよく似合い、スリムで哲学者のように知的な風貌だった。出会った頃から変わらない部分と言えば左手だ。男は左手が義手だった。自動車事故で腕を失くしたと聞いている。随分昔の話だと笑っていた。そんなふうに男はいつも陽気だった。それなのに今ではその面影もなく、暴飲が祟って分厚い肉のついた体型になり、性格までが豹変してしまったようだ。男は虫の居所が悪いときに客からクレームが入ると、言う必要のない言葉を吐くことが多くなった。おかげで最近時計屋は暇だ。

 男の豹変振りは日ごとにエスカレートしていった。
 ある日のこと、男はルカに「マイアを誘惑してみろよ」と言ってきた。最初は冗談だと思ったが男の目は本気だった。戸惑うルカに「知らない女でもないし」と迫る。
「君にはいい話だと思うぞ。彼女はよく尽くしてくれる」
「どうしてそんな…あなたの恋人じゃないか」
「今はな…」
 そう言いながら時計屋はゆっくり自分の左手を挙げた。
「君も知っているとおり、オレの左手は義手だ」
「ええ」
「彼女のせいでこうなった」
 ルカは驚きの目を向ける。
「あいつは車に乗らないだろう。今も自転車だ。以前は運転していたんだ。事故のときもあいつの運転でドライブしていた。しかも下手なくせにスピードを出しやがってな。カーブを曲がりきれずオレたちは堅い壁に激突した。オレは助手席に座っていてあいつよりも酷い怪我を負った。こんなふうにな」
「でも、いつも仲睦まじかったじゃないですか」
 ルカが言い終わらないうちに男は義手でルカの顔を張り倒した。ルカはレジスターを乗せた机ごとひっくり返った。
「いいか。二度は言わんぞ。あいつの献身はそれなりに認めてやる。だがな。あの雑貨店は元々オレの店だ。オレはあいつが雑貨店をやりたいと言ったから信じて任せてやった。それなのにいつも遅刻!今日もだ!その原因が猫だって?うんざりだ。君があいつを誘惑でもしてくれたらすんなり別れられるんだよ!別に君もあいつを嫌いってわけじゃないだろう」
 そう言ったあと、男はむせたのか激しく咳き込んだ。ルカは男の背中をさすった。
「すまない」
 男は少し恥じたように下を向き、結局ルカに謝罪した。その日はそれで終わった。しかしルカはそうした男の飛躍し過ぎる部分が「しこり」となって残った。その上、謝罪した舌の根も乾かないその日、既に苛々と貧乏ゆすりを始めた。厚手の上着を羽織るくらい肌寒くなってきた季節になったというのに額に脂ぎった汗も浮かべて。

