Mistery Circle

2017-10

《 元バス王子と止まらない欲望の電車 》 - 2012.07.30 Mon

《 元バス王子と止まらない欲望の電車 》

 著者:ココット固いの助








沈黙が一番残酷な仕打ちである事を彼女はちゃんとわきまえていた。あの時から彼女はちゃんとそれを知っていたんだ。



その時の俺は右足を重症骨折しているにも関わらず、よんどころない事情から入院していた病院を強制退院した。

退院したのはいいが介助なしで1人で風呂に入るのもままならない状態。

その日は夏休みで家には母親も中学1年の妹もいた。

しかし当時中3で思春期真っ盛りだった俺は当然のごとく家族の入浴介護など受けたくはなかった。

そんな俺の気持ちを察してくれたかどうかはわからないが父親がホ―ムセンターで買ってきてくれた手刷りを浴室に取り付けてくれていた。

それで俺は片足でシャワーだけ浴びることにした。

ギブスをはめた右足を濡らさないようにサランラップでぐるぐる巻きにして上からビニ―ル袋を履いて輪ゴムで固定して。

入浴はかなり骨が折れる。

しかし1人で風呂に入れる解放感に比べたらなんでもない。

入浴といっても浴槽に1人で浸かることはさすがに出来ない。

俺は脱衣場で衣服を脱いで壁づたいに浴室に入るとシャワーのコックを捻る。

温水に変わるまで水を避けて父親が取り付けてくれた手刷りを右手で掴んだ。

その時ツレナイ手刷りがいとも簡単に壁から外れた。

日用大工にしても酷すぎる。

俺の父親は尊敬すべき元アスリートだがそれ以外は不器用を絵にかいたような男だった。

俺は外れた手刷りを握ったまま片足でバランスを崩し真後ろに仰向けに倒れた。

前に倒れたら目の前に姿見があって大怪我するかもしれない。

背後には何もなく尻から倒れたら大怪我しないで済むととっさに俺は考えた。

何より前方に体重をかけたら右足を着かざるを得ない。

俺は無様に風呂場の床に全裸のまま大の字になった。

幸い床に手がつけたし頭も打たず怪我もしなかった。

しかしこの姿勢のまま自力で立上がる事は出来ない。

その時ふいに浴室のガラス戸が開いた。

「母さ・・」

さっきから脱衣場に誰かいるのは知っていた。

おそらく母親が俺の洗濯ものでも取りに来たか様子を聞きに来たのだと思っていた。

しかしそこにいたのは俺の妹の春夏だった。

妹の春夏は上半身スクール水着下は学校指定のブルーの短パンという格好だった。

普段なら「なんちゅう格好してんだ!!」と突込むとこだが。

今それよりひどい姿を晒しているのは俺の方だった。

妹は幼稚園からスイミングに通っていて今では全国でも有望な水泳選手だ。

今から部活にでも行くのだろう。

間違っても俺の入浴を助けるために来てくれたなんて事は妹の性格上万に1つもあり得ない事だった。

水着を着ていない肩や腕はまだまだ筋肉も未発達で華奢に見えた。

日に焼けたしなやかな肢体と水着の跡。

家に隠れがちな俺に夏の訪れを感じさせた。

随分ばっさりショ―トにしたものだ。

いつも八重歯を見せて笑う口元はこの日に限り固く閉ざせれていた。

沈黙が長く続いた。

「春夏・・どうした!?」

妹は無言で隠す物が何もない俺を黙ったままじっと見つめている。

上から下までなめるように妹の視線が俺の体を這いまわる。

「風呂場で転んで立てないんだ!悪いが母さん呼んで・・!?」

妹はいきなり目の前に携帯をかざした。

猛烈な勢いでシャッター音が浴室にこだました。

「なにするんだ!?春夏やめろ!・・やめて!!」

俺は妹の突然の暴挙に驚きと恥ずかしさで思わず顔を両手で隠した。

「あ・兄貴の裸を写真におさめて!お前変態か!?」

「恋とはあさましく無惨なものなり・課金」

「色に狂う人は狂わば狂え・課金」

「身を捨つるならば・課金」

「切なる恋の心は・課金」

「恐ろしきは涙の後の女子心・課金」

「人は迷惑をかけない範囲で課金である」

「なり」

妹が百人一首みたいな変な歌を読み始めた。

「なにそれ?」

「しめて一葉さんが5枚・・福沢さんが1枚ってとこかな」

妹は言った。

「言っとくけど私は兄貴の汚裸写真撮ってはあはあ言うような変態妹じゃないからね!」

「じゃ、なにしてんだよ!?」

「お兄ちゃんの写真を高く買っくれるお財布に優しいサイトがあるんだよ」

なんか妹が急にこわい事言い始めた。

「そんなものあるわけねえだろ!?早くタオルよこせ!!」

それより携帯を取上げるべきだった。

「あれ・・もう返信来た!」

返信の速さに驚く前に今の写真どこに送信した。

「『うちは盗撮サイトじゃないんで次はもう少し芸術性のある写真お願いします』だって・・さっすが美意識高い系」

どこの誰を讃えてるのか知らないが実の兄にこんな屈辱を強いておいて許されると思うな妹よ。

俺は妹の暴挙に思わず「お母さん~」と何年ぶりかで母に言いつけたくなった。

「お兄ちゃんちょっと腰ひねってみて」

「ポーズを要求するなあ!!!」

どこかで俺の裸が妹絡みで品定めされているようだ。

後で問い詰めたが妹は「ただの冗談だよ」だと言って口を割らない。

写真も即刻削除させたが何処に送ったのか未だ謎のままだ。

妹のスポ―ツマンシップが俺の知らないところで侵食されているようだ。

そんな事が中学時代に1度だけあった。

中学3年最後の夏休みの出来事だ。

しかし俺はその頃そんな事にかまけていられない毎日を送っていた。

骨折狂想曲。その始りと突然のミュート。

その後訪れた足枷に鉄球を嵌められた囚人のような重苦しい日常との格闘。

その時の俺は妹の奇行にかまけている余裕なんてまったくなかったのだ。

俺にとって決してあっという間ではない日々。そんな1年が過ぎて。

また夏がやって来た。






【チェリーとバスケット】




雪とか空とか月とか虹だとか。

たとえば今俺が乗っている、この電車の窓の外を流れる工場群の風景。

市が環境に配慮したという高い煙突は空へ伸ばした人の指のようにも見えた。

触れようとしてもけして手がとどかない。

兎角うつろいやすいものは人の名前には好ましくない。

古い大人たちはそう考えるものらしい。

雪の音と書いてゆきね。

初鹿野雪音。

あだ名はゆき姉。

それが今俺の目の前にいる彼女の名前だ。コ―トネームはYUKINE。

彼女は俺の彼女。

三人称的な意味ではなく「つきあってくれたらうれしいんだけど」そんな些か素っ気ない、けれど自分史上せいいっばいの告白をして出来た俺の人生で初めての大切な彼女だ。

「なに?トイレ?」

くどいようだが(咳ばらい)人生初の告白に対する彼女の返事がそれ。

「ばあか!連れションじゃねえよ!!」

猫科の俊敏な生き物を連想させる。

切れ長で大きなオニキスの宝玉のような黒い瞳とスピネルを集めたネックレスみたいな長い睫毛は作り物ではなく彼女の自前だ。

彼女は俺の顔を上目遣いに見て言った。

「はいよ」

本人は気にしてるみたい。けど魅力的なやや大きめの口もとから白い歯がこぼれた。鼻に皺を寄せて笑う癖。

「トイレでもどこでもつきあう!」

子供みたいなおもいっきりの笑顔の後で彼女は俺にそう言ってくれたんだ。

「なあなあなあ?ゆき姉と梶本がどエロな会話してるようだぜ」

夕陽の中にうさぎのように両手で耳を立てた不穏な人影が数名現れた。

ささやかなロマンチック。

そんな効果を期待し普段から人気のない文化部のための部室や美術や音楽の教室がより集まった三階南校舎の階段の踊り場をわざわざ選んだはずだった。

ところがなんだ?

この見覚えのあるクラスのウサギ・・もとい、女子どもの群れは?

これは小説とかドラマによくある純な男の告白から一転皆に道化と指を指されて笑われて奈落へ転がり落ちる「とんだカシモドだぜ!」のパターンではないのか。梶本だけにな。

「薫君にさあ今から『トイレにしけこもうぜ』って告白されたぜ!」

「あの・・ゆき姉・・さん」

「どえろ」

「鬼畜」

「さいて―」

「告っていきなりか?」

告白の場というセンシティブかつナイーブな個人情報すら駄々漏れなんですが。

会話もばっちり聞かれてるし。

「うちは梶本薫君と今日からラブラブなんですわ」

階段の下から俺たちを見上げる女子たちから「ウホオ!」とか「キャキャキャ!!」いう感嘆符弾幕つきの嬌声が漏れる。

ウサギなんて可愛いもんじゃなくてこいつら猿だと今更ながらに思う。

ゆき姉は俺の右手をチャンピオンのように高々と差し上げて見せた。

「薫君GETしましたあ!!!」

「UFOキャッチャーの景品かよ俺は!?」

「カッシ―がいきなり3P狙いに出るとは」

スリーポイントって言えや!

「おくてのぶっきら男子を気取ってたかと思えば・・やっぱ男は油断ならねえぜ」

気取ってねえし!

「大胆不敵」

「身のほど知らずが」

景品取り消し!女子会のつまみ。

俺はハッピーターンだ。

鯉の餌にされる哀れな蛹。

猿どもの目の前に投げられたバナナ。

「雪音だったらもっともっと素敵な彼氏出来るのにマジもったいない」

そこのタメ息まじりの黒髪アルビノ!あんま話した事はないが顔と名前は今後しっかり覚えさせてもらうからな。

あのさあ、本来この状況、もう少し情緒とか大切でロマンチックなもんじゃないのかな。

ゆき姉は祖母がフィリピンだかタイだかのアジア系の人らしい。

他にも多民族国家のロシアとか、遡れば色々ミクスチャーで身内でも詳しい血筋はよくわからないらしい。本人曰く。

「アジアが3/4東邦1/4ってとこ?」

やっぱそこら辺りの感性とかが俺たち島国日本人とは微妙に違うのだろうか?


見た目は可愛い日本人の女の子とあまり変わらないのだけれど。

訂正!可愛さに於いては他の追随を許さない。

「みんなありがとう!でも一言だけ言わせて」

なんだなんだオスカー受賞のスピーチでも始まるってのか。

「うち・・泣いていいかしら」

「俺もう帰・・・!」

その場を逃げ出そうとした俺はゆき姉に制服のズボンのベルトを掴まれた。

「なんだなんだリア充!?」

「explosion」

ちなみにバスケ用語だ。

「私から親友のお前らに言いたい・・」

お願いそこでためないで。

「薫君は今日からうちのもんだあ!!」

とたんに猿祭り。

「うち」とか「あちし」とかはここら地元の女のベタな言い回しで別に方言とかじゃないみたいだ。

子供の時から皆そうだから気にしないが日本生まれの日本育ちのゆき姉も地元田舎女子に馴染みまくりでなんの違和感もない。

無念残念クォーター。

「早くもソクバッキ―かあ」

「ヘイヘイ辛いねもて男」

ヘイヘイ【THE生地獄】気がつけば目の前でそんな芝居の幕があがる。




「は?そんなのやらねえよ!?」

その時俺は同級生の男子が熱くオススメしてくれた名作ギャルゲ―のタイトルの数々を超高速で脳内検索していた。

家に帰ってAmazonプライムでそっこ―注文して二次元の世界に逃げ込みてえな。


「取り返しのつかない人生なんてない、人はどこからでもしあわせになれる~グリムガ―デンの少女より~」


「あんた何言ってんの?!」

「気にしないでくれ!ただの現実逃避だ」

「そうか・・ダ―リンがこれから始まるうちらのラブラブライフを妄想中らしい」

あぁ早く終わんねえかな。

俺は携帯を弄るのもなんか感じ悪いと思い直して制服のポケットに手を突っ込んだまま下を向いた。

「みんな知っての通り」

ゆき姉の声は年令の女子にしたらやや低い。

少年ぽいと言うのでもなく落ちついた感じで気取りなく俺は彼女の話し方や声のトーンが好きだった。

「薫君はわたしらみんなの憧れの王子様」

ポケットから素早く取り出した携帯を持つ手がすでに震えて汗ばんでいた。

「小学校から中学の間で学校はみんなそれぞれ違っていたけど薫君に憧れる気持ちはみんな一緒だと話したよね」

「みんなの薫君だから一人で抜け駆けはやめようね~って」

「みんなのバスケット王子なんだから」

「薫君ファンクラブ【さくらんぼ同盟】の掟!」

なにその可愛い名前。

そんな謎の組織は初耳だし認可した覚えもないぞ!

「かっこよかったな~あの時のカッシ―ときたら」

「ゆき姉・・ごめん!バスケの話はちょっと今は」

俺はそう言ってゆき姉の細い肩に手を置いた。

自分ではきちんと割り切りや線引きが出来ていたはずだった。

けれどやっぱり他人の口から昔のバスケの話を耳にすると気持ちが揺れたりナ―バスになるものだ。

笑って軽く受け流すにしても表情がつい強張ってしまう。

まだ昔というほど昔ではない。

風化なんてしていない。俺は今でもバスケットマンでいたいのだと痛感させられてしまうのだ。

「あ・・ごめん!ごめんね薫君!?」

ゆき姉は俺の表情が翳るのを敏感に察知したようだ。

見てないようで彼女は周りの空気や人の顔色の変化にとても敏感なのだと俺は後に藤崎薫に聞かされた。

「いや別にいいんだけど・・こっちこそなんか悪い!気い使わないでくれ」

俺はゆき姉の瞳が既に少しだけ潤んでいるのを見てやわな自分の心を悔いた。

今にも零れそうな涙を指の先ですくう勇気も持てなくて。

ぎこちなく微笑んで見せた。

見つめ返す黒い瞳にすいこまれそうで思わず息が止まりそうになる。彼女の魅力の虜になった俺がそこにいた。

「きゃあ!」

「ゆき姉完堕ち」

「王子デレ」

「カッシ―マジで天使!!!」

「翼の折れた王子痛々しくて萌えた~」

王子だけでなく翼まであるのか俺。

そこの実況!お嬢様方!!・・いやお前ら!!

バナナの神輿とお猿神楽様の登場で祭りは今や最高潮だ。

「普段男前なゆき姉と薫君の絡みがなんともアナザ―な妄想を掻き立てすぎるう」

アナザ―な妄想って何かしら?

こらこら!自撮り棒をこっちに向けるな!!

「うちら薫君に呼び出される前からみんなで話していたの」

「話してたって何を?」

「ピックなベイビーは禁止だよって」

ピックなベイビー。

肥満児の事ではない。

それはバスケット用語というかNBAなんかで使われているスラングを女子向けにアレンジしたワ―ドである、と元バスの俺はすぐに理解した。

チェリーピック。さくらんぼをつまむ・・鳥が啄む。

まあだいたいそんな意味でいいのかな。

鍵を開けるピッキングなんかのピック。

他にも肉を貪るなんてのもこのピックが使われるらしい。

バスケットにおけるピックはテクニックとかルールそのものではなくプレイヤ―のスタイルを揶揄する言葉として使われる。あまりいい言葉ではない。

怠慢、美味しいとこ取り、ようするにこればっかりやってると仲間にも嫌われてしまうずるいプレ―の事だ。

例えばディフェンス。

「ディフェンスとは何か?」

という設問に対して予想できる解答は。

ゾ―ンとかカットとか様々だけれどその解答にはフィロソフィが欠落している。

本当に優れたバスケットマンならこう答えるはずだ。

「ディフェンスとはみんなで行うもの」

敵陣で攻めていたプレイヤ―も一度局面が変われば直ちに自軍に戻り全身全霊でディフェンスに参加しなければならない。

あらゆる手段を用いてボールマンにプレッシャーをかけ、これを退けボールを奪いゴールを守る。

これがバスケにおけるディフェンスの基本でそれはたゆまないファンダメンタルと献身的なプレ―によって成される。

単純にチームプレーとか絆と言ってしまえばそれまでだが。

でもごく稀にディフェンスに参加しようとしないプレイヤ―もいて仲間が苦労して奪ったボールを敵陣からよこせとロングパスを要求する。

奇策としてたまには成功する事もあるが続けてばかりいると仲間の信頼を失う。

そんなずるいスタンドプレ―をバスケではチェリーピックって言うんだ。

「さくらんぼ狩り禁止令」

ちょっと待て!?さくらんぼって俺の事!?

「チェリーって超恥ずかしいんだけど」

「櫻中のバスケ王子様だから仕方ないよ」

「みんな大好きお目当てのチェリー」

そこの白いの!市松人形みたいな無表情でそういうことをしれっと言うなよ。

「ちなみに私は違うから誤解しないでね」

ゆき姉の友人たちの中にあって彼女だけが黒髪のロングで一人異彩を放っていた。

他の女子はみな精悍な短い髪でどこかしら雰囲気も似ている。

いかにも女バスの部員という感じがした。

初見この市松人形だけはバスケ部員じゃないのかな?と思ったがどうやらゆき姉とは小学校時代からミニバスでフォードとガ―ドのポジションでばりばりならした有名選手らしい。

薫と一文字で書いてスミレ。柴崎薫が彼女の名前。コ―トネームはシンプルにSUMIだ。

俺の名前と同じ漢字で読み方が違う。

「親友の薫と薫君が同じ漢字の名前なんてなんか運命感じなくない!?」

なんて雪姉は俺によく話していたが俺は初見からこの白くてツンケンした女がちょっとだけ苦手な気がしていた。

この時点で、俺は告白する彼女を1年生でありながら将来の部のエ―ス候補で、キャプテンのナンバー4を背負うと期待されている初鹿野雪音を選んだ事は失敗ではなかったかと思い始めていた。

ゆき姉を彼女にすればもれなく生き人形とご学友のこいつらもセットでついて来るシステムだ。

「あ¨~み゛ん゛な゛の゛あ゛ごがれ゛の゛ガウ゛ル゛グン゛だがら゛あ゛~」

少しばかり目を離したらなぜか号泣してるゆき姉。

ガウルグンってなに県なに市だよ?

「雪音情緒頑張って」

お前もだビスク。

「1人だけ・・抜け駆けよそうねってみんなで話して・・だけどみんなピュアで1人も告白する勇気がなくて・・そしたら王子が・・!うちに・・うちがうちが告白されるなんて思わなかった!」

なにこの人たち非モテの集まりなの!?

「薫君!ゆき姉の事抱きしめてあげて!」

やだよ!こんな公衆の面前で!?

「な―か―し―たな―か―し―た」

柴崎薫が無表情で手を叩く。

こいつ!この底意地の悪さはある意味すごくバスケ向きだと俺は確信した。

「ハンカチぐらい用意しとけよ!たく気がきかねえ男だな!」

柴崎薫は軽やかな足どりで階段をかけ上がると両腕でゆき姉の頭を抱えるようにしてはしと抱きしめた。

そして俺を仇のような目で睨んだ。

「雪音はコ―トでは雌ゴリラ顔負けの動きをするけど普段は超絶乙女でそれはめんどくさい女の子なんだからね!そんくらい知っとけやこのカス!!」

こいつ・・すました人形みたいだと思ったら話すとむちゃくちゃ口汚ねえ。スポーツマンで礼儀を重んじる俺は立腹した。

「薫・・それ悪口に聞こえるんだけど」

(めんどくせえ)と思いつつ今までバスケ一筋で女の子とろくにつきあいがなかった俺は(そういうものか)と思いポケットから真新しいハンカチを取り出してゆき姉の前に差し出した。

「あのゆき姉・・よかったこ・・!?」

ぱあん!と乾いた音がした。雪姉が思いきり俺の右手を弾き飛ばした。

「えええええぇエエエエエエ!?」

「ゴメン!ボールカットの癖がつい」

嘘をつくな!嘘を!!

「雪音それテクニカルファール」

「みんな!ありがとう!?うちは今最高に幸せだよ!!!」

まるで試合終了間際に逆転のスリーポイントを決めた英雄か、階段を降りる宝塚のトップみたいな煌びやかな笑顔でゆき姉は仲間の熱い祝福を受けている。

ぽつんと一人取り残された俺。そんな俺に柴崎薫が囁いた。

「大丈夫!照れ隠しだから 」

「雪音のことよろしくね!」

曖昧に頷く俺にもう一言。

「ちなみに処女だから」

柴崎薫はなんというかその年齢にみあわない妖艶で不遜な微笑みを浮かべて俺に囁いた。

「よろしく」

それから壁際に追い詰められた格好の俺にさっきゆき姉にしたように首すじに腕を巻きつけ身体をあずけて来る。

「あの・・膝・と太腿がさっきから」

こんなに目近で女子特有と噂の髪の毛や制服の甘い香りや息づかいやらを感じたのは彼女になったゆき姉ではなく、その親友の柴崎薫が初めてだった。

思わず「ありがとう!」と言いたくなる。

「ちょっと!ちょっと!す・み・れ~!?ダメダメ!!ダメ~!!!」

「だって私は雪音と昔からいつもバッシュもサポーターもおそろいじゃないと」

「そうそう昔からいつも双子みたいに一緒だったよねえ」

「薫君だけは別!別なんだから!」

ゆき姉が鼻息を荒くして階段をかけ上がるのを見て彼女はあっさり俺の首に巻きつけていた腕の縛めを解いた。

「雌化してる雪音なんだか嫌だわ」

ひらりと短めのスカートからのびた足が階段の端を蹴って踊り場の床に着地する。

「どうせ中はスパッツ」

そんなチ―プとわかっていても俺は彼女の足にくぎづけになり胸は否応なしにドキリとさせられてしまう。

見てこれ的なトリッキーなプレーよりもチ―プな罠にこそ簡単に人は欺かれるものだ。


いい足してる。けっこうな段差だったのに。ばねがあるし最高到達点はどのくらいだろうな。

広げた両腕が羽ならば掌からのびた指先にレイアップする直前の透明なボールが見えるようだ。

俺はぼんやり思った。

柴崎薫はこちらを向いて俺とゆき姉に向かって舌を出して見せた。

「ばあか!雪音に突っ込んだ汚ねえちんこなんていらねえし!」

「な・・!まだ突っ込でねえし!」

「なら気をつけな!」

「さくらんぼ狩り禁止だからね!来るなら正々堂々勝負してやる!」

「ああ!もう!汚いものをくわえた口で耳もとで怒鳴らないで!耳が妊娠するから!!」

「まだくわえてねえし・・キスだって・・まだ」

「ゆき姉!飽きたらうちらにもおすそわけお願いしやす」

「薄い本に閉じ込めて」

まじで俺何ヵ月後かに体育館の準備室とかでボールみたいに輪姦されてそう。

爽やかなのか?これスポーツマンシップなのか?お下劣なのか?

よくわからない謎の笑いが周囲に反響していた。

今更だけどゆき姉と彼女たちは高校の女バスの部員たちだ。

彼女たちと俺は同じ今年の春にこの高校に入学した1年生。

でも俺だけはもうバスケ部員じゃない。

中学3年の県大会突破を目指した最後の試合で無様な怪我をして引退した。

元バスケットマンだ。

無様ならまだしも洒落にならない大怪我でバスケを諦めざるを得ないとこまで追い込まれた。

今はもう1年近くボールに触れてもいなかった。

そんな俺にはなんだかむちゃくちゃハイテンションでカオスな部活のりまるだしの彼女たちの姿が少しだけ懐かしくあり眩しい気がした。

しかしこいつら本当に偏差値65以上ないと入学できないはずのこの高校の生徒なのなか?疑問は残る。

しかし答は簡単だ。元であろうが現役だろうがこいつら俺と同じで多分ドリブルのしすぎや過酷な夏練習で取り返しがつかないくらい脳にダメ―ジを受けたのだろう。

俺は小3からミニバスを始めた。

そこで培われた独自のバスケ観。

それはバスケのコ―チは例外なく厳しくおっかねえってこと。

指導者が無理矢理押しつけられたやる気のないダメ顧問だったりすればチ―ムはたちまちタガが外れ弱体化するのはよくある話だ。

バスケというスポーツの性質上求められるのはフィロソフィ(哲学)とファンダメンタル(基礎)の実践だ。

なんの事はないフィロソフィは指導者の掲げるチ―ムが目指すあるべき理想のバスケを実現するための方針。

そしてファンダメンタルとはこの場合弛み無く執拗に繰り返されるボルダリングから始まる基礎基礎基礎・基礎練習に他ならない。

基礎練習を通じて身につけるのは技術だけではなく1つ1のプレーに対する理解だ。理解力が身につけば視野が広がる。

自分や自分たちがコ―ト上でやらなくてはならない事、けしてやってはならない事が見えてくる。

ひたすらメニューを消化するだけに明け暮れても技術だけは身につくものだ。

ただ技術に長けた選手と表現する能力を持った選手の違いはそこで別れる。

チ―ムが強くなるため理想のバスケを実現するためにはどうしてもそれが必要なんだ。

フィロソフィはいつも問いかける。

2時間も3時間も同じボールをつき続け普段けしてあげる事もない大声で走りまわる俺たちに対して。

「バスケってなんだ?」

そして俺には今それはちょっとした呪縛や呪詛のようにも思われる。

ゲ―ムはいつも楽しい。

けれどそれはチ―ムを強くする事にはあまり有益じゃない。

常に時間を頭の中に意識して、ボールに正対して、広い視野を持ち相手や仲間の動きにも気を配り、闘争心を前に出しても献身的なプレーを忘れない。

仲間同士競争心はあってもチ―ムプレーと自己犠牲の精神を忘れない。

バスケットマンに求められるのはそんなところだ。

だから俺がいたミニバスや中学の部活ではホワイトボードが多様された。

まずコ―トに出る前に先輩より早くボードに書かれたその日の練習メニューをチェックして頭の中に叩き込む。

キャプテンが練習メニューを伝えてからでは動き出しが遅くなってしまう。

練習時間は分刻みで決められているためぼやぼやしてたら他の部活や女子と体育館を共用しているバスケ部は練習メニューをこなせなくなる。

そこまでコ―チは口をあえて挟まない。しかし練習時間の遅延や、やり残しがあれば大変だ 。

軍事教練の兵隊さながらに俺たちは時間に追われ色違いの背番号のない練習着を着てハ―フコ―トの中を動きまわる。

攻守の交代やフォーメ―ションの変化はホイッスルで変わるがその順番は練習前に見たボードに書かれていたから出来ないなんて言い訳は通用しない。

もたつき迷惑なやつは外に出ろと言われるだけだ。

練習でもゲ―ムでも勤勉であることと注意深く先を読む洞察力と戦略を理解する能力・・そしてチ―ムプレイ。

どのスポーツにも言えることだがことバスケに関してはこれがないと勝てない。

コ―トに立てる5人にも選ばれない。

1人だけではダメなんだ。

どうやらバスケはユニフォ―ムとかかっこいいしなんか競技してる姿もスタイリッシュに見えるみたいだ。

実際もてるやつはもてる。

勿論個人のクオリティーや仕上がり具合いにもよるが。長く続けていればそれなりに身長だってのびるかもしれない。

部活のバスケは教育指導の一貫だから清潔感だってうるさく言われる。

自然と几帳面さや身だしなみに気を使う気質が身についても何ら不思議はない。

なんとなくもてると知ってそっち寄せるやつがいても思春期だから仕方ない。

俺だって誰だってNBAのスター選手みたいにど派手なダンクや華麗なプレーで人と驚かせたいと思うはずだ。

だけど練習で成功してもいないスタンドプレーや苦し紛れの結果オ―ライはチ―ムになにももたらさない。顧問やコ―チは言うのだ。

「そんな宝くじみたいなシュ―トはいらねえんだよ!」

上手くなればなるほど鎌首をもたげるのは自己顕示欲とプライド。誰よりも上手くなりたい。

敵はおろか味方だって欺くようなプレーヤーになりたいと願いつつ求められるのは自己犠牲の精神だ。

そんな環境で長い時間を過ごし培われやがてレギュ―ラーの座を勝ち取るようなバスケ選手は大概性格が悪い。

俺みたいなやつがいい例だと思う。

もちろん人格者でキャプテンバッジをつけて生まれて来たような男もなかにはいるだろう。

それは多分たまたま生まれつき性格がいいのに違いないと俺は思う。

生まれながらに性格のよい人間・・性善説とか言うんだっけ?それがあるならどっぷりバスケに浸かる事で育まれる人格だってある。

いい意味でも悪い意味でも。染み付いた習慣は恐ろしく侮れない。

そして人は悪い方に染まりがちなものだ。むしろ日々の習慣が本来の性格を変えてしまう事だってある。

レギュラーになれない男の妬みや嫉妬は先輩であろうと後輩であろうと関係ない。

本気度の高い男バスは陰口の温床だ。

俺は1年からレギュラーだからそんな嫉妬まじりの陰口は叩かないで済んだ。

嫌われていただろうが実力がないやつの陰口なんて聞く耳を持たない。

そんな側面があるバスケ部の世界。だけどそれが悪いって訳でもないんだ。

学生バスケの生活で培われた精神や集中力や洞察力、勤勉さというのは学業に思わぬ恩恵をもたらす事もある。

たかが部活。たかが学生時代のスポーツと言ってしまえばそれで終わりだ。

けれどそこから知己を得る事だってある。

俺の人格とかアイデンティティとかそんな大げさなもんではないかもしれないけれど。

俺の思考とか行動の原理は多分バスケットで養われた。

いい意味でも悪い意味でも。

ある日俺は自分の身に纏っていたバスケという鎧を突然剥ぎ取られてしまった。

それまではバスケさえやっていれば俺はある意味無敵の存在だった。

彼女たちの言葉じゃないけど王子にひとつ黒い点がついただけで俺の右足の骨と鎧は玉子の殻みたいに粉々に砕けて散った。

「もう以前のようには戻らない」と医者にはっきりと宣告されたのだ。

そんな元バス王子が亡命先に選んだのは文武両道の文だけが取り得の進学校だった。

普通の人として普通に勉強して大学に入って普通に結婚して普通の家庭を築いて死んでいく。

普通に生きるのは実は困難な道なのかもしれない。

けれど少なくともバスケットの匂いが鼻先をくすぐったりしない環境を選んだつもりだった。

落ち度があるとすればスポーツの強豪高でも充実した設備を整え日本中から素質のある生徒を集められるような私立の超有名高ではなくても進学校はバスケットの強豪足り得るということだ。

なぜなら中学時代からバスケでレギュラー張れるような生徒は前述したバスケ人格が学業に非常に良い成果をもたらす事が少なくないからだ。

厳しい校則がなくとも自然と秩序が保たれているような学校の生徒はバスケットに向いているという事実。バスケ部経験者で偏差値が高いから公立の進学校を受験する生徒だっているのだ。

うちの高校はバスケット熱が強く特に女バスはインハイやウインターで全国を狙える位置にある強豪らしい。それは俺の完全なリサーチ不足。盲点だった。

女バス。俺の「バスケ出来るやつ見たら悪人と思え」論はこと女バスとなると微妙に男子とは違っていた。

女々しいとか女の腐ったようなやつ。

そんな言葉がある一方で男らしい性格だとか言われたりする。

それはあくまでも性別に対する差別的な意味で本来正しい意味での男や女の性格をあらわす言葉ではない気がする。

でもあえてそれらのイメージでバスケ部員を語るならば男バスをやってる連中の多くは性格は女性的だ。いい意味でも悪い意味でも。

几帳面で身だしなみなんかもよく気にしがちで常に周りの反応や顔色を気にしてみたり。

競争心や嫉妬は表には出さないが和や協調は重んじるので面と向かって本人の前では悪口は言わない(ただし後輩は別)

