Mistery Circle

2017-09

《 Moratorium 》 - 2012.07.01 Sun

《 Moratorium 》

 著者:知








「今まで読んだ小説を全部暗記してるんですか?」
 数千冊もの本を収めている部屋から彼女が取り出した本についてどのような内容か説明したとき、彼女がふとそんな事を言ってきた。
「一字一句全部という意味なら違うけど、どのような内容かは覚えているし何回も読んだ本なら印象的な表現や会話とかなら暗記しているな」
「数千冊も読んで内容を覚えているのは凄いと思いますけど。印象的な表現を覚えているのは、貴明(たかあき)さんが趣味で小説を書いているから、ですか?」
 苦笑を浮かべながら彼女はそう尋ねた。
「ああ、そう言われるとそうかもな」
「でも、好きな本の好きな文を覚えているのはわかりますよ」
 彼女はそう言うと、本棚から一冊の本を取り出し胸に抱え歌うような口調で声を発した。
「Day before yesterday I saw a rabbit,and yesterday a deer, and today, you.」
「But how can there be a yesterday,if you always return to the same point in time?」
 彼女の言葉を受け俺がそう返すと、お互いに顔を見合わせ微笑みあった。

 これは彼女が俺の家に滞在して数ヶ月経った後の出来事だからもう一年以上前の事になるのか。
 年を重ねるごとに一年が過ぎるのが速くなったと感じるようになっていった。でも、彼女が俺の家に着てからより速く過ぎているように感じるのは日々が充実しているからだろうか。
 日々が充実している、か。もし彼女と出会わなければそんな日々を過ごす事はできていなかったと確信している。
 それ程彼女と出会う前の俺は荒れていた。精神的に疲れていたと言った方が正確かもしれない。ただ惰性で日々を過ごしていた。
 彼女との出会いは数人の男から強引にナンパされ困っている彼女を俺が助けたというものだった。
 今考えてもあのときの俺が何故彼女を助けようと思ったのかわからない。
 けれど、ナンパしていた男から彼女を助けたとき俺も彼女に助けられたと感じた。どうしてそう感じたのか今でも口に出して説明はできないけれど、感覚的にはわかっている。あの日間違いなく俺は彼女を助け、彼女に助けられたのだ。
 彼女を助けた後少し会話をし、数年ここに滞在することになったけど住処が決まっていないと聞いたとき、
「泊まる場所が決まっていないのなら俺の家にこないか。一人暮らしだけど無駄に家が広くて部屋が余ってるし」
 と思わず口走ってしまった。何を言ってしまったのだと後悔する間もなく彼女は俺の言葉に対し
「では、お邪魔しますね」
 と、微塵も警戒心を持たず微笑みながらすぐに返事をした。
 それから俺と彼女のひとつ屋根の下での共同生活が始まった。

 彼女には生前妹が使用していた部屋を使ってもらうようにした。寝具も一式揃っていたし掃除も定期的にしていた部屋だからだ。
 彼女に家の案内をしていたとき、彼女が一番興味をもったのは数千冊もの本を収めている部屋だった。
 読みたかったら自由に取って読んでいいと俺が言うと、彼女は自由な時間を全て読書に使っているのではないかという程読書に明け暮れてた。
 どうやら俺と彼女の本の好みは似通っていたようでよく本の話で盛り上がった。
 偶に好みが食い違う事もあったけれど、それについてあれこれ言い合うことも楽しかった。今までこうして本について共に語り合う人が側にいなかったから余計に楽しく感じたのかもしれない。
 彼女の一番お気に入りは『The Dandelion Girl』(訳題:たんぽぽ娘)のようだった。
 彼女が俺に今まで読んだ小説を全部暗記しているのか尋ねてきたときに彼女が胸に本を抱えながら諳んじたセリフの一部、それは『The Dandelion Girl』のものだった。俺もお気に入りの小説だったから言葉を返すことができた。
 ああ、他にも色々印象的な出来事もあったはずなのにこれが凄く印象に残っている理由が漸くわかった。
 生前妹とよくやっていたのだ、似たようなことを。
 妹も大好きだった『The Dandelion Girl』で。


