Mistery Circle

2017-05

《 Pandora(パンドーラ) 》 - 2012.07.02 Mon

《 Pandora(パンドーラ) 》

 著者:すずはらなずな








そこは 闇。
受話器の向こうに 深く暗い底なしの闇が広がるような気がした。
長い長い沈黙の後、女は 掠れる声で言ったのだ。

「捨てることができないんです」
啜り泣きが聞こえる。ずっと泣くのさえ抑えてきたのかもしれない。
「どうぞ お話しなさって下さい。話すことで気持ちが穏やかになるかもしれません」
響子はいつも以上にゆっくりと、トーンを落とした声で呼びかけた。

「どれが大事ものなのかもだんだん解らなくなって。必要なものは何なのか。喜ぶものは何なのか。解らないまま物だけが増えて、捨てていかなくてはいけないことは解っているんです。でも…」
「でも?」
「手放すことが、捨てることが…怖いんです。また何かを間違えてしまいそうなんです」




「ほっこりたいむ 三田(さんだ)でございます。お電話有難うございます」
「ああ、三田さん、もうホントに嫌になるわ 聞いてくれる?」
受話器の向こうの相手は軽い口調でそう言った。いつもの70代の女性。
悩んでいると言いながら 声は結構明るい。さんざん嫁の悪口や近所の話などしては
「ああ、本当に大変なのよ、意見なんかしたら何を言われるか解らないしね。じっと我慢して 私、ひと様の悪口なんて一切言わないの」
最近は隣家が解体中だとかで その音やほこりについての愚痴が多い。
そしていつも あなたに聞いてもらえて良かったわ、ありがとう、と相手は電話を切るのだ。

「愚痴承り」の仕事を 市役所勤めの野瀬君が持ちかけて来た時は半信半疑だった。
─掛かってきた電話の相手をしてくれたらいいんだ、大抵は 暇なおばあさんの愚痴聞きだし。

市のボランティアが持て余してる相手の引受先として 新しく「有料愚痴聞きサイト」を計画している、
喋り足りない人にさりげなくそっちを案内していくから相手をして欲しい、今後は経験豊富なスタッフやカウンセラー資格のある人も集めていくから。
説明は そんな内容だった。

「公務員が副業なんかしてたら マズイんじゃないの?」
市役所地下の飾り気のない食堂で コーヒーの食券を2枚買いながら、野瀬君はやたら爽やかに笑って答えた。
「僕は企画してサポートするだけだから。やんのはキミ、『キョド子』ちゃん」

食券を手渡される時 軽く野瀬君の指先が触れる。
早くも妻子持ちだと、さっき聞いたところだ。今更 ない、とは思うものの それこそ『挙動不審』な動きにならないように気をつけながらその小さい紙を響子は受け取った。
「『キョド子』は、やめ…」
「ああ、ごめん、ごめん。何かさ、懐かしいって思ってたら、勝手に当時の呼び名が出てきちゃって。悪かったね、えっと」
「高岡 響子」

懐かしい、か。そうだな、高校卒業して8年近い。
舞い戻って来る気なんかなかったのに今またこの町にいて 小さなテーブルをはさんで野瀬君と向き合っている。
辞めてきた仕事について聞かれ つい会社の苦情承り的な部署で、と話したら流れでこんなことになった。
何であたしが…と思ったが 野瀬君の屈託ない笑顔と勢いに押され、拒否しそこねている。
響子は運んできたぬるいコーヒーのカップを、口元まで持ち上げて止めた。
「あたしは何のスキルもないよ、辞めて来た仕事だって上手くいかなくて逃げて来たようなものだし」
響子が言うと、野瀬君は砂糖を2杯、ミルクをたっぷり入れたコーヒーを満足げに啜り、細い目を更に細めて笑った。
「いやいや その癒しのハスキーボイス。その落ち着いた声が校内放送で聞こえてくると皆聞き惚れた。それだけで充分」
─最初はみんな、どこのおばさんかと思った、とか好きなこと言ってたくせに。

「『安心して、ただ愚痴を吐きだせる他人』って 結構ニーズがあるんだよ」
「そんなもんかな…」
─そんなもんかな。あの頃の私にも 打ち明ける相手が必要だったんだろうか。
ずっと心の内に閉じ込めて、抱え込んで、誰にも言わずにいたこと…響子は幼い日の自分を思い出す。
一言でも言葉にしたら きっと留めることができない。それが恐ろしくて 蓋を閉ざしてきた。平気なふりをしてきた。

