Mistery Circle

2017-08

《 涅槃の子 》 - 2012.06.01 Fri

《《 2016年度オススメMC ☆☆☆☆☆☆☆ 星七つ作品 》》


 著者:幸坂かゆり






 台所の床にごろり、とじゃがいもが転がった。
 突然響いた音に少し驚いてあなたの方に目をやると、その瞬間私の目に映ったものは瑞々しい白い花びら、ではなく、それは捲れたいちまいの皮膚だった。昼食の支度のためピーラーでじゃがいもの皮を剥いていたあなたは手を滑らせ、自分の手も一緒に削いでしまったのだ。
「大丈夫!?」
「あ、平気平気!気にしないで」
 そんな訳には行かない。私は急いで隣の部屋に置いてある救急箱を持ってきた。
 中を引っかき回すと傷につかない大きなパッドのついた絆創膏が入っていたのですぐに取り出して貼ろうとした。しかし皮膚は捲れているものの一部は手のひらにくっついている状態だった。血は出ていないし表皮だが、だからと言ってまさか無理矢理剥がすなんてできない。するとあなたは救急箱に入っていた小さな鋏を見つけた。
「ね。これで切るから悪いけど皮の端っこを持っていてくれる?」
「えっ」
「だってこのままぶらさげていたら何もできないわ。ね、お願い」
 私は緊張しつつもあなたを傷つけないよう細心の注意を払いながら皮膚をつまんだ。伸ばされた皮膚と手のひらの間にあなたは鋏を差し込んだ。私は思わず息を止める。鋏が切れ味の良い音を立てた瞬間、私の手は軽くなった。切り取られた皮膚は私の手のひらに落ちた。
「大丈夫?痛くない?」
「うん、大丈夫。心配させてごめんなさいね」
 拍子抜けするほど軽くあなたは言って絆創膏をぺたりと貼った。
「やっぱり私おっちょこちょいなんだわ。じゃがいもを敵みたいに思って強く握っていたから恐れおののいて飛び跳ねてしまったのかも」
 あなたのじゃがいも評に気が抜けて笑ってしまう。
「とりあえず軽い傷で良かった。今日のお昼は出前を取らない?」
「そうね。なんだか作る気力がなくなっちゃった」
 あなたは困ったような顔をして笑う。そして私にはひとつの秘密ができた。鋏で切ったあなたの皮膚をラップに包み、素早く自分の服のポケットの中に隠したのだ。なぜそんなことをしたのか判らないし、どうしようと言うのだろう。

 あなたが注文したのは寿司だった。
 先ほどの「事件」を思うと少し生々しく感じたが気を取り直して寿司屋が付けてくれたインスタントのお吸い物にお湯を入れた。あなたが真っ先にオヒョウを選んだときは、ぎょっとしたけれど。薄く半透明の白身魚はあなたの皮膚を思わせたから。私は動揺を隠し、急いでアナゴに手を伸ばした。ああ、それにしても楽しみ。突然あなたは言う。今日はふたりで花火大会に出かける予定だった。
「浮かれ過ぎて慌てちゃったのかなあ」
「じゃがいもをふっ飛ばすくらい?」
 あなたは笑った。多分私の動揺は気づかれている。だから急に話題を変えたのだ。あなたはこれまでもなるべく他人に気を遣わせないよう心を砕くひとだったから。それから…現実の理由はあるが抽象的な言い方をすると、あなたはあまりにも邪な心を持たないひとだからだ。

