Mistery Circle

2017-08

《 I Love You 》 - 2012.07.27 Fri

《 I Love You 》

 著者:幸坂かゆり





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 大きらいよ。お父さんもお母さんも。いつも喧嘩ばかりして。
 十二月初旬に十五歳を迎えたばかりのリリーが大切にしているのは飼い猫のロー。膝の上にローを乗せて顎を撫でると目を細めて嬉しそうに喉を鳴らす。その姿にほっとしながら両親の不仲に頭を悩ませた。

 喧嘩は、大声を出したり殴ったりすることばかりじゃない。喧嘩の末路は空気をひんやりとさせる。その中にドアを開けて偶然入って行こうものならたちまちこちらまで冷凍されてしまう。きっと離婚は秒読み間近。恋愛の先に結婚があったとしてどうしてあんなに冷めてしまうのだろう。それでも世間のドラマや映画は恋愛に溢れていて、雑誌でも大いに薦めてくる。リリーは思う。好きな人は恋愛関係だけの中にしか存在しないとは限らない。例えばマリママ。マリママとは母方の祖母をリリーが幼い頃そう呼んでしまってからずっとそのまま呼ばせてもらっている愛称。『マリ』はリリーの母親の名前。おばあちゃんは『マリ』の『ママ』だから『マリママ』。リリーはマリママが大好き。マリママは普段物静かな仮面を被っているけれど時々やんちゃな素顔が出現して、大好きなスポーツ番組を観ていると血が騒ぐのをリリーは知っている。老眼鏡はまるでアクセサリー、姿勢正しくハイヒールを履くけれど、べらぼうにヒールの高いものではなく自分が一番きれいに見えて、それから転倒しないような健康を考えた高さを熟知した上で靴を選んでいるのが素敵。服は神秘的で生地だけを纏っているだけに見える不思議な形のデザインが多いがコートを羽織ると裾から見えるその生地がヴェールのように四方に広がり、花びらのような美しさに思わず息を吞む。計算されたマリママのおしゃれも大好き。

 不愉快だったはずがいつの間にかマリママのおしゃれへの空想に浸っていたらドアベルが鳴って死ぬほど驚いた。膝の上のローも一緒に飛び上がった。二度鳴らして、次に一度。マリママだ。嬉しくてすぐ階下に下りて行こうとしたが、階段の上からお母さんが泣きじゃくっているのを見てしまった。お母さんはマリママに背中を撫でられ、慰められていた。赤ん坊のように見える。リリーは下に行くのを諦めて部屋に戻った。ここまで喧嘩が絶えなくなったのはお父さんが浮気をしたからだ。しかも書き込んだ日記を広げたままリビングに置き忘れたりするからだ。お父さんのそんな迂闊さで、愛し愛されてきたというお母さんのプライドがずたずたになった。そこからだ。家の空気が冷え出したのは。リリーも何となく食欲が減り体の調子が悪い日が増えた。けれどローとマリママ、そして学校に行けば友達がいる。だから登校時は足に羽が生えたように軽い。大げさでもなくこの気持ちがあればまだ生きていけるとさえ思う。

