Mistery Circle

2017-07

《 Quartet―Extra song― 》 - 2012.06.30 Sat

《 Quartet―Extra song― 》

 著者:知






 見る人が見れば、二人は不恰好なダンスを踊っているように見えたと思う。
 私のパートナーが私達の演奏がどこかおかしいことに気づいていたかはわからない。けれど、私は気づいていて、その主な原因が私にあるということもわかっていた。
「はぁ……」
 授業の合間の休憩時間、一人になった瞬間に思わずため息が漏れてしまった。
 小さい頃から憧れていたフォニの専門校に入学して早一ヶ月が過ぎた。あの日から――入学初日にあるクラスメートの演奏を聴いた日から、私のフォニの音はどこかおかしくなってしまった。
 上には上があることは知っていた。コンクールで賞は何度も取った事はあったけれど、同学年の人だけでも私より上手い人は何人もいた。少し年上の人の中にも私より上手い人は勿論いたし年下の人の中にもいた。
 私よりも上手い人がいる。少しずつでも近づけるように頑張ろう。それが私の原動力だった。
 ただ彼女の――有栖川有彩(ありすがわありさ)さんの演奏を聴いたとき、私は凄く打ちのめされた気持ちになった。
 気づかないうちに手から零れ落ちてしまった大切なものに気づかされた感じだった。
 そう、それは小さい頃の私は確かに持っていたもの。
 でも、それは二度と私の手の中には戻ってこないということが感覚的にわかって、酷い虚無感が私を襲った。
 零れ落ちた一握の砂は又掬い取っても何れ零れ落ちる。
 その砂がどういうものか、どういうものだったのかはわからない。手の中からなくなってしまった事すら気づかないものだった。
 ただ、それの存在に気づかされた私は、なくしてしまったことに凄く傷ついていた。

 その日から私はスランプになった。
 自分が奏でる音に違和感を覚え、それを直そうとすればするほどおかしくなって泥沼に嵌ってしまった。
 幸いクラスメートは私の不調に気がついていないようだったけど(二人ほど私の演奏を聴いて首を傾げていたけど、直接私に何かを言ってくる事はなかった)  紗江子(さえこ)先生(私のクラスの担任の先生)にはバレバレだったようで、その日から丁度一週間後呼び出しを受けた。
 何を言われるのだろうと、おっかなびっくり紗江子先生のところを尋ねた私を先生は優しく出迎えた。
 そのときの紗江子先生の言葉をまとめると……この三年間で殆どの生徒は程度の大小はあれスランプになる。慌てず自分の音を見失わないようにスランプから脱すればいい、という感じになる。
 そして、決して口外しないように、と前置きしてから、
「あの子の音を聴いてその異常さに気づいた生徒が現時点で二人も出るとは思わなかったわ。おそらく、一年も経てば殆どの一年生が気づくだろうけど、そのときに何人の生徒がプロの道を諦める事になるのかしら。もしかしたら、フォニを弾けなくなる生徒も出てくるかも知れないわね」
 と、微苦笑を浮かべながら言った。
 彼女の――有栖川さんの音の異常さの正体が気になり、もしかしたらスランプ脱出の切欠になるかもしれないと思い尋ねたけど
「それを知ったところで深雪(みゆき)さんのスランプ脱出には役立たないわよ。自分で答えを見つけなさい」
 との返答がきた。
「深雪さんのスランプは技術的な問題ではなく心の問題だから、私が教えることができるのはスランプを脱出するためのヒントだけ」
 と、そのヒントを私に教えた後は紗江子先生と雑談していた。ただ、家路に着こうと靴箱で靴を履き替えようとしたとき心の中にあった荷物が少し軽くなっていたことに気づいた。


 フォニという楽器は不思議な楽器で人が一人一人声が違うように弾く人によって音色が違うという特徴があった。
 そして、フォニは鍵盤楽器の一種なのだけれどただ鍵盤を弾くだけでは音が鳴らない。
 前文明の名残か人類には人により多い少ないはあるけれど魔力があり、その魔力を使うことで様々な音を奏でることができる楽器なのだ。
 ただ、前文明の技術はフォニに関係するもの以外全て失われていて、前文明が魔法の文明であったという事も眉唾物だと言う人も決して少なくなかった。
 でも、フォニストの中で――フォニに携わった事のある人の中でそう思う人は皆無だと思う。
 フォニには妖精が住んでいる。
 一流のフォニストはその妖精とアンサンブルをすることができると言われている。
 ただ、その妖精の歌声はそのフォニスト本人しか聴こえる事がない。ただ、演奏者と聴衆が一つになったときを除いて。
 演奏者が自分の世界へと聴衆を導くことができたときだけ、と言ったほうが正確かもしれない。
 私は一度だけ一流のフォニストのコンサートへ行った事があり、幸いな事にそれを体験できた。
 私はまだ自分のフォニに住んでいる妖精の歌声を聴いたことがない。
 自分のフォニに住んでいる妖精の声を聴く事ができずに一生を終えるフォニストも多いと言われているけど、私の目標はプロのフォニストになることではなく、
自分のフォニに住んでいる妖精の歌声を聴くことなのだ。


