Mistery Circle

2017-04

《 Bell Micha – ベル・ミカ - 》 - 2012.07.28 Sat

《 Bell Micha – ベル・ミカ - 》

 著者:瞬☆ザ・アフロモヒカーナ(スーパーDQN)








 ドぴーかんって言葉すら何か違うんじゃないかなと思える程の七月初旬、とある猛暑日の午後。
 目に映る世界は白く飛んでしまった写真のようで、その直射日光の下にいるとあたしまでもが幻か何かのように消えてしまうそうな程に凶暴で圧倒的な暑さの昼下がり。あたしは焼けたコンクリートの堤防の上へと駆け上り、短めにはいた制服のスカートさえも気にしないまま、海辺の道を早足で歩いた。
 田舎の夏はとても早い。いつもこの時期になると、海の向こうから巨大な雲と一緒に熱い風が押し流されて来る。
『あちぃじゃねーかよ、カホ!』
 一緒に付いて来たのだろう、背後から不機嫌さ丸出しな、“ベル”の怒鳴り声が聞こえた。
 きっと基準値なんかとうに振り切っているであろう不快指数のせいで気が立ってるあたしは咄嗟に、「うるさい、黙れ」と低い声で言い返す。
『そうだね、うるさいよベル』
 と、これまた背後から聞こえて来るのは“ミカ”の声。『君がいるだけで周囲の気温が二度上がるんだから』と、クールな皮肉を付け足す事も忘れずに。
「あんた達マジうざい! 少し黙ってて!」
 部活の最中に起きたつまらない小競り合いを未だ引き摺っているせいか、どうにも二人に対しての言葉にトゲを隠せない。
『へぇい』
『はーい』
 トーンの低くなった二人の声が聞こえ、ちょっと言い過ぎたかなと思いつつ、歩きながら後ろを振り向く。
 白と黒。まんまそんな形容が当てはまるだろう二人だ。
 白のチュニックにサルエルパンツ。そしてこれまた真っ白な長い丈の綿コートを羽織り、気取った表情で眼鏡を直すのは、ミカ。
 そしてその対象とも言うべき、真っ黒なスーツの上下に紺のシャツ。至る所からぶら下がるアクセサリーのせいで常にちゃらちゃらと耳障りな音をさせているのが、ベル。
 暑さ寒さなど全く関係なく一年中この服装で過ごしている二人なのだ。今更暑いなどと言う主張など、聞く気にもなれないのがあたしの本音だ。
 むっつりと黙り込みながら歩く二人を見て、ちょっとだけ反省しながら、「ねぇ、甘乃屋(あまのや)寄ってかない?」と聞いてみる。途端二人の表情がパーッと効果音でも出そうなぐらいに明るくなって、同時に『行く!』と、元気な返事がかえって来る。
「おっけー」
 言ってあたしはまた前を向き、二人には見えないようにちょっとだけ微笑みながら早足で歩き始める。遥か遠くで、漁船の上げる警笛が聞こえた。
 見渡す限り、山と田畑と青き水平線ばかりの田舎街、奈河橋(なかはし)町。遠く白く感光したかのようなその世界は、まだまだその熱を出し切っていないかのようにさえ見える、そんな昼下がりの事だった。

 ――天使と悪魔。もし彼等を何かに例えるとしたら、そう言う呼称がぴったりなのではないか。
 例えばあたしがケーキ屋さんで何を買おうか悩んだとする。
『ばっか、お前。そりゃあモンブランだろうよ。なんかお前みたいにイモっぽいしさ』
 と、どこまでが本気かジョークなのかが判らない返事で豪快に笑うのが、口と態度が超ワルな黒い悪魔ベル。そして――
『ここはモンブランでしょうねぇ。高カロリー、高血糖。健康を損なうには最高のスイーツかと思いますよ』
 とクールに微笑むのが、皮肉屋でいけすかない知的眼鏡の白い天使ミカ。性格は超反対で、しかも顔だけは二人おんなじ。で、まぁ、あたしが言うのも変だけど、二人共そこそこにはイケてる顔はしていると思う。
『なぁ、ミカ。そこの黒蜜取ってくんねぇ?』
『まさかとは思いますが、ソーダ味の氷にかけるつもりではありませんよね?』
 なんて馬鹿馬鹿しい会話を交わしながら、二人はあたしの向かいのテーブルで、青い色のかきごおりを頬張っている。珍しくあたし達以外だぁれも客のいない、甘味屋さんの店内の一画。二人はお互いの氷の上に、黒蜜やらきなこを乗せてふざけ始めた。
 いや――勘の良い方ならばもう既にお気づきであろうが、こいつら二人は実際には存在していない。あたしが心の中だけで作り上げている幻影だ。但しそれは限りなくリアルで、本当にあたし自身の脳内で動かしているのかどうか怪しい程に予測不可能な行動をする。
 まぁ、おそらくは誰の心の中にもある事だろう、判断に迷った時や決断が出来ない時に現れる、“イエス”か“ノー”の葛藤を徹底して具現化したものと考えてよろしいんではないだろうか。
 但し、何故かこの天使と悪魔は双方の意見で戦わない。むしろどちらかと言えばいつも私の意見に反発し、多数決で勝ちに来ると言う嫌な奴らだ。なのであたしに言わせれば、どっちも変わりなく悪魔みたいなものだ。
 ぶっちゃけて言うと、とてもウザい存在なのだが仕方ない。あたしが生み出している以上、どこにも行かないし消えてくれない。もはや物心付いた頃からずっと一緒に育った兄弟みたいなものだし。
 昭和レトロなイメージの薄暗い店の中を、涼しげな風が通り抜ける。すだれの下がった窓の外で鳴る風鈴の音が心地良い。
 あたしは空になったあんみつのお椀の前に箸を並べ、まだふざけ合ってる二人を置いたまま、「ごちそうさま」と立ち上がる。背後でどんな罵詈雑言が聞こえて来ても気にしない。テーブルの上に五百円玉を置き、鞄を持って外へと出ると、少しして二人が置いて行かれた猫の子供のようにして駆けて来るのが足音で分かった。
 ホントこいつら、どこまでがあたしの空想なのかしら。思いながら、『待ってよ』と聞こえる声を無視するかのように歩いて行くと、ようやく追いついた二人があたしを挟み込むようにして両側に立ち、『やっぱ何かあったんだろ?』と、実に痛い所を突いて来る。
「別に」
 つっけんどんにそう言うと、『マチダに何か言われたのか?』と、ベル。
「マチダ君? ううん、特になんでもないよ」
『なんでもない訳ないでしょう。かなり真剣な表情で話し合っていたじゃないですか』と、ミカ。
 うわぁ、嫌な奴等だ。しっかり見てる。
 遠くから江刺電鉄の電車が近付いて来るのを見上げながら、あたしはぼそりと、「付き合ってくれって」と、白状した。
 言うと二人は、『ひゅ~う』と、冷やかしな声をあげる。
『やるねぇカホ。これで合計、何人に告白されたんだ?』
『おめでとうございます。彼なら真剣にカホの事を愛してくれるでしょうから安心ですね』
「訳わかんない。こっちはもっと別の事で悩んでるのに」
 言うと二人はまたしても、『何に?』と、同時に聞き返して来る。
「キヨラちゃんよ。彼女ずっとマチダ君の事好きだったんだもん。今後どうやって彼女と付き合って行けばいいのかわかんないよ」
『あぁ~、キヨラちゃんね! しょうがねぇじゃん。頂いちゃいました、ごめんなさいとでも言っとけよ』
『カホ、同性なんかよりも異性の方が大事ですよ。そちらの方が健全な上、生物学上、まともです』
「あんたらの意見、なんの役にも立ってないから黙ってて!」
 あたしは叫ぶが、その怒鳴り声は道路の真横のレールの上を走り去って行く電車の音に掻き消された。

