Mistery Circle

2017-08

《 ダイナシのレストラン 》 - 2012.06.30 Sat

《 ダイナシのレストラン 》

 松永夏馬






 家全体がすべて台所。吹田数馬はそんなコンセプトを持ってこの店をリニューアルした。高めの天井、店内を見回せる位置にオープンキッチンを、そしてテーブルを少なめに配置する贅沢な空間使いによって、どこか懐かしいダイニングキッチンを思わせる雰囲気を演出する。当然放熱もすくなく快適で安全なオール電化厨房だ。
 祖父の代からの洋食屋の良いところを土台とし、今の時代に合わせたものだと自負している。実際に客の入りも売り上げも伸びていることがその証拠だ。
 もっとも、その売り上げに貢献しているのは自分だけではないとも言える。共同経営をしている幼馴染の松奈川一真。彼が厨房を仕切るようになったこともその要因だろうと思う。
 父とそして料理学校とで学んだ吹田と違い、松奈川は高校卒業と同時に単身イタリアへと渡りそこで小さな新人コンクールに入賞した。料理人の世界はそんな小さな経歴が役に立つものでもないが、吹田のレストランで働くようになって、それが雑誌とローカルテレビで取り上げられたものだから、一躍地元の有名シェフとして名前が売れてしまったのだ。
 愛嬌のある顔立ちで喋りも達者。オープンキッチンに映える見栄えの良さは吹田の比ではない。結果、料理の腕うんぬんではなく性格と得意分野の違いによって、経営は吹田が、オープンキッチンは松奈川が、という住み分けが出来上がった。

 そのバランスが崩れたのは、松奈川がローカルテレビ局の料理対決の番組に出場し優勝した時だ。その決定打は吹田に衝撃を与えた。

 放送日の翌日、やはり店内は平日にもかかわらず想像以上の混雑で、閉店の時間は30分以上遅くなった。店舗のバックヤードにある事務所で伝票整理をしていた吹田のところにバイトが上がりの挨拶に来た。現金の入ったボックスを吹田に手渡す。
「お疲れさん」
「おつかれっした」
 レジの現金は毎日閉店時に吹田が受け取り、脇の扉から階段を上った先にある吹田の住居スペースへと運ぶことになっている。そこに耐火金庫があるのだ。
「あ、松奈川さんが呼んでましたよ」
「そうか。ありがとう」
 話があるのはこっちのほうだ。吹田は冷めた思いで頷いた。
「今日は遅くまで悪かったね。残業の時間は別に書いといて」
 タイムカードに直接書き込ませ、吹田が印鑑を押す。普段ならば22時閉店の22時半に上がるバイトも、店を出るのは23時を過ぎるだろう。
 吹田は帰るバイトになんとか笑顔で手を振ると、腰を上げた。

 金庫に現金を仕舞ってから店舗部に戻った。一段下がって厨房に降りると、包丁を研いでいた松奈川が気づいて振り返った。
「よぉ」
「……おつかれ」
 松奈川は冷蔵庫から紙の袋を出してカウンターに置いた。
「おつかれさん。これ、檜山の奥様からお菓子もらったぞ。賞味期限あるから今日のメンバで分けちまったけどいいよな? 後はスゥちゃんの分。オレはもらった時に食ったけど、今日は賄いも食うヒマなかったから腹へって腹へって」
「イッシン」
 松奈川一真と吹田数馬。おなじカズマ同士の呼び名は小学校の頃から変わっていない。
「最後のデザート。なんでお前が作れる」
 吹田は怒鳴りそうになるのをなんとか堪えて、松奈川に訊ねた。優勝決定戦で作ったデザート。審査員に独創性と食感の面白さを絶賛されたあの一品が彼に作れるわけがない。松奈川の舌の良さは抜群だ。レシピからはもちろん、一度食べた物も再現できるほどの記憶と技術は素晴らしい才能だ。だが、創造する能力は、オリジナリティという部分では、お前は凡人以下のはずだ。