「さて、今日はどこに行く?」
 今日は土曜日だから午前中しか授業はないのだけれど、お昼ご飯を済ませた後、私はフォニの入った鞄を撫でながらそう語りかけから肩に提げ歩き始めた。
 先生からスランプ脱出のヒントを教えてもらってから私は時間があるときはそれに従って行動していた。
 それは、フォニと一緒に気が向くままに歩くという事。
 最初はこんなことして何の意味があるのと、思っていたけれど、始めてから二、三日後には、そのような事は思わなくなっていた。
 まるでフォニが導いてくれるかのように色々な先輩達と出会い、その先輩達との出会いは私のためになる出会いだった。
 今はスランプ脱出のためというより、どのような先輩と出会えるかを楽しみにやっていた。勿論、誰にも会えない日の方が多いのだけれど。
「あ、深雪さん」
「紗江子先生」
 歩き始めてすぐに紗江子先生に声をかけられた。
「どう、調子は?」
「相変わらずといったところです」
 私がそう返すと先生は微笑みを浮かべながら
「その感じだと気づいていないみたいだから言っておくけれど、もう、音は前の状態に戻っているわよ」
 と言った。
「……えっ、でも……」
「前の音では満足できなくなっているのでしょうね。いい傾向よ。この壁を乗り越えることができたら深雪さんの音は劇的に変わる可能性が大きいわ」
 音は戻っている、そう言われても信じられないけれど本当なのだろう。ということは、
「もう、これ、続けても意味ないのでしょうか?」
「深雪さんが続けたいと思うのなら続けなさい。続ける必要がなくなったらそのときはなんとなくわかるはずよ」
「……はい」
 私はそう返事すると、失礼しますと会釈をし気の向くままに歩みを再開した。


「さて、そろそろ帰ろうかな?」
 数時間当てもなく歩いたところでそう私は独りごちた。
 回れ右をして家路につこうとした瞬間だった。私の耳が微かにフォニの音を捉えたのは。
 どこから聞こえてきているのかわからない微かな音色。
 でも、私の足はその音のするところへと進みだした。
 私がいたところからどれくらいの距離だったのかわからない。軽く息が上がっているところから途中から小走りになっていたのかもしれない。
 その音は空き教室の一つから聞こえてきていたようで、気がつくと私は閉まっているドアの前に立っていた。
 フォニの音はまだドアから漏れ聞こえている。
 私は深呼吸をし呼吸を整え演奏の邪魔にならないよう音を立てないようゆっくりとドアを開けた。
「……あっ……」
 教室に入った瞬間、襲ってきた音に私の心は奪われてしまった。
 有栖川さんの演奏が気づかないうちに手から零れ落ちてしまったものならば、この演奏は決してたどり着くことのできないような遥かなる高みにあるものだった。
 どうしたらこんな音が出せるのか想像もできない、同じフォニという楽器を演奏しているとは思えない。
 あらゆるフォニストが目指している頂の一つ、そこに到達していると感じさせる音だった。
 でも……何だろう僅かに違和感を覚える。
 演奏を終えると彼は――年の頃は初老ぐらいだろうか――私がいることに気づいたのか顔を上げ私の方を見、手招きをして私を呼んだ。
 私は開いたままにしていたドアを閉めてから彼の側へと行き
「すみません。お邪魔したみたいで」
「なに、丁度一息入れようとしていたところだよ。それより、まさかこんな所までくる生徒さんがいるとはね」
 申し訳なさそうな顔を浮かべそう言った私に、彼は全く気にした素振りを見せずにそう言った。
「こんな場所、ですか?」
「おや、君はここが旧校舎だということがわかっていなかったのかい?」
 私が頭に疑問を浮かべているのを見て、彼はからかうような口調でそう言った。
「えっ……」
 彼の言葉に驚いて思わずそんな声が出てしまった。私が元いたところから結構離れている場所にあるんだよね、旧校舎って。
「どうやら無意識にここまできたみたいだね。という事は私の音に魅かれて、いや、この曲に魅かれてきたのかもね」
 くくと笑いながら彼はそう言った。
「そうかも知れませんね。凄くいい曲でした。でも、今まで聴いたことがない曲」
「ああ、あの曲は私が高校生のときに作った曲だからね」
「高校生のときにあの曲を……」
 フォニの曲を作るのは難しいと言われている。フォニという楽器が感情を載せやすい楽器だから曲が演奏者の感情に負けてしまう、という事が度々起こってしまうと耳にしたことがあった。
 でも、あの違和感はそれが原因ではない気がする。
「ふむ……君はどう思ったかい、あの曲を聴いて」
 私の様子を少しの間見てから彼がそんな事を尋ねてきた。
「そうですね……掛け値なしにいい曲だと思いました。だけど……」
「……だけど?」
 思わず言い淀んでしまったところに彼が続きの言葉を催促したので、続けてゆっくりと
「何か違和感を覚えました。それが何かはわからなかったのですが……そう、未完成の曲、という感じがしました」
「未完成の曲か……」
 私の言葉を聞き、彼が苦笑を浮かべながらそう言った。
「……すみません。失礼な事を」
「いや、気にすることはない。未完成か……なるほど確かに未完成の曲だこの曲は。そして完成することがない曲でもあるのだよ」
 あれだけの演奏ができる人だ。彼は著名なフォニストだと思う。この学校は課外講義としてプロのフォニストを招く事があり彼もその一人だと思っている。
 若輩者の私が偉そうなことを言った事に謝ろうとした私の言葉を遮り彼がそう言った。
「私にはどうすればこの曲が完成するかもわかっている。でも、それはできないんだ。これはあの頃の――高校に入るまでの私を否定する事になるからね」
 私の目をじっと見つめながら、けれど、どこか遠いところを見つめながら彼はそう言った。
「君は今の自分の音が昔の自分のそれと違っていることに気がついたことはあるかい?」
「……それと少し違うかもしれませんが、小さい頃に持っていた大切な何かをなくしてしまったという事はあります」
 私の言葉を聞くと彼は頷き、話を続けた。
「線は少しずれるだけで後になれば大きなずれになる。あの曲は私が小さい頃のまま真っ直ぐに進んでいれば丁度合う曲だった。ショックだったよ、この曲が完成して実際に弾いたときは。そして、あの頃の音には戻れない事も同時にわかったからね」
 そこまで言うと彼の眼が私にわかるかい? と問いかけたので私は首を縦に振った。
「それ以来、私は一年に一回だけこの曲を弾くことにしている。誰かに聴かせるためではなく私の進んでいる道のメルクマールにするためにね。君が記念するべき初めてこの曲を聴いた人だよ」
「……私が初めて……」
「ん?」
「いえ、何か勿体無いなと思ってしまって。こんなにいい曲なのに……」
 思わず漏れてしまった言葉の意味を私は苦笑を浮かべながらそう説明した。未完成のものを披露することはプロとしてできないのはわかるし、この曲を未完成のままにしておく気持ちも何となくだけどわかる.でも、私は素直に勿体無いな、と思ってしまったんだ。
「勿体無い……か……ふむ……」
 私をじと見つめながら、いや、私が抱え持っているフォニの入った鞄を見ながら彼は何かを考えているようだった。
「君、ちょっとフォニ見せてもらってもいいかい?」
「えっ?」
 思わぬ言葉にオーバーに反応してしまった。
「今から弾いてみてとは言わない。ただ、見せて欲しいんだ」
「はい」
 何をするのだろうかと疑問に思いながら私は鞄からフォニを取り出し設置する。
「失礼するよ」
 設置し終えるのを確認すると彼はそう言い、鍵盤の上に両手を置き、目を閉じた。
「何を……」
 しているのですか、と言葉を続けることができなかった。
 目を閉じフォニの鍵盤の上に両手を置いている、それだけなのに犯してはいけない神聖なものを見ている気持ちになった。邪魔をしてはいけない、そんな気がした。
 暫くすると真剣だった彼の表情が和らいだ。
 その光景はまるでフォニと会話をしている様だった。