 *

「え……振ったの?」
 翌日、キヨラちゃんは教室の外の廊下の窓辺に寄り掛かりながらそう聞いた。
「いや、振った訳じゃなくて――」と、あたし。「特に誰とも付き合う気は無いと申し上げて来ただけで」
『振ったんじゃん、それ』
『うわぁ、悪魔ですねぇ』
 横に立つベルとミカが横槍を入れて来る。うるさいこの悪魔共。この場から消え去れと、あたしは心の中で念じた。
「そっかぁ……振っちゃったんだ。カホは普通にモテるからなぁ」
 意外にもキヨラちゃんは、どこか残念そうな表情でそう言った。
「もしかして私に気を使った?」
「いや、まさか! 全然そういうつもりはなくて」
「え、全然気を使わなかったの?」
 してやったりな笑顔で、キヨラちゃんは言う。
「あ、いや……そう言う訳でも? いや、なんかそう言うつもりでもなく……」
『酷いですねぇ、カホ』
『悪魔みたいな女だな』
 あぁもう。この背後の悪魔達、祓い飛ばしてやりたい。
「そっかぁ。でも、やっぱり思った通りだったな」と、キヨラちゃんは笑う。
「思った通りって?」
「カホ、絶対に付き合わないと思ってた」と、キヨラちゃんはこちらに振り向く。「あれがマチダ君だからとかじゃなくてさ。いつもそうじゃん。誰に言い寄られてもカホは絶対に首を縦に振らない。絶対に誰とも付き合わないだろうってね。――結局、思った通りだったけど」
「え、どうして? なんでそんな風に思っちゃうの?」
 むしろ彼氏は欲しいんだけどねぇ。なのになんでいつも断っちゃうのか、自分でも良く判ってない訳で。
「なんかねぇ……カホ、落ち着いちゃってるんだわ」
「落ち着いてる? あたしが?」
 予想も付かない返事に、あたしは驚く。
「なんかさぁ、カホにはいつもべったりと彼氏が寄り添ってて、その人一本って感じ。他の男なんか視界にも入ってないぐらいに落ち着いちゃってる感じなんだ。それでもなんかモテるから不思議なんだけど」
「えぇ、なにそれ。そんな馬鹿な」
「もしくは、彼氏と言う設定値が異様に高レベルか」と、キヨラちゃんは私の顔を指差しながら不敵に笑う。「なんにしても、カホには男を寄せ付けないオーラがあるからね。私は今、超ラブラブなんで割り込まないでくださ~いなんてイメージで」
「割り込まないでって、誰と……」
『誰とだよ。こいつが男と一緒にいた事なんて一度もねぇぞ』
『笑っちゃいますね。ホント、カホに彼氏がいるなら僕達も安心出来るのに』
 ふと、あたしは振り向く。
 高設定? 高レベル? 超ラブラブなんで割り込むな?
 ――って、まさかこいつ等が傍にいるせい? 有り得ないとは思うけど、こいつ等の存在のせいで近寄るなオーラでも、かもし出してる?
「ま、今回はそのおかげで安心出来たけどね。でもいい加減、男に求める条件下げた方がいいと思うんだけどなぁ」
 え、あたしって自分でハードル上げてるの? やめてよ、自分じゃ何も気付いてないのに。
 じゃ、と去って行くキヨラちゃんの後ろ姿を見送れば、向こうの教室から出て来たマチダ君と合流し、二人で階段を下りて行く。うわぁ、何だろうこの疎外感。両天秤にかけられた友情と恋愛の二つから友情の方を取ったら、両方共に消えて無くなっちゃった気がするよ。
『あらら残念。このパターンだと、マチダ君は彼女と付き合うでしょうねぇ』
『もったいねぇなぁ。マチダって結構、女子に人気ある奴じゃん』
「いいじゃない、あの二人が付き合うのが一番自然なんだし」
 軽く溜め息を吐き出しながらそう言うと、『無理してるねぇ』、『無理してますねぇ』と、二人同時にツッコんで来る。
「別に無理してないし」と、あたし。
「最初から付き合うつもりなんて全くなかったもん。キヨラちゃんのためとかじゃなくてね」
『いや、だって昨日、めっちゃ悩んでたじゃん』
『そうそう、そうですよ。これから彼女とどうやって付き合って行けばいいのかわからないって』
「まんまその通りになったじゃない。あたしとマチダ君との間の事なのに、何故かキヨラちゃんとの間に溝が出来ると言うこの不思議」
『まさか……悩みってそっちの方?』
「当たり前でしょ。他にどんな悩みがあるって言うの?」
 言うと二人は大袈裟な身振りで頭を抱え、困って見せた。
『カホ、あなたもしかして異性に対しての興味が無い?』
「無い訳ないでしょ」と、ミカに反論する。「あたしだっていい人がいたら付き合いたいよ」
 言うと二人は、『へぇ~』とか、『ふぅん』とか、やけに気のない返事。
「何その適当な態度」
 ちょっとだけ恐くした声でそう言うと、『カホ、こうしよう』と、ベルが珍しく真剣な表情で提案して来る。
『もし今度、誰かが告白して来たらさ。とりあえず付き合っちゃえば? いつか本気で彼氏が出来た時の練習用って感じでさ』
 言い終わると同時に、『それいいですね』と、ミカまで賛同する。いやバカじゃないの。有り得ないでしょう、そんなの。
 あたしは一蹴り、「ふざけんな」とベルの脛にキックをくれると、蒸し暑い風の舞い込む教室へと戻る。
 後ろで二人がまだ何かバカを言っているが気にしない。何を言われようと、あたしはまだ誰とも付き合うつもりは無いんだから。でも――
 どうしてあたしはこうなんだろう? ふと、心の中で自問自答する。
 何故か不思議と、物心付いた頃から恋愛感情と言うものには疎く、さほど興味を持てないままに生きて来た。
 同い年の友人達が恋バナなんかで盛り上がってる時も、何故かあたし一人が浮いていた。いや、醒めていたと言う方が正しいのか。好きな男子の名前を言い合いながらはしゃぐ姿を眺めつつ、自分とは大きな隔たりがある事だけは薄々自覚していた。
 もちろん彼氏が欲しいなと思った事はある。今現在だってそれは充分にある。
 だがそこより一歩先に踏み出せないでいるのはやはり――“こいつら”のせいなのだろうか。
『カホ、お前謝れよ。さっきのめっちゃ痛かったんだぞ!』
『八つ当たりはいけませんよカホ。彼を振ったのはあなたの意志じゃないですか』
 誰の目にも見えていないのを良い事に、ベルとミカは女子ばかりしかいない教室の中で大騒ぎし始める。
 でもあたしは取り合わない。ここで彼等と言い争ったって、あたし一人が発狂したようにしか見えないしね。
 そんなあたしの気持ちが判ってか、ベルもミカも黙ったあたしにはしつこく食い下がりはしない。今は話せない状況だと悟ると、そっとその場から姿を消す。
 文句を並べながら教室から出て行く二人を見送りつつ、あたしは思った。――あぁ、やっぱり“こいつら”かと。
 多分なんだけど、きっとこいつらはあたしの中での“完成形の男子像”なんだろうと思う。自分の妄想の中で作り出している以上、どんなに口が悪くても、どんなに腹の立つ事言われても、きっとそれがあたしの中での好みの男子。そんな二人と幼い頃からずっと一緒だったのだ。
 ならば理想に現実の男子が追い付く筈もなく。必要以上に精神年齢の幼い同級生の男共には、目が行かなくて当然ではないだろうかと。

 *

『なぁ、カホ。どっか旅行とか行かねぇ?』
『ねぇ、カホ。どこか旅行とか行きませんか?』
 電気スタンドの仄かな灯りの中、蚊取り線香臭い二階の部屋で数式を解いているあたしの集中は、こいつらのせいで一瞬にして途切れた。
「うるさい、黙れ。二人で勝手にどこか行って来い」
 言うと二人は机を挟んで両側から、ステレオのようにブーイングを浴びせて来る。
「ちょっと、大概にしてよ。あたしはこれから期末テストなんだよ? マジで邪魔しないでくれる?」
『終わってからでいいからさ』
『どこか行きましょうよ』
「どこかって、どこよ!?」
『そうさのぉ』
『例えば……』
 と、いそいそと差し出して来たのは、N県岨鍬(そくわ)町と書かれたパンフレット。――はぁ? なにそのめっちゃローカル。
「却下。行きたかったら二人で行って来い」
『えぇ~、なんでぇ~?』
『二人だと心細いですよ。やっぱりカホも一緒にいないと』
「百歩譲って、三人でどこか行くとする」と、あたしはノートを乱暴に閉じる。「でも、ここは却下。なにこのジジ臭い旅行案内。温泉に、山の幸に、田舎の原風景に、渓谷? こんなの見て、どこが楽しいの?」
『楽しそうじゃんねぇ? やっぱ人は、自然とたわむれなきゃ』
『そうですよ。休みの時ぐらい、何も考える事なくぼーっと出来るような場所に行かなくちゃ』
 何言ってんだか。元よりここだって、ぼーっとするぐらいしか出来ない程のド田舎じゃん。
「温泉入りたかったら近所に三つもあるでしょう。しかもここ奈河橋町は、山の幸どころか海の幸まで豊富だし。田舎っぷりならどこよりも負けてないし。こんなんでどこかの農村に行く理由とかある訳?」
『いや、それは……』
『あ、ありますよ、ホラ。これこれ。ここちょっと見て下さい』
 と、ミカが指差したのは、きっとこの町の名物か何かなのだろう。餡子のお焼きと、お汁粉の写真。ほう、なるほど。甘味で釣ろうとして来たか。
「良く読んだ訳? 下に、“冬季のみ”って書いてるよね」
 そう指摘すると、ミカは黙り込みながら眼鏡を直し、食い入るようにパンフレットを眺める。
「ハイ、議論終わり。大体あんた達、渋谷か新宿辺りでぶらぶらしてそうな恰好で、なんでまたそんな田舎に行きたがるんだか判らないんだけど」
 言うとベルは、『いいよぉ~だ。カホのけち』と押し入れを開け、上の段によじ登る。そしてミカは、『もう一度お考え下さい』とパンフレットをあたしに押し付け、下の段へと潜り込んで寝転がる。おいおい、お前らは猫かドラえもんですか?
 一瞬にして静かになる部屋の中。なんかもう再び試験勉強に戻る気力もなく、あたしもまた下着とシャツ一枚と言う恰好のままベッドに転がり、気にする程でもないミカの渡したパンフレットを開いて眺めた。
 うん、やっぱ興味ないわ。思いながら、視線がとある一点で止まる。
“双尋峡(そうじんきょう)”と書かれた吊り橋の写真。ふと、心の中で何かの想い出が浮かび上がりそうになる。だがそれはすぐに四散し、後には何も残らない。
 ――N県、ねぇ。何でまた、こんな辺鄙な場所に行きたがるんだろう。
 ちりんと、窓の外の風鈴が鳴る。もうすぐ夏本番か。もうこんなに暑いのに、なんて思いながら、あたしはそっと瞼を閉じた。