 ドアをノックする音が聞こえた。
「リリー、ごきげんいかが?」
「マリママ!」
 リリーは勢い良くマリママに抱きついた。
「あら、リリー、香水を変えた?」
「気づいた?嬉しい。シャネルの新作なの」
「いい香り。とてもよく似合うわ」
「マリママもつける?」
「ううん。リリーには似合うけれど私には少し涼しすぎるわね」
 マリママのこんな言い方が好きだ。確かに柑橘系なので花をベースにしていない分暖かさよりはひんやりとしたイメージだ。それを「涼しい」という言葉で彩ってくれる。マリママはリリーがメイクをすることもこうして香水をつけることも否定しない。それに大抵の香水は試供品で、そこから本当に気に入った香りを見つけたときだけおこづかいやアルバイトをしてお金を貯めて買う。パルファムではなく少し軽めのオードトワレ。お母さんはこの香水のボトルを見たとき「子供にシャネルは早いわよ」と言った。お母さんは蓋を開けて嗅いだこともないから、この爽やかな香りすら知らずにいる。モンローのNo 5だけがシャネルじゃないのに。
「ねえ、マリママ。さっきお母さんが泣いていたでしょう?」
「知ってたの?大変ね、マリも。リリーはどう思う?私はマリに少し距離を置くことを薦めたの。マリはあなたのことを気にかけていたけれど、自分たちが喧嘩をする言い訳に子供を使っちゃだめよ、と言ったわ」
「ありがと。わたしは離婚したらいいと思う。お母さんはいつもいらいらしているし、お父さんなんてわたしが漫画を読んでいるだけでだらけてるって言って咎めるのよ。余裕がなさ過ぎるわ」
 マリママはそっとリリーの頭を抱き寄せた。
「リリーは何も悪くないのに失礼ね。あなたはとってもいい子よ」
 撫でる手の滑らかさにリリーはいつも泣きたくなる。このまま包まれていたいと思う。
「ねえ、マリママ。どうして恋愛なんてしなくちゃいけないのかしら。お母さんたちを見ていたらとてもそんな気持ちになれないの」
「そうね。確かにときめく気持ちは素敵だけれどね。どんなお薬より効果があると思うもの。だからと言って恋がなくても死ぬ訳じゃない。ただ恋は時に友情に変化することもあるわ。私とおじいちゃんの人生も後半は友情だったと思うの。恋愛の相手と言うよりもパートナーだった。互いに好きなことをして、ふと隣を見ると互いがいて何でも一番にお話をしたいと思う。そんな仲」
 リリーは憧憬を抱きながら少ししんみりとする。マリママとおじいちゃんは本当に仲が良かった。ずっと一緒にいるものだと過信していた。けれどおじいちゃんは数年前脳溢血で他界した。急だった。あのときのマリママは取り乱さなかったけれど淋しそうな瞳で、彼とはさよならが近いと思っていたのよ、と言った。あの澄み切った湖のような瞳がリリーは忘れられない。お母さんも悲しんでいた。おじいちゃんとマリママはリリーにとってもお母さんにとっても憧れだった。

 そんな純粋な想いを共有できたお母さんだからこそ、互いの気持ちが破綻しているのに婚姻関係が続いているのがリリーにはよく理解できなかった。戻ってきてほしいわけじゃない。ましてや怒るほどお父さんのことを好きじゃない。けれど他に好きな女性がいてお母さんを苦しめているくせに家には帰ってくるからだ。それでやっぱりどこかに後ろめたさを抱えているから普通の会話でもすぐに勘ぐって喧嘩になってしまう。それがとてもいや。そこをお父さんはわかっていない。家にいるときくらいリラックスさせてくれよ、なんて言う。一体どの口が言っているの。
「リリー、大丈夫?」
 はっと気づくとマリママが心配そうにリリーの顔を覗きこんでいた。
「ごめんなさい。最近考えごとをしているとその中に深く沈み込んでしまうの。だから言い訳かも知れないけど、恋するって何だか別次元のお話みたく思える」
「…そう」
 マリママは神妙にひとことだけ言ってまたリリーの髪を優しく撫でて、リリーの膝の上のローの頭も撫でてくれた。

「マリママ、また来てね。絶対よ」
 リリーはマリママの帰り際、今にも泣き出しそうな顔をして言った。マリママはそんなリリーの頬を両手で包み、すぐに来るわよ、と笑って言った。玄関で別れたとき、風の冷たさに気づいた。もうカーディガンじゃ寒い。

 次の日、学校で仲良しのリバースとエリの三人で一緒にクリスマスパーティーの計画を練っていた。行動的なリバースは良い案を出してくれて貸し切りにできるお店まで探してくれていた。リリーたちが学校帰りにアイスクリームを食べに行ったり宿題をするときに利用するカフェだ。この素晴らしい提案に文句など出るはずもなく満場一致でリリーとエリとリバースはハイタッチした。あとはクラスメイトを誘うのみ。