 正直に言ってほしい、今なら、今ならまだ。

「……なんのことか、わかんないな」
「とぼけるな」
「決勝戦のアレか」
 もはやその言葉だけでも言い逃れはできないはずだ。吹田は一気に怒りが噴出した。
「ふざけんな!」
「どうしたんだよスゥちゃん。らしくないぜ?」
「あれはオレのレシピだ。なんで知ってる。読んだのか? いつのまに! どうやって!」
 書き溜めたレシピ。経営中心の仕事になろうとも、料理人であり続けたかった。仕込みも手伝うし、混雑時には厨房にも入る。オリジナルのメニューを考えようとこっそり書き綴った秘密のノート。メインからスープ、デザートまでいくつも。それは自分自身が料理人であり続けるための、相棒に対する矜持。
「ちょっと待てよスゥちゃん、何を根拠に言ってんだよ」
 松奈川の表情の変化に、吹田は確信する。やはり盗んだのだ。誤魔化そうとする姿に吹田はキレた。まだ正直に告白してくれれば良かった。『お前のレシピでなければ勝てなかった』と認めてくれればそれで良かったのに。

「……イッシン。クビだ。経営は共同のつもりでやってきたが、土地と店舗はオレの所有だからな」
 吹田の言葉を聞いた時、松奈川の表情がすぅっと消えた。
「……本気か?」
「本気だ」
 売り上げと人気は落ちるが、プライドは残る。自分ひとりでもなんとか食べていけるくらいの店にはしてみせる。
「そうか。わかった。出てく」
 その時の松奈川の笑った顔を、吹田は今でも忘れられない。
「……ま、ノートのレシピはたいがい覚えたけどな」



 ……何、寝てんだよイッシン。腹から何か出てるぞ。見覚えのあるような黒い棒。ああ、そうか。見覚えがあるはずだ。さっきまでそこにあった、牛刀の柄じゃないか。おい、起きろよイッシン。

 11時21分。気づけば吹田の足元に松奈川一真は横たわっていた。

********************

 我に返った吹田が何よりも先に考えたのは店のことだった。松奈川が死んで自分が捕まったら、店はもう成り立たない。祖父の代から続く店を守る為にはどうすべきか。
 ハッと気づいて店内を見回した。窓のブラインドは全て下りていて、キッチン以外のフロアの照明も落とされている。灯りが僅かに漏れるるくらいで外から中の様子はわからないはずだ。万が一目撃されていたら一貫の終わりだが、それは大丈夫そうでホッとする。

 松奈川は腹部を刺されて死んでいた。さすがに自殺や事故に見せかけられるとは思えない。となればどうすべきか。強盗。そうだ、それしかない。強盗の仕業に見せかけることができれば、自分も被害者であり、店は守れる。
 その線でいこう、と吹田は決めた。あとは自分のアリバイだ。死亡推定時刻を誤魔化すことはできるだろうか。たしか死亡推定時刻は体温の低下を基にして決めるのだと聞いたことがある。

 体温は外気温に合わせて低下する。つまり部屋の温度を上げて周囲を暖めておけば体温の低下は遅くなり、死亡推定時刻を遅く誤魔化せることになるはず。そこで吹田はエアコンを切り換気扇も止め、コンロの全てに水を張った鍋という鍋を置いて加熱を始めた。いずれ蒸気が部屋の温度を上げるだろう。オール電化のコンロはタイマーで時間を決めて加熱することも可能だし、万が一空焚きになれば勝手に止まる安全装置がついている。
 ガンガンにお湯を沸かせ、店内を蒸し風呂状態にしている間にアリバイを確保する。そして店内の加熱が十分に済んだ頃を見越し、同じくタイマーで作動させたエアコンで店内を冷却しておけば良い。

 後はアリバイ確保に急がなければならない。明け方近くまでやっている馴染みの飲み屋がある、そこへ行こう。丁度いいじゃないか、明日は定休日なんだから。

********************

 もともと強いほうではあったが、いくら飲んでもアルコールが回ることはなかった。気が張っているのか、いつもは美味しいはずの肴も味気なく。何かを演じているような気分で朝まで過ごした。眠気も今のところほとんど感じない。
 明け方になって帰宅すると、エアコンはすでに冷却を始めていて、肌寒いくらいだ。ほとんど空になった鍋を片付け、IHヒーターのタイマー設定をリセットする。エアコンの設定温度も忘れず元通りだ。こういう細かいところに気が付く辺り、友人にはマメだとか細やかだとか言われるが、自分としてはただ気が小さいだけの臆病者だと思う。もっとも、今はそれが幸いしていると言わざるを得ない。台所の鶏、という言葉がふと頭を過ぎった。不謹慎だが笑えた。
 そしてレジを開け放つ、売り上げ等は毎日金庫に移動させるのでもちろん空であったが、強盗が入ったのだからそれらしくしておこうと思った。少しくらい争った後があっても良いだろうと、椅子をひっくり返したり、鍋やボールをその辺に転がしたりしておく。後片付けをするのは気が重いが、皿を数枚、カウンターに飾りとして並べてあるワインボトルを2本、たたき割った。これくらいしておかなければ争った跡にはならない。