 そんなことを考えているとドアをノックする音が聞こえた。
 時計を見ると晩御飯の時間だった。作り終わったから俺を呼びにきたのだろう。
 彼女と一緒に暮らすにあたり色々な取り決めをした。その一つとして、家事は分担して行うというものだった。
 洗濯は自分のものは自分でするようにして、炊事と掃除は当番を決めるようにした。
 今日は俺が朝御飯を作ったので晩御飯は彼女の当番。
 どことなくいいところのお嬢様という雰囲気がある彼女が料理を作れるのか最初は不安に思ったけど、それは初めて彼女が作った料理を食べて杞憂だという事がわかった。そんじょそこらの店よりも美味しかったのだ。

「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
 今日の晩御飯も大変美味しゅうございました。
「明日、いつもよりも早く出なきゃいけないけど大丈夫か?」
 晩御飯を食べ終わり、洗い物をしている彼女の背中にそう声をかけた。
「何時起きになりますか?」
「んー五時には起きなきゃいけないな」
 彼女の質問にそう返すと
「それなら大丈夫ですよ。予定通り私が朝御飯を作りますね」
「了解。では頼むよ」
 俺はそう言うと風呂に入る準備をした。


 改めて考えるまでもなく彼女は不思議な人だ、風呂に入りながらそんな事を思った。
 彼女のプライバシーについて名前以外知らないと言っても過言ではなかった。
 他人のプライバシーについては俺からは聞かないようにしていて彼女が話さないから当たり前なのだが、一つ屋根の下に暮らすことになってそろそろ二年になるというのに全くプライバシーを知らない事が気にならないのだ。
 普通は一つ屋根の下に暮らしている人のプライバシーはある程度気になるものではないか、そう思うが全く気にならないのだ。
 そして、なにより不思議なのは異性で一つ屋根の下に暮らしているのに、邪な気持ちが全くわいてこないことだ。
 その事にふと気づき、この歳にして男として枯れたか、とも思ったけれどそんなことはなく、ただ彼女に対してそんな下劣な気持ちがわいてこないだけだった。
 女好きで有名な友人に彼女と合わせたことがあるのだけれど、そのときの友人の反応と彼女が席を離れたときに俺を問い質した後、ぽつりと言った言葉は今でも鮮明に覚えている。
「あの人に下劣な気持ちがわく奴は人でなしだ」
 そんな事を考えていると若干のぼせてしまったようだ、頭がぼうとする。
 明日朝早いし速く寝ないと。そんな事を考えながら俺は風呂から上がった。
 

「さて……と」
 朝食後の洗い物を終え時間を確認する。約束の時間まではまだ時間があった。
 地上に降りてそろそろ二年になるけど私も地上の生活に馴染んでしまっているなとしみじみ思う。

 人には知られていないけれど地球には人の他に知的生命体が存在している。それが私達だった。
 今となっては私達と彼等とはほぼ繋がりがないけれど、遥か昔、彼等の科学技術が発達を始める前は私達は交流をしていた。
 その交流を絶つようになった正確な理由は知らないけれど、今までのように上下関係にあるのではなく対等な関係になるために、彼等が自らの力で私達の存在に気づき受け入れることができるまで彼等が成熟するまで待とう、と上層部が決定した。と一般的に言われている。

 私たちには彼等よりも長い寿命深い知識などを持ち、彼等にはない様々な能力を――彼等から魔法や奇跡などと思われるような能力を持っていた。
 その為、彼等と繋がりを持っていたとき私達は神と呼ばれていた。
 崇め讃えられ続けたことで彼等を下郎な存在と蔑むものが私達の中に出てきだした。そこまでいかなくても彼等を私達よりも劣っていると考えているというわけなら、おそらく私達の殆どが当てはまるだろう。
 繋がりがなくなった今、地上に降りるには許可が必要でその許可も簡単には下りない。なによりそもそも地上に降りようとするものが殆どいない。地上に降りたいと言うと物好き扱いされる。
 私はその物好きの一人だった。と言っても地上に興味を持ったのは最近になってから、地上の監視という仕事に携わることになってからだった。
 地上のどこに興味を持ったのか、それは言葉で表すことができなかった。ただ、彼等には私たちにはない何かを持っているように感じて、そしてそれがとても尊いものに感じて、私はその何かの正体を知りたいと思い地上に降りる事を決めた。
 許可が下りるには困難が伴うと覚悟していたけれど呆気なく許可が下りた。何らかの力が、おそらく上層部の力が働いたのだと思うけれど真相はわからなかった。上層部にどんな思惑があるにしろ私にとって都合がよかったのは確かだったので何の疑問をいう事をなく私は地上へと降りた。
 