 ルカは軽く混乱しながらも仕事を終えて雑貨店を覗いた。マイアの姿を確認してからドアに手をかけたが一瞬ためらった。客が誰もいないキャラメル色をした柔らかな照明の中、マイアは微笑みを浮かべるような表情をして商品の埃を払っていた。ああ、このひとはあいつの心の中を知らずにいる。ルカはこのとき男に対して憎悪の気持ちが芽生えた。そのとき彼女がこちらを向いた。
「あら!ルカったらどうしてそんなところにいるの?寒いでしょう。お入りなさい」
 ルカは泣き出したいような気持ちになった。おずおずと店内に入ったが話す言葉が見つからず落ち着かないまま店内を見渡した。飾り棚の砂時計が目に入った。砂は虹色をしていて途切れることなく、ただ下へ下へと流れていた。
「これ、きれいだね」
 ため息のような声でルカがつぶやく。マイアは背後から彼の頭を少し乱暴に撫でた。
「やっぱり魔法にかかったんだわ、ルカ。あなた、前にもその砂時計を手に取ったでしょう。とても神秘的よね。この砂時計だけは絶対に切らさないようにしているの。売れ行きも上々よ。この店のいちばんのお薦めだわ」
 マイアは自分が製作者であるかのように自慢した。ルカは改めてたくさん並んだ砂時計を見ると、本当にマイアが言う魔法にかかったように感じた。音もしない虹色の砂を抱いたクリスタルのガラスは触れたら壊れてしまいそうに薄い。数ある砂時計の中で砂が落ち切ったものがあった。マイアはすぐに逆さにする。ガラスの小瓶はまたさらさらと砂を流し始めた。その砂はどういう作りなのか、どんなに逆さにしてもきれいな虹色に収まった。
「もし良かったら改めてあなたにプレゼントさせて」
 ルカは僅かにためらったが素直に受け取ることにした。その方がきっとマイアが喜ぶだろうと思ったから。マイアは嬉しそうに砂時計のボトルを吟味し、そのひとつを丁寧に手に取り、専用の小箱に詰めてシャンパンのような淡い色をしたサテンのリボンをかけた。ルカは胸が熱くなる。あのときと同じだ。盗人の僕に対しても今の僕に対してもこのひとはいつも変わらない。この雑貨店の品物にとても愛情を注ぎ、またそれを認める人間にも同じように愛情を注ぐのだ。その愛情の手がルカに伸ばされる。
「どうもありがとう。宝物にするよ」
 とても温かな時間が過ぎた。ルカは堪らなくマイアをあの男から引き離したくなった。男に言われるまでもなく自分がマイアに恋心を抱いているのはわかっている。けれどどうにもならなくていい、マイアの幸せを壊したくないと思っていた。けれどあいつと一緒じゃマイアは幸せになれないと思い始めていた。

 時計屋の定休日、ルカは再び雑貨店に寄った。マイアは笑顔で迎えてくれたがいつもどおりの笑顔に違和感があり顔をよく見ると、薄かったが口元に冷めた色の痣があった。ルカは思わず息を吞んだ。
「マイア、その痣は…」
「ああ、びっくりさせてごめんなさいね。ケンカしちゃったの。あちらも同じような痣を作っているわよ」
 そう言ってマイアは笑ったが、ルカは男が言ったマイアへの失礼な言葉を思い浮かべ、勇気を出して言った。
「別れた方がいいよ。あいつはあなたが思っているような優しい男じゃないし、あなたを幸せにする気はないよ。僕はあなたに幸せになって欲しい」
 ルカは自分の意見を言えたことと、男の手中にハマっているような口惜しい気持ちがないまぜになってなぜだか泣けてきて、乱暴に手の甲で涙を拭った。
「ありがとう、ルカ。優しい子ね」
 そう言ってマイアは温かな彼女自身の手のひらでルカの涙を拭った。ルカは男がルカにマイアを誘惑させようと画策していたことや、彼女にとっては酷であろう過去の話への暴言も覚悟をしてすべて伝えた。
「…わかってるわ。あのひとが今では私を愛していないことも。でもあのひとの言うとおり何もかも私が悪いから。彼に傷を負わせて借金までしてこの店を持たせてくれているのも事実だし。私、償わなくちゃ、と思ってるの。…ルカ、今日はもうお帰りなさい。今からあのひとが来るから」

 暴力を振るう奴が話し合いになんて応じる訳がない、とルカは思った。きっと何か強硬手段に出るつもりだ。あの男はもう以前の紳士とは打って変わってしまった。怠惰に任せた体は醜くなって、まるで飢えた野性動物のようだ。そんな奴が来ると知った以上、マイアをひとりにできない。ルカは家具の後ろに隠れて男が来るのを待った。

 しばらくすると男が入ってきた。顔色は悪かったがマイアが言っていた〈同じような痣〉なんてなかった。マイアと男は穏やかに話し合いをしているが内容は男からマイアへの別れ話だった。しかしマイアは首を縦に振らない。なぜなのだろう。ルカは憤りながらも不思議に思う。借金もチャラにすると男が言っているのが聴こえた。「猫だって犬だってオレが動物を好きじゃないだけの話だ。オレがいない方が遠慮せずに飼えるだろう」と。男の言うとおりだ。償いなんてしなくても良くなるというのにマイアはなぜ頑なに拒むのだろう。話し声は更に密やかになり、耳をすまそうとして家具に体重を乗せると脆かったのか家具は音を立てて崩れた。ルカはそのままひっくり返ってふたりの目の前に派手に登場してしまった。