 そこで、カウンターの隅に置かれた紙袋に気づいた。松奈川が『檜山婦人からの貰い物』と言っていたものだ。開けてみると、洒落たカップが二つ。取り出して匂いを嗅いでみるとフルーツのシロップ漬けのようだ。丸くカットされたメロンやスイカや黄桃など様々なフルーツが液体の中で揺れている。色とりどりのビーズかビー球のように綺麗なデザートだ。
 そうだ。これも使える。松奈川は賄いも食べる時間がなかったと言っていた。吹田はひとつを飲み干すようにして食べると、流し場にカップを放り込んで水洗いする。これは松奈川が食べたことにする。もらった時に食べた物を、閉店後にも食べた物ということにすれば、胃の中の消化状態を調べても推定時刻を遅く誤魔化せるはず。

 残ったもうひとつは、少し考えてから冷蔵庫に入れた。自分の分はせっかくなら冷たくして美味しく食べたい。

 店内を一通り見回して、そして吹田は受話器を取った。警察に電話をする為に。

********************

「現場を発見してから何か物を動かしたりはしましたか?」
 首を振ると、制服警官は真面目くさった顔で頷く。
「それでは、許可が出るまで店舗内には立ち入らないようお願いします」
 敬礼をして若い警官がドアを閉めると、吹田は深くソファに沈みこんだ。さすがに疲れが溜まっているし、徹夜もこの年になるとキツイ。
「……すいません、お茶も出さず」
「お気遣いなく。お疲れでしょう」
 対面に座る城崎という名の刑事はハーフのような濃い顔立ちをした男だった。ブランドのスーツを着込んだ男前だが目に力があり、なかなかに迫力がある。

