Mistery Circle

2017-10

《 喫茶“猫足”~とある午後の風景~ 》 - 2012.07.01 Sun

《 喫茶“猫足”~とある午後の風景~ 》 (二作目)

 著者:松永夏馬







 年齢も性別も境遇もまったく違うが、同じ本を好きになる人間は似たような感性を持つ、という話をどこかで聞いたような気がする。
 その人は、手を伸ばせば届くくらいの場所で寝そべる猫のように、近すぎもせず遠くもない。そんな中途半端な距離感が心地よいとさえ思う。もっとも恋愛対象としてはいささか年が離れているし、顔も特にタイプでもなんでもないわけで、そういう意識はまったくもって無いけれど。クラスメートに誤解されかけたりもしたけれど、ええ、まったくもって。


 とある初秋、祝日の午後。

 ひさしぶりに帰省した世莉さん―――母よりも一回り年下で独身の彼女は『叔母さん』とは呼ばせない―――と根庫川駅前のシネコンへ映画を見に行った帰り、甘い物でも食べようかと彼女が言い出した。同じビル内のテナントにあるチェーン店に入るのかと思ったら、わざわざ駅の反対側の商店街にある喫茶店へ。なんでも友達の実家なのだそうだ。約束はしていないけれど偶然でも会えたらいいし、なによりそこのコーヒームースは絶品なのだと。
 喫茶“猫足”はアンティーク調の落ち着いた雰囲気の店で、高校生には若干敷居が高くも感じる。テーブル席もそれなりに埋まっていて混んでいるけれど、騒がしい感じでもない。店を切り盛りしているのは両親よりも年上に見えるマスターと女将さんだ。
 世莉さんはカウンターのスツールに腰を乗せ、コーヒーのブレンドを頼んだ。さすが大人。私は小さなメニューを見てバナナジュースを注文。そして世莉さんオススメのコーヒームースも。
 むろん世莉さんの奢りなので、ありがたく頂くことにした。注文を受けて手を動かし始めたマスターに世莉さんは訊ねる。
「あの、美樹恵さんは、今日はいますか?」
「ん」
「はいはい、呼びましょうか? 美樹恵! お客さん!」
 灰色の髪をした穏やかそうなマスターではなく、奥さんらしい小柄で丸顔のおばさんが、返事も聞かずにキッチン脇の戸口に半身を突っ込んで声を上げた。
 返事が小さく聞こえ、パタパタと階段を降りてくる音。ひょっこり顔を出したのは奥さんによく似た女の子。

「ミキー」
「セリちゃーん」
「ひさしぶりぃ」
 きゃぁきゃぁとまるで私と友達の付き合いと変わらないテンションで、二人は再会を喜んでいる。世莉さんも年齢よりも若くは見える美人だが、相手はそれ以上に若い、というか童顔。丸い頬は赤くそばかすが残り、少しつりあがった大きな目は子供のようにキラキラしてる。同級生だというからには世莉さんと同い年なのだろうけど、正直信じられない。
「あ、これ、アタシの姪っ子」
 急に紹介された私は、慌てて背筋を伸ばす。
「砂原スズナです」
「ウチらの後輩よ」
 それを聞いた美樹恵さんはにっこりと笑顔で「根庫高?」と訊いた。
「はい。1年です」
「そかそか。懐かしいねぇ」
 しみじみと言うその表情がおかしい。マスターが無言でコーヒーとバナナジュースをカウンターに置いた。
 そこで、美樹恵さんが私の隣に視線を移す。世莉さんとは逆側だ。
「あ、なんだクロもいるんじゃん。世莉ちゃん覚えてる? コレも根庫高の同期だよ」
 私の席の二つ空いた先、カウンターの一番左端の席にメガネをかけた男が文庫本を読んでいた。ちらりとこちらを見て、小さく会釈する。世莉さんはというと、一瞬考え込むように眉間にシワを寄せる。すぐに思い出せないらしい。たしかになんていうか特徴に乏しい人だ。パッとみた感じでは若くも見えるしオジサンにも見える。学校の事務員さんみたいな、存在が薄そうな雰囲気。クロ、というのは渾名か何かだろうか。
「黛禄郎。同じクラスになったことある?」
 美樹恵さんが訊ねる。てっきり『黒田』とか『黒瀬』なんて名前を想像していたけれど何故『マユズミ』? と思いきや『ロクロウ』で『クロ』か。
「あ。ああ、うん、いた。じゃない、同じクラスには、なったことは、ないかな?」
 世莉さんは探るようにそう言った。覚えていないなこれは。
「平山世莉さんですよね。一年の時に」
 ぼそりと黛さんが言い、世莉さんはしまった、という顔でそっぽを向いて舌を出した。私は思わず笑いそうになった。
「ていうか、あんたらってまだ付き合ってたの?」
 世莉さんが言った。美樹恵さんと黛さんのことらしい。
「いやいやいや、まだも何も付き合ってもないし」
 美樹恵さんが右手で世莉さんの額にチョップ。
「よくつるんでたじゃん」
「まったくそんなんじゃないよぉ。それにあたし今ちゃんと彼氏いるし」
 盛り上がる女性二人をよそに、聞いているのかいないのか黛さんは文庫本のページを静かにめくった。

