Mistery Circle

2017-10

《 絵に描いた犯罪 》 - 2012.07.02 Mon

《 絵に描いた犯罪 》

 著者:松永夏馬








 見上げるとそこには夜空を裂いて縦横無尽に走る電線があった。その先には東京では見られそうにもない星空が広がっている。控え室の天井付近に設けられた排煙口を兼ねた小さな明り取りの窓の先、すっかり日が落ちるのが早くなって、外はもう冬の夜だ。

 志倉雲竜はここ数年で知名度が急上昇した幻想画家だった。美大を出て20年以上鳴かず飛ばずだったが、イギリスの若手ロックバンドが彼の作品に目を留めCDジャケットのデザインを依頼したことから彼の名はインターネットを通じ日本中に知れ渡った。特に若年層に有名でありながら安価という彼の立ち位置は地方の美術館にはありがたく、ここ数年、志倉は一年の半分は日本各地を渡り歩くような生活をしている。

 今回訪れたのはF県立の美術館で、立地条件は県庁所在地のF市ではなく隣の根庫川市にあたり、市境の山の中腹にある。その特別展示室で、彼の個展は開かれていた。昨日の土曜から次の週末までの9日間の予定だ。
 今日は地元ローカルテレビの取材もあり、いつも以上に疲労感を覚えたが、志倉は笑顔を絶やさず穏やかな態度でそれをこなした。笑顔は大切だと彼は考えている。一部の作家や芸術家のような仕事をする職人達には無愛想な者も多い。
 自分は他者とは違う特別な存在だという主張かもしれないが、志倉は間逆だ。不遇の時代が長かっただけに、今を少しでも生きながらえたいのだ。卑屈にならない程度の低姿勢、紳士的で丁寧な対応を常に心がけてきた。

 用意された控え室でタバコを吸い終えた志倉は、灰皿にそれを押し付けて消すと身支度を整えた。そこにノックの音。どうぞ、と声をかけると一瞬の間を開けて、ドアが開いた。
 中年の痩せた男がするりと滑り込むように部屋に入ってきた。首から身分証を提げているところから関係者であるのは間違いないし、どこか見覚えがあった。
「志倉先生、いや、倉田竜志さんと呼びましょうか」
 男は落ち窪んだ目をこちらに向けた。もう数年呼ばれることすらなかった本名で呼ばれ、志倉はどこか不穏な空気を感じ取る。
「……どなた、でしょうか」
「なんだ、忘れたのかよ」
 口調がくだけ、男は口の端をあげた。一瞬気が遠くなるような感じがした。覚えている、この男を志倉は知っている。
「……伊佐月」
 伊佐月ツヨシ。かつて同じ釜の飯を食った仲、というのは美化しすぎだ。美大と専門学校をそれぞれ卒業しただけの、画家になりきれない集まりだった。どん底の時代。腐りかけた、いや文字通り腐っていた時代を共にすごした男。しかし彼はもっと体全体からエネルギーを発しているような男だったはず。良くも悪くも。
「思い出したか倉田」
「その名は捨てた。今は志倉だ」
 伊佐月はククっと喉を鳴らして小さく笑う。
「そう、だったな。実はオレももう伊佐月じゃなくて高岡ってんだ。婿養子でな」
 高岡ツヨシは卑屈そうな目でこちらを見た。
「お前も東京にいるとばかり思っていたよ」
「10……4、5年前にな、女孕ませた結果だよ。今じゃコネでつっこまれた役所の小間使いだ」
「……描いてないのか」
「はッ」
 忌々しげに志倉を眺め、肩をすくめた。彼からはもう油彩の匂いがしない。
「まぁいい、本題だ」
 志倉には彼が何を言おうとしているのか見当はついていた
「ちょっと金がいるんだ、都合つけちゃくれねぇかな。昔のよしみだろ」

 志倉と高岡、いや、倉田と伊佐月の二人がどうしようもなく腐っていた時、とある贋作グループに加担したことがあった。むろんそれは犯罪であり、自分が全てを捧げた芸術に唾を吐く行為であったが、当時の二人はそれを深く考えてはいなかった。自分の技術を試すことのできる好機であると、煽られくすぐられた。単純に金が欲しかったということもある。絵でメシを食わずに画家を名乗れるわけがない、と若さ故の無意味なプライドと堕落だ。