 *

 石段を駆け上がり、飛び込むようにしてあたしは神社の屋根の下へと潜り込む放課後の帰り道。
 突然に降り出した大粒の雨。ようやく避けられはしたが、もはや着ている制服は絞れる程になっていた。
 ベルとミカはあたしを挟むようにしながら両隣へと座り、同じような仕草で濡れた衣服の袖を嫌そうに振り回す。
 ――こりゃ当分帰れないなぁ。なんて思いながら、あたしは取り出したハンカチで髪を拭き、暗い空を見上げる。べっとりと肌に張り付く半袖シャツが気持ち悪い。
『カホ、テストはいつまで?』と、ベル。
「明日までだよ」
『じゃあもすぐ夏休みですね』と、ミカ。
「だね。明々後日が終業式だから」
『おっと、それじゃあどっか行っちゃう感じ?』
 なんて食い付いて来るベルに、「行かない」と素っ気なく返す。
『行かないって、どうしてですか?』
「いやむしろ、どうしてどこかに行かなきゃいけないのですか」
 次第に両側から寄って来る二人を指先で押し戻しながら、「休み中はずっと仕事だから」と返す。
『仕事ってなんだよ!』
「コウゾウおんちゃあ家のスイカの収穫」
『あぁ、なんですかそれ。つまらない』
『お前せっかくの夏休みだぞ。遊ばないでどうする!?』
「遊ぶって、何で? 海行くの? プール行くの?」
『カホにはその二択しかないんですか?』
「いや、あたしに二択しかないんじゃなくて、この町にはその二択しか娯楽が無いんだってば」
 言い返すと同時に雨脚が強まり、ざあっと境内の地面が音を立てる。遠くに稲光が見えた。
『えー、つまんねぇー』
 嘆きながらベルが縁の上でごろりと寝転がる。
「何それ。別にあんたら楽しませる為の夏休みじゃないでしょ」
『でもね、カホ』と、ミカが言う。『十七歳と言う年齢の夏休みは、今年が最後なんですよ?』
「いや、それわかんないし」と、あたし。「そんな事言ったら、十七に限らず十八も十九も常に一回きりじゃない」
 どうだ、言い返せまいとばかりに笑みを浮かべると、意外にもミカは、『そうですよ』と、遠くを眺めながらそう返す。
『だからこそ常に、真剣に生きておくべきなんです。惰性で過ごす時間は哀しい程に無益です』
 ――おいおいおいおい。難しい言葉使うなよ。たかがあたしの空想のクセに。
「じゃあ、何? 親戚の家の仕事を手伝うのは無益って事? ちゃんとバイト代出るんだから、無益って事はないじゃない」
『そう言うんじゃなくてさ』と、ベルが起き上がる。『なんかこう……あるじゃん? 夏の間の想い出作りみたいな』
「いやそれ、わからない。遊んでいれば想い出になるの?」
 言うと二人は同時に『ふぅ』と大きな溜め息を吐き出し、そっぽを向く。
「ちょっと、なんなのよあんたら! 二人して訳のわからない屁理屈こねまわしてさ。言いたい事あるのならハッキリいいなさいよ」
『どっか行こう』
『どこか行きましょう』
「どこかって、どこよ!?」
 怒鳴ると黙る。あぁもう、面倒臭い。
「大体あんたら、どうしていつも二人掛かりであたしに対抗して来る訳? たまには違う意見で真っ向戦いなさいよ。ベルが『せっかくだから遊ぼうぜぇ~』なんて言って来たら、ミカが『いやいや、夏休みこそ学業に精を出すべきです』なんて言い返してさ」
 眼鏡を直すような恰好でミカの口調を真似てみれば、ベルは『似てる!』とか言って大笑いするし、ミカは『そんな滑稽なポーズしませんよ』とふくれっ面をする。
『しっかし――わかってねぇなぁ、カホ』と、ベルが呆れ声で言った。
「わかってないって、何がよ」
『わかってないですよね。僕達はあなたの天使でも悪魔でもないんですよ』
 ミカの言葉に、「じゃあ何だって言うのよ」と、あたしは食って掛かる。
 だが二人は答えない。まるで誤魔化すかのようにして薄笑いを浮かべると、ベルが『なんだろうね』とだけ返す。
 腹立たしくなったあたしは、咄嗟にベルの胸倉を掴むと、「なんなのよ! 言いなさいよ!」と詰め寄る。
 きゅうきゅう言いながら苦しがるベルが面白くて、尚も締め上げながら両手で揺すると、ぺたりと背中にミカの手が触れた感触があった。あたしは思わずベルから手を離し、「うひっ」と仰け反る。
「何すんのよ!」
 そう言って手を振り放せば、ミカは動じもせずに、『この為にいるんですよ』と、やけに優しそうな表情をする。
「この為ってどう言う意味よ。まさか痴漢行為の為だけにいる訳?」
 なんてミカに向かって怒鳴ると、今度は反対側から背中をドンと、ベルがどやしつける。
 しかもそれが案外に痛くて、今度は思わず、「げほっ」と仰け反る。
「――っと、何すんのよ!」
 振り向けばベルもまたやけに優しい顔で、『この為にいるんだよ』と、同じ台詞。
「だから何? 二人であたしの背中ぶっ叩く為って事!?」
『そうじゃねぇよ』と、ベル。
『あなたの背中を押す為にいるんですよ』と、ミカ。
「なにそれ。背中押すってどう言う意味?」
『そのまんまですよ。あなたが困った時に、背中を押す為に存在してるんです』
「訳わかんない」
 言うと今度はベルが、『お前が迷った時に、手助けしたいんだよ』と、笑う。
 う――なんだろう、なんかちょっとだけ妙に言葉に詰まる。
「あぁ、だからか」と、あたし。「だからマチダ君に告白された時も、あんた達はああやって、無理に付き合わせようとしたんだね?」
『いや、それは違う』
「違うって、どう違うのよ?」
『だってカホ、へそ曲がりでしょう』と、ミカ。
『そうそう。付き合えって言っとけば、逆の事するだろう?』と、ベル。
「え、なにそれ。もしかして付き合って欲しくなかったって事?」
『いや、そうは言ってねぇけどさ』
『もし彼氏が出来ちゃって、僕達がないがしろにされちゃったらちょっと悲しいじゃないですか』
 ぽっ――と、なにかどこかが熱くなる。そんな感覚。そして同時にあたしは確信する。あぁ、やっぱりだ。あたしは間違いなく、自分の妄想に恋してるんだと。
 情けないけど仕方ない。多分今のこの二人の台詞だって、きっとあたしが心のどこかで欲していた言葉な筈。こんな事、他人に知られたら死ぬほど恥ずかしいだろうけど、多分これがあたしの本心なんだろうからしょうがないじゃない。
『だからさぁ、カホ――』
 と、そっと二人の手があたしの肩に触れる。おいおい、普段だったら全く気にしない事なのに、なんか今の状況だと不思議とどぎまぎする。
「な、なに?」
『どっか行かねぇ?』
「……え? はい?」
『だから、どこか遠出しましょうよ』
「ちょっと、またそう言う無茶を言う……」
 と、二人の手を振り解こうとあたしは暴れる。
「い、き、ま、せ、ん。こればかりは何度言われても無理! 夏休みはアルバイトで忙しいの!」
『お前、そんなしみったれた事ばっか言いながら無駄に人生過ごしてたら、あっと言う間にババァになっちまうぞ』
「ババァって何よ、ババァって! それこそ何度も言うけど、アルバイトが無駄って事はないでしょうに!」
 叫ぶと同時に、隣でミカが、『あ』と、気の抜けた声を上げる。
「何よ?」
『え、と――ほら。そろそろ雨も止みますよ』
 指差した空の向こうに顔を出す、夏の真白き太陽。
「いや、まだもうちょい止まないでしょう」
 言うが早いか、二人は同時にあたしの背を押し、『行くよ』と、小降りになった雨の中へと飛び出して行く。
 あたしは突然の事に、前のめりによろけながら境内の階段を一緒になって降りて行く。二人は同時に両側からあたしの腕を掴み、支えた。
「あ、わかった! あんた達、背中を押すってこう言う意味で!?」
『そうじゃない』
『全然違います』
 言いながら二人は尚もあたしの手を引きながら、小雨の空の下を小走りに駆ける。
「何よ、止むまで待てばいいじゃん! なんでこんな雨の中を走らなきゃいけないのよ!」
『待ってる時間がもったいないでしょう』
『そうそう。何事も早くしないと、あっと言う間にババァになっちまうぞ』
 ――なんて、やけにせっかちな二人は、あたしに対して憎まれ口を叩きながら。
 なんとなく、今のこの三人の関係が永遠であるかのように感じた。
 いつの日にかあたしにも彼氏が出来たり、夫が出来たりと言う日が来るのかも知れないが、その時もきっとこの二人はあたしの傍にいてこうしてバカな事ばかりしている。そんな感じがしてならなかった。

 *

「ごめんね」
 と、終業式の前の賑やかな教室の中でキヨラちゃんはそう言った。
「え――何が?」
 なんてわざとらしくあたしは聞き返す。彼女の言わんとしている事は何となく察しが付いているだけに、痛い。
「あのさぁ……なんか私、マチダ君と付き合う事になっちゃったんだけど」
「えっ――あぁ、そ、そうなんだぁ」
 なんて困ったふうに返事はしてみるが、この胸中、困ってる部分はもっと別にあって。
『構いませんよ。カホにはもっと相応しい方がいらっしゃると思いますから』
『いいじゃんいいじゃん。振られた直後に別の女に言い寄るような男は、こっちから願い下げじゃん?』
 なんて挑発的な文句を並べながら、あたしの肩に手を回す悪魔二人。えぇい、ウザい。ウザいけれど、人前で振り解く訳にも行かない。後で覚えとけよと心の中で念じつつ、あたしはひたすらじっと耐える。
 その後、キヨラちゃんは、「これからも仲良く付き合って行こうよ」なんて尤もらしい事を言いながら、よそよそしい態度で去って行く。なんか楽しい筈の夏休み前日だってのに、妙な感じで超ブルー。
 体育館で行われる物凄く退屈な式の後、教室でこれまたブルーになっちゃう通信簿をもらってハイ終わり。三々五々と散って行く同級生達と一緒にあたしもそそくさと帰ろうと思ったんだけど、いきなり現れたベルが、『まぁ待て』とばかりに通せんぼ。何事かと思ったら教室の外で立ち呆けているマチダ君の姿がそこにあった。
 教室を小走りに出て行くキヨラちゃん。良かった、今出て行ったら二人と鉢合わせする所だったと思いながら、「ありがと」と小声で呟けば、二人同時にあたしの頭をポンとする。
 ちっ、生意気な。ちょっとだけムッとしながら開け放たれた窓を眺めると、そこから切り取られたかのような遥か青空の空間。
 ――あぁ、どこか遠くに行きたいなぁ。なんて思った瞬間、あたしの心でも読んだのだろうか、『あ、やっぱどっか遠出しちゃう感じ?』、『いいですねぇ、お付き合いしますよ』と間髪入れずに突っ込んで来る。
(い、き、ま、せ、ん!)
 言葉の代わりにこぶしで五回、静かに小突く机の端。二人は同時に、『ちぇ』とか言う。
 遠くで、野球部が上げたものだろう、カキーンと言う青空に抜けて行ってしまいそうなぐらいの金属音が聞こえて来た。

 夜。浴槽の縁の掴まりながらふぅと息を吐く。少しだけ滑る、角の取れた木製の縁が心地良い。
 さぁ、明日からは野良仕事だ。とても面倒なんだけど仕方ないよね。なんて自分で言い訳しながら目を瞑る。
 なんだろう。思えば幼い頃からずっと自分で望んだ事から逃げて生きて気がする。面倒な事や嫌な事、何もかも、「NO!」とすら言えないまま今に至る気がする。そりゃああたしだって夏休みぐらいのんびり過ごしたいよ。何で好きこのんで農作業の手伝いなのよ。
 なんてぐだぐだと思いながら、無駄に広い浴槽の中で思いきり身体を伸ばす。
 そういや小さい頃はこの昔ながらの風呂場が怖くて、一人で入れなかったなぁなんて思い出す。
 あの時はなんか毎日普通に、ベルとミカと一緒にお風呂に入ってたなぁ。そんでいつもこの広い浴槽で遊んでたなぁ。
 で、いつの間にか一人で入るようになってさ。あれは何か、きっかけとかあったんだっけ?
 ヤバいね、あたし。いくら自分の妄想だからって、今更二人の男子と一緒に入れる訳ないじゃん。なんか最近は本当に病的な思考になって来てるな。なんて思いながらまた一つ小さく溜め息を吐く。
 風呂上り、冷たい麦茶を片手に部屋へと戻ると、二人は何を話し合っていたのか。大量の旅行雑誌やらパンフレットを並べ、真剣に読みふけっていた。
「あんたら何してんの?」
 聞けば二人は、『うん』と良く判らない返事だけして、『風呂の湯、まだ溜まってる?』と聞き返す。
「溜まってるよ。入るんだったら掃除して出てね」
『へぇい』
『はぁい』
 言いながらのっそりと立ち上がり、どこから引っ張り出したのか下着の代えを片手に廊下へと出て行く。
 あぁ、もう。こんなに散らかして。思いながら一冊を手に取ると、信州甲信越地方の旅マップ。――おいおい、まだ諦めてないんかい。思いながら他の雑誌もざっと眺めてみると、やはりどれも大体同じ地方の旅行雑誌。一体何にこだわってんだこいつら?
 二人がいない間に雑誌をひとまとめにして机の横のラックに無理に詰め込む。
 後で文句言われるかな。なんて思いながらベッドに横たわり目を瞑ると、明日からは早起きしなくていいんだと言う安心感からか、いつの間にかそっとまどろみ始める。
 あぁ、ダメ駄目。まだやる事たくさんあるのに。なんて心残りのまま見た夢は濃霧の中の道の途中。
 なんだこれ? 前も後ろもわからないじゃない。なんて思いながらしゃがみこんで途方に暮れているあたし。何故か足がすくんで動けない。真上に一直線に伸びる紐に掴まりながら、あたしは怖くてすくんでる。
 なんなの? どう言う事なの、これ。
 思いながらベソをかき、どうにもならない、どうしようもないなと絶望しているその最中。その白い闇の中から現れる人の影。
 ――誰? なんて聞く前に差し出される小さな腕。
 そしてあたしはその手を握って立ち上がる。
 そんな夢。なんだかどこかの過去か未来に体験した事があるかのような、そんな夢。気が付けばもう既に窓から差し込む陽は高く、あたしは慌てて飛び起き、「ヤバい!」と叫ぶと、タンスの中から中学校時代の体育着を引っ張り出す。