「被害者は左脇腹を包丁で刺されていました。店内には争った跡があり、レジ等もこじ開けられています。押し込み強盗による犯行の可能性がありますね。松奈川さんの死亡推定時刻は深夜0時から1時くらい、閉店後に松奈川さんが残ることは多いのですか?」
 店内には捜査員と鑑識がいろいろと動き回っており、吹田の住居部分である2Fのリビングでの事情聴取となった。刑事はもうひとり、ソファに座る城崎の背後で影のように立つメガネの男。城崎とは正反対で、特徴の薄い地味な印象で目も細い。名前は名乗ったはずだが、よく覚えていない。
「普段は10時閉店ですが昨日は30分ほど遅くなりました。閉店後にイッシン……いや、松奈川が居残るのはよくあることです。仕込みや試作をすることが多かったですね」
「鍵も預けていたわけですか。今回のように吹田さんが夜出かけている場合」
「店舗の鍵は持たせていますが、住居部分は別の鍵で施錠できるようになってます」
 なるほど、と頷く城崎。
「吹田さんは何時頃に店を出ましたか?」
「11時半くらいには店を出ました。歩いてすぐの居酒屋で」
 さきほど刑事は死亡推定時刻を0時から1時と言った。30分以上遅らせることに成功しているようで吹田は少しだけ緊張が解けた。
「店内を荒らされた跡が残っていましたが、被害としてはどうなんですか?」
 城崎の質問は続く。
「幸か不幸か、閉店と同時にレジの中身は奥の金庫に移して空にしているので、現金は無事です。ただ……レジに金があれば、松奈川も刺されることはなかったかもしれません」
「それはどうでしょうね」
 ぼそぼそとした声で口を挟んだのはメガネの刑事だ。存在をすっかり忘れていたので吹田は少し驚く。
「現時点で侵入経路はキッチン奥のバックヤード、勝手口というかスタッフの通用口からと推測されます。通用口にカギはかかっておらず、他の窓や正面入り口に異常が無いので間違いはないでしょう。
 つまり犯人はオープンキッチンの厨房側からレジに近づいています。松奈川さんが厨房の中で刺されている以上、松奈川さんはレジを守ろうとして刺されたのではないでしょうか」
「ちょっとまて黛」
 振り向いた城崎が言いかえす。そうそう、黛という名前だった、と吹田はひとり頷く。
「松奈川はレジが空なのを知ってるはずだ、守ろうとはしないだろ」
「ええ。ということは犯人は松奈川さんを殺すことを目的としていた可能性もあります」
 一瞬、黛と視線が合い、思わず逸らせてしまった。慌てて考えるそぶりをして誤魔化す。
「松奈川は誇りを持って働く料理人です。神聖な厨房に押し入ってくる強盗に立ち向かったとしても、僕はおかしくないと思います」
「なるほど、すばらしい料理人です」
 黛刑事はそう言って目を伏せた。
 体を戻してこちらをむいた城崎は、指で額を書きながら低く唸った。
「ま、今はまだ強盗だけでなく怨恨の可能性も考える必要はあるでしょう。……どうです? 松奈川シェフを恨んでいるような人の心当たりはありませんか?」
 雲行きが怪しくなってきたような気もするが、想定の範囲内だ。
「どうでしょうね。プライベートまで詳しくはわかりませんが、彼は人気もありますし、店内でのトラブルは無かったと思います。僕としては半身をもがれたくらいのダメージです」
 少し大げさに顔をしかめ頭を抱える。
「お察しします。……形式的な質問で大変失礼ですが、昨夜は朝まで飲まれてたということですが、昨夜の0時から1時の間はやはりそのお店で?」
 アリバイの確認だ。
「はい、ここから歩いてすぐの『南瓜』という居酒屋です。11時半くらいから、明け方までずっといました」
 吹田はうな垂れたまま答えた。
「翌日がお休みの日は、よくそうして朝まで飲まれるんですか?」
「……刑事さん、先日のテレビ見ましたか? 松奈川が料理対決で優勝したんですよ。そりゃ飲みたくもなりますよ」
「お一人で、ですか?」
 再び黛が口を挟み吹田は、うっと言葉を詰まらせた。祝杯をあげるのならば一人のわけがない。
「あ……後で松奈川も来るはずだったんです。そうか、無理にでも引っ張ってくればアイツも襲われずに済んだのか……」
 顔が上げられなかった。
 
********************

 売上金を保管する耐火金庫を見せてもらった後で、疲れの見える吹田数馬を寝室へと下げた城崎は、黛を連れて階下へ降りた。店内の天井を高くしたことで、普通の2階よりも高く階段が長い。
「……単純な強殺じゃねぇ感じだな。店内に人がいるのを知って忍び込む強盗も不自然だ」
「そうですね。おそらく松奈川さんを狙った犯行ではないかと」
「つまり、犯人は松奈川シェフが一人でい残ることを知っていた?」
「はい」
 ふむ、と城崎は顎をさすり、階段を降り切った先の家用の玄関ではなく、横手の引き戸を開けて店舗側へと進んだ。制服警官が敬礼して昨夜のクローズのバイトをしていた青年の到着を告げた。
 
「昨夜は君が閉店業務をしたんだそうだね」
 オープンキッチンには入らずに、フロアの方へと降りる。指紋採取や写真撮影は終わっているので、城崎は手近なテーブルのイスに腰をかけたが、清川というアルバイトは立ったままだ。
「はい。といっても松奈川さんと一緒にですけど」
「具体的にはどんなことを?」
「看板を下げてフロアの電気を落とし、鍵の確認をしてブラインドを閉めます。掃除を済ませて、備品チェックして。あとはレジのお金をマーネジャーに届けます」
「昨夜君が上がった時と、何か違う部分はあるかな?」
「そう、ですね」
 店内を見回す清川は「厨房も見ていいスか?」と訊ねた。城崎が頷いて返すと、カウンターをぐるっと回って一段低い厨房に降りる。
「床に置かれたテープやマークは動かさないでくれよ」
「あ、はい。ボールやザルが落ちてたりするくらいですけど。……これは」
 配膳台の片隅に置かれた畳まれた紙袋。
「その紙袋は何?」
 いつの間にか背後にいた黛の声に、清川は驚き体をのけ反らせた。
「おああ、いえ、昨夜のお客さんからの差し入れッス。檜山さんておばさんなんですけど、松奈川さんのファンなんですよ。時々お取り寄せなお菓子とかくれるんス。大きなビー球みたいに見た目も面白くて美味しかったですよ」
 すぐ横のシンクの中に半透明のカップがひとつ転がっている。黛刑事が拾い上げると「そう、それっス」と清川。
「残りの2個はマネージャーの分だって松奈川さんがそこの冷蔵庫に入れてたんですけど、食べたのかな……」
 後ろにあるクローゼットのような大きな冷蔵庫のドアを、黛が開けた。