 大きな音に男は一瞬身構えたが相手がルカだと判った途端、急に卑下た顔つきになった。男のこんな顔は見たことがなかった。
「おまえか。やっぱりマイアに惚れてるんだろう。それとももういい仲なのか?そんなところに隠れて。かっこつけてないで欲しいなら欲しいと言えばいい」
 投げやりな口調だった。ルカは平静を装ったがマイアを見ると唇を噛み締めて何かに耐えているようだった。
「マイア」
 男に名前を呼ばれたマイアはびくりとした。
「おまえだってルカを気に入っていただろう。この際恋人になってみたらどうだ?」
 言い終わる前に男は強引にマイアの腕を掴むとルカの方へ押しやった。ルカは慌てて彼女の体を受け止めた。
「ほう、まあまあな美男美女じゃないか。お似合いだよ、おバカさんと泥棒小僧は」
 かっとしたルカは上着のポケットに手を突っ込み、小さなピストルを取り出し男に向けた。この間、男に殴られて机もろとも吹っ飛んだとき引き出しの中から見つけたのだ。
「見当たらないと思ったらおまえが持っていたのか!この悪童が!」
「どうせ今日使うはずだったんだろう。同じことだ」
 ルカは男にピストルの銃口を向けた。
「だめよ!ルカ、やめて!」
 マイアの制する声も届かず、乾いた音が耳を劈き、マイアは悲鳴をあげた。
 ピストルの弾は男の肩に命中したらしく袖が破れて穴が開き、焦げた匂いが店内に広がった。しかし男はすぐさまルカの腹に蹴りを食らわせた。ルカはこの間のように床に背中を激しく打ち付けて呻いた。あろうことか義手である方の腕を撃ってしまったのだ。
「この子は関係ないでしょう!」
 マイアは言うが、男は何も言わずマイアまでも殴った。マイアはそのまま砂時計の飾り棚ごと転倒した。マイアの宝物だった薄いクリスタルは脆くも砕け、床に砂が広がった。

 マイアは飛び散ったガラスと砂の中で痛みを堪えてふらりと立ち上がると、男の前に来た。男の唇が動き、何か言おうとしたがマイアは男に言葉を発する隙を与えなかった。マイアの腕がどこか遠くを指差すような動きをした。彼女が何をしたのか一瞬、ルカは判らなかった。しかし次の瞬間、男の首から大量の血が噴き出した。マイアはガラスの破片を握っていて男の喉を掻き切ったのだ。男は自分の体から溢れ出る血で滑り、その場に膝をついた。ルカは急いでマイアに駆け寄り、彼女の手からガラスを払いのけた。そしてそのまま店からマイアを連れて外へ飛び出した。男は最早、追いかけてくることはなかった。少し走ったところで急にマイアがルカの手を振りほどいた。
「ここから動かないでね!すぐ来るから」
 そう言うとマイアは素早くルカの額にくちづけて今来た道を戻った。

 しばらく経ってもマイアが戻らないので不安になり、ルカも店に行こうとしたそのとき、小走りでマイアが出てきた。するとマイアはポケットからライターを取り出すと火を点け、そのまま店に投げ捨てた。木造建ての建物はみるみるうちに炎に包まれた。マイアはそれを見ながらルカのいる場所に戻ってきた。ルカは驚きのあまり放心したように口を聞けずにいた。しばらくすると中にいた男の振り絞るような断末魔の声が聞こえた。マイアは両手で強くルカの耳を塞いだ。

