Mistery Circle

2017-05

《 名前も知らないお二方へ 》 - 2012.06.30 Sat

《 名前も知らないお二方へ 》

 著者:望月






その広告は夕刊の片隅にひっそりと載っていた。

その日の二人は、手を取り合って、お互いを見つめ合っていた。
静かな夕暮れ時だった。窓から入る西日が、部屋を茜色に染めていた。
私は明かりを絞った部屋の中で、斜陽に目を細めながら、ロッキングチェアに身を任せてゆっくりと揺られていた。
手元の扇子をぱたりぱたりと動かす。
惰性で動かしているので送風は少ないが、汗ばむほどの暑さも慣れてしまえば気にならない。
心地いい眠気が緩やかに降りてくるのを感じながら、膝に置いた夕刊を、見るともなしに眺めていた。

ふと足に温かさを感じて、目を開けた。どうやら寝てしまっていたらしい。
視線を落とすと、灰色の小さな子猫が私の足に体を擦り付けていた。
「花」
名前を呼ぶと、ニャー、と小さく鳴く。二ヶ月前拾ってきたばかりのこの猫は、どうやら自分の名前を憶えてくれたらしい。
体を曲げて、手を伸ばす。定年を過ぎ、歳を取ってからは、年々痛くなる腰に顔を顰めながら、どうにか小さな灰色の塊を掬い上げた。
夕刊と、その上に置いたメモ帳の位置をずらし、子猫を膝の上に載せる。大人しく私の膝の上に収まった子猫は、僅かに体を身じろぎさせ、私の顔をまっすぐに見上げた。
窓から入る茜色の斜陽が、花の和毛を金色に光らせ、黒い瞳を輝かせていた。
猫は面白い。
私は花の他に四匹の猫を飼っているが、一匹として同じ性格のものはいない。
他人に言えば笑われてしまうほど当たり前のことかもしれないが、それまで生き物を飼ったことがなかった私にとっては、定年後に見つけた発見の一つだった。
花は、子猫ではあったが物静かな猫だった。そのくせ、好奇心が旺盛で何事にも興味を示す。
私の膝の上で一緒に本を読むのもこれが初めてではない。妻の佳代に言わせると、「猫が本を読むわけないじゃないですか。膝の上が好きなんですよ」ということらしいが、猫が印刷物を理解できないと、どうして断言できよう。
見上げてくる瞳に口元を緩ませて、私は花の小さな頭を撫でた。
「ほら、花ごらん。ここに面白い広告があるんだよ」

* * *

私がこの広告に気が付いたのは、今から三年前のことだった。
会社を定年で退職し、半年が経ち――毎日をひたすら無為に過ごしていた頃のことだ。
朝早く起きても、アイロンを掛けたスーツに着替えることはなく、時間を気にしながら、妻の用意してくれた朝食をかきこむこともない。肋骨の折れそうな満員電車に乗る必要もなければ、会議の内容を考える必要もない。
少し前まで夢見ていた、自由な時間のはずだった。
 しかし、実際に迎えてみたその時間は途方もなく長くて、何をすればいいのかまるで分からなくなってしまった。
 定年を迎えたらやってみたいと思ったことは沢山あったはずなのに、一通り体験してしまうと、どうしても時間が余ってしまう。
 そんな時に、空いている時間を少しでも埋めるためにと、取り始めたのが夕刊だった。
 新聞は良い。
 その文章を読んでいるだけで、自分も世間の動きを知ることができる。新しいニュースや、専門知識、先端技術をまとめて読むことができる。時間が沢山あるからこそ、朝と夕に新聞を隅から隅までゆっくりと読むことができるのが贅沢だった。
 朝に夕にと新聞を読み込むうちに、ふと夕刊の広告面の片隅に、毎日載っている広告があることに気が付いた。