 *

 空が遠いなぁ。なんて思いながら、阿呆みたいに口を開けて宙を仰ぐ。
 遮るもののない炎天下。辺りは一面の緑と黒のストライプと、咳き込みたくなるほどの熱気の混じった草いきれ。あたしは二人に背中を預けながら、ぼんやりと地べたに座り込んだまま空を見上げていた。
『うぅん……スイカ甘いかしょっぱいか』
『カホなぁ、これがお前が望んだ世界だってぇのか?』
 均一にもたれ掛りながら茫然とサボるあたしら三人。いやいや、あたしだってここまで過酷な労働だとは思わなかったってのに。
「ねぇねぇ、これってあたしが孤独に熱中症なって倒れても、だぁれも気付いてくれないよね?」
 他に人がいないのを良い事に、あたしは堂々と二人に話し掛ける。
『まぁ、俺等がいるから大丈夫じゃん?』
『そうそう。もし倒れたら、家の前までこっそりと運んでおきますよ』
 なんて馬鹿みたいな会話を交わしつつ、誤って落として割ったスイカを頬張りながら種を飛ばす。いやぁ、田舎だなぁ。
「ねぇ、昔こんな風に三人で地べたに座り込みながら空を見上げていた事があったの、覚えてる?」
『え、そんなんあったっけ?』
『ありましたよ。秋の川原のすすきの中の事でしょう』
「そうそう、それそれ。なっつかしいよねぇ。確かあれ、あたしがまだ小学校の頃だ」
『あぁ、あれか! トンボの大群が頭上を飛んで行って、怖かったよなぁ』
『山から下りて来るトンボでしたからね。一体、何万匹いたんでしょうかねぇ』
「まだあるよ。学校の裏の丘で星を見ていた時も、こんな感じだった」
『あれか。カホ、おかんに怒られて家出した時の事だな』
『なんで怒られたんでしたっけ? もう帰らないからってタンカ切って飛び出して行きましたよね』
「で、マジで帰らなくて更に怒られた」
『そうそう。こうやって空見上げながら三人で寝ちゃったんだよな』
『懐かしいですね。なんでこんな暗闇の中で寝ていられるんだって、お父さんも相当怒ってましたしね』
「あははははは」
 あれはねぇ、あんた達がいたから平気だったんだよ。いつもあんた達が傍にいれくれるから、あたしは何も怖くないんだ。
 広大な畑にあたし達三人だけ。いや、多分どこかに“コウゾウおんちゃあ”と奥さんもいる筈なんだけど、見渡す限り全然見付からない。
 傍らには三人で収穫したスイカを山程積み上げた木製のリヤカー。いやいや、これがあたし一人だったら夕方まで掛かっても満タンにはならないでしょうと。
 そう思ったのならやめておけばいいものを、結局一休みの後にもうひと踏ん張りとばかりにまた積み上げて、三人でえっちらおっちらと運んでしまったからもう大変。
「カホちゃん、もんのすげぇなぁ!」
 案の定、まだ日没手前の夕刻から始まる晩酌の席で、コウゾウおんちゃあはビール片手に声を張り上げた。
「いや、まぁ……ちょっと頑張っちゃったかなぁ、なんて」
 と、取り繕ってももう遅い。「あの短時間で、一人であんだけ積める奴ぁそんなにいねぇ」と、おんちゃあは驚く事しきり。いやぁ、実際は三人でやったんだけど。
 コウゾウおんちゃあの家は広い。子供の頃などは、まるで小さな運動場に思えたぐらいの広さだ。そんな広さの中に、あたしも含めてたった三人だけ。但し、テレビの前で野球を観ているベルとミカは除く。
「ヒロシもコウジも出て行っちゃったけぇねぇ」
 奥さんのミツヨさんは言う。長男のヒロシ君は東京で就職し、次男のコウジ君もその後を追いかけるようにして東京の大学へと進学。今は向こうで二人で生活しているらしい。
「一気に二人もいなくなったもんだから、人手が足んなくてよぉ」
 と、おんちゃあは寂しそうに言うが、恐らく寂しいのは人手不足の方ではなく、家族が減ってしまった事の方が大きいのだろう。
「一度に二人もいなくなるってのは、なんか不思議だよねぇ」と、ミツヨさん。
 二人ね。まぁ確かに、あたしにくっついてるあの二人も、一度にいなくなってしまったら相当に今までの生活が変わってしまうに違いない。
「んでも、ヒロシもコウジも、カホちゃん来て手伝ってくれてるって聞いたら悔しがるべなぁ」
「そうだねぇ。後で電話してそう言ってみようかねぇ。もしかしたら二人共、帰省して来るかも知れんからねぇ」
 二人の言葉に、「なんですかそれ」と、あたしは笑う。
「あの子ら、カホちゃんの事好きだったからねぇ」と、ミツヨさん。「小さい頃なんかもう、いつもいつもカホちゃんカホちゃんって。大きくなったらカホちゃんと結婚するんだって、二人して同じ事言ってたしねぇ」
 あぁ、それ覚えてる。なんか幼い頃いつも二人でそんな事言って来て、ベルとミカが後ろでキーキー騒いでたっけ。
「でもあの子達、いつもカホちゃんに振られてねぇ。見ていて本当に可笑しかったわ」
「だっけなぁ。カホちゃんば『あたしには好きな人いるから』って断りよるけん、帰った後、いつも二人してメソメソ泣いてたっけ」
 いやぁ、そこは覚えてないや。――って言うか、あたしの好きな人って、どこの誰よ?
「んでも、めんこくなったねぇカホちゃん。もうそろそろ結婚してもおかしくねぇ年頃だ」
「何言ってるんですか、おんちゃん。あたしまだ高校生ですよ」
「別に変じゃあねぇよなぁ」
 おんちゃあが言うと、「そうですねぇ」と、ミツヨさんは返す。「私も十八で嫁いだっけぇ、別段おかしい事でも無いと思うっけどねぇ」
「えぇ、十八ですか!?」
 やけに歳の離れた夫婦だなとは思ったけど、ミツヨさんそんなに若かったんだと改めてあたしは驚く。
「んでもカホちゃん、好きな人ぐれぇいるんだろ?」
 なんて言いながら、おんちゃあはビール片手に笑う。
 好きな人――ねぇ。どうなんだろう。やっぱ“あれ”なのかなぁ? なんて思いながら、テレビに向かって声援を上げている二人の背中を眺める。
 まぁ多分、あいつらだって事は確信はしているんだけど、やはりどこかしっくり来ない。何なんだろうか、この矛盾した感情は。

 帰り道。あたしはもらったスイカを二人に持たせながら、だらだらと夜道の散歩を楽しむようにして自宅に向かう。林と田畑しかない寂しい道だが、この二人がいればさほど怖くはない。
 遠くでともる隣町の灯りを見つめながら、「ねぇ、ヒロシ君達の事覚えてる?」と、二人に向かって聞いてみた。
『あぁ、さっきの家の子供だろう? なんか背だけひょろりと長い頼りないガキだったとしか覚えてないけど』
 ガキって何よ、ガキって。多分だけどあんたよりも年上でしょう。
『さっきそんな話をしてましたね。確かに幼い頃に何度もプロポーズされてましたっけ』
「良くあんた、そんな事覚えてるね」
『覚えてますとも』と、ミカ。『それよりも、肝心な部分を思い出せていないのはカホの方でしょう。さっきの会話で何か感じませんでしたか?』
「感じたって……何を?」
『カホは鈍感だからなぁ』
 ベルの尻に思いきりの蹴りをかましながらもう一度、「何の事よ?」と聞き返せば、ミカは涼しげに笑うだけで何も答えない。代わりにベルが、『お前、いつまでこのアルバイトやるつもりなんだよ』と咎める。
「いつまでって……そりゃあ終わるまでじゃない?」
『スイカの出荷が? それとも夏休みが終わるまでって事ですか?』
『いやいや、若さが終了するまでじゃねぇの?』
 ベルは今度はあたしの蹴りをするりとかわしながら、『どっか行こうぜ、カホ』と、またしても面倒な話題へと戻る。
「行かないってば。何でそんなにどこか行きたがるのよ。初めてじゃない? あんたらがこんなにしつこく食い下がるなんて」
『そりゃあそうでしょう』と、ミカ。『あなた、十七歳と言うその年齢は、今年が最後なんですよ?』
「それ、この前も聞いたよね。なら十六歳の時も、十五歳の時も同じようにアドバイスして欲しかったわ」
 言い返せばまたしてもミカは、『ははは』と涼しげに笑ってまともな受け答えはして来ない。あぁ、ホントになんなんだろうこいつら。
『手!』
 と言って、突然ベルが左手を差し出した。
 はぁ? なんだ。持ってるスイカを渡そうとしたのかと思ったらそうじゃない。なんか空いてる方の左手をあたしの方へと差し出して、グー、パー、グー、パーを繰り返す。
 え、なにこれ? まさかとは思うけど手を繋ごうって言ってる訳?
 なんて戸惑っているとこれまた突然、あたしの左手が急に引っ張られるようにして握られた。
「えっ、何?」
 なんて振り向いたらどう言う理由か、ミカがあたしの手を握ってる。うわあああ、何事? なんて思いながら焦ってると、今度は乱暴に右手が握られた。振り返ればそれはベルの左手。なんか唐突にあたしの両手は塞がって、その力強さに到底振り解けそうにない。
「な、なによあんたら!」
『シー』と、ミカが唇に人差し指を当てながら言う。
『見ろよ、カホ』と、ベル。振り向けば彼はぼんやりと空を見上げている。『すげぇ星空じゃん? 多分あれ、日本中のどこから見たって同じ空なんだぜ』
「いやいやいやいや、あんたらマジで変だよ。一体どうなっちゃってるのよ?」
『いいから見て下さいよカホ。こんな時でもなきゃ星なんて見る機会無いんですから』
 渋々とあたしも一緒になって空を仰ぐ。あぁ、まぁ確かに、見ようと思わなければ星空なんて見上げる事なんかないよなぁなんて考えながら、満天の星空を眺めた。
 へぇ、凄いや。なんかまるで――
「巨大な鳥かごの中にいるみたい」
 言うと両側から同時に吹き出したかのような笑い声。あたしがすかさず、「何よ!?」と気色ばむと、『いや、実にカホらしい』と、二人は返す。
「あたしらしいって、何が!?」
『表現がさ。――あれだろ? 星が均一に地上を取り巻いててさ』
『なんだかここから逃げ出せそうにないなって思ったんでしょう? 可愛くていいですね』
 頭来て両手をぶんぶんと揺すりながら手を振り解く。「もう知らん」と早足で歩き始めると、二人は苦笑しながら追い付いて来る。
 ごめんごめんなんてニヤけながら謝ったってマジもう知らない。あぁもう腹が立つ。何であたし本人が、自分自身で作り上げた妄想にバカにされたりなだめられたりしなきゃならないのよ。
『なぁ、カホ。だからどっか行こうぜ。せっかくの夏休みなんだからよぉ』
「全然意味わかんない! なんで今の流れで“だから”とか、“せっかく”の入る余地があるんだ、バーカ!」
 言いながらもう一発、ベルの尻に蹴りかます。
『まぁ、あれですよ。可愛いってのは決して茶化しての事じゃないんですから、素直に喜んでおくのが良いかと思われますが』
「お前もだバーカ! 上から目線で物申すんじゃないっての!」
 と、ミカの腹にもボディブロー。
 それでもめげずに追い付いて来る二人を待って、「ねぇ、何でそうどこかに行きたいの?」と、あたしは聞いた。
『うん……まぁ、何となく?』
「なんとなくで行きたいレベルの執着心じゃないよね?」
 言うと今度は二人で黙る。全く、何を隠してるんだか。
「素直にちゃんと話してくれたら考えなくもないよ」
 言うと二人は判りやすい程にパーッと表情が明るくなるのだが、すぐにまた口を噤んで困った顔になる。
「何なの? 言いにくい事なの? それとも言っちゃいけない事なの?」
 聞けばベルが、『どっちでもない』と答える。
「どっちでもないってどう言う意味よ」
『実は僕達にも今一つ確信が持てないんです』と、ミカ。
「確信って、何が?」
『だからその……』
『お前の背中を押していいものかどうか良くわかんねーんだよ!』
 と、ベルの平手があたしの背中をパーン! うあ、いてててて。
「なんの為に背中を押したいのよ!?」
 聞けば二人は同時に、『さぁ?』とだけ。あぁ、もう。話が全然進まなくてもどかしい。
 ビッと音が聞こえるかのように素早く、ベルが人差し指を立てた。
『一回だけ』と、彼は言う。
『一回だけ、あなたの背中を押してあげますよ』と、今度はミカが指を立てながら言った。
「あぁ、もう本当にわかんない!」
 叫びながらあたしは二人の指を掴み上げる。そして今度は自分から二人を手を取りぎゅっと強く握った。
「じゃあ、もしもアルバイト代が出たなら考えてあげる」
 言うと、しばらくの間を空けてから二人はあたしの方を見て、それからようやく、『やった!』と叫ぶ。いやいや、そんなに喜ぶような事なの?
 なんだかこうやって三人で手を繋いでいると、昔も良くこうして歩いていた時の事を思い出す。
 いつからそうなったんだろうか。いつも一緒にいるクセに、なんだかちょっとだけお互いの意識が変わってしまったのは。
 あたしは二人の手を握り締めながら、きっとこの三人の関係は永遠だと感じていた。
 どうしてベルとミカが遠出したかったのか。どうして夏の想い出作りだなんて言い始めたのか。もう既に“異変”は起こり始めていたのに、この関係に慣れ過ぎていたあたしには、そのカウントダウンの秒針の音は聞こえてはいなかったのだ。
 鳥かごのような星空の大パノラマは尚も明るく、あたし達三人の進む細い道をぼんやりと照らしてくれている。
 あたし達の最後の夏は、まだ始まったばかりだった――