 ふたりはよろめきながらその場を離れ、マイアの住むアパートに行った。
 アパートに着いたとき、消防車のサイレンの音が背後から聴こえた。マイアはルカを部屋に入れ、ドアを閉めて鍵をかけた。そこで力尽き、ふたりはドアを背にしてその場に座り込んでしまった。
「マイア、手が血まみれだ!」
 ルカの言葉でマイアは初めて自分の傷に気づいたようだった。
「大丈夫よ。見た目ほど傷は深くないわ」
 そう言ってその辺からタオルを持ってきて手をくるんだ。それからマイアは両腕で抱え込むようにルカを抱きしめた。ルカの体は震えていた。ルカはマイアに縋りつき、互いに抱きしめ合った。そんなふたりの間に割って入るように黒猫が頭をすりつけて来た。
「ああ、ちびちゃん…お腹すいたでしょう。遅くなってごめんね」
 マイアが優しく猫に声をかけた。
「名前はなんていうの?」
「実はまだつけていないのよ。女の子なんだけど何て名前がいいかしら。とびきりの名前をつけてあげたいわ」
「女の子かあ」
 ルカは丸い瞳をした猫を見つめ、そっと柔らかな被毛を撫でると心が穏やかになった。

 シャワーを使ったあと何とか心を落ち着かせ、ルカ、マイア、仔猫全員で食事を摂った。ルカは空腹過ぎて手が震えていた。
「慌てないで。たくさんあるから大丈夫よ。今日は朝食を作り過ぎてしまったけど却って幸運だったわ」
 マイアは絆創膏だらけの顔で笑った。マイアの手はルカが消毒をして包帯を巻いた。利き手ではない方でのフォークはなかなかうまく扱えず、時々ルカに食べ物を口に入れてもらった。食事が済むとふたりはベッドに横になった。猫は当然のようにふたりの間を行ったり来たりしていた。

「なんにもなくなっちゃった」
 マイアはぽつりとつぶやく。ルカは気の利いたことが言えない自分に腹を立てたが、それでも何とか言葉を見つけようと試みる。
「どんな人間だって、誰かを奴隷のように操る権利なんてないはずだ。あいつはあなたを長いこと騙していたも同然だった。暴力も振るう。僕はそれが許せなかった。こんなに優しいマイアに…」
「ルカ」
 マイアはルカを落ち着かせるように彼の頬に両手を添えた。
「ありがとう。ね、ルカ。私が好き?」
 ルカの頬がみるみるうちに紅潮する。
「私はあなたが大好きよ」
「ぼ、僕もあなたが大好きだ。…あいつよりもずっと強く好きだ」
 マイアはルカにそっと口づけた。
「もう何も考えなくていいのよ。眠りましょう。大丈夫だから」
 マイアは優しくルカのおでこに挨拶のキスをして神様に祈りを捧げ、ルカの隣に猫と一緒に横になった。

 次の日、物音も何も聞こえなかったルカはマイアが部屋にいないことにまったく気がつかなかった。手紙だけが残されており、ルカは嫌な予感がしてそのまま手紙の封も切らず上着のポケットに押し込み、それを着て急いで雑貨店に向かった。野次馬がごった返す中、何とか近づいて背伸びをして焼け焦げた窓から店の中を覗いた。店内の様子を見て愕然とした。ルカはすぐに店に飛び込んだ。マイアは店の中にいた。焼け焦げた男の体に寄り添い、男と同じように首から血を流していた。ルカはマイアが着ていたカーディガンを引っ張り、首の血を押さえた。息がある。ルカは叫ぶ。
「救急車を呼んでください!」
 マイアはただ男を愛していた。だから、あんな卑劣な男でも一緒に死ぬことを選んだのだ。

 発見が早く、マイアは一命を取りとめた。
 運ばれた病院で処置を施してもらい、まだ麻酔が効いていて眠っていた。きっと目覚めたら彼女は助かった喜びなんかよりも悲観に暮れるだろう。ルカはそれを思うと気が重かった。ルカは待合室でマイアの書いた手紙を思い出し、開いた。手紙には男とのこれまでの恋の経緯が書かれていた。