********************

 世莉さんと美樹恵さんが目まぐるしく変わる話題で盛り上がっている。美樹恵さんは世莉さんの右隣に座っているから、私は少しだけ疎外感がある。テーブル席ならそれでも相槌を打ったりできるけど、一列に並んだカウンターだと、友達と盛り上がる世莉さんの背中に向けて声はかけにくい。しかも話の内容はやはり旧交を温めるというか同級生や恩師の話題が中心で、口を挟みにくい。
 そこで私は映画のパンフをカバンから出した。
 大好きな推理小説を原作にした邦画で、流行の俳優が起用されて話題になっていた。原作と比べると2時間程度にまとめる分詰め込まれた感じはするが、悪くは無い出来だった。ただ個人的には主人公の警部補役はあの俳優じゃイメージがちょっと違って。

 視線を感じ顔を向けると、黛さんが映画のパンフを見ていた。
「それ、見てきたんですか?」
 二つ開いた席の向こうから、黛さんはそう言った。湯気の出ていないコーヒーカップを口元に寄せ、舐めるように一口飲む。
「あ、はい」
「面白かったですか? 原作は好きなんですが、映画化となると残念になるパターンが多いじゃないですか」
 好きな物をほめられると嬉しい。私はパンフを見やすいように広げた。
「面白いですよ。しっかりしたミステリーで小説の雰囲気に近いですし、全部じゃないですけど細かい部分の笑えるセリフとかもちゃんと挟まれてて」
 ふむ、と黛さんは顎を撫でた。
「個人的には主人公は内藤崇高って感じじゃないんですよね」
「あ、それわかります。小説読んだ時は……草月ノボルとか」
「僕は辻間倫太郎のイメージでしたけど、それだと年齢が上すぎですかね」
「来年に続編もあるみたいですよ。『懲りすぎな死体』が原作で」
「そのシリーズなら『准教授の憂鬱』が一番好きなんですけどね」
「私も! 一番それ好きです」
 初対面の人と妙に意気投合している自分に気づいて驚いた。
「推理小説が好きなんですか?」
 原作は推理小説だ。推理小説が特に好きというわけではないが、好きな作家ランキングでベスト3に入るくらい。そう告げると、ベスト3を訊いてきた。
「島田浩次、森弘行、柚高麻耶……あと、綾辻ユキヲ」
 4つ言ってしまった。黛さんは少し驚いた顔で「素晴らしい」と呟いた。
「僕も島田浩次や柚高麻耶は好きです。ここだけの話」
 黛さんは声をひそめた。
「柚高麻耶の『あの夏の夜』で泣きました」
 あまり表情の変わらない人が真面目な顔でそう言った。大人の男の人も本を読んで泣くんだと思うと少し不思議な気がしたけれど、それ以上に同じ本で同じように感動して泣いた人がいると思うと、それはそれで感慨深いものがある。
「私も『あの夏の夜』好き! 本を読んで泣いたのって初めてで」
「綾辻ユキヲさんという作家さんは読んだことがありません。どんな作品を?」