「おまえだって同罪じゃないか」
 贋作を描いたのは自分だけではない。しかし高岡は鼻で笑う。
「立場が違う。バラしてもいいならかまわねぇけどな」
 ようやく掴みかけた今の自分、画家として名の売れだしたこの時に。生気のないヘビのような目で高岡はこちらを見つめ、そして唇を舐めた。
「200万くらいあればとりあえずはしのげる」
「ちょっと待て、いきなり来て貸せる金額じゃないだろう」
「わかってる。振込み先はまた教える」
 そして高岡は志倉に右手を差し出した。
「とりあえず手付けだ」
 志倉は悩む。ここで折れてしまっていいのだろうか。毅然とした態度で追い払えるのではないか。
 そう考えながらも志倉はサイフから適当に札を抜いて渡していた。高岡はそれを握りつぶすようにして掴むと、そのままスラックスのポケットに突っ込んだ。

「まあ、これからも仲良くやろうぜ、センセ」

 引きずり込まれる。そんな錯覚に陥った。私の『今』を潰される。『未来』を潰される。そこは『闇』。

 高岡が口元を歪めて、踵を返す。控え室のドアノブに手をかける。

 志倉は咄嗟に灰皿を掴みあげると、高岡の無防備な後頭部に叩きつけた。

 灰が舞う。きらきらと蛍光灯の光を受けて舞う。

********************

 動かなくなった高岡を見下ろし、志倉は握り締めていた灰皿をテーブルに戻した。部屋の鍵をロックしてからパイプイスに腰を下ろす。
 さて、どうしたものか。こんな状況で事故です、とも言えまい。
 志倉はタバコに火をつけてゆっくり吸い込む。

 後頭部に鈍器で一撃、これでは自殺に見せかけることも難しい。

 志倉は画材用具を控え室にも置いていた。インスピレーションが沸きさえすればどこででも絵が描けるように、滞在するホテルや控え室に大型のトランクで持ち込んでいるのだ。持ち運ぶ手間も慣れればさほどでもない。その大型トランクから先ほど詰めた荷物を全て出し、高岡の体を詰め込んだ。少々窮屈な体勢だが文句も言うまい。とにかくここで殺されたことが知れたら終わりだ。
 
 そもそも伊佐月、いや高岡ツヨシは10年以上こっちに住んでいる人間。数日仕事で訪れたばかりの自分とは、繋ぐ糸は無いはずだ。出身学校だって違う。バイトとサークルでの繋がりはたかだか数年。密度は濃かったとしてもだ。
 なおかつ奴は婿養子となり苗字も変わり、顔を見ても気づかないくらいの変貌を遂げている。ならば知らないと言い切ればいい。

 絵と同じくインスピレーションが沸いてからは早い。睡眠や食事も忘れて一気に描ききってしまうスタイルだが、今回も似たようなものだ。
 高岡を詰め込んだトランクを起こし、志倉は控え室を出た。

 関係者用の廊下を進みエレベーターを降りる。スタッフが行き来するエントランスでそれぞれに挨拶しながら玄関を出た。風はあまりないが冷たい空気に志倉は首をすくめた。

「うー、寒ぃ」
「木村さん、高岡さん見なかった?」
「知らん。あの人のことだからトイレでサボってんじゃね?」

 玄関脇で片付けをしているスタッフの声がちらりと耳にはいる。やはりロクな社会人ではなさそうだ。少し気が楽になって、志倉は駐車場へと向かった。

********************

 愛車のランドクルーザーのエンジンを切ると、周囲は真っ暗闇だった。辺りを伺い、物音も光も感じられない。場所は美術館から少し下ったあたりの県道から逸れ、細い林道を少し進んだ辺りを選んだ。20メートル程後方に県道が走っているのだが、そこすら車はほとんど通らない。斜め上方を向くと、木々の隙間から美術館の建物が淡い光に照らされて浮かんでいるように見えた。息が白く漂い、消える。

 トランクを下ろし開ける。予想外に重く積み下ろしに苦労した。そのまま引きずり出すとスーツの内ポケットをさぐってサイフを取り出した。物取りの犯行に見せかける為だ。そうしてコンクリート舗装の林道の上から慎重に、枯れた下草の斜面に転がす。滑るように落ちる音だけがわずかに闇を震わせ、止まった。自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえ、志倉は文字通り息を飲んだ。