 あなたは小学校の頃の同級生だった。
 おかっぱ頭をして黒目がちな大きな瞳をきらきらさせ、よく級友とはしゃいでいた。はしゃぎ過ぎてぬかるみで転んだり、ほんの小さな冗談ですら真に受けて大慌てしたり、感情の忙しい女の子だという印象があった。けれど人の話をきちんとよく聞き、その瞳でじっと見つめられると惹きつけられてしまう。大抵の男の子はそのままあなたに恋をした。しかし幼さゆえの照れ隠しか、好きであるはずのあなたに意地悪をすることで想いを誇示する男の子が多く、あなたは生傷が絶えなかった。傍から見ていると苛められているようにも見えたが、あなたはいつもうっすら微笑みを浮かべているような口角を持っていたので間違えた意思表示はますます執拗になっていった。スカート捲りや玩具を武器のようにして彼女を追いかけるなんて日常茶飯事で、羽交い絞めにしたり(これは彼女に触れたいという欲求だろう)髪や洋服を切られたり、自転車に乗っているところを横から蹴られて突き落とされたこともあった。ここまで来るとさすがに担任の先生が気づいて男の子たちに注意をした。低学年の彼らは先生の言うことをおとなしく聞いた。しかしこっそり学校帰りに後をつけてくる子は数人いた。ある日私とあなたの家の方角が同じだと判り、一緒に帰るようになると後をつけてくる気配はきれいになくなった。そのときに見たあなたは顔も体も痣だらけで痛々しかった。
「まだ男子から変なことされているの?」
「うん、時々ね。でも大抵は追っかけてくるだけだから逃げれば済むの」
 しつこい奴ら。あなたはとても人懐こくて私たちのお喋りは弾んだ。あの日も確か花火を一緒にやろうと話していたと思う。けれど後日それを知った焼きもち焼きの私の友達といざこざがあったりして(女の子は女の子でタチが悪い年頃だった)あなたと一緒に帰ることもなくなり、花火は口約束になってしまった。そのときはこうして大人になってから再会するとは思ってもいなかったけれど。

 寿司はあっという間になくなった。
 お昼からこんなに食べるなんて私たちって食いしん坊ね、とふたりで笑いながら片づけを済ませて、私は帰り支度をする。
「それじゃ、夕方六時半に迎えに来るわ」
「うん、わかった」
 ドアを閉めて、あなたが部屋の奥に行くのを確認してからそっと音がしないよう、外から部屋のドアの鍵を閉めた。私の職業は介護師だ。友達として接しているあなたも介護者のひとり。ある日地域包括センターから連絡があり、介護されているご家族からあなたのことで相談を受けた。「妹のことで」と言った相談者は女性で、あなたと血を分けたたったひとりのお姉さまだった。初対面のはずのあなたが実は小学校で一緒だったあなただと判ったときは驚いた。あなたは特別変わった名前でもなかったので咄嗟に思い出しはしたけれど同姓同名だろうと思っていた。相変わらずあなたの瞳は人を惹きつける魅力があったが視線に違和感を覚えた。あなたの右目は義眼だった。義眼側の前髪は少し長めに調節されていた。お姉さまが気遣ってそういう髪型にしていたのだが、あなた自身は邪魔になるとすぐに髪を耳にかけてしまうのであまり意味はないようにも思えた。まだ三十にも満たないのになぜ介護が必要なのか、お姉さまに詳しく聞いた。

 あなたは高校に通っていた頃、ストーカーと化した男に付きまとわれていたので、いつも友達数人と一緒にいたが、その事件は友達が去ったほんの僅かな時間の隙間を狙って起きた。あなたは家の前でナイフを持って身を潜めていたその男に襲われ、片目を抉られてしまった。犯人はすぐに捕まった。なぜなら男は逃げずにその場でうつ伏せに倒れたあなたの隣に同じように横になり、血まみれのあなたの顔をいとおしそうに見つめながら抉ったあなたの目を両手に大事そうに抱きしめていたからだ。更に男はその場で死んでいた。死因は不明だ。お姉さまはあなたが倒れているその現場を見てしまった。気の毒に。そしてそのせいであなたという硝子細工は壊れてしまった。厳密に言うと脳に繋がる神経の一部が損傷した。あなたは顔の左側を少し前方に寄せて見えている方の瞳で私を見た。あなたは小学生の頃のように微笑み、初めまして、と私に片手を差し出した。とても無邪気だった。