「……うん。もう、片付けていいよ」
 鍵盤の上から両手をどけ、そう言うと彼は教室の奥の方に向かい、彼の鞄の中を探り始めた。
「あの……」
 何をしているのだろうかと声をかけると
「ん? 少し待って、っとあった」
 彼の探していたものが見つかったらしくそれを手にすると
「はい、これ」
 と、数枚の紙を私に手渡した。そこ噛みをよく見るとスコアのようだ。
「あの、これは?」
「さっきの曲の楽譜」
 楽譜を読んでみると、確かにさっきの曲だった。
 なるほど、この楽譜がさっきの曲の楽譜だということはわかったけど
「どうして私にこれを?」
 その疑問が新たに発生した。
「いや、君が勿体無いと言ったからね。でも、私にはこの曲を発表することはできない。なら、君の手に委ねるのが一番だと思ってね」
「えっ、でも……」
 私は腕の未熟な高校生。この曲を受け取っても何もできない可能性が高い。
「誰かにこの曲を委ねるのは考えなかったわけではないんだ。でも、それに相応しい人には今まで一人も会わなかった。君は無意識にここにきていたみたいだけど、おそらくこの曲に呼ばれてきたのだと思うよ。何十年もここでこの曲を弾いてきたがここにきた人は君が初めてだからね。もし、この曲を発表する腕に至らなかったとしてもそのときは君がこの曲を委ねるに相応しい人に託すといい。少なくとも君はそれが判断できる実力には達する」
 私の心情を察したのか彼はそう言った。
「……では、この曲、お預かりします」
 この曲は飽くまで彼の曲だ。私はそれを預かるだけ。そう思い楽譜をぎゅっと抱きしめながらそう言うと私の言葉の意味に気づいたのか苦笑を浮かべた。
「お、もうこんな時間かそろそろ帰った方がいいのではないかい?」
「えっ……あっ、そうですね」
 彼の言葉を受け、私の腕時計を確認するとそろそろ帰らないと晩御飯に間に合わない時間になっていた。
「今日の君との出会いを感謝するよ」
 フォニを片付けている私に彼はそう声をかけてきた。
「私もです……あ、そう言えばお互いに……」
 片付けながら私はそう返すと、彼の『君』という言葉に引っかかりを覚えまだ名前を交換していないことに気づいた。
 でも、彼は私の言葉を遮って
「いや、今日のところはお互いに謎の少女と謎のおじさん、という事にしておこう。その楽譜が君の重荷にならないようにするためにね」
 と、言った。
 やはり、彼は著名なフォニストのようだ。
 フォニストの中には顔出しを嫌う人が多く、コンサート等で実際に会わない限り顔をすることができないのだ。
「まぁ、数ヵ月後には君は私の名を知ることになるだろうけどね」
 プロのフォニストが校舎内にいるという事は、今日、課外講義の打ち合わせにきたのだろう。課外講義のお知らせのポスターには顔出しを嫌っているフォニストでも顔写真と名前が載ると聞いたことがあった。
 おそらく、そのことを言っているのだろう。
「どのような形で君の名を知ることになるのか楽しみにしているよ」
 片づけを終え、教室から一歩出た私に彼はそう声をかけた。
 この言葉に私は振り返ると一礼をし家路へとついた。
 別れ際の彼の言葉への返事は私が実際に示すしかない。
 その為に私ができるのはこの曲を弾きこなせるようにする、ただそれだけだと思った。