 地上に降りる際には様々な条件があった。能力の殆どを封じる事、定期的に使いを送るので使いと連絡を忘れずにとる事。この二つが主な条件だった。
 能力を封じた生活は慣れるまで不便ではあったけれど、最低限の危機を防ぐだけの能力は残されたので慣れると然程不便には感じなかった。それよりも如何に今まで能力に頼って生活していたかを自覚できた事は大きな収穫だったと思う。

 そんな事を考えているとそろそろ出かけなければいけない時間になっていることに気づいた。
 定期的にくる使いのものは毎回違うものがやってくるけれど、地上を汚らわしいものとでも思っているのか不機嫌な様子を隠そうともしないものが多い。少しでも時間に遅れようものならどんな嫌味を言われる事か。
 彼等とどちらが汚らわしく醜いことやら。そんな事を考え思わずため息が出てしまった。


 待ち合わせの時間になったけれど使いのものはまだきていない。
 珍しい……今まで時間丁度にきていたのに。そう思っていると、
「ごめん、ごたごたがあって少し遅れてしまったわね」
 背後から声をかけられた。
「いえ、遅れたと言っても一、二分ぐらいですか……ら!?」
 そう言いながら振り返ると、私は目の前にいるものを見て驚いてしまい思わず語尾が上擦ってしまった。
 信じられない光景が二つ広がっていたからだ。
 一つ目は使いのものが地上に降りてきているという事。
 今までの使いのものは人の目には映らない姿で――私達の元の姿のままで――きていた。でも、目の前にいる彼女はそうではない。人の目に映る姿だった。
 二つ目は彼女が上層部の一員だったからだ。更に付け加えるなら歴史の中で最年少で上層部に登りつめた才女であり、私が地上に降りることを最終的に許可したのも彼女なのだ。
 私みたいな下っ端がお目にかかることなど決してできないような人がいきなり目の前に現れて驚きのあまり固まってしまったけれど、我に返った瞬間膝を折り、頭を垂れようとしたら
「はい、ストップ。往来でそんなことしたら目立つわよ」
 と、彼女に言われた。膝を折るすんでのところで静止をかけられたので何とか周りに不思議がられずにすんだ。
「ミリィ様が直々にいらっしゃるなんて思いもしませんでした」
 深く深呼吸をし気を落ち着けたから私は彼女にそう言った。
 私達の中には地上は穢れた存在だと考えているものが多い。上層部は特にそう考えているものが多いと私は推測していたのだけれど違うのだろうか。
「本当はもう少し早くあなたの様子を見にきたかったのだけれどね。最近、忙しくて時間を見つけられなくてね」
 私の言葉に対して彼女はそう返し小さくため息を吐いた。
「まぁ、そんなことは置いておいて。少し移動しようか。じっくりあなたから直接話を聞きたいしね」
「あの、もしかして、今日は私から直接話を聞くために地上に降りてこられたのですか?」
「ええ、勿論」
 私の言葉に彼女はそう即答した。
「報告書で見るのと直接話を聞くのとでは違うからね。帰還後に報告はしてもらうことにはなっていたけれど、帰還後ではなく地上にいる最中での話を聞いておきたかったからね。っと、立ち話もなんだし場所変えようか」
 そう彼女が言うと歩き出したので私も彼女について歩き出した。
 待ち合わせの場所が屋内だったため気がつかなかったけれど、彼女は日傘を持参していたようで屋外に出ると日傘を開いた。
 今は真夏。日傘をさす女性は多い。彼女が日傘をさすのは何も不思議なことはない、彼女が人だったなら。
 私達は地上に降りて能力の制限を受けない限り日傘なんて必要ない。能力で紫外線等を防ぐことができるからだ。
 だから、日傘なんて売ってない。なので自動的に彼女がさしている日傘は地上製の物という事になる。
 勿論、地上製の物が売っていることもない。ということは……
「どうしたの? 行くわよ」
 そんな事を考えているといつの間にか歩みが止まっていたようで、彼女は後ろを振り返り小さく首を傾げながらついてくるように促した。
「すみません」
 私は謝ると小走りで彼女の側へと向かい、私が追いついたのを確認すると彼女は再び歩き始めた。
 その足取りは当てもなく歩いているというものではなく、目的地が決まっているように感じた。
 彼女は私のように一度地上に降りたことが、しかも私が降りた近辺に下りたことがあるのではないか。
 彼女の迷いのない足取りは私にそう思わせるのに十分だった。