一方で俺が子供の頃から交流してきたり端で見ていた女バスの人たちはもっとさばさばした印象が強い。

彼女たち女バスは大概けたたましい。五月蝿よろしく姦しい。

授業中や担任がいると途端に空気になる。しかしクラス対抗のバレーの試合などあれば俄然張りきる。

でも実はそんなに上手くない。

バスケ以外は上手くない。

体育祭の女子のリレーは女バスがずらりと並ぶ。

練習が終わって帰る時体育館の隅で塊って恋バナをしている。

チ―ムメイトへの不満やダメ出しは常にその場でやってる印象だ。

コ―ト上以外での繋がりみたいなものも明らか男子とは違うものがあるような気がする。家族的というか。

女バスにはその年のヒット曲を替え歌にした応援歌がある。


3年生が引退すると曲がすぐに変わる。

体格差はもちろんあるが男バスも女バスも練習環境や指導の厳しさ求められるものに変わりはない。

だけど彼女たちは常に明るく前向きでバスケを楽しみ、チ―ムである事の誇りや愛情が臆面なく前に出ている気がした。

幼い頃からボールを持ち中学でバスケ部員になる。

不思議な事に環境はほぼ同じでも一般的なイメージでいうところのスポーツマンらしい性格というのに仕上がるのは男子より女子の方だと俺は考える。

「女バスだって色々だよ」

俺がそんな話をするとゆき姉は言ったものだ。

「意地悪な先輩だっていたし性格悪い子だってなかにはいるし」

「だけど練習や試合が始まればそんな事言ってられないんだよね。つまんない事とか考えたり誰かにしようもんならたちまち外に出されちゃう 」

「で上手い子なのにずっと控えっていうのも当然あるあるでしょ?」

「チ―ムワ―クが大切だからな」

ちなみににゆき姉や柴崎が背中につけているコ―トネ―ム。

これはチ―ムメイトが試合や練習でお互いを呼びあうためのものでこれは女バス特有のもので男バスにこの習慣はない。

もちろん部活なのでせいぜい名前や姓を短くしたものでぶっ飛んだDQNはないと思われる。

なぜNBAやWNBAやアメリカのカレッジバスケにあるコ―トネームを日本の男バスはやろうとしないのか。

素朴な疑問を中学時代部活の顧問に聞いてみた事がある。

部活の顧問で体育の教師であった浜谷先生は部活では鬼だが気さくな人柄で生徒ちに慕われていた。

公立の中学の教員ともなれば杓子定規で堅苦しい大人が多いのは仕方ない。

けれど規則規則ばかりの窮屈な場所に押込められた生徒たちはたとえ僅かでも自由な空気を嗅ぎわけるものだ。

浜谷先生、通称浜さんはこの中学のOBでカレバスでは超有名なスタ―選手という経歴の持ち主でオリンピックの選抜にも選ばれた事があるらしい。

けれどそんな事を浜さん本人は自慢気に口にした事は一度もなかった。

それも生徒たちに人気があった理由なのかもしれない。

午後掃除の振り分けで体育館に行くといつも大概1人で浜さんはボールをついていた。

「なんで女子だけネ―ムつけていいんすか?俺らもああいうのやりたいっす」

モップがけの邪魔になるのでどいてもらった。浜さんはボールー持ったままに舞台の上に腰をおろして言った。

「やりたきゃやれば?」

浜さんはボールを抱えたままフロアの掃除が終わるのを待っていた。

「いいんですか?」

「別に駄目なんて決まりはどこにもないし俺らの時代はあったよ」

「今なんで男子はないんですか?」

「超恥ずかしいからだよ」

先生も中学時代にやはりNBAとかへの強い憧れから顧問に提案したらしい。

「俺はなんにでも挑戦する中学生だったからな」ちなみに今の浜さんの口癖は

「俺は誰の挑戦でも受ける!」だ。

顧問に交渉した結果提案は受入れられ男バスでは(おそらく)全国で初めてコ―トネ―ムを背にキャプテンの浜さん率いる櫻台中チ―ムはインターミドル市内予選にのぞんた。

「とんだ赤っ恥だったよ」

選手はどこから見ても日本人の地元の中坊そのものなのに。

「呼べるわけないだろ!普段田中とか佐藤みたいなもんをジミ―とかカ―タ―とか!」

ヘイ!ジミ―こっちにパスだ!・・・死んでもイヤだ。

「それは相当恥ずかしいですね」


「まあ既に背中にしっかり刺繍してあるから敵の選手にはからかわれまくりで、メンタルはもうズタズタさ・・それで試合にも負けた!」

「先生は高校時代超高校級の選手として新聞やスポーツ紙にも何度も掲載されたと聞いたんですが・・なんで先生がいたうちの中学が県予選一度も突破できた事がないのか疑問が今解けました」

「それが理由だ」

「ちなみに先生のコ―トネ―ムはやっぱNBAのスター選手から?」

「俺のコ―トネームはチョッパ―だ」

「それバスケ関係な・・」

「俺は当時人より目立ちたいばっかりに人と違うハ―レ―ダビットソンみたいなチョッパ―ハンドルの自転車に乗っていたからチョッパ―なのさ・・まあ若気の至りってやつさ!」

「そして今笑ったやつ全員部活終わるまで今日はずっとクォーターダッシュな?」

「チョッパ―の練メ鬼畜でマジむかつく」

というわが中学バスケ部の常套フレ―ズは今も可愛い後輩たちに受け継がれているはずだ。

ゆき姉とつきあうようになってから俺はそれまであまり関心がなかった女バスにも目が行くようになった。

それまでは「男バスと女バスは別物だ」と漠然と考えていた。

男子と女子で体格差というものがあるのは当たり前の事だし「実業団の女子と高校バスケの男子が試合したらどっちが勝つ?」とか言う話はナンセンスだ。

それより様々な国際大会やオリンピックの舞台で女子の代表がフィジカルに圧倒的差がある強豪国をひっかきまわして大会の台風の目と呼ばれているのを見ると胸がざわざわする。

オリンピック国際予選を永久に突破できないなんて言われて久しい男子日本。

アメリカチ―ムのコ―チだったっけ?

テレビのインタビューで「日本の男子バスケットに足らないものは?」と聞かれて「すべて」と答えたやつは。

日本だってNBAに行ける選手もいるしプロリーグだって開設された。まだまだこれからなんだ。

男子も女子もなくバスケが俺は好きだ。

男バスやるやつは性格が悪い?それはバスケができなくなった俺の心が歪んでしまったからそう思うだけなんだろう。

なんでもいい、バスケに関係あるなにかに触れた時には過去の記憶が甦る。

ワックスのにおいがする床とシュ―ズの底が擦れる音。

目にしみた汗と自分で洗濯したユニフォ―ムと柔軟剤の香り。

病室の淀んだ空気。

体育館の窓からから見た風に吹かれていた無人の保健室のカ―テン。

粉々に砕けた骨と記憶の欠片。

気がつけば俺はそれを夢中で拾い集めている。

あるべき自分の姿を復元しようとする。

けれどそれは歪なレプリカだ。

胸の中に沸き上がる思いや言葉は俺が過去のバスケの経験から得たものばかり。

誰もいつまでもそんな話聞きたくもないだろう。

知っているからバスケットから背を向けた。今ならまだ間に合う。

その判断は間違っていないだろう。

でもツギハギだらけ俺のレプリカは今もコ―トにいて今も、今の俺みたいにお喋りを続けている。

出来る事ならばボールを思いきり投げつけて粉々にしてしまいたい。

けれどそれは間違いなく俺なんだ。

正直な本音を語るだけ俺より本物かもしれない。

そんな俺が今の俺に向かっていつも最後に必ず叫ぶ台詞がある。

それは顧問の浜さんが皆にはっぱをかける時に口にしていた言葉。

「ここには評論家や傍観者も必要ない」

「バスケットボールをやるんだ!!」




「さて帰るか」

夕暮れの南側校舎の二階の廊下を俺たちは連れだってぞろぞろ歩いた。

窓から西陽が射し込んで外のロ―タリーには校舎の長い影が出来ていた。

冬にくらべたらずいぶん日照時間も長くなった。

彼女たちは春の嵐か夏の夕立のように絶え間なくお喋りをしたり笑ったり跳ねたり。

「腹がへった」と言ったかと思えば顧問の悪口や先輩への愚痴や憧れや称賛など放っておけば夜通し続きそうないきおいだった。

さっきまで彼女たちの的だった俺とゆき姉は少しだけそんな喧騒から離れて歩いていた。

放課後こんなたくさんの女子に囲まれて歩くことなど中学時代はなかった。

絵に描いたような青春の一コマってこういう状況のことだろうか。

俺の右足が遅れをとるまいと前に出る。

けれど無理してもやはり指先や踵が上手く床をけれず足を引摺るような歩き方になる。

俺はつとめて普通を装いながらゆき姉と肩を並べて歩いた。

「まだ痛みとかひどい?」

「それほどでも」

「フクザツ骨折?」

ゆき姉の言葉に俺は軽く首を振る。

「病院では複雑骨折とかって言葉はあまり使わないらしいんだ・・単純骨折は言うけどね」

「単純の反対は複雑じゃないの?」

「開放骨折・・骨が折れて皮膚や組織を突き破ってしまう骨折な」

「うわあ」

「そうでない骨折はおおむね単純骨折って言うんだ」

俺ゆき姉に説明した。

「じゃあ薫君の場合は」

「俺の場合は粉砕」

「粉砕!?」

「どうした、ゆき姉顔色が悪いぜ?ひょっとして苦手か?」

「自分が怪我するのは平気なんだけど人のは身につまされるつ―か・・いたた」

「わかる!それ、よ~くわかるよ」

人の性格が様々なように骨折だって実は色々ある。

単純に単純骨折と複雑骨折・・開放だけなら治療も単純だろう。

骨折した俺は直ちに病院に搬送され加工される冷凍マグロみたいに頭のCTやレントゲンを撮るたのめの部屋に運ばれた。

足首及び足右中指粉砕骨折と診断された。

通常の2倍3倍の大きさに膨れあがり紫色に変色した俺の右足首。

ストレッチャ―で慎重に固定され患部を冷やされ絶対安静の状態で痛み止めを大量に飲まされた。

細かく砕けた微細な骨が体内で神経や血管を傷つけている可能性が高く措置を受けた後は緊急手術となった。

血管を通り炎症を起こした血液や砕けた骨片が肺や内蔵に到達する可能性もあったからだと医師は俺に説明した。

俺の右足首にはまだ骨接ぎのためのワイヤーやボルトが入っている。

いずれは手術で取り除かなくてはならない。

その時骨はしっかりついているか。「経過をみなくてはわからない」と担当医は俺に言った。

術後の傷口が癒えるのを待って抜糸。その後ようやくギブスを着けた。

「今は石膏で固めるんじゃなくて便利なものがあるんだなあ」

ロボットの片足みたいな俺のギブスを見た父親が呑気な声で言った。

「やだなあ、石膏ってお父さんそれ何年前の話?年ばれるよ!?」

中学生になったばかりの妹の春香が呆れたように父に言った。

「いや・・骨折って言えば蝋を溶かしみたいなどろどろの石膏の中に足とか手を突っ込んでだな!ねえ看護婦さんそうでしたよね!?」

「いえ私の看護学校時代からこれでしたよ。それと看護婦じゃなくて看護士ですから」

「運動バカは病院と無縁だからね~」

入院中の俺の怪我の程度には触れず父親や母親や普段やかましいだけの妹までもが明るく陽気な振舞いを見せているように俺には思えた。

骨折の治療は患部を固定してしまえば後はひたすら安静と規則正しい生活観の繰返しだ。

代謝を高め治癒力を少しでも高めるためにはベッドの中でも昼寝などはしてはいけない。

夜決められた時間に就寝して睡眠をしっかり取り普通の健康な人と同じ早朝に起床して1日を過ごす。

普通の日々というより収監された囚人の方が正しいのかもしれない。

リハビリは骨折して入院施術後の翌日か直ちに行わなければならないらしい。

骨折が重度のものであれば患部のリハビリは骨の癒着が確認されてからでなくては出来ない。

しかしその患部付近の筋肉はマッサージなどのリハビリをしなければ忽ち硬直化し萎縮し筋組織の壊死なども引き起こす。

鍼灸治療やリハビリの日々を過ごし病院を退院しても俺のギブスは外されなかった。

ようやくギブスが外れたのはつい一月前の話だ。

中学3最後の試合から既に8ヶ月経過していた。

漸くギブスが外れた俺に医師が告げた診断は難治性骨折という耳慣れない言葉だった。

骨は未だにちゃんと接いてはいないらしい。全治と完治は違う。

俺みたいに骨折が月日を経ても治癒せず以前の状態に戻る目処が立たない骨折患者は全体の5%~10%。

そうした骨折の事を難治性骨折と呼ぶらしい。

バスケどころか痛みが骨折から20年続いている人もいるらしい。

骨折してから入院2ヶ月医師や看護士の言葉をよく聞いて俺はリハビリにも懸命に取り組んだし規則正しい生活も送った。

また高校でバスケが出来ると信じて疑わなかった。

骨に良いと聞けば嫌いな食い物でもサプリメントと一緒に口にした。

骨は筋組織や細胞と違い栄養素を自分で作る事が出来ないから積極的に必用な栄養素を摂取しなければと思ったからだ。

通常の治療期間とプログラムを経て俺病室には車椅子と松葉杖が持ち込まれた。

その日はなんだか嬉しかった。治療が順調に進んでいる標を得たような気がしたからだ。

明け方に尿意で目が覚めた俺は尿瓶ではなく松葉杖を手元に手繰り寄せた。

今日から松葉杖を使っていい事になっていた。もう夜が明けて今日。

俺は身を起こしギブスを嵌めていない左足を静かに床に下ろした。

床はひんやりとして冷たく素足に心地よかった。

立ちあがろうと左足に少しだけ体重をかけた。

その時俺の右足の指は一斉に真横を向いた。

僅かな体重の負荷にも絶えられず俺の右足は反転してそっぽを向いたように見えた。

たまらず悲鳴のような声をあげて俺はベッドに尻もちをつくように倒れこんだ。

瞬間的左足も「折れた」と感じた。

恐怖心からなのか全身の毛穴から冷たい汗が吹き出した。

強烈な尿意に襲わたがその場で漏らさなかった事だけが救いだ。

俺はベッドの上に真横に投げ出されたかたちになり自分で起き上がる事も儘ならない。

見れば俺の左足の指先は暗闇の中で何事もなかったかのようにちゃんとあるべき位置にあり元の方向を向いていた。

「俺の左足の筋肉は短い間にこんなにも自分の体の重さも支えられない位に衰えていた」

少し前まで最終クォーターまでの40分間を縦横無尽に駆け回っていた。

あの時の自分の姿が脳裡を過るとこらえてもこらえて涙が目から溢れて止まらなかった。

声を圧し殺して上掛けを被り俺はその日決別するはずだった尿瓶に手を伸ばした。

自分の汗と少し下着に溢した尿の臭い。早鐘を打つような胸の鼓動は永遠に止まらない気がした。今でも忘れない。

その時の事は今でも夢に見る。

そんな話をゆき姉にするつもりは勿論なかった。

今も教室でも笑ってる陽気な彼女が好きだった。

辛気くさいやつだと思われたくない。

好きな女の子の前ではかっこつけたいんだ。

彼女を暗い気持ちにさせたくない。

それでも話さなきゃならない話はある。

「薫君に怪我させた男ってあの南陵のゴリラよね!?うちあいつ嫌い!なんで今も平気でバスケやってんのさ!?うち、あいつ大嫌い!」

「ゆき姉」

「ごめ・・バスケNGだよね!」

「いやさっきのは取消し。怪我の話もバスケの話でもなんでもかんでもお互い話そうぜ!ゆき姉と話すの楽しいし・・俺、もっとゆき姉の事知りたいし」

「うちも薫君の事たくさん知りたいな」

なんでも屈託なく話せる関係でいたい。

南ゴリの話は正直今はどうでもいいが。

「さて南陵のゴリラか・・俺もあいつも3年で4番背負ってたんだ。ゆき姉も4だろ?」

『イエ―』

俺とゆき姉は拳を合わせた。

「だから退けなかったんだ。チ―ム背負ってやってんだ。あそこであたりを避けるやつはバスケットマンでもキャプテンでもない。だから俺は微塵も後悔なんてしてないんだ!」

思わぬゴリラの話はいい。

俺が今自分が聞きたい事をゆき姉に訊ねた。

「ゆき姉俺もうバスケ出来ないと思う」

ゆき姉は俺の顔をまっすぐ見て静かに頷いた。

「ゆき姉たちが言ってたバスケ王子なんてもんとは今の俺はあまりに違い過ぎると思うんだ」

ゆき姉は静かに首をふるときっぱりと俺に言った。

「なにも違わない」

「バスケ王子は廃業した」

昔の中国では没落したり何かの理由でその地位を剥奪された王家のお姫様の事を廃姫と呼ぶらしい。

頽廃的な雰囲気もあるが酷い言葉だ。

「うちは今日薫君と話して確信したんだ」

校内に放課後を知らせる新世界にてが鳴り響いて。

ゆき姉の声も普段よりとてもか細くて最後の方がよく聞きとれない。

「それでも薫君はうちの王・・」

「ちょっとごめんなさい!」

柴崎菫が突然猛スピードで俺たちの間に割って入ると忽ち反対側の階段に向かって駆け抜けて行った。

「ちょっと・・薫なんなのさ!?」

「教室にユニフォーム忘れた」

振り向かずに柴崎はそう答えた。いい走りだ。惚れ惚れするぜ。

「おお―いラブラブ中すまんがね~」

立ち止まってこっちを向いた女子たちがももダッシュの体制でアイドリングしていた。声を張り上げた。

「このチャイムが鳴り終わる前に体育館に行って!着替えて!すべての準備せんと!わしら監督と先輩にいわされるぞ~」

「1年なんで!」

「女バスなんで!」

「ゆき姉今からしばらく女は捨てて!」

「走れや!!」

「やば!?」

ゆき姉もつられて廊下を走り出す。

「薫君ゴメンね!後でメ―ル」

俺は返事の代わりに右手をあげた。

「引き留めてゴメン!」

ゆき姉は走るスピードを落とす事なく此方をふり向いて俺に言った。

「人生で最高に幸せな日だよ薫君」

こっちこそ。

「今の俺を好きになってくれてありがとう」

いい残した言葉を俺は噛みしめた。

「てめ―らは」

「てめ―らこそが」

「てめ―らだけは」

そんな声が塊になって木霊のように体育館に続く階段を下りて行った。

帰宅部の俺は独り廊下に取り残された。

「さて、いかにもなわざとらしい『忘れ物しちゃった!てへ!』な~んて嘘はおいといて」

腕を組んだ柴崎がこっちに向かって歩いて来る。手足の長さが女バスというよりはむしろモデルを思わせる。

濡烏って言うんだっけ?

彼女の髪の色は夕暮れの色の中でそこだけ夜が先に舞い降りたように思えた。

「なにさ本当はハゲのくせに」

彼女はそう言うとやおら俺の前髪をひっかんだ。

「なにすんだ!?ハゲてねえし」

軽く2・3回ひっぱってから手を離して、なにか思案するように唇に手をあててじっと俺の顔を見つめた。

「梶本君って、その見た目でハゲオチでもなくて、なかなかの難関であるうちの高校の入試も通ったのよね?」

「まあ、おかげさまというか怪我の巧妙というやつか、試合で骨折ってから勉強する時間だけはあったからな」

「御両親はスポーツジムを経営されてるとか?いないとか?」

「ジム経営と言ってもチェーン店みたいに全国展開してるわけじゃ・・て、なんで柴崎がそんな事知ってんだ!?」

「だって私たちはチェリー王子が大好き【さくらんぼ同盟】だから」

答えになってねえ。バスケ王子からチェリー王子になってるし。

「心配しないで、君の個人情報を共有し合うだけの他愛も罪の欠片もない無邪気な乙女心のただのファンクラブだから」

「非公認だ」

「だから私たちが梶本君が中3の時に進路希望の第一志望にこの学校を書いて提出した事だってご実家の家業だって知っててあたり前なのなの」

唇に指をあてて可愛い顔をするな!!

「こえ―よ」

「女の子に恐いなんて言わない」

額を指先でつつかれた。

「ごめん」

「運営様と呼びなさい」

「運営様 【大至急】俺の人生の不具合も見直してもらえませんか?なんか最近おかしな事になってるみたいです。爆死の確率とかがですね」

「ごめんなさい。それは無理!」

無理なんだ。

柴崎は俺のまわりをコンパスみたいな長いストライドで回り始める。謎だ。この女謎過ぎる。

「この見た目で自覚も希薄、学力そこそこ、家もまあまあ裕福・・ちょっと口を開けて見せて・・ふむ?虫歯もなしと!」

奴隷商人かお前は。

「解せないわ」

「お前さっきからなにが言いたいんだ」

「少女の頃から憧れてた王子がほぼ原寸妄想通りの姿で告白。雪音みたいな脳筋ゴリバス女にそんな絵にかいた餅的な幸運が舞い降りるなんて『人生捨てたもんじゃない。あの時手首とか切らなくてよかった。神様ブスな私に恋をありがとう』なんて言葉ですまされない事態だわ。そこそこ出来が良いと星が5つ以上ついたフィギュアだからといざ注文して届いてからキャストオフしてみたら『ああ所詮既製品はこんなもんか』と」

「あの柴崎・・?」

「だいたいにおいて私の方が感情的豊かで愛くるしくて溢れんばかりに可愛いのは明白だし?勉強だって出来るし?バスケだって相当上手いし?いくらなんでもチ―トにもほどがあるわ!これぞまさしく超展開ってやつ?」

「柴崎さん」

「そうか!視力ね?視力確定だわ!梶本君ちなみにあなた視力はおいくつ?」

「両目とも2・0」

「夕焼けが綺麗」

俺は柴崎が自己修復を完了するまでその場に立ちつくし彼女の背中を見ていなければならなかった。

「でも一言だけ言わせて梶本君」

「なんだ柴崎」

「あの女、初鹿野雪音は見た目以上に外国人なのよ」

「髪の毛も白金のブロンドでほぼ白色に近い金髪は欧米人でも子供だけ、もしいてもその数は極少らしいわ。売れば100gで最低でも1200ドルの値がつくとか」

「そっちもいいな」

「目だって黒のカラコンなんか仕込んでいるけど本当は少し緑がかっているの。寒いでしょ?」

「べつに寒くないと思う」

「鼻も日本人受けするようにわざわざ削ってるみたいだし。もしかしたらロシアから送り込まれたスパイなんじゃないかと私は常々疑っているの」

「お前ら小3からずっと一緒だって聞いたけど」

「俺はゆき姉の見た目がお前の言った通りでもロシアのスパイでも別にかまわないさ」

そう言えば昔うちで飼っていた猫が子猫を数匹産んだ事がある。

とてもうちでは飼いきれないので両親は知り合いで飼い主になってくれる人を探した。

子猫たちの飼い主はすぐに見つかった。

皆両親の知り合いで「猫好きでいい人たちだから心配ないから」と母は俺と当時小学校に上がったばかりの妹に言った。

ところが妹は子猫をもらいに来た人全員に子猫の悪口を必死になって言いまくった。

「この子は意地悪で他の子をいじめてばかり」とか。

「この子はおしっこをそこら中に撒き散らしてすごくばかなの」とか。

仲良しというの女の子たちの気持ちとか本音とか関係性なんて男の俺には正直わからない。

しかし今俺の目の前にいる柴崎薫と話していると幼い頃の妹の姿を何故か思い出して微笑ましく思えた。

「もしも私がつきあって欲しいって言ったら」

「え?」

「今ここで私が梶本君とつきあいたいって言ったら彼女にしてくれる?」

そう言って柴崎薫は急に俺の目の前で頭を下げた。

「お願いします!彼女にして下さい!!」

「ちょっと待て!俺はさっき目の前でお前の親友に告白したばかりだぜ」

おじぎをやめると途端にあっさりした口調で彼女は言った。

「そうね。今言った事は忘れて下さい」

「お前頭おかしいだろ!?」

「よくよく考えてみたら私は梶本君みたいに『つきあって下さい』とか人にお願いするタイプの人間ではなくてむしろ土下座されてお願いされる側の人間だという事を忘れていたわ。私としたことが、とんだ黒歴史。さあ今から10秒あげるから私に告白されるというさかりがついた雄なら誰もが描く共同幻想をしばらく堪能した後どうか速やかに脳内シュレッダーにかけて下さいお願いします」

「言われなくてもそうするさ」

俺は憮然として言った。

この柴崎薫という女の態度に俺は、かなり腹をたてていた。

「俺は正直になにも嬉しくない」

「なにが」

「お前になんて告白されてもなにも心は動かないよ」

「そう」

「確かにな『4組にすげえ美人がいる』って俺のクラスの男共がざわついてたよ。お前の事だろうな」

「そりゃあバスケも上手いんだろうしこの間のテストでも俺やゆき姉より全然成績上だし・・だけどゆき姉はお前みたいにお前がいない場所でお前の事を貶めたり悪口なんて言わないぜ『その子うちの親友なんだあ』って嬉しそうに自慢してた・・俺はゆき姉が好きだし、さっきまでは、お前とも親しくなれる気がしてたんだ、ゆき姉の親友ならと思ってさ」

「だけどはっきり言うけど柴崎、俺はお前が嫌いみたいだ」

「だから俺はゆき姉が好きなんだ」

柴崎薫はからかうように俺の言葉を真似して見せた。

「なんだよ」

「だからって言うけどさ梶本君。雪音は君が思うような子じゃないよ」

「あの子は君が思っているみたいな子じゃ全然なくて教室とかバスケしてる姿も嘘偽りで、知れば本当は「なんて弱くて重いんだって」思うかもしれないってこと私は言いたいの」

「弱くて重い」

「変な言葉だね」

「問題なのは彼女が重いとかそういうことじゃなく梶本君が後々どう思うかなんだよ」

「王子様が現れて優しくお姫さま抱っこしてくれたのはいいけど『やっぱ重いわ』って放り出された方はたまんないわけ。自分の重さが何倍にも感じて。大概は服についた泥払って文句たれて泣きべそ聞かされて終わりだけど・・そうならないと思うんだよね。笑い話にできないって言うか」

「あの子弱いから」

「よくわかんないだけど」

「私も、コイントスして、さあどっちが出るかなんて全然わかんない」

「よくわかんないけど俺は最初から頑張らせてももらえないのか?」

「そうだね」

「柴崎、お前さあ」

「私は人と議論する前にまずはテ―マとか着地点とか考えずもやもやした抽象的な概念とかその場で思いついた言葉とかをぶつけてから何か答えに辿り着きたいタイプなの」

『そんなタイプはお前だけだ』

「不安なんだよね」

「不安定の間違いだろ」

「あの子が幸せど真ん中で浮かれまくりなのを見てると私は不安になる。よけいなおせっかいだってわかってるし正直こういうの苦手。うまくできない」

俺にはゆき姉が親友と呼ぶ柴崎薫の行動や言葉がまるで読めない。

こいつポジションはPGだったっけ?

正直翻弄されてぐちゃぐちゃにされた印象だが。こんな時けして忘れてはいけない事がバスケにはある。

それは相手の動きに窓わされず常にボールから目を離さない、という基本中の基本である。

「さっきゆき姉にも話したんだけどさ」

「俺はバスケを離れたら自分本来の性格ってのがわかったんだ」

俺は小学校でバスケを始める前はスポーツ万能だった両親の期待をことごとく裏切るような病弱な子供のだった。

小さい頃から病気がちでそのせいで友だちとあまり遊ぶことも出来なかった。だから小学校に上がる頃は人見知りや泣き癖がすっかり染みついていた。

「バスケを通して手に入れた忍耐力や負けん気とかリ―ダ―シップなんていうのは俺の中では二次的なもので今の俺は自分の弱さとか痛く思う事が日常なんだ」

「だから柴崎がゆき姉の事を本当のあの子はあんなんじゃないと言うのはそういう事なのかなのかなって思う」

本当はもっと深い意味があるのかも。でもそれ以上の事は柴崎薫は口にせず頷いただけだった。

「なにかあったら運営に連絡してね」

ラインじゃなくてアドレスと携帯の番号が書かれたメモを渡された。

「何事もなければ紙屑それでいいの」

「人の恋愛なんて犬の骨にもならないって言うし私は部外者で本来無関係を貫くのが正しいし性にも合っている」

掌にのせたメモ。彼女の指がそっと俺にそれを優しく握らせた。

「私は儀礼的とはいえ梶本君に告白したのだからもはや雪音の友人Aではないって事でいいわよね?梶本君にとっても。なにかあれば遠慮なく顔を突っ込ませてもらうからね」

「お前まさかそのポジション欲しさに俺に告白したとか?」

「どきどきさせた?ごめんなさい」

「柴崎の話しってのはそれだけか?」

それだけって言うか全然要領を得ない意味フなやりとりだったが。

それでも彼女が彼女なりにゆき姉の事を心配しているという事だけは伝わって来た。

「まあ無事これ名馬というか、私としてはこのまま平穏に日々が過ぎて、雪音がどっかの丈夫なだけが取り柄の脳筋野郎と結ばれて、子供の5人も出来て、タンクトップ姿の子供たちと全日本、オリンピックと続くその後の華々しい私の活躍をテレビで見ながら死ぬまでこの町で暮らしてくれたら・・なんて妄想を抱くわけよ」

どんな妄想だよ!それ。

「ところで柴崎」

「なにかご不満?」

「いや・・そうじゃなくてお前部活とか行かなくていいの?」

水から上がったばかりでもないのに地面にいる人間がこんなに息をのむ顔を俺は初めて見た。

「大丈夫に決まってるでしょ!」

いつもの冷静な柴崎の返し。

「ていうかお前さっきからめっちゃ早足なんだけど走ってもいいんだぜ」

「影踏みよ!子供の頃やらなかった?


「やんなかった」

「それにしても人性で二度も同じ日に超可愛い女の子に告白されるなんて!?って思ったけど1つはやっぱ嘘だったってのがさ」

「1つは本物なんだから素直に感謝しなさいよ。それに梶本君は告白されたんじゃなくてした方でしょ」

「そういやそうだった」

ふと柴崎薫が立ち止まったので彼女よりより遅れて歩いていた俺は彼女の影を踏みそうになる。

「影踏んだら殺す」

「私を追い抜いても殺す」

「そんなルールだったっけ?」

「そんなルールよ」

振り向きもしないでぶっきらぼうな声で彼女はそう言って再び俺の前を歩き出す。

「汝、王子為れども民に寄り添いて民の心を忘れることなかれば」

彼女の言葉から零れ落ちた言葉。

「お前・・柴崎それは」

「やっぱ梶本君は本当に王子かも」

「どういう意味だよ」

「わかったようでわからない」


柴崎薫は俺に向かって振り向いた。

夕暮れが織り成す光りの波に浚われそうな微笑みだった。

「薫君!」

俺は柴崎以外の女子に名前を呼ばれた。見るとさっきみんなが降りて行った階段の壁からゆき姉が顔を覗かせてこっちを見ている。

「先輩に柴崎連れて来いって言われたんだけど見なかった?」

さっきまでいた場所から柴崎の姿は忽然と消えていた。

階段を上がるゆき姉たちの声がしたのか。それにしてもなんて素早さだ。動物かあいつは!?

「あっち!」

ばかみたいな声で俺はゆき姉が上がって来た階段の方を指差した。

「その階段を降りて体育館の方へ行きました!!!!」

大昔のドタドタコメディみたいだ。ゆき姉が俺の方に向かって手を振りながら駆けて来る。

こっち来んなバカ!?

ゆき姉は俺の目の前でバッシュのグリップを効かせて立ち止まる。

「いいって言ったのに~部活終わるの待ってなくて」

「あ・・ああ」

「ゆき姉!早く薫連れてかないと先輩がさあ」

「あ!そうだった!?」

ゆき姉はあわててその場を後にした。

「薫君・・また後で!」

「ああ、また後で」

俺は力なく手を振りながら彼女を見送った。

「どっきどきの青春だねぇ」

俺の背中に自分の背を預け身を屈めた姿勢のまま柴崎薫がそう言った。


帰りがけに柴崎薫は深々と俺に頭を下げて言った。

「雪音の事よろしくお願いします」

どうやら俺は彼女の親友の彼氏として一応合格をもらえたらしい。選考基準は謎のままだが。

見ためだけでないのなら。

初鹿野雪音に俺が惹かれたのは彼女の明るさだろうかと考えた。

彼女自身が生来持っている 華やかさに惹かれたのは間違いない。

同期生や部活の先輩にもゆき姉と呼ばれ
て慕われている彼女の性格や面倒見の良さ。

彼女のいる場所は常に周りを明るく照らし照らしている。

かつての自分もそうした存在であった。

だから光りが射す彼女のいる方へ自分も少しでも身を寄せたいと考えてもなんの不思議はない。

それだけの理由で彼女とつきあう事は悪い事なのか?柴崎薫の言葉がいつまでも心の隅に引っかかっていた。

「梶本君はこれから先色々ともてもてになるんじゃないかと私は思うの」

「もうゆき姉にもてたからいいよ」

「欲がないのね」

「俺はもうバスケ部じゃないし勉強だって滑り込みでこの学校に入ったから上位ってわけじゃない」

もてる理由が見当たらなかった。

「王子とかアイドルの冠がなくなってより身近な存在になったのよ。君は自分が多くの女の子たちの欲望の対象である事をもっと自覚した方が良いと私は思うけどね」

「最後にひとつ言わせて梶山君」

「?」

「これから始まる乙ゲの主人公がいきなり攻略されてるのってどうかと思うんだけど」

なんの話?ここって実はそういう世界って設定なの?