********************

「そりゃミステリーだねぇ」
 美樹恵さんの一際弾んだ声で、私と黛さんは会話を止めて振り返った。それに気づいた美樹恵さんは、瞬きをしてから世莉さんに言った。
「今の話、クロにも話してみ?」
「え?」
 なんで、という顔をしている世莉さん。
「いいからっ」
「いいけど」
 黛さんは何も言わず、コーヒーをすすった。
「えっと。ウチの職場の課長がね、旅行に行ったのよ」
 さっきまでクラスメートのなんとかさんが出来ちゃった婚とかそんな話をしてたのに。どんだけ展開速いんだ。
「エジプトでね、砂漠の見学ツアーみたいなのに参加したんだけど、その砂漠の真ん中で死体を発見したっていうの」
 黛さんは無言で小さく頷いた。聞いているという意思表示のようだ。
「その死体の死因がね、凍死なんだって。不思議じゃない?」
 砂漠で凍死? そんな馬鹿な。私はじりじりと照りつける太陽と乾燥しきった砂漠を思い浮かべる。行ったことないけれど、真夏の砂浜よりもよっぽど暑いだろうに、そんなところで凍死だなんて。
「砂漠のど真ん中で凍死体。これは事件でしょう?」
「それなのに、その死体を中心に、砂がまるでクレーターのように丸くきれいになっていて、足跡ひとつない」
 美樹恵さんも世莉さんも、さも見てきたように言う。世莉さんはともかく、美樹恵さんは今聞いたばかりの話のはずなのに。
「ミステリーでしょう?」
 凍死させた、もしくは凍死した被害者を、なんらかの方法で砂漠に捨てた、というのが妥当な考えだと思うけれど。
「犯人はさ、エジプトの富豪か何かね」
 美樹恵さんがそう言った。
「犯人は被害者を冷凍庫に閉じ込めて凍死させた。でも、家で死体が発見されたら困る。そこで、気球を使って砂漠に捨てたのね」
「事故、ですよね」
 思わず私が口を挟んだ。
「だって、凍死させるなんて、方法をとるかなって。想定外で凍死体がでちゃったから、困って砂漠に捨てたってことですよねきっと」
 あ。……思いつくまま口にしてしまった。が、横で小さく黛さんが「ごもっとも」とつぶやいた。
「でも気球なんてフツーある?」
 これは世莉さん。美樹恵さんが食い下がる。
「だからある家にはあるのよ。砂漠じゃ車のほうが大変だし、タイヤの跡ものこっちゃうでしょ? 気球があったから、こっちのほうが便利だから使ったのね」
 そうだろうか。気球を動かすほうが目立ってしかたないような気がするのだけれど。それに砂漠に気球のイメージが沸かない。
「そね。イメージとしては。犯人はうっかり被害者を冷凍庫か何かに閉じ込めて凍死させてしまった。犯人は金持ち、地位もある人物としよう。故意ではないとしても人を殺してしまった犯人は怖くなってなんとか隠蔽しようとする。そこで砂漠に捨ててしまおうと考えた。砂漠の真ん中に放置すれば、きっと証拠も消せると踏んだ。ただ、砂漠の真ん中まで捨てに行くのは大変だ。よし、ちょうどウチには気球がある。それで運んでしまおう……て感じ?」

「平山さん、これは正解がある問題?」
 突然黛さんに訊かれ、世莉さんは首を振った。
「ううん。課長も不思議がってるだけで」
 黛さんは少し首をかしげて考えてから、改まったように丸くなっていた背を正した。

「砂漠は雨が降らないイメージがあるけど、まったく降らないわけじゃないんですよね」
「え、そうなの?」
「はい。むしろ局地的に池ができるほどのスコールが降るそうです。もっとも雨が止めばあっという間に乾いてしまうのでしょうが」
 知らなかった。ただただ乾燥した砂が広がっているとばかり思っていたのに。
「さらに、砂漠の気温は日差が激しく、夜は氷点下になることもあります。もしスコールに降られ溺れかけて衰弱した体が、そのまま夜の寒さにさらされたとしたら」
「凍死してもおかしくはない」
 美樹恵さんがいい所で口を挟む。黛さんは特に気にしていない様子だけれど。
「もちろん正確には凍死ということではないでしょうが、低体温による衰弱死ならば通訳の時に凍死の表現をされてもおかしくはないでしょう」
「え、てことは何、純然たる事故っていうか、自然災害?」
 びっくりしたのは世莉さんだ。
「可能性ですけど」
 黛さんはそう言うと、カップに残ったコーヒーを飲み終えた。
「そこではただの日常であっても、そこにいない人間には異常事態に見えるということですね」