 *

「ちょっと! いつまで休んでるのよ!」
 リヤカーにごろごろとスイカを積み込みながら、あたしは声を荒げる。
 炎天下。夏休み十日目を過ぎた頃の事だった。
『あぁ、もう積み込み始めてんの?』
『元気でいいですねぇ、カホは。僕達も見習いたいものです』
 なんて言いながら、立つ気配もなく地べたに座り込んでいる二人。おいおい、たかが妄想のクセにいっちょ前にへばってんじゃないっての。
「ホラ、立って! 早く終わらせなきゃバイト代どころか休みの間で終わらないよ!」
 と、二人の頭を平手で軽く叩く。そうしてようやく渋々と二人は立ち上がるが、何故かやけに動きが鈍い。
「ねぇ、どうしたの? 夏風邪でもひいた?」
『いや、まさか……』
『ただちょっと陽射しが厳しいだけですよ』
 言いつつ二人はのろのろとスイカの積み込みを始めるのだが、やはりどうにも普段と違ってキレが無い。結局普段の七割程度しか仕事を終わらせる事が出来ず、少々バツが悪い。
「いやぁ、それでも大したもんだ。普通の人よか全然早いよ」
 なんてコウゾウおんちゃあは言ってくれるけど、なんか自分的には納得行かない。
「そうそう。それにようやく頼んだパートさん達も来てくれたし、もうあんまり頑張らなくていいからねぇ」
 ミツヨさんの言葉にちょっとだけ胸を痛めながら、「また明日もよろしくお願いします」と、あたしは頭を下げた。
 帰り道、二人の元気はますます減ってしまったかのように言葉少なく。歩く足取りもまた、心なしか遅い気がする。
「ねぇ、マジでどうしちゃったのよ。そんなに具合悪そうなの、あたしが知る限りで初めてじゃない」
『え、そうだっけ?』
『僕達だって疲れる時はあるんですよ』
 なんて返事もまた若干遅れ気味で、しかも声がやけに低い。
 思えば二、三日前からどこか変ではあった。なんだかぼんやりとしている事が多くなって来たし、だるそうにしている場面も頻繁に見られるようになっていた。
 あたしは二人の背後に回り込み、背中から抱き付くようにしながら二人の額に手を当ててみる。――うん。熱はない。
『おいおい、カホ。重いってばよ』
『なにするんですか~。転んじゃいますよぉ』
 なんて愚痴る二人を無理矢理に振り向かせ、顔を覗き込む。
「――あんたら、なんかおかしい」
 言ってはみるが、どこがどうおかしいのかまでは判らない。
 家に帰ってからも、二人がぐだーっと床に突っ伏して転がったっきりで、話し掛けてもろくに返事はして来ない。
 さすがに心配になった私は二人に医者を勧めてみようかとも思ったが、こいつらばかりはどうにも診察のしようがないだろう。
 明日になったら少しは元気になっててくれるかな。なんて祈りながら寝苦しい熱帯夜を過ごしたその翌日――

「ちょっと、あんた達そこ立っててくれる?」
 ぼーっとした顔で立ち呆ける二人を窓際に立たせ、あたしは少し離れて二人を眺めた。
 ――あぁ、やっぱり気のせいじゃなかった。なんか二人共影が薄いような気がしてこんな事をしてみたのだが、やっぱり予想は当たってた。
 朝の光は二人の身体をすり抜けて、あたしの目に映っていた。要は、二人の身体が透き通り掛かっているのだ。
「ねぇ……どうしちゃったの、それ?」
 言わずとも気が付いたか、二人は自らの掌を眺めながら、あぁいよいよこうなってしまったかとでも言わんばかりに諦めの表情を浮かべる。
「何があったの? なんでそんな事になっちゃってるのよ、ねぇ!」
 詰め寄るが二人は何も答えない。もどかしさのあまりにあたしは思わず部屋を飛び出すと、階下にある電話機に飛び付き、コウゾウおんちゃあの家に電話した。
「あ、もしもし。カホですけど」
 名乗るのも面倒臭く、手短に、「今日は体調がすぐれなくて」と都合の悪い旨を伝えて電話を切る。向こうの居間ではもう起き出していたらしい両親がテレビを観ながら、「どっか出掛けるのか?」とのん気な声を掛けて来る。
「今聞いたでしょ? 具合悪いの!」
 なんて元気に言い返して、あたしは再び部屋へと取って返す。その間、二人が煙のように消えてしまっているような悪い予感で一杯だったのだが、どうやらそれは杞憂だったらしく、二人は呆けたまま窓辺に腰掛けていた。
『よう、カホ。もうそろそろ出掛けるか?』
 ベルがやけにしんどそうな声で言うのを両手を突き出しながら制止して、二人の手を握りながら、「わけを話してちょうだい」と、あたしは真剣な顔で言った。
『うぅん……』と、しばらく考え込んだ後、『時間切れ?』と、ミカは告げた。
「時間切れってどう言う事よ!?」
 噛み付くような勢いでそう聞けば、『多分、もう間もなく消える』と、透けた手のひらを目の前にかざしながら、ベルはのん気な声で言う。
「いや、待って! だから何でって聞いてるの!」
『だからさぁ……時間切れ』
『元より期限あっての存在なのですから、仕方ないですよね』
「待って待って待って! もう全然付いて行けてない! なんなのその期限だの消えるだのって? あんた達って単純に、あたしの脳内で生み出されてる妄想でしょう!?」
 尚もあたしが詰め寄れば、二人はお互いに見つめ合いながら苦笑する。
『十二支が廻り切るまで』
『そこが俺等の限界』
「良くわかんない!」あたしは我慢の限界とばかりに声を荒げる。「なんであんた達はいつもそうやって説明不足な返答ばかりなの!? 大概にしてよ! ちゃんとあたしにわかるように話してようだい!」
『だからさ』と、ベル。『十二年前の今頃、俺達はカホと出逢った。――そこは覚えてる?』
 言われてあたしは迷った挙句に、小さく首を縦に振った。
「覚えてはいるけど……。物凄く断片的」
『まだカホが五歳の頃でしたものね。うろ覚えでも仕方ありません』
『でもそこから十二年が経った。そろそろ俺等がお前の傍にいられる限界だ』
 限界って――どうして?
『なぁカホ。俺とミカ、どっちと手を繋いだ?』と、ベル。
「何? どう言う意味?」
『重要な質問です』と、今度はミカ。『あなたが最初に手を繋いだのはどっち? それを思い出して欲しいんです』
「良くわかんないよ! どうして今、そんな事を思い出さなきゃいけないの?」
『必要な事なんだよ』
『カホの背を、押せるかどうかの瀬戸際なんです』
「あぁ、もうホントに良くわかんない!」たまらず叫ぶ。「思い出せばいいわけ? あたしがそれを思い出せば、あんた達元に戻るの!?」
 二人はまた、顔を見合わせる。そして気まずそうに苦笑すると、同時に、『無理』と言う。
「無理って何よ、無理って! 質問の意図もわからなけりゃ、何をどうして欲しいのかもわかんないよっ!」
『わりいな』ベルが言う。『もうどうしようもないんだけどさ。最後に一つだけ頼み聞いて欲しいんだけど』
「何よ!?」
 ヒステリックな言い方でそう聞けば、『“岨鍬(そくわ)”に行きたいのです』と、ベルは言う。
「岨鍬? 岨鍬って、この前のパンフレットに載ってた場所?」
『そうそう、その岨鍬』
「そこ行けばあんたら元に戻るの!?」
『いや、ですからもう限界なんですってば。何をどうしても僕達は消えます』
「じゃあどうしてそんな場所に行きたいのよ!」
『だからさぁ……』
 ふと、二人の手が伸びる。右手と左手、あたしの両手を二人が握り締める。
『思い出してよ。俺等のどっちが、最初にお前の手を握ったか』
『とても、重要な事なんです。お願いします――』
 消え入らんばかりの情けない声だった。
 なんなのよ。たかがあたしの脳内だけにしか存在してない妄想のくせに。
「行けば――」と、あたしは口ごもりながら言う。「そこに行けば、あたしはそれを思い出す? いや、思い出せると思う?」
 聞けば二人は少しの間きょとんとした顔をして、それからゆっくり笑顔になった。
『多分、ね』
『俺はそう信じてるよ』
 あたしの決意は早かった。二人の手をもう一度だけ強く握ると、「待ってて」と言って、一人階下へと駆け下りる。
 無造作に靴を履き、「出掛けて来るね」と居間に向かって叫ぶと自転車に飛び乗り、あたしはペダルを踏む。
 滅多な事ではないなと、あたしは思った。ベルとミカを置いて出掛ける事なんか、思い出す限り初めての事。そして二人もまた、追って来ないのは初めての事だった。
 あたしは車道を横切り、ノンストップのまま砂利だらけの細い農道へと乗り上げる。
 目指すはコウゾウおんちゃん家。ついさっき体調不良でアルバイトを休む旨を伝えたばかりだけど構わない。嘘吐いたって怒られたってどうでもいい。
 あたしは決めたんだ。今度こそ面倒な事から逃げないと。ようやくあたしは、自分自身で何が一番大切なのかが判ったんだ。
 失ってたまるか。失ってたまるか。あたしはゴツゴツと揺れる砂利の道を、可能な限りの最高速で駆け抜けて行く。
 待ってて、ベル。ミカ。今度はあたしがあなた達を助ける番だ。