「吐きだしただけで不満や悩みって解決する?それとも やっぱり同じ人が何度も掛けてきたりするのかな?」
少しだけトゲを含んだつもりで質問をぶつけても 野瀬君は気を悪くする風でもない。
「何だかんだずっと同じ人が愚痴って来るってことも多いよ、それでもやっぱり聞いてもらったってことでちょっとでも救われたりするんじゃないかな」
「救われる?」
「そう、救い。『気休め』とも言うかもね。高岡さんって心に色々ため込むタイプだっけ?」
そうだね…考えながら響子は何度目かのカップを口まで運び、中身がもう残ってないことに気づいた。
「嫌な気持ちって 口に出すことで余計くっきりと形になって どんどん大きくなって来る気がしない?」
ため込んだ思いは沈殿して私の中にある。でも今さら誰かに言おうなんて思わない。
響子は空になったカップを、できるだけゆっくりした動作でソーサーに戻した。

「汚いもの醜いものを出し切ったら、『希望』が最後に残るって、そういう話 知らない?」
「パンドラの箱?好奇心に負けて 開けてはいけない箱を開けちゃう話じゃないの?」
「愚痴聞きの状況に似てるかなと思ってさ、実はサイト名を『ぱんどーら』にしようか、さっき言ったのにしようか迷ったんだ」
─ああ、でもちょっと違うかな と思ってさ、辞めにしたけどね。
物語の解釈のことか サイト名のセンスのことか どちらとも取れる言い方をして野瀬君は笑い、ふたり分のコーヒーカップを自分のトレイにまとめて 返却口に向かった。
「相槌打って聞いててくれればいいんだよ、アドバイスなんかも不要。『共感』こそが求められてるんだから」
「きっと聞いてくれて良かった、有難うって 喜んでもらえるよ。高岡さんにはそういう雰囲気がある」
そう話しながらも 横を通りかかる人に次々と声を掛けたり会釈する野瀬君は 市役所でも特に顔なじみが多いみたいだ。
人当たりの良さは高校の時から変わらない。

戻って来た野瀬君はにっこり笑うと 話をまとめた。 
「えーと じゃあ仕事上の仮名は…サンタ…サンダ、『三田さん』で宜しく」
壁に貼られた公民館の12月の行事の張り紙、クリスマスのイベントの所を見ながら野瀬君は言ったのだった。



「よ、久しぶり」

珍しい。掛かって来た電話の声は、若い男のようだ。
久しぶりも何も こんな声の男から愚痴の電話を受けた覚えもない。
「おい」
今度は「おい」か?
「おい、お前 誰だって?」
「ほっこり、ほっこりたいむ、さっ…三田で…」
焦ると舌がもつれる。声が上ずって 一気に調子が乱れる。どこが「癒しのハスキーボイス」だ。
少しの間の後 ぷぷっと吹きだして盛大に笑った後 男の声は言った。
「やっぱり。高岡響子だ」
「やっぱりって?・・・」
男はさんざん焦らした後でやっと名乗った。高校までずっと学校が一緒だった島崎大地。高校卒業と同時に家を出て 家の人に聞いても居場所がはっきりしない、と同窓会委員の子がぼやいていた。

知っている相手だということで一応安堵し、でも 何故?とまた疑問符が響子の頭に並ぶ。
「何かさ、懐かしいヤツが出るから 掛けてみろって言われてさ」
野瀬君の紹介か…ぐっと詰まって口ごもる。仮名と、誰とは特定できないはずのプロフィール…これでは意味がない。
「相変わらずお前の声はいいっ。安心する。さすが『ほっこり』」
声ではすぐに解らなかったけれどその喋り方を聞いていると、笑うと人懐こくなる大地の顔が浮かんで来た。
中学生の間ずっと大地の顔から消えていた笑顔。高校に入ってその笑顔が戻ったのを見た時、響子は心から嬉しかった。
「こっちはすぐ解ったぞ。そもそもその声が気に入って、高岡を放送部に誘ったのオレだしな」