 広告――というのだろうか。
 『あなたの想いのはきだし場所』と黒の太字で描かれたそのスペースは、周りの色鮮やかな広告たちに埋もれるようにして、毎日ひっそりと載せられていた。
 どうやら、その広告は他の広告とは違い、何かを売り込むものではなく、紙面に載せることを目的としているようだった。
 約五センチ四方の白いスペースに、小さなサイズの文字で『今までありがとう。テツ』だったり『あの時、赤い帽子のあなたに出会えてよかったです。まり』、『素直になれずにごめんなさい。元気でいてください。お母さん。みか』、『後悔。ありさん、人生を変えてしまってごめんなさい』などの文章が素っ気なく羅列されている。
 お金を払えば誰もが載せることができるような投稿型のスペースだろうか。
 こういう内容ならば、広告欄ではなくてコラムだとかエッセイだとか、別に載せるところがあるのではないだろうか。他の広告と比べると明らかに場違いだ……。とも思ったが、毎日欠かさず載せられているそのスペースをそれとなく眺めているうちに、この広告スペースは、この形式で需要があるのだと納得した。

 掲示板や短いメッセージの投稿場所ほど目がつかない。広告欄は、感心がある人しか見ることはないだろう。そもそも、こんな素っ気ない文章しか載せない広告なのに、毎日きちんとスペースを取っていることが驚きだった。
 新聞社は何を考えてこの広告主にOKを出したのだろうか。
 その広告は、どうやら文字も絵も自由な形式らしく、ある日、イラストが加わっていた。素っ気ない文章の片隅に、それこそ一センチほどの大きさで、標識のように簡略化した男女のキャラクターが二人、描かれている。
 その二人は、男性が女性に手紙を渡しているところから始まっていた。
 次の日は、女性が手紙を男性に返しているイラスト。その次の日は、男性が女性に頭を下げているイラスト。
 良く見ると、日によって、そのイラストの描き方は微妙に異なっているようだった。例えば、今日のイラストはキャラクターの頭部分の円が大きい。今日のイラストは、頭が小さくて手足が長い、その次の日は、またキャラクターの頭部分が丸い――という具合に。
 おそらく、このイラストは二人で描いているのだろう、と想像を巡らして楽しくなった。
 以来、私は毎日夕刊を手に取ると、この広告を真っ先に見るようになっていた。
 広告を確認し、ハサミを入れ、手元に沢山あった手のひらサイズのメモ帳に一日づつ貼り付けていく。
 世間のニュースも、周りの広告も移ろっていく中で、その想いを吐き出すスペースだけは、一日も休むことなく、夕刊の片隅にひっそりと存在し続けていた。
 ふと気が付けば、私の机には、三年分のメモ帳が積み上げられていた。

 * * *

「考えれば凄いよねぇ。この広告に載せるのがどれくらい掛かるのか知らないけど、三年間毎日だよ。私のメモ帳だけでもいくら掛かったことやら」
 膝の上で、花が訳知り顔で「みゃぁ」と鳴いた。開いた瞳孔が少しだけ怖い。
 傍らの机に積み上げたメモ帳を眺める。小さなビル群のようになってしまったメモ帳たちを見ていると、改めて三年間という月日は長かったのだなと思った。
「――こんな暗いところで活字を見ていたら、ますます目を悪くしますよ」
「おぉ……」