 *

 昼過ぎには、あたし達三人は新幹線の中だった。
 胸のポケットには、この十日余りの労働対価が入った茶封筒。無茶を言ってコウゾウおんちゃあにアルバイト代を前借りする予定だったんだけど、「辞めます」って言ったら難なく、「お疲れ様」って言ってくれたものだ。
 帰省や旅行で乗客は一杯なのかとも思ったが、実際はそうでもなかった。向かう場所が場所だけに、車内は意外にも閑散としていた。
『カホ、お前さぁ……』
『凄く無駄な出費ですよ、これ。なんで僕達の分まで買っちゃうんです?』
 なんて、どこか遠くなりつつあるような細い声で二人はあたしに悪態を吐く。
 二人の手には、新幹線のチケット。要するにベルとミカは、人に見えないのにどうしてこれを買ったのかと言う事を責めているのだ。
「ほっといて」
 なんて、あたしはつっけんどんに言う。少なくともあなた達は、あたしの前には存在しているんだから――という言葉は飲み込みながら。
 いよいよ二人は、影が薄くなって来た。身体の輪郭こそは、まだそこにいると判別出来る程には見えてはいるが、もう既に顔の表情は凄く乏しく、どんな顔をしながら話し掛けているかさえも良く見えなくなって来ている。
 大丈夫? しっかりして! ――なんて、多分どの言葉を使って心配してみても、二人の症状は良くならないだろう事は判っている。言えば余計に怖くなってしまいそうで、あたしは二人に対してほとんど何もしゃべらないまま、目的地へと向かっていた。
『この分だと、今日は日帰り出来そうに無いですよ』
 なんてベルの心配も、「平気だから」と、言葉少なに答える。
『なんで平気なんだよ。おとんとおかん、何も言わなかったのか?』
「東京行くって言って来たから」と、あたし。「ヒロシ兄ぃの所に泊めてもらうって言ったから平気。多分、確認の電話も来ないと思うし、向こうは向こうで口裏合わせてくれる事になってるから。
『おっと、不良少女だな』
『非行の第一歩ですね』
 なんて二人は元気なさげに笑うが、さすがにあたしは普段通りに二人を怒る事はしない。むしろ今のあたしは、「いいから黙ってて」と告げ、自然に込み上げて来る虚しき衝動を懸命にこらえるだけ。
 どうしたらいいんだろう――なんて思いながら、きゅっと目を瞑る。
 思い出せって? 何を? 二人と初めて逢った時の事? そんなのはっきりと覚えていられる訳無いじゃない。あんた等なんかいつの間にか当たり前のようにあたしの前に現れて、一年中、四六時中、休む事なくあたしの傍にいたじゃない。今更そんな大昔の事思い出せって言われたって、気にしても来なかった事だけにおいそれと思い出せる訳無いじゃない。でも――
 確かに、なんかそう言う記憶はある。濃い霧の中、しゃがみこんで途方に暮れているあたし。何故か足がすくんで動くどころか立ち上がる事も出来やしない。
 あたしは一本のロープに掴まり、声を上げる事すらも出来ないままにベソをかいてる。
 どうしよう。早くここから逃げ出さなきゃいけないのにと思いつつも、身体は全く言う事を聞かない。
 どうにもならない。どうしようもない。なんて絶望していると、そんな白い闇の中から現れる人の影。
  ――誰? なんて聞く前に差し出される小さな腕。そしてあたしはその手を握って、おそるおそると立ち上がる。
 ……あれ? なんだろう。この感覚、あたし知ってる。
 なんだか、何かを思い出せそう。もしかしてこれって――
『おい、カホ。もしかして寝てんのか? お前ってホント、緊張感とかゼロだよねぇ』
『もう間もなく新幹線を降りて乗り換えですよ。いい加減起きて、よだれとか拭いておいて下さいね』
 おいおい、ふざけんな。今もうちょっとお前らの質問に答えられそうな感覚あったのに、もう完全にぶち壊しじゃん。
 それから十数分後。あたし達は駅のホームへと降り立ち、乗り換えの為に移動する。
「しっかりして」
 あたしはリュックを背負いつつ、二人の手を取り引っ張るようにして階段を上がる。もうここまで来たら人目なんか気にするものか。あたしは堂々と二人を助けながら声を掛ける。ベルもミカも相当にきついのか、階段の一歩一歩が凄く遅く、そしてしんどそうな溜め息を吐き出していた。
 ようやく乗り換えのホームへと辿り着くと、あたしは二人に、「十二年前の正確な日時は覚えてる?」と聞いた。
『知ってる』
『明日の午前十時』
 嘘でしょ。もはやタイムリミットは半日とちょっとじゃない。その間にまた、さっきと同じようなトランス状態に陥って、記憶を引っ張り出さなきゃいけないわけ?
 先が思いやられるわ。あたしは事の重大さを噛み締めながら、ホームへと滑り込んで来た電車を眺めていた。

 もうその日は、宿へと向かって終了だった。
 宿代は一人分にしとけと二人にさんざ言われ、渋々とそれに従った。
 ひなびた小さな民宿だった。意外にも宿泊客はあまり多くもなさそうで、予約を入れずとも充分に部屋は空いてそうな雰囲気だった。
 部屋の窓を開ける。静かに暗くなって行く山の中腹の宿。向こうには眼下に望める小さな町の灯りが見えた。あたしは、こんな状況じゃなきゃそれなりに楽しめたりも出来たのかななんて、あまり馴染のない田舎の山の夕暮れの中、そんな事を思った。
 振り返ると、二人はもう既に畳の上で転がるようにして倒れていた。
「どう? どこか苦しい?」
 聞けば二人は、『苦しくはない』と答える。
『苦しくはないけど、やたらと疲れるし元気が出ない』
『なんか眠る程の気力も無さそうですよ。ハハ……』
 ちょっとちょっと。心細くなるような事言わないでよ。もしもあたし、あんた達がいなくなっちゃったら――
(いなくなってしまったら、どうなるんだろう?)
 ようやく気付いた大切なもの。ようやく判った二人への気持ち。多分これ、相変わらず恋心とは縁遠いものなんだろうけど、それでも二人を失うなんて怖い事を思っただけで急激に心拍数が上昇する。それだけ二人を大事に想っている事だけは間違いないのだ。
 ベルとミカのいない生活が始まる? ――どう考えても、ありえない。
 晩御飯を食べ終わると、もはや何もする事は無くなった。
 チャンネル数の少ないだろう地方のテレビ番組を観るつもりも無く。かといって二人を叩き起こして会話をするような気持ちもなく。ただひたすらに無駄な時間が流れて行くだけ。
 ちょっといたたまれなくて、あたしは逃げるようなつもりで、「お風呂行って来る」と告げた。
 部屋を出る直前、『風呂の湯、溜めといてね』なんてベルに言われて、あたしは軽く、「バーカ」とだけ答えて襖を閉めた。
 頭上に小さく書かれた看板を頼りに、暗くどこか黴臭い廊下を歩き、大浴場へと向かう。
 途中、もしもあたしがお風呂に入っている間に二人が消えちゃってたらどうしよう? なんて考えながら、重い足取りで前へと進み――立ち止まる。
 どうしようか? ちょっとだけ悩んだ挙句、あたしは今来た廊下を引き返す。そして二人が待つ部屋の襖の扉を開き、「ねぇ」と、声を掛けた。
 どうした? とも言わずに顔を上げる二人。あぁ、良かった。まだいた。
「一緒に行こうよ」
 言うと二人は首を傾げる。あたしは尚も、「一緒行こう」と誘うと、ようやく『風呂に?』と、問い返して来る。
「うん。お風呂」
『……』
 もはや透き通り過ぎてどんな表情しているのかも良く判らないけど、きっと困惑しながら二人で見つめ合っているに違いない。だがあたしが、『昔みたいにさ』と付け足すと、なんとなくだが二人がそっと微笑んだのだけはわかった。