「も1つネタばれするとねうちの妹の楓と薫君の妹の春香さんスイミングを通じての親友なの」

スパイは家にいやがった。




右足を怪我したあの日からバスケの夢は不思議と一度も見ていない。

けれど夜が明けるまで目が冴えて眠れない時いつも天井の白い壁を見つめて思い出すのは同じ場面だ。

2人のディフェンスをかわしてサイドから相手のボールゾ―ンに切り込だ。

51―49のロースコア。

見ている観客には面白みのない試合だったかもしれない。

けれどそれは「負けられない」お互いのチ―ムの意地と意地とがぶつかり合いディフェンスが共に頑張り抜いた結果だった。

インターミドルの俺たち3年生にしたら最後の県大会から全国へ、そのチケットをかけた試合だった。

場所は老朽化した市民体育館。

応援の観客は他校も含めた父兄と後輩部員だけ。

準決勝の俺たち櫻台中学の対戦相手は南陵中学。

同じ市内の学校で毎年全中に行くのは県内ではこの2校と言われていた。

俺たちは2年続けて南陵に敗れインターミドルの先にある全中すなわち中学のインハイや国体と呼ばれる全国中学大会に駒を進める事が叶わないでいた。

最終第4クオ―タ―

通常バスケは1クオ―タ―10×4ハ―フタイムを挟んで試合が行われるが中学生に限っていえば1クオ―タ―8分。

試合終了のホイッスルまで残り5分を切っていた。

スコアは俺たちが51。

まだ到底勝利など確信出きる点差ではなかった。

後1いや2点取って突き放す!

それがフォワ―ドであり4番を背負ったキャプテンの俺の役目だった。

パスを繋いでディフェンスをかわしてたどり着いた眼下には同じ4番を背中に背負った南陵のキャプテン神尾がいた。

ゴール下で内側の足を前に出し踵が外側の足が爪先より前に。

両足の幅は腰の幅よりやや広く。

体は低く、しかし腰から折らず膝から曲げる。両

膝の床に対する角度は45度。

上体も45度。両手量膝の外側に広げ、両肘を膝より高く前腕を水平に構える。

手のひらは膝の外側へ上に向けて開いて構える。

敵ながら後輩たちのお手本に写真か映像に残して置きたい。

完璧なヒ―ル・トゥ・スタンス。

防御の型。

まるで様式美だ。

180オ―バ―の体格をもて余すことなく、いかんなく発揮できる身体能力と高い技術。

それが南陵のキャプテン神尾廣寅。

俺の目の前を塞ぐプレッシャ―の名前だった。

相手がどちらに行こうと揺さぶりをかけようとこのプレッシャ―はけして揺らぐ事はない。

ボールが右に動けば右手で左に動けば左手で。

内側の足を前に出すのはピックアップする時のスタンスでどちらかにドリブルを始めれば俺の体に正対するように。

ポジションに俺がサイドラインに移動すればドロップステップして俺の前に立ち塞がる事だろう。

化物じみたやつが局面でもけして冷静さを失わずに王道の守備で対峙されたらそれはとんでもなく脅威となる。

「こいつさえ抑えれば」

「こいつさえ抜けば後は雑魚」

というのはもはや通用しない。それは去年までの話だ。

さっきまで俺に食い下がっていたディフェンスはベースラインとサイドのヘルプゾ―ンに下がりパスコ―スはあっという間に潰された。

マンツーマンからゾ―ンへの切り返しと展開が恐ろしく早い速い。

しかしそれはお互い様故のこのロースコアだ。

こちらはリバウンドを拾われてのカウンターを警戒してセンターは中盤の位地に下がっていた。

終盤の凌ぎ合い削り合いでようやく手にした俺たちの公式の時間は24秒。

24秒以内に決めきれなけらばボールは敵の手に渡る。味方が繋いで俺に託されたシュ―トクロックは残り10秒切っていた。

神尾は右手を上げて間合いを詰めるが俺は牽制にはのらない。

相手を突破するだための膝から下の細かいドリブル。

これが最後のマッチアップになる。

フックに行くそぶりもフェイクにも相手はのってこない。

お互い手札は出し尽くしていた。

俺はバックステップしてパスコ―スを探す。

ゴ―ル前のパスは無謀だ。

切り込んで神尾をかわしてシュ―トに行く。

そんな欲を俺は捨てた。

上がって来るセンターに球を返して3ポイントを狙う。

それが無難で時間も稼げる。

俺はドリブルの高さを腰からまで上げる。

すぐにディフェンスがカットに走る。

神尾の足が一歩前に出る。

体が前に流れる。

俺はついていたボールを床に叩きつけた。

弾き出されたボールの行方を知るのは俺だけだ。

俺の右足は床を蹴ってボールの方向に飛んでいた。

これでピリオドだ。

終わりにする。

南陵と神尾にとどめを刺して。

全国に行くのは俺たちだ。

この1秒の間に起きたことが過去の俺の終わりであり今の始まりだった。

スペースがなければ跳べばいい。

俺の指がボールに触れる。掴まない。

両手で掴んでダンクを決めたら1人アリウ―プの完成だ。

それを決めたら間違いなく俺は英雄だろう。

しかし俺の身長は176cm。

垂直飛びは80cm。

ランアップで100いくかいかないか。

中学生にしてはなかなか。

両親が経営するジムの恩恵を受けて足の筋力と向背筋は徹底的に強化したからだ。

しかしそれでもダンクはぎりぎり、成功の確率は30%、よくても40%程度だろう。

その時俺の体は横に流れていたから成功の確率は更に低い。

俺はそんな無謀な賭けは選択しない。

まず第1に空中で俺の目の前に立ち塞がろうとする仁王みたいな憤怒の形相のこいつ神尾がそれを許すはずがなかった。

俺をこの3年間英雄にさせてくれなかった男が目の前のゴールを塞ぐ。

両手を真上まで上げきれば最高到達点は220いや240までは届くだろうか。

しかし俺の右手はその前にボールに触れていた。

飛び道具のようなプレーを仕掛ける時はあくまでも冷静にそして基本に忠実にだ。

俺の右手は下からボールをタップするように、しかしゴールには正対し真っ直ぐに腕を伸ばし後は届けと願って最速でショットを放った。

振り上げた神尾の両手を嘲笑うかのようにボールはループを描き、頭の上を越えた。

振り上げた腕が俺の肩に。

ぎりぎりの捨て身のチェックはこの場合仕方のない事だった。

体を張らなけらば止められない。

俺と神尾の体は接触してそのまま床に落ちた。

それで俺はこの試合の勝利を確信した。

ジャンプショットの態勢に入った俺の体に神尾の体が接触した場合俺の両足が床に着地した瞬間に審判が笛を鳴らす。

俺のシリンダーつまりエリアと動作を妨害したペナルティが課せられる。

ボールがネットを通過していれば得点+フリースロー1。

外れた場合フリースロー2が俺たちのチ―ムに与えられる。

残りの時間を考えたらそれで勝敗は決したはずだ。そして事実そうなった。

俺の放ったボールはゴ―ルネットを通過した。

しかし審判は笛を吹かなったし歓声は静寂に変わった。

右足が地面に降りた瞬間俺は自分の足首が砕ける音をはっきりと聞いた。

態勢を崩した時右足はサイドを向いて所謂ぐねった感じがした。

もしかしたら捻ったかその時ひびが入ったかもしれない。

しかしその直後に空中で接触して体のバランスを失った神尾のシュ―ズの体重がまとも俺の足首の上にのってしまったのだ。

相手の体重が80か90なのかはわからない。

あの高さから落下して俺の足首にかかった力が何Gかなんて俺にはわからない。

ただ気を失いそうな激痛に俺は右手を抑えた。

ネットから落ちたボールが転々とラインの外へ転がって行った。

それが今も俺の記憶に残っている。

何度も立ち上がろうとしたが無理だった。

近くで誰かが「ドクター!大丈夫か!?ドクター!?」と叫ぶ事がした。

「なんだドクター大丈夫って?大丈夫じゃねえのはドクターじゃなくて俺だぜ」

「保健室行かないとだめかな」

なんてふと思ったが頭でも打ったのか・・ここは学校じゃねなくて市民体育館だ。

第一学校の保健室はいつも不在だ。

サッカーと違いバスケにはアディショナルタイムってやつがない。

何故ならばなにかあれば審判が試合中時計を止めるからだ。

俺の時間もあの時からすっと止まったままだった。

ずっと白い壁や天井ばかりを眺めて暮らすのは退屈だった。

だから教科書や参考書に向き合って見るとバスケで養われた集中力は案外侮れないものだった。そうしなければやってられない自分がいた。その結果今俺はここにいる。


毎朝5時に目が覚める。

最近ではアラ―ムをセットしなくても自然と起きる習慣が身についたようだ。

ベッドから先に足を下ろすのはきき足ではなくなった。

それにも慣れた。右足にゆっくり負荷をかける。

まだのせていい体重は全体の2/3と医者に言われている。

少しずつ日常生活が送れるように強くなるために慣らして行く。

週2回は今でも病院に通いセ―フスという低周波のパルスを足首にあてる治療を受けている。

3ヶ月以上経っても骨折の治癒が進まない患者に施される治療方らしい。

検査やリハビリもするが実際どこまで良くなっているのかは正直わからない。

病院で渡されたメニューに従って行うリハビリの方が長い時間を要するしやる事も多い。

日常生活そのものがリハビリみたいなものだった。

朝晩の散歩もその1つだ。

けして走ったりはせずに時間をかけて5キロ目安にゆっくり歩く。

足に痛みがあり歩行を中断しても痛みが継続するようなら直ちに病院で検査を受けるように医者から言われていた。

朝起きて歩き始める時は正直足首に痛みはある。

それでも散歩して足を地面につけて歩けることに俺は悦びを感じていた。

散歩から帰り椅子に腰かけて足首を少し休ませてやれば大概は平穏な1日が送れた。

帰宅してからマッサ―ジは欠かせない。

中学の時は冬になると怪我もしていないに脹脛がよくつったり痙攣したものだ。

それは寒くなる前にきつい練習をこなしたバスケ部員に起きがちな現象でよく仲間とそんな話をしたものだ。

今は1日が終わると右足がつる。

左足の筋肉はリハビリと右足の負荷の軽減のために随分強くなっ
た。

けれど失われた右足の筋肉は未だ戻らず牛蒡のように細く骨ばかりが目立ち脆弱なままだった。

俺はジャ―ジに着替えて寝ている家族ヲ起こさないように玄関のドアを開けて表に出る。

日射しが強くなる前のまだ仄かに薄暗い町内の見馴れた通りを抜けていつもの河川敷沿いの散歩コ―スを目指して歩く。歩く。

ただひたすら歩く。

見知った顔に出会う事もないこの時間が俺は嫌いではなかった。

バスケ選手としての俺は近日でも有名らしく、たまに近所の人に会うと「今から練習かい?」とか「バスケット頑張って!」などと声をかけられる。

学校に行けば行ったで「治ったらまたやるだろ!?バスケ」「いつ頃治る予定?」とか言われたりする事がけっこうある。

いちいち過敏に反応する事もなく曖昧な対応や適当に笑顔を浮かべ
やり過ごす事にも慣れた。

そのうち誰も何も言わなくなる事はわかっていた。

心もそれほど震えたりしない。この引摺りがちの足と俺が今の俺なんだ。

高熱で1日休んだ後の練習のきつさや息の上がりを俺は知っている。もう新人戦やインハイの予選だって始まろうとしている。

とりわけ厳しいと言われる高校バスケの練習や試合を経て自分の課題や技術に磨きをかける1年。

そんなやつらに俺が追いつけるだろうか。せめて少しでも走ることが可能なら。

そんな気持ちを抱えて歩く。

歩くことと筋肉トレは欠かせない。

そんなもやもやした気持ちは朝の澄んだ空気の中でリセットして俺は毎朝学校に向かう。

今日は日曜日。俺はいつもの散歩コ―スを外れ商店街の外れにある24時間営業のコインランドリーにやって来た。

早朝のコインランドリーの店内は無人で表よりも明るく店内は広くて清潔だった。

俺は洗濯機や乾燥機の隅に1つだけ設置されたシュ―ズ専用の洗濯機の上に右手にぶら下げていたスポーツ用品店のビニール袋を置いた。

中から取り出した真白な箱にはNIKEのマ―クはなく隅に筆記体で書かれたKOBE BRYANTのサインが印字されている。

側面には彼のニックネームだったブラックマンバ、毒蛇をモチーフにしたロゴが印刷されていた。

コ―ビ―は既に引退したレイカ―ズのSGで俺のお気に入りで永遠に憧れの選手だった。

傷1つない紙の箱の中に入っているのは俺が試合で使っていたバスケットシュ―ズだ。

上蓋を開けると今も鮮やかな赤色が目に飛び込んで来る。KOBE9の2008年ハイカットモデル。

ちょっと見ためはハウンティングブ―ツのような形状でバッシュぽく見えない。そこが気にいっていた。

「テレビのヒ―ロが履いてるやつみたいでかっこよかったなあ」と後にゆき姉は俺に話していた。

右足がこんなになってしまうその時まで支えてくれた。

俺の武器で相棒だった。もう既に流通はしていない。

その前のモデルもその後に出たやつもハイカットじゃなかった。

中2の3学期ふらりと入ったスポーツ用品店の棚の隅に置かれていた売れ残りだった。

日本のメ―カ―のバッシュはとにかく高機能で履きやすい。

俺がそれまで使用していたのはアシックスのゲルフ―プというモデルでこれは学生が使うものとしたら充分過ぎる優れ物で値段も手頃だった。

手頃とは言ってもバッシュは一番安いやつでも4000円くらいするし上を見たら中学生にはおいそれと手が出ないような値段のものがほとんどだ。

NIKEのシュ―ズはブランドたしデザインもかっこいいやつが多
い。その分値段も高い。

あとポジションや契約を結んでいる選手に特化したシュ―ズも多く履く人によっては「くせがある」とか「履きにくい」と感じる人もいるかもしれない。

アシックスや日本のメーカが優れているのは抜群に丈夫だという店だ。

これは学生にはありがたい。バイトも出来ない中学は金がない。

練習でがしがしやれば靴底は磨り減るし買い替えにも金がかかる。普段履きなどあり得ない話だ。

外練でランニングに出る時なんて学校指定の運動靴か自前の安いスニーカーが常識だ。

町でとても高価そうなバッシュを履いて以前はるおしゃれな男を見ると以前は無性に蹴りたくなる自分がいた。

靴というものに求められるものフィット感、ホ―ルディングやグリップ、通気性、そして軽さ。

バスケットシュ―ズはそのすべての条件を満たしておつりが来る。

人間の靴に対する叡知とハイテクが結集されているのだ。そして俺は今足にゲルフ―プを履いて地面の上を歩いている。

少し靴底が磨り減っているだけで普段履きには申し分ない。

「バスケのシュ―ズなんかは足の保護に優れているから普段履いて歩くのにはお奨めしますよ」

なんてどこかの店員みたいな事を医者に言われたからだ。

練習ならまだまだ使えたバッシュを地面に下ろした時、俺は少し心が痛んだ。

憧れて何度も繰り返し映像を見て真似しようとした選手と同じKOBE9は今でも俺の宝物だ。

6年間バスケをやって手元に残ったの物はこれだけだけど。

最後の試合の後でユニフォ―ムは母親が綺麗に洗濯してクロ―ゼットのハンガーにかけていてくれたが後で見舞いに来てくれた後輩の部員にくれてやった。

練習や試合で履いたこのシュ―ズも退院後箱にきちんとしまってくれてあった。

ユニフォ―ムもだけどバッシュもかつては自分で洗っていた。

シュ―ズは専用のブラシを使って丁寧に時間をかけて。

こいつはまだ一度も洗ってなかった。

試合前に下ろして練習で慣らしてから使っただけだけど。

散歩に出る前にふと「綺麗にしてやるか」と思ったのだ。

見た目は汚れていないにしても汗が染みた靴を放置していたら黴だって生える。
今の俺は風呂場で長時間足を曲げて屈む事は出来ない。

だから休日こうして散歩もかねて1人でランドリーにやって来た。

「さあバスケやろうぜ」

手にしたKOBEにそう言われた気がした。

俺は軽く首を振ると洗濯機のカバーを開け、放り込んで、相棒を黙らせた。

「いいシュ―ズだな」

自動ドアが開いてそいつが中に入って来たのは知っていた。

けれど俺は背中を向けてシカトしていたんだ。

「神尾君か」

洗濯機のスイッチを押してから振り向くと同じ高校の名前が入ったジャ―ジ姿の神尾廣寅の姿があった。

まあ同じ市内の中学出身だから高校が同じになる事だってあるだろう。

「だがここは俺のペイントエリアだ3秒以内に出て行け!」

「罰金なら」

神尾は手にしていたスポーツドリンクのペットボトルを俺の前に差し出した。

鼻を鳴らして俺はそれを受け取ると顎で空いている椅子をさした。

靴は洗濯機に放り込んでしまったし他に時間を潰す場所も思い当たらなかった。

「お前家は2駅も先だろ?普段からこんなとこまで走ってんのかよ」

「毎朝走ってるが今日は日曜なんで足をのばしてみた。このまま部活に出ようかと思う」

椅子に座り空けたペットボトルには口をつけようとしないで神尾は俺に言った。

「朝ここらをランニングしてたら梶本君に会える気がして」

人気のないコインランドリーで乙女みたいな事を言うな。難儀なやつだ。

「普通は会いたくないだろ特に俺になんて」

「会って話したい事や聞きたい事はある。それに・・」

「それは俺にしたら全部ノ―サンキューだな」

俺の声は乾いていた。正直な話俺はこいつと絡みたくはないと思っていた。絡みたくはないし関係を持ちたくなかった。

高校の入学式の時同じ新入生の中に他の男子生徒より頭1つ抜け出した神尾の顔を見た時はさすがに驚いたが。

幸いクラスは別だったし敢えてこちらから声をかける理由もなかった。恨みとか妬みとかそんな事は思わない。

こいつと深くつきあわなければそんな感情も湧いてこないはずだし。むしろ怪我した当時の事なんて早く忘れてしまいたかった。

マイナスの感情に苛まれるのは日常生活を送るのに弊害しかもたらさない。

もしもこいつが俺に対して少しでも負い目ような気持ちを抱いて接触してくるならば俺のメンタルはその負荷に長く耐えられそうにもないと思っていた。

要するにまったく意識していない眼中になし無関心を装おうくらいに俺は神尾という存在に対して自意識が過剰になっていた。

まるっきり俺の事なんて忘れていたと言われても気に病んでいたとしてもいずれにしても俺にはその対処の仕方がわからないのだ。

「怪我の具合いとか、いつバスケが出来そうとか関係ないやつばかりが聞いてくるんだ」

「ごめん」

「それは見舞いの時に聞いた」


そう入院した翌日神尾は顧問の先生と共に俺の病室に見舞いと謝罪に訪れた。部のキャプテンとして当事者として。

とても憔悴して顔や唇が青ざめ見ていてこちらが気の毒になるほど落ち込んでいた。

試合中あんなにでかく見えた男がその時ばかりは小さく見えた。

深々と何度も頭を下げるライバルを目の当たりにしたら「気にするなとか「あれは仕方がなかった」とか月並みな台詞しか出て来ないものだ。

その後神尾の両親が謝罪と見舞いを持って訪れた。

見舞い袋に入ったいたのはかなりの金額で今後の治療費もすべて神尾の家で負担させて欲しい。

そんな申し出を俺の父親はすべて断った。

学校の部活道では保険の加入が義務づけられているし俺も家族の保険に加入している。

それで治療費用は充分だった。

かつて競技者であった父親は「これはスポーツの中で起きた事ですから謝罪とお見舞いに来て頂いた事だけで充分です」という相手方への姿勢を変えなかった。

神尾の両親は弁護士を通じて「賠償金を受け取って欲しい」と連絡して来た。

説明によれば「不慮の事故とはいえ賠償金を受け取る事であちら側の心的負担の救済にもなります」という事らしい。

神尾のご両親にすれば大事な息子に墨をつけたくはないしお金持で解決出来る事なら早々に済ませてしまいたい。

こうした事が何年か後俺の家族側から再燃しないとは限らないから。

それは俺と神尾の両親の間で今も押し問答のようなかたちで続けられている話で俺と神尾には直接は何の関係もない話だと考えていた。

暫くは神尾の家の代理人から連絡はなかったが最近また家に電話があるらしい。

それは俺と神尾が奇しくも同じ高校に入学した事が原因だと俺は思っている。

「後は俺自身の問題なんだよ」

俺の言葉に神尾は頷いた。

神尾自身の問題でもあるのかもしれない。

けれどそれをお互いに共有し合うことは難しいと俺は何故か考えていた。

もし俺の両親が神尾の家の申し出をありがたく受けていたら?

もし俺があそこで無理に神尾とのマッチアップを選択しないでいたら?

こうして隣に座っている神尾との関係も変わっいたに違いないのだけれど。

「あのバッシュ試合で履いてたな」

短い沈黙の後で神尾が口を開いた。

「いいだろ?もう売ってないぜ」

「コ―ビ―ブライアンモデルだろ?ネットで調べた。すごく似合ってた」

「先輩が引退するの待ってあれにしたんだ」

「梶本君でもそういうの気にするんだ・・なんかお構い無しってイメージだけど」

「一応先輩は立てる」

「梶本でいいぜ気持ち悪いから!俺も神尾でいい」

「俺も動画で見たけど似てるなと思ったよ、その・・梶本と」

「ネタバレすんなよ!しらけるから」

コ―ビ―ブライアンは子供の頃マイケルジョ―ダンに憧れてバスケットを始めた。

大学でNBAのスカウトの目にとまりに21歳でジョ―ダンの在籍するレイカ―ズのメンバーになった。

初めて対面したジョ―ダンとの会話が逸話として残っている。

練習場に来い、何が出来るか見せてみろよ

俺が何が出来るか見せてやるよ

お前に俺は止められないさ

あんたにだって俺は止められない

なんだか安っぽいアクション映画のやり取りみたいだ。でもジョ―ダンはこの時は既に世間にとってもコ―ビ―自身にとってもバスケットの神様だった。

コ―ビ―ブライアンはルーキ―だった。

鼻っ柱が強く闘争心の塊だった。

けれどたんなるビッグマウスではなくマイケル・ジョ―ダンに出来る事はすべてコ―ビ―ブライアンも出来た。

だからジョ―ダンはコ―ビ―の事が好きになったと後に語っている。

当時のレイカ―ズの試合の映像を見ればいい。

同じコ―トにマイケル・ジョ―ダンが2人いる。

まるで双子かシンクロデュオのように2人のプレーは似ている。強いはずだ。

神様と神様のようにプレ―出来る選手が同じチ―ムにいたのだから。

現役を引退したしたジョ―ダンに記者がインタビューした。

「もしも今あなたが戦ってみたいと思う現役のプレーヤ―がいたら名前を上げて下さい」

その質問にジョ―ダンは答えた。

「アンクル レブロンジェ―ムス ガ―ドウェイン ウェイド・・メロかな」

「でもコ―ビ―ブライアント以外には負けないよ」

その後に「彼は俺の真似をするからね」とつけ加えた。

真似が出来るなら誰だってしてる。

つまり自分以外には自分を負かす選手はいないということだ。

得点力ではあるコ―ビ―の方がジョ―ダンより上だという数字も残っている。

引退前のジョ―ダンでさえ「得点はコ―ビ―に任せておけばいい」と発言している。

マイケル・ジョ―ダンが引退する時コ―ビ―ブライアントを自分の後継者に指名してチ―ムを去った。

それ故にコ―ビ―はジョ―ダンと常に比較される運命にあった。

しかしその後のNBAでの活躍は歴史が正面している。

引退するまでの成績は授賞したリ―グ戦やオ―ルスターでのMVPの数や生涯に上げた得点や防御フリ―スローや3ポイント・・どの数字も神様と呼ばれた男に退けを取らない。

けれど世間での評価ではコ―ビ―・ブライアントはマイケル・ジョ―ダンを越える選手ではなかったと言われている。

彼がジョ―ダンの真似をしたからという答えはナンセンスだ。

マイケル・ジョ―ダンは選手として並外れた身体能力と技術を持っていたがそれに加えて統率力がずば抜けていた。

ジョ―ダンは自分が不調の時は試合の中で調子のいい選手を見極めパスを集めた。

1人で30も40も得点を稼ぐ日は決まってチ―ムの選手の調子が悪い時だった。

常に試合の戦局を見極め流れを読み功名心に踊らずチ―ムメイトのコンディションにも気を配りゲ―ムを支配し続けた。

それが唯一コ―ビ―ブライアントには真似出来なかった。

彼はその有り余る闘争本能から時に独りで切込んでは無謀な賭けに出て試合そのものを破壊してしまう事が珍しくなかった。

だから彼は稀代後名選手と呼ばれる事はあっても神様には及ばず、少なくとも世間ではそう言れている。

だけどそれが彼の個性であり人間身だと俺は思っている。

世の中の人が今でもマイケル・ジョ―ダンを神様と呼ぶ事になんの異論もない。

日本でもNIKEと言えばエアジョ―ダンが未だに人気出しそれ以外でも皆が手にしたがるの現役のスーパスターのモデルだ。

「しかし俺は!」

その時洗濯終了を告げるブザーが鳴った。

俺はいったい1人でなにを熱くゴリラ相手に語っているのだ。

俺は黙って椅子から立つと洗濯機の中からシュ―ズー取り出して棚の上に置かれた見た目も形も電子レンジそっくりな靴用乾燥機の中に入れた。

「本当にバスケ好きなんだな」

呟いた神尾の顔に少し安堵するような笑みか浮かんでいた。

「嫌いなやつがバッシュ一足後生大事に持ってランドリ―になんか来るわけないからな」

「必死に小遣い貯めたりジムの機材搬入手伝ったり掃除とかしてようやく買えた虎の子なんだ」

「わかるわかる」

「そう言えば梶本のバッシュ誰かがブログで自慢してるの見たな・・確かあれはバッドマンの」

「CAOS!CAOSモデルだろ!?知ってるよ~!写真でしか見た事ないけど実際持ってる人いるんだな!?」

KOBE9のCAOSは俺のと色違いで黒を基調にしたサイケデリックな柄が特徴で映画のバットマンに出て来る悪役をイメージしてるところから別名をJOKERと呼ばれていた。

「あれこそ梶本の足に似合いそうだ」

「あれはいい!かっこ良すぎ!ネットでいくらすんだろうな~・・ってそんな俺悪役っぽいか?」

「中学時代の俺たちの部にとってはな」


「俺たち中バス部員の間でお前がなんて呼ばれてたか知らないだろ」

一部の他校の女子の間では「王子」でしたなんて口が裂けても言えなかった。

「もしかしてJOKERとか?」

「近い!けど外れ!BJだよ」

「えらくかっこよさげに聞こえるがそんな選手覚えがないな」

ひょっとしてビジネスジャンプとか?

「闇医者」

そっちのBJか。

「なんというかメスみたいにドリブルでザクザク斬り込んで来るし、突然なにをしかけて来るかわかならないからな、皆怖れていたよ」

「それは名誉なあだ名をどうも」

「俺の中学時代のあだ名はドクターなんだ。だからうちの宿敵の櫻中のお前は闇医者、よく試合前に先輩とか同級生に『ドクター闇医者退治しろよ』なんて言われたもんだ」

完全にヒ―ルだ。

男バスには女バスのようなコ―トネ―ムはないが相手の選手を特徴で呼ぶ事はよくある話だ。

「因みに神尾お前は」

「おお!なんて呼ばれてたのか気になるぞ!?」

「知りたければ金を払え」

「俺の飲みかけで良ければ」

「お前は俺たちの間では人間山脈と呼ばれていた」

「あと巨神兵」

「想定の範囲内だ」

慣れっこみたいだ。

「ゴリポン」

「それはちょっと可愛いな」

なんか気に入ってる。

「梶本、実は俺、東京スカイツリーと誕生日が一緒なんだ!」

やだなんかこの人練れてる。

「俺に聞きたい事や話したい事ってのはそれだけか?」

神尾は右手を出して指を折りもう片方の指も数え始めた。

「シュ―ズ乾いたら帰るからな!」

やばい!なんか楽しくなってきた。

バスケに詳しいやつと話しをする久しぶりだ。

それだけで心が踊るなんて思いもしなかった。

「ミドルの予選で梶本の櫻中と当たった時疑問に思った事が1つある」

「うん」

「何故1年からつけていたゼッケンが7じゃなくて4だったんだ?」

そう俺は小学生の時からゼッケンは7をつけていた。

通常バスケの番号は大概ポジションとは無関係になっている。

昔はポジションごとに背負う番号もあったかもしれないが高速化が進み戦術も複雑になった近代バスケでは状況に応じて選手は様々な役割りをこなさなくてはならないからだ。

学生バスケではキャプテンが4チ―ムのエ―スが7というのが定番らしい。

「梶本が4というのは違和感があったし多少戸惑った」

「キャプテンて柄じゃねえからな」

「いや・・実力から言えば全然おかしくない、けど4はあの眼鏡の背が高くて3Pがうまいやつ」

「諏訪部」

「そうセンターの諏訪部だ!あいつがキャプテンだと俺たちは思っていた」

「あいつ抜けたんだ」

「怪我とか転校か?」

「いや受験があるから」

「キャプテンで司令塔だろ!?」

「まあ色々あるのさ」

「それでお前がキャプテンに」

「まあしぶしぶな!」

で最後の最後に地金が出てしまったわけだが。

試合では下野という2年生のセンターがレギュラ―に選ばれた。

チ―ムを抜けたらキャプテンの諏訪部と同じポジションで他の選手の中では頭ひとつ抜けていたのは間違いなかった。

「3ポイントも上手かったんだ」

俺は自分の胸の辺りを親指で指した。

「でもここがな」

キャプテンだった3年の諏訪部に代わりレギュラ―に抜擢された下野が一本でもエリア外からボイントを決めることが出来たら得られる得点以上の効果があると俺たちは考えていた。

相手に危険な存在と認識させるだけでいい。

ノ―マ―クにしないためディフェンスが下がるか1人がついて欠ける。ゴ―ルエリアの強固なラインの箍が弛む。

「チャンスがあればどんどん打てよ」

試合前に俺は下野に声をかけた。

「でも後半はあいつ3Pないって見透かされてしまったな」

「雰囲気はあったぜ」

「練習では入るんだ」

下野はジャンプや3ボイントに限って言えば抜けた諏訪部以上のピュアシュ―タ―に成れる可能性を秘めていた。

「逆俺にから神尾に聞きたいんだけど」

「最後の最後のあの場面でもお前が俺だったらうちの2年生センターにパスを出せた?狙いに行かせたか?」

「パスを出したと思う」

「なぜだ?」

NBAのトッププレイヤ―でさえ試合中3ポイントの成功率は50%あれば超一流だ。

まして負けたら終わり中学最後の試合。

残り5分シュ―トクロックは殆ど残っていない状況でだ。

「入れば今後チ―ムの大きな財産になるし、そいつがキャプテンー引き継ぐやつなら尚更打たせたい・・それに」

「それに、なんだ」

「外してもリバウンドは俺が必ず取る!」

それは俺に出来ない事だった。

バスケットボールってなんだ?