********************

 吹田が目を覚ましたのは昼も過ぎて日が傾き始めた頃だった。とはいえ窓から入る風はまだまだ熱気をはらんでいる。寝室を出て軽くシャワーを浴びた。疲れはちっとも抜けていないが、それ以上に体は興奮しているようだ。なんとなく違和感を感じるのは刑事が部屋にいたからだろうか。家探しなどされてはいないとは思うが、どことなく私物を勝手に触られたような気がしてならない。現場は店舗であってここではないのだから、調べられても問題はないけれど。

 階段を下りる。午前中は何人もの捜査員やら鑑識官やらがごそごそやっていた店舗がやけに静かだ。キープアウトの黄色いテープが張られた引き戸をそっと開けた。バックヤードと店舗内を仕切るドアは開け放たれていて、厨房の一部と店内が少しだけ見える。カウンターにはメガネをかけた黛刑事が座っていた。
 引き戸の音に気付いたのか、黛は手にしていた手帳らしきものをパタンと閉じて立ちあがった。
「少しはお休みになれましたか?」
 静まり返った店内では、ぼそぼそとした声でもなんとか聞こえる。吹田は肩をすくめるジェスチャーをして見せる。到底休まるものではない、という意思表示だ。黛は頷いたが、表情に乏しく何を意味しているのかはわからない。
「吹田さん、少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「さすがに腹が減ってたまらんのですけど」
「パンありますからよかったらどうぞ。『ベーカリー・スージー』のチーズロールとポテトめんたいです」
 駅前のパン屋の紙袋を掲げて見せ、カウンターのスツールを反対の手で示す。座れということらしい。吹田は黄色いテープをくぐってフロアへと降りる。
「……入っていいんですか?」
「調べるもんは調べたみたいですし。あちこち触らなければ大丈夫です。それにここは、吹田さんのお店です」
 黛は魔法瓶の水筒も出してカウンターに置いた。準備のいい男だと吹田はどこか落ち着かない。刑事の度の強いメガネの奥の目は細く、日向でまどろむ猫のようで緊張感がないのだが。
 吹田は空腹感に耐えられずパンをひとつ手に取った。
「いただきます」
「紙コップですがコーヒーも良かったら。こちらは喫茶『猫足』のオリジナルブレンドです」
「すんません」
 水筒から注がれたこげ茶色の液体から湯気と香りが立ち上る。
「『猫足』のコーヒーってテイクアウトできましたっけ?」
「知り合いなので無理言ってもらってきちゃいました」
 相変わらず表情に乏しいが、わずかに得意げな顔に見えた。
「そういえば、他の刑事さんたちは?」
「いろいろと確認したり調べたり探したりです。あ、僕は別にサボっいるわけではありませんよ、まだここを無人にするわけにもいきませんし、吹田さんもいらっしゃる」
 疑われているのか、と急に不安になる。証拠もなしに逮捕なんてできないはずだが、強硬手段に出ることも警察ならあり得るのか。
「……もしかして僕が疑われているとか。アリバイが証明されなかったとか」
「死亡推定時刻の0時から1時の間のアリバイは当然のことながら、11時40分頃から明け方の4時15分までずっとお店にいらっしゃったことは確認済みです。南瓜の大将がしっかりと証言してくれました。もちろん何度かトイレくらいには立ちましたが、窓から抜け出せる構造でもありませんし」
「そうですか、それは良かったというのもおかしな話ですが」
「ただ、大将の話では、それが珍しいと言ってました。吹田さんが朝まで居座ることなんて初めてじゃないか、と」
「……そういう時もありますよ。松奈川が来ないから飲みすぎて半分寝ちゃってたりしましたし」
 