 *

「すっごいねぇ!」
 あたしが興奮した口調でそう言うと、両隣で二人は笑った。
 貸し切り状態の大浴場だった。室内はかなり薄暗く、壁の一面が全て硝子張りになっている為、向こうに見える夜景と星空が同時に眺められる作りになっていた。
 湯は少しぬるいぐらいだったが、長風呂するにはちょうどいいのかも知れない。あたし達は若干の気恥ずかしさを残しつつ、浴槽の中、僅かばかりの距離を置いて並んで座った。
『奈河橋町もなかなかの田舎だけど……ここも相当なものですね』
『確かにね。……懐かしいな』
 湯に入って気分が落ち着いたのか、さっきよりは幾分か元気な様子で二人は話す。
良かった。これで少しは安心出来る。
「懐かしいって、どう言う意味?」
 何気なくそう聞けば、しどろもどろに誤魔化しながら、『幼い頃の事を思い出して懐かしいって意味さ』と、ベルは答える。
「やっぱり。――あたし一度、ここに来た事あるのね?」
 聞けば少しの間を置いてから、『あぁ』、『そうだね』と、二人は答えた。
「なるほど。十二年前、あたしとあんた達はここで初めて逢ったのね?」
『まぁ、ね』
『ご想像の通りで』
 相変わらずの中途半端な返答で二人は逃げる。もうこれだけ切羽詰った状況で、何を内緒にしておきたいのだろうか。全くもう。
「ちょっとだけ……その時の事、思い出したよ」
 言うと二人はあたしの顔を覗き込むようにして、『答え、わかったの?』と聞く。
「いや、わかんないけど」と、あたしは湯の中、膝を抱える。「なんとなくは思い出した。そう言えば時々、その時の事が夢にも出て来たりしたしね」
『その時の事が?』
「うん。凄く濃い霧の中で、あたしは独りきりしゃがみこんで困ってるの」
『……』
「そこに誰か現れたんだ。手を差し伸べてくれてさ。あたしはその手を握って立ちあがって――」
『それは、どっちだった?』
「良くわかんないんだけど」と、あたし。「それって重要な事なの? あんた達どっちかなんでしょ? なら別にどっちでもいいんじゃないの?」
『いや……あまり良くないかな』
『ねぇ』
 なんで? と疑問に思った所で気が付いた。
「まさかと思うけど」
『何?』
「あたしがどっちかを選択しちゃったら、選ばれなかった方だけが消えちゃうとか、そう言う話じゃないよね?」
 言うと二人は、どこがしんどいのか判らないぐらいに元気に笑う。
「ちょっと、何よそれ。何が可笑しいのよ」
『いや、カホらしくていいよ。そう言う発想』
『そうそう。やっぱり最後は笑って消えて行った方が良いですからね』
 ――何よそれ、やめて。こっちは全然、冗談に聞こえないんだけど。
「どっちかを選べば二人共消えないの? あたしの答えが合ってたら、あんた達消えずに済むの?」
『そう言う問題じゃないかな』
『そうそう。答えが合ってようが合ってまいが、僕達は消えちゃいますってば』
「それじゃ困るんだってのに」思わずトーンが低くなる。「あんた達がいなくなったら、あたしはどうやって生きて行けばいいのかわかんないよ……」
 思わず本音が漏れる。ちょっとだけ居心地の悪い空気になってしまったのを察したか、ベルは片腕を上げて、『見ろよ』と星空を指差す。
『鳥籠のような夜空だ』
「ちょっと、あんた……」
『良く見ておいて下さい、カホ』と、あたしの文句を遮るようにしてミカが言う。『日本中、どこで見たって同じ空です。きっとカホが奈河橋町で見る空と、ここ岨鍬で見る空は同じ。どこにいたって僕達は繋がっていますから』
『そうそう』と、ベル。『俺もこの鳥籠の星空見る度に、お前の事を思い出すよ。だからお前も、時々は夜空見上げてくれよ』
「何言ってんのよ!」と、あたしは声を荒げる。「消えないでよ! あたしを置いていなくならないでよ!」
『消えないよ』
『消えませんよ』
「え……?」
 思いがけない返事に、あたしは呆気に取られる。
『厳密に言うと、俺達は消えるわけじゃないんだ。ただ単に、お前の目に映らなくなるだけで』
『この世界の中で僕達は、唯一カホには見えていたってだけの事です。ただその効力ももうすぐ消えるから。加護が無くなる以上、人の姿をしているってだけで疲労してしまうんですね』
「えっ、じゃあ……」
 見えなくなっても傍にいてくれるの? ――なんてね。言えないけれど。
「でも」と、あたしは続ける。「あんた達って、あたしの妄想じゃなかったわけ? もしかして自分の意志で生きていたりするの!?」
『当たり前じゃないですか。僕らを何だと思ってたんです?』
『まさか本気で天使と悪魔だとか思ってたんじゃねぇだろうな? いくらなんでも、ここまでリアルな心の葛藤なんかありゃしねぇぞ』
 そうか。そうなのか。初めて知ったよ。道理であたしの思った通りに行動してくれないわけだ。
「じゃあ、あんた等何者なの? どうしてあたしに憑いてわけ!?」
『憑いてたとか、人聞き悪い』
『狐や狸の類じゃないんだからさぁ』
 大して変わらないよ。思いながらあたしは少しだけ安心しながら、「久し振りだね、こう言うの」と、笑った。
『確かにね。お前が小学校の三、四年になる頃には一緒に入るのやめてたもんなぁ』
「なんで? 気を使ってた?」
『そうかも知れませんね』と、ミカ。『そう言うの嫌がる年頃かと思ったので』
 なによそれ。父親みたいな事言ってんじゃないわよ。
『じゃ』と、声が聞こえてポン、ポンと、二回頭を叩かれた。『俺等、先に出てるから』
 ざっとお湯が溢れて、二人が出て行ったのが判った。振り返れば白い湯気の中にぼんやりと、人の形をした半透明の物体が二つ。よろめきながら出て行くのが見えた。
 あっと、声を上げそうになった。あたしはその瞬間、恐れが確信に変わったのを知ってしまった。
 多分――本当の意味でのお別れが来る。二人が消えて行くのを、あたしは止める事が出来ないんだと。
 脱衣所で二人、何やら楽しそうな話をしているのを遠くで聞きながら、いつしかあたしはポロポロ、ポロポロと涙をこぼしていた。
 ちょっと、何よこれ。なにあたし泣いたりしちゃってるのよ。
 咄嗟にあたしは湯の中に顔を埋め、早く止まれ、早く止まれと念じていた。

 部屋へと戻ると、既に布団は敷かれてあった。もちろん宿泊客はあたし一人なのだから、敷かれた布団も一組のみ。
 壁際でぼーっともたれ掛ってる二人を避けながら、あたしは押し入れからもう一組の布団を取り出すと、それを横に並べてくっつけた。
 寝るときは三人一緒だった。二組の布団の上でちょっと窮屈な三人の川の字。そしてあたしは二人の手を強く握り締めながら。
「昔は普通にこうやって寝てたよね」
 暗くなった部屋の中でそう聞くと、力ない声で、『そうだな』、『そうだね』と、両側から聞こえて来た。
 差し込む月明かりがやけに眩しい。見れば町の灯りがシルエットとなって、遥か遠くの方に掛かる、吊り橋のようなものが見える。
「あんた達って、結局なにものなの? 一体どこから来たわけ? どうしてあたしに憑いたわけ?」
『酷いです……ね。そう言う事、いっぺんに聞かないで下さい』
『もう話すには時間がたんねぇよ。もっとも……』と、ベルが一つ溜め息を吐く。『どれも答えようがないんだけどさ』
「――じゃあ、いい」
 またしても二人が辛そうな声になっているのに気付き、あたしはそこで会話を打ちきり、口を噤んで目を瞑る。
 本当は、ずっと三人で昔話をしたかったのに。
 そういや、あんな事あったね。こんな事したね。ねぇねぇ、あの時の事、覚えてる? ――なんてね。
 思い出す事は色々あるけど、多分どれ一つとして話す事なんか無いんじゃないんだろうなって、あたしは思った。
 多分、何をしゃべっても全ては過去の確認事項。今、必要とされている事なんか一つもないんだろうな。
 でも、一つだけ聞きたいよ。それはあなた達からあたしに問われたあの質問。
 全然思い出せないよ。あたしは一体、誰の手を握ったの?
 思いつつ、近くから聞こえて来る二人の寝息を聞きながら、いつしかあたしもまどろみ始めた。
 三人で過ごす最後の夜に見た夢は、何故か数日前のスイカ畑のワンシーン。
 俺等が消えちゃったら、すぐに忘れていいからなぁって言われてさ。あの時言えなかった、「消えちゃ嫌だよ」の一言が素直に言えてさ。
『消えないよ』
『消えるわけないじゃないですか』
 ――って。
 なぁんだ、消えないのか。なんて笑いながら寝そべってさ。二人も同じようにして、あたしの隣に寝そべってさ。
 あぁ、やっぱりこのまんま、あたしが年寄りになるまでこの関係は続くんだな。なんてね。
 そんな夢を見ながら、あたしは二人に両腕を掴まれて、こぼれる涙すらも拭けないままで朝を迎えた――

 *

 ふと気が付けば、もう既に朝だった。
 まだ完全に明けたわけではないらしく、向こうの山にはまだ朱に染まった空がある。
 徐々に覚醒して行く中で、両隣に二人がいない事に気付き、あたしは一瞬にして現実に引き戻される。
「ミカ! ベル!」
 ほとんど叫ぶようにして飛び起きるが、やはりどこにも二人の姿は無い。
 いやだ……待ってよ。なんで何も言わないまま消えちゃうのよ。思いながらのろのろと立ち上がれば、窓際に置かれた椅子の辺りから、『おはよう』と小さく、声が聞こえた。
「ベル? ミカ?」
 目を凝らす。するとその椅子に上に、とてもとてもおぼろげで不鮮明な、ほぼ無色に近いジェルのようなイメージの人の形をした“何か”が、ぽつんと一人だけいた。
「え……どっち?」
 聞けばその人の形をした“何か”はゆるりと手を挙げながら、『やぁ』とか言う。あぁもう、この噛み合わなさは間違いなくベルかミカのどちらかなんだけど。
「ねぇ、あんたはどっち? ベルなの、ミカなの? ちゃんと答えて」
 聞けばこれまた緩慢な動作で、軽く両手を挙げてみせる。
「答えて!」
 ほとんど怒鳴るような声でそう聞けば、ようやくその“何か”は、『どっちでもない』と答える。
「どっちでもないってどう言う意味よ。もう一人は一体、どこに行ったの!?」
 尚も口調荒げてそう聞けば、『ハハハ』とか細く笑いながら、『ここ』と、それは答える。
「ここってどこよ?」
『ここだってば、ここ。――もう、同化しちゃったんだ』
「どう……か? って、どう言う意味?」
『そのまんまの意味だよ。もう、二人の姿でいられるのも限界が来ちゃったんで、一人にまとまったんだ。これでまだもう少しだけ、行動出来る』
 なるほど。道理でなんだか、どちらでもない印象の喋り方だと思ったわけだ。
「動ける?」
 聞けばそのベルとミカの集合体は、『何とかね』と言いながら立ち上がる。
 その姿はもはや透明ビニールで出来た人形か何かのようで、窓の向こう側に広がる景色がぼんやりと透けて見えていた。
『カホ、あそこに行くよ』
 と、ベルとミカは言った。
「あそこって?」
『あそこだよ。……ホラ』
 と、更に曖昧な形の腕で窓の向こうを指差す。
「え、もしかして――あの吊り橋?」
 聞けばベルとミカは、『そう』とだけ。
「あそこに行けば何かあるの?」
『覚えてない?』と、ベルとミカ。『あそこで初めて逢ったんだよ』
「えっ……」
 あそこで? あの吊り橋の上で?
 そう思った瞬間、じわりと何かの記憶がよみがえり始める。
 白い霧。握るロープ。しゃがみ込んで途方に暮れているあたし。そして――
「思い出した」と、あたしは言った。「やっぱりあれは、現実の事だったんだ。いつかの昔、あたしはあの吊り橋の上で動けなくなっていた。そして――あんた達のどっちかが、あたしに手を差し伸べてくれた」
 うん、とベルとミカは頷いた。もう見えはしないけど、その表情は笑っていた。
「でも、ごめん。もうそれ以上は思い出せない。あたしが握ったのがどっちだったのか、全く思い出せない」
『いいんだよ』
『それで』
 今度は二人の声が聞こえた。あたしもまた、うんと頷き、彼に抱き付く。
 かろうじて、まだ彼に触れる事は出来た。もう既に人としての感触ではなかったけれど、それでもまだ微かに、温もりと弾力だけはあった。