 ルカ、あなたを巻き込んでしまってごめんなさい。

 私と彼は幼なじみで、昔から一緒にいたの。
 彼は頭が足りない女の子だった私をずっと守ってくれたたったひとりの人だった。若い頃の恋は何の責任もなくてとても楽しかった。いつも彼は私の間違いを優しくたしなめてくれたり、他人との関わり方を教えてくれた。彼は頭が良くて成長してからは商売上手だった。今にも潰れそうだった時計屋も彼が建て直したほどよ。私のちいさな夢だった雑貨店も私が浅はかなせいで赤字だったというのに任せてくれた。私が事故を起こして片腕を失くすとお医者さまに言われたときでさえ、私をまったく責めなかった。本当に感謝しているの。

 だけど、まさか病巣を宿しているとは知らなかった。
 やけになったのか痩せていたのに自らの健康をまったく省みなくなった。ルカも痩せていた頃を知っているでしょう。大好きなお酒もおいしく飲めなくなったようで飲んでも吐いてしまった。そこからね。あのひとが自分の愛するものたちを自ら切っていったように見えたのは。あの時計屋も近々畳む予定だったの。私は雑貨店だけに仕事を絞って一緒にやってくれるのかと思っていた。私って本当にバカだわ。気づいてあげられなかったの。あのひとの命はもう永くなかった。それをたった昨日知ったのよ。ルカを店の外で待たせて私だけで店に戻ったとき、あのひとにはまだ微かに息があった。出会った頃の少年のような瞳をしていた。彼は途切れ途切れに言った。

 もうオレは死ぬだけだから未練なんて辛気臭いものを遺して逝きたくなかった。みんながオレを嫌いになって、みんなを絶望させて死にたかったんだ。でも思い通りにいかないものだな。どうしても君を嫌いになれなかった。たくさんのひとたちの人生を散らかして逝くことを赦して欲しい。だからどうか最期は君の好きにしてくれ…。

 そしてそのまま逝ってしまった。どうしていいのかわからなかった。けれど事件として扱われてあのひとの体を色々なひとに触られたりするのが嫌だったから火をつけた。あれは火葬よ。そしてやっぱり私もあのひとだけは憎めない。だから一緒に逝くことにしたの。いとおしいガラスを使って。ルカは何も悪くないわ。あのひとがあなたに自分を憎むように仕向けていたのだから。あなたの優しさに感謝とたくさんの愛を込めて。親愛なるルカへ

 PS 都合がいいと思われるかも知れないけれど仔猫のことをお願いします。 マイア



「付き添いの方」とルカが呼ばれたので、すぐに手紙をしまって病室に駆け込んだ。マイアの首には包帯が巻かれ、蒼い顔色をしていた。宙を彷徨っていた視線はルカを捉えた。
「ルカ、ごめんなさい…あなたの言葉、聞こえてた」
「喋らないで。喋らなくていいよ」
 マイアの目尻からこめかみに向かって涙が幾筋も流れて止まらない。ルカはそれを優しく拭った。ルカはマイアがしてくれたように優しく微笑みかけた。看護師はまだ安静が必要だと言ったのでとにかく彼女がまた自らを壊してしまわないよう、ルカは丁寧に頼み込んだ。