*******************

 私の家の裏手に、望月さんという老人と呼ぶにはまだ早いくらいの夫婦が住んでいる。60は過ぎているだろうけれど、おじいさんと呼ぶには元気だし、おばあさんと呼ぶには綺麗な二人。猫好きらしく昔から常に数匹の猫を飼っていて、私は子供の頃から猫を触らせてもらいに上がりこんでいた。捨て猫や困っている野良猫を見るとつい連れて帰ってしまうという、可愛いおばあさんではあるが、きちんと世話をして予防接種や避妊手術も受けさせているあたりしっかりしていて近所から苦情も来ない。
 数年前からおじいさんが仕事を辞めて家にいるようになり、私も中学高校と忙しくなって、上がりこむことも減っていたのだが。

「こんにちはー。砂原でーす」
「あらあらスズナちゃん」
「親戚からナシを貰ったんで、良かったら」
「あらまぁありがとねぇ」
 創立記念日の休日をダラダラとすごしていた私が母に命じられ、貰い物のナシをお裾分けしに行くと、おばあさんはこちらも貰い物のお菓子があるから上がっていけという。ひさしぶりにこの家の猫達とも遊んでいないし、時間もあった私はお言葉に甘えて居間へと上がりこんだ。吐き出し窓は開け放たれていて、秋の穏やかで心地よい空気がゆっくりと流れ込んでくる。その窓辺で丸くなる淡いグレーの子猫一匹。そして庭を悠々と横切る白黒斑の太った猫。座布団に座ると、座卓のすぐ下に茶トラが一匹いて、何事かと顔をこちらに向けた。私は手を伸ばして茶トラの首の下をぐにぐに撫でた。なんだか来るたびに違う猫がいるような気がする。
「ナシ、わざわざありがとうね」
 おじいさんがのっそりと部屋へと入ってきて、ロッキングチェアに座る。すると窓辺で寝ていた子猫が起き上がり、おじいさんの膝の上に飛び乗って、そしてまた丸くなった。
「いえ、貰い物ですから」
「うちのはナシが大好きだから助かるの」
 おばあさんがお茶と和菓子を持ってくる。
「あ、冷たいお茶のほうがよかったかしら」
「いえ、どっちでも大丈夫です、ていうかお構いなく」
 大人になるにつれて距離感を保つのが難しくなる。小学生の頃は身内のように構ってもらってたのに。
「ナシは切らんのか?」
「冷やしてますから」
「そうか」
 おじいさんは納得した様子でお茶を受け取り子猫を撫でた。おじいさんとはあまり喋ったことがなかった。顔つきは厳格そうで口数は少ないけれど、見た目よりも優しそうな気がする。
 お茶とお菓子をいただきながら、私はおばあさんの話に相槌を繰り返す。他愛も無い会話だけれど、おばあさんも、そしておじいさんもどことなく楽しそうだと思った。玄関の外でバイクの音がして、おばあさんは時計を見た。夕刊が届いたのだろうか。
「そうだ、あなた」
 おばあさんが思い出した様子でおじいさんに言った。
「あれ、見せてあげたらどう?」
「あれ? あれか、うん」
 おじいさんが立ち上がると猫は驚いたように部屋の隅へと駆けていく。おじいさんは玄関へと向かい、夕刊と厚めのメモ帳を手に戻ってきた。おばあさんは引き出しから糊と鋏を出してくる。何がはじまるのだろうか。
「今日もちゃんとあるぞ。これは……彼氏が料理している、のかな?」
「昨日は彼女が熱を出してたみたいですから、看病をしているのかもしれませんね」
 何の話だろうと、私も広げた新聞を覗き込んだ。夕刊の後ろから2枚目、広告欄の後半にあたる部分におじいさんが鋏を当てた。
 そこには広告というよりも投稿欄に近い言葉が並んでいる。『公園であった赤い帽子の女の子、ムック(ポメラニアン)を助けてくれてありがとう』だとか『お父さんお母さん、再婚おめでとう、新しい門出に乾杯!』だとか。読者ページのような投稿欄というよりも、特定の誰かに宛てたつぶやきに近い。しかし、おじいさんが切り取ったのは小さなイラストだった。
「これ、なんだけどね」
 そうして私の前に置かれたのは2冊のメモ帳。厚みはしっかりある。メモ帳に一枚一枚紙が貼られているのだ。
「3年以上もこのイラストの連載は続いているんだ」
 ペラペラと捲ってみると、かろうじて男女に区別できる程度の人型が、声をかけ、手紙を渡し、相手を想い、電話をし、ケンカをしているようだ。筆跡の違う同じ絵が毎日交互に掲載されている物語、言い換えれば共同作品だ。しかしこれは、なんなんだろう。
「……なんですかこれ?」
「さぁ」
「さぁって」
「よくわからないんだけどね」
 おじいさんは丁寧に糊をつけ、メモ帳に今日の分を貼り付ける。
「二人が出会って、恋をして、告白しているように見えるんだ。それに気づいたらなんだか応援したくなってね。先月ついにプロポーズしたみたいなんだ」
 2種類の筆跡で交互に描かれた、日記のようなイラスト。おそらく二人で交互に描いているのだろうが、それが広告欄に毎日載っているのだからたしかに興味深い。
「こちらも毎日の日課のようになっちゃってね。年甲斐もなくドキドキしてね。友達の恋愛、いやもし子供がいて恋をして結婚して、となったらこういう気持ちなのかもしれないね」
 望月さん夫婦には子供はいない。結婚が遅かったような話を昔おばあさんから聞いた覚えがある。
「新聞の広告欄の隅で、やりとりを楽しむ恋人達がいるなんてね」
「ロマンチックじゃないですかね」
 おばあさんがそう言ってまるで少女のように微笑んだ。
 