 しかし、家に戻って計画のことを母に話すと反対されてしまった。昼間だからってそんな集まりは不道徳だと言うのだ。
「どうして決めつけるの?お酒なんて飲まないわよ。みんなとてもいい子だちよ」
「リリーだっていい子たちだって決めつけているじゃないの」
「友達だもの!」
「怒鳴らないでちょうだい。あの人みたいよ」
 リリーは頭に血が上った。
「もういいわ、あなたと話したくない。とにかくパーティーの計画は進めるから」
「リリー、意地を張らないで。心配しているのよ」
「意地なんか張ってない!わたしはみんなが大好きなのよ!お母さんとお父さん以外はね!」
 リリーは階段を駆け上がって部屋に篭った。別にわかってもらわなくたっていいけど、あんな酷い言い方ってない。それに本音を言っただけなのにお父さんみたいだなんて。だから売り言葉に買い言葉であんなに悲しい言葉をお母さんに叩きつけてしまったのよ。本当はお母さんが好きなのに。リリーは悲しさと悔しさでいっぱいだった。ベッドにうつ伏せになってじっとしているとリリーの柔らかな髪にローが慰めるようにじゃれる。かわいいロー。
「もしわたしがこの家を出るときは絶対あなたも一緒よ」
 そうローに話しかけた。リリーは母との距離がどんどん深くなるのを感じていた。父とはもう長らくまともに顔も合わせていない。毎日家庭の雰囲気は殺伐としていてリリーの入る余地はないように思われた。リリーは勉強とクリスマスの計画で忙しいのだと気を取り直した。明日はエリとパーティー用のドレスを見に行く。それだけが楽しみ。リリーは何だか疲れてしまって夕食を残し、お風呂に入ったあとすぐベッドに横になった。ローはとことこ歩いてベッドの上に乗り、リリーの体の横に潜り込んできた。ねえ、ロー、ドレスはマリママを参考にしようと思うの。ローもマリママが好きでしょ?ローは既に目を閉じてうとうとしていた。

「今日は学校の帰りにエリと買い物に行くから少し遅くなるわ。ローのごはんとお水、お願いします」
「わかったわ。あまり遅くならないようにね」
「うん。行ってきます」
 リリーは靴のストラップを止めてすぐにドアを開け、玄関を出た。少しだけわだかまりがあったがそれでも会話ができたから良かった。ただドレスを買うことは内緒のままだ。

 リリーが家をでたあと、すぐに父母の間で喧嘩が始まっていた。父が朝帰りしてきたのだ。酒に酔って強い香水の匂いをぷんぷんさせ、着衣も乱れていた。こんな姿、あの子に見せなくて良かったわ、母はそう思いながらいつまでこの状態が続くのかわからなくなって泣きながらリビングを離れた。マリママがそのそばに寄り添う。
「もういや。だめだわ。このままじゃ何もかも失くしてしまう。優しい気持ちも何もかも…」
「マリ、あなたが大変なのはもちろんわかっているわ。けれどリリーの気持ちもきちんと考えてあげて。あなたは気づいていないけれどあの子の心は常にエマージェンシーを発しているのよ」
「マリママ、それはどういうこと?」
 そのとき、玄関のドアが開く音と父の「うわっ」と叫ぶ声が聞こえた。
「何ごと?」
 母が一瞬だけ窓を見たとき、見慣れた後ろ姿を見て驚愕した。ローが外に出ている。
「あなた、そばにいるならローをつかまえて」
 猫の足に適うはずもなく父はお手上げ状態だった。しかしローが外に出てしまった原因は父がローの姿の確認もせずに玄関のドアを開けたからだ。生まれたときから家で暮らしているローは外の世界をまったく知らない。そして母はリリーにローのことを頼まれたばかりだ。
「大丈夫だよ。猫には帰巣本能があるんだ。すぐに帰ってくるさ」
「あなたはリリーにも同じことが言えるの?」
「君は猫と娘を一緒にするのか?」
 どんな言葉も諍いになってしまうふたりにマリママは少し厳しい目を向けた。