シンプルな疑問だけどバスケットマンは往々にしてその答えを見失ってしまう。

バスケとはミスのスポーツだ。

日々練習を怠らす技術の向上や連係の精度を上げる事に明け暮れていても試合中ミスは多発する。

それは学生でも社会人でもアメリカのプロリ―グにおいても変わりはない。

自分のミスを修正する。

味方のミスを予測したポジショニングが出来るチ―ムは相手のミスを誘いそこから得点のチャンスを広げる事が出来る。

勝てるチ―ムの勝てる選手というのはそうしたフィロソフィが自然と身についているものだ。

誰もが練習や指導で身に染みているが試合になると忘れてしまう。

神尾の言葉は改めてそれを思い出させてくれた。

「だけど梶本は結果3ポイントと同等の仕事をして見せじゃないか・・あれは俺には出来ないことだ」

俺に出来なかった事。

もし俺があそこで神尾のような選択をしていたら。

怪我は回避出来たがこうして神尾とここで話もしていない。

通う学校だって多分違っていたはずだ。

ゆき姉にも柴崎薫にも出会っていないはずだ。

でもそれはあくまでIFに過ぎない。

俺はその選択をしなかったし出来なかった。

その時点でその可能性はなくなり時間は過ぎて埃みたいに積み重なって今の俺はこうしてここにいるんだ。

「なあ梶本あえて聞くけど」

その続きは聞かなくてもわかる。

神尾の立場からすれば聞かずにいられない事も理解出来た。

「足の具合いはどうなんだ?あれから随分経つ。もしお前がまた復帰を目指すなら俺に出来る事はないか?」

「ない」

「そうは言っても!俺の実家は医院を経営してるし、梶本がバスケに復帰する手助けなら俺だって少しはなにか・・」

そうか医者の息子だからドクターか。

あの時床に転倒した俺が聞いた声は医者じゃなくてチ―ムメイトがこいつを心配する声だったのか。

「俺の治療はさすがにもう既に処置は済んでいるし病院は足りている。リハビリ設備なら俺の実家はスポ―ツジムを経営してるし両親ともにその智識も資格もあるんだ・・もうあれから1年も経つんだぜ」

俺は隅の壁に置かれたごみ箱にペットボトルを投げた。

「外れ!腕が落ちたな」

苦笑してボトルを拾いに立つ俺を神尾は黙って見つめていた。

「それでも俺が未だに年寄りみたいによちよち散歩しているかわかるか?」

神尾は首を振る。なんていうかこいつでかい図体してるのに目が小犬みたいだ。

町で可愛い小犬を見つけても飼えないし面倒みれないならエサなんてやらない方がいい。

蹴る真似でもして追払うのが多分正しい。でないと家までついて来る。

「偽関節って知ってるか」

「偽関節」

「気になったらネットでも親にでも聞いてくれ。いちいちここで説明はしないから」

偽関節。偽りの関節。だけど実際は関節ではなく骨になる前の仮骨というやつ。

骨折すると折れた骨と骨の間に仮骨というやわらかい骨になる前の物質が形成される。

仮骨が折れた骨と骨をつなぎ本来の硬度になれば骨折は完治する。

しかし俺はのように骨が細かく砕けてしまった患者の中には仮骨が隙間に入り込み固まらず軟骨のようになったままの症状を偽関節症と呼ぶらしい。

難治骨折と診断される患者の多くがこれだ。

つながっても安い接着剤で張り合わせたような骨。

軟骨ではないが軟骨のように脆弱で本来有るべきではない場所が関節のようになってしまっている。

なにかの衝撃や負荷が加わるとまとた折れてしまう。

そんな危険性を常に頭に入れて生活しなければならない。

体内の細胞のように血液を循環させて破損した箇所を修復する事を骨は出来ない。

だからこうなった場合地道なリハビリで骨を強くするか外科手術。

もう片方の足にメスを入れ健康な骨を吸出して片方の骨の補修に使うとか、もしくは健康な足から髄を取り出し右足に移植した治らない骨を活性化させるか。

そんな選択肢もあると医者に言われた。

そうなった場合高校生活は殆どリハビリと治療に明け暮れる事になるだろう。

それよりは時間をかけて日常生活を送りながら・・というのが医師と病院が奨める治療方だった。

いすれにしろ夏休みになったら俺の足の中に埋まったボルトは外される。

それは体に大きな負担がかかる手術ではないしすぐに退院も出来る。

けれどボルトを外しても癒着しておらず骨が欠け落ちるようなら。

俺の足の今の状態はそんな感じだ。

「大変じゃないか!?」

だから今ここで検索すんなよ。

「俺はなんて事を!?」

「聞いといて落ち込んでんじゃねぇよ」

「しかし」

「俺が後悔とか落ち込んでねぇんだからそんな目で見るなよ」

俺は神尾を見て言った。

「得点だけでなくファールも取りに行った」

神尾があの場面で体を張ったディフェンスに来るのはわかっていた。

「怪我して当たり前の事をして俺は怪我
したんだ。お前のせいじゃねぇから」

仲間も信じないで最後は独りよがりのプレ―に走った結果がこれなんだ。

「それでも梶本、俺はお前に憧れていたからバスケットを続けてこれたんだ」

「公式ではうちは1つもお前のとこに勝ててないんだぜ」

「俺はお前に勝てたなんて一度も思ってない」

「多分俺がお前に勝てるのは性格の悪さだけだよ。人が嫌がる事はすぐに思いつくんだ。特にバスケだとな」

「梶本、俺はお前が戻って来るのを待ってもいいか?身勝手なのはわかってる。けど俺はお前とバスケがしてみたい!!」

「熱いのに水をかけるようで悪いが・・もしお前と俺が逆の立場だったら」

「俺と梶本が逆だったら?」

「怪我がいつか完治した時にお前は俺に追いつけるか?」

「お前そんな選手じゃねぇだろ?」

答えは明白だ。

「もしそんなとこにいる選手だったら俺はお前を軽蔑しかしない」

「俺なら多分梶本に追いつけない」

「だけど梶本なら」

「同じだよ」

「俺でもは未だにお前を追いかけ・・」

洗濯物を抱えたおばちゃんが俺たちをじろじろ見ながら通りすぎた。

「ここは発展場じゃないわよ」とでも言いたげだ。

「俺に構うな神尾」

いや、なつかないでくれ。体に似合わない潤んだ瞳で俺を見ないでくれ。

「ここまで駅2つ息切れも大した汗もかかずに走って来れる今のお前と俺が対等にトレーニングなんて出来るかよ」

なにか言おとした神尾を俺は制して言った。

「お前はお前でやらきゃならない事があるはずだろって、俺は言いたいだけなんだ」

「俺がやらなくてはならないこと」

「なんでお前生徒会の役員なんかに立候補したんだ?体育祭とか文化祭とか年中行事に終われて大変だろ?普通部活がっつりやろうと思ったら足枷になるからやらないぞ」

「クラスのみんなや担任の先生に是非と勧められては断れない。それに中学の時もずっと生徒会だったから問題ないと思うんだ!」

「実家が病院経営してるとなれば将来お前も後を継ぐのか?」

「大学は一応医志望だ。祖父が町医者から始めて父親が大きくした病院だから俺の代で絶やすわけにはいかないと子供の頃から自覚して育った」

バスケットマンが常日頃目指すフィロソフィとファンダメンタルとか擬人かしたらもしかするとこいつになるんじゃないかと俺は思った。

まあ俺が入院中両親と見舞いに来た神尾の態度を見て俺の父親がついに「よくできたお子さんで」と言ってしまったらしいからな。

「じゃバスケは高校までか?」

「出来れば大学でも続けたいがそれは無理かなと思う」

「だったら悔いなくやれよ高校バスケ」

「出来れば留学して本格的にスポーツ医学を学びたいと思っているんだ」

「それは俺の怪我とか関係あるのか?」

「それもある!俺が怪我させたお前の足を治療するなんて傲慢な事は言えない。だけど怪我で苦しんだり現役を諦めなくてはならないアスリートの手助けになれたらと思うようになったのは事実だ!」

人間は平等じゃない。生まれから死ぬまでの幸運や不幸の量だって同じではない事くらい俺だってなんとなくわかるようになった。

俺の目の前にいる神尾廣寅という男。

スポーツマンとして恵まれ過ぎるくらい恵まれた体格と身体能力も家庭環境も多くの人にとってはまさしく羨望の的だろう。

その神尾にしても思わぬ不幸や挫折を味わう事だってあるだろう。

本人の意思とは関係なく人の心や体に傷を追た自分わせしまう事も。

実際それが俺で神尾の苦悩の原因にもなっているようだ。

挫折や後悔をすべて自分の糧にして自分の進む道に変えてしまう人間というのはいるものだとこの神尾を見ていて思った。

俺はこの頃クラスの中で出逢った初鹿野雪音という女子に心惹かれていた。

クラスの中での彼女振る舞いや実務に言葉を交わすうちに彼女の事が好きになっていた。

その感情とは別に俺には奇妙な確信が生まれるていた。

それは「彼女は必ずし幸せになれる」というものだった。

幸せがなんなのかなんて誰にもわからないしわかる年令でもなかった。

けれど学園生活を心から楽しみ屈託のない笑顔にふれていると自分も自然に笑顔になる。幸せな気持ちになれた。

彼女の周りはいつも人の笑顔や幸せな明るい光が射していた。

不幸の欠片もない。彼女が不幸にみまわれても放っておける人間などいるはずがない。

そんな風に思えた。

とても眩しくて俺は彼女に告白するのを躊躇っていた。

タイプは違えど彼女のように美しく可愛いらしさもない神尾も多分同じタイプの人間なのだと思う。

光属性というやつだ。

「神尾はてっきり城南大の付属にでも行くのかと思ってたよ。あそこ全国の常連だし部員の数少も設備もすごいらしいからな」

城南大学付属は日本中にファミレスのように幼稚舎から中、高一貫の教育施設を展開している所謂マンモス私立大学だ。

在籍する学生の数は100万人超と言われ潤沢な資金を使い全国から才能あるアスリートの卵である学生の獲得や育成にも力を入れている。

俺たちの住む県にも付属高校が昔からありスポーツが得意なやつは大概そこを受験する。

特待生枠も勿論あるが一般入試で受験すると偏差値はそこそこ高い。特に運動が得意ではないが公立の進学校を受験する生徒は併願で受験する事が多い。

所謂滑り止めというやつだ。もしも地元の高校でバスケやるなら申し分ない環境が整っていると俺は思った。

「城南の付属なら中3の1学期に特待生の話をもらった、だが辞退した」

「なぜだ!?授業料だって無料になるしあそこ強豪だぜ」

「学問で楽をしてはいけないという家の方針でな、うちは祖父も父親もこの高校出身なのだ」

「なるほど」

実は俺は2年の3学期に城南付属から特待生の内定をもらっていた。

結局足の怪我が原因でその内定は流れてしまった。

神尾には言えない。神尾が気に病むからというのとは別の理由で俺のプライドがかわいそうになるからだ。

ちなみにうちの両親も学問で楽をした城南大の出身である。

一応大学には医学部だってあるし過去には偉大な有名人も輩出している。

俺の内定が決まった時は両親は泣いて喜んでくれて俺のために好物のハンバーグやお寿司や鳥のこんなので御祝を・・・いや、もうやめておこうか。

「神尾だったら東の理数でも入れたんじゃねえのか?」

東の理数。その前には県の名前がついた高校がある。

地方で県の名前がついた高校は大概優秀である。

実は俺のいた桜台中学のキャプテンだった諏訪部というやつは中学でただ1人だけ難関中の難関と言われた東高の理数科に合格したのだ。

東高の理数科というのは県内の高校でも別格で定員数は40名程度

だが毎年定員が埋まらないにも関わらず生徒の募集をしていない。

3年生の1学期に行われる全国一斉学力テストで上位に入った者だけがその高校から理数科受験の打診が学校に来る。勿論受験して成績が悪ければ落とされる。

奨学金などの優遇は一才ないが中学としては非常に名誉な事らしく受験を打診された生徒は学校側に受験を強く勧められる。

うちの中学から東の理数に入ったのは実に30年ぶりの快挙らしい。

多分嘘であろうが東の理数の生徒は普通科の一般の生徒たちと制服もカリキュラムも違えば学校行事にも参加しないし1年から1学期で高校の理数は全て終了させて専門課程に入るとか都市伝説めいた噂がある。

キャプテンだった諏訪部は学年きっての秀才で全国実力テストの成績がよほど良かったのかその高校から受験を打診された。

間もなく中学最後のミドルの予選が始まる俺たちは遅くなるまでバスケの練習に勤しんでいた。

そんな矢先諏訪部はある日を境に突然練習に姿を見せなくなった。

顧問の浜さんから「諏訪部は受験のために大会には出ない」と知らされた。両親や担任や学年主任の先生も交えて「受験に専念するように」説得されたのだという。

生半可な事では受からない学校である事は皆が知っていた。

「バスケの試合にも練習にも出ないのにバスケ部に籍があるのはおかしいしずるい」

影口をきく同級生もいた。

浜谷先生は「諏訪部だって最後の大会に出たい気持ちは皆と変わらないはずだ。

泣く泣くあきらめて自分の戦いをしてるキャプテンのためにも俺たちは頑張ろう」と言った。

「諏訪部のためにも必ず南陵を倒して全国に行くぞ」

俺たちは誓い合いチームは1つになった。

「東の理数か内申点は足りていた」

「なんだって!?」

「内申点は足りていたし担任からも勧められたが断った」

「どうしてですか?」

そういえばこいつ中学最後の試合フルタイム出てた気がする。

「だってあそこの高校バスケ部がない」

諏訪部ーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・!?

「受験頑張れよ」

中学時代廊下ですれ違った時俯いて俺を避けるように通り過ぎようとした戦友に俺は声をかけた。

「高校に入ったら好きなバスケ思いきりやるんだ!」

「そん時またバスケやろうぜ」
「絶体南陵なんかに負けんなよ」

そんな会話を交わした。

俺たちは既にその時点でこいつに負けていたのかもしれない。

キャプテン諏訪部あいつ今なにしてるんだ!?

「中学の時の顧問の先生の恩師がうちの高校のバスケ部の監督に就任すると聞いてな。とても優れた指導者だからきっとあの高校は強くなると」

中学から高校でバスケをやる場合には高校のリサーチはとても大切と言われている。

自分のスタイルに合った戦略を取る部なら尚更、ただでさえレギュラーは5人と少ないバスケで同じポジションに全国レベルの選手がいたらずっと控えにあまんじる可能性だってあるからだ。

「神尾さっきの話なんだが」

「さっきの話とは」

「いつになるかわからねえし約束も出来ねえが俺無性にお前にリベンジしたくなって来たぜ!このままじゃ終われねえって、お前と話してるうちに思えて来たんだ」

「おお!そうなのか梶本!?」

どうやら乾燥機のバッシュもほどよく温ったようだ。

電子レンジのようなチンという音はしなかった。

「そん時は」

「その時は」

「手加減なしだぜ」

俺たちはお互いに拳を合わせた。

「敵に塩贈られ過ぎるとナメクジになっちまうからな」

「梶本それはちょっと俺にはよくわからない」

そして神尾はバスケをやるために学校へ。

俺はまだぬくもりが残るシューズを大切に抱えて家に帰った。

家に帰るとバッシュを棚に戻し俺は部屋着に戻った。

2階の階段を上がる前に母親がリビングで好きな映画のDVDを1人で観ていた。

母は父と同じインカレではかなり有名な陸上の選手だったらしい。

父は体育会系を絵に描いたような人で何からなにか悩みの1つでもうっかり呟こうものなら「よし走るか!」と必ず言い出す。

映画もアクションものやスポーツ作品以外は観ないし退屈なようだ。

母は学生時代から文学作品や難解な映画も好んで観ていたようだ。

母が今観ている映画は特にお気に入りらしく子供の頃はよく一緒につきあわされたものだ。

アメリカが舞台の作品でストーリーは前半と後半でかなり異なる。物語の前半は少女版のトムソーヤといった趣き。

荒くれの手に負えない野生児みたいな女の子が主人公で名前は確かトゥワンダ・・変わった名前だったからすぐに覚えた。

破天荒で親の言う事を一才聞かないトゥワンダだが唯一の彼女の理解者が彼女の兄だった。

兄は優しく美しい少年だったがある日突然列車に轢かれて死んでしまう。

兄が死んだのは自分の責任だとトゥワンダは考える最愛だった兄を失ったトゥワンダは家を出て森の中で1人で暮らすようになる。

それから10年以上の月日が流れ大人になったトゥワンダは町に突然姿を現す。

実家を改装し町で唯一のレストランを開業するという物語だ。

映画は丁度その場面。ナレーションがテレビの画面から流れて来る。

[神様は1つの扉が閉じた時必ず次の扉を用意して下さる]


「一緒にに見る?」

母の声がした。

「ついでにカルピス」

俺は「あざといから嫌いなんだよそれ」と言って階段を登る。

「そこがいいんじゃん!」

母はソファーに体を沈めながら言った。

神様が用意してくれるかどうかは眉唾だが俺は部屋まで歩いて階段も扉も開けられるようにはなった。

なんの変わりももない出た時と同じ部屋だった。

汗で湿ったインナーやジャージを脱いで涼しくて楽な部屋着に着替えた。部活もないし遊びに行く予定もなかった。

進学校の生徒になったとは言えまだ大学受験の準備に入らなくてはという実感や焦りも稀薄な時期だった。

俺は机の引き出しにしまった便箋を手に取る。

中学時代のバスケ部の恩師であり3年の担任であった浜谷先生から渡されたものだった。

「試合負けたよ」

俺が骨折して入院した翌日の夕方浜さんは病室に見舞いに来てくれた。

「最後の最後に逆転負けだ!みんなよく粘ったが相手のチャージも凄かった」
「俺がキャプテンの役割りを」

「みんな感謝してる」

「本音を言えばお前には4番でなく本来の7を着けて暴れさせてやりたかったが諏訪部が抜けた分お前に負担が大きかった!底上げ出来なかった俺の責任だよ」

「来年の課題ですね」

「いいチームだったと思うよ俺が中学生の時当たってみたかった」

「ひとまずはお疲れ様だ!キャプテン!!」

それからも浜さんは病室に度々訪れた。

ある時は「あまりいい報せじゃない」と前置きした上で。。

「どうしても病院の診断書は向こうの学校に提出しなければならない規則でな。結果お前のスポーツ推薦は白紙になった」

2年の3月期に内定していた付属高校の推薦は骨折の程度が書かれた診断書のコピーを見た学校側からあっさり取消しの返事が来たらしい。

「まあお前は学校の成績だって悪くないし一般入試だって今から頑張れば好きな学校に入学出来ると思う」

「俺1だけ勉強もしないで進学が決まってるのって少し後ろめたい気持ちもあったんで・・かえってさっぱりしました」

俺は浜さんにそう言った。

本当は嬉しかった。

バスケで選らばれた事が誇りに思えた。

地方の名もないバスケ部の俺を見ていてくれた人がいたという事実だけでも嬉しかった。

学校に高校の先生とバスケ部の監督が訪ねて来たてくれた。

浜さんと土曜日に電車に乗って高校と体育館を見学に行った。

50人以上はいたであろうバスケ部の練習風景を目の当たりにした俺はそのレベルの高さや何面もあるバスケット専用体育館や広大な校舎に圧倒された。

「合宿用の設備もあって俺の出た大学よりよっぽど立派だ」浜さんもため息をついていた。

「俺本当にこんなとこでバスケ出来るんですか!?」

俺は浜さんに何度も聞いたほど興奮していた。

「あの部員の数や練習見て気後れしないの梶本らしいよ」

俺は浜さんに頭をぐしゃぐしゃにされても笑っていた。

本当は行きたかった。あの学校で思いきりバスケがしてみたかった。

でも俺たは浜さんに言ったんだ。

「あんな学校一般入試で入れますから」

泣きたい気持ちもあったけど天の邪鬼な俺の性格と負けん気がそれを許さなかった。

ただそれだけの事だった。

浜さんはそれ以上は言葉がないようで俺に何も言わなかった。

いつか近いうちに先生にお礼に行かないととは思っていたが。

この様ではとつまらないプライドが邪魔をして未だに恩師に会いはに行けない俺だった。

義務教育からの高校受験というのは体験してみて既に通り過ぎてしまった事だから今は何ともなく日々を過ごしているが。

あれはいったいどうゆう基準で誰が決めたシステムなのだろう。

そのシステムに俺と担任の浜さんは翻弄された。まず3年の6月から始まった予選で俺は骨折して1月入院した。

病院に見舞いに来た浜さんは俺に言った。

「これは高校受験にとって非常にまずい事なんだ」

中学3年で学校を10日以上休むと受験校から審議の対照になる。30日以上入院している俺は完全にアウトらしい。

「でも俺はそれまで無遅刻無欠席でしたよ」

公立の高校を受験する場合高校側が特に重視するものは2つ。

3年生の時の出席と実力テストの点数だ。

いくら2年生の時常に学年トップで1日も学校を休まない生徒だったとしても「それは受験にはまるで関係ない」らしい。

逆に中学2年間引きこもりだった生徒が3年の1学期から学校に現れテストでいい成績を取続ければ、その生徒は何の問題もなく希望の高校を受験出来る。

「それってずるくないですか?」

「言い換えれば3年になってもチャンスはあるってことなんだがな」

実際それにかけて今必死になって勉強してる生徒も大勢いる。

俺もその中の1人だった。

「病院で授業とか単位とか取れないんですか!?今インターネットとかであるじゃないですか!?」

「文科省と厚生省では管轄が違う」

めんどくさくえ。

一応病院にも聞いてみたが県内に小中の授業を院内で入院患者が受けられる特例の病院が1つはあると聞いた。

電車で2時間はかかる上に生徒は主に入院中の精神病の患者が殆どらしい。

「なんとか学校に来て出欠の確認をしてもらわんと内申書に点数がつかない」内申書に評価の1が1つでもつけばまともな高校に行くのは絶望的だ。

夏休みの残りの日数を補修で補えば今まで休んだ分はなんとか取り戻せるらしい。

しかし病院から退院許可は降りなかった。

普通骨折の患者なんて市民病院ではベッド台と食事代だけで金にならない患者だから直ぐに退院させてしまうと聞いた。

俺の病室には【絶対安静】札がかけられたまま。

右足以外はこんなに元気なのに。

「よっぽど悪いみたいです俺の右足」

浜さんに自嘲気味に笑うしかなかった。

ならば「病院から学校に通うのはだめですか!?」

病院に申し出たが当然のように却下された。

「通学中に何かあった場合症状が悪化した場合病院側で責任が持てません」という至極真っ当な理由だった。

仕方がないので俺は病室を退院する事にした。

退院して学校に通う事を選択した。

医師は最後まで渋い顔をして「歩けなくなるかもしれません」と脅すような事を言った。

「そこをなんとかお願いします」と俺はしつこく粘った。

するとギブスで足をガチガチに固定した上で「絶対に地面に右足を着けない事。

いかなる衝撃や振動もだめです」

それから学校の後で必ず通院して診察を受けるという条件で俺は学校に復帰した。

高校入学を1年延期するとか私立の底辺校ならという選択は嫌だった。

俺は「不要品」扱いされたレッテルを自分の力で剥がしてやりたいと自分で思っていた。

そこにしかやり場のない気持ちが向かう先はなかった。

そうして俺は再び学校に戻る事になった。行き帰りは母親に車で送ってもらえたので問題なかった。

しかし3年生の教室は校舎の3階にあった。

俺は階段が登れない。公立の貧乏中学にエスカレやエレベーターなんて気のきいたものがあるはずがなかった。

俺は始業前にとりあえず浜さんに挨拶するために職員室に向かった。

「先生実は」

浜さんは俺れの顔を見るなり言った。

「保健室に机運んでおいたからな」

「保健室ですか?」

「その足じゃ段差はきついだろ?保健室で授業受けるのと職員室どっがいい?」

「好きな方を選べ」と言われ「職員室を選ぶようなやつなら先生とバスケなんかしてませんよ!」と俺は浜さんに言った。

薬品の匂いは入院で馴れていた。

職員室の隣りにある保健室は勉強部屋と考えると悪くはなかった。

休み時間になっても職員室の廊下で騒ぐ生徒もいない。

各教科の先生が授業が無ければホワイトボードを使いテストの対策や小テストなどをやり。大概は渡されたブリントを埋めて答え合わせをして日が暮れるまで過ごした。

保険医の先生は中年のおばさんで漫画やアニメに出て来るようなセクシーな保険医は現実にはいないしその先生目当てに男子生徒が寄って来るなんて事もない。

怪我や体調不良で訪れる生徒にも出会す事はなかっ
た。

保険医の先生は時々内緒でコーヒーや紅茶をいれてくれた。

ありがたく飲んだものの利尿作用とやのおかげでトイレが近くなって困った。

保険室から少し廊下を歩くと西側通路に出る。

階段の下には購買部があり外に出て木製の簀子を室内履き出て渡れば体育館。

表に出ればプールがある

。保険室は体育館の丁度目の前。

窓を開ければ卒業生が植えたなんの役にもたたないと当時思っていた花梨の木がたわわに実を実らせていた。

花梨の果実とプールのカルキの香り。

体育館からは時より体育の授業

中生徒の声や床を走り回る音が聞こえた。

放課後になれば帰るまで夏休み中は午前中。

ペンを持つ手が時より止まるのボールをつく音を耳が拾う。

俺はそんな風に残りの学校生活を保健室で過ごしテストは試験官の先生立ち会いの元で皆と同じテストを受けて高校を受験した。

そうして信じられないくらい静かに残りの中学生活は過ぎて行った。

無事に願書が通ったのは浜谷先生のおかげだ。

それでも出席日数が少ない俺のために受験先の学校に出向いて事情を説明してくれたのだ。

それでも俺は他の受験生より不利な事に変わりはなかった。

だから浜さんは俺に言ったんだ。

「入試で上位に入れば文句なしだとさ、やってやれ!」

俺が願書を出した高校はその傾向があると励ましてくれた。

出席日数絶対重視の学校もあれば当日試験重視の学校もある。

俺はなんとか入学試験もクリア出来たようだがその後病院で検査した結果「再入院」と診断された。

最初は検査入院だったはすが結局そのまま卒業式まで病院で過ごすはめになった。

気をつけていても治癒しかけた患部に皹が入ったらしい。

まあそれでも中学を卒業しても路頭に迷わずなんとか流木につかまる事が出来た俺は内心胸を撫で下ろした。

卒業式にはさすがに出れなかった。

1人病室で卒業を迎えた俺に夕方浜さんが見舞いに来てくれた。卒業式の後だけあってその日はいつもの大学のジャージではなくスーツ姿だった。
「俺からの卒業証書だ」そう言って俺に便箋を1つ差し出した。

「栄養費ですか?」

「よくお前はそういう悪趣味な冗談を思いつくな」

そう言って便箋の角で俺の頭を軽くつついた。

「学校の卒業証書は妹さんが代表で受け取ってた、足を怪我して重症にもかかわらず勉学に励み見事難関高校に合格という感動的なエピソードも披露されてな」

「俺がいないとこでやめてもらえませんか?」


「お前バスケやめてもどんどん神格化されてくなあ・・・まあその文言は俺が書いたんだ」

俺が渋い顔をすると浜さんは言った。

「お前は俺の自慢の生徒だ少しぐらい自慢させろ」

卒業証書の文言を逐一暗記している人はいるだろうか?浜さんが俺に差し出した1通の便箋にはなんの飾り気もなくて。

その指にはいつものテーピングが巻かれていた。

バスケットマンに突き指はつきものだ。

「下手くそだからすぐ突き指する。何年やっても上手くならない」「癖になっていてな試合中でも骨が飛び出しちまうんだ」

「そんな時どうするんですか!?」

「こうやって引っ張れば元に戻る」

もう片方の指で引き絞るような仕草をして見せる。

「試合を止めるわけにはいかんからな」

その言葉に俺は頷いた。

「俺の足もそんな風に出来たらいいのに」

「俺の場合は膝の靭帯だった。大学2年の時に1度やって移植手術して復帰してまた同じところをやっちまった」

バスケットは足のスポーツだ。

勿論ハンドリングやパスやショットは手がなくては出来ないが7割8割重要で酷使されるのは足で怪我もしやすい。

たとえ自分ディフェンスやオフェンスに参加していない時間も足は絶えず動かしていなければ一瞬で変化する局面に対応出来ない。

評論家も傍観者も必要ないとはそういう事だ。

「リーグ戦もオリンピック代表選考も国際試合も控えていた。養生してる時間などなかったし実際これを逃すくらいならここで潰れても構わないと思っていた。結局怪我は再発して競技生活は諦める事になった」

浜さんが大学バスケを引退し在学中に教員の資格を取る事にしたのだという。

「お世話になった監督に挨拶に行った時『選別だ』と渡されたのがこれと同じものだった」

浜さんの大学のバスケ部の監督は名伯楽と呼ばれた人で厳しい指導で有名な監督だったらしい。

「俺も実はお前と同じで選別と言うからてっきり現金だと思って中身を開けて見て困惑したよ」

監督は浜さんに言った。

「YMCAの大学にコーチとして短期留学した時にそこのコーチに渡されたものだ。これは伝えるべきものだと私は解釈している」

伝えるべきもの。それは白い便箋にびっしり書かれた英文だった。

「これを俺に訳せと?」

「受験生だろう?それくらい訳せんと進学できんぞ」

「検索すれば大丈夫です」

「まったくお前ってやつは」浜さんは苦笑いして言って。

「この間その監督の葬儀に出てな。先生の望むような選手ではなかったかもしれないけれどそれを伝える仕事と人生をなんとか送っていますそんな報告をしてきたんだ」

卒業証書の文言なんていちいち覚えてはいない。

だけど怪我で入院中に暇潰しに訳したその文章の一節を俺は今でも忘れた事はない。

それが伝えられたIFであり俺もいつか誰かに伝える事があるのだろうか。そしてそれは。


世界はお前のものだ。我息子よ。

そんな言葉で締めくくられていた。



「BJ!ビスタチオ監督がお前を呼んで!いるんだが!?」

なにその可愛い名前。

それと人前でその呼び方はやめて。

どうやら小犬ではなくゴリラになつかれたらしい。

「ピスタチオがお前と話したいそうだ。ここは1つ俺を助けると思って体育館までご同行願いたい」

日本語がおかしな事になってるぞ。

「バスケ部のキャプテンにも誘われだけど俺バスケは無理だから・・お前から話しといてくんねえかな?」

危うく出かけた「当事者として」という言葉を俺は飲み込んだ。

「頼む!梶本!1回だけ1回だけ俺とつきあってくれ!!そしたらもうやらないから!この通りだ梶本!!!」

ただでさえ廊下の面積の大半を占めてるこのゴリマッチョに平身低頭のぺこぺこされると嫌でも人目につく。

まあ顧問や先輩に言われたら手ぶらで帰れないよな。その気持よくはわかる。

「薫君ばいばい」

教室から出て来た初鹿野雪音が俺に声をかける。

「ゆき姉は今から部活か」

「薫君はもうお帰り?」

「帰宅部絶賛活動中だ」

「帰っちゃだめ」

ゆき姉は悪戯っぽく笑って俺の前で両手を広げた。

「ここ通さないんだから」

クラスの中でも一際目を惹く気さくでとびきり美しいこの女子の事がいつの間にか気になってしかたない。

いや一目見た時からずっと好きだった。

「嘘!気をつけて帰ってね!」

彼女はさよならの前に必ず「気をつけて」と言う。口癖だろうか。

「あの、初鹿野・・さん」

俺の目の前にあるこれほどの物体には目もくれず彼女は廊下を駆けて行った。

「梶本は初鹿野と親しいのか?」

神尾にそう聞かれても本心など明かす道理がない。

「まあ同じクラスだし」

俺はそっけなく答えた。

「俺は梶本と初鹿野は親しいんじゃないかと思っていた」

「あの子は誰にでも親しいよ。分け隔てないって言うか・・でも中学も小学校も別だし同じクラスだけ特別よく話すわけてもない」

それは本当の事だった。出来れば今よりもう少し距離が縮まる事を俺は願ってはいたけれど。

「彼女凄いんだ」

「凄いってバスケが?」

神尾は頷いた。

「お前女バスにも興味あるんだ?