 悩んだけれど凶器は持ってきていない。血痕もないのだから、拭いて控え室に置いておくことにしたのだ。下手に後から細工をするのも良くない。死後についた傷などすぐわかるとなにかで読んだ覚えがある。

 車に戻る。暗闇と沈黙。そして、ゆっくりとエンジンをかけた。
 宿泊するホテルに向かう途中の海岸で中身を抜いたサイフを海に投げ入れ、高岡の身分証は燃やして埋めた。

*******************

 ほとんど眠れなかった重い頭をかかえ、志倉は車を降りた。トランクを転がしながら開館前のエントランスを抜けると、いつもより騒然とした雰囲気だった。立ち話をしていた顔見知りの若い美術館スタッフが志倉に気づいて駆け寄ってくる。話をしていたもう一人は見慣れない男で、メガネをかけた痩せた男で役所勤めの雰囲気だ。おそらく高岡と同じような市役所からの手伝い組だろうと志倉は思った。
「あ、先生。おはようございます」
「おはようございます。どうしたんですか? なにかこう慌しいような」
「いえ、ちょっと……」
 言いよどむ。その反応から、まだ死体は発見されていないということだろうか。スタッフの一人が昨夜から行方不明という程度ならば自分に伝えるまでもないはずだ。
「もしかしてこちらが志倉雲竜先生で?」
 メガネの男がいつのまにかすぐ傍にいて驚いた。影が薄いというか気配が無いというか。もっさりとした黒髪には白髪がちらほらと目立つも自分よりも年下なのは間違いない。が、20代にも40代にも見えるいまいち年齢不詳な男だ。
「著名な方にお会いできて光栄です」
 有名人に会えることだけでうれしがるような人種もまだまだ多い。特に地方ではそうだ。
「いえいえ、今になって芽が出てきたようなロートルです」
 メガネの男は反応に困ったような笑みをわずかに称え、会釈する。

 背後でエントランスの自動ドアが開く。振り向くと同時に「黛、ちょっと」と声が響いた。こちらはイタリア人の血が混じっているかのような男前で、黛と呼ばれたメガネの男とは正反対の存在感だった。
 駆け寄ろうとした黛は志倉のトランクに蹴躓いた。慌てて志倉はトランクを抱きかかえる。
「危ないな。商売道具が入ってるんだ」
「すいません」
 ひたすら恐縮しつつ、黛はハーフ顔の男の傍へと小走りで向かった。

 エレベーターに向かいながら志倉はスタッフにそっと尋ねた。
「あの二人もスタッフさん?」
「いえ、その。警察の方です」
「警察?」
 なるほど、あのハーフ顔の鋭い目はそれっぽい。しかし想像よりも早いなと志倉は思った。わずかな緊張を悟られぬよう、あえて興味深そうな態度を見せる。
「やっぱり何かあったんですね? もしかして展覧会を中止しろとかそんな脅迫状とか」
「あ、いやそんなことではないですから、大丈夫です」
 おそらく高岡の捜索で警察が呼ばれた。いくら高岡が不良公務員でも、仕事の途中で姿を消し連絡もとれなくなったとなればなんらかの手は打つだろう。もしかしたら自分のところにも事情を聞きにくるかもしれない。知らぬ存ぜぬで押し通すことが大事だ。東京にいた伊佐月ツヨシならまだしも、こんな地方に住む高岡ツヨシなどという男は知らないのだから。