中学の時は他人を寄せ付けず、極端な女嫌いオーラを背負っていた。なのに高校で大地は 女子ばかりの放送部にいつの間にか入っていた。どういう心境の変化なんだろう、不思議がる響子に 大地は「3年の男の先輩に騙された」と笑った。1名だけの男子部員は 引退してほとんど顔を見せない。
それでもどこか、居心地の良さを見つけたのだろう。大地は放送部に居続け、生真面目にアナウンスや朗読の練習をする響子の後で寝てばかりいた。部室に入り浸っては勝手にCDを聴いたり たまに自分の趣味だけでお昼の放送の曲を流し続けた。

「もっと喋ってもいいか?ほっこりタイムの『さんださん』?」
大地の声で思い出から引き戻された。はっとして『三田』に戻る。
「どうぞ、お話お聞かせ下さい、お気持ちがすっきりされますように。…ってか有料だし、こんなとこで吐きだしたい愚痴なんかあるの?」
「そりゃ、色々ね。あっ、でもまあやっぱ、今日は声聞けただけでいいや」
ありがとな、そう言って 大地は電話を切り上げた。



電話より、会って相談したいことがあるらしい、と野瀬君が連絡してきたのは数日後だった。
市役所の食堂はコーヒーが不味いから、と大地が場所を指定した。高校時代よく行っていたお好み焼き屋。
ガタつく丸椅子 黒光りする鉄板。壁いっぱいの漫画本。サイダーの商品名の入ったガラスのコップにはなみなみと注がれた水。
何年経ってもこれから先も、ずっと変わらないだろうものに 響子はちょっとほっとする。それでも奥の席に座っている部活帰りの高校生たちを見ていると もう混じれないことを確認する。自分何だかずいぶん歳を取った気がした。

先に野瀬君が入って来て 軽く手を振り声を掛けてきた。
「野瀬君ってさ、大地…島崎くんとは 何で繋がっているの?」
二人が特に仲良かった記憶もない。
「って言っても、私と野瀬君が一緒にいるのだって 他の人が見たら何故だろうって なるけどね」
この町に戻って来てすぐ、用事で立ち寄った市役所に野瀬君がいた。
目が合ってお互い元同級生と気づいた後 黙って通り過ぎるのもそれはそれで不自然な気がした。でも卒業後8年近くなって、まさかこんな風に野瀬君とここに居ることなんて思ってもみなかった。響子は不思議な思いで 高校時代何度も来た店内を見まわした。

「先月、島崎の親父さん 亡くなってね」
あいつから話すことかもしれないけど、と前置きして野瀬君は話し出した。手続きや届け出のため 大地は市役所を訪れた。
「親戚も誰もいない、俺が全部するしかなくて、って言いながらさ、何から手をつけたらいいか戸惑ってた」
野瀬君は言い、水を一口飲む。
「島崎ってずっと、お父さんと二人、だったっけ?」

大地の家の事情は 小学校から付き合いのある子なら皆知っている。当時6年生だった自分たちにとっては かなりセンセーショナルな事件だったからだ。
誰の親がそんな言葉で子供に聞かせたのか解らないが 大地の母親が「若い男とデキて 家を出て行った」のだ。大地の顔から笑顔が消え、「女ぎらい」になったのは その頃からだ。
昼時にはずっとコンビニ弁当やパンを食べていた。自分でやった体育祭のゼッケンの合わない糸の色、大きな縫い目。厳しい視線、結んだ口。そんな中学生の大地の姿を 響子は思い出す。

ガラガラと戸を開ける音がして 部屋着みたいな格好の大地がぴょこんと店に入って来た。



「家と土地は売りに出した。古い家だからもう解体して更地にするしかないな。色々手伝ってもらって助かった、有難う」
大地は野瀬君に向いて さばさばした様子で礼を言った。
「葬儀屋も不動産屋も解体屋も同級生って…ある意味凄いよな、この町」
居心地の良さと悪さ。どちらもある小さな町。ここを出た時は居心地の悪さしか頭になかったけれど。