 そこで会話が途切れる。黛は自分の分のコーヒーを飲むこともせず、厨房を眺めているようだった。
 
「……強盗事件なんですよね?」
「どうでしょう」
 沈黙に耐えられず口にしてみると、黛はあいまいに即答した。この刑事はただの強盗殺人ではないという意見を出していたはずだ。
「松奈川という男は神聖な厨房を汚す強盗に立ち向かってもおかしくはない男ですよ」
「そう、ですね。……ただ、ブラインドが下りていたとはいえ店内の灯りも点いていましたし、少し探れば中に人がいることがわかります。そもそも盗みに入るでしょうか」
「銀行強盗だって人がいるときに押し込みますよ。強引に盗むから強盗なわけで」
「銀行強盗とは得られる対価が違います。お金が目的ならば店舗がいずれ無人になるのなら待てばいいですし、なにより間近で目撃されることのデメリットのほうが大きい」
 金銭的な損失は無かったわけだが、レジにお金があったとしても100万も無い。確かに人を殺してまで奪う金額ではないと吹田には思える。
「むしろ松奈川さん個人を狙った犯行という可能性のほうが高いと踏んでいます」
 反論できない。吹田は黛から顔を背けて顔をしかめた。
「……なるほど」
 吹田はコーヒーをガブリと飲む。
「では松奈川さんが死んで特をするような人、もしくは個人的な恨みを持っている人に心当たりはありませんか?」
「アイツは要領も良かったから、人に恨まれるようなヤツではないと思います。最近のプライベートはよく知りませんが、恋人ともうまくいってる話でしたし。アイツとは古い付き合いでね、一緒に店やってて最近ようやく名前も売れてきたところなのに……」
 右手で顔を覆い、黛から顔を背ける。すると彼はこんなことを口にした。

「動機というものは、身近なところにこそ深くあったりします」
「オレには動機なんて無い! 親友が死んだ! 売り上げだって落ちる!」

 思わず声を荒げてしまったが、黛の口調には相変わらず平坦だった。

「松奈川さんの恋人の連絡先を知りたいのですが」

 立ち上がりかけて力の入った両手が固まる。吹田を見る黛の細い目は先ほどと変わらないものの、一瞬獲物を見つけた黒猫のような不気味さがあった。小さく喉を鳴らし、吹田はわずかに浮いた腰をスツールに下ろす。
「……澤田恵という子です。ケータイのアドレスならわかります」
「あとで控えさせてください」
 頷いた刑事は冷めたコーヒーにようやく口をつけた。
「さて、そうですね。正確な死亡推定時刻というのは、胃の内容物の状態で判断されます。松奈川さんが最後に口にしたのが何かわかりますか?」
「……わかりません。昨日は忙しかったから賄いもロクに食えなかったんじゃないですかね。だから僕が店を出た後に何か」
 そこで吹田は檜山婦人からの差し入れを思い出す。そうそう、忘れていた。これがアリバイトリックのもうひとつの防壁になる。
「ああ、そういえば常連のお客様からお菓子を貰ったようで、それを食べたのが最後かもしれません。自分が店を出る時に、松奈川がひとつ食べようとしてたのを見ました」 
「お菓子、ですか」
「ええ。ちらっと見た限りでは、カップに入った果物のシロップ漬けですかね。冷蔵庫に僕の分が残っているはずです」

 黛が立ち上がり厨房へと回った。冷蔵庫の扉を開けてカップを取り出す。
「これですか」
 掲げて見せた。半透明のカップの中に、色とりどりの果物が丸くカットされて沈んでいる。そしてそれはその手の中で波打つことなく。
「シロップ漬けではないようですが」
 言われる前に気づいていた。中身は液体ではない、ビー球のような果物達は揺れていない。しっかりとしたゼリーの中に沈んでいる。
 
 ゼラチンのゼリーは約25度、室温でも溶けてしまうほど融点が低い。自分がそれを食べたのは徹底的に室内が加熱された後のこと。完全な液体になっていたものだから勘違いしたのだ。
 シロップ漬けというのは言葉のあやだ。そう押し切る。吹田は下腹部に力を入れ、表情は笑う。
「いやぁ、それ遠目に見たかぎりではゼリーかシロップ漬けかわかりませんよ。松奈川が冷蔵庫から出しているところを見たわけであって、食べているところを見たわけじゃありませんし。そうかあれはゼリーだったのか」