 ルカはマイアのアパートに戻った。
 待ちくたびれた仔猫が甘えた声で鳴いたので頭を撫でて専用の食器にエサを入れた。自分用は戸棚にあったシリアルと冷蔵庫からミルクを取り出して食べた。それからぼろぼろの服を脱いでマイアのクローゼットからシャツを拝借して着替え、他の部屋にあったマットやクッション、毛布などをリビングの床に敷き詰め、横になった。肩に頬を寄せるとリブ編みのその服は木綿の匂いがして、その匂いの中にマイアの存在が重なった。ルカは急に思い出し、跳ねるように起き上がるともう一度クローゼットの扉を開け、自分の上着のポケットから砂時計の箱を取り出した。箱がでこぼこだったのでおそるおそる振ってみた。何とか中身は無事そうだ。リビングに戻り、目の前に砂時計の入った箱を置いた。リボンに手をかけると驚くほどひっかかりがなく、滑らかに緩むと箱から滑り落ちた。包み紙はテープで止めてある部分を慎重に爪で引っかいて剥がした。どこも破れずにテープは剥がれた。ああ、神様。包み紙を開いてその紙の皺を手で伸ばした。繊細なアラベスク模様が美しい。そして箱の中に手を入れ、ひんやりとしたガラスの砂時計に触れ、ゆっくり取り出した。砂時計はあの日見たときと同じように輝きを放ち、マイアの笑顔も、あのときの陽射しもすべてが瓶の中に閉じ込められていた。ルカはただ砂時計の姿かたちを見る。砂が落ちきるとすぐに逆さまにした。クッションを抱きしめて腹ばいになり、砂の音が聞こえてきそうなほど見つめた。傍らで猫も一緒に砂時計を見つめていた。「ルカ、マイアは?」猫が訊ねる。「しばらくは入院が必要なんだ。でも僕がきちんと看る」猫は姿勢を正して言う。「そうね。わたしたちがこの砂時計を守らなくちゃ。そしてこの砂時計の主はルカとマイアとわたしなのよ」ルカは微笑んで頷いた。「きみの言うとおりだよ、おちびちゃん」猫の頭を優しく愛撫するとしなやかにその体を横たえ、ルカと一緒に眠りに落ちた。





《 砂時計の住人 》





【 あとがき 】
今回のお題は初めてMCに参加させていただいたときの次に難しかったです!
折りしもリオパラリンピック真っ最中のときに書き始めたのですが、お題の「義手」という言葉に過剰に反応し、なかなか本題に進めませんでした。それでもこれを最後まで書かなくちゃ次に進めないと思い、何度も書き直したつぎはぎだらけの文章になりましたが、どうぞ飽きずに読んでいただけると幸いです…。(2016/09/22)

※あとがき追記
投稿したあと、とても後悔したためラストを大幅に変えて書き直しました。(2016/10/01)


Kayuri Yukisaka Website 幸坂かゆり総合案内所  幸坂かゆり
http://kayuri39.strikingly.com/

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

http://misterycirclenovels.blog.fc2.com/tb.php/455-76e6e72e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

《 軌跡 》 «  | BLOG TOP |  » 《 離れて暮らす息子とキャンプに行ったんだが 》

プロフィール

MC運営委員会

Author:MC運営委員会
このブログの八割は、カボチャで構成されております。

カテゴリ

Mistery Circle(メインカテゴリ) (39)
寸評 (29)
MCルール説明 (1)
お知らせ (35)
参加受付 (23)
出題 (34)
メールフォーム (3)
内藤クンのおもちゃの部屋 (8)
天野さんの秘密の部屋 (8)
Ms.伍長の黙示録の部屋 (0)
伊闇かなでの開かずの部屋 (4)
未分類 (27)
亞季 (2)
いつき (1)
伊闇かなで (2)
空蝉八尋 (4)
黒猫ルドラ (12)
ココット固いの助 (21)
桜井 (1)
桜朔夜 (1)
鎖衝 (11)
知 (21)
しどー (12)
瞬 (3)
白乙 (12)
すぅ (13)
すずはらなずな (29)
田川ミメイ (2)
辻マリ (14)
夏海 (3)
七穂 (1)
氷桜夕雅 (30)
ひとみん (4)
松永夏馬 (12)
望月 (8)
幸坂かゆり (21)
李九龍 (13)
りん (3)
ろく (1)
Clown (12)
MOJO (1)
pink sand (9)
rudo (8)
×丸 (4)
MC参加者に聞け (7)
Mistery Circle ヒストリー (1)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム