Mistery Circle

2017-07

《 ピーターと友達 》 - 2012.06.30 Sat

《 ピーターと友達 》

 著者:ココット固いの助






僕はハローって言ってるのに

君はグッバイって言うんだね

ハロー ハロー


僕は行くよ

ザ.ビートルズ:ハロー.グッバイ



【バーミンガム編】


今日2本目の弦が切れた。

かけだしの若いギタリストは指に息を吹きかけた。

無理もない話だ。

目の前に伝説の男マッドマンがいて今から彼と同じ舞台に立とうとしている。

指先が震えて力が入り過ぎ弦を切ったとしても。

まだバックステージ。

リハでの事さ。

若いギタリストは自分に言い聞かせてマッドマンを見る。

まさに彼が昔PVの中で演じていたアリエスタ-クロウリ-そのもの。

黒い皮の帽子に黒のコ-トに身を包む彼には威厳がある。

今やジョンレノンか彼かというくらい代名詞になった丸いレンズのサングラス。

世間で言われるほど醜い男ではない。

むしろハンサムと言える。

元々彼は錆色の髪を肩までのばしている事が多いが今はストレートの黒髪だ。

こちらが地毛だろうか。

でも彼は常に自分の中にある英国紳士然とした佇まいを殺して生きて来た。
一度カメラが向けれたなら彼は瞬きすらしない。

瞳孔は開いたまま歯を剥き出しにした姿こそが我々アメリカ国民が知るマッドマンの姿そのものなのだ。

2年前の冬。

彼は自宅付近で四輪バイクによる転倒で脛椎損傷と脳挫傷6本のあばら骨の骨折という深刻な事故により生死の境をさ迷った。
昏睡は1週間にも及んだ。

その間心停止が2回あった。

折れた骨が突き破った肺には血液が流れ込み腕の血管に流れ込んだ。

医師は壊死による切除も考えていたという。

かろうじて一命はとりとめたが復帰を危ぶむ声が多く囁かれた。   
それが今年半ばになって突然ここ.ニュージャージーを皮切りに彼の名を冠したマッドフェストの開催が告知された。

マッドフェストとは彼のバンドがヘッドライナーを努める野外フェスで毎年50万人以上の集客を誇る。

人気の理由は彼のカリスマ性は勿論だが出演するバンドのチョイスだろう。

プロモーターが金目当てに寄せ集めた.とんちんかんで一貫性のないバンドの寄せ集めではない。

インダストリアル系やグラインドコア系の中にスティービーワンダーやビリージョエルが混ざっていたりはしない。

ミュージシャンが選んだ本当にファンが今見たい有望な若手バンドがラインナップに名を連ねる真のロックフェスだ。

もっともこのフェスの開催にあたっては彼の妻でありマネージャーで所属事務所の社長でもあるジュライザが深く関与している事は周知の事実だ。

彼女こそマッドマンを影で操るラスボス…業界の人間ならずともファンの間でも有名な話だ。

あのマッドマンに20年近く寄り添い。

ついには使役した女。

2年半に1枚のアルバムリリース(通常はビッグネームは2年に1枚のペースだが彼の場合はやや特殊なサイクルで活動している)

1年間に及ぶツアー。

そしてマッドフェストの開催。

「とうに50を過ぎホール オブ フェイムに手形を残し殿堂入りも果たし金も腐るほど稼いだ夫をまだ仕事に駆り立てる守銭奴」

ジュライザにはそんな批判もある。実際のところは分からない。

いずれにしても田舎町のクラブで明日を夢見て演奏している人間にはマッドマンもジュライザも天上人に変わりはない。

ジュライザが開演前のライブハウスの楽屋に支配人と共に入って来たのは開演の3時間前。

楽器のチューニングやマーシャルアンプの具合をチェックしていたバンドのメンバーに向かって.こう言い放った。

「悪いが今日の演奏は全て中止だ」

その日の出演予定は3バンド。

皆驚いて支配人と横にいる高価なスーツに身を包んだ女性を見た。

錆色の髪の女は高価なスーツの下にブラウスではなくマッドマンのオフィシャルツアーTシャツを着ていた。

柔和な笑顔で微笑むその女性は笑ってしまうくらいマッドマンに似ている。

「今日のギャラは3倍ジュライザさんが支払ってくれるそうだ」

名前を告げらなくても彼女がマッドマンの妻ジュライザ・クロスだと皆が知っていた。

「【マッドマンズ】欠かさず見てました」

誰かが間の抜けた声で言った。

「そう.ありがとう。来年4月から第5シーズンが放送予定なの」

周囲から「おお」というため息が漏れた。

マッドマンズとは数年前MTVの1コーナーとしてスタートし一躍全米で人気番組となった。

自宅のあらゆる場所に監視カメラを設置しマッドマン家の生活を録画したものをテレビ放映するという趣旨の番組だ。

日本にもこれと似た内容の番組があるが何と言ってもロックの歴史に残る狂人と呼ばれた男の日常である。

全米のお茶の間に届けられる映像は。

酒を飲み過ぎて妻に説教されるマッドマン。


ヘロヘロにラリって子供たちに「真面目にやれ」と説教するマッドマン。

薬とアルコールが欲しくて堪らないので外出しようとする夫の服を全部隠してしまう妻。

仕方なく妻のワンピースに金髪の鬘で脱走するマッドマン。

女装で泥酔した揚げ句理髪店に入り

「どのような髪型に?」

と店主に聞かれた彼は。

「任せる」

そう言って昏睡した。

彼は妻のワンピースに七三頭で帰宅した。

そんな日常が綴られている。

1990年代中半米国のロック界に起きた1番の事件と言えばグランジ・オルタナティブの台頭に他ならない。

グランジとは醜いものや汚いものを意味する言葉である。

終始パジャマ姿で過ごすカートコバーン率いるNervanaの【Smel like a teen sperit】がビルボードのチャートを駆け上がると音楽事情は一変した。

それまでメインストリームだった華やかなアリーナロックは一掃された。

汚い洋服を着て眉間に皺を寄せ絶望的な歌詞を唸り捲る。

彼らは大人からは嫌われたが若者には熱狂的に支持された。

ダウン・チューニングされたギター。彼らは皆一様にソロを弾かなかった。

この頃からギターはバンドの花形ではなくなった。

彼らは口を揃えて言うのだ。

「必死こいて弾きまくるギターなんてダサい。ソロなんてやめてくれ気持ち悪い。俺らの流儀に反する」

皆はそれをクールだと思った。

しかし実際は青田買いされた若いバンドばかりで。

「やつら弾きたくてもビッグなソロなんて弾けないのさ」

当時マッドマンはマスコミのインタビューに答えている。

マッドマンのバンドには昔からブロンドで若く才能溢れるギタリストが在籍して来た。

アルバムを出す毎に「次はどんなギタリストが彼のバンドに入るのか」

それはロックファンの大きな関心事でありニュースにもなった。

彼は新人のギタリストに好きなように曲を書かせて好き放題ライブでギターを弾かせる事で有名だった。

全米はおろか世界中の若く無名のギタリストは彼のバンドに加入出来る事を夢みていた。

ギターサウンドのクォリティに拘りを持つマッドマンの作品もグランジの逆風を受けるのは明白だった。

しかしマッドマンのアルバムは時流の流れの中でも変わらず売れ続けツアーも好調だった。

彼の音楽は時代におもねる事はなかったがジュライザには確信があった。

答えは彼が昔在籍していたN.I.Bというバンドにあった。





「どうゆう事だ。甥っ子が出るステージだからって言うから遥々来たのに」

支配人は観客に

「すみません。料金はお返しします」の一点張りだった。

「どこの何てバンドが出るのか教えてくれよ」

「それはちょっと…」

ライブハウスのステージには普段めったに下ろされる事はない緞帳で遮られていた。

教会の鐘が鳴り響く。

ふいに客電が落ちる。

緞帳の中から流れてくるのは誰もが1度は耳にした記憶があるギターのパワーコード。

鎖を引き摺るようなギターのリフとネックを抑えたベースにジャズを連想させる手数の多いドラムの音が重なる。

【Nativity In Black】

僅か1日。それも自主製作で製作されたアルバムが世界のロックシーンを震撼させた。

彼らのデビュー作の1曲目に収録されたナンバーだ。

誰が演奏しているというのだろう?

まさか彼らが…こんな場末のライブハウスに現れるはずがない。

観客の視線はステージに注がれた。

超重量級のギターリフが止み残響の中で幕が上がる。

簡素な机と椅子があるだけのステージ。

電気スタンドの明かりの下1輪刺しの薔薇の花。

ジャックダニエルのボトルは既に半分空いていたし空になって捻り潰したバドワイザーの残骸が数本。

「薔薇が1輪あるのが救いだ」

マッドマンは呟いた。

観客のどよめきでその声は書き消された。

彼の目の前にあるマイクスタンドが今度は.はっきりと彼の声を拾った。

「Hello,Stupid(よお。馬鹿野郎ども)」

いつもと変わらぬ彼の観客への挨拶だった。

彼の声は常に人を魅了する。

話し声と歌声に差異は無い。

20年以上この世界で歌い続けて来たが目立った歌唱の向上も衰えもない。

最初から今日までずっと同じ。

ミッドレンジ。

宙を舞う風船のようだとか風に揺らめく焔のようとも評されるが。

その彼が観客に語りかける。

「お前らのかわゆい豚。マッドマンだ」

大歓声に包まれる客席。

皆信じられないと言った面持ちで立ち上がる。

「椅子なんて俺のライブに必要ない。蹴り出せ!…と言いたいとこだが.まあ座ってくれ」

穏やかな声に促されて客たちは席に座る。

「まことに勝手ながら今夜この箱は俺が使わせてもらう。俺が嫌いなやつは耳を塞いで入り口まで行って金を受け取り出て行ってくれ。残るやつは携帯の電源を切れ。マッドマンと一緒に居るなんてツイートしたら…今夜が台無しになっちまう」

彼は既に歌っていた。

バンドも彼の語りに合わせ音を鳴らす。

「サラボーンみたいだろ?」

客席に向かってウィンクする。

サラボーンのスイングするジャズが会場に流れる。

「俺の趣味は【A列車で行こう】じゃなく【Train kept a rorin】だがな。知ってるか?ヤードバーズの曲だ。俺も昔Neurosis trainって曲を書いたんだ」

neurosis trainのリフが鳴り響く。客席は大歓声に包まれる。

「昔.夢の天使が俺のバンドにはいた」

「Neurosis trainを歌ってくれマッドマン!」

「Worm Saladをマッド!」

「あいつは本当に天使みたいなやつだった」

マッドマンに観客の声は聞こえていないようだ。

「俺は今夜引退する」

引退宣言も撤回も5回目ともなると反応は薄い。

それより曲を…という観客の声が次第に会場を包み込む。

「怪我の治療中」

マッドマンはコートのポケットから本を1冊取り出した。

「家族が俺に絵本をプレゼントしてくれた」

「マッドマンそれより曲を!」

「アリエスタークロウリーを聞かせてくれ!」

「俺には昔の記憶があんまりない。大概酔っ払ってるかラリってるからな。酔っ払うと家族に昔の話をするらしいが.それも記憶に無い。病院で寝たきりのまま誕生日を迎えた俺に家族がくれた手作りの絵本だ」

「絵本なんてどうでもいいぜ」

興奮した客達がステージに詰めかけた。通常のライブならいるはずの彼を守るためのセキュリティのバリケードも今夜は無い。

「今から絵本を読む」

押し寄せる観客の波は止まらない。

「節をつけて歌えるところは歌ってみるさ。即興でな」

満足気に微笑みながらマッドマンはポケットからスミス&ウエッソンを取り出し銃口を自らのこめかみに当てた。

「さっさと席に着きやがれ…Ass Hole」

安全装置は外されていた。
観客たちは今やすっかり忘れていた。

今や全米のお茶の間の人気者となったマッドマン。

しかし彼はコメディアンでもタレントでもない。

彼は昔から行く先々で伝説を作って来た。

その場に居合わせた者は必ずと言っていいが彼の被害者だ。

「マッドマン完全復活」

「今日で引退する」

「そしてお前らに絵本を読んでやろう」

混沌と混乱。これがマッドマンの本来の姿であった。

「昔々.俺はあんまり覚えてない…娘や息子たちが俺に話してくれた…昔の話だ」

語るように。

歌うように。マッドマンは物語始めた。

パタン。彼は絵本を閉じた。

「絵本なんぞ誰が読むかってんだ。くそったれが」

本は閉じたが銃口は彼のこめかみに押し付けられたままだった。



昔。といっても.それほど大昔というほど昔ではないくらい昔。

マッドマンはイギリスのバーミンガムのアストンという町に生まれました。

マッドマンというのは本当の名前ではなく彼のバンドネームであだ名みたいなものです。

パパの本当の名前はピーター・クロス。

家でママのジュライザはパパの事をピーターと呼びます。

ピーター・クロス。

平凡なようでいて中々いない名前だそうです。

PeterもCrossも欧米では.わりとよくある名前。

でもPeterCrossと続けて読むと意味は【逆さ十字】です。

ラテン語の読みはぺテロクロスですが.いずれにしても不吉です。


キリスト教圏に住む私たちの中でこんな名前を子供につける親は.じつに無知であるか反キリストの悪魔崇拝者に違いありません。

ピーターの父であるジョージ・クロスは間違いなく前者でありました。

ピーター少年もお父さんも逆さ十字の意味なんて.これっぽっちも知りませんでした。

クロス一家は昔から教会とは縁遠い家でした。

ぱたん。

その通りだ。

俺の家族は誰も教会に足が向かなかったし誰も俺の名前に疑問を抱いたりしなかった。

俺の父親ジョージ・クロスは地元の工場に勤める職工だった。

もう彼に会う事は出来ないが彼が恋しいよ。

ビールを何杯か引っかけると親父は決まって俺を膝にのせてこう言ったんだ。

「お前は将来世間をあっと言わせる男になる。そうでなけりゃ刑務所に入るか.どっちかだ。俺にはわかるんだよ.ピーター・クロス」

彼の言葉は正しかった。

俺は17で刑務所に入った。

起訴状によると窃盗。

【不法侵入し25ポンド相当の金品を盗んだ】とある。

アストンの裏町にある店に一晩のうちに2回押し込みに入った。

1回目は懐中電灯を忘れて手探り。

盗んだのは子供のおむつが4枚。

パブで売りさばくつもりだったが.これでは話にならない。

2回目は25インチのテレビ。

これは死ぬほど重たくて…担いで金網を越えようとしたらテレビが頭の上から降って来た。

巨大なテレビに押し潰されて「俺はなんてマヌケなんだろう」と思った。

俺ぐらいの年の輩はみんなワルに憧れる。

アストンでは皆そうなんだ。

駐車場に停めてある車の中を荒らしたりガソリンを盗んだりパーキング・メーターを壊し小銭をせしめたり。

俺は15になると学校を追い出された。

札付きのワルだったわけじゃなくてさ。

筋金入りのバカだったんだ。

学校を出たから家に金を入れなきゃと思って塗装の仕事に就いた。

塗料やシンナーをあれこれ混ぜたりする仕事をしてると.たちまちラリってトリップしてしまい1日でクビになった。

15でパブをうろついて酒の味を覚えると16の誕生日にはアル中になっていた。

マッカーソン・スタウトのビール1パイントなら5秒で飲み干せた。

依存症の気質は親父の遺伝じゃない。

親父は立派な男だった。

ナイトシフトの工場勤務を65で早期退職になるまで勤めた。俺が知る限り1日も休まなかった。

時々腕や足に包帯を巻いている事もあったが病院には行かなかった。

退職した後の庭いじりに1年を費やしたが庭を仕上げると.この世を去った。

俺が盗みに入った翌朝警察が店に大量に残された指紋を頼りに俺の家に来た。

翌週俺は裁判所で判事に40ポンドの損害賠償を言い渡された。

40ポンドなんて…当時の俺には途方もない金額だった。

親父に相談するか銀行でも襲うしか工面するあてはない。

俺は親父に相談した。

「俺がまっとうに働いた金をなんで.こそ泥で捕まったお前に用立てなきゃならんのだ」

「でも父さん」

「刑務所に入って学び直せ。ピーター・クロス」

話はそれで終わり。

親父はいつも俺に言った。

「高い教育は受けられなくても良いマナーは身につけられるはずだ」

親父はその通り生きてきた。

近隣の人には親切で年寄りがいれば席を譲った。

俺はそうしなかった。どころか酒代欲しさに.あちこちで盗みを働いた挙げ句刑務所送りになった。

ウィンソン・グリーン刑務所。

1849年に建てられたヴィクトリア時代の古い刑務所だ。

当時から囚人は元より看守の評判も最悪だった。

イギリス中の刑務所で勤務した経験のあるそこの看守が

「ここくらい暴力的で恐ろしい無法地帯は無い」と俺に教えてくれた。

「Dブロックの連中はきっとお前を気に入るだろうよ」

「シャワーを楽しみにしてな。可愛い子ちゃん」

俺のポケットを空にして財布やタバコをビニール袋に詰めながら看守が俺の耳元で囁いた。

「お前みたいに女みたいな長い髪をしてるのは特にだ」

ロッカーが昔刑務所に入った時の武勇伝をしたいんじゃない。

俺は死ぬほど.びびっていたんだ。

入る前も.これから入る時もだ。

親父に後生だから金を用立ててくれと頼んだ。

「刑務所に入ればお前も.ものの道理が分かるかも知れないな」

その一点張りだった。

「髪を切る鋏を貸して欲しい」と看守に懇願した。

シャワーを浴びる時も尻は壁にぴったりくっつけたまんまだった。

俺は喧嘩は強くない。人を殴るのだって好きじゃないんだ。

動物を殺す事だって。

有名になる前も有名になった後も世間から色々言われたり叩かれもした。

実際そんな行為をしてきたのだから自業自得だが。

後で必ず後悔するんだ。

誰かと路上やパブで少しおかしな雰囲気になる事があってボクシングに発展する事はよくある話だが。

俺の場合きれるタイミングが他のやつと違うんだと思う。

だから相手は対処出来ずに口の中で折れた自分の前歯を飲み込むはめになる。

でもそんなのは二十歳になる前に卒業した。

俺がバンドを始めた時パブで因縁をつけて来たヒッピー野郎がいて。

当時【花のサンフランシスコ】が流行ってた。

確か1969年だ。

頭に花を飾ろう…俺はああいうハッピーな連中がとにかく嫌いでね。

「ああいう音楽にカウンターを食らわせる音楽を俺は書くべきだ」

ジョン・メイオールのアルバムジャケットに描かれてたブルースマン。

左手にギターケース。右手に犬を繋いだリードを握りしめたブルースマン。

俺もロック・スターが身につけてるみたいなクールなクロームやシルバーのアクセサリーを身につけて街を歩きたかった。

でも金がなかった。

だからゴミ捨て場で水道の蛇口を拾った。

同じくゴミ捨て場で拾った子供用の長靴を調達した。

蛇口はアクセサリーの代わりに首からぶら下げた。

長靴はリードを着けて犬の代わりにした。

ギターケースを抱えていたが中身は空だった。

大概俺は裸足だったんで近所の人からは「いよいよ頭がおかしくなった」と陰口を叩かれたよ。

だからまぬけな顔をぶら下げたどこかのヒッピー野郎が俺に絡んで来た時俺はやつの首根っこを掴んでバーのカウンターの中に放り投げたんだ。

勢い余って俺もカウンターの中に落ちた。

洗いかけのシンクのグラスに腕を突っ込んでガラスケースの棚に突っ込んだ。

あちこち切れて血が止まらないまま警察に連れて行かれた。

罰金は安くて済んだし刑務所にも入らなかった。

あれ以来表でのボクシングは止めようと思った。


ジュライザはかつて俺に言った言葉がある。

「あなたは生まれついての道化師よ」

彼女は俺を侮辱したくて言ったんじゃない。

それが俺の本質だと子供の頃から分かっていた。

学校でも刑務所の中でも一番強くてヤバそうなやつを見つけては自分から近づいて行った。

彼らに面白いやつだと思われたら.酷い目に合わなくて済むからな。

ポール・ニューマンの映画【クールバンド・ルーク】みたいなナイスガイな囚人は刑務所にはいなかった。

ウィンソン・グリーン刑務所は想像通りの場所だった。

想像したよりまし…なんて事はなかったよ。

何処かしらの扉は常に誰かが.ガチャガチャ耳障りな音をたてていた。

どの場所も小便臭い匂いが充満していた。

フロアは囚人の種類によって別けられていた。

どのフロアにも中央のエリアを見下ろすようにバルコニーが設けられていた。

俺が収監されたのはYPウイングエリア。

YPは青少年犯罪者の略だ。

俺たちの上のフロアには大人の収監者たちがいた。

殺人犯やレイプ犯や強盗、新聞やニュースで耳にするような.ありとあらゆる凶悪犯が法の裁きを待っていた。

彼らは酒もタバコも刑務所に持ち込んでいた。

中でもタバコには凄い高値がつけられていた。

刑務所の中では長く時間を潰せるものが一番価値があるんだ。

濡れた吸殻でさえ高値で取り引きされていた。

暇潰しにボールペンで腕に自分の名前のタトゥーを入れた。

囚人の1人に教えてもらったんだ。

マッチを4つに割いて使う事も刑務所で覚えた。

マッチも希少品だったから。

ここに来て一番印象深かったのはイアンが入って来た事だ。

イアンは当時かなり世間を騒がせた子供専門の性犯罪者だった。

性的暴行被害にあった18人の子供の中には.やつの子供も含まれていた。

イアンは大人のエリアの独房ではなく俺たちYPのエリアの独房に放り込まれた。

独房の扉にはルール24と書かれた札がかけられていた。

24時間独房の前に看守がつくという意味だ。

そうでないと囚人たちは.ありとあらゆる手段でイアンを殺すからだ。

明らかに看守たちもイアンを嫌っていたが自分たちの勤務中に囚人が殺されるのはマズイと思ったのだろう。

頭にでっかい蜘蛛の刺青をした囚人が彼を殴っているのを見た。

近くに看守がいたが見て見ぬふりをしていた。

何発か拳で顔を殴られ彼の鼻は折れたに違いない。

俺は食堂で配膳の係をしていたが看守は列にならんだイアンを見て俺に

「やつには少ししか入れるな」と耳もとで囁いた。

2週間近くもろくに食事にありつけなかったイアンはある日スープを少しだけよそられると

「すまないが.もう少しだけ」

と言った。俺の隣でイアンにスープをよそっていた囚人は無言で巨大な杓子で彼の顔を殴りつけた。

まだイアンの鼻は折れたままだったと思う。

看守は泣き叫んで床を転げ回る彼のそばに立ち

「さっさと列に並べ」

そう言っただけだった。

被害者の子供の事を思う気持ちとか正義感とか…俺は囚人たちにあるとは思えない。

もっと種の存続を妨げる者に対する動物的な嫌悪と制裁…そんな気がした。

もっとも動物は自分の子供をレイプしたりしないだろうが。

イアンはその後食事も入浴も拒否して独房に閉じ籠るようになった。

俺は看守に言われてやつの独房に行き体を洗ってやらなければならなかった。

独房にはトイレがなく用をたすためのバケツが置いてあるのだが.それもひっくり返っていて酷い匂いがした。

俺はその仕事が評価されて3ヶ月の刑期が2月で出所を許された。

親父の言った通りだ。俺は2度と刑務所には入りたくないと心に誓った。

イアンがその後刑務所でどうなったか俺は知らない。

刑務所から出られて嬉しいはずが惨さと悲しさで俺の気持ちはいっぱいだった。


アストンでの暮らしに楽しい事なんて何もなかった。

バーミンガムの男たちは皆短命だ。

工場の中で1日の大半を塗料や薬品や鋳造所の砂を肺に吸い込み続けて過ごす。

そして50を過ぎた頃仕事場の床にばったりと倒れて死ぬんだ。

町にはパブと工場しかない。空は工場の煙突から吐き出されるスモッグでいつも曇っていたよ。

ロッジロードの15番外にある家。

今はもう俺の家族は誰も住んでいないが。

俺はそこで生まれた。

俺は両親の4人目の子供で初めての男の子だった。

やがて下に弟が2人生まれた。

当時は家の屋内にはトイレもなくて子供部屋に1番上の姉以外5入の子供たちが全部放り込まれた。

ロッジロード15番外は大変な騒ぎだった。

子供部屋には刑務所の独房みたいに小便用のバケツが1つ置かれていた。

親父の夜勤があけると今度は母が自動車工場に仕事に行く。

なのにクロス一家の暮らし向きは楽じゃなかった。

屋外トイレのペーパーだって四角に切った新聞紙だったんだ。

家にはもう1人母方の祖母ギボン婆さんがいて子供たちの世話をやいてた。

うちの一族の人間は昔から近所で頭がおかしい人や変わり者ばかりの一族と言われて来た。

俺の家族に俺以外そんな人はいなかったが…ギボン婆さんはその1人だった。

婆さんの姉や弟は理由も分からないまま運河に落ちて死んだり精神病院に入ってりして亡くなった。

婆さんは突然理由もなく俺を叩いたりした。

夜俺を寝かしつける時は優しく頭を撫でてくれた。

けれど暗闇の中で見る婆さんの服のそでから覗く腕は刺青だらけだった。

蛇や蝙蝠や剣や盾。A.Uというのは亡くなった彼女の旦那のイニシャルと分かったが他にもイニシャルはあった。

一体どんな人生を祖母が送って来たのか想像もつかないが。

婆さんの二の腕の内側には一際大きな黒い薔薇の刺青があった。

俺の頭を撫でる度それは暗闇の中で影絵のように揺れた。

「この花は何?」

「ゴースト・ローズさ」

「ゴースト・ローズ?」

「昔結ばれなかった恋人たちがいて娘は薔薇に姿を変えたのさ。

私は失われたた貴方の魂。

枯れ果てた砂漠の薔薇に姿を変え貴方を待ちます。

他の人にけして摘まれぬように。

雨の夜にだけ咲く砂漠の薔薇になります。

どうか私を見つけて…私は失われた貴方の魂のかけら…」

いつもそんな話を聞きながら眠った。

砂漠に薔薇なんか咲かない。

雨になると咲く砂漠の薔薇はジェリコの薔薇っていう薔薇とは似ても似つかないシダ化の植物で。

イエス・キリストが奇跡と称して皆を薬づけにしてペテンにかけるのに使ったんだ。

後は花崗石が固まって花の形になった…石だ。エジプトなんかの土産物さ。

物知りのギークが俺に教えてくれた。

砂漠に薔薇なんか咲きはしないんだ。

子供の時婆さんの刺青は恐ろしかった。

でも今大人になった自分の両腕を見ると…ギボン婆さんがしていたのと同じような刺青だらけだ。

婆さんは96まで生きた。

俺は母より父より婆さんに似ているのかも知れないと.ふと思ったりする。

世界中何処でもそうかも知れないが。

目の前に姉が3人揃うと大変なんだ。

四六時中ぎゃあぎゃあ騒いで喧嘩ばかりしている。

俺は.ああいう事に巻き込まれるのは嫌なんで大概表で過ごした。

近所の子供たちと農園に忍び込んで林檎を盗んで食べたりした。

バーミンガムは俺が生まれる前ドイツ軍の大規模な空爆に晒された。

70年代くらいまで空爆の痕はいたる所で見られた。

イングランド中部のこの地方では昔から工業地帯でアストンにはスピッド・ファイヤの製造工場があったりしたんだ。

破壊されたビクトリア時代の3階建てとか4階建ての廃墟が俺たちの隠れ家だった。

ウッド・バインとかパーク・ドライブとかの銘柄の安い紙巻きタバコを買った。

破壊されつくした客間のソファーに座って友達とそれを吸っていた。

外の世界では昼間工場でこき使われた大人たちが労働者階級の誇りを持って。

自分の家の壁や道路を偽物のビクトリア調の外壁や石畳で飾りつけようとしていた。

まだあちこちいびつで不完全だった。


学校がとにかく嫌いだった。

教会も。

母親はカソリックだったが教会にまったく関心がなかった。

イギリス国教会の日曜学校にはしばらく通った。

紅茶とクッキーが貰えるからだ。

食えるという事が何より大切な事だった。

イエス・キリストの若い頃の話とか歴史とか.すごく退屈だった。何1つためにならないし身についていない。

学校は義務教育までの10年間通い続けた。

給食が出たから。理由はそれだけ。

母親の作る料理はスープに金束子が入っていたり…たまに作ってくれる卵サンドには殻やタバコの灰が混じっていた。

デザートまでついて来る給食は俺にとって.この世で最高の食事だった。

しかし学校に上がったとたん俺には友達がいなくなった。

学校には必ず授業の時間というものがあり…結果として俺は【学校始まって以来のばか】というレッテルを貼られた。

実際その通りだった。

俺は教科書に書いてある事を理解する以前に文字すらろくに読めなかった。

授業中に恥をかいて涙や鼻水を垂らした。

「勉強しよう」

そう思っても何1つ頭に入らない。卒業するまで何1つ学べなかった。

30になった時俺を診察した医師は。

「貴方は難読症ですよ。ピーター・クロスさん。おそらくADHD(注意力欠損運動過剰障害)の可能性もあります」

要するに学習障害なのだが。それでも医師は

「だからといって貴方が他の人より劣るという意味ではないのです。学習障害の人の脳というのは.とても創造性に富んでいます。そうでない人の脳と仕組みが始めから違うので普通の人が到底及びもつかない能力や成果をもたらす事が多いのです」

アインシュタインとかエジソンとか…現代でも難読症でも大学で教鞭をとる人はいると教えられた。

しかし子供時代そんな事は誰も知らなくて.ただ俺は4時の終礼の時間を待ちわびていた。

学校に通っていた時最も印象深く記憶に残っているのはトニー・ワイズマンの事だ。

トニーワイズマンは俺より学年が1つ上でハンサムな少年だった。

言葉を交わした事は多分そんなになかった。

彼は背が高かったし無口で俺は彼が怖かったんだ。

クリスマスの日に彼は学校にギターケースを持って来た。

中から.ぴかぴかの赤いギターは取り出すと皆の前で弾き始めた。

クリフ・リチャードでもロカビリーでもクリスマスソングでも彼は大人顔負けに弾いてみせた。

俺は.ぽかんと口を開けて皆と一緒にそれを見ていた。

先生たちも顔を見合せて
「信じられない」
といった顔で見ていた。

彼は皆のリクエストを聞いて.どんな曲でも弾きこなした。

俺と1つしか違わない彼がギターを持っている事も驚きだった。

彼はその頃からプロのミュージシャンを目指していたんだ。

当時の俺にとって最も才能豊かで輝かしい未来ある少年。

それがトニー・ワイズマンだったんだ。

彼は女の子にすごく人気があった。

俺は全然もてなかった。

アストンの小学校バーチフィールド校には制服があった。

それを着ると皆それなりに見えた。

けれど俺は好きではなかったので私服だった。

夏でも冬のセーターに長靴…それしか持ってなかった。

下着も一着だけ。

とても臭かったと思う。

中等部にあたるセカンダリーモダンに進級した時彼女が出来たんだ。

別の女子校に通う女の子で俺はもう夢中だった。

学校が終わって彼女に会いに行く時少しでも身綺麗にしたくて。

学校のトイレにある手洗い用の石鹸で頭をめちゃくちゃ洗ったんだ。

校門の前で彼女を待つ間に雨が降って来て…俺の頭は石鹸の泡だらけになった。

そんな俺を見て彼女は

「さっさと消えて」

と言ったんだ。その後も他の女の子と色々あったけど。

デートの約束した女の子が翌日別の男と楽しそうに歩いてるのを見るのは切ないものだった。

俺がトミーワイズマンなら…そんな事にはならないんだろうな…なんて考えたりしたよ。

学校では勉強がどれだけ出来なくても授業は進んだし仕事の世話もしてくれない。

広告を見て仕事を探すしかなかった。

最初の仕事で防毒マスクをつけ忘れて.らりったあげく死にかけた俺は刑務所に入った。

当時の俺の選択肢は.何処かの工場の製造ラインに入り込んで死ぬまで働く。

その1つしか無かった。



刑務所に入る前と後で仕事を半ダースもクビになった。

俺はディグベスの食肉処理施設に職を求めた。

ディグベスはバーミンガム地方でも最も古い歴史のある地域だ。

俺の最初の仕事は胃袋の中身を取り出す事だった。

仕事の初日から俺の目の前には羊の胃袋が山のように積まれていた。

俺は1つずつその胃袋を切り裂いては中身を全部取り出すんだ。

初日はずっと吐き通しだった。

4週間の間.1時間に1度は吐いていた。

自分の胃もぼろぼろになった。

誰かに不良品の胃を渡され.からかわれたりした。

病気とか年老いて食肉にならない胃袋とか。

奇妙なかたちの胃袋が手の中で破裂した事もあった。

あれは火薬か何か仕込んであったのか。

中身も血も全部顔にかかって…それを見て皆笑うんだ。

その仕事にも酷い匂いにも慣れた。

俺は職場で生まれて初めて昇進した。

「牛の息の根を止める係を明日からやれ」

上司に言われた時は素直に嬉しかった。

初めて職場で認められ給料も少しだけ上がった。

作業は5.6人のチームで行われた。

牛に縄をかけて処理専門の部屋に連れて行く。

牛はスロープを上がって台の上に連れて行かれる。

俺は高圧でボルトを打ち込むタイプの銃を持って牛の反対側に立つ。

銃の中には空洞のカートリッジが入っていて.これが大きなボルトを牛の脳まで打ち込む圧力を生み出すんだ。

頭にボルトが打ち込まれる瞬間以外は動物が痛みを感じない設計になっているらしい。

この銃の問題点は1撃で牛の命を奪えない事と至近距離で使わないといけない事だった。

牛を怒らせたり怯えさせたら手がつけられない。

ボルト1発で済む訳がない。誰がやっても牛は大暴れした。

それでも何とか牛が倒れると今度は足を縛って移動用のレールに引っ掛ける。

逆さまに吊るされた牛は処理用のラインに流れて行く。

誰かが途中で牛の喉を切り裂いて下に空いた穴の中に血を流す。

それで牛はようやく失血死を遂げる。

ある時足を縛ってレールにかけても意識がある牛がいた。

牛は突然目を開けると俺の目の前で暴れだした。

俺は牛に蹴り飛ばされ頭から血溜まりの穴の中に落とされた。

服も靴も髪も血にまみれた。

口の中も血で一杯になった。

穴の中には牛のありとあらゆるものがあった。

俺はバス通勤で…数週間は悪臭が取れず誰も俺の隣に座らなかった。

18ヶ月。俺はディグベスで働いた。

1通りの仕事は問題なくこなせるようになった。

羊だけでなく牛の胃袋も処理した。

牛の蹄を抜いたり…牛の蹄をどうやって食べるのか未だに見当もつかないが。

豚の処理は牛より簡単だ。

片側にスポンジがついた鋏状の電極を水に浸けて豚の頭にのせボタンを押すだけ。

それで豚は気を失うのだが牛同様気を失わない事も度々あった。

ここで働いてる人たちは誰も気にも止めなかった。

彼らは時々豚をおもちゃにして遊んだ。

まだ気を失っていない豚を煮えたぎる湯の中に放りこんだり。

処理した豚の毛を焼くためのバーナーに生きたままの豚を放り込んだり。

随分酷い事をしていた。

それでもディグベスの仕事は嫌いじゃなかった。

仕事をしている人たちは皆楽しげで互いに冗談を言い合う仲だった。

常に楽しい事を探している人たちだった。

仕事が終われば何時でも早く家に帰れた。

給料は毎週木曜日に手渡しで支払われた。

俺は家に帰らず.真っ直ぐパブに向かった。

パブには閉店時間までいてその後はソウルを流しているクラブに行ってデキセドリンという覚醒剤を買って朝まで踊ってから.また仕事に戻った。

気取ったいけすかない女がいると.女がトイレに立った隙にカクテルのオリーブとポケットに入れた牛の目玉をすり替えたりしたんだ。

あれは楽しかった。

週末にだけ家に帰ると親父も母親も俺の仕事が続いてる事にほっとした様子で喜んで迎えてくれた。

その日も俺は牛の処理場にいた。

この牛1頭処理して後は網脂を干す仕事を終えたら今日の仕事は10時で終わるはずだった。

いつもと違う事があるとすれば処理場に誰かが持ち込んだラジオがある事だった。

ラジオはBBCの音楽番組を流していた。

ビートルズのハロー・グッバイが流れていた。

牛は大暴れしていた。

俺は銃を構えて牛の目の前に立つ。

牛は唸り.涎を垂らしひどく腹を立て悲しみと怒りと混乱した瞳で俺を睨み付けた。

ハロー ハロー

「何してんだ!?ピーター!!早くこいつの頭にそいつをぶち込め!!」

ハロー ハロー

「そっち!縄しっかりつかんどけ!玉を蹴られるぞ」

ハロー ハロー

僕はハローって…

君はさよなら…

狙いをそれたボルトが牛の片目を潰す。次々牛の顔を奇妙に変えて行く。

「なにしてる!このばか!!」

もっとボリュームを上げてくれないか。

顔に体に帰り血を浴びて仲間の罵声が響くなかで俺は思った。

もっとボリュームを上げてくれ。

俺はこれを聞きたいんだ。

これしか聞きたくない。

ビートルズが好きだ。

ポールの歌と曲が大好きなんだ。

当時英国では若い男たちはビートルズを聞かずストーンズを支持していた。

ビートルズは女の子に凄い人気があって女の子のためのバンドだと思われていたんだ。

ビートルズは初期に女の子受けする曲をやってた。

でもアルバムを出す毎にアーティスティックでヘビィなバンドに変わって行った。

1度でいいからライブを見て見たかった。

彼らは叩き上げのライブバンドで演奏も上手かったらしい。

でも女の子の歓声がものすごくて…演奏も歌声も聞こえないくらいに人気が出ると彼らはライブを止めてしまった。

スタジオに籠りアルバム作りに専念するようになったんだ。

生まれて初めてビートルズを聞いた訳じゃない。

知っていたし大好きだった。

ビートルズを聞くたび思った。

「俺だって彼らみたいになれるかもしれない」

ビートルズはリバプールの出身。

リバプールは港町。

俺が生まれ育ったのはバーミンガム。

工業地帯.どちらも労働者階級の出身だ。

ジョンもポールも悪童で学校を追い出されてる。

俺だって。

刑務所に入ったり牛を殺したりパブで飲んだくれてる間に疎遠になっていた。

頭に花を飾り路上で昼間からマリファナを吸い。

好きな場所にテントを張ってマリファナを吸い好きな時にセックスして川で水浴びして。

「食べ物はみんなで分け会おう」

なんて.ぬかしてるヒッピーの音楽が蔓延している。

俺は.あいつらの頭に1発くらわす音楽をやるんじゃなかったのか。

本当はここの仕事も働いてる連中も俺は全然好きじゃない。

働いてる俺自身もだ。

処理場の1番偉い責任者に話しをすると。

「この仕事をしていると結婚にも難儀するらしいね。でも誰かがやらなくてはいけない仕事なんだよ。みんな誇りを持って働いていると思うが」

そう俺に諭した。

確かに彼の言う通りだと俺は思う。

だけど.ここで働いている人にそんな人はいない。

少なくとも俺は違う。

豚を面白がって虐め殺す誰かの後ろで.それを俺も面白いと思って見てたんだ。

「貴方みたいな人がこの仕事をするべきだし.そういう人を採用すべきですよ」と俺が言うと彼は。

「募集しても来ないんだから仕方ないだろ」と言った。

「来ても3日もったためしがないのが現実だ」

「残りの仕事をこなして.もう1度考えて欲しい」

そう言われ俺は仕事に戻った。

動物の胃袋の周囲には網脂と呼ばれる脂肪がついている。

それを切り取って引き延ばし棒にかけて1晩置く。

次の朝に集めて袋詰めする。

網脂は女性用の化粧品に使われるらしい。

俺が網脂をかける棒で作業していると横でエプロンの紐を切って来るやつがいる。

これをやられると私服が血塗れになってしまう。

何度も何度もしつこくやってくるやつがいた。

俺はその度放って置いた。

その日もやつは後ろから忍び寄って来てエプロンの紐を切った。

何も考えていなかった。

ただ振り向き様に手にしていた棒でやつの頭を殴りつけた。

ごん。

鈍い音がして.やつは足元に倒れた。

俺は何度も何度も棒をやつの頭に降り下ろした。

誰かが止めなきゃ殺してたかも知れない。

「出て行け.2度と戻って来るな」

駆けつけた上司は俺にそう告げた。

週休2ポンドの食肉処理場の仕事の日々の終わりだった。

持ってる金で買えるだけのビートルズのアルバムを買い込んで俺は家に帰った。

家に戻った俺は毎日ビートルズのレコードを聴いて歌いまくった。

親父は昔から顔を靴墨で黒く塗って黒人みたいに歌うアル・ジョンソンという歌手の大ファンだった。

仕事帰りにパブでビールを1杯だけ引っかけ彼の歌を歌いながら帰宅した。

1番上の姉が仕事をするようになるとチャック・ベリーやエルビス・プレスリーのレコードを買って帰った。

家族みんなで曲を覚えて週末にはファミリーコンサートみたいな事をした。

家族の前だったけど俺が人前で初めて歌ったのはクリフ・リチャードの何とかいう曲だった。

クロス家は音楽好きの一家だったんだ。

だから俺が家にビートルズを持ち込んだ時家族は皆大歓迎。

仕事を辞めた事には失望。

シンガーになると宣言した事には絶句と無視。

親父はビートルズのレコードを聞いて。

「こいつらには5分先の未来も無い」

と一蹴した。

「歌心がないんだ。こいつらはパブでさえ演奏させて貰えんだろう」

俺は親父には逆らったりしないのだが.この時ばかりは反論した。

「タックスマンは?ホエン・アイム・シックスティ・フォーは?あのメロディを聞いて何とも思わないなんて…耳がどうかしてるよ」

親父は一瞬だけ.きょとんとした顔で俺を見たが後は何も言い返さなかった。

親父は俺を外に連れ出すとバーミンガムにある楽器店で50ワットのヴォックスというメーカーのPAシステムを買ってくれた。

当時の金で250ポンドはしたと思う。

刑務所を逃れるための賠償金40ポンドは出してくれなかった親父がローンを組んでPAを買ってくれた。

当時の常識としてバンドをやりたい.俺は歌が歌える.といくら叫んでもPAを持っていなければ相手にされない。

そんな事は親父でも知っている事だった。

俺は親父が死んだ後でも自分が死ぬ日が来るまで彼に感謝の気持ちを忘れない。

家族の食費も充分に稼げなかった親父が買ってくれたPAがなければ俺はシンガーになんてなれなかった。

当然ながら俺が自前のPAを持っていると知れ渡ると俺は地元のバンドから引っ張りだこになった。

PAを持って楽器を持ってるやつらのとこに行き.何でもかんでも手当たり次代歌った。

技術はなくても熱意だけはあった。

でも楽器があってもPAがあってもパブで演奏出来る訳じゃない。

俺が組んだバンドはとてもそんなレベルじゃなかった。

半年間ままならない状況が続いた。

俺は考えた末バーミンガムの中心街にあるショッピングモールの中にある店に広告を出した。

プル・リングという名前のコンクリート作りのショッピングモールは当時出来たばかりだった。

しかし入り口の地下道には初日から強盗や麻薬の売人がうろついていた。

しかしプル・リングは若者たちの溜まり場でもあった。

バーミンガムで1番いけてる店リング・ウェイミュージックはその中にあった。

楽器店なんだけど店の外には音楽好きの見るからにかっこいい連中が集まってタバコを吸ったり音楽について議論したりしていた。

その店に広告を貼らせてもらった。

バンドを組んで人前でライブをやらなくてはいけない。

人前に出れば俺は必ず人を楽しませる事が出来るはずだ…そう思っていた。

『求む バンドメンバー

当方経験豊富なシンガー

自前のPAあり

マッドマン・スターダスト

こんな俺でも何かが出来るはずだ』
住所:ロッジ ロード…


マッドマンのルーツはN.I.B時代の俺のイメージ。

精神病院から脱走して来た危ないやつ。

バンドのメンバーがメンバーを紹介する時

「N.I.Bのマッドマン」と紹介した…とか色々あるけど本当は違う。

俺はビートルズと同じくらいエルトン・ジョンが好きなんだ。

彼のアルバム【Mad Man Across To The Sea】から取ったんだ。

スターダストは適当だ。

とにかく本名は…俺のばかは有名だから避けたかった。


玄関のドアを誰かがノックする音がする。

出てみると長髪で髭を生やしたナザレのイエスみたいな男が立っていた。

派手な紫のベルベットのパンツをはいている。

「どちら様?」

「マッドマン・スターダストか?」

「そういう自分は?」

「ギーク・チェスター。仲間からギークって呼ばれてる。マッドマンの広告を見て来た」

「ギークって」

「変人という意味だ」

「いいのか?」

「いいのだ」

ギーク・チェスターは本名ロバート・チェスターという立派な名前があるにも関わらず「変人」と自らを友人知人に呼ばせている。

俺が知りあった中でも彼はかなり特殊な部類に入る人間だった。

「ギークなんて変な名前だな」

「マッドマン・スターダスト様に言われたくない」

「お前どうして.そんな服を着たいと思ったんだ?」

ギークはライム・グリーンのシャツに紫のベルボトム銀色のプラットホーム・ブーツ姿だった。

「お前こそ」

俺も保守的な服装とは言い難い格好をしていたが。

古いパジャマの上着をシャツ代わりに着て酔って失くしてしまった水道の蛇口の代わりに今は湯たんぽを首からぶら下げていた。

金のないやつがロック・スターを気取るのも楽じゃないって事だ。

大切なのは想像力だ。

「お前.そのヒヨコみたいな髪はなんだ?それではステージに立てないぞ」

「これはMODSだ」

MODSとは…当時イギリスの若者の間で大流行していた.いけてる人たちとライフスタイルを表す言葉だ。

ビートルズのロッカーズファッションに対抗したとも言われた。

髪を短かく下ろしたり坊主やスキンヘッドの彼らは米軍の払い下げのコートをはおりユニオンジャックやスカルがプリントされたミラーを沢山つけたスクーターに乗っていた。

彼らは黒人音楽を好み.夜通しクラブで踊ったりしてたんだ。

そんな彼らのファッションに俺は傾倒していた。

けれど頭を坊主にした後は米軍のコートもスクーターを手に入れる金もなかった。

結局坊主にしただけだ。

だから今髪を戻そうとしている最中だった。

結局のところ俺もギークも駆け出しのバンド志望の野郎に過ぎない。

けれど外見を見ると俺は何処かの精神病院を抜け出して来たイカレ野郎で.ギークは業界の人間かバンドマンに違いないと皆が思う風体をしてたって事なんだ。

「俺の今いるバンド.ダウンジング・ボーイズって言うんだけど知ってるか?」

「知ってる。サイケデリックというかヒッピー音楽をやってるバンドだ」

「俺はそこでリズムギターを担当してるんだ。そして先日ボーカルが抜けてね。お前自前のPA持ってるんだろ」

「ああ」

「なら決まりだ」

こうして俺はダウンジング・ボーイズのボーカルとなった。

俺の知るギークはけして汚い言葉など使わない。

いつも古代ギリシャや中国の詩なんか読んでいる。

酒を飲むと人間の意識下に潜む宇宙ワームについて延々話した。

俺はそんな時は道化のボリュームをマックスにして彼を笑わせるんだ。

俺たちはパブで何時間も笑っていた。

彼の知識や語彙はすごく豊富で歌詞を書く才能は傑出していた。

戦争とかSFとか黒魔術とか…すごく衝撃的だった。

「ギーク.俺たちはオリジナルの曲を書くべきだ。そしたらお前の凄い歌詞も活きるってもんだ」

ギークと俺はすぐ意気投合したが問題はバンドだった。

ダウンジング・ボーイズはライブでストロボライトや幻覚的な演出をするバンドだった。

ピンクフロイドみたいな。

ああいうバンドを目指すのも一向に構わない。

けれどあの手のバンドは金持ちのカレッジの学生たちが好んで聴く音楽で俺たちが演るには相当無理があった。

加えてメインギター担当のブリックはヒッピー文化にどっぷり嵌まっていた。

「ピーター。カリフォルニア・ドリーミング聞いたか?ママス&パパスだ」

「まあね」

「俺たちもああいう曲をやるべきだ」

サンフランシスコの次はカリフォルニアかよ。勘弁してくれ。

こっちは薄汚い酒場でビールとタバコと酢漬けの卵と…アスベストを吸い込み過ぎて今にも死にそうな連中に囲まれた中で。

ハイト・アシュベリー?

愛の集会?

そんな寝惚けた歌なんて聞いてられるか。

嫌いだ。本当に嫌いだ。

「まあね」

なんて.ちょっと気を許したらリハーサルの時床に芝を敷き詰め始めて。

壁には鹿の剥製を飾り。

「そら。ユニフォームだ」

メンバー全員にオーバーオールを配り始めた。

ギークに俺耳打ちした。

「ブリックは最低だ」

「まあ待て」

「追い出せ」

「落ち着け。マッド」

ギークはいつもの思慮深い眼差しでブリックに話しかけた。

「この間俺とジャムった曲出来たんだろ」

「ああバッチリだ。歌詞も出来た」

ギークは俺に言った。

「この間フリート・ウッドマック風のリフを思いついた」

「ギークが?」

ギークは嬉しそうに微笑んだ。

「ピーター。今ギークと演ってみせるから。歌詞を覚えてくれ」

「ああ楽しみだ」

俺はギークが書いた曲を初めて聴く。

「タイトルはなんだ」

「俺のバイブレーション!」

何が起きたのか俺には分からなかった。

ブリックのかき鳴らすギターの音色は…古い特撮映画のピアノの線がついたUFOが飛来する音。

ぽわわわん。

怪人の目から放たれる催眠音波。

ぽよよよよん。…という音だった。

やめてくれ。

俺を笑い死にさせるつもりか。

ブリックはきんたまが震えるような声で歌い始めた。

カリフォルニア・ドリーミングの.まんまパクリ。

ギークを見るとナザレのイエスの慈悲深い微笑みは消え失せていた。

目に涙さえ溜めブリックを睨みつけている。

ギークはブーツの踵を床で3回鳴らすと猛烈なスピードでリズムギターを弾いた。

背後でドラムスが口笛を吹いて音を合わせる。

おもしれー。

俺はすぐにブリックからマイクを奪うと.でたらめな歌詞で夢のカリフォルニアを歌った。

カリフォルニアなんて行きたくねえ

あそこは今や世も末海岸

ヤクの売人

フリーセックス

世も末海岸

夢のカリフォルニア

ヒッピー共の巣窟

ギークのリズムギターは20年は未来にかっとんでたな。

カッティングといい.エッジといい最高だった。

ギタリストの性というべきかブリックは必死で追いすがるが無理だった。

ギターの残響音が響く中俺はマイクを投げ捨てた。

「ギーク走り過ぎだよ」

「ブリック」

「リズムギターなんだからさ」

「お前はクビだ」

左手で弦を押さえブリックにはっきり聞こえる声でギークは言った。


「さっきのギター凄かったな」

パブで酒を飲みながら俺はギークに言った。

「フリート・ウッドマックのグリーン・マナリシを聞いたんだ」

グリーン・マナリシは英国のブルースバンド・フリート・ウッドマックの1番新しい録音曲だ。

「ぶっとんだよ」

フリート・ウッドマックのギタリストピーターグリーンは世間から緑神と崇められるブルースギターの名手だった。

おそらく白人のブルースギタリストの中では最高位に位置する存在。

60年代からブルースとラテンのリズムを融合させたり革新的なアーティストでもあった。

アメリカと本国イギリスではマックのアルバムはビートルズのアルバムの売り上げを凌いでいた。

しかしピーターグリーンはドラッグの過剰接種と精神を病んでいた事もありマック全盛期に引退し音楽の世界から姿を消した。

ギークがぶっとばされたグリーン・マナリシは彼が最後に録音した楽曲で。

それは既にブルースではなかった。

イントロから疾走するリズムとリフ。

相反するような狂気に満ちたボーカルと楽曲の暗いうねり。

叩きつけるように弾かれるギターはあまりに衝撃的だ。

「俺はひどくあの曲が耳について」

「さっきお前が弾いた曲は」

「あの曲のリズムからヒントを得た。まるで軍隊が行進する時の靴音みたいだろ」

「すごく気にいったよ」

「あの曲にはインスピレーションを感じさせる何かがあるんだ。でも…」

俺たちのバンドは暗礁に乗り上げてしまった。

ピーター・グリーンの置き土産には今度の俺たちM.I.Bのサウンドに関する重大なヒントが隠されていた。

ギークのプレイスタイルにもだ。

しかしダウンジング・ボーイズは足元の金脈を見つける事が出来ずに解散する事となった。

「よお。ギーク・フアッキン・チェスター」

パブのカウンターで飲んでいる俺たちに後ろから声をかけてくるやつがいた。

「ロブか!元気だったか?」

「ぼちぼちだ」

「ロブ.こいつはマッドマ」

「本名でいい!」

「ピーター・クロスだ」

ギークに紹介された。

まるでギリシャ神話に登場する神々の1人という表現が大袈裟なら舞台から飛び出してきたロミオ。

とにかく美しい顔をした男だった。

「こいつはロバート・プラント。以前バンド・オブ・ジョイで歌ってた」

「見た事あるよ」

彼の顔には見覚えがあった。

「ライブを見た事がある。凄い声のシンガーがいたから.よく覚えてる」

「ありがとう」

男でも見とれてしまう魅力的な笑顔だった。

「で今なにしてるんだ?」

「実はプロのバンドに声をかけられてるんだ」

「お前なら当然だよ。どのバンドだ?」

「ヤード・バーズ」

「ヤードバーズだって!?おめでとう!!でかい話だ」

「彼らはジェフ・ベックが脱退して解散するんじゃないのか?」

「まだ.あのバンドにジミーペイジが…知ってるだろ.ギタリストのジミーペイジ。あとベースのやつも。彼らはまだ契約が残っていてアルバムを出さないといけないんだ」

「何にしろ凄い話だ」

「正直迷ってるんだ」

プラントは肩をすくめた。

「俺は今新しいバンドを立ち上げたばかりで.こっちも結構いいかんじなんだ」

「なんて名前だ」

「ホップストゥイードル」
プラントは答えた。

「ペイジじゃなくてジェフ・ベックかクラプトンなら即決なんだけどね」


「あいつ.ばかなのか?」

プラントが去った後俺はギークに尋ねた。

「本気でポップスなんとかのためにペイジの話を断るつもりかな?」

「向こうが名前を変えれば入ってもいいと言ってたな」

「やけに名前を変えるのに拘っていたな」

「彼はやるさ。向こうが名前を変えればね。でも.いつまでもヤード・バーズを名乗るのもな。ベックもクラプトンも辞めたバンドだし」

「ポップス何とかよりましだろ」

「確かに」

ギークは驚くほど物知りで顔が広い。

彼と一緒にいてロバート・プラントみたいな人と出会すのは実はそんなに珍しい事ではなかった。

彼は常にいけてる連中の仲間だった。

その中に自分が含まれているのが誇らしくて嬉しかった。

しかし問題は俺たちのバンドダウンジング・ボーイズが最低だって事だ。

今日出会ったプラントのような人を目の当たりにすると俺がボーカルとして成功する確率なんて100万に1つもない事が分かる。

「ギーク.俺は…もう充分だよ」

ギークは俺の隣で下を向いたまま聞いていた。

「マッド.俺仕事で昇進出来るかも知れないんだ」

ギークはグラマースクールを卒業して会計士の資格を持っている。

今は工場で会計士について見習いの仕事をしている。

「経理部門の上から3番目に就けてくれるって話があって」

「なら決まりじゃないか」

「そうだな」

ギークは俺を見て言った。

「プラントは凄いシンガーだ。声域も声量も表現力も並外れてる。見た目だって.あの通りだ」

「確かにな。認めるよ」

「声域も声量も…見た目もお前はプラントには及ばない」

「認める」

「認めなくていい。お前にはプラントに負けてないところがあるんだ」

「そんなのあるのか?」

「今は声の魅力だけ…お前の声は面白いよ」

「ありがとう」

「焦りは禁物だぞ.マッドマン・スターダスト」

俺とギークはお互いに握手して別れた。


玄関のドアを誰かがノックする音がする。

居間のカーテンの隙間から外を覗いて見る。

玄関に長髪で髭を生やした見るからにヤバそうな男が立っていた。

なんだこれ?夢かデジャブか?

よく見ると今度の男はギークとは似ても似つかない。

食いっぱぐれてホームレスになったマフィアと言ったかんじだろうか。

さらに彼の隣にはもう1人長髪の男が立っていた。

背が高い方は.まさか…いや.彼であるはずがない。

2人の後ろには黒の古いバンが停めてある。

車の横腹には五芒星のマークと消えかけた文字で「ペンタグラム」と書かれていた。イカレ車だ。運転して来た人間もイカレてるに違いない。

「ピーター玄関に出て」

「もうビールを飲むのはお止め。だらしない体になって来てるよ」

ギボン婆さんに丸めた新聞で頭を叩かれた。

ダウンジング・ボーイズを辞めて2ヶ月。

俺は家で母と婆さんに.こき使われていた。

20歳になっていた。

シンガーになるどころか求職もままならず。

総て諦めていた。

せめて職を見つけて親父にPAの金を返したいと思っていた。

店に貼った広告も外してくれるように頼んだ。

彼らは誰だ?

ギークの知り合いだろうか?

さっぱり心当たりがないまま玄関の掛け金を外してドアを開けた。

「お前が…マッドマン?」

背の高い方の男を見て俺は確信した。

彼も俺が誰だか気づいたようだ。

彼は唸るように言葉を絞り出すと.こう言ったんだ。

「なんてこった。よりによって.お前かよ」

うちの玄関に立っていたのはトニー・ワイズマンだった。

俺の1学年上のハンサムな生徒。

クリスマスに皆の前でギターを弾いた。

教師達を激怒させる前に呆然とさせた。

5年以上も見かけた事はなかったが。

彼はアストンの伝説になっていた。

若い連中は皆彼が誰だか知っていた。

もしもバンドを組むとしたら…誰もが真っ先にトニー・ワイズマンの名前を思い浮かべた。

勿論俺だって。

しかし残念ながら彼は俺に対してそうは思っていなかった。

「帰ろうぜ.ビル」

みすぼらしい格好をした男にトニーは言った。

「トニー.ちょっと待ってくれ」

ビルと呼ばれた男は当惑した様子で俺を見た。

「彼は誰なんだ?知り合いなのか?」

「こいつの名前はピータークロス。マッドマン・スターダストじゃない。勿論シンガーでもない。ただの馬鹿さ。分かったら.行こうぜ」

「待ってくれ」

俺は2人の話に割り込んだ。

「どこで住所を知ったんだ?どうしてマッドマンの事を?」

「こんな俺でも何か出来る事があるはず」

ビルが言った。

「俺は結構じんときたね」

ビルは人懐こい笑顔で俺を見た。

「もう.あの広告は外してくれって言ったんだ」

「まだ今日も出てたぜ」

「トニー」

ビルがトニーに向かって言った。

「彼にやらせてみたら?」

「やらせてみるだと?」

トニーは明らかに俺にもビルに対しても苛立っていた。

「よく聞けよビル。こいつを馬鹿だと言ったが馬鹿と言っても.こいつは並の馬鹿じゃないぞ。学校中の笑いものだったんだ。こんな馬鹿を試せなんて.お前も馬鹿が感染したのか.ビル」

俺は何も頭に浮かぶ言葉がなくて自分の足元を見つめる事しか出来なかった。

「えり好みしてられる身分じゃないんだぜ」

ビルは囁いた。聞こえてるって。

「だから俺たち今こうしてここに… トニー!話しを聞けよ!」

トニーの足は車の方に向かっていた。

「馬鹿にするな」

そう背中が語っていた。

ビルは首を振り「すまなかったな。いきなり押し掛けて」

俺に向かって肩を竦めた。

俺は立ち去るトニーを見てふと違和感を感じた。

彼の右手。片方の右手にだけ黒い手袋がはめられていた。

「トニーお前右手の指どうかしたのか」


15で学校から放り出された俺。

テレビを盗んで刑務所に入ったり家畜処理場で血まみれになっていた頃。

トニーは上の学校には進まずプロのギタリストを目指していた。

見習いとして板金工場で働いていたんだ。

彼はそこで電気溶接について学んでいたらしい。

電気溶接というのは熟練しないと大変危険な代物らしい。

紫外線の放射光に皮膚や目なんかが曝されたら…大変どころじゃ済まされない事態になる。

感電する事だってあるし金属版の錆止めだって昔は猛毒を使っていたんだ。

後にトニーが俺に話してくれた話だ。

トニーは昼間溶接の仕事をしながら夜は自分のバンドでクラブ回りをしながらチャンスを待っていた。

チャック・ベリーやエディ・コクランなんかのカバーを毎晩演奏していた。

「他人の曲を死ぬ程やらないと上手くならない」

トニーは元々才能豊かな人だったから…どんどん腕を上げて行った。

そして遂にエージェントの目に止まる日が訪れた。

「ドイツでプロとしてやらないか」

本国イギリスでデビューする前にドイツで…ビートルズも確か.そうだった。

トニーはエージェントと契約を交わし仕事を辞める決心をした。

「ついにきっかけを掴んだ…俺は天にも昇る気持ちでいたよ」

トニーは俺と違って仕事も音楽も.とことん真面目にやるタイプだ。

見習いだけど職場でも慕われ可愛がられていたんだ。

皆トニーが辞めるのを惜しんだが祝福してくれた。

工場での最後の勤務の日。

溶接をする前に金属版をプレスして切断する係のやつが.とんだんだ。

仕事に出て来ないやつの代わりにトニーがその仕事をやる羽目になった。

正解には何が起きたのか俺は知らない。

トニーが機械の使い方を正確に理解していなかったのか.あるいは機械そのものに故障があったのか。

とにかくでかい金属のプレス用の機械がトニーの右手の中指と薬指を第2関節の手前から切断してしまったんだ。

トニーは左手利きだからフレッドを押さえる方の指という事になる。

ギタリストのトニーが。

どれ程恐ろしい光景だったか.俺には想像すら叶わない。

彼は自分の指を探して血溜まりの中を這い回った。

気絶してしまいそうな痛みの中でも「指を探さなきゃ」そう自分に言い聞かせていた。

救急外来の医者に2度とギターは弾けないと言われた。

数ヵ月の間に何十人もの医者に診てもらった。

皆同じ言葉を口にした。

「他に何かやる事を見つけなさい」

俺が喉を撃たれるようなものだ。

彼は幼い頃からギタリストに憧れ.ギターを弾くことに人生の全てを費やして来た。

彼は長い間酷い鬱に苛まれた。

彼が朝どうやってベッドから起き出して1日1日を過ごしていたかなんて俺には分からない。

ある日の午後.トニーの以前の職場の主任が彼を訪ねて来た。

そして彼に1枚のアルバムを渡したんだ。

ジャンゴ・ラインハルト。

ベルギーのジプシー系のギタリストで若い頃に手に酷い火傷を負った。

使える指は2本だけになってしまったが彼は使える指だけでフレッドを押さえ見事なソロを弾いたんだ。

トニーは言う。

「あの主任はジャズにもギターにも興味なんてない人だった。多分探してくれたんだと思う。指を負傷しても立派に活躍してるギタリストを…俺のために」

主任がくれたレコードはまだ針も落としてない傷1つない新品で袋から出すと塩化ビニールの香りがした。

トニーはジャンゴのように自在にギターを弾く方法を模索し始めた。

右利きで弾いてみたり。

2本の指でフレットを押さえようと試みた。

どれも上手く行かなかった。

出来ない事はないが自分の求める演奏には程遠かった。

しかし彼はある日その方法を見い出した。

洗剤のボトルを溶かし怪我した指にはめる指抜きを作ってみた。

失った指先と同じ多きさになるまでサンドペーパーで削り.弦をしっかり押さえるために指を入れる方の端に小さな皮のパッドを糊付けした。

演奏中に指ぬきが破損しないように弦の張りも少し弛めた。

彼は失った指への未練と一緒に今までのスタイルを全て捨てた。

1からギターを再構築したんだ。

それでも俺は彼が.どうやってるのか分からない。

どこに行くにも彼は手製の指ぬきと皮のパッドを大量に入れた袋を持ち歩き.はんだごてで調整を 欠かさない。

俺はいつもステージの1番右端にマイクを置いて歌うんだ。

普通ボーカルは真ん中だ。フロントマンと言うくらいだから。

皆奇妙に見えたはずだ。

だけど俺はその位置が好きだった。

ドラムのビルもギターのトニーも俺の立ち位置から見えるからだ。

トニーの横にいてギターを弾く彼を見る度に俺は彼の乗り越えて来たものの大きさに胸を打たれた。

トニーは俺にとって昔も今も尊敬と畏怖を抱かずにいられない存在なんだ。

彼はギターの弾き方を学び直して行くうちに誰も真似出来ないスタイルを作り上げていった。

そして.それは俺たちのバンドN.I.Bで完成した。

ビートルズが破格の大成功をおさめた時彼らを獲得しなかったレコード会社は第2第3のビートルズを作ろうとした。

リバプールサウンドとかマージービートとかビートルズは関係ない。

彼らはあくまで彼ら。

唯一無二の存在だ。

モット・ザ・フープルとかムーディ・ブルースとかリバプール以外の地域のバンドが成功をおさめるとブラム・ビートなんて呼び方で彼らを呼ぶ。

トニー・ワイズマンはそんな風潮にはのりたくなかった。

カーライルを拠点に活動するペンタグラムも.そんな風潮におもねるバンドではなかった。

トニーはそのバンドのオオーデイションを受け.メンバーに迎えられた。

数ヵ月後ペンタグラムのドラマーが辞めたのでアストンから旧友のビル・クレイを呼んだんだ。

俺はペンタグラムのライブを見た事はない。

でも行く先々で大受けしているという噂は耳にしていた。

彼らは骨太で湿り気のあるブルースバンドだった。

レコード契約もオリジナル曲も未だなかった。

バッファロー・スプリング・フィールドやジミ・ヘンドリックス.ヤード・バーズを辞めてエリック・クラプトンが加入したジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのカバーを得意にしていた。

彼らは.あっという間にカンバーランド地方に熱心なファンの基盤を築き上げクラブを次々に満員にした。

バンドの活動は順調そのものだったが彼らは深刻な問題に巻き込まれた。

ペンタグラムのメンバーはマリファナをやっていた。

それ自体別に珍しい話ではなかったし警察も.いちいちバンドマンを見つけてポケットの中身を全部出させるような真似はしない。

そんな事をしたらイギリス中の刑務所や留置所がミュージシャンで一杯になっちまう。

でも彼らにマリファナを売っていた売人が捕まった。

売人の顧客リストにはペンタグラムのバンド名とメンバーの名前が書いてあった。

売人をしていた大学生はペンタグラムのファンだったんだ。

警察は捜査令状を取り.カーライルにあるバンドが共有していたアパートを強制捜査した。

これはバンドにとって致命的だった。

罰則なんて大したもんじゃない。

罰金15ポンド程度だ。

麻薬をやって逮捕されたバンドはライブなんて出来ない。

警察の裁量1つで.すぐに営業許可証を取り消されてしまう人達が彼らを使うはずがなかった。

大物のミュージシャンがドラッグをやっても捕まらないのは彼らがレコード会社に守られていたからだ。

レコード会社の連中は金の生る木を守るために彼らを居心地の別荘のような場所に彼らを放り込んでドラッグや酒を与えたんだ。

大物ミュージシャンたちは喜んでそこで曲を書いた。

レコード会社は彼らが曲を書いてツアーをしてればそれで満足だった。

ドラッグは大概売人ではなく別ルートから仕入れた足が付かない代物だった。

どうせバンドが稼いで本来彼らが受け取るべき金。

レコード会社は痛くも痒くもなかった…そんな時代だ。

しかし.そんな後ろ楯などないペンタグラムのメンバーはたちまち干されて一文無しになってしまった。

食べる物にも事欠くほど困窮した。

トニーとビルを除くメンバーはバンドを諦めて地元で職を探し始めた。

トニーとビルはアストンに戻り体制を立て直そうと考えた。

食うや食わずで地元に戻り楽器屋の広告に希望の光を見つけた。

開かれた扉の先に立っていたのが俺だったら…トニーが落胆して怒りを抑えられなかったのも無理はない話.と俺は思う。

あの日俺という存在の何がトニーの気持ちを変えたのか.何故彼が俺にチャンスを与えてみようという気持ちになったのか.正直俺には分からない。

ただ単に俺がPAを持っていたからだけ.理由はそれだけかも知れない。

少なくとも学校を出た俺にも色々あって.俺は2度と以前の仕事に戻りたくない.警察絡みで面倒に巻き込まれるのも嫌だった。

それはトニーも同じだったはずだ。

彼の実家は昔から.それなりの暮らしをしていた。

市内で小さな雑貨屋を営んでいたんだ。

でも俺にしろトニーにしろ未来に希望なんて感じる事なく学校から外の世界に飛び出した。

つまり音楽がなければ俺たちは2人とも何者どころか.どうしようもない存在だったんだ。

ビルはトニーをなだめて説得してくれた。

彼は俺が今まで出会った人の中で最も優しい人かも知れない。

そして本当に素晴らしいドラマーだった。

彼の父親はジャズのセミプロで本業は公務員をしていた。彼は幼いころから父親の側でジャズに触れて育ったんだ。

とても地に足がついた.しっかりした考えが出来る人でもある。

服装はギークと正反対だった。執着がないんだ。

N.I.Bが初めて飛行機で移動した時も彼は飛行場に.お父さんのお下がりのセーターを着て現れた。

両手に皆の分の飲み物や菓子が入ったビニール袋をぶら下げて。

彼は昔から.そういう人だったんだ。

彼のおかげでトニーが少し打ち解けてくれた。

俺達3人はバンの後部座席でタバコを吸いながら色々な話をして夜を過ごした。

刑務所のこと.マリファナでバンドがだめになったこと.指を切断したこと.学校にいた嫌な先生のこと.牛の殺し方.最近聞いたレコード…今後の俺達について。

「まず俺達に必要なのはバンドの名前とベースが弾けるやつだ」

トニーが言った。

「ベースの知り合いはいないけど」

俺はトニーに提案した。

「リズム・ギターを弾くやつでギークってやつなら知ってる」

トニーとビルは顔を見合せ同時に叫んだ。

「あのギーク・チェスターか?!」

2人の様子から.「あのギーク」の.あのは良い意味はないようだ。

「あいつはどうかしてるよ」ビルが首を振る。

「俺が最後に見た時催眠光線に合わせて変な踊りを踊ってた…サイン会もやってたな」

「彼は頭の中では既にロック・スターなんだ」

俺は言った。

「いいことだと思う。彼はベジタリアンだから金がかからないし会計士の資格も持っているんだ」

トニーが深く頷いた。

「ピーターの言う通り…お前の事マッドって呼んでいいか?」

「その方がいい」

「マッドの言う通りだ。ギークはいいやつだよ」

「明日ギークの家に行き彼がやる気があるか聞いてみる」
うちには電話がない。

「ベースを覚えるのに時間はかかるかも知れないがギターが弾けるなら問題ない。弦は4本しかないんだし」

「名前はどうする?」

すぐに良い名前は浮かばなかった。

「しばらくの間考えてみたら」

「俺は大事な話の時にアイデアを出すために行く店があるんだ」




「思いついたぜ!」

「思いついたか!」

翌日の午後。俺達4人はアストンの安っぽい不潔なカフェにいた。

皆俺がバンド名を口にするまでギークの土産話に釘付けだった。

ギーク・チェスターはこの2ヶ月間ドイツにいた。

ドイツでジミ・ヘンドリックスがライブをやると聞いて居ても立ってもいられず上司に頼み込んで3日間の休暇を貰った。

しかし彼はチケット代と片道分の旅費しかなかった。

「無事コンサートを観れたが帰りの旅費がない」

ギークはヒッチハイカーとなってドイツからイギリスへ帰国した。

「2ヶ月後に会社に行ったらクビになってた。ま.当然さ。微塵の後悔もないがね…ジミを観れたんだから」

「俺生で彼を見た事ないよ!どうだった?!やっぱり彼凄いのか?!」

ビルも俺も興奮して彼の顔を覗き込んだ。

トニーはいつも通り冷静に紅茶を口に運んでいた。

「凄かった!確かにあんな風にギターを弾くやつを俺は今まで見た事がない…今までみたコンサートの中で2番目に素晴らしいコンサートだったよ」

「2番目?」

「そう2番目だ…1番はクリームだよ」

トニーがカップを置いてギークの顔を見つめた。

「ジミは確かに凄い。クリームのエリック・クラプトンもジミの影響を受けて.あんな風に奔放に枠にとらわれないギターを弾きたいというのは分かるんだ。クリームでは実際それをやっていた。ジミのライブというかバンド…エクスペリエンスな。ジミのワンマンバンドだと思う。クリームにはせめぎ合いというか戦いがあるんだ。ジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースそしてエリック。3人しかいないけど一体感というのかな…」

「グルーブ」

「そう!トニー!それなんだ!バンドの音全体が客席まで巻き込むような。あーゆうのやりてーよな」

「ギーク」

「なんだよ!トニー」

「へんなやつなんて言ってすまない」

「ギークだからな」

「お前は男の中の男だよ」

「そうなのか」

「この世界にいるべき人間だ!ぜひ俺達と一緒にやってくれ!そして成功しようぜ」

「ありがとう。トニー今のは本当に嬉しいぜ」

「マッドもな!」

俺のは多分絶対ついでだ。

「俺も入れてくれ」

ビルが慌てて会話に入った。今のところバンドは問題なく順調だった。

「でバンド名なんだけど」

「聞かせてくれ」

俺は彼らの顔をひとまずは見回して発表した。

「トーキング・ポークスだ」

「最低だ」

まあ聞け。

「なんだ?!喋る豚肉って?お前ぶひぶひ歌うつもりか!」

聞いてくれ。

「ぶひぶひ歌ったら即解散…いやお前をバーベキューにして客に食わせる」

「それ少し考えた方がいいよマッド」

早くも不協和音。

俺は彼らに説明しなくてはならなかった。

「ディグベスに俺が勤めていた話はしたよな」

「聞いた」

「すごく大変なビジネスだ」

「仕事が終わると店で薬を飲んで踊ってた事も」

「それも聞いた」

「で朝いちで仕事に行くと.いつも俺しかいなくて…冷凍庫を開けると処理された豚が」

「ちょっと待ってくれ」

「なんだよ.トニー。顔色が悪いぜ」

「生まれつきだ」

「吊るされた豚が俺に向かって『よくも』…どうしたトニーなんで耳を押さえてる」

「深い悩みがあって」

「お前もしかしたら怖がりなのか」

「その通りだ」

「開き直ったぞ」

「俺は豚どもに散々『ヒズメを持った子が生まれる』とか脅かされたがネタばらしをすると薬による幻聴ってやつだな。随分びびったけどな。ヤクのせいさ」

「マッド」

「なんだよ.ギーク」

「お前が飲んでたデキセドリン…幻覚作用は起きないんだぜ」

「…待ってくれ。俺今ちょっと…吐きそうだ」

他に候補がないのでバンド名はトーキング・ポークスになった。

「1つだけ.いいかな」

トニーがビルの顔を見て言った。

「ビル.いいか?」

「ああ」

ビルはそう言ったきり黙って.うつむいた。

「ビルの事なんだが」

「ビルがどうかしたのか?」

トニーの話によるとビル・クレイは生まれた時から心臓に重大な欠陥があった。

「僕はこの年になるまで3回手術してるんだ。生まれた時は10まで.10になった時は15までしか生きられないと言われたよ」

「ドラムなんて叩いて大丈夫なのかよ」

「難しい手術はもうしなくていい。だけど医者や両親には心臓に負担をかけるなと言われてるんだ」

「だったら…」

トニーが言った。

「ビルは小さい頃から自宅のガレージにある親父さんのドラムキッドで練習してたんだ」

「最後には親父がドラムキッドを俺が叩かないように分解してしまったけどね」

ビルはスティックだけ持って何処でもドラムを叩く練習をしてた。

「両親は俺をプレイヤーじゃなくて音楽の教師か何かにしたくて音大に行く事を進めたんだ。どこのバンドにも入れなかったよ」

子供の頃のビルは父親の影響でセロニアス・モンクやアート・ブレイキーと言ったジャズのレコードを聞いていた。

「その頃学校でトニーと知り合って一緒にジャムみたいな事をしてたんだ」

「ビルは昔から上手かったよ。タイム感が抜群で何時間演奏してもテンポが崩れない。常にスイングしてた」

ドラマーとしては最もそれが重要な才能なのだとトニーは言う。

「俺とトニーは将来バンドを組んでツアーに出る約束をしてたんだ。だからトニーが「ペンタグラムに入らないか」と電話をくれた時は嬉しかったな」

「ビルは「ステージで死ねたら本望だ」俺に言ったんだ」

「トニーのせいさ。彼が昔俺に貸してくれた.ザ・フーのキース・ムーンやビル・ブラッドフォードのドラムを俺は聞いてしまったんだ」

「あれ.聞いちまったら」

ギークがビルに笑いかけた。

「俺は変人だしマッドマンはいるし…でもビル.お前が一番クレイジーだって認めるよ」

「ビル.前にも言ったが俺はお前を病人扱いなんてしない。バンドやお前の演奏に影響が出るようならすぐに追い出す。自分で自分の体は管理するんだ。少しでも体に異変を感じたら…」

「ありがとう。トニー感謝するよ」

「ビルがステージの上で死ねるようにステージに棺桶を用意して.それを燃やすパフォーマンスはどうだろう?」

「ありがとう.マッド。君は本当にろくでなしだ」

「ビル.曲の途中で死ぬなよ。全曲完奏してからにしてくれ」

「トニー!君の場合はむしろ清々しいくらいだ」

「それと…ビルは大酒飲みだ。ビールのケースなんて根こそぎ飲まれちまうから気をつけろ。車のバンドルも握らせるな…死ぬぞ」

「典型的なドラム野郎だ」

「以上だ。いや…あと1つ」

「まだあるのか!早くバンドやろうぜ!」

トニーは口元に生やしいる自分の髭を取り外してビルの鼻の下につけた。

「これは偽物だ」

「なんでだよ」

「なめられないようにだ。だが.もう必要ない」

ビルは結局死ななかった。

今も元気にしてる。ビルはドラムでバンドに多大な貢献をした。

彼は昔も今も常に献身的にドラムを叩く。

しかし彼のドラムは常に何か倦怠的なムードがあって.それが彼の個性だ。

ビルがメンバーの中で一番死に近い人間で常に意識がそこにあったのかも知れない。

トニーはそれを指摘した事はない。ビルの個性と考えバンドに活かそうとしていたのだと俺は思う。

俺たちはアストンの町の外れにある元コミュニティ・センターの廃墟に集まり昼も夜もひたすら練習に明け暮れた。

すぐ近くをA36高速道路が通っていた。

立体高速の1番上に新設されたばかりのモータープールがあって.それがバンドの音をかき消した。

ものすごい騒音だった。

この頃のアストンは町中至るところにコンクリートが流し込まれていた。

そんな事今更しなくても町は最初から灰色だったのに。

バンドはひたすら終わる事がないジャムに明け暮れた。

俺が歌うべきパートが来るとトニーが目で俺に合図するんだ。

歌詞なんてなかった。

その場で思いついた事を歌うんだ。

ギークは最初苦労していたと思う。

すぐにベースを買う金はなかったからテレキャスターにベースの弦を張って代用した。

普通はギターにベースの弦なんて張るとネックが折れてしまう。

でもギークはお構い無しだった。

やっぱり音が走りまくっていた。

トニーはギークに言った。

「お前のランニング・ベースは面白い。でも曲に合わせて効果的に使うべきだ。合図したら来てくれ」

ギークが素晴らしいベーシストになるのに時間はかからなかった。

そして彼は誰よりスターっぽく見えた。

トニーの仕事は常に迅速かつ無駄がない。

彼はカーライルにあるペンタグラム時代のコネを使ってライブ会場を押さえた。

アストンからカーライルまで高速で北へ200マイル。

トニーの錆びたボロボロのバンに機材と楽器を積んで俺たちはアストンを出た。

バンのサスペンションはとっくに壊れていて車は崩壊寸前。

曲がり角に来る度に俺達は車体がタイヤを削らぬように全員で反対側に身を寄せた。

しかし無駄な努力だと知った。

タイヤが焦げる.あの嫌な匂いが車内に充満し車外では火花が飛び散っていた。

果たしてタイヤはまだあるのか…ものすごい音がした。

「溶接機みたいだ」

ハンドルを握るトニーが呟いた。笑えない。

途中ひどい雨になってもワイパーは作動しなかった。

8時間全員無事でカーライルに着けたのは奇跡だと思った。

雨が上がった。バンは命運尽きて2度と動かなかった。

会場の前に貼られたポスターを俺達は皆で見ていた。

『バーミンガム出身のエキサイティングな新人

トーキング・ポークス
(元ペンタグラムのメンバー含む)

最高にごきげんなバンド! 踊りあかそう!!

カウンティ・ホールにて

8月24日土曜日:午後7時30分開演』


最高のライブだった。バンドは素晴らしかったし観客も盛り上がっていた。

俺は大勢の客の前で緊張しっぱなしだったけど。

バンドが演奏中にトミーがギターを弾きながら俺の耳元で囁くんだ。

「お前.正面の席の娘どうだ?」

「3列目の右から2番目はどうだ?あの娘とやれそうか?」

いつもステージでトニーはそんな事ばかり俺に言うんだぜ。

演奏が終わり客に手を振る俺達の目の前に突然体のでかいニキビ面の男が現れた。

そいつは.いきなりステージに上がって来た。

刑務所で子供専門の性犯罪者をぼこぼこにしてた囚人と同じくらい.でかいやつだ。

「お前ずっと俺の女を見てたよな」

男が指したステージには.あまりに可愛くない女が迷惑せんばんと言った顔で俺を睨んでる。

「俺はお前の彼女なんて見てないぜ」

「嘘つくな!俺はこの目でしっかり見てたぞ!お前彼女とやりてえのかよ.ええ!?バーミンガムのくそ野郎」

「全然お前の彼女は好きじゃない」

そう言えば。

「俺の彼女がブスだっていうのかよ.バーミンガムのくそ野郎」

「やりたいです」

そう言えば。

「やっぱりそうか。バーミンガムの…」

どっちにしろ同じ事だ。

とっさに俺は。

「ギーク.お前ならどうだ?あの娘とやりたいか?」

「ええ?!俺?!」

ギークに責任を擦り付けた。

「てめえ.髭野郎!」

「待ってくれ!ビルお前なら…どうする?」

「ええ?!」

「ちびすけ!」

ビルのところに向かおうとした男の前にトニーが立ち無言で男の胸を押した。

男はトニーの胸ぐらを掴むと顔にジャブのようなパンチを2・3発入れた。

トニーは男の胸ぐらを掴み返すと男の正面に左手で拳を正面から叩き込んだ。

男の膝が崩れ落ちた。

際限無くトニーの拳が降り下ろされた。

男が倒れるとトニーは男の尻を蹴り上げた。

「失せろ」

トニーの左手は指抜きが外れて.えらい事になっていた。

「溶接してくる」

手袋をはめていたので前列の客はトニーが骨折したと思ったに違いない。

「つないでてくれ」

トニーは俺達に背中を向けて歩き出した。

「マッドなにか曲を」

ギークが俺に言った。

俺は客席に向かってマイクで叫んだ。

「鋼の男トニーワイズマン!彼を称える曲を!サバスのアイアンマンだ!」

「弾いた事ねえ!」

「ギーク俺がギター弾くよ。合わせて」

ビルがトニーのギターを手にギークに耳うちして。

よれよれのディズニーのテーマみたいなアイアンマンが始まった。

律儀にも曲が始まるまで待っていたトニーは退場した。

皆に見えないように背中を向けたトニーは爆笑していた。

客席は大いに沸いた。



「バンド名なんだが」

リハーサルの休憩の時にトニーが言った。

「やはり最低だと思う」

「どこがだよ」

俺は抗議した。

「最低は最低で理由なんてない」

「それじゃお前ら何か考えろよ」

ビルが言った。

「ずっと考えてたんだけど…【バーミンガム・ウィザード】ってどうかな?」

「サッカーチームみたいな名前だ。それにそんな名前じゃ音楽性が見えて…」

「豚肉よりはましだ」

トニーが頷いた。

「確かに豚肉より魔法使いの方がいい」

ギークも同意した。

それでバンド名は決まりだった。

俺はこの間のステージの件で2人に借りがあったので同意した。

豚肉から魔法使いに昇格しても俺達は箒1本買えない貧乏だった。

食うものがなくて本気で近くの農場の野菜を盗まなくてはと考えたほどだ。

トニーの両親が助けてくれなかったら。

トニーの家は小さな雑貨屋を営んでいた。

彼の母親は俺達に店のサンドイッチや豆の缶詰やタバコ…ガソリン代までくれたんだ。

トニーの親父さんは使い物にならない中古車を買って修理するのが趣味だった。

だから俺達はバンに困らないで済んだ。

バンがないとバンドはやっていけないからだ。

おかげで俺達は自分のバンドに集中出来た。

ライブの話が来たら絶対に断らなかった。

たとえ2時間プレイして経費を引いたら儲けが数ポンドでも。

ギークも仕事を辞めていたし俺達には戻る道なんてなかった。

地元に有名なバンドが来て大きな会場を満員にする。

「俺達もいつか.あんな場所で」そう話した。

でもトニーだけは違っていて。

「出来るさ」

確信を持ったように言うんだ。

トニーが考えている事は俺達には大概その時は分からない。

そしてそれが現実になった時初めて皆驚かされるんだ。

でかいバンドが地元でライブをやると.トニーは会場に必ずバンを停めた。

バンドに何かトラブルが起きて会場に来れない事態になった時トニーは自分たちのバンドを売り込むつもりでいたんだ。

そんな事は万に1つの確率もない。

でも.もし実現したら数千人の客の前で演奏出来るチャンスだ。

俺達は諦めず待ち続けた。

1度だけ。そのチャンスが巡って来た。

その日の.でっかいバンドはジェスロ・タルだ。

海外での人気は分からない。

でも彼らは横のりブギー一筋のスティタス・クオーと並ぶイギリスの国民的人気バンドだ。

とても変わったバンドでギターやキーボードが奏でる主旋律にフルートが入るんだ。

ギターのリフやメロディをフルートが担当している.と言った方がいいかな。

リーダーのイアン・アンダーソンはフルートとボーカル担当で彼はステージの中央に1本足で立ち悪魔のようにフルートを吹く。

フルートロック…ではなくプログレッシブ・フルート・クラッシック・ブルース・アバンギャルド・ジャズバンド。

彼らの凄いところは.それらの音楽の要素を完全に自分たちのバンドの音にして4・5分の曲にまとめてしまうとこだ。

イギリスではヒット曲も沢山出しているバンドだ。

とにかく彼らはコンサート会場に現れなかった。

そして俺達は狩りにでるグレイハウンドみたいにバンの中から飛びだそうとしていた。

トニーが行った。

彼は会場の責任者に会うなり。

「バンドはもう到着したんですか?」

30分以上開演が遅れているのを彼は知っていた。

「うるさい.小僧」

怒気を吐くように責任者は怒鳴った。

「ホテルにだって5回も連絡してるんだ。払い戻しは明日にしてくれ…今夜は無理だ」

「払い戻しじゃないんです」

トニーは一気に捲し立てた。

「たまたま俺とうちのバンドが会場の近くを通りかかったんで…ええ.偶然なんですが…もしバンドが来ないなら俺達穴埋め出来ます。かなりやれるバンドです」

「穴埋めだって?」

「はい」

「ジェスロ・タルの?」

「問題ありません」

「お前のバンドの名前は?」

「バーミンガム・ウィザード」

「聞いた事あるぞ。イカレたシンガーのいるブルースのカバーをやるバンドだろ?」

「オリジナルもあります!タルの曲だって出来ますよ!」

「機材は?」

「表のバンの中に」

「準備がいいな」

「たまたまです」

「15分でステージに上がってくれ。10ポンド支払おう。…ビールのボトルに気をつけろよ。客は腹を立ててるし.お前らがタルじゃないと知ったら一斉に投げて来るぞ」

イギリスではフェスに出た新人バンドは間違いなく客席からの酒瓶の雨にさらされる。伝統なんだ。

「サッカーやってて良かったな」そう思うはずだ。

ブーツの先やヒールで瓶を捌きながら演奏するんだ。

ステージを去るまで瓶が降ってくるようなら.そのバンドに未来はない。

親でも仲間でもなく観客が教えてくれるんだ。

トニーは満面の笑みでバンに戻って来た。

あんなに素敵な彼の笑顔を見た事がない。

彼はハンサムだし。フリンジのついた黒のシャツは女の子に大好評だ。

俺達はバンの中で彼に見惚れてしまう。

トニーは俺達の前で両手の親指を突き上げて見せた。

「15分後にライブだ!」

彼はにやけた顔のまま叫んだ。

「さっさと準備にかかれ!このウスノロども!!」

アドレナリンが吹き出し過ぎて死ぬんじゃないかと思った。

俺達は観客から投げられるビール瓶を数分間蹴り返しただけで後は完全に勝利を収めた。

観客を全員夢中にさせる事に成功したんだ。

本当に嬉しかったのはツアーバスのトラブルで会場入りが遅れたイアン・アンダーソンがステージの袖で俺達の演奏を楽しむように聞いてくれているのが見えたからだ。

彼のような一流のミュージシャンが…信じられない夜になった。

会場の責任者は俺達を拍手で出迎えてくれた。

コンサートの出演者を決めるブッカー達に俺達の名前は知れ渡る事となった。

あの夜以来全てが変わった。

ライブの会場はどんどん大きくなり演奏も日を追う毎に良くなった。

それまで見向きもしなかった地元のマネージャー連中が周囲をうろつくようになった。

中でも特に俺達に興味を示した男がジム・シンプソンだった。

彼らはバーミンガム出身のかなり知られたバンドの元メンバーで高級クラブを経営する町の名士でもあった。

確かクラブの名前はヘンリーズ・ブルース・ハウス。

あのロバート・プラントがドラムのジョン・ボーナムとセッションした事でも知られる伝説的なクラブだ。

ジム・シンプソンはビックベアという自分の渾名から取ったマネージメンと会社を持っていて.そこから様々なバンドを世に送り出していたんだ。

その年の12月になったばかりのある日。

俺とビルはジム・シンプソンに彼の経営するクラブのオフィスに呼ばれた。

「君らと正式にマネージメント契約を結びたい」

彼から契約の申し出を受けた。

地元でジムの悪い話しは聞かない。

俺達の他にも地元の有力なバンド2つと後に「アイム ノット イン ラブ」を世界中で大ヒットさせるテン・イヤーズ・アフターとも契約していた。

願ってもない話だ。

彼と契約すればヨーロッパ公演だって.ロンドンのマーキーでだってライブが出来る。

俺とビルは早く他の2人にこの話を聞かせたくて皆を集めた。

「素晴らしいニュースがあるんだ」

そう言った時もトニーの顔には覇気がなかった。

マネージメントが決まった。という話にも浮かない顔をしている。

「どうした…トニー元気がないぞ。具合でも悪いのか?」

「!…実は昨日イアン・アンダーソンから電話があって…ギタリストが辞めたからジェスロ・タルに入らないかって…ごめん俺断れなかった…ごめん」

沈黙がどれくらいの長さだったかなんて分からない。

でも俺が最初に口を開いて話した言葉に嘘偽りはなかった。

「断われるわけないだろ。そんないい話。おめでとうトニー」

「トニーにはそれだけの価値があるよ。俺は別に驚かない」

ビルが言った。

ギークは肩からギターを下ろし膝を掴んだまま俯いたトニーの肩を叩いた。

「ジェスロ・タルのメンバーがどれ程の幸運を手に入れたか…分かってくれるといいんだが。おめでとう.トニー」

実はトニーは最近とんでもなくヘビィなリフ2つ思いついていた。

それにギークが歌詞をつけていた。

俺達は規制のブルースから抜け出して皆を驚かせる準備が出来ていた。

「俺がいなくても.このバンドは必ず成功する」

トニーは目に涙を溜めていた。

それには俺は同意出来ないがトニーの将来を考えたら黙って送り出すべきだと考えた。

俺達はこの半年間みんなで困難を乗り越えて来た。
だから全員彼の成功を祈らずにはいられなかった。

しかしバンドが受けたダメージはもはや壊滅的なものだった。

【ロックンロール・サーカス】

BBCが年末に放送予定のこの番組のプランをトニーに聞かされた俺達は仰天した。

人気バンドのライブをテレビで放送するという趣向の番組だがジェスロ・タルはそのトップバッターを務める。

それがトニーの初仕事。

それだけでも充分凄い話だが。

ザ・フーの他にミック・ジャガー ギターにエリック・クラプトン ベースにキース・リチャーズ.ドラムにミッチ・ミッチェルという一夜限りのバンド.ダーティ・マックが結成される。

本職のギターも怪しいキースがベースなんて弾けるのかは疑問だったが。

ダーティ・マックにはビートルズ解散以降活動を休止していたジョン・レノンが参加すると非公式に伝えられていた。

「そら断われんわ」

「先に言えよ.トニー。おれだったら止められたら全員射殺してでも行くぜ…いやトニーを殺してトニーの皮を被ってトニーに成り済ます」

「マッド!俺もその中に入れてくれ!」

「俺も入れてくれ!」

「よし今からトニーを殺して着ぐるみにしよう。トニー殺されたくなかったら.さっさと出ていけ」

「マッドはお肉の加工が得意なんだ」

最後は笑ってトニーと別れた。

彼はロックンロールの伝説になるためにロンドンへと旅立って行った。

俺たちはみな魂の脱け殻みたいになっちまった。

この世界にトニーワイズマンは1人しかいない。

俺たちにはそれが分かっていた。

彼だからこそ上手くいっていた。彼がいないバンドをどうするかイメージすら湧かない。

家でベッドの上に仰向けになって考えていた時親父が俺の隣に座った。

手に10シリングの金を握らせ。

「友達と飲んでこい」

自分が思っている以上に俺は周りにはへこんで見えたに違いない。

キッチンのテーブルには母の頭を悩ます未払いの請求書が山積みされていたというのに。

「トニーだけがギタリストじゃないさ」

親父は俺に言った。俺なんだか失恋したみたいだ。

死ぬまでの間に俺を本気で愛してくれる女だって1人や2人はいるかもしれない。

でもトニーのようなギタリストなんて他にいないんだ。

もはや楽しみはトニーの勇姿をテレビで見る事しかなかった。

しかしその年BBCがロックンロール・サーカスを放送する事はなかった。

噂ではあのミック・ジャガー様がライブの時の音をお気に召さなかったようだ。

音なんてアンプにプラグを突っ込んだら.さっさと演奏すりゃいいんだよ。

下手くそなやつに限ってサウンドがどうこうぬかしたがるんだ。

テレビ局のスタッフがジョン・レノンに電話して。

「使用する機材を教えて下さい」って聞いたんだ。

ジョン・レノンは。

「音が出るやつ」

そう答えたんだ。そういうもんだろ。

ロックンロール・サーカスの封印が解かれたのは1996年のニューヨーク映画蔡での事だった。

トニーは彼のステージ・カラーの黒でなく白い帽子と衣装を着ていた。

ソング・フォー・ジュピリーというタルの名曲に彼のギターは新しい命を吹き込んでいた。

ただイアン・アンダーソンとの絡みは一切なかった。

彼には「あの娘はどうだ?」なんて聞けないんだろうな…見てすぐに分かったよ。

クリスマスの晩に「一杯奢らせてくれ」と皆にトニーから連絡があった。

トニーはロックンロール・サーカスに参加した翌日ジェスロ・タルを辞めてアストンに舞い戻って来たんだ。

「辞めたって…どういう事だ」

「あそこは俺が居るべき場所じゃない」

「酢漬けの卵とフレンチ・フライしかないパブがお前の居場所だってのか」

「まあ今のとこはな」

トニーは肩を竦めた。

ギークは釈然としないといった顔で言った。

「お前はジョン・レノンとライブまでやれるバンドに入ったんだぜ」

「俺は自分自身のバンドに居たいんだ。雇われなら前の仕事と同じさ」

「イアン・アンダーソンは悪い人間だった?」

俺は聞きたい事を聞いてみた。

「彼は紳士だったよ。何も問題ない.ただ」

「ただ何だよ」

「彼はあのバンドではジミ・ヘンドリックスなんだ。全て彼が決めるんだ。ギターのトーンまでね。俺はジミのバンドよりクリームの誰かでいたいんだ」

安い最低なリンゴ酒を3杯空けたビルは.もう泣きそうな顔をしている。

「あのバンドにはプロフェッショナルな空気はあるけど笑いはないんだ。誰も俺を笑わせてくれないし彼らも笑わない…俺はこのバンドに居たいんだ」

「じゃあ.俺達また一緒にやれるんだな」

ギークは笑顔になるのを必死で堪えていた。

「お前達が俺を迎えてくれるならな」

「名前を変えるべきだ」

「マッド名前の件は忘れろ」

トニーは俺達全員を見て言った。

「俺達に今必要なのは全員がバンドに取り組む姿勢を確認する事だ。俺はジェスロ・タルで本当のプロの仕事を見て来た。

彼らはただ1度のライブのためでも4日はリハーサルに費やす。俺達もそれをやらなきゃだめだ。
オリジナルの曲を書いてカバーはやらない。たとえ客にブーイングされてもだ。観客が俺達の曲を覚えるようになるまで.やり続けるんだ。そしてアルバムだ。明日の朝ジムにかけ合ってみる」

「全員で行こうぜ」

皆が真剣な顔で頷いた。

トニーは誰もが手にしたいと考える仕事を手放して俺達の元に戻って来た。

普通なら考えられない。

彼は自分が求めている事がちゃんと分かっていた。

そして有名バンドの威光がなくても自分は成功出来ると確信していた。

ならば彼の決断が正しいと俺達は証明するだけだ。

トニーはビールのグラスを一息で空けるとテーブルの上に叩きつけるように置いた。
ふと長い緊張から解けたように笑顔を見せて言った。
「がんばろうぜ」

ジム・シンプソンは既にヨーロッパ・ツアーをブッキングしていたのでアルバムのためのデモテープとリハーサルは地元に帰ってから行われた。

果たしてハリッジから出るフェリーに自前のバンに機材を積み込みフェリーに乗って北海を越えオランダからデンマークに至る旅をヨーロッパ・ツアーと呼んでいいのか。

気温マイナス25度の世界ではアクセルが凍り付き踏み込んだら.まっぷたつに折れた。

俺達は何度も凍死しかけたがなんとかツアーを成功させた。

地元に帰ってライブの合間に俺達は曲のアイデアをジャムり始めた。

「何か邪悪で禍々しい曲を演りたいんだ」

そう最初に提案したのはトニーだった。

俺達がリハーサルに使っていた建物からは町の映画館が見えた。

ハマープロのホラー映画が全盛の時代だった。

ホラー映画が封切られると映画館の前に長蛇の列が出来た。

「奇妙な話だ。皆怖がるために金を払う。恐怖は娯楽になり得るし恐怖を音楽にしたロックバンドは俺達の知る限りいない」

俺とビルとギークの3人はトニーの考えに賛同し歌詞のアイデアを考えた。

「19世紀の怪奇作家H.Pラブクラフトの「アウトサイダー」という物語を参考にしよう」

そう提案したのはギークだった。

そうしてN.I.Bの歌詞は完成した。

暗闇の中である日目覚めた男が闇を抜け出して外の世界にでるが背後から闇が彼を捕らえようと後を追って来るという歌詞だ。

トニーはリハーサルの合間にずっとリフを試していた。

トニーは少しリフのさわりを弾いては首を傾げ。

「これでは駄目だ」

「どこが駄目なんだ」

俺は言いたかった。一聴しただけだが身の毛もよだつような恐ろしいリフをトニーは思いついた。

でもトニーはそれ以上弾こうとはしなかった。

その頃になると俺達はロンドンの小さなクラブに進出し始めていた。

ある日俺達がステージに上がる前にDJがかけているレコードを聞いて俺は衝撃を受けた。

俺だけじゃない俺達全員がだ。

シンガーの声には聞き覚えがある…というか当時こんな歌い方が出来るやつは世界に1人しかいなかった。

ロバート・プラント。天を切り裂くようなハイトーンのシャウトは後に山程のクローンを産んだが彼がオリジナルだ。

俺はDJに訪ねた。

「今かけてるのはヤードバーズの新しいレコード?」

DJは首を振って答えた。

「いや.これはレッド・ツェペリンという新しいバンドだ」

もっと色々聞きたかった。
けど俺達はステージに上がらなくてはならなかった。

胸のざわめきが収まらない。

さっきのレコードを頭から追い出す事が出来ないでいた。

「集中しなくては」

他のメンバーを見ると皆心ここに有らずといったかんじだ。

胸が…ざわめく。俺だけじゃなくメンバーも.あのレコードを聞いたイギリス中のミュージシャンがそうだったに違いない。

「本当にヤードバーズじゃないのか?俺はあのバンドのシンガーを知ってるけど彼はレッド・ツェッペリンなんてバンド名は口にしなかった。メンバーの名前教えてくれ」

DJは親切にも俺に名前を読んで聞かせた。

「ジミー・ペイジ,ジョン・ボーナム,ジョン・ポール・ジョーンズ…ロバート・プラント」

ヤードバーズは過去の名前を捨てレッド・ツェッペリンに名前を変えた。

「もう1度頭からレッド・ツェッペリンのアルバムをかけてくれないか!」

DJは気軽に応じてくれた。

「俺も気にいってるんだ!こいつらスゲエよな!」

スゲエなんてもんじゃなかった。

「ヘビィなブルースをやろうぜ」というのは元々俺達の専売特許じゃなかった。

ブルースはアメリカから海を渡ってやって来た新しい音楽だったんだ。

英国のミュージシャンはブルースに魅せられ傾倒していった。

でもブルースを究めたいと思えば思うだけコンプレックスを抱える事になった。

白人は黒人にはなれないからだ。

皆どうしたら黒人のように歌えるか。

どうしたら黒人のように演奏出来るか。そればかり考えていた時代だ。

アメリカで生まれたジミ・ヘンドリックスはブルースの世界では異端児だった。あまりにその音楽のスタイルが自由奔放であったためだ。

本国では.ほとんど無視されていたし世間からも注目されていなかった。

彼に注目して彼をアメリカからイギリスに呼んだのはイギリスのミュージシャンたちだった。

自費で彼を呼び目の前で演奏してもらった。

ジミ・ヘンドリックスの人気に世界で最初に火がついたのはイギリスだった。

ブルースというスタイルに囚われず感情をそのままギターで表現する。

彼のギターは怒ったり笑ったり泣いたり吠えたりする。

「何をしていても常に新しい曲が頭の中に流れている」

生前彼はインタビューに答えている。

「観客の前で演奏するのは大きな喜びを自分に与えてくれる。ギターを弾くのが本当に好きだ。でも他のフレーズが次々浮かぶんだ。俺はそれも弾きたい。でも手は2本しかない…すると」

演奏中に指先がフリーズしてしまう事が多々あった。

そんな時彼は,ギターの弦に噛みついた。

歯でギターを弾いたんだ。

「冗談じゃねえ。あんなやつが出て来たら.俺達は失業しちまう」

エリック・クラプトンは言った。

「予測がつかない。ジミのギターを聞くと暗闇で1撃くらった気分になる」

ジェフ・ベックは言った。
エリック・クラプトンが在籍していたクリームは良いブルースと良い演奏が入ったアルバムを何枚かリリースした。

けれど彼らの本質はジミ・ヘンドリックスと同様ライブにあった。

大音響でブルースを事前の打ち合わせなしでフリーフォームで演奏した。

感情の赴くままにだ。

1曲の演奏が25分を越えることはざらだった。

クリームは成功したが短命だった。

「ブルースをヘビィに演奏しようぜ」

誰もがそう口にした。

それが時代の扉を開く鍵だと誰もが分かっていた。

でも.どうやったらいい?

ジェフ・ベックはクラプトンが去った後ヤードバーズをヘビィなブルース・バンドに路線変更しようとしていた。

サウンド面での構想はあった。

バンドにはサポートメンバーとして雇ったジミーペイジとジョン・ポール・ジョーンズがいた。

ジェフ・ベックは当時最も黒人に近い歌唱が出来ると言われたポール・ロジャースを獲得しようと試みたが上手くいかなかった。

ジェフは失意のうちにバンドを去った。

ヤード・バーズには残された2人とアルバム契約とジェフの残した素晴らしいアイデアがあった。

ジミーペイジはロバート・プラントと出会った。

ロバートを獲得したら友人のジョン・ボーナムまでついて来た。

彼は間違いなく20世紀最高のドラマーの1人だ。

ロバートは希代のシンガーだったが歌唱スタイルはブルースとはかけ離れていた。

それで良かった.それが答えでもあった。

誰がどう歌うか.それが重要だった。

リズム&ブルースをロックに加工しようとした時にブルース・シンガーを加入させたらブルースに逆戻りしてしまう。

皆が気づいたのはレッド・ツェッペリンのアルバムが発売された時だった。

ロバート・プラントはレッド・ツェッペリンのアルバムでトラディショナルなブルースナンバーも披露している。

しかし.まるでジゴロが誘惑するようなセクシーな声でブルースを歌った。

それまで皆が崇拝してきたブルースを見下ろすように挑発的にだ。

ロックとはそうしたものだしサウンド面も含め当時のミュージシャンが思い描いた理想をレッド・ツェッペリンはわずか1枚のアルバムで全てやってしまった。

比類なき完成度と桁外れのパワーで。

「なんなんだ?この分厚いギターの音は?」

俺がため息まじりに言うのを聞いていたのか.トミーが静かに言った。

「多分ギターを5本ぐらい重ねてレコーディングしてる」

「そんなのライブで再現出来るのか?!」

「やったもん勝ちだろ」

「それに例えライブでギターが貧弱でもこのリズム隊がいれば問題ない」

「ベースのアプローチが知的だな…曲に合わせて指弾きとピックを使い分けてるな…俺の知らないテクニックでベースを弾くやつだ」」

ギークは目を丸くしてベースの音を耳で追っている。

「スネアの音1発でドラマーの技量が.バスドラの音1つでパワーが分かる…このドラマーはビル・ブラッド・フォードの技術とキース・ムーンのパワーを持ってる。認めなくないけど…こんだけ爆撃機みたいに叩いても…」

「音がいいな」

「やっぱりこのベースだろ?こんだけ奔放に叩くドラムにしっかりついて行って音をまとめてる」

「間違いない.このベースがコンダクターだ」

トミーはレモンソングのリフを知らず知らず口ずさんでいた。

「ギターは大したことないかもな…でもリフのアイデアが凄いし良い曲を書く。これだけのメンバーがいれば充分だろ」

「とにかくヘビィな音だ」

俺が言うとトニーが言った。

「俺達の方が.こいつらよりヘビィなバンドになる」

ちなみにレッド・ツェッペリンとの契約にレコード会社が用意した契約金は俺の窃盗の賠償金の500倍らしい。



「俺はこれから寄るところがある。悪いが先に帰っていてくれ」

トニーは俺達にバンのキーを渡すと1人でロンドンの街に消えて行った。

次の日リハーサル場所に行くとトニーと他の2人は既にそこにいた。

「トニー.ギター代えたのか!?」

俺はトニーが抱えている幅の薄いギターを見て言った。

日頃見慣れた彼のストラトキャスターやトニーのテレキャスターと比べると随分コンパクトだ。

クワガタみたいな形をしている。

「59年のギブソン・レスポール・スペシャルだ」

後のギブソンSG。

開発者のレスポールが離婚する際に妻とレスポール名義のギターに関する権利を共有していたために1959年以降はレスポールのサインが消え現在のSGの名称に変更された。

SGはソリッド・ギターの略でその名の通り非常に金属的な音色が特長的なギターだ。

特殊な音色と軽量化のためにマホガニー材を使用しているため.とても壊れ易い。

「音のレンジも狭く調整も年中必要.パーマネントに使用するには扱いが難しいギターなんだ」

そんな風にトニーが説明してくれた事を今でも覚えている。

トニーが昨日まで大切にしていたギターはどうしたんだろう?

彼のギターは1954年製のストラト・キャスターだ。

工場で働くようになって貯めた金で買ったギターだ。

ジェフ・ベックの演奏を初めて生で見た時にステージで彼が弾いていたギブソンに一目惚れした。

テレビで観たブラック・モアも彼の好きなギタリストで彼もギブソンのギターを弾いていた。

尊敬するピーター・グリーンも。

「根拠はなかったが彼らみたいな優れたギタリストが使っているのだからギブソンは素晴らしいギターに違いないと確信したんだ。実際その通りなんだが」

彼は半年間働いて貯めた金を手にアストンのショッピング・モールに向かった。

勿論目的はギブソンのレスポールを買うためだ。

「でも店に行って試し弾きをさせてもらった時に『何か違う』と思ったんだ。ギブソンの独特の金属的な音は自分に合わない気がした」

彼はその当時ブルースに傾倒していたから…ギブソンよりストラトのやわらかい音色の方が自分に合うと思った。

「俺は結局ストラト・キャスターを選んだ。で.しばらくしてベックやブラック・モアをテレビで観たらストラトを弾いていた。ベックもブラックモア以前からストラトを使用していて.1時的にギブソンに代えただけだった。ギブソンのギターは個性が強いんでギブソンの音が必要な時以外で使うと.その人の個性を奪ってしまうんだ」

トニーはストラト・キャスターの最新モデルを購入しようと決めた。

でレジに向かう途中ふと見ると段ボールの箱に立て掛けられて投げ売りされてるギターを見つけたんだ。

「その中の1本のストラトが左利き用だったんだ」

興味を持ったトニーはそのギターを手に取り試し弾き用に設置されたアンプに繋いでみた。

「最新型のストラトよりも深みがあって良い音がしたんだ。売れなくて店の倉庫にずっと眠っていたらしい」

エレキ・ギターにもヴィンテージとしての価値があると言われ始めたのは80年代に入ってからだ。

要するにバイオリンと同じでギターも木材を使用して作られている。

経年の時を潜り抜けて来たギターなら状態さえ良ければ新品には出せない音色を奏でるんだ。

でも当時はエレキ・ギターは家電製品と同じで最新モデルにばかり価値があると思われていたんだ。

その価値に気がついたのはトミーだけだった。

彼はただ同然の値段でその素晴らしいギターを手に入れた。

そして.それをすごく大切にしていたんだ。

「俺の知り合いにギターのコレクターがいてな。俺の使ってるギターを見せると『これはストラト・キャスターの初期モデルで俺は持ってない。探しても中々見つからないし.譲って貰えないかな?』前から言われてたんだ」

「それで譲ったのか?」

トニーは頷いた。

「このレスポールの左利き用と交換したんだ」

ストラト・キャスターの初期モデルを今手に入れようとしたら屋敷が1つ建つぐらいの金が必要だ。

「いいギターだったのに」

俺が言うと。

「そうだな…でも」

トニーはキッパリとした口調で言った。

「あのギターじゃ今から俺たちがやる曲のサウンドには出せないんだ」

「今からやる曲って?」

「決まってる。お前たちが3人で歌詞を書いたN.I.Bだ」

「曲出来たのか?」

「歌詞を見た時に曲は浮かんでた。でも頭の中で今使ってるギターの音色じゃ駄目だって分かってた。楽器屋で片っ端から鳴らして音を辿るうちにレスポールのスペシャルならって思えたんだ」

「トニー準備できたぜ」

ギークは友人に借金して買ったリッケン・バッカーのベースを手にしていた。

「でもトニー.本当にこのチューニングでやるのか?無茶だと思うぜ」

「大丈夫だよ。ギーク」

「トニーがそう言うなら信用するけどさ。これ.聞けるのか?下手したら即ギター逝っちまうぜ」

「そんな無茶なチューニングしたのか」

「全弦3音だ」

全弦3音。

トニーが俺たちの曲に持ち込もうとしていた音階は中世では3全音(トライ・トーン)と呼ばれていた。

通称「悪魔の音階」である。この音階は人々に恐怖を与えるものとして中世では教会が宗教音楽に使用する事を固く禁じていた。

オルガニストがこの音階で曲を弾くと教会から人々が逃げ出したという逸話も残っている。

ギターでこの音階を弾くには非常に楽器にストレスがかかるのでギークが買ったばかりのベースを心配するのも無理はない。

トニーはギターだけでなくギークのベースにもそのチューニングをしていた。

「俺のチューニングなら大丈夫だ。何度も試してみたから」

「何度もって.そのギターでか?」

「いや.もう1本の方だ」

「もう1本て.お前が子供の時から使ってた.あの赤いギターか」

「あれと.これしかギターは持ってないからな」

俺が子供だった頃トニーワイズマンが皆の前で弾いたあの赤いギター。

子供の頃トニーはシャドウズに憧れギターを始めたいと思った。

親父さんに頼んでみたが昔も今もギターは高価な代物だ。

子供の玩具においそれと買い与えられるほどトニーの家も裕福ではない。

トニーは店の品出しや届いた商品の箱を倉庫に運ぶ手伝いをして小遣いを貯めた。

でも駄賃程度ではたかが知れていた。

使わくなった暖炉の木を鋸で切ってサンド・ペーパーで磨いてギターを作ろうとした。

配線もいい加減だったがそれなりに見れるものに仕上がった。

「でも俺のギターにはコンセントがついていたんだ」

アンプとギターを繋ぐプラグなんて分からなかったし知らなかった。

とりあえず電気を通そうとコンセントをつけた。

コンセントを差した瞬間触れていた針金の弦から感電した。

親父さんはそんな息子を見てギターを手に入れてやろうとした。

質屋とか古物屋の知り合いに頼んで探してもらったんだ。

届いたギターは右利き用だったけどトニー少年は毎日毎日ギターを弾き続けた。

弦がすごく重くて中々上達しなかった。

それは大人でも弾けない代物だった。

店のウィンドウに飾ってある見本のマスコット・ギターだったんだ。

「一応アンプを繋いだら音はちゃんと出たよ。感電もしなかった」

あの時俺が学校で見た輝ける少年は本物だった。

彼は通常の3倍の重さの弦のギターを右利き用を左利きで弾くために上下逆さまにして弾いていたんだ。

その時の俺はただ.ぽかんと口を開けて見ているだけだった。

何1つ学校で身につかず理解も出来ずにいた俺だが。

あの時俺はトニーワイズマンは最高で.将来素晴らしいギタリストになると思った…それだけは間違っていなかった。

「あのチューニングなら大丈夫だ。他のでやったらネックが折れた」

「分かった」

ギークが言った。

「レッド・ツェッペリンなんかに負けない曲が出来たんだ」

「やってやろうぜ」

全員で持ち場に散った。

ディストーションとかリバーブなんて言葉くらいは知ってるさ。

でもトニーはギークに言ったんだ。

「リズムはビルに任せろ。ギーク俺のギターに鑢をかけてくれ」

ギークはそれで全てを理解した。

ベースのネックを短く持って極限まで音を歪ませトニーのギターに音を重ねる。

全弦3音の連鎖だ。

「ビル.アドリブで構わない好きなタイミングで入ってくれ。カウントはいらない」

大音量でパワーコードをトニーが掻き鳴らす。

それが合図だ。

「マッド歌詞は頭に入ってるな?合図したら入って来い」

鎖を引き摺るような超重量級のリフが聞く者の臓腑を抉る。

普通のギタリストがサビやソロまでバッキングで楽をする部分をトニーはリフを畳み掛ける。

深く深く重くさらに重く.沈み込むように同じ弔鐘のリフを何度も繰り返す。

ビルはジャズがバックグラウンドにあるドラマーだ。

あえてトニーとギークの重力の底を思わせる低音と張り合ったりはしない。

ビルのドラムは空間を作り出す。

俺の声とトニーのギターとギークのベース.それぞれの音が棲む場所をビルのドラムが創る。

音の隙間とリズムチェンジで更なる重量感を演出するんだ。

ビルにしかないドラミング。

それは独特の倦怠感だ。それが何処から来るものなのかは知る由もないが。

このバンドのサウンドに独特の空気を作り出している事は間違いない。

リズムチェンジ。

トニーがギークに目で合図を送る。

ギークは一瞬戸惑うがトニーの口元を読む。

「疾れ」

恐怖感を伴うランニングベース。ビルのドラムがそれに加わる。

しかしトニーのギターは終止徹底して駆けない。

転調後最後にためにためた重厚で劇的なリフを弾き始める。

固い鉄の塊が溶鉱炉の中で溶け出して灼熱の流体となって全てを呑み込むかのように。

まじで建物の壁が.ぶっ壊れるかと思ったぜ。

こんな恐ろしい音を出すバンドを俺は見た事がない。



トニーの考えている事は普段俺達には分からない。

けど.それが分かった時皆驚くんだ。

今度は俺達だけじゃなく世界中の人間が驚くはずだ。

俺達はついにやったんだ。

俺達にしか創る事が出来ない音。

唯一無二のバンドについになれたんだ。

トニーは俺に言った。

「マッド.何も作る必要はない」

「ブルースもロックも関係ない。これは.お前が歌う事をイメージして書かれた曲だから」

トニーは何故あの時乗りかけたバンから戻ってきて俺とバンドを組む気になったのか話してくれた。

「俺にとって人生で最悪な事…それは指を失った事だ。再起を誓って入ったバンドも駄目になった。そして今度こそと思って叩いたドアの向こうにお前が立っていたんだ」

「それは」

「まじで最悪.そう思ったよ。お前の悪い評判は昔から耳にしていた」

そしてそれは.殆んどが疑いなく事実だった。

「でも俺達は学生時代言葉を交わした事もなかった。あの時初めてお前の声を聞いたんだ。ユニークな声だと思ったよ」


「トニー右手の指をどうしたんだ」

確かに俺はあの時彼に向かって.そう叫んだ。

「ここまで来たんだ.試してみるのも悪くはない。そう思ったんだ」

俺の家はアストンの中でも取り分け貧しい暮らしをしていたと思う。

遊園地とかデパートみたいな場所に家族で出かけた事は一度もなかった。

だからトニーの話を聞いても想像するしかない。

「子供頃家族でロンドンに行った。その時テムズ川のすぐ近くにあるアクアリュウムに行ったんだ」

世界中の珍しい魚が巨大な水槽の中を優雅に泳いでいた。

その中でトニー少年の目を惹いたのは海月だった。

「美しかったな。すごく神秘的に思えたんだ。水槽の中には何万トンという海水で満たされているのに海月だけは水の重さや圧力なんて関係なく漂っているんだ」
トニーはリハーサルで俺の横でギターを弾きながら思ったらしい。

「まるで海月みたいに空間を漂う声だ」

「海月みたいな声ってどんな声だよ?!」

「すっかり海月に魅せられてしまった。そんな俺を見て母が言ったんだ」

「綺麗だけど海月には凄い毒があるのよ」

「お前の声にも中毒性があるよ.マッド。もしかしたら体に溜まったマリファナとか気化してるのかな」

トニーは俺を.からかうように笑うんだ。

「それを最初に見つけて常習になったのは俺だって忘れないでくれよ.マッド」

「ギークにも以前言われた」

「あいつもジャンキーか。お前の声はどんなにヘビィな音にも潰されない。お前の声があると俺達の重さは逆に際立つ…海月で悪ければお前の声は」

トニーは少し考えてから俺の目を見て言った。

「唯一無二のデーモン・ヴォイスだよ.マッド」

普段からトニーという男はそんな事を考えているらしい。





天鵞絨の闇が瞼を開けた

私はそう思った

けれどそれは私の瞼

暗闇の中を吹き渡る風の音を聞いた

けれどそれは喉を通り舌震わせる私の声

私には闇の中.虚空を掴もうとする指先さえあるではないか

遠く天外に見える明かりを目指して

私は上へ上へと

ようやく外に出るとそこはオークの木々に囲まれた遺跡の群れの中

無惨に破壊された遺跡の床に穿たれた大きな黒い穴

たった今私はそこから這い出てきた

穴は最初から空いていたのか

それとも経年の時を経て崩れ落ちたものなのか

何れにせよ私は目を覚ました

あるいは何かの拍子に穴に落ちて気を失っていたのかも知れない

それでも穴から射し込む陽光は私に目覚めの時を告げた

生きよ

限られた生命の時を享受せよ

世界は私にそう告げている気がした

それほどまでに.この森や鳥や空や世界は光に満ち

たとえようもなく美しい

私はすっかり弱って萎縮した膝を拳で叩き筋肉をのばし.それから歩いた

私が振り向くと穴の中から闇が吹き出していた

私を再び暗闇に閉じ込めようというのか?

闇はこちらに向かって増殖する

私は恐ろしくなり逃げた

闇が私を追ってくる

私は必死で森を抜け山道を駆け下りた

闇が通った後は草花は枯れ果て小川は干上がり大地は砂漠と化した

闇が進む速度は私の足より遅い

私は闇を振り切った

私の喉は既にからからに渇いていた

それでも歩き続けようやく人に出逢えた時私は勇んで男に声をかけた

喉が枯れうまく声が出なかった

男は私を見るなり悲鳴を上げて遁走した

街に出て人に出逢う度皆が私を見て逃げ出すのだ

気がつくと闇が私の背後にあった

闇の巨大な黒い波頭が私を追い越し街を包み込んで行った

誰1人いない

あの遺跡のように廃墟となってしまった無人の街に私はいた

すっかり混乱し

うちひしがれた私は

せめて眠りにつこうとホテルの扉を潜る

エントランスに大きな姿見があった

そこに映るのはおそらく私

私は私が見た彼らではなかった

天鵞絨の闇の1端が私の首に巻かれた

それは永く永く続く暗闇の王たる者の証に他ならない

私はただ.天を仰ぎ.いつまでも叫び声を上げ続けた




マンチェスターの公会堂であったと思う。

俺達は集まった客の前でN.I.Bを披露した。

ブルースの揺れに身を任せマリファナに火をつけようとした男たちは固まっていた。

女の子たちは両手で耳を塞いで会場から逃げ出した。

人ならざる者の最後の咆哮はトニーのギターが鳴らす金属の音色。

静まりかえった会場に響いていた。

「俺達はバンドをやっている以上.少なからず女の子にキャーキャー言われたいと思ってやってるわけだ。それが耳を塞いで会場から逃げ出すってどういう事だ」

俺はパブのカウンターを叩いてバンドのメンバーに猛然と抗議した。

もちろん本気じゃない。

トニーは涼しい顔で言う。

「まあ女の子たちもすぐ慣れて愉しむようになるさ」

「俺達ちゃんとやってるぜマッドの顔が怖すぎなんだ」

「そうだよ.ちゃんとやってよマッド」

いつもステージで。

「あの娘はどうだ?」

そう聞いてくるトニー.でも最近は。

「もっとやれよマッド」

「なんかやらかせマッド」
俺に囁くようになった。

名前も忘れてしまったが.何処かの会場でライブに呼ばれた。

出迎えてくれた会場の責任者の人の身なりがとても立派で.いつもと違う感じがした。

1曲目にN.I.Bをやったら20秒で止められた。

責任者の人がステージに上がって演奏を止め俺達はステージから下ろされた。

「なんだ.その曲は?!君達は花のサンフランシスコやメロー・イエローをやるトップ40のバンド.バーミンガム・ウィザードじゃないのか?」

「俺達はバーミンガム・ウィザードだけど.そんな曲はやらない」

「くそくらえだ!」

「君らのマネージャーからはトップ40のカバーバンドと聞いてたから呼んだんだ」

「ジム・シンプソンか?」

「あの野郎!今から事務所に行ってしめようぜ!」

「マッド少し黙れ」

「ジム・シンプソン?そんな男は知らないな」

勘違いしていたのはその男の方だと気がついたのはトニーだった。

「他にも同じバンドの名前がいるんだ」

調べたら無名バンドのツアーリストに俺達と同じバンドの名前が載っていた。

「トニー」

「ああマッド分かってるよ」

トニーと違って俺の考える事は皆にすぐ分かるらしい。

「別の名前な…考えよう」

「Nativity In Black」

この曲に誇りを持っていたし.俺達の本質を現す言葉だからだ。

「異論はない」

「議論の余地も」

「もう変わらないよね」

全員一致でバンド名はNativity In Blackに決まった。

「交通費20ポンドやるからさっさと出てってくれ。そこの間抜けがいい事を言ったな.お前らは名前を変えるべきだよ。変えたとこで.あんなクソみたいな曲を聞きたがるのは正気の人間じゃないと思うがね」