「そうですか。吹田さんは知らなかったんですね」

 黛はそう言った。
 何を、だ? と吹田は揺れる。

「体温の低下から推測された死亡推定時刻は、時間を早める必要がありそうです。おそらく店内の温度をなんらかの方法によって上げたのでしょう。エアコン、いやIHコンロでお湯でも沸かしたのかな。その後エアコンで室温を戻した。おあつらえ向きにどちらもタイマー機能がついているようですね」
 厨房内のコンロを覗き見て黛は頷いた。
「となると0時以降と見られた死亡推定時刻よりももっと早い時刻に殺された可能性がありますね。たとえばバイトの清川さんが店を出た23時から23時40分の間」
「それってピンポイントで僕を疑っていませんか?」
「いえ、確信しています。吹田さん」
 黛はゼリーをカウンターに、吹田の目の前に置かれる。
「あなたは昨夜、店を出る前に、松奈川さんがこれを冷蔵庫から出したのを見たと言いました」

「……あ、ああ」
 見た。けれどそれは紙袋に入ったままの状態だったが。

「それを見てあなたは『フルーツのシロップ漬け』と思った」
「これをチラッと見ただけならそう見えてもおかしくないだろう」
 吹田はそう反論した。しかし、黛は細めた目を吹田からそらさない。
「いいえ、あなたはこれを溶けた状態で見たんです。それこそが、室温を高くして死亡推定時刻を誤認させようとしたことの証拠です」
「何を言っているんだ、そのゼリーが一回溶けたかどうかわかるわけないだろう」
「わかります。これは本来球形をしているんです」

 吹田の表情がおかしな形で固まった。キュウケイ?

「丸く作られたゼリーの中に、丸くカットされた果物が閉じ込められた、そんなデザートなんです。清川さんが言ってました、見た目も面白いデザートだと。そのゼリーが形を変えて冷蔵庫にあるということはどういうことか。一度冷蔵庫から出された後で、溶けるほどに温められた後、再び冷蔵庫に戻されたということです。そして松奈川さんの死体も同様です、エアコンは止められ、煮えたぎる鍋が並ぶ店内で一度温められた」
 カウンターをはさんで刑事を見上げる。黛は配膳台の引き出しをあけてティスプーンを見つけると、それをゼリーに添えた。
「球形のゼリーを見て『シロップ漬け』だと勘違いするような人はいません」

 無言でスプーンをとり、吹田はひとくち食べる。
「舌触りが粗いな。一度溶けたからか」
「そういうことです」

「やっぱりバレてしまうもんなんですね」
 吹田は深くため息をついた。
「『南瓜』の大将がね、吹田さんは朝まで飲むような人ではない、何かあったんじゃないか、と言ってまして。普段と違うことをするのは、普段と違うことがあったということですから、気になるのは当然です」
「なるほど」
「アリバイを作るのであれば、そういう機微のわかる相手は不向きじゃないでしょうかね」
 刑事らしからぬことを言う男だと、吹田は笑いそうになった。
 
 もうひとくち食べて、吹田はスプーンを置いた。美味しい料理は環境も大事だ。このゼリーは見た目も味も自分が台無しにした。
 ふと厨房の隅の棚に目をやる。常温保存の野菜や乾物が整理されて並んでいるが、異常な高温高湿度で一晩置いてしまったことも今になって後悔した。きっと野菜の鮮度や質も落ちてしまっているだろう。朝と晩で雰囲気が随分違うほどに食材はデリケートなのだ。
 店内を見回す。この店も自分が台無しにした。厨房に、いつもの相棒の姿はない。もう二度とない。



《 ダイナシのレストラン 了 》



【 あとがき 】
最初に考えたタイトル『謎解きはデザートの前で』はあまりにもネタバレすぎでやめた。

4回くらい書きかけてボツにしてを繰り返し、ラスト1週間でイチから書き直した。
こんなに苦労したのはMC初ではなかろうか。ただただ落としたくない一心で提出してしまいました。今回のどんどん雑になっているような(汗

ミステリにこだわって書こうとするのがそろそろキビシイか。
尻つぼみだな!


Missing-Essayist Evolution  松永夏馬

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