「お前はなさ気だな」

「まあ正直あんまり」

「俺も基本そうだが嫌でも目を惹くプレイヤーってのは男女関係無いって思ったよ


神尾は俺に意外な事を言った。

「似てるんだ彼女のバスケ、お前に」

「俺のバスケ」

「ゴール前の跳ね馬みたいなギャロップ、そこからジャンプ、ショット、すべて0.5秒の間隔でリズムといい腕の伸ばし方といい・・彼女ワンハンドなんだ」

「女子でワンハンドは珍しいな」

通常女子はプロでも片手でショットを放つ事はない。

筋力が男子よりも若干劣る女子は両手を添えるようにして打つように教え込まれるからだ。

「ここまで矯正されずに押し通してるってことは自分のスタイルに余程自信があって結果も残して来たんだろう」

「すごいんだ、ゆき姉」

「多分2年になる頃には手がつけられない選手になると思う」

「お前がそう言うなら」

「つい見てしまうんだ。ちょっとしたドライブとかにも華があるっていうか、まるでお前がコートにいるみたいで・・だから2人は昔から知り合いでお互い近くで見て影響を受けたんだと思っていた。それに・・・」

「それに?」

「あの子は・・俺にだけひどく冷たい」

神尾の言葉によると俺と初鹿野雪音がそれこそバスケを通じて幼なじみのような間柄でだから俺に怪我をさせた自分に対して冷ややかなのではと考えていたらしい。

それに関してはまったく身に覚えのない事であり怪我の話も神尾の事も誰にも話してなどいない。

俺の中学からこの学校に進学した人間は俺1人ではないし誰かが俺の事を彼女に話したのかもしれない。

けれどそうだとしても初鹿野が神尾を嫌う理由にはならないはずた・・と俺は神尾に伝えた。

後で知った事だが妹を巻き込んで【さくらんぼ同盟】なるファンクラブが暗躍していた事を神尾に伝えていても多分妙な顔をされただけだろう。

「そう言えば梶本この間ネットでたまたま全国の有名選手の記事とかチェックしてたらお前のファンサイトみたいなところに行きついたんだが?」

「俺のファン?んなもんあるけねえだろ!?同姓同名の芸能人とかじゃないのか?」

「かもしれない俺は芸能人とかアイドルはよくわからない」

「俺もだ」

「しかし入り口の扉のバスケしてる少年の写真お前に似てる気がしたな」

「それなんてサイト?」

「さくらんぼなんとか・・『どなたでもお気軽にどうぞ』と書いてあるのでログインしようとしても俺の個人情報を入力した途端画面が真っ黒になってなウィルスに感染したらしい」

「それ危ないサイトだろ!?」

「梶本薫の写真や動画やイラストが見れるそうだ」

「俺と同じ名前のやつなんて大勢いるし第一男のそんなもん見ても面白くもなんともないだろ!?やめとけ!」

「まあそうなんだが」

俺たちはそんな話をしながら体育館へ向かった。

「お前が梶本か!神尾からも話はよく聞いてるぞ。俺がここのバスケ部の監督をやらせてもらってる良永だ!」

パイプ椅子に深々と腰をおろし背もたれに体を預けるようにして座ったままの姿勢で良永監督は隣りのパイプ椅子を俺にすすめた。

初老と言うより老人と言って差しつかえない風貌だった。

色つきの眼鏡には度が入っているのだろうか。

色褪せた黒のアポロキャップと眼鏡の琥珀に隠れてその表情は伺い知る事が出来ない。

帽子から雑草のようにはみ出した白髪。

突板の簡素なサイドテーブルの上にばらまかれたピスタチオに手を伸ばす鶏のような手が年齢を感じさせる。

「すまんな俺は酒も煙草もやらないがこれだけは中毒らしい。よかったらお前もどうだ?」

なるほど指導中も年中これを口にしてるからピスタチオなんだ。

わかってしまえばなんて事はない。

「神尾アップに戻れ!後は説明した通りだ」

「は!」

ピスタチオの言葉に神尾は直立不動で返事をするとそのままストレッチしている1年生部員とおぼしきグループの方へと駆け出して行った。

今日はまだ時間が早いのか体育館のフロアはバスケ部員が占領していた。

ボール回しをしたりドリブルしているのは2、3年生のレギュラーだろうか。

さすがに高校バスケの上級生ともなれば体格もスピードも中学生とは比較にならない。

ここの高校のバスケもどうやらラン&ガン主体の速攻を得意としているらしい。

もし怪我なく入部していたら自分のスタイルに合っていたはずだ。

俺と同じフォワードはどいつだ?

背丈は俺よりあるがポジション争いになれば勝てそうかな。

それでもコート上のどの選手よりも隅でボールをついている神尾の方に自然と目が行ってしまう。

「うちのレギューラーはどう見える?」

とか良永監督に色々話かけられてはいたものの俺はつい生返事でバスケ部員たちの細かな動きに見いってしまう。

「ちょっと面白いものを見せようか」

監督がそう言って目の前に呼び寄せたのは菅原という3年のキャプテンと1年生の神尾だった。

なるほどキャプテンというだけあっていかにも真面目で責任感の塊がユニフォームを着てますといった感じがする。

人望もありそうだ。

しかし体格や身長や面構えからすると神尾の方が主将に見えるのはご愛敬だ。

「今からインハイのレギューラー組と1年の選抜で試合をする」

一瞬間が空いた。

「返事!?」

慌てて2人は声を出した。

「よろしいゲームはハーフタイムの20分・・まあ20分あれば充分だろうか」

監督は含み笑い。ピスタチオに手を伸ばす。

「先に20点差をつけた方が勝ちとする。双方手加減なしでいけ」

神尾・・お前そこは返事しなくていいぞ。

「内容によってはレギューラーの交代も考えている。まあ負けたら俺がいいというまでグランドの外周を走ってもらう・・・以上伝達次第3分で試合開始だ!」

なんだこれ?人をわざわざ呼びつけておいて面白いものって1年いじめの接待バスケか?

俺が客だからってわけではないのだろうが。これはちょっと理不尽な練習だった。

2年以上高校バスケで走り込み練習で揉まれ試合経験もあるレギュラー組と高校受験で鈍りまくった基礎体力を漸く今取り戻そうとしている1年生組でははなから勝負になどなるはずがなかった。

ぱっと見しただけでもうちの高校のバスケ部のレギュラーはかなり強そうだ。

事実県大会ではいつも3位とか4位とかそこそこの成績を残しているらしい。

一方の1年の選抜とやらは有象無象感が半端ねえ。

まあ神尾は別格として考えても1人ひょろひょろしたやつがいて、こいつはまぁまぁの動きをしている。

他の3人は俺より身長も低い。

ドリブルやパスなどは一応基本通りこなせているみたいだから素人ではないみたいだ。

社会人チームとストバス・・いやそれはストバスに失礼かと思う。

神尾を入れるとバスケ教室に来たキッズと先生みたいに見える。

要するに茶番以外の何ものでもない。失礼だけど。

可哀想なのはこんなマッチメイクされる1年生もだが俺は3年のキャプテンの菅原さんの心中を察してしまう。

3年で最後のインハイだ。ここまでバスケを続けて来て思うところもかける意気込みもあるだろう。

もうすぐ負けたら終わりの予選も始まる。

「それがなんで今この時期1年坊と結果が見えた試合をしなくちゃならんのか!?」

という不満が隠しても顔に出てしまっている。

「このジジイなに考えてんだ」と内心思っているにちがいない。

「神尾」

「はい!?」

「ハンデはいるか」

「いりません!!」

神尾は即答した。

俺はつい笑ってしまった。

こいつのこの自信何処から来る。

まあそうでなくちゃと思うけど。

「菅原は」

「ぐ・.・!100点ゲームで終わらせます!!!」

そうそうそう来なくちゃ面白くない。





同級生のひょろ(名前知らなくてごめん)の手元を離れたボールが緩やかな弧を描きネットに吸い込まれた。

スコアは24ー4。タイムアップの時間を6分残してwhistleが体育館に鳴り響いた。

結果は1年選抜の圧勝だった。

誰も歓声をあげることもなければ拍手も勝利の雄たけびをあげるものもいない。束の間の静寂の中に体育館はあった。

もっとも監督や先輩がいないところで炭酸でもがぶ飲みしながら1年生は今日はずっと興奮がおさまらないだろう。

「神尾」

すぐに目の前に神尾が呼ばれた。

「いいディレイだった」

「は!ありがとうございます!」

「食っていいぞ」

すすめらたピスタチオを神尾は口の中に1粒入れた。

「遠慮するな!もっと食え」

「ありがとうございます」

20分走り回った後なのに。口の中の水分が。


体育館の使用時間が来てグラウンドのコートを使う時間になると入れ替りに他の部の生徒たちが体育館に入って来る。

「今日のゲームから皆それぞれの学んだ事があるはずだ。質問がある者は練習後に俺のところに来ても構わんしレポートでも受けつける、以上だ」

「出来ればミーティングをお願いします!」


まだ意気があがったままのキャプテンとその後ろにいる4人のレギュラー組の表情を見て良永監督は満足そうに頷いた。

このゲームに関して言えば神尾が1人で超人的な活躍をしたわけではない。

神尾は上げたのは5得点。

残りの4人もまんべなく得点を決めていた。

「神尾はともかくどういう基準で1年のメンバーは選ばれたんですか?」

どう見ても選抜というには見劣りする。見れば試合を見つめる1年生の中にもそれなりにやれそうなやつは何人かいる。

試合を観戦しなが俺は監督に訊ねた。

「真面目に練習してるやつ」

「はあ!?」

「俺から見て真面目に練習に取り組んでるやつを頭から5人」

「身体能力とか技術とかセンスは」

「まったく関係ない」

ファストブレイクから一気に神尾がセンターラインまで駆け上がるのを眺めながら。監督は言った。

「まあその点からすると神尾は構想から外れるわけだが。神尾がいない方が結果は明確だろうな」

神尾はあんなに気合いが入ってやる気充分だったのに実は監督の構想外だった。

センターラインから1年生チームは攻め込もうとはしなかった。

ゆっくりと練習のようにボールが回される。

攻撃のために与えられた24秒という時間を目一杯使って。

ゴール前の瀬戸際の攻防などもなくヘルプゾーンから4メートル手前からのショットが面白いように決まる。

「シュートポイントは4つだけ指定した」

「ポイントが4つだけ?単調になって敵に読まれませんか?」

「5人のうち誰がいつそのポジションから打ってもいいから単調にはならない。無限とは言わないがかなり多様性はある」

「中盤でスローダウンするのは」

「奇策だと思うかね?」

俺は考えた。

「速攻主体のチームが相手なら多少は戸惑うかと思いますが」

速攻に対して遅攻で応戦する事にどんな意味があると言うのだろう。

「では梶本ゆっくり時間をかけて攻める事にどんなメリットがあるか考えてみるといい」

「ゆっくりしたバスケならパスやドリブルの精度は安定します」

「その通り。では試合で勝てるチームの条件とは」

「ミスをしない事です」

確実なパスが通れば自然と自信が生れプレーは安定する。

なるほど良永監督の言う事は利に叶っている。

ミスをしなければ相手につけこまれ無駄な失点は避けられる。

「では相手の立場からするとどうだ?」

3年生のチームは中盤からゆっくりボールを回されると本来の自分たちの得意とするバスケがまったく出来ないでいた。

先行されると目に見えて(相手が1年という事もあり)強引にボールを奪いにいこうとする。

審判役の部員が笛を吹く場面が増える。

「またテクニカル取られましたね」

3年にボールが渡っても1年生チーム全員の執拗なゾーンディフェンスのせいでセンターライン手前で足止めされて敵のゴールを脅かす事が出来ない。

「まあそういう事だ。自分たちのバスケがさせてもらえなければ当然苛立ちや焦りが生れる。相手が格下ならなおのことだ」

「上級生側に打開策はあるんですか?」

「あるにはあるがそれは彼らには見つける事は出来ないだろう。教えられていない攻めには防御も出来ない」

「おそらくどの高校の部員も監督も対応出来ないだろう。皆同じ道を通っているからな」

「同じ道、ですか」

「高速道路の運転しか知らんのだよ」

良永監督の言葉は興味深いものだった。

NBAの選手は言うまでもなく国際試合で外国人選手と日本のバスケ選手が対戦する時幾度もその前に立ち塞がって来たのは身体能力や体格と何より圧倒的なスピードの差だった。

いつの頃からか日本人選手が海外の選手に退けを取らないための解決策として小柄な体格を活かしたスピーディーで緻密なバスケの習得が求められるようになった。

それは中学でも高校バスケでも変わらない。

そのアプローチはけして間違いではないと監督は言う。

「名門の名があって潤沢な練習環境があり全国から素質のある選手を集められる学校はそれでいい」

では別に名門でもなくセンスも技術も体格も劣る学校のバスケ部は日頃どんな練習をしているか。

「やはり判でついたように速攻主体練習をしている学校が殆どだ」

それは選手で来る日も来る日も練習に明け暮れていた俺たちのような選手にはわからない事だった。

「何処の学校の監督や顧問も自分の選手を勝たせたい一心で選手により速くプレーする事を求める。また選手もそれに応えようと必死で練習するだろう」そこに落とし穴とつけ入る隙があるのだと監督は言う。

「典型的なチームがここの上級生たちだ」

けれどバスケの才能をかわれ集められた選手たちもまったく同じ練習を毎日しているとしたら。

「同じ定石で戦うならどちらが勝つかは明白だろう」

たとえばボクシングはほぼ同じ体格や体重に選手を厳しく調整して同じ条件でリングに上がる。

そうなれば勝敗を分けるのは技術に他ならない。

しかしバスケには体格差の階級はない。

「同じ急戦一択で強豪に挑む理由がわからない」

良永監督は首を傾げる。

「バスケはF1でもなければ陸上のトラック競技でもないのだよ」

試合が終る頃監督は俺に言った。

「これは言って見ればシステムの勝利だよ、梶本」

「なんていうシステムなんですか?」

「弱者が強者に勝つシステムだ」

「たとえばうちの3年をインハイ常連の城南に1年生をいつも県大会で城南に負けていたうちのレギュラーに置換えてみたらいい」

「なかなか夢のある話だとは思わないか?まして城南とうちの実力差は今の試合ほど酷でもないと俺は思っている」

1年生が上級生を倒したシステムは監督によれば強豪高であればあるほど有功なのだという。

「速攻バスケに自信があればあるほど、研きをかけていればいるほど立て直しは難しいはずだ」

攻撃のリズムも何も完全に崩れたチ―ムを倒すのは簡単な事だ。

先制していればなおのこと。ただ自分たちのバスケをやればいい。

しかしこうした展開はむしろ強豪が弱小を倒す時に起きうるものだと俺は思っていた。

「これならば突出した選手がいなくても、層が薄いなんて問題も無くなる」

「真面目に練習に取り組む選手には誰でも試合で活躍出来るチャンスはある」

「確かに夢がある話ですね」

良永監督の言葉を聞けば、どれだけのバスケ部員が希望や夢をそこに見出だす事だろう。

しかし俺はその夢の輪の中にすら入れないでいる。それが現実だった。

「監督やコ―チが選手にしてやれる事は限られている。後は選手がそこに扉があると自ら気がつき理解する事なんだが」

「それは容易な事ではない」

そう良永監督は付け足した。

「それは良永監督のような実績のある方でもそうですか?」

「信頼関係というのはいつも大切な事だが例えば俺は女子のチームを指導した経験はないが女子バスの監督経験者に言わせると女子選手というのは信頼関係さえあれば選手は納得や理解を先送りにしても監督の意向には従うらしい。それをやれば自分は向上しチームは強くなると思えば毎日その課題に取り組み続ける」

「なるほど学校の勉強みたいですね」

「ところが男子はなまじ経験や拘りがあるとまったく言う事を聞かない。まるで心は石のように硬い」

「今の3年生がそうだと」

「しかし男子は一度理解して納得するとまるで羽根が生えたように飛躍するんだ」

バスケと学業の共通点はわからないが確かに学校の勉強の姿勢にも似たところがあると俺は思った。

「ここの学校は偏差値が高いらしいじゃないか?」

「まあ市内ではそれなりみたいです」

「頭のいい選手が揃っていて悪い事はない。特に監督は楽が出来る。反面自分たちの力量を的確に判断してしまうという欠点もある」

諦めが早いという事か。確かに1年生との点差が開いた後半3年の動きは目に見えて落ちた。無理もない話だ。

「県大会に集まる選手のレベル、それまで自分たちがこなして来た練習それを体験すれば自ずと自たちがどのレベルでどこまでが限界か判断がついてしまう」

しかし自分たちの今の実力でもやり方次第で半ば夢物語だった全国の壁に手が届くかもしれないと知れば。

「後は自分たちで扉を開けるかどうかだ・・・そしたら」

良永先生は両手を組んで自分にそして俺に言い聞かせるように言った。

「どこよりも強くなるはずだ」

情熱や理想そして選手を思う気持ち。そんな気概に満ちた監督に出会え指導してもらえる選手たちは幸福だ。

後はわき目もふらず毎日悔いなく試合に向けてただ全力を尽くせばいい。

俺の扉はどこにある。どうしたらそれを見つけられるのか。未だ手探りの自分がそこにいた。

「対局に迷った時には棋譜を読めばいい」

また謎のような言葉を呟く。

「監督が俺をわざわざ呼んでくれた理由が俺には今1つ」

「梶本、君とまた話がしてみたくてな」

「また?監督と今日会うのが初めてだと思っていましたが・・どっかで?」

会った記憶はまるでなかった。

「君のいた櫻台と神尾の南陵中学の試合俺も観客として観戦させてもらった」

「そういう事ですか」

「君とは勿論直接話をするのは初めてだが、もう察しはついたかな?」

その言葉で俺は先ほどからのモヤモヤした気持ちに説明がついた。

「監督が今神尾たち1年にやらせていたバスケは南陵戦で浜谷先生が俺たちに指示したバスケと似ていると思ってました!」

「その通り」

良永監督は満足そうに頷いた。

「あれは私が大学リ―グの監督をしている時に浜谷昴君たちが所属しているチ―ムを懲らしめるために考えた戦術の1つだ」

先生のフルネ―ムは確か浜谷昴だった。

「浜さ・・いえ浜谷先生をご存知なんですね!?」

「長年大学チ―ムの監督をしていたから当然彼のいた大学とも対戦したさ」

そう言えば神尾が良永監督は大学バスケの名監督だったと話していた気がする。

良永監督は何年も前の対戦相手の学生の名前もきちんと記憶していた。

「浜谷先生は大学時代すごい選手だったと聞いています」

「それは間違いない話だ」

「でも浜さ・・先生からは現役時代の話を聞いた事がないんです!先生は監督から見てどんな選手だったんですか!?」

「敵側の立場から見たら彼は憎むべき嫌な男だった。うちの選手たちだけでなく他校の選手も監督も皆そう思っていたに違いない」

「もう少し具体的にお願いします」

「彼はシステムの破壊者だ」

システムの破壊者。

監督の言葉によるとこちらが相手に対して練りに練った対策を立てそれが試合後半まで機能し続け相手の選手たちの顔に敗戦や諦めの色が浮かんだとしても。

「彼はワンプレ―で流れを変える力を持っていた。観客を巻き込み仲間の選手に活力や希望を与え敵の余裕を動揺すら焦りに変える。まったく情況など変わっていないはずなのに、非論理的な選手だったよ・・孫が教えてくれたよ、チ―トとか言うんたろ?」

それは人間に対して的確ではない。

時には暴走して勝ちゲ―ムすら破壊する事もあったという。

「彼のような選手と対戦するのは楽しいとさえ思ったが実際試合をするともうたくさんだと思う。大概は俺のチ―ムが勝たせてもらったが時には彼1人に盤をひっくり返されたものさ」

「何10年に1人現れるかどうか選手だったな」


「しかしそういう浜谷君のような選手は何故か俺の敵側にいていつも才能やセンスに恵まれない選手だった俺は腹いっぱい苦渋を飲まされるんだ。監督になっても同じさ」

「浜谷先生の選手時代の話を聞けただけでも貴長な体験でした」

「石のように硬い心で挑んで来た」

石のように硬い心。俺にもそんな折れない心があればと思った。

「しかし肉体は別だ。なあ梶本、優れた指導者の条件とは何かわかるか?」

指導者ではない俺が考えても答えが出るはずがない。良永監督は言った。

「選手に怪我をさせない。怪我をする練習や起用をしない事だよ。将来ある学生を預かる指導者ならば尚更だ・・つい忘れがちになるがそれが最も大切な事だ」

俺は自分の責任で怪我をした。それだけならまだしも、それはかつての顧問の浜さんの指導までもが非難の対象になっていたかもしれない。

それを考えると今更ながら胸が痛んだ。

「どうした?梶本下を向くな!俺はお前や浜谷先生のバスケにけちをつけたくて呼んだんじゃないぞ!胸をはらんか!」

「しかし俺は」

「俺はあの試合を見て深い感銘を受けた。浜谷先生が現役を退いて教師の道を選らんでいた事にも、そして手塩にかけた教え子たちと大一番に臨んだ。そこに居合わせた事だけでも幸福な気持ちだったよ」

「しかも彼はその大事な試合で私の棋譜で勝負に出た。彼にも彼の譲れないスタイルや哲学があったはずだ」

先生は勝つために最良の選択として、かつて自分を最も苦しめ挑み続けたシステムの布陣を組んだ。

「指導者としてこんな名誉な事はない」

「今度浜谷先生に会ったら伝えておきます!」

気の早い中学のクラス会の報せがメールで送信されて来ていた。まだ出席の返信はしていない。

「しかもそれは単なる戦術の模倣ではなく進化していたと思う」

「進化ですか?」

「俺の率いたチームは確かに強く連覇もしたが君や浜谷君みたいな選手はいなかった」

いつの間にか良永監督の手元にあるテーブルのピスタチオは兵隊の陣形のように並んでいた。

「あの試合は君たち櫻台がのワンサイドになると予想したよ」

「そうなりませんでした」

良永監督は真ん中の豆の殻を右手の指先で器用に剥いて口の中に放り込んだ。

「角落ちだったからな」

「角落ちですか」

「あのセンターは急造だろう?」

「やっぱ見る人が見たらわかりますか」

「それでも君たちの優位は揺るがないと思った。システムは機能していたし本来のセンター・・多分司令塔でもあり」

「欠いていたのはチームのキャプテンでした」

俺の言葉に良永監督は頷いた。

「だから浜谷先生はより強固なシステムを敷いたのかもしれない、あるいは最初からそのつもりだったのかそれはわからないが。いずれにしても先制した君たちの優位は変わらないはずだった」

しかし試合は序盤こそ俺たちが面白いように得点を重ね優位に立っていたが徐々に点差を詰められ中盤から後半はロースコアの拮抗したゲームとなっていった。

「監督が仰有るような楽な試合ではありませんでした」

「何故だかわかるか?」

「相手が、陵南が俺たちと同じ戦術を取ってたからです」

良永監督は顎で差した先にはカートでボールを集めて回る神尾がいた。

「あいつが試合中に他の選手に指示を出したらしい」

「神尾がですか?」

言われてもあいつならと納得がいく。

「俺が感銘を受けたもう1つは神尾だよ。あいつは唯一人激しいゲームの中にあって冷静に相手の戦術を理解分析して対応策を頭の中で弾き出した」

先ほどの試合で3年生のレギュラーですら呑み込まれた。それを神尾はあの試合で攻略して見せた。

「俺が試合前に出した指示とほぼ同じ事をやつはチームメイトに言ったそうだ」

それは実は単純極まりない事で「相手の遅攻に対して速効で対応しない事」「パス回しを確実に」「敵ゴール下での攻防は極力避けサイドライン45度の指定ポイントからのショットに徹する事」

実行するのはある程度経験のある選手なら簡単な事かもしれない。

けれどそれは先ほどの3年生の姿を見ればわかる通り試合中に自分たちのスタイルを棄てる事に他ならない。

その指示を監督ではなく神尾が出して選手が皆それを信じ従ったという事が何より驚異だった。

「そして試合に均衡が生まれた」

1選手としてだけでなくキャプテンとしてどれだけ神尾という男は仲間に信頼されていたのだろう。

「それでも、第4クォーター残り5分で3点差があれば、あそこで君が決めに行くのは何ら間違いではない。君が決めたらそれで投了だ」

決められなくても最低でもファウルは取れる位置まで切れ込めた。俺はその時勝利を確信した。

なぜなら俺がそうする事を誰より神尾という選手は知っていたからだ。

俺はあそこであの時間の中でゴール下で斬り合いを挑んだ。

あいつは試合の流れをすべて理解した上であそこで俺が勝負に来るのを待っていたんだ。

勿論ゴール下は神尾が塞いでいた。

そんな特別な選手だからこそ神尾を抜いて得点する意義がある。

同時に神尾がゴール下でボールを奪い俺に膝をつかせればその後強烈なカウンターをくらうはめになる。

相手の士気はこれ以上ないくらい高揚し流れは完全に向こうに傾く。

「あそこで君たちと浜谷先生は勝つはずだった」

俺たちは無我夢中で気づきもしなかった。

けれど次のステージに続く扉にもう手がかかっていたんだ。

練習でも試合の時も俺たちの背中を押してくれた浜谷先生はもう母校にはいない。

卒業式に出れなかった俺に便箋に入った卒業証書を渡してくれた時既に浜谷先生は来年は他校に転任する事が決まっていた。

同じ県内の中学でも俺たち中学生にしてみたら気軽に会いに行ける距離ではなかった。

俺の怪我の事もそうだし進学の事では随分無理を聞いてもらった。

他の父兄や教師からは「一人だけの生徒に対して贔屓が過ぎるのでは?」と問題視する声もあっという。

自分の母校のバスケ部を全国大会で戦えるチームに育てるという夢は叶わなかった。

電話で最後に浜谷先生とそんな話をした時「一応これでも公務員だから転任は仕方ないさ」と笑っていた。

良永監督は俺に言った。

「コイントスの裏表は単純な勝敗のそれとは限らない」

俺の怪我がそれだ。

「君の存在は他の選手にとってあまりに大きかった・・敗因はキャプテンとエースの両翼が失われた事だ。一方陵南終盤で手痛い失点をしたが神尾は残った」

その後練習でけして外さないやつがフリースローを外した事もその後息を吹き返した陵南に逆転負けを敗けをきしたことも。

「櫻台のキャプテンは」

「諏訪部というやつです」

「何故最後の大会に出なかった?君と同じくどこか痛めたとか?」

「東高の理数の受験を控えていたのでやむを得ず」

「そうか将来は医者か科学者にでもなるのかな。そうした目的があるのなら致し方無い話だ」

良永監督はこの土地の出身で名門高である東高の存在も知っていた。

「いえ・・高校でも大学でもバスケを続けながら将来は司法関係の仕事をしたいと」

理系の頂点の1つが医学部なら東の理数に進むべきなのはここでのびのびバスケを満喫している神尾の方で本来諏訪部はこっちで良かったじゃないかと俺は思った。

諏訪部は確かにうちの中学で断トツ成績トップの秀才だった。

しかし普段から無類の読書家でどちらかと言えば文系の人間だった。

「その子は本当に頭が良かったのか?」

「はあ」

「だってあそこの高校バスケ部ないぞ」

「バスケットマンがバスケ部のない高校に行くなんてナンセンスだ」

今更神尾の中学全国模試の順位を聞くのが俺は怖かった。

もしも順位が諏訪部より上位であれば神尾が受験を断ったせいで我がキャプテンの梶本が繰り上げで受験資格を得た可能性もあるからだ。

「皆から期待されると嫌と言えない性格のやつなんです」

俺は諏訪部の名誉のために言った。

見栄っ張りでプライドが超高く鼻持ちならないところもあった。

「試合の流れを読む洞察力や冷静さは神尾にも退けを取りません」

「ほう」

その点は間違いないが性格はゲスいので人望ある神尾とは比較にならない。

「その子がいたら君が抜けた後でもチームは崩れなかったと」

「ピュアシューターでしたから」

特に自分に注目が集まるフリースローは絶対に外さない。諏訪部はそういうやつだった。

「興味深い」

良永監督はうちの高校のバスケ部の監督を引き受けるにあたり可能な限り県内中学を中心に有望な選手を視察して歩いたらしい。

「そこで神尾の事も君の事も知った。出来れば2人ともこの高校に来て欲しいと思ったよ。しかし残年ながらこの学校はスポーツの特待生という制度はなかった」

「しかし君たちは2人ともこの学校を選んでくれた、それが何より嬉しい」

「この学校を受験する生徒は殆どが私立の城南も受験するんです」

「城南は確か君が推薦で入学する高校だったな」俺は頷いた。

良永監督は俺の進学先もきちんとリサーチしていたらしい。

「だけどこの右足の怪我のせいで土壇場で推薦は白紙になりました・・うちの高校を受験する生徒は皆併願で城南を滑り止めに受験するんです」「だからこの高校を受験したと?」俺は頷いた。

「つまらない意地かもしれないけど怪我をして不用品扱いされた気がして、絶対あの高校を受験してもし俺をスカウトに来たバスケ部の監督や学校の偉い人に会ったら『ここ滑り止めなんで合格しても入学なんてしません』って言ってやろうかと思ったんだです」

今から考えれば随分お子様じみた考えだ。

しかし希望を無くした当時の俺にはそれが木炭みたいに真っ黒な塊でも火を燃やすものが必要だった。

「それで君はそれを実行したのかね?」俺は首を振った。

「浜谷先生に『男なら単願で行け!』と土壇場で言われたので、ここしか受験しませんでした」

「君たちは面白いな!」

そう言って良永監督は声を出さず笑った。

「俺が視察したところ今年も城南は強い!当たり前のように全国の切符を取り来るだろう。おそらく来年も再来年も」

「でしょうね」

「梶本勝ちたくはないか?」

「この高校で城南を倒して全国へ行きたくないはないか?」

「浜谷先生がやろうとしていたバスケをここで完成させたいとは思わないか?」

「今は返事だけでいい」

「大切なのは今お前がそれをしたいかしたくないか?それだけだ」

「俺が今此処でやりたいバスケには、どうしてもお前が必要なんだ梶本」

「俺は」

自分の足下に自然と目線が落ちる。

なぜ俺は室内履きでなくてバッシュを履いていないのだろう・・皆と同じように。

「俺はバスケットがしたいです」

唇を噛みしめた。たとえ1シーズンでもいい、たとえこの足が壊れて2度と歩けなくなったとしても。

「俺はバスケットがやりたい!!!」

監督の骨ばった手が俺の肩にそっと置かれた。後から後からこみ上げて来る気持ちは油断すると床に零れて落ちそうになる。

「早々に諦めて遊び呆けた生徒会かどうかなんて君の二の腕や上半身を見たらわかるもんさ」

「俺は」

それ以上言葉に出来なかった。

「この学校にいるかぎり君を俺は見過ごしたりはしない。選手は退いたが俺も君と同じバスケットマンだからな」

俺の髪は何時の間にか監督の手でくしゃにされていた。

「よろしい!梶本では今現在の君の右足の状態を教えてくれ」

「夏休み前に検査して、休み中にボルトを外す手術をする予定です。」

もしも骨抜が癒着せず欠けたりするようなら1からやり直しか。

「もしくは思いきって骨か骨髄の移植という選択もあって」

医師は余程の事がないかぎり再び固定しての自然治癒での治療を薦めていた。

「俺は移植手術をしてでもこの足を早く、1日でも1秒でも早くコートに立てるなら!!」

「光速の指し手を光速で投了させる」

監督は俺の顔を見て言った。

「それが俺のバスケの醍醐味だが落ちついて焦らず確実にが信条だ!気持ちはわかるが焦りは禁物だぞ、わかるな?」

俺は頷いた。だがこの胸に沸々と沸き上がるマグマのような気持ちは押さえきれない。

「振り飛車も居飛車もどちらも自在にだ」

「監督の趣味は将棋ですか?」

「将棋と釣りだ」

別れ際に監督は俺に言った。

「また遊びにおいで」

治療の経過の報告がてらで構わないからと言われた。

「くれぐれも焦りは禁物だぞ梶本」

それがこの監督の信条だと言う話は聞いた。

しかし目深に被った監督のアポロキャップにはでかでかとマクラーレン・ホンダのロゴがプリントされているのだが。

それは俺は突込んで質問出来なかった。

「大学リーグの監督としてはやり残した事はないと思って引退した。地元でのんびり孫と海釣りでもしようかと思ったが忙しくなりそうだ」

皮を剥いたピスタチオの実をまとめて口の中に放り込みがりがりと噛み砕く。

「ちなみに歯も全部時前だ!」

俺に向かって親指を立てて見せた。

それほど時間にすれば長く話こんだ訳ではなかった。

俺は椅子から立つと監督に一礼して感謝の言葉を伝えてから体育館の入り口に向かって歩き出した。

ワックスの匂いが染みた床の感触を確かめるように踏みしめて歩く。

「俺は必ずここに戻って来る!」

バスケットマンとして。

もう不完全燃焼のまま燻り続ける日々とは永遠に訣別したい。

俺は心に固くそう誓う。

外練習の重ねたコーンや用具を抱えて走る1年生部員たち。

体育館の使用時間に合わせるように表に出ていた他の運動部の男子やり女子が戻って来る。

それぞれの部のアップやストレッチの掛け声が入り雑じる。中学の頃もこの時間になると狭いスペースの中で剣道部やバレーが鈴なりで練習していたのを思い出す。

ラインの外でキャスター付きの籠に神尾がボールを集めている。
野外コートで使うボールは布製のキャリーに入れて持ち出すのだろう。

同じ1年の部員が神尾の側に駆け寄りわざとらしく肘で神尾の腹を突いて体育館の入り口にい付近にいる女子を指差した。

視線の先には鮮やかなオレンジのユニフォームに着替えた初鹿野雪音の姿があった。

邪魔にならないように髪を後ろで結び、後ろに両腕を回しながら背筋を伸ばす姿は確かに一際人目を惹く。

普段の笑顔はなくてきりりと引き締まった口元が教室ではけして見られない彼女の美しさを際立たせていた。

立ち姿や佇まいだけで彼女が相当出来る選手である事が伺える。

神尾の言葉も素直に頷いける気がした。

それより俺はそこにいる彼女の美しさに目を奪われて動けなくなる。

目の前を通り過ぎるというだけの何気ない行為でさえ胸が早鐘のように高鳴る。

がらがらとうるさい音を立てて神尾がキャスターを転がして目の前を通る。雪ねえの前で急ブレーキをかけて彼女に話かけている。

「ボールどうぞ」とでも言ってるのだろうか。

まるで牝にせっせと食べ物を運ぶ発情期のゴリラだ。

あまりにも分かりやすい。

微笑ましい姿なんて俺には思えなかった。

良永監督は俺に「焦るな」と有難いアドバイスをくれた。

しかし俺の心は千々に乱れた。

中学の時は神尾の事は対戦校の敵としてしか知らなかった。

しかし今はあいつの性格も多少なりとも知るようになった。


もう怪我がどうこうであいつに恨みつらみなんてない。

俺は怪我を克服してこの学校でバスケをやると決めた。

しかしそれとあれは別だ。俺は知った。神尾は誠実でいいやつだ。

だから神尾の性格を知れば彼女が神尾の事を好きになる可能性は充分ある。

バスケ選手としても悔しいがあいつは尊敬出来る・・同じバスケをやってる彼女だっでそれを目の当たりにしたら。

あいつにだけは・・・いや他の誰にも彼女を渡したくないと俺は思った。俺の拙い足の歩幅は自然と早くなる。

「神尾!」

[BJ!]