 リリーはエリとふたりでたくさんのお店を見て回った。マリママが着る蝶の羽根のような美しい生地のドレスはやはり高価で手が出なくて内心ため息をついた。途中でカフェに寄ってミルクティーを飲み、おしゃべりをしてまたドレス探しに出た。エリが、ドレスもいいけどこれどう?と何かを持ってきた。それはとても繊細なショールだった。薄い緑色をしていてまるでマリママの深く澄んだ瞳のようだった。生地にはきらきらと輝く糸が織りこまれていてとても美しい。
「きれい…」
 ため息のような声でリリーはそのショールにそっと触れた。少し値段が張ったけれど運命だと思い、見つけてくれたエリに感謝をしてそのショールを購入した。その分ドレスは少し条件を下げたけれど。ふたりは買ったばかりのドレスを纏って少し外を歩いた。少し高いヒールのストラップシューズにもよく似合ってる。リリーは久しぶりに心が軽くなるのを感じた。そのとき、ローに良く似た猫が小走りに向かいの道路を駆けて行った。まさか。こんなところにいるはずがない。そう思ったが胸騒ぎがして家に電話をした。
「リリー、どうしたの?お友達と一緒にいるんでしょう?」
「うん。ねえ、お母さん、ローは家にいるわよね?」
「…虫の知らせかしら。外に出ちゃったの。大丈夫よ、きっとすぐに怖くなって戻ると思うわ。それよりあなたこそきちんと早い時間に」
 リリーは途中で電話を切った。エリに事情を話すと一緒に探すと言ってくれたが、どんどん時間は過ぎて暗くなってきた。リリーは笑顔を作って母の台詞をそのままエリに伝え安心させてひとりで探すことに決めた。
「ロー、わたしを置いて行かないで」
 リリーはローに似た猫が姿を消した狭い路地へ入っていった。

 家では母とマリママふたりになっていた。父は自分に非があるのでそそくさと「散歩がてらローを見てくるよ」と言って家を出ていた。ふたりは時折窓を覗いてはローの姿を探す。先ほども家の外にローの大好きなおやつを持って名前を呼んだが、これだけ車や人の往来が激しい時間帯だと怖がって出てこないだろう。時間は二十時を回っていた。リリーが外出するには遅すぎる時間だ。リリーは携帯電話を持っていない。
「マリ、リリーがいたカフェに連絡しなさい。いなければお友達のところにも」
 マリママは珍しくきっぱりとした口調になった。カフェにリリーと友達は既にいなかった。すぐに学校の連絡帳を出して片っ端からリリーの友達の家に電話をかけた。

 リリーは路地裏に古い空き家を見つけてその中でしゃがんでいた。最近満足に食事を摂っていなかったせいだろうか。突然貧血を起こし、動けなくなったのだ。ドレスだったけれど具合の悪さには勝てず床に横になった。ショールだけは胸に抱いて床にくっつけなかった。髪が頬にはらりと落ちてじゃれるローを思い、胸が痛くなる。そのまま仰向けになると天井に頭ひとつ分ほどの穴が開いていて、いくつか星が見えた。
「ロー、どこにいるの。ひとりにしないで。わたしも一緒に連れて行って」
 リリーはつぶやきながら意識を失った。冬の風が冷たい。