 あなたは炊事や洗濯など家事は普通にこなせたし、片目が見えない以外は一見どこにも障害がないように見えた。ただ時折、どこからか指令が来るかのようにふらりと徘徊を始めるようになった。夜の中を裸足でどこまでもどこまでも歩き、疲れ果て、倒れているところを発見されることが繰り返され、やがてその回数は増え、目が離せなくなり、心療内科や精神神経科に通い、障害者認定を受けた。ずっとひとりで看ていらしたお姉さまも今は結婚して家を出ていた。お姉さまにご両親は?と聞くと、今はどちらもどこにいるのか判らないんです、としか言葉にしなかったが一瞬見開いた目に幽かな火焔が揺れて見えた。立ち入ったことを聞くべきではないと判断し、両親はなし、とあなた専用のノートに書きとめた。そのため現在も詳しいことは知らない。一人暮らしになったあなたの部屋には監視カメラを設置した。徘徊以外に障害はなく、ドアに鍵がかかっていたら諦めておとなしく部屋に戻る。だが放っておくとまったく動かず飲まず食わずになるため、一緒に料理をするという健康上の介助も計画に取り入れた。いつもそばにいる私の存在は毎日遊びに来る仲の良い友達として位置づけていると思う。事実、私たちは友達だったこともあるので友達口調で喋ることに不都合はなかった。

 花火大会に行くのは遊びではなく、付き添いという私の仕事だ。
 ただあなたが花火大会を見に行きたいと言ったとき、行かせてあげたいと思ったのは幼い頃の約束が果たせると考えた私個人の勝手な罪滅ぼしのためだとも思った。再びあなたの部屋を訪問し、音を立てないように鍵を開けてから呼び鈴を押した。はーい、と元気にドアを開けたあなたは白地に藍色の大きな花が描かれた浴衣を着ていた。とても良く似合っている。

 外を歩くと、昔と変わらず人の群れはあなたを振り返るがそれは義眼のせいではなく、昔と変わらずあなた自身に惹きつける魅力があるせいだ。暗がりなので義眼だなんてよほど近くに寄らない限り気づかれないし、そういう人間の視線はすぐに察しがつくものだ。私は雑草と小石だらけの道の中であなたを見失わないよう手を繋いだ。昼間の傷がある左手だった。絆創膏のせいか傷のせいか少し浮腫んでいる。柔らかい赤ちゃんのような手。なんて可愛いらしいのだろう。大人のような子供のような不思議な存在感を醸し出すあなたはまるで体温のある人形だ。花火が上がり、辺りで歓声が起こる。大きな音が腹部に響いた。

 突然、耳鳴りがした。私の周囲の賑わいが耳鳴りにかき消される。花火の音も。繋がっているのはあなたしかいない。花火が夜空に赤く広がる。あなたが目を抉られた瞬間を想像する。飛び散る血は花火のように美しかっただろう。あなたの目を手に入れて死んだ男はさぞ幸福だったことだろう。ふと無邪気に空を見上げるあなたの横顔を見て、その表情を歪ませてやりたくなった。この浮腫んだ手のひらをぎゅっと握りつぶして、引きちぎって私のものにしてしまいたくなった。数分後、耳鳴りが消えた。瞬時に我に返る。この妄想はあなたと再会してから起こるようになったものだ。

 あなたの家に来る前、横になって休んでいた私は不思議な夢を見た。とても美しい夢だ。あなたの皮膚がなんまいも夜の間に天から降りてきて樹の枝々に花びらと化して、はらりとかかる。私はそのいちまいを手に取り、口の中に入れる。あまりにも美味なので、実はここは涅槃で、これは禁断の食べ物で、私はお釈迦様に罪を試されているのではと思う。私があなたの皮膚を持ち帰ってもあなたに事実上危害を加えることはないけれど、もしもあなたに知れたら恥ずかしくて死んでしまいたくなるだろう。ただ欲しかったの。あなたの一部が本気で欲しかったの。子供が玩具を欲しがるように。手に入れたら、もっと、もっと、と欲が深くなるように。だからあなたの美しい目を抉った男の気持ちが痛いほど理解できる。しかし男は自らの欲求に負けた。弱い男。私には耳鳴りが始まり、その音が消え去るまでという一連の発作のようなもので欲望を制御できる。本当はいつでもあなたをどうとでもできる。けれど何もしない。俗な言葉だけれど私はあなたの子供のような笑顔を見ていたい。花火大会は最高潮を迎えていた。大きな花火が連続で上がり、私とあなたの顔を明るく照らす。





《 涅槃の子 了 》





【 作者コメント 】
今年書いたものの中で一番納得がいった作品です。票を入れていただきとても嬉しく思います。生意気ではありますがお題から浮かんだ世界感に全面的に頼らせて書かせていただいた特別な憑依作品です。大変幸甚に思います。これ以上のものをこれから先また書けますよう精進したいと思います。


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