 数分彼女について歩いていると公園に着いた。
 こんなところに公園があったんだ。貴明さんの家から近い場所に公園があったなんて。
 木陰のベンチに座り周りを見渡すと真夏だからだろうか人の姿は殆どなく小学生と思われる子達が元気に走り回っているだけで大人は誰一人としていないようだった。
「さて、定期報告、お願いね」
 軽く一息ついてから彼女がそう言った。
「はい」
 前回の定期報告から今日までに起こったことを事務的に報告する。
 定期報告自体は十分もあれば終わるもの。定期報告を聞くためだけに態々彼女が地上まで降りてくるとは思えない。
「定期報告は以上です」
「……上がってくる報告書見て常々思ってたけど、あなたって真面目よね」
 私の報告を聞き彼女がそうぽつりと言った。
「はぁ……」
 彼女の意図が読めなかったため生返事を返してしまった。
「この報告を聞いたら使いのものは満足して何もいう事なく帰るだろうね。そして、その使いのものがあなたの報告をまとめたものを上司に見せたら上司も満足する。でも、私達、上層部にとっては報告書に書かれてある内容はわかりきったことだらけ、なのよね」
 あなたが如何に真面目に地上で暮らしているのかわかる指標にはなるけどね、といい彼女は微笑を浮かべた。
「……まさか、定期報告って然程意味があるものではないのですか?」
 私は地上にいないとわからないことをまとめて報告していたつもりだった。
 それなのにそれは上層部にとってはわかりきっていたことだと彼女は言った。
 あれ……まさか……?
「聡い子は好きよ」
 思い浮かんだ事を私が口に出す前に彼女はその事を肯定した。
「だから事務的な報告なんて要らないの。帰還してからの報告でいいけれど、あなたが地上に降りてどのように感じたか報告お願いね。使いのものに報告したって上層部まで報告が届くとは思えないし」
「……いいのですか?」
 彼女の言葉にある事に気づき私はそう聞いた。
「本当に聡い子ね。申請書の記載内容を見たときにもそう感じたけれど予想以上ね。寧ろそうしてもらわないと困るのよ」
 上層部は謎に包まれている。上層部に何名いるか上層部になるために条件すら知らされていない。
 そもそも、彼女以外の上層部の顔も名前も私のような下っ端は知らないのだ。彼女が知られているのは彼女が上層部の窓口的なことを担っているからだと思う。私が目を通す事ができる書類の上層部のサインは彼女の名前が常に書かれていた。
 その上層部と直に会って報告する、それが彼女の言う帰還してからの報告だ。
 上層部全員の前でという事はないだろうけど、少なくとも彼女と他の数名の上層部の前で報告するという事になると思う。
 上層部が謎に包まれた存在なのはそうしなければならない理由があるはず。それなのに私のような下っ端が直に会う許可をえたのだ。
「そんなに難しく考えなくていいわ。深く考えても答えを出すための材料をあなたはまだ全部持っていないはずだから時間の無駄よ」
 難しい顔をしている私を見て苦笑を浮かべながら彼女がそう言った。
「上には上の考えがあってあなたを地上に送ったわ。でもあなたはそれに振り回される必要はないの。あなたはあなたの目的を達成すればいいのよ」
 どうやら気づかれていたようだ。
 申請書には地上に降りる目的を書く欄があった。私はそこに当たり障りのないことを書き本当の目的は書かなかった。
 どうやら、それは見破られていたようだ。