「だからその呼び方止めろ!」

「梶本君だ!?」

雪ねえの綻んだ笑顔に俺の怒りと青い衝動は緩和される。

「監督との話は済んだのか」

「ああ・・それよ・・!」

言い終わる前に俺は「梶本」と大声で名前を呼ばれ背中を思いきり叩かれた。

息が詰まり思わず振り向くとそこにはバスケ部のキャプテンの菅原さんの姿があった。

「バスケ部に来るのか梶本!?」

「キャプテンまだ梶本は足が!?」

慌てて神尾が俺と菅原さんの間に入る。

「夏の間は無理ですが治療が済んだら」

俺はキャプテンの顔を見てきっぱり言った。神尾の口がぽかんと大きく開いていた。

「その時は誘って頂いたキャプテンにも監督にも挨拶に伺います」

結果がどうであれ。握りしめたこぶしは熱をおびて汗ばんでいた。

「待ってるぜ」

こぶしで胸を軽く突かれた。

「BJ!」

その呼び方浸透してるの!?

「お前の事は知ってるぜ」

「中学の時手酷くやられた!」

「2中の高崎だ!覚えてるか?」

「闇医者!ドクターから聞いてるぜ」

「男バスにも白黒コンビか!?いいね!うちの学校向きだ」

「ちょっ!女バスの白黒ってうちと薫の事ですか!?うちのは日焼けで地グロと違いますよ!?」

外練に出る男バスの同級生や先輩たちに俺は次々に声をかけられた。

俺は胸が自然と熱くなった。

「今のうちに足踏んどけ」

「レギュラー渡さねえからな」

なんて声も混じっていたが。

「やっぱ梶本すごいな」

「さすがバスケ王子超人気」

「貴様ら!いつまで体育館にいるつもりだ!」良永監督の克が響くと蜘蛛の子を散らすように周りから人がいなくなった。

雪ねえもそそくさと俺の前を通り過ぎ女バスのたまりの方に走って行った。

帰りかけた俺の後頭部頭にボールが直撃した。

「ごめんなさい」

振り向くと後ろにバスケ女子。確か教室で雪ねえとよく話してる別のクラスの柴崎とかいうやつだ。

「なんだよ?気をつけろよ下手くそ」

「梶本君バスケやるの?」

「まあ努力してみるさ」

わかりやすい舌打ち。

「なんだよ俺がバスケやっちゃダメなのかよ?」

「私のシナリオと違うのだけど」

彼女は俺に微笑んでみせた。

「まあ梶本君がバスケやるのはいい事だと思う」

なんなんだよ。よくわかんないけどめんどくさそうな女だな。

俺は背中を向けて歩き始めた。

ボールを突く音や床を駆けるシューズの音や声に紛れ。

「がんばって王子」

という微かな声が聞こえた気がした。




今の俺は女ごときにかまけている場合ではない。と思いつつ思えば思うほど消えぬこのもやもやは一体なんなのか。


俺は机の上に書いた新たな足以外の筋トレのメニューの紙を眺めながら思う。

1つ言える事は当たり前だが「時間は待ってはくれない」と言う事だけだ。

俺はこの1年バスケに関して言えば置き去りにされたような時間を過ごして来た。

居場所は家にも学校にもそれなりにある。

自分が本当に居たい場所は自分でも手を上げてエントリーしないと手に入らない事も痛いほど実感した。

だから俺はそれを自分で掴みに行く。

人の何倍も努力が必要な事はわかっていた。

俺が居たい場所はバスケが出来る場所。取り戻したいのはそれが思いきり出来る身体、ただそれだけだった。

俺がずっと一緒にいたいと思う人。それは同じクラスの初鹿野雪音だった。

したい事も諦めてただじっと大人しく過ごしていてもそれなりの毎日は約束されている。

だけど俺は物知り顔で諦めたように毎日を送る事に飽き飽きしていた。

もううんざりだった。

そんな日々を送るくらいなら後先など考えず玉砕した方がましだ。自棄になるのとは違う。

そんな気持ちが俺の心の中に育ち始めていた。

止まらない列車の切符を何時しか握りしめていたような気がする。

ふと、リビングにある母親のディアゴスティーニのDVDコレクションの映画にこんな台詞があったのを思い出した。

「名画だから買ってみたけどあまりに好きじゃないかも」と母は言っていた。

「慾望という名の電車に乗って、墓場で乗り換えて、天国の駅にたどり着きたいの」

正直暇つぶしに途中までつき合いで観た映画の内容はまるで覚えていないし結末も知らないままだ。

よくわからないが慾望というものに乗り込んだ人は天国みたいな場所に行けるのだろうか?

それが手っ取り早い近道で走りやすいという意味なのか。古い映画など見返すつもりも時間も今の俺にはない気がした。

目の前を過ぎ去る時間はどうにも待ってはくれない気がした。

俺はベッドに身を投げ出すとそんな事ばかり考えた。

停滞は怠慢で敵だ。常に前に前に進みたいと願う。

そうフットファイヤなのだ。

モノクロの古い映像の中でヒロインが言った不穏な台詞だけがいつまでも頭隅に残っていた。

俺が雪ねえに告白した経緯はそんな感じだ。

焦りや押さえきれないリピドーやパトスとやらの本流に流されたと言ってしまえばその通りで否定はしない。

しかしそれは痺れるような試合の中で感じる高揚に似ていて俺が失って久しい感覚であった。

朝起きて時間を早めたリハビリの散歩の後ジムで筋トレのメニューをこなしてから登校する。

遅々として進まない痒みのような右足の治癒。

学校に行けば行ったで休み時間に後ろ向の席から聞こえて来る、聞こえて来るあの娘と取り巻きたちの恋バナに耳がダンボになる。

「ねえ最近神尾雪ねえにマンツー激しくない?」

「そんな事ないよ!」

何!?マンツーが激しいのか!?あいつのディフェンス粘り強くて根負けしそうになるからな。

「よく2人で隅っこで話とかしてるじゃん」

「えれは向こうが勝手に話かけて」

「だけど神尾君バスケ超上手いし」

「関係ないよそんなの」

バスケの技量は関係ないのか!?

雪ねえはどんなタイプが好みなのか。

「雪音には神尾は王子を苛む魔王だからね」

また柴崎とかいう女うちのクラスに来てるのか。・・・て事はバスケ部に・・誰か気になるやつでもいるのかな。

王子ってどこのどいつだ!?

「BJ!ピスタチオが」

放課後になればなったで神尾が俺のところにやって来る。

俺は用もないのに体育館にのこのこ出かけて行く。

神尾のそうして情報量通りの光景を執拗な雪ねえへのチャージを目の当たりにするはめになる。

俺の目には神尾の雪ねえへのアプローチは無骨だが誠実で可愛いらしくも映った。

ぶっちゃけこれ雪ねえ落ちるんじゃね?と心の中で思った。

これだけうやうやしく優しく好意的にされたら俺が女子なら「一度くらい遊びに行こうと誘われたら断れないかも」なんてうすら気持ち悪い想像すらしてしまう。

俺は矢も盾もたまらず寝つけない夜を過ごした翌日思いきって雪ねえに告白をしたのだった。

勿論彼女が俺の告白を受入れてくれた時俺は天にも昇る気持ちだった。

拳を握りしめ大声で叫びたかった。

家に帰る時も足の怪我なんて忘れてむちゃくちゃ走り出したい衝動を押さえるのが大変だった。けど。

「BJピスタチオ」

もうメーカー名みたいになってる。

神尾がにこやかな顔で俺を迎えに来た時俺の隣りには彼女がいた。

「薫君練習終わったらどうする?」

雪ねえが俺の肩に手を置いて聞いて来る。

「俺はいつもの場所に」

いつも場所は俺の父親が経営しているスポーツジムだ。俺は最近雪ねえとバスケの話をよくする。

現役と元バスのカップルだから話題もバスケの話が中心になるのは当然だ。

しかし雪ねえとつき合い始めてから俺は少し避けていたバスケの話も屈託なく話せるようになった。

彼女は俺に技術的な事や自分の課題についてよく質問をした。

彼女のステップアップにはやはり筋トレが不可欠な気がした。

だから俺は放課後自分がトレーニングしてるジムの機材を自由に使えるように父親に頼んだんだ。

彼女は俺の父親ともジムのスタッフともすぐ打ち解けた。

それから彼女が部活のある日は俺たちは頻繁にそこを放課後の待ち合わせ場所に使った。

そこで俺は彼女が来るまでの間汗を流した。

表の自販機で飲み物を買い時間が許すまでそこで話したり。

同じ敷地に併設されているレンタルショップでDVDやCDや本を選んだりした。

近くにはファミレスも数店舗ありそこが俺たちのデート場所だった。

「じゃ後で行くね」

彼女はそう言い残すと部活に向かった。

「この間からつき合い始めた」

俺は神尾にそう言った。思ったより素直にそう言えた。

「そう、なのか」

神尾はぽつんと呟いた。

「なんかしっくりだな」

「そうか?」

神尾は自分に言い聞かせるように2、3度首肯くと俺に言った。

「何となく2人が話してるのを見て、そんな風に思ったんだ」

それはいつも神尾が彼女の事を見ていたから思う事なのではないか。

俺が彼女から目が離せなかったみたいに。

それを考えると切ない気持ちにもなった。

けれど神尾は俺に以外な事を言った。

「梶本俺の中学時代3年になるまでつけてた番号覚えているか?」

「2番だろ」

「そうだ俺が1年で初めてもらった背番号が2番だった。ずっと俺の宝の数字だったよ」

背番号2は俺の好きなコービー・ブライアントが現役時代背負い続けたナンバーだ。

「俺も本当は2番がよかった。でもチームの事情で7と4をつけたんだ」

「俺も3年でキャプテンナンバーの4を背負った」

「俺の方が神尾より2には思入れがある!」

「俺は実際2年背負ったぞ」

「だから俺は敵チームの2番は容赦しなかった」

何故ならそいつより俺の方がコービーだからだ!

「どうりで新人戦の時俺にだけチェックが厳しいわけだ」

中1の新人戦で初めて神尾の陵南と当たった時俺はまだバスケ経験が浅かった神尾をいいようにあしらい挑発した。

「お前俺からボールを奪ってから小声で俺に言ったよな?」

「何をだ?」

「覚えてるだろうが」

「忘れた」

2度とその番号を着けるんじゃねえ!

「若気のいたりだ許せよ」

神尾は笑いながら言った。

「許せんな」

「まじでか!?」

「梶本お前が戻って来るまでに俺はレギュラーのポジションを取る」

神尾ならばそれは難しい話ではないだろう。

「2番も俺が背負う、キャプテンナンバーも俺だ!お前には渡さない!!」

がっしりとした顎を揺らして神尾は豪快に笑った。

「覚悟しとけよ梶本薫」





「ごめん薫君待った!?」

今日は雪ねえと映画デートの日だ。いつも学校帰りに会うけど休みの日に2人で出かけるのは今日が初めてだった。

「これでいいのか俺!?」

先日バスケ部の監督に会い男バスのバスケ熱を肌で感じ神尾にライバル宣言をされて再びバスケと向き合う覚悟を決めた。

「これでいいのか!?」

と問われば、いいに決まったいる。だって雪ねえに「どうしても見たい映画がある」と誘われたら断わる道理がない。

俺の心に一片の曇りも迷いもあろうはずがない。

「これでいいのか!?」と俺が懸念先程から懸念していたのはその日のいでたち、つまりファッションだった。

日曜なので私服デート。

これは運動ばっかやって体育会系高1の田舎男子には高い壁だった。

出かける前の晩からネットで検索。ワードは【おしゃれな男子高校生】【ファッション】【初デート】まさか俺がこんなもの検索するようになるとは・・・

「着飾り過ぎて嫌みにならない高校生らしい着こなし・・・パーカーにグレーのジャケット、スキニーパンツにキャンパスシューズ、さりげないリュックサック」

パーカーとジャケットは母親と妹と街、に買い物行った時買ってくれたやつがある。スキニーってなんだ?

キャンパスシューズて学校指定靴!んなわけはない!?

さりげないリュックになに入れるの!?おにぎり?

ユニクロで人気爆破ジョガ―パンツ!?ジョガ―ってなんだ?戦闘員風のタイツか?

調べたら単なるジョギンクパンツじゃねえかよ!!!(パニック)

とりあえずそれらしい洋服をかき集め妹の部屋のドアを叩いた。

「ノックしたぞ入るぞ!!」

妹の春香は風呂上がりだったらしく、うちの洗濯物では絶対見たことがないフリフリしたランジェリーを身につけてベッドに横たわり雑誌を眺めていた。

頭についてるウサギの耳はなんだ?店か?

妹が部屋が店感はんぱねえ。

「なんだそのけしからん下着は!?」

「薫お姉ちゃんにもらった」

春香は兄にあられもない姿を見られても「きゃあ」とも言わずそう言った。

「お前まだあいつとつき合ってんのか?大体中1でそんなすごい下着もらってもサイズとかぶかぶか」

すごい目で睨まれた。


「これは薫お姉ちゃんが中学の時買って着ないで置いたやつなの!私は同盟だからもらえるんだもん!!」

妹はほおをふくらませた。

「ちょっと兄の情報リークでポイントもたまるの!」

柴崎あいつマジでなんとかしねえと!それはさておき。

「柴崎が中学の時そんなの?」

「意味あいが違う視線で改めてじろ見すんじゃねえよエロ兄貴!!」

「もう用がないなら出てけ!?」

妹に部屋から閉め出されそうになった俺は慌てて言った。

「用事ならある!!!」

「なに!?なら早く言って!!」

「お前このファッションの俺とデ―トしてみたい?」

一応ネットのもて男子と同じポ―ズできめてみた。

「はあ!?半裸の妹向かって、になに言ってんだお前?」

妹が変な誤解をするといけない。俺は簡単に事情を説明して。

いやクラスの女の子と映画に行くだけで妹に洋服のコ―デを訊ねるだけで相当にいけてない。

妹はタメ息をつきながら俺の私服を見て言った。

「悪くない」

「そうか?」

「もともと素材がいい兄だから何着てもそれなり」

以外にも好感触。これならいける!

「ただ暑くない?」

「そう言えばさっきから汗が」

「なかなか良い春コ―デだけど今夏だからね残年!」

妹の助言がなければデ―トの場所にたどり着く前に熱中症で倒れるとこだった。

「普段着てる服で清潔ならそれで充分だと思うよ。

お母さん普段着選びもセンスいいし」

そうだった。

「ところでお前下着もらったのはわかるけど、その耳はなんだ?」

「なんでも聞き耳たててるよ~」

聞いた俺がバカだった。

あらためて普段着ている夏服を着てみたらネットのコ―デ―より自分に似合ってしっくり来る気がした。

出かける前に遅い朝食を食べていた妹が俺顔を見て言った。

「まあ見た目も大切だよね」

上から下まで俺を品定めするように眺め妹は言った。

「中学が生意気言う」

俺は妹の頭を軽く小突いた。

「見た目は予選なんだよね」

予選落ち!・・したくねえ。背中に氷を入れられた気分で俺は外に出た。

なんか家にいても妹が柴崎薫化しているようですごく嫌だ。

「今来たばかりさ!」

俺は雪ねえに白い歯ー見せて爽やかに言った。

雪ねえは高校の名前が思いきり書かれたジャ―ジでやって来た。

日曜とはいえインハイの予選も新人戦も近い。

雪ねえは今日も午前中は部活だ。

ただし今日に限り部活の監督がコ―チの研修があるとかで午後の練習はないらしい。

学校から部活を終えてそのまま来たのだから当然この格好。

雪ねえの私服も見たいと言えば見たいが彼女はなにを着ても可愛い。

何よりここまで遅れまいと息を切らして走って来たのだろう。

途切れ途切れの言葉と笑顔を見ているだけで愛おしい気持ちがこみ上げて来る。

なにも飾らなくていいんだあらためて彼女を見ているとそう思えた。

「梶本君私服もバカかっこいい!」

目の前の俺を見て雪ねえはぽかんと口を開けて言った。

「別に普段着だよ」

「センスいいんだね」

母親チョイスだがね。

雪ねえはチョロかった。

「お弁当作って来たんだ!」

雪ねえはそう言って嬉しそうにバスケットケースを掲げて見せた。

「楽しみ」

「映画始まっちゃう!いこ!」

俺の右腕に自分の腕をまわした。

雪ねえが俺に見に行きたいと言ったのはロボットアニメだった。

ロボットと言うと怖い人たちから怒られるメカが出て来るアニメ。

もう3年以上前から深夜枠で放送されていている人気作品らしい。

その劇場版を今から観に行く。

俺はその作品をタイトルくらいしか知らなかった。

「絶対面白いから」と彼女に勧められてジムの隣の店でレンタルした。

1期全部見た。

率直な感想はひたすらメカと美形キャラのアップが交互に映る作品だった。

2期は作画が飛躍的に向上するも内容は変わらず。

俺だってスポーツバカだけど一日中プロテインをガブ飲みしてストレッチばかりやってわけじゃない。

人並みに面白いと聞けばマンガも読むしアニメだって見る。

でも雪ねえとつき合うようになって知った。彼女は人並みではなかった。

「ねえねえ薫君見て!実写版」

見せてくれた携帯のフォトには彼女の好きな黒服だか黒騎士だかの衣装を着たイケメンがポーズをきめていた。

「かっこいいな!誰この俳優?実写なんて公開されてんだ」

彼女は満足そうに頷いて自分の顔を指差した。

「これ雪ねえ!?」

クラスの男子の誰も知らない。

彼女はレイヤーでもあった。

「外人がコスプレしてハマるのはまあ当たり前!雪音は日本人の血もブリードされてるから破壊力が違うの!」

雪ねえの周辺の柴崎とかその辺からはそ逸般人にはない腐敗臭は感じていたが雪ねえはそういうのは無縁だと思っていた。

「かっけー!雪ねえギャップ萌え過ぎるぜ」

それくらい彼女のレイヤーぶりはハマっていた。

「ちなみに雪音は希代の絵師でもあるの」

「中学の時相方の薫とコミケに出ようと色々準備したけどバスケや受験で、お金も足りなくてあきらめたの」

「今は薫君のおかげで資金も潤沢」

それは聞き逃せないが。俺にはそうしたクリエイティブな才能はまったくない。

「だから雪ねえみたいな人尊敬するよ」

「理解のある彼氏で良かったね」

お前の妹を巻き込んでの金集めは何れ見逃せないがな。

そんな彼女に「今週で公開終わっちゃう」と悲しげな顔をされたら彼氏としては連れて行かないわけにはいかない。

「映画は4期の最終回後の話だから薫君ちゃんと予習しておいてね!」

4期は全部新作だから全部見てたら金がなくなる。だから見てない。

メカと美形キャラのアップばかりひたすら4期まで見た結果。

「このアンソロイチハチなら朝チュンとかマジでカンベンして欲しい、リバキャラ泣き受けでお願いしやす!」

とか言い始めそう。

「この舵はお前に任せた・・とか肩にさりげなく手いいよね!」

「宇宙星間戦争とかの時代に舵とか」

「そこじゃなくて肩に手!」

どうやらこのアニメ上級者向けらしい。

上映時間には間に合った。

映画が始まりしばらくして隣の彼女を見るとポップコーンのバケットと映画のパンフを抱きしめるようにして彼女は眠っていた。

このところ中間テストもあり男バスよりも新人戦の選抜インハイの予選に向けての練習とかなりハ―ドな毎日を過ごして来た彼女は疲れているはずだ。

起こすには忍びない。

楽しみしていた映画だけど。

後で起こさなかった事を謝ればいい。

学校の男子で誰も見たことがない彼女の安らかな寝顔を出来れば俺はずっとこのまま眺めていたかった。

アニメは大画面で迫力があったがやっぱりメカと美形のオンパレードだった。

物語はともかくどこが彼女の言うツボなのか?
そんな事を思案しながら俺はスクリーンを真剣に見つめていた。

「いけない!」彼女がふいに目を覚ました。紙のバケツの中のポップコーンが目の前ではじけた。

彼女が用意してくれた弁当を食べる前に市内の森林公園の近くにあるショッピングモ―ルに寄って自販機で飲み物を買う事にした。

「後で中のスポーツショップに寄っていい?」

彼女にはそこで買い物したい物があるらしい。

「別に今からでもいいよ」

「お昼まだ食べてないからお腹すいたでしょ」

彼女がそう言うのでフードコートの一角にあるにある自販機まで2人で歩いた。

日曜の昼過ぎという時間帯もあり家族連れが多い。

店内のハンバーガーショップやたこ焼きを買って食べている人たちでテ―ブルは満席だ。

ここで食事は無理だねと2人で顔を見合せて、やっぱり公園に行く事にした。

家族連れやカップルたちに混じって1人でテーブル席に座り水も飲まず食べ物も置かずひたすらポーダブルゲーム機と格闘する男がいた。

勿論ゴミみたいに薄汚れた男は周囲から浮きまくっている。

「なんかあの人ヤバくない!?」

雪ねえでなくてもそう思うに違いない。

俺は黙って炭酸水のボトルをぶら下げてそのゴミに近づいた。

俺の目の前を走り過ぎた男の子がゴミの前に立ちテ―ブルに両手をついて言った。

「お兄ちゃんなんのゲーム!?」

「うっせえ!ガキはあっち行け!!」

周囲に聞こえるような大声で手で子供を追い払う仕草をした。

無言で男の子は走り去った。

「みんバスやってんだよ!」

「それオンラインで対戦できる?」

俺はテーブルの上にペットボトルを置いて言った。

「久しぶりだな諏訪部」

かつては櫻中バスケのキャブテンで貴公子とまで言われた諏訪部はセンターでチ―ムの司令塔だった。

そんなに昔の話ではない。

「お前眼鏡ヒビが」

「ああ気がつかなかった・・どこかでぶつけたかな」

虚ろな声で諏訪部は言った。無精髭は伸び放題だしシャツもなんだか薄汚れている。

「久しぶり梶本なつかしいなあ」

ロボットみたいな声で俺の顔を見もしないで再びその目は液晶がを凝視している。抱えた両手の指先は休みなく甲虫の足みたいに気味悪く動きまわる。

「あの、こんにちは」

遠慮がちに俺の背中から進み出て雪ねえは諏訪部に頭を下げた。

「初鹿野さん」

俺は諏訪部に雪ねえを紹介した。なんで

雪ねえとせっかくの貴重なデートの時にこんなやつに出会すかな。

「俺の彼女」

その言葉に雪ねえは両手を前で組んだまま恥ずかしそうにもじもじしていた。

あんま見んな諏訪部!雪ねえが汚れる。

「こいつは諏訪部中学の同じバスケ部」

一応昔のよしみで挨拶はしたぞ。

「じゃあ俺たちはこれで」

早々に立ち去るつもりだった。

「元櫻台バスケ部キャブテンの諏訪部です!今東高の理数に通ってます!!!」

突然立ち上がり深々頭を下げる。

さっき俺が声かけた時の態度と随分違うじゃねえか。

身長でかいし声でかいし雪ねえがひいて怯えてるじゃないか!?

しかも東高にわざわざ【理数】つけるとこがなんともイヤミだ。

「まあ立ってないで梶本、君も座れよ」

「お前何様だ!?」

思わず胸ぐらを掴みたくなる言動は昔から変わらない。

俺はしぶしぶ空いてるプラスチックの椅子に雪ねえと2人で腰かけた。

しばらく3人の間に気不味い無言の時間が流れる。なにも話す事はなかった。

「陵南戦負けたらしいな?」

今更話題にしなくていい話だがこいつはそういうやつなんだ。

「試合見に行かなかった」

こいつがうちのキャブテンだった。

「怪我したんだって?」

俺は頷く。

「それで負けた?」

「俺がいたらな」

俺はペットボトルの蓋を弄りながら諏訪部の顔を睨みつける。

「勝ってた?」

「多分ね」

「ざまあみろ!」

諏訪部は俺にそう言った。立ち上がって諏訪部の顔をぶん殴る前に雪ねえと目が合ってしまう。

だから頬笑むだけで立ち上がったり声を荒らげるような真似はしなかった。

「ちょっと飲み物買って来る」

雪ねえは立ち上がると自販機のある方へ足早に駆けて行った。

「そう思ったのは事実だ」

諏訪部は俯いてそう言った。

「いつもお前ばっかり派手な事して周りからちやほやされてさ。浜谷先生だって俺には細かい注文ばかりするくせにお前には好きにやらせて!理不尽だって思ってたよ!!」

「諏訪部がそう思うなら多分そうなんだろうな」

俺はそう言うしかなかった。

「あの試合は俺が抜けたから負けたんじゃなくてさ」

手の中のペットボトルはまだ冷たかった。

「俺が抜けた後でもお前がいてくれたらチームは崩れなかったと思うんだ」

諏訪部が俺の事をどう思っていたとしても普段どんなやつでもユニフォームを着ていれば頼りになるキャブテンでチームには絶対必要な選手だった。

少なくともそれは試合で証明された。

勝ちきれなかったのは俺たち残ったメンバーの責任だ。

だけどそれを今更蒸し返して何になる。

それは良永監督の言ってた棋譜を読む行為とは明らかに違う。

今あの時の部員も俺も浜谷先生も誰もそこにはいないはずだ。

「諏訪部お前ここで何してんだ?」

たまに駅で元中学の同級生に会う事がある。

「東高行ったバスケ部の諏訪部さあ、平日でもこの辺りうろうろしてるらしいよ」

そんな話をよく耳にした。

実際こんな姿を目の当たりにすると無性に腹立たしい気持になる。

「諏訪部メールありがとうな」

実はここ最近諏訪部から頻繁にメールが届いていた。

「でも正直俺の頭じゃ宇宙の仕組みとかブラックホールとかわかんねえよ」

諏訪部のメールは難解で俺も一応ネットで調べて返事を書いてみたりした。

「バスケのフォ―メーションとかなら少しはわかるんだけどな」

「浜谷先生もそう言ってた」

こいつ浜さんにも宇宙メール送信してたのか。

「俺もわかんね」

「ならやめて」

「お前ならわかるかと思った」

「俺なんにもわかんね」

そう言ってテ―ブルに突っ伏した。

「理数の授業にも全然ついて行けねえ!!」

「勉強の悩み打ち明けられても無理だ」

「学校にも家にも居場所がなくてこの有様!!!」

通りすがりの元同級生にいきなり投げつける話題性かそれ。

「バスケ部もない」

「それは忌々しき問題だな!」

「梶本俺はお前が羨ましい」

諏訪部は遠くを見る目で言った。

「それはさっき聞いたし、もう過ぎた話だろ」

「彼女超絶可愛いじゃないか!?」

そっちかよ。

「それは素直にありがとう」

「一高のジャージって事は偏差値も高い!可愛い過ぎる女の子はビッチかバカだと思ってた」


お前にふさわしいのはキャブテンナンバー4じゃなく男尊女卑者の烙印だ。

お前の事眼鏡男子の完成形とかバスケ部の教授とか讃えてた同級生の女子に録音して聞かせてやりたい。

【見た目は予選】どこで聞き齧ったか知らないが妹よお前言葉は真言だ。

「どこで知り合った?ボーイスカウトか?それともこんなとこで燻る俺にトドメの楔を打ち込むために妹の友だちでも金で雇ったか!?」

被害妄想の塊が西陽を浴びて俺に詰め寄る。

「彼女同じ高校でクラスも同じなんだ」

「へ?お前も一高なの?嘘だろ!?」

「これでも受験勉強頑張ったんだ」

こいつ同じ部活のキャブテンで仮にも俺はエースという関係にも関わらず俺の進学先も知らなかった。

「彼女妹かお姉さんは?」

「いない!」

俺はきっぱり言った。

「いいよな~お前は!高校もそこそこ、彼女までいてバスケも出来てさ」

また振り出しに戻る。このいやぁなループから抜け出す手立てはないものか。

こいつ負のスパイラルとかいうやつにがんじがらめでもう手の施しようがない。

「バスケだけは出来てないんだ」

「え?」

「俺の足治ってないから」

俺は右足をぶらぶらさせながら言った。

「だってお前試合で骨折したの1年前」

「1年たっても治らない、もう無理かもしれない、けどバスケやりたくてトレ―ニングはしてるんだ」

「そう、なのか」

「ざまあみろって思ったか?」

「いや、そんな事は思わない」

「お前元々はそういうやつだったよ」

気どり屋でプライドが高く普段の性格はめちゃくちゃ悪いくせに一度ユニフォームを着てコートに立てばこいつほど頼りなるやつはいなかった。

スカウターをつけてプレーしてるかのように常に冷静に試合の状況を把握して仲間にも細かい指示が出せる。

諏訪部の献身的で自己犠牲も厭わぬプレ―にチームも俺も何度救われたかわからない。

俺にはけして真似出来ないバスケが諏訪部は常に出来ていた。

「自分を殺してまで皆の期待に応えようとしていた」

それが俺の知っている元チームメイトのキャブテン諏訪部だった。

「氷が入ってる方がいいかなと思って」

雪ねえが諏訪部の目の前に飲み物が入った紙コッブを置いた。

諏訪部は雪ねえに「ありがとう」と礼を言うとコッブに口をつける。

口の中がよほど渇いていたのか一気にのどを鳴らしてうまそうに半分ほど飲みほした。

「中学最後の大会だ、俺も出たくないわけはない」

コッブの中のメロンソーダの気泡を見つめながら諏訪部は言った。

「俺も梶本や他のみんなと一緒に思いきりバスケがしたかった」

椅子に腰かけた雪ねえも黙って諏訪部の言葉を聞いている。

「でも東の理数を受験する事が決まって担任や校長には『学校創設以来10人にも満たない快挙なんだよ』と激励されたり親は勿論大喜びで親戚やご近所の人にも自慢しまくりでさ俺も『これ、すごい事なんだ』って思ったんだ。これをやりとげたら普段俺より注目されてるお前より全中出るより価値があるかもって思ったんだ」

確かに周りの人の一般常識からすれば疑うまでもなく諏訪部の選択の方が正しい。

議論の余地すらないかもしれない。

「つまんない罠にかかったね」

雪ねえの言葉に俺と諏訪部は沈黙した。

「みんなには悪いけどバスケはまた高校入ってやればいいって思ったんだ」

「諏訪部が自分で決めて選んだから俺たちはお前のいない分頑張ればいい・・そうミーティングで話したんだ」

「まさかバスケ部がないとは!学生3大部活の1つだぜ!?」

口から泡。そんな諏訪部を見て俺はなぜか心が和んだ。

「やっばりこいつバスケが好きなんだ」

そう思えたから。

「いっそバスケ部立ち上げたら?」

「それすごくいいかも!」

雪ねえが瞳を輝かせる。この子が諏訪部ならやるだろうな。

「1年を雪と氷河に覆われた氷の国でサ―フィンのメンバーを募るようなもんだ」

それでも運動部はあり普通科の生徒は部活同をしているらしい。

理数科の生徒で部活をやってる生徒は「部活なにそれ?」って感じだそうだ。

「放課後はみんな塾や予備校行くし」

「同好会とか?」

「敗残者の俺にそんな発言権はない」

中間テストの結果が散々で机に伏していたら担任に「これが敗残者の姿だ!」と皆の前で言われたらしい。

「なんか東の理数って制服が他の生徒と違うとか時間割も違って学校行事にも参加しないとかそんな噂あるよね」

限られた人間しか入る事が出来ない場所だから都市伝説みたいな噂が生れる。

「概ね本当だよ」

雪ねえは絶句した。

「授業はほぼ毎週8限まであるし梶本お前のとこまだ数Iの教科書使ってる?」

「ああ一応」

「いきなり数学難しくなるし授業進むの早いしテスト範囲も広いよね!」

「東の理数は最初から教科書使ってないのんだ・『こんなもん家でやって!』ってさ。でもテストは毎日、プリント渡せれてそれで授業後」

1年でもう受験対策専門の授業で殆どの生徒が国公立の大学を受験するので俺たちが通常授業で使う教科書は自主勉強でやるのが当たり前ってそんな漫画みたいな学校本当にあるのか。

落ちこぼれたらもう卒業するまで這い上がれないシステムじゃないか!?