 茜色に慣れた視界が、突然人工的な白い光で埋め尽くされた。
 眩しさに耐えかねて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。目を覆いながら首を捻ると、洗濯物のかごを抱えた佳代が呆れたような表情で佇んでいた。
 もはや部屋の中に茜色の気配はない。窓の外を見ると、茜色だと思っていた空は、濃紺を色濃く混ぜていた。どうやら思っていたよりも部屋の中は暗かったらしい。
 何気なく視線を落として、私の顔を凝視したまま硬直している花を見て吹き出した。
「佳代さん、急につけるのは辞めてくれ。花がびっくりしてる」
「だから事前に声掛けたじゃないですか。花ごめんね。――それ、今日の夕刊ですか?」
「うん」
 膝の上から花をひょいと持ち上げると、洗濯かごを置いた佳代が夕刊を取り上げた。興味深そうに広告面を見る。
 そして、佳代はその目じりに笑い皺を刻んで、柔らかい笑顔を咲かせた。私までつられて笑顔になる。
「これ、昨日は男性の方が女性に指輪を渡してましたよね。上手くいったってことなのかしら」
「そうじゃないかなぁ。良かったよね」
 前足の下に手をさし込まれて持ち上げられた花が、足を片足ずつ上げて、手を蹴ろうとする。
 可愛らしい抗議に、大人しく床に降ろしてやってから、机の上からハサミを取り上げた。
 佳代から夕刊を受け取って、いつものようにスペースを四角く切り取る。
 紙を裁断する音が響く中で、「上手くいったのはおめでたいことですけれども」と佳代が呟いた。
「でも、不思議ですよね。こんな広告を三年間もずっと出し続けるなんて、どんな方たちなんでしょうね」
 常々思っていたことを言われて、私も同意を込めて頷く。
「うん。そうだね。メールでも電話でも手紙でもなくて、なんでこんな広告を選んで続けてるんだろう。夕刊にスペースを取ってる以上、無料じゃないだろうしね。そこら辺を想像すると、ドラマチックな想像しかできないよ」
「ドラマチックですか」
 口元に手を当てて佳代が吹き出す。
 切り終わった紙を、いつものようにメモ帳に貼り付ける。
 メモ帳に張り付いた二人を見ていると、ふと不思議な感慨が胸に押し寄せた。
「……ねぇ佳代、不思議だね。私はこの人たちのことを名前も顔も知らないのに、気が付けばこの人たちの投稿するキャラクターを見るのが日課になっていたよ。二人が離れていたら心配になったし、指輪を渡すところを見たら年甲斐もなくどきどきした。これはどういう感情なんだろうね」
「そうですねぇ。きっと子供がいたらこういう感覚なんじゃないですか? あるいは家政婦は見た、的な」
「家政婦……?」
 これだけ長く一緒にいるにも関わらず、佳代はたまに私には分からない物言いをする。
 分からなかったが、笑顔の妻を見ていると、まぁいいや、と思ってしまう。
「そろそろ夕食の時間だね。猫たちに拗ねられてしまうし行こうかな。佳代さん、今日のご飯はなんですか」
「今日は冷麺ですよー。出汁に梅とか大葉も混ぜてさっぱりと! 食後には梨を冷やしてありますよ。秋久さん、梨お好きでしょう?」
「おぉ! 梨良いねぇ!」
 冷たく冷やした梨は好物だ。食後の楽しみが増えた。
「ゆっくりいらしてくださいな。先に用意して待ってますね」
「ありがとう。よし、花行こう」
 うきうきする気分のまま、足元でじゃれていた花を促す。

 手に持っていたメモ帳を、机の上に置く。
 そのまま歩きだそうとして、何となく――掴んだページから頭ページに向かってメモの用紙を遡らせてみた。
 ばらばらと重力に従って落ちていく用紙の中で、沢山の文章と共に、小さく描かれた一組の男女が見つめ合い、指輪を渡し、一緒に歩き――。
 それを見つめながら、ふと思う。
 きっと私はこれからも、あのスペースがなくならない限り、この習慣を続けるだろう。

 ありがとう、と胸中で呟いた。
 あのスペースを設けた広告主に。掲載を許可している新聞社に。投稿している名前も知らない誰かに。
 そしておめでとうを、三年間密かに見守ってきた、名前も知らないこの二人に。

 手の中でメモ帳がばらばらと捲れていく。
 微笑ましい2人は、不恰好なダンスを踊っているようにも見えた。



《 名前も知らないお二方へ 了 》



【 あとがき 】
ネットの中の友達にも言えることですが……知ろうと思えば名前を知ることができる。携帯でメールすることができる……にも関わらず、ネットの友達はネットの中だけで、本名を知っていてもHNを使うことが多いです。
この便利な時代に、それでも敢えて文通をしてみたり、特定の掲示板でのやり取りのみをしたりするのは、それはもう個人のルールなのかなと思います。

自分が文明の利器に頼らずに、想いを告げるとしたら、どんな手段が取れるだろう……と思いながら書いておりました。

夏の夕暮れ時が大好きです。
スイカバー食べたい!!! ひんやりとしていてみずみずしい梨が食べたい!!
最近のトレンドは焼け付くようなベランダに足を投げ出しながら、がりがりくんの梨味を食べることです。

今年の夏は猛暑になりそうですねー……
皆様も暑さにはお気を付けください……

スペースをありがとうございました。


kaleidoscope  望月

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