 宿の朝食を断り、あたしと彼は早朝の吊り橋を目指した。
 眺めれば手が届きそうな場所にあるのに、舗装もされていない山の道を徒歩で歩いて向かうには、それなりに遠かった。
 途中、彼は何度も立ち止まり、深い呼吸を繰り返してはまた歩き出す。それはかなりの苦痛と疲労らしく、あたしは彼の背をさすり、何度も励まし肩を貸し、そしてまた歩いた。
 やがてようやく、それが目前に見えて来た。霧ではないが、朝靄でけむっているその光景は、どこか懐かしい程に思えるようなそんな光景。白い世界に浮かび上がる木製の吊り橋だ。
「あっ……」
 思わず口を押さえる。今、幼かった頃のあたしが目の前を駆け抜けて行ったかのような錯覚を感じたからだ。
 あの時――どうしてあたしはここにいたの? なんだかあたしは、ここで誰かを探していたような気がして――
「あたし……はぐれちゃったんだ」
 呟けば、『そう』と、彼は答える。
『カホは、この先にある祠(ほこら)を覗いていて、先に歩いて行ってしまった両親とはぐれてしまった』
 あぁ……そうか。そしてあたしは、道を間違えた。
『真っ直ぐ進めば民宿の方だったのに、カホは何故か吊り橋の方へと向かって行ってしまった』
 そう……なんか、ね。向こうから声が聞こえたような気がしたの。それが吊り橋だなんて思ってなくて、早くお父さんとお母さんの所に向かわなきゃって言う一心で。
『でも、途中で気が付いた。ここは渓谷にまたがる一本の橋だって』
 だって……下から風が吹き上げて来たんだもん。一瞬だけ周りの霧を追い払ってさぁ。
 気が付いたら足がすくんで、歩けなくなって。もうどうしようもなくてしゃがみ込んでた。
「その時だね」と、あたし。「あなた達のどっちかが現れて、あたしを助けてくれた」
 こうしてね。と、あたしは彼の手を握る。
「でも――ごめん。やっぱり思い出せそうにないよ。それがベルだったか、ミカだったか。そこまでは思い出せそうにないよ」
 少しの間を置き、『うん』と、彼は言う。
『いいよ。気にしないで。実はもう、その問いに大きな意味は無くなったし』
「どう言う事?」
『行こう』
 そう言って、彼は導く。まだ朝靄の濃い吊り橋の上へと。
 あの当時とさほど変わらない、ロープで渡して木材の板を並べただけの簡素な吊り橋。あたしは彼の手を握り締めながら、おそるおそるその橋を渡り始めた。
 彼の荒い息遣いが聞こえる。何度も何度も立ち止まりながら、あたし達は橋の中央部へと向かって歩き続ける。と、突然、握っていた筈の手がふいに振り解かれ、あたしはその勢いで大きくよろけた。
「ちょっと! 手を離さないでよ!」
 手摺りのロープに掴まりながらそう言うと、彼は自らの手を覗き込むようにしながら、ボソリと言った。
『ごめんカホ……もうここで終わりだ』
「――えっ?」
『もう、カホの手も握れなくなった。ここでお別れだよ』
「ちょっと、何言って……」
 と、言い終わらない内に、もはや彼がどこにいて、どんなポーズを取っているのかさえわからなくなる。辺りはますます朝靄が濃くなり、ただでさえ彼の存在が見分け難くなって行く。
「待って、お願い。あたしを置いて行かないで……」
 思わずあたしはしゃがみ込む。左手はロープの手摺りに掴まったまま、膝をつくようにして足元の板の上に座り込めば、ひしひしと足元から恐怖が這い上って来るかのような感覚におちいった。
 あぁ、もうだめ。もう立ち上がれない。そう思った瞬間だった。
「思い……出した」と、あたしは呟く。「ねぇ、聞こえてる? あたし思い出したよ。あんた達が出した質問。ベルとミカ、あたしはどっちの手を握ったかって」
 返事はない。果たして二人に聞こえているのか聞こえていないのか。わからなくてもいい。あたしは怯えた恰好のままで、「答えは、“どちらでもない”よ」と、言い切った。
 そしておそるおそる立ち上がる。もう、あの時とは違う。今度はあたしから手を差し出す番だ。
 震える足で真っ直ぐに立ち、あたしは前へと手を伸ばすと、「ねぇ、聞こえてる?」と問う。
「あの時あたしが手を握ったのは、ベルでもミカでもなかった。今となってはそれが誰なのかまではわからないけど――」
 でも、と、あたしは続ける。
「なんか、今のあなたに似ていた。ベルでもなくミカでもない、その両方が混じり合った今のあなたに凄く似ていた……」
 ――ような気がする。と、自信なさげに呟く。同時にどこかで、くすりと彼の笑う声。
 ねぇ、どこ? どこにいるの? なんて周囲を見回してみるが、見えるのはただ辺りを取り巻く濃い朝靄ばかり。あたしはどんどん不安になって来て、思わずあたしは、「出て来てよ!」と叫んでしまった。
「誰?」
 背後から、声が聞こえた。何故かどこか懐かしい、鮮明なベルとミカの声だった。
 あたしは慌てて振り向く。その瞬間――ざぁっと言う木々の音と共に、強い風が渓谷の中を吹き抜けて、その僅か一瞬のみ辺りから濃霧が消え去った。
 え……!? ベル? それともミカ?
 今までに見た事のないような、ジーンズパンツとグレイのパーカーと言う服装。ベルとミカに瓜二つなその男の子は、呆気に取られたかのような表情であたしを見つめながら、ぼそりと何かを呟いた。
「え……ベル? それともミカ?」
 なんだか、全くわけがわからなかった。どうして目の前にいるその人が、あたしに向かって、あたしと同じ台詞を呟いたのか。
 それでも、ただ一つだけ理解出来た事。それは、“彼”が、あたしの良く知るベルでもミカでもないと言う事。
 だって本当のベルとミカは――
『カホ、約束だ』
『一度だけですよ』
 なんてあたしの後ろでささやきながらさ。結構な勢いで、あたしの背中を二人で同時に押すんだもの。
 思いっきり、前へとつんのめる。いやいやいやいや、これって物凄く危ないでしょう。時と場所を選びなさいよ、この悪魔!
 なんて、僅か一秒にも満たない程の時間で思考する。そして次の瞬間、あたしの思考はそこで停止する。
 目の前に、“彼”の顔があった。なんだか彼もまたその背を誰かに突き飛ばされたかのようにして、前につんのめって向かって来たのだ。
「きゃっ!」
「うわっ……とと」
 避ける間もなく、ぶつかるあたし達。抱き付くような恰好で静止し、そしてすかさず仰け反るかのようにして離れ、お互いに後ろを振り向いた。
 ベル……ミカ……。
 多分、もう呼んでも返事はないだろう事はわかった。一瞬だけ晴れた朝靄はまた再び辺りを包み始め、もはや二人の姿は微塵も無い。
 そうか。今、ようやくわかった。彼等が何度も、“背中を押すよ”と言っていた意味を。
 あれは精神的な事なんかじゃなく、本当の意味での事だったんだね。
「あの……」
 声を掛けられ、あたしは思い出したように振り返った。
 うん。多分――ね。わかった。今度こそね。
 何も言わずに、おずおずと差し出す右手。あたしもまたそれを、何も言わずに握り返す。
 きっとこの人だ。十二年前に今のこの場所であたしに手を差し伸べてくれた人は。そしてきっと彼もまた、同じ事を気付いている筈。なんかちょっとだけ照れながら、「お久し振り」なんて。
 橋を戻り、宿へと向かう帰り道。むかぁしむかしにあたしが道に迷った原因となった小さな祠が一つ、道の横に祀られていた。
 どう言う意味か、祀られている御神体の像は二体あった。
“双尋峡(そうじんきょう)の”双尋“は、神隠しにあった子供を現世へと連れ戻してくれる事で有名な、双頭の神を由来としている”
 ――へぇ。そうなんだ。でもなんか、そこまで立派な神でもなかった気がするよ。むしろ十二年間もここから離れて大丈夫だったのかな。むしろ神が隠れる事で有名なんじゃないの? なんてね。
 手を合わせ、真剣に何かを祈った後、彼はあたしに向かってこう言った。
「多分、信じてはもらえないだろうけど――俺、小さい頃からずっと君と一緒にいたんだ」
 あたしは無言で、うんと頷く。
 信じないわけないじゃん。きっとあなたも、あたしと同じ悪魔に振り回されていたんでしょう?
 再び祠へと振り向くと、ねぇ、暇があったらまた逢いに来るよ。なんて、心の中で祈りながら立ち上がる。
「――ありがと」
 思わず、声が漏れる。
 今日から、あんた達のいない生活が始まるんだね。それはとてもとても辛くて寂しい事だけど、なるべく早く慣れるよ。なんて思いながら、隣で祠に手を合わせている彼の横顔を覗き込む。
 ふと、上を見上げる。真夏の朝の空は抜けるように青く、今日一日、また酷い暑さになるんだろうなと予想させてくれるぐらいの晴天。
 あたしは咄嗟に、まだ名前すらも知らないその彼の背中を、「バン!」と強く叩きながら、「行こう」と先にその砂利の道を駆け出した。
 付いて来てね。いつもみたいに。なんてワガママな事を思いながら振り返る。
 彼はまだ祠の前でしゃがみ込んでいて、あたしを見ながら呆気に取られた顔で立ち上がる。
 彼がそっと、「じゃあね」と、祠に向かって呟いたのを、あたしは見逃さなかった。
 それはとてもとても優しい表情で。そして僅かばかりの憂いを秘めて。それから彼は、とても見慣れた笑顔であたしの方へと振り向けば、「待ってよ」とばかりに走り出す。
 それは ドぴーかんって言葉すら何か違うんじゃないかなと思える程の八月初旬、とある猛暑日の朝の事。
 目に映る世界は何だかとても眩しくて、あたしは思わずその砂利の道を、再び全力で駆け出していた。
 ――ちゃんと、追い付いて来てね。あなたに話したい事が沢山あるよ。
 だからあなたも、後でゆっくり語って聞かせて。あなたの傍にいたベルとミカは、どんな素敵な悪魔だったの?





《 Bell Micha – ベル・ミカ - 了 》





【 あとがき 】
反省。からの後悔。




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