 その二人は不恰好なダンスを踊っているように見えた。
 でも、二人はその事に気づいていないようだった。でも、生徒会長は気づいていたのだろう
「はい、もういいわよ」
 途中で二人の演奏を止めた。
「あの……どうでしょうか?」
「その言葉が出てくるようでは認められないとしか言えないわね」
 演奏していた二人のうちの一人がおずおずと言った言葉に生徒会長はきっぱりとそう言い
「クリスマスイヴに開催される音楽祭では一年生同士ではパートナーになれないという規則はそれなりの理由があるの。勿論、その理由を覆すほどの何かがあれば私は許可を出して後は先生方の判断を仰ぐ事になるわ。でも、あなた達はその何かがない。だから、許可を出す事はできないわ」
 と、続けて言った。
 生徒会長の言葉を受けがっくりと肩を落としている二人を見て
「そうね……んー例えばそこのあなた」
 暫く何か考えるような素振りを見せると私に話を振ってきた。
「はい」
「あなたは二人の演奏を聴いていたわよね。もし、あなたが私の立場だとして、この二人がパートナーになるのを認める?」
「いえ、とてもではないですが認められません。あそこまで不恰好なダンスを踊っているような演奏を聴かされると」
 生徒会長の質問に私はそう即答した。
「不恰好なダンス……面白い表現ね、言い得て妙だわ。彼女は一年生だけれどあなた達の演奏の欠点に気づいているわ。もし、あなた達の片方だけでもそれに気づいていればまだ考慮の余地はあったのだけれど、欠点に気づいていないならそれを直しようもない。音楽祭はお祭りでもあるけれど、生徒各々の演奏を上達させるという目的もあるの。それができそうにないからあなた達はパートナーとして認められない」
 生徒会長がそこまで言うと二人も納得したのか席を立ち、退室した。
「ごめんなさいね、待たせた上に巻き込んだりして」
 二人が退室し、一息ついたところで生徒会長がそう話しかけてきた。
「いえ、気にしていませんから」
「そう? えっと、あなたは……音楽祭への不参加届出の件、で合ってるわよね」
「はい」
 手元の紙を見て確認してきた言葉に私は頷いた。
「理由を教えてくれる?」
 音楽祭への不参加届出書には理由を書く欄はなかったのはこうして直接聞くためだったのだろうか、と思いながら私は返答した。
「音楽祭以上に目標が見つかりまして。この一ヶ月は両方とも頑張ろうと思ってやってみたのですが、両方ともが中途半端になってしまって」
「その目標の方を優先したい、というわけね」
「はい」
「この高校に入ってくる生徒の大半は音楽祭に出ることに憧れて入ってくるのに、それ以上のものが見つかったと」
「そうですね。私もまさか音楽祭の不参加を自ら考える日がくるとは思いもしなかったです」
 微笑を浮かべての会長の言葉に微苦笑を浮かべながらそう返した。
「そうね。目標があるなら私から反対する理由はないわ。授業中の演奏もこっそり聴かせてもらったけれど実力にも問題ないし。あの二人の演奏の欠点も気づいていたようだし」
 あの二人の演奏について私に話を振ったのは生徒会長なりの理由があったようだ。
「では……」
「先生方の判断も仰がないといけないけれど、間違いなく通るでしょう」
 生徒会長の一言にほっと胸をなでおろした。
「音楽祭の一ヶ月前なら届出の自らの撤回も認められるわ。ソロでの参加にはなってしまうけれど、もし、その目標が予想よりも順調に進んで余裕ができたなら遠慮なく言ってきたらいいわ」
「ありがとうございます」
 私はそう言うと席を立ち退出しようとしたところに
「あっ、そうそう。あなたの演奏を聴いた感じだけれど、大きな成長を予感させる演奏だったわ。どんな形でもいいから、成長したあなたの演奏をいつか聴かせて頂戴ね」
 と、生徒会長から言葉をかけられた。
「はい、必ず。失礼しました」
 私はそう返事をし深く一礼をして退室した。

 二日後、紗江子先生から不参加届出が受理された事を知らされた。
「深雪さんがこんな大胆なことやってくるとはね」
 受理の通知書を私に渡しながら先生はそう言った。
「色々ありまして」
「色々……ね。気づいてる?」
「?」
 何の事だか分らずに頭に疑問符を浮かべてしまった。
「ふふ、スランプの事もう全く忘れてしまっているみたいね」
「ああ、そうでしたね」
 先生に言われて思い出した。もう、スランプの事は綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
「スランプから完全に脱出できたみたいね。音もよくなっているし、この調子のまま頑張りなさい」
「はい。では、今日は練習室に予約を入れていますので、このへんで失礼します」
 私はそう言い、一礼すると退室した。