 エレベーターに乗り込み、扉が閉まるその時。エントランスの端で、メガネの刑事がこちらを見たような気がした。

********************

 平日は客の入りも少ない。閉館日の火曜は完全にオフだし、水曜木曜も特別なことは無い。最終日とその前日、つまり土日は展示即売会もあるが、それまでは時間を持て余している。ホテルや控え室に篭って構想を練ったり創作にかかっても良いし、観光もありだ。
 本当ならば惰眠をむさぼりたいのだが、疲労感だけはあるものの、どうにも目がさえてしまっていた。殺人という非日常の展開を受けてやはり興奮しているのだろう。
 いっそこの精神状態を表現しようかと控え室でカンバスに向かってみたものの、どうにも筆が動かない。やはりこんな状況で集中などできやしないと、志倉はタバコに火をつけた。内線電話でスタッフにコーヒーを依頼し、くわえタバコのままスケッチブックを開いた。適当に鉛筆で落書きじみたイラストを描いてみる。昨日のインタビュアでもあるローカル局の女子アナだ。
 こうしたお遊びならまだ意識を向けられるようで、和風美人の顔が出来上がるころに、部屋のノックがされた。コーヒーを届けてくれたのだと思い、ドアを開けるとそこにはメガネの刑事。安っぽい黒のスーツで手にコートをかけて立っていた。
「あ、あなたは」
「どうも先生、今ちょっとよろしいですか?」
「刑事さん、ですよね」
「県警捜査課の黛といいます」
 黛刑事は抑揚と乏しい声で静かにそう言って手帳を見せる。
「やはり何かあったんですね。妙に皆さん落ち着かないと思いました」
「実はスタッフの一人が昨夜から行方不明でして」
「行方不明?」
「ええ」
 するりと黛刑事は志倉の脇を抜けて部屋へと入った。なぜ自分のところに、と不安に思ったが、それを隠して笑顔を向ける。
「大の男が一晩いなくなったくらいで警察まで呼ばれるもんですか」
 どうぞ、と椅子を勧めると、恐縮して黛刑事は腰を下ろした。
「そのご様子だと、先生はご存知なかったようですね」
「え、ええ。もっともここで働いているスタッフ全員を知っているわけでもありませんし。知らない誰かいなくても私にはよくわかりません」
 そこで黛刑事はポケットから写真を取り出してテーブルに置いた。証明写真の写しのような、そんな写真だ。死んだような目でこちらを見つめる高岡の顔がそこにある。
「この方です。見覚えはありますか?」
 志倉はゆっくりと首を振る。
「いや、ちょっとわからないですね」
「根庫川市役所の企画課の職員です。名前は確か、タカオ……、そうそう、タカオカツヨシさんです。どうです?」
 穏やかな陽だまりの猫のような細めた目がこちらを伺う。
「どうです、と言われても。今言ったように、全スタッフを知ってるわけじゃないですから。直接担当してくれる方数名と館長さん達くらいしかわからないですよ」
「お名前に心当たりは」
「ないですね。知らないです」
 名前ならますます知らない。伊佐月ツヨシならまだしも、高岡ツヨシなど知らない。
「クラスに一人くらいこんな名前の人もいそうじゃないですか」
 何気にしつこい。志倉はそれでも笑顔を絶やさないよう気をつけた。
「知りませんよ高岡なんで人。そもそもここは初めてくる場所です、知り合いになんて合うわけがない」

 黛刑事がうなずいた。
「そうでしたね。タカオ・カツヨシさんではなく、高岡ツヨシさんでした」

 一瞬血の気が引いた。
 目の前に座る貧相な男が、妙に不気味に見える。まるで、不吉な黒猫。

 志倉は強張りそうになる顔の表情をゆっくりと緩め、口角を上げた。
「ああ、そういえば高岡さんを探しているというスタッフの声を聞いたような覚えがありますね。昨日」
 暗に『高岡』の名前を刷り込まれていたという雰囲気でごまかす。事実昨夜帰り際にそんなことを話している人がいたのだから不自然でもつじつまは合う。

「そうそう。そもそも大の男が一晩いなくなったくらいでなぜ警察が呼ばれるか、ということなんですが」
 拍子抜けるほどスルーして、黛刑事は言った。
「おそらく高岡氏は自分の意思で美術館から出ていったのではないと思われるのです」
「……ほう。何故です?」
 おそらく荷物が残っているからだろう。
「荷物が残されています」
 志倉は顎を掻いた。想定内だ。
「たとえば急いで帰らなければならなかったとか」
「ご自宅には帰られてません」
 行方不明、ということになっているのだから当然だろうに、そんなことをしれっと言う。
「そりゃ行方不明ですからね」
「携帯電話もつながりません」
「だから、たとえば。たとえばですよ」
 志倉は腕を組み、考えるようなふりをしながら答えた。
「浮気相手の下へと走った。もしくは、仕事や家庭が嫌になって投げ出して逃げた。そんな可能性はありませんか?」
 慌てて付け加える。
「もちろん、高岡氏がどういう人物か知りませんけど」
「大の男が、そんな簡単に失踪しますかね」
「それはわかりませんよ。私は高岡氏ではありませんし」
 ごもっとも、といった様子で黛刑事は頷いた。
「悪い想像ですが」
 志倉は続けた。
「用事があってここを出たところで、事故かなにかに巻き込まれたという可能性はありませんか? 連絡がとれないのはしたくでもできないから、という」
「個人的にはそのほうがありえそうですね。ただ」
「ただ?」
「高岡氏はこの美術館の中で何かトラブルに巻き込まれたのだと思います」
 黛刑事が言い切った。一瞬間が空く。
「……それは、何故」
「荷物が残っていたからです」
「すぐ戻ってくる用事だった、とは考えませんか?」
「はい。コートと車が残っていましたから」
 外は冷たい冬の夜だった。おまけにここは山の中腹にある。けして人里離れた場所ではないが、コートも着ずに、そして車にも乗らずに出かけることなどありえない
 コートと車。コートと車か。志倉は考える。
「なるほど。……誰かが迎えにきたとか、送っていったとか」
「今のところ目撃者は出てませんが、どんな形にしろ第三者がかかわっていることは確かですね。そしてその発端はこの美術館内です。外へ連れ出されるにしてもコートは着ていきます」
 反論の余地が無い。黛刑事の視線に志倉は落ち着かない。