 ひとつ気になることがあった。望月さん夫婦はそれに気づいているのだろうか。
 もしも―――そう考えると望月さん夫婦の思い描く世界と、私の思い描く世界は大きく違う。
 一匹の黒い猫が、奥の和室から私を見ていた。その視線はまっすぐで深い。私は先日駅前の喫茶店で出会った男の人のことを思い出した。

「あの、そのメモ帳って貸してもらえませんか?」

********************

 さすがに一人で喫茶店に入るのは抵抗がある。黛さんか、せめて美樹恵さんが店内にいてくれたらと思うがなかなか都合よくはいかなかった。
 それから毎日学校帰りに店の中を伺った。観葉植物と衝立が微妙な加減で配置され、窓の外から店内を覗いても、窓際の席くらいしかわからない。ただ、店舗の右端の窓の下端から覗くとカウンター席の一番左端が見えた。先日黛さんが座っていた席だ。なんとなくだけれど、黛さんならいつもそこに座るような気がしたのだ。
 土日も用事が無い時は駅前をうろうろし、何度も店内を覗いたりした。しかし、時間が合わないのかその席にあの黒いシャツの背中はなかった。常連さんのような雰囲気だったのに、と思う。休日にはあそこで本を読んでいるような気がしたのに。私が大人だったら、きっとあんないい雰囲気の喫茶店でコーヒーを飲みながら読書とかするのに。
 10日目。学校帰りに店内を伺うと黛さんがいた。平日の夕方だったけれど先日と同じような黒っぽいシャツを着て、思ったとおりカウンターの左端の席に座っている。店内におそるおそる入ると、マスター1人。お客は黛さんだけだった。
「いらっしゃい。……あれ、こないだの?」
 学校帰りだからブレザーの制服を着ている私を見て、マスターは最初不思議そうに、そして優しそうな笑顔を見せた。声を掛けづらかった私を察し、マスターが黛さんに小さく何か声をかけてくれる。黛さんが振り返った。
「……ああ、こないだの。えっと砂原さんだったっけ」
「あの、えっと……」
「最近店の前でよく見かけたね。もしかしてクロちゃんを探してたのかい?」
 マスターが穏やかに言ってくれて、私は頷いた。店内から見られていたのかと思うと恥ずかしいが後の祭りだ。
「何か用ですか?」
「あの、ちょっと見てもらいたいものがあって。コレ、なんですけど」
 私は黛さんの隣のスツールに腰掛けると、望月夫妻から借りたメモ帳をカウンターに置いた。脇に新聞の束も並べる。
「何です?」
「F新聞の広告欄にある、個人広告の切り抜きです。これをスクラップしている知り合いから借りてきました」
「イラストの個人広告ですか」
「望月さん、えっと、その知り合いは筆跡が違うから二人で描いているんだと、このページでやりとりをしてるんだって言うんですけど」
 私は新聞のページを広げ、黛さんに見せる。
「『あなたの想いのはきだし場所』」
「あの……こういうのって、たとえば『これを掲載してください』って言ってから新聞に載るまで、どのくらい時間かかるもんなんでしょうか」
 私の疑問はこれだった。
 夕刊を見る。そしてその返事を描いて翌日の夕刊に間に合うのか。交互に広告を出すってことはそういうことだろう。