 それから、自由に使える時間の殆どをあの曲の練習に使った。
 何とか人様に聴かせる事のできるレベルになったのは夏休み寸前だった。
 定期試験の全日程が終了し、ほっとした空気が教室中を包んでいるなら、中のいいクラスメートの一人が教室に入り私を確認するやいなや
「深雪、大ニュースだよ。大ニュース」
 と、私の机の側まできて大声で言った。
「何があったの?」
「家の高校ってさ、プロの人を特別講師に呼ぶじゃない? 今回の人が超大物で。ほら、見て見て」
「どれ……え?永久修司(ながひさしゅうじ)」
「そう、永久修司。まさか、現存しているフォニストの中でトップだと言われているような人が講師にきてくれるなんて。もう、流石としか言いようがないよね」
「う、うん」
 私は驚いてそうとだけしか言葉を発することができなかった。彼があまりに有名なフォニストだからではない。
「それにしても、こんな顔だったんだね。かっこいいおじ様って感じだね」
 クラスメートの子が持ってきた紙。そこに載っている顔写真。
 それは、あの日、あの曲を私に託した人だった。
 名の通ったフォニストだろうとは思っていた。でも、まさかここまでとは……彼と私ではまさしく住んでいる次元が違うレベルの差だ。
 現存しているフォニストの中でトップだと言われているだけではない。彼は歴代フォニストの中でも五指に入ると言われているようなフォニストなのだ。
 もし、彼の正体を知っていたらあのような事は決して口にできなかっただろうし、あの曲を受け取る事もできなかっただろう。
「どうするの? 受けてみるの? 彼の講義」
 私は彼女にそう聞くと
「うーん。受けてみたいけど、彼、かなり厳しいって噂だし。厳しさのあまり毎年のように泣いて出て行く人も現れるみたいだし……」
 興味はあるけれど怖くて行けないという感じだろうか。
 そう理不尽に怒鳴りつけるような人には見えなかったけど。
「で、深雪はどうするの? やっぱ止めとく?」
 との彼女の言葉に
「私は受けてみようかな」
 と、少し考えてから言った。
「おー勇気ある」
「歴代フォニストの中でも五指に入る人だよ。やっぱり、色々興味あるしね。それに……」
「それに?」
「んーやっぱりなんでもない」
「えー何それー」
 それに、もしかしたら、彼に今の私があの曲をどこまで弾けるようになっているかを披露できる機会があるかもしれない。
 講義は夏休みの終わり近く。
 まだ、一ヶ月以上練習する期間がある。更に完成度を高めないと。
 私は間近の目標ができたことで気合を入れなおした。


 とうとう講義の日がやってきた。
 完成度をできるだけ高めてはみたけれど何か足りない気がする。でも、その何かがわからない。
 開始時間の十分前に講義の会場へと入ると、入り口近くのテーブルの上に箱があり、その箱は講義前に一つ取るようにと書いた紙を敷いていた。
 何だろうと思い、箱の中に入っている何かを一つ取り出すと、それは番号が書かれたピンポン球だった。
「三十五番……ね」
 後からくる人の邪魔にならないよう箱の前から移動しながら、何に使うのだろうと考えていると
「あーあーマイクテスト。マイクテスト。えー時間が来たのでこれから講義を始めます」
 今日の講義の講師である永久さんが教壇の前に立ちそう言った。
「これから今日の講義のやり方を説明します。皆さんに講義が始まる前に取ってもらったピンポン球。これに書かれている数字が今から皆さんに演奏してもらう順番になります。今回は三十五名の受講希望者がいたので一から三十五の数字になっているはずです。もし、まだピンポン球を取っていない人がいたら今すぐ取ってください」
 そういうと一旦マイクを置き、一分後
「もう、いませんね。では、箱を回収します」
 と言うと、箱を回収しに箱の置いてあるテーブルの側まできて
「どうやら、欠席者・遅刻者はいないようですね」
 と、箱の中身を確認していい、教壇の前まで戻った。
「演奏する曲は、各自が得意な曲又はお気に入りの曲から一曲選んで演奏してもらいます。どんな曲でもかまいません。私がやめの合図を出すか、曲が終わるまで弾いてください。そして、演奏が終わった後ですが私が残るように指示をした人以外は帰ってもいいです。勿論、他の人の演奏を最後まで聴いていたいなどの理由から全員が演奏を終えるまで残る事は全く問題はありません」
 と言うと時計をちらりと見て
「では、今から十分後に始めます。始まるまでは自由にしていて構いませんが、始まったら一切の私語は厳禁です。あまりに酷いようなら演奏する前に出て行ってもらうのでそのつもりで」
 そう言うと、彼は退室した。
 彼の発言に関して周りがざわめき始めた。
 毎回一年生対象の彼の特別講義ではこういう形を取っている。残るように言われる人は大体毎年一名のみ。全くいないときもある。残った人には特別に講義があり、これはその人を選別するためのものではないか。
 などなど、色々な情報が飛び交っていて、特に意識しなくても話は聞こえてくる。
 でも、私は順番は一番最後。ならば、あの曲を弾いても大丈夫な状況になるかもしれない。という思いからそんな話を全く気にしなかった。