「諏訪部君はサーフィン得意で間違って海装備で雪山来ちゃったんだよ!」

雪ねえ・・それ諏訪部が露骨にバカだって言ってるようなもんだぞ!?

「そう!初鹿野さんの言う通り俺とした事がとんだドン・キホーテだぜ」

諏訪部は納得したように手を打ち「梶本!初鹿野さんは聡明で賢い女子だな!?本当にお前の彼女か?」そう言って大声で笑った。

浮き輪つけたまま遭難して死ねばいいのに。

俺はぬるくなったペットボトルのお茶をのどに流し込んだ。

「諏訪部お前が今の状況から抜け出す方法が2つある」

「このままいけば理数から普通科に落ちるか単位不足でドロップアウトだ」

「普通科で息を整え、のびのびやりながらバスケ部の立ち上げに奔走するか」

諏訪部の話では東高のバスケ部が部員不足で廃部になって既に7年らしい。という事はバスケがやりたいのに在学中に廃部になったバスケ部の残党には期待出来ない。

バスケが得意で学力が高い生徒は賢明な神尾のようにきちんと調べた上で入学しているからそれも望み薄だ。

「もう1つはお前が中学の時バスケの貴公子とか教授とか讃えられてた位置に返り咲く方法だ」

「そんな事が」

「今うちの学校では神尾がそのポジションに一番近いな」

「あの南陵のゴリラが!?なにを生意気な!!!」

「編入試験受けてうちの高校の生徒になるか?あいつなんでもバスケやりたくて東の理数蹴ったらしいぜ」

俺は諏訪部の耳元で囁いた。

「ポジションはお前と同じセンターで背番号は2を狙ってるらしい・・お前うちの学校間違っても来るなよ!?来てもあいつの控えだし多分成績でも後塵浴びまくりだぜえ」

俺は高笑いで諏訪部の肩をばしばし叩いた。

実のところ本当に気分が良かった。

「神尾ごときが一高風情に俺が遅れを取るかあ!!??」

「俺も復帰したら今度は2をつけるからな!神尾にライバル宣言されてんだ!悪いがうちの高校レベルたけえぞ!お前が後でのこのこ来てもレギュラ―のポジションは既に俺と神尾で2つ埋まっている。7番や4番なんてお前や神尾や他の誰かにくれてやるさ!」

「お前の高校がそんな熱いことに」

「もっとも番号なんて関係ない別に俺にはどうでもいい話だ」

「どういう意味だ!?」

「俺がそのチームで背負う数字がエースナンバーなんだよ」

「梶本!」

「なんだよ」

「相変わらずお前はくそガキだ!?」

「くそガキからお前にプレゼントだ!!」

俺は財布の中から折り畳んだ紙切れを一枚取り出した。

「なんだこれ」

「しめて17万7千円」

そこに印刷されてるのは俺が高校入学の時オリエンテーションで渡された紙だ。

試験料、入学金、制服や体操着学校指定の靴の代金といった所謂入学に必要な初期費用が全て書かれている。

「リアルな数字だ!転校するならなんとか工面しろよ」

「あ・・ありがとう」

「公立から公立への転校なら転校先の偏差値が今の学校より上じゃなければなんとかなる。後は転校理由と親の同意が必要だ。お前そういうの得意だろ?」

なんたって将来とか弁護士か検事目指そうってやつなんだから。

「うちの高校の男バスの監督がお前に会いたがっていた」

「本当か?」

「ああ、でも推薦とか裏は期待するなよ」
確かにピスタチオ監督は諏訪部の話を聞いて「面白い」とか「会ったみたいなその子に」という話をしていた。

実はその後東高のバスケ部の話を監督から俺は聞いていた。

「あまり話を耳にしなかったがとうとう廃部になってしまったか」と残年そうに呟いた。

「監督は東になにか縁があるのですか?」

「縁もなにも私の母校だ」という返事が返って来た。

昔から運動部不毛の高校にバスケ部を立ち上げて根づかせたのは学生時代の良永監督だった。

「さてその子が1人であそこにバスケ部をつくる気概でもある子なら面白いんだが」

どう転ぶかわからないけれどコイン投げてみる価値はありそうだぜ諏訪部!

「俺を誰だと思ってる?お前の入れた高校なんて楽勝だ!!」

「道は1つじゃないってことだ」

「諏訪部俺から1つアドバイスしていいか?」

「なんだ?」

「借金はちゃんと返しておけよ」

「俺お前に金なんて借りてないぜ」

「出席日数だよ」

どこの学校に行くにしろこれは必ず重視される出席日数や単位が足りていない生徒は否応なしに問題ありの烙印を押される。

高校進学に際して俺が身を持って体験した事だから間違いない。

「どの道このまま休みが続けば俺は退学だしな」

「今からでも遅くない担任に泣きついてでも補習を受けまくって出席日数と単位を取り戻せ!」

高校は中学と違い義務教育ではないからドロップアウトする生徒には冷たいと聞いた。

だけどまともな学校なら「辞めたくない」という意志のある生徒にはそれなりのサルベ―ジはあってしかりだ。

もっともこいつの場合は他所の学校に転入するための帳尻合わせだけど。

「今から学校へ行って担任にかけあって来るか!」

「おう頑張れ!」

今日は日曜だけどな。

「あの初鹿野さん・・ジュ―スのお金」

財布の中を覗いてもじもじしてるなんだこいつ小銭入も持ってねえのか!?

「今度会った時おごってね」

「ありがとう」

「そうだ・・よかったらお弁・・」

「諏訪部次会う時はユニフォーム着てだな!」

遮るような俺は諏訪部に拳を突き出しだ。

「敵か味方かわからんがそん時は手加減しねえからな!」

俺と諏訪部は拳を合わせた、遅れて雪ねえも。

「ねえサンダイブカツのお兄ちゃん!なんのゲ―ムしてんの!?」

さっきの子供とは違う兄妹とおぼしき2人がアイスを食べながら諏訪部に寄って来た。

「みんバスに決まっておろうか!?」

くわっとして諏訪部は言った。

「みんバスってなあに?」

女の子が首傾げた。

「みんな大好きみんなのバスケだ!!!」

「そんなゲ―ム売ってねえよバ―カ!!!」

男の子が女の子の手を引いて走り出した。

「なんだと!?バスケは日本3大部活道の1つだぞ!!!」

『サンダイブカツデタ―!!!』

子供たちは笑いながら走り去った。

俺は諏訪部が振り回しているゲ―ム機を取上げた。

ゲ―ム機は電源も入ってなくて液晶画面は真っ黒だった。

「諏訪部」

俺は諏訪部の目の前に液晶画面を近づけた。

「はは」

それを見て諏訪部は力なく笑った。

「梶本お前のおかげで目のが醒めた・・このままだったら俺は町の駅とかに必ずいるネジが外れた変な大人になるところだった」

もう子供たちの間ではそうらしいぜ。

「どうせならゲ―ムじゃなくて本物」

「ああバスケットボ―ルやろうぜ!!!」

俺たちは3人で円卓の騎士みたいに拳を突き上げた。

「3人に増えてる」

「やだね」

「やよね」

近くのテ―ブルからひそひそ話す大人たちの声が俺の耳に聞こえていた。





夏休みも近いある日の午後。

俺と雪ねえは2人で自宅へ帰る電車の車内に寄り添っていた。

どこの学校でも全中に新人戦、インハイ予選真盛りの季節をむかえていた。

それまで苦しい練習に耐えて来た学生たちが羽ばたく時。

さらなる高みを目指して休む間もなく汗を流す。

全国への切符を掴んだ者は勿論そうでない者たちも次のウィンター杯を目指して今頃は体育館やグランドで自分を追い込んでいるはずだ。

「2人揃って帰宅部かよ」

なんて冗談も今は笑えない。

少し前までの俺は自分の怪我やバスケが出来ないもどかしさに「なんで俺だけ」なんて自棄になりかけた事もあった。

でも今は「なんで俺たちだけ」って隣にいる彼女を見てつい思ってしまう。

正直それは彼女の事を思うと1人よりも2人分、いやそれ以上に俺にはしんどい事だった。

まさかこんな想いまで2人が共有する事になるなんて思いもしなかった。

そしてそれはあの日、初めて2人で映画を観た日曜日。

その日俺はまさに有頂天で、諏訪部と会って別れた。




その直後に起きた出来事が発端だった。

町で一番大きな自然公園は市庁舎のすぐ近くにあった。

入り口に咲いた山百合が茎をたわませ蜜の甘い香りで俺たち2人を出迎えてくれているような気がした。

中央の噴水広場には水が満たされて経年と雨風でニスが剥がれ石蝋のように変色した木の柵で仕切らた遊歩道を歩いた。

ボーダーやハーブはエリアごとに分けられ職員の手でよく手入れされていた。

フラクタルやシンメトリーが織り成す歩道に落ちた梢や葉の陰。

常緑樹の葉は日光を遮るけれど風は通り抜ける。鳥や蝉の鳴き声に雑じり噴水や人工の渓流広場ではしゃく子供の声が聞こえる。

散策者のために遊歩道の路肩にはベンチが用意されていた。

枯れて地面に落ちても残るような花の香りが俺たちの後をついて来る。

入学してすぐ1年生は観光バスに乗せられて天城方面へ遠足に出かけた。

旧トンネルの辺には栗木が沢山群生していて女子はその匂いを「臭い」と連呼して笑っていたが男子は皆それを見て決まりが悪そうにしていた。

そんな事をふと思い出した。

「薫君は本当にバスケ王子なんだね」

日差しの中で雪ねえは俺の顔を真っ直ぐに見て笑顔で言った。

「そんな事ないよ」

「ずっと諏訪部に渡すつもりでうちの学校の入学資料のメモリ持っていたの?」

「あれは・・たまたまだよ!」

「ふうん」

「なんだよ雪ねえ!?」

あんなものが諏訪部が今抱えている問題の役に立つなんて思えない。

「俺も恩師の浜さんにもらった便箋の卒業証書みたいに誰かにパスぐらい出来るかなって思った」

パスはつながるかつての敵にも恩師にも仲間にも。

バスケットは1人じゃ出来ない。今更ながらそんな事に気づいたんだ。

「薫君が先生にもらった便箋の中身気になる!」

「それは」

俺はもったいぶって言った。

「男同士の秘密だからな!」

「もう」

彼女は拗ねるように俺の胸を拳で叩いた。

「彼女だぞ」

深淵に深い翠を湛えたオニキスが俺の瞳を見つめる。

「やっぱり薫君は王子だよ、色んな人を惹きよせて、うちも・・・」

俺は衝動を追い越すように彼女の唇に自分の唇を重ねた。

「あ」

ただ夢中で、浅ましく、優しくもできなくて、王子なんて言葉には程遠い俺だった。

柔らか過ぎる彼女の唇は言葉に発する間もなくなすすべもないように蹂躙された。

俺の慾望と昂りは止まらない。

唇が離れた時彼女は少し上気したように赤らんだ頬でため息をついた。

感情は潤みをたたえ今にも零れて落ちそうに見えた。

2度のキスをした時彼女残っていた力が唇から抜けていくのを感じた。

自然にのびた掌が彼女の胸元に添えられ包むように上下した。

Tシャツの下アンダーのワイヤーに触れたせいか彼女の胸は少しだけ固い感触がした。

「ちょっと・・ごめん」

彼女は俺を制すように目の前に掌を翳した。

「薫君待って」

「ごめん」

「うちもまだ、その、ビギナーだから」

「ごめん、つい」

「あやまらないで」

彼女は俺に微笑んだ。

「あやまらなくて」

突然俺に身を預けるようにして倒れこんだ。俺は彼女の体を両手で抱き抱えた。

「雪ねえ?」

彼女の髪から柑橘系と、甘い石鹸の香りの体臭がする。

そして彼女の重さ。華奢な体。

今そこにいる彼女の凡そすべては俺の腕の中にあった。

「どうして女子ってすれ違った時とかあんないい匂いがすんのかな?」

中学の時部の誰かが練習後で脱いだ自分のユニフォームの汗の匂いに顔をしかめながら言った。

「エストロゲン、どうやら女性ホルモンの働きらしいぜ」

読書家で博学な諏訪部が言った。

「まあ後トリートメントとか?」

そんな生物としての仕組みやや身だしなみの話は意味はない。

大切なのは俺たち男子は女子たちのそれに対する受容体を持ってこの世に生まれて来たって事なんだ。

石鹸や汗止めやシャンブー幾重にも彼女を包む香りのベールを押し退け彼女に近づきたい触れたいと渇望する本能。

彼女は今俺の腕の中にいた。

けれどいくら呼びかけても揺すっても彼女は2度と俺の声に反応する事はなかった。

世界はある日突然変わる。

それまで当たり前にあると思っていたことがある日突然失われる。

それまで熱狂や声援やキツさ悔しさ平穏無事な時を仲間と共有してきた。

そこから一転してある日突然日常から取り残され無為と思える時間を過ごした。

大切なものはある日突然に崩れ去り失われれてしまう。

それは他の誰かよりもわかっていたはずだった。

およそ15分前まで彼女と過ごした時間を噛みしめる間もなく俺は彼女と一緒に救急車の車内にいた。

救急車の中には運転士が1人に助手席で連絡している男性が1人。

残りの2人の職員はいずれも男性でヘルメットと水色と灰色のツナギの制服だがその違いは俺にはわからない。

救急医療センターに向かう車内の窓から見えるのは見慣れすぎた町の風景だった。

救急隊員の呼びかけにも俺の声にも彼女は反応を示すことなく四肢を投げたしたまま動かなかった。

見たこともない医療機器に囲まれ繋がれた彼女。

心電計に表示された数時と波形の生体反応を見てもそれが正常な数値なのかどうかもわからない。

つぎつぎ変わる景色といつも通らない道筋。そばに付き添い無事を願うだけで何も出来ない無力感にさいなまれる。

今日という日がどこに向かうのか。

ただ恐ろしくて、彼女が死んでしまう事が本当に恐くて、俺は顔を少し上げて普段と何も変わらない町の景色ばかり見ていた。

右手の指先には救急車が到着するまで何度も何度も確かめた彼女の脈拍の記憶が残されていて俺はそれを確かめるように空っぽの掌を握りしめた。

急に目の前で意識を失った彼女をベンチに寝かせながらまず頭に浮かんだ言葉は熱中症だった。

医学の智識なんて無い。

今日彼女と会ってから長時間日差しの中を歩いたりはしなかったし途中水分も補給した。

しかしこの季節になるとバスケ部は男子も女子も特別な練習をする。試合中の暑さやスタミナ切れを防ぐための練習でそれははっきりと言って地獄だ。

もし彼女が俺に会う前にそんな練習をこなして来たなら暑さに長時間晒された可能性はある。

熱中症というのは後で症状が表れる事もあるとテレビの健康番組で見た記憶があった。

彼女は呼びかけても頬を叩いても反応はない。

無意識に掴んだ彼女の手首の脈拍が力強い返事を返してぐれる事が唯一の救いでそれが俺に落ち着きをくれた。

携帯を取出し汗ばんだ手で119をタップした。

電話はすぐに繋がった。

現在いる場所と彼女の現在の様子を言われるままに伝え救急車が到着するまで指事された事をやる。

電話が切れた後俺は彼女の脇や頚筋を冷すものはないかと考えた。コンビニは遊歩道をから1キロ以上離れた公園の外にあった。

手にしたペットボトルに水を入れて冷すか。

いずれにしても彼女を1人で置いてこの場を離れる事は出来ない。
諏訪部は?もう帰ってしまっただろうか?

ここから電話をして諏訪部を呼んでもその前に救急車は着く。

「なるべく近くでお名前を呼んで上げて下さい」

俺は考えを逡巡させながら彼女の名前を呼んだ。

「雪音」と何度も何度も彼女の名前を呼び続けた。

心は千々に乱れた。

彼女の両親にもすぐ連絡した方がいいに決まっていた。

しかし俺は彼女の実家の連絡先を知らなかった。

ふと思いたち財布の中に折り畳み押し込んだままの紙切れの存在を思い出した。

その時初めて開いた紙切れには柴崎薫の名前ではなく素っ気ない文字で【運営】と書かれていた。

俺は躊躇う事なくそこに記されていた番号に電話をかけた。彼女はすぐに電話に出てくれた。

俺は手短に矢継ぎ早に柴崎薫に彼女の現在の様子を伝えた。喉は乾いて声が枯れていた。

既に彼女は自宅らしく氷が入ったグラスを置く音を俺の携帯が拾った。

「わかった・・私が雪音の家に電話をするから後で搬送先を教えて」

彼女の声は先ほどのオペレーターの女性以上に落ち着いていた。

「まったく!今日は少し体調悪いから練習終わったら真っ直ぐ帰るとか言ってたのにあのバカ!」

「雪ねえ体調悪かったのか!?俺全然気づけなくて・・・」

「薫君とデートですって」

苦虫を噛み潰したような声。

いつも通りの柴崎の声色に俺は少し日常が戻るような気がした。

「薫君救急車が来る前にして欲しい事があるの?」

「なんだ!?俺に出来る事ならなんでも!!」

「そこにいる女の尻を思いきり私の代わりに蹴って欲しいの」

「な!柴崎こんな時に!?」

「冗談よ!ごめんなさいこんな時に不謹慎よね。もっともこれから不謹慎な行為にでも耽るつもりだったあなたたち2人に言われたくない台詞だけど!」

「柴崎冗談は後にしてくれ!」

わりと深いため息の後で彼女は言った。

「薫君メモの用意はいい?手もとに何か筆記用具はあるかしら?」

その時俺は財布と携帯電話以外はメモ帳もペンも持っていなかった。

両親が学生の頃までは校則がびっしり書かれた生徒手帳なんてものが学生に配布されたと聞いた。

今は少子化とかロット数の不足とかで学生証はカードだ。校則が書かれた冊子は入学の時に別に渡された。

学割で映画を観るのにも俺も雪ねえも窓口で学生証のカードを呈示した。そこには住所も連絡先の番号も書かれてはいない。

「携帯にメモ機能が・・電話切らないようにするなら通話ボタン押して・・」

オンフック機能を使う。そんな事は今まで一度もやった事がなかった。

少し沈黙の後で柴崎の声が言った。

「雪音の持ち物かポケット」

柴崎の話によれば部活のミーティング時メモは必須らしい。

だから雪音の持ち物を探ればメモ帳やペンが見つかるはずだと俺に教えてくれた。

彼女のジャージの右足のポケットに触れると確かにそのような感触があった。

ポケットの中に白い細身のボールペンとメモ帳があった。

女の子らしい黒のボーダラインの表紙に間の抜けた顔の黒猫が1匹。緊張感がそがれるようなイラストだ。

「私は昔から雪音とお揃いでないと気がすまないの」

そんな柴崎の言葉と白猫の手帳を手にした柴崎の姿が一瞬頭を過る。

「書く準備は出来た?」

柴崎の言葉に慌てて手帳を開く。ページには最初からびっしりとコートの略図やミーティングの内容が几帳面な文字で書き込まれていた。

女の子の秘密の手帳を覗いたという背徳感はない。

途中なんか俺に似ているイラストや彼女の筆跡とは違う文字でブスと書かれた文字が消されているのは見なかった事にした。

俺は手帳の後ろのページを2、3枚破いて柴崎の言葉をメモに取った。

「しっかり書き漏らさず」

柴崎の言葉は相変わらず高圧的な感じがした。

しかしそれは彼女自身少しもふざけてはおらず緊張していたのだとすぐに理解した。

「命にかかわる事だから」

少しでも安心したくて「熱中症だろう」と思いたかった。

そんな自分に冷水を浴びせるような言葉だった。

救急車が来るまでの間水場まで走りハンカチを濡らしペットボトルに水を汲み俺は自分に出来る事をした。

「間もなく到着します」

救急隊員から携帯に連絡が入った。

「多分すぐに薫君の携帯に連絡があるはずだから」

柴崎薫の言葉通りだった。

到着してから診察して処置するよりも到着前になるべく患者の状態を把握するために通報した人間の携帯に電話があるのは当然の事だった。

その時柴崎の言葉を記帳していた事がとても役に立った。そこには救急隊員が事前に把握しておきたい事だけではなく改めて疑いのある病気について検査しなくてよい事柄まで書かれていたからだ。

「患者さんは呼びかに応えますか?」

「軽く叩いたり皮膚をつねってみて・・反応ありませんか?」

「付随運動、つまり患者さんの口や顎は意識がないにも関わらず動いてはいませんか?痙攣やひきつけのような症状は?」

それに対して俺は正確に見たままを伝えた。

ただ「注意して」と柴崎に言われた事は忘れなかった。

「脈拍は確認出来ますか?」

俺は彼女の脈を確認した時「力強く正常」と考えた。

でも柴崎薫は「そこを間違えないで伝えて」と俺に言ったんだ。

「脈拍はかなり早いです・・最初に見た時よりもかなり早くなってる気がします」

それから俺はメモに書かれている事を次々電話の向こうの救急隊員に伝えた。

「昨年の7月に1度、その前に2回3年で3回同じ症状で救急医療センターに搬送されて、その後の掛かり付けは市の中央病院で、医療センターにカルテや処方薬の記録がなくても中央病院に初鹿野雪音の名前で記録があるはずです」


「以前倒れた時にはてんかんではないと診断されたそうです。・・・非てんかん性の発作です、過去のCTでもてんかんの電流は脳波からは・・エリトマデス髄膜炎、感染症の検査も過去に」


途中からは自分が何を答えているのか意味すら分からなくなっていた。

「薬物中毒ですか?それはないと思います・・以前倒れた時はハルシオン系の薬と睡眠導入剤いずれも微量で現在は服用してないという話で詳しくは担当医の方に」

起立性低血圧失神、神経性調節性失神、いずれも血圧の低下などによる突然の失神。

熱中症やてんかん発作による意識障害でいずれも原因ははっきりしている。


雪ねえの意識障害はこのいずれにも属さないらしい。

失神所謂気絶ではない昏睡に限りなく近い症状。

昏睡と気絶の違いを説明するよりも昏睡と脳死の違いについての比較の方がより彼女の抱えている病の深刻さ語るを上では正しいのかも知れない。

呼吸する、内蔵や脳が活動する、脊髄の反射。

脳死はあらゆる生命活動の不可逆だ。

一方の昏睡は反射と呼吸は確認出来る状態を顕し死に限りなく近い眠りだと言える。

そんな時でも雪ねえの心臓は陸上競技中の選手のようなに早鐘をうち続け一度意識を失うと止まる事はなく心拍数は上昇し続ける。

昏睡から目覚めなければ然るべき処置を受けられなけ心臓は空回りを繰り返した後機能不全を引き起こし眠りの中で死を迎える。

これはてんかん症ではいと診断された彼女だが唯一重篤のてんかん症患者の引き起こす症状と酷似している。

もしくは統合失調症の重症患者もしばしばこれに似た昏睡状態に陥る事があるらしい。

彼女はどの病にも明確に属す事はなくゆらゆらと死の淵の底に落ちて行く。そんな気がした。

助かる見込みの少ない?難病なのだろうか?今の彼女の様子と手にしたメモの断片からは不吉な予感しかしない。

柴崎薫に会いたい。

彼女なら俺にこの不穏な呪詛のような用語を書き取らせたあの子ならもっと詳しい話が聞けるはずだ。

そうだ!搬送先・・を彼女はその連絡を待っているはずだった!?俺は救急隊員にそれを訊ねようとした時医療器機に繋いだノートPCの画面を睨んでいた隊員が口を開いた。

「事前に有益な情報を得られたおかげです!」

「心拍数も血圧も安定して少し反応もあります」

「近くで声をかけて上げて下さい。意識が戻りそうです!」

彼女は俺の知らない場所で今まで何度もこんな経験をして来た。

そうしてその度淵に手をかけて自からの生命力でこの世界に戻って来たのだった。

救急医療センターの廊下のベンチで俺は彼女の意識が戻るのを待っていた。

入り口の自動ドアの前を自転車が猛スピードで横すべりしながら走り抜けた。

真夏の幻影か。

空気読まない顔した女が空気読まない服を着て病院に入って来た。

総レースのフレア袖のインナーに黒の長丈のワンピース。

病人が一番嫌がる葬式コーデに身を包み「よくそんなんで自転車乗れんな」という踵の高いサンダルをカツカツ鳴らしながら柴崎薫はやって来た。

あんなバランスの悪そうな靴を履いても猫背にならないのはモデル体型というよりやはり体幹がしっかりしているのだろうと納得してしまう。

普通に淑やかに歩けば清楚なお嬢様で通るのかも知れないが。

「ごめんなさい薫君待った?」

「デートの待ち合せじゃねえぞ」

目近でよく見たらワンピースは黒に近い紺色で俺は一安心した。

それより柴崎の家はここから電車で駅3つ離れた場所にあるはずだ。

しれっとした顔で俺の隣に腰を降ろしてはいるが彼女の額に浮かんだ汗を見て俺は何も言えなくなった。

「柴崎ありがとうな」

「なにが?」

「柴崎と連絡が取れたおかげで雪ねえ大丈夫だって・・もうじき意識も戻りそう」

「こちらこそ」

柴崎は素直な返事はなんだか調子が狂う。

「今日は梶本君がそばにいてくれて良かったと思うの・・本当にありがとう」

「なあ柴崎言いにくい事だとは思うけど雪ねえの病気ってのは一体なんなんだ?」

「梶本君に書いてもらったメモに書いてある事がおおよそなんだけど」

はっきりした病名を特定するとそれらに当てはまらない。

病名を疑うような症状は見受けられるが検査をするとその原因となる疾患今迄は発見出来なかったというのが彼女の答えだった。

例えば非てんかん性の意識障害、失神、気絶、昏睡、昏倒、これらはてんかん以外の意識障害を表すが病名ではない。

てんかん以外の病によって引き起こしされる意識障害はにはそれぞれ別の疾患や病名があって治療方法も様々だ。

現代の医学ではてんかん以外の意識障害で病名が特定されているものは全体の85~90%で残りは原因は不明のままらしい。

その原因不明の突発的な意識障害を彼女は、ここ何年かの間に数回以上引き起こしているらしい。

「勿論雪音が倒れる度に病院では精密検査もしたの」

脳や臓器のCTも血液検査もした。

検査の結果あらゆる該当する病の疑いや可能性は排除されていった。

あらゆる失神や昏睡を伴う病に於いて彼女のそれは特異点のような存在であると言える。

「最悪な事だけは症状としてあるけどね」

意識障害が他の病よりも深く心拍数が生命の危険に及ぶほど上昇し続ける事。

「残っている原因は遺伝子の異常か精神疾患が原因ではないかと言われている」

彼女の引き起こす症状の場所遺伝子レベルの障害となると前列が殆どないレアケースで治療法もない。

「精神疾患というのは」

「シャットダウン症候群」

柴崎の口から零れた言葉は今まで耳にした事のない病名だった。

「精神病理学の世界ではあくまで俗名らしいけど・・ブラックアウト症候群とも言うらしい」

てんかん症状の患者の場合脳内の微弱な電流が交感神経などに作用して一時的な歩行困難などの行動障害や失神に似た症状を引き起こす事が見受けられる。

その際にも視力や聴覚などは機能しており意識障害から病院に搬送されて処置治癒にいたるまでの記憶は明確である場合が多い。

しかし彼女の場所は意識障害を引き起こしてから治癒までの記憶はまったくないのだという。

「突然に電気のブレーカーが落ちるみたいに」

PCを強制終了するように雪ねえの意識は突然途切れてしまう。

「どんなに優秀なOSだってどこかに不具合があるせいでその度強制終了を繰り返していたらいつかきっと壊れてしまう」

「例えばサスベンス映画の犯人がどう考えても殺人なんておかさない人間だった場合に動機は多重人格でしたなんて、よくある話じゃない?」

確かにその手の映画にはよく使われるオチだ。

現実の世界でも多重人格の人というのは存在するらしい。

もっともそういった精神に疾患を抱えた人が犯罪を犯すというのはきわめて希でむしろ 犯罪はまともだと世間で言われてる人間が引き起こす率の方がはるかに高いのだ。

多重人格は幼い頃から親に暴力や性的虐待を受けた人がなりやすいと聞いた。

今酷い虐待を受けている現実の境遇が受けいれられず自分以外の別の人格を作り出してしまう。そんな話を聞いた事がある。


「雪音はそれでも人格が分裂したりしなかった」

「ちょっと待ってくれ!雪ねえは小さい頃にそんな酷い虐待を親から受けてたって言うのか!?」

「分裂はしなかったけど肉体が死に近づいたと脳が判断すると脳が意識を強制終了させる、つまりシャットダウンね」

PTSD・心的外傷後ストレス。

過去の命に係わる体験や記憶が引き起こす様々な肉体的な疾患。

「雪ねえは子供の頃親からそんな酷い虐待を受けていたのか」

「私もあの子から断片的にしか聞いた事はない」

柴崎の言葉から次第にいつもの歯切れの良さが失われていく。

「けど長年あの子の身近にいて様子を見て来た私にはそれが無関係だとは思えないの」

彼女は彼女なりに友人の暗部について口にする事には躊躇いがあるのだろう。

「これは雪音が梶本君に話すなら話すべき事だしあの子はそんな話誰かにされたくも聞かせたくもないと思う」

それでも俺は知りたかった。

今日のような雪ねえの姿を目の当たりにしてはよけいにその気持ちは強くなる。

「彼女に内緒で告白までされた仲だぜ」

俺は彼女の前で手を合わせた。

「その話今する?」

それでも俺の目は真剣だった。だから諦めたような少し綻んだ顔で彼女は話してくれた。

「よくある話」

そう前置きした通り雪ねえの実父は何処にでもいるクズな男だった。

働かないクズ、結婚して子供が出来ても家に金を入れないクズ、子供が出来て母親が働けないのを子供のせいにして幼い子供や女に手をあげるクズ。

異国の血をひく彼女には初めて触れるこの国の人間が父親であり彼女を愛する事が出来ない人間も父だった。

それでも子供は自分に手をあげる人間が親ならばすり寄るしかない。

彼女には叩かれたり時には階段から落とされた痛みや恐怖の記憶しか父親の想い出は残っていない。

生まれた時から体は丈夫ではなかった。それでなくても乳児期や幼年期は病院に通う機会は大人よりもはるかに多い。

「病気ばかりして金ばかり食うガキだ」

と父親は思ったかもしれない。金がかかるのは保健料を支払っていないせいだが父親は暮し向きや自分に運が向かないのは子供がいるせいだと考えたらしい。

彼女は度々病院に運ばれる事があった。

父親のせいで負った怪我もあったが突然の発熱や吐き気に襲われ意識がなくなる事も頻繁だった。

いつも白くて清潔なリネンに包まれた病室で目が覚めた時彼女は心から安堵して眠りにつく事が出来たという。

そこに自分を傷つけるものや大好きなお母様の泣き叫ぶ声を聞く事もないからだ。皆が驚くほど親切で優しかった。

「目が覚めたらそこがいつも病室ならいい」

心の中でいつも思っていた。

目を開けて狭いアパートの天井が見えるとがっかりして布団をかぶり直した。

病院で診察を受けた時彼女の体についた傷が見過ごされるはずはなかった。

家には児童相談所の職員や民生委員が訪れる事もあった。

けれどそんな時父親は家にいない。居ても表に出て応対する事はなかった。

そういう人がたまに家に来ると決まって父親の機嫌は悪くなるので来て欲しくなかった。

「多分あのまま家に居たらうちは今頃殺されて、ちょっとだけの間ニュースとかになったかもしれないね」

そんな話をある日していたらしい。

「そしたら薫にも会えなかったから今はラッキーだよ」

「私は雪音のクソ親父の事は知らないし大切なのは今雪音のそばにそいつがいない事すべては事後でしたで済めばいい話」

今彼女が幸せならばそれでいい。

この先も幸せな時間と人生を歩いて行けるならそれでいいと誰もが思うはずだ。

しかし過去の経験や記憶は彼女の心に深い傷痕を残してしまった。

「それでもこの話には1つ救いがある」と柴崎は言う。

「それは雪音のママが男より娘の命を選んでくれた事」

ある日雪ねえのお母さんは買い物に出るふりをして幼い娘の手を引いてアパートを出てそれから2度と戻らなかった。

「小さい頃の雪音の写真を見せてもらったの」その時「体が震えた」と言った。

「想像していたより可愛かった!私が妊娠して子を産みたいと小学生の私が思うくらいには」

「私にはあの写真の女の子を平気で殴れる人間がいる事が信じられなかった」

雪ねえのお母さんは娘を連れて仕事先で知りあった友人の家を暫く転々とした
らしい。

「私が雪音と初めて会ったのは小学3年生の冬だった」

その時はまだ雪ねえの両親は離婚が成立しておらず名字も初鹿野ではなかったらしい。

「雪音は・・あの時今より見た目が全然外国人の子供だった」

だから母親の仕事が変わる度に住居も変わり転校先の小学生ではその目立つ外見から爪弾きにされたり酷いいじめにもあった。

「初めて会った時『すぐに消えてしまいそう』って思ったの」

「今よりずっと脆くて儚げに見えた」

その頃の彼女を俺は知らない。

「雪みたいに手の平にのせたら消えてしまうんじゃないかって思った」

「今でも時々あの子と話してると思うの


「どんな事思うんだ?」

柴崎は俯いてなにも言わなかった。

それは初鹿野雪音という女の子が俺たちよりも死に近い。

今まで死の淵を何度も覗いて来たからという意味があるから。

言い淀んだ岸の向う側にはそんな暗示が隠されている気がした。

「雪音って変な名前」

「きれいな名前だと思うけどね」

「薫君雪の音って聞いた事がある?」

「風の音なら」

雪が降る時雪の音聞こえない。しんしんとか・・本当は聞こえない擬音なんだ。

「霙の音なら私聞いた事がある」

「霙は泥まみれで泥の味がする」

柴崎薫という少女の言葉が時々俺にはわからない。

こんな現実的な話をしている時でさえ、日本語で喋っていても、唐突に抽象的な言葉で話したりするものだから聞いているこちらとしては大変に戸惑う。

しかし俺は彼女の言葉に耳にを傾け理解しようとした。

彼女にだって言えない事や言いたくても今は上手く言葉に出来ない事だってあるのだろう。

そんな風に思う事自体少し前迄の俺と柴崎の間に於いては考えられない事だった。

「梶本君もう帰って」

まるで蝿を追い払うような仕種。

ほら来た。言葉通り受けとったら激怒しかねない言動に思える。

「1度くらいデートしたくらいでは誰も梶本君を咎めたりはしないから」

雪ねえの事めんどくさいとか重荷に思うなら今のうちに帰れって事か。

「雪音の命の恩人だから」

「なあ柴崎」

俺は彼女の方に膝を向けて言った。

「雪ねえの病気はお前から見てどうなんだ?」

「どうって?」

「俺よりもずっと長い時間あの子のそばについて見て来たお前から見てあの子はいい方に向かっているのかそれとも」

「いい方に向かっているとは思わない」

柴崎は感情を抑えた口調で淡々とそう答えた。

「依然は練習中とか試合とかで気を失う事があったけれど学校帰りとか家でという話は聞いた事がない。けして意図した事ではないにしろ今迄は仲間とか人が大勢いる場所で倒れていたの」

でも今回彼女が意識を失ったのは俺と2人だけの人気のない公園だった。

それは俺とおちあう前も別れた後でも可能性はあったわけだ。

「これ、どう考えてもいい兆候には思えない」

これから彼女の病はますます進行していくつ兆しではないかと柴崎は考えているようだった。

「深い眠りのような昏睡から必ず覚めるという正しい根拠も本当はない。ただ今迄がそうだったというだけの話で」

それでなくとも病院に搬送されるのが遅れたら心臓が機能不全を起こして彼女は、死ぬ。

「だからって梶本君があの子の事を気に病んだり無理をする事は」

「公園であの時あの子とキスをした」

唇をぽかんとさせたまま柴崎薫は俺の瞳の奥を覗き込んでいた。

雪ねえが倒れる前に俺たちは唇を重ね合わせた。少し性急で乱暴だったかもしれない。

それでも彼女は踵を地面から少し浮かせて俺の事を受入れてくれた。

「俺はその時生まれて初めて死んでもいいって思ったんだ」

「へえ」

抑揚のない声と黒目で柴崎は言った。

「笑っていいんだぜ」

「そろそろ目が覚めておかしくない時間だけど」

無視された。

「患者さん意識が戻られました」

ちょっとそこらの病院では見かけない茶髪のけばい感じの看護士さんが診察室から顔を出した言った。

「さてじゃあ私は帰るね」

スカートスを叩いて柴崎薫は立ちあがった。雪ねえとは違う少し大人びたような華やかな香りがした。

「会っていかないのか?」

「目が覚めたならひとまず安心」

随分お洒落な洋服を着てるところからすると何処かに出かける予定でもあったのだろうか?

「すごく似合っていいな、そのワンピース」

俺がそう言ってもの柴崎はこっちも見よともせず言った。

「どうせ初デ―トなんて考えもしないでジャ―ジですっ飛んで来たんでしょ?お洒落するくらい少しぐらい待たせるぐらいしなさい『このイモが!』って雪音に言っておいて!」

「いや・・それも悪くないって思った」

「目が覚めたらしばらく泣くと思う」

入り口に向かってすたすた歩き始めた。

「だから後はよろしくね」




俺は家のダイニングテ―ブルに腰かけ雪ねえの手作りの弁当のバスケットの中身を見つめていた。

可愛さ満点のタコさんウィンナ―がつぶらな瞳で俺を見つめ返す。

「俺はどうしたらいいんだろう?」

目を覚ました雪ねえの容態は思っていたよりも悪く思えた。

柴崎には「目を覚ましたら泣くと思う」そう言われていたのである程度心の備えは出来ていた。

それでも診療台からようやく半身を起こした彼女は意識も虚ろでまだ焦点が合わないような目で辺りを見回していた。

「よ」

俺はそれでも明るく何事もなかったかのように彼女に片手を挙げて見せた。

「うち、また、倒れた?」

髪の毛を無造作に掻き上げながら深い深い溜息をついた。

声も枯れて普段よりも低い声。

「薫君が病院に?」

「柴崎に電話して御両親にも連絡してもらったんだ」

「ありがとう」

抑揚のない声。

「暑い中色々引っ張り回しちゃったからな!」

俺の言葉を否定するように首を何度も振ってみせる。

「いつ連絡先」

「え?」

「薫と連絡先交換してたなんてうちは知らなかった」

「ああ、それか」

俺は彼女の言葉に辛抱強く答えた。

俺が彼女に告白した日柴崎薫は1人で教室に着替えを取りに戻った。と見せかけて実はこっそり隠れていた。

「こっそり隠れていたあいつは俺にどうしても言いたい事があったらしくて」

不思議そうな顔で見つめる瞳を見て俺は言った。

「雪音の事をよろしくお願いします・・なんの用かと思ったらあいつ俺にそう言いたかったらしい、変なやつだよな」


「あいつは昔から変」

俺が財布から出して見せた柴崎の連絡先のメモを見て彼女の口許は少しだけ綻んだ。

「どうやら陽にあったようで熱中症のようですね」

傍らの事務机に腰かけた医師の言葉が虚ろに響いた。そんなはずはない。

彼女を安心させる為の言葉かもしれないが既に何度も倒れていてここにも運ばれているはずだ。

俺は医師の言葉よりも彼女の親友である柴崎の言葉を信じる。


「薫なにか私の事言ってた?」

問いかけに彼女の不安気な気配を感じた俺はただ首を横に振った。

「俺、雪ねえの事は何でも知りたいと思う、けど柴崎は「雪音の事は雪音に聞いて」って言ったんだ。だから俺も柴崎からは特別なにも聞いてない」


俺は真顔で彼女に嘘をついた。


「薫君も薫も優しいね」

そう呟いた途端彼女は両手で顔を覆った。掌の奥から圧し殺すような彼女の嗚咽が漏れて来る。

「ごめんなさい」

「泣くなよ、雪ねえ!なんも悪くねえし、誰だって調子悪い時ぐらいあるだろ!?」

公園で倒れた彼女の額にのせたハンカチは搬送の時どこかに行ってしまったらしい。

「早起きしてお弁当も作ったのに」

俺の手には雪ねえが作ってくれた弁当が入ったバスケットがぶら下げられたままだった。

「嫉妬したりつまらない事ばかり考えたりするの・・薫の事まで悪く思ったり」

いや・・あいつ悪いから。

「神尾君の事だってそう」

神尾?なんでこんな場面で神尾の話が出て来る。

もしかして俺の知らないところで神尾と何かあったのか?

俺はもやもやした気持ちになるが、さっきの柴崎の連絡先云々といった彼女の態度が今少し理解出来た気がした。

「うちは薫君にバスケ出来ないくらいの大怪我させた神尾君が同じ学校にいて、しかもバスケットをやってるって聞いてすごく悔しかったんだ」

「うん」

「きっと薫君も悔しい思いをしてると思った」

だから神尾に話しかけられても彼女らしくない冷淡な態度を取り続けていたのか。

「神尾はいいやつだと思う」

「うちも話しかけられてそう思った」

自分の事ならいざ知らず自分に悪意も悪気もない、むしろ好意的な相手に冷たい態度をとるのは彼女のような人には心苦しい事だったに違いない。

「でも薫君は神尾君とも親しげで何だかうち1人空回りしてばかみたいだって思った」

「俺の事思ってくれたんだから」

「うち神尾君に話しかけられて随分酷い言葉を言ったかも」

それは今話す事では・・と思ったが彼女はとてもナーバスになっているんだ。だから俺は黙って聞いていた。

「酷い言葉って」

「あんた梶本梶本って実はホモ野郎なんじゃないの?」

「いやそれは」

俺は言葉を失った。

好きな女の子に冷たくされるのは男子としてそんなに悪いものじゃない。

他のやつには普通でも殊更自分にだけ冷たい態度を取る女の子は「むしろ自分は特別ない存在なんじゃないか?」という愚かしい自惚れや妄想の中で生きる事が出来る生き物それが男だと俺は経験から知っている。

しかもホモ扱いは圏外だ。

彼女に思いを寄せているであろう神尾の心中を俺は察した。

「そんな事言われて神尾は?」

「『そうかな?』って」

何故疑問で返す?

そこはきっぱり否定しとけよ神尾!?

「神尾は多分俺をきっかけとか、だしにして雪ねえと話しがしたかったんだと思うよ。ほら雪ねえ男子にすごく人気があるから!!」

「でも神尾君うちに話しかけても薫君の話ばかり聞いて来るんだよ」

「それは多分あいつなりに俺の事気にかけていたんだと思う」

「うちは神尾は薫君に怪我させた加害者なのに実は心の底では薫ラブのとんでもないやつだと思ってた」

「雪ねえは創造力が豊かだな」

俺は苦笑するしかなかった。それが現実ならかなり恐ろしい話しだ。

というか妄想の拗らせ加減がかなりやばい。

「て言うかかなりクレイジーだ」

「うちは嫉妬深いの・・相手が女の子でもそうじゃなくても」

「薫君の事ばかり考えてどんどん頭がおかしくなるみたい」

乾いた唇を小さな舌がペロリと舐めた。

それでも俺のは彼女が泣き止んでくれた
のが嬉しくて、額と額がぶつかるくらいの距離まで顔を近づけた。

「俺が雪ねえを選らばないで男を選ぶわけないだろう?本当イカれてるよ」

俺は彼女の頬を両手の指で掴んだ。そうして俺の好きなくしゃくしゃの笑顔に無理矢理変えてしまえと思った。

「薫君痛いってば!」

「あのすいません」

クリップボードとノック式のボールペンを持った看護士さんに申し訳なさそうに声をかられた。

「患者さん意識が戻られたようなので問診させて頂いてよろしいですか?」

そう言って看護士さんはいくつか質問を彼女に始めた。

「目が覚めてから視界が二重に見えたりちらつきはありますか?」

「大丈夫です」

「現在気分はいかがですか?頭痛や吐き気はありませんか?」

「少しまだ気持ちが悪いです」

看護士さんは彼女に質問した答えを次々問診表書き込んでいった。

「最後に気を失った時それまでの事は覚えていますか?」

「えっと・・公園で薫君がうちのおっぱい触って、それから気が遠くなって」

顔を上げた時看護士さんと目が合った。俺は今まで生きて来てこんなに蔑んだ笑顔で見られた事はなかった。

「あと薫が名前で呼んでぐれてたこと」

彼女はそれは看護士さんではなく俺にしか聞こえないような小さな声で言った。

「覚えてるよ」

「お迎えが来るまでゆっくりこちらで休んで下さい。今夜は水分と睡眠を充分に取って」

医師は看護士さんから問診表を受けとるとカーテンで仕切られた診療ベッドで休んでいるように俺たちに促した。

テレビドラマに出て来るようなERとは田舎の救急病院は違っていて看護士にしてもこのドクターにしても「バイトですか?」と思わず言いたくなる雰囲気が漂っていた。

「よかったら表にある車椅子を使って下さい」

看護士さんに言われて俺が立ちあがりかけた時中年の男性が「初鹿野ですが」と言って診察室に入って来た。

彼女の義理の父親は黄色のアロハシャツに短パン姿で髪も染めてパーマをあてていた。

そんな容姿からサラリーマンや役所努めの人には見えなかったが柴崎の話しによると不動産から飲食店まで手広く手掛け地元ではなかなかの顔がきく名士らしい。

彼女の母親の再婚相手であるが義理の父親と娘の親孝関係は概ね良好なものらしい。柴崎いわく。

「しつけに厳しいところもあるけれど、いいものはいい悪いものは悪いときちんと雪音に接する人みたいで雪音も子供の頃から懐いていた」

「パパ」

それは義父の顔を見た時彼女が少し甘えるような安堵したような声を出した事でも伺えた。

迷子になった子供が父親に見つけてもらった時のような仕種だ。

「同じクラスの薫君」

彼女の義理父親は見ためこそ年季の入ったやんちゃそうな中年サーファーといった印象だけど、きちんとした大人の男だった。

すぐに俺に向き合うと「雪音が大変お世話になりました」と深々と頭を下げた。

「梶本薫君だね。昔から家ではこいつに君の話ばかり聞かされたもんだ!同じ高校に進学していたとは初耳だが」

ちらりと診療台の娘に目をやり言った。

「聞いてたよりよっぼど男前だな!」

「パパやめて」

彼女はばつが悪そうに下を向いた。

「すごいバスケットの選手なんだって?」

「今は足をやってしまい休業中です」

俺は右足の爪先で床をコツコツ蹴った。

「あれ?今日は痛くないな」

この程度で足に普段痛まない。無理な負荷をかけたりしない限りは平気だった。

「雪音随分重かったんじゃないか?」

「そんなに重かった?」

確かに彼女を抱えてベンチに運ぶ時はそうだったかもしれない。

「痛むの忘れてました」

俺は呆れて思わず笑顔になると場の空気はさらに和んだようだ。

「このまま帰って頂いて結構ですが・・お父様ですね?」

医師の言葉が嫌でもここが病院である事を思い出させる。

「娘さんの今回の症状について説明させて下さい」

彼女の義父は医師の「今回の失神は寝不足や疲労熱中症から来るものです」という説明に辛抱強く相槌をうち聞いているように見えた。

しかし時より娘を気遣うような目線から医師の言葉に苛立ちを抑えているように俺には思えた。

柴崎同様この人も彼女の身近にいて何度もその病の発症に立ち合っているのだ。

そうした人が今ここにいてくれる事に俺は少し安心感をおぼえた。

俺にしたのと同じ自宅に戻ってからの説明を聞き終えた後初鹿野さんは彼女の前に行き「部活の話は聞いてないぞ」とたしなめるように言った。

「だって」

彼女は髪で顔を隠すように項垂れた。

「まあいい」

彼女の診断の前で背中を向けて方膝を床に降ろす。

「おぶされ」

慣れた仕種だった。

「車椅子」

という巻き戻しみたいなすすめを初鹿野さんは「結構です」と丁寧に断った。

俺は彼女にの肩に手を添えて彼女が義父の広くて大きな背中に体を預けるのを手伝った。

「車の鍵開けときます」

「助かるよ」

そうして教えてもらったワゴン車のドアを開けて彼女を後部席にまで運んだ。

再び自動ドアを開けて戻ると初鹿野さんが受付でやたら分厚い財布から札を出して支払いを済ませていた。

はっきり言って意識が戻るまでろくな治療が施されたとは思えない。

けれど言われるまま結構な金額を支払っていた。

救急病院というの後で戻るか初診は保健が効かないシステムらしい。

「あの、薬は?」

俺はつい口を挟んでしまう。まだ彼女は「気分が悪い」と訴えていたにもかかわらず見ていると領収書だけで薬は何1つ処方されていないようだった。

「梶本君いいんだ」

初鹿野さんは俺に言った。

「今からかかりつけの市民病院に行くから、そこで薬を出してもらうよ」

俺の肩にがっしりした手が置かれた。

「ここでは駄目なんだ」

その言葉を聞いた時俺は柴崎の言葉が杞憂や臆測でない事を確信した。

「今から雪音を病院に連れて行くけど君も送るから乗って行くといい」

俺はその誘いを丁寧に断った。

「方角が逆ですし」

治療が済んだら彼女を早く休ませてあげたいと思った。

「ありがとう」

初鹿野さんは俺に礼を言った。

「近々きちんとお礼を」

「柴崎さんが・・彼女が詳しく教えてくれるたから・・お礼は彼女に」

「薫ちゃんか、またあの子にも迷惑をかけた。本当にいい友達を持ったよ」

初鹿野さんは噛み締めるように言った。


「俺も柴崎さんも迷惑だなんて思ってないですから!」

雪ねえは初鹿野さんの背中でも車の中でも安心したように目を閉じていた。

眠ったり再び意識が途切れたわけではなく車が俺を残して走り出した時後部席の中から何度も何度もこちらに向かって手を振り続けていた。


夕暮れの我が家のキッチンではいつの間にか買い物から戻った母親が俎板で野菜を刻む音が響いていた。

母は雪ねえの弁当を広げたままの俺をちらりと見て言った。

「それ食べるの?捨てるの?それだけあるなら夕飯は入らないと思うんたけど」

俺は無言のまま再び野菜を切る母の背中を眺めていた。

「食べるなら早く食べてあげないと


俺は黙って少し乾いた卵のサンドイッチを口に放り込んだ。

野菜の煮物は少し時間が経ち過ぎていたせいか少し酸っぱさがある。元々こういう味付けなのか。

俺は構わず噛み砕いて呑み込んだ。

「まったくどういう状況なんだか」

冷蔵庫の扉を開けてポッドから麦茶を注ぐ音がする。

「息子が初めて朝からおめかしして外に飛び出して行ったかと思えば夕飯前に帰って来て手つかずの手作り弁当とにらめっこ?名探偵ならどう推理する?」

目の前に麦茶の入ったグラスが置かれた。

俺はそんな母の言葉もあまり耳には入らなかった。

俺はどうしたらいいんたろう。彼女のために俺はいったい。

「何が出来る」

「は?そんなの簡単じゃない!?」

俺は驚いて母の顔を見ようとしたが母親は再び俎板の野菜に向き合っていた。

「それ全部食ったら中にきれいな包装したクッキーやキャンディやチョコレートを積めて『ありがとう』って言って返せばいいだけよ!常識常識!男のたしなみってやつよね~」

鼻歌まじりに母はそう言った。

夏の藪蚊が人の血を求めて・・ではなく、ひらひら背後から舞って来たのは部活から戻った妹の日焼けした手だった。

俺は彼女の弁当の前でそれを容赦なく叩く落とした。



俺は翌日ありったけのお菓子をつめたバスケットを手に学校に行った。

彼女はその日の月曜日学校を休んだ。

「雪音多分4、5日は学校に出て来ないよ」

昼下休みに俺のクラスに顔を出した柴崎薫は俺にそう言った。これまで倒れた時もそうだったらしい。

1度倒れと体が容易に動かなくなるらしい。

「帰ったらメールでもしてあげたら喜ぶと思う」

そう言いながら俺が弁当のお礼に持って来てバスケットの中の菓子を目ざとく見つけて、ばりばり食い始めた。

「雪音の物は私のものなの」

ジャイアンみたいなやつだ。

普段特別にぎやかだったり人を笑わせたりしたわけじゃない。ただ雪ねえがいないクラスは華やぎもなくて。

もしかしたら俺だけがそう思うのかもしれない。けれど環境や世界は心象で風景がまったく変わってしまうものだと知った。

俺の住む世界は彼女次第でどんな風にも変わってしまう。

「ああここは田舎の普通の進学校に過ぎないんだな」

あらためて彼女のいない教室にいるとそう思う。

それでも彼女が不在の間親友の柴崎薫からそれまで知らなかった彼女の話を聞く時間が出来た。

そんな話だけでも俺は彼女に触れていられるような気がした。

「多分5日もしたら何事もなかったようにあの子は戻って来る。病気の事も何もなかったように、忘れてしまったように日常に戻って、周りもそうであって欲しいと思う気持ちからか忘れてしまうの・・雪音の笑顔にみんな騙されるの」

でもそれは彼女の命にかかわる事なんだと柴崎薫は言う。



翌日の昼休み。

「薫君!待った!?」

「今日うち早起きしてお弁当作ったの」

「それ雪ねえのバスケット」

わざわざジャージ。今年1番たちが悪い。クラス中がざわざわしてる。

「雪音がいない間悪い虫がつくと困るからね」

いや・・お前以上はいないと思うぞ。


「色んな検査をして当てはまる病気が除害されて、多分そうなると」

今後精神疾患に絞られた治療になるだろうという話。


「そうなると今も少量処方されている精神科のお薬、ハルシオンとかが多くなったり睡眠導入剤が睡眠薬になったり」

「そんな薬を服用して部活なんか無理だろ!?」

柴崎は俺に言うのだ。

「無理と言うか私はバスケット自体雪音にはよくないものだと思っているの」

それは俺には衝撃的な言葉だった。

「これ以上病が進行してさっき言ったみたいな強い薬が処方されないために最善なのはあの子はバスケをやめるべきなの」

それは柴崎の思いつきや独断ではなくて雪ねえのかかりつけの専門医やそれを聞いた両親の一致した意見でもあるらしい。

雪ねえは医師や親からバスケをやる事を禁止されていた。

冷静に考えてみれば理不尽な事でも何でもない。

彼女はこれまで何度も試合や練習中に意識を失い病院に搬送される途中で生死の堺を彷徨ている。

彼女の病の根源がなんであれ直接の原因としてその時彼女がしていたバスケに目が向くのは当然の事だった。

自分を肉体的や精神的に追い込むスポーツなど目に見えないが病巣に等しい。

俺たちアスリートと呼ばれるような人間はトップ選手ならば尚更高みを目指して傷みや疲労を感じてもそこから限界を超えようとするものだ。

シャットダウン症候群という病が自身の脳が命の危機を感じた時引き起こす意識障害だと言うなら彼女は何度もその状況になるように自分を追い込んでいた事になる。

このままバスケなんて続けたらいつか取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。事実それはもう彼女の肉体に起き始めている。

「ストレスや肉体に過剰な負荷をかけない穏やかな環境で生活すれば雪音はきっとよくなるはず」

バスケから遠ざかる事が最良の治療。
なんて事だ俺と同じじゃないか。

「元々昔から体は丈夫じゃないの」

「特に内臓はいつもどこかしら調子が悪くて生理の時はすごく辛そうで・・お腹のまわりに軽い発疹が出来たり、発疹て自律神経とか精神の病とも関連があるのよね?」

バスケの才能やセンスに彼女が秀でている事は誰が見ても間違いない。
けれどそれと肉体的な強さは別なのだ、と柴崎は言う。

彼女は類い稀なギフトを親や先祖から与えられてこの世に生まれた。

しかしその中には自分ではどうにもならない肉体的な弱さもあった。

精神力や鍛練で外側の肉体は鍛えられても中身がその過程で悲鳴を上げてしまう。


柴崎は親友とか幼馴染しか知り得ない事を俺に話した。

それは必ずしも楽しい話ではなくて彼女は彼女なりに友達の病に向き合おうとしていた事が俺には理解出来た。普通に生活していたら身につかないような医学の智識も自分で調べたのだろう。

「バスケなんてさっさとやめたらいい」

彼女は事も無げにそう言った。

「だけどそれが簡単でない事は薫君なら理解してくれる?」

俺は彼女の言葉に頷いた。

「あの子にとってバスケは特別なものなの」

幼い頃から父親に酷い虐待を受けて育った。見ためが人と違うせいで何処の学校でもいじめられ爪弾きにされた。

「それでも雪音はいつも周りに溶け込もうと必死だった」

溜息まじりに柴崎は周りを見て言う。

「あの、わざとらしい、べたべたな笑顔や人懐こさで、こんな退屈でどうでもいいような田舎や学校の連中の仲間に入ろうといつもしていたの」

「あの子がどれだけ本当はキレイなのか、ちょっと顔を上げて「死ね」の一言ぐらい言ってやれば世の中万事オッケーなのに」

絶対真似して欲しくないが。

「バスケットと出会って雪音は変われたと本人は強く思っているみたい」

実際そうなのだろう。俺自身もバスケを始める前は病弱な子供だった。

「薫君と雪音はお互いに共通点が多いのね、惹かれ合うのも道理かしら」

小学校でバスケのクラブに入った彼女はそこでたちまち才能を開花させた。

「雪音は傑出した存在になって周りの子たちからも尊兄されたり憧れの存在になった。バスケットを頑張る事て身の証を立てる事に成功したの」

「それと親友にも出会えたわけだ」

雪ねえにとってバスケがいかに大切なものか聞くだけで痛い程わかる。

「雪音があんなにキレイな髪色を黒くしたりわざわざ黒目のカラコンにしてるのはわけがあるの」

中学の時登校時門の前に立っていた教師にいつも注意された。瞳の色も。

「地毛だと外国の血が入っていると知っていてわざと毎日あの子は呼び止められた。本当はあいつ難くせつけて雪音の髪に触りたかっただけじゃないかと私は思う」

まあ柴崎の性格ならその教師に向かってそう言えるだろうな。

そんな事が続いて雪ねえは俺が知るような姿になったのだ。

「過去に色々あってバランスが悪いの、あの子はリセット出来ればいいのだけれど・・少なくともあの子の体は危険を伴いながらそれを繰り返している」

確かに柴崎は雪ねえのあやうさを儚げという言葉で俺に伝ようとしてた。

だけど何者でもない脆弱な自分が夢中になれる何かに出会いって変われたりそこから得るものは計り知れない。

今ある人格すらそこで形成されたと言っても過言じゃない。それを強制的に切除するような真似は・・そこまで考えて俺は柴崎の顔を見た。出来ないのだ。

雪ねえの事を子供の頃からよく知る彼女だからそれが出来ないで今日まで来てしまった。そう俺は理解した。

「今は雪音を苛むのはバスケット」

皮肉で残酷な話だと思った。

自分を苦悩や孤独から救いだしてくれたはずのバスケが今は彼女自身を圧迫し始め場合によっては命さえ奪う原因のように言われているのだから。

「だから私は梶本薫君に期待せずにはいられないの!」

めずらしく感情のこもった瞳で俺を見つめる。いつものふざけやはぐらかしはそこには微塵も感じられなかった。

「薫君、雪音にバスケをやめさせて!」

「俺に雪ねえにバスケをやめるように言えと?」

「別に言葉でなんて言う必要はない、けど」

「けど?」

「雪音からバスケを奪って欲しいの!忘れさせて夢中にさせて欲しいの!!バスケなんかよりよほど楽しい事が世の中にあるって事身を持って教えてあげて!!!」

「薫君・・お願い・・恋に溺れさせて!あなたはバスケ王子でしょ!?」

この女、急に普段張らない声でなにを言い出すかと思えば!?

もう俺にはこの時顔を上げて周囲を見る余裕も勇気もなかった。

しかし真剣な面持ちを崩す事なく柴崎薫は俺に言うのだ。

「雪音がバスケットを始めるようになったきっかけは小3の時に転校先の学校で私に出会ったから」

俺がバスケを始めた時期と同じだ。

「あの子がバスケにのめり込むようになったのは学校のクラブだけでは物足りなくて一緒にミニバスのチームに入ってからなの」

俺は父親の勧めで学校のクラブより先にミニバスのチームから始めた。

「市のミニバスの大会であの子はバスケの申し子みたいにプレーする男の子に出会ったの・・それ以来あなたはずっとあの子の王子様だった」

小学校時代バスケに夢中だった俺は他の学校の女子と話した記憶なんてなかった。

「小学校や中学になってからの試合で一緒になる度私は雪音に頼まれて、両親が私を撮るために用意したカメラで試合中の薫君を撮影した、あの子は何度もその映像を見てあなたのプレーを必死でコピーした・・それが雪音のバスケの原点だと思う」

だから親でなく親友でも監督でもない俺が「バスケなんてもうやめろよ」と彼女に伝えたら彼女は諦めるだろうと柴崎は言うのだ。

「いくつかの偶然が重なって私たちは今この場所に存在している」

確かに俺たちが今同じ学校に通い同じクラスだったり、つき合い始めた事も偶然なのだろう。

「それでも私や雪音にとって幸運だと思うのは梶本君の右足がすっかり壊れてバスケが出来ないということなの」

「気を悪くしないで」

と柴崎は俺に言った。

俺と雪ねえが恋人同士でもバスケをバリバリやってる現役の俺よりもバスケが出来ない俺の方が何れバスケが出来なくなる彼女の気持ちに寄り添えると友達思いの柴崎薫は考えていたようだ。

「どうして柴崎はそこまで雪ねえのために親身になれるんだ?」

まあ「親友だから」と言われたらそれまでだけど。

少し度を越している気がしないでもない。

「覚えてる?過去に雪音を傷つけた実の父親の事を私は事後と言ったでしょ?」

「覚えてるよ」

勿論過去の話だから雪ねえの実父に責任がないなんて話ではない。

だけど今そいつは雪ねえの保護者としての資格も権利もなく所在すら不明なままらしい。

「だけど私は事後じゃない」

苦しげな息を漏らすように彼女は言った。

「バスケを始めるきっかけも私、雪音が倒れるようになったのも私と会ってからなの・・あの子の眠っていた病が目を覚ます引鉄を引いてしまったのは本当は私かもしれない」

過去に雪ねえと柴崎にどんな事があったのか俺は知らない。

「バスケなんて」

そんな事を言う彼女が悲しかった。


「雪音は生理も重くてお腹に湿疹が出来たりするんだって」

「やだ!薫そんな事まで薫君に話したの!?」

「俺も子供の時体弱くてよくプール入ると蕁麻疹とか・・皮膚が弱くて謎のおできとか出来てたよ!」

「薫君も?一緒だね」

「ああ一緒だ」

夜になると俺は雪ねえと電話やメールで話しをする。

「雪音にバスケを止めさせて」

俺にそう訴えた柴崎薫の言葉が頭から離れない。

「薫からのメールに屋上や教室で女バスのみんなとお弁当食べてる薫君の写真が送られて来たよ!」

「げ・・あいつ何時撮ったんだよ!?油断ならねえな」

「早く戻らないとこいつも食う!!って書いてあった」

「みんなで雪ねえの事待ってんだ」

「うん・・うちも早く学校行きたい」

「無理せずにな」

「ありがと」

そんななんでもない会話で1日が終わる。

けど明日の事は誰にも本当はわからない。

俺にしても雪ねえにしても本当は目に見えない刃を首にあてられたまま毎日を笑ったりふざけたりして生きているのかもしれない。

1つだけ俺にわかることがあった。


俺の恋のライバルは神尾でもクラスの男子でも彼女の過去や未来に現れる男でもないってことだ。

俺は彼女が恋焦がれたかつて彼女の折れそうな心を支え続けたバスケットから彼女を奪う。そう心に決めたんだ。

心から打ち込める何かに出会い、殉ずる。

それはそう願っても誰もが出来ることじゃない。

それをとめるのはエゴなのかもしれない。

でも俺は彼女と一緒にいたいと今心から願う。

ずっと一緒に。

生きていて欲しい。

それがエゴでも俺の慾望であっても。

机の引き出しを開ける。

1通の便せんが目に入る。

「これは人に伝えて行くもの」

恩師の浜谷先生はそう言って俺にこれを手渡してくれた。

そう大切な誰かに。

それが俺が彼女の手を引いて乗り込む電車の切符だった。

荒れた草原。

ひび割れた石碑。

列車の止まる先がたとえ墓地でも。

俺は彼女の手を離さない。

そう心に誓ったんだ。





《 元バス王子と止まらない欲望の電車 了 》





【 あとがき 】
MC参加者の皆さま及び管理人。ひらにひらに御容赦を・・しかもまだ未完。なんとか作品として読めるまでには・・いかなるペナルティも覚悟しております。


ココット固いの助
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