 ふむ、と黛さんは少しだけ考えると、ポケットから携帯電話を取り出した。
「手っ取り早く訊くのが良いですね。……もしもし」
 個人広告の隅に書かれた電話番号にかけると、黛さんは適当に喋り出した。
「……ええその『あなたの想いの吐き出し場所』です。これに投稿したいんですけど。金額って……。ああ、はい、そんなもんなんですね。へぇ。……はい。で、今日の夕刊にはさすがに間に合いませんよね。明日の。……明日には間に合う? え? 明後日? ちなみにタイムリミットって……はいはい」
 黛さんが壁に掛けられた時計を仰ぐ。時刻は5時を回ったところだ。

 電話が終わり、黛さんは無言でポケットに携帯電話を戻した。
「どうやら砂原さんの懸念が当たりそうですね。投稿の締め切りは基本的には前日の16時。夕刊が届くか届かないかという時間帯です」
 夕刊の広告を見て返事を描くことは実質不可能。つまり、このページでやりとりをしていたわけではない。
「ていうことは、やっぱり」
「緊急の要件、たとえば親族の危篤とかそういうのは載せてくれるみたいですが。そしていちおう可能性としては配達前に新聞を見られる製作や配送の人間がこの広告を出しているという場合もありますが、現実的ではありません。二人がこのページをつかってコミュニケーションをとっているわけではなさそうですね」
「……望月さんはそう思い込んで微笑ましく思ってるみたいですけど。広告はお金払って掲載してもらうわけで、これにもいくらかかかってるわけですよね」
「そうですね。企業広告よりは断然安いですが」
「それを毎日毎日3年以上もやり続けるって、どこか普通じゃないっていうか。そもそも理由がわからないじゃないですか」
「この二人がバカップルで、今までの軌跡を世に知らしめたいとか」
「インターネットなんかのほうが断然安くてラクですよ」
 黛さんがじっと私を見つめた。
「砂原さんは、どう考えていますか」
「私は……なんていうか、その。……軽い感じじゃないんですよね。すごく根が深いっていうか。執念に近いものがあるような気がするんです」
 黛さんは小さく頷いた。
「広告は誰かに見せる為のものです。特にこの欄は消極的でありながら特定の個人に送るメッセージで使われていますよね。あの時助けてくれた名も知らぬあの人へ、普段いえないけど感謝の言葉を母親へ」
「はい。だから望月さんは、互いにやりとりをしている恋人達だと思ったんですが、でも本当はそうじゃない」
「カップルだと仮定して、二人は一緒に一枚一枚の絵を描いている」
「そうです。そうなると、誰に向けて?」
 黛さんは少し考え込むそぶりを見せた。
「もし順調なお付き合いだとか、結婚が決まっただとかを伝えたいのであれば、直接伝えればいいじゃないですか。おめでたいことなんですし。なのに、彼らはそうしていない。なんで? ……で、考えついちゃったのが、その……」
「嫌がらせ、ですか」
 私は頷く。
「自分達の幸せを願わない相手に、自分達の幸せを知らしめる。電話やメールは拒否できても新聞は毎日届くんですよね。それってものすごい悪意を感じるっていうか」