「……なんにせよ、その高岡氏が無事に見つかると良いですね。こう言ってはなんですが、私の個展で警察の方にうろうろされてはイメージに良くありませんし」
「そうですね。できるだけ早く解決させるよう努力します」
 黛刑事はそう言って席を立った。

********************

 水産会社の社長が絵を買いたいというので、併設のレストランで仲介の画商と共に会って遅い昼食を兼ねた会食となった。地方での個展ではこういった売買の場にもなる。幸運にもかなり大きな号の絵を購入してくれることとなった。買い手が芸術のわかる人間か、所持で満足する人間か、というものはある程度わかるような気がする。この社長はどちらかというと後者だが、志倉はあまり気にしない。なんにせよ商業用に描きおろしたものではない、自分の作品が売れるというのはありがたいことなのだ。
 今日の予定はこれだけなので、ホテルに戻って休もうかと考えていたが、それを打ち砕いたのはやはりあの刑事だった。

「先生、ちょっとよろしいですか」

 社長を画商に任せ、志倉は仕方なく人気の少なくなったレストランに逆戻りする。黛刑事はコーヒーを二つ注文した。

「実はですね、先ほど高岡氏が遺体で発見されました。ここから500メートルくらい下ったあたりです」
「死体で?」
 驚いたふりをして見せるが、黛刑事の反応は薄い。
「死因は頭部損傷による脳挫傷。何かで殴られたとみて間違いはないでしょう。時間は昨日17時から18時くらいです」
 事務的な物言いだ。コーヒーが運ばれてきたので、志倉はそのまま一口飲んだ。黛刑事はミルクを入れてかき混ぜる。
「ちなみにサイフが見つかっていません。おそらく犯人が持ち去ったのだと思います」
「物取り、つまり強盗ということですか」
「可能性はありますが、どうでしょうね。おそらく現場はそこではありません、先ほど言ったとおり、美術館内で殺されて運ばれたのならば、物取りに見せかける為に犯人が持ち去ったのでしょう」
 手の内を見透かされたようで、志倉は不安になる。だが、自分が犯人だと特定されるような証拠は無いはずだ。
「残念です」
 ドキリとした。証拠は無いはずだ。
「何が、残念なんですか」
「いえ、これは殺人事件として捜査になります。しかも美術館内で事件が起きていることもほぼ間違いありません。先生のせっかくの個展が台無しです」
 飲みかけた息が漏れる。慌ててコーヒーをガブリと飲んだ。
「……刑事さんは、飲まないんですか?」
「猫舌なんです」
 ミルクの渦が完全に溶けたコーヒーを、ゆっくりと混ぜ続ける黛刑事。

「さて先生、もうそろそろ自供していただいてもよろしいですか」

 いきなりそう刃を突きつけられた。さすがの志倉もこれには驚きを隠せなかった。
「何を。いくらなんでも刑事さん、これは失礼じゃないかね。そもそもどうして私が疑われなければならんのだ。不愉快だ。そもそも私はその高岡という男とは会ったこともないんだ。そんな男を私が殺す? 冗談も休み休みいいたまえ」
 万が一、二人の過去を徹底的に調べ上げたとしても、繋がりが見えてくるかどうかもわからないくらいのはずだ。
「私がその高岡を殺す程の動機があるとでも言うのか。それとも何か、私が無関係な人間を殺すようなキチガイに見えるのか」
 バン、とテーブルを叩いた。レストラン内にいた一組の老夫婦と店員が驚いてこちらを見る。