「はい、時間になりましたので始めます。先ほども言いましたが以後は私語厳禁。私の指示に従ってもらいます。では、一番の方、どうぞ」
「は、はい」
 呼ばれた一番の生徒が緊張した様子で返事をした。
 指定された場所に座り、フォニを設置し楽譜を広げて演奏しようとした瞬間
「君は自分が得意な曲やお気に入りの曲を高校生にもなって楽譜を見ないと弾けないのかね?」
 との言葉が彼から飛んできた。
「えっ、いえ」
 一番の生徒はその言葉に慌てて楽譜を片付け、深く深呼吸をし緊張を和らげてから演奏を開始した。
 それでも、緊張はあまり和らげる事はできなかったのだろう。
 ミスがミスを呼びとても聴けるような演奏にはならなかった。でも、彼は曲の中盤までは演奏させてから
「はい、そこまで。プレッシャーに弱すぎる。技術面は問題ないようだからどうかしてそれを直さないと上には進めないな」
 と、言うと二番の生徒に準備するよう促した。
「……ありがとうございました」
 一番の生徒はとそう言うと、フォニを片付け部屋の後ろの方に行った。どうやら、すぐには帰らず他の人の演奏も聞いていくようだ。
 厳しいという噂の割には緩くないかな、誰もがそう思ったと思う。
 だけど、番号が進むにつれ、この一番の生徒はましだった、という事に気がついた。
 弾き始めて十秒もしないうちにやめの合図が入り、様々な面で論外、と言われたり、九番の生徒なんて
「あー弾かなくて結構。すぐにこの教室から出て行ってくれ」
 と、フォニを設置したところで言われていた。
 その生徒がとぼとぼと教室から出て行くとき、ちらと九番の生徒のフォニを入れた鞄を見たら、何となく彼がそう言った理由がわかった気がした。
 あの鞄の状態を見たらフォニがどうなっているのか想像に難くない。手入れサボっている。

 大半の生徒が曲の前半でやめの合図が入り、中盤まで弾ける人も出てこない中ついに最後まで弾けた人が出てきた。
「ふむ、先ずは名前を聞こうか」
「相川実夏(あいかわみなつ)です」
 同学年で有名な子だった。色々なコンクールで賞を取っている子。私も彼女と同じコンクールに何回か参加した事があり演奏を生で聴いた事があったけど、上手い子だった。彼女もこの高校に入っていたのか。クラスが同じでもなく取っている授業も違うと顔を合わせることも少ないから知らなかった。
「相川さん。では、次に質問を一つ。君がこの曲を選んだのは得意な曲だからか、お気に入りの曲だからのどっちかね?」
「お気に入りの曲だからです」
 彼の質問に彼女はそう即答した。
「ふむ、数ある早川裕(はやかわゆう)の曲の中でこの曲が気に入ったと?」
「はい。私自身何故この曲に惹かれたのかはわかりませんが、他の曲にない魅力を感じまして。まだ、弾きこなせていないのですが折角の機会なので」
 との、彼女の言葉に彼は頷くと、時計をちらと見て
「丁度いい頃合か……今までの私達の会話からわかると思うが、さっき彼女が弾いた曲は、生涯何万という曲をこの世に残した偉大なフォニストの一人、早川裕の曲だ。しかし、この曲を聴いた事がない人の方が多いと思う。彼女以外に聴いた事がある人は手を挙げてきてくれ」
 と、彼が言っても手を上げる人は誰もいなかった。
「結構。確かに彼が作った曲は多い。でも、殆どの曲はフォニストの中では知られている。おそらく、この曲ぐらいだろう。知らない人の方が多い曲は」
 そこまで言うと教壇まで戻り続けて言った。
「何故、知らない人が多いのか。これはこの曲を聴いた皆さんなら理解できると思うが、彼の曲らしくない曲なんだ、この曲は。彼の曲を得意とするプロのフォニストも多い。しかし、そういう人程、この曲を決して弾こうとしない。弾きこなせないのがわかっているからだ」
 そう言うと、教壇の下から何かを取り出した。あの大きさは、まさか
「勿論、彼の曲を得意としないプロも多いが。彼らもこの曲を弾こうとする人は稀だ。この曲はプロでも弾こうとする人が少なく、私が知る限り現存しているフォニストでこの曲を弾けているのは十人もいない。その理由は、この曲だけ、彼がどういう思いでこの曲を作ったのか書いていないからだ。ただ、わかっている事実はこの曲を作る半年前から作った後一年。この期間は決して他の曲を作ろうとせず、又、弾こうとしなかった。そして、以降、決して弾かなかったという事だけ。彼女が弾きこなせていないというのも、本物を聞いたことがないのが原因とも言えるかもしれない。ならば……」
 彼がそこまで言うと、教卓の上にフォニを設置しその曲を演奏始めた。