「あ、そうそう、伝えなきゃいけないことがあるのだった」
 数分の沈黙の後、彼女がそう声を上げ、
「あなたの地上滞在期間だけど、上層部の都合であまり長く取れそうになくなったのよ」
 と、続けて言った。
「後どれくらいですか?」
「具体的には言えないけれど、後長くても二年はないと思っていいわ。状況によっては後一年も経たないうちに帰還命令が下るかもしれないわ」
 一年……人であってもあまり長いとはいえない。
「ごめんなさいね。地上に長くいること不快に思う連中が多くてね。最近、表立って地上に降りる子がいなかったからこんな弊害が出てしまったのかしら」
 ほとほと困ったという口調で彼女がそんな事を言った。
「……本当に、どちらが醜いのって思いますね」
「ふふ、そうね、本当にね」
 私の暴言を彼女は微笑みながらそう返した。
「人は確かに弱い存在だわ。でも、だからこそ強くもある。外面だけに囚われず内面を見れば私達にない輝きに惹かれずにいられないわ」
 彼女の言葉に私も頷いた。
「あなたに地上に降りる許可を与えたのは正解だったみたいね」
 そんな私を見て彼女は微笑みを浮かべた。


「あの、すみません。駅への道を教えてくださらんか?」
 会話を終え、何の気なしに周りの風景を眺めていると老夫婦からそう声をかけられた。
「駅なら……」
 私が駅までの道を説明していると、老夫が彼女を見つめて固まっている事に気づいた。
 そのことに気づき説明をとめると彼も我に返り、
「いや、すまない。彼女が昔の知り合いに似ていてね。思わずびっくりして息も止まってしまったよ」
 と、苦笑を浮かべた。
「そうですか。そんなに私に似ているのですか?」
 彼女はそんな彼の様子に全く気にした様子もなく微笑みを浮かべながらそう尋ね、
「ええ、私が二十代の頃に知り合った同じ年代の人、ですけどね」
 彼は彼女の膝に乗っている日傘をちらと見て微笑みながらそう返した。


「お嬢さん方ありがとうございました」
 途中になっていた駅までの道の説明を終えると老夫婦はお礼の言葉を言い公園から出て行った。
「人って時々信じられないぐらい鋭くなるわよね」
 公園を出て行く老夫婦の背中を見つめ日傘を愛おしそうに撫でながら彼女はそうぽつりと言った。
「異質な存在を拒否する人も多いけど、受け入れてくれる人は本当に懐深く受け入れてくれるわ。私が人でないとわかっていても受け入れてくれたし……」
 彼女は微笑みを浮かべながらそう言ったがその微笑みはどこか寂しさを感じさせるものだった。
 思っていた通り、彼女は前に地上に降りたことがあったようだ。
 そのときに知り合ったのが先ほどの老夫だったのだろう。そして、彼女が持っている日傘は彼からの贈り物なのだろう。
 人でないとわかっていても受け入れてくれる……か。貴明さんも私が人でないという事はうすうす気づいているはずだ。
 何時かは離れなければらない。そのときはすぐ近くまでやってきている。
 なら……
「あの、私が帰還する日を私が決めることできますか?」
 覚悟を決め彼女にそう尋ねた。
「ええ、帰還命令の日より前だったらできるわよ」
「そうですか、なら……」
 私の帰還する日の希望を彼女に伝えた。
「本当にいいのね、その日で」
 彼女が念を押してそう聞いてきた。
「はい」
「そう、あなたがそう決めたのなら私は何もいう事はないわ。帰ったらさっそく手続きに入るわ。明日には通知が届くはずだから」
 全く迷いを見せず頷いた私に彼女は事務的にそう返し、今日はこの辺でとだけ言い残し去っていった。
「さて、私も……」 
 覚悟を決めたのならしなければいけないことは沢山ある。それを一つずつ片付けるべく私も家路についた。