「遺品整理っての?家の片付けからしようと思ったんだけど、結局何もできなくてさ…」 
「案外 大変だろ、意外とモノって増えてるもんだし」
「それだけじゃなくってさ。全部捨てたなんて言いやがって あのクソ親父」
物置化していた奥の部屋を大地が開けるとそこに 隠すようにして母のものが全部残されていたのだ。服も化粧品も何もかも。
「お母さんのもの?」
「未練なんか全然ないとか 塩撒いて追っ払ったとか あの頃からもう、嘘ばっか」
「ずっと、連絡取ってないわけ?お父さん亡くなったってこととかって 伝わって…」
「いつも言ってた。お前を捨てて出てった女だ。あんなの母親じゃねぇ。もう忘れろ、あっちなんてもうお前のことなんか忘れて男と宜しくやってるからって」
「子供に言う言葉としちゃ 不適切だな」
「色々と不適切なおっさんだったよ、ホント。中学卒業する頃にさ、実は母親が何度か会いに来てたってこと 隣のババアに聞いた。」
自分には全く教えてくれない父に大地は苛立った。
「聞きたくなくても教えてくれるんだ、あのババア。心底 鬱陶しいと思った。でも 聞いてる内、全て母親を悪者にする親父の話だって鵜呑みに出来ないと思った」
─大人なんかどいつもこいつも自分勝手だ。何だかだんだんどうでも良くなってきて きっと反抗期ってのにも飽きたわけ。
母親や女を目の敵にするのも、そんなポーズを取りつづけるのも馬鹿馬鹿しくなってさ、大地はふわふわ笑いながら話しを続ける。
「んで、中学卒業と共にふっきれたっていうかさ、大人になったわけ」
大地はメニューを見ながら まるで話の続きみたいに言った。
「おばちゃん、オレ 豚玉と焼きそば。お前らは?」

「ところでさ、高岡、お前んとこ最近 暗ーい女の人から電話なかったか?ゴミ屋敷に住んでます、みたいな」
大地が響子に顔を向け テコをマイクのように付き出して聞く。
いきなり振られた話題に戸惑うが 思い当たる相手はいる。
「電話で聞いた内容や個人情報は ひとには教えてはいけないことになっているんですけどね…何か 知ってるの?」
愚痴聞きサイトの「裏責任者」の野瀬君をちらり見ながら 響子は返す。

「中の物も全部、家と一緒に潰して片付けてくれって 解体屋の池田に頼んでたらさ、連絡があったわけ」
─解体しかけのお前んちにな 女の人が来てゴミ漁ってる。持って行きたいものがあるとか言うんだけど どうする?結構真剣な顔でさ、頼むんだ。
「何か探してたって?誰?その女」
「そのひと、大地は会ったの?」
「しぶしぶ見に行ったさ。池田も顔見てもしかしたらうちの母親じゃないかって思ってたらしい」

解体しかけの家の前にぼんやり立っていたのは すっかり老けた大地の母親だ。
工事をしていない時間に来て そっと半壊の家に入り何やら物色している。残された自分の物でも探すのかと思ったら、丸めた画用紙の入った段ボールや 古びたお菓子の箱、父親が整理せず置いていた大地の赤ん坊の時の衣類なんかを探し当て、持って行った。

注文のお好み焼きの生地がステンレスのカップに入れて運ばれて来る。焼きそばの方は先に出来たものを おばちゃんがそのまま鉄板に載せる。ジュッと音を立て香ばしいソースの匂いがした。
カチャカチャとステンレスのカップの中の生地と具を細いスプーンで混ぜると 油をひいた鉄板に、三人は無言のままそれぞの生地を流し入れた。
「声 掛けたの?」
響子がやっと口を開く。
「まさか。そんなの久しぶりすぎて何から言えばいいか解らんし。でも」
「でも?」
野瀬君は意外と不器用だったのか、丸くならない生地をつつき回しながら先を促す。
「後 つけてみた…二個先の駅の近くの小さなハイツでさ」
開けたドアから部屋の中が見えた…大地が水を一気に飲んでコトンとテーブルに置く。水差しから継ぎ足した水が零れて、テーブルに小さな水たまりができる。
「独りで住んでるみたいだった。部屋の中、妙に物だらけで」
水たまりの形を指でいじりながら 大地はぼそぼそと続ける。
「ゴミ屋敷…も、ちょっと違うのかな、あー、買い物依存っての?紙袋やら、開けてなさそうな包みやらが ごちゃごちゃあった」
真剣に聞く二人の視線に、大地も急にテレ臭くなったのか、いきなり野瀬君の手元を見て指摘する。
「…片方ちゃんと焼けるまで待て、やたら触んな。野瀬。」

「で、その大地のお母さんがどうして私に電話してくるわけ?」
話がもう一歩で繋がりそうで、でも、どこかまだ足りない。
何度か同じ声の電話を受けた。闇の向こうから掛けて来るような印象の、あれが大地のお母さんからの電話だったの?
「何回か見に行って、でもどうしたらいいか解らなくてさ…たまたまポケットにあった紙に気がついた」
「あ、僕が島崎に渡したチラシと『三田さん』のプロフィール?」
「で、ポストに放り込んで来た」