 あの日、彼の演奏を聴いたときレベルが違うと思った。しかし、彼はそれは、その曲は未完成だと言った。その事にこの演奏を聴いて凄く納得した。
 一音発しただけで彼の演奏に惹き込まれた。教室にいる皆が今が講義中だという事も忘れて聞き惚れた。
「……あっ……」
 誰が発した言葉かはわからないけれど、彼が演奏を中断した瞬間、そんな声が聞こえた。もっと聴いていたかった、という思いから思わず漏れてしまったのだろう。
「と、こんな感じかな」
 彼女の方をじと見て彼がそう言った。
「……えっ……」
 彼の演奏を聴いて惚けてしまったのだろう、そんな間の抜けた返事が彼女から返ってきた。
「この曲を弾けているのは十人もいない。けれど、私がその一人だっただけという話だよ」
「……ありがとうございました」
 彼が言わなかったこの曲を弾いた理由。それを彼女も察したのだろう。彼女はそう言うとフォニを片付け始めた。
「さて、次は十六番だったかな。準備して」
 彼女のお礼の言葉に頷くと次の生徒に準備するよう言った。
 これで確信した。
 これは選別ではない。演奏を聴いてどうしたらいいのかの助言を送っているのだ。
 その人のレベルに応じてその内容は様々だけれど、的確な助言を送っている。ただ、それを送るに値しないレベルの人には容赦はないようだけれど。
 残るように言われるのは、この形式では送るアドバイスがない場合だけなのかな?
 そんな事を考えながら各自の演奏を聴いていると、いつの間にか三十番まで進んでいた。
「ふむ、先ずは名前を聞こうか」
「秋月美空(あきづきみく)です」
 秋月美空。おそらく、一年生の中で一番有名な人だろう。母親が有名なプロのフォニストである秋月初音であり、彼女も数多くのコンテストで賞を取っているのだ。
「やはり君がそうか。なるほど、君の音はどことなく昔の初音を思い出させる。なるほど、彼女が君を養子に迎えたのもよくわかる」
「母をご存知なのですか?」
 彼の言葉を聞き、彼女はそう尋ねると
「知っているも何も、君の両親共に私の幼馴染だよ」
 との発言が飛び出し、思わず教室内がざわめいた。
「おや、今の若い人は知らなかったのか。結構有名な話だと思ったのだけれどね。まぁ、幼馴染といっても最近、互いに忙しくて会えていないからな。ご両親共に健康かね」
「はい」
「そうか。今度時間が合えば一緒にコンサート開かないかと、私が言っていたと伝えてくれないか?」
「わかりました、必ず伝えます」
 凄い発言が飛び出した。
 彼と秋月初音のコンサート……チケットは即完売は間違いない。
「と、話がそれたな……と言っても、君にはこの後残るようにとしか言えないが」
「はい。ありがとうございました」
 ついに残るように言われた人が現れた。だけれど、彼女の演奏を聴いてそれも納得だ。
 少なくとも一年生のレベルではない。そんな演奏だった。

 残るように言われた人が現れたからだろうか、演奏後も帰らずに残っていた人も帰り始めた。
 私の順番になる頃には教室にいる生徒は私の他は相川さんと秋月さんだけだった。
 この二人なら問題ないはず。
 番号を呼ばれ、演奏の準備を終え私の前の人が教室から出たのを確認すると私はそんな事を思い
「では、始め」
 合図を確認するとあの曲を弾き始めた。
 弾き始めてすぐに彼が私の方を見た気がした。でも、私はそんな事は全く気にしなくなっていた。演奏にのめり込んでしまったからだ。
 相川さんへの言葉。そして、秋月さんへ言葉。それで何となく足りていない何かが判った気がした。ぶっつけ本番にはなってしまうけど、これでいけるはずという思いから只管弾く。
 私は運のいいことに秋月初音プロの演奏を生で聴いた事があった。彼とは違うベクトルで素晴らしい演奏だった。
 コンサートにきた人を幸せな気持ちにさせるようなそんな音。
 彼はあの日、あの曲は小さい頃のまま真っ直ぐに進んでいれば丁度合う曲だった。と言った。
 その音がどんな音だったかはわからない。けれど、ずれに気づくまで彼が目指していた音は何となく理解できた。
 彼は秋月初音プロのような音を目指していたはずだ。
 勿論、私の音も秋月初音プロとは遠くかけ離れている。けれど、だからこそ、この曲を弾きこなすことができるはずだ。
 彼が作ったときの想定した曲とかけ離れたものに仕上がっているかもしれない。
 けれど、それでいいのだ。私がこの曲を預かったのだ。
 小さい頃になくしてしまった大切なものに気づかされ。その事を嘆き悲しみ。だけれど、それを乗り越えて。けれど、それを忘れることなく糧にして一歩一歩進んでいく。そんな決意を込めて演奏する。
 無我夢中で弾いていたらいつのまにやら曲の終わりになっていた。
 演奏を終えると体中を凄い疲労感が襲った。たった一曲弾いただけでここまで疲れたことは今までなかった。
 でも、同時に満足感もあった。
 数分――もしかしたら一分にも満たない時間かもしれなかったけれど私にはそう感じられた――沈黙がこの教室を支配した。
 不思議に思い彼の方を向くと
「……ん、あー。うん、君も残って。今から十分間休憩をして残るように言った人たちだけで次を始めます」
 と、だけ言うと彼は教室から退出した。

 上手く弾けただろうか。
 そんな事を思いながら後ろを振り返ると、二人がじと私の方を見つめている事に気がついた。
 どうしたのだろうと首を傾げると、それが合図だったかのように二人は退出した。
「……どうしたんだろう?」
 そんな二人の様子を見てそんな言葉がこぼれた。