 そう、それに気づいてしまったその瞬間から、私の頭の中でそんな黒くて重い物が渦をまいているのだ。おじいさんやおばあさんが笑顔で楽しみにしているものの正体がそんなものだったとしたら、ただただ悲しい。


「スズナさん、新聞だって拒否できますよ。そもそも新聞はF新聞だけじゃありません。ローカル紙じゃなくてもいいなら、毎日でも読売でも朝日でも、朝刊だけ取る契約だってできるんです」
 黛さんは安心してくださいと言ってくれた。
「そしてもうひとつ。連絡を直接取れない相手であっても、安否を知りたい、知らせたい相手はいます。たとえば、離婚や借金で、連絡すらとることを許されない家族とか。関係を他者に知られてはいけない繋がりというものもあります。あとは、そうですね。ひとつの例として、臓器移植のドナーはどうでしょうか。たしか身元を知ってはいけないんですよね」
 突拍子もない話のようにも聞こえるけれど。
「あ、もはや妄想の域なんですが」
 真面目な顔のまま、黛さんはそんなことを言った。
「もし、提供を受けたほうが、あまり褒められない方法で提供者を知ってしまい、その家でF新聞をとっていることを知ったとしたらどうでしょう。礼を言いたいけれど手紙や電話では伝えられない。それでも、あなたから貰った命は今も幸せに包まれていると伝えたい。そこでF新聞の個人広告に目をつけた。伝わるかもしれないし伝わらないかもしれない。伝わったところで反応があるかもしれないしないかもしれない。それでも伝えたいと思ったら、毎日でも、何年でも、これくらいのことをするかもしれませんよね」

 黛さんはそこまで言って頭を掻いた。
「まぁ、解答の無い問題ならば、自分が納得したい解答でとりあえずいいんじゃないですか?」
 
 年齢も性別も境遇も違う、でも同じ本を読んで同じように笑い同じように感動できる相手。まるですべてわかっているかのように、この人は私に私が望む言葉をくれる。
 おじさんと呼ぶには若く、友達と呼ぶには年上すぎる、遠くもなく近すぎもしない、不思議な人。

 私は鞄からケータイを取り出して開いた。
「あの、アドレス、交換してもらえませんか?」

 いや、まったくぜんぜん顔はタイプじゃないんだけど。

********************

 とある晩秋、平日の午後。

 カウンターの上に置かれた友人の携帯電話がやたら大きな音を立てて振動している。遅い昼食にミートソーススパゲティ大盛りを食べていた貴島虎雄はバナナのような太い指でそれを摘み、そして店の奥のトイレから出てくるその持ち主に声をかけた。
「おい、メールだぞ。なんだったらオレが声に出して読んだろか」
 黛禄郎は手を拭いていたハンカチをポケットに突っ込み、貴島の手から自分の携帯電話をひったくるようにして取り返した。
「お、まさか女か? いやクロに限ってないわな」
 がはは、笑う貴島をよそに、黛が携帯電話を確認した。
「メル友の女子高校生だ」
「じょしこおせえ!?」
 ぎょろりとした大きな迫力のある目をさらにむいて、信じられないと貴島は顔をゆがめた。





《 喫茶“猫足”~とある午後の風景~ 了 》





【 あとがき 】
書いていた1本目を途中で放り出してほとんどノリで書いた。

前回のMCやその寸評等のコメントを見てたらやっぱりミステリを書きたくなり、前回の望月さんの「広告の謎」にも手を出したくなり、いつか誰かが言ってた「砂丘のミステリーサークルで凍死体が発見される」ネタも(多少のアレンジを含め)むりやりつっこんでみたくなり。そんな乱暴な展開。

1本目と2本目の登場人物の望月さんと砂原さんは同名ですが、まったく関係の無い別人です。


Missing-Essayist Evolution  松永夏馬


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