─あなたの想い聞かせて下さい。思いっきり吐きだして 心を楽にして下さい。聞き上手な専門スタッフが お待ちしております。
 『三田(さんだ)』落ち着いた声であなたの心を癒します。恋愛、家庭、その他の悩み何でもお聞きします (30代女性)
確かそんな内容だった。何で年齢30代?勝手に切り上げないでよ。プロフィールに文句を言ったがそのままだ。
「高岡に 恋愛相談できるとは思わなかったけどな」
大地がくっくと笑う。



平日だったので野瀬君は仕事、今日は響子と自称休職中の大地だけだ。昨日 響子のところにあの女の人から電話が掛かって来た。内容は更に重くて暗い。
「消えてしまいたくなるんです。でも…もうどこにもいけないんです」
慌てて大地に連絡したのは 言うまでもない。
駅で待ち合わせ電車に乗った。大地が落ち着かない様子で窓から電車の行き先ばかりを見つめている。

「お前はさ、親のことって、愛せてた?」
「え?」
揺れる電車の中で、いきなり聞かれ 響子は戸惑う。『愛する』なんて言葉が大地の口から出るのにも驚いた。
「上から手を伸ばされんの嫌がったろ?小3の時かな、気がついた。こいつきっと親に叩かれてるって」
ああ、そんな所まで気づく子供だったんだ、大地ってヤツは。響子は思う。

厳しくて すぐ手を上げる父親だった。言葉づかい、生活態度、もちろん成績にも 自分の理想を押し付けた。褒められたくて一生懸命勉強した。なのに認めてもらえることは少なかった。
先生が頭を撫ぜようと手を伸ばしても 身体はすぐに反応し身を固くする。「叩かれる」と思うわけじゃない。自分のおびえた目を見て先生の方が困惑の色を見せたのを覚えている。そんな自分が嫌だった。
だからこそ余計 何のためらいもなく簡単につついたり頭を撫ぜたり、男相手だったら肩を組んだりもする野瀬君に憧れた。触れられた時の響子の反応や、からかった時の響子の態度を彼は笑ったけれど、『挙動不審』になる理由がそこにもあったこと、大地はきっと、全部気づいていたんだろうね。

「高校の時死んだからね、うちの父親は。弱ってさ、叩くどころか自分のこともまともに出来なくなって。結局 何も解り合えないまま」
嫌だったことも、聞きたかったことも、何にも言えないまま。
チクショウ、アノヤロウ・・・汚い言葉を心の中で何度叫んだだろう。勝手に逝くな、バカヤロウ。
でも、直接言うことも 誰かに打ち明けることもできなかった。想いを閉じ込めた箱を開けたら 何が出て行き、最後に何が残っただろう。今さら 考えても仕方ないと思いながら 時々ふと 思う。
そんな時期に そうだ、大地が部活に誘ってくれた。居心地のいい場所と一生懸命になれることを作ってくれた。

「大地、私はさ、とにかく話した方がいいと思う。怨みでも何でも。どうなるかは解らない。余計に傷つくかもしれない。でも、言わなきゃ何にも伝わらない」
「そうだな…」
カタンコトン音を立て電車が目的の駅に近づき、減速する。
「そうかもしれん…」



─何て声を掛けるんだ?

家が近付くにつれ 緊張は高まった。慌てて大地を連れて出て来たものの何の計画もなかった。駅から小さな商店街のアーケードを抜ける。
「もう クリスマスなんだね」
ケーキ屋のショーウィンドウの飾りや、店先の人形が着ているサンタの衣装を見ながら、響子は聞いてみる。
「大地はさ…いいクリスマスの思い出ってある?」
「そうだなぁ…」
言いながら大地は何だかきょろきょろしていたが「おっ ちょっと待ってて」と響子に言うと小さな雑貨店に入って行き、袋を抱えて出て来た。
「何買ったの?」
響子が聞くと 大地はにやっと笑って答えた。
「変装グッズ」
何で?と聞く響子に だって「素」で会うのも、今さらな気がしてさ、と大地は言い、商店街に流れるクリスマスソングに会わせて袋をぶんぶん振り回す。 