 夢の中で、マリママによく似たおばあさんと、その後ろに従うようにローによく似た猫が歩いていた。マリママ?ロー?リリーは訊ねる。マリママらしき人が振り返って微笑んだ。
「そのドレスとショール、素敵ね。とても似合っているわ」
「マリママなのね。その子はローでしょう?」
「そうよ。早くおうちに帰らなくちゃ」
「誰が?」
「リリーとローに決まっているじゃない」
「わたし、マリママと一緒にいたい。帰りたくない。ううん。どこにも行きたくない。怖いの。これからも人生が続いて行くことが」
「リリー、本気なの?」
「本気よ」
「それじゃあまずはあなたがおうちに帰るところから始めましょうか。大丈夫、私も一緒についていくから」
「ありがと、マリママ」
 マリママが手を差し延べる。なぜだろう、マリママの手が透けていた。ぼんやりと手を見ていると、あっという間にリリーは自分の部屋のベッドの中にいた。すぐに起き上がると目眩がしてベッドから落ちそうになり、マリママが支えてくれた。
「これは夢?」
「さあ、どちらでしょうね。大丈夫?」
「少し目眩がする」
「リリー、私と一緒に暮らす?」
 リリーは顔を上げて縋りつくようにマリママを見た。
「マリママ、嬉しい。とても嬉しいわ。ローも連れて行っていいでしょ?」
「残念だけどそれはできないわ」
「どうして?」
「詳しくは言えないけれど、ローは無理なのよ」
 リリーは目を伏せ、しばらく考え込んだがやがてマリママをまっすぐ見つめた。
「わたし、ローだけは幸せにしたいの。あの子をわたしと同じ寂しい目に遭わせたくない。だからマリママと暮らすのを諦める…」
 あまりにも複雑な感情だったので語尾が震えた。
「いい子ね」
 そう言ってマリママはいつものように優しく髪を撫でてくれた。
「リリー、あなたの考え方や返事が好きよ。人生は選択の連続なの。時折考えすぎて疲れてしまうかも知れないけれど、そのときは全てを投げ出してでもいいから休むのよ。その間は自分の洗濯をするの。洗濯を終えてまっさらになったらまた選択の繰り返し。でもそんな人生の真っ只中で少しでも寛げる場所があったらどんなにか安らぐと思うの。だからあなたの心を安堵させてくれるものを大切にしてね。ローや友達を思いやるあなたは素晴らしい選択をしているわ」
 リリーはマリママの言葉を祈りのように胸に受け止めた。髪を撫でるその手はやはりあちら側の景色が透けて見えたのでリリーが疑問を投げかけようとしたとき、視界が遮られた。

 やはり家にいるのは夢だったようで、リリーは先ほどと同じ薄暗い空き家の中にいた。体がすっかり冷えて寒気がする。けれど少し眠ったおかげで体が動くようになった。とにかく家に戻ろう。路地裏は暗くて辺りがよく見えなくて怖い。おまけにどうやって帰ったらいいのかわからない。リリーの全身に鳥肌が立つ。途中何度も靴の裏が滑って転びそうになった。とにかく少しでも明るい場所を目指そう。すると不安なリリーの目にローのしっぽのような輝きが映り、まるでリリーを招くようにゆらりと動いて街角へと導いた。リリーは訳がわからないままそれでもそのしっぽのような光を追いかけた。そして最後の曲がり角を折れるとそこにはリリーの家があった。玄関先にはお父さんもお母さんも揃って立っていた。今日いちばんの夢だと思った。
「リリー!一体どこに行っていたの!」
 一瞬、怒られるかと思い、リリーは身をすくめた。しかしふたりともリリーをしっかりと抱きしめた。
「これは夢?」
「バカね。夢じゃないわよ」
「そうだよ、とても心配したよ」
 ふたりの声がやさしく耳の奥で聞こえた。

 後日、貧血を起こしたのは熱があったせいだとわかった。そして幻のようにリリーを家に導いてくれたしっぽのような光の正体は結局わからずじまいだったが、ローはリリーの帰宅後間もなく玄関前で枯らした声で鳴き、帰ってきた。色んな場所をさ迷ったのか蜘蛛の巣を体中に引っかけていた。リリーはそんなローを腕の中に抱きしめて、えらい子ね。帰ってきてくれてありがとう、と何度も言った。ローはリリーの腕の中で震えていた。