会場の責任者の言葉も祝福に聞こえて仕方ない。

この世界は俺達も含め正気じゃない人間ばかり.ごろごろしてる。

だから俺達は何を言われようと.このバンドには未来があると信じていたんだ。

新しいバンド名にジム・シンプソンは良い顔をしなかった。

しかし俺達が数曲DA丁から録音した新曲のテープを聞くとイギリス中のレコード会社に売り込みをしてくれた。

世間では映画監督ロマン・ポランスキーの妻で女優のシャロン・テイトがチャールズ・マンスン率いるカルト教団の連中に自宅で友人たちと居るところを襲われ惨殺された。

ポランスキーはハリウッドでアイラ・レビンの「ローズ・マリーの赤ちゃん」を撮影中だった。

シャロン・テイトは妊娠していたんだ。

連日そのニュースがテレビで流された。

俺は本は読まないがデニス・ウィトリーというホラー作家の本が立て続けにベストセラーリストに名を連ねていたし。

映画の世界ではハマープロのホラーが映画界を席巻していた。

暗い世相の中で人々は自分たちをけして傷つけない類いの恐怖を求めていた。

だからジム・シンプソンは俺達の音楽にも必ず需要があると言ったんだ。

俺達は音楽の力だけで必ず成功出来ると信じていた。

でも世の中の流れに合わず契約を逃してしまうバンドもいた。

だから俺達がプロとしてデビューするタイミングは今をおいて他になかった。

ジムはイギリス中の13の大小様々なレコード会社に俺達のデモを売り込んでくれた。

音楽関係の有力者を招いて俺達のライブを見せた。

結果は惨敗。

皆興味深いバンドだと言ってくれたがレコード契約になると二の足を踏んだ。

俺達の音楽はそれくらい極端で妥協がなかった。

「ラジオ向けの曲がない」

というのも大きな妨げになった。

「しかしまだ手はある」

ジムは俺達に言った。

「自分たちでレコードを作るんだ。レコーディングしてジャケットもこちらで作ればレコード会社に負担はかからない。強力な宣材になるぞ」

費用はジムのマネージメントで負担してくれる。

「それならば販売してもいい」

そう言ってくれた会社があるらしい。

ジェット・レコードという会社が最近立ち上げたアンダーグラウンド専門のレーベルで名前はバーティゴ…そこからなら.という話だ。

レコード会社の配給が見込めれば最悪ジムが投資した分は売り上げから回収出来る。

俺達にとっても願ってもない話だった。

ロンドンのスタジオに出向いてアルバム用に用意した楽曲8曲を演奏した。

24時間でレコーディングは終わった。

そのまま慌ただしくスタジオを出て夕方には地元でライブをやっていた。

俺達にはレコーディングの経験はなかった。

だけどライブの数だけは何処のバンドにも負けない。

ヨーロッパ・ツアーの最後はドイツのハンブルグにあるスタークラブで演奏したんだ。

8年前にビートルズもアマチュア時代にそこで演奏した。

彼らと同じようにステージの上にあるハンモックを吊るしたネズミの巣になってる部屋に寝泊まりした。

ただで泊めてもらえる代わり11時から夜中の2時まで短い休憩を挟んで7公演を2ヶ月続けたんだ。

スタークラブはもうその時は外観も経営も傾きかけていたけど。

俺達が帰国した翌年に焼失した。

俺達はピンク・フロイドやジェネシスみたいにスタジオに半年も籠るようなバンドではなかった。

あのディープ・パープルだって全盛期に出したアルバムはスタジオの廊下で録音したんだ。

他のバンドがスタジオを使用してて彼らは忙しかった。

だから.廊下に機材を並べて一発録りでレコーディングを済ませた。

俺達もそんなかんじ…金がないのでプロデューサーと助手にかかる人件費を安く済ませたかったというのが1番の理由だ。

しばらくしてジムに呼ばれて完成したアルバムのジャケットを見せられた。

アルバムのタイトルとバンド名(両方同じだが)のロゴが書かれている程度のシンプルなものを俺を想像していた。

アルバムのジャケットには写真が使われていて全体的に薄い煉瓦色の色調で統一されていた。

痩せたフードを被った女性が立っている。

どこか魔女を連想させるその女性の背後には小さな黒い教会があった。

「エジンバラの山間部にある廃墟らしいが誰が何時の時代に建てたものかは分からないらしいね。教会の十字架はこちらでつけたらしい」

「この女性の表情!」

「素晴らしいだろ?撮影は夕方だったんで彼女本気で怖かったらしいね。背後の建物のドアが今にも開くんじゃないかって思ったらしいよ」

見開きのジャケットを開くと真っ黒な中に白い逆さ十字が描かれていた。

ヨブ記の黙示録的な言葉が十字架に書かれていた。

俺達はアルバムのアート・ワークについて何1つ口を挟んでいない。

逆さ十字にしろ黒い教会にしろ誰にどんな影響を及ぼすかという事についても。

こういったものが悪魔主義を象徴するものであると深く理解はしていなかった。

でもエジンバラの建物を建てたような人々は実在する。

ロンドンは昔からサバトの街と呼ばれていた。

俺達みたいな若者にも魔法や魔術に対する受容体みたいなものはある

イギリスのミュージシャンは音楽で錬金術めいた事をするのが好きだし。

この時代本気で黒魔術に傾倒するミュージシャンは確かにいた。

ドラッグや黒魔術が音楽に某かの力をもたらすと信じている人は確かにいた.それは別に大したことじゃない。

個人の問題だ。

しかし時代が進みビルが建ち並ぶ世の中になっても。

見えない場所で中世の時代の儀式を続ける連中は俺達をお気に召さなかった。

それはまた後の話だ。

俺達がこのアルバムのアート・ワークを気に入らなかった.なんて言えば嘘になる。

圧倒されたし何より初めて発売されるアルバムを目にした喜びは何物にも代えがたい。

俺達はジムからアルバムを1枚ずつ受け取ると自宅に持ち帰った。

「俺達ついにレコードを出せたんだ」

家族の前でレコードをかけた。

「マッド」

黙ってアルバムに耳を傾けていた親父が言った。

「レコードの回転数がおかしい」

「父さん.これでいいんだ」

「マッド.中のジャケットにプリントミスがある」

「どこに?」

「十字架が逆さまだ」

「アルバムを13日の金曜日に発売しよう」

それはギークのアイデアだった。アメリカでホッケーをつけた怪人が暴れまわる記念日になる前の話だ。

アルバムは発売初日に5000枚売れた。

月曜日には50万枚に達した。イギリスのチャートの4位にランクインした。

翌月にはアメリカで発売されたが爆発的な売れ行きだと聞かされた。

一刻も早くアメリカ・ツアーを開始しなくてはならない。

俺達のアルバムのレビューが英国のローリング・ストーン誌に掲載された日。

目まぐるしく過ぎて行く日々は既に始まっていた。

それでも俺達はまだ廃屋のリハーサル場を根城にしていた。

皆で集まって買ったばかりのローリング・ストーン誌のレビューが載っているページを開いた。

『タイタニック号の楽団の船出』

レビューはそれだけだった。

「イギリスのマスコミはとりあえず何でも貶すからな」

ギークは大人だった。

「貶して皮肉を言うのが格好いいと思ってるんだよね」

ビルも。

「アルバムは売れてるんだし気にする事は…」

「記事を書いたやつの名前は覚えたからな!」

トニーは拳を震わせながら言った。

ビートルズのアルバムだって彼らは褒めた事はないんだよ.トニー。

クイーンのアルバムレビューに彼らが何と書いたか。

バケツ一杯の小便。

こんなバンドが売れたら.俺は帽子を食ってやる

「タイタニックに乗った楽団か…洒落た事を言うよな。俺達の音に合ってるよ」

俺が言うとギークが。

「確かに的を得ている」

「これ褒めてんだ」

トニーも顔を上げて笑いだした。

「だが記者の名前は忘れん」

レッド・ツェッペリンはデビュー以来マスコミの取材には一切応じなかった。

シングルのリリースさえしないからテレビにも出ない。

イギリスのマスコミに。

「マスコミを無視する事で結局はマスコミを利用しているじゃないか」

と批判された。彼らは段ボールにくるまれたバンド名もタイトルも書かれていないアルバムをリリースした。

解散するまで発売したアルバムはその作品も含め全てが全英全米チャートで1位を獲得している。

彼らとビートルズだけだ。

トニーはロンドンで記事を書いた記者に会うなり殴りかかっていたが。


アルバムが発売されて8ヶ月が経った頃。

俺たちはロンドンに向かうロールスロイスの中にいた。

生まれて初めてロールスロイスに乗った。

新しいアルバムの準備も出来ていた。

しかしアメリカでアルバムが売れていたので発売を遅らせなくてはならなかった。

アメリカ・ツアーは未だに実現していない。

ビル・シンプソンが契約の解消を申し出て来た。

今や彼にとって俺たちは既にストレスの種でしかない。

彼はアルバムを100万売るバンドのマネージメントなど手掛けた事がなかった。

友好的な別れで何の問題も起きなかった。

俺たちは次のアルバムをリリースしてアメリカ・ツアーをブッキング出来るマネージメントを選らばなければならなかった。

探すのではなく選べるだけの存在にはなっていた。

今日俺たちは現在俺達のアルバムを発売しているジェット・レコードの社長であるドン・アーデンという人物に会いにロンドンまで行く。

ロールスロイスも彼が手配したものだ。

ジム・シンプソンは最後に俺達に有難い忠告をしてくれた。

「金の支払いの件だけ伝えるだけでいい。今後は彼に関わるな」

音楽業界に疎い.かけ出し俺達の耳にさえドンの悪い噂は届いていた。

彼の渾名はミスター・ビッグ。

アーティストを酷い契約で縛りつけた上に金を払わない。

交渉に来た人間の額に火のついた葉巻を押し付けた。

足を縛ってオフィスの窓から放りだして逆さに吊るした。

にわかには信じ難い話ばかりだが事実らしい。

ジムがドンの会社から俺達のレコードを出したのは苦肉の策だった。

しかし俺達はドンと正式に契約を交わした訳ではない。

依頼したのはアルバムの販売委託で彼のオフィスには手数料しか入らない。

そんな僅かな金にも飛びつく男だった。

しかし俺達のアルバムが万単位で売れ始めるとジムを通じて性急に契約を迫って来た。

未だに俺達はアルバムを売った金をドンから受け取っていないというのに。

俺達は新たな契約交渉などする気は更々なかった。

ただ.向かう目的は払うべき金を支払わなければ交渉の席にも着けないのだと.彼のオフィスに行って伝えさえすればよかった。

今回に限って言えば俺達が上位だった。

ロールスロイスがカーナビー・ストリートにある彼のオフィスが入っているビルの前に着いた。

車を降りてビルの4階にある彼のオフィスに向かう。俺達は全員.正直かなりびびっていた。

ユーストン駅から迎えのロールスロイスに乗ってここまで来た。

それ以前の俺は刑務所で性犯罪の世話をしたり処理場で動物の血や汚物にまみれていた。

ドンは人を世界に名の知れた存在にする事が出来る人物だ。

それと同時彼はその人から金を盗む.という評判がある人物でもある。

彼は犯罪の歴史に名を残すような詐欺師じゃない。

彼はただ単に金を払わない。それだけの事だ。

しかし彼の元に1人で金を払ってもらいに出向いたなら帰りは救急車に乗る確率が高い。

ただ俺達は彼に世界的に有名にしてもらう必要がなかった。

既にそこそこ有名だったしアルバムを作って売るにしても彼の手は一切借りていない。

受付で俺達を迎えてくれたのはブラウン色の巻き髪の若い女性だった。

大学生か高校を出たばかりにしか見えない。

地味なスーツを着ていたが可愛らしい印象を与える女性だった。

俺達は通されたオフィスのソファに腰を下ろした。

そこで彼の話に耳を傾けビジネスの話をしたんだ。

彼は長身でがっしりとしていて顔は怒りに燃えるロットワイラー犬に似ていた。

如何なる時も怒鳴りつけるような喋り方をした。

受付に通じる電話の受話器を持ち上げて噛みつくように怒鳴りちらす。

彼が話している言葉は。

「お客様がお帰りだ」

別に俺達は彼を激怒させたりはしていない.これが普通なんだ。

彼が常に怒鳴るもんだから世界中が震えているような気さえした。

ミーティングが終わり俺達は皆立ち上がり.お会い出来て光栄でした.とか何とか言いはしたが。

ギークは彼にぴしゃりと言った。

「そちらからの入金が確認出来ましたら私達は再び交渉のテーブルに着きたいと思ってます。アーデンさん」

入金が確認されても今後これ以上彼と関わるつもりはなかった。

俺達と彼を結ぶ契約は今のところ何もなく金を払わなければ裁判所が彼を呼び出すだろう。

俺達が暇を告げると彼は電話越しにずっと怒鳴りつけていた女の子を私達に紹介した。

「ジュライザだ。私の娘だよ」

彼は吠えた。

「ジュライザ.彼らを車まで送って差し上げろ」

俺は彼女に微笑みかけた。

けれど彼女は用心深げな視線を返しただけだった。

無理もない。

俺はパジャマの上着を着て靴も履かず首から紐を通した湯たんぽをぶら下げていたのだから。

きっと頭がおかしいと思ったに違いない。

それでもドンがぶりぶり何か喚きながらオフィスから出て行くと彼女は俺の冗談に笑ってくれた。

その笑顔に俺は卒倒しそうになった。

今まで見た事がない奇妙で美しい笑顔だった。

彼女の笑い声を耳にすると俺はとてもいい気分になった。

何度も何度でも彼女を笑わせたい.そう思った。

「ジュライザって名前は」

「あばずれみたいでしょ?」

「ロックスターみたいだ」

「生まれたのが女の子だったから父はロックスターと結婚させて金づるにしようと企んだのかも」

「なら俺も候補に入れてくれ」

「私ブライアン・フューリーが好きなの」

「なんだって!?あのメエメエ野郎か?」

「メエメエ野郎?」

「羊みたいな声でメエメエ歌う…確かに男前は認めるが」

「確かに!彼メエメエ歌うわ!」

「やつが自分の歌や牧場でメエメエ歌うのは勝手だがビートルズのヘルプを歌ったのは許せない」

「ジョー・コッカーのバージョンは?」

「あれは許せる」

「素敵よね…声が好きなの。ブライアンの顔は好みだけど声は好きじゃないの」

ジュライザは俺の顔を見て言った。

「私あなたの声が好きよ」

「アルバム聞いてくれたのか」

俺は恥ずかしくて彼女の顔をまともに見れない。

彼女は声を密めて言った。

「でもバンドの音は好きじゃない。あなたの声が好きなの…あなたの.声は似てないけれどジム・モリソンみたいに素敵」

「ジム・モリソンってヒッピーの親玉か?」

「世間ではそう言われるけど彼の音楽はヒッピーとか関係ないの.次元が違うわ」

俺はジム・モリソンのバンド.ドアーズのアルバムを買って家で聞いてみた。

3Jと当時呼ばれた.ジム・モリソン・ジャニス・ジョプリン・ジミ・ヘンドリックス。

ヒッピー文化の代表みたいに当時言われていたけど彼等の音楽はそれぞれ違っていて素晴らしく孤高だった。

俺は酒を飲みながらドアーズのレコードをかけ.よくジムに話しかけていた。

「太陽が月を壊し月が太陽を壊すのか…向こう側へ突き抜けろって向こう側ってどっちだジム?」

「終わりが来ると青いバスが迎えに来てバスは満員でハイウェイが60マイルの蛇になって蛇の皮は冷たいのか!中2だな!ビル!」

俺はヒッピーやヒッピーの好む音楽や文化を敵視する事で.ひたすら前に進もうとしていた.だけだった。

でも今はそんな必要はない。

過去に俺に酷い事をしたり人はいたが囚われていたら前に進めないんだ。

ジム・モリソンはメスカリンなんかのドラッグの力を借りて知覚の扉を開き向こう側に行こうとした.幻視者だった。

水晶の船という曲を聞いて俺は1人で部屋で泣いた。

この曲を聞くと彼が本当に境界線を飛び越えて.あちら側に行ってしまったのが分かる。

俺は今バンドの仲間にも恵まれて1人になるのが怖かった。

バンドを辞めて1人になった時俺はドアーズのコンピレーション・アルバムに誘われた。

俺のイメージからかロード・ハウス・ブルースなんかを勧められた。

俺は水晶の船を歌ったんだ。

ジュライザがとても喜んで聞いてくれたのを覚えてる。

彼女はモリソンのファンだったからね。

あと1曲カバーしたんだが…今思い出せない。

この頃になると記憶が飛んでる事が多くてね。

「私が生まれて母はすぐに病院から私を置いて出て行ったの」

いつかジュライザが俺に話してくれた。

「お母さんは.どうして」

「さあね.父と居たらいつまでも切ったお腹の傷が治らないと思ったのかも」

あの日ジュライザは別れ際に俺達に向かってこう言ったんだ。

「父とは契約しないで。けつの毛まで抜かれるわ」

俺はジュライザに逢いたいといつも思っていた。

だけど.彼女に近づく事はバンドの危機を意味していた。


ビルの外に出ると外は雪だった。

雪は次代に強くなり俺達の視界を曇らせた。



覚束無い手元.虚ろな瞳.空になった酒のボトル.次代に曖昧になる記憶。

流れているのはN.I.Bの3枚目のアルバムに収録されている初のバラード曲Blaind Snowだった。

「まだ全部読んでないんだ。俺は難読症なんでね。ある日急に本が読める時があるんだ。その時はまとめて沢山本を…!」

彼の手元から本が滑り落ちる。

とても大切な本だ。

大切なものは.いつも手から滑り落ちる。

慌てて彼の指先が裏表紙の端を掴む。

ページが捲れ彼の目の前に最後に書かれた文字が現れる。


私がロドニーを殺した

私がロドニーを・・!殺した!

その文字が目に入った瞬間に彼は引き金を引いた。

銃声が会場に響いた。

舞台の袖口からジュライザが彼の元に駆け寄る。

騒然となる場内。彼の体が椅子から崩れ落ちる。

吹き飛ばされなかった頭とまだその顔に残されたマッドマンの瞳は虚空を見ていた。

お前.そこにいたのか。

ギブソンのTシャツにジーンズ姿の若者が目の前に立っていた。

懐かしい.まるで少女のように優しげに微笑み。



ロド二ー・セイレム・ローズ

それが彼の名前。

あれから雪で前が見えなくなった。

雪が晴れた先には誰もいなくなった。

見渡す限り一面の砂漠。

砂漠のような世界を1人歩いた。

お前が救いだった。

砂漠のような世界で出会った。

1輪の薔薇。

俺の魂の失われた欠片。

目が霞んできたな。

思い出した。

こんな時にどうでもいい話だ。

俺が歌ったモリソンの曲…もう1曲はwhen the music is overだったかな。

今思い出したぜ。


音楽が終わる時

音楽が終わる時には

明かりを消してくれ

音楽は君の素敵な友だち



…友だちなんだ。



私はその時の一部始終をステージの最前列で見ていた。

ステージから客席に放り出された本を他の客が奪ってしまわないように拾い上げ.しっかりと胸に抱いた。

最初はステージにはバンドとマッドマンとジュライザしかいなかったが次代に彼の周りに人が集まり始めていた。



《 ピーターと友達・バーミンガム編 了 》



【 あとがき 】
ロンドン五輪開催記念作品(嘘)

本来はフェリーニの「道」という映画のロック版というのがこのお話の本筋であります。

1度は成功したミュージシャンが全てを失い失意の中で出会う青年ギタリストとの心の交流と喪失再生を描くはず…1つも出て来ないでやんの。

マッドマンは過去にいたバンドの悪魔的イメージを引き摺るアーティスト。

そこの描写はさらりでいいと思います。

でも僕は書いていて.まんまとそこにはまり込んでしまいました。

どんな場所でどんな風に育ったらこんな音になるの?

これを書くのが楽しくて仕方ありませんで…読んだ方は多分置き去りなのではと(+_+)

1960年代後半から70年代のイギリス・バーミンガムの描写については自分にしてはかなり正確に描きました。

お話に登場する刑務所や学校や町の施設も当時から実在したものです。

ジム・シンプソンなんかも実在の人物です。既にお察しの方もおられると思いますが後半「雪で前が見えない」という描写がありましたが雪とはスラングでコカインの事です。

N.I.Bは昔とあるバンドの曲に実際にありました。

でも確か意味はNose In…なんとかで意味は.鼻毛だったと思います(+_+)

中学の頃からロックが好きで洋楽の雑誌は隅々まで読んだりロック関連のカメラマンさんの本やツアーマネージャーさんの本なんかも読んだりしてましたが。 

我が家には20年分のロック雑誌があって「捨てろ」だの「何の役にも立たない」等言われて来ましたが…みろ!役に立ってるじゃないか!(あくまで個人レベルで)

いつか【砂漠の薔薇編】の方も掲載出来たらいいなと思います(*^^*)多分過去最ダークな作品になると思いますが…。

最後まで読んで下さいましてありがとうございます。


ココット固いの助
mixiアカウント http://mixi.jp/show_friend.pl?id=20662502

《 羽のもがれた蝶の行方 》 «  | BLOG TOP |  » 《 竜神詣り 》

プロフィール

MC運営委員会

Author:MC運営委員会
このブログの八割は、カボチャで構成されております。

カテゴリ

Mistery Circle(メインカテゴリ) (38)
寸評 (28)
MCルール説明 (1)
お知らせ (35)
参加受付 (22)
出題 (33)
メールフォーム (3)
内藤クンのおもちゃの部屋 (8)
天野さんの秘密の部屋 (8)
Ms.伍長の黙示録の部屋 (0)
伊闇かなでの開かずの部屋 (4)
未分類 (26)
亞季 (2)
いつき (1)
伊闇かなで (2)
空蝉八尋 (4)
黒猫ルドラ (11)
ココット固いの助 (20)
桜井 (1)
桜朔夜 (1)
鎖衝 (11)
知 (21)
しどー (11)
瞬 (3)
白乙 (12)
すぅ (13)
すずはらなずな (28)
田川ミメイ (2)
辻マリ (14)
夏海 (3)
七穂 (1)
氷桜夕雅 (29)
ひとみん (4)
松永夏馬 (12)
望月 (8)
幸坂かゆり (20)
李九龍 (12)
りん (3)
ろく (1)
Clown (12)
MOJO (1)
pink sand (9)
rudo (8)
×丸 (4)
MC参加者に聞け (7)
Mistery Circle ヒストリー (1)

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

検索フォーム