「出ていく前の母親は、やたら気合いの入ったクリスマスを演出したがったな」
商店街を抜け 住宅地に差し掛かり 大地の歩き方は遅くなった。1歩前を大地が行くので 響子も合わせてそのままゆっくり後を付いて歩いた。
「…ごちそうとか?サンタさんのプレゼントとか?」
「うん。それから部屋の飾り付けとか電飾とか。あんまり早くし始めるんで いつも『もうクリスマス?』って何度も聞いた」
「大地んちの電飾 奇麗だったもんね」
「12月になったらもう、うちは家ん中も外もすっかりクリスマス一色でさ。はしゃいで俺、挨拶全部『メリークリスマス』にした」
「全部って?」
「朝起きたら『メリークリスマス』。いただきますもおかえりも、ただいまも『メリークリスマス』」
「おかえりもただいまも『メリークリスマス』?」
「ありがとうもごめんなさいも『メリークリスマス』。いい加減にしなさいって、終いには言われたけどな」
ほほえましい家族の姿が浮かぶ。クリスマスツリーの前、満面の笑顔で幼い大地がはしゃぐ様子が見えたような気がした。
「母親が出て行った後も電飾だけ親父は同じようにし続けてた。センスなかったのにね。意地だったのかな」

道の先、狭い道路沿いに大地のお母さんが住むハイツが見えた。
辺りが暗くなってきた中 道に向かった2階の窓、大地のお母さんの部屋に温かい光が点滅している。
「電飾だ。文字?」
「ウェルカム サンタ、だって」
「ごみ溜めみたいな部屋で消えてしまいたい女のくせに まだサンタ迎える気かね」
軽口をたたきながらも大地が更に緊張しているのが解る。

クリスマスの電飾は大地の幸せな時間。家族を繋ぐもの。
大地のお父さんも だからこそ飾りつづけていた、そんな気がした。
「『何も捨てたくない、捨てられない。喜ぶものがもう何か解らない』って言ってた、大地のお母さん」
「聞きながら何のことかよく解らないでいた、私。きっと、大地のことを言ってたんだと思う」
「あの家から持ち出したのは何?大地の描いた絵とか大地の子供の時の宝物とかじゃないの?ここの家にある沢山のものは きっとどれも大地に繋がっているんだよ」
お母さんはずっと大地のこと想っていた。それをもう大地自身気づいてるんじゃないの?
「落ち付け高岡」
落ち着かないのは大地の方だ。

どんなにゆっくり歩いても 目的のハイツの前にたどり着く。
大地は階段の前で立ち止まり、肩で大きく息を付いた。
「とりあえずだな…」
大地は向こうを向いたまま言う。表情は解らない。
階段の一段目に片足を載せ、今度ははっきりした声で 大地は言った。
「あの馬鹿母に もう勝手に消えんな、って言う」
思っていた闇のような場所とは違う。誰を迎えるためなのか玄関先にも小さなツリーが明るいきらめきを見せていた。
─やっぱ ちょっと待て。
大地が言って踊り場の陰で 持ってきた袋から何かを取りだしている。本当に「変装」するつもりみたいだ。
チャイムを押す響子の指が少し震える。
「あの…電話でお話させて頂いていた者です。突然で申し訳ありません」
何故住所が解ったとか不審に思われるかもしれない。個人情報を漏らすなんて言語道断だ。
でもこれは・・・問われるかもしれないことへの返答や言い訳や 響子自身が親に聞いてみたかったことや色々なことが頭の中をめぐる。

一瞬のことだったのに長い間待ったように思えた。
がちり、と音を立て錠は開いた。
チェーンの掛かった扉の隙間から白髪まじりの痩せた女性が顔を半分覗かせる。
「すみません。『ほっこりたいむ』の…」
「…『三田さん』?」
後ろに隠れるように立っていた大地が間をおいて 上ずった声を張り上げた。振りかえった響子の目に赤いサンタの衣装が飛び込んで来る。

「『メリー…クリスマス!ホッホホー』」



「だけど このメンバーでクリスマス会って やっぱ何か違和感あるよな」
あの家を訪ねてから、三人でまたお好み焼き屋で集まった。
大地がサンタの衣装を持ってきた。上着は野瀬君が無理やり着せられて、帽子は響子、ひげは大地が付けている。