「動機というものはさっぱりわかりませんが、先生が何か隠してらっしゃることはわかります。もしそれが高岡氏殺害に関するものでないというのであれば、お聞かせください」
 度の強そうなメガネが蛍光灯の光を反射させる。
「……隠し事など」
 していない、とそうはっきり答えたかったが、そこで志倉は言葉を飲み込み、この一見頼りなさそうな刑事を睨んだ。
「美術館ですからセキュリティはしっかりしています。前日のことですから防犯カメラの映像も残されたままです。むろん施設内全てをチェックしているわけではありませんが、展示室、エントランスホール、そして搬入口と通用口はチェックされます」
 黛刑事は再びコーヒーをかき混ぜながら、静かに口を開いた。
「高岡氏はこの美術館の中で殺されて運び出されました。これはまず間違いありません。では犯人はどうやって運び出したのか。防犯カメラの映像で、人間を運び出せるほど大きな入れ物は先生の持ち歩いているトランクしかありません」
 反論しようとした志倉を黛は手で制して続ける。
「そして先生は消えたスタッフを『大の男』と言い、曖昧な言い方をした高岡氏の名前を正確に知っていたふしがあります」
 タカオ・カツヨシとタカオカ・ツヨシのくだりだ。『大の男』と口を滑らせていたことも気づかなかった。
「先生は死体を運び出すことができた。そして、失踪したスタッフが高岡という男性であることを知っていたにもかかわらず知らないふりをした。これで疑うなというほうがおかしいです」
 志倉は鼻で笑って首を振った。
「確実な証拠もナシにそこまで言えるものだね。トランクには私の仕事道具が詰まっていたし、男か女か知らんが社会人を『大の男』と言ってもさほどおかしな言い間違いでもない。高岡氏の名に関しても、前日の帰りにそんな名前を聞いたことを思い出したからだ」
「しかし朝のトランクには仕事道具は詰まっていませんでした。誤ってぶつかってしまった時、荷物の重さを感じられませんでした」
 口調の荒くなった志倉に対し、黛刑事はこれまでと代わらない平坦で静かな言葉で反論する。志倉は思わず立ち上がった。
「それは君の主観だ。客観的な証拠ではない!」


「……客観的な証拠ですか」
「ああそうだ。それがあるなら見せてもらおう」
 黛刑事はようやくカップを手に、一口なめるようにして飲んだ。いつのまにか白い手袋をつけている。
「では、これをお借りしてもよろしいですか」
 志倉が飲み干したコーヒーのカップ。白く滑らかな陶器の器を、黛刑事は白い手袋で示した。

 コーヒーカップ? 志倉は眉をひそめた。唾液?
 タバコの灰、は違う。吸殻ならともかく灰から個人を特定などできるわけがない。
 では指紋か。志倉は考える。
 しかし、志倉は高岡の体に直接触れていない。殺してからは常に手袋をつけて作業していた。

「動機に関してさっぱりわからないと先ほど申しましたが、実はひとつ推測がありまして。サイフがなくなっているといいましたが、スラックスのポケットに一万円札が6枚入っていました。この6万円はいったいなんでしょう」

 志倉の意識が一瞬遠くなる。くらりと貧血じみた眩暈。素手で渡した数枚の紙幣をひったくる高岡の姿が幻のように目に浮かぶ。

「高岡氏の奥様の話では、サイフには1万円程度がせいぜいだと伺いました。となるとこのお金はいったいなにか。鑑識の結果、高岡氏の物ではない同一の指紋がついていました。つまり、誰かから受け取ったもしくは奪ったお金であると推測されます。はたしてそれがギャンブルか、それとも強請りか」

 志倉は目を閉じてため息をついた。
「幻想画家は下手クソなんだ。絵に描いた餅は」
 黛刑事は肩をすくめてコーヒーをすすった。





《 絵に描いた犯罪 了 》





【 あとがき 】
今年は黛刑事シリーズでなんとかムリヤリ引っ張ってみました。
ミステリを書こうと頭を悩ませまくったのは数年ぶりで、お題そのものは二の次にしてしまいましたが、そりゃもう楽しかった。キャラとして気に入っていた黛君を再利用できたのも満足です。


Missing-Essayist Evolution  松永夏馬


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