 容態が落ち着いてから、お母さんに話を聞くと、外から駆けてきたショールとドレス姿のリリーを見てお父さんもお母さんもとても驚いたそうだ。マリママの若い頃にそっくりだったのだ。そしていつもリリーを可愛がってくれたマリママは、本当はおじいちゃんが死んでから間もなく後を追うように亡くなっていた。もう数年前になる。マリママは不安定な母の前にしか姿を現さなかった。けれどいつの間にかリリーにまで自分の姿が見えるようになり、おまけにリリーはマリママが死んだことも忘れているという事実を知り危険だと考えた。だから自分の娘であり、リリーの母親であるマリに警告として伝えた。その警告は父親にもわからせる必要があった。しっかりなさい。もしもリリーを失ったらあなたたちは浮気話の喧嘩なんかじゃ済まないような後悔をするのよ。マリママの厳しい愛情が両親を束の間結束させた。

 ずっと食欲がなく抵抗力が落ちていたリリーだったが、今回のことで栄養を摂るようになるとマリママが死んでいたことを自然に思い出した。マリママといた時間は今考えると不思議だけれど幻の中をぼんやり過ごしていた訳じゃない。だからマリママとの輝く日々を「真実の夢」と名づけた。それから程なくして両親の離婚が決まり、リリーは自らの意志で母の元で暮らすことを選択した。そしてリリーはふと思い出す。マリママが「真実の夢」の中で心に刻んでくれた言葉を。人生は選択の連続。それを思っただけで何となくまた疲労感が襲うけれど、マリママの言ったように、少しずつ休みながら生きようと思った。

 逃げ出したあの日からローにも少しだけ変化があった。いつものようにお気に入りの場所ですやすやと眠っているが、うっかりいきなり体に触れてしまうと驚いて瞬時に威嚇するようになった。ただ相手がリリーとわかるとすぐに安心した顔になり眠りの続きに戻った。もういちど柔らかく触れると今度はおとなしく撫でさせてくれた。その威嚇がリリーにはせつなく映る。
「怖かったのね。わたしも怖かった」
 リリーの目に涙が溢れ、もはや表面張力だけで保っていて今にも流れる星のように震えている。
「ロー、あなたが帰って来てくれて嬉しい」

 リリー、それはあなたにも同じことが言えるのよ。
 あなたがあまりにも儚げに見えて、本当はあなたを連れて行こうかと思ったの。けれどあなたはローのことを決して見放したりしなかった。もちろん寂しかったけれど嬉しさの方が大きかった。私の手を取るようなことが若いあなたに二度と訪れませんように。

 遠くから空気が揺れるようにマリママの声が聞こえた気がして瞳を動かすと、その拍子に涙がこぼれた。温かなリリーの涙で部屋の温度がほんの少し上昇し、香水が蒸発する。リリーに似合うとマリママが言ってくれた香り。顔が火照ってほんの少し、ローが出られないくらいに細く窓を開けて星を眺めた。リリーの息が白くかすんで消えていった。その隣にもうひとつ白い吐息が溶けて行くのが見えた。





《 I Love You 了 》





【 あとがき 】
Mistery Circleさんに参加して今年で10年目になります。この物語の中にささやかながら今まで書いてきた小説の中の人物をエキストラとして少しだけ登場させました。

さて、今年最後のお題。意地でも落とすものかと躍起になりました。毎回書けない書けないと言いながら何とか提出できているので、私の「書けない」は、あまり信用されないのですが(笑)今回はお題が決まった直後から色んな事柄に気を取られ、書く気が起こらなかったので、致命的だ、そんなの困る、と私自身が焦りました。もちろん焦ってもどうにもならないけれど、そこは座右の銘「求めよ、さらば与えられん」の出番でした。諦めなかった結果、締め切り直前に何とか自分の経験+ピカーン!により、書き上げることができました。今年最後の小説は登場人物が迷路に嵌ってもどこか希望を持たせて終わらせたいと思いました。

今年も自由に書かせていただき、感謝しております。皆さんの作品もたくさん読むことができて嬉しく思います。またぜひ新たな作品を読ませてください。どうもありがとうございました。2016年も大変お世話になりました。

幸坂かゆり(2016/11/22 late night)


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