「ずっと思ってたんだけどさ…島崎、お前 僕のこと嫌いだったろ?」
改めて顔を突き合わすと 何だかテレくさい気もした。野瀬君はちょっと真剣な顔をして聞く。
「別に。悩みなさそうでいいよな、とは思ってたけどさ。やっかんでただけだ。気にするな」
割り箸をくるくる回して遊んでいた大地は手を止め、にっと笑って野瀬君を見る。
「でもまあ、本音を言えばだな…」
何を言うんだ?響子の方が気を遣う。
「お前のネーミングのセンスの無さには相変わらずあきれる」
「何 それ どういう?」
─自覚ないのか、野瀬ってさ。
『三田さん』他 スタッフの「プロフィール」の入ったHPを 大地はスマートフォンで見ながら くっくと笑う。
昔から野瀬君は男女問わず勝手に呼び名を付けたがり 彼の名付けセンスを皆の前で否定しまくったのは 大地だった。そのおかげで 有り難いことに『キョド子』は流行らなかったわけだが。

「いいじゃん、『三田さん』、結構馴染んだし、ねえ高岡さん」
「うん…まあ」
「『ほっこりたいむ』だもんな。第二候補が『ぱんどーら』。思いついた話が、床屋が穴掘って秘密を叫ぶアレじゃなくてほんっと良かった」
「『王様の耳はロバの耳』?」
「葦が生えて、結局秘密が広まってしまう話だよ、それ」
「思いっきり マズイじゃん、そんなの」
─これでもちゃんと考えてるし。
子供みたいに拗ねた顔をして野瀬君は言い、大地は椅子がひっくり返るくらいのけぞって笑った。

ひとしきり笑うと3人にまた沈黙が訪れる。
しんとすると いつになく店内にオルゴールのBGMが掛かっていることに気が付いた。小さく流れるクリスマスソングを聴きながら、気にしているのにまだ避けている話題があることを皆が意識する。
「…でさ、お母さんとは…話せた?少しでも解りあえたの?」
野瀬君の問いかけに 天井を向いたままのポーズで留っていた大地が ゆっくり向き直りながら答える。
「解りあえるもんか、そんなに簡単に。だから野瀬はお幸せな坊ちゃんだっての。ほら 生地つつかない!」
大地に指摘されてまた判り易く野瀬君はへこみ、慌ててお好み焼きに出しかけたテコをひっこめる。
「けど まあ、今回はお前らに感謝する。アイツにはそんな簡単に消えられてたまるかってことで」

あの日の玄関先、サンタの格好で固まった大地を置いて 響子は先に帰った。その後二人が何を話したのか知らない。
あれから「ほっこりたいむ」にも彼女からの電話は掛かって来ない。
それがどういう意味を持つのか響子はまだ解らない。だけどそれは 大地が知っていればいいことだと思う。
開けた箱の中には きっと残っている。響子は「希望」のことを考える。
「高岡には二度目の感謝かな」
二度目って?大地に感謝されていたなんて響子は思いもしなかった。何だろう、と大地を見る。
「お前の声を聞くと どんな時でもよく眠れた」
野瀬君がきょとんとした顔をする。
「ああ、今日は久々に思いっきり眠れそうな気がする オレ」
熱々の焼きそばで先にお腹が温まると、今度は気持ち良さそうに伸びをして 大地は目を細めた。
「おい高岡、今晩オレんち来て 何でもいいからで傍で朗読しててくれ、朝まで」
コップに水を継ぎ足し、入れすぎて零し、お手拭きを取ろうとして箸を落とす響子に 
─えっ、えー、それって 何?いつからそういう関係?
野瀬君が勝手に深読みして騒ぎ 大地がそれを面白がってかき回す。

そろそろこっちもひっくり返すぞ、そう言って大地は得意げにお好み焼きを裏返す。香ばしいソースの香り、ひらひらと踊る鰹節。温かい店内。小さなツリーと素朴な電飾が 店の窓辺を飾っている。

入って来た高校生たちに おばちゃんが「メリークリスマス」と声を掛けた。





《 Pandora(パンドーラ) 了 》





【 あとがき 】
書いている内にハロウィンが遠ざかり クリスマスが今年もやって来る♪、そんな時期に突入していました。
ある程度書けてから だんだん主要人物やその周囲の色んなエピソードや会話が「思い出されて」いく感じの、いつもの変な書き方です。
よく読むと お好み焼きが焼けてないのに食べてたり、先を歩いてた人が後ろで呟いたり 読み返すとバラバラでした。 直ってるかな。

ということで メリークリスマスです。


【 その他私信 】
メリークリスマス。ホッホホー。


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