 十分後、彼と秋月さんが戻ってきた。
「今年は二人残ったか……さて、どういう形にしようか」
 彼がそう呟き暫く考える様子をみせて
「よし。君、もう一回演奏してくれないかな?」
 と、私の方を向いて言った。
「同じ曲をですか?」
「同じ曲でも違う曲でも。同じ曲を違う感じで弾いても構わないよ」
 私の質問に彼はそう返してきた。
「わかりました」
 違う感じでも、か。あの演奏を聴いてあれが即興のものだという事がわかったのだろう。
 今度はいつも弾いていた感じで弾いてごらん、といったところなのだろう。
 私は同じ曲を、しかし、先ほどとは全く違う感じで弾き始めた。
 おそらく、さっきの演奏を聴いた二人には何か物足りないものになっていると感じるはずだ。
 けれど、今回はこれで完成している演奏なんだ。
 ちらと彼の方を見るとその何かに気づいたらしく苦笑を浮かべている。おそらく、秋月さんは気づいていないはずだ。
 今のこの曲は彼にだけに向けた私のメッセージにしかならないのだから
「まだ、君の名前を聞いていなかったね」
 演奏を終えると彼は開口一番そう言った。
「倉沢深雪(くらさわみゆき)です」
「倉沢さんか……では、君に。質問を二つ、いや、一ついいかい?」
「はい」
「今の君にとって、これ以上私の助言は必要かい?」
「いえ、必要ないです」
 彼のとんでもない質問に私はそう即答した。
 通路を挟んで私の隣にいる秋月さんが思わず私の方を見たようだ。視線を感じる。
 そう、私には彼の助言は必要ないのだ。私はあの日、彼から助言をもらったのだから。
「ありがとうございました。失礼します」
 私はフォニを片付けると一礼して退出した。


「んーもう待っててもこない、かな」
 演奏を終えた私は彼とあの日会った旧校舎の教室にいた。もしかしたら、彼がきてくれるかもと思ったからだ。
 演奏を終え、この教室にくるまでの事を思い返す。
 相川さんが途中で待ち構えていたときは本当にびっくりした。
 凄くいい演奏だった。小学生のときに初めてあなたの演奏を聴いて、この子は伸びると思った私の感覚は間違っていなかった、と微笑みながら彼女は言った。
 私達の学年は三人で色々争う事になりそうね、と言い残して去ろうとしたので、もう一人いるよ。と去ろうとした背中に言うと
「そう、あなたが言うなら間違いなさそうね。楽しみだわ、そのもう一人が」
 と、振り返り思わず見惚れてしまうような微笑みながら言うと、去って行った。
 彼女も有栖川さんの演奏を聴けばわかるはずだ。

 彼女と別れてからすぐに旧校舎にきて、もう、二時間が経とうとしている。
 流石にもう講義は終わっているはず。
「もう、待ってても現れないかな」
 私はそう呟くと家に変えるべく、靴箱と向かった。
 靴箱を開くと
「あれ?」
 一枚の手紙が入っていた。
 思わず、靴箱の前に書いてある名前を確認する。うん、私の靴箱だ。
 手紙を確認するも差出人らしき名前は書いていない。
「ラブレターにしては色気のない手紙だよね」
 などと周りに誰もいないのにそんなふざけた事を言ってしまった。
 中身が気になり開封すると
「あっ」
 彼からの手紙だった。手紙に書いて渡すくらいならあの場所にきてくれればよかったのに。と思いながら手紙を読むと
『まさか、この短期間であそこまでの演奏に仕上がっているとは思いもしなかったよ。どうやら、即興の演奏だったようだけれどその方向で間違いないからそのまま進んで欲しい』
 と、だけ書いてあった。やはり即興のものという事はわかっていたようだ。
「あれ、まだ続きがある」
 よく、見ると追伸として手紙の下の方に何か書いてあった。
「えっと、『二回目の演奏。君の気持ちはよくわかった。意外と大胆のようだね。その日がくるのを楽しみにしているよ』」
 大胆……そう言われるようなことなんて。ただ、あれは彼とアンサンブルして完成するようにした……
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
 そこまで考えてようやく理解できた。
 彼は超一流のフォニストである。スケジュールも埋まっており年中忙しく世界を飛び回っている。
 そんな彼とアンサンブルしようと思ったら、私も同じ舞台に立つしかない……の?
 プロになるどころではない大胆発言じゃないの、これ。
「あー待って。彼はあの音楽祭の審査員でもあったわよね。確か、金賞受賞者は審査員の誰かとアンサンブルできたはず。それを狙えば……って、それも十分に大胆発言じゃない」
 誰も周りにいないことをいい事に、そんなことを叫びながら思わずぺたんと地面に座ってしまった。
「……兎に角練習しかないね」
 呆然としていても仕方がない。彼とあの曲でアンサンブルしたいというのは私の本当の気持ちだ。
 ならば、私に今できるのはそれだけしかない、と思い家路に着いた。



《 Quartet―Extra song― 了 》



【 あとがき 】
 MC vol.31に書いた話と同じ世界の話だけれど、前作を読んでいなくてもわかるはず?
 一つの作品に中にお題を二回入れてみた。
 実は本来の締め切りの日に最初の終わりのところまでしか完成していなくて、締め切りが延びなかったらここまでは書けなかった。
 ただ、後半部分は吶喊作業になったのでおかしいところもあるかも。本来なら書く予定だったシーンも結構省いていたり><
 しかも、時間ギリギリだったので推敲もあまりできていないし><


忘れられた丘  矢口みつる(知)

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