 今考えると彼女がどこかに一緒に出かけないかと提案した事自体がおかしなことだった。
 今まで彼女と何回か出かけたことはあったけれど、それは俺から提案した事だった。
 彼女が今度の週末に遊園地に出かけないかと提案したとき、何も考えず二つ返事で答えてしまった。
 遊園地での彼女は珍しくはしゃいでいた。
 俺も彼女につられて一緒にはしゃいだ。ここまで無邪気に遊んだのは久方ぶりだった。
 彼女が写真に写ることを拒まなかった事もおかしなことだった。
 彼女は今まで一度も写真を撮られる事を是としなかった。
 でも、遊園地から帰る前、彼女は俺と一緒に写真を撮ろうと言ってきた。
 そのときも俺は何も考えず二つ返事で答えてしまった。
 今考えると思い出作りだったのだろう。彼女らしくないこれらの事は。
 そんな事を昨日まで彼女がいた部屋――今は彼女がいたという痕跡が全く残っていない部屋――を見つめながら思った。
 いつかは彼女がここからいなくなるのはわかっていた。
 彼女と俺では性別も違えば年齢も境遇の何もかもが違う、そんなことは出会った当初から気づいていた。
 だから、彼女が俺の元から去るときはひっそりと去っていくだろうこともわかっていた。
 そういう意味では、彼女が思い出作りをしたということがおかしな事だった。
「ん?……あれは何だ?」
 部屋を眺めていると机の上に何かがあることに気づいた。
「これは……」
 それが何かを確認するために机の側まで行くと、それは彼女と一緒に撮った写真がプリントアウトされたものだった。
「……何も残さずに去ったと思っていたら、こんなものを……」
 そういえば昨日彼女はパソコンに向かって何かやっていたことを思い出した。
 写真を数秒見つめある事がふと思い浮かび、パソコンがある部屋――数千冊もの本がある部屋でもある――へ向かった。
 パソコンの側にあったデジカメのメモリーを確認すると、彼女と一緒に撮った写真だけ消えていた。
「……メモリーは消してあるのにプリントアウトして残した……か」
 徹底しているが徹底していないとも言える。彼女は何を考えて写真を残したのだろうか。
 そんな事を考えながらふと本棚を見たとき、違和感を覚えた。
「……まさか」
 その違和感の正体に気づき確認する。
 間違いない一冊だけ本がなくなっている。
 それに気づいたとき彼女の考えがわかった気がした。
 そして、彼女と本について語り合ったとき俺が彼女に言った言葉が頭の中に浮かんだ。
「そうか……そうだよな」
 そう一人ごちると気合を入れるべく両頬を平手で叩きパンと心地のよい音が部屋の中に響いた。
 俺も前に進まないと、な。


「本当によかったの?」
 私を迎えにきたのはミリィ様だった。驚くべき事だったのだけれど、彼女が来る予感がしたので全く驚かなかった。
「はい。これでよかったんです。私にとっても貴明さんにとっても」
 私は彼女の眼を真っ直ぐに見つめながらそう返した。
「……そう」
 そんな私を見て彼女はそれ以上何も言わなかった。
 色々な意味でこれ以上私が彼の側にいることは彼のためにならない。
 人の命は短い。その短い時間を私のためにこれ以上使うのは彼にとってよくないことだ。
 人の命は短いが様々な事が子孫へと受け継がれる。私が彼のその流れを邪魔してはいけない。
 お互いに一緒に暮らした日々は思い出にしなければいけないのだ。
 彼と一緒に撮った写真は彼の元にも残してきたし、本が一冊なくなっていることも彼ならすぐに気がつくだろう。
 この本は私のお気に入りだったけれど、彼のお気に入りでもあったから。
「持ち帰るのは写真一枚と本一冊でいいのね」
「はい」
 彼女の確認に私はあの日のように本を抱きしめながら首を縦に振った。
 ふと、彼と本について語り合ったとき彼が私に言った言葉が頭の中に浮かんだ。
 何となく彼に私が何も言わず、だけど、写真を残し本を一冊持ち彼の元を去った理由が彼に伝わっている気がした。

『年齢も性別も境遇もまったく違うが、同じ本を好きになるものは似たような感性を持つのかもしれないな』





《 Moratorium 了 》





【 あとがき 】
色々描写を省いたので分りづらい箇所があるかもしれませんorz
久しぶりに新しい話書いたら、ご覧の有様だよ><
俺の実力不足ですね。同じ設定の話でいつかリベンジしないと、個人的に納得ができない。
ただ、その前にもう少し設定練らないと……

たんぽぽ娘。MC vol.2で俺がお題にした作品ですね。いや、懐かしい
たんぽぽ娘の件は話を練っていたときは全く考えていなかったりします
実際に書き始めて急に入れたくなったので入れてみた感じ

しかし、俺の作品は登場人物の名前が文章中にあまり出てこないな、としみじみ思ったりする


忘れられた丘  